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金沢地方裁判所 平成12年(ワ)380号 判決 2005年4月15日

主文

1  被告は,原告Cに対し金3409万7095円,原告Aに対し金1704万8548円,原告Bに対し金1704万8548円及びこれらに対する平成9年5月12日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の各請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  この判決第1項は仮に執行することができる。

事実及び理由

第1原告らの請求

被告は,原告Cに対し金3418万7643円,原告A及び原告Bに対し各金1709万3821円,並びにこれらに対する平成9年5月12日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は,原告らの妻及び母であるD(昭和40年1月3日生、平成9年5月12日死亡。)が被告が開設している病院で死亡したことにつき,被告の担当医師には,Dに高カロリー輸液(以下「TPN」と略称する場合がある)を投与するに際して,ビタミンB1欠乏性代謝性アシドーシス発症を予防するためビタミンB1を並行投与すべき義務があったのに,これを怠った結果,DにビタミンB1欠乏性代謝性アシドーシスを発症させ,Dを死亡させたとして,Dの権利を相続した原告らが被告に対し,不法行為ないし債務不履行に基づく損害賠償を請求した事案である。なお,以下の日時の記載で,年の記載のないものは,「平成9年」である。

1  前提事実(争いがないか,証拠[乙1の1,乙1の2,乙1の3及び各項末尾記載]及び弁論の全趣旨により明らかに認められる。)

(1)  当事者等

ア 原告Cは,Dの夫であり,原告A(平成元年11月2日生)及び同原告B(平成6年5月29日生)は,Dと原告Cとの間の子である。

イ 被告は,地方自治法上の一部事務組合であり,石川県△市△丁目△番地において公立△病院(以下「被告病院」という。)を開設している。

ウ Dは,平成9年2月22日被告病院の脳神経外科に入院し,被告とDとの間に,Dの治療を目的とする診療契約が締結された。Dの主治医は,平成9年2月22日から同年3月31日まではE医師及びF医師,同年4月1日から同年5月12日に死亡するまではE医師及びG医師(以下,E医師及びG医師を「担当医」ということがある。)であった。

(2)  Dの入院から死亡までの経緯

ア Dは,平成9年2月22日午前3時ころ,家族の呼びかけに対して全く返事をしなくなり,救急車で被告病院に搬送され,被告病院で痙攣発作を2回起こしたことから,同日午前4時20分ころ,被告病院脳神経外科に入院した。

イ Dは,入院後抗痙攣剤を投与されたが,同日午前8時ころには痙攣発作が重積状態となった。主治医となったE医師は,Dの疾患について,静脈洞血栓症を疑った。Dに対しては,抗痙攣剤の投与に加えて,翌23日から,気管内挿管によるバルビツレート睡眠療法(バルビツール酸系静脈麻酔剤を人工呼吸器,各種モニター監視のもとで持続注入して,人工睡眠状態とし,脳血流,脳代謝を減らして,てんかん発作の活動性を抑制する治療法。難治性の痙攣重積の治療に用いられる。)が施行された。

ウ Dは,食事の経口摂取ができなかったので,同月25日から,高カロリー輸液を中心静脈に注入する高カロリー輸液療法が施行された。高カロリー輸液には,ビタミンB1が添加され,並行投与された。

エ 同年3月19日,上記気管内挿管が抜管された。しかし,難治性の痙攣発作は続いていた。同月26日ころから,発音が出現し,徐々に意識障害の改善がみられた。3月下旬,Dの意識レベルはⅠの状態が続いた。

オ 同月31日,高カロリー輸液療法が中止された。

カ 同年4月4日,痙攣が頻回となり,中心静脈栄養カテーテルを再挿入し,抗てんかん薬の経静脈投与が行われた。翌5日から痙攣発作は消失した。

キ 同月9日,Dは,プリンを少量摂取した。同月10日,Dに対し,高カロリー輸液療法が再開された。再開後は,投与する高カロリー輸液(1日にユニカリックL2000mlとプリンペラン2アンプル)にビタミンB1が添加されなかった。

ク 同月11日からは,ヨーグルト,ゼリー等の摂取が可能となった。同月中旬から腹部症状が徐々に改善され,同月24日からは食事ができるようになった。

同年4月10日以降のDの経口摂取及び嘔吐の状況は別紙のとおりである。

すなわち,Dは,同月11日ないし同月14日,同月17日,同月20日,同月22日ないし同年5月3日,及び同月6日に,ヨーグルト,プリン,ゼリー,みかんなどを少量経口摂取でき,同年4月24日から同年5月3日,及び同月6日に粥や軟菜といった食事を少量経口摂取したが,嘔吐することも多かった。

ケ 看護記録によると,同年4月下旬のDの様子について,次の記載がある。

(ア) 同月20日 「面会の方と表情良く話をしている。」

(イ) 同月21日 「娘の面会あり。とても嬉しそうである。」「家人の方と楽しそうに会話されている。」

(ウ) 同月22日 「夫の面会あり。楽しそうに話している。」

(エ) 同月26日 「子供の面会に母親らしくしっかりした表情みせることあり。」

(オ) 同月27日 「マンガを読んだり,日記をつけ,大声で笑う等の表情見られる。」

(カ) 同月29日 「夫,子供の面会あり。楽しそうに会話する様子見られる。」

コ 看護記録によると,同年5月1日以降のDの様子について,次の記載がある。

(ア) 同月1日 「閉眼していることが多い。」

(イ) 同月2日 「ぐったりしており閉眼がち。」「ぼっとしていることが多い。」

(ウ) 同月3日 「ぼーとした表情しており,ほとんど閉眼している。」

(エ) 同月4日 「表情暗く,ぐったりした様子。」「表情活気なく,目もぼーっとした感じあり。」

(オ) 同月5日 「閉眼していることがほとんどで,声かけにてやっと開眼。」「開眼してもぼーっとしており注視せず。宙を見ている感じ。」「問い掛けに対してほとんど発語見られず。」「ぐったりした様子で開眼あまり見られず。」

(カ) 同月6日 「日中ほとんど閉眼がちで,声かけにやっと開眼し,返答あり。」「しっかりと開眼できず,すぐウトウトしてしまう。」

(キ) 同月7日 「何を聞かれてもぼーっとした表情で返答のみ。」「呼び名にて開眼するも返答はっきりせず。」

(ク) 同月8日 「呼び名に反応なく,ぼーっとした様子。痛み刺激で『痛い 』と弱々しく発生あるのみ。」

サ カルテによると,担当医が,同月4日には,「意識レベルⅠ-1,すっきりした表情」と,同月8日には「意識レベルⅠ」とそれぞれ記載している。

シ 5月6日,担当医は,Dに生じた意識障害について,投与していた6種類の抗痙攣剤のうち,セルシンの副作用である可能性があると考え,その筋肉注射を中止した。しかし,Dに変化はみられなかった。担当医は,意識障害の原因を調べるために,同日聴性脳幹反応を調べ,翌7日,静脈洞血栓症を疑ってCT写真を撮影し,髄膜炎を疑って腰椎穿刺をしたが,原因は判らなかった。

