釧路地方裁判所 平成18年(わ)110号 判決 2007年3月19日
主文
1 被告人を無期懲役に処する。
2 未決勾留日数中200日をその刑に算入する。
理由
【罪となるべき事実】
被告人は,X(当時63歳)方から金員を窃取し,また,同人方を物色中に同人に気付かれた場合には同人を殺害して金員を強取しようと企て,平成18年4月26日午前1時45分ころ,釧路市内の同人方に無施錠の玄関から侵入し,そのころから同日午前2時45分ころまでの間,同所において,同人に対し,その頸部,頭部等を所携のマキリ(特殊包丁の一種)で多数回突き刺すなどし,よって,そのころ,同所において,同人を左内頸静脈切断による失血により死亡させて殺害した上,同人所有の現金約11万円を強取したものである。
【証拠の標目】
(省略)
【事実認定の補足説明】
1 被告人が,平成18年4月26日午前1時45分ころから同日午前2時45分ころまでの間のいずれかの時点で,被害者方居間において,被害者に対し,殺意をもって,その頭部,頸部等をマキリで多数回突き刺すなどして同人を死亡させたことは,被告人も認めるところであり,この事実は,被告人の公判供述のほか,関係各証拠を総合して認めることができる。
この事実を前提として,弁護人は,被告人が,(1)被害者から事前に同意を得た上で被害者方に立ち入ったものであり,窃盗ないし強盗目的も有していなかったから,住居侵入罪は成立しない,(2)被害者の意思に基づいて金員を受領しており,強盗目的で殺害したのではないから,強盗殺人罪は成立しない,(3)被害者からマキリで切り付けられたため,自分の生命を守るためにやむを得ず刺殺してしまったもので,殺人の点については過剰防衛が成立する,と主張し,被告人もこれに沿う供述をするので,以下,判示のとおり認定した理由を補足して説明する(以下,【事実認定の補足説明】においては,「平成18年」の表記を省略する。)。
2 被害者方への侵入及び強盗目的の存在をうかがわせる事情
(1) 鈴と紐の状況
被害者は,2階建ての被害者方に単身居住しており,被害者方の玄関は平素から施錠されていなかったが,玄関ホールと居間とを仕切る扉には呼び鈴が紐でつるされていて,扉を開けると鈴が鳴る仕組みとなっていたところ,事件発生当日である4月26日午後7時19分から5月10日午後3時2分までの間に行われた検証の際,この鈴をつるしてあった紐が,鋭利な刃物で切られ,取り外された鈴が玄関ホールに接する階段上に置かれていた。
この鈴の上部には,相当な期間をかけて自然に蓄積したと思われるほこりが付着していたが,ところどころほこりが付着しない箇所があり,ほぼ格子状に整然と並んだ点状の手袋痕ようのものも4個確認された。他方,鈴及びその紐には,血痕が一切付着していなかった。
この鈴に残る痕跡は,いぼ付き軍手で触れた際に,そのいぼによって印象された跡と考えて矛盾しない。鈴及びこれをつるしていた紐に血痕が一切付着していないことからすると,被告人が,血液の付着していないいぼ付き軍手で鈴を押さえながら,やはり血の付いていない刃物で鈴の紐を切ったことが合理的に推認できる。また,そうであれば,被告人が鈴を取り外した時点では,紐を切ることのできる鋭利な刃物と,いぼ付き軍手を携えていたということになる。
(2) 物色の状況
検証の際,被害者方居間のじゅうたんがめくられ,じゅうたんの裏側に血痕の付着が認められたほか,同居間のサイドボードの引出し及び引き戸,サイドボード内にあった封筒類(特に開口部),寝室に敷かれた布団の裏側,机の引出しや机の上にあった封筒類,和洋タンスの引出し等には,それぞれ血痕が付着していた。また,被害者方居間のテーブル上に被害者の財布(黒色2つ折のもの)があり,中に現金100円が遺留されていたが,紙幣は残されていなかった。
上記財布についてルミノール法により血痕予備検査を行ったところ,財布の外側,内側ともほぼ全体が陽性反応を示し,内外面の計10箇所を被検部として実施したロイコマラカイトグリーン法による血痕予備検査,人血検査及び血液型検査の結果,いずれもA型の人血の付着が認められた。なお,被害者の血液型はA型であった。
被害者方において血痕が付着している箇所は,通常金員の保管場所として考えられる場所や物であり,被告人は,被害者を殺害後,血の付いた手で,金員のありそうな多数の箇所に触れ,じゅうたんや寝具をまくり,封筒類の内容物を確認し,財布の外側のみならず内側にも触れるなどしたことが合理的に推認される。
