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長崎地方裁判所 平成14年(ワ)17号 判決 2004年9月27日

主文

1  被告は、原告に対し、2000万円及びこれに対する平成13年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを3分し、その2を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。

4  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は、原告に対し、6594万円及びこれに対する平成13年5月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要

本件は、被告の従業員で制作局次長の職にあった者が自殺したという事件に関し、上記従業員の妻である原告が、被告に対し、第1に、主位的に、上記従業員が自殺したのは、被告が快適な労働環境を提供せずに、上記従業員の過重労働を黙認した結果であるとして、安全配慮義務違反あるいは不法行為(両者の関係は、選択的請求である。)に基づく慰謝料(上記従業員の慰謝料請求権を原告が相続した。)2000万円を請求し、予備的に、安全配慮義務違反あるいは不法行為に基づく原告固有の慰謝料2000万円を請求し、第2に、被告の労使間で成立させた労災補償協定書に定められている退職金の3倍規定に基づく未払い退職金額4594万円を請求し、よって、上記合計6594万円及びこれに対する原告が被告に対して上記金額等の請求を行った日の翌日である平成13年5月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求めた事案である。

1  争いのない事実等

(1)  被告は、時事に関する事項を掲載する日刊新聞「長崎新聞」の印刷発行等を目的とする株式会社である(弁論の全趣旨)。原告の夫aは、被告の社員で、かつ、制作局次長の職にあったところ(したがって、aは、被告の労働組合である長崎新聞労働組合(以下「本件労組」という。)の非組合員であった。)、平成○年○月○日、長崎市内において自殺した(以下「本件事件」という。)。長崎労働基準監督署は、本件事件について労働災害と認定し、平成12年11月28日、遺族補償年金の支給決定を行った。そこで、原告は、被告に対し、被告と本件労組との間で協定された労災補償協定書(甲10。以下「本件労災協定」という。)に基づき、退職金(通常退職金の3倍の額を支給する内容)及び慰謝料等の請求を行ったが、被告はこれを拒否し、反対に、被告は、原告に対し、解決金として1000万円を支払う旨の提案を行ったが、原告はこれを拒否した(争いなし。なお、遺族補償年金の支給決定がなされたことは、甲16の1及び16の2、22の1。)。

(2)  原告とaとの間には、長男b、長女c及び二男dの3名がいる(甲19の1、原告)。

(3)  ところで、被告においては、平成元年に集配信、漢字校正システムを導入した際、同時に、更新期を迎えていたサプトンシステム(組み版システムの一つ)の次期組み版システムとして、画像を除くフルページシステムの導入、検討作業に着手した(ここにフルページシステムとは、新聞製作の工程をコンピューターで全て処理するシステムのことをいう。)。しかし、当時、フルページシステムを採用したとしても、システム構成が大規模になる反面、工程的に手貼り作業やカメラ撮りなどが残らざるを得ない部分があったことから、被告は、平成2年にフルページシステムの導入を断念し、上記サプトンシステムをバージョンアップしたサプトロンジミーの導入を決定した。そして、フルページシステムの導入は、五、六年後を目標に研究を進めることとした。その後、被告は、平成4年に経営大綱及び経営計画を策定する中で、<1>フルページシステムは、平成9年までの移行を目指し、研究に着手する、<2>平成10年を目途に既設輪転機を更新する及び<3>平成5年にワープロネットワークシステムの導入を目指すことを決めた。さらに、被告としては、他社よりフルページシステムによる新聞製作が大きく遅れていたことから、フルページシステムの早急な導入が急務になってきた。そこで、被告は、平成8年3月、フルページ推進委員会名で「フルページ実施計画(案)」を発表した。上記計画(案)によると、平成8年7月からパイロットシステム(フルページシステムの事前研修システム)を構築し、平成9年4月から同年7月までの間に運用テスト及び移行リハーサルを行い、同年8月からのフルページシステムへの段階的移行を経て、同年10月1日からフルページシステムに全面的に移行するというものであった(被告としては、1年間のパイロットシステムで検証と研修を行えば、上記のように平成9年8月からのフルページシステムへの段階的移行を経て、同年10月1日からフルページシステムヘの全面的移行は可能と考えていた。)。ところが、平成9年7月の労使による検証委員会で労使双方から社員の習熟状況や各端末間の連携に関して戸惑いなどが出たことで、細部にわたって再チェックを行い、その結果、フルページシステムの段階的移行以後の計画を1か月延期することとなった。即ち、平成9年9月1日からのフルページシステムへの段階的移行を経て、同年11月1日からフルページシステムへ全面的に移行することとなった。なお、その後、本件事件が発生したことなどから、実際にフルページシステムに全面的に移行したのは、平成10年7月1日からであった(甲2、5、7の1及び7の2、8、9、証人e、弁論の全趣旨)。

(4)  被告は、本件事件が発生したことから、平成10年2月25日付けで、「フルページシステム計画の総括」という文書を発表した。その中で、被告は、「総括」として、<1>「制作局次長(aのこと。以下(4)においては、同じ。)は、フルページシステム計画の制作局の要となって取り組んできた。勤務状態については、日曜祝祭日に出社することがたびたびあったが、深夜に及ぶ長時間勤務が連続することはなかった。しかし精神的な重圧があったのではないかと推察される。」、<2>「整理組み版を中心とするシステムの検証に比べ、広告システムが遅れていた。広告システムはオフラインで紙出しとの方針で検討していたが、制作局次長は職場体制をどうするかなどの問題を抱えていた。」、<3>「制作局次長は総括的な業務に専念すべきであったが、文字作成など実務をも担当せざるを得なかった。今後は総括的な業務と実務作業を明確にふり分けるなどの体制を明確にする必要がある。」及び<4>「各人がそれぞれの立場で努力していたが、部局を越えたここの悩みを共通のものとしてとらえ切れなかったとの反省がある。今後はさらに連携を密にすることによってお互いの立場を理解し、これまで以上に問題点を追求し、解決策に取り組まなければならない。」と述べ、また、「まとめ」として、「わが社は立ち遅れている電算化、耐用年数を迎える現有システム更新の必要性、さらに他紙の紙面攻勢などで、フルページシステムの構築は最重要課題として計画と取り組んできた。その計画を振り返るに当たってどこに問題点があったかについては各項目で洗い出した。わが社はこれまでCTSの経験がないことから、一気に整理組み版に移行することに不安がなかったわけではない。このため計画推進に際しては研修時間に配慮するとともにシステムの構築状況、カスタマイズ状況、研修の進捗状況などを点検しながら慎重に取り組んできたつもりである。しかし一部に構築の遅れ、それに伴う研修の遅れなどが段階的移行を前に、積み残しや未解決部分を抱えながら十分な対応がとれず、計画に無理があったとする指摘を謙虚に受け止め、反省しなければならない。フルページシステム計画の制作局の実質的な責任者だった制作局次長の急死については、業務と無縁だったとは考えられず、極めて重く受け止めている。計画推進に当たり局次長が抱えていた問題、悩みについて掌握し、解決のための適切な対応をとり得なかったことは残念である。このような事態を二度と起こさないためにも、中間管理職も含め個々人がどのような勤務状態、仕事内容であるかをメンタル面にも留意し、仕事が特定の人に偏ることがないよう精神的な負担を含め業務の適正な分担に配慮しなければならない。」と述べた(甲9、弁論の全趣旨)。