同月6日,白血球数が9500/?に増加した。

ス 5月8日午後1時,Dに,発熱(39度1分),血圧低下(最大血圧値が68mmHg,最小血圧値が32mmHg)及び毎分150前後の頻脈が出現した。担当医は,感染性ショックを発症したと考え,血液培養,胸部X線検査,尿細菌検査,脳脊髄液の細菌・ウィルスの検査を行うとともに,輸液や昇圧剤を使用して血圧の維持に務め,抗菌薬投与を行った。担当医は,同日撮影の胸部X線写真では,変化がないと判断した。また,心胸郭比(心肺比)は,41.6%であった。なお,当日の血液検査によると,投与していた5種類の抗痙攣薬の血中濃度は,カルバマゼピンが6.0μg/ml(治療濃度域:4.0~12.0μg/ml),ゾニサミドが21.5μg/ml(治療濃度域:10~30μg/ml),クロナゼパムが38.1ng/ml(治療濃度域:25~75ng/ml)で,いずれも治療濃度域にあり,フェニトインとバルプロサンは治療濃度域にも達していなかった。

セ 翌9日も発熱は続いた(午前2時に38度9分,午後6時に38度1分)が,白血球の増加はみられず,血小板が27万から10万に減少した。同日におけるCRPの数値は0.73mg/dl(基準値:0.5mg/dl以下),血清クレアチニン値は1.0mg/dl(基準値:0.4~1.2mg/dl。2.5以上で腎不全と評価される。),尿量(24時間当たり)は3400ml(基準値:800~1500ml)であった。また,同日,喀痰の細菌検査を依頼した。これについては,D死亡後の同月14日,喀痰から肺炎球菌が同定された旨の報告があった。

ソ 翌10日午後5時30分ころ,Dの意識レベルはⅢまで低下した。頭位変換眼球反射は正常であった。浮腫もみられなかった。同日夕方ころから,Dは浅速呼吸をするようになり,同日午後7時ころ,動脈血ガス分析をした結果,血中PH値が6.998(基準値:7.35~7.45)で,アシドーシスを発症していることが判明した。担当医が直ちにメイロン(重炭酸塩)250mlを投与したところ,血中PH値は,7.275まで回復したが,アシドーシスを脱するまでには至らなかった。同日におけるCRP値は0.74mg/dl,血清クレアチニン値は1.8~2.0mg/dl,であり,午後から尿量が減少した(12時から14時までの2時間で10ml,14時から16時までの2時間で30ml)。担当医は,補液を追加して尿量の維持に努めた。尿量は回復し,16時以降は,1時間当たり50mlを超えた。また,10日にも胸部X線写真を撮影したが,陰影の有無についてカルテに記載がない。なお,心胸郭比は,46.9%であった。担当医は,Dが代謝性アシドーシス及びDIC(播種性血管内凝固症)を発症したと診断し,その治療のために,FFP(新鮮凍結血漿)とヘパリン(血液凝固阻止作用を有する酸性ムコ多糖)を使用した。

タ 翌11日,Dの意識レベルはⅡないしⅢであり,血中pH値は,午前7時30分の時点で7.120,午後5時26分の時点で6.947であった。担当医がDにメイロン250mlを投与したところ,午後8時30分に血中pH値は,7.077まで回復した。同日午後12時ころにもメイロン250mlが投与された。なお,同日におけるCRP値は1.20ないし2.40mg/dl,血清クレアチニン値は2.5~3.1mg/dl,10日正午から11日正午までの24時間の尿量は850ml,同日正午から24時までの12時間の尿量は210mlであり,とりわけ午後6時以降,尿量は大幅に低下した。胸部X線写真が撮影され,担当医は,カルテに「集合陰影?」と記載した。当日の心胸郭比は,午後7時31分の時点で,47.8%,午後9時1分の時点で,49.8%であった。

チ 翌12日午前零時,血圧が80-20mmHg,午前1時30分,血圧が44-20mmHgと低下し,同日午前1時45分には瞳孔不同,対光反射なく,同日午前7時には血圧が測定不能になり,午前8時,意識レベルがⅢ-2となった。同日午前10時50分,呼吸が停止し,午前11時03分,心臓が停止し,Dは死亡した。午前零時から死亡までの尿量は70mlであった。

ツ Dの遺体は,解剖されなかった。担当医は,死亡診断書に,Dの直接死因として,「急性腎不全」,その原因として,「播種性血管内凝固(DIC)」,その原因として,「感染症性ショック」,直接には死因に関係しないが,傷病経過に影響を及ぼした傷病名として,「汎血球減少症」と記載した。(乙2)

テ Dに対する高カロリー輸液療法は,死亡まで続けられた。Dの乳酸値やビタミンB1の測定が行われたことはなかった。他方,抗痙攣薬の中毒作用が発現することを防ぐため,体液中の薬物濃度(血中濃度)の測定が行なわれていた。その結果は,2月28日には,フェニトイン,カルバマゼピン,バルプロサン,ゾニサミドのすべてが治療濃度域未満であった。3月13日には,フェニトインが19.6μg/mlで治療濃度域にあったが,クロナゼパムは治療濃度域未満であった。3月27日には,ゾニサミドが14.2μg/mlと治療濃度域にあったが,フェニトイン,カルバマゼピン,クロナゼパムは治療濃度域未満であった。

4月7日には,フェニトインが14.4μg/ml,バルプロサンが72.2μg/ml,ゾニサミドが17.0μg/mlといずれも治療濃度域にあったが,カルバマゼピン,クロナゼパムは治療濃度域未満であった。4月14日には,ゾニサミドが18.3μg/mlと治療濃度域にあったが,フェニトイン,カルバマゼピン,バルプロサン,クロナゼパムは治療濃度域未満であった。4月24日には,ゾニサミドが22.0μg/ml,クロナゼパムが26.7ng/mlと治療濃度域にあったが,フェニトイン,カルバマゼピン,バルプロサンは治療濃度域未満であった。なお,Dの血中白血球数は,終始1万個を超えなかった。

ト 上記の意識レベルの評価は,3-3-9度方式によるものであり,Ⅰ群は覚醒している状態をいい,Ⅰー1は,大体意識清明だが,今ひとつはっきりしない状態,Ⅰー2は,見当識障害がある状態,Ⅰー3は,名前,生年月日が言えない状態である。Ⅱ群は,刺激をすると覚醒する状態,Ⅲ群は,刺激しても覚醒しない状態をいい,Ⅲー1は,刺激すると払いのける動作をする状態であり,Ⅲー2は,刺激すると,手足を動かしたり顔をしかめる状態をいう。

(3)  高カロリー輸液投与によるアシドーシス発症に関する副作用情報について

厚生省(当時)は,医薬品副作用情報において,高カロリー輸液療法施行中のアシドーシスに関し,次のとおり,警告を発していた。

ア 医薬品副作用情報No104 1990年9月

「高カロリー輸液(トリパレン)投与とアシドーシス」

トリパレン1号,2号で9例にアシドーシスが発現し,うち4例は死亡した。

原因は不明である。

イ 医薬品副作用情報No111 1991年9月

「高カロリー輸液と重篤なアシドーシス」

トリパレンで15例(うち死亡例が7例),パレメンタールで2例の重篤なアシドーシスを発現したとの報告が寄せられた。ビタミンB1を投与されていない患者など,アシドーシスを発現しやすい状態にある患者には特に注意が必要である。

ウ 医薬品副作用情報No123 1993年12月

「高カロリー輸液施行中に認められるアシドーシス」

高カロリー輸液の副作用として最も重篤で致命的なアシドーシスについて,日常臨床上注意することが重要である。アシドーシスを起こした場合,直ちに高カロリー輸液を中止し,低酸素状態の改善,重炭酸ナトリウムの投与などによりアシドーシスの治療に努め,無効の場合にはビタミンB1の投与を行う。