(3) 足跡の状況
検証の際,被害者方居間に3箇所と台所に1箇所,それぞれ,血液が付着した運動靴様の靴底によって印象されたと考えられる足跡があった。
(4) 血染めのタオル
検証の際,居間のソファの上にY株式会社の文字が織り込まれたタオルが,全体が血に染まった状態で残されていた。
ところで,被害者及びその親族は,Y株式会社との間の保険契約を締結したことがない。これに対し,被告人の実母は,Y株式会社と保険契約を締結し,保険代理店から上記の特徴と一致するタオルが被告人の実母に複数枚交付され,被告人の実母によれば,時期は不明であるが,上記特徴と一致するタオルが被告人方から1枚なくなっていた。
(5) 使途不明金の存在
被害者は,事件前日,勤務先から4月分の給与として26万0430円の支給を受けたが,検証の際,被害者方寝室のじゅうたん下に保管されていた「06年4月分」と記載のある給料袋からは,6万0420円が発見されただけであった。事件前日,被害者が,飲食店の経営者に対し,飲食費の支払として8万円を交付したほか,日用品等の購入に3760円を費消したことが確認されているが,残る11万6250円について使途が裏付けられていない。
3 被告人の捜査段階の供述(以下,単に「自白」という。)が信用できること
被告人は,捜査段階である6月30日から公訴提起されるまでの間,一貫して,前記【罪となるべき事実】記載の事実に沿う内容を自白していた。
その内容は,おおむね次のとおりである。
「犯行前日の夜,数日後に迫った友人の結婚式に出席するための費用等を捻出しなければならず,金が必要だったので,被害者方を訪れ,前年末に被害者と一緒にアルバイトをしたZ工業の給料の不足分について,被害者が以前Z工業と交渉してくれると話していたことを持ち出し,被害者から金を得ようとした。しかし,被害者からにべもなく断られたので,腹が立った。そして,被害者方が平素から無施錠であること,当日が被害者の勤務先の給料日であったことなどから,被害者方から現金を盗むこと,被害者に気付かれた場合には被害者を殺してでも金を手に入れることを思いついた。犯行当日,覆面用のタオル,いぼ付きの軍手やマキリを準備して被害者方に赴き,被害者方に着くと,鍵のかかっていない玄関から土足のまま被害者方に入った。そして,いぼ付き軍手を着用し,タオルで覆面をすると,玄関ホールと居間とを仕切る扉に紐で取り付けられた鈴を片手で押さえながらその紐をマキリで切って鈴を取り外し,玄関脇の階段の上に置いた後,居間に入った。最初に居間にあった被害者のリュックサックの中を物色したが,金員を見つけることができなかったので,寝室に移動して金員を物色していたところ,物音に気付いた被害者が起きあがってきた。とっさに身体を反転させて居間の方に向かったものの,やはり寝室に戻り,被害者の背後から自己の左腕を被害者の身体に回し,右手に持ったマキリを被害者に突き付けた。被害者が『金か。』と言いながら,居間の方を指さしたので,被害者とともに居間に移動し,ソファの前で,被害者に刃物を突き付けたまま,被害者がテーブルの上を探す仕草をするのでしばらく待っていたが,なかなか金を出さないので,じれて被害者の肩付近の衣服をつかんだところ,被害者が立ち上がってくるように感じられたので,とっさに,やられる前にやらねばと思い,被害者の首付近に向けてマキリを突き出した。その後,ソファに座り込んだ被告人の足に覆い被さるように被害者が倒れかかってきて,被告人の左太股にかみついたりしたので,無我夢中で被害者の頭部付近をさらにマキリで数回刺した。被害者は被告人の顔面をひっかいたりもしたが,しばらくして動かなくなった。被害者殺害後,被告人は血の付いた軍手を着用したまま,室内の各所を物色したが金を見つけられず,最後にリュックサックのポケットを再度確認したところ,財布が入っているのを発見したので,財布の中から紙幣を抜き取り,立ち去った。なお,帰宅し,自宅の前に止めた車両内や自宅で確認したところ,1万円札が11枚あった。」
この自白は,次の点を考慮すると,十分信用できる。
(1) 被害者方の客観的状況と整合すること
ア 鈴と紐の状況と整合すること
