金沢地方裁判所 昭和50年(ワ)189号 1984年2月24日
原告(反訴被告、以下原告と略称する。)
株式会社鳴和タクシー
右代表者代表取締役
塩村勝之
同
塩村哮治
右訴訟代理人弁護士
吉田耕三
被告(反訴原告、以下被告と略称する。)
鳴和タクシー労働組合
右代表者執行委員長
気谷正信
被告
石川県ハイタク共闘連絡会議
右代表者議長
篠塚重男
被告
石川県労働組合評議会
右代表者議長
三宅良一
右被告三名訴訟代理人弁護士
北尾強也
同
菅野昭夫
主文
一 原告の被告らに対する本訴請求をいずれも棄却する。
二 原告は、被告鳴和タクシー労働組合に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和五二年四月二三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告鳴和タクシー労働組合のその余の反訴請求を棄却する。
四 訴訟費用は本訴反訴を通じて、原告と被告鳴和タクシー労働組合との間においては、同被告に生じた費用の二分の一を原告の負担とし、その余は各自の負担とし、原告とその余の被告らとの間においては全部原告の負担とする。
五 この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
(本訴について)
一 請求の趣旨
1 被告らは、原告に対し、各自金一〇二万三七三〇円及びこれに対する昭和五〇年七月九日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 本案前の答弁(被告鳴和タクシー労働組合―以下「被告労組」という。)
(一) 原告の被告労組に対する本件訴を却下する。
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
2 本案の答弁(被告ら)
(一) 主文第一項同旨
(二) 訴訟費用は原告の負担とする。
(反訴について)―本訴についての本案前の主張が認められない場合の予備的請求―
一 請求の趣旨
1 原告は、被告労組に対し、金二〇〇万円及びこれに対する昭和五二年四月二三日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 第1項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 被告労組の請求を棄却する。
2 訴訟費用は被告労組の負担とする。
第二当事者の主張
(本訴について)
一 請求原因
1 当事者
(一) 原告は、タクシー業を営み、営業車二三台、自家用車三台を有する株式会社である。
(二) 被告労組は原告会社従業員で組織された企業内組合である。被告石川県ハイタク共闘連絡会議(以下「被告ハイタク共闘」という。)はタクシー関係労働組合の連合体であり、被告石川県労働組合評議会(以下「被告県評」という。)は総評系労働組合の連合体であり、いずれも合同労組であって、被告労組の上部団体である。
2 被告らの加害行為
(一) 被告らの行なった本件ストライキ
(1) 被告らは、「<1>解雇四名を含む一切の不当処分の撤回<2>昭和四九年五月一二日労使間に成立した賃金協定の細目の具体化<3>昭和四九年度夏期一時金の支払<4>労使協議のルールの確立」という四つの要求事項を掲げて昭和四九年七月二六日午前八時四〇分ころから、金沢市大樋町二番三号所在のその当時の原告会社本社及び金沢市小坂町西一〇四番地一所在の原告会社の東金沢営業所において無期限ストライキ(以下「本件ストライキ」という。)に入り、昭和五〇年三月二二日まで右ストライキを継続した。
(2) 本件ストライキの実施の決定及びその実施状況
(ア) およそ労働組合の上部団体たるものは、当該労働組合に団体交渉権のある事項については、それが右労働組合限りの特殊の問題でない限り、委任の有無を問わず当然に、自ら又は右労働組合と共同して使用者と団体交渉をなす権限を有するものである。
(イ) ところで、前記第1項(二)の事実と以下の諸点を併せ考えれば、被告らが本件ストライキを共同で行なったものであることは明らかである。
(a) 被告労組は、被告県評のオルグである訴外白浜卓也(以下単に「白浜」という。)及び同梅沢彰人(以下単に「梅沢」という。)らの指導のもとに昭和四九年四月四日に結成されたものであり、本件ストライキ当時組合活動面及び資金面において何ら自主性を持っていなかった。
(b) 本件ストライキの目的は、訴外日本労働組合総評議会の運動方針である賃金の平準化を狙ったものである。
(c) 本件ストライキは白浜(当時被告ハイタク共闘事務局長でもあった。)及び梅沢の指導によりなされた。即ち、昭和四九年七月二四日午前九時より開催された被告労組の組合大会で形式的にスト権確立の決議がなされたが、右は全て前記オルグらの指導によるものであり、また被告労組の組合員は右オルグらの指導の下に本件ストライキを行なったものである。
(d) 被告県評及び同ハイタク共闘はそれぞれ本件ストライキについて前記各オルグを派遣して現地の指導にあたらしめたばかりでなく、闘争資金として数百万円を投入した。
(e) 「無期限ストで闘う鳴和タクシー労組の仲間に御支援をお願い致します」と題する文書が被告ら三者連名で配布されている。
(二) 本件ストライキの違法性
被告らは、本件ストライキを実施し、原告会社の代表者が非組合員の就労を妨害しないよう被告らに要求したにも拘らず、これを無視して原告の業務を威力を用いて妨害し、また、争議行為の本質は労務供給義務の不履行であるから、会社側の生産手段に対する支配を実力をもって排除する行為、例えば自動車検査証やエンジンキーを組合側が抑留保管するなどの行為は正当な争議行為ではないにも拘らず、実力をもって原告所有の別紙第一目録記載の自動車(以下「本件自動車」という。)を奪取して占有したうえ、タイヤの空気を抜いて運行不能の状態にし、またこれを損壊したりするとともに、当時の原告会社本社社屋である別紙(略)第二目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を占拠したうえこれを損壊し、さらに本件ストライキの実施に伴い原告会社関係者に対し暴行及び傷害を加え、侮辱、名誉毀損及び脅迫等をなし、その争議行為としての正当性を越えて本件ストライキを行なった。
(三) 本件ストライキ中の具体的な加害行為
(1) 自動車関係
(ア) 被告らの組合員は後記4記載のとおり自動車の車体を損壊し、また部品を損壊あるいは窃取した。
(イ) 被告らの組合員は車庫内でストーブを使用し、後記4記載のとおり自動車の車体にストーブの黒煙を付着させて車体を損傷した。
(ウ) 被告らは原告所有の本件自動車を占有して原告が右自動車を使用するのを妨害した結果、後記4記載のとおり自動車のバッテリーを使用不能にした。
(エ) 被告らの組合員は自動車のタイヤの空気を抜いてそのまま放置した結果、後記4記載のとおりチューブ及びタイヤを破損した。
(2) 建物関係
被告らの組合員は、本件建物に付属したHMD―1型錠前、窓ガラス及びドアサッシロック鍵を損壊し、手洗所の壁に落書をして壁を損傷した。
3 被告らの責任
本件ストライキは、前記のとおり、被告らが指令をし、かつ共同して実施したものであるから、被告らは、労働組合法一二条、民法四四条一項、七〇九条、七一九条により、本件ストライキ(共同不法行為)によって原告が被った損害を賠償すべき責任がある。
4 原告の被った損害
原告は、被告らが本件ストライキ期間中本件自動車及び本件建物を実力をもって占有し、原告の右各物件に対する管理保存行為を不能ならしめて前記3の(三)記載のとおりの加害行為を行なった結果、以下のとおりの損害を被った。
(一) 自動車関係 九五万九七三〇円
(詳細略)
(二) 建物関係 六万四〇〇〇円
(1) 金一万円 被告らの組合員が損壊したHMD―1型錠前の取替費用
(2) 金五〇〇〇円 右同様の理由により要した窓ガラスの取替費用
(3) 金三万一〇〇〇円 右同様の理由により要したドアサッシロック鍵の取替費用
(4) 金一万八〇〇〇円 被告らの組合員が手洗所の壁にした落書を消すための塗装費用
5 結論
よって、原告は、被告ら各自に対し、前記4の合計金一〇二万三七三〇円及びこれに対する本訴状送達完了の日の翌日である昭和五〇年七月九日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。
二 本案前の主張(被告労組)
被告労組は、その構成員が皆無となった結果、現在では消滅しており当事者適格がない。
