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釧路地方裁判所 平成23年(ワ)57号 判決 2013年4月16日

原告

原告訴訟代理人弁護士

篠田奈保子

被告

被告訴訟代理人弁護士

青木一志

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告に対し、三二六九万六六七六円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  事案の骨子

本件は、原告が、昭和五三年一月上旬から昭和五八年一月上旬までの間(以下「本件当時」という。)、叔父である被告から、多数回にわたって繰り返しわいせつ行為及び一回の姦淫行為(以下、一連の被告による原告に対するわいせつ行為を「本件性的虐待行為」という。)を受け、それにより外傷後ストレス障害(以下「PTSD」という。)等の精神疾患を発症したとして、被告に対し、不法行為に基づき、後遺障害に基づく慰謝料等合計三二六九万六六七六円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

二  前提事実(当事者間に争いがない。)

(1)  原告は、昭和四九年○月○日、釧路市内において、父A及び母Bの間の長女として生まれた。原告が出生後、原告の両親の間には、次女、三女が生まれたことから、原告は、本件当時を含む幼少期には、同市内にあった、母方の祖父母であるC及びD(以下「祖父母」という。)の自宅(以下「祖父宅」という。)に預けられ、養育されている期間が長かった。本件当時の原告の年齢は、三歳一〇か月から八歳一〇か月である。

(2)  被告は、昭和二二年○月○日に祖父母の長男として生まれた、原告の母Bの実弟である。被告は、本件当時三一歳から三六歳で、祖父母と同居はしていなかったが、毎年一月及び八月には数日間祖父宅に帰省していた。

(3)  原告は、原告が祖父宅に預けられていた幼少期、祖父宅において、複数回にわたって、被告から本件性的虐待行為(時期、内容及び回数については後記のとおり争いがある。)を受けた。

(4)  原告は、平成二三年四月二八日、本件訴訟を提起した。

三  争点及び当事者の主張

(1)  被告による原告に対する本件性的虐待行為の内容(争点一)

(原告の主張)

原告は、本件当時、被告から本件性的虐待行為を受けた。原告が本件訴訟提起時点で記憶し、日時及び行為を特定できるわいせつ行為及び姦淫行為は次のとおりである。

ア 被告は、昭和五三年一月上旬の午後二時ころ、祖父宅において、原告(当時三歳一〇か月)に対し、その臀部をなでまわし、さらに、同人の陰部を触るなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為①」という。)。

イ 被告は、昭和五三年八月中旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時四歳五か月)に対し、同人を裸にした上、その臀部をなでまわしたり、同人の頬から首筋にかけてキスをし、舌でなでまわしたり、同人の乳房を吸ったり、さらに、その陰部を触ったりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為②」という。)。

ウ 被告は、昭和五四年一月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時四歳一〇か月)に対し、布団の中にいた同人を抱きしめ、その着衣を脱がせて裸にした上、同人の全身を舌でなでまわすとともにその乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、同人の臀部や陰部を触ったり、陰部に手指を挿入したりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為③」という。)。

エ 被告は、昭和五四年八月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時五歳五か月)に対し、布団の中にいた同人を抱きしめ、その着衣を脱がせて裸にし、被告自身も裸になった上、原告の全身を舌でなでまわすとともにその乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、同人の臀部や陰部を触ったり、陰部に手指を挿入することを繰り返したりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為④」という。)。

オ 被告は、昭和五五年一月上旬の午後三時ころ、祖父宅において、原告(当時五歳一〇か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その全身をなでまわしたり、同人の乳房を揉んだり、臀部をなでまわしたり、さらに、同人の陰部を触るなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為⑤」という。)。

カ 被告は、昭和五五年八月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時六歳五か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その全身をなでまわしたり、同人の乳房を揉んだり、臀部をなでまわしたりし、さらに、同人に被告の陰茎を握らせて手淫をさせたり、原告の陰部に手指を挿入することを繰り返したりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為⑥」という。)。

キ 被告は、昭和五六年一月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時六歳一〇か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その着衣の上着をめくった上、同人の乳房を執拗に揉み、同人の乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、原告の陰部に手指を挿入することを繰り返したり、同人に被告の陰茎を握らせて手淫をさせたりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為⑦」という。)。

ク 被告は、昭和五六年八月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時七歳五か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その着衣の上着を脱がせた上、同人の乳房を執拗に揉み、同人の乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、原告の陰部に手指を挿入することを繰り返したり、同人に被告の陰茎を握らせて手淫をさせたりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為⑧」という。)。

ケ 被告は、昭和五七年一月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時七歳一〇か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その着衣の上着を脱がせた上、同人の乳房を執拗に揉み、同人の乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、原告の陰部に手指を挿入することを繰り返したり、同人に被告の陰茎を握らせて手淫をさせたりするなどし、もってわいせつな行為をした(以下「本件行為⑨」という。)。

コ 被告は、昭和五七年八月中旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時八歳五か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その着衣の上着を脱がせた上、同人の乳房を執拗に揉み、同人の乳房を口に含んで転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、さらに、原告の陰部に手指を挿入することを繰り返したり、同人に被告の陰茎を握らせて手淫をさせたりするなどし、もってわいせつな行為をした。