エ 医薬品副作用情報No128 1994年9月

「医薬品の適正使用のために 高カロリー輸液療法施行中のアシドーシス」

最近の報告の中に,ビタミンB1が全く投与されずにアシドーシスが発現している症例が多数みられ,アシドーシス発現後のビタミンB1投与により急激に回復した例もある。アシドーシス発現の原因の一つにビタミンB1欠乏があるのは明らかであり,高カロリー輸液療法施行に当たっては,適切な量のビタミンB1等の投与と施行中の注意深い観察が重要である。このため,すべての高カロリー輸液の「使用上の注意」に次の警告及び一般的注意をもうけることとした。具体的な注意点は以下のとおりである。

高カロリー輸液療法の施行にあたっては,適切な量のビタミンB1の投与を行う。施行中は患者の状態の変化に注意し,アシドーシスが起こった場合には直ちに投与を中止し,重炭酸ナトリウムの投与などを行う。これらが無効の場合には,ビタミンB1欠乏が疑われるためビタミンB1の急速投与を行う。

「警告 高カロリー輸液療法施行中に重篤なアシドーシスが起こることがあるので,投与中は観察を十分に行い,症状があらわれた場合には適切な処置を行うこと」

「一般的注意 高カロリー輸液療法施行中にビタミンB1欠乏により重篤なアシドーシスが起こることがあるので,適切な量のビタミンB1の投与を考慮すること」(甲47,57の1ないし5)

(4)  ビタミンB1(チアミン)欠乏症の症状について

一般に,チアミン欠乏症の症状は,次の3つの病型に大きく分けることができる。

ア Wet Beriberi

ビタミンB1欠乏により末梢血管の抵抗が下がり,著明な心拡大を伴った高拍出性の心不全を呈する状態。「衝心脚気」や「脚気心」と呼ばれる。

イ Dry Beriberi

ウェルニッケ脳症等の神経症状を主とした病状を呈する。記憶喪失,意識混濁,眼球運動障害,運動失調,四肢の痺れなどの多彩な症状が見られる。

ウ Pernicious Beriberi

著明な代謝性アシドーシスを伴い,ショック,末梢循環不全から派生した重篤な臨床症状を呈し,死亡に至ることも多い。

2  争点及びそれに対する当事者の主張

(1)  Dは,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液の施行によってビタミンB1欠乏症に陥り,そのため代謝性アシドーシスを発症し,これによって死亡したか(ビタミンB1非添加の高カロリー輸液の施行と死亡の因果関係)

(原告らの主張)

Dは,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液の施行によって,重篤なビタミンB1欠乏症(以下「チアミン欠乏症」ということがある。)に罹患し,代謝性アシドーシスその他の症状が発現し,これによって死亡に至った

ア ビタミンB1欠乏によるアシドーシス症状について

ビタミンB1非添加の高カロリー輸液の投与により出現するチアミン欠乏症の臨床症状は,本質的には1の(4)と同じであり,全身倦怠,不眠などが先行し,続いて頻脈,意識障害,運動失調,眼球運動障害などが出現し,診断に苦慮している間に,やがて血圧低下,呼吸速拍を呈し,血液ガスを計って初めて著明な代謝性アシドーシスに気づくというのが,典型的なパターンである。ときに明らかな神経症状,循環器症状を有することなく代謝性アシドーシスが出現する例もある。ビタミンB1非添加の高カロリー輸液療法を開始した後,3週間以内に発現する場合が多い。

本件においても,Dは,平成9年5月1日以降,チアミン欠乏症の臨床症状である意識障害,頻脈,血圧低下,呼吸速泊,心拡大傾向を呈し,代謝性アシドーシスに陥り,死亡したのである。

イ 本件における個別症状について

(ア) 意識障害について

Dには,意識障害が5月1日ころから出現し,次第に悪化し,死亡まで継続した。

被告は,これを否定し,看護記録の5月4日の欄に,「意識レベルⅠ-1,すっきりした表情」との記載があることを指摘し,意識障害の発生は,その後であると主張する。しかし,カルテや看護記録の記載を総合的にみると,5月1日から4日までは,意識障害を肯定する記載と否定する記載が混在する状態であったのが,同月5日からは意識障害を肯定する記載のみとなり,同月6日以後は日を追って悪化していったことが明らかである。したがって,何らかの原因による意識障害が同月1日頃から始まり,4日ころまでは症状は動揺しながらも,それ以後は動揺することなく一貫して悪化していき,死亡に至ったと考えるべきである。

更に被告は,Dの意識障害は,元々の脳の病気又は抗痙攣薬の副作用であると主張する。しかしながら,Dは,同年3月21日頃から同年4月13日頃までの期間のうち約10日間は,意識レベルⅠの状態であったが,同年4月中旬から同年4月末までは意識障害は影をひそめていた。そして,5月1日ころから新たに出現した意識障害が,同月6日ころからどんどん悪化しながら継続し,死亡に至ったのであるから,この意識障害は,それ以前の意識障害とは,別の原因で発症したものとみるほうが合理的である。また,抗痙攣薬の血中濃度が頻繁に測定されたが,その結果によると,血中濃度が中毒濃度域に達したことはなかった。よって,5月1日以降の意識障害の原因が抗痙攣薬に起因するとは言えない。

(イ) 頻脈及び血圧低下について

5月8日,Dは,頻脈及び血圧低下の状態に陥り,これが死亡まで継続した。

(ウ) 呼吸状態について

Dには,平成9年5月10日の夕方に浅速呼吸が認められた。

(エ) 心拡大(心肥大)について

Dには,5月8日から11日まで,心拡大が認められた。

なお,被告は,Dの心胸郭比が50%を超えてなかったことから,心拡大は認められなかった旨主張するが,最終的に50%を超えなくとも心拡大傾向であったことは明らかであるし,Dは,右心負荷と判断できるところ,もともと右心室は小さいから,急性右心不全では,心胸郭比が50%を超えない場合もある。

また,チアミン欠乏症のすべてにおいてWet Beriberiを伴うわけではないから,心不全がないからといって,チアミン欠乏症であることを否定できない。

(オ) 小括

Dに出現した上記各症状は,ビタミンB1非添加高カロリー輸液の施行によるチアミン欠乏症状と考えた場合,その内容においても,時期においても矛盾がない。

なお,被告は,Dの死因が代謝性アシドーシスであることを否認し,代謝性アシドーシスによる死亡の場合は心停止が呼吸停止よりも先行するが,Dは,呼吸停止が心停止に先行した旨主張する。しかしながら,代謝性アシドーシスによる死亡の場合であっても,ショックに陥り,脳への虚血により呼吸中枢が働かなくなって呼吸が停止する等,心停止より呼吸停止が先行することはいくらでもありえる。