前記認定に係る被害者方の鈴と紐の状況に照らすと,被告人は,あらかじめマキリやいぼ付き軍手を携えて被害者方に赴き,被害者を殺害して被告人に血液が付着する前に,居間に通じる扉に取り付けられた鈴を取り外した,と考えるのが最も自然で無理がない。
この点,弁護人は,上記鈴を見分した結果を報告した捜査報告書によっても,明確に判別できる手袋痕は点状のもの4個のみであり,軍手のいぼ付きの面を手のひら側にして装着した手で鈴を押さえた場合には,このようにわずかな痕跡しか残らないことは考えられない,と主張する。
しかし,鈴を押さえて紐を切り,取り外した鈴を階段上に置く間には,軍手で触れた部分の一部はずれたりこすれたりすることがむしろ自然であり,検証調書添付の写真によって認められる痕跡は,これに整合するものである。また,同検証調書添付の写真を見ると,鈴の下部にはそもそもほこりが付着しないから,鈴の下部から何ら痕跡を確認できないのも当然である。ゆえに,明確に点状の痕跡が確認できるのが4個にとどまるからといって,被告人の自白が不自然であることにはならない。
イ 物色の状況と整合すること
前記認定に係る被害者方の物色状況は,被告人が執拗に金員を捜したことを示唆するものである。
この点,弁護人は,居間のじゅうたんがめくられた痕跡があるのに,寝室のじゅうたんがめくられた様子がない点について,被告人の自白のとおり,真に被害者方を物色したのであれば,一貫しておらず,不自然であると主張するが,手当たり次第に物色する際に,一部の場所を見逃すことも十分あり得ることであって,被告人の自白を前提とした場合に,寝室のじゅうたん下にあった現金を発見できなかったとしても,特に不自然とはいえない。
また,弁護人は,鑑定書には,被害者の財布には肉眼で確認できる血痕の付着が指摘できなかったとあるところ,被告人の自白を前提とすると,財布から金を抜き取るために相当程度財布に触れたと考えられるのであるから,肉眼で確認できるだけの血痕の付着が認められないのは不自然であると主張するが,被告人の自白によれば,財布から現金を抜き取ったのは室内の各所を多数物色した後の時点であり,財布に触れた際,肉眼で確認できるほどの血液が付着しなかった可能性もある。そもそも血痕が肉眼で確認できるか否かは物の色や材質によって左右され,被害者の財布が黒色であるために肉眼では血痕の付着が確認し難いとも考えられる。むしろ,ルミノール法による予備検査では財布両面のほぼ全体が陽性反応を示し,飽くまで予備検査ではあるが,財布の両面全体に広く血液が付着することも疑われるところであるから,肉眼で確認できる程度の血痕が認められないとしても,財布に触れた程度が少なかったとする論拠とはならない。
ウ 足跡の状況と整合すること
前記認定に係る被害者方の足跡の状況に照らすと,被告人が土足で被害者方に侵入したとする自白と整合する。
エ 血染めのタオルと整合すること
前記認定に係る被害者方の血染めのタオルの存在は,被告人が覆面用にタオルを持参したとの自白に整合する。
弁護人は,Y株式会社の文字が織り込まれたタオルは相当数製造・頒布されていること,被告人の実母も,被告人方から上記特徴と一致するタオルが紛失した時期を事件後と特定して供述するものではないことを指摘する。確かに,この一事をもって,被告人があらかじめ強盗を計画していたと結論付けることには無理があるものの,少なくとも,これが被告人の自白と整合性を有することは否定できない。
また,弁護人は,被告人が持参したタオルであれば,これを持ち帰り忘れるのは不自然であると主張するが,事件直後,タオルはソファー上のムートンとともに混然とした状態にあり,かつ,どちらも血痕が付着していたから,被告人が何らかの事情で被害者方にタオルを置き忘れたとしても不自然ではない。
オ 被害者方の使途不明金と整合すること
前記認定に係る被害者方の使途不明金の金額は,被告人が盗んだことを自白する金額と整合する。
(2) 自白の内容が具体的で迫真性があること
被告人の自白は,犯行当時の自己の心理等も含めて極めて詳細かつ具体的である。特に,被害者方に侵入して物色中,物音に気付いた被害者が起きあがった際に,いったんは身体を反転させて寝室を離れようとしたが,その後,やはり寝室に戻り,被害者にマキリを突き付けるに至ったこと,最初に捜したリュックサックを再度捜したところ財布があったことから,体の力が抜け,ショックを受けるとともに,最初に見つけられなかった自分に腹を立てたことなどは,被告人の心理の動きを物語るものとして極めて迫真性に富み,実際に体験したものでなければ容易に語ることのできない内容といえる。