即ち、被告労組は、原告会社の従業員をもって組織された昭和四九年四月四日結成の労働組合であるところ、本件ストライキ後の原告の組合破壊攻撃により、本件訴訟が提起された時点まで在職していた被告労組代表者執行委員長気谷正信(以下「気谷」という。)、訴外葦名正夫(以下「葦名」という。)及び訴外尻井昌盛(以下「尻井」という。)の三名の組合員も次々と原告会社を退職し(気谷については昭和五〇年一一月、葦名については昭和五一年一〇月、尻井については昭和五〇年一〇月)、その結果、被告労組の組合員は皆無となり、被告労組は本訴提起後消滅し当事者適格を欠くに至った。
よって、原告の被告労組に対する本件訴は却下されるべきである。
三 被告労組の本案前の主張に対する認否及び反論
1 被告労組が昭和四九年四月四日結成の原告会社従業員をもって組織された労働組合であること及び本訴提起時に在職していた被告労組主張の三名の組合員がその主張のとおり原告会社を退職したことは認める。
2 被告労組が本訴提起後消滅し当事者適格がなくなったとの主張は争う。
(一) 社団である労働組合の構成員が欠乏した場合、民法六八条二項二号の規定に鑑み、当該労働組合は解散したものと解されるけれども、直ちに消滅するものではなく清算の範囲内においてはなお存続するものであり、清算手続が結了して始めて消滅するものである。
(二) 被告労組の組合員が欠乏したのは本件訴訟が係属中の昭和五一年一〇月であり、本訴は清算の範囲内に属する損害賠償に関するものであるから、右問題が解決するまでは被告労組は存続するものである。
四 請求原因に対する認否及び主張(被告ら)
1 請求原因第1項について
(一) 同(一)の事実は認める。
(二) 同(二)の事実中、被告労組が原告会社従業員で組織された企業内組合である点は認め、その余の点は否認する。
(1) 被告県評及び被告ハイタク共闘は、いわゆる連絡協議体であり合同労組ではなく、被告労組の上部団体でもない。即ち、
(ア) 被告県評は、石川県内にある労働組合及び協議体で組織され、綱領、規約及び機関などを有するが、加盟組合の自主性を拘束しない、いわゆる連絡協議体に過ぎず、規約上も実際上も加盟労働組合の争議行為に対する指揮・指導権や統制権を有しない。また、規約上、被告県評として争議行為を行なう規定はない。
(イ) 被告ハイタク共闘は、全国自動車交通労働組合石川地方連絡会及びタクシー産業の企業別労働組合などによって組織された連絡協議体であり、タクシー産業の労働組合及びその連合体の情報や経験を連絡し交流しあうゆるやかな組織であり、独自の規約すら有していない。従って、被告ハイタク共闘としては、自ら争議行為を行なう立場にはないのみならず、加盟組合の争議行為についても何らの指揮・指導権及び統制権も有していない。
2 同第2項について
(一) 同(一)について
(1) 同(1)の事実中、被告労組に関する部分は認めるが、その余の被告らに関する部分は否認する。本件ストライキは、被告労組が自主的に行なったものであり、被告県評及び被告ハイタク共闘が行なったものではない。
(2) 同(2)の(ア)の主張は一般論としては認める。同(2)の(イ)の冒頭の主張は争う。同(a)の事実中、被告労組が昭和四九年四月四日に結成されたとの点は認め、その余の点は否認する。同(b)の事実は否認する。同(c)の事実中、被告労組の組合大会でスト権確立決議がなされたことは認め、その余の点は否認する。同(d)の事実中、白浜及び梅沢らが本件ストライキの集会等に参加し、本件ストライキの現場に出入りするなどしたことは認めるが、その余の点は否認する。白浜らの右行為は、被告労組が実施した本件ストライキを同被告の要請で単に支援したに過ぎないものである。同(e)の事実は認める。
(二) 同(二)及び(三)の各事実は全て否認する。
(1) 本件ストライキは、憲法二八条の保障する争議権の行使であって、その態様においても原告が主張するような行為は全く存在しない。即ち、
(ア) 自動車は勤務を終了した各運転手が帰社して原告方車庫に駐車していた状態で本件ストライキが開始されたものである。
(イ) 被告労組は本件ストライキを開始するにあたり、昭和四九年七月二六日の朝、支援者の参加を得て原告会社本社前で集会を行ない、以後同被告らの組合員が毎日原告本社に待機していたことはあるが、本件ストライキ中原告の役員及び非組合員が原告本社へ出入りするのを妨げたことは一度もない。
(ウ) さらに、本件ストライキ期間中、被告労組が自動車を損壊したり、そのタイヤの空気を抜いたりすることを行なう方針を決定したり、組合員にそのような行為をするよう指示及び指導したことは全くない。
(エ) 本件ストライキ終了後に発見された自動車の損傷は、昭和四九年九月二日未明になされた原告による後記5、(三)、(2)、(ウ)の暴力的襲撃行為に起因する可能性の方がはるかに大きい。後記襲撃行為は、真暗な中で短時間内に、原告会社本社車庫内にあった全車両を実力で運び出そうとしたものであり、それらが被告労組の組合員に傷害を負わせた(被告労組の訴外斎藤威―以下「斎藤」という。―委員長が肋骨骨折の重傷を負ったほか同夜同所にいた全ての組合員らが負傷した。)と同様、自動車に対しても多数の損傷を与えたであろうことは容易に推認できる。
3 同第3項の主張は争う。
4 同第4項冒頭の主張は争い、損害を被ったとの各事実は全て否認する。
5 本件ストライキが争議行為としての正当性を越えているとの原告の主張(前記請求原因2項の(二))について、被告らは次のとおり反論する(以下この項で述べる被告らの主張を「被告らの積極的主張」という。)。
(一) はじめに
仮に、外形的には被告労組の不法行為と目される行為が存在したとしても後記(三)で述べる諸般の事情に鑑みれば、本件ストライキ及びそれに随伴する行為は、争議行為としての正当性を越えるものではないので、右による損害については、労働組合法八条により、原告は被告らに対しその損害の賠償を請求できないものである。
(二) タクシー事業における争議行為の特殊性
(1) 労働者の争議権とは、労使の対等を確保するために憲法二八条によって付与された権利であるから、いかなる態様の争議行為が正当であるかは、その具体的な労使関係、当該争議行為が行なわれるに至った全経過及び使用者の事業の態様や特殊性をも考慮して決すべきものである。
(2) ところで、タクシー業などの運送業の場合には、その生産手段は自動車というそれ自体機動力をもった動く物体であり、会社側の車両の搬出確保は容易であり、労働組合がいかに単純な労務不提供を行なっても会社側はたやすく事業を継続することができるのであるから、労働組合として争議の実効性を期するには、車両の占有確保が不可欠である。
(3) 従って、暴力を伴うなどの、特に違法としなければならない事情があるときを除いて、タクシー会社の争議行為においては、車両確保行為はこれを正当としなければ憲法二八条の要請は満たされないことになる。
(三) 本件ストライキをめぐる諸般の事情
争議行為及びその手段の正当性の評価は、その争議行為をめぐる諸般の事情を考慮したうえでの総合的なものであって、当該事件ごとの具体的相対的評価であるから、本件ストライキが争議行為としての正当性を越えているか否かを判断するにあたっては、本件ストライキをめぐる諸般の事情、とりわけ本件ストライキ発生の原因と経過及び本件ストライキ中の労使の対応などの具体的事情を考慮すべきである。
そして、本件の場合、以下に述べる諸般の事情を考慮すれば、本件ストライキ及びそれに随伴する行為は争議行為としての正当性を越えていないというべきである。
(1) まず第一に本件ストライキに至る経過及びその原因において、原告側の非は著しいものがあり、原告に約束を履行させ、被告労組の団結権を回復するためには、被告労組において強力な争議行為をせざるを得ない事情、逆に原告側からみれば強力な争議行為を受忍すべき事情が存在していた。
(ア) 被告労組の結成に至る事情
(a) 原告会社の労働条件は、設立以来劣悪であり、特に賃金についてはいわゆる歩合制とリース制を従業員の希望で選択する賃金体系となっていたが、その水準は他のタクシー会社に比して低額であった。
(b) 原告会社には労働組合は結成されておらず代表取締役塩村勝之(以下「勝之」という。)らにより、前近代的労務管理がなされ、原告会社従業員は次のような劣悪な労働条件下にあった。
(c) 当時、運転手の約三分の二がリース制賃金を選んでいたが、燃料費、修理代等従業員の負担すべき諸経費の増大に対して会社は補助をせず、残業手当や深夜業手当などはリース制の場合は皆無で、歩合制については部分的に支払われるだけであり、その他有給休暇もなく、退職金も明確ではない状態におかれていた。
(d) このため、勢い長時間就労し運収を上げなければ生活に必要な賃金を得られない状況であった。
(e) また、歩合制の賃金については二年間も改正されていなかった。
(f) 右のような事情であったため、従業員の中から、次第にこうした劣悪な労働条件に対する不満の声が高まり、昭和四九年二月に至り、従業員の中から代表者を選んで経営者側と賃金体系の改善について交渉することになった。
(g) 同月中旬頃、従業員全員によって選出された八名の代表者が会社側と団体交渉を行なった。
