釧路地方裁判所帯広支部 昭和35年(つ)1号 決定 1961年2月27日
被疑者 升甚常五郎
決 定
(請求人氏名略)
右の者の請求にかかる被疑者升甚常五郎に対する特別公務員暴行被疑事件についての刑事訴訟法第二百六十二条による審判請求事件につき、当裁判所は審理の結果、次のとおりに決定をする。
主文
本件請求を棄却する。
理由
本件請求の要旨は、「被疑者は、帯広刑務所に勤務する看守であるところ、
第一、昭和三十五年七月二十七日午前七時頃、同刑務所内保安課事務室において、既決囚北崎甫に対し、同人が舌打をしたのにこれを否認するとて、その態度に憤激し、同人の両手上半身を縛している捕縄の胸部に当る部分を右手で掴み、数回捻じり上げて暴行を加え、
第二、同年九月九日午前八時半頃、同刑務所内警備隊詰所において、既決囚富永謙三に対し、同人が、前夜被疑者のニツクネームを言つたことを難詰した上、同人の顔面、胸部を殴打して暴行を加え、
たもので、右の各所為はいずれも刑法第百九十五条第二項第一項所定の特別公務員暴行罪に該当するので、請求人は、同年九月十四日釧路地方検察庁帯広支部に対し、被疑者を右の犯罪につき告発したが、同支部検察官検事田中悟は、請求人に対し、同年十二月十九日附をもつて、右告発事件を不起訴処分に付した旨通知した(なお、請求人の告発した事実の内容は、特に第一の事実につき必ずしも細部にわたつてまで明確ではないが、一件記録によれば、前掲事実につき告発したものと認められる)。而して検察官は、不起訴処分に付した理由として、第一の事実については、犯罪の嫌疑がないこと、第二の事実については、被疑者が同人に対し、ジヤンバーの胸倉を掴え、二、三回引張つたり、押したりして暴行を加えた事実は認められるが、事案も軽微であり、且つ被疑者も自己の行為を反省していることをそれぞれあげている。
しかしながら、本件各暴行に関しては、被害者である各受刑者と看守等の供述に喰い違いがあるところ、検察官は、受刑者等の供述をとりあげず、一方的に看守等の供述に基いて被疑事実を認定しているが、とくに被害者である富永謙三の供述によれば、右認定にかかるものより程度の重い暴行が加えられたことを認めることができる。又、仮りに検察官認定のとおりであるとしても、いやしくも看守たるものが、受刑者に自己の指導性と戒護能力の不足を補うため、暴行をなすが如きは、断じて許されざる行為であつて、自由を拘束されている弱い受刑者の立場を考慮すれば、当然、被疑者を刑事処分に付すべきである。若し、事案軽微の故を以つて、本件を不起訴にするならば、今後、刑務所において、看守が受刑者に暴行を加えたとしてもそれが被疑者が加えた程度の暴行ならば、起訴されることはないこととなり、そのことはひいては、受刑者に対し、右の程度の暴行を加えても差支えないという風潮を生む結果になる。
以上の理由により、請求人は右不起訴処分には不服であり、且つ前記第一の暴行は、被疑者と、同刑務所の看守渋谷登との共謀にかかり、右暴行の結果、北崎に対し傷害を与えたものであつて、事件をいずれも釧路地方裁判所帯広支部の審判に付せられたく、請求に及んだ。」というにある。
本件記録によれば、昭和三十五年九月十四日、請求人は、前記第一及び第二の事実につき、釧路地方検察庁帯広支部に対し、告発したのであるが、同支部検察官検事田中悟は、同年十二月十九日附をもつて、第一の事実については、犯罪の嫌疑がなく、第二の事実については、事案が軽微であること、被疑者が前非を悔悟反省していること、被害者もまた処罰を希望せず告訴を取り消していることを理由に、起訴を猶予するのを相当と認め、いずれも不起訴処分に付し、同日その旨請求人に通知したところ、請求人は同月二十二日本件請求をしたものであることが認められる。
よつて、判断すると、被疑者の当裁判所に対する供述及び検察官に対する昭和三十五年十月三日付供述調書によれば、被疑者は、昭和二十七年二月十六日、帯広刑務所看守となり、昭和三十三年一月十日、看守部長に任ぜられ、昭和三十五年五月二十八日以降同刑務所保安課に所属し、昼間は出廷の監督、夜間は構内舎房の夜勤監督にあたつていたものであることが認められる。