(5)  本件労災協定の一<9>には、「会社は労働者が業務上の負傷、疾病によってやむを得ず退職する場合は、規定の退職金の三倍(その金額が三〇〇万円に達しない場合は三〇〇万円)を支給し生活補償として平均賃金を三年間支払うものとする。」旨規定されている(甲10。以下「本件三倍規定」という。)。

(6)  被告は、平成9年8月4日、aの退職金として2297万円を支給した(甲17の1及び17の2、弁論の全趣旨)。また、被告は、原告に対し、特別弔慰金名目で1000万円を支払った(争いなし)。

(7)  原告、長男b、長女c及び二男dが遺産分割協議を行った結果、aの被告に対する慰謝料請求の全額を原告が相続することとなった(甲53の1ないし53の5)。

(8)  原告、長男b、長女c及び二男dは、平成13年5月16日、被告に対し、本件事件に伴う損害として1億1625万7300円(原告が7594万円並びに長男b、長女c及び二男dの3名が合計で4031万7300円の総合計1億1625万7300円。)の支払いを請求した(甲18の1、弁論の全趣旨)。

2  争点

(1)  被告は、債務不履行責任を負うか(被告の安全配慮義務違反)。

(原告の主張)

ア 過失を認める前提となる法規、契約

(ア) 労働安全衛生法(以下単に「法」という。)69条によると、事業者は、労働者に対し、健康教育その他健康保持増進に必要な措置の継続的、計画的な義務を有している。また、法13条及び労働安全衛生法施行令5条によると、50名以上の従業員のいる職場においては、産業医という健康管理などを行うのに必要な医学知識のある専門の医師を置くことが義務づけられている。

(イ) 法65条の3によると、事業者は、労働者の健康に配慮して、労働者の従事する作業を適切に管理するように努めなければならず、適正な労働条件及び業務の適正な配置配分を行うよう定められている。

(ウ) 被告は、aを雇用するに当たって、いわゆる労働契約を締結しており、その契約の内容は、労働者であるaに対して過酷な労働条件や業務配分は行わず、ましてや、うつ病に罹患させることのないように配慮すべき義務などを含んでいるものであると解される。

イ 被告の注意義務

前記アで述べた法及び労働契約の内容に照らせば、被告には、以下のような注意義務があったことは明らかである。

(ア) 被告には、aが長時間労働を行わないように、また、休日出勤を行わないように、さらに、労使の板挟みで過重な苦しみを受けないようにという適正な労働条件を調えるべき注意義務があつた。

(イ) 被告には、労働者が職務上のストレスその他によってうつ病に罹患することのないように、また、不幸にしてうつ病に罹患した場合には、その発症を早期に発見して、早期に治療を受けられるようにするという注意義務があった。具体的には、<1>メンタルヘルス対策を十分に取ること及び<2>産業医による健康相談を実施することという注意義務である。

ウ 過失の存在

(ア) 被告には、前記イ記載の注意義務があったにもかかわらず、aに長時間の勤務、休日返上での労働及び有給休暇を取らせていないなどの適正労働条件措置義務違反の過失があった。

(イ) また、フルページシステム導入といった被告にとって一大事業の取り組み計画を実施するに当たっては、当然のことながら、メンタルヘルス対策、産業医による相談は特に必要であったところ、被告においては、これらの措置を全く取らなかったという過失がある。即ち、少なくとも、多忙を極め、深夜勤務や休日出勤も行い、有給休暇もほとんど取れないでいる管理職の制作局次長であったaに対し、被告は、常に同人の健康に配慮し、特にうつ病に罹患しないように注意すべきであった。仮に、被告においてメンタルヘルスの対策が取られており、aが産業医に健康相談ができていたのであれば、aがうつ病に罹患していることを早期に発見することができ、aには治療を受ける機会があったのであり、その結果、aは、全快して職場に復帰し、本件事件には至らなかったと思われる。ところが、被告は、何らのメンタルヘルス対策も立てず、また、実施もせず、ただただフルページシステムの実現を急がせたことから、本件事件に至ったのである。

エ aのうつ病及び本件事件と業務の因果関係

(ア) うつ病とは、悲しみ、寂しさ、無力感、罪悪感及び絶望感などの落ち込んだ気持ちを主な症状とする精神障害ないし気分障害のことを指していうが、一生涯において10人に1人(男性の5パーセントから12パーセント、女性の10パーセントから20パーセント)は罹患するという極めて頻度の高い、普通の病気である。そして、うつ病に罹患して最も危険なことは、自殺に至ることである。うつ病患者の半数は死にたいと考える時期があり、このことを希死念慮という。また、うつ病は、中高年者の罹患率が高く、また、中高年者の自殺者も多い。さらに、うつ病に罹患しやすい人は、生真面目、几帳面、融通性に乏しい、仕事熱心あるいは責任感の強い人である。

このようなうつ病の治療方法は、大きく分けて<1>薬物療法、<2>心理療法及び<3>休養の3つである。薬物療法の場合、早ければ治療を開始して3か月程度で治癒する(ただし、最初に処方された薬が合わずに替えたりした場合、治癒に半年程度かかる人もいる。)。また、うつ病になった原因(ストレスの原因)を解明し、仕事量を減らしたり、過重労働を禁じたりするなどして職場(会社側、同僚)の理解と協力を得て、患者本人への思いやりといった心理療法と併せて十分な休養を与えることによって患者は必ず全快し、職場へ復帰することができるのである。そして、仕事や職場でのストレスが原因でうつ病に罹患した場合には、職場におけるメンタルヘルス対策(カウンセリングなど)及び産業医による相談所の開設が大切である。このことにより、問診や諸症状を総合して、医師によるうつ病の早期発見を行い、併せて早期治療を施すことで、自殺を予防できるのである。

なお、うつ病の予兆としては、<1>身体症状((ア)よく眠れない、睡眠が浅い、(イ)体重が減る、(ウ)食欲がない、(エ)体がだるい、(オ)疲れやすい、(カ)頭痛、(キ)疲れ目、めまい、(ク)首、肩こり、(ケ)息切れ及び(コ)胸痛、動悸など)と<2>精神症状((ア)集中力が落ちる、(イ)何もやる気がしない、(ウ)通勤などがおっくう、(エ)イライラ感、(オ)気分が重い、(カ)あせりを感じる、(キ)興味、関心の低下、(ク)悲哀感、(ケ)自分を責める及び(コ)自殺したいなど)とがある。