また,被告人は,犯行時に帽子や覆面用のタオルを持参して覆面した状況などについても極めて具体的に説明し,説明を明確にするため図面を作成したり,犯行状況を詳細に再現したりもしている。自己に重大な不利益をもたらす虚偽の供述をするため,あえて具体的事実を創作して語り,これに沿うように図面を作成して提出したり,それら虚偽の供述を前提として一貫した犯行状況をつまびらかに再現することなど,通常考え難い。
(3) 自白の内容が一貫していること
被告人は,逮捕された6月25日から裁判所で勾留質問が行われた同月27日まで,被害者の家には遊びに行っていた,酒に酔った被害者が絡んできて口論となり,被害者方台所からマキリを持ち出して被害者を殺害してしまったが,金品を奪うために殺害したのではない,被害者を殺害後,強盗の犯行に見せかけるため財布から現金約11万円を抜き取ったなどと供述し,逮捕翌日の同月26日に当番弁護士として接見した弁護人に対しても,同旨の説明をしていた。なお,その際,被告人は,弁護人から,強盗殺人罪の法定刑が死刑と無期懲役しかないということを聞かされ,また,強盗目的がなかったのであれば,取調べにおいてもその旨を明確に述べるようにとの助言を受けていた。
しかるに,被告人は,同月30日から,前記のとおり自白し,供述変更の理由として,警察官や検察官に対し,今まで事実を認められなかったのは,強盗殺人を犯したという重すぎる現実や死刑が怖いという気持ちがあったからであり,自分が起こした罪の重さを知っていたからである,しかし,嘘や出任せばかりを並べていたことで,取調べが進むにつれてだんだんと言い訳が付かなくなってきたし,死んだXさんのことや自分の母親のことを考えて本当のことを話すことに決めた,と説明した。
そして,被告人は,接見に訪れた弁護人に対しても,強盗目的のあったことなどを認める供述をし,以後,公訴提起に至るまでの間,7月3日,同月6日及び同月13日と相次いで弁護人の接見を受けながら,強盗目的のあったことなどを一貫して認める供述をしていた。
すなわち,被告人は,逮捕後さほど間もない時期から,弁護人から適切な助言を得ており,犯行を認めた場合に科せられる刑の重さを知っていたのである。にもかかわらず,取調官に対し,自己の記憶に反してまで自己に不利な供述をすることは通常考え難い。
被告人は,公判廷において,供述を変遷させた理由として,警察官から泣き落としのような取調べを受けたと説明し,弁護人も,被告人が警察官から,長時間にわたる執拗な追及を受け,「Xさん,おまえの後ろにいて,そんなこと望んでないぞ」などと言われ,被害者を殺害したことに対する負い目もあったので,取調べがスムーズに行われるよう,取調官に迎合する供述をしたものと述べる。この供述自体,虚偽の自白に至る理由として十分なものとは思えないが,仮にそうだとしても,立会人のいない弁護人との接見においてすら,取調官に対するのと同じ供述を維持することは,被告人がるる述べるところを考慮しても,到底理解できない。
(4) その他,被告人の自白が不自然であるとする弁護人の主張について
弁護人は,被告人の自白の内容について,①最初に被害者のリュックサックを物色しているのに,財布を発見できなかった点,②物音に気付いた被害者をすぐに殺害しなかった点,③覆面用のタオルをしたといいながら,犯行再現時にはタオルを上手く結べなかった点,④左手用軍手の中指先端が取れたとしながら,左手中指の傷が表皮はく離程度のものであった点などが不自然であると主張する。
しかし,被告人は,①については,当初の段階では就寝中の被害者に気付かれないようおおざっぱに探したために財布を見つけられなかったことを,②については,被害者が金の在処を教えるのではないかと思ってすぐには殺さなかったことを,③については,再現見分時のタオルの方が実際に犯行時に用いたタオルよりも生地が厚かったためであることをそれぞれ述べており,これら被告人の説明は,いずれも何ら不自然とはいえない。④についても,軍手と指との間に隙間があることもままみられるところであるから,指自体に強く噛まれた痕跡がないことも十分あり得る。
