長崎地方裁判所 平成11年(行ウ)5号 判決 2001年12月26日
原告
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
足立修一
同
龍田紘一朗
同
小林清隆
被告
長崎市長
伊藤一長
同
長崎市
同代表者市長
伊藤一長
被告
国
同代表者法務大臣
森山眞弓
被告ら指定代理人
山之内紀行
外一一名
被告長崎市長及び被告長崎市指定代理人
鳥山ふみ子
外一名
被告国指定代理人
坂本浩享
外二名
主文
1 原告の被告長崎市長に対する各訴えを却下する。
2 被告国は、原告に対し、金一〇三万〇八四〇円及びこれに対する平成九年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 原告の被告長崎市に対する請求及び被告国に対するその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は、原告に生じた費用の四分の一は被告国の、被告長崎市長及び被告長崎市に生じた費用は原告の、被告国に生じた費用の四分の三は原告の各負担として、その余は各自の負担とする。
事実及び理由
第1 申立て
1 原告
(1)ア 主位的請求
被告長崎市長による原告に対する、原告が原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律附則三条による廃止前の原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律五条に基づく健康管理手当受給権(健康管理手当証書番号<番号略>、認定年月日平成六年七月二七日)を停止(廃止)させるとの処分を取り消す。
イ 予備的請求
被告らは、原告に対し、各自、金一〇三万〇八四〇円及びこれに対する平成九年七月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(2) 被告国及び被告長崎市は、原告に対し、各自、金二〇〇万円及びこれに対する平成六年一二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(3) 被告国は、原告に対し、金一〇〇万円を支払え。
(4) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(5) (1)のイ、(2)及び(3)の各請求について仮執行宣言
2 被告長崎市長
(1) 本案前の答弁
本件各訴え(1の(1)ア、イ)を却下する。
(2) 本案の答弁
原告の各請求(1の(1)ア、イ)を棄却する。
(3) 訴訟費用は原告の負担とする。
3 被告長崎市
(1) 原告の各請求(1の(1)イ、(2))を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
(3) 仮執行免脱宣言
4 被告国
(1) 原告の各請求(1の(1)イ、(2)、(3))を棄却する。
(2) 訴訟費用は原告の負担とする。
(3) 仮執行免脱宣言
第2 事案の概要
本件は、長崎市に投下された原子爆弾によって被爆し、原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和四三年法律第五三号。以下「原爆特別措置法」という。)に基づいて健康管理手当の支給を受けるようになった韓国籍の原告が、日本国に居住しないなどとして健康管理手当の支給を打ち切られたことにつき、以下の各請求を行った事件である。
① 主位的に、健康管理手当の支給打切りは健康管理手当受給権を停止(廃止)させる行政処分であると主張して、被告長崎市長を相手に、その取消しを求め、予備的に、被告ら各自に対し、平成六年一一月分から平成九年四月分まで、及び同年七月分の未支給の健康管理手当合計一〇三万〇八四〇円及びこれに対する同月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた(第1の1の(1)ア、イの請求)。
② 厚生省(平成一三年一月六日以降は省庁再編により厚生労働省と改称)の職員及び長崎市長が健康管理手当の支給を打ち切ったことは違法であると主張して、被告国及び被告長崎市に対し、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項に基づき、慰謝料一〇〇〇万円の内一〇〇万円及び弁護士費用その他法定外訴訟追行費用一〇〇万円の合計二〇〇万円、並びにこれに対する平成六年一二月一日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めた(第1の1の(2)の請求)。
③ 厚生大臣(平成一三年一月六日以降は省庁再編により厚生労働大臣と改称)が健康管理手当の支給打切りに関する再審査請求の裁決に一八か月近くを要したことは違法であると主張して、被告国に対し、国賠法一条一項に基づき、慰謝料一〇〇万円の支払いを求めた(第1の1の(3)の請求)。
1 基礎となる事実
(1) 関連法規・通知
ア 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和三二年法律第四一号。以下「原爆医療法」という。)は、「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上をはかることを目的」(一条)とするもので、被爆者が同法二条、三条に基づきその居住地(居住地を有しないときはその現在地)の都道府県知事(その居住地が広島市又は長崎市であるときは当該市の長。以下同じ。)に申請して被爆者健康手帳の交付を受けたときは(以下、二条で定義された被爆者を、かぎ括弧付きの「被爆者」という。)、都道府県知事において「被爆者」に対し毎年健康診断を行うほか、厚生大臣において同大臣の認定を経た「被爆者」に対し必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給を行うものとしている。
