金沢地方裁判所 昭和24年(ワ)69号 判決
原告 山岸鉄次
被告 上野真
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対し小松市三日市町八番地所在木造瓦葺二階建居宅一棟(家屋番号第八番)並に同建物宅地につき所有権移轉登記手続をなすべし。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
其請求の原因として、被告は小松市三日市町八番地所在木造瓦葺二階建居宅一棟(家屋番号八番)並に同建物宅地共所有し、原告は同市茶屋町リ九十六番地所在木造瓦葺二階建居宅一棟(家屋番号十八番)を所有し、同建物宅地に付地上権を有していたところ、昭和二十三年五月二十二日頃原被告間に右各物件を交換すると共に原告は被告に対し補足金五千円を支拂う旨の交換契約が成立し、原告は同日右補足金五千円を支拂つた。而して前記交換物件の所有権移轉登記手続は、同年七月末日までに行う約束であつたのに右期限を経過するも被告は該手続をなさないので被告に対し該交換物件の所有権移轉登記手続を求めるため本訴請求に及んだものであると述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、
答弁として、原告主張のような内容の交換契約の成立したこと及び原告主張のように所有権移轉登記手続をなすことを約したことを否認しその余の事実はこれを認め、仮に原告主張のような内容の契約が成立したとしても被告としては原告側交換物件たる建物には同建物附属の離れ屋をも含み、且該建物宅地につき原告が所有権を有していて右離れ屋及び宅地の所有権も一諸に被告に移轉するものと考えて本件契約を締結したのであるから、契約の要素に錯誤があり従つて本件契約は無効であると抗弁した。<立証省略>
三、理 由
案ずるに被告が小松市三日市町八番地所在木造瓦葺二階建居宅一棟(家屋番号第八番)並に同建物宅地を所有し、原告は同市茶屋町リ九十六番地所在木造瓦葺二階建居宅一棟(家屋番号第十八番)を所有し同建物宅地につき地上権を有していることは当事者間に爭いがない。そして成立に爭ひない甲第十三号証、乙第一号証並に原被告各本人訊問の結果に依れば昭和二十三年五月二十二日頃原被告間に前記各物件を相互に交換すると共に原告より被告に対し補足金五千円を支拂うことの交渉を爲し、一應双方の妥結に到達して、同日原告は被告に対し右補足金五千円を支拂つたことが認められる。
而して被告は契約の目的物に付いて錯誤があり右は契約の要素に関するから本件契約は無効であると抗爭するからこの点を審理するに原被告各本人訊問の結果証人北村栄松、同田中三郎の各証言及成立に爭いない甲第七号証の二を綜合して考えると、原告は前記茶屋町の所有家屋の敷地を所有せず他より賃借していること被告は本件契約の直前迄約十年間茶屋町に居住して居たこと、茶屋町附近一帶の土地は一括して他の所有に属し各建物所有者はその敷地を所有せず其の賃料を支拂つて居ることが認められ、従つて被告は右建物敷地が原告の所有に非らざることを知り得べく或は知つて居たのではないかと推測し度い事情にあり、尚原告は本件契約の内には右建物の一部離座敷及敷地を包含させる意志で契約したことを認め得るのであるが、他面被告は契約の際右事実を了解せず敷地及離座敷を包含する意志で契約したことが肯認できる(此の点に関する被告本人の供述は虚僞を述べているとは怎うしても考えられない)。然らばどうして斯様に契約当事者の内心的効果意志の相違があるに拘らず契約書(甲第十三号証、乙第一号証)が交換されたかを考えると、被告本人訊問の結果に徴すれば被告は理解力も判断力も共に通常の程度より可成り低く、同人と或程度長く対談する人は其の言葉や表情から之れを察知することが左程困難ではないこと及前叙の茶屋町に於ける敷地の事情は被告はこれを知らず尠くとも契約締結に当つて念頭に無かつたものと思はれる。