大判例

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金沢地方裁判所 昭和42年(わ)242号 判決 1975年8月25日

本籍

韓国慶尚北道義城郡安溪面土毎洞一一八

住居

石川県小松市土居原町一七五番地

遊技場経営

朝野義秀こと

金学秀

一九一七年三月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官佐藤勝出席のうえ審理して、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年六日及び罰金八〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、小松市三日市町二三番地に居住し、パチンコ遊技場四店舗を経営するかたわら織物の販売をなしていたものであるが、

第一、昭和三九年分の所得税を免れようと企て、同年中のパチンコ売上収入、織物販売収入、土地譲渡収入などを正規に記帳整理しないでその収益を秘匿し、昭和四〇年三月一五日、昭和三九年分の所得金額は、真実は金五、〇〇五万七、〇六二円(詳細は別表一のとおり)でこれに対する所得税額は金二、八五八万一、六〇〇円であつたのにかかわらず、金二〇〇万円しかなくその所得税額は金三一万四五〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄小松税務署長宛提出し、もつて不正の行為により前記納付すべき税額との差額である所得税金二、八二七万一、一五〇円をほ脱し、

第二、昭和四〇年分の所得税を免れようと企て、同年中のパチンコ売上収入、織物販売収入などを正規に記帳整理しないでその収益を秘匿し、昭和四一年三月一四日、昭和四〇年分の所得金額は、真実は金二、一八七万二、九五七円(詳細は別表二のとおり)で、これに対する所得税額は金一、〇四一万九、〇〇〇円であつたのにかかわらず、金三八八万七、五〇〇円しかなくその所得税額は金九六万八、二〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を所轄小松税務署長宛提出し、もつて不正の行為により前記納付すべき税額との差額である所得税金九四五万八〇〇円をほ脱し

たものである。

(証拠の標目)

判示冒頭の事実につき、

一、被告人の検察官に対する昭和四二年一二月一三日付及び同月二〇日付各供述調書

判示第一、第二の各事実につき、

一、被告人の大蔵事務官に対する昭和四一年三月三一日付、同年四月七日付及び昭和四二年三月二九日付各質問顛末書

一、大蔵事務官作成の証明書二通

一、検察官及び弁護人作成の合意書面

判示第一の事実につき

(売上収入金について)

一、別表三のとおり

(譲渡原価(1)について)

一、別表四のとおり

(譲渡収入(1)が被告人に帰属した事実について)

一、第三二回、第三六回公判調書中の被告人の各供述部分

一、被告人の検察官に対する昭和四二年一二月一四日付供述調書並びに大蔵事務官に対する昭和四一年九月九日付、同年一〇月二〇日付及び昭和四二年四月一七日付各質問顛末書

一、第一二回公判調書中の証人明翫栄一、同小杉忠雄、同杉下市右ヱ門の各供述部分

一、斎藤てる、武谷文雄、牧野久代の大蔵事務官に対する各質問顛末書

一、古谷直二作成の昭和四二年七月三日付査察事件調査事績報告書

一、福村忠雄作成の昭和四二年四月五日付上申書二通

一、三田治幸作成の株式会社福井銀行金沢支店備付の伝票綴の写、定期預金元帳の写及び貸付金元帳の写

一、弁護人作成の金山太郎名義の北国銀行普通預金通帳の写

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は昭和四〇年法律三三号附則三五条により同法による改正前の所得税法六九条一項前段に、判示第二の所為は改正後の所得税法二三八条一項前段に各該当するが、いずれも所定刑中懲役と罰金の併科刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪なので、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により判示第一、第二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年六月及び罰金八〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(補足説明)

一、弁護人は、(1)片町土地は被告人の所有ではないからその譲渡所得は被告人に帰属しない。(2)河原町土地の譲渡所得(金一、八〇〇万円)は被告人に帰属するが、取得費として買受代金金三五〇万円など合計金五七五万八、三二〇円を控除すべきである。(3)検察官主張の昭和三九年分売上収入金の中には貸金の回収額金二、一二〇万円及び売掛金の回収額金二一一万円合計金二、三三一万円が混入しているのでこれを控除すべきである。旨主張するので、以下若干の補足説明を加えて当裁判所の見解を明らかにする。