イ 昭和四三年に制定された原爆特別措置法(以下、同法と原爆医療法を一括するときは「原爆二法」という。)は、「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって、原子爆弾の傷害作用の影響を受け、今なお特別の状態にあるものに対し、医療特別手当の支給等の措置を講ずることにより、その福祉を図ることを目的」(一条)とするもので、医療特別手当のほか、特別手当や健康管理手当等を「被爆者」に支給するものとし、健康管理手当については、都道府県知事(広島市又は長崎市については市長)において、「被爆者であって、造血機能障害、肝臓機能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている」(五条一項)ことを認定するものとし(同条三項によると、認定の際には同時に当該疾病が継続すると認められる期間を定めることになっている。)、この認定によって「被爆者」は健康管理手当の受給権を取得する。
ウ 原爆二法は、国籍による適用制限の規定がなく、外国人被爆者にも適用があるものとされている。
エ 昭和四九年七月二二日、厚生省公衆衛生局長は、各都道府県知事、広島市長及び長崎市長に対して、「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する通知(衛発第四〇二号。以下「四〇二号通知」という。)を発し、そこでは、「特別手当受給権者は、死亡により失権するほか、同法(原爆特別措置法)は日本国内に居住関係を有する被爆者に適用されるものであるので、日本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法の適用がないものと解されるものであり、従ってこの場合も特別手当は失権の取扱いになる」(第二の1の(6)。第二の2の(5)参照)とされ、行政実務もこれにしたがって運用されてきた。(甲7、9、10、乙7)
オ 原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成六年法律第一一七号。以下「被爆者援護法」という。なお、同法と原爆二法を一括するときは「原爆三法」という。)は、原爆二法を一本化したものであって、附則四条二項により、施行日(平成七年七月一日)前に原爆医療法三条によって交付された被爆者健康手帳は被爆者援護法二条によって交付された被爆者健康手帳とみなし、また、附則一一条一項により、施行の際現に原爆特別措置法に基づいて健康管理手当等に関する認定を受けている者は被爆者援護法に基づく同様の認定を受けた者とみなし、さらに、附則一三条により、平成七年六月分以前の月分の原爆特別措置法による健康管理手当等の支給については従前の例によるものとしている。そして、被爆者援護法も、原爆二法と同様に外国人被爆者にも適用され、原爆二法と同様の運用がなされている(甲7、9、10)。
(2) 本件の経緯
ア 原告は、西暦一九二七年九月二四日に戸畑市(現在の北九州市)で出生し、九州高等計理学校を卒業して、叔父の経理事務を手伝っていたが、昭和一八年一二月に徴用され、長崎市の三菱兵器製造所大橋工場で鍛造の仕事に従事していたところ、昭和二〇年八月九日、長崎市に投下された原子爆弾によって被爆した。その後原告は、同年一一月中旬に韓国に帰国し、以来専ら同国内に居住し、その間の昭和五六年六月ころ、来日して、被爆者健康手帳の交付を受けた。(甲16、原告)
イ 原告は、平成六年七月に治療のために来日し、長崎友愛病院に入院するなどして同年九月下旬まで滞在していたが、来日直後、被告長崎市長に対し、原爆医療法三条に基づいて被爆者健康手帳の交付を申請し、被告長崎市長は、原告が同法二条一号、二号に該当するとして、同年七月四日、原告に対し、被爆者健康手帳(手帳番号<番号略>)を交付した。さらに原告は、被告長崎市長に対し、原爆特別措置法五条に基づいて健康管理手当の支給を申請し、同月二七日、被告長崎市長は、原告が同条一項に規定する要件に該当するものと認定の上(以下「本件支給認定」という。)、健康管理手当を平成六年八月から平成九年七月まで支給する旨を決定し、平成六年八月一二日、原告に対し、健康管理手当証書(証書記号番号<番号略>)を交付した。同証書には、支給月額を三万一八六〇円、支給日を毎月二四日(休日等の場合は前日)、入金先を原告が指定した十八銀行桜町支店の普通預金口座とする旨が記載されていた。(甲1、2、16、乙4、原告、弁論の全趣旨)
ウ 被告長崎市長は、原告に対し、健康管理手当として、平成六年八月二四日及び同年九月二二日に各三万一八六〇円を、同年一〇月二四日に三万三三〇〇円を、それぞれ上記イの預金口座に振り込んで支給した。(甲3、16)
エ 原告は、平成六年九月下旬、韓国に帰国したところ、被告長崎市長は、原告が日本国の領域を越えて居住地を移したために失権したとの理由により、原告に対する同年一一月分以降の健康管理手当の支給を打ち切った(以下「本件支給打切り」という。)。原告は、平成九年二月ころ、十八銀行桜町支店に電話をして問い合わせをした際、健康管理手当の支給が打ち切られていることを知った。(甲4、16)
オ 原告は、平成九年四月三〇日に再度来日して、被告長崎市長に対し、被爆者援護法に基づき、被爆者健康手帳の交付と健康管理手当の支給を申請し、被告長崎市長は、原告に対し、被爆者健康手帳を交付した上、同年五月分の健康管理手当三万三五三〇円を支給した。さらに原告は、同年五月三〇日にも来日して、被告長崎市長に対し、同法に基づき、被爆者健康手帳の交付と健康管理手当の支給を申請し、被告長崎市長は、原告に対し、被爆者健康手帳を交付した上、同年六月分の健康管理手当三万三五三〇円を支給した。(争いがない)
カ 原告は、平成九年六月二日、長崎県知事に対し、本件支給打切りの取消しを求めて審査請求をしたが、同知事は同年九月一七日付けで審査請求を却下する旨の裁決をした。さらに原告は、同年一〇月一三日、厚生大臣に対し、再審査請求をしたが、同大臣は平成一一年三月三〇日付けで「原行為に係る再審査請求はこれを却下し、原裁決に係る再審査請求はこれを棄却する」旨の裁決をし、原告は同年四月五日に裁決書を受領した(以下、この再審査請求にかかる手続を「本件再審査手続」という。)。(甲5、15、証人月川)
2 争点
(1) 本件支給打切りは行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条二項の取消訴訟の対象になるか。
(被告長崎市長の主張)
