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金沢地方裁判所 昭和62年(行ウ)1号 判決 1994年1月27日

石川県河北郡津幡町南中条穴一一番地

原告

松本秋一

右訴訟代理人弁護士

菅野昭夫

西村依子

金沢市彦三町一丁目一五番五号

被告

金沢税務署長 西田茂

右指定代理人

泉良治

益田祥三

高橋利幸

土田栄

川村伸一

寺俊昭

高井和男

按田隆重

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告に対して昭和五八年九月一七日付けでなした昭和五五年分ないし昭和五七年分の各所得税についての各更正及び各過少申告加算税賦課決定処分(ただし、昭和五五年分及び昭和五六年分については、審査裁決により一部取消後のもの)を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、いずれも昭和五八年九月一七日付けで、原告の昭和五五年分ないし昭和五七年分の各所得税につき、別表1の更生及び賦課決定欄記載の「総所得金額」及び「納付すべき税額」とする各更正(以下「本件更正処分」という。)をし、かつ過少申告加算税を同欄記載の「過少申告加算税の額」とする各賦課決定処分(以下「本件各賦課決定」という。また、本件更正処分と合わせて「本件各処分」という。)をした。

2  原告は、本件各処分につき、昭和五八年一一月一五日、被告に対し異議申立てをしたが、被告は、昭和五九年二月一五日付けで右申立てをいずれも棄却する旨の決定をした。

原告は、昭和五九年三月一四日に国税不服審判所長に対し、本件各処分について審査請求をしたところ、同所長は昭和六二年二月二〇日、昭和五七年分につき請求を棄却し、昭和五五年分及び昭和五六年分については、本件各処分の一部を取り消して、総所得金額、納付すべき税額、過少申告加算税の額をそれぞれ別表1の審査裁決欄記載の金額とする旨の裁決をした(以下、特に断らない限り、この裁決後のものを「本件更正処分」、「本件各賦課決定」、「本件各処分」ということとする。)。

3  しかしながら、右本件各処分は、いずれも原告の所得を過大に認定したものであって違法である。

4  よって、原告は、本件各処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1及び2の各事実は認める。

2  同3の事実は争う。

三  被告の主張

1  原告の所得金額算定の根拠

(一) 推計課税の必要性

(1) 原告は、肩書地において、木造建築工事業を営んでいるものであるところ、別表1の確定申告欄記載の各年月日に、総所得金額を同欄記載の金額として、本件係争各年分の所得税の確定申告諸を提出した。

しかし、右申告書には、いずれも事業所得の金額につき、専従者控除額及び所得金額のみが記載され、所得金額の計算の基礎となる「収入金額」及び「必要経費」の記載がないため、本件係争各年分とも事業所得の算出根拠が全く不明であった。また、昭和五七年分については、「土地等に係る雑所得」の金額についてもその記載がなかった。

しかるに、原告の右事業に係る従業員数、事業所の広さ等の外形的事実に徴すると、原告の右申告に係る事業所得の金額は、本件係争各年分につきいずれも過少である可能性があったため、被告は、原告の本件係争各年分の事業所得の金額ないし分離課税の雑所得の金額を確認すべく、以下のとおり税務調査を実施した。

(2) 税務調査の経緯

昭和五八年四月二六日、被告所部の調査担当職員(以下「係官」という。)は原告宅に臨場した、原告が不在であったので、所得税調査のため臨場したこと及び同年五月四日に再度臨場するので原告に在宅してほしい旨を記載したメモを差し置いた。

その後、係官は、同月九日、同月一八日に原告宅に臨場した、原告は不在であり、さらに、同月二六日に臨場し、原告に対し、その目的を告げた上、原告の事業に関する帳簿書類の提示を求めた。

しかし、原告は、白色申告で帳簿は何もない旨申し立て、帳簿書類を一切提示せず、また、原告の取引先等の事業の内容に関する事項の質問に対しても応じなかった。

そこで係官は、もはや臨場調査については原告の協力は得られないと判断し、被告において取引先等を調査する旨を告げ、原告もこれを了承したので、今後の調査進行に対する理解方を要請して、原告宅を去った。

右に加えて、原告は、被告の昭和五三年七月から昭和五四年三月までの調査の際も、記帳は全くない旨申し立て、被告の係官に対して帳簿を一切提示せず、「仕事が忙しい。申告は正しい。」と繰り返し述べるだけで、取引内容等につき一切説明しなかった経緯がある。また、原告は、昭和五八年二月四日の概況調査(確定申告期前に納税者の事業形態を確認、聴取し、適正な申告が得られるように指導するための調査)の際、被告係官が、事業概況、取引先及び取引銀行について説明を求めたところ、「あんたら何でも知っとるやろう。」と言って、事業に関する質問にも答えなかった。

(3) 推計課税の必要性

このように、原告は、本件係争各年分についての税務調査(概況調査を含む。)に対し、被告係官から度重なる協力要請を受けていたにもかかわらず、臨場調査実施日に不在を繰り返し、自己の主張を裏付けるべき資料の提示を行わず、係官の質問にも応じようとしなかったのであって、被告としては、右原告の調査に対する非協力的態度、言動及び被告の税務調査に対する原告の従前からの態度に徴し、原告宅に対する臨場調査をこれ以上続行しても、原告の取引実額を把握してその所得金額を算定することは到底不可能であるは判断し、以後やむなく被告係官に原告の取引調査を行わせ、これにより得た資料に基づいて、原告の本件係争各年分の事業所得の金額及び分離課税の雑所得金額を推計により算定したものである。

(二) 昭和五五年分の事業所得金額

原告の昭和五五年分の事業所得金額は、次のとおり八六二万一九八九円と認められるので、右金額の範囲内の六二二万六二二〇円としてなされた本件更正処分(同年分)は適法である。

<1> 総収入額 八六〇〇万五六二〇円

<2> 必要経費の額 七六九八万三六三一円

<3> 事業専従者控除額 四〇万円

<4> 事業所得の金額(<1>-<2>-<3>) 八六二万一九八九円

各項目の明細及び計算方法は以下のとおりである。

(1) 総収入金額 八六〇〇万五六二〇円

その内訳は次のとおりである。

ア 取引実績に基づく収入金額 八二七一万五六二〇円

原告が事業のために開設している金沢信用金庫森本支店(以下「金信森本支店」という。)、北陸銀行津幡支店及び中条農業共同組合(以下「中条農協」という。)における原告名義の預金口座の入金状況から原告の取引先を把握し、その取引先に対する調査により判明した各取引先との取引実績に基づく収入の総額である。右取引先別の収入金額の内訳及び明細は、別表2の<1>昭和五五年分の被告主張額欄及び別表7の1ないし5に記載のとおりである。

イ 預金口座入金から推認される収入金額 三二九万円

右各預金口座は、基本的に原告が事業のために開設しているものであるから、右各預金口座に入金された金額は、右事業に係る取引先からの入金でないことが明らかにならない限り、入金に対応する取引先が確定されなくとも、原告の事業に係る収入金額と推認するのが相当である。

したがって、右預金口座の収入総額から、調査の結果、原告の事業に係る取引先からの入金でないことが明らかとなった入金額を控除し、さらに、取引先からの入金と認められる入金額を控除した後の金額三二九万円は、右アとは別に、原告が事業により得た収入というべきである(その明細は、別表7の4に記載のとおりである。)。

(2) 必要経費の額 七六九八万三六三一円

右の金額は、原告の事業に係る必要経費の額が不明のため、これを推計により求めた額であり、右(1)の総収入金額八六〇〇万五六二〇円に別表3の(一)記載の類似同業者三件に係る昭和五五年分の平均必要経費率八九・五一パーセントを乗じて算定したものである。

(算式) 86,005,620円×89.51%=76,983,631円

ところで、右類似同業者は、原告の業種、業態、事業規模等を念頭に置き、次のような基準で選定されたものである。

(選定基準)

金沢税務署管内において、木造建築工事業を営む個人事業者のうち、昭和五五年分の所得税の確定申告書を提出した者で次のア、イの各条件にいずれも該当する者

ア 暦年、右事業を継続して営んでいる者。ただし、次の各号に該当する者を除く。

<1> 年の中途において、開廃業もしくは休業した者又は業態を変更した者

<2> 災害等により経営状態が異常であると認められる者

<3> 小規模事業者で所得税法六七条の二(小規模事業者の収入及び費用の帰属時期)の規定により、収入及び費用の帰属時期を、いわゆる現金主義によることとされている者

<4> 更正処分又は決定処分が行われた者のうち、これに対して不服申立てもしくは訴訟係属中の者又は法令の規定に基づく不服申立て期間もしくは出訴期間を経過していない者

イ 昭和五十五年分総収入金額が原告の営む前記事業の総収入額のほぼ二分の一ないし二倍に当たる四二二〇万三〇〇〇円以上一億六八八〇万九〇〇〇円未満の範囲内にある者(当初、被告は昭和五五年分の原告の総事業収入金額を八四四〇万四六二〇円と主張しており、ここで基準とした原告の総収入額は右金額である。)

昭和五五年分について、右選定基準により選定された類似同業者の総事業収入額及び必要経費の額並びに必要経費率は、別表3の(一)記載のとおりである。

(3) 事業専従者控除額 四〇万円

右の金額は、原告の妻松本外志子に係る事業専従者控除額(原告の申告額)である。

(4) 事業所得の金額 八六二万一九八九円

右の金額は、(1)の総収入金額から、(2)の必要経費の額及び(3)の事業専従者控除額を控除したものである。

(5) まとめ

以上のとおり、昭和五五年分の原告は、所得は、八六二万一、九八九円であるから、右金額の範囲内の六二二万六二二〇円でなされた本件更正処分(同年分)は適法である。

(三) 昭和五六年分の事業所得金額

原告の昭和五六年分の事業所得金額は、次のとおり九〇五万〇一八三円と認められるので、右の金額の範囲内の七九四万四〇〇九円としてなされた本件更正処分(同年分)は適法である。

<1> 総収入金額 一億〇四六五万三二〇〇円

<2> 必要経費の額 九五二〇万三〇一七円

<3> 事業専従者控除額 四〇万円

<4> 事業所得の金額(<1>-<2>-<3>) 九〇五万〇一八三円

各項目の明細及び計算方法は以下のとおりである。

(1) 総収入金額 一億〇四六五万三二〇〇円

その内訳は次のとおりである。

ア 取引実績に基づく収入金額 一億〇〇四〇万三二〇〇円

前記(二)(1)アと同様、取引先調査により判明した各取引先との取引実績に基づく収入の総額である。右取引先別の収入金額の内訳及び明細は、別表2の<2>の収入五六年分の被告主張額欄及び別表8の1ないし3に記載のとおりである。

イ 預金口座入金から推認される収入金額 四二五万円

前記(二)(1)イと同様の理由により、収入五六年分における前記各預金口座の総収入金額から、調査の結果、原告の事業に係る取引先からの入金でないことが明らかとなった入金額を控除し、さらに、取引先からの入金と認められる入金額を控除した金額四二五万円は、アとは別に原告が事業より得た収入金額ということができる(その明細は、別表8の3に記載のとおりである。)。

(2) 必要経費の額 九五二〇万三〇一七円

右の金額は、原告の事業に係る必要経費の額が不明なため、これを推計により求めた額であり、右(1)の総収入金額一億〇四六五万三二〇〇円に別表3の(二)記載の類似同業者三件に係る昭和五六年分の平均必要経費率九〇・九七パーセントを乗じて次のとおり算定したものである。

(算式) 104,653,200円×90.97%=95,203,017円

なお、類似同業者は、前同様の選定基準(総収入金額については、当初、被告が原告の昭和五六年分の総事業収入金額として主張していた九六九五万三二〇〇円を基準としたため、四八四七万六六〇〇円以上一億九三九〇万六〇〇〇円未満の者となる。)により選定し、右により選定された類似同業者の総収入金額及び必要経費の額並びに必要経費率は、別表3の(二)記載のとおりである。

(3) 事業専従者控除額 四〇万円

右の金額は、前記松本外志子に係る事業専従者控除額(原告の申請額)である。

(4) 事業所得の金額 九〇五万〇一八三円

右の金額は、(1)の総収入金額から、(2)の必要経費の額及び(3)の事業専従者控除額を控除したものである。

(5) まとめ

以上のとおり、昭和五六年分の原告の所得は九〇五万〇一八三円であるから、右金額範囲内の七九四万四〇〇九円でなされた本件更正処分(同年分)は適法である。

(四) 昭和五七年分の所得金額

Ⅰ 同年分の事業所得金額

原告の昭和五七年分の事業所得金額は次のとおり五〇〇万六二二〇円と認められる。

<1> 収入金額 五八一三万一四〇〇円

<2> 必要経費の額 五二七二万五一八〇円

<3> 事業専従者控除額 四〇万円

<4> 事業所得の金額(<1>-<2>-<3>) 五〇〇万六二二〇円

各項目の明細及び計算方法は以下のとおりである。

(1) 総収入金額 五八一三万一四〇〇円

その内訳は次のとおりである。

ア 取引実績に基づく収入金額 五五四三万一四〇〇円

前記(二)(1)アと同様、取引先調査により判明した各取引先との取引実績に基づく収入の総額である。

右各取引先別の収入金額の内訳及び明細は、別表2の<3>昭和五七年分の被告主張額欄及び別表9の1ないし4記載のとおりである。

イ 預金口座入金から推認される収入金額 二七〇万円

前記(二)(1)イと同様の理由により、昭和五七年分の前記各預金口座の収入金額から、調査の結果、原告の事業に係る取引先からの入金でないことが明らかとなった入金額を控除し、さらに、取引先からの入金と認められる入金額を控除した後の金額二七〇万円は、アとは別に原告が事業より得た収入金額ということができる(その明細は、別表9の4に記載のとおりである。)。

(2) 必要経費の額 五二七二万五一八〇円

右の金額は、原告の事業に係る必要経費の額が不明なため、これを推計により求めた額であり、右(1)の総収入額五八一三万一四〇〇円に、別表3の(三)記載の類似同業者三件に係る五七年分の平均必要経費率九〇・七〇パーセントを乗じて次のとおり算定したものである。

