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釧路地方裁判所網走支部 昭和40年(わ)60号 判決 1965年10月29日

被告人 小川文雄

昭一二・五・二八生

主文

被告人を懲役二年に処する。

訴訟費用は被告人に負担させない。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和三七年七月二日釧路地方裁判所において強盗致傷罪により懲役六年(未決勾留日数中一五〇日算入)に処せられ、同月二八日から肩書住居地所在の網走刑務所に服役し、以来主としてわら麻工場に出役作業していたところ、昭和四〇年七月一三日午後一時四〇分から、右網走刑務所構内の屋外運動において、同刑務所第四工場の受刑者と第六工場および第八工場連合の受刑者との間で軟式野球試合が行われ、被告人は第四工場チームの捕手として出場したのであるが、

第一  試合開始後間もなくの同日午後一時四五分ころ、球審をしていた第四工場受刑者渡辺光雄(当二九年)のボールの判定に憤激し、ミツトを放り出して観客の方へ帰りかけ、付近にあつた野球用バツト(昭和四〇年押第二二号の一)で地面を強く叩いた際、バツトが根元の方から折れたが、なおも憤激の情を押えかねて右折れたバツトの先の方を持つて、すでに他の捕手を入れて試合を再開していた前記渡辺光雄の背後に近より、いきなり同人の左背部めがけて、右バツトで横なぐりに強く一回殴打し、よつて同人に対し約一〇日間の治療を要する左肩胛部挫傷害を負わせた。

第二  前記第一記載の暴行の直後、付近で観戦中の受刑者池田昌義に背後から抱きかかえるようにして押えられていた際、右の思いがけない事態に驚き、かつ興奮して現場にかけつけて来た担当看守佐藤信夫(当四四年)に「何をするんだ、このやろう」と言いざま、顔面を手拳で三、四回殴打されたことに、更に激昂のあまり、手にしていた前記バツトをもつて、同看守の頭部めがけて強く一回ふり下して殴打し、よつて同人に対し、約八週間の入院治療を要する頭蓋骨内出血、頭蓋骨皹裂骨折の傷害を負わせた、

ものである。

(証拠の標目)(略)

(公務執行妨害の訴因について)

本件公訴事実中、公務執行妨害の点に関する検察官の主張は、「被告人は昭和四〇年七月一三日午後一時四五分ころ、網走刑務所構内屋外運動場において受刑者同志の軟式野球試合が行われた際、受刑者渡辺光雄をバツトで殴打したところ、これが戒護の為にかけつけて来た担当看守佐藤信夫に制止されたことに激昂のあまり右バツトをもつて同看守の頭部を一回殴打し、もつて同看守の職務の執行を妨害した」というのである。

そこで判断するに、前掲各証拠、殊に証人池田昌義、同高橋良夫の当公判廷における供述、渡辺光雄、遠藤三郎の各司法警察員に対する供述調書、並びに被告人の当公判廷における供述、司法警察員および検察官に対する供述調書を綜合すると、昭和四〇年七月一三日午後一時四〇分ころから網走刑務所構内の屋外運動場で受刑者の運動のため第四工場チーム対第六工場第八工場連合チームの軟式野球試合が行われた際、ボールの判定をめぐつて、被告人が憤激のあまり球審をつとめていた同僚受刑者渡辺光雄を殴打し、判示第一記載のような傷害を負わせるに至つたこと、被告人の右暴行に驚いた同僚受刑者池田昌義が、かけより被告人の背後からはがいじめにして制止し、バツクネツト方向に連れ戻そうとしたこと、被告人は当時まだバツトを右手に持ち、相当興奮してはいたけれども右池田昌義の制止をふり切つて更に暴行を継続しようとまではしていなかつたこと、このようにして池田昌義が制止している処へ、右の状況をバツクネツト近くの一塁側から現認した担当看守佐藤信夫がかけつけ「何をするんだ。この野郎。」と言いながら池田に背後から抱きかかえられている被告人の顔面を三、四回手拳で殴打したこと、これを見た池田昌義は被告人を押えていた手を離し、被告人と佐藤看守の間に割つて入り、「待つて下さい。手を出さなくても良いでしよう。」と言いながら今度は佐藤看守を制止しようとしたこと、そのころには他の受刑者達も集まつて、それぞれ制止する状態であつたこと、被告人はかなり興奮していたが、右のように佐藤看守から思いがけず顔面を殴打されるに及んで怒りの対象を佐藤看守に転じて激昂のあまり、自由になつた右手に持つていたバツトを振り上げて佐藤看守の頭部を一回強打したこと、がそれぞれ認められる。