「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」とは、公権力の主体たる国又は公共団体が法令の根拠に基づき行う行為のうち、その行為によって直接国民の権利義務を形成し、又はその範囲を確定することが法律上認められているものをいうところ(最高裁昭和三〇年二月二四日判決・民集九巻二号二一七頁)、本件支給打切りがなされたのは、原告の出国という事実の発生により、本件支給認定の効力が当然に消滅したことによるものであり、本件支給打切りにおいて、上記にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」は存在しない。
(原告の主張)
本件支給打切りのような出国による健康管理手当の支給打切りは、支給処分効力の存続要件を解釈で導き出し、出国という事実を認定した上、支給打切要件に該当するという行政上の意思決定をするということであるから、行訴法三条二項所定の「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」に該当し、取消訴訟の対象となる。
(2) 原告は本件支給認定によって取得した健康管理手当の受給権を出国により失ったか。
(被告らの主張)
本件の健康管理手当支払請求は原爆特別措置法及び被爆者援護法(平成七年七月分以降)に基づく請求と解されるところ、原告は日本国を出国したことにより当然に「被爆者」たる地位を失ったから、本件支給認定によって取得した健康管理手当の受給権も失った。すなわち、一定の事実が存在することが行政処分の前提要件(効力存続要件)になっている場合、当該事実が欠けるに至ったときには、処分の効力を存続させるための前提が失われてしまうから、何ら新たな行政処分がなくとも、その行政処分の効力は当該事実の発生により当然に消滅する。例えば、在留資格を付与されて本邦に在留する外国人が、再入国の許可を得ずに在留期間の満了前に出国した場合には、特段の明文規定はないが、在留資格は当該外国人が本邦に在留する限りにおいてのみ効力を有すると解されているから、出国により、当然に在留資格は効力を失うと解されている。これと同様に、原爆三法は、明文の規定はないけれども、以下に述べるとおり、被爆者が日本国内に居住又は現在することを、被爆者健康手帳交付決定及び健康管理手当支給決定の効力存続要件としているものと解釈され(したがって、原爆三法に基づいて被爆者に与えられる権利は、被爆者が日本国内に居住又は現在する限りにおいて給付を受けることができるという内容の権利であるにすぎない。)、被爆者が日本国内に居住も現在もしなくなった場合には(以下、このような被爆者を「在外被爆者」という。)、それらの効力は当然に失われることになる。
ア 給付内容
① 原爆医療法が定める「被爆者」に対する援護の内容は、ⅰ健康診断及びこれに基づく指導(同法四条、六条)、ⅱ指定医療機関における医療の現物給付(同法七条、九条)、ⅲ被爆者一般疾病医療機関から医療を受けた場合の医療費の支給(同法一四条の二第一項)であり(以下、これらの援護を一括して「医療給付」という。)、これらを在外被爆者が受給する可能性は全くないところ、このように原爆医療法が在外被爆者に対する医療給付を全く認めていないのは、在外被爆者には同法を適用しないという立法政策がとられたからである。仮に在外被爆者は事実上医療給付を受けることができなくなるだけで、「被爆者」たる地位を失うことはないというのであれば、在外被爆者が再度日本に居住又は現在するようになった場合には、新たな被爆者健康手帳交付決定を受けることなく医療給付を受けることができることになるが、そのような医療給付を実施するためには、都道府県知事(広島市又は長崎市においては市長。以下、「都道府県知事」というときには同じ。)において「被爆者」が当該都道府県又は市の管轄地内に居住又は現在することを把握していることが前提であるにもかかわらず、被爆者が再度日本に居住又は現在するようになった旨を都道府県知事に届け出る規定はなく、その他都道府県知事がそのような事実を知る手だては存在しない。むしろ、原爆医療法は、被爆者が日本国内に居住も現在もしなくなった場合には「被爆者」たる地位を失い、当該被爆者が再度日本国内に居住又は現在するようになった場合には、当該被爆者からの申請に基づいて新たな被爆者健康手帳交付決定を行い、同法に基づく給付の支給資格を得ることを当然の前提としていると解するのが合理的である。
② 原爆特別措置法に基づく給付は各種手当等の支給であって、各種手当等は単なる金銭の支給であるから在外被爆者に対してこれを支給することに特段の問題はないのではないかとの疑問も生じるが、同法の適用対象者は、原爆医療法に基づいて被爆者健康手帳交付決定を受けている者であることが必要であるところ、上記①のとおり、「被爆者」が日本国内に居住も現在もしなくなった場合は、被爆者健康手帳交付決定は効力を失うのであるから、原爆特別措置法が在外被爆者に適用されることはあり得ない。また、被爆者援護法は原爆二法の後継法であって、被爆者援護法に基づく各種手当等の支給についても原爆二法と全く同様にいうことができ、被爆者援護法は在外被爆者に適用されない。
③ 原爆特別措置法や被爆者援護法は、被爆者が放射能との関連性を明確に否定できない疾病にかかっている場合には、十分な医療措置を受けるだけでなく、日々の健康管理にも注意を払うことが望ましいことから、医療給付を基本としつつも、医療給付だけでは賄えない日々の健康管理に費やされる出費に対応するものとして健康管理手当を支給することとしたものであって、医療給付を受けられない被爆者が健康管理手当のみを受給するなどという事態はまったく想定していない。殊に、被爆者援護法は、被爆者に対し、保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じることを目的とし(前文、六条)、健康診断の実施、医療の給付、手当の支給及び福祉サービスの提供が一体のものとして実施されることを予定しているのであって、これらの施策を分断して実施することは全く予定していない。
イ 手続規定
手続規定は当該法律の性格を反映したものであるというべきところ、原爆三法に関する手続規定は、以下のとおり、在外被爆者に対して適用されることを全く予定していない。