(算式) 58,131,400円×90.70%=52,725,180円

なお、右類似同業者については、前同様の選定基準(総収入額については、当初、被告が、原告の昭和五七年分の総事業収入として主張していた五四一六万六〇〇〇円を基準としたため、二七〇八万三〇〇〇円以上一億〇八三三万二〇〇〇円未満となる。)により選定し、右により選定された類似同業者の総収入金額及び必要経費の額並びに必要経費率は別表3の(三)記載のとおりである。

(3) 事業専従者控除額 四〇万円

右の金額は、前記松本外志子に係る事業専従者控除額(原告の申告額)である。

(4) 事業所得の金額 五〇〇万六二二〇円

右金額は、(1)の総収入金額から、(2)の必要経費の額及び(3)の事業専従者控除額を控除したものである。

Ⅱ 昭和五七年分の土地等に係る雑所得

昭和五七年分の土地等に係る雑所得は、以下のとおり五四三万八七九一円と認められる。

<1> 総収入金額 一億一三二〇万円

<2> 必要経費の額 一億〇七七六万一二〇九円

<3> 土地等に係る雑所得額(<1>-<2>) 五四三万八七九一円

各項目の明細は以下のとおりである。

(1) 総収入金額 一億一三二〇万円

右の金額は、金沢市千日町三一九番の一の土地(宅地、四四七・〇八平方メートル。以下「甲地」という。)、同町同番の二の土地(宅地、三一・四七平方メートル。以下「乙地」という。)及び金沢市有松四丁目二六一番地の土地(宅地、二三一平方メートル。以下「丙地」という。なお、以下右三筆の土地をまとめて「本件土地」ということがある。)を、譲渡して得た金額であり、内容は次のとおりである。

<省略>

なお、原告が本件土地を取得し売却した経緯の概略は、以下のとおりである。

すなわち、原告は、甲地及び乙地につき、昭和五六年七月一六日、右二筆に分筆される前の金沢市千日町三一九番及び同三九三番の各土地を宮竹秀夫及び宮竹美智子から取得し、同年八月四日に右両地を合筆した上、同年八月二六日に乙地を、同年九月六日に甲地を、それぞれ売却した(右売却代金は、契約時に支払われた手付金を除き、いずれも昭和五七年一月二二日に決済された。)。また、原告は、昭和五六年七月二八日、有松第一土地区画整理地内二八街区二-一番の土地(三七四・四六平方メートル。以下「丁地」という。)を住宅建築用地(たな卸資産)としてスミヨシ宅建から取得し、右土地を丙地と金沢市有松四丁目二六二番の土地(宅地、一四三平方メートル。以下「戉地」という。)に分筆した上、昭和五七年一〇月一六日、丙地を二六六〇万円で売却したものである。

(2) 必要経費の額 一億〇七七六万一二〇九円

右の金額は、本件土地の取得先等に対して行った調査により判明した金額ないしは取引実例に従って推計した金額であり、その内訳は以下のとおりである。

ア 右三土地の取得価格 一億〇五三八万五二九四円

土地の取得先の調査等により把握した金額である。内訳は次のとおりである。

<1> 甲地及び乙地 八〇〇〇万円

<2> 丙地 二五三八万五二九四円

丁地の取得価格が四一一〇万円であるから、右取得価格を丙地と戉地の面積割合により分けることにより丙地の取得価格を計算すると、標記金額となる。

イ 家屋取壊費用及び整地費用 一〇五万六〇〇〇円

甲地及び乙地上にある家屋の取壊費用及び整地費用の額が不明のため、金沢市内の取壊等業者二件について調査した三・三平方メートル当たりの右費用の最高額一万二〇〇〇円を、取壊面積二八八・四一平方メートル(八八坪)に乗じて、次のとおり算出したものである。

(算式) 12,000円×88坪=1,056,000円

ウ 測量及び登記費用 二〇万円

甲地及び乙地の測量及び登記手続を行った土地家屋調査士谷口成一を調査して把握した金額である。

エ 借入金利息 一一一万九九一五円

本件土地取得に係る借入金利息の額として、金信森本支店を調査して把握した金額である。

(3) 土地等に係る雑所得の金額 五四三万八七九一円

右の金額は、右(1)の総収入金額から、(2)の必要経費の額を控除したものである。

前記のとおり、原告は本件土地を取得後直ちに譲渡したものであり、かつ、原告は土地の売買を事業として行っているものではないことは明らかであるから、本件土地の譲渡に係る所得は、昭和六二年改正前の租税特別措置法二八条の四(土地の譲渡等に係る事業所得等の課税の特例)に規定する分離課税の土地等に係る雑所得の金額に該当するものである。

Ⅲ まとめ

以上のとおり、昭和五七年分の原告の所得は、事業所得五〇〇万六二二〇円と土地等に係る雑所得五四三万八七九一円であるから、右各金額の範囲内でなされた本件更正処分(同年分)は適法である。

(五) 資産負債増減法による本件係争各年分の所得金額について(予備的主張)

本件更正処分は、資産負債増減法によって推計した原告の本件係争各年分の所得金額の範囲内でなされているので、右推計方法により算出した所得金額を前提にしても、適法である。

(1) 資産負債増減法とは、資産・負債の増減により純資産の増減額を算定し、これを基準に所得を推計する方法であり、所得額は次の計算式により算出される。

(期末資産額-期首資産額)-(期末負債額-期首負債額)+調整項目加算額-調整項目減算額=合計所得金額

右の期首資産額及び期首負債額は、それぞれ前年の期末資産額及び期末負債額と一致し、調整項目加算額は、所得の処分に相当する生活費、家事関連費等であり、調整項目減算額は、事業所得についての特例(事業専従者控除額)による必要経費である。

資産の増減は、収入、支出、損失等の額を直截に反映するので、この推計方法により得られた所得額は、原告の本件係争各年分の所得の実額に合致する蓋然性が高く、合理的な推計方法である。

(2) この推計方法により原告の本件係争各年分の所得を算定すると、昭和五五年分が二〇七六万五四六一円、昭和五六年分が一六五八万六七八八円、昭和五七年分が二〇一七万〇九九二円(そのうち土地等に係る雑所得は五四三万八七九一円)であり、その各項目の内訳は別表4の1ないし3記載のとおりである。なお調整項目加算額としての生活費の算定方法は、別紙1記載のとおりである。

右によれば、本件更正処分に係る総所得金額及び分離課税の土地等に係る雑所得の金額は、資産負債増減法によって算出した原告の本件係争各年分の所得金額の範囲内であり、本件更正処分は適法である。

2  本件各処分の適法性

以上によれば、本件更正処分に係る所得金額は、いずれも叙上の同業者比率法又は資産負債増減法により推計した所得金額の範囲内であるから、本件更正処分は適法である。

また、本件各賦課決定処分も、本件更正処分により原告に納付すべき所得税額に基づいて過少申告加算税を算定したものであるから、適法である。

四  被告の主張に対する認否及び反論

1  被告の主張1(一)(1)については明らかに争わない。

2  被告の主張1(一)(2)(税務調査の経緯)及び(3)(推計課税の必要性)については否認ないし争う。以下の事実に照らせば、原告が被告の行う税務調査に非協力的であったとはいえない。

(一) 被告による原告への本件前の税務調査について

原告は、昭和五〇年ないし昭和五二年ころ、被告による税務調査を受け、売上げの一覧表を作成提出する等被告の調査に十分協力したにもかかわらず、被告は反面調査を開始し、結局原告の確定申告が是認されたことがあった。反面調査の際には、取引銀行や取引先等に多大な迷惑をかけ、原告の信用も少なからず下落した。

(二) 原告の田植への従事

原告は大工であるが、実父の腰痛悪化に伴い、それまで実父が中心となって行ってきた稲作(約一七〇アールの面積の田だが、数にして二〇〇枚で小規模のものが数多くあり、機械化が困難である。)を原告が中心になって手伝う必要があり、毎年四月下旬から五月下旬にかけて田植に従事する必要がある。その間、原告は、雨で田に出られない日の他は、石川県河北郡津幡町生瓜の実家(原告宅から自動車約三〇分の距離)に泊り込んで一日中働かねばならず、晴れた日は一日たりとも無駄にはできない状況であった。

(三) 昭和五八年三月下旬の被告係官の臨場

昭和五八年三月下旬に被告の松永係官が原告宅を訪れた。その際、原告は、松永係官に対し、前回も税務調査に協力したにもかかわらず取引銀行等の反面調査をされたことから、今回もいずれ反面調査をするのであれば、まず被告の方で取引銀行を調査し、その調査で疑問点があれば原告に問いただしてもらい、その際原告が説明する旨を述べ、同係官もこれを了承していた。

(四) 昭和五八年四月二六日から同年五月二六日の被告係官の臨場

右(三)の約束にもかかわらず、原告の取引銀行の調査をしないまま、昭和五八年四月二六日ころ、被告の荒谷係官が原告宅を訪れた。原告は同人の妻松本外志子(以下「外志子」という。)を通じて、同月二八日、被告に電話を入れ、田植に従事せねばならない事情を説明し、五月下旬ころまでは原告の都合が悪い旨申し述べた。

ところが、荒谷係官は、同年五月九日、同月一八日と一方的に原告宅を訪れ、一方的に話し合いの日時を指定したメモを残していった。原告は田植のために右期日には原告宅に不在であったのであり、その事情は同人の妻を通じて荒谷係官に説明済みだったのであるから、原告の右不在をもって、原告の非協力とみるのは妥当ではない。

同年五月二六日、原告は、実家より戻って初めて荒谷係官と会った。その際、原告としては、松永係官との前記約束から、荒谷係官が原告の取引銀行の調査を行い、その書類を持って原告に不明な点を尋ねるために原告宅を訪れたものと考えていた。ところが、荒谷係官は松永係官から何も聞いていないと述べるので、原告は、松永係官との前記約束を説明し、被告による銀行の調査が終了したら原告が協力する旨述べ、荒谷係官もそれを了承して帰った。右話し合いは約一五分程度のものであった。その後、一方的に銀行のみならず原告の取引先への反面調査が行われたものである。

なお、原告は、松永係官に対し、取引銀行への調査を先行させるよう要請したが、顧客や取引先への一般的な反面調査を了承したことは一度もない。

(五) まとめ

以上の事実に照らせば、原告は今回だけではなく、従前から被告の税務調査に協力する意思を明示し、現に協力しようとしていたのであって、被告はそれにもかかわらず、一方的に反面調査を行い、推計課税を行ったのであるから、本件においては、推計の必要性はないというべきである。

3  被告の主張1(二)、(三)及び(四)Ⅰ(本件係争各年分の事業所得金額)中の収入金額の算定について

(一) 取引実績に基づく収入金額について

本件係争各年分の取引実績に基づく収入金額は、昭和五五年分が六四五八万三二二四円、昭和五六年分が八八〇〇万八五七六円、昭和五七年分が四九〇三万六〇〇〇円であり、その内訳は、別表2の各取引先に対応する収入金額の原告主張額欄記載のとおりである。したがって、原告は、右原告主張収入金額の限度で被告の主張を認め、これを超える部分については否認する。本件係争各年ことの各取引先からの収入金額につき、原告の主張と被告の主張が異なる点についての原告の主張の概略は、以下のとおりである(以下、各取引先からの収入ごとに、被告主張額に比較して増額となる場合は「増」と記載し、続けて増額となる金額を記載し、減額となる場合には「減」と記載し、続けて減額となる金額を記載することとする。なお、以下、株式会社は(株)と表示することとする。)。

(1) 昭和五五年分について 減一八一三万二三九六円

ア (株)羽喰建設からの収入について 増九九万九六二四円

昭和五六年二月一〇日に(株)羽喰建設から入金のあった一八〇万円中九九万九六二四円は、原告が昭和五五年中に完成し引き渡した金沢国際ホテル及びめぐみ幼稚園の建設工事代金であり、同年分の売上げとして計上すべきである。

イ (株)辻建からの収入について 減二八九万円

昭和五五年中の(株)辻建からの収入のうち、同年一月一七日に入金となった小切手による二〇九万円及び同年四月三〇日に入金となった手形による八〇万円の計二八九万円は、昭和五四年中に完成し、引渡しを終えた工事(辻森邸新築工事〔小屋の追加分及び板金工事を含む。〕、インテックス工事(株)雑工事、堤邸新築工事、小僧ずし入江店内装工事)の代金合計三二九万八四六八円に対する支払いであり(右小切手合計額との差額は値引分である。)、昭和五四年分の売上げとして計上すべきである。

ウ 中谷装建(株)からの収入について 減六三六万一六二〇円

中谷装建(株)に対する昭和五五年分の売上げは一四〇万円であり、被告主張額との差額は六三六万一六二〇円である。右差額のうち六〇〇万円は、昭和五四年中に原告が中谷装建(株)から請け負った金沢市神田一丁目所在の三棟の建売住宅新築工事の大工工事の請負代金の一部、二四万二四〇〇円は、原告が銀行から借りて従来中谷装建(株)へ貸し付けていた六〇〇万円の利息のうち、昭和五四年中に原告が銀行に支払い、同社へ請求していたものであり、いずれも昭和五四年の収入とされるべきものである。また、一一万九二二〇円は右貸付金の利息のうち、昭和五五年の所得となる分であるが、同社との取引により得た金員ではないから、本項ではなく、後述のように雑所得として計上すべきである。

エ 中村秀夫からの収入について 減一〇八万円

中村秀夫からの入金は、収入五五年四月七日の一五〇万円、同年八月一九日の一八〇万円、同年九月二日の一三四万円の合計四六四万円であり、被告主張額との差額一〇八万円が入金した事実はない。

オ 川本清治からの収入について 減七八〇万円

昭和五五年の川本清治からの入金七八〇万円は昭和五四年中に建築し引渡しを終えた石川県河北郡津幡町太田ほ一一〇番地の六所在の建物の建築代金の残金であり、昭和五四年の売上げとして計上すべきである。