(イ) aは、本件事件当時中高年者であり、責任感が強く、仕事熱心であり、几帳面及びまじめな性格で、うつ病に罹患しやすい性格であったところ、被告から過重な労働を強いられ(aには、毎日、従来のシステムによって長崎新聞を発行するための制作局の仕事をこなす傍ら、新システムであるフルページシステムの導入に向けた諸々の作業や委員会への出席等の仕事が山積みしていた。)、家に仕事を持ち帰って4日間にわたって株式面作製のための上場会社名の文字作りを行った上(なお、原告もこの作業を手伝った。)、平成9年5月ころから死亡するまでの間休日も殆ど休まず出勤し(休日は、午前中を厚生年金会館でのトレーニングに当て、その後、出社し、夕方五、六時ころに帰宅するということを繰り返していた。)、仕事が深夜にまで及んで(aは、深夜1時ころに帰宅することも多かった。)フルページシステム完成のノルマを達成するために頑張っていたのに、本件事件当時の被告の常務取締役総務局長であったf(現在の被告代表者代表取締役。以下「f取締役」という。)と本件事件当時の本件労組執行委員長のg(以下「g委員長」という。)から強い叱責を受けた(g委員長は、平成9年7月20日ころ、フルページシステムへの一部移行があと2週間後ほどに迫り、職場がイライラして混乱していた中で、aに対し、「こうなったのはあなたの責任だ。」と机を叩きながら責めた。また、f取締役は、フルページシステムの段階的移行が1か月先送りになったことに関して、同月24日ころ、aを呼びつけて、「フルページ移行の1か月延期によって会社は大変な出費損になる、どうしてくれるのだ。」と強く責めた。)。以上のような状況の中で、aは、まず、平成8年の暮れ頃から、入浴中に何事か独り言を言い始め(その独り言は、平成9年6月から7月にかけて頻繁になった。)、平成9年5月ころから食欲不振となり、同年6月ころには睡眠が浅くなり、不眠を訴えていた上、風呂の中で大声で誰かを怒鳴りつけるような声を発し、さらに、被告を退職するから覚悟しておくようにと原告に対して述べ、その上、同年7月ころには、夜寝る際、海老のように曲がって寝るようになったり(aは、それまで、堂々と大の字に寝ていた。)、歯を磨くと嘔吐するようになっていた。そして、aは、本件事件の数か月前からは顔色も悪くなり、日に日に痩せていった。

以上の諸症状からすると、aはうつ病の予兆を十分に示していたのであり、aはうつ病であったか、あるいは、うつ病であった可能性が極めて高かったのである。そして、うつ病に罹患した人の半数以上の人が自殺したいと考えたことがあるということから、aも仕事に追いつめられ、被告と本件労組との板挟みにあって、ついには退職を決意したものの、aの責任感の強さや、几帳面さ及び仕事熱心さ故に、また、退職届を出しても受理してもらえない恐れがあることから、aは退職届を出すことができずにいた。こうして、aは、次第に追いつめられて行き、逃げ場を失い、希望も失い、ついに本件事件を引き起こしてしまったのである。

オ 以上のように、aは、被告の前記ウで述べた過失によってうつ病に罹患し、その結果本件事件を引き起こしてしまったのであり、被告は、aに対して債務不履行責任を負うものといえる。よって、被告は、原告に対し、損害賠償(慰謝料)を支払う義務を負う(主位的には、原告はaの慰謝料請求権を相続し、予備的には、後記争点(3)で述べるように、原告と被告との間には雇用関係に準じた法律関係が発生していることから、原告は原告固有の安全配慮義務違反による慰謝料請求権を有する。)。

(被告の主張)

ア フルページシステムヘの移行計画は、aに過重労働を強いるものではなかった。したがって、aに過重労働はなかった。

イ f取締役は、平成9年7月24日ころ、常務取締役として、総務局・企画室を担当していたところ、aは、h常務、さらに、制作局局長iの下で勤務しており、f取締役とは指揮命令系統が異なっていた。したがって、f取締役がaを叱責できる立場にはなかった上、f取締役がいた総務局は一五、六人の局員がいるところ、f取締役がそのような多数の面前でaを呼びつけて叱責するはずはない。以上から、f取締役がaを叱責したことはないといえる。また、仮に、f取締役が原告主張のようにaを叱責したとしても、その叱責は通常の叱責の範囲を著しく超え、特に強い心理的負荷となる類のものではなく、本件事件の引き金になるものではない。

ウ g委員長がaに対して強い叱責をしたということも証拠上明らかではない上、また、仮に、g委員長が原告主張のようにaを叱責したとしても、f取締役と同様に、その叱責は本件事件の引き金になるものではない。

エ 被告においては、休日には、管理職5人がローテーションを組んで出社するのであるから、誰かが出社しているときに更にaが重複して出社するということはない。したがって、aが、休日も殆ど休まず出勤するということはありえない。また、aが、休日出勤しながら届け出ていないということも手当の関係であり得ないと思われる。

オ aが仕事を家に持ち帰り、4日間文字作りを行ったとしても、これは被告が指示したものではなく、aが自ら好んで持ち帰ったものであり、更に本件事件より二、三か月前(上記持ち帰りは、平成9年4月か5月ころのようである。)で、しかもわずか4日間のことであり、これをもって自殺の原因になる過重な労働であったとはいえない。

カ 原告は、法を引用して、被告が産業医のいる相談所の設置を怠ったと主張するが、法13条は産業医の選任を求めてはいるが、原告主張のような産業医のいる相談所の設置を義務づけてはいない。なお、被告は、産業医として是真会病院を選任している。

(2)  被告は、不法行為責任を負うか。

(原告の主張)

前記(1)の(原告の主張)で述べた事実からすると、被告は、aに対して不法行為責任を負うものといえる。よって、被告は、原告に対し、損害賠償(慰謝料)を支払う義務を負う(主位的には、原告はaの慰謝料請求権を相続し、予備的には、原告は民法711条に基づいて原告固有の慰謝料請求権を有する。)。

(3)  原告と被告との間には、雇用関係に準じた法律関係が発生するか。

(原告の主張)

aは、被告での勤務時間内では処理できなかった仕事を自宅に持ち帰り、それを原告にも手伝わせていた。特に、フルページシステムへ移行するには、株式の株価を新聞に記載するための作業も仕事の一つであった。aは、株式会社名などを文字化する作業を自宅に持ち帰り、原告も4日間にわたり手伝ったりした。このため、原告は、1日に約8時間も被告のために上記仕事を手伝った。そうであれば、原告と被告との間には、直接の雇用関係はないけれども、被告は原告の手伝いによって業務上利益を得ているのであるから、原告と被告との間には雇用関係に準じた法律関係が発生したと考えることができる。以上のことから、原告は、被告に対し、安全配慮義務違反によるaの死亡に伴う原告固有の慰謝料請求権を有するものといえる。

(4)  過失相殺が認められるか。

(被告の主張)

仮に、被告に債務不履行責任あるいは不法行為責任が認められるとしても、原告側には以下の通りの事情があり、過失相殺あるいはその類推適用により7割の減額をすべきである。

ア 原告は、aに自殺の心配があったのに、被告に連絡することもなく、精神科医師に診察を受けさせ又は相談するなどの適当な処置も取らなかった。即ち、うつ病は、適当な治療で自殺を防げるものであり、治療を受ければ必ず治る病気である。そして、aがうつ病に罹患する前あるいは直後には、精神科の病院に行く、あるいは会社を休むなどの合理的な行動をとることを期待することも可能であったにもかかわらず、aはこのような行動を取っていなかった。また、原告は、平成○年○月○日、出社しようとしていたaに対し、自殺などしないようにという趣旨のことを言ったり、その夜、警察に自殺事件が起きていないかを問い合わせたりなどしていることからすると、原告は、強くaの自殺を恐れていたものといえるのである。