二、片町土地譲渡所得の帰属について

弁護人の主張の骨子は、要するに、被告人は昭和三二年八月頃片町土地を買受けてその所有権を取得したが、昭和三五年一月二〇日茨木清こと金永相(以下茨木清という。)に対する金三、〇〇〇万円の貸金債務の代物弁済として片町土地の所有権を同人に譲渡し、同月二一日、同月二〇日付売買を原因とする所有権移転登記手続を経由したから片町土地の所有権は名実ともに茨木清に移転したものであり、被告人の所有ではないからその譲渡所得は被告人に帰属しない、というものである。

なるほど第三二回公判調書中の被告人の供述部分、第一四回公判調書中の証人茨木清の供述部分、第一三回公判調書中の証人園山武平の供述部分及び証人坂本仁こと尹仁述(以下坂本仁という。)の受命裁判官に対する尋問調書中には弁護人の主張に沿う供述があるのであるが、その信用性については、検察官が論告要旨の中で詳細に指摘するように、多くの疑問点が存し、結局、当裁判所としても、これらの各供述を採用することはできなかつた。すなわち、被告人の大蔵事務官に対する各質問顛末書、験察官に対する各供述調書及び第三二回、第三三回、第三六回公判調書中の各供述部分(以下一括して被告人の供述という。)を仔細に検討すると、被告人の供述はそれ自体あいまいで矛盾撞着が多く帰一するところを知らない。被告人の供述の矛盾点は枚挙にいとまがないのであるが、一例として本件で最も重要と思われる片町土地の取得資金の出所、代物弁済契約の締結に至つた事情に関する供述だけをみても、

大蔵事務官に対する昭和四一年九月九日付質問顛末書

「片町土地の取得費科二、〇〇〇万円は自己資金で支払つた。他人から借入れしたことはない。(中略)登記面では私から茨木に所有権移転となつているが、実は私が茨木に売つたのではない。茨木は登記上の所有者であつて、実際の所有者は崔泰鎮という人です。つまり私が崔に売渡したことになるのです。(中略)私は当初崔さんを知らなかつたのですが、茨木を通じて知るようになつたのです。片町の土地のビルを建設しようと計画していた頃、その建設費約三、七〇〇万円の一部資金として茨木を通じて昭和三四年九月頃、崔から二、〇〇〇万円借入れしていました。結果的にはその借入金のかたに片町の土地を崔に売つたことになるのですが、私が片町の土地を手放したのは、その当時私の念願であつたビル工事が流れてしまつたこと、賃借人との間に争いが生じたこと、またそのことから私に対する世評が悪くなつたことなどから片町の土地を持つていても見込みがないと思い、嫌気がさして売る気になつたのであつて、決して裁判所の仮差押を逃れるためのものでもなく、また茨木名義に仮装移転したのでもない。」

大蔵事務官に対する昭和四一年一〇月二〇日付質問顛末書

「前回(注 前記昭和四一年九月九日付質問顛末書を指す。)私は片町の土地建物の買入資金やその他の費用で完全に私のものになるまでにかかつた取得費用が約二、〇〇〇万円でその支払資金はすべて自己資金であると申しましたが、実はそれは自己資金でなく他人から借入れしているのでその点訂正して下さい。正直な事を申しますと、片町の土地建物の買取資金は崔及び茨木から総額三、〇〇〇万円借入れていたものです。崔の分が大部分と思うが一部は茨木からのものです。松任町のもとの私宅で二回にわけて昭和三二年、三三年頃茨木、崔から受取つた。したがつて片町の土地建物は主として崔が金を出してくれたもので、登記上は私の名になつていましたが、実質上の所有者は崔であつた訳です。また私は崔からその資金を借入れた時、借入金を返済しないかぎりにおいては何時でも登記名を私から崔に変える約束もできていた。そのような事情ですから、昭和三五年一月頃片町土地が賃借人との間に訴訟問題が起り、さらに仮差押されるなど崔としてはこれは朝野の登記にしておいたら危いと思つて代理人の閔丙湧を使つて私に登記名を変えるべく責めてきたものと思います。私もその当時片町の土地の問題で嫌気になつていたのでそれを承諾して登記上の譲渡手続をしてやつたのです。以上のような訳ですから前回私がいつた崔からの昭和三四年九月頃の借入れ二、〇〇〇万円は誤りですから訂正して下さい。」