更に被告は,Dがチアミン欠乏症に罹患していたことを否定するが,その根拠と,それに対する反論は,次のとおりである。

a 眼球運動障害について

被告は,Dに眼球運動障害がなかったから,ウェルニッケ脳症に罹患していなかった旨主張する。しかしながら,ウェルニッケ脳症の全例で眼球運動障害がおこるわけではない。また,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液によるチアミン欠乏症の全症例がウェルニッケ脳症を伴っているわけではないから,眼球運動障害が認められなかったからといって,Dがチアミン欠乏症であったことを否定できない。

b 発熱について

被告は,チアミン欠乏症では発熱は生じないと主張する。しかしながら,医学文献の症例報告の中には,ビタミンB1非添加高カロリー輸液の投与によって発生したチアミン欠乏症の症状として,発熱があったことが記載されているものがある(甲38ないし42)。よって,発熱があったからといって,Dがチアミン欠乏症に罹患したことを否定できない。

c 脈圧拡大,浮腫,心雑音について

被告は,Dに脈圧拡大(最小血圧低下による最大血圧との差の拡大),浮腫,心雑音が認められなかったことから,Wet Beriberiの症状がないと主張する。しかしながら,チアミン欠乏症の症状は多彩であり,すべてがWet Beriberiを伴っているわけではない。また,Wet Beriberiが必ず,脈圧拡大,浮腫,心雑音を伴うともいえない。

d メイロン(重炭酸ナトリウム)投与について

被告は,メイロンの投与によって,Dの血中pH値が改善したことから,Dのアシドーシス発症の原因が,ビタミンB1欠乏によるものではないと主張する。

なるほど,Dの血中pH値は,1回目のメイロン投与によって,6.998から7.275に上昇し,2回目のメイロン投与によって,6.947から7.077に上昇した。しかし,これらの上昇後の数値も所詮アシドーシスを脱していない数値に過ぎず,メイロン投与にもかかわらずDのアシドーシス症状は何ら改善せず,むしろ悪化したのである。そうすると,Dに対するメイロンの投与は無効だったのであり,Dに生じた代謝性アシドーシスの原因がビタミンB1の欠乏であることと何ら矛盾しない。

ウ 被告の主張に対する反論は,次のとおりである。

(ア) 感染症について

被告は,Dが重篤な感染性ショック状態に陥り,これが代謝性アシドーシス発症の一因となったと主張し,その根拠として,発熱があったこと,喀痰から肺炎球菌が同定されたこと及び5月8日及び11日に撮影された胸部X線写真で肺に炎症がみられたことを指摘する。

しかし,発熱が必ずしも重篤な感染症を意味しないことはいうまでもない。また,喀痰から肺炎球菌が同定されたからといって,必ずしも肺炎に罹患しているとは限らない。また,上記の胸部X線写真には,肺炎を思わせる実質陰影は写っていない。現に,担当医は,5月8日撮影のX線写真については変化がないと判断し,同月10日撮影のX線写真についてはカルテに何らの記載をせず,同月11日撮影のX線写真については,「集合陰影?」と疑問符を付けて記載しているから,当時,担当医が,肺に炎症があると判断したわけではないのである。

なにより,DのCRPの数値は,いずれも細菌感染症の発症初期程度の数値に過ぎないから,Dが重篤な感染症に罹患していなかったことは明らかである。

(イ) DIC(播種性血管内凝固症候群)及び多臓器不全について

a 被告は,Dに生じた代謝性アシドーシスにつき,感染性ショックに伴う異化亢進の後,DIC及び多臓器不全に陥ったことが原因であり,ビタミンB1欠乏とは無関係であると主張する。

しかし,DICが確認されたのは5月9日以降であり,時間的に見て本件アシドーシスの原因とすることはできない。すなわち,DICは全身の細小血管に多発性に微小血栓を形成し,その結果全身の諸臓器に虚血性臓器障害を惹起するものであるところ,特に腎臓が最も高頻度に障害を受けやすいものである。しかし,本件で,腎機能障害を示す乏尿が見られたのはDの死亡日の前日である5月11日午後6時以降であって,それまでは,DICが全身の諸臓器に虚血性臓器障害を惹起したとは言い難い。

b 多臓器不全においても,アシドーシス症状を時間的に説明できない。すなわち,亡Dの血清クレアチニン値からは,11日朝に初めて腎不全に達したといえ,本件で浅速呼吸が見られたのは10日夕方である。したがって,血清クレアチニン値の推移から本件アシドーシス症状を時間的に説明できない。また,尿量についても,11日午後6時以降に乏尿になっており,アシドーシスの発生にはるかに遅れている。よって,多臓器不全が代謝性アシドーシスの原因になったとは言えない。

なお,Dが仮に多臓器不全に陥っていたとしても,ビタミンB1の欠乏による重篤なアシドーシスが原因となって死亡する過程で多臓器不全を生じることは,なんら不自然でない。

(被告の主張)

Dの死亡は,5月8日の感染性ショック(発熱,急激な血圧低下,頻脈)の発症により,ビタミンB1に関わりなく,代謝性アシドーシスが起こり得る状態となり,血清尿素窒素上昇にみられる異化作用の亢進(組織障害),循環不全,DIC,多臓器不全(血清クレアチニン値上昇による急性腎不全を含む)により死亡したものであり,同月10日夕方に発症した代謝性アシドーシスが原因で死亡したものではない。

ア 感染症について

(ア) 感染性ショックについては,5月8日,急に39度を超える発熱があり,痰もあったので,担当医は,感染症を疑い,血液培養,喀痰の細菌検査,胸部X線検査,尿細菌検査,脳脊髄液の細菌・ウイルスの検査を行ったところ,喀痰から肺炎球菌が同定されたことにより感染症への罹患の確定診断がされた(もちろん,確定診断の前提として,発熱,X線写真で肺炎像が確認されたことも含まれている。)。肺炎球菌は常在菌ではあるが,喀痰から肺炎球菌が検出されたときは,これを感染症の起炎菌と考えるべきである。

また,胸部X線写真によって,Dには無気肺が認められたところ,無気肺は,気管支やさらに細い気管支などが閉塞し,空気が肺に入らない状態であり,腫瘍による閉塞や炎症による分泌物(喀痰)が詰まったりしてみられる状態であるが,後者は感染症に罹患したときに認められるものであるから,この点からも,Dに感染症の発症が認められる。

さらに,バルビタール睡眠療法は,生体の免疫機能を低下させるものであるところ,3週間におよぶ同療法が生体の免疫機能,防御力を低下させていたと考えられ,Dには,感染症に罹患する条件が整っていた。

(イ) 原告は,CRPの低値をもってDが感染症に罹患したことを否定するが,実際の臨床では,炎症が強くてもCRPが反応しないことが経験されている。よって,CRP低値は,感染症を否定する根拠とならない。また,本件では,各種抗てんかん剤による骨髄抑制があり,汎血球減少症を発症していたので,血中の白血球数は,必ずしも参考にならない。

(ウ) 以上より,Dが感染症に罹患していたことは明らかである。

イ 多臓器不全(急性腎不全含む)について

本件は,Dに,アシドーシスの要因(感染症とショック)があったところに,急性腎不全が加わって,代謝性アシドーシスが顕性化した症例である。すなわち,血清クレアチン値は,5月10日朝に1.8㎎/dlと異常値を示し,その後急激に上昇し,急性の腎障害が進行した。また,尿量についても,10日午前までは時間あたり50ml以上であったが,同日12時から14時までの2時間で10ml,14時から16時までの2時間で30mlと急に尿量が減少しており,急激な腎機能障害が推測される。このころより呼吸に変化がみられたのであり,急性腎不全が加わって,代謝性アシドーシスが出現したと考えられる。代謝性アシドーシスは,感染性ショック,多臓器不全の状態の下で当然に認められるものであるところ,Dは,腎不全など重篤な全身状態にあったので,感染性ショック及び多臓器不全によって,代謝性アシドーシスを発症したと考えることが自然である。