ところで公務執行妨害罪において保護される公務の執行は、それが適法になされ、又はなされようとするものでなければならないことは言うまでもない。何故なら近代法治国においては、国家は国民個人の基本的人権に最大の尊重をはらい、人権を国家権力により不当に侵害することのないよう、国権の行使に厳重な規制を加えているのであるから、公務員による国家権力の不当な行使に目をつぶつてまで、これに対する国民の側からする権利防衛行為を処罰するとすれば、右のような法理念に反することになるからである。

従つて、公務員の職務執行が国民の基本的人権を不当に侵害する違法のものである限り、その公務員の行為に対する国民の側からする反撃が正当防衛その他の違法性阻却事由を具備しないばあいでも公務執行妨害罪の成立要件を欠くものとして犯罪を構成しないものと解すべきである。

そして、右のような職務執行の適法性の判断基準は、国家が公務の円滑強力な執行を要請する度合と、国民の人権を保護する必要性の程度とによつて、もつぱら具体的事案により事柄の軽重を勘案して決せられるべきものであることは言うまでもなく、刑務所のように受刑者の基本的人権に比較して国家権力が優位にある場においても、それだからと言つて、受刑者の基本的人権に対する侵害を適法視すべきでないのは当然のことである。

もつとも刑務所という特殊集団的な生活関係における看守の職務は受刑者の生活全体に密着しているため、甚だ多岐にのぼるが、受刑者の逃走、暴行或いは自殺等の違法行為を防止するため、受刑者の身体に一定の強制力を加えることもいわゆる戒護として職務に属し(その他刑務所内の犯罪行為に対しては刑訴法上の司法警察員として同法の規定する逮捕、押収、捜索等の強制処分をもなしうることは言うまでもない。)その執行に関しては監獄法及び同法施行規則により、戒具の種類及び一般的な使用方法が法定されているのみで、戒具の使用を必要とするか否かの判断並びに戒具使用の前提としての強制力行使の方法については性質上、当該強制力を行使する看守の判断に委ねられていると考えられる。しかしながち右のように看守に裁量権がある場合でも行為当時において、当該看守が職務上の注意義務を著しく怠たり、客観的に見て妥当な裁量の範囲を著しく逸脱している場合には当該看守の職務執行は違法として、公務執行妨害罪による保護を受けないものと言わなければならない。

ところで、前認定の事実に徴すると、被告人が同僚受刑者渡辺光雄をバツトで殴打するという犯罪行為に出たものであるから、担当の佐藤看守としては、被告人の犯罪行為を鎮圧し、引き続き暴行等の行為に出るのを防止するためにも、刑訴法上の現行犯人として逮捕するためにも、被告人からバツトを取り上げると共に、手錠又は捕繩を使用する等して被告人の身体を拘束する必要があり、右のような処置に出ることも看守の職務内容に属することは言うまでもない。しかるに前掲各証拠によると佐藤看守は、背後から同囚池田昌義に羽がいじめにされて制止されていた被告人の顔面を「何をするんだ。この野郎。」と言いながら三、四回殴打したことが明らかである。この点について前掲証拠中佐藤信夫の司法警察員に対する供述調書のみは、殴打の事実を述べておらず、もつぱら被告人の左手を押さえようとした旨述べているけれども、右部分は他の証拠殊に証人池田昌義、同高橋良夫の当公判廷における供述に照らし措信できない。もつとも前記高橋証人の当公判廷における供述によると、佐藤看守は、興奮して更に暴行を継続しようとする被告人を制圧する意味で殴打したものと思う旨、又そのような者を殴打することは機先を制する意味があるから必ずしも不当な処置ではないとも述べているけれども、前認定のように被告人が背後から羽がいじめにされて押さえられていることにより身体の自由を或る程度奪われているという客観的状況のもとにおいては、佐藤看守の主観的意図はどうであれ(同人の司法警察員に対する供述調書では池田昌義が仲裁に入つたことも、池田が同看守に対し言つた言葉も述べていないこと、又前認定の同看守が被告人を殴打する際、口走つた言葉等からみると同看守も当時少なからず興奮していたと推認できるが)、被告人を拘束する前提としてこれを殴打する必要は全くなかつたと認められる。もつともこの点について柳英雄の司法警察員に対する供述調書によると、被告人は池田に背後から押さえられていても、尚バツトをふり廻して、更に渡辺に殴りかかろうとしていた旨述べているけれども、他方渡辺光雄の司法警察員に対する供述調書によると(同人の受けた傷害は比較的軽かつたし、打撃を受けて昏倒したり、意識を失うほどのことはなかつた。)、池田に押さえられた被告人が更に殴りかかつて来るような素振りであつたことは何ら述べておらず、池田昌義の前記供述によつても、そのような渡辺に対する危険が切迫している状態ではなく、むしろ被告人は池田の言う事を聞いて比較的おとなしくしていたというのであるから、右柳英雄の供述調書によつては、佐藤看守が被告人の機先を制して殴打することにより被告人の引き続く暴行を防止する必要があつた程の危険状態とは認め難い。

