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金沢地方裁判所 平成14年(わ)415号 判決 2003年6月25日

主文

被告人を懲役4年6月に処する。

未決勾留日数中130日をその刑に算入する。

押収してある刺身包丁1丁(平成15年押第5号の1)を没収する。

理由

(犯罪事実)

被告人は,平成14年11月7日午後7時ころ,石川県松任市ab丁目c番地d被告人方1階居間において,長女A(当時25歳)がボーガンで自殺を図り,その右側頭部にボーガンの矢が突き刺さったまま,左手に刺身包丁(刃体の長さ約20.5センチメートル,平成15年押第5号の1)を握り座っているのを認めるや,脳に損傷を受けた同女に治療を受けさせても身体に障害が残り不憫であるなどと考え,いっそのこと同女を殺害しようと決意し,上記刺身包丁でその胸部を数回突き刺すなどし,よって,そのころ同所において,同女を心臓及び左肺の刺創に基づく失血により死亡させて殺害したものである。

(争点に対する判断)

1  争 点

弁護人は,本件については承諾殺人罪が成立するにすぎない旨主張し,被告人も,これに沿う供述をするので,以下検討する。

2  犯行に至る経緯等

関係証拠によれば,被告人が本件犯行に至った経緯等について,次の事実が認められる。

(1)  被告人は,昭和55年ころから造花リース業を営み,平成11年ころまでは月30万円弱程度の収入を得ていたが,その後は収入が徐々に減少し,住宅ローンやカードローンなど合計約2200万円もの借金を抱えるに至り,生活が苦しくなっていった。そして,平成14年9月には,それまで働いて給料を家に入れていた被害者が仕事を辞めた上,同年10月下旬ころからは,被告人が下半身のむくみのためほとんど歩けないほどに体調が悪化し,仕事に出ることができなくなるに及んで,被告人一家の収入は途絶えるに至った。

(2)  被告人は,妻のBが,自己に無断で消費者金融業者や造花リース業の顧客らから多額の借金をした上,その使途についても曖昧な説明に終始したため,妻が信用できなくなったなどとして,昭和62年に協議離婚し,翌年再婚したものの,その後も借金等を繰り返すBに改心を促すためなどとして,同居しつつ,離婚・再婚を繰り返していた。しかし,それでもBが態度を改めないばかりか,嘘をつくようになってきたとして,立腹の余り,同女に対し,怒鳴りつけたり,暴力を振るったりすることが多くなっていた。

そのような生活の中で,Bは,平成14年6月ころから,一日中横になって家事もほとんどせず,たまに外出してもスーパーなどの駐車場で数時間眠ってから帰宅するというような状態に陥った。また,前記のとおり体調を崩し,呼吸困難を起こして嘔吐したり,失禁したりした被告人を,介抱しないこともあった。

(3)  被害者は,体調不良や精神的不調を理由に仕事を辞めた後,前記のとおり一家の生活が苦しくなる中で,仕事も家事もしようとしないBに対し,次第に,「借金ばかりして家の中を滅茶苦茶にした。」などと激しく責めるようになり,同年11月3日には,Bに自殺しろと言わんばかりに,自殺の具体的な方法を教えるに至った。

Bは,被害者から教わったとおり,同日及び翌4日の2度にわたり,編んだビニール紐をトイレのドアノブに引っかけて首を吊ったが,自殺するには至らなかった。また,翌5日夕方には,自宅にあった刺身包丁とボーガンを取り出し,被告人に対し,「一緒に死のう。このボーガンで死んで。」などと持ち掛けた上,その刺身包丁で自分の左胸あたりを刺すような挙動に及んだが,軽傷を負うにとどまった。他方,被害者は,自殺する素振りを見せるBに対し,はやし立てて面白がったり,なかなか死なないと冷やかしたりしていた。