加えて、被告は、この際、被告の陰茎を原告の陰部に挿入しようとしたが、その目的を遂げなかった(以下「本件行為⑩」という。)。

サ 被告は、昭和五八年一月上旬の午後一〇時ころ、祖父宅において、原告(当時八歳一〇か月)に対し、布団の中に同人を引き込み、その着衣を脱がせて裸にした上、同人の乳房を執拗に揉み、同人の乳房を口に含んで舌で転がしたり、きつく吸ったりすることを繰り返し、もってわいせつな行為をした。

加えて、被告は、この際、仰向けになって、原告に対し、「俺の言うとおりに、ここの上に乗って、なにもこわくないから。」などと申し向け、その陰部に被告の陰茎を挿入しようとした。これに対して原告が声を上げたところ、異変に気がついた祖父母が部屋に入り、「どうした、なにかあったかい?」と尋ねたが、被告は原告を布団の中に隠し、「なんでもないよ。大丈夫。」と対応した。祖父母が戻った後、被告は再度仰向けになり、原告を被告の身体の上に乗せ、原告の陰部に被告の陰茎を挿入した。被告は、原告を座らせた状態で腰を上下に動かした。こうして被告は原告を姦淫するに至った(以下「本件行為⑪」という。)。

(被告の主張)

被告が原告の身体を触る等の行為が昭和五六年一月から昭和五八年一月までに四回程度あったことは認め、原告に対する姦淫行為があったことは否認する。

すなわち、まず、本件行為①から本件行為⑥までは否認する。

次に、本件行為⑦及び⑨については、被告が原告の乳首を舐めたこと、原告の陰部に手指を挿入したことは認めるが、その余は否認する。

本件行為⑧及び⑩については、いずれか一方の時期に被告が原告の乳首を舐めたこと、原告の陰部に手指を挿入したことは認めるが、その余の行為及び他方の時期にわいせつ行為があったこと自体否認する。

そして、本件行為⑪については、被告が原告に対し、着衣を脱ぐよう指示し、被告が原告の乳首を舐めたこと、被告が原告を被告の体の上に乗せ抱きしめたこと、その後、被告が陰茎を原告の陰部に挿入しようとしたことは認める。しかし、被告は、陰茎を挿入する前に我に返り、以降は原告に対して何らの性的行為を行っていない。

(2)  原告の精神疾患と本件性的虐待行為との因果関係(争点二)

(原告の主張)

本件性的虐待行為によって、原告には下記のとおりの精神症状等が現れ、昭和五八年にはPTSD及び離人症性障害(解離性障害)を、平成一八年末ころにはうつ病を発症し、これ以降、原告の症状は重篤化した。

ア 自己肯定感をもてないまま、精神的に不安定な青少年期を過ごし、常に周囲からの評価を気にし続け、円滑な対人関係を築くことが困難であった。

イ 日常的に悪夢にうなされ、叫び声を上げて飛び起きることがあり、汗をびっしょりかいていて着替えなくてはならないことがある。

ウ 自分の右斜め四五度近くから、まったく同じ自分が自分を見ている感覚に常に襲われている。

エ 精神的に不安定であり、不安感をまぎらわすための「爪かみ」が幼少時からひどく、現在でも両手・両足の爪をかむ癖が直らない。

オ 自己肯定感がなく、消えてなくなりたいとの自殺願望が消えないため、何度も自殺未遂を繰り返している。

カ 幸せな家庭を築くことや子供を持つことに自信が持てず、夫との関係については一時離婚を決意するまでに至った。また、現在まで夫との間で子を持つ決断ができずにいる。

キ 男性が近くにいると体が硬直し、何かされないか極度に緊張する状態が続く。

ク 被告からされた姦淫などの際の状況が鮮明にフラッシュバックされ、思い出したくない、忘れようと思えば思うほどフラッシュバックが頻繁に起こる。

原告は、自らがPTSDであることや、その原因が本件性的虐待行為にあることを認識できずに、上記の症状を抱えながらも懸命に生きてきたが、平成二三年三月一一日の東日本大震災を契機として上記事実を自覚するとともに、本件性的虐待行為を乗り越えなければ自分が生き続けられないと気づき、担当医師等に告白したところ、平成二三年四月四日、「心的外傷後ストレス障害・抑うつ状態」と診断された。

被告は、原告の症状につき、結婚生活上のストレスが原因であるなどと主張するが、夫が診療所を開設した時の多忙によるストレスなど原告が結婚生活において置かれていた状況は、一般人が経験するレベルのものであって、過度なものではない。原告の症状の原因は本件性的虐待行為である。

(被告の主張)

原告の精神症状等については不知。現在、被告による行為から二五年以上の年月が過ぎており、原告がうつ病やPTSDと診断がされたのもごく最近であって、原告の症状は結婚生活などこれまでの生活状況がストレスになっている可能性が高く、被告による本件性的虐待行為とは因果関係がない。昭和五八年以降も原告と被告との関係は良好に推移しており、原告に何ら変わった様子は見られなかった。

(3)  損害額(争点三)

(原告の主張)

原告は、前記のとおり、本件性的虐待行為によりPTSD等を発症し、現在も重度の症状に苦しんでおり、一生涯の治療が必要である。本件性的虐待行為による原告の損害額は次のとおりである。

ア 将来の治療費 今後月二回の治療を受ける予定であり、女子三七歳の平均余命五〇年の分として、二三三万九六七六円

イ 後遺障害慰謝料 三〇〇〇万円

ウ 弁護士費用 三五万七〇〇〇円

(被告の主張)

争う。

(4)  消滅時効の成否及び援用権の行使の可否(争点四)

(被告の主張)