カ 藤井洋和からの収入について 増四万五三八〇円

原告の叔父である藤井洋和に頼まれ、同人宅へ網戸を納入した代金である。

キ 北方章からの収入について 減三二万円

昭和五五年の北方章からの入金三二万円は、昭和五三年から五四年にかけて行った同人宅の新築工事の請負代金残金であり、昭和五五年の売上げとして計上すべきではない。

ク 上田実からの収入について 減一一〇万円

収入五五年一二月一〇日の上田実からの入金一一〇万円は、昭和五四年中に着工・完成した同人方の土蔵改築工事の請負代金残金であり、昭和五五年の売上げとして計上すべきではない。

ケ 中谷装建(株)に対する貸付等による同社からの金利収入 増三七万四二二〇円

右金額のうち、一一万九二二〇円については、原告が、昭和五四年中に、中谷装建(株)に対して貸し付けるために銀行から借り入れた六〇〇万円につき、原告が昭和五五年中に銀行へ払った金利分を中谷装建(株)が原告に支払ったものである可能性があり、昭和五五年分の収入として計上する。また、二五万五〇〇〇円については、ウで述べた中谷装建(株)からの入金六〇〇万円が、昭和五五年に手形の書替えをした際の金利二五万五〇〇〇円を含めた金額であったため、右金額を同年の収入として計上するものである。

(2) 昭和五六年分について 減一二三九万四六二四円

ア (株)羽喰建設からの収入について 減九九万九六二四円

昭和五六年分の(株)羽喰建設からの収入は二七五四万二三七六円である。被告主張分との差額九九万九六二四円は、前記(1)ア記載のように、昭和五五年中に完成して引き渡した金沢国際ホテルとめぐみ幼稚園の工事代金の一部が入金したものである。したがって、これは昭和五六年分の収入から除外されるべきである。

イ 有限会社スミヨシ宅建(以下「スミヨシ宅建」という。)からの収入について 減一〇四九万五〇〇〇円

昭和五六年分のスミヨシ宅建からの収入は二八〇〇万五〇〇〇円であり、被告主張分との差額一〇四九万五〇〇〇円は、以下の原因により生じたものである。

<1> 昭和五六年九月三〇日入金の二〇〇万円

原告が昭和五五年八月上旬スミヨシ宅建に対し貸し付けた金員が、昭和五六年九月三〇日に同社から支払われたものであり、事業収入ではない。

<2> 昭和五七年三月二五日入金の三九万五〇〇〇円

昭和五六年四月ころ、原告がスミヨシ宅建から工事を請け負った金沢市泉一丁目二三五番地の建売住宅の設計料相当額であり、本来スミヨシ宅建が右住宅の設計依頼先である藤井建築事務所藤井洋和に対し右金額の設計料を支払うべきところ、スミヨシ宅建がすぐに支払えなかったため、原告が立て替えていた分がスミヨシ宅建から入金したものである。

<3> 同日入金の一〇万円

<2>同様、本来スミヨシ宅建が支払うべき金沢市馬替三丁目三番地の居宅の設計料を原告において立て替えていたところ、スミヨシ宅建がこれを支払ったものである。

<4> 被告が昭和五六年九月三〇日に入金があったと主張する八〇〇万円

右八〇〇万円は、スミヨシ宅建が振出し、支払日が昭和五六年九月三〇日である手形を、同社の依頼により返却したところ、原告がすでに右手形を銀行に預けていたため、銀行のコンピューター処理の関係で一旦入金となり、さらに出金処理されたものである。

以上の次第であるから、一〇四九万五〇〇〇円の差額はいずれも昭和五六年分の収入として計上すべきではない。

ウ 中谷装建(株)からの入金について 減九〇万円

昭和五六年分の中谷壮健(株)からの収入は八八一万六〇〇〇円である。被告主張額との差額九〇万円は、同社から同年六月四日支払日の小切手を同月二日に受け取って(一旦入金となり)、銀行に取立て委任したところ、支払期日前の同月三日に依頼返却で出金処理され、結局原告の手元に入らなかったものであり、同年分の収入として計上ずへきではない。

(3) 昭和五七年分について 減六三九万五四〇〇円

(仮に自家消費を認めた場合は、五〇九万五四〇〇円の減少)

ア (株)野村木材からの収入について 減二四三万円

右二四三万円は、昭和五七年一二月に開始し昭和五八年一月三〇日に完成・引渡しをした代金であり、昭和五八年分の収入とされるべきである。

イ 自家消費について 減三九六万五四〇〇円

被告は、原告が昭和五七年に居宅を増築したとして、その際、原告が自己の材料等を使用して自分で建築したであろうから、その棚卸し資産の価格である三九六万五四〇〇円を事業所得の収入金額に計上すべきであるとする。

しかしながら、右は農作業所二階の増築であり、原告の父が一切取り仕切り自己の材料により行ったものであるから、原告とは無関係である。したがっていわゆる自家消費は問題にならない。

また、仮に右増築を自家消費とみるとしても、当時の作業所の単価はせいぜい坪一〇万円程度であり、右を前提に計算すると、自家消費は一三〇万円になる。

ウ なお、不動産建設(株)からの小切手の入金二〇万円については、原告は不動産(株)とは取引はなく、右二〇万円の小切手は、昭和五七年春ころ、原告がスミヨシ宅建に対して貸し付けた二〇〇万円の利息として入手したものである。したがって事業収入ではなく雑収入として計上すべきである(収入総額は変わらない。)。

(二) 預金口座入金から推認される収入金額について

(1) 原告の預金口座入金から事業に係る収入金額を推認するという収入に関する推計方法の合理性については争う。

(2) 仮に右推計方法が一般的には合理的であったとしても、本件で被告が預金口座から推認される収入としてあげる入金は、以下説明するように、すべて原告の事業とは無関係な入金、他年分の収入の入金あるいは収入の二重計上にあたるもので、事業収入と推認される金額から控除されるべきであるから、この金額を本項における収入として計上するのは相当ではない。

ア 昭和五五年分について

<1> 金信森本支店への昭和五五年三月三一日の小切手の二〇〇万円の入金

前記のように、原告は、中谷装建(株)から金沢市神田一丁目所在の三棟の建売住宅新築工事の大工工事を請け負い、昭和五四年中に完成・引渡しを終えたところ、中谷装建(株)は、右請負代金の支払いのため、昭和五四年一二月二六日に約束手形(額面一二一五万二二五三円、支払日昭和五五年二月二五日)を振り出したが、昭和五五年二月二五日までに右手形の支払いができなかったため、右手形は同社の依頼で返却され、同社は右手形金のうち一〇〇〇万円につき、同月二五日、額面一〇〇〇万円、支払日同年三月三〇日の約束手形を振り出した。本項の二〇〇万円は、中谷装建(株)が右手形金のうち八〇〇万円の決裁として同年三月三一日に原告に交付した、タイセイ商会振出しの額面八〇〇万円の小切手の入金の一部である。よって、これは昭和五四年分の収入であって、昭和五五年分の収入ではない。

<2> 金信森本支店への昭和五五年八月一九日の現金一二〇万円の入金

これは池内政雄宅の増築工事代金五〇〇万円のうちの頭金の分を入金したものである。被告は、右工事代金を取引実績に基づく収入として計上しているのであるから、さらに預金口座入金から推認される収入金額として計上するのは、一つの収入を二回計上することになり誤りである。

<3> 北陸銀行津幡支店への昭和五五年七月三一日の現金九万円の入金

これは同支店における原告の口座の預金残高が僅少となってきたため、手持資金から入金したもので、事業収入ではないことが明らかである。

イ 昭和五六年分について

<1> 金信森本支店への昭和五六年一二月二六日の現金一〇〇万円の入金

このうち、七〇万円は真舘忠良からの昭和五五年中の仕事代金の残金が同日支払われたものであり、昭和五六年の収入として計上すべきではない。また、三〇万円は、原告の父に対する立替金が返済されたものであり、事業収入ではない。

<2> 北陸銀行津幡支店への昭和五六年二月一四日の現金二六五万円の入金

これは、昭和五五年中に完成・引渡した池内政雄方の増築工事代金五〇〇万円のうちの一部を入金したものである。したがって、昭和五五年分の収入であり、かつ、被告は昭和五五年の取引実績に基づく収入として池内からの五〇〇万円の入金を計上しているので二重計上にもなっている。

<3> 中条農協への昭和五六年四月二七日の現金四〇万円の入金

これも<2>の同様池内からの入金を原告の口座へ入れたものである。

<4> 中条農協への昭和五六年五月一三日の現金二〇万円の入金

これは、同農協における原告の口座の預金残高が僅少となってきたことから、手持ち資金から入金したものであり、事業収入ではないことが明らかである。

ウ 昭和五七年分について

<1> 信金森本支店への昭和五七年八月一一日の現金六〇万円の入金

これは同年の中谷装建(株)との取引による収入二八二七万円のうちの一部である五〇万円が現金で入ったものに、原告の手持資金一〇万円を足して口座に入金したものである。被告は右五〇万円につき同年の取引実績に基づく収入金額として計上しているのであるから二重計上であり、結局右六〇万円は預金口座入金から推認される収入額から控除されるべきである。

<2> 信金森本支店への昭和五七年一〇月二一日の現金二五万円の入金

これは昭和五六年に新築工事をした宮竹秀男から、クーラーの取付けを依頼され、電気店に取り次いだ際、原告が右電気店に立替え払いしていた分を右宮竹から受領したものであり、事業収入でないことは明らかである。

<3> 信金森本支店への昭和五七年一二月一日の現金一四五万円の入金

これは同年の浅永弘二との取引代金三一〇万円き一部を入金したものである。被告は右代金を同年分の取引実績に基づく収入金額として計上ているのであるから、二重計上である。

<4> 中条農協への昭和五七年一月八日の現金四〇万円の入金

これは前記昭和五五年中に完成・引渡した池内政雄方の工事代金の一部を入金したものであり、昭和五七年分の収入ではない。

4  被告の主張1のうち本件係争各年における必要経費の額について

被告主張の推計方法の合理性については争う。右方法による必要経費の具体的金額については知らない。

5  被告の主張1のうち事業専従者控除額について

昭和五五年分及び昭和五六年分については認める。昭和五七年分は事業所得がマイナスになるため、控除すべきではない。

6  被告の主張1(四)Ⅱ(昭和五七年分の土地等に係る雑所得)について

(一) 昭和五七年分の土地等に係る雑所得の存在については否認する。本件各土地の売買の主体はスミヨシ宅建であり、原告は単に名義を貸与したにすぎない。原告は本件土地の売買により利益は得ておらず、右売買による利益はスミヨシ宅建が得ているものである。

(二) 仮に原告が名義上のみならず、実質的にも甲乙丙各土地の売買の主体である場合の原告の雑所得(この所得が、昭和六二年改正前の租税特別措置法二八条の四に規定される土地等に係る雑所得として分離課税となることについては、原告も争わない。)は三二二万一九一五円である。右雑所得に係る収入及び必要経費の内訳は別表5記載のとおりである。

7  被告の主張(五)(資産負債増減法による原告の所得金額の算定)について

被告が主張する資産負債増減法による所得の推計の合理性は争う。

そもそも、資産負債増減法による推計方法が合理性を持つためには、資産、負債の期首・期末の評価は、原告の職種で考えられるすべての勘定科目をほぼ取り上げた上での評価でなくてはならない。しかして、被告は資産として土地、預金、借入金のみを取り上げているところ、この資産の評価方法では預金を形成した要因となる売掛金その他の資産の減少は反映されないことになり不合理である。また、資産負債増減法による所得算定の前提となる個々の項目の額についても問題があり(例えば、生活費につき、原告が自ら農業を営み、或いは農業を営む原告の父から米や野菜の供給を日常的に受けていることを勘案していないこと等)、この点からも不合理である。

五  原告の実額反証

1  本件係争各年度の原告の事業に係る必要経費の実額は昭和五五年分が六〇七六万三一九一円、昭和五六年分が八五五六万四八三三円、昭和五七年分が五〇一一万五七四九円であり(前記土地等に係る雑所得が発生する場合には昭和五六年分が八六〇七万三八六〇円、昭和五七年分が五〇七二万九二一四円となる。)、その内訳は別表6記載のとおりである。

2  被告は、実額反証により推計課税を破るためには、収入とそれを得るための必要経費のすべてについて個々の発生原因事実を遺漏なく主張する必要があると主張するところ、必要経費については前記のとおりであり、収入については、以下の点から遺漏なく主張するものであるといえる。

すなわち、外志子は金銭収支帳(甲大二七一号証)を記帳しているところ、右金銭収支帳は支出については記載漏れがあるものの収入についてはほとんど漏れなく記載されている。原告は右金銭収支帳を基にして売上げを主張しているのであるから、他に売上げのないことは明らかである。また、原告は本件証拠として出面を提出しているところ、原告の施工した工事はすべてこの出面に記載されており、それ以外の工事はなく、この出面からみても、原告が計上している売上げがすべての売上げであるといえる。さらに、原告の仕事はほとんどが住宅建設会社からの下請工事であり、被告が把握しているところばかりである。原告が直接請け負う個人の注文主は親戚関係か知人に限られており、数えるほどである。そして、請け負い代金の支払いは、通常全部手形、小切手でされ、しかも、取引金融機関はすべて反面調査で被告が把握しているのであるから、被告が知らない売上げは実際上あり得ないのである。

六  必要経費に関する原告の実額主張に対する被告の反論の概略

実額反証により推計課税を破るためには、収入とそれを得るための必要経費のすべてについて個々の発生原因事実を遺漏なく主張し、かつ、右事実を合理的な疑いをいれない程度にまで立証しなければならない。原告は、その収入金額、必要経費について一応、その額と内訳を主張しているところ、原告が収入額を網羅すると主張する金銭収支帳(甲大二七一号証)にはかなりの計上漏れが存在すること、原告は売上げに関する原始資料である請求書控や領収書控えを断片的にしか提出していないこと、原告が売上現価を証するものとして提出した書証には、その明細の明らかでないものが多数存在し、本件各係争年分の原告主張のどの収入金額に対応するものか判然としないこと等からして、原告の実額反証は認められない。

第三証拠

証拠関係は本件訴訟記録中の書証目録及び証人目録記載のとおりであるからこれらを引用する。

理由

一  請求原因1及び2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  被告の主張1(一)(推計課税の必要性)について