そこで先ず、前記第一の事実の存否について判断をすすめると、北崎甫の検察官に対する昭和三十五年十一月十五日附、同月十九日附、同月二十二日附(「洗面所には七、八十人もおり………」ではじまるもの)各供述調書、渋谷登、若生実、藤原善五郎の検察官に対する各供述調書、渋谷登作成の「反則事犯について報告」と題する書面、被疑者の当裁判所に対する供述及び検察官に対する同月十九日附供述調書(以上いずれも後記認定に反する部分を除く)を綜合すれば、「昭和三十五年七月二十八日午前七時頃、帯広刑務所在監の既決囚であるが北崎甫が、洗面所内で、歯磨粉をちり紙で受け取つたことについて、担当の看守渋谷登がこれをたしなめたところ、同人が右歯磨粉を床の上に投げ散らしたので、重ねて同看守がこれを注意した。その直後、同人は他の既決囚とともに「馬鹿野郎そんなつまらないことで」等と大声で暴言を吐き、ここでも同看守の注意を受け、引き続き検身所で着替え中になおも騒ぎ立てるので、同看守は、同人を保安課まで連行して注意を与えるため洗面所前廊下まで連れ出したところ、同人は同行を拒んでその場を動かず、なおも同行を求められるや、興奮して同看守に抵抗し、暴行を加えかねない気勢をしていた。そこへ被疑者が来合わせ、同人の右のような態度を目撃し、且つ渋谷看守から前後の事情を聴いたうえ、北崎に暴行の意思あるものと判断して、かかる行為を未然に防止するため、同看守に捕縄をかけることを命じ、同看守と被疑者は、相協力して、当時着替え中で裸になつていた北崎に対し、片手を後手にして、縛り上げ、その縄を肩から胸を斜めに廻わし、他方の手を同様後手にして縛り、その縄を他の一方の肩から他の縄と胸部において×状に交叉するように胸を斜めに廻わしたうえ、背中で両手を重ねて縛る方法により捕縄をかけたが、北崎はなおも同行を拒んだので、被疑者は、後手にした部分の捕縄を持ち、北崎を後方から押すようにして、保安課事務室まで連れて行き、そこで説諭しようとしたところ、北崎はますます興奮の度を加え、横を向いたまま反抗的な態度を示したため、被疑者は、同人を自己の方に向き直させるため、数回、捕縄の胸の部分にあたつている×状の部分を掴み、引張つた。そのうちその場にいあわせた看守藤原善五郎のとりなしにより、被疑者は捕縄をとき、同人も平静にかえつてその非をわびたので、一応その場はおさまつた。」との事実が認められる。ところで、戒具の一種である捕縄は、在監者に逃走、暴行若しくは自殺のおそれがあり(監獄法第十九条第一項、同法施行規則第五十条第一項)、且つ、典獄(刑務所長)の命令のある場合(同規則第四十九条)に限つてその使用が認められているところ、本件における捕縄の使用が、典獄たる刑務所長の事前の命令に基くものでないことは本件記録に徴して明らかであるが、帯広刑務所長吉瀬陽作成の回答書によれば、同刑務所においては、捕縄を使用するにあたり、事前に同所長の許可を得るいとまなき緊急やむを得ない場合は、応急的にこれを使用し速やかに報告するよう予め包括的に命令を出しており、これに従い、被疑者は同日午前九時頃前記捕縄の使用について、同所長に報告し、同所長はこれを許可したことが認められる。そこで右のような典獄の包括的な命令ならびにその命令にしたがい事後に許可をうる手続を経て捕縄を使用したことの適否について考えてみるに、そもそも戒具を使用し得る場合を前記のように厳格に法定し、且つこれを典獄の命令にかからせた趣旨は、在監者の特殊な立場を老慮し、特にその人権の尊重に遺憾なきを期するため、看守の任にあたるものが権限を濫用してみだりに戒具を使用して、在監者の自由を必要以上に束縛することを防止することにあると解されるから、もとより事前に、典獄の命令を得ることが最善の策ではあろうが、その命令を得るいとまのないような緊急な事情が存する場合には、看守の任にあたるものの判断に従つて、戒具を使用することを許し、ただその濫用を防止するために、直ちに典獄の承認を得ることとしても、あえて前記各規定の趣旨に反するものではないと解するのが相当である。