ア 原告が被告に対して本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権を有していたとしても、その消滅時効は、原告がPTSDを発症した昭和五八年から進行するものであり、原告の請求権はそれから三年が経過した昭和六一年に時効により消滅した。

本件性的虐待行為時に原告が若年であったことから、その判断能力が問題となり、消滅時効の起算点が遅くなるとしても、遅くとも原告が成人した平成六年には時効の進行が開始し、原告の請求権はそれから三年経過した平成九年に時効により消滅した。

被告は、上記の消滅時効を援用する旨の意思表示をする。

イ 被告が、前記アの消滅時効完成後に、原告に対し、五〇〇万円を支払う旨を約束したことは認める。しかし、これは、原告が「近所にビラをまいてやる」、「一週間以内に五〇〇万円を用意しろ」などと被告を脅迫したためにやむなく応じたものであり、本件性的虐待行為に基づく損害賠償債務を承認したわけではない。

仮に、被告が支払を約した五〇〇万円が本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権と同一であるとしても、上記のとおり、その承認は原告の脅迫に基づくものであるから、債務の承認とは評価できず、被告が本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権の時効を援用することが信義則上許されないとは言えない。

(原告の主張)

ア 民法七二四条前段にいう「損害及び加害者を知った時」とは、被害者において、加害者に対する賠償請求が事実上可能な状況の下に、その可能な程度にこれを知った時を意味するものと解するのが相当である。

原告が、自らがPTSDに罹患しており、それが被告からの本件性的虐待行為によるものであると自覚したのは、平成二三年三月一一日に発生した東日本大震災に関する報道を端緒とした平成二三年三月後半のことである。この自覚を得るまで、原告は、被告から性的被害を受けたことを打ち明けることで両親、親族、夫に引き起こす混乱を想像し、本件性的虐待行為を一生誰にも話さないと決意していたのであり、それ以前に原告が被告を訴えるのは主観的にも客観的にも不可能な状態であった。

したがって、本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効の起算点は、平成二三年三月後半であって、消滅時効は未だ完成していない。

イ 仮に、本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権の消滅時効が完成しているとしても、本件性的虐待行為は、刑法上の犯罪に該当する行為であり、かつ、被告は、原告との話合いにおいて一度は姦淫行為を認めたにもかかわらず、本件訴訟に至ると否認し、誠意ある反省の態度は見られないのであるから、被告による消滅時効の援用は権利の濫用であり、許されない。

ウ また、被告は、平成二三年三月一七日、原告との話合いの席上で、原告に対する本件性的虐待行為を認め、原告に対し、損害賠償金として五〇〇万円を支払う旨約束した。これは時効完成後の債務承認にあたるから、被告が本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権について消滅時効を援用することは信義則上許されない。

(5)  除斥期間の経過及びその適用制限の可否(争点五)

(被告の主張)

ア 民法七二四条後段に定められている二〇年の期間は、被害者側の認識という主観的事情にかかわりなく、一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたもの、すなわち除斥期間と解すべきである。

そして、この除斥期間の起算点は「不法行為の時」とされており、上記の除斥期間の趣旨からすると、起算点はあくまで加害行為時であるのが原則である。原告の主張するような、損害の発生時が起算点となるのは、損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合のみである。原告がPTSDを発症したのは昭和五八年ころであり、本件は、損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には該当しない。

したがって、本件性的虐待行為に基づく原告の損害賠償請求権は、不法行為時である昭和五八年から二〇年が経過した平成一五年には、除斥期間の経過により消滅している。

イ 原告は、信義則違反あるいは権利濫用による除斥期間の適用の制限を主張し、いくつかの下級審の裁判例に言及するが、原告指摘の裁判例はいずれも国家的犯罪と呼ぶべきものであって、個人間の不法行為である本件に当てはまるものではない。

したがって、信義則違反あるいは権利濫用をいう原告の主張は、主張自体失当である。

(原告の主張)

下記の理由により、本件性的虐待行為に基づく原告の損害賠償請求権は、除斥期間の経過によって消滅してはいない。

ア 本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間は未だ経過していない。

すなわち、本件性的虐待行為に基づく原告の損害は、幼少期の性的虐待であるため、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に症状が現れる損害であり、また、損害が日々発生している継続的に不法行為であるから、その除斥期間の起算点は、次のとおり、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後と継続的不法行為が終了した時点のいずれか遅いほうとすべきである。

(ア) 民法七二四条後段の除斥期間の起点算である「不法行為の時」については、身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる物質による損害や、一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害のように、当該不法行為により発生する損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生した時と解すべきである。

幼少期における性的虐待は、虐待時にその行為の意味・内容を認識することはそもそも困難であり、幼少期に性的虐待を受けた者が受けた性的虐待の意味を知るのは、性行為についての知識を習得する青少年期である。青少年期になって初めて、自らが受けた行為の意味・内容を知り、真の苦しみが始まるものである。そうすると、幼少期における性的虐待によって生じる損害については、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合に該当する。

本件においては、原告は、平成二三年八月以降に、昭和五八年からPTSD等が発症したとの診断を受けたが、これは事後的に診断した結果としてのものであり、上記のように性行為の意味・内容を理解できなかった昭和五八年当時に原告に損害があったとするのは酷である。原告は、行為の意味を認識していない八歳の当時から、当たり前のように性的虐待の場面を突然思い出し、また、もう一人の自分がいるような感覚で生きてきたのであり、それらをある意味当然・自然に受け止めるしかなく、PTSDという病的なものとは認識していなかった。そして、幼少期に性的虐待を受けた被害者の大多数と同様、原告は、過去の忌まわしい体験を必死の努力で忘却、封印しようとして過ごしてきたが、大人になってから社会人として様々な葛藤や苦悩にさらされたとき、深刻な心的外傷体験があることにより症状が重篤化、表面化したのである。