又本件檢証の結果を綜合すると、茶屋町の建物を一巡して見るだけでは入口の店舗から奥の離座敷迄は屋根の下を通り建物の外に出て別棟の建物に入る感じなく到達し、被告は一括して一個不可分の建物である(主物従物の関係より密接なり)との感を持ち、これを契約の目的から除外することは全く考えなかつたものと認められること、右離座敷を契約から除外しこれが他の所有者に属することになれば入口、便所、炊事場その他建物の構造上右建物の價値は重大な影響を蒙ること、建物の交換契約に当りこれから離座敷を除外するには明確に其旨表示して相手方に了解させなければ被告の如く智能の低いものでなくとも誤解し易いこと等が認められると共に原告は理解力、判断力共に十分であつて被告とは比較にならず(本人訊問から受ける感じは普通人の平均を相当超えると判断される)、被告と本件契約の交渉中被告の智能の不十分なことを察知し得たのであるが、此の智能の低い被告に対し敷地及離座敷を除外しての交換であるとの点を十分得心させるだけの親切な表示がなかつたこと、被告は又自己の低い智能からこれらは当然契約に包含せられるものと思い込み相手方に対し將來文句の無いようにこれ等を包含するものなることの十分の表示をなさず契約書を作るに至つたこと、而も当事者間の意思表示の文書化された契約書の文面に於ても交換一方の目的物は建物の一部を除外し且敷地を除外し、他の方は敷地を含むものであることに付いて完全な表示とは謂ひ難いのであつて、若し口頭に依る補充的の表示が無ければ文面のみでは一方に「地坪二十一坪」の記載があり、他に其の記載を欠く一事でもつて一方は土地建物他方は建物のみの交換契約とは断定し難く、單に建物の交換契約書とも読み得るのみでなく茶屋町の建物は離座敷が除外するものと文面のみで断定することは妥当でないから口頭に依る補充的表示のない場合に此の契約書の記載のみで前示二点の除外を理解しないのは、民法第九十五條但書に定むる程度の重大な過失というのは口頭と書面との両者の表示が併用される対話者の契約では妥当ではない。原告本人の訊問の結果及証人北村栄松の証言及甲第七号証の二の内右認定に反する部分は信を措き難く、その他の原告の全立証に依つても右認定を左右し難い。惟ふに一般意思表示に於ては、表意者は自己の内心的効果意思を表示してこれを到達せしめなければならぬのであつて、其の到達は相手方が理解し得る状態で足りるのであるが、意思表示の双互に交換する契約を対話者として締結する場合は一方の表意者は相手方の表示に付自己の理解した内容を其の儘自己の表意に援用して「承知しました」と承諾の意思表示を爲すものであつて、斯様な場合に先の表意者は自己の内心を理解させるに当り、普通一般の智能の人に理解し得る様な表示方法をすれば如何なる場合でも十分か、或は又現に契約を結ぶ対話者が一般人より智能が低く且このことを対話中察知したときは当該具体的の相手方に対し理解させるため一般人と異る十分な親切な表示方法を採ることを要するかは一つの法律問題であるが、後者の解釈を以て妥当とすること信義則上明白で、此の点は表意者が相手方の智能の低いことを知らなくとも知らない点に重大なる過失ある場合も同様に解し、表意者が普通人に理解し得る表示をしていても相手方が具体的場合に理解出來なければ双方の意思表示の合致なく、従つて契約は不成立を來すか或は表示と内心の不一致として錯誤を來し且当事者に民法第九十五條但書の過失ないものと認むべきである。
本件に於て原告の具体的の表示行爲が口頭書面及態度等を綜合して解するならば、被告より高い智能を有する一般人であつても尚前叙座敷及敷地を除外するものであることを理解するに十分なもので無かつたと肯認する証拠もないが、然し少くとも被告をして理解させるに不十分であつたと共に原告は右被告の智能を察知し又は容易に察知し得たものと認められると共に右の点につき被告が十分に原告の意思を理解して居たならば建物の所有権者の利用價値は重大な減損を來し交換しなかつたと思はれるので、本件契約は意思表示の不一致により不成立となるか又は内心と表示の不一致として無効であるか、孰れにしても原告主張の交換契約を認むるに由ないから、原告の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九條を適用し主文の通り判決した。
(裁判官 北野孝一)