① 被爆者に対する健康診断等の健康管理の実施や手当等の支給をする機関が都道府県知事とされ、これらの手当等の支給に要する費用が都道府県の支弁とされていることや、被爆者に対する各種給付を行う都道府県知事の管轄が被爆者の居住地(居住地がないときは現在地)移転に伴って移転することとされていることからすると、給付の実施機関たる「都道府県知事」とは、「当該被爆者が居住又は現在する地を管轄する都道府県知事」を意味すると解されるが、そうすると、在外被爆者については実施機関である都道府県知事を定め得ないことになる。
② 原告は被爆者の最後の居住地又は現在地の都道府県ないし国が在外被爆者に対して各種手当を支払うべき義務を負うとの前提に立っているものと解されるが、居住又は現在しない被爆者に対する各種手当の支給は最後の居住地又は現在地の都道府県の事務ではなく、このように地方公共団体の事務でないものについて都道府県の負担として支出するためには、法令上の根拠に基づいてされることが必要であるところ(地方自治法二三二条一項)、都道府県知事が、その管轄地域外の在外被爆者に対して、各種手当にかかる費用を支弁することを定めた規定は存在せず、原爆三法が規定する「都道府県知事」又は「都道府県」を、被爆者の最後の居住地又は現在地の「都道府県知事」又は「都道府県」と読み替えることを許す規定も存在しない。また、国は各種手当の支給に要する費用を都道府県に交付することになっているが、これは、都道府県を経由して国が被爆者に対して手当等を支給するという趣旨ではなく、都道府県が自らの予算に基づいて被爆者に対して手当等を支給し、国は都道府県が支弁した費用を交付金をもって二次的に負担する趣旨であるところ、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく年金等の支給や、労働者災害補償保険法に基づく保険給付と異なり、原爆三法には、国が直接手当等を支給すべきことを予定した規定はない。
③ 健康管理手当、医療特別手当及び保健手当は、「被爆者」であることのほか一定の要件のもとに支給されるが、その要件に該当しなくなった場合には、これらの手当の支給は打ち切られるところ、原爆特別措置法施行規則及び被爆者援護法施行規則は、居住地又は現在地の都道府県知事に対する「被爆者」の届出義務として、健康管理手当については要件不該当の届出義務を、医療特別手当については要件不該当の届出義務と健康状況届の届出義務を、保健手当については要件不該当の届出義務と現況届の届出義務を規定しており、また、原爆医療法施行令及び被爆者援護法施行令は、居住地を変更した場合にはすべての「被爆者」に対して都道府県知事に対する届出義務を課しているのであって、原爆三法は、被爆者が支給決定後も継続して日本国内に居住又は現在していることを当然の前提としている。
ウ 立法者意思
① 昭和四三年四月一二日の第五八回国会参議院本会議において原爆特別措置法についての審議が行われた際、厚生大臣は、返還前の沖縄に在住する被爆者について同法が適用されるか否かの質問を受け、「沖縄在住の原爆被爆者に対しては適用されない」旨の答弁をしているところ、返還前の沖縄に在住していた被爆者は現在の在外被爆者の地位にあったものであり、このような厚生大臣の答弁を踏まえた上で原爆特別措置法が可決・成立しているのであるから、在外被爆者に対しては原爆特別措置法を適用しないというのが立法者意思である。
② 原爆二法に、日本国内に居住又は現在しなくなることによって「被爆者」たる地位を失うとの明文の規定がないのは、原爆医療法については、在外被爆者は同法に基づく給付を受ける余地が全くなく、適用対象者がいないことが法文上明らかであったからであり、原爆特別措置法については、その適用対象が原爆医療法二条にいう「被爆者」とされているため在外被爆者に適用されないことが明らかであったからである。また、原爆二法の審議経過に関する国会議事録を精査しても、原爆二法を在外被爆者に対して適用する趣旨で明文を置かなかったとの立法者意思をうかがわせるものはない。
③ 平成六年一二月一日の第一三一回国会衆議院厚生委員会において被爆者援護法についての審議が行われた際、厚生省保健医療局長は、「現在御審議をいただいております政府案の適用につきましては、同法に基づきます給付というのが、拠出を要件としない公的財源によって賄われるものであるということ、それから他の制度との均衡を考慮する必要があるということから、日本国内に居住する者を対象として手当を支給するということで考えているわけでございます。したがいまして、手当であるかあるいは年金という名前であるかということを問わず、我が国の主権の及ばない外国において日本の国内法である新法を適用することはできないというふうに考えております。」と答弁して、被爆者援護法の政府案が在外被爆者を適用対象としていないことを明確にし、また、同委員会において、年金化すれば外国にいても支給されるとの前提のもとに日本共産党が提出した、全被爆者へ年金を支給することなどを内容とする修正案は否決されている。以上の経緯を経て被爆者援護法の政府案が衆参両議院で可決されたことからすれば、在外被爆者に対しては同法を適用しないというのが立法者意思である。
エ 法的性格
① 原爆三法は、社会保障法として他の公的医療給付立法や公的扶助立法と類似の性格を有し、また、受給者の拠出を要しない非拠出制の社会保障法に属する。一般的に、社会保障法は、そのよって立つ社会連帯と相互扶助の理念から、それを制定する主体の権限の及ぶ全地域に効力を有し、また、その地域に効力の限界を有する。特に、非拠出制の社会保障法は、社会連帯の観念を基礎とし、給付に要する費用は国家の一般財源に依存し、究極的には国家の構成員の総体が租税という形で負担するのであるから、社会連帯の観念を入れる余地がなく、当該社会の構成員でもない海外居住者に対しては適用されないのが通例である。したがって、非拠出制の社会保障法は、日本国内に居住も現在もしない者については、特に給付を認める明文規定のない限り、適用を予定していないものと考えられる。そうすると、原爆三法は、在外被爆者に対して給付を認める明文を設けておらず、これらの者に給付を行うことを前提とする手続規定等もまったく存在しないのであるから、在外被爆者を対象としていないことは明らかである。
