金沢地方裁判所 昭和24年(タ)5号 判決
原告 東郷太郎
被告 東郷信子 外一名 (いずれも仮名)
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は被告東郷信子が原告の子でないことを確定する。訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、原告は昭和二十二年八月頃友人の紹介で始めて被告花子を識り、爾來時折同被告と一緒にダンスホール等に出入しているうちに昭和二十三年五月上旬(七日か八日)頃始めて同被告と肉体干係をした。ところが同年十月二十日同被告は原告の子を懷姙して既に六ケ月目の身重である旨原告に訴えたので、原告はこれを聞いて強い衝撃を受け原告の両親にもその終始顛末を打明けて收拾策を相談したところ、原告の両親において眞相を調査した上で適当な措置を講ずることとして被告花子に種々問い訊したところ、同被告は從來男性の友人二、三名あつたが肉体干係をしたのは原告だけで、他に絶対ない旨断言したので、原告としては同被告の言をそのまゝ信用することもできなかつたが、一應その場を繕うために同年十一月三日結婚式を挙げて同被告と婚姻の予約を爲し、爾來原告宅で同棲した。ところが同被告は同棲後十数日にすぎない同月二十二日発育良好な被告信子を分娩したので原告等は事の意外に驚き、同被告の從來の素行につき種々調査したがその素行上の疑惑を氷解するに至らなかつた。すなわち原告は被告信子が原告の自己の子でないと信じたので同年十一月二十八日被告花子を被告信子と共にその実家に引き取らせた上、翌二十九日被告花子の母訴外井口静子の來訪を求め、被告信子は原告の子でない旨を傳えた。そこで被告花子等は翌三十日金沢市内田病院で被告信子の診断を求めたが同病院長は左様な診断は官立病院で受けるよう勧め、單に体重だけを看護婦に計らせ七百二十五匁なる旨を告げて診断をしなかつたのに拘らず、被告花子及びその父訴外井口栄次は同日原告方に來訪し、原告等に対し内田病院で診断を受けたところ、同病院長外二名の医員が被告信子の頭髪、爪等を綿密に檢査し、且つ体重を計つた上体重は七百二十五匁であるが、診断の結果右信子が何ケ月の子であるかは解剖でもしなければ判らないが、十ケ月の兒ではなく、月足らずの兒であることは絶対に間違いない。なお確実なことを知りたければ官立病院に行くように申した旨、殊に同病院長は十ケ月兒であるなどと判らんことを言う産婆は誰であるかと鋭く難詰して、その名を尋ねたので、告げて來たと顛未の詳細をまことしやかに訴え、被告信子が原告の子であることを強調してやまないので原告は被告信子が月足らずで生れた原告の子であると誤信し、同年十二月二日被告花子との婚姻届をすると共に被告信子を原告の子として届出たものである。しかし被告花子が昭和二十三年五月上旬最初に原告と肉体干係をした際直ちに受胎したとしても同日より被告信子出生までに二百日も経過していないのに被告信子は意外の成熟兒として生れたこと及びその後の調査によれば被告花子は女学校在学当時から不良学生仲間の一人で素行上とかく芳しからぬ方であつて、爾來数名の男性と情交干係を継続していたものであること等の点からみて、被告信子は原告の子では絶対にないのである。しかるに原告は被告花子及びその父訴外井口栄次の虚言により被告信子を原告の子であると誤信したため、これを認知したものであつて、すなわち右認知は被告花子等の詐欺によりなされたものであるから本訴においてこれを取消す、從つて右認知は効力を失つたものである。よつて原告はここに被告信子が原告の子でないことの確認を求めるために本訴に及んだと陳述し、なお被告の抗弁に対し民法第七百八十五條の規定は瑕疵ある意思表示には適用されないものである。從つて被告等の詐欺により錯誤に陥つて原告のなした認知は民法第九十六條により取消しうべきものであると陳述した。<立証省略>
被告等訴訟代理人は本案前の抗弁として原告の請求を却下する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、その理由として原告は被告信子が昭和二十三年十一月二十二日出生したのに対し、同年十二月二日その出生届をしたものであるから、民法第七百七十六條によりその否認権を喪失したものである。從つて本訴請求は不適法として却下せらるべきものであると述べ、次いで本案について主文第一、二項同旨の判決を求め、答弁として原告主張事実中、原告と被告花子は結婚式を挙げる以前より肉体的干係があつたところ右両名は原告主張の頃結婚式を挙げ、爾來原告方で同棲し、同月二十二日被告花子が被告信子を分娩したこと及び同年十二月二日原告と被告花子とが婚姻届をして正式に夫婦となると共に原告は被告信子を自己の子として出生届をしたことは認めるがその余の主張事実は全部これを爭う。すなわち被告花子は昭和二十二年春頃金沢市文化ホールの舞踏場で始めて原告に会い、その後原告と共に各所の舞踏場に出入したが一時交際中絶していた。