釧路地方裁判所帯広支部 平成18年(わ)111号 判決 2006年10月23日
主文
被告人を懲役5年に処する。
未決勾留日数中80日をその刑に算入する。
釧路地方検察庁帯広支部で保管中のボウイナイフ1本(平成18年領第142号の1)を没収する。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、
第1 平成18年5月21日午後10時45分ころ、北海道帯広市西15条南16丁目1番12空地において、A(当時67歳)に対し、その腹部に馬乗りになり、同人が死亡するに至るかもしれないことを認識しながら、あえて所携のボウイナイフ(刃体の長さ約15.6センチメートル。釧路地方検察庁帯広支部平成18年領第142号の1)でその左胸部を突き刺したが、同人に全治約2箇月を要する胸部刺創等の傷害を負わせたにとどまり、同人を死亡させるに至らず、
第2 業務その他正当な理由による場合でないのに、前記日時場所において、前記ボウイナイフ1本を携帯した。
(証拠)省略
(第1に関する事実認定の補足説明)
1 弁護人は、第1の犯行(殺人未遂)について、被告人に殺意はなく、傷害罪が成立するにすぎないと主張し、被告人も公判廷においてこれに沿う供述をする。そこで、以下検討する。
2 関係各証拠によれば、次の事実が認められる。
(1) 被告人と被害者は従兄弟関係にあり、被害者が幼少時に叔母である被告人の母親に引き取られてから兄弟のように育てられてきた。被害者は、昭和47年ころ、被告人の母親名義の土地(以下「本件土地」という。)に自宅(以下「本件建物」という。)を建て、同女と同居生活を送っていたが、平成12年ころ、同女が被告人を頼って上京した後は、一人で本件建物に暮らしていた。他方、被告人は、高校進学のため上京後、京都や高松、東京でクラブ経営者等として稼働した後、東京で金融業を営んでいたが、上京してきた母親から、被害者との同居中に虐待されていたなどと聞き、次第に被害者に不信感を持つようになっていたところ、計画していた麻雀店の開店資金が不足していたことから、本件土地を被害者に買い取らせるなどして資金を得ようなどと考え、平成17年8月ころ、本件土地の買取り等について被害者と交渉するとともに、母親に対する虐待の事実を問い質すべく、被害者を訪ねたが、同人から交渉等を断られるなどしたことから、以後、被害者宅(本件建物)に居座るようになった。被告人は、自らの要求を拒否し話し合い自体も拒絶する被害者に対し、暴力を振るったり様々な嫌がらせを繰り返したが、結局話し合いにならず、逆に、本年に入り、被害者から本件建物からの立退きなどを求める民事調停、更には民事訴訟を提起されるに至った。同年3月、同裁判手続において、被告人は立退料の支払を受けて本件建物から退去し、今後は本件土地の買取りについて当事者間で誠実に交渉することなどを内容とする和解が成立し、被告人は、これに従い、同月下旬ころ、本件建物から退去した。しかし、その後、被害者に直接、あるいは知人を介して話し合いを申し入れても、被害者がこれに耳を貸すことはなく、被告人は、被害者の対応に怒りを募らせていった(甲2から5まで、29から31まで、33、35から37まで、43、乙2から4まで、8、9等)。
被告人は、生活費等が底をつくようになり、所持金がなくなる前に本件土地の問題を解決したいとの思いから、同年5月中旬ころ、被害者に対し、「この話はもう、男と男の話し合いなんだぞ、子どもの遣いじゃない、今まで殴ったり取っ組み合いをやってきて分かるだろ、そんなことではこれからは終わらないぞ。血で血を洗うような結末に絶対なるんだぞ、そうなる前に話した方がお互いのためじゃないか、大人なんだから自分で考えても分かるだろう。」、「脅しと取るのか、もうそんな段階じゃないんだぞ。」と語気強く伝えた上、被害者を待ち伏せして襲うことを計画し、「母よ許せ、今、この様なけつまつになった事を!兄と思っていた男をこの手にかけたことを許せ」と書いたメモまで書き残した。被告人は、本件当日、被害者を殴打して気絶させるためのスラッパー、被害者を緊縛するためのガムテープ、被害者が話し合いに応じない場合には同人を刺すためのボウイナイフ(以下「本件ナイフ」という。)を用意し、被害者の帰宅を待ち伏せした(甲43、乙4、8、9)。