(h) 会社側は従業員の要求に対して、「賃金体系について検討してみる。」と回答したのみで、その後、運賃の値上りがあり、かつ数回の団体交渉を持ったにも拘らず何ら具体的な案を示さなかった。
(i) そればかりか、会社側は右従業員により選出された代表者を無視して他の従業員に直接働きかけ、リース制賃金を提示しようとした。
(j) そのため、従業員の中に、自己の労働条件を改善するには、労働組合を結成することが必要であるとの気運が高まった。
(k) こうして、昭和四九年四月三日の夜から翌四日にかけて、運転手全員の集会が開かれ、全員一致で被告労組の結成を決議した。
(l) 右結成大会において、規約が採択され、組合結成の中心となった斎藤が委員長に、訴外北村正男(以下「北村」という。)が書記長にそれぞれ選任され、同時に被告県評に加盟することも決定された。
(m) しかし原告は、右組合結成の動きを事前に察知し、昭和四九年四月三日の朝、従業員の一人である訴外油野雅美に対し勝之が電話で「組合を作るという話を聞いたが、何とか組合を作らせないようにしてくれ。」と依頼するなど、早くも被告労組を嫌悪し、その結果を未然に防ごうとする動きを見せた。
(イ) 本件ストライキに至る経過及びその原因
(a) 被告労組は、昭和四九年四月五日、結成文書を原告に渡し、同月九日、「賃金改定についての要求書」に基づいて団体交渉の申入れをし、賃金改定について同月一五日、二一日、二五日及び三〇日の四回にわたって原告と団体交渉をもった。
(b) 原告は、当初、賃金について歩合制とリース制の二本立を主張したが、被告労組の説得によりリース制案を棚上げすることを明言し、右二五日には原告側の歩合制案を示した。
(c) しかるに原告は、右三〇日には再びリース制案を実施する旨の主張を固執し、被告労組に対し右以外の賃金案では団体交渉に応じることが出来ないとの通告をした。
(d) このように、原告は、被告労組の結成当初から、交渉の経緯を無視し信義を破り、争いを好む態度を示した。
(e) このため、被告労組は、昭和四九年五月一日、組合大会を開き、満票でスト権を確立して同日よりストライキ(以下このストライキを「第一次ストライキ」という。)に入った。
(f) 右ストライキは同月一二日まで続けられた。
(g) ところが、原告は、同月一日のストライキ突入直前に、直接個々の従業員に対し「新しい賃金制度について」と題する文書を手渡し、本来団体交渉の場で説明提案すべき事項を、労働組合を無視し、被告労組の頭越しに個々の従業員に対し直接伝える手段に訴えた。
(h) また、原告は、団体交渉に際し、被告労組側の出席者を指定するなどした。
(i) さらに原告は、第一次ストライキの期間中、訴外加藤信次(以下「加藤」という。)を被告労組から脱退させ、原告の会社役員や管理職らが右加藤とともに被告労組の組合員と面談したり、また、その自宅を訪問したりなどして、被告労組からの脱退やストライキをやめることなどを勧め、いわゆる切りくずし脱退工作を行ない、その結果、右加藤の他に六名の組合員が被告労組を脱退した。
(j) しかし、結局、昭和四九年五月一二日、労使間に前記同年四月二五日の団体交渉における会社案を基調とした歩合制賃金についての協定書及び右脱退組合員の処遇についての覚書が交された。
(k) その際、原告と被告労組との間で、「<1>新賃金は昭和四九年四月二五日の団体交渉で原告より回答のあった歩合制賃金とする。<2>右の具体的運用細目については、後日労使で協議する。<3>右の実施時期は同年四月分賃金から行なう。<4>原告より提案のあった新賃金制(リース制賃金)については、棚上げとする。但し、今後は労使間で新賃金制について協議する。<5>双方は、今次紛争解決にあたり、過去の感情を一切捨て、労使があらゆる問題について平和的に解決することを相互に確認するとともに、労使の正常化のため努力する。<6>第一次ストライキ前に被告労組より脱退した組合員については、脱退の中心人物であった加藤を除く他の者は原告会社へ復帰させるが、右加藤については原告会社には就労させない。」との合意が成立し、争議は一応収拾された。
(l) その後、以下のとおり、原告は右合意を無視する態度をとり続け、これが本件ストライキの重要な原因となった。
(Ⅰ) 被告労組は、前記<2>の合意に基づき、歩合制賃金の具体的運用細目についての協議を公式、非公式に何度も申し入れたが、原告は悉く拒否し、一度も協議をもつことができなかった。
(Ⅱ) 原告は、被告労組の組合員と非組合員とを差別し、組合員には従前の慣行を無視して、労使で協議確認されていない運収を義務づけたり、罰則を一方的に社内掲示して強行しようとしたり、また、非組合員には勤務時間の始業及び終業を自由にさせながら、組合員に対しては労働時間を一方的に変更して深夜残業時間を一時間カットしたり、さらに休日労働を禁止したりして運収の増加を妨害し、そのうえ従来は自由に出入りし、食事や休憩あるいは客待ちの待機の場としていた無線室への出入りを、組合員には禁止したりして、前記<5>の合意に反する態度をとり続けた。
(Ⅲ) さらに、原告は、前記<6>の合意にも反して、加藤を除く他の脱退組合員を原告会社に復帰させず、関連会社である菊水タクシーに就労させ、逆に加藤を昭和四九年七月二〇日ころより原告会社に復帰させた。
(Ⅳ) 右のような態度をとる原告に対し、前記合意を履行させるため、被告労組はさらにより強い争議行為に向かわざるを得なかった。
(m) さらに第一次ストライキ終了後、原告は、以下のとおり、被告労組の団結権それ自体を否認し、労働組合を敵視し、これを破壊する攻撃を強めていった。
(Ⅰ) 第一次ストライキ終了後も、原告は、依然として被告労組を敵視し、団体交渉には全く応じないばかりか、原告代表者の勝之は、「自分の所有する宅地を売却し、その代金五〇〇〇万円をかけてでも県評と対決する。組合は潰してみせる。」とまで豪語し、脱退組合員を使って組合員宅を戸別訪問させて組合脱退をそそのかし、勤務規律や労働条件についても組合員と非組合員とを差別するなど日常的な組合破壊攻撃を行なうに至った。
(Ⅱ) そして、さらに、昭和四九年七月四日には被告労組の北村書記長を解雇し、同月二〇日には被告労組の斎藤委員長を石川県地方労働委員会(以下「地労委」という。)における公益委員立会のうえでの団体交渉の席上において解雇するに至った。
(Ⅲ) かように被告労組の存在そのものを否定し、その破壊を企図する原告に対して、被告労組は自らの団結権を維持し、回復するため、とりわけ委員長及び書記長の解雇を撤回させるために、強力な争議行為に立ち上がらざるを得なかった。
(n) しかし、被告労組は、いきなり争議行為に入るのではなく、第一次ストライキ解決の際の協定の精神により、できるだけ平和的解決を図るべく最大の努力を払った。
(o) 特に原告が、被告労組の度重なる団体交渉の申入れを拒否し、労使の自主的交渉ができなくなっても、被告労組は、原告との話合によって紛争を解決することをあきらめず、昭和四九年六月一一日、地労委への斡旋申請を行なった。
(p) しかし、右の斡旋期日においても原告代表者の勝之らは、実質的な話合を全くしようとせず、逆にその席上で、前記のとおり、斎藤委員長に対し、「お前はくびだ。」と解雇を通告し、冷静に話し合う態度は全くとらなかった。
(q) かようにして平和的解決のための万策尽きて、やむなく被告労組は本件ストライキに突入したものである。
(2) 第二に、本件ストライキ開始後も、原告は話合による平和的解決を自ら拒んだばかりか、むしろ暴力さえ行使して、争議を意図的積極的に長期化させ、このため被告労組において強力な争議行為に向かわざるを得ない状況、逆に原告側からみれば右争議行為による損害は、自ら招いた損害として受忍すべきである状況を原告において作り出したという事情が存在していた。
(ア) 原告は本件ストライキが開始されても、紛争を話合によって平和的に解決しようという態度を全く見せなかった。
(イ) 地労委に係属していた斡旋も、被告労組や地労委委員の努力にも拘らず原告の話合を拒否する態度に妨げられ、結局、昭和四九年九月二四日、不調となった。
(ウ) 原告は、右のように一切の話合に真摯に答えなかったばかりか、暴力的な行動をとるに至った。
即ち、昭和四九年九月一日夜、予め金沢市のムサシホテルに原告代表者の勝之らが、脱退組合員らを集めて謀議したうえ、同月二日未明、トラック数台を含む何台かの車両に分乗して、原告会社役員の塩村哮治(以下「哮治」という。)を始め脱退組合員一三名、訴外泉製材所の労務者四ないし八名の者が原告会社本社へ赴き、まず右哮治が本社内に入り、電話線を切断して外部に連絡できないようにするとともに、電源を切って事務室及び駐車場を真暗闇にした後、右二〇人内外の男が所携の角材、とび口、竹ざおなどを振り回し、コーラのビンを投げつけたりしながら乱入し、同夜同所で寝泊りしていた被告労組の組合員らを、暴力を用いて休憩室に押し込めて監禁するなどし、駐車場にあった営業車一二台をロープで牽引したりして実力で運び去った。
