金沢家庭裁判所 昭和35年(家)616号 審判 1960年7月04日
〔解説〕
一、本件に至つたいきさつは次のとおりである。
1 甲乙夫婦は昭和二五年四月一〇日婚姻したが、その後昭和二七年一一月頃から別居し、家庭裁判所に離婚調停中であつたところ、昭和三四年二月五日にようやく協議離婚がととのい、その旨届出た。それより前、乙女は甲男と別居後丙男と事実上の婚姻関係にあり、同年七月一四日丁を分娩した(乙女丙男は同年八月一四日に婚姻の届出をした)。丁はこのようにして、事実上は乙丙間の子であるが、前婚の解消後三〇〇日以内の出生子であるため、法律上は前夫甲との間の嫡出子であるとの推定を受けるものとみられた。
2 そこで、乙丙は丁を自己の子として出生届をするために、まず乙において甲丙を相手方として「丁の父を丙と定める」旨の訴を金沢地方裁判所に提起し、その旨の確定判決を得た上、丙において嫡出子出生届をなした。
これは、この点に関する大審院判決(注1)の判旨に従つたもので、その論拠は、丁は、甲乙の前婚解消後三〇〇日以内の出生子であるから、民法七七二条により法律上前夫甲との間の嫡出子であるとの推定を受けるが、他方事実は甲乙が別居し乙が現在の夫丙と同棲中に懐胎した子であるから、丙の子として事実上の推定を受けるものでもある。したがつて、民法七七三条の類推適用により丁の父を丙と定めた上、丙から戸籍法六二条により嫡出子出生届をなすべきであるというものである。
3 この出生届の取扱いについて、金沢地方法務局と法務省との間に次のとおりの照会と回答がなされた(注2)。
再婚した女が再婚前に出生し前夫の子としての推定を受ける子につき、その出生届未了のうちに、子の父を後夫と定める判決確定し、それを理由として後夫から嫡出子出生届があつた場合の取扱方
昭和三五・二・二三戸二三九号金沢地方法務局長照会
同 三・一〇民甲五六八号民事局長回答
(照会)
標記に関し、次のとおり疑義がありますので、至急何分の御指示を得たく照会します。
記
左記戸籍の乙は、再婚禁止期間(民法第七三三条)経過後に再婚し、その再婚前に出生した子(出生届未済、前夫との婚姻中に懐胎したものと推定を受ける子)につき父を定める訴(同法第七七三条)を提起し、別紙のとおり父を後夫と定める裁判が確定した(この裁判についていささか疑問がある。昭和十一年七月二十八日(オ)九六三号大審院判決参照)。
いま当該判決を理由として後夫から嫡出子出生届があつた場合、これを受理し直ちにその戸籍に入籍させて差しつかえないか。
或いは、当該出生子を出生当時の母の戸籍に一旦非嫡出子として入籍させた上処理すべきか。
戸籍謄本(省略)
判決
石川県金沢市杉浦町五〇番地
原告乙
同県同市杉浦町五〇番地
被告丙
同県同市金治片原町三二番地
被告甲
右当事者間の昭和三四年(タ)第一六号父を定める訴訟事件について、当裁判所は次の通り判決する。
主文
原告の子丁(昭和三四年七月一四日出生)の父を被告丙と定める。
訴訟費用は被告等の負担とする。
事 実(省略)
理 由(省略)
(回答)
二月二十三日付日記戸第二三九号で当局第二課長あて照会のあつた件については、当職から次のとおり回答する。
所問の場合は、嫡出否認の裁判により前夫の嫡出子たる地位を否定した上で後夫から認知すべき事案であつて、父を定める裁判によるべきものではない。
しかし、本件は父を定める裁判が確定しているので、便宜次のとおり処理されたい。
一、所問の子は、母から嫡出子出生届をさせ、前夫の戸籍に一旦入籍させる。
二、所問の判決は前夫との父子関係を否定したものと解し、更に戸籍法第百十三条の許可の審判を得させ、右審判に基く戸籍訂正の申請により、子の父欄の記載を消除し、父母の続柄を「男」と訂正し、その子の記載を出生当時の母の戸籍に移記する。
三、後夫が右の子を認知する意思を有するのであれば、同人から認知届をさせる。