したがって、本件における除斥期間の起算点は、損害の全部又は一部が発生した時点、すなわち、原告において自らに生じた諸症状と本件性的虐待行為が結びついた時点又は確定診断を得た時点とすべきである。

(イ) また、損害が日々発生する継続的な不法行為についての「不法行為の時」とは、継続的不法行為が終了した時点と解すべきであるところ、本件性的虐待行為は、加害行為が終了した昭和五八年以降、原告が成長するに連れ、様々な葛藤や苦悩にさらされるようになって症状として重篤化し、診断に結びついたのであるから、被害が継続して日々損害が発生する場合にあたる。したがって、本件において除斥期間の起算点となるべき継続的不法行為が終了した時点は、原告が完治した時点又は確定診断を得た時点となる。

イ 前記アのように言えなくとも、下記のとおり、除斥期間は経過していない。

すなわち、本件性的虐待行為が終了した昭和五八年当時、原告は八歳であり、未成年者であったから、原告が本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権について権利行使をするには、法定代理人である両親がこれをする必要があった。

しかし、本件は親族内における虐待行為であり、法定代理人が被害者である未成年者を代理して、親族である加害者に対して損害賠償請求権を行使する現実的な可能性は低く、現に、本件において、原告の両親は、原告が本件性的虐待行為を告白した後、原告の権利行使を妨害する態度に出ていることから、原告を代理して権利行使を行う可能性は全くなかった。

したがって、上記本件の特殊性を考慮すれば、損害の公平な分担という不法行為制度の趣旨から、民法七二四条後段の効力が生じない特段の事情があるというべきであるから、原告が法律的に単独で権利を行使することが可能になった、原告が成人した時点、すなわち平成六年○月○日を除斥期間の起算点と解すべきである。

ウ 不法行為の時から二〇年を経過する前六か月内において、不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が禁治産宣告を受け、後見人に就職した者がその時から六か月以内に損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときには、民法一五八条の法意に照らし、同法七二四条後段の効果は生じないと解すべきである。

原告は、昭和五八年から二〇年を経過した平成一五年の前六か月の時点においてもPTSDに罹患しており、これは上記にいう心神喪失の状況に該当する障害であり、かつ、これが被告の本件性的虐待行為を原因としていることは明らかである。

そして、原告の心神喪失の状況は、前記のとおり、東日本大震災を契機に、自ら権利を行使する能力を回復した平成二三年三月後半まで続き、原告は、それから六か月以内の平成二三年四月に本件訴訟を提起しているから、本件においても、民法一五八条の法意に照らし、同法七二四条後段の効果は生じていない。

エ 本件性的虐待行為は、無抵抗な幼少児童に対する強制わいせつ・強姦という刑法上の犯罪に該当するものであるから、除斥期間の適用を制限すべき場合に該当し、原告の本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権は消滅していない。

第三当裁判所の判断

一  争点一(被告による原告に対する本件性的虐待行為の内容)について

(1)  原告は、被告から時期及び内容が特定できるだけでも本件行為①から⑪までの本件性的虐待行為を受けた旨主張し、被告は、四度のわいせつ行為があったことのみ認めるものの、わいせつ行為の内容や、原告が主張するその余のわいせつ行為や姦淫行為があったことを争っている。

原告は、主として陳述書(甲九)において、前記主張に沿う被告からの本件性的虐待行為の内容を供述するとともに、記憶にある当時の状況や感情についても併せて供述している。これに対し、被告は、特段、本件性的虐待行為の有無や内容に関する反証をしていない。

そこで、以下、原告の供述の信用性を検討することとする。

(2)  原告の供述の信用性を検討する前提として、前記前提事実、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば以下のとおりの事実が認められる。

ア 本件当時のころから現在に至るまで、原告には、原告が成長したり、生活に転機が訪れたりすると症状の軽重には違いがあるものの、①被告からのわいせつ行為に関連したフラッシュバック、悪夢等の侵入症状、②睡眠障害等の覚醒亢進症状、③祖父宅に上がることができないなど、被告からの性的虐待を想起させる考えを避けるといった回避症状といった、DSM―Ⅳ―TR(米国精神医学会による「精神疾患の分類と診断の手引」)におけるPTSDとの診断要素となる症状が出現していた。加えて、離人症性障害の診断要素となる離人体験も出現していたほか、爪かみなどの自傷行為、絶望感、希死念慮等も出現した。

しかし、原告は、後記のとおり、平成一八年に受診するまで、これらの症状につき、医師の診断を受けることはなかった。

イ 原告は、釧路市内の高等学校を卒業後、いったん就職したが、看護師になろうと考え、看護専門学校に入学した。

卒業後は、横浜市内の病院に看護師として勤務した。

原告は、平成九年、夫であるE(以下「E」という。)と交際するようになり、その後、新潟市に転勤することになったEに伴い、同市に転居した。原告は、平成一三年六月八日、Eと婚姻した。原告は、婚姻後、看護師や養護教員として稼働していた。