第三二回公判調書中の供述部分(大要)

「片町土地をきれいなものにするために約二、〇〇〇万円近くの費用がかかつたが自己資金であり他から借りていない。福井銀行から受取つた代金の一部からもでている。二度目(注 昭和四一年一〇月二〇日)に国税局の方に述べたのは間違いで一番最初(注 昭和四一年九月九日)にいつたことが正しい。(中略)茨木にビル建設資金(見積り四、〇〇〇万円位)の相談をしたところ、茨木は崔を連れて現地を見にきて、結局茨木を通じて三、〇〇〇万円貸してくれる話になつたが、貸付の条件として、ビルが完成したらビルの二階、三階を朝鮮総連系に譲渡することになり、その旨の契約を書面にまとめ、一通は崔、一通は茨木が持つていたが、茨木分は昭和三四年茨木の工場が全焼した際焼失した。お金は二回にわけて受取り、第一回は昭和三四年八月か九月に松任町の旧宅で二、〇〇〇万円、一月後位に一、〇〇〇万円いずれも茨木から現金で受取つた。同年一一月頃ブルを入れて掘削にかかつたが、地盤が軟弱で工事不能になり、隣地の買収もだめで、結局ビル建設は不可能となつたため、賃借人が契約の履行を求めて私のところへ押しかけてくるような事態となり、このため茨木から借金返済の催促を受けた。私はしばらくの猶予を乞うたが、茨木はなんとかお金が都合できなければ片町の土地を三、〇〇〇万円のかたによこせと請求してきた。私も請求されてやけくそになつているし、ビルは建たんし、横はどいてくれないし、頭から嫌気しましてそんなら三、〇〇〇万円のかたにひきとつて下さいということで、あれは登記されたのは昭和三五年の一月二〇日か二一日頃私の印鑑証明書と判こを持つて登記ができるように牧野代書に茨木と行つて、茨木に所有権移転登記をした。そのとき片町の土地と河原町の土地を一括処分することを合意した。代物弁済の契約書は作つていない。」

第三六回公判調書中の供述部分(大要)

「茨木にビル建設資金融資の相談をした。当時手持資金として五、六〇〇〇万円以上あつたが、自由にできるのは一、〇〇〇万円位だつたので三、〇〇〇万円の借入を頼み、結局三、〇〇〇万円借入れた。私は当時全額崔のものだと思つていた。茨木が出資したことはこの事件になつて初めて知つた。ビルの二階、三階を総連に貸す旨の契約書は茨木に返したが、昭和四八年度の火災で焼失した。」

というように変遷しており、その間の矛盾、混乱は、ことが土地の取得、代物弁済契約という取引上重大な事項に関するものであることを考慮すれば、弁護人が主張するように、単に認識の混同ということで片づけられる問題ではない。またその供述態度は矛盾点をつかれて言い逃れをする傾向が顕著であるうえ、その供述内容も所有権移転登記手続に関する牧野久代の大蔵事務官に対する質問顛末書、崔泰鎮の消息に関する斉藤てるの大蔵事務官に対する質問顛末書などの客観的証拠と明白にそごし、到底信用することはできない。

次に、被告人の弁解に符合する第一四回公判調書中の証人茨木清の供述部分は同人の大蔵事務官に対する昭和四一年三月二五日付及び同年九月九日付各質問顛末書並びに検察官に対する供述調書に照らしてにわかに措信しがたいばかりでなく、検察官が指摘するように被告人の供述の変化と符節を合わせている節が窺われ作為の可能性を否定できない。

さらに同様被告人の弁解に符合する証人西田治の受命裁判官に対する尋問調書中の「昭和四〇年四月被告人に対し金二、四〇〇万円を返済した」旨の供述は同人の大蔵事務官に対する質問顛末書並びに証人坂本仁の受命裁判官に対する尋問調書及び同人の大蔵事務官に対する質問顛末書に照らして軽々に信用しがたく、そうだとするとこれに符合する第一三回公判調書中の証人園山武平の供述部分の信用性もまた揺らいでくる。