イ aは、日頃から以下のとおり心身共に健康で、被告はこのことを知っていたのであるから、原告からaの異常を教えられない限り、aの自殺を予知できなかったといえる。

(ア) aは、α会館のトレーニング室に週1回から2回、1回2時間程度通っていた。

(イ) aは、定期健康診断では、アルコールの量と機会を減らすようにとの指示を受けていた他には問題はなく、aからも、同診断の際、食欲不振や不眠など異常を示す申出はなかった。

(ウ) aは、長距離走及び遠泳などに積極的に参加し、今後も続けることを周囲に宣言していた。

(エ) aは、自殺の前日(平成○年○月○日)の夕方にもβのγホテルでサウナに入っており、むしろ外観は人並み以上に健康であった。

(オ) aは、平成9年5月末から同年7月末ころまで、休日もアスレチックに通っていたことからすると、本件事件の日もアスレチックに行ってサウナに入ったと想像される。このような、外観、行動から、周囲はaの自殺を全く予知できなかった。

ウ 自殺は、被害者が自分で意図して被害を招く行為である。したがって、あえて被害を招きながら全額の賠償を求めるのは公平に合しない。

エ aの置かれた状況において、誰もが自殺を選択するものとはいえず、本人の素因に基づく任意の選択であったという要素を否定できない。

(原告の主張)

aには、業務外で慢性疲労やうつ病に罹患するような原因は全くなかった。また、aの性格も本来明るくて頑張り屋であった上、通常の多くの人が有している性格の持ち主であった。したがって、本件において、過失相殺を主張するのは論外である。特に、被告は、aに過酷な労務を押しつけ、aが被告と本件労組との板挟みにあって苦しんでいるのを知っていたのであるから、被告こそ、原告に対し、aの体調が悪くないか、aが仕事のことで悩んでいないか、何かあったら被告に相談して欲しいと連絡すべきであった。また、aの性格は、上記のとおり特別変わった性格ではなく、通常の多くの人が有している性格であったのであるから、aの個性は、過失相殺の理由となるものではない。そして、被告としては、aの自殺を予知することが十分可能であったのである。以上の点から、被告の過失相殺の主張は認められない。

(5)  aに本件三倍規定の適用があるか。

(原告の主張)

ア 本件三倍規定は、業務上死亡したことにより被告を退職した場合を特別排除するものではない。なぜなら、本件労災協定自体において、業務上死亡して被告を退職した場合に、業務上の負傷、疾病で退職した場合と同等ないしそれ以上の保護を与えるという規定があれば、業務上死亡して被告を退職した場合には、本件三倍規定の適用はないといっても不自然ではないが、本件労災協定のどの規定を見ても、業務上死亡した場合について、業務上の負傷、疾病の場合と同等ないしそれ以上の保護を定めた規定はない。そうであれば、人の生命は負傷や疾病よりも重大であるから、少なくとも生命を失った場合には負傷や疾病よりもより保護されるべきは当然である。

イ また、aは、中間管理職であったから本件労組の組合員ではなかった。しかし、労働組合法17条の「一般的拘束力」の規定に基づき、また、被告の労使の労働慣習に基づき、労使間で締結されていた本件労災協定はaにも当然適用があるものといえる。

ウ 以上から、被告は、aの場合に本件三倍規定の適用を認め、3倍の退職金を支払うべきである。なお、aの3倍の退職金額は、6891万円(2297万円×3)となるが、前記争いのない事実等(6)のとおり、原告は、通常の退職金額2297万円を既に受領しているので、原告は、被告に対し、残金である4594万円の支払いを求める。

(被告の主張)

本件労災協定は、被告と本件労組との労働契約であり、組合員でないaには効力が及ばないものである。したがって、aは、本件労災協定に従って請求する権利はない。

(6)  被告が、aに本件三倍規定の適用を否定することは信義則違反か。

(原告の主張)

aは、被告と労働契約を結んだ上で労働に従事していたところ、非組合員になっても被告と本件労組との労働協約が非組合員にも適用されるという期待を抱いて働いていた。ところが、被告は、本件事件において、本件労災協定がaに対しては適用されないと主張する。このことは、aの上記期待権を裏切るものであり、かつ、信義誠実の原則にも反するものといえる。

(7)  慰謝料の額

(原告の主張)

ア 上記(1)及び(2)の各(原告の主張)で述べたように、aは、被告の過失行為によりうつ病に罹患し、本件事件を惹起した。aは、被告のために命をかけて懸命に働き、業務の過酷さから逃れるすべも見いだせないまま、妻や子を残して自ら死を選ばなければならなかったのであり、このaの無念さは誠に断腸の思いであったろうと察せられる。

以上のことを考慮すると、aの慰謝料としては、3000万円が相当であるといえる。

イ また、最愛の夫であるaにある日突然に先立たれた原告は、あまりのショックに打ちのめされ、時が経つにつれてその悲しみと嘆きは深まるばかりであった。aの死は業務に起因するものであることを認めて欲しいという原告の願いは被告から受け入れられず、逆に労働災害を主張する原告が被告から非難され、原告の苦悩は深まった。さらに、被告は、労働災害の申請に対して理解と協力をしなかった。以上のことを考慮すると、原告の固有の慰謝料としても、3000万円が相当である。

(8)  損益相殺

(被告の主張)

原告は、遺族補償年金を受給しており、本件事故後から本件口頭弁論終結時までの7年間の受給分を控除すると、その額は2610万0634円(372万8662円×7年間)となる。また、特別弔慰金として1000万円を受給している。この合計、3610万0634円を原告の損害から控除すべきである。そして、前記(4)(被告の主張)のとおり、過失相殺を行えば、仮に、aの逸失利益を54歳から60歳までを3164万3324円とし、また、61歳から67歳までを1440万1313円としてそれに慰謝料を3000万円を加算しても(したがって、損害の合計は、7604万4638円となる。)、追加支払いは以下のとおり必要ないこととなる。

7604万4638円×0.3-3610万0634円=-1328万7242円(1円未満切り捨て。)

(原告の主張)

原告は、被告から特別弔慰金として1000万円を受領したが、これを慰謝料の内入れ金と理解して、慰謝料額3000万円から1000万円を控除して、慰謝料として2000万円を請求しているのである。

第3争点に対する判断

1  争点(1)について

(1)  前記争いのない事実等並びに証拠(甲1、2、3、5、7の1及び7の2、8、9、11、19の1、23の5、24、32、38、40、41、45、47、48、乙1、6の1ないし6の17、7の1ないし7の13、10、12、15、16、証人g委員長、証人j、証人k、証人e、証人f取締役、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

ア 被告は、平成11年に新聞創刊110周年を迎えるに当たり、長崎新聞の発行部数を20万部にするという目標を立て、その一環としてフルページシステムの導入の計画を立てていた。特に、被告においては、他の新聞社と比べてコンピューターによる新聞の紙面作りということが遅れていたことから、フルページシステムは、被告が21世紀に生き残るための最重要課題であった。そこで、被告は、平成4年に経営大綱及び経営計画を策定する中で、平成9年までにフルページシステムに移行することを決めた。そして、被告は、平成6年12月にフルページシステムの導入検討委員会を設置し(編集局の局次長も委員であった。)、平成8年には、導入検討委員会を推進委員会と変えて作業を行い、同年3月には、同年7月からパイロットシステムを構築し、平成9年8月からフルページシステムに段階的に移行し、同年10月からフルページシステムに全面的に移行する計画を立てた。ただ、被告の社員であるeが、香川県の四国新聞に視察に行った際、同新聞社では、フルページシステムの一部移行から全部移行まで1年かけて行っていたことと比較すると、被告のフルページシステムへの移行計画は、当初から、少し無理な計画であったといえる。