ウ 平成一八年一月、医師であるEが診療所を開設し、原告は、同診療所の看護師や経理として稼働した。原告は、平成一八年九月ころから著しい不眠、意欲低下、イライラ等の症状に悩まされるようになり、また、体重も短期間で約一〇キログラム減少した。原告は、神経内科医であるEからうつ病の疑いと診断され、抗うつ薬等を処方されたが、症状は改善されず、希死念慮も出現したため、平成一九年七月には、通院を開始した。

しかし、その後も原告の症状は悪化し、原告は、日中は動くことができなくなり、物ごとを楽しんだり、笑ったりすることができなくなるなどした。さらに、自傷行為が悪化しており、離人症などの症状もあることから、上記病院の医師は、うつ病としては非典型的であり診断を確定できないとした。

エ 原告は、平成二〇年ころになると、経理などの事務仕事もできなくなり、釧路市内の実家で療養することとし、同年一二月に釧路市に転居した。平成二一年二月からは釧路赤十字病院に通院したが、症状の改善は見られなかった。

オ 原告は、平成二三年一月ころの父親とのけんかをきっかけとして、平成二三年二月二日、釧路赤十字病院の医師に対し、被告から性的虐待を受けた旨告白し、当時の記憶の侵入があることなどを伝えた。

カ 平成二三年三月一一日に東日本大震災が発生し、原告は、テレビや新聞で震災に関する報道やPTSDに関する報道を目にした。原告は、これにより自らが苦しんできた諸症状がPTSDによるものと確信するようになり、Eや両親に本件性的虐待行為があったことを告白した。

キ 原告は、平成二三年三月一七日、両親の立会いのもとで被告と面会し、被告に対し、本件性的虐待行為の有無や内容を問い質すとともに、本件性的虐待行為に基づく損害賠償金を要求するなどした。

被告は、当初、一部のわいせつ行為については認めたものの、姦淫行為があったこと等については否定したが、最終的には姦淫行為についても認めるに至り、五〇〇万円の損害賠償金を支払う旨約束した。

ク 原告は、平成二三年四月四日、釧路赤十字病院において、「心的外傷後ストレス障害・抑うつ状態」と診断された。

ケ 原告は、平成二三年八月一日以降、東京女子医科大学附属女性生涯健康センターを受診した。同センターのF医師は、原告と面接し、また、同センターの臨床心理士が行った心理検査の結果等を踏まえ、DSM―Ⅳ―TRの診断基準に従い、原告の精神医学的状態については外傷後ストレス障害(主診断)、離人症性障害、大うつ病エピソード(以下「うつ病」ということもある。)及び特定不能の摂食障害であると診断した。

同医師は、PTSD及び離人症性障害の発症時期については、原告には被告によるわいせつ行為を受けていた当時から種々のPTSDに特徴的な症状が現れていたことなどから、六歳から七歳ころに発症したものと推定されるとした。うつ病については、PTSD及び離人症性障害に遅れて発症したもので、Eが診療所を開設した時期の激務や妊娠出産への不安等の影響が見られるが、本件性的虐待行為が重大な一要因であるとした。

また、重症度は重度、治癒については現時点では不明としている。

(3)ア  原告の供述内容それ自体について見ると、原告は、本件性的虐待行為の内容のほか、記憶にある当時の状況や感情を供述しており、その内容は具体的かつ詳細である。また、原告の供述する被告によるわいせつ行為は、原告が成長するごとにエスカレートしていき、最終的に姦淫行為に至るというもので、親族である幼少期の者に対して連続的にわいせつ行為を行う者の行動として自然であるということができる。

確かに本件当時、原告は三歳一〇か月から八歳一〇か月と幼少であったが、本件のように長期間にわたって、決まった時期において、その時期の子どもにとっては極めて非日常的行為であるわいせつ行為を受けたとする経験は、詳細を記憶していてもおかしくないし、姦淫行為については特に衝撃的な出来事であって、より深く記憶に刻まれると考えるのが自然であるから、原告の詳細な供述内容は特段不自然というべきではない。

イ  そして、本件においては、被告は、原告に対して複数回わいせつ行為を行ったことは認めており、原告がありもしない被告からのわいせつ行為を供述しているという事態は否定されている。そのような状況の中、原告は、本件性的虐待行為について、わいせつ行為は多数回行われたと供述する一方で、姦淫行為があったのは最後の一回だけであったと供述し、さらに、本件行為①ないし⑪を記憶に基づき特定ができるわいせつ行為として供述している。原告としては、継続的に姦淫行為をされていたと供述することも可能であったのであるから、上記のように、姦淫行為は一回だけであったとし、それ以外のわいせつ行為についても記憶にある範囲で特定しているとする原告の供述態度は真摯なものといえる。

(4)  以上の検討と、原告には、PTSDの症状の一つとして、本件性的虐待行為についてのフラッシュバックが認められることからすると、被告から本件性的虐待行為を受けたとする原告の前記供述は、概ね信用することができる。

特に、姦淫行為の有無については、本件訴訟において被告は否定するものの、平成二三年三月一七日に原告や原告の父との話し合いの際には最終的に姦淫行為を認めていたことや、上記のような原告の供述内容及び供述態度からすると、姦淫行為があったと認めるのが相当である。

そして、姦淫行為があった時期は、原告の供述する被告による最後のわいせつ行為が姦淫行為を含む本件行為⑪であること、その時期は被告が認める最終のわいせつ行為があった時期と一致することからして、昭和五八年一月上旬ころと認めるのが相当である。