このように被告人の弁解に符合する茨木清らの各供述がいずれも信用できないことをも合わせ考えると被告人の弁解は虚構のものであると考えざるを得ないわけであるが、さらに証拠の標目欄判示第一の事実につき、(譲渡収入(1)が被告人に帰属した事実について)の部分に掲記した各証拠によれば、昭和三五年一月二一日の茨木清への所有権移転登記手続は被告人のみの依頼によりなされ、売買契約書の作成も代金の授受もなく、登記費用も被告人において負担したこと、福井銀行との間の売買契約書売主欄及び代金の領収書名義人にはいずれも被告人と茨木清が連名で表示されてはいるが、被告人の署名はもとより茨木清の署名をも被告人において行なつたこと、売買代金中、金七〇〇万円、金五二〇万円、金二二三万八〇〇円が被告人に帰属したことは被告人の自認するところであるが、残金五、七八〇万円も被告人に帰属したものと認められること、すなわち、金五、七八〇万円のうち金三、〇〇〇万円は福井銀行金沢支店に金一、〇〇〇万円三口の無記名定期預金として預け入れられたが、その預け入れ印は被告人の実印と認められるうえ、その後右預金を担保にして被告人宛に貸付がなされていること、金二、七八〇万円は同様福井銀行金沢支店に松尾清雄(被告人経営のパチンコ店の従業員)名義の普通預金として預け入れられたが、その後被告人の依頼により払い戻し手続がとられたうえ、一旦は北国銀行小松支店の通知預金とし、さらに金山太郎名義の普通預金とされたが、右金山太郎名義の普通預金も被告人に帰属していたと認められること、片町土地が茨木清名義に変更された後も片町土地と河原町土地の固定資産税は同じ日に納付されているばかりでなく、被告人の小切手で納付されたことすらあること。

以上のような事実が認められ、これらの事実を総合すれば、片町土地の実質上の所有者は被告人であり、その譲渡所得は被告人に帰属したものと認めるのが相当である。

以上のとおりであるから弁護人の主張は採用できない。

三、河原町土地の取得費について

売買代金三〇一万円及び不動産取得税金八、三二〇円については別表四河原町土地関係記載のとおりである弁護人は、売買代金三五〇万円中金四九万円は裏金であつた旨主張するが、牧野驍の大蔵事務官に対する質問顛末書によれば河原町土地の売買代金は金三〇〇万円位であつたことが認められるので右主張は採用できない。また牧野司法書士に対する仲介手数料金五万円についても、同人の大蔵事務官に対する質問顛末書に照らしこれを採用できない。次に松栄旅館への改築費金一五〇万円及びその取毀し費用金七〇万円についても裏付証拠がないばかりかその性格上も検察官が指摘するように旅館経営のための事業損として計上すべきものであつて、取得費とはいえないから、この点に関する弁護人の主張も採用できない。

四、昭和三九年分売上収入金の中に貸金及び売掛金の回収額が混入しているとの主張について

まずこれらの弁解が公判段階に至つて初めてでてきたものであることは本件審理の経過に鑑み明らかなところであり、被告人の同旨の弁解を録取した質問顛末書が故意に検察官に送付されなかつたとの弁護人の主張は第二六回、第二七回公判調書中の証人山岸幸の各供述部分、第二七回公判調書中の証人古谷直二の供述部分、第二八回公判調書中の証人佐賀田栄二の供述部分及び第二九回公判調書中の証人中村正の供述部分に照らし到底採用しがたいばかりか被告人の大蔵事務官に対する昭和四一年一二月二三日付及び昭和四二年一月二五日付各質問顛末書によれば、昭和三八年から昭和四〇年までの売掛金、貸付金の明細は中村正作成の昭和四一年九月一六日付上申書二通(標目書番号第31番、第32番)に記載のとおりであり、昭和三九年分の売掛金としては右上申書に記載した売掛金以外には小口売掛金(上申書(標目書番号第32番)にはその他として記載されている。)の合計金七〇万円しかないことが認められる。そうだとすると被告人の弁解及びこれに添う関係証人の供述の信用性については十分なテストを必要とするといわなければならない。

まず第一、これら関係証人の供述するところによれば被告人からの借入れはほとんどが借用証もなくまた利息や返済期間の定めもなく、いずれも現金で返済されているのに領収書の授受もないという極めて異例な貸借関係であつて、その内容からして貸借関係の存在について強い疑念を抱かざるをえない。こと検察官が指摘するとおりである。