ウ 原告の主張に対する反論

(ア) 意識障害について

原告は,チアミンの欠乏が原因で5月1日ころからの意識障害が生じたと主張するが,カルテの5月4日の欄には,「意識レベルはⅠ-1,すっきりした表情」となっていて,状態が改善している。チアミン欠乏症であれば,ビタミンB1を投与しない限り,症状は改善しないから,原告の主張は合理的ではない。

そもそも,Dの意識障害は,元々の脳の病気又はけいれん治療として使用した各薬剤や抗血小板薬の使用によるものと考えられる。すなわち,もともとDには,脳障害が存在していた。損傷脳は脳機能を低下させ,意識障害をもたらす。更に本件では,ケイレン発作を抑えるために,多種類の抗ケイレン薬や鎮静薬を長期に使用した。これによって,副作用としての意識障害が出現する可能性は高い。

(イ) 頻脈及び血圧低下について

急激な血圧低下,頻脈は,5月8日に高熱を発した時(ショック症状時)にみられているのみである。ビタミンB1欠乏状態では,高拍出から頻脈となるため,最大血圧は下がらず脈圧拡大が見られるが,本件ではみられていない。

(ウ) 呼吸状態について

代謝性アシドーシスの主要な臨床所見は過喚気(過呼吸)である。すなわち,生体は,重炭酸ナトリウムの低下を原因とする酸性度の低下による代謝性アシドーシスに対し,その代償として,体内の炭酸ガスを減らし,酸性度を中性に保つため,その初期に過呼吸の症状が必ず認められる。

本件では,Dの呼吸状態は5月9日まで変化はなく,代謝性アシドーシスの初期に見られる呼吸異常は,10日夕方になって初めて認められた。代謝性アシドーシスは,同月10日夕方に発症したと考えるのが合理的である。

(エ) Wet Beriberi(心拡大等)について

胸部原告A線像上,5月11日に心陰影拡大が初めてみられたが,これは心拡大を示すものではない。本件では,ショックに対し,昇圧剤などと共に循環血液量を保つため輸液量を増加した。また,急性腎不全に対し,利尿を増やすため,更に輸液量を増加した。このため,結果的には水分過剰となり,心臓に水分が多くなり,心陰影が拡大したものにすぎない。本件では,下肢,顔面に浮腫はなく,心雑音もなく,Wet Beriberiの特徴である高拍出性の心拡大は生じなかった。

(オ) 直接の死因について

代謝性アシドーシスが死亡原因の場合,心筋障害から心停止し,その後呼吸が停止するが,本件では,呼吸停止が先行し,その後に心停止に至っているから,代謝性アシドーシスが原因で死亡したのではない。

(カ) 神経症状について

ウェルニッケ脳症では,眼球運動障害(複視,眼球運動障害,眼振等)がほぼ必発する。しかし,5月10日午後5時30分,眼球の運動に異常は見られなかったので,Dにウェルニッケ脳症は発症していない。

(キ) 発熱について

チアミン欠乏症で39度を超える発熱を生じることはない。すなわち,ビタミンB1は,好気性エネルギー代謝に不可欠な補酵素であり,その欠乏状態は,全身の反応として高熱を発するエネルギーを生ずることが困難な病態である。文献によっても,チアミン欠乏症の症状として発熱の記載はなく,かえって,低体温の記載が見られるものがある。

39.1度の高熱を生じたことから,Dは感染症に罹患していたと考えるのが合理的である。

(ク) メイロン投与について

本件では,5月10日,メイロンの投与でアシドーシスが一時改善した。チアミンの欠乏を原因とするアシドーシスでは,ビタミンB1を投与しない限り,改善しない。よって,Dに生じたアシドーシスの原因は,チアミンの欠乏ではない。

(2)  被告病院の担当医には,Dに対し,ビタミンB1を4月10日の高カロリー輸液療法の再開以後,高カロリー輸液の投与と並行して,又は5月10日にアシドーシスの症状を示したときに投与すべき義務があったか(担当医の過失の有無)

(原告らの主張)

ア D死亡当時における医療水準との関係

(ア) 厚生省薬務局(当時)による医薬品副作用情報No128により,高カロリー輸液療法を実施する際には,ビタミンB1欠乏症による代謝性アシドーシスが発症する可能性が高いことが広く知れ渡っており,被告医師も,そのことを知っていた

(イ) D死亡当時の医学文献

本件当時までに発表されていた医学文献によっても,①ビタミンB1を含まない高カロリー輸液の投与によって死亡にまで至る重篤な副作用が生じていること,②それらの副作用はビタミンB1の同時投与により容易に防げること,③したがって,高カロリー輸液の際には,ビタミンB1を必ず投与しなければならないことが強調されていた。よって,被告病院の担当医は,高カロリー輸液の投与と同時に,ビタミンB1を並行投与すべきであった。

イ 食事の経口摂取との関係

(ア) Dの食事の経口摂取は,アシドーシス症状の発現する5月初旬までの間,きわめて不十分であった。すなわち,4月10日から同月23日までは食事摂取量は非常に少なく(4月24日から29日までは一旦やや増えたが),4月30日から5月3日まではもっと少なくなり,5月4日から死亡する5月12日まではゼロの状態だった。被告は,Dの経口摂取が極めて不十分であったことを知っていた。

(イ) 本件当時までに発表されていた医学文献には,経口摂取の可能な患者に高カロリー輸液を投与するときであっても,ビタミンB1の投与が必要であることが説かれていた。

(ウ) したがって,Dは,一時期食事の経口摂取が可能ではあったが,担当医は,Dに対する高カロリー輸液にビタミンB1を添加し,ビタミンB1を並行投与すべきであった。

(被告の主張)

ア D死亡当時の医療水準

担当医は,厚生省の副作用情報の記載の趣旨を理解していた。しかし,本件当時の高カロリー輸液の使用上の一般的な注意は,適切な量のビタミンB1の投与を「考慮すること」であり,投与することが義務づけられていたわけではなかった。

イ 食事の経口摂取との関係

本件は,食事と高カロリー輸液の併用のケースであった。すなわち,担当医は,平成9年4月10日時点において,近い将来,Dが食事を摂取することが可能と考えたことから,ビタミンB1の投与を行わなかった。具体的には,Dは,平成9年4月9日にはプリンを食べ,また,食べたい気持ちが強く,同月11日からヨーグルト,ゼリー等の経口摂取も可能となり,24日からは,食事摂取ができた。したがって,Dに対し,高カロリー輸液の投与にあたってのビタミンB1の並行投与は義務的なものではなかった。

(3)  損害額(争点(3))について

(原告の主張)

ア 葬儀費用 120万円

イ 慰謝料 2200万円

ウ 逸失利益

Dは,死亡当時32歳で,主婦であったところ,賃金センサス(平成10年)にある,当時の女子労働者の全年齢の平均賃金(341万7900円(平成10年))を基礎とし,生活費控除を30%,ライプニッツ係数を16.374(稼働年数35年)とすると,逸失利益は,3917万5286円となる。

(計算式) 3417900×(1-0.3)×16.374=39175286

エ 弁護士費用 600万円

オ 合計 6837万5286円

(被告の主張)