原告は、本件各処分が推計課税の必要性を欠くのになされた違法な処分である旨の主張をするので、以下推計課税の必要性の有無について検討する。

1  成立に争いのない乙第三号証ないし第五号証、証人荒谷正人及び同松本外志子の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告の昭和五五年ないし五七年分の所得税につき、原告の提出した確定申告書には、いずれも所得金額につき、事業専従者控除額及び所得金額のみが記載され、収入金額や必要経費の記載がないため、その所得金額算定の根拠が不明であるところ、原告の事業に係る従業員数等からみて、右申告に係る事業所得の金額は本件係争各年分とも過少である可能性があったこと、昭和五七年分の確定申告書には土地等に係る雑所得の金額の記載がなかったことから、被告は原告の本件係争各年分の事業所得及び分離課税の雑所得の各金額を確認すべく調査を開始した。

(二)  被告の右調査は荒谷正人係官(以下「荒谷」という。)が担当した。荒谷は、昭和五八年四月二六日(以下、特に断らない限り月日は昭和五八年のものとする。)調査のために原告方に赴いたが、不在であったため、所得税の調査に訪れたこと及び再度五月四日に原告方を訪れる旨を記載したメモを残したところ、四月二八日に外志子から、原告は山仕事や田圃の仕事があるため五月二〇日ころまで都合が悪いという旨の電話があった。右日時まではかなり期間があるので、荒谷は早く都合をつけてほしいと外志子に頼んだが、外志子は原告に都合がつくかは分からないと答えた。

(三)  その後、調査を進めるため、荒谷は、五月九日に原告方に赴いたが、原告らは不在であり、荒谷が同月一一日午前一〇時に再度原告方を訪れる旨のメモを残したところ、同月一〇日、外志子から原告は同月二〇日ころまでは都合が悪い旨の電話かあった。荒谷が同月一八日に再度原告方に赴いたところ、外志子がおり、荒谷は同女に原告の事業内容を尋ねたが要領を得なかった。そこで、荒谷は、外志子に対し、同月二三日午前一〇時に原告方を再度訪れる旨のメモを原告に渡すよう託けた。同月二三日の朝に外志子から都合が悪いので三、四日待って欲しい旨の電話があったため、荒谷は同月二六日に原告方に赴く旨を外志子に伝えた。

(四)  荒谷は、同月二六日に原告方へ赴き、初めて原告と面接した。荒谷は所得税の調査のために赴いた旨を述べ、帳簿書類と確定申告書の計算の基になった帳簿等の提示を求めたところ、原告は、三月に被告の松永有史係官(以下「松永」という。)が原告方を訪れた際、松永に話をしてあるから、同人に聞いて調べてくれと言った。荒谷は、松永から何も引継ぎを受けていなかったことから、原告に対し再度右書類の提示を求め、また、しっかりした帳簿がなくても毎日の取引をメモした出面帳、請求書、領収証があれば提示するよう求めたが、原告から一切書類の提出はなく、原告は銀行で調べてくれという趣旨の発言をするのみであった。荒谷は、原告が帳簿等を提示しなかったことから、原告に取引先を聴取しようとしたところ、原告は調べてもらえば分かると言い、右聴取に応じようとしなかった。また、荒谷は、昭和五七年の土地取得についても原告に事情を聴取しようとしたところ、原告はこれを拒絶した。そこで、荒谷は、これ以上調査を進めることができないことから、取引先の調査を進めることを告げて原告方を退去した。

(五)  荒谷は五月二六日の右調査状況を総括国税調査官に復命したところ、右統括国税調査官から原告方へ赴く臨戸による調査を打ち切り、取引先の調査を基礎に推計で所得を算定するように指示され、六月末に転勤するまで右取引先の調査等に従事した。そして、被告は、右調査結果を基礎にして、本件係争各年分の所得金額を推計によって算出し、本件各処分(ここでは、裁決による一部取消前のもの)を行った。

2  右認定事実によれば、原告は、被告の係官の税務調査にあたり、本件係争各年分の所得金額を実額で算定するに必要な書類等の提示をせず、調査にあたり非協力的な態度に終始したのであり、そのため、被告において原告の本件係争各年分の所得金額を実額で把握することができなかったのであるから、被告は推計課税を行う必要性があったものと認めることができる。

3  この点につき、原告は、昭和五〇年ないし昭和五二年分の所得税につき被告の税務調査を受け、右調査に協力したにもかかわらず取引銀行や取引先の反面調査をされた経験から、昭和五八年三月に松永が原告方を訪れた際、松永との間で原告の税務調査については取引銀行の調査を先行させる旨の合意をしており、そのため、原告は荒谷に対し帳簿書類等の調査の前に取引銀行の調査をしてくれと述べたものであること、荒谷が何回も原告を訪れた期間は原告が田植に従事していたところであり、真実忙しかったことからすると、原告は調査に対し非協力的態度をとったわけではなく、以上の事実に徴すれば、推計課税を行う必要性はないと主張し、原告は、本人尋問において右主張に沿う供述をしている。

しかしながら、いずれもその方式及び趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第一〇〇号証及び第一〇一号証並びに弁論の全趣旨によれば、松永が原告の昭和五〇年分ないし昭和五二年分の事業所得についての調査を行った際、原告は右調査に対し帳簿書類等を提示せず、非協力的態度であったこと、昭和五八年二月四日、松永が概況調査のため原告宅を訪れた際、原告は松永の質問に応ぜず、非協力的な態度であったことが認められる。また、証人荒谷の証言によれば、松永からは、原告の主張する調査方法の合意の点を含めて何ら引継ぎがなかったことが認められ(右合意があればその旨引き継ぐのが自然である。)松永と合意した状況については、原告も本人尋問において、原告が松永に対し銀行の調査を先行させるという調査方法を提案した際、松永は右方法を否定しなかったと述べるにとどまっている。以上の点に照らすと、前記原告の供述はにわかに信用することができず、他に右主張を裏付けるに足りる証拠はないことから、原告の右主張を採用することはできない。

三  本件係争各年分の事業所得中の収入金額の算定について

1  はじめに

被告主張の収入金額の算定方法は、原告の取引先等の調査により具体的に判明した係争各年分の取引実績に基づく収入金額に、原告が開設している金信森本支店、北陸銀行津幡支店及び中条農協(以下、右に述べた三つの金融機関をまとめて「本件金融機関」ということがある。)における原告名義の各預金口座(以下「本件各預金口座」という。)への入金総額から、右取引実績に基づく収入金額と事業収入とは明らかに無関係な入金額を控除した額を預金口座入金から推認される収入金額として加えて算定するものである。右預金口座入金から収入金額を推認する手法は、いわゆる「銀行預金高法」による推計課税方法である。

そこで、以下具体的に把握した取引実績に基づく収入金額、銀行預金高法による収入金額の順に検討していくこととする。

2  取引実績に基づく収入金額について

本件係争各年分の取引実績に基づく収入金額につき、各年とも別表2記載の各取引先の収入金額(預金口座入金から推認される収入金額欄の収入金額を除く。)から、以下に述べるもの(争いのあるもの)を除く部分がそれぞれ各年分の収入金額(昭和五五年分・一九九九万九〇〇〇円、昭和五六年分・二三六四万五二〇〇円、昭和五七年分・四八八三万六〇〇〇円)であることは、当事者間に争いがない。そこで、以下各取引先からの収入のうち、収入金額につき被告の主張と原告の主張が異なるものにつき、当裁判所の判断を示すこととする。

(一)  はじめに

本件係争各年分の取引実績に基づく収入金額の具体的内容につき、被告は預金への入金(乙第六号証ないし第九号証)を基として各年の期末の受取手形、未収入金を加算、減算し、現金取引当については被告の調査結果(乙第二八号証)や外志子作成の金銭収支帳(甲第二七一号証)等に基づいて主張し、一方原告は右被告の主張に対し個々具体的に反論している。

さて、本件係争各年分の収入額につき立証責任を負うのは被告であるが、被告において個々の入金の趣旨、根拠を立証するのは困難であるのに対し、原告においてこれらを立証するのは容易であるところ、原告の事業収入は請負代金の収入であり、原告は、請負工事が完成すれば速やかに請負代金を請求し、その支払いを受けるものと推認される。したがって、本件係争各年に請負代金の入金がある場合には、原告において右入金が当該係争各年分の収入に該当しないことを明らかにしない限り、これを当該係争各年分の収入と推認するのが相当である。

そこで以下、原告と被告の主張の異なる点につき、特に原告の主張する事実が認められるかを中心に検討することとする。

(二)  昭和五五年分について

(1) (株)羽喰建設からの収入について

別表7の1の(株)羽喰建設欄記載のとおり、昭和五五年に同社から入金があり(合計二八九一万円)、その入金額はすべて同年分の収入金額であることにつき、当事者間に争いがない。

原告は右金額以外に、昭和五六年二月一〇日に同社から入金のあった一八〇万円のうち、九九万九六二四円は昭和五五年分の売上げとして算入されるべきであると主張するのに対し、被告は右金額は昭和五六年分の収入に当たる旨の主張をし、原告の主張を否定している。

そこで右収入の帰属時期につき検討する。

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三九号証の九ないし一二、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一四〇号証の一八ないし二〇及び第二七五号証並びに弁論の全趣旨によれば、原告は、(株)羽喰建設の下請けとして、金沢国際ホテルの木工事を昭和五五年一一月三日から同年一二月二五日にかけ、めぐみ幼稚園の木工事を同月二〇日から同月二八日にかけそれぞれ行ったこと、原告から(株)羽喰建設への請負代金の請求(金沢国際ホテルの工事につき八四万三六二四円、めぐみ幼稚園の工事につき一五万六〇〇〇円、合計九九万九六二四円)は昭和五六年一月〆の請求書でされ、同年二月一〇日、(株)羽喰建設から原告に対し、右各工事の代金を含め一八〇万円の支払いがされたことが認められ、これらによれば、右各工事は昭和五五年内に完成し引き渡したものであることが推認される。そして、一般に請負契約による収入の確定時期は、引渡しを要するものは、その目的物を注文者に提供するときであり、引渡しを要しないものは、仕事の完成のときであるところ、右各工事は昭和五五年内に完成し、提供済みであることから、右各工事代金合計九九万九六二四円の収入は昭和五五年分の収入と認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

よって、昭和五五年分の(株)羽喰建設からの収入は、前記二八九一万円に右九九万九六二四円を加えた二九九〇万九六二四円となる。

(2) (株)辻建からの収入について

(株)辻建から別表7の1の同社欄記載のとおりの入金があったこと及び右入金のうち、昭和五五年一月一七日入金の二〇九万円及び同年四月三〇日入金の八〇万円を除き、同表同社欄記載の収入は昭和五五年分の収入金額であることにつき、当事者間に争いがない。被告は右二〇九万円及び八〇万円(合計二八九万円)も同年分の収入であると主張し、原告は右各入金は原告が昭和五四年に行った仕事の代金が入金したものであり、昭和五五年分の収入ではないと主張するので、この点につき検討する。

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五号証、第三九号証の二ないし八、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二九一号証、前掲甲第二七五号証及び弁論の全趣旨によれば、原告は、(株)辻建の下請けとして、昭和五四年内に、辻森邸新築工事(同工事追加分及び板金工事を含む。)、インテックス工事(株)雑工事、堤邸新築工事及び小僧ずし入江店内装工事の各工事を完了して引き渡し、右各工事につき、(株)辻建に同年一二月〆の請求書により代金(合計三二九万八四六八円)を請求したところ、昭和五五年一月一六日、同社から二八九万円(小切手二〇九万円、手形八〇万円、なお請求金額と支払金額の差額四〇万八四六八円は値引分である。)の支払いを受けたこと、小切手金二〇九万円が支払いにより入金となったのは同月一七日であり、手形金八〇万円が支払いにより入金となったのは同年四月三〇日てあることが認められる。右事実に照らせば、右各工事は、昭和五四年内に完成し引き渡したものと認められることから、右各工事代金合計二八九万円は昭和五四年分の収入として計上すべきであり、右各入金が昭和五五年にあったことをもって同年分の収入であると推認することはできず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、昭和五五年分の(株)辻建からの収入は、当事者間に争いのない八二一万五〇〇〇円となる。

(3) 中谷装建(株)からの収入について

ア 別表7の2の中谷装建(株)欄記載のとおりの入金があったこと及び右のうち昭和五五年一二月二九日入金の五〇万円及び同日入金の九〇万円が同社からの昭和五五年分の収入であることにつき、当事者間に争いがない。

また、原告は昭和五五年二月二六日入金の八万九四〇〇円及び同年四月一日入金の二万九八二〇円は事業収入ではなく貸付けによる利息収入であると主張するが、右いずれも同年の収入であることについては当事者間に争いがなく、所得税法二一条一項によれば利子所得は事業所得とともに総所得金額を構成するものであり、右入金額が利子所得、事業所得のいずれかに含まれようとも結論的に課税標準たる昭和五五年の総所得金額は変わらないので、右入金合計額一一万九二二〇円については、実質的には当事者間に争いがないものとし、同年分の収入金額として計上することとし、その収入の種類については特に論じないこととする。

イA 原告は、右中谷装建(株)欄記載の入金のうち、昭和五五年四月二二日、同月二三日の各三〇〇万円の入金は、昭和五四年分の収入である、また、昭和五五年二月一五日入金の二四万二四〇〇円は、原告が同年中に銀行借入れをして同社に貸し付けた六〇〇万円につき原告が同年中に銀行に払った利息を昭和五五年になってから同社が支払ったものであるから、いずれも昭和五五年分の収入額から控除すべきであると主張し、被告はこれらも同年分の収入であると主張するので、右の点につき検討する

B 成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、前掲甲第五号証、第二七五号証及び第二九一号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第四号証の一ないし三及び第二八一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものは認められる甲第一一〇号証の二、一二及び第一一三号証の三ないし五、証人難波俊明の証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

a 原告は昭和五四年中に次の三棟の建売住宅新築の大工工事を中谷装建(株)から請け負った。

ⅰ 所在 金沢市神田一丁目二四五番地二、二四四番地二

家屋番号 二四五番二

種類構造 木造瓦葺二階建居宅

ⅱ 所在 同所二四五番地一、二四四番地一

家屋番号 二四五番一

種類構造 木造瓦葺二階建居宅

ⅲ 所在 同所二四四番地三

家屋番号 二四四番三

種類構造 木造瓦葺二階建居宅

(以下、右各建物をそれそれ「ⅰ建物」、「ⅱ建物」、「ⅲ建物」という。)