(エ) 右暴力的襲撃によって、被告労組の斎藤委員長が肋骨骨折の重傷を負うなど、現場にいた被告労組側の者全員が負傷した。
(オ) 右襲撃行為は、ストライキに対する暴力的支配介入であり、紛争の平和的解決を願っていた被告労組に対し、原告の暴力的意図を知らしめ、強力な争議行為を継続する必要を痛感させた。
(カ) また、前記のとおり解雇された斎藤委員長及び北村書記長は、金沢地方裁判所に対し地位保全の仮処分申請を行ない、昭和四九年一〇月二八日、同裁判所は右解雇は無効であるとして申請を認容する決定をした。
(キ) そこで、右決定を契機に、紛争を平和的に解決するため、労使双方から、再度、地労委に対し紛争解決の斡旋を申請した。
(ク) 右斡旋申請は、労使双方とも本件ストライキでの被告労組の要求事項など争議解決に必要な一切の事項について斡旋を求めたものであった。
(ケ) 本件ストライキにおける重要な争点であった被告労組の委員長及び書記長の解雇について、裁判所の判断が示されたのであるから、原告に平和的解決をなす意思があるなら、原告はこれを契機に地労委で一切の争点について真摯に話合を行なっていくべきであった。
(コ) ところが、右斡旋が昭和四九年一〇月三一日を第一回として始まるや間もなく、原告は、第一次ストライキの解決の際の協定に基づく賃金の具体的運用細目は斡旋になじむが、その他の解雇問題等は斡旋になじまないと主張して、右運用細目以外の話合は一切拒否するという斡旋申請当初の態度に反する態度に出た。
(サ) 地労委は、この事件について六名の労働委員をあてる異例の体制で、原告に対し全ての争点について斡旋に応じるよう説得を重ねたが、原告はこれに全く応じなかった。
(シ) そこでやむなく、被告労組は、原告と、右具体的運用細目についての協議を昭和四九年一二月より開始した。
(ス) すると原告は、賃金についての基本は前記(1)、(イ)の(k)のとおり、既に第一次ストライキ終了時の際に合意されていたにも拘らず、その具体的理由細目ばかりか基本的事項までも見直すことを主張し、その改定案に固執したため、右具体的運用細目自体の協議も長引き、昭和五〇年二月九日に至りやっと右細目協定が成立した。
(セ) そして、原告は、右協定が成立するや、地労委がその他の争点について話し合うことを再び強く勧告したのに、これに応ぜず、昭和五〇年三月一二日、第一五回めの斡旋の席上、一方的に斡旋申請の取下を宣言して退席し、斡旋自体を拒否するに至った。
(ソ) 原告の右のような無謀な態度に鑑み、もはや紛争の平和的解決は望めず、労使運営の常識に欠ける原告とこれ以上の話合は無意味であるとの判断から、昭和五〇年三月二二日、被告労組はストライキを解除して就労することを決定し、二三九日間に及ぶ本件ストライキを解除した。
(タ) 右の経過によれば、原告には本件ストライキを短期に平和的に解決する意思がなかったというべきである。
(チ) それどころか、ことさらに暴力的行為に出て被告労組を挑発するとともに、争議を意図的に長期化させ、被告労組及びその組合員を疲弊させ、被告労組が自壊するのを待つという態度であったことは明らかである。
(3) 第三に、本件ストライキ開始後、原告は、営業を再開するための営業車の真摯な返還要求や法に基づく正当な権利の行使あるいは被害を回避するための努力を全くせず、争議の長期化、営業の休止を認容していたというべき事情が存在していた。
(ア) 本件ストライキ開始当日の朝、原告代表者勝之は原告会社の役員などを伴って、ストライキの現場へ来たが、その際の言動はいたずらに興奮してストライキの参加者をののしったり、貼ってあるビラを破ったりするだけであり、営業車の返還要求を真摯に行なうことはしなかった。
(イ) また原告は、その際、勝之が非組合員の就労を妨害しないよう被告労組に通告したと主張しているが、当時、勝之は非組合員全員を現場へ連れてきたわけではなく、また、そのように通告したとしても短時間で現場から立ち去っているうえ、勝之の言動は前記のとおりであるから、右当時、非組合員の就労を真剣に考えていたかは甚だ疑わしい。
(ウ) また仮に就労要求があったとしても、これに対しピケッティングを行ない平和的説得(言論及び団結の示威)を試みることは被告労組の正当な争議行為であるから、右就労通告後、原告側の者たちが短時間でその場を立ち去った以上、被告労組の平和的説得の前に就労を断念して立ち去ったものというべきである。
(エ) また原告は、本件ストライキ開始後、被告労組に対して、昭和四九年一二月一二日付の内容証明郵便を発するまで車両の返還要求なり非組合員の就労要求なりをしたり、仮処分申請等の権利行使をしたりなどは全くしなかった。
(オ) のみならず、原告は、前記(2)、(ウ)記載の襲撃行為によって実力で運び出した車両一二台も山間に放置し、右車両を使用して営業を再開することもしなかった。
(4) 第四に、本件ストライキの態様をみても、過激な行為は全くなかったし、仮にあったとしても、それは被告労組による組織的なものではなく、原告の前記(2)の(ウ)記載の襲撃行為を契機とした組合員個々人による独自の行為にとどまっており、また、これによる損害は原告において受忍すべき性質のものであったなどの事情が存在する。即ち、
(ア) 原告は、第一次ストライキについては、被告労組に対し本件の如き損害賠償請求をせず、右ストライキによる損害を受忍しているが、本件ストライキの態様は第一次ストライキのそれと同一であった。
(イ) 本件ストライキの手段について、被告労組は営業車を損壊したり、タイヤの空気を抜いたりなどすることを組織的方針として機関で決定したり、被告労組の役員において、組合員をそのように指導したりしたことは全くない。
(ウ) 本件自動車の損傷は、前記四、2、(二)、(1)の(エ)のとおり原告による前記(2)の(ウ)記載の襲撃行為による可能性が大きい。
(エ) 仮に組合員がタイヤの空気を抜いたとしても、それは、被告労組による組織的なものではなく原告による右襲撃行為を契機とした組合員個々人の独自の行為であり、しかも原告の違法な暴力の行使や争議解決の意図的な引きのばしが個々の組合員の感情を刺激した結果誘発されたものであるから、原告は、これによる損害を受忍すべきである。
五 抗弁(被告ら)
1 権利濫用
仮に、本件ストライキ及びそれに随伴する諸行為が争議行為としての正当性の範囲を越えているとしても、原告の本訴請求は権利の濫用であるから許されない。
(一) 一般に、違法な争議行為により使用者に損害を生じさせた場合であっても、使用者がもっぱら組合を弱体化させ、破壊する手段として利用する意図のもとに右損害の賠償請求をなしていることが明らかな場合には、その請求は、損害の填補という不法行為制度の本来の目的からはずれ、他方労働者の生活を脅かし、ひいては正当な組合活動をも阻害する危険を招来するものであるから、権利濫用として許されないものというべきである。
(二) 本訴請求は、以下のとおり、原告が、もっぱら被告労組を弱体化し、破壊する手段として利用する意図のもとに損害賠償請求をなしていることが明らかである。
(1) 原告は、前記のとおり、被告労組結成時から一貫してこれを嫌悪し、第一次ストライキ当時から脱退組合員の中心である加藤を使って組合脱退工作を行なってきた。また、第一次ストライキ終了後においても、前記のとおり、勝之は、「自分の所有する宅地を売却し、その代金五〇〇〇万円をかけてでも県評と対決する。組合は潰してみせる。」と豪語し、さらに哮治も、非組合員の退職者に対し、「現在の労働組合が潰れた後もう一度就職するのなら退職金やボーナスを継続して支払ってやる。」、「組合はそう長くはないから組合がなくなったら、また会社へ復帰してほしい。」と申し向けるなどしており、原告役員の組合破壊の意図は顕著であった。
(2) 本件ストライキは、被告労組の委員長及び書記長の解雇という組合破壊工作によって開始されたのであるが、前記のとおり、原告は、被告労組の争議の平和的解決のための努力に対し真摯に答えず、さらには話合を拒否するなどして争議を意図的に長期化し、被告労組及び組合員が疲弊するのを待つという態度をとり、損害回避や営業再開のための努力を何らなさなかった。
(3) 本件ストライキ終了後も原告の被告労組に対するいやがらせ、不当労働行為、約束の無視は後を絶たなかった。また、原告の組合破壊工作によって、昭和五〇年六月の本訴提起時までに、被告労組の組合員は気谷、葦名及び尻井のわずか三名に激減した。
(4) 原告は第一次ストライキについてはその損害賠償責任を追及していないのに、第一次ストライキの態様と同一である本件ストライキについて本訴を提起するに至ったのは、右にみた一連の事情及び被告労組は無資力であり支払能力もないことからすれば、真にその損害の填補を求める目的ではなく、三人にまで激減し満身創痍の被告労組に止めを刺すことが狙いであることは明らかである。