イ aは、フルページシステムへの移行計画の制作局の要となっており(また、当時のi制作局長は、別の専門の部署から来たばかりであり、制作局の仕事自体もaが要となっていた。)、更に9つある分科会の内5つの分科会に所属し、その内、集配信・画像・入力校正及び画像広告の2つの分科会においては、主幹を勤めていた。また、aは、本件事件当時、被告の制作局次長兼制作部長でもあったことから、被告の制作局次長兼制作部長として通常の新聞発行作業を行う他にフルページシステムへの移行計画の作業を行わなければならなかった。なお、被告における制作局とは、編集部門の後の工程、即ち、新聞記者が取材してきた記事あるいは写真を紙面化する作業を行う部署であり、その中で、制作部は文章を入力する部である。

ウ 平成9年当時、被告の上司には制作局長のiがおり、更にその上司には常務取締役(制作担当)のhがいた。そして、もう1人の常務として、総務局長兼企画室長であるf取締役がいたが、f取締役とaとは、別の組織系統に属していた。

エ フルページシステムヘの移行計画はスタートしたが、フルページシステムへの移行計画には日程上無理があったことから、組み版ワークステーション(CWS)の研修が間に合わないという問題が生じたり、運用テストや移行リハーサルも十分に行えず、さらに、機械(A2スキャナー)の不具合が生じるなどの問題が発生した。このようなことからフルページシステムへの当初の移行計画の実現は徐々に困難となっていった。その中で、労使の代表で構成されるフルページ検証委員会の第1回会合が平成9年7月11日ころ開催され、組合側からフルページシステムへの移行計画の問題点が指摘されるなどした。そこで、平成9年7月22日ころの局長会においてフルページシステムへの移行計画の1か月延期が決められ、同月24日に開催された第2回フルページ検証委員会でフルページシステムへの移行計画の1か月延期が発表された。

オ aは、管理職であり、一般社員と同じようなタイムレコーダーや出勤簿はなかった。ただ、部長以上の社員については、主に夜勤をした場合や休日出勤した場合にその手当を申告するための手当申請書(以下「申請書」という。)があった。申請書は、自ら作成して提出するものであり、被告においては、申請書のみが部長以上の社員の休日出勤を証明するものであった。aが勤務していた制作部の通常の勤務時間体制は、<1>午前10時から午後6時、<2>午後4時から午後12時及び<3>午後6時から翌日の午前1時までの3体制であるが、管理職の通常の勤務時間は、午前10時から午後6時までとなっている。しかし、管理職の場合、その他に、部長、局次長の管理職5人が交替で勤める当番担当日(日曜日に当たることもある。)が月7回前後あり、その時の勤務時間は、午後1時ころから(ただし、始業時間は正確に決まっているものではない。)原則として翌日の午前1時までである。そして、申請書によると、aの深夜及び休日出勤の状況は、別紙深夜及び休日出勤一覧表のとおりとなる。申請書を前提とする限り、aの、平成8年8月から平成9年7月までの深夜及び休日出勤の状況は、夜間出勤(午前0時あるいはそれ以降まで勤務した日)の回数が月平均7.5回であり、また、休日出勤の回数が月平均1.3回であり、他の管理職の者と比較して特に多いとまではいえない(平成8年8月から平成9年7月までの深夜及び休日出勤の状況は、l制作部長にあっては、夜間出勤が月平均7.3回であり、休日出勤が月平均1.4回であり、また、m製版部長にあっては、夜間出勤が月平均6.7回であり、休日出勤が月平均0.7回であった。)。しかし、aは、申請書の内容とは異なり、実際は、フルページシステムの責任者として、平成9年5月ころから本件事件発生日までほとんど休日出勤を続けていた。

カ aは、昭和○年○月○日生まれで、本件事件当時54歳であった。また、aは、まじめで責任感が強く、几帳面であった上、仕事熱心で物事を途中で投げ出すことが嫌いな性格であった。このような性格のaが、フルページシステムへの移行計画が進行していく中で、中間管理職として本件労組と被告との間で板挟みになり、徐々に精神的に追いつめられていった。具体的な本件事件前8か月間のaの状況は以下のとおりである。

(ア) aは、平成8年11月ころ、夕食後、急に原告に対して被告を退社するかもしれないと話した。原告は、フルページシステムへの移行計画が開始されてから、aが、計画が予定どおりに進まず、仕事が大変つらいなどと原告に対して話していたことから、aのことを思い、被告を退職して良いと返事をしていた。

(イ) aは、平成8年の暮れころから、入浴中に独り言を言うようになった。入浴中に独り言を言わない日もあったが、独り言はその後も続き、平成9年6月末から同年7月にかけて頻繁に言うようになった。そして、本件事件直前のころには、毎日のように入浴中に独り言を言うようになった。

(ウ) 原告の従兄弟であるjは、aらと家族ぐるみの交際をしていたが、平成9年4月ころa宅を訪れた際、aは、jに対し、<1>aは、フルページシステムに関し、部下に対して上司として研修を強く要求しなければならない立場にある上、コンピューター化が進むと余剰人員が生じることとなり、その余剰となる先輩、同輩及び後輩に対して配置転換を伝えなければならない立場でもある、<2>aが、フルページシステムへの移行計画に関し、職場において、被告の役員側の方針を話せば、職場仲間からは冷たいまなざしが返ってくる上、逆に職場の状況を被告の役員側に話せば、更に強く指導するように言われるが、この部下と上司との対立状況を打破するには、時間をかけなければならないところ、被告はフルページシステムへの移行時期の延長を認めないというようなことを話した。この日、jは、aが普段と違い暗い感じであるという印象を持った。

(エ) 前記オで述べたように、平成9年5月ころから、aは、休日もほとんど休まず出勤していた。aは、休日の日の午前中は、被告の近くにあるアスレチックジムに通い、午後は、夕方の5時か6時ころまで被告で仕事をしていた。

また、aは、同月ころ、獣医師として山口県職員に採用された二男dに対し、仕事は死ぬほどつらいものだよと話していた上、原告に対し、元気が出ない、精神的にきついと話していた。さらに、aは、同月ころから、食欲がなくなり、食事を食べ残すようになった。

(オ) aは、平成9年5月末ころ、勤務時間では時間がないと言って、株式面を文字化する作業を家に持って帰ってきた。この作業は、一文字一文字をコード番号から探していくという作業であり、原告は、aのことを思い、4日間、ほぼ原告が1人で上記作業を行い、文字化の作業を完成させた。原告は、aに対し、上記文字化の作業は、局次長の仕事ではない旨話したところ、aは、他の人は研修で手一杯であると話していた。