その後昭和二十三年四月十五、六日頃金沢市内木谷写眞館の舞踏場で原告に再会したところその四、五日後の同月二十日頃の午後七時半頃原告が被告花子の実家に來訪して同被告を散歩に誘い出し、同市内犀川上流菊橋附近堤防において執拗に情交を迫つたので被告花子はやむなくこれに應じ、爾來原告は連日朝晩二回被告花子を訪問し、屡々情交を重ねたため、同年四月中被告花子は受胎したので同年十一月原告と結婚式を挙げて原告方に同棲するうち、同月二十二日被告信子を数え月八ケ月の早生兒として分娩したものであつて、当時被告信子が比較的栄養良好であつたため、原告は被告信子が自己の子であるかどうかを疑つていたがその眞相判明し、自己の子であることを了解したので前記婚姻届並びに出生届を了したものである。なお被告花子は女学校在学中不良学生仲間の一人であつたことはないし又原告と交際する以前に数名の男性と肉体干係をしていた事実もない。尤も訴外宮下英雄とは昭和二十二年九月二日と同年十一月との二回肉体干係したことはあるが、そのことは既に原告に話してあり、右の外は原告と干係したのみである。又内田病院で被告信子の診断を受けその結果被告信子の体重が普通なること、そして診断の結果だけでは十ケ月兒か八ケ月兒か断定できないと云う医師の言を原告に傳えたことはあるが原告主張のような言を弄して原告を欺罔したことはない。要するに被告信子は原告の子であり、仮に原告の子でないとしても原告の取消の意思表示は民法第七百八十五條に牴触するから取消の意思表示はできないものである。よつて原告の本訴請求は失当であると陳述した。<立証省略>
三、理 由
先づ被告等訴訟代理人の本案前の抗弁について案ずるに訴が本案判決をするについて前提として必要な要件を具備していること、すなわち当事者が当事者能力、訴訟能力を有していること、適法に代理されていること、訴状が法定の内容を有すること或は裁判所に既に繋属中の事件について更に訴提起したものでないこと、日本の裁判所の裁判権に服するものであること等訴訟法上の要件を具備することを要し、これらの要件を欠くときは不適法な訴として請求を却下すべきであるが、叙上の訴訟法上の要件を具備する以上は請求を却下すべきでなく、必ず本案につき審理判断すべきは当然のことに属する。以上の説明により被告等訴訟代理人の右抗弁はその理由がないことはその主張自体に徴して明白である。よつて該抗弁は到底これを採用できない。次に本案について判断するに、当裁判所が眞正に成立したと認める甲第一号証に証人東郷太藏、同東郷やゑ、同尾崎和子、同宮下英雄、同村田俊、同田中薫、同原口ゆきの各証言並びに原告本人、被告東郷花子本人の各尋問の結果の一部、鑑定人上田武の鑑定の結果を綜合して考察すると、被告花子が女学校在学中不良学生仲間の一人であつたこと同被告が原告及び訴外宮下英雄以外の多数の男性と情交があつたこと及び原告が被告信子を認知したのは被告花子の欺罔行爲により原告が錯誤に陥り被告信子を自己の子であると誤信した結果であるとの点を除き爾余の原告主張事実は全部これを認めることができるところであつて、証人井口静子、同井口栄次の証言及び被告東郷花子本人尋問の結果等の中右認定に反する部分はいずれも当裁判所のにわかに措信しないところであり、又乙第一号証も証人尾崎和子の証言に徴し右認定を左右する証左とならない。そうして他に右認定を覆すに足る何等の証拠もない。すなわち原告は昭和二十三年十二月二日被告信子を自己の子として認知したが、被告信子は原告の子でないこと洵に明白である。しかしながら、詐欺による意思表示は民法第七百八十五條の規定に拘らず民法第九十六條により取り消し得べきものと解するを相当とするが、原告のなした前記認知は原告が被告花子等の詐欺により錯誤に陥り、被告信子を自己の子であると誤信したためなされたものであるとの原告主張事実については前顕証人東郷太藏、同東郷やゑの証言中右主張に符合するが如き供述部分は後述の如き原告本人尋問の結果に徴し、これを措信しがたく、他に該主張事実を認めるに足る何等の証拠もない。却つて原告本人尋問の結果によれば、被告花子及びその父訴外井口栄次が昭和二十三年十一月三十日原告宅に來訪して原告主張の如き虚構の事実を申述べて被告信子が原告の子に相違ない旨強調したけれども、原告はこれを信用せず、依然として被告信子が自己の子たることに多大の疑惑をいだきつゝ敢えてこれを自己の子として出生届をしたもので、何等錯誤により自己の子であると誤信したために認知するに至つたものでないことが認められる。從つて原告の認知取消の意思表示はその効力なく、右取消を前提とする本訴請求は理由がない。尤も認知された子たる被告信子又は認知した原告の父母兄弟等の近親者は、利害関係人として認知に反対の事実、すなわち被告信子が原告の子でないことを主張しその旨の確認を求めうることは、民法第七百八十六條の規定により明らかなところであるが、認知をした父たる原告は同條にいわゆる利害関係人に該当しないことは、同法第七百八十五條の規定の趣旨に徴して疑ないところである。從つて、原告の請求が、認知が眞実に反することのみを理由として民法第七百八十六條により被告信子が原告の子でないことの確認する趣旨であるとしても、認知者たる原告自らがその旨の確認を求めることは失当である。よつて原告の本訴請求を失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 米光哲)