② 原爆三法の制度の根底に国家補償的配慮があるとしても、他の一般の戦争被害者に対する対策との均衡の点からして極めて例外的な法制度であるから、明文によって認められた範囲に限って国家補償的配慮を実現することとしたものと考えるべきであり、明文の規定を逸脱して適用範囲を広げることは、原爆三法の国家補償的配慮を根拠なく拡大解釈するものであり、戦争被害に関する我が国の法体系に不整合をもたらす。
オ 人道的見地、憲法一四条一項、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年八月条約第七号。以下「B規約」という。)二条一項、二六条
① 仮に原爆三法が人道的見地から被爆者の救済を図ることを目的とした立法であるとしても、いかなる範囲において、いかなる方法によって、その目的を達成するかは、個別の法律の立法政策の問題である。
② 原爆三法の支給対象者の決定には、立法府に極めて広範な裁量権が認められるところ、在外被爆者のように現在の日本社会と何らのかかわりも持たない者に対して健康保持の施策を及ぼさないとする立法政策は極めて合理的であり、憲法一四条一項に違反しないことは明らかである。
③ B規約二条一項、二六条において禁止されるのは不合理な差別であるところ、上記②のとおり、原爆三法の適用対象者を日本国内に居住又は現在する被爆者に限ることには十分合理性がある。
(原告の主張)
被爆者は、日本国内に居住も現在もしなくなった場合であっても、健康管理手当の受給権を失わない。その理由は以下のとおりである。
ア 健康管理手当受給権の発生、消滅、停止等の設定は、法律の規定を待たなければならないところ、原爆特別措置法には被爆者が日本国の領域を越えて居住地を移した場合に同受給権が失権する旨の規定はない。在外被爆者に適用されるかどうかは、当該法にとって決定的に重要なことであり、自明でなければ解釈に二義を残さないように、明文をもって一義的に明白なように規定すべき事柄である。被爆者の被害救済は、必然的に人道にかなわなければならず、その救済法は一切の差別を許容せず、仮に立法上差別するとしても、差別のための明白な特則が要求される。
イ 原爆医療法に対する給付を国外において行うことも運用上可能であるから、被爆者が日本国内に居住も現在もしなくなった場合であっても、被爆者健康手帳交付決定はその効力を失わない。
ウ 被告らが主張する手続関係規定は、在外被爆者の権利の存否にかかわるのではなく、法の命ずる施策をいかに具体的に実現するかの事務取扱いにかかわるものであるから、その欠如は在外被爆者への法不適用の論拠とはなり得ない。
エ 給付の実施機関の管轄規定は、行政事務の円滑と被爆者の利便性を配慮したものであり、在外被爆者を失権として排除する趣旨の規定ではないのであって、国外に出た被爆者については、最後の管轄を維持すれば足りる。
オ 被告らが主張する立法者意思は、法の立案者である行政の説明を引用しているに過ぎない。
カ 社会保障法として立法されたから我が国の主権の及ぶ範囲に限って適用されるという論は成り立たない。
キ 在外被爆者に健康管理手当を支給しないことは、憲法一四条一項及びB規約二条二項、二六条に違反する。
(3) 未支給の健康管理手当の支払請求について被告長崎市長に被告適格があるか(ひいては、健康管理手当の支払義務者は被告らのいずれか)。
(原告の主張)
被告長崎市長は、原爆特別措置法五条により、被告国に代わって当事者能力を与えられたと解すべきである。
(被告長崎市長の主張)
被告長崎市長は、健康管理手当の支給を行うべき行政庁に過ぎず、実体法上の権利義務の主体ではないから、実質的当事者訴訟と解される健康管理手当の支払請求について被告適格を有しない。原爆特別措置法五条及び一五条は、健康管理手当支給処分の処分権者を被告長崎市長と定めたものであって、被告長崎市長が当該処分によって発生した具体的な手当金支払請求権の債務者となることを定めたものではない。
(4) 被告国及び被告長崎市は本件支給打切りについて国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うか。
(原告の主張)
健康管理手当受給権の発生、消滅、停止等の要件の設定は法律の規定を待たなければならず、四〇二号通知によっても同受給権は消滅ないし停止しないから、四〇二号通知に従って健康管理手当の支給を停止ないし廃止する行為は、法律の規定に基づかない違法なものである上、憲法四一条、九九条にも違反するところ、厚生省職員及び長崎市長は、四〇二号通知に安易かつ漫然と追随し、本件支給打切りを行ったものであるから、故意又は過失によって違法行為を行ったことになる。また、厚生省職員及び長崎市長の法解釈・執行は、憲法一四条一項及びB規約二条二項、二六条にも違反する違法な行為である。以上の違法行為によって原告は精神的苦痛を被った。
(被告国及び被告長崎市の主張)
上記(2)で主張したとおり、本件支給打切りに違法はない。
(5) 被告国は本件再審査手続について国賠法一条一項に基づく損害賠償義務を負うか。
(原告の主張)
厚生大臣が再審査請求に対する裁決に一八か月近くを要したことは、社会通念上相当と認められる期間を徒過した違法なものであり、類似案件訴訟との整合性をとりながら再審査請求の審理をしたことも違法であって、審査請求制度の趣旨に著しく反し、簡易にして公正かつ迅速な審査が行われることに対する原告の期待を著しく裏切ったものであり、これによって原告は精神的苦痛を被った。
(被告国の主張)
最高裁平成三年四月二六日判決・民集四五巻四号六五三頁に照らすと、以下のとおり、被告国に損害賠償義務はない。
ア 原告は、既に被爆者としての認定を受けた者であり、原爆特別措置法及び被爆者援護法の適用範囲を争って、在外被爆者への健康管理手当の受給を求めているのであるから、厚生大臣の裁決に時間を要したとしても、それによって原告が抱く不安、焦燥は、他の行政認定申請における申請者に見られないような異種独特の深刻なものであるとはいえない。また、本件の場合、原告は、厚生大臣の裁決に時間を要していることに不満があれば、直ちに、健康管理手当の支払いを求めて提訴することにより実質的な司法的救済手段を選択することが可能な地位にあった。そうすると、本件において、厚生大臣の裁決に一七か月あまりを要したことで原告が内心の静穏な感情を害されたとしても、それは社会通念上甘受すべき限度を超えるような法的保護に値する利益ではない。