そのような中で,Bは,被害者が留守中の同日夜,自宅の1階居間において,「こんな私などこの世からいなくなったらいい。」,「私は死にます。」などと書いた遺書を被告人に見せた上,その眼前で前記刺身包丁を自己の胸部付近に突き刺し,間もなくその場で心臓刺創に基づく外傷性ショックにより死亡してしまった。

(4)  Bの死後間もなく,被告人から連絡を受けて自宅に戻った被害者は,前記1階居間でBが死んでいるのを確認すると,自分がBを自殺するまで追いつめたことを後悔するかのように,被告人に対し,「一緒に死のう。(Bに)直接会って謝りたいことがある。」などと言って,ともに死ぬことを持ち掛けた。

被告人は,当時,被害者からも「そんな体じゃ生きられないでしょ。」と言われるほどに体調が非常に悪化しており,自分がいつ死ぬかもしれないと思っていたものの,若く健康な被害者まで一緒に死ぬべきではないと考え,「お前は生きなさい。お前まで死ぬ必要はない。」などと言って説得した。しかし,被害者は,被告人に対し,「二人がいなくなったら,私1か月も生きていけない。寂しくて死んでしまう。」,「3人で一緒に仲良く暮らせればよかったのに。」などと言って,Bが死んだ前記1階居間で自分も死ぬと主張して譲らず,さらに,「私が自殺して死にきれなかったら,生き残らさないでほしい。私が死んだときはきちんと確認してほしい。」と言うなどした。被告人は,最終的には被害者を説得して自殺を思いとどまらせることができると考えており,被害者とともに自殺する気はなかったが,一方では,被害者を興奮の余り自殺させることのないようにとの思いから,被害者に話を合わせたり,被害者から言われて,一家3人の死を知らせる手紙を異母兄に宛てて書いたりした。

そうしている間にも,被害者は,首を吊ることや被告人と刺し違えることなど,自殺の具体的な方法を検討するなどし,同月7日朝方ころには,「ボーガンの矢が頭を左右に貫通すれば,脳の中の血管が切れて,痛みを感じることもなく一瞬で死ねる。」などと,前記ボーガンで自分の側頭部を撃って,その矢を頭部に貫通させる方法により自殺する旨述べるに至った。そして,被害者は,同日午後7時前ころまでの間,繰り返しボーガンを撃つ練習をしたり,被告人に相談して,その矢が正確に自分の頭部に命中するようにボーガン本体のフレーム先端部にアルミホイルの芯をガムテープ等で取り付けたり,矢が頭部を貫通するように複数の矢の羽の部分を削ったり,ボーガンを撃つための土台を作ったりして,自殺の準備を進めた。また,被害者は,被告人の自殺の準備のためにも,ボーガンを撃つための土台を作ってやっていた。

(5)  被告人は,被害者が自殺の準備をしていた前記1階居間において,被害者を翻意させようと説得する機会をうかがっていたものの,つい居眠りないし意識を失ってしまったところ,同日午後7時ころに目を覚ますや,同室内で,右側頭部にボーガンの矢が突き刺さった状態の被害者が,Bが自殺に用いた後そのまま同室内のこたつ上に置いてあった前記刺身包丁を左手に持ちつつ座っているのを発見した。それを見た被告人は,ボーガンで頭を撃って自殺しようとした被害者が,死にきれなかったため,刺身包丁で自分自身を刺して命を絶とうとしたものの,そうする前に動けなくなってしまったものと考えた。被告人は,敷いてあった布団の上に被害者を寝かせてその様子をうかがったところ,被害者がまだ生きていることに気付き,「救急車を呼ぶよ。」などと呼び掛けた。しかし,被害者は,手足が少し動いたりはするものの,見開いた目を上の方に向けたままで,はっきりとした反応を示さなかった。なお,その時の被害者は,その脳の損傷の状態や浮腫の程度からすると,全く意識を失っているとまではいえなくても,かなり意識レベルが低下しており,声を掛けられても,それを意味のある言葉として認識できていたかは疑わしいと思われ,仮に認識できたとしても,その認識に基づいて意思を決定し,それを他人に正確に伝えることは困難な意識状態にあったものと推測される。