他方、その他の本件行為①ないし本件行為⑩の時期については、いかに本件性的虐待行為が幼少期の原告にとっても記憶に残る衝撃的な出来事であったとしても、当時の原告が幼少であること及び被告によるわいせつ行為が同じ場所で繰り返しなされていることなどにかんがみると、その内容と結びつくわいせつ行為を受けた時期についてまで詳細に記憶していると断定するのは難しい。

そうすると、原告の供述からは、原告が、本件当時、祖父宅に帰省した被告から多数回にわたるわいせつ行為を受けたこと及びわいせつ行為の内容としては、原告が本件行為①ないし⑩として主張する内容と概ね同様であり、だんだんとエスカレートして、昭和五八年一月上旬ころの姦淫行為(本件行為⑪)に至ったことの各事実が認められるというべきである。

二  争点二(原告の精神疾患と本件性的虐待行為との因果関係)について

前記のとおり、F医師は、その意見書及び証人尋問において、原告は、本件性的虐待行為によりPTSD及び離人症性障害を発症し、本件性的虐待行為を重大な一要因として大うつ病エピソードを発症したと診断しており、本件において、本件性的虐待行為以外に、原告の各種精神疾患の原因となるような事象は見当たらないことも考え併せれば、原告のPTSD、離人症性障害及び大うつ病エピソードと本件性的虐待行為との間には因果関係があると認めることができる。

この点について、被告は、結婚生活上のストレス等を指摘するが、そもそもPTSDや離人症性障害の発症時期は、原告が六歳から七歳のころである上、前記のとおり、本件において、本件性的虐待行為以外に、原告のPTSDや離人症性障害発症の原因となるような重大な外傷的出来事は見当たらない。大うつ病エピソードについて、Eの診療所開設当時の多忙等本件性的虐待行為後に原告に生じたストレス要因が影響を与えているとしても、本件性的虐待行為が存在すること及びPTSD患者がうつ病を併発することが多いことを考慮すれば、その後の要因は発症のきっかけに過ぎず、本件性的虐待行為と大うつ病エピソードの因果関係を肯定することができるというべきである。

三  争点五(除斥期間)について

(1)  除斥期間の起算点等を論じる前提として、原告が罹患したPTSDについて、証人Fの証言及び証拠<省略>によれば以下のとおりの事実が認められる。

ア PTSDの概念は、ベトナム戦争から帰還した軍人が特徴的な症状を呈していたことを契機としてアメリカ合衆国で研究が進み、診断概念がまとまってきたものである。日本におけるPTSDに関する学会(日本トラウマティック・ストレス学会)が設立されたのは平成一四年ころのことであり、PTSDに関する診断技術や概念が日本国内で普及し、一般的に診断可能となったのはその後のことであった。それ以前はPTSDにより発現する症状の診断についても、発現の状況や時点に応じてさまざまな診断名をつけるほかなかった。

イ PTSDによって生じるフラッシュバックの症状は非常に断片的で、それが何であるか自分でもはっきりわからないまま恐怖にとらわれるものであるため、PTSDの原因となった過去の体験とフラッシュバックの症状を結びつけて考えることは必ずしも容易ではない。特に、子供のころの性的虐待被害は、子供の中に被害・加害といった概念や判断基準がないゆえに、加害行為を「何か訳の分からない気持ちの悪い怖い体験」としてしか捉えられず、フラッシュバックの症状が発現したとしてもその症状と自分の被害体験を結びつけて認識するのは困難である。成長して性的行為の意味を理解できるようになっても、原因となった精神的外傷行為から長時間が経過しているため、断片的なフラッシュバックの症状を過去の被害体験と結びつけて認識するのは難しくなる。また、被害体験についてはその記憶が想起しないよう回避作用が働くため、被害体験についての認知がずれることもあり、回避作用が働いていることを自分で認識するのは難しい。そのうえ、PTSDの原因となった精神的外傷の程度が深ければ深いほど、自尊感情の低下、自責感、無力感などで被害の認知過程が傷つけられるため、被害体験と自分の症状を結びつけて考えることが難しくなる。

(2)  除斥期間の起算点について

ア 民法七二四条後段に定める二〇年間の期間は、不法行為による損害賠償請求権について、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を面一的に定めたものであり、除斥期間を定めたものと解するのが相当である(最高裁平成元年一二月二一日第一小法廷判決・民集四三巻一二号二二〇九頁参照。以下「平成元年最判」という。)。本件性的虐待行為は、最終のわいせつ行為が昭和五八年一月上旬であるところ、原告は、本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権について、除斥期間は経過していないとして上記のとおり種々の主張をしている。そこでまず、本件について除斥期間の経過の有無を判断するにあたり、どの時点を起算点とすべきかを検討する。

民法七二四条後段では除斥期間の起算点について「不法行為の時」と規定されており、加害行為が行われた時に即時に損害が発生する不法行為の場合には、加害行為の時がその起算点となると考えられる。しかしながら、身体に蓄積した場合に人の健康を害することとなる特質による損害や、一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れる損害のように、当該不法行為により発生する損害の性質上、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合には、当該損害の全部又は一部が発生した時が除斥期間の起算点となると解すべきである(最高裁平成一六年四月二七日第三小法廷判決・民集五八巻四号一〇三二頁、最高裁平成一六年一〇月一五日第二小法廷判決・民集五八巻七号一八〇二頁等参照)。