次に、第一三回公判調書中の証人柴田忠義の供述部分は、被告人の大蔵事務官に対する昭和四二年一月一六日付質問顛末書及びこれを裏付ける柴田忠義作成の上申書の記載に照らしにわかに信用しがたい。また証人荒川光長の当裁判所に対する尋問調書中の貸金返済に関する供述は検察官指摘のとおりそれ自体会計処理の基本原則に背ちする極めて不自然なものである(同人は青色申告の承諾を受けている。)うえ、被告人の大蔵事務官に対する昭和四一年一〇月一八日付及び昭和四二年一月一六日付各質問顛末書並びに第三〇回公判調書中の証人甫亮の供述部分に照らし到底採用しがたい。なお荒川光長に対する貸付金の回収の弁解がでるに至つた経緯には極めて不自然なものがあり、証人荒川龍之介の当裁判所に対する尋問調書及び押収してある封筒一枚(昭和四六年押第四三号の一六)書簡二通(同号の一七)、メモ一枚(同号の一八)の存在に照らすと被告人が偽証工作をしていた節が窺われ、これら関係証人の供述の信用性を大きく滅殺している。

第一四回、第二六回公判調書中の証人平沼清志の各供述部分も松原正作作成の「当署管内の納税者荒川光長、平沼清にかかる課税状況及び納税状況について」と題する書面の記載に照らしたやすく措信しがたいばかりでなく、平沼は前記被告人の偽証工作に加功していた節が窺われる。また第一三回公判調書中の証人安田三郎の供述部分も被告人の大蔵事務官に対する昭和四二年一月一六日付質問顛末書に照らしにわかに信用しがたい。

最後にパチンコ売上収入金との関連においてこれら関係証人の供述の信用性をテストしてみよう。

仮に被告人の弁解が真実であるとすると昭和三九年分のパチンコ売上収入金はその分だけ減少することになるのであるが、そうだとすると、昭和三九年分のパチンコ売上収入金は金七、五二四万六、一一五円となつて、昭和四〇年分のそれの半分以下となり、またパチンコ一台当りの一日売上高は山岸幸作成の昭和四一年五月一八日付及び山沢尚武作成の昭和四一年五月二〇日付各査察事件調査事績報告書によつて認められるパチンコ台の一年間の延稼動台数一八万四八四二台によつて右売上収入金を除した金四〇七円となり、右金額は古谷直二作成の昭和四二年八月二九日付査察事件調査事績報告書及び押収してある手帳一冊(昭和四六年押第四三号の一五)の記載に照らし余りにも低すぎる感を否めない。ちなみに当裁判所認定のパチンコ売上収入金を前提としたパチンコ一台当りの一日売上高は金五三三円となり、右金額は被告人の大蔵事務官に対する昭和四一年九月八日付質問顛末書の金額(昭和三八年ないし昭和四〇年のパチンコ売上収入金は大体各年を通じて一台当り一日平均五〇〇円前後位)ともほぼ一致し、おおむね妥当な金額だと思料される。

以上のとおりであるから、結局この点に関する弁護人の主張も採用できない。

(量刑の事情)

被告人は判示認定のように、パチンコ売上収入金などの収益を記帳整理しない方法によりその所得を秘匿し、昭和三九年分については金二、八二七万一、一五〇円の、昭和四〇年分については金九四五万八〇〇円の所得税をほ脱したものであつて、申告額に比してほ脱額が甚だしく大きいこと、本件審理に当たつても偽証工作をしていた節が窺われることなどを考慮するとその犯情は相当に悪質であるといわなければならないが、犯行後においてほ脱税額、加算税額等をすべて納入していること、同種前科がないことなどの被告人に有利な情状を酌んで懲役刑についてはその執行を猶予することとした。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河合長志 裁判官 出口治男 裁判官 高柳輝雄)

別表一

昭和39年度分損益計算書

別表二

昭和40年度分損益計算書

別表三

別表四

別紙

現金仕入以外の仕入額 合計 24,602,600円 押収してある小切手控20冊(昭和46年押第43号の2)

福村忠雄作成の昭和42年4月13日付上申書(標目書番号第3番)

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