(5) 現に本訴提起後、前記二項のとおり、右の三名もいたたまれずに退職してしまい、被告労組は文字どおり破壊され消滅してしまった。
2 過失相殺
仮に右が認められないとしても、これまで述べた各事情とくに以下の諸点に鑑みれば、原告の被った損害は、衡平の理念からみてその殆んどが原告の負担に帰せられるべきである。
(一) 本件ストライキは、原告の約束違反(賃金の具体的運用細目の協議の拒否等)や不当労働行為(斎藤委員長及び北村書記長の解雇等)という原告の非に起因して開始された。
(二) 被告労組は、本件ストライキ前に平和的解決のための努力を尽しているのに、原告は話合を拒否した。
(三) 本件ストライキ開始後も、原告は話合による平和的解決を自ら拒んだばかりか、むしろ暴力さえ行使して争議を意図的に長期化させ、被害回避のための努力をせず、逆に自ら被害を拡大している。
六 抗弁に対する認否
抗弁1、2項の主張はいずれも争う。
(反訴について)
一 請求原因
1 被告労組の結成から潰滅に至るまでの、以下に述べる一連の経過をみれば、原告は一貫して被告労組を嫌悪し、これを弱体化し破壊せんと意図してきたものであることは明らかである。
(一) 被告労組結成から本件ストライキの終了に至るまでの経緯は、本訴についての被告らの積極的主張(三)の(1)ないし(3)記載のとおりである。
(二) 本件ストライキ終了後から被告労組が潰滅するに至るまでの経緯は以下のとおりである。
(1) 原告は従業員に対し、昭和五〇年三月二八日、臨時乗務員取扱規則を示してその実施を図った。
(ア) 地労委の斡旋によって昭和五〇年二月九日に労使の合意をみた前記細目協定について、原告代表者勝之は、地労委の公開の席上において、一企業一賃金の原則から全従業員に適用されるものであることを肯定していたにも拘らず、地労委の斡旋を前記(本訴についての被告らの積極的主張(三)、(2)の(セ))のとおり拒否した直後に、右細目協定によるものとは別個の賃金体系であるリース制賃金を定めた前記臨時乗務員取扱規則を被告労組の反対を無視して強行実施した。
(イ) 本件ストライキの唯一の成果であり、地労委で長期間かけてようやく成立した前記細目協定をわずか二か月も経たないで反故にされ、リース制賃金を導入されたことから組合員の無力感が強まり、昭和五〇年三月下旬、約一〇人の組合員が原告会社を退職して組合を去った。
(2)(ア) 次に、原告は従業員に、昭和五〇年六月一八日、乗務員賃金規定なる新たな賃金案を提示し、これを三日後の六月二一日から実施する旨通告し、前記細目協定を完全に無視し、右と同時に運賃改訂に伴う歩合制賃金の歩合率を従業員に不利益に一方的に読替える旨通告した。
(イ) 右のとおり、原告は、賃金という労働契約の基本条件を労働組合との合意なしに一方的に決めてその実施を強行し、労使間の初歩的ルールさえ守らなかった。
(3)(ア) 続いて、原告は、被告労組に対し、昭和五〇年六月二二日、前記細目協定を破棄する旨通告した。
(イ) 右細目協定の成立後わずか四か月余で、原告は、本件ストライキの唯一の貴重な成果であった労使の合意を御破算にしたものであり、原告には労使の平和的関係を希求する意思は微塵もなかったというべきである。
(4) こうした中で、原告は本件ストライキ終了後に会社に留まった組合員に対し、前記臨時乗務員取扱規則を利用して賃金を差別したり、組合員には古い営業車をあてがうなどして非組合員と組合員とを差別した。
(5) 右のような原告の攻撃により、被告労組の組合員の中から原告会社を退職していく者が増えていった。
(6) しかし、右の当時委員長であった気谷及び書記長であった葦名は少数になった被告労組の中心となって活動を行なっていた。
(7) しかるところ、原告は右葦名書記長を昭和五〇年九月一〇日に解雇した。
(8) 右解雇後、昭和五〇年一〇月から一一月にかけて最後まで組合に残っていた気谷委員長及び尻井組合員が原告会社を退職した。
(9) 葦名は昭和五一年六月二四日、地位保全仮処分の認容決定を得たが、結局、被告労組は原告の右のとおりの不当労働行為の数々によって潰滅してしまった。
2 具体的請求原因事実
以下に述べる各行為(労働組合法七条一号に違反する不利益取扱、同二号に違反する団体交渉の拒否、同三号に違反する支配介入)は、全て原告の前記組合破壊の意図の下になされたものであるから、被告労組に対する不法行為となるものである。
(一) 団体交渉の拒否
(1) 原告は、被告労組の昭和四九年六月七日付文書による団体交渉の申入れ(日時 昭和四九年六月九日午後一時より、議題 労使正常化のための諸問題解決のため<1>勤務時間と時間外手当の支給について <2>賃金規定の細目について <3>就業規則制定と労働協約締結の件 <4>労使運営の正常化について)を拒否した。
(2) また、原告は被告労組の昭和四九年六月九日付文書による団体交渉の申入れ(日時 同月一〇日午後三時より 議題 右(1)に同じ)をも拒否した。
(3) 原告による右団体交渉の拒否は、被告労組との協議に応じなければいつまでも歩合制の具体的運用細目が決まらず、従ってその実施もできず、被告労組にとって第一次ストライキの成果が失われ、組合員の団結にかげりがさすことを狙ったものである。
(二) 斎藤委員長及び北村書記長の解雇
(1) 原告は、被告労組の組合活動の弱体化、組合の破壊を意図して、昭和四九年七月四日、被告労組の中心的活動家で書記長の要職にあった北村に対し口頭で解雇する旨通告し、同月一一日付文書をもって右解雇を明確にし、同じく被告労組の中心的存在であり、委員長の地位にあった斎藤を同月二〇日解雇した。
(2) 右北村の解雇理由は、要するに、「<1>昭和四八年一〇月から同四九年六月までの運転成績が、タクシー運転者としての資格を持つ者の成績とは考えられない程不良である。<2>右についての再三の注意にも反省の色がない。<3>昭和四九年五月二八日午後九時ころより無断で職場を放棄して勤務中の同僚外三名と翌朝午前六時ころまで麻雀をしていた。<4>右について事情聴取に当った勝之に対し反抗的態度をとり始末書の提出を拒否した。」というものであり、右斎藤の解雇理由は、「昭和四九年五月一八日、勤務中に職務を放棄して麻雀荘において麻雀賭博を行ない、出勤停止二一日の処分を受けていたのに、再度北村と共に同人の解雇理由<3>のとおりの無断職場放棄をした。」というものである。
(3) しかし、右両名の解雇は明らかに不当であった。
(ア) 北村の解雇理由の<1>について
(a) 北村の成績は原告会社従業員中最低ではなく、さらに成績の悪い者(例えば非組合員の訴外吉田孝雄―以下「吉田」という。)がいる。
(b) また、北村の成績が一般平均より極端に低いということもない。
(c) 従って、北村が就業規則一七条二項にいう、「業務能率が著しく不良であって、上達の見込みがない」者とはいえない。
(d) もし北村を、その成績を理由として解雇するのであれば、同じく吉田も解雇されるべきであるのに吉田に対しては原告は何らの処分もしていないのであるから、北村の成績が解雇事由たりえないことは明らかである。
(イ) 同解雇理由の<3>について
(a) 北村は、昭和四九年五月二八日午後九時ころ、斎藤外二名と原告の無線係の訴外表進(以下「表」という。)に早退することを断わり、タイムカードを打刻して早退したものであり、麻雀は勤務時間外の私事にわたる事柄である。
(b) なお、原告会社の早退の手続は、タイムカードを打刻し、原告会社の無線係等連絡できる者に断わって帰るのが慣行となっていた。
(c) 従って、右の点も何ら解雇事由たりえないものである。
(ウ) 斎藤に対する解雇理由については右(イ)と同様である。
(4) 右のように北村と斎藤の解雇は、被告労組を嫌悪し、その弱体化を意図していた原告が、根拠なくして強行したものであり、右解雇は労働組合法七条一号の不利益取扱及び同三号の支配介入に該当する不当労働行為であると同時に被告労組に対する不法行為にも該当するものである。
(三) 原告による暴力的襲撃行為
(1) 原告は被告労組に対し、本訴についての被告らの積極的主張(三)、(2)の(ウ)記載のとおり、暴力的襲撃行為を行なった。
(2) 右はストライキに対し、暴行及び威嚇の手段でスト破りを行なうものであり、労働組合の運営に対する暴力的支配介入であり、被告労組に対する不法行為であることは疑う余地がない。
(四) 葦名書記長の解雇
(1) 当時、被告労組の書記長であり組合の中心的存在であった葦名に対し、原告は昭和五〇年九月一〇日、口頭で解雇を予告し、同月二六日付文書で同年一〇月一〇日限り解雇するとの意思表示をした。