そこで本件で右にいう特別な緊急な事情が存したかどうかを検討すると、藤原善五郎、若生実、渋谷登、北崎甫(同年十一月十九日附)の検察官に対する各供述調書によれば、北崎は、日頃から刑務所職員に対しても反抗的で、同囚との折合も必ずしもよくなく、これまで屏禁の懲罰に処せられるなどの前歴を有しており、とくに本件当時妻が姦通したとの噂のため自暴的な気持におちいつて、殊更事を構えて反抗的な行動にでようとする傾向にあつたところたまたま前示認定のように、看守から再三にわたつて注意を受け、自己の意のままにならぬところから、次第に興奮の度を増して激昂し、保安課まで同行を求められるに及んで、これを拒んで看守に抵抗し、その上暴行をも加えかねないような態度を示したことが認められるのであるから、右のような北崎の日頃の粗暴な性格、当時の不安定な心理状態及び本件当時の興奮状態を勘案すれば、そのままに放置するときは暴行のおそれがあり、かつ前記緊急な事情が存したものと認めることができる。従つて、被疑者及び渋谷の北崎に対する捕縄の使用は正当行為というべきであつて、これを目して暴行ということはできない。また、前認定のように、被疑者が北崎に訓戒を与えるため、同人を同行するにあたり、同人がこれを拒んだので捕縄の背中に当る部分を掴んで後方から押したこと、及び同行後正面を向かせるため捕縄の胸部に当る部分を掴んで引張つたことは、いずれもその捕縄が北崎の裸体に対し、使用されていたことを考えれば、必ずしも妥当且つ適切な措置とはいいがたいとしても、同行の目的が訓戒にあり、又当時の北崎の興奮状態、反抗的態度に徴すれば、必ずしも一概に捕縄使用の目的を逸脱した行き過ぎと非難することもできないから、被疑者の右の行為は、未だ暴行というには当らないというべきである。よつて、この点に関し犯罪の嫌疑なしとして不起訴処分に付した検察官の措置は相当である。
なお、請求人は、被疑者及び渋谷は、本件暴行により北崎に対し傷害を与えた旨主張して審判を求めているが、右の傷害の事実は告発の範囲に含まれていないのみならず、星勲、渋谷登の検察官に対する各供述調書、検察事務官長尾貢作成の「北崎甫の両肩の模様について報告」と題する書面を綜合すれば、捕縄のかかつた北崎の両肩の部分が皮下出血して、同年七月末頃から同年八月初旬頃までの間数回マーキユローチンキをぬる治療を施した結果、同年十一月十七日現在、左肩に幅(最も太いところ)〇、二糎、長さ七糎、右肩に幅(前同)〇、六糎、長さ十二糎の黒ずんだ痕跡が存する程度に治癒したこと及び受傷直後から同人の仕事に差支えはなかつたことが認められるが、本件記録によるも、右創傷は如何なる原因によつて発生したものか、必ずしも明らかでないから、いずれにしても右傷害についての請求は理由がないというべきである。
又請求人は、検察官は、看守等の供述のみに基き、被害者たる受刑者の言をとりあげないで事実を認定している旨非難しているので、附加して判断するに、北崎の検察官に対する供述の推移を仔細に検討してみれば、結局本件に関しては被害者、目撃者および被疑者の供述が概ね符合し照応しているのであるから、請求人の右非難は失当というべきである。
次に、前記第二の事実について判断を加えると、富永謙三の検察官に対する告訴調書、笹森吉郎、氏家盛久、西川諭、以内和幸の検察官に対する各供述調書、被疑者の当裁判所に対する供述及び検察官に対する昭和三十五年十月三日附供述調書(以上いずれも後記認定に反する部分を除く)を綜合すれば、同年九月初旬、被疑者が夜間舎房を見廻わつているとき、二回位既決囚の富永謙三が同房者に肩もみをさせているのを目撃し、これに注意を与えたところ、同人がこれに口答えをしたこともあり、また同月八日夜舎房見廻り中、同人の同房者数名が、すでに就寝時間を過ぎているにもかかわらず起きていたので注意したところ、同人がこれに対し小馬鹿にしたようなそぶりを示す等、在監者としての態度に好ましくないものがあつたので、被疑者は、同人を説諭するため、翌九日午前七時十分頃、警備隊詰所に同人を呼び出し、前夜の同人の被疑者に対する態度について、問いただしたのに対し、かえつて同人が頑強にこれを否定したため、被疑者は、憤慨して「素直になれ」といいながら、左手で、同人着用のジヤンパーの胸倉を掴えて数回引張つたが結局居合わせた看守西川諭のとりなしで副看守長兼保安課警備隊長笹森吉郎に同人の身柄を引き渡して、その説諭を依頼し、被疑者は、その場を立ち去つた事実が認められる。