争う。

第3争点に対する当裁判所の判断

1  Dは,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液の施行によってチアミン欠乏症に陥り,そのため代謝性アシドーシスを発症し,これによって死亡したか(争点(1))

(1)  証拠(各項末尾記載)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 代謝性アシドーシスとは,代謝性変化に伴って,重炭酸イオンの減少をきたし,血液のpH値が低下する方向に変化する病的過程をいう。高カロリー輸液療法によって発症するアシドーシスの多くは,細胞外液に乳酸が過剰に蓄積することにより生じる乳酸アシドーシスであると考えられている。その発生機序は,次のとおりである。

ビタミンB1は,腸管から吸収された後,ピロリン酸エステルに転換され,ピルビン酸脱水素酵素などの補酵素として,糖代謝,エネルギー代謝に関与する。よって,ビタミンB1の欠乏は,ピルビン酸代謝の障害につながり,乳酸アシドーシスをきたす。更に,高カロリー輸液のように,大量のグルコースを負荷する場合には,ビタミンB1の需要が高まり,一層のビタミンB1の欠乏をきたすことになる。

イ 高カロリー輸液療法中に発生するチアミン欠乏症の症状は,Wet Beriberi,Dry Beriberi,Pernicious Beriberiの3つの病型が混在する。すなわち,一連の経過において,まず,全身倦怠,不眠などが先行し,その後頻脈,意識障害,運動失調,眼球運動障害などが出現,そして血圧低下,呼吸速拍が出現し,死亡に至るという過程をたどるのが典型的である(甲19)。しかし,臨床症状は患者により多彩であり,一概に上記経過をたどるとは言い切れず,嘔吐,腹痛等の腹部消化器症状を訴えることが少なくなく,発熱が認められることもある(甲9,19,鑑定人尋問)。なお,高カロリー輸液の投与を開始してから,代謝性アシドーシスが発症するまでの期間は,短いものでは5日,長いものでは10か月という報告例があるが,約半数は,3週間以内に発症する。(甲39)

ウ 担当医であるE医師は,厚生省が発表した前記医薬品副作用情報を読んでおり,高カロリー輸液によるチアミン欠乏症やアシドーシス発症の危険性を知っていたが,これは経口摂取ができない場合であると認識しており,経口摂取できていれば,ビタミンB1の添加の必要はないと考えていた。

(2)  上記(1)記載事実及び上記前提事実に基づいて検討する。

ア ビタミンB1非添加の高カロリー輸液療法を継続した場合,チアミン欠乏症及びその症状としての代謝性アシドーシス(乳酸アシドーシス)が発症する可能性があるから,一般に,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液療法を継続中に代謝性アシドーシスが発症した場合,ビタミンB1の非添加が有力な原因の一つであるということができる。

Dに対しては,平成9年4月10日からビタミンB1非添加の高カロリー輸液療法が続けられていたが,Dが食事を摂れたのは4月24日から5月3日及び5月6日の11日間にすぎず,しかも,そのうち出された食事の半分以上を摂取できたのは,4月24日の昼食,25日の朝食と昼食,26日の3食,27日の朝食と夕食,28日の朝食と昼食,29日の朝食と昼食だけであり,更に,24日の16時30分,28日の昼食後には嘔吐があり,4月30日からは嘔吐を繰り返していたから,ビタミンB1の摂取量は不足していたと考えられるところ,高カロリー輸液療法の開始から3週間が経過した5月1日以降,Dに,ボーっとした表情や閉眼といった意識障害が現れるようになり,同月5日以降,これが重篤化し,同月8日からは,血圧低下,頻脈及び心拡大傾向が認められ,同月10日夕方には,浅速呼吸が現れ,血液ガス分析の結果,Dが代謝性アシドーシスに陥っていることが判明したのであり,以上の経過は,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液が原因で5月1日ころからチアミン欠乏症が発症し,同月10日までにこれを原因とする代謝性アシドーシスが発症したと推定して不合理な点がないから,これに代わる原因が認められない限り,Dに発症したアシドーシスの原因は,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液であると認めるのが相当である。

イ これに対し,被告は,上記推定に不合理な点がある旨主張するので検討する。

(ア) 被告は,5月1日から現れたDの意識障害は,もともとの脳の障害か抗痙攣薬の副作用が原因であって,チアミン欠乏症の症状ではなく,チアミン欠乏症であれば,ビタミンB1の投与なく回復することはないのに,5月4日に改善しているのがその証拠である旨主張する。

しかしながら,Dの病態は,3月下旬は痙攣も納まらず,意識障害が続いていたが,4月5日ころから回復がみられ,意識障害がなくなり,同月下旬には食事の経口摂取も可能となっていたのに,5月1日から再び意識障害が出現したのであるから,3月以前の意識障害とは異なる原因で出現したと考えるのが自然であって,5月1日以降の意識障害の原因がもともとの脳の障害であったとはにわかには認めがたい。また,投与していた抗痙攣薬の血中濃度はしばしば測定されていたが,常に治療濃度域かそれ以下であり,中毒濃度域に達したことはなかったこと,セルシンの投与中止後もDの意識障害に変化がなかったこと等を考慮すると,5月1日以降の意識障害が抗痙攣薬の副作用であったとも認めがたい。

なお,確かに,カルテの5月4日の欄には,Dの意識レベルⅠ-1,すっきりした表情」との記載があるが,5月1日から3日におけるDの意識レベルがⅠ-2以上であったとは認めるに足る証拠はなく(かえって,第2の1の(2)のコの事実によれば,当時のDの意識レベルはⅠ-1であったと判断すべきと考えられる。)し,「すっきりした表情」とは主観的な表現であって,これによってDの意識レベルが回復を示したと直ちには認めがたいし,仮に回復したのだとしても,第2の1の(2)のコに記載のとおり,当日の看護記録には,意識レベルが低下している趣旨の記載があるから,むしろそのころは,Dの意識レベルは,全体としては一進一退を繰り返していたと認めるべきであるから,被告の上記主張は採用できない。

(イ) 被告は,Dに心拡大が生じなかったと主張する。一般に,心胸郭比50%以下が正常で50%以上が心臓肥大とされているところ,なるほど本件において,Dの心胸郭比が50%を超えることはなかった。しかしながら,他方,証拠(甲49)によると,成書(中山書店発行の「最新内科学体系 第32巻心筋症と心筋炎」273頁)には,脚気心の臨床所見として,胸部原告A線の「心陰影は左右に拡大するが,心胸郭比は50%以下のことも珍しくな」いと記載されていることが認められ,このことを踏まえると,Dの心胸郭比は,5月8日から11日にかけて着々と上昇していたのであるから,Dに心拡大が生じたと認めるべきである。

(ウ) 被告は,チアミン欠乏症で39度を超える発熱を生じることはない旨主張する。しかしながら,証拠(甲38ないし41)及び弁論の全趣旨によると,高カロリー輸液時のチアミン欠乏症についての症例報告には,発熱があった旨の記載があることが珍しくないことが認められ,これらの事実に照らせば,Dが発熱していたからといって,チアミン欠乏症に罹患していなかったと認めるのは困難である。