被告人は、帰宅した被害者に声を掛けたが、話し合いを断られたため、同人を気絶させようとスラッパーでその頭部を殴打したが、予期に反して反撃を受けたため、揉み合いとなり、転倒した被害者の上に馬乗り状態となった。被告人は、被害者をなおもスラッパーで叩いたが、「殺すなら殺せ。」などと騒ぐばかりで、もはや話し合いは不可能であると思い、本件ナイフを鞘から抜き、馬乗り状態のまま右手で被害者の左上腕部を押さえて身動きできないようにした上、利き手の左手に持った本件ナイフの刃先を左胸部に突き付け、刺突部位を定めた上で、そのまま体重をかけて力一杯1回突き刺した(甲2から5まで、26、27、48、乙6から9まで)。
被告人は、本件後、大量に出血し悲鳴を上げる被害者から本件ナイフを抜き、そのまま放置した。間もなく、臨場した警察官に逮捕され、警察署へ引致される途中、「そんなに簡単にあいつが死ぬはずがない。俺は死なないようにはずして刺した。」と言い、警察官から左胸なんか刺したら死んでもおかしくないだろうなどと申し向けられると、「死んでしまったってしょうがないだろう。死んだら死んだまでだ。」などと応じていた(甲46、乙6、9)。
(2) 本件ナイフは、鋼鉄製で刃体の長さが約15.6センチメートル、最大刃幅が約2.8センチメートルの鋭利な刃物である。被告人自身、その性状に加え、これが未使用の状態であったことを認識していたというのである(甲15、乙5、被告人の公判供述)。
被害者の創傷部位、程度について見ると、その左胸部に深さ約7ないし8センチメートルの刺創が認められ、本件ナイフの刃先が第2肋骨に当たって刺突方向がそれたために、胸腔内に至らず、この程度の深さに止まったものである。被害者を治療した医師によると、被害者は病院搬送時には出血性ショックにより血圧が低下した危険な状態であり、搬送が1、2時間遅れていれば死亡した可能性が高いばかりか、刺突部位が数ミリずれていれば、本件ナイフが肺に刺さり重篤な傷害を与え、死亡の危険があったというのである(甲7から9まで)。
3 これらの事実を前提に、被告人の殺意の有無について検討するに、<1>被告人は、本件前に、それまでの被害者の対応等に対して強い怒りを覚え、もはや話し合いは無理な上、これまでのような単なる暴力等では問題が解決せず、力ずくで臨み最悪被害者が死んで、自身が刑務所に行くことになっても構わないとまで考えるに至り(乙4、6)、逮捕されたときに備え、母親宛に被害者の殺害をほのめかすようなメモを書き残し(乙5)、現にスラッパーやガムテープといった凶器のほかに本件ナイフまで準備して犯行に及んでいること、<2>本件に用いられた凶器は、前記のとおりであり、殺傷能力が十分に認められる危険なものであること、<3>刺創の部位は、身体の枢要部である左胸部であり、その程度も第2肋骨に当たり刺突方向がずれたにもかかわらず、刃体の半分近くが刺さり、7ないし8センチメートルの深さにまで及んでいること、<4>犯行態様は、仰向けに倒れた被害者の上に馬乗りになり、身動きができない状態にして、刺突部位を左胸部に狙い定め、刃先が被害者の身体を突き抜け地面の石か何かに当たったと思う程力一杯突き刺していること(乙6、9)、<5>犯行後は、大量に出血している被害者を放置し、逮捕直後には警察官に被害者の死を容認する言動までしていたことなどに照らせば、本件当時、被告人が被害者に対して少なくとも未必的な殺意を有していたものと認められる。
被告人自身、捜査段階において、未必的な殺意を認める供述をしていたのであり、その供述は当時の心境等を踏まえた誠に具体的にかつ自然なものである上、供述内容を訂正できることを教示された後に内容を確認して署名押印したというのであって、弁護人が指摘するような理詰めの尋問により、虚偽の自白をしたとは考えられず、十分に信用できる。