この点に関し、富永謙三は検察官に対し、「被疑者は、自分のジヤンパーの襟を掴み、ねじり上げ、前後左右に押したり、引いたりし、手拳で胸の附近を二、三回突き、このためジヤンパーのボタン三つと中シヤツのボタン三つがとれて落ちた。このとき自分がボタンを一つ拾つたところ、又前と同じように襟をつかまれて振り廻わされ、同じように七、八回位突かれ、そして被疑者が手を離したときは一、五米もよろけた。」旨供述しているが(告訴調書)、富永を除く前記各供述者(いずれも目撃者)及び被疑者は、概ね一致して前認定にそう供述をしているのであつて、同人の前示供述は他にこれを裏付けるものがなく、たやすく信用することはできない(もとより、これは請求人のいうように、被害者である供述者が既決囚であるという理由で、一方的にこれを排斥したものでないことは、上記したところから明らかであり、当裁判所同様、富永の供述を全面的には採用しなかつた検察官の認定を非難するには当らない。)
而して、富永のジヤンパーの胸倉をとらえ数回引張つた被疑者の前示所為は、刑法第百九十五条第二項第一項に該当するものと解されるから、これを起訴するのが相当であるか否かにつき判断するに、右の暴行の程度は軽微であるとはいえ、既決囚に対し、これを看守する地位にある者が、暴行を加えることは、その程度の如何を問わず、厳に慎しまなければならないことであり、かような事案においてはむしろ特段の事由が存しない限り、刑事処分に付するのを相当とする場合が多いであろう。しかしながら前認定のように、富永は、既決囚としての態度が必ずしも良好でなく、前記のような房内の秩序を乱すおそれのある行為があつたことが、本件の発端となつているのであつて、被害者である同人自身にも責むべき点が少くなく、これに対し、注意を与えることは看守として当然の職責であり、ただ、同人が自己の非を素直に認めなかつたので、被疑者もやや平静を失つて本件暴行に及んだものと認められ、被疑者が自己の指導性と戒護能力の不足を補わんがために右の所為に出たものとは認めがたい。しかも、富永の検察官に対する同年十月三十一日附供述調書、同人作成の同日附告訴取消と題する書面によれば、同日、同人は被疑者に対する告訴を取り消し、敢えて被疑者の処罰を望んでいないことが認められ、一方、被疑者の当裁判所に対する供述によれば、被疑者自身本件につき、反省の色を示し、また懲戒処分として刑務所長から戒告を受けたことが認められる。かような諸般の事情を考慮すれば敢えて本件を起訴するまでの必要性は認めがたく、結局検察官のなした不起訴処分は相当であるというべきである。なお請求人は、若し事案軽微の故をもつて、本件を不起訴とすれば、今後、刑務所内において同程度の暴行を加えることが、容認されるような結果を招く旨主張するが、起訴、不起訴はすべて具体的事案に応じそれぞれに特有な諸般の事情を斟酌して決せられるものであつて、本件と同程度の暴行であつても、事案によつては起訴されることもあり得るのであり、また本件暴行についても前記のような理由で単に起訴しないというにとどまり、その違法性を許容したわけではないこと勿論であるから、請求人の主張は失当である。
以上説示のように、本件各暴行につきなした検察官の不起訴処分は相当であつて、本件請求は理由がないから、刑事訴訟法第二百六十六条第一号に則り、本件請求を棄却することとして、主文のとおり決定する。
(裁判官 井口牧郎 石丸俊彦 松野嘉貞)