釧路家庭裁判所 昭和43年(少ハ)2号 決定 1968年7月25日
本人 W・H(昭二三・三・二二生)
主文
本人を昭和四四年一二月二〇日まで特別少年院に継続して収容する。
理由
一、申請の要旨
本件申請の要旨は、「本人は昭和四二年七月二〇日当裁判所において特別少年院送致の決定を受け、同月二一日千歳少年院に入院し、同年九月二四日理容学校入校のため久里浜少年院に移入したもので昭和四三年七月一九日収容期間が終了となるが、同年三月一八日反則事故があつたほか、日常生活において同僚との宥和協調を欠き、独善的、反抗的であつて成績良好とはいえず、犯罪的傾向が除去されたとは認めがたい上、目下院内の理容学校の課程を履修中で同年九月末卒業見込であり、本人自身同校卒業後インターン生として少年院に残り、昭和四四年一二月実施予定の理容師免許試験を受験後退院したい希望を有しており、右受験後に退院することが本人の更生上も望ましい。」というにある。
二、当裁判所の判断
本人は中学生時代に窃盗の非行歴を有し、その後も数回にわたり窃盗、遺失物横領、詐欺の非行を重ね、昭和四〇年六月中等少年院に送致されたが、昭和四一年七月北海少年院を仮退院した後も家出をして窃盗(四回)、賍物牙保(一回)の罪を犯し、昭和四二年八月二三日当裁判所により特別少年院送致の決定を受けて申請の要旨記載の経過で現在久里浜少年院に収容されているものである。上記非行歴にみられる本人の性格は抑うつ性、養育環境の不遇から生じた劣等感、対人的不信感、反抗性が強く、その思考は自己中心的で周囲の人との非協調性が目立ち、精神病質の疑いすら抱かせるものであつた。このような性格偏倚は過去の保護過程を考えるとある程度生活環境が改善されてもなお犯罪的危険性に強くつながつていると思われる。したがつて本人の犯罪的傾向を除去するためにはみぎ性格偏倚を徹底的に矯正することが必要であるが、本人は現在院内の理容学校の課程を履修中で処遇段階は一級の下であるものの、昭和四三年三月暴言をはいた反則事故は反抗的性格がなお改善されていないことを示すものであるし、最も必要と考えられる院内の同僚との宥和協調もいまだ改善されているとはいえず、全体として本人の犯罪的傾向は矯正されたとはいえない状態にある。他方少年の家庭は国鉄○○寮に住込みで賄婦をしている母に本人の妹が同居しており、近所に兄が独立して家庭をもつていて、以前よりは改善されているが、必ずしも自立すべき年代の本人の受入れに適しているとはいえない。
ところで本人に今後の生活や対人関係について自信を与えるためにはしつかりした職業技術を身につけさせることが極めて有力な手段であり、本人が現在理容師を志してその修業をしているのであるから本人の更生のためには理容師の資格を取得させることがぜひ必要である。この点につき本人は昭和四三年九月末の予定の理容学校卒業後も院内にとどまつて一年間インターン生として院内の理容学校で修業し、さらに修業の上昭和四四年一二月実施予定の理容師免許試験を受験したい希望を有しており、本人の母や兄もこの希望に賛成している。勿論免許試験の受験資格である一年間のインターン修業は少年院の外でも可能であるが、通常の理容営業店におけるインターン生の労働条件、修業環境を考慮すると、修業本位になされる院内の理容学校の方がインターン修業にはるかに適していると思われるし、本人自身も院外の理容修業に不安を抱いているので本人に確実に理容師の資格を取得させるためには免許試験受験まで院内で修業させることが適切である。
以上のとおり本人の犯罪的傾向は未だ矯正されていないと認められるので更に収容を継続して矯正教育を施す必要があり、その収容継続期間は上記性格偏倚の矯正にはなお相当期間が必要であること、理容師免許試験受験まで院内で修業させることの重要性を考慮して免許試験が終ると考えられる昭和四四年一二月二〇日までとするのが相当である。もつとも右収容継続期間は一年五か月余の長期にわたるけれどもその間性格偏倚が矯正され、かつ、理容修業が本人の翻意などにより不必要になる等本人の犯罪的傾向が矯正されたと認められる場合は仮退院させることも可能であり、本人の自由を不当に拘束するという弊害の生ずる危険は少いものと思われる。
よつて少年院法一一条四項により主文のとおり決定する。
(裁判官 広田富男)