以上を要するに、佐藤看守が本件現場にかけつけた際には、前記のように池田昌義と共に被告人を取り押さえ、被告人の所持するバツトを取り上げると共に、捕繩ないし手錠を使用して被告人の身体を拘束する必要は認められるけれども、当時の被告人の状態からみて、いかなる意味においても右の処置を採る前に被告人の顔面を殴打する必要はなかつたことが明らかであつて、佐藤看守が右のような措置を講ずることなく、いきなり被告人の顔面を殴打したことは看守としての職務上の注意義務を著しく怠たり、客観的に妥当な裁量の範囲を著しく逸脱した違法のものと言わざるを得ない。

従つて、右のような違法な職務の執行は公務執行妨害罪の保護する公務の執行とは言えず、被告人がこれに激昂のあまりバツトで佐藤看守を殴打しても、その違法性阻却事由を論ずるまでもなく、公務執行妨害罪を構成しない。

なお、被告人の佐藤看守に対する傷害罪の点につき付言するに、前掲各証拠によると、佐藤看守の被告人に対する暴行はさほど強いものではなく、又池田昌義らが仲裁に入つたことにより、同看守の暴行がすでに止んだ後、被告人は佐藤看守に殴打されたことに激昂してバツトで殴打したものであり、右が佐藤看守の暴行に対する正当防衛行為とは到底認め難いから傷害罪が成立することは言うまでもない。

(累犯加重の原因となる前科)

被告人は、昭和三四年八月一二日、麻生簡易裁判所において、窃盗罪により懲役一年に処せられ(同月一九日確定)、同三五年八月二一日右刑の執行を受け終つたもので、右の事実は被告人の検察官に対する供述調書及び網走刑務所長上原彦一作成の前科照会回答書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示各所為は、それぞれ刑法二〇四条、罰金等臨時措置法二条、三条に該当するので、所定刑中いずれも懲役刑を選択し、被告人には前示前科があるので刑法五六条一項、五七条により各再犯の加重をするが、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、四七条本文一〇条により、犯情の重い第二の罪の刑に同法一四条の制限に従い法定の加重をした刑期範囲内で処断するが、本件は極めて些細な動機から二人に対し相当の傷害を負わせたものであること、殊に看守に対する傷害は後遺症の疑もあるほどの重傷であるばかりでなく、たとえ、判示認定のように看守に戒護上若干行き過ぎの行為があつたにせよ(従つて前記のように看守の公務じたいは本件のばあい保護に値しないものであるが)刑務所の秩序維持の見地から絶対に許すべきではないことは言うまでもない。戦後刑務所内の処遇についても人権保障の見地から出来るだけ受刑者を自由にさせる傾向にあり、先進国においてもそのような傾向が著しいことは顕著な事実であるが、右のような行刑規律の緩和傾向は、それじたいとしては受刑者に対する教育的効果をあげる反面、ややもすれば刑務所内の暴行や暴動を頻発するおそれもあり、秩序維持の任に当る看守の身の安全を保持し難いおそれもあり、従つて戒護に当る看守に対する暴行事件に対しては峻厳な刑罰の威嚇をもつて望む必要があることは言うまでもなく、被告人が佐藤看守の暴行に激昂したからとは言え、バツトをもつて同看守の頭部を強打したことに対しては、厳しい刑罰をもつて望むのが相当であると考える。その他、判示認定のような本件の動機、態様、傷害の結果、犯罪後の情状、殊に被告人が改悛の情著しいものがあるとは言え、受刑中でもあり被害者に対し何ら慰藉の方法をも講じられない等諸般の情状を綜合するに、被告人に対しては懲役二年に処するのを相当とする。なお訴訟費用については被告人は受刑中で納付することが出来ないと認められるので刑訴法一八一条一項但書により被告人には負担させない。更に本件公訴事実中公務執行妨害罪の点は前記のとおり犯罪の証明がなかつたことに帰するが、右は判示第二の傷害罪と一所為数法の関係にあるものとして起訴されたと認められるので主文において無罪の言渡をしない。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 小泉祐康)

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