ⅰ建物は大家清の注文により建築し、ⅱ建物及びⅲ建物は建売であった。

b 原告の右三棟の建物の大工工事は昭和五四年中に完成し(ⅰ建物の工事が最初に完成し、ⅱ建物及びⅲ建物の各工事も同年一〇月末までに完成した。)、原告は中谷装建(株)に対し、同年一一月〆の請求書により、右工事残代金一七七九万三一八三円を請求した。これに対し、中谷装建(株)は、同年一二月二六日、右支払いのために次の二通き約束手形を振り出した。

<1> 額面 三七四万五〇〇〇円

支払日 昭和五五年一月二五日

<2> 額面 一二五一万二二五三円

支払日 昭和五五年二月二五日

なお、請求金額と手形の額面合計額との間に一五三万五九三〇円差額があるのは、原告が右工事にあたり中谷装建(株)の材料を使用したり、同社の材料を引き取ったりしたため、その分控除されたからである。

c 中谷装建(株)は右<1>の手形につき昭和五五年一月二五日に支払いができなかったので、手形の書替えを行い、原告に対し次の<3>の約束手形を振り出した。

<3> 額面 三七四万五〇〇〇円

振出日 昭和五五年二月一五日

支払日 同年三月三〇日

次いで、同社は<2>の手形についても同年二月二五日までに支払いができなかったので、手形の書替えを行い、右手形金のうち一〇〇〇万円につき、原告に対し次の<4>の約束手形を振り出した。

<4> 額面 一〇〇〇万円

振出日 昭和五五年二月一五日

支払日 同年三月三〇日

d 中谷装建(株)は、右<4>の手形金のうち八〇〇万円につき、三月三一日、タイセイ商会振出しの八〇〇万円の小切手を原告に支払った。さらに、中谷装建(株)は、<4>の手形の残金二〇〇万円と<3>の手形金の支払いができなかったので、再度手形の書替えを行い、右支払いのため、昭和五五年四月二日、原告に対し次の<5>の手形を振り出した。

<5> 額面 五七四万五〇〇〇円

振出日 昭和五五年四月二日

支払日 同年四月二〇日

e 中谷装建(株)は、同年四月二〇日、右<5>の手形の決済として、金利と合わせて六〇〇万円につき、タイセイ商会振出しの額面三〇〇万円の小切手と、タワラ商会振出しの額面三〇〇万円の小切手を原告に交付し、前者は同月二二日に、後者は同月二三日にそれぞれ現金化された。

C 以上の事実については、前掲各証拠及び弁論の全趣旨により優に認めることができるが、被告はこれを否認するので、念のために右認定に至った過程につき敷衍すると、右認定事実全般については前掲甲第二七五号証、第二八一号証及び第二九一号証の原告の陳述書に記載されているところ、右各陳述書の記載は、次のとおり間接事実に裏付けられており、十分信用できるものである。

すなわち、まず、前記<1>及び<2>の約束手形が原告主張の住宅建築の支払いのためのものである点については、前掲甲第一号証ないし第三号証、第四号証の一ないし三、昭和五四年当時中谷装建(株)に勤務していた証人難波の証言及び弁論の全趣旨のよれば、当時、中谷装建(株)はⅱ建物及びⅲ建物以外には原告に建売住宅の建築を請け負わせたことはなかったこと、ⅰないしⅲ建物は所在地番が連続しており建築時期もほぼ同時であること、原告は昭和五四年一一月〆の請求書で中谷装建(株)に対し建売住宅A棟の建築請負代金として五八三万一〇六九円、建売住宅B棟分として六四二万七一八九円、建売住宅C棟として五五三万四九二五円(合計一七七九万三一八三円)を請求したこと、建築請負業者において建売で予め買主が決まっていない場合にはA棟、B棟というように請求書に記載することもあること、中谷装建(株)が<1>及び<2>の手形を原告に対して振り出す理由は右住宅建築請負代金の支払いのため以外にあり得ないことが認められ、これらの事実に照らせば、<1>及び<2>の手形はⅰないしⅲ建物の請負代金のために振り出されたとする前掲各陳述書の記載は十分信用できるものである。

また、<1>及び<2>の手形決済の流れについても、甲第五号証に各手形振出の事実が記載されており、右に関する原告の前掲各陳述書の記載は十分信用できるものである。

D 以上によれば、昭和五五年四月二二日及び同月二三日に入金した各三〇〇万円(合計六〇〇万円)は、昭和五四年中に完成した前記建売住宅工事の代金であり、これは昭和五四年分の収入であると認められる。

なお、被告は、ⅲの建物につき登記簿上の新築日付が昭和五五年一月二一日に、登記の日付が同年三月一〇日になっていることから、仮に右六〇〇万円がⅰないしⅲ建物の請負代金の一部であるとしても、ⅲ建物の代金は昭和五五年分の収入であるとも主張する。しかしながら、証人難波はⅲ建物についても原告の工事は昭和五四年一〇月末までには完成していたと証言しているところ、同証人の証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は中谷装建(株)からは一括請負ではなく大工工事を請け負っていたところ、通常、大工工事が終了してから建物全体が完成するまでに二週間から一か月程度の期間がかかり、実際にⅲ建物についても大工工事が完成した後に難波がブロック基礎当の外構工事を行ったこと、及び建売住宅の場合には、買主が決まってから表題部の登記することもあり、その場合には建物が完成しても表題部の登記が遅れることもありうることが認められ、これらの事実に照らせばⅲ建物における原告の工事は同年一〇月末までに終了していたとする証人難波の右証言は十分信用することができる。

以上の事実に照らすと、前記ⅲ建物の登記簿上の新築日付や登記の日付が昭和五五年になっていることをもって、前記各入金を同年分の収入であると推認することはできず、被告の右主張は採用できない。

ウ 原告が利息相当額と主張する二四万二四〇〇円について

元請会社からの入金は、通常下請代金であるから、右以外の収入であることが明らかにならない限りこれを下請代金と推認すべきであるところ、中谷装建(株)が原告の元請会社であることは当事者間に争いがなく、昭和五五年二月一五日の二四万二四〇〇円の入金につき、これが中谷装建(株)へ貸し付けていた六〇〇万円の金利分であっことこを窺わせるに足りる証拠はない。そうだとすると、右二四万二四〇〇円は昭和五五年の同社からの事業収入であるというべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

エ 以上によれば、昭和五五年の中谷装建(株)からの収入として計上すべき金額は、当事者間に争いのない収入(一五一万九二二〇円)は右二四万二四〇〇円を加えた一七六万一六二〇円となる。

(4) 中村秀夫からの収入について

別表7の2の中村秀夫欄記載のうち、昭和五五年四月七日入金の一五〇万円、同年八月一九日入金の一八〇万円及び同年九月二日入金の一三四万円については、入金の事実及びこれらが昭和五五年分の収入であることにつき当事者間に争いがない。

被告は同欄記載のとおりの入金があり、それらはすべて昭和五五年分の収入であると主張するところ、原告は右一五〇万円、一八〇万円及び一三四万円以外の入金の事実はないと主張する。

そこで、検討するに、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二七一号証によれば、別表7の2の中村秀夫欄記載のとおり、昭和五五年五月二一日に五〇万円の入金のあったことが、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき乙第二八号証によれば、同表同人欄記載のとおり、同年一二月三一日に二五万円、昭和五六年四月七日に三三万円の各入金のあったことが認められる。また、弁論の全趣旨によれば、原告の中村秀夫に対する工事は昭和五五年内に完成し引き渡したものと認められ、、昭和五六年四月七日の入金三三万円を含め、右合計一〇八万円の入金はすべて昭和五五年分の工事代金に該当するものと認められる。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の事実によれば、昭和五五年分の中村秀夫からの収入は、当事者間に争いのない四六四万円に右一〇八万円を加えた五七二万円となる。

(5) 川本清治からの収入について

別表7の4の川本清治記載のとおり昭和五五年に七八〇万円の入金があったことは当事者間に争いがない。

右入金について、被告は昭和五五年分の収入であると主張するのに対し、原告は昭和五四年の売上げとして計上すべきであると主張するので、検討するに、成立に争いのない甲第六号証及び第七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものは認められる甲第八号証並びに前掲甲第二七五号証によれば、昭和五五年の川本清治からの入金七八〇万円は、原告が昭和五四年中に建築し引渡しを終えた石川県河北郡津幡町字太田ほ一一〇番地六所在の建物(家屋番号一一〇番六、木造瓦葺二階建居宅)の建築代金の残金であることが認められる。右事実によれば、右入金は昭和五四年分の収入と認めるのが相当であり、右入金が昭和五五年内にあったことをもって、これを同年分の収入であると推認することはできず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

(6) 藤井洋和からの収入について

この点についての原告の主張は自己に不利益な事実の主張であり、被告は特に右事実を争っていないのでこれを援用したものと解され、結局、原告の右主張は先行自白となる。したがって、藤井洋和からの入金額四万五三八〇円は原告の昭和五五年分の収入として計上されることになる。

(7) 北方章からの収入について

別表7の5の北方章記載のとおり、昭和五五年に合計三二万円の入金があったことは当事者間に争いがない。

右各入金について、被告は昭和五五年分の収入であると主張するのに対し、原告は同年分の売上として計上すべきでないと主張するので、検討するに、成立に争いのない甲第二九八号証、前掲甲第二七一号証(特に同号証二枚目「北方残金一〇二万」の記載)及び弁論の全趣旨によれば、昭和五五年の北方章からの各入金は、原告が昭和五四年中に完成し引き渡した北方章居宅の建築工事代金であると認められ、右事実に照らすと、右各入金が昭和五五年内にあったことをもって、これらを同年分の収入であると推認することはできず、他に被告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

(8) 上田実からの収入について

別表7の5の上田実欄記載のとおり、昭和五五年に一一〇万円の入金があったことは当事者間に争いがない。

右入金について、被告は昭和五五年分の収入であると主張するのに対し、原告は同年分の売上として計上すべきでないと主張するので、検討するに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二七六号証及び第二七七号証、前掲甲第二七五号証及び第二八一号証並びに原告本人尋問の結果によれば、右入金は昭和五四年中に着工・完成した金沢市舘町の上田実方土蔵改築工事の請負代金残金の入金であると認められ、右事実に照らすと、右入金が昭和五五年内にあったことをもって、これらを同年分の収入であると推認することはできず、他に被告き右主張を認めるに足りる証拠はない。

(9) 中谷装建(株)に対する貸付等による同社からの金利収入

この点についての原告の主張は、自己に不利益な事実の主張であり、被告が特にこれを争っていない限り、被告は右主張事実を援用しているものと解すべきである。

しかるところ、原告が中谷装建(株)に貸した六〇〇万円の金利一一万九二二〇円につき被告は特にこれを争っておらず、また、同社に対する手形の書替えに関する金利二五万五〇〇〇円については、被告の平成四年四月一七日付準備書面(五一頁)によれば右手形書替えの事実を否定するかのようであるが、右主張をもって、手形書替えの事実が認定された場合にも右金利収入を否定する趣旨であると解されない。

したがって、前記(3)イ記載のとおり手形書替えの事実が認められるところから、被告は原告の右主張事実を援用するものと解され、結局、原告の右主張事実は先行自白となり、合計三七万四二二〇円は金利収入として昭和五五年分の収入となる。

(10) 以上によれば、原告の昭和五五年の取引実績に基づく収入金額は、前記2冒頭記載の当事者間に争いのない金額一九九九万九〇〇〇円と(1)の二九九〇万九六二四円、(2)の八二一万五〇〇〇円、(3)の一七六万一六二〇円、(4)の五七二万円、(6)の四万五三八〇円、(9)の三七万四二二〇円の合計額である六六〇二万四八四四円となる。

(三)  昭和五六年分について

(1) (株)羽喰建設からの収入について

別表8の1の(株)羽喰建設記載のとおりの入金のあったこと及び昭和五六年二月一〇日入金一八〇万円のうちの九九万九六二四円を除き、同表同欄記載の入金(合計二七五四万二三七六円)が同社からの昭和五六年分の収入であることについては、当事者間に争いがない。

そして、前記(二)(1)において認定したとおり、右九九万九六二四円は、昭和五五年分の収入として計上すべきものと認められ、右事実に照らすと、右九九万九六二四円の入金が収入五六年内にあったことをもって、これを同年分の収入であると推認することはできず、他にこれが同年分の収入であるとする被告の主張を認めるに足りる証拠はない。

したがって、同年分の(株)羽喰建設からの収入は当事者間に争いのない二七五四万二三七六円となる。

(2) スミヨシ宅建からの収入について

ア 別表8の1のスミヨシ宅建欄記載のとおり入金のあったこと、昭和五六年六月五日き一三五〇万円の入金及び昭和五七年二月五日の一五〇〇万円の入金のうちき一四五〇万五〇〇〇円が同社からの昭和五六年分の収入であること並びにスミヨシ宅建が原告の元請会社であることについては、当事者間に争いがない。さて、被告は同表同欄記載の入金はすべて昭和五六年分の収入であると主張するのに対し、原告は右一三五〇万円及び一四五〇万五〇〇〇円以外についてはこれを否認するので、検討することとする。

イ 昭和五六年九月三〇日の入金二〇〇万円につき、原告はスミヨシ宅建に貸し付けた金員の一部が支払われたものであると主張するが、本件全証拠を検討するも、右貸付けの事実及び右二〇〇万円が右貸付金の支払いであることを窺わせるに足りる証拠はない。前記のとおり、元請会社からの入金は、事業収入以外の事由による入金であることが明らかにならない限り、下請代金と推認すべきであるから、右二〇〇万円は昭和五六年のスミヨシ宅建からの事業収入というべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