(2) 右の解雇理由は、「葦名が昭和五〇年七月二一日、原告会社従業員伊達昭雄(以下「伊達」という。)を競馬場まで営業車にて案内した際、その料金は待料金を含めて約二〇七〇円であったのに一〇〇〇円しか領収せず、その差額一〇七〇円の損害を原告に与えた。なお、伊達は往復一〇〇〇円の約束であったと自認しているのに、葦名の運転日報には九一〇円と記入され、原告会社社長の質問に対しても九〇円はチップであった如く申し立て一向に反省の色がない。」というものである。
(3) しかし、右は事実を歪曲したものであり、事実は次のとおりである。
(ア) 当日午後二時から三時ころ、葦名は本社で客待ち待機中であったところ、原告の従業員で運転手の伊達が、馬券を買うのに競馬場まで行ってほしい旨頼んだ。
(イ) 葦名は、後記原告会社における慣行などから、伊達を営業車に乗せて競馬場に行った。
(ウ) 葦名はタクシー乗降場に約一〇分程待っていたが、タクシーのメーターは到着して待つ際に料金九一〇円のまま支払いに回した。
(エ) 伊達が戻ってきて発車した際メーターを上げ回送にスイッチを入れた。
(オ) その際、伊達は一〇〇〇円札を一枚葦名に渡したが、運転中であったため葦名はつり銭を渡すことができなかった。
(カ) 本社前に着くと伊達は黙って下車し、つり銭は要求しなかったので葦名はつり銭の九〇円はチップと考えて受領しておいた。
(4) ところで、当時まで原告会社では(タクシー会社一般においても)、同僚や家族等を営業車に乗せて回送ランプをつけて走ることは黙認されており、また、運転手の自宅で交替し、非番(いわゆるあがり)の運転手を自宅まで送る場合なども同様であった。さらに、同僚や家族の場合でなくとも、遠距離客の場合、運転手の判断により正規のメーター料金より安い料金で走行することも慣行的に行なわれていた。
(5) 右の慣行からすれば、葦名の前記行為は当然に許されるべき行為であって、何ら懲戒ないし解雇を問題にされるような場合ではない。原告は事実を歪曲していると同時に全く解雇の正当事由とならない事実を殊更問題にしているにすぎない。
(6) 葦名は右解雇に対し、地位保全の仮処分申請を行なったところ、原告は就業規則一七条二号による解雇(業務能率が著しく不良であって上達の見込みがないと認めた時)をもその解雇理由として追加した。
(7) しかし、労働契約関係における使用者の優越的地位に鑑みれば、使用者が解雇当時に理由として表示した事実以外の事実については、これを不問に付したものとして後にこれを解雇理由として主張することは許されないとしなければ、労働者が使用者から不当に解雇されるのを救済することが著しく困難になる。従って、解雇の意思表示後に、その表示した理由以外の解雇理由を後に追加して当該解雇の正当性を主張することは信義則上許されないものである。
(8) のみならず右追加された解雇理由は全く事実に反する。即ち、
葦名は原告が解雇理由として追加した、「能率が非常に悪く全従業員中最低で、金沢の運転手の中で最低」な運転手ではない。
(ア) まず、昭和四九年三月から六月までの原告会社の全従業員の成績中、葦名は平均的な成績を上げており、同人より成績の悪い運転手は多数いる。
(イ) また、葦名の昭和五〇年度の成績は、他の企業の運転手に比しても決して不良でなく、平均に位置するものである。
(9) 右によれば、原告が解雇理由として追加した理由は就業規則一七条二号に該当しないことは明らかである。それにも拘らず、かように根拠薄弱な理由を追加してまで葦名を解雇せんとしているところに原告の被告労組に対する嫌悪の念が露呈されている。
(10) 以上によれば、原告は、被告労組に潰滅的打撃を与え、これを破壊するために、本件ストライキ終了後疲弊している被告労組の中心として活動していた葦名を何らの根拠もないのに不当解雇したものである。
(11) 右は労働組合法七条一号に違反する不利益取扱及び同三号に違反する支配介入であると同時に被告労組に対する不法行為でもある。
(12) 右解雇が不当であることは当裁判所昭和五〇年(ヨ)第二三九号地位保全仮処分決定において認定されている。
3 損害
以上の各不法行為(前記2、(一)の(1)及び(2)、同(二)の斎藤及び北村の各解雇、同(三)、同(四))によって被告労組が被った非財産的損害は、それぞれにつき金五〇万円を下らない。
4 結論
よって被告労組は、原告に対し、前記3の合計金三〇〇万円の一部である金二〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である昭和五二年四月二三日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び主張
1 請求原因1項冒頭の主張は争う。同項(一)で引用している本訴についての被告らの積極的主張(三)の(1)ないし(3)については、昭和四九年四月四日に被告労組が結成されたこと、(1)、(イ)の(a)ないし(g)の外形的事実、訴外加藤が被告労組を脱退したこと、(1)、(イ)の(j)の事実、北村書記長及び斎藤委員長を原告が解雇したこと、被告らが占有していた原告の営業車の返還を求めるため、昭和四九年九月二日、哮治や非組合員らが原告会社本社に赴いたところ、被告労組の組合員らが車両の返還を拒否したために両者の間で被告らが前記積極的主張(三)、(2)の(ウ)で主張するような喧嘩沙汰となったこと、昭和五〇年三月二二日、本件ストライキが解除されたこと、以上の事実は認め、その余の事実は否認し、主張は争う。
2 同2項冒頭の主張は争う。
(一) 同項(一)の(1)、(2)の各事実は認め、同(3)の主張は争う。
(二) 同項(二)について
昭和四九年七月一一日付文書で北村書記長を、同月二〇日付で斎藤委員長を、それぞれ解雇したことは認め、その余の事実ないし主張は争う。
(三) 同項(三)について
右1項の本訴についての被告らの積極的主張についての認否のとおりである。
(四) 同項(四)について
昭和五〇年九月一〇日、葦名に対し口頭で解雇の予告をし、同月二六日付文書をもって同人を同年一〇月一〇日付で解雇したことは認めるが、その余の事実ないし主張は争う。
3 同3項は争う。
4 被告労組の反訴請求は以下に述べるとおり失当である。
(一) 不当労働行為の制度は、行政処分を通して憲法二八条の精神に即して労働基本権に対する侵害の排除ないし原状回復を命ずる制度であり、労働基本権に私権としての性質を認め民法所定の不法行為上の損害賠償請求権を認めたものではない。従って、不当労働行為を民法上の不法行為であるとして原告に対し損害賠償を求める被告労組の反訴請求は法的根拠を欠き失当である。
(二) 仮に、不当労働行為に対する司法上の救済として損害賠償請求が可能であるとしても、本件のように労働組合が非財産的損害賠償請求をなしうるのは、その名誉、信用が侵害された場合に限定されるところ、被告労組においてその名誉、信用が原告の不法行為によって侵害された事実についての主張立証はないので、いずれにしても被告労組の反訴請求は失当である。
三 抗弁
仮に、被告労組の反訴請求が認められるとしても、昭和五七年五月二一日の本件口頭弁論期日において、原告は、被告労組が行なった違法な本件ストライキによって、原告が被った損害である後記金七四五万〇三八三円について被告労組に対して有する損害賠償請求債権をもって、被告労組が原告に対して有する反訴請求にかかる損害賠償請求債権とをその対当額において相殺する旨の意思表示をした。
1 原告は本訴請求原因で主張したとおり、被告労組の違法な本件ストライキによって正当な業務の遂行を妨害され、その賃金の支払が全く営業上の利益をもたらさないのに、非組合員に対し昭和四九年度及び同五〇年度について合計金七四五万〇三八三円の給料の支払を余儀なくされ同額の損害を被った。
2 同一の事実から生じた双方的不法行為による損害賠償請求債権については相互に相殺を認めるべきであるところ、本件の場合は同一の労働紛争から生じた双方的不法行為による損害賠償請求の事案であると解されるので、民法五〇九条は適用されず右相殺は認められるべきである。
四 抗弁に対する認否
本件ストライキによって原告が金七四五万〇三八三円の損害を被り、被告労組に対し右同額の損害賠償請求債権を有しているとの主張は争う。
第三証拠関係
本件記録中の書証目録及び証人等目録の各記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
理由
第一本訴についての被告労組の本案前の主張について
労働組合において組合員が一名もいなくなった場合においても、当該労働組合の財産関係清算の範囲内においては、解散の場合に準じなお組合は存続するものと解するのが相当である。そして、原告の被告労組に対する本訴請求(なお、同被告の原告に対する反訴請求も同様である。)は、同被告の財産関係の清算に関するものといい得るから、たとえ同被告の組合員が一名もいなくなったとしても、同被告が本訴(反訴も同様である。)において当事者となる適格を有しないものとすることはできず、同被告の本案前の主張は採用できない。