イ 上記アの点はさておくとしても、不服審査庁たる厚生大臣の不作為が、国賠法上違法と評価されるには、①客観的に不服審査庁がその審査のために手続上必要と考えられる期間内に決定ができなかったこと、②その期間に比して更に長期間にわたって遅延が続いたこと、③その間、不服審査庁として通常尽くすべき努力によって遅延を解消できたのに、それを回避するための努力を尽くさなかったことが必要であるところ、本件において厚生大臣が裁決に時間を要したのは、再審査請求の際、同種事案に関する事件が大阪地方裁判所に係属しており、原告の再審査請求に対する裁決をするためには、在外被爆者に原爆三法は適用されないとの解釈の合理性について、同事件の当事者双方による主張・立証状況も踏まえた上で再度慎重に検討する必要があったからである。したがって、再審査請求の申立てから裁決までに一七か月あまりを要したことは、上記①ないし③の要件を充たすものとはいえないから、国賠法上違法な不作為とはいえない。
第3 争点に対する判断
1 争点(1)について
前記第2の1のとおり、被告長崎市長は、四〇二号通知に従い、「被爆者」が日本国の領域を越えて居住地を移すことにより原爆特別措置法の適用がなくなり、健康管理手当の受給権は当然に消滅するとの解釈に基づいて、本件支給打切りに至ったものであって、本件支給打切りにおいて、行訴法三条二項にいう「行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為」というものは何ら想定することができず(なお、被告長崎市長は原告に対し平成九年五月九日付けの「「原子爆弾被爆者援護法」における「健康管理手当」について(回答)」と題する文書(甲4)を送付しているが、これをもって行政処分があったといえないことは明らかである。)、その取消しを求める訴えは不適法である。
2 争点(2)について
上記1のとおり、本件支給打切りは行政処分とはいえないのであるから、これが適法性の推定を受けて有効として取り扱われることはなく、原告は受給権の存在を主張して直接未支給の健康管理手当の支払いを求める訴えを提起することができる(いわゆる実質的当事者訴訟)。そして、前記第2の1のとおり、原告は健康管理手当の受給権を取得しているのであるから、被告らがその消滅事由を主張立証しない限り、原告による未支給の健康管理手当の支払請求は認められるところ、被告らは、上記受給権の消滅事由として、原告が日本を出国したことにより原爆医療法にいう「被爆者」の地位を失ったと主張するので、以下、この点について検討する。
(1) 原爆医療法は、同法の適用を受ける「被爆者」を同法二条各号のいずれかに該当する者で被爆者健康手帳の交付を受けた者とした上、被爆者健康手帳の交付の申請先を申請者の居住地又は現在地の都道府県知事(前記第2の1のとおり、広島市又は長崎市においては市長)とし、知事又は市長は申請者が同法二条各号のいずれかに該当すると認めるときはその者に被爆者健康手帳を交付するとしており(同法三条一項、二項)、少なくとも、被爆者健康手帳の交付申請をする際には申請者が日本国内に居住又は現在することを前提としているものと解される。ところが、「被爆者」が日本国内に居住も現在もしなくなった場合に、「被爆者」たる地位が当然に失われるか、すなわち、日本国内に居住又は現在することが被爆者健康手帳交付決定の効力存続要件であるかについて、明文の規定はなく(これに対し、児童手当法四条一項、児童扶養手当法四条二項、三項、特別児童扶養手当等の支給に関する法律三条三項、四項は、日本国内に住所を有することを支給要件とする旨規定する。)、原爆医療法の解釈上、上記のとおり解し得るか否かを検討することが必要となる。なお、被告らの指摘するとおり、出入国管理及び難民認定法は、明文はないものの、本邦に在留する外国人の在留資格は本邦に在留していることが前提となっているため、同人が再入国の許可(新たな在留資格を付与するものではなく、同人が有していた在留資格を出国にもかかわらず存続させ、その在留資格のままで再入国することを認める処分)を受けないまま本邦から出国した場合には、同人の在留資格は消滅すると解されているが(最高裁平成一〇年四月一〇日判決・民集五二巻三号六七七頁参照)、そもそも、同法の規定する在留資格は本邦に在留する外国人と本邦との場所的結合状態そのものが内容となっているのであるから、原爆医療法の「被爆者」たる地位と同列に論じることはできない。
(2) 立法趣旨
ア 原爆医療法は、その目的を「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ、国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより、その健康の保持及び向上を図ること」(同法一条)とし、「被爆者」への健康管理手当等の支給を規定する原爆特別措置法は、その目的を「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって、原子爆弾の傷害作用の影響を受け、今なお特別の状態にあるものに対し、医療特別手当の支給等の措置を講ずることにより、その福祉を図ること」(同法一条)とし、さらに、原爆二法の後継法たる被爆者援護法は、その前文に、「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は」「たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。」そこで、「国の責任において、原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊な被害であることにかんがみ、高齢化の進行している被爆者に対する保健、医療及び福祉にわたる総合的な援護策を講じ、あわせて、国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため、この法律を制定する」と規定している上、同法の国会審議において、厚生大臣が、被爆による「健康上の障害については、直後の急性原爆症に加えて白血病やあるいは甲状腺がん等の晩発障害があるなど、一般戦災による被害に比べ、また際立った特殊性を持った被害であると考えております。こうしたほかの戦争被害と異なる原爆放射能による被害の特殊性にかんがみ、」同法を制定する旨を答弁していること(第一三一回国会衆議院厚生委員会)に照らすと、原爆三法は、被爆者の健康上の障害が一般の戦争被害者と比較して特異かつ深刻なものであるとの認識のもとに制定されたものであって、その根底には国家補償的配慮があるものと解される(最高裁昭和五三年三月三〇日判決・民集三二巻二号四三五頁参照)。そして、原爆三法が、軍人軍属等の公務上の戦争被害に関する戦傷病者戦没者遺族等援護法(同法一一条二号、三号、一四条二号、二四条等)及び戦傷病者特別援護法(同法四条三項、六条一項等)と異なり、あえて国籍要件を定めず、内外国人を問うことなく援護の対象者としたことも併せ考えると、原爆三法の解釈にあたっては、在外被爆者のみに不利益となるような限定的な解釈はすべきでないと解する。