(カ) aは、平成9年6月ころ、体力も気力も衰えて、夜は眠れず、朝は早く目覚めるようになった。そして、aは、原告に対し、本当に退職するから覚悟しておくようにと話した。また、aは、10年間程度参加していた毎年8月に開かれるマラソンへの参加も取りやめた。

(キ) aは、平成9年7月、フルページシステムの研修中なのに機械に不具合が発生し、研修の予定が狂ってしまったと言って悩んでいた。また、前記エで述べたように、被告は、同月24日にフルページシステムへの移行計画を1か月延期することを発表したが、aにとっては、フルページシステムへの移行計画が1か月延期されたとしても、それだけでは現在の問題が解決できるとは考えられなかった。さらに、aは、原告に対し、フルページシステムへの移行計画が1か月延期されたことで被告に損害が発生する、その損害をどうしてくれるのかと被告の役員から責められたとも話しており、このことに関して、aは、被告に発生した損害をaの退職金で補いたいとも話していた。その上、aは、このころには、朝歯を磨くときに嘔吐するようになっていた。そして、原告は、同月くらいから、aが自殺するのではないかと心配するようになった。

(ク) jは、本件事件の4日前に、原告から、aが夜中にうなされる、aに対し、被告を辞めてくれと言っても、被告を辞めると言ってくれない、aのことが心配なので力を貸して欲しいという趣旨の電話を受けた(なお、上記aの状況については、jがa宅に着いた後に原告から聞いたかもしれない。)。jは、原告の電話の内容がいつもと違うことから、直ぐにa宅に行った。jが、aと会うと、aは、髪がぼさぼさで、頬はこけ、背は丸くなり、急に年をとった感じであった。また、原告は、落ち着きがなく、おろおろしていた。jは、これ以上aに仕事を頑張らせてはいけないと思い、被告を退社することを勧めた。しかし、aは、a自身も被告を辞めた方が良いと考えているが、aが被告に対して退社を申し出ても、被告側はフルページシステムへの移行計画が実現するまではaの退社を認めないし、仮にaが被告を退社すれば、aの代わりの者が苦しむので辞めることはできないと話した。そこで、jは、仮病を使って休暇願を出すように勧めたが、これに対し、aは、そのような卑怯な方法はできないと述べた。

(ケ) aは、平成9年○月○日(土曜日)午後10時ころ、突然原告を誘って飲みに出かけた。

(コ) aは、平成9年○月○日(日曜日)午前10時30分ころ、いつものように休日出勤した。原告は、aに対し、なぜ出勤するのか尋ねた上、aが自殺しないように、子供たちがいるからね、結婚を控えているからねと述べた。

ところが、その夜、aは帰宅しなかった。原告は、不安になり、翌○日午前2時ころ、何か事件がないか警察に電話で尋ねた。しかし、何も事件はなかった。また、原告は、同日午前4時ころにも何か事件がないか警察に電話で尋ねた。この時も、何も事件はなかった。その後、同日午前8時30分ころ、稲佐署から原告に電話があり、原告は、本件事件を知らされた。

(サ) 平成9年当時に被告の広告局で広告第一部長をしていたnは、平成○年○月○日午後7時ころ、長崎県西彼杵郡β所在のγホテルのサウナ室でaと逢った。aは、その際、上記nに対し、「きつかっさね、広告とか」と話し、別れ際に「けじめばつくうと、思うとっとさね」と言って先にサウナ室を出て行った。

キ ところで、うつ病とは、抑うつ、制止等の症状からなる情動的精神障害であり、うつ状態は、主観面では気分の抑うつ、意欲低下等を、客観面ではうち沈んだ表情、自律神経症状等を特徴とする状態像である。そして、うつ病に罹患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く(希死念慮)、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。長期の慢性的疲労、睡眠不足、いわゆるストレス等によって、抑うつ状態が生じ、反応性うつ病に罹患することがあるのは、神経医学界において広く知られている。

もっとも、うつ病の発症には患者の有する内因と患者を取り巻く状況が相互に作用するということも、広く知られつつある。また、仕事熱心、凝り性、強い義務感等の傾向を有し、いわゆる執着気質とされる者は、うつ病親和性があるとされる。さらに、過度の心身の疲労状況の後に発症するうつ病の類型について、男性患者にあっては、病前性格として、まじめで、責任感が強すぎ、負けず嫌いであるが、感情を表さないで対人関係において敏感であることが多く、仕事の面においては内的にも外的にも能力を超えた目標を設定する傾向があるとされる(最高裁平成10年(オ)第217号、第218号平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。そして、アメリカでは、男性の10人に1人、女性の5人に1人が一生に一度はうつ病に罹患するというデータがあり、日本でも人口の5パーセントはうつ病の患者であると言われている上、患者数は増加傾向にある。また、中間管理職の場合、上司と部下との板挟みでうつ病に罹患することもある(サンドイッチ症候群あるいはマネージャー・シンドローム)。このようなうつ病の治療の中心は、薬物療法と心理療法及び休養であり、うつ病は、治療を受ければ必ず治る病気であり、適切な治療を早期に行えば、一般的に6か月ないし1年で回復していくと言われている。

(2)  以上の事実が認められるところ、原告は、g委員長及びf取締役がaを叱責した旨主張するが、この点について、確かに、前記(1)の認定事実からすると、本件労組あるいは被告の役員がフルページシステム計画遂行に関して、aを責めるような状況にあったとはいえる。しかし、g委員長及びf取締役は、それぞれ証人尋問において、aを責めた事実を否定する証言を行っているところ、g委員長がaを責めたという平成9年7月20日ころに制作部の会議が開かれていたのか(証拠(乙13、証人g委員長)によると、平成9年7月15日に広告部会が開かれ、同月23日には職場集会が開かれたが、同月20日には会議は開かれていない。)疑問が生じる上、f取締役は、会社の組織上(指揮系列上)aを責めることのできる立場にあったのかについても疑問があること、さらに、本件全証拠によっても、g委員長及びf取締役がaを責めた場面を目撃していた者の証拠がないことからすると、aと本件労組の誰かあるいは被告の役員の誰かとの間で激しい口論等があった可能性は否定できないとしても、そうであるからといって、g委員長及びf取締役という特定の個人がaを叱責したということまで認めることはできない。

他方、被告は、aが日曜日毎に出勤していなかった旨主張し、申請書を証拠として提出する。しかし、申請書は、管理職の者が手当を申告するために提出するものであり、休日出勤した際には必ずそのことを申請書に記載するとまでは断定できない。特に、aの場合、休日出勤の多くは、通常の新聞発行作業のために出勤したのではなく、フルページシステムへの移行作業のために出勤していたと思われることからすると、休日出勤したにもかかわらず、そのことを申請書に記載しないということも十分に考えられるところである。したがって、申請書の記載内容から、aが平成9年5月ころからほとんど休日出勤を続けていたということを否定することはできない。また、g委員長は、証人尋問において、aに病気や疲労感があれば、aは休暇を取ることができた旨証言する。しかし、被告にとってフルページシステムは、被告が21世紀に生き残るための最重要課題であったところ、フルページシステムへの当初の移行計画の実現は徐々に困難となっていったのであり、そのような中で、被告自身の雰囲気として、フルページシステムへの移行計画において制作局の要であったaが休暇を取りにくい状態であったことは容易に想像ができるところであり、また、まじめで責任感が強く、几帳面であった上、仕事熱心で物事を途中で投げ出すのことが嫌いな性格であったaの性格からも疲労感があるというだけでは休暇を取れなかったと考えられる。したがって、aが容易に休暇を取ることができたというg委員長の証言も直ちに信用できない。