被告人は,一旦は被害者の生命を助けようと思ったものの,被害者の頭部にボーガンの矢が深く突き刺さっていたことから,脳がかなり損傷し,身体に障害が残るのは必至であると考えた。そして,前記のとおり体調が悪くいつ死ぬかも分からない自分がそのような被害者の面倒を見ることはとてもできない,自分が死んだ後,障害を負ったまま一人で生きていかなければならない被害者がかわいそうだなどと考えるに至り,いっそのこと被害者を殺害しようと決意し,本件犯行に及んだ。

3  検 討

以上の認定事実に基づき検討する。

(1)  承諾殺人罪における「承諾」は,必ずしも明示的になされることを要せず,黙示的になされてもよいが,殺害行為時に存在することを要し,かつ,被害者の真意に基づいてなされたもの,すなわち,死亡することの意味を熟慮の上,自由な意思により殺害を受容するものでなければならず,事理弁識能力を有する被害者自身が表明したものでなければならないと解される。

(2)  これを本件についてみると,被告人が,殺意をもって,被害者の胸部を刺身包丁で数回突き刺すなどした際,被害者は,前記認定のとおり,全く意識を失っているとまではいえなくても,かなり意識レベルが低下しており,声を掛けられてもそれを意味のある言葉として認識したり,その認識に基づいて意思を決定し,それを他人に正確に伝えることは困難な状態にあったものと推認されるのであるから,殺害行為当時,被害者において事理弁識能力を有し,その能力に基づいて殺害を受容したものとはいえない。

(3)  弁護人は,被害者がボーガンで自殺を図るまでの前記認定の経緯に照らすと,被害者は,被告人による本件殺害当時においても,被告人による殺害を承諾していた旨主張する。

ア 確かに,前記認定のとおり,被害者は,本件自殺を図る前に,被告人に対し,自殺の意思を明示的に表明した上,「私が自殺して死にきれなかったら,生き残らさないでほしい。私が死んだときはきちんと確認してほしい。」と述べ,「自殺によって自らの命を絶つことができなかった場合には,被告人において被害者の命を絶ってほしい。」旨の意思を表明していたことが認められる。また,被害者は,①自らの言動によって母親を自殺に追い込んでしまったため,厳しい自責の念を抱いたと考えられること,②被告人に対し,一家3人の死を親戚に知らせる手紙を書くように言い,その手紙を自ら投函したこと,③約2日間,自殺すると主張し続けたばかりか,自殺の具体的な方法を検討したり,ボーガンを撃つ練習やその矢の羽の部分を削るなど,自殺に向けて相当綿密に準備を重ねていたこと,④最終的に自殺に及んだこと,⑤それまでの間に自殺を思いとどまった形跡が全くないことなどからすると,自殺をする意思を固く抱き,最後までその意思を変えなかったものとみるのが相当であり,そのような意思から,前記発言に及んだものと認めることができる。

イ しかしながら,被害者の真意を考察するに,本件被害に至るまでの言動,特に,①「一緒に死のう。」,「二人がいなくなったら,私1か月も生きていけない。寂しくて死んでしまう。」,「3人で一緒に仲良く暮らせればよかったのに。」,「そんな体じゃ生きられないでしょ。」等の被告人に対する発言,②自分が自殺するだけでなく,被告人も自殺することを前提として,一家3人の死を知らせる手紙を被告人に書かせて投函したり,被告人がボーガンを撃つための土台を作ってやったりしていたことなどに照らすと,被害者は,母親のBが自殺したことを踏まえ,その後悔の念から自らの命を絶つとともに,被告人にも自分と一緒に死んでほしいと願っていたものであり,自分がBの後を追うように自殺または被告人の手により死亡した後,被告人だけが生き残ることは全く考えていなかったとみるのが相当である。被告人は,被害者のこのような真意を理解していたものの,自殺を思い止まらせようとすることを重視し,興奮の余り被害者が自殺することのないようにとの思いから,被害者に話を合わせたり,一家3人の死を知らせる手紙を書いたりしていた。そのため,被害者は,被告人の真意,すなわち,「被害者が自殺した後も,その後を追って自殺する意思がない。」ということを十分に知ることができず,被告人が多少の時間的な遅れはあっても,被害者とともに自殺してくれるものと誤信していたとみるのが相当である。