また,弁護人は,⑤被告人が事前に強盗を計画していたのであればあらかじめ着替えも用意していたはずである,⑥被害者の在宅中をねらって強盗に入るのは不自然である,⑦自分の名前の一部である「x」と彫られたマキリを犯行に用いるのは不自然であると主張するが,これらはいずれも,結局どちらともいえる性質の事柄であり,自白の信用性を減殺する事情ではない。
さらに,弁護人は,⑧被告人は友人に金を貸していたので,金に困れば同人から多く回収すれば済んだはずであり,そうでなくても,これまでにも母親に借りたり,その所持金をくすねるなどしていたし,友人の結婚式に出席するための金は取っておいたというのであるから,強盗殺人の犯行を行う動機がないと主張する。しかし,被告人が定職に就かず,いわゆるパチスロに明け暮れ,母親に金を借りたり,その所持金をくすねることも厭わなかったことからすると,少なくとも被告人が経済的に余裕のある状態であったとはいえない。友人に貸し付けた金があったことなどを考慮しても,被告人が強盗殺人の犯行を計画するということに飛躍があるというものではなく,自白の信用性を左右しない。
4 被告人の公判供述が信用できないこと
他方,被告人は,公訴提起後の8月16日に至り,弁護人に電報を打って面会を求め,前記自白を覆し,その後,公判廷では,おおむね次のとおり供述している。
「事件前日の夜,友人に貸した金の返済を受けるために同人の実家に向かう途中,被害者方を訪れた。訪問の主な目的は,前年末に被害者と一緒にアルバイトをしたZ工業の給料の不足分について,以前被害者と話をした際,被害者がZ工業と交渉してくれると話していたので,その交渉の進捗状況を確認するためであった。しかし,被害者が給料の不足分を取れなかったなどと話したので,話が長くなりそうだと感じ,先に友人方に行った後,改めて被害者方を訪れることとし,その旨を被害者に伝えたところ,被害者から,翌朝仕事で早くに起床しなくてはならないので,翌日の午前2時か3時ころに起こしに来てくれと言われた。そこで,犯行当日の午前1時30分ころ車で自宅を出て,被害者方に着くと,無施錠の玄関から被害者方に入り,寝室で寝ていた被害者を起こした。そして,居間で被害者に未払給料の件を持ち出すと,被害者が『取れなかった。』と言ったので,被告人が『取れなかったじゃないでしょう。』と言って,少しやりとりがあった後,被害者が『やればいいんだろう。』と言って紙幣を五,六枚投げ付けるようにして渡してきたので,被害者の態度に立腹した被告人が文句を言うと,被害者が被告人の胸ぐらをつかんできたので,被告人も被害者の顔を殴った。すると,被害者が激怒し,ソファの近くに置いてあったリュックサックの中からマキリを取り出し,いきなり,被告人に切りかかってきた。被告人はこの攻撃で眉間に傷を負い,生命の危険を感じたため,とっさに,マキリを持った被害者の右手を左手で押さえ,右手で被害者からマキリをもぎ取ると,被害者の頸部を突き刺すなどして被害者を殺害した。被害者を殺害した後,強盗による犯行と見せかけるための偽装工作を行うこととし,被害者のリュックサックの中にあったいぼ付き軍手を取り出して両手にはめた。また,泥棒なら土足で入るのではないかと思ったことなどから,付近にあった衣類等を足に巻き付けて玄関まで行き,靴を履いて再度室内に入った。被害者が本当に死んでいるのかを確認するために軍手をした手で被害者の身体を触り,その後,被害者の血液が付着した軍手のまま,室内各所を荒らし,あたかも強盗が物色したように偽装した。居間の床上かどこかに落ちていた被害者の財布も,捨てようと思い,血の付いた軍手で触った。その後,台所に行き,軍手をしたままの左手でマキリの刃を洗い,ぬれてしまった左手は握って軍手の水を絞った。最後に被害者方を出る際,居間につながる扉に取り付けられた鈴が鳴ったのに気付き,強盗ならこの鈴を取り外すだろうと考え,鈴の紐を切って取り外した。このとき,軍手のいぼが付いた面には血液が付着していたので,軍手を左右逆にして,軍手のいぼが付いていない面が手のひら側にくるようにはめ直した上,鈴を左手で下から包み込むような感じで持ち,右手に持ったマキリで鈴の紐を切った。」
しかしながら,以下に述べるとおり,被告人の公判供述には不合理,不自然な点があるので,信用できない。
(1) 被害者方の客観的状況と整合しないこと
ア 鈴と紐の状況に照らして不合理であること