(3)  aのうつ病の罹患

前記(1)の認定事実からすると、aは、まじめで仕事熱心な性格であったことから、うつ病親和性があったといえるところ、aは、通常の新聞発行作業を制作部の要として行っていた他、フルページシステムへの移行作業に関しても制作部の要として関与するようになったことで、平成8年暮れころからは慢性的に疲労がたまるようになり、その上、平成9年5月ころからは休日も休まず出勤することでストレスがたまっていた上、同年6月ころからは睡眠不足となり、同年7月には原告もaが自殺するのではないかと考えるような状態になっていったのである。以上のようなaの状態からすると、aは、遅くとも同年7月にはうつ病に罹患していたといえる。

(4)  aの自殺とうつ病との因果関係

前記(1)の認定事実からすると、aは、うつ病に罹患していたところ、平成9年7月には、フルページシステムの研修中であるのに、機械の故障が生じ、研修の予定が狂った上、同月24日には、フルページシステムへの移行計画が1か月延期されたが、aにとって、それだけではフルページシステムの問題が解決できないと思えたのに、さらに、フルページシステムへの移行が1か月延期されたことで被告に損害が生じると被告の役員から責められたと感じ、うつ病が悪化していき、希死念慮に捉えられ、本件事件を引き起こしたと考えられる。

以上からすると、本件事件は業務起因性(aの業務とうつ病との因果関係及びaのうつ病とaの自殺との因果関係)が認められる。

(5)  被告の安全配慮義務違反の有無

ア 使用者は、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務(安全配慮義務)を負っている(最高裁昭和58年(オ)第152号昭和59年4月10日第三小法廷判決・民集38巻6号557頁)。事業者の場合については、法が、「事業者は、単に法律で定める労働災害の防止のための最低基準を守るだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するようにしなければならない。」と定め(法3条1項)、その具体的措置として、第1に、事業者に安全衛生管理体制をとることを義務付け(法第3章)、第2に、事業者に労働者の危険又は健康障害を防止する義務を定め(法第4章)、第3に、事業者に労働者の就業に当たって安全衛生教育などを行うことを義務づけ(法第6章)、第4に、事業者に健康の保持増進のための措置をとることを義務づけ(法第7章)ているのみならず、第7章の2において、事業者は快適な職場環境を形成するように努力しなければならないこと定めていることからすると、安全配慮義務の具体的内容としては、事業者には労働環境を改善し、あるいは、労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面又は精神面への影響にも十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務があるものと解される。そして、上記措置は、事業の規模、種類及び内容並びに作業態様等により異なるものであるから、上記諸事情を考慮した上で個別に判断すべきである。

イ 本件の場合、aは、フルページシステムへの移行計画が実施されたことにより、被告の制作局次長兼制作部長として通常の新聞発行作業を行う他にフルページシステムへの移行計画の作業を行わなければならなくなった(日常の業務以上の労務を長期にわたって行わなければならなくなった。)上、aは、制作局の仕事の要であると同時にフルページシステムへの移行計画の制作局の要であったのであるから、被告としては、aが上記労働に従事することによって受ける心理面又は精神面への影響を配慮して、適切な処理をすべきであった。しかも、aは、中間管理職として、労使の板挟みになり得る地位にいたのであるから、その点についても、被告としては十分に配慮すべきであった。そして、被告が、aの置かれた状況を配慮し、適切な処理を行っていれば、aのうつ病を早期に発見することができ、本件事件を防ぐことができた可能性が極めて高いといえる。ところが、被告は、上記配慮を一切せず、aがうつ病に罹患したことも把握できずにいたのであり、その結果、本件事件が引き起こされてしまったのである。したがって、被告には、安全配慮義務違反があったことは明らかである。よって、被告は、aに対して債務不履行責任を負う(なお、被告は、後記3のとおり、原告に対して債務不履行責任を負わない。)。

2  争点(2)について

(1)  本件の場合、前記1(3)及び(4)で認定したとおり、不法行為との関係でも、本件事件の業務起因性(aがaの業務によりうつ病に罹患したこと及びaのうつ病のうつ状態が更に悪化して、aが自殺したこと。)が認められる。

(2)  ところで、労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険のあることは、周知のところである。労働基準法は、労働時間に関する制限を定め、法65条の3は、作業の内容等を特に限定することなく、法所定の事業者は労働者の健康に配慮して労働者の従事する作業を適切に管理するように努めるべき旨を定めているが、これは、上記のような危険が発生するのを防止することをも目的とするものと解される。これらのことからすれば、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の上記注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである(最高裁平成10年(オ)第217号、第218号平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。

(3)  本件の場合、前記1(5)イで述べたとおり、被告が、aの置かれた状況を配慮し、適切な処理を行っていれば、aのうつ病を早期に発見することができ、本件事件を防ぐことができた可能性が極めて高かったのに、上記配慮を一切せず、aがうつ病に罹患したことも把握できずにいたことから本件事件が引き起こされてしまったのであり、被告には過失があったことは明らかである。よって、被告は、本件事件について不法行為責任を負う。

3  争点(3)について

雇主と雇用契約ないしこれに準ずる法律関係にない者が、雇用契約ないしこれに準ずる法律関係上の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得するものとは解しがたい(最高裁昭和51年(オ)第1089号昭和55年12月18日第一小法廷判決・民集34巻7号888頁参照)。本件の場合、確かに、前記1(1)カ(オ)のとおり、原告は、自宅において、4日間、株式面を文字化する作業を行い、文字化の作業を完成させた。しかし、このことから、直ちに、原告と被告との間に雇用契約あるいはこれに準ずる法律関係が生じたとはいえず、他に、原告と被告間に雇用契約あるいはこれに準ずる法律関係が生じたと認めるに足りる証拠がない以上、原告が被告に対し、安全配慮義務違反によるaの死亡に伴う原告固有の慰謝料請求権を有することになるものとはいえない。

4  争点(4)について

(1)  身体に対する加害行為を原因とする被害者の損害賠償請求において、裁判所は、加害者の賠償すべき額を決定するに当たり、損害を公平に分担させるという損害賠償法の理念に照らし、民法722条2項の過失相殺の規定を類推適用して、損害の発生又は拡大に寄与した被害者の性格等の心因的要因を一定の限度で斟酌することができる(最高裁昭和59年(オ)第33号昭和63年4月21日第一小法廷判決・民集42巻4号243頁参照)。この趣旨は、労働者の業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求においても、基本的に同様に解すべきである。しかしながら、企業等に雇用される労働者の性格が多様のものであることはいうまでもないところ、ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない限り、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等が業務の過重負担に起因して当該労働者に生じた損害の発生又は拡大に寄与したとしても、そのような事態は使用者として予想すべきものということができる。しかも、使用者又はこれに代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う者は、各労働者がその従事すべき業務に適するか否かを判断して、その配置先、遂行すべき業務の内容等を定めるのであり、その際に、各労働者の性格をも考慮することができるのである。したがって、労働者の性格が上記の範囲を外れるものでない場合には、裁判所は、業務の負担が過重であることを原因とする損害賠償請求において使用者の賠償すべき額を決定するに当たり、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を、心因的要因として斟酌することはできないというべきである(最高裁平成10年(オ)第217号、第218号平成12年3月24日第二小法廷判決・民集54巻3号1155頁参照)。