(エ) 被告は,Dに対するメイロンの投与によってDのアシドーシスが改善したから,Dに生じたアシドーシスの原因はビタミンB1の欠乏ではない旨主張する。

本件においては,3度にわたってメイロン250mlが投与され,血中pH値は,1度目は6.998から7.272へ,2度目は6.947から7.077へ上昇したことが認められる(3度目については,これを認定する証拠がない)。しかしながら,代謝性アシドーシスは,重炭酸イオンの減少によって生じるのであるから,メイロン(重炭酸塩)の投与によってpH値の一定の回復をみるのは当然である。かえって,1度目も2度目もDはアシドーシス状態を脱していないのであるから,その程度の改善をもってメイロンが効いたと判断するのは困難であるし,その程度の改善が認められたからといって,アシドーシスの原因がチアミン欠乏症でないというのも困難である。

(オ) 被告は,Dに脈圧拡大がみられなかったこと,下肢や顔面に浮腫が生じなかったこと,心雑音が聞かれなかったこと,眼球運動障害がなく,ウェルニッケ脳症が発症したとは認められないこと等から,Dがチアミン欠乏症に罹患していたことを否定する。しかしながら,証拠(甲40)によると,高カロリー輸液時のチアミン欠乏症の臨床所見は多彩で,且つ症例によって発現形態がかなり異なっていることを記載した医学論文〔岡田正「外科教室で学んだ栄養学」外科と代謝28巻5号(1994年10月)所収〕があることが認められ,同旨を述べる鑑定人尋問の結果をも考えあわせると,脈圧拡大,浮腫,心雑音が認められなかったからといって,Dがチアミン欠乏症に罹患していたことを否定することはできない。また,ウェルニッケ脳症に眼球運動障害が必ず生じるとまでは言えないし,チアミン欠乏症に罹患したときに,ウェルニッケ脳症を必ず発症するとも言えない。

ウ そこで,以下,ビタミンB1非添加の高カロリー輸液以外に,Dに生じたアシドーシスの原因が想定できるか否かを検討する。

(ア) 被告は,5月8日,Dは,重篤な感染性ショックを発症した旨主張し,その根拠として,5月9日の喀痰から肺炎球菌が同定されたこと,Dに39度を超える発熱があったこと,胸部X線写真で肺炎像が確認されたこと等を主張するので検討する。

a 証拠(甲32)によると,肺炎球菌は,30%ないし70%の人の上気道の正常細菌叢に常在菌として住んでいることが認められるから,Dの喀痰から肺炎球菌が同定されたからといって,直ちに肺炎を起こしていたとはいえない。

b 証拠(証人E)によると,E医師は,5月8日撮影の胸部X線写真(以下「<A>写真」という),5月10日撮影の胸部X線写真(以下「<B>写真」という),5月11日撮影の胸部X線写真(以下「<C>写真」という)について,<A>写真では,右下肺野に集合陰影があり,<B>写真では,これが少し小さくなっており,<C>写真でも,同様に集合陰影が認められたと供述する。他方,証拠(鑑定の結果及び弁論の全趣旨)によると,鑑定人は,<A>写真,<B>写真には病変を示す陰影はなく,<C>写真で,右下肺野に薄い瀰漫性の陰影が認められ,これは無気肺等の一種の肺病変である可能性はあるが,重症の肺病変を表すものとは考えられないと判断したことが認められる。そして,前提事実に記載したとおり,カルテには,<A>写真について「異常なし」と書かれ,<B>写真については何らの記載がなく,<C>写真については,「集合陰影」と書かれているものの,末尾に「?」が付加されており,これらの記載から推測される当時の担当医の各写真に対する判断内容をも併せ考えると,<A>写真ないし<C>写真の像が,ショックを引き起こすほどに重篤な感染症にDが罹患していたことの根拠になるとは認めがたい。

c 証拠(甲32,45)によると,CRPは,炎症や組織破壊性病変が発生すると15時間ないし24時間で患者血清中に急速に増加し,病変の回復とともに迅速に正常に復する代表的な急性相反応物質の一つであること,正常値は5ml/dl以下であること,高頻度にみられる疾患は,3ml/dlまででは,限局性の炎症または感染症,炎症性疾患・細菌感染症等の発病初期または回復期であり,3ml/dlから11ml/dlが,化膿性感染症,敗血症等であり,11ml/dl以上が,心筋梗塞,腹膜炎等であることが認められるところ,前提事実に記載したとおり,DのCRP値は,5月9日において0.73ml/dl,5月10日において0.74ml/dl,5月11日において1.20ないし2.40ml/dlであった。そうすると,DのCRP値は,少なくともショックを引き起こすほどに重篤な感染症への罹患を否定するものというべきである。なお,被告は,実際の臨床では,炎症が強くてもCRPが反応しないことが経験されている旨主張し,証拠(乙16,証人E)中には,その主張に沿う部分があるが,これを裏付ける文献も提出されておらず,上記証拠だけからでは上記主張を採用できない。

d Dの高熱は,感染症に罹患した旨の被告の主張と矛盾しない。しかしながら,aないしcの検討の結果を総合すると,5月8日ころ,Dが重篤な感染症に罹患し,これによってショックを起こしたとの事実を認めるのは困難であり,感染症をDに発生したアシドーシスの原因と想定することはできない。

e なお,証拠(乙18)中には,婦人科感染症によって敗血症を惹起し,多臓器不全に陥ったと考えることができるとの部分があるところ,なるほど証拠(乙1の1)によると,Dは,4月30日,帯下がみられることから婦人科を受診し,外陰炎と診断されたことが認められるが,その程度について何らの証拠がなく,あくまで抽象的な可能性に止まるというべきであって,上記判断を左右するに足りない。

エ そして,前提事実の(3)で記載したように,高カロリー輸液療法施行中に生じる乳酸アシドーシスは,重篤な結果を招き,致死率も高いことに鑑みれば,Dは,チアミン欠乏が原因で生じた乳酸アシドーシスによって死亡したものと認めるのが相当である。被告は,呼吸停止が心停止に先行しているから,Dの死因はアシドーシスではないと主張するところ,なるほど,チアミン欠乏によってWet Beriberiに陥った場合,心筋障害を起こし心停止によって死亡することが通常であると認められる(証人E)が,代謝性アシドーシスによってショックに陥り,脳虚血によって呼吸停止に陥る等,それ以外の機序も容易に想定できるから,被告の上記主張は採用できない。

2  被告病院の担当医には,Dに対し,ビタミンB1を,4月10日の高カロリー輸液療法の再開以後,高カロリー輸液の投与と並行して,又は5月10日にアシドーシスの症状を示したときに投与すべき義務があったか(争点(2))

(1)  証拠(各項末尾記載)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

ア 高カロリー輸液中に起こるチアミン欠乏性代謝性アシドーシスは,1975年にアメリカ合衆国で報告され,その後,同国内で同種の報告が続いた。(甲2)

イ 我が国においては,平成2年ころから同様の症例が報告されるようになり,厚生省も,医薬品副作用情報No104(前提事実の(3)のア)を出して注意を喚起したが,当時はまだ,アシドーシスの原因がビタミンB1欠乏によるという確定的な証拠はない状況であった。(甲2)

ウ その後,症例が蓄積されていくに伴い,平成4年ないし5年ころには,高カロリー輸液による代謝性アシドーシスの多くが,輸液内にビタミンB1が投与されていなかったことにより発生し,また,ビタミンB1投与により劇的に症状が改善することも明らかになったきた。(甲2)