被告人の公判供述を前提とすると,被告人は被害者を殺害した後に,前記鈴の紐を切ったということになるが,前記認定のとおり,鈴にいぼ付き軍手のいぼで触れた際に印象された跡がある一方,鈴と紐に血痕が一切付着していない。
この点につき,被告人は,マキリは水で洗って血を流した,軍手は血の付いたいぼ付き面が手の甲側にくるように装着し直して鈴を押さえたと供述し,血液が付着しないことは不自然でないと説明するが,鈴の表面に残るのは軍手のいぼ付きの面で押さえたと考えられる点状の痕跡であるから,いぼ付きの面を手の甲側にした状態で鈴を押さえた場合に,なぜこうした痕跡が残るかという点について,合理的な説明はない。
弁護人は,被告人の公判供述にあるような態様で鈴を押さえると,左薬指先端の横が鈴の中央部分の上あたりに接触し,いぼ付きの面が鈴に触れて上記のような痕跡が残ると主張する。しかし,前記鈴の表面に残る点状の痕跡は,輪郭のはっきりとした明確なもので,ほぼ格子状に整然と並んだ状態で印象されていることから,軍手のいぼ付きの面が一定の範囲で鈴の表面に接着した状態で,鈴の表面に対してほぼ垂直に上から力を加えられることによって生じたものとしか考え難い。それは,弁護人のいうように,手の甲側にあった軍手のいぼ付きの面が,何らかの態様で鈴の表面に触れたという程度の痕跡とは明らかに形状が異なるものである。
イ 物色の状況に照らして不自然であること
被告人の公判供述を前提とすると,強盗目的をうかがわせる被害者方の状況は,すべて事後に偽装したものということになる。
しかし,前記認定のとおり,客観的な被害者方の状況は,土足で立ち入った痕跡のほか,じゅうたんの裏側や封筒の中身までも物色した痕跡が見られるというもので,ほかにも,居間の扉に取り付けられた鈴が取り外されるなど,あまりに入念で徹底している。被告人の公判供述のように,口論の末,偶発的に人を殺害した直後であったとすれば,気が動転し,一刻も早く現場から立ち去りたいという状況にあったと考えるのが自然であるが,検証の際の被害者方の状況は,単に強盗の犯行に見せかけるために偽装したものにしては,あまりに巧妙にすぎるといわざるを得ない。
ウ 足跡の状況に照らして不自然であること
被告人は,被害者を殺害後,被害者の衣類を足に巻き付けて玄関に戻り,靴を履いた上で被害者方に入り直したというのであるが,被告人の公判供述によっても,被告人が被害者を殺害した際,被害者はソファに座り込んだ被告人の太股付近に崩れ落ちるようにして倒れ,付近の床上は血だらけだったというのであるから,被告人の足には被害者の血液が相当量付着したと考えられる。
そうすると,その直後に被告人が玄関まで靴を取りに戻ったとすれば,たとえ被告人がいうように足に衣類等を巻き付けて行ったとしても,居間から玄関に通じる床等に多少なりとも血液の引きずったような跡が付着するのが自然であるが,そうした痕跡は証拠上認められない。
(2) 逮捕当初の供述とも食い違うこと
前記のとおり,被告人は,逮捕当初の取調べ及び当番弁護士との接見において,自らマキリを取り出した,自分で財布から現金を抜き取ったなどと述べ,被害者が金を投げ付けてきたことや,被害者からマキリを持ち出して切りかかってきた経緯については一切触れておらず,公判供述と明らかに食い違う供述をしていた。
被告人は,前記のとおり,強盗目的等を認める供述をした理由として,警察官から長時間にわたる執拗な取調べを受けたことなどを挙げているが,そうであればなおさら,逮捕当初の取調べ時や,立会人のない当番弁護士との接見時にまで,自己の記憶と異なる虚偽の供述をする合理的理由は存しない。
また,被告人は,逮捕されるまでの2か月近く被害者を殺害したことについて嘘をつき続けていたので,逮捕後に被害者を悪く言うと,周囲から何を言われるか分からないと思った,被害者に対する負い目があったので,被害者から切りかかってきたなどとは言えなかったなどと説明するが,強盗殺人という重大犯罪の嫌疑をかけられた被疑者の立場で,この程度の理由から,捜査機関のみならず弁護人に対してまで,自己に不利益となる虚偽の供述をするとは到底考えられず,被告人の説明は不合理というほかない。
さらに,被告人は,公訴提起後の8月16日に至り,弁護人に電報を打ち,再度供述を変遷させるに至ったのであるが,公訴提起から同日に至るまでの約1か月余り,取調官の追及を離れ,家族等の面会も受けられる状態であったのに,なぜ,同日に至って再度供述を変遷させたかについても,納得できる説明はない。