(2)  本件の場合、第1に、aは、まじめで責任感が強く、几帳面であった上、仕事熱心で物事を途中で投げ出すことが嫌いな性格であったことから、aにはうつ病親和性があったといえるが、これは通常の性格傾向の一種といえるものであり、このことを理由として損害賠償の減額事由とすることはできない。第2に、a自身が病院へ行かなかったことに関しても、aの上記性格から、aは勤務を休んで病院へ行けなかったと考えるのが合理的であり、そうであれば、上記のとおりaの上記性格は通常の性格傾向の一種であるといえるのであり、結局、a自身が病院へ行かなかったことも、aの過失と見ることはできない。第3に、本件全証拠によっても、aに、業務外の事由において(それは原告側の家庭の事情も含めて。)うつ病を発生させる原因があったとは認められず、原告側の家庭状況がaのうつ病発生の原因とはいえず、原告側の家庭状況による過失相殺は考えられない。第4に、原告は、aの心理的負荷等が過度に蓄積していることを少なくとも平成9年5月ころから認識しており、平成9年7月には、aが自殺するのではないかと心配するようになっていたとしても、aの上記性格からすると、原告がaに休暇を取らせるように期待することは困難であり、また、被告は、従業員であるaの労働時間や労働状況に配慮し、aの心理面及び精神面への影響を留意する義務があるところ、aは、フルページシステムへの移行計画の実施後は、通常の業務以外にフルページシステムへの移行業務にも参加しており、労働時間や労働条件が変わったのであるから、被告側がaの労働時間や労働条件が過重にならないように配慮し、aの精神面も含めた健康状態に配慮すべきであったのであり、そのような配慮をしていない以上、被告がaのうつ病への罹患及び自殺を予見することはできなかったとして過失相殺を主張することは許されない。第5に、aは自殺によって自らの生命を断ったが、うつ病に罹患した者は健康な者と比較して自殺を図ることが多い(希死念慮)ことに加え、aの場合、フルページシステムへの移行計画に関して労使双方の板挟みに合い、フルページシステムへの移行計画も思うとおりに進まず、うつ病が悪化していく中で自殺という選択をした(aが自殺した際、aにとっては、自殺することしか選択肢がなかったともいえるのである。)のであり、このような事情からすると、被告に損害の全額の賠償を求めるのが公平に合しないともいえず、また、本件事件がaの素因に基づく任意の選択とまでもいえない。以上からすると、本件において、過失相殺の類推適用は認められない。

5  争点(5)について

(1)  労働協約は、締結当事者である労働組合の組合員に対してのみ効力を生じ、組合員以外の社員には効力が生じないのが原則である。しかし、その例外が一般的拘束力であり、労働組合法は、事業場単位の一般的拘束力(同法17条)と地域的な一般的拘束力(同法18条)の二つを規定している。前者は、一つの工場事業場に常時使用される同種の労働者の4分の3以上の数の労働者が一つの労働協約の適用を受けるに至ったときは、当該工場事業場に使用される他の同種の労働者に関しても、当該労働協約が適用されるとするものである。そこで、非組合員であるaについて事業場単位の一般的拘束力の適用があるのかが問題となる。そして、上記のような事業場単位の一般的効力が適用されるには、aが同種の労働者に該当することが必要となるが、非組合員である管理監督者(労働組合法2条ただし書1号)は、労働組合法上労働協約の適用を予定されていない者であり、同種の労働者に該当しないものと解される。この点、aは、被告の制作局次長兼制作部長であることからすると、aが労働組合法2条ただし書1号が例示する「役員、人事権を有する監督的労働者、労働関係についての機密に接する監督的労働者、その他使用者の利益を代表する者」に該当しないとまでは言い切れず、aに本件労災協定が適用されるとまでは認められない。

(2)  また、仮に、aに本件労災協定が適用されるとしても、本件三倍規定は、業務上の負傷、疾病によってやむを得ず退職する場合の規定であり、死亡の場合は、本件労災協定の一<7>が「会社は労働者が業務上死亡した場合は既定の補償のほかに最低壱千万円の補償金の支給と遺族の生活保障をする。」と規定しているのであり、この規定によるべきである。したがって、業務上死亡したaの場合には、本件三倍規定は適用されないといえる。

6  争点(6)について

仮に、aが、非組合員になっても本件労災協定が自己に適用されると期待していたとしても、そのような期待は特に法的に保護するに値せず(もし、このような期待を保護するのであれば、労働組合法が一般的拘束力を一定の限度で認めた趣旨の意味がなくなる。)、aに本件三倍規定を適用しないことが信義誠実の原則に反するとまでもいえない。

7  争点(7)について

(1)  aの慰謝料の額について(不法行為に基づく請求及び安全配慮義務違反に基づく請求の場合)

aは、被告のために一生懸命稼働していたにもかかわらず、被告が本件事件を防ぐための措置をとらず、そのため、本件事件が引き起こされたことからすると、aの慰謝料額は、3000万円とするのが相当である。

(2)  原告固有の慰謝料の額について(不法行為に基づく請求の場合)

本件の場合、a個人の慰謝料請求(主位的請求)が認められる以上、原告固有の慰謝料(予備的請求)の額については、判断しない。

8  争点(8)について

(1)  被告は、原告が遺族補償年金を受給していることから、これを慰謝料から控除すべきである旨主張する。確かに、労働者災害補償保険法附則64条1項は、労働者の遺族が遺族補償年金を受けるべき場合であって、同一の事由について、事業主から民法その他の法律による損害賠償を受けることができる場合の当該損害賠償と保険給付との間の調整措置を定めているが、ここに同一の事由とは、労働災害が同一でなければならないことはもちろんであるが、賠償や補償の対象である損害の種類の同一性も要求されるところ、慰謝料は、労働者の稼得能力の回復・填補を趣旨とする労災保険給付による填補の対象とはなっていないのであるから、上記調整の対象となることはない。したがって、原告が遺族補償年金を受給しているとしても、そのことが慰謝料額に影響を及ぼすものではない。

(2)  特別弔慰金1000万円が慰謝料から控除されることは、当事者間に争いがないので、この額は、慰謝料額3000万円から控除されるものである。したがって、慰謝料額は、2000万円となる。

9  結論

よって、原告の請求は、安全配慮義務違反に基づいて(原告は、主位的請求及び予備的請求のいずれにおいても安全配慮義務違反と不法行為とを選択的に請求しているところ、本件においては、主位的請求として安全配慮義務違反及び不法行為のいずれも認められることから、裁判所は、特別な社会的接触の関係に入ったaと被告との法律関係の問題として、主位的請求の内の安全配慮義務違反を選択する。)2000万円及びこれに対する原告が被告に対して慰謝料請求等を行った日の翌日である平成13年5月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判官 伊東譲二)

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