エ 厚生省は,医薬品副作用情報No104の後も,同111(前提事実(3)のウ),同123(同エ)を出して注意を呼び掛けていたが,更に平成6年9月(実際の発行は10月14日),同128を出し,第2の1の(3)のエに記載したとおり,すべての高カロリー輸液の「使用上の注意」に警告及び一般的注意を設けて注意を呼び掛けた。また,同128では症例報告もなされたが,その症例は,経口摂取不十分のため栄養補給のために高カロリー輸液がなされた事例であった。(甲47)

オ 平成2年以降,医学雑誌に高カロリー輸液中の代謝性アシドーシスについての症例報告が搭載されるようになったが,平成5年ころからは,その数が多くなり,その原因の多くがビタミンB1の欠乏である旨報告された(甲3,7,10,11ないし14,16,17,21,26,27,29,30,31,38,39,41,42,50,51)。これらの中には,経口摂取ができていた事例での症例報告も少なくなく(甲11ないし14,16,26,27,31,39,51),「(高カロリー輸液に伴うチアミン欠乏性の代謝性アシドーシス)を未然に防ぐためには,高カロリー輸液中はチアミン投与を忘れてはならない。」(甲2,「外科」57巻9号,平成7年9月),「TPN施行時には経口摂取の有無にかかわらず総合ビタミン剤を投与する必要がある。」(甲3,「日消外会誌」平成9年),「高カロリー輸液中には,乳酸アシドーシスを予防するため,ビタミンB1投与は必須と考えられる」(甲15,「外科と代謝・栄養」平成6年6月号),「例え短期間であってもTPN中には(中略)十分量のビタミンを投与することが徹底されるべきである。」(甲21,「ICUとCCU」19巻,平成7年),「長期間TPNを施行する場合(中略),チアミン投与は必須であると考えられる。」(甲22「医学の歩み」173巻5号,平成7年4月),「たとえ経口摂取が開始されていても,摂取量が少ない場合(中略),チアミン添加は不可欠と考える(甲27,香川労災病院雑誌4巻,平成8年),等の表現がとられていたものもあった。

(2)  上記(1)記載事実及び上記前提事実に基づいて検討する。

ア ビタミンB1を投与せずに高カロリー輸液を実施すると,チアミン欠乏症を発症する可能性があること,高カロリー輸液の実施時にビタミンB1を並行投与すれば,チアミン欠乏症を予防でき,また,チアミン欠乏症の典型的症状である代謝性アシドーシスが判明した後であっても,ビタミンB1を急速投与することによって,アシドーシスが改善され,患者の致死を回避できることは,D死亡時である平成9年当時において,高カロリー輸液療法を施行する医師としては,当然認識しておくべき臨床医学上の知見であったというべきである。したがって,Dの担当医は,経口摂取ができていてもその量が乏しかったDに対し,ビタミンB1を並行投与せずに高カロリー輸液を実施すれば,チアミン欠乏症を発症させる危険があることを予見すべきであり,これを回避するために,4月9日の高カロリー輸液療法の再開時から,高カロリー輸液にビタミンB1を添加して並行投与すべきであったし,仮にこれをしないのであれば,Dにチアミン欠乏症状がでていないか注意深い観察をして,その徴候があれば,直ちに高カロリー輸液を中止し,ビタミンB1を投与すべきであった。そして,Dは,5月1日から意識障害が生じたのだから,チアミン欠乏症の可能性を念頭に置いて,血中の乳酸値の測定等により早期にこれを把握し,把握できれば,直ちに高カロリー輸液を中止し,ビタミンB1を投与すべきであった。5月10日にアシドーシスを発症していることが判明した後であっても,ビタミンB1を急速投与すれば,Dを救命できた可能性があったというべきである。

しかるに,担当医は,患者が経口摂取できていれば,高カロリー輸液にビタミンB1を添加する必要はないと認識し,5月1日から意識障害が発生した後,その原因を解明する必要があると考え,抗痙攣剤の副作用の可能性があると考えて一部の抗痙攣剤の投与を中止したり,静脈洞血栓症を疑ってCT写真を撮影したり,髄膜炎を疑って腰椎穿刺をしたりしたが,チアミン欠乏症については思い至らず,アシドーシス発症後もこれに思い至らず(したがって,乳酸値やビタミンB1の測定は一度もなされなかった),Dが死亡するまでチアミンの添加のない高カロリー輸液を投与し続けたのである。

以上の事実を総合すれば,担当医に注意義務違反があったといわざるを得ない。

イ これに対し,被告は,本件当時,高カロリー輸液を施行する医師に求められていたのは,ビタミンB1を投与することではなく,投与を考慮することであって,食事の経口摂取が可能であったDにビタミンB1を並行投与する義務はなかったと主張するが,当時,高カロリー輸液中のチアミン欠乏による代謝性アシドーシスの症例報告の内,相当数が経口摂取が可能であった患者の症例であったから,担当医としては,Dに対する高カロリー輸液の再開時,ビタミンB1を添加しないのであれば,チアミン欠乏症の罹患の可能性を常に念頭に置いて慎重な経過観察をしなければならなかったのに,担当医はこれを怠り,D死亡に至るまでビタミンB1を投与しなかったのであるから,過失があるとの評価は免れないというべきである。

3  損害額(争点(3))

(1)  葬儀費用

証拠(甲55)によれば,平成9年5月12日にDの仮通夜,翌13日に通夜,同月14日に葬儀が行われたことが認められる。そして,担当医らの過失と相当因果関係のある葬儀等の費用としては120万円をもって相当と認める。

(2)  慰謝料

証拠(甲54,甲55)によれば,Dは,平成9年2月22日に被告病院へ入院するまで,既往症や入院歴もなく,妻として,また,2児の母として充実した日々を送っていたことが認められる。しかし,本件によって,Dは人生に終止符を打つことを余儀なくされた。Dの死亡当時,原告Aは7歳,原告Bは2歳であった。2人の幼い子供を残して逝かざるを得なかったDの精神的苦痛が多大であることは明らかであり,慰謝料の金額は,金2200万円とするのが相当である。

(3)  逸失利益

Dは,死亡した平成9年5月当時,32歳の主婦であった。Dの逸失利益は,死亡当時の女子労働者の全年齢の平均賃金(340万2100円(賃金センサス平成9年第1巻第1表,産業計・企業規模計・学歴計))に67歳までのライプニッツ係数16.374を乗じ,生活費として30%を控除して求めるのが相当であり,その金額は,3899万4190円となる(一円未満四捨五入,以下同じ)。

3402100×(1-0.3)×16.374=38994189.7

(4)  弁護士費用

本件事案の性質,難易,本件訴訟の経緯,認容額等を総合考慮し,担当医らの過失と相当因果関係にある弁護士費用は,600万円と認めるのが相当である。

(5)  以上の合計は,金6819万4190円となるところ,原告Cはその2分の1を,原告A及び同原告Bはその各4分の1をそれぞれ取得した。

4  以上によれば,被告は,債務不履行又は不法行為(民法715条)による損害賠償として,Dに生じた損害をDの権利を相続した原告らに対して賠償する責任があり,その金額は,原告Cについては,3409万7095円,原告A及び原告Bについては各1704万8548円である。遅延損害金の起算日は,不法行為の日である平成9年5月12日とすべきである。

よって,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 井戸謙一 裁判官 長瀬貴志)

裁判官 野村賢は,転補のため,署名押印することができない。 裁判長裁判官 井戸謙一

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