第二当事者間に争いのない事実
一 原告はタクシー業を営み、営業車二三台、自家用車三台を有する株式会社である。
二 被告労組は原告会社従業員で組織された、昭和四九年四月四日結成の企業内組合である。
三 本訴についての被告らの積極的主張(三)、(1)、(イ)の(a)の事実。
四 前項で引用した事実中の団体交渉の当初、原告は、賃金について歩合制とリース制の二本立てを主張したが、昭和四九年四月二五日にはリース制案を棚上げし、原告側の歩合制案を示した。
五 原告は、昭和四九年四月三〇日には再びリース制案を実施する旨主張し、右以外の賃金案では団体交渉に応じない旨被告労組に通告した。
六 本訴についての被告らの積極的主張(三)、(1)、(イ)の(e)及び(f)の事実。
七 原告は、昭和四九年五月一日、第一次ストライキが開始される直前に、直接個々の従業員に対し「新しい賃金制度について」と題する文書を手渡した。
八 加藤は被告労組を脱退した。
九 本訴についての被告らの積極的主張(三)、(1)、(イ)の(j)の事実。
一〇 原告は、昭和四九年七月一一日付文書で北村書記長を、同月二〇日付で斎藤委員長を、それぞれ解雇した。
一一 昭和四九年九月二日、哮治及び非組合員らは原告会社本社に赴いた。
一二 昭和五〇年三月二二日、本件ストライキは解除された。
一三 反訴についての請求原因2項(一)の(1)及び(2)の事実。
一四 原告は、昭和五〇年九月一〇日、葦名に対し口頭で解雇の予告をし、同月二六日付文書をもって同人を同年一〇月一〇日付で解雇した。
一五 本訴提起時に残っていた被告労組の気谷、葦名及び尻井の組合員三名は次々に原告会社を退職した。
第三判断の基礎となる事実関係
前記当事者間に争いのない事実、(証拠略)に弁論の全趣旨を総合すれば以下の事実を認めることができ、原告代表者塩村哮治尋問の結果(第一、二回)中この認定に反する部分は措信せず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
一 被告労組結成に至るまでの経緯
1 本訴についての被告らの積極的主張(三)、(1)、(ア)の(a)の事実。
2 右のうち、歩合制とは一定の基本給に家族手当、通勤手当等の諸手当が加算されたものを給与とする制度であり、リース制とは一か月の総運収の中から一定の車両代、燃料代及び車検代等を控除したものを給与とする制度である。
3 本訴についての被告らの積極的主張(三)、(1)、(ア)の(b)ないし(g)の事実。
4 原告側は、右のような従業員の要求に対し賃金体系について検討中であると主張するのみで真摯に検討しようとしなかった。
5 前記積極的主張(三)、(1)、(ア)の(i)ないし(m)の事実。
二 被告労組結成後本件ストライキに至るまでの経緯
1 前記積極的主張(三)、(1)、(イ)の(a)ないし(c)、(e)ないし(k)の事実。
2 前記積極的主張(三)、(1)、(イ)、(1)の(Ⅰ)、反訴についての請求原因2項(一)の(1)及び(2)の事実。
3 前記積極的主張(三)、(1)、(イ)、(1)の(Ⅱ)及び(Ⅲ)の事実。
4 前記積極的主張(三)、(1)、(イ)、(m)の(Ⅰ)の事実。
5 反訴についての請求原因2項(二)の(1)及び(2)、同(3)、(ア)の(a)ないし(c)、同3、(イ)の(a)及び(b)、同(3)の(ウ)の事実。
6 前記積極的主張(三)、(1)、(イ)の(n)ないし(p)の事実。
三 本件ストライキ開始後終了までの経緯
1 本件ストライキ開始当日の状況
(一) 本件ストライキ開始当日である昭和四九年七月二六日の午前八時過ぎころ、勝之、哮治、非組合員の訴外下坂進、脱退組合員の吉田らが本件ストライキの現場である原告会社本社に至り、勝之は非組合員の就労要求をしたが、本社前に集っていた被告労組の組合員や他労組からの多数の支援者らはこれを拒否し、勝之の要求に対し全くとりあわなかった。
(二) 勝之と被告労組の組合員らとは、従前の経緯もあって、穏やかに話し合うという状態ではなく、勝之はスト決行中であることを記した大きなびらを破ったりなどした。
(三) 本件ストライキを支援するために、被告労組の組合員の他にも、被告県評に加盟している他の労働組合の組合員が多数集合していたけれども、右組合員らは、スクラムを組んだり、シュプレヒコールを上げたりその他勝之らを集団で威嚇したりなどはしなかった。
2 本件ストライキ開始当初においては、車両のエンジンキーは従前営業がなされていた場合と同じく、原告会社本社の従業員控室の棚に保管された状態のままであった。
3 原告は、昭和四九年一二月一二日付内容証明郵便による通知前には、被告労組に対し車両の返還要求をしたことはなかった。
4 前記積極的主張(三)、(2)の(ア)ないし(エ)の事実。
5 右(ウ)記載の原告側の襲撃行為に対して、当時本社内に泊り込んでいた被告労組の組合員やその他の支援者らも反撃した(以下この事件を「営業車引上事件」という。)。
6 その結果、原告側に二名、被告労組側に六名(当時原告会社本社内に泊り込んでいた者全員)の負傷者が出た。
7 右事件に関し、原告側では、哮治、脱退組合員の加藤、吉田、訴外岡本嘉盛の四人が、監禁致傷罪の容疑で、被告労組側では、組合員の尻井、総評オルグ梅沢の二人が傷害罪等の容疑で逮捕された。
8 右事件前においては、本件ストライキ期間中、哮治が原告会社本社内に時々出入りしていたものの、被告労組において哮治が本社内に立入ることを実力をもって妨害したりなどはしなかった。
9 前記積極的主張(三)、(2)の(カ)ないし(ク)、(コ)ないし(ソ)の事実。
10 右同主張(三)、(4)の(イ)の事実。
11 原告は前記営業車引上事件によって一〇台余りの車両を原告会社本社車庫から実力で運び出したが、昭和四九年一二月二四日に非組合員により四台の車両で営業を再開するまで営業行為は一切しなかった。
12 被告労組執行部は組合員に対し車を損傷させたり、タイヤを取りはずしたりしないよう指導していた。
四 本件ストライキ終了後から被告労組の組合員が皆無となるまでの経緯
1 反訴についての請求原因1項(二)、(1)の冒頭、(ア)及び(イ)、同(2)の(ア)、同(3)の(ア)、同(4)ないし(6)の事実。
2 同2項(四)の(1)及び(2)、同(3)の(ア)ないし(カ)、同(4)、同(6)、同(8)の冒頭、(ア)及び(イ)の事実。
3 同1項(二)の(8)の事実。
第四本訴についての判断
一 当裁判所の基本的見解
1 労働者の団結権及び団体交渉その他の団体行動をする権利は憲法二八条で保障された基本的人権の一つであるから、右憲法二八条を頂点とする現行労働法体系においては労働者側が行なう争議行為は原則として適法であり、争議行為がその正当性を越えた場合に初めて違法になるというべきである。
2 ところで、争議行為の最も典型的なものであるストライキ(同盟罷業)の本質は、労働者が労働契約上負担する労務供給義務の不履行にあり、その手段、方法は労働者が一致してその有する労働力を使用者に利用させないようにすることにあると解されるが、ストライキだけが争議行為のすべてではなく、それは多くの争議行為の中の一つにすぎないものである。そして、ストライキそのものは労務提供の拒否という消極的な行為であるはずであるけれども、その余の争議行為の中に、単なる労務提供の拒否という消極的な行為にとどまらず、事情によっては、ある程度積極的、攻撃的な手段をとることを余儀なくされ、かつそれがなお正当性を有するものと判断される場合があることも否定できないところと解するのが相当である。けだし、そう解しなければ、前記憲法上の争議権保障の趣旨が時に没却される場合が生じることとなるからである。
してみれば、当該争議行為が単に労務提供の拒否以上もしくは以外だという理由だけで直ちにこれを違法なものとすることはできないといわなければならない。
3 ところで、憲法は一方で争議権を保障するとともに、他方では全ての国民に対し平等権、自由権、財産権等を保障しているので、争議権の行使も他の基本的人権と調和する限りにおいて保障されるものと解されるが、もともと争議行為は、多かれ少なかれ使用者の基本的人権たる業務遂行上の諸種の権利を阻害する性質のものであることに鑑みれば、右の調和といい、ひいては争議行為の正当性の限界といっても、右の性質を度外視してこれを考えることはできないものというべきである。
二 本件ストライキ及びこれに付随する諸行為の争議行為として正当性に関する判断
1 本件ストライキ及びこれに付随する争議行為としてなされた諸行為(以下右を総称して「本件争議行為」という。)の正当性を判断するには、本件争議行為を開始するに至るまでの経緯、本件争議行為の目的、本件争議行為開始後終了に至るまでの経緯及び本件争議行為の態様など諸般の事情を考慮すべきである。