ウ 昭和五六年二月五日の入金一五〇〇万円のうち四九万五〇〇〇円につき、原告は本来スミヨシ宅建が支払うべき建売住宅の設計料を原告が立て替え、右立替分を同社から帰してもらったものであると主張するところ、原告は右建売住宅工事の受注書、契約書等の工事に関する資料を提出しておらず、右設計料が請負代金とは別とされていたことを窺わせるに足りる証拠はない。したがって、イで述べたのと同じ理由により、右四九万五〇〇〇円も昭和五六年のスミヨシ宅建からの事業収入というべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

エ 昭和五六年九月三〇日の入金八〇〇万円について

成立に争いのない甲第二九六号証の二、原本の存在及びその成立に争いのない乙第六号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものは認められる甲第一八八号証の一〇及び第二九六号証の一並びに弁論の全趣旨によれば、原告が所持し金信森本支店に預けていたスミヨシ宅建振出しの約束手形(支払日昭和五六年九月三〇日、額面八〇〇万円)が、同日依頼返却となったこと認められる。右によれば、金信森本支店の原告の普通預金通帳の入金明細表には、昭和五六年九月三〇日代金取立てによりスミヨシ宅建から八〇〇万円の入金があり、同日八〇〇万円の出金があった旨の記載があるが、これは右手形が既に金信森本支店に預けてあったため同支店のコンピューター処理の関係で一旦入金となり、依頼返却となったためさらに出金処理されたものであると考えられる。

したがって、右八〇〇万円は現実には入金しなかったものと考えられ、右明細書の入金の記載をもって八〇〇万円の入金の事実を推認することはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

オ 以上により、昭和五六年のスミヨシ宅建からの収入は、当事者間に争いのない二八〇〇万五〇〇〇円に右イ及びウで収入と認定した二四九万五〇〇〇円を加えた三〇五〇万円となる。

(3) 中谷装建(株)からの収入について

別表8の2の中谷装建(株)欄中、昭和五六年六月二日入金の九〇万円を除き同表同欄記載のとおりの入金のあったこと及び右入金額(合計八八一万六〇〇〇円)が同社からの昭和五六年分の収入であることについては、当事者間に争いがない。

被告は右九〇万円についても同年分の収入であると主張するのに対し、原告は、これは同社から同年六月四日支払日の小切手を同月二日に受け取り、銀行に取立て委任したところ、支払日前の同月三日に依頼返却で出金処理され、結局原告の手元に入らなかったものであると主張する。そこで、検討するに、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一八八号証の六によれば、金信森本支店の原告の普通預金通帳の記載上は、同月二日に同月四日支払日の額面九〇万円の他店渡小切手が入金扱いとなり、同月三日に九〇万円が出金され、摘要欄に振替を表す「振」の記載があることが認められる。しかしながら、入金の翌日に同額の出金があること及び出金欄に「振」の記載があることをもって、右が依頼返却の事実の現れであると判断することはできず、他に右小切手が依頼返却されたことを認めるに足りる証拠はない。

したがって、前記(二)の(3)ウで既に述べた理由により、右九〇万円は昭和五六年の中谷装建(株)からの事業収入であるというべきであり、同年分の同社からの収入は当事者間に争いのない八八一万六〇〇〇円に右九〇万円を加えた九七一万六〇〇〇円となる。

(4) 以上によれば、昭和五六年の取引実績に基づく収入は、前記2冒頭記載の当事者間に争いのない金額二三六四万五二〇〇円と(1)の二七五四万二三七六円、(2)の三〇五〇万円、(3)の九七一万六〇〇〇円の合計額である九一四〇万三五七六円となる。

(三)  昭和五七年分について

(1) (株)野村木材からの収入について

(株)野村木材から二四三万円の入金があったことは当事者間に争いがない。

右入金について、被告は昭和五七年分の収入であると主張するのに対し、原告は昭和五八年分の収入とされるべきであると主張するので、検討する。

被告は右入金の年月日を主張していないため、これが昭和五七年分の収入てあるとする根拠は明らかではない。かえって、弁論の全趣旨により真正に成立したものは認められる甲第三九号証の一四ないし一六、前掲甲第二七五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は(株)野村木材の作業場兼事務所新築工事を請け負い、昭和五七年一二月一五日に右工事を開始して昭和五八年一〇月三〇日に右工事を完了したこと、右工事の代金は昭和五八年一月〆の請求書で行い、同年二月二日に二四三万円の支払いを受けたことが認められ、これらによれば右工事が完成したのは昭和五八年であるから、右工事代金は昭和五八年分の収入として計上すべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠は見当たらない。よって、右二四三万円の入金をもって原告の昭和五七年分の収入であるとする被告の主張は認められない。

(2) 自家消費について

昭和五七年中に原告の実家である石川県河北郡津幡町南中条七号一一番地所在の建物が増築されていることについて当事者間に争いがないところ、被告は原告が建築工事業を営むところから、右増築工事は原告が原告の所有する材料等を使って行ったものと推認され、右材料等のたな卸し資産の価額を事業所得の収入金額に計上すべきであると主張する。しかしながら、原告の実家に住む父が自分の材料をもって自分で増築したり、原告以外の業者に増築を依頼することもありうるのであって、原告が建築工事業を営んでいるという一事をもって、原告が自己の所有する材料により右増築をしたと認めることはできなというべきである。そして、本件全証拠を検討しても、他にこれを認めるに足りる証拠はないことから、右増築に係るたな卸し価額をもって原告の昭和五七年分の事業収入金額に計上すべきであるとする被告の主張はにわかに採用できない。

(3) なお、不動建設(株)振出しの小切手金二〇万円については、それが事業収入(被告主張)か貸付金利息金としての雑収入(原告主張)かにつき争いがあるが、右のいずれであるかにより課税標準たる総所得金額は変わらないので、ここでは事業収入額に含めて計算することとする。

(4) 以上によれば、昭和五七年分の原告の取引実績による事業収入は、前記2冒頭記載の当事者間に争いのない金額四八八三万六〇〇〇円と(3)の二〇万円の合計額である四九〇三万六〇〇〇円となる。

3  預金口座入金から推認される収入金額について

まず、原告の預金口座から事業に係る収入金額を推認するという収入に関する推計方法の合理性について検討する。

原本の存在及びその成立に争いのない乙第七号証、弁論の全趣旨により原本の存在及びその成立が認められる乙第八号証、一頁及び最終頁は弁論の全趣旨により原本の存在及びその成立が認められ、その余の部分の原本の存在及びその成立は当事者間に争いがない乙第九号証、前掲甲第二七五号証、第二八一号証、第二九一号証及び乙第六号証、原本本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、<1>本件各口座上の原本の収入は、金融期間からの借入れと他の預金からの振替(普通預金から当座預金への振替)を除くとほとんど被告の税務調査により明らかとなった事業収入であり、かつ、右借入れ振替は事業資金の確保及び事業収入の保管に係るものであるから、本件各預金口座は事業のために使用されていたといえること、<2>商人の預金の資金源は通常事業収入であるところ、原告の収入源は若干の農業収入(原告は麦を作っているところ、両当事者とも麦生産による所得を問題としていないところからすると、原告の所得計算上は無視できる程度のものであると考えられる。)を除き、専ら建築請負工事収入であること、<3>原告は請負工事収入をほぼ本件各金融機関の本件各預金口座へ入金していたこと、<4>被告が取引先の調査によっても誰からの入金かが判明しない収入が現実に存在したこと(被告の平成元年七月一四日付準備書面における預金口座入金から推認される収入金額と、平成4年四月一七日付準備書面におけるそれを比較すると、金額にかなりの違いがあり、これは本件訴訟における原告の主張立証により初めて誰からの入金かが判明したものがかなり存在することを示している。)等の事実が認められる。右事実照らすと、原告の各預金口座上の収入から右金融機関からの借入れ、他の預金からの振替等明らかに事業とは無関係な入金を控除し、さらに取引先に対する税務調査等により被告が具体的に把握した事業収入及び重複計上分を控除した残額をもって、原告の事業収入であると推認するのは、合理的な推計方法であると認められる。

そして、一般的に商人は預金口座上の個々の収入(特に営業に関連する収入)の根拠につき比較的正確に把握していると考えられること、原告は被告に比べ右収入の根拠を立証するのが極めて容易であることに照らすと、被告において本件各口座における原告の各収入のうちの相当程度につきその根拠を立証したならば、残余の金額については、原告においてその入金経路ないし根拠を明らかにしない限り(すなわち、前記収入金額から控除される性格の金額であることを明らかにしない限り)、これを事業所得と推認するのが相当であるというべきである。

これを本件についてみると、前掲乙第六号証ないし第九号証、証人今村勉の証言及び弁論の全趣旨によれば、被告は、本件各口座における原告の各収入の大部分につき、その根拠を明らかにして預金交差から推認される収入額から控除していることが認められ(本件各口座の預金通帳や入出金明細表等から金融機関からの借入れや他の預金口座からの振替入金額の算定は容易であり、実際に被告は右算定を行っており〔原告も右算定額については特に争ってはいない。〕、また、取引先からの事業収入についても、原告が本件訴訟において提出した資料等も勘案して十分に把握し、立証しているものと認められる。)、したがって、被告が預金口座から推認される収入としてあげるものにつき、原告がその入金経路ないし根拠を明らかにしない限り、これを事業収入と推認するのが相当である。

右に述べた意味で、本件における被告主張の銀行預金高法は合理的な推計方法であると認められる。

そこで、以下、被告が預金口座から推認される収入として事業収入に該当すると主張するものにつき、原告が個々具体的に反論している点について検討することとする。

(一)  昭和五五年分について

(1) 金信森本支店への昭和五五年三月三一日の小切手での二〇〇万円の入金

原告は、右二〇〇万円は、昭和五四年分の中谷装建(株)に対する売上金の支払いとして額面八〇〇万円の小切手の入金があり、そのうち二〇〇万円を金信森本支店の預金口座へ入金したものであると主張し、右主張と同内容の陳述書(前掲甲第二八一号証)を提出する。

ところで、右入金の事実については当事者間に争いのないところ、前記三2(二)(3)イBで述べたように、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、中谷装建(株)は昭和五四年中の工事代金の一部の支払いとして、昭和五五年三月三一日にタイセイ商会振出しの額面八〇〇万円の小切手を原告に交付したことが認められる。そして、成立に争いのない甲第二七八号証の一及び二並びに前掲各証拠によれば、金信森本支店が原告に手形貸付の方法て貸し付けていた六〇〇万円が右同日に返済されていること、右返済と右八〇〇万円の小切手による入金が同日に行われていることが認められ、返済金額が多額であることと考え併せると、原告は右八〇〇万円を基にして右六〇〇万円の返済をしたものと推認される。

そして、右認定事実によれば、原告は昭和五五年三月三一日に交付された額面八〇〇万円の小切手を基にして、二〇〇万円を金信森本支店の預金口座へ入金し、残りの六〇〇万円を手形貸付けの返済金六〇〇万円にあてたものと考えるのが自然であり、甲第二八一号証(原告の陳述書)の本項に関する部分は信用することができる。

以上によれば、標記二〇〇万円は昭和五四年分の収入であり、本項の収入から控除すべきであるとする原告の主張は、これを認めることができ、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(2) 金信森本支店への昭和五五年八月一九日の現金一二〇万円の入金

原告は、右金額は昭和五五年の池内政雄宅増築工事の頭金として入金したものであると主張し、右主張に沿う証拠としては前掲甲第二七五号証及び原告本人尋問の結果があるところ、右証拠は、いずれも原告の記憶に基づくものにすぎず、右現金一二〇万円がまさに右池内宅増築工事の頭金である点についての裏付け証拠が全くないことに照らすと、にわかに信用できない。したがって、原告の右主張は採用できず、右一二〇万円は同年における池内宅工事収入とは別に、原告の収入金額として計上すべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 北陸銀行津幡支店への昭和五五年七月三一日の現金九万円の入金

原告は、右入金は手持ち資金から入金したもので収入として計上すべきではないと主張する。そこで検討するに、そもそも前記のとおり、銀行預金高法は、商人の預金の資金源が事業所得に依存する度合いが強いところにその合理性の根拠が認められるのであるから、これを争う原告は、まさにその手持ち資金の資金源を明からにする必要があるところ、原告は右資金源を何ら明らかにしていないことから、右入金額を収入金額と推認することに対する有効な反論をしていないものと言わざるを得ない。また、右九万円が原告の手持ち資金から入金したものであると認めるに足りる証拠もない。

(4) 以上によれば、預金口座から推認される収入として(2)と(3)の合計額一二九万円を昭和五五年分の原告の事業収入額に計上すべきであると認められる。

(二)  昭和五六年分について

(1) 金信森本支店への昭和五六年一二月二六日の現金一〇〇万円の入金

原告は、このうち、七〇万円は真舘忠良からの昭和五五年中の仕事代金の残金、三〇万円は原告の実父に対する立替金の返済分であり、いずれもここに計上すべきではないと主張する。

しかしながら、右主張につき、これに沿う証拠として前掲甲第二七五号証(原告の陳述書)及び原告本人尋問の結果があるものの、いずれも原告の記憶に基づくものにすぎず、裏付け証拠を全く欠いており(原告摘示の甲第二七一号証によっても、右七〇万円が昭和五六年一二月中に支払われたことが窺われるにすぎず、裏付け証拠とはなり得ない。また、右三〇万円が原告の実父に対する立替金の返済分である点についての裏付け証拠は全くない。)、これらをにわかに信用することはできない。したがって、原告の主張は採用できず、右現金一〇〇万円は本項の収入として計上すべきであり、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(2) 北陸銀行津幡支店への昭和五六年二月一四日の現金二六五万円の入金

原告は、これは昭和五五年中に完成した池内政雄方の増築工事代金五〇〇万円のうちの一部が入金したものであり、本項の収入として計上すべきではないと主張し、甲第二七五号証(原告の陳述書)には右主張に沿う部分が存在する。