(3) その他,被告人の公判供述が自然であるとする弁護人の主張について
弁護人は,①殺害された被害者の遺体には腕時計がされていたことを指摘し,被告人の捜査段階の供述にあるように,被害者が就寝中に本件被害に遭遇したとすると,人が就寝中に腕時計をすることは通常考えられず不自然である,むしろ,被告人の公判供述にあるように,被告人に起こされたので,朝の仕事に出かける準備の一環としてまず腕時計を着用したと考えるのが自然であると主張する。また,事件前日夜に被害者方を訪れたWが,②事件後,普段は台所の食卓テーブル上に置かれていたポットが居間のテーブル上に置かれているなど,来客があったと考えられる状況がある,あるいは,③事件後,テーブルの上にZ工業の給料に関するメモが置かれていたが,同人が被害者方を訪れた際には同メモはなかったなどと供述していることを取り上げ,事件当日の深夜に被告人がZ工業の給料の件で被害者方を訪問する予定であったという被告人の公判供述に整合する事情であると主張する。
しかし,上記①については,一般に人は就寝時に腕時計は着用しないのが通常であるとしても,この日被害者が腕時計をしたまま就寝したと考えることが著しく不自然といえるものでもない。また,上記②及び③についても,Wの記憶の正確性が問題となるのはもちろん,被害者自身が何らかの理由でポットを使用し,そのまま居間のテーブルの上に置いていた可能性や,事件前日夜に被害者方を訪れた被告人からZ工業の給料の話をされた被害者が,上記メモを確認してテーブルの上に置いていた可能性もある。
結局のところ,これらは,いずれも,あるいはすべてを総合しても,被告人の自白の信用性を排斥したり,被告人の公判供述の信用性を裏付けるに足りる事情ではない。
5 まとめ
以上のとおり,犯行後の被害者方の状況と,これに整合し信用性の認められる被告人の自白からは,被告人が,被害者方から金を奪う目的で,被害者の承諾なしに被害者方に侵入したこと,室内を物色中に被害者に気付かれたため,面識のある被害者に自己の犯行だと発覚することをおそれ,被害者を殺害して金品を奪うしかないと決意し,殺意をもって被害者を殺害したこと,したがって,被害者からの不正な侵害などなかったことを優に認定できる。
よって,弁護人の前記各主張は,いずれも採用できない。
【法令の適用】
(省略)
【量刑の理由】
1 本件は,被告人が深夜,かつての同僚であった被害者方に侵入し,同人を殺害して現金約11万円を強取した住居侵入及び強盗殺人の事案である。
2 被告人は,・・・(中略)・・・釧路市で出生し,市内の私立高校を卒業後,型枠大工,漁師,炭坑夫,パチンコ店の従業員等の職を転々としてきた。平成13年に結婚し,一児をもうけたが,平成15年に離婚し,本件犯行当時は,実母や妹らとともに,妹の元夫の家に間借りして生活していた。
被告人は,平成17年3月ころから,被害者の勤務先である水産会社で稼働したが,無断欠勤を繰り返すなどしていたため同年10月ころここを退職し,その後は短期のアルバイト等をしたものの,平成18年1月ころ職を失うと,本件犯行当時までは無職であった。他方で,被告人はいわゆるパチスロに熱中し,定職に就いていないにもかかわらず,手持ちの金があれば全てパチスロにつぎ込み,金がなくなれば実母に援助を求め,あるいは実母の金をくすねるなどして,無為徒食の生活を送っていた。
3 被害者は,水産会社で漁船員として稼働していた当時63歳の男性で,妻と3人の子供がいたが,本件犯行当時は家族と離れて単身生活していた。
被害者と被告人は,平成17年3月ころ,被告人が被害者の勤務先である水産会社に勤めるようになった際,職場の同僚として知り合った。被害者は,被告人を自宅に招いたり,一緒に酒を飲みに連れて行ったりして,親しく接しており,被告人が無断欠勤を続けたときも,仕事をやめないように激励するなどした。そして,平成17年10月ころ被告人が同社をやめた後も,被告人を自分のアルバイト先に誘って一緒に仕事をするなどし,また,被告人が,同アルバイト先での給料が働いた日数と合わないと言うと,仕事を世話した被害者が,アルバイト先に給料の不足分を支払うよう交渉することを請け負い,当座の金が必要だという被告人に現金2万円を渡したりもした。