そして、民法七二四条後段の規定を、不法行為による損害賠償請求権について、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたもの、すなわち、除斥期間を定めたものと解する(平成元年最判)限り、「加害行為が終了してから相当の時間が経過した後に損害の全部又は一部が発生した時点」とは、疾患についての症状が客観的に発生した時点、すなわち発症の時点とみるべきであり、その症状について具体的な診断を得た時点ではないと解するのが相当である。なぜなら、客観的にみて疾患が発症している場合には、すでに被害者について現に苦痛等の損害が発生していると言わざるを得ないのであり、症状の原因について具体的な診断を得られていないことは、損害発生の有無についての被害者側の認識に関する事由に過ぎないと考えられるからである。

イ そこで、本件について、本件性的虐待行為による損害の発生時がいつであったかについて検討するに、原告のPTSD及び離人症性障害については、診断こそ得られていなかったものの、発症の時点としては、前記認定のとおり、原告が六歳ころから七歳ころといわざるを得ない。この点原告は、本件が、加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生する場合に該当すると主張するが、原告の主張する損害は本件性的虐待行為により発生したPTSD等の精神疾患に対する慰謝料であり、その主たる症状であるPTSDに罹患したことによる諸症状は、前記のとおり原告が六歳ころから七歳ころ既に生じていたのであるから、その時点で損害も発生しているものと解するほかない。

うつ病については、PTSDに遅れて発症したといううつ病の正確な発症時期は不明であり、原告には、操作的診断基準におけるうつ病の診断要素となる症状が平成一八年九月以降顕著に認められていたものの、原告のうつ病はPTSDに付随して発症したものと理解され、また、原告には、本件当時ころから、操作的診断基準におけるうつ病の診断要素となる症状の一部が生じていたものである以上、これを一定の潜伏期間が経過した後に症状が現れるようなものとみることはできない。

したがって、本件性的虐待行為による原告の損害は、「加害行為が終了してから相当の期間が経過した後に損害が発生した場合」に当たるものとは考えられない。

ウ なお、以上の検討によれば、原告には本件性的虐待行為の終了前にPTSD及び離人症性障害の損害が発生していたことになる。この場合に、多数回のわいせつ行為からなる本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権の除斥期間の起算点をどの時点と捉えるかという問題が生じ得るものの、仮に、一連のわいせつ行為からなる本件性的虐待行為を一個の行為と擬制して、その起算点を本件性的虐待行為の最終時点としても、その時点から本件訴訟の提起までに二〇年が経過しているから、上記の点を検討するまでもなく除斥期間は経過していることになる。原告は、本件性的虐待行為が継続的不法行為であり、本件性的虐待行為の後にも損害が継続的に発生しているから、除斥期間の起算点は、原告の完治した時点又は確定診断を得た時点である旨主張しているが、原告が主張している損害の発生時は、PTSD及び離人症性障害が発症した時点であるのは前記のとおりであり、最終のわいせつ行為は昭和五八年一月上旬ころであるから、原告の主張は採用の限りでない。

そうすると、原告の本件性的虐待行為に基づく損害賠償請求権については、民法七二四条後段に定める除斥期間がすでに経過していることになる。

エ また、原告は、原告が成人した時点を除斥期間の起算点と解すべきとも主張している。しかしながら、民法七二四条後段の二〇年の除斥期間の起算点が不法行為時であることは、条文の文言上明らかであり、前記のとおりの同法七二四条後段の趣旨や同条前段が損害及び被害者を知った時を時効期間の起算点としていることと対比すると、同条後段にいう「不法行為の時」を権利行使の可能性の観点から解釈することはできないものといわざるを得ない。後記のとおり、除斥期間に関して、民法上の時効停止規定、すなわち、時効完成の間際に時効中断を不能又は著しく困難にする事情が発生した場合に、時効によって不利益を受ける者を保護してその事情の消滅後一定期間が経過するまで時効の完成を延期する規定を準用する余地があるとしても、原告が主張するように権利行使の可能性のないことが除斥期間の進行自体を停止させるものと解することはできないというべきである。

(3)  時効停止規定の準用ないし除斥期間の適用の制限について

ア 原告は、本件性的虐待行為により、原告が平成二三年三月まで心神喪失の常況にあり、それから六か月以内である平成二三年四月に本件訴訟を提起しているから、民法一五八条の法意に照らし、七二四条後段の効果は生じない旨を主張している。

この点、不法行為の被害者が不法行為の時から二〇年を経過する前六か月内において不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において、その後当該被害者が後見開始の審判を受け、後見人に就職した者がその時から六か月内に損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは、民法一五八条の法意に照らし、同法七二四条後段の効果は生じないものと解するのが相当である(最高裁判所平成一〇年六月一二日第二小法廷判決・民集五二巻四号一〇八七頁。以下「平成一〇年最判」という。)。

しかしながら、本件では、前記認定のとおり、原告がPTSD等の精神疾患による深刻な精神症状に苦しんでいたことは認められるものの、前記認定のとおりの原告の生活歴等によれば、原告が本件行為当時から平成二三年三月まで心神喪失の常況にあったとまでいうことはできない。