2 本件争議行為に至るまでの経緯は、前記第三の一項及び二項で認定したとおりであるところ、右によると、本件争議行為は、結局、第一次ストライキ終了の際に労使間で合意したことを原告が果たそうとせず、被告労組からの団体交渉の申入れにも応ぜず、かえって原告は、被告労組を敵視し、組合員と非組合員とを差別し、被告労組を弱体化させ潰滅させようとして種々の策動をしたために、被告労組においてやむなく開始されたものというべきであり、本件争議行為を行なうに際し、、被告労組が提起した目的(前記本訴についての請求原因2項(一)の(1)記載の四つの目的)も正当なものであると認められる。
3 次に、前記第三の三項で認定した本件争議行為開始後終了に至るまでの経緯によれば、原告が被告労組と紛争解決のために真摯に話し合おうとしさえすれば、本件紛争は地労委の斡旋によってより早期に解決されたであろうことは明らかというべきである。ことに、それ以前には、車両の返還要求あるいは仮処分等の法定の返還手続をすることなく、昭和四九年九月二日未明、突然実力をもって車両を原告会社本社車庫から運び出そうとしたり、また、地労委における斡旋を一方的に拒否したりなどして被告労組との話合自体を拒否する原告の態度は、明らかに被告労組を敵視し、紛争解決の努力を放棄したものというべきである。
4 前記第三、三項の1及び2で認定した事実によれば、本件争議行為の態様は、その開始当初においてはその正当性を逸脱したものではないというべきである。ただ、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件争議行為を開始した当初から被告労組の組合員等四、五名の者が原告会社本社車庫内に泊り込み、被告労組において原告会社本社車庫内にある本件自動車を一応占有し、原告会社の役員や非組合員らが本件自動車を運び出しに来ることの警戒にあたっていたものと認められるところ、前認定の諸事実によれば、原告会社は本件自動車の占有を被告労組に対し黙示的にもせよ委ねたものではなく、その占有を回復したい意向を有していたこと及び被告労組は原告会社が右のような意向を有していることを認識したうえで前記のような行為をなしたことが十分推認されるので、右の点が争議行為としての正当性を越えているか否かが特に問題となる。しかるところ、右の如き警戒をしている趣旨が、原告会社から本件自動車の返還を求められた場合に実力を行使してでもあくまでこれを阻止するというのか、あるいは平和的手段での説得をなすにとどめ、話合による解決を求めるというのかは、前認定のとおり原告会社側から本件自動車の返還について前記営業車引上事件に至るまでの間に真摯な要求等が全くなされなかったので、必ずしも明らかでなく、前認定の諸事実からみても、その趣旨が右のいずれであるとも推認し難いので、右の点は証拠上不明であるという他ない。また、前記第三、三項の8の事実によれば、被告労組としては原告会社側の人間が原告会社本社及びその車庫内に立ち入ることを一切拒否していたものではない、即ち、少なくとも前記営業車引上事件前までは、全面的、排他的に原告会社本社及びその車庫内にある本件自動車を占有確保していたものではないと推認しうる。右に加うるに、前認定の本件争議行為に至るまでの諸事情及び本件争議中における前記営業車引上事件までの諸事情に鑑みれば、被告労組側の右のような行為態様をもって直ちに争議行為としての正当な範囲を逸脱しているものとまで解するのは相当でないというべきである。さらに、原告代表者塩村哮治尋問の結果(第一回)及びこれにより昭和五〇年二月二六日撮影の原告会社本社前付近の写真であると認められる甲第一八号証の二、三、被告労組代表者尋問の結果(第一回)によれば、本件争議行為の終了時においては、被告労組において四、五台の車両を原告会社本社前に駐車させて営業車の出入りができない状態としていたこと、及び本件自動車のエンジンキーは原告会社本社の近くに所在する喫茶店に保管されていたことが認められる。しかし、右のような状態がいつから継続されていたかは証拠上必ずしも明らかではないうえ、被告労組が右のような所為に出たのは、前記のとおり、原告が被告労組との話合を拒否し、実力でもって本件自動車を車庫外に運び出そうとするなど被告労組を敵視する態度をとり続けることに誘発されたものというべきであり、原告の右のような態度に鑑みれば、被告労組が右のような所為に出た一事を捉えて、本件争議行為が直ちにその正当性を逸脱したものと解するのは相当でないというべきである。
5 また、本件争議中に、原告が本訴請求原因2項の(三)で主張するような具体的な加害行為を組合員がなした場合に、本件争議行為自体が正当性を越えたものといえるか否かについては、<1>右具体的な加害行為の現実の行為者の組合組織内での地位・役割、<2>当該加害行為と組合の具体的目的活動(例えば団体交渉、抗議行動)との関係(右具体的目的活動に随伴してなされたものか、それとは関係なく別個になされたものか)、<3>組合の執行機関が当該加害行為に対しとった態度(執行機関の指示・指導によるのか、これを黙認していたのか、あるいはこれを制止しようとしたか)等を考慮して判断すべきである。しかるところ、右具体的な加害行為のうち、自動車及び本件建物についての物理的損傷は前記営業車引上事件の際に原告側の人間によって生ぜしめられた可能性を否定できず、被告労組の組合員の加害行為によるものであると認めるべき証拠もない。また、原告が主張している具体的な加害行為のうちの一部が被告労組の組合員によってなされたものであるとしても、右加害行為がいつ、誰によって、どのような機会になされたのかは本件証拠上全く不明であるうえ、被告労組の執行部は、前記第三、三項の12記載のとおりの指導を組合員に対してなしていたものである。従って、加害行為があったとしても、それは本件争議行為自体の正当性の評価とは関係のない個々の組合員独自の加害行為というべきであるから、これをもって本件争議行為が正当性を越えたものとはいえない。
三 以上によれば、本件争議行為は争議行為としての正当性を越えているものとは認められないので、これを越えていることを前提とする原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当である。
第五反訴についての判断
一 労働組合においては、使用者から不当労働行為がなされた場合、右行為による侵害を排除して原状回復を図りうる法的手続が認められているけれども、右手続によっては回復され得ない損害が労働組合に発生した場合には、労働者の団結権を侵害する使用者の行為が民法七〇九条の構成要件に該当する限り、当該労働組合は、使用者に対し、右損害の賠償を請求できると解される。
二 本件においては、前記第三の一ないし四項で認定した事実によれば、原告は、被告労組の結成当初からこれを嫌悪し、弱体化させ、潰滅させようと意図していたことは明らかというべく、原告には民法七〇九条にいう故意があったと認められる。そして、右意図に基づき原告は、被告労組の結成当初から前認定のとおり一連の種々の弾圧を被告労組に加え、ついにその組合員を皆無とするに至らしめ、被告労組の団結権を単に侵害するというにとどまらず、それ自体を抹殺してしまったものというべきである。そして、被告労組が、本件において被った、組合員が皆無となるという無形の損害は、個々の不当労働行為の救済によっては回復され得ないものであることは明らかである。従って、本件では、被告労組は右無形の損害を金銭に評価して民法七〇九条に基づき原告に対しその賠償を求めることができるものと解するのが相当である。
三 被告労組は、原告の右一連の弾圧行為のうち前記反訴請求原因2項において掲記する六つの具体的行為のそれぞれが別個の不法行為であると主張するが、本件においては、被告労組結成当初からその組合員が皆無となって消滅するに至るまでの間に原告が被告労組に対してなした右一連の行為を全体として一個の不法行為として捉え、右行為の結果、被告労組は、その組合員が皆無となり団結権それ自体を否定されたに等しい無形の損害を被ったものと解するのが相当である。
四 そして、被告労組の結成目的、その規模、原告の具体的な侵害行為の態様、組合員が皆無となるまでの経緯等、前認定の諸事情を総合斟酌して被告労組の受けた無形の損害を金銭に評価すれば、金五〇万円が相当である。
五 反訴についての抗弁が失当であることは、前記第四の二項で判断したとおりである。
第六結論
以上のとおりであるから、原告の本訴請求は理由がないので、いずれもこれを棄却し、被告労組の反訴請求は金五〇万円及びこれに対する本件不法行為の日の後である昭和五二年四月二三日以降完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるので、これを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤邦晴 裁判官 佐野哲生 裁判官瀧澤泉は、転任につき、署名押印することができない。裁判長裁判官 伊藤邦晴)