4 これに対し、被告人は、公判廷において、被害者の鎖骨の上の肩口を狙って刺したのであり、胸を狙って刺してはいない、多少傷つける程度の気持ちであり、被害者が絶対に死なないように内臓に触れないようなレベルで刺したなどと供述する。
しかし、前記のとおり、被告人は、被害者の動きを封じ、鎖骨の下に位置する左胸部に本件ナイフの刃先を突き付けて狙いを定めてから、振り上げることなくそのまま体重をかけて刺突したのであって、現実の刺突部位を狙って刺したことは明らかで、肩口を狙ったとは到底認められない。また、刺突程度に関しても、深さ約7ないし8センチメートルもの刺創を負わせていること、被告人自身、力一杯突き刺したと認めていることなどと矛盾している。したがって、被告人の前記公判供述は到底信用することはできない。
5 以上によれば、本件当時、被告人が被害者に対して未必的な殺意を有していたと認められ、弁護人の主張は採用できない。
(法令の適用)
罰条
第1の行為 刑法203条、199条
第2の行為 銃砲刀剣類所持等取締法32条4号、22条
刑種の選択
第1の罪について 有期懲役刑を選択
第2の罪について 懲役刑を選択
併合罪加重 刑法45条前段、47条本文、10条(重い第1の罪の刑に同法47条ただし書の制限内で法定の加重)
未決勾留日数の算入 刑法21条
没収 刑法19条1項2号、2項本文(第1の罪の犯罪供用物件)
(量刑の理由)
1 本件に至る経緯は、前記のとおり、被告人が、被害者に対して、母親へのかつての虐待事実を確認するとともに、麻雀店の開店資金欲しさに母親名義の本件土地の買取り交渉等をしたいと考え、再三話し合いを申し入れたが、ことごとく拒絶されたため、その被害者の態度等に怒りを覚え、本件に及んだというのである。このような経緯を見ても、その動機は短絡的かつ身勝手なもので酌量の余地はない。他方、被害者は、被告人の母親への対応や、民事裁判により和解が成立したにもかかわらず、その和解条項を無視して全く話し合いに応じようとしなかったという面で、問題がなかったわけではないが、このような被害に遭わなければならないような特段の落ち度はなく、そもそも被害者の対応を頑ななものにしていったのは被告人自身の行動にも原因があったことなどに徴すれば、やはり暴力をもって問題解決を図ろうという姿勢は、厳しく非難されるべきである。
被告人は、あらかじめ犯行日、犯行場所等を決め、スラッパー、ガムテープ、さらには被害者が交渉に応じなければ刺すために本件ナイフまで準備した上、被害者を待ち伏せして本件を敢行しており、計画的な犯行である。犯行態様を見ると、夜間、住宅街で、突然、被害者の頭部をスラッパーで殴り、倒れた被害者の上に馬乗りになって、鋭利な本件ナイフを左胸部付近から体重をかけて突き刺したというものであって、誠に危険かつ悪質である。第1の犯行により、被害者は、判示のとおりの重傷を負い、長期間の入院を余儀なくされ、かつ病院に直ちに搬送され、適切な治療を受けた結果、一命を取り留めたものの、一歩間違えれば死亡していた可能性があったのであり、被害者の受けた身体的、精神的苦痛は誠に甚大である。それにもかかわらず、被告人は、現在に至るまで被害弁償等の慰謝の措置を講じておらず、現時点でその見込みもないばかりか、勾留中に、その真意はともかく、本件を忠臣蔵になぞらえ自分を浅野内匠頭、被害者を吉良上野介であるといった不穏当な手紙を被害者に送り付け、同人になお恐怖心を与えている。被害者が厳罰を求めるのももっともである。また、法廷での供述態度を見ても、被告人に被害者に対して真摯に謝罪する意思があるのか疑問なしとはしない。
2 そうすると、被告人の刑事責任は重く、殺意が未必的なものにとどまっていること、前記のとおり本件に至るまでの被害者の対応にも問題があったこと、被告人が、公判廷で、今後被害者には接触しないと誓約していること、被告人には20年以上前の古い前科しかないことなど、被告人のために酌むべき事情を考慮しても、被告人を主文の刑に処するのが相当である。