そうすると,被害者が本件被害前に表明していた自殺の意思及び「自殺によって自らの命を絶つことができなかった場合には,被告人において被害者の命を絶ってほしい。」旨の意思は,「被告人も被害者とともに自殺してくれる。」との誤信に基づいて表明されたものであって,被害者の真意に基づくものということはできない。

(4)  なお,被告人は,実の娘である被害者の本件被害に至るまでの前記言動に接し,被害者が前記のとおりの誤信をしていることを十分に認識していたものとみるのが相当である。したがって,被告人において,本件殺害行為に対する被害者の真意に基づく承諾がないことは,十分に認識していたものと認められる。

(5)  以上のとおりであるから,本件については,承諾殺人罪は成立せず,殺人罪が成立する。

(量刑の事情)

本件は,妻の自殺後,その原因を自分の言動にあると考え,厳しい自責の念を抱いた娘である被害者から,ともに自殺しようと持ち掛けられた被告人が,先にボーガンで自殺を図って頭部にその矢が突き刺さった状態の被害者に対し,治療を受けさせても身体に障害が残り不憫であるなどと考え,とっさに殺害したという殺人の事案である。

前記認定の犯行に至る経緯及び動機について,当時の被告人の健康状態を併せ考えると,同情の余地がないわけではない。しかし,まだ生存している被害者の身体に障害が残ると考え,その生命を奪ったことは,極めて軽率かつ短絡的であり,厳しい非難を免れない。また,被害者から,ともに自殺しようと持ち掛けられた後,自分は自殺をする意思がなかったにもかかわらず,被害者に話を合わせ,ともに自殺の方法を検討するなどした結果,被害者に,被告人がともに自殺してくれるものと誤信させ,その誤信に基づいて自殺の決意を固めさせたことも,被告人の不適切な言動として,責められるべきものである。

犯行の態様は,被害者が手にしていた鋭利な刺身包丁で,心臓付近を狙って突き刺し,それでも被害者が死に至らないとみるや,更に2回繰り返し突き刺し,その上,被害者が死亡したかどうかを確認しようとして,付近にあったボーガンの矢で1回突き刺したというもので,強固な殺意に基づいた執拗かつ残忍なものである。

被害者は,本件犯行により,未だ25歳と若く,将来のある生命を奪われたのであって,結果は重大である。被害者には,自殺行為による頭部の傷のために,身体に何らかの障害が残った可能性も否定できないが,たとえ障害が残ったとしても,その生命の尊さには何ら変わりはない。また,被害者の親族の中には,当然のことながら,厳しい処罰感情を抱くものもある。

以上によれば,被告人の刑事責任は相当に重いといわなければならない。

他方,犯行に至るまでには前記のとおりの経緯があること,被告人は,事実を概ね認め,「私のやったことは一生許されるものではない」,「娘,妻に対して,親として夫として申し訳なかった」と述べるなど,被告人なりに反省の情を示していること,前科前歴のないこと,健康状態が優れないこと,実姉が被告人の身元を引き受け,更生の助力をしたい旨申し出ていることなど,酌むべき事情もあるので,以上を総合して考慮し,主文のとおり量刑した。

(検察官 西村恵三子,弁護人 粟田真人)

(求 刑 懲役8年,刺身包丁1丁の没収)

(裁判長裁判官 伊東一廣 裁判官 髙橋裕 裁判官 平手一男)

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