4 信用性の認められる被告人の自白によれば,本件犯行に至る経緯は以下のとおりである。
被告人は,平成18年4月20日前後から,間近に迫った友人の結婚式に出席するための金を工面する必要に迫られ,あれこれ思案するうち,以前,被害者が給料の不足分についてアルバイト先と交渉してくれると言っていたことや,その際,2万円を渡してくれたことを思い出し,本件犯行前日,被害者方を訪れ,アルバイトの給料の件を口実に,被害者からいくらかの金をもらおうとした。しかし,案に相違して被害者にはにべもなく断られたため,被告人は被害者の態度に腹を立てるとともに,この日が被害者の給料日で,被害者方にはまとまった金があるなどと考えるうち,結婚式に出席するための費用のみならず,パチスロに投じる金欲しさに,漠然と,被害者方ならまとまった現金を盗むことができるのではないかと考えるようになった。そして,自宅で被害者方から現金を盗むことについて思いめぐらせるうち,被害者方を物色中に被害者に気付かれた場合には,面識があるので被害者を殺すしかないなどと考えるに至ったものと認められる。
その動機は,自己の利益を実現するためには,世話になった被害者の生活の平穏はもとより,その生命を奪うことすら厭わないという卑劣かつ凶悪なものであって,酌量の余地は全くない。
とりわけ,被害者は,被告人を励ますなどして面倒をみていた恩人であり,本件は,まさに恩を仇で返した著しく人倫にもとる犯行というほかない。
5 犯行の態様は,深夜,凶器や指紋を残さないための軍手等を準備して被害者方に赴き,無施錠の玄関から侵入すると,居間に通じる扉に取り付けられた鈴をあらかじめ取り外すなどして室内に入り,就寝中の被害者を後目に金品を物色中,被害者が目を覚ましたことから,持っていたマキリで被害者を殺害した後,室内をくまなく物色し,財布の中から現金約11万円を発見して抜き取ったものと認められ,事前に準備された計画的犯行である。また,犯行後,被害者方台所で手などを洗い,被害者の返り血が付着した衣類や凶器等を被害者のリュックサックに詰めて海中に投棄して犯跡を隠滅するなど,終始冷静に行動している。
特に,殺害の態様は,マキリを突き付けられてほぼ無抵抗の状態であった被害者に対し,情け容赦なくマキリで切りかかり,その後は,必死に抵抗する被害者の首や頭をめがけて鋭利なマキリを多数回突き立てたというのであるから,確定的殺意に基づく執拗で冷酷非情な犯行というほかない。
被害者は,世話好きで温厚な人柄で,職場での人望も厚く,被告人に対しても,仕事を続けるように励ましたり,他の仕事を世話してやるなど,父親のように親身になって接してきた。被告人に感謝されることはあっても,恨まれる理由などみじんもない。まじめに働き,孫の成長を楽しみに見守るなど,ごく当たり前の平穏な幸福を手にすることができたはずであったのに,突然の凶行によって理不尽にも生涯を閉じなければならなかった。深夜,最も安心できるはずの自宅で,就寝中をおそわれ,必死の抵抗もむなしく,苦しみもだえながら絶命した被害者が,死の間際に味わったであろう恐怖や驚愕,無念の情は想像に余りある。ところが,被告人は,犯行後,手にした現金をパチスロにつぎ込むなどして費消し,また,平然と被害者の通夜に出席し,虚言を弄して捜査機関からの追及を逃れていたもので,公判廷でも,自己の保身を図るための弁解に終始し,遺族に対し誠意ある謝罪を行っていない。やり場のない怒りや憤りを抱かざるを得ない遺族らの処罰感情が,極刑を求めるほど峻厳を極めることは,至極当然である。加えて,本件が平穏な住宅街に突如発生した強盗殺人という極めて凶悪な事件であり,近隣住民や地域社会全体に与えた不安感も大きい。
これらの点からすると,被告人の刑事責任は極めて重大である。
6 そうすると,被告人が,被害者を殺害した事実については認め,被害者及び遺族に対し一応の謝罪の言葉を口にしていること,遺族らに受け入れられなかったものの,謝罪文をしたためていること,これまで前科がないこと,被告人の行く末を案じる家族がいることなど,被告人のため酌むべき事情を最大限に考慮し,また,同種事案における刑の均衡等を考慮しても,被告人に対しては,贖罪のため,その終生をもって償わせるのが相当である。
よって,主文のとおり判決する。
【求刑 無期懲役】
(裁判長裁判官 本田晃 裁判官 本村曉宏 裁判官 石田佳世子)