4 そこで、この回答の趣旨に従い、乙から丁につき改めて一旦甲との間の嫡出子出生届がなされた上、本件の戸籍訂正許可の申立が行なわれたしだいである。
二、本件における問題点はいろいろあるが、特に注目されるのは次の二点である。
その一は、本件のように妻が夫と事実上離別中他男との間に生んだ子に、民法七七二条の法律上の推定が働くかどうかの点である。本件戸籍訂正許可審判はこれを否定している。これに反し、法務省の前記回答はむしろこれを肯定しているようにも解せられるが明らかでない。いずれにせよ、もしこれを肯定すれば、この父子関係を覆すためには、嫡出否認の裁判によるほかなく、またこれを否定するならば親子関係不存在確認の裁判によるべきであつて、相互の流用をみとめるのは理論の首尾を欠くことになるのではなかろうか。
その二は、本件のような事例において、乙から嫡出子出生届をした上、直接戸籍法一一三条による戸籍訂正が許されないかどうかの点である(注3)。本件の父を定める判決は、本人たる子を当事者から除外してなされたものであるから、この判決により子と前夫との父子関係が実体法上否定されたことにはならないのではなかろうか。だとすれば、この判決もひつきよう戸籍法一一三条による許可審判の一資料にすぎないからである。
注 1 大判昭一一・七・二八民集一五巻一五三九頁
2 同旨昭三五・五・四民事甲第一、〇六一号民事局長回答(戸籍142号二八頁)
3 「家庭裁判所事件の概況第一、五裁判例」法曹時報一二巻八号三三頁以下参照
申立人 阿部昌子(仮名
事件本人 川本良夫(仮名)
主文
本籍石川県石川郡鶴来町道法寺町ト○○番地筆頭者川本貞夫同籍中の良夫の戸籍中父欄の父の氏名を消除し父母との続柄を男と訂正のうえ、同人を出生当時の母の戸籍石川県金沢市古府町ホ○○○筆頭者山田公司に移記除籍することを許可する。
理由
本件申立の要旨は、
申立人は川本貞夫と昭和二六年四月○日婚姻したが、事情があつて昭和二七年一一月頃から別居し、同三四年二月五日協議離婚をなし同年七月一四日事件本人を出生しその後現在の夫阿部春夫と同年八月○○日婚姻したものである。
然しながら事件本人は婚姻解消後三〇〇日以内に出生したため、嫡出子として出生届がなされ川本貞夫の戸籍に長男として入籍されたが本人の真実の父は現在の夫である阿部春夫であり、父を定める訴においてもそのように判決され、昭和三五年二月一七日確定した。
従つて事件本人は右判決の結果前夫川本貞夫との親子関係は否定され嫡出でないことになり、出生当時の母の氏を称し母の戸籍に入籍することになつたので主文掲記のとおり本人の戸籍について訂正の必要を生じたので、これが許可を求めるというのである。
よつて関係戸籍謄本の記載、父を定める訴訟事件の判決を参酌すると右の事実を認めることができる。
尤も民法七七二条により父性の推定を受ける場合は、同法七七四条以下に定むる否認の訴によつてのみ親子関係を覆すことができるとの説が有力に主張されているが、右推定は総ての場合に加えられるものと解すべきでなく、婚姻中夫が全く生殖能力を有しなかつた場合とか、或いは夫が長く海外に滞在し、若しくは行方不明の状況にあるなど、明らかに長期にわたり夫婦関係が断絶していると認められる場合は推定は受けないものと解するのが相当である。本件においても申立人は昭和二六年四月○日婚姻したが、同二七年一一月頃から同三四年二月五日離婚するまで別居を続け、その後事件本人を出生したのであるから右の例に準じ民法七七二条による推定を受けないと解するのが相当である。かかる場合は嫡出否認の訴以外の訴訟によつても親子関係を否定することができると解すべきである。
申立人は前夫川本貞夫と後夫阿部春夫とを相手として、父を定める訴を提起し、その結果後夫を父とする判決が確定したわけであるから、右判決は同時にその反面において前夫が父であることを否定したものである。
以上の事由により本件申立は理由があるので訂正を許可すべく主文のとおり審判する。
(家事審判官 矢崎健)