イ 法的性格
被告らは、原爆三法は非拠出制の社会保障法に属するから明文規定のない限り在外被爆者には適用されないし、また、原爆三法の制度の根底に国家補償的配慮があるとしてもそれは他の一般の戦争被害者に対する対策との均衡の点で極めて例外的な法制度であるから明文によって認められたものに限るべきであると主張する。
しかしながら、非拠出制の社会保障法と一般的抽象的にいってみても、その内容が一義的に明らかになるわけではなく、その適用対象については、それぞれの法令に応じて個別的に判断すべきものであって、原爆三法が非拠出制の社会保障法に属するとしても、そのことから直ちに、明文の規定がない限り在外被爆者には適用されないとの結論を導くことはできないし、また、一般の戦争被害者に対する対策との均衡の点についても、原爆三法が一般の戦争被害者と区別して特に被爆者を援護していることは上記アのとおりであるが、これが例外的な制度であるからといって、直ちに、これを在外被爆者に適用するためには明文の規定が必要であるとはいえない。むしろ、原爆三法は外国人被爆者にも適用されるのであるから、多くの外国人被爆者が含まれるであろう在外被爆者を適用除外とするなら、その旨が明文で規定されたはずとさえいうことができる。
ウ 立法者意思
被告らは、原爆三法における立法者意思はこれらの法律を在外被爆者には適用しないというものであったと主張する。
しかしながら、立法者意思という概念そのものがあいまいなものであることにかんがみると、法令の解釈にあたっては、まず、法の客観的な意味内容を理解するように努めることが基本であって、立法者意思はあくまで参考にとどまると解する。このことは原爆三法の解釈にあたっても同様であって、これらの法律だけを別異に解する根拠は見出すことができない。そして、被告らが主張するように、在外被爆者が原爆医療法に基づく医療給付を受ける余地はなかったとしても、在外被爆者が日本に再入国した後に上記医療給付を受け得る地位を保持しておくことに意味がないわけではないから、そのことから直ちに、原爆医療法は在外被爆者に適用されないというのが立法者意思であったと即断することはできない。また、立法者意思はあくまで法の解釈の参考になるにとどまるのであるが、被告らが政府担当者の国会答弁を掲げるので、本件とかかわりのある原爆特別措置法に関する国会答弁についてのみ検討を加えることにする。昭和四三年四月一二日の第五八回国会参議院本会議の会議録(乙6の五頁ないし六頁)をみると、厚生大臣は、原爆特別措置法は沖縄(本土復帰前)に在住する被爆者には適用されないと答弁しているが、不法入国した外国人被爆者が原爆医療法の適用を求めた前掲最高裁昭和五三年三月三〇日判決にかかる事件において、被告の福岡県知事が「同法(原爆医療法)三条の現在地は、特定の都道府県に居住地を有しない者の存在することを考慮してとくに規定されたもので、広く日本国内という観点からすれば、居住関係を有していることが前提となっているものである」と主張していることに照らすと、上記国会答弁は移動のない固定された居住状態を前提にしていたことがうかがわれ、日本国内に居住又は現在していた「被爆者」が日本国内に居住も現在もしなくなったときに、「被爆者」たる地位が失われるか否かという問題については全く念頭になかったものと考えられる。
(3) 給付内容
ア 被告らは、原爆医療法が在外被爆者に医療給付を認めていないのは、在外被爆者には同法を適用しないという立法政策がとられたからであり、また、原爆特別措置法及び被爆者援護法は、医療給付と各種手当の支給は一体のものとして実施されることを予定しているので、医療給付を受けられない被爆者に各種手当の支給をすることは想定されていないと主張する。
しかしながら、在外被爆者は、原爆医療法上、実際には医療給付を受けることはできないのであるが、再度入国すればこれが可能になるのであるから、同法が在外被爆者には適用しないとの立法政策をとったと断定するまでの根拠は乏しい。また、原爆二法又は被爆者援護法の適用にあたって、医療給付と各種手当の支給がいずれも実施されることは望ましいことであるし、被爆者援護の制度趣旨にかなっていることではあるが、さらに進んで、これらの法律が、事実上医療給付が受けられない被爆者に対して各種手当の支給も否定しているとまで解する根拠はない。
イ 被告らは、仮に在外被爆者について被爆者健康手帳交付決定の効力が失われないとすると、その者が再度日本国内に居住ないし現在するようになった場合、都道府県知事はそれを把握することができず医療給付を実施することができないと主張する。
しかしながら、原爆医療法は、手続の細則を自ら定めず、厚生省令に委任していたのであり(同法二二条)、そのような在外被爆者への対処の仕方を規定することを禁じていたわけではないから、当該厚生省令の規定がないからといって、原爆医療法が上記のような事態を全く想定していなかったとはいえない。
(4) 手続規定
ア 被告らは、原爆三法上、在外被爆者については各種給付の実施機関である都道府県知事を定め得ず、また、在外被爆者に各種給付をするについての法令上の根拠がないから、原爆三法は在外被爆者に適用されることを全く予定していないと主張する。
しかしながら、原爆三法は、医療給付は厚生大臣が行うとし(原爆医療法七条一項、一四条一項、一四条の二第一項、被爆者援護法一〇条一項、一七条一項、一八条一項)、各種手当の給付については、いったんは都道府県が支弁するものの、その費用は国が当該都道府県に交付するものとしており(原爆特別措置法一〇条一項、二項、被爆者援護法四二条、四三条一項)、本来、これらの事務は国の事務であるが、専ら受給者である被爆者の便宜を図るために都道府県知事を実施機関としたものと解される。したがって、現行法上被告ら主張のような手続規定を欠いているからといって、これを過大視することはできず、在外被爆者への不適用をも意図しているものとは解されない。