そこで検討するに、成立に争いのない甲第二七四号証、前掲甲第二七五号証及び弁論の全趣旨によれば、池内政雄の居宅(所在・石川県河北郡津幡町字庄へ二二番地一八、同番地一九、家屋番号・字庄へ二二盤一八ノ一)の登記簿には昭和五五年一二月一八日の増築を原因として昭和五六年一月七日に居宅の構造及び床面積の変更が記載されていること、池内は昭和五六年一月二九日、住宅金融公庫から二七〇万円を借り入れ、同日右居宅に住宅金融公庫のために抵当権を設定したこと、原告は同年二月一四日、北陸銀行津幡支店の預金口座に現金二六五万円を入金したことが認められる。右事実によれば、借入先が住宅金融公庫であることからして、池内は増築代金の支払いのために右借入れをして、そのころ原告に右代金を支払ったものと推認でき、さらに右借入れ期日と二六五万円の入金期日が比較的近接していること及び右借入金額と入金金額の差が五万円しかないこと、経験則上現金も二七〇万円程度の金額となれば預金するのが通常であると考えられることに、被告も池内方増築工事代金五〇〇万円の入金日を特定して主張していないことを考え併せると、右現金二六五万円は昭和五五年中に完成した池内方増築工事代金の一部であるとする甲第二七五号証(原告の陳述書)の部分は十分に信用することができ、原告の主張を認めることができる。他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(3) 中条農協への昭和五六年四月二七日の現金四〇万円の入金

原告は(2)同様池内政雄からの入金を原告の口座へ入れたものであると主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。

(4) 中条農協への昭和五六年五月一三日の現金二〇万円の入金

原告は手持資金から入金したものであると主張するが、前記(一)(3)で述べたように手持資金の資金源を明からにしていない以上、標記入金額を収入金額と推認するにつき何ら有効な反論とはならない。また、標記入金が手持資金によるものであるはと認めるに足りる証拠もない。

(5) 以上によれば、預金口座入金から推認される収入として(1)、(3)及び(4)の合計額一六〇万円を昭和五六年分の原告の事業収入に計上すべきであると認められる。

(二)  昭和五七年分について

(1) 金信森本支店への昭和五七年八月一一日の現金六〇万円の入金

原告は中谷装建(株)から下請代金として入金した現金五〇万円に手持資金一〇万円を足して同支店の預金口座に入金しものであると主張するところ、前掲甲第二七一号証によれば中谷装建(株)から同年八月に五〇万円の入金があったことは窺えるものの、入金日は不明であり、結局、本件全証拠を検討しても、原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。

(2) 金信森本支店への昭和五七年一〇月二一日の現金二五万円の入金

同年一〇月二一日、原告が金信森本支店の預金口座に現金二五万円を入金したことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二七九号証、前掲甲第二七五号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和五七年四月ころ、昭和五六年に原告に対し居宅の建築工事を依頼した宮竹秀男からクーラーの取付けを依頼され、同年五月ころに電気屋を紹介し、右クーラー本体と取付工事の代金二五万円を右電気屋に立替払いしていたところ、同年一〇月二〇日に宮竹から右立替金二五万円の支払いを受けたことが認められ、これによれば、本項二五万円の入金は、宮竹が原告に対し右立替金を支払ったものを原告が右預金口座へ入金したものと認められる。したがって、右二五万円は事業収入とは無関係であり、事業収入から控除されるべきであると認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(3) 金信森本支店への昭和五七年一二月一日の現金一四五万円の入金

原告が同年一二月一日に、金信森本支店の預金口座へ現金一四五万円を入金したことについては当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二八〇号証の一ないし五、前掲甲第二七五号証、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、同年中に原告と取引をした浅永弘二は、原告に対し、同年一一月二八日に一〇〇万円、同月三〇日に五〇万円、昭和五八年二月二日に一六〇万円を現金で支払ったことが認められる(乙第一〇号証の二には最初の五〇万円の支払いが昭和五七年一〇月三〇日と記載されているが、右は浅永の誤記であると認められる。)右事実によれば、浅永から同年一一月二八日及び同月三〇日に受け取った金額は合計一五〇万円となり、受取期日と入金期日が近接していること及び受取金額と入金金額の差が五万円しかないことから、本項一四五万円は、浅永から受け取った一五〇万円のうち一四五万円が入金されたものであると認められる。

そして、前記2冒頭に記載したとおり、浅永からの収入三一〇万円は、昭和五七年の取引実績に基づく収入として既に原告の収入金額に計上している(当事者間に争いのない事実)のであるから、本項の一四五万円は重複計上分として控除すべきであると認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(4) 中条農協への収入五七年一月八日の現金四〇万円の入金

原告は池内政雄の工事代金の一部の入金であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。

(5) 以上によれば、預金口座から推認される収入として(1)及び(4)の合計額一〇〇万円を昭和五七年分の原告の事業収入に計上すべきであると認められる。

4  以上によれば、本件係争各年における原告の事業所得は、<1>取引実績に基づく収入額と<2>預金口座入金から推認される収入額とを加えることにより算定でき、結局、昭和五五年分が六七三一万四八四四円(<1>六六〇二万四八四四円と<2>一二九万円の合計額)、昭和五六年分が九三〇〇万三五七六円(<1>九一四〇万三五七六円と<2>一六〇万円の合計額)、昭和五七年分が五〇〇三万六〇〇〇円(<1>四九〇三万六〇〇〇円と<2>一〇〇万円の合計額)となる。

四  昭和五七年分の土地等に係る雑所得について

1  成立に争いのない甲第一四号証ないし第一六号証、第二三号証、第二四号証及び第三〇号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二二号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一七号証ないし第二一号証、第二五号証ないし第二九号証、第三二号証、第三三号証、第三四号証の一、二、第三号証の一、二、第三六号証ないし第三八号証及び第三九号証の一、弁論の全趣旨により原本の存在及びその成立が認められる乙第二六号証及び第二七号証、前掲甲第二八一号証及び第二九一号証並びに弁論の全趣旨によれば、甲地、乙地及び丙地の売買の経緯に関し、以下の事実を認めることができる(以下、右三筆の売買については、実質所得者課税の原則との関係で、実質的な当事者間が原告なのかスミヨシ宅建なのかが問題となるが、この点については後に検討することとし、ここでは各売買契約書の記載に従い、一応原告を当事者として論を進めることとする。)。

(一)  昭和五六年七月一六日、原告は金沢市千日町三一九番の土地及び同所三九三番の土地につき、右二筆の所有者である宮竹秀男及び宮竹美智子(以下「宮竹ら」という。)との間で、これを代金八〇〇〇万円で買い受ける旨の売買契約を締結し、同日、宮竹らに対し右売買代金のうち八〇〇万円を支払った。原告とスミヨシ宅建との間には、右支払いのために原告が金融機関から借りた八〇〇万円の金融機関に対する金利は同社が負担する旨の合意があった。

右二筆の土地は同年八月四日に合筆された(地番は三一九番となった。)。

(二)  原告は、同年八月二六日、八百為次(以下「八百」という。)との間で、スミヨシ宅建を代理人として乙地(そのう当時、乙地は同所三一九番の二という地番ではなく、右三一九番の土地のうち面積三一・四七平方メートルの部分として特定されていた。)を五六〇万円で売却する旨の売買契約を締結した。また、原告は、同年九月六日、石野竜山、石野和子、石野洋及び石野千津子(以下「石野ら」という。)との間で、同じくスミヨシ宅建を代理人として甲地(その当時、甲地は同所三一九番の一という地番ではなく、前記三一九番の土地のうち面積四四七・〇八平方メートルの部分として特定されていた。)を八一〇〇万円で売却する旨の売買契約を締結した。右三一九番の土地は、昭和五七年一月一九日、甲地部分を同所三一九番の一とし、乙地部分を三一九番の二として分筆された。

(三)  昭和五六年七月、スミヨシ宅建は丁地につき、同地の所有者である下野吉雄(以下「下野」という。)との間で、同地を三八八五万一〇〇〇円で買い受ける旨の売買契約を締結し、同日、下野に対し売買代金のうち三八〇万円を支払った。次いで同月二八日、スミヨシ宅建は同地を四一〇〇万円で原告に売却し、同日、原告は右売買代金のうち八〇〇万円を同社に支払った。原告とスミヨシ宅建との間には、右支払いのために原告が金融機関から借りた八〇〇万円の金融機関に対する金利は同社が負担する旨の合意があった。

(四)  丁地は換地処分の後、丙地と戌地に分筆され、原告は同年一〇月一六日、宮竹らとの間で丙地を二六六〇万円で売り渡す旨の売買契約を締結した。なお丙地き登記は下野から宮竹らに直接移転された。

戌地は昭和五八年一〇月一一日、原告から下村登に売却されるまで、原告が所有していた。

(五)  昭和五六年八月二四日、原告は宮竹らとの間で、丙地に宮竹らの居宅を建築し、請負代金は二〇五〇万円、その支払いは原告が宮竹らに対して負う甲地及び乙地の売買代金債務と相殺決済とする旨の建築請負契約を締結した。宮竹らの居宅は同年一二月三〇日までに完成した。

2  本件各土地売買における実質的所得者について

(一)  前記1記載の認定事実及び前掲各証拠並びに弁論の全趣旨によれば、<1>金沢市千日町三一九番の土地及び同所三九三番の土地を買い、これを合筆の上、甲地と乙地に分筆して売却したのはまさに原告であること、<2>原告は右転売により、契約金額を単純に比較しても六六〇万円の利益を得ていること、<3>丁地をスミヨシ宅建から購入し、そのうちの一部を丙地として宮竹らに売却したのはまさに原告であること、<1>原告は、後述のとおり、右転売により、宮竹らへ売却した金額である二六六〇万円から丙地の取得価格二五三八万五二九四円をひいた一二一万四七〇六円の利益を取得していること等の事実が認められ、これらの事実に照らすと、経済的利益の帰属の点を含め、いかなる意味においても、本件各土地売却の主体は原告というべきである。

(二)  この点につき、原告は本件各土地の取引により原告は利益を得ていないと主張し、これに沿う証拠として甲第三九号証の一(スミヨシ宅建社員佐々木幸信の証明書)を提出する。しかしながら、右(一)において検討したところからして右証明書をにわかに信用することはできず、他に原告の右主張を認めるに足りる証拠はない。前掲各証拠及び弁論の全趣意によれば、原告が本件各土地の売買を行ったのは、当時経済的に苦しかったスミヨシ宅建の依頼を受けたためであり、右売買はスミヨシ宅建の発案であることが窺われるが、右は原告が本件売買を行った動機に過ぎず、これにより原告が売買の当事者ではなくなるものとは到底認められない。

3  前掲各証拠は、以下摘示の証拠及び弁論の全趣旨によれば、本件各土地の売却に関する原告の総収入金額及び必要経費額は、以下のとおり認められる。

(一)  総収入金額(売却代金) 一億一三二〇万円

内訳は、甲地につき八一〇〇万円(特に前掲乙第二六号証)、乙地につき五六〇万円(特に前掲乙第二七号証)、丙地につき二六六〇万円(現実には原告の宮竹らに対する債務と相殺決済された。)である。原告は、甲地及び乙地の代金が合計八五六〇万円であると主張し、甲第二八一号証(原告の陳述書)でも同旨を述べるが、他に右主張を裏付けるに足りる客観的証拠はなく、右乙第二六号証及び第二七号証に照らすと、原告の右主張はにわかに採用しがたい。

(二)  必要経費額 合計一億〇八五二万三二〇九円

(1) 三筆の取得価格 一億〇五三八万五二九四円

A 甲地及び乙地 八〇〇〇万円

B 丙地 二五三八万五二九四円

丁地の取得価格は四一一〇万円は認められ(前掲甲第二〇号証。原告は右取得価格は四三〇五万一〇〇〇円であると主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)、これを分筆後の丙地と戌地の面積割合で丙地部分の取得価格を算出すると、右の金額となる。

41,100,000円×231m2/374m2=25,385,294円

(2) 甲地及び乙地上にある家屋の取壊費用及び整地費用 一〇五万六〇〇〇円

原告は、仮に本件各土地の売買が原告の雑所得にあたる場合の右売買に係る必要経費として、本項目をたて、これを被告主張の一〇五万六〇〇〇円よりも少ない一〇〇万円と主張していることから、被告主張の右額を争う趣旨ではないものと解され(すなわち、被告主張額の範囲で当事者間に争いがないことになる。)、家屋の取壊費用及び整地費用は標記のとおりとおりとみることができる。

(3) 谷口土地家屋調査士への測量代金の支払い 二〇万円

当事者間に争いがない。

(4) 本件各土地取得に係る借入金利息 一一一万九九一五円

当事者間に争いがない。

(5) 本件各土地の埋立てないし擁壁工事費用 七〇万二〇〇〇円

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一七〇号証の一ないし六、前掲甲第二八一号証及び弁論の全趣旨によれば、甲地及び乙地の擁壁工事費用として四六万二〇〇〇円、丙地の擁壁工事費用として二四万円を認めることができる。原告は丙地の埋立費用として二九万円を主張し、これに沿う証拠として甲第一六九号証の一ないし二を提出するが、同号証の一には、工事名が高竹邸盛土工事、工事面積が三六〇平方メートル(丙地は約二三一平方メートルである。)と記載されていることに照らすと、右証拠により原告の右主張を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(6) 印紙代 二万円

前掲甲第三六号証及び第二八一号証によりこれを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(7) 抵当権抹消登記、建物滅失登記費用 四万円

前掲甲第三七号証及び第二八一号証によりこれを認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(三)  所得額 四六七万六七九一円

総収入額一億一三二〇万円から必要経費額一億〇八五二万三二九〇円を引くと右金額となる。

4  以上によれば、原告の土地等に係る雑所得は、四六七万六七九一円となる。

五  必要経費に関する推計(同業者比率法)の合理性について

成立につき争いのない乙第一号証及び第二号証、商人今村勉の証言並びに弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  金沢国税局長は、本件訴訟の資料に供する目的で、昭和六三年一月二八日付けで被告に対して通達(直訟第一四〇号)を出し、金沢税務管内に納税地を有し、木造建築工事業を営む個人事業者で、昭和五五年分から昭和五七年分の所得税を確定申告書を提出した者のうち次の(一)及び(二)の各条件に該当する者の課税実績表の作成を求めた。