したがって、原告の主張は採用できない。

イ また、原告は、本件性的虐待行為は、犯罪に該当するものであって、権利濫用、信義則により除斥期間の適用を制限すべき場合に該当する旨主張する。

この点、民法七二四条後段の規定は、前記のとおり、不法行為による損害賠償請求権について、被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を除斥期間として画一的に定めたものであり、不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には、裁判所は、当事者からの主張がなくても、除斥期間の経過により上記請求権が消滅したものと判断することになる(平成元年最判)。したがって、当事者の一方が除斥期間を主張することがおよそ信義則違反又は権利濫用になるという主張は、主張自体失当である。

もっとも、「不法行為の時」から二〇年が経過したことにより、一律に民法七二四条後段の効果が生じるとすべきではない場合もあることは、前記平成一〇年最判が判示するとおりである。しかし一方で、上記の二〇年という期間は、不法行為によって損害を被った被害者の保護を図るとともに、不法行為の加害者とされ得る者につき、長期間の経過により反証のための資料を失った後に訴訟上加害者とされることを防ぐという、相反する利害の調整を考慮して、除斥期間として二〇年という期間を定めることが法の正義・公平に合致するとの前提のもとに規定されている以上、その適用場面を広く制限すべきものと解することは相当ではない。そして、不法行為によって損害を被った被害者について、除斥期間の経過により損害賠償請求権の行使が制限されることを規定する根幹には、被害者が客観的には当該権利を行使することが可能であったことを前提に、それにもかかわらず主観的な事情により、事実上当該権利を行使することができないまま二〇年が経過したような場合には、もはや権利行使が遮断されたとしてもやむを得ないとの価値判断が存在するものと考えられる。そうすると、平成一〇年最判のように、民法の時効の停止に関する規定を準用等することにより、例外的に同法七二四条後段の適用制限を認めるべきものと解されるのは、除斥期間の経過前の時点において、不法行為の被害者が、損害賠償請求権の行使をすることが客観的に不可能であって、かつ、そのような状態が加害者による当該不法行為に起因するもので、加害者が除斥期間の経過によって損害賠償を免れる結果となることが著しく正義・公平の理念に反するものと認められるような特段の事情がある場合に限られるというべきである(なお、最高裁判所平成二一年四月二八日第三小法廷判決・民集六三巻四号八五三頁も参照)。

原告は、上記特段の事情に該当し得る事情として、本件当時は、原告は三歳から八歳であり、性行為の意味・内容を認識していなかったこと、本件性的虐待行為の被害者である原告と加害者である被告が親族であり、原告の両親が原告を代理して、原告の損害賠償請求権を行使する可能性がなかったこと、PTSDの概念や診断基準が確立されたのは阪神大震災以降のことであり、原告の診断が可能となったのはここ数年であること、PTSD自体の特性により、PTSDに罹患した性的虐待の被害者が、性的虐待によりPTSDに罹患していることを自覚することは困難であり、原告は、東日本大震災後の報道等により初めて本件性的虐待行為とPTSDの諸症状が結びつき、原告が損害賠償請求権を行使することが可能になったことを主張している。

確かに、被告による本件性的虐待行為により原告がPTSDに罹患したことによって、原告がPTSDの罹患とその原因について自覚することがより困難な状態におかれたことは前記認定のとおりである。しかしながら、原告には、未成年である間は、法定代理人たる親権者が存在していたし、原告が成人後は、原告自身が損害賠償請求権を行使する法的能力を有していた。そして、幼少時の性的虐待行為についても、通常の不法行為に比して困難であるとは言えるものの、一般的には周囲の気づきや援助、その他被害者にとっての何らかの契機があれば損害賠償請求権を行使することは可能であり、これは通常の不法行為と異なることはない。そうすると、本件においては、上記の諸事情を考慮しても、PTSDと診断されるまで原告の権利行使がおよそ客観的に不可能であったとまでは言うことはできず、原告が主張する上記の諸事情は、いずれも主観的な事情により権利を事実上行使できなかったことを主張するものにすぎないと言わざるを得ない。加えて、本件においては、原告の権利行使が困難であった理由は、上記のとおり、主として性的虐待行為やそれから生じる被害に内在する性質のゆえであり、被告において、本件性的虐待行為を行った以外に、原告の被害をことさらに隠蔽するなど原告の権利行使を困難ならしめたような事情は認められない。以上を考慮すると、本件は、被害者が損害賠償請求権の行使をすることが客観的に不可能であって、かつ、そのような状態が加害者による当該不法行為に起因するもので、加害者が除斥期間の経過によって損害賠償を免れる結果となることが著しく正義・公平の理念に反するものと認められるような特段の事情がある場合には該当しないというべきである。

ウ また、原告は、いくつかの裁判例を指摘し、本件性的虐待行為が刑法上の犯罪を構成するものであるから、除斥期間の適用を排除すべきことを主張している。仮に、前記イで検討した特段の事情が認められる場合以外にも、除斥期間の適用を制限すべき場合があり得るとしても、それは、除斥期間の対象とされるのが国家賠償法上の請求権であって、その効果を受けるのが除斥期間の制度を創設した国であるような場合で、かつ、被告が損害賠償義務を免れることが、著しく正義・公平の理念に反するものと認められるような事情がある場合と解すべきであって、本件はそのような場合に該当しない。

(4)  そうすると、本件性的虐待行為に基づく原告の損害賠償請求権は、民法七二四条後段に定める除斥期間の経過により消滅していると言わざるを得ない。

第四結論

したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河本晶子 裁判官 賀嶋敦 裁判官廣瀬裕亮は転官のため署名押印できない。裁判長裁判官 河本晶子)

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