イ 被告らは、原爆三法に関する手続規定の中に現在地の都道府県知事に対する各種届出義務があることを理由として原爆三法が在外被爆者に適用されないと主張する。
しかしながら、被告らが主張する届出義務は、いずれも原爆医療法施行令、原爆特別措置法施行規則、被爆者援護法施行令及び同施行規則といった下位規範によって定められているものであり、そのような下位規範によって定められた届出義務をもって上位規範である原爆三法の適用対象者を画することはできない。また、厚生省令においても、被爆者が死亡した場合については、原爆医療法施行規則五条の三、被爆者援護法施行規則八条が被爆者健康手帳の返還義務を規定しているのに対し、在外被爆者についてはその旨の規定は存在しないのであって、被告ら主張の解釈に符合する形で首尾一貫しているわけではない。
(5) 以上によると、原爆医療法上日本からの出国によって「被爆者」たる地位を失うとの解釈には、特段の実質的・合理的理由はないといわざるを得ず、むしろ、「被爆者」たる地位を失わないと解釈するほうが前記の立法趣旨にも適っているというべきである。したがって、原告は出国によって「被爆者」たる地位を失わず、健康管理手当の受給権を有している。
3 争点(3)について
(1) 上記2のとおり、原告の取得した原爆特別措置法に基づく健康管理手当の受給権は消滅していないから、被爆者援護法附則一三条により、原告は、未支給の健康管理手当のうち、平成六年一一月分から平成七年六月分までは原爆特別措置法に基づき、同年七月分から平成九年四月分まで、及び同年七月分については被爆者援護法に基づき、それぞれ支払請求権を有することになる。そして、健康管理手当の支給月額は、法令上、平成六年一〇月から平成七年三月までは三万三三〇〇円(平成六年六月法律第五五号によって改正された原爆特別措置法)、同年四月以降は三万三五三〇円(平成七年三月政令第九二号によって改正された原爆特別措置法施行令及び被爆者援護法施行令)とされているから、未支給の健康管理手当の合計額は一〇三万八二八〇円(三万三三〇〇円の五か月分と三万三五三〇円の二六か月分)となり、原告の請求額を上回る。
(2) 原告は被告ら各自に対して未支給の健康管理手当の支払いを求めるので、被告らのいずれがその支払義務を負うのかについて検討するに、被告長崎市長は、行政機関のひとつであって、そもそも権利義務の帰属主体とはなり得ないから、同被告には本件健康管理手当支払請求にかかる訴えの被告適格はなく、同被告に対する同訴えは不適法である。ところで、平成一一年法律第八七号(平成一二年四月一日施行)による改正前の地方自治法一四八条二項の別表三には機関委任事務として、原爆特別措置法及び被爆者援護法に基づく各種手当等の支給が掲げられており、当時、上記支給にかかわる事務は都道府県知事(広島市又は長崎市については市長)が被告国の機関として管理執行を行っていたものと解される。そうすると、当該事務の効果は被告国に帰属するので、被告国において上記支払義務を負い、被告長崎市はこれを負わない。
4 争点(4)について
上記2のとおり、本件支給打切りは違法であるが、そこでも検討したとおり、原爆二法を在外被爆者に適用できるか否かについては原爆二法が一義的明確に規定しているとはいえないばかりでなく、行政実務においても約二〇年もの間四〇二号通知に従って運用されてきたこと(前記第2の1の事実)、原爆二法の立法過程において原爆二法が在外被爆者に対してはおよそ適用される余地がないのかどうかにつき明確な議論はなされておらず、被爆者援護法の立法過程においては従来の行政実務を追認するかのような政府答弁が行われており、本件支給打切りまでに裁判上もとりたてて問題とされたことがなかったこと(乙5、6、8(上記の点が争点のひとつとされた広島地裁への提訴は平成七年以降である。)、10、13、証人田村、弁論の全趣旨)、以上の事実に照らすと、厚生省の職員及び長崎市長において本件支給打切りが違法であることを予見していたとか、その予見が可能であったとはとうていいうことはできず、厚生省の職員及び長崎市長に国賠法一条一項にいう故意又は過失を認めることはできない。したがって、被告国及び被告長崎市に国賠法一条一項に基づく損害賠償義務はない。
5 争点(5)について
原告は、本件再審査手続の遅延は違法であると主張するが、本件再審査手続における応答がなされなかったからといって、原告が原爆二法又は被爆者援護法に基づく医療給付や健康管理手当の支給を全く受けられなかったというわけではなく、再度日本国に入国して健康管理手帳の交付を受けることにより医療給付や健康管理手当の支給を受けることは可能であったし(現に原告は日本に再入国して健康管理手当の支給を受けている(前記第2の1の事実)。)、また、上記応答を待つことなく直ちに裁判所に健康管理手当の支払いを求めて訴えを提起することもできたのであるから、原告が本件再審査手続の遅延によって侵害されたと主張する精神上の利益は、仮にこれが国賠法上の保護の対象になり得るとしても、それほど強固なものであったとはいえないこと、本件再審査手続は、上記2のとおり原爆三法の解釈をめぐる困難な問題を含んでおり、応答までに要した期間は社会通念上容認し得ないほどには長期に及んでいるとまではいえないこと、以上の事実に照らすと、本件再審査手続をもって違法ということはできない。したがって、被告国に国賠法一条一項に基づく損害賠償義務はない。
第4 結論
以上によると、本件の結論は以下のとおりである。
1 原告の被告長崎市長に対する各訴えはいずれも不適法である。
2 原告の被告国に対する請求は、未支給の健康管理手当一〇三万〇八四〇円、及び本件支給認定における支給日経過後の平成九年七月二五日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるが、その余は理由がない。なお、仮執行宣言は相当でないからこれを付さない。
3 原告の被告長崎市に対する請求は理由がない。
(裁判長裁判官・川久保政德、裁判官・小河原寧、裁判官・橋本健)