(一)  暦年、木造建築工事業を継続して営んでいる者。ただし、次に該当する者を除く。

(1) 年の中途において、開廃業もしくは休業をした者又は業態を変更した者

(2) 災害等により経営状態が異常であると認められた者

(3) 小規模事業者で所得税法第六七条の二(小規模事業者の収入及び費用の帰属時期)の規定により、収入及び費用の帰属時期を、いわゆる現金主義によることとされている。

(4) 更正処分又は決定処分が行われた者のうち、これに対して不服申立てもしくは訴訟係属中の者又は法令の規定に基づく不服申立期間もしくは出訴期間を経過していない者

(二)  各年分の総収入金額が次の範囲内にある者

(1) 昭和五五年分 四二二〇万円以上一億六八八一万円未満

(2) 昭和五六年分 四八四七万以上一億九三九一万円未満

(3) 昭和五七年分 二七〇八万以上一億〇八三四万円未満

2  右通達を受け、金沢税務署長は、昭和六三年二月三日、右通達の趣旨に応える報告書(乙第二号証)を金沢国税局長へ提出した。右報告書には、通達で指定された要件を満たす者として本件係争各年分とも三名があげられ、各人の各年ごとの総収入金額、必要経費の額及び所得金額が記載されている(納税者の秘密保持のため、右三名の被調査者については、指名ではなく記号で示されている。)右報告書記載の三名の総収入金額、必要経費の額、必要経費率及び右三名の必要経費率の平均値は別表3の(一)ないし(三)のとおり、昭和五五年分が八九・五一パーセント、昭和五六年分が九〇・九七パーセント、昭和五七年分が九〇・七〇パーセントであった。

3  右認定事実によれば、同業者を抽出する基準、方法は合理的と考えられるので、これにより抽出された同業者は、営業規模、営業形態等において原告と類似するものと認められる。そして、これらの者の必要経費率も、右別表記載のとおりばらつきが少なく、相当の範囲内にあるものということができるので、他にこの方法よりも合理的に原告の事業所得金額を推計する方法が認められない本件にあったは、同業者の平均必要経費率を原告の事業所得金額の推計の基礎とする方法は合理性を有するものというべきである。他に右認定に係る必要経費率の合理性を左右するに足りる証拠はない。

六  原告の実額反証について

1(一)  原告は、原告の収入金額は別表2の本件係争各年における原告主張額以外には存在しないとし、具体的な必要経費額を算定することにより、原告の所得金額を実額で主張し、原告の所得金額につきいわゆる実額反証を行っている(ただし、収入額につき個別具体的に計算するのではなく、各取引先からの収入につき被告主張額と原告主張額が同額である部分は、特に個別具体的に各収入年月日ごとに特定して主張・立証せずに被告の主張を援用し、主張が異なる部分につき、被告との差額とそれが生じた理由を主張・立証している。)。

(二)  課税は本来帳簿書類に基づく実額に対してなされるべきであるが、納税者が帳簿書類の備付けをしなかったり帳簿書類の内容が不明確で信頼できない場合や、納税者に対し帳簿書類の提示を拒む場合があり、このような場合のために、間接資料を用いて所得を推計する方法(推計課税)が認められている(所得税法一五六条)。このように、推計課税は実額課税を補充する課税方法であるから、推計の必要性があり、かつその方法が合理的なものであっても、証拠上所得の実額を認定することができ、推計により算出した所得金額が右実額で認定した所得金額を超える場合には、推計により算出した所得金額は採用できないこととなり、右所得額を前提としてなされた更正処分は違法となる。

そして、右のように、実額反証はそれが成功すれば一応合理性の認められた推計課税を覆すものであるから、実額反証が認められるためには推計を不要なしらめる程度の合理的な立証が要求されるというべきである。

(三)  ところで、推計課税といっても、課税庁が収入・支出のそれぞれを推計する場合には、原告(納税者)が被告(課税庁)主張の収入額を前提として必要経費のみにつき実額を主張立証し、所得金額を算出したとしても、収入金額の実額自体が不明なのであるから、推計により算定した所得額より右の方法により算出した所得額の方が合理的、すなわち所得金額の実額に近いということはできない。したがって、納税者が実額反証をするために、総収入金額をも主張立証する必要がある。

これを本件についてみるに、被告の主張立証する課税方法は、前述のとおり、収入金額の算定については、原則として取引先の調査により判明した収入額を取引実績に基づく収入金額として算定し、右調査により判明しなかった金融機関の預金口座上の入金につき銀行預金高法という推計方法を用いて収入金額として算定し、両者を合計したものを事業収入として主張するものであり、必要経費については同業者比率法という推計方法を用いて算定している。右のとおり、被告は収入金額の算定につき一部推計を用いていることから、事業収入額に関する被告の主張は、収入金額につき捕捉もれが大いにありうるけれども、止むを得ず行った被告の反面調査及び右推計によれば、原告の事業収入金額は少なくとも被告主張額までは存在するという趣旨であると理解すべきである。したがって、本件において原告が実額反証をするためには、必要経費額のみならず、総収入金額の主張立証う行う必要があるというべきである。そこでまず、原告の提出した証拠等に基づいて原告の事業収入を実額で把握することができるかを検討することとする。

2  事業収入の検討

(一)  原告は、「本件係争各年分の収入金額は別表2の原告主張額欄の金額であり、収入が右以外に存在しないことは、甲第一四〇号証(出面帳)、甲第二七一号証(金銭収支帳)により明らかである。また、原告の右主張は収入額についての被告の主張を前提としているところ、原告の仕事のほとんどが住宅建設会社からの下請工事であり、元請の支払いは通常全部手形、小切手でなされ、しかも、取引金融機関はすべて被告が反面調査で把握しているので、被告が知らない収入は実際上あり得ないことから、右原告主張額が原告の収入額の実額である。」と主張する。そこで、以下右主張について検討する。

(1) 甲第一四〇号証(出面帳)について

原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第一四〇号証、前掲甲第二八一号証及び原告本人尋問の結果によれば、本件係争各年において、原告の使用している従業員は同号証記載の現場へ出たものと認めることができる。しかしながら、これらの証拠によっても、右現場作業による事業収入の金額については全く不明であり、原告の主張する事業収入額が、右現場作業による事業収入額をすべて積算して算出されたものであると認めるに足りる証拠はない。したがって、甲第一四〇号証を原告の事業収入額の実額認定の資料とすることはできない。

(2) 甲第二七一号証(金銭収支帳)について

原告の妻外志子は、右金銭収支帳は、同女が金銭の出入りがあった都度記入したものであると供述し(証人松本外志子の証言)、原告は収入については、右金銭収支帳にすべて記載されていると主張する。

しかしながら、前掲各証拠(特に甲第二八一号証、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、右金銭収支帳には、原告が自認するだけで、昭和五五年分については、松本勇、池内、中谷装建からの入金の記載漏れ及び美建田中稔からの入金額の誤記が、昭和五六年分については、池内からの入金の記載漏れ及び四月一〇日の入金額の誤記が認められる。また、右金銭収支帳は月ごとに記載されているものの、入金日の記載はなく、入金先の記載がなく単に金額のみが書かれていたり、入金先に疑問符(「?」の印)がつけられている部分もある。

そして、証人松本外志子は、右金銭収支帳には原告の指示により同女が受け取った手形、小切手の入金を主に記載するのであって、入金の都度記載しており、収入については漏れなく記載されていると証言する一方、原告が現金で集金したものを記帳することはなかった、原告の指示により同女が現金の集金をすることもなかったとも証言する。また、弁論の全趣旨によれば(特に収入金額についての被告の主張に対する原告の反論部分を勘案すると)、請負工事の後に工事代金の支払が遅れて現金で入ってくる場合がかなりあり、右現金収入につきこの金銭収支帳に記載されていないものもあることが窺われる。

以上によれば、右金銭収支帳には前示き記載漏れや誤記が認められ、入金については漏れはないとする証人松本外志子の証言も、全体的に曖昧であり、かつ事実と食い違う部分もあり、にわかに信用しがたいのであって、右金銭収支帳をもって、原告の収入の実額を認定することは到底できないものといわざるを得ない(かえって右証言によれば、特に現金収入につき記載漏れが少なからず存在することが窺われる。)。

(3) 右に述べたことに照らすと、仕事先からの入金は通常全部手形か小切手であると認めるに足りる証拠はない。

また、本件証拠を見ても、原告は取引に接着して作成された原始資料(請求書控、領収証控)を提出していないのであって(提出していないことは、原告もその本人尋問において認めている。)、右原始資料から原告の総事業収入額の実額を算定することもできない。

(二)  以上によれば、原告提出の証拠の他、本件全証拠を検討しても、原告の事業収入額を実額で認定することはできないものと認められる。

3  以上のとおり、本件では、原告の事業収入総額を証拠上認定することはできず、原告は事業収入額について実額の立証ができなかったと認められる。したがって、前記のとおり、原告は実額反証として総必要経費額のみを主張することに帰することになるところ、このような主張は前記のとおり採用できないので、原告において実額と主張する必要経費について判断するまでもなく、この点に関する原告の主張は採用できないこととなる。

七  事業専従者控除額について

昭和五五年及び昭和五六年における外志子の事業専従者控除額が四〇万円であることについては、当事者間に争いがない。また、前掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば、昭和五七年につき昭和五五年及び五六年と右控除額を異にする事由が見当たらず、昭和五七年についても四〇万円を控除するきが相当であると認められる。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

八  本件係争各年における原告の所得

以上のとおりであるから、原告の本件係争各年における事業所得及び昭和五七年における土地等に係る雑所得は、次のとおりとなる(一円未満は四捨五入で計算する。)。

1  昭和五五年の事業所得 六六六万一三二七円

67,314,844円(事業収入額)×(1-0.8951(必要経費率))-400,000円(事業専従者控除額)=6,661,327円

2  昭和五六年の事業所得 八三九万八二一三円

93,003,576円(事業収入額)×(1-0.9097(必要経費率))-400,000円(事業専従者控除額)=7,998,223円

3  昭和五七年の事業所得 四二五万三三四八円

50,036,000円(事業収入額)×(1-0.9097(必要経費率))-400,000円(事業専従者控除額)=4,253,348円

4  昭和五七年の土地等に係る雑所得 四六七万六七九一円

九  結論

以上の事実を基に、本件各処分の適法性を検討するに、昭和五五年及び昭和五六年における各更正処分(国税不服審判所の審査裁決により一部取り消された後のもの)は、前記八の1、2記載の事業所得金額の範囲内で課税標準たる総所得金額を認定(昭和五五年六二二万六二二〇円、昭和五六年七九四万四〇〇九円)してなされたものであるから、いずれも正当であると認められ、また、これに対応する過少申告加算税の賦課決定処分も適法である。また、昭和五七年の所得税に係る更正処分についてみるに、右更正処分及びこれに対応する過少申告加算税の賦課決定処分の前提となった事業所得の総所得金額(四三八万六〇〇〇円)は、前記八の3記載の事業所得金額を若干上回っているが、右処分の前提となった土地等に係る雑所得の金額(三五九万一三九七円)は、前記八の4記載の金額(四六七万六七九一円)の範囲内であり、右雑所得四六七万六七九一円を前提に、昭和六二年改正前租税特別措置法二八条の四による税率(四〇パーセント)をかけると、右雑所得に対する納税額だけで一八七万〇七一六円となり、右更正処分による納付税額(一八二万六七〇〇円)を超えることとなることから、結局、右更正処分は、前記八の3及び4記載の所得額に基づき算定される税額の範囲内でなされたものであった、正当であると認められ、また、これに対応する過少申告加算税の賦課決定処分も、適法と認められる。

よって、原告の本件各取消請求はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古川龍一 裁判官 伊藤知之 裁判長裁判官伊藤剛は、転補につき、署名押印することができない。裁判官 古川龍一)

別表

<省略>

別表2

収入金額対比一覧表

<省略>

別表3の(一)

必要経費率の計算表(昭和五五年分)

<省略>

別表3の(二)

必要経費率の計算表(昭和五六年分)

<省略>

別表3の(三)

必要経費率の計算表(昭和五七年分)

<省略>

別表 4の1

昭和55年分合計所得額計算表

<省略>

別表 4の2

昭和56年分合計所得額計算表

<省略>

別表 4の3

昭和57年分合計所得額計算表

<省略>

別紙1

生活費の計算

1 計算式

生活費=(消費支出額-家賃地代額)×(原告所帯人員÷平均所帯人員)×月数

消費支出額・・家計調査年報第2表・都市階級地方別1所帯の「北陸」の部における1か月当たりの消費支出額

家賃地代額・・家計調査年報第2表・都市階級地方別1所帯の「北陸」の部における1か月当たりの消費支出額の「住居費」のうちの「家賃地第額」

原告は、原告の家屋に居住しているので「家賃地代額」を消費支出額から控除した。

原告所帯人員・・原告、妻外志子、長男哲也、次男徹、三男正幸の5名

平均所帯人員・・同表の「北陸」の部における平均所帯人員

2 昭和55年の生活費

(221,725-2,750円)×(5人÷3.48)×12か月=3,421,484円

3 昭和56年の生活費

(244,881-3,071円)×(5人÷3.97)×12か月=3,654,559円

4 昭和57年の生活費

(246,455-2,792円)×(5人÷3.91)×12か月=3,739,074円

別表5

「土地等の譲渡」に係る収支の内訳

収支の部

<省略>

支出の部 No.1

<省略>

<省略>

別表6

<省略>

<省略>

取引先別収入金額明細表(55年分)

<省略>

別表7の2

取引先別収入金額明細表(55年分)

<省略>

取引先別収入金額明細表(55年分)

<省略>

別表7の4

取引先別収入金額明細表(55年分)

<省略>

別表7の5

取引先別収入金額明細表(55年分)

<省略>

別表8の1

取引先別収入金額明細表(56年分)

<省略>

別表8の2

取引先別収入金額明細表(56年分)

<省略>

別表8の3

取引先別収入金額明細表(56年分)

<省略>

別表9の1

取引先別収入金額明細表(57年分)

<省略>

別表9の2

取引先別収入金額明細表(57年分)

<省略>

別表9の3

取引先別収入金額明細表(57年分)

<省略>

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