長崎地方裁判所 平成15年(行ウ)4号 判決 2008年6月23日
主文
1 被告Y1が,別紙2「被処分者」欄記載の各人に対して同別紙「処分年月日」欄記載の各年月日にした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく認定申請の却下処分をいずれも取り消す。
2 X7,X14,X15,X22,X25,X31,X49承継人X34,X35,X36の各請求及び別紙2「原告」欄記載の各原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,別紙訴訟費用目録の「原告」欄記載の原告又は原告らと「被告」欄記載の被告との間の訴訟費用は,それぞれ同目録「負担割合」欄記載のとおりの負担とする。
事実及び理由
第1請求
請求の趣旨
(1) 被告厚生労働大臣が別紙3<省略>処分目録「被処分者」欄記載の各人に対してした同別紙<省略>「処分年月日」欄記載の各年月日にした原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律11条1項に基づく認定申請の却下処分をいずれも取り消す。
(2) 被告国は,別紙3<省略>処分目録「原告」欄記載の原告らに対し,同目録「損害金」欄記載の金額及びこれに対する同目録「遅延損害金起算日」欄記載の日(訴状送達の日の翌日)から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。
(3) 訴訟費用は被告らの負担とする。
2 請求の趣旨に対する被告らの答弁
(1) 原告らの請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。
(3) 仮に仮執行宣言を付する場合は
ア 担保を条件とする仮執行免脱宣言
イ その執行開始時期を判決が被告国に送達された後14日経過した時とすることを求める。
第2事案の概要,法令の定め,前提事実
1 事案の概要
本件は,原告らが,被告厚生労働大臣(あるいは旧厚生大臣・以下,便宜上「被告厚生労働大臣」という。)に対し,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)11条1項の被告原生労働大臣の認定を申請したところ,いずれもその申請が却下されたことから,その取消しと損害賠償を求めている事案である。
2 法令の定め
(1) 原子爆弾被爆者の援護に関する法制の推移
ア 被爆者援護法の制定まで
原子爆弾被爆者は,被爆後も生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中で生活することを余儀なくされてきた。このような被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的として,昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「原爆医療法」という。)が制定された。同法は,都道府県知事が,被爆者に対し,毎年健康診断を行うものとし(同法4条),健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対して必要な指導を行うものとしていた(同法6条)。
また,原爆医療法は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,あるいはその者の治ゆ能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行うものとし(同法7条1項),上記医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生大臣の認定(以下,被爆者援護法11条1項の認定も併せて「原爆症認定」という。)を受けなければならない旨規定していた(原爆医療法8条1項)。
その後,昭和35年法律第136号による改正により,原爆症認定を受けた被爆者を支給の対象とする医療手当が創設されるとともに(同改正後の原爆医療法14条の8),被爆者のうち爆心地から2キロメート以内において被爆したもの等を「特別被爆者」とする制度が創設され,特別被爆者の一般疾病の医療費について健康保険等の自己負担分を国が支給することとし,特別被爆者は自己負担なしで医療を受けることができることとなった。
さらに,昭和43年,原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年法律第53号。以下「特別措置法」という。)が制定され,原爆症認定を受けた者で一定の要件に該当する者について,特別手当(同法2条1項)や医療手当を支給すること(同法7条)が定められた。その後,昭和49年法律第86号による改正により,原爆症認定を受けた被爆者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態でなくなったものを支給の対象とする特別手当が創設され(同改正後の被爆者特別措置法2条),さらに,昭和56年法律第70号による改正により,原爆医療法に基づく医療手当と被爆者特別措置法に基づく特別手当を統合した医療特別手当が創設され,原爆症認定を受けた被爆者であって当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものは,医療特別手当の支給を受けることができることとされた(同改正後の被爆者特別措置法2条)。
イ 被爆者援護法の制定
平成6年に,原爆医療法と被爆者特別措置法(以下「旧原爆2法」という。)を一元化するものとして,被爆者援護法が制定され,同法は平成7年7月1日に施行され,旧原爆2法は廃止された。
被爆者援護法は,その前文で,原子爆弾という比類のない破壊兵器が,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらしたこと,核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するためにこの法律を制定することなどを宣言している。
(2) 被爆者援護法の内容
ア 被爆者援護法における「被爆者」
被爆者援護法における「被爆者」とは,次のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けた者をいう(同法1条)。
(ア) 原子爆弾が投下された際,当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者(同条1号。直接被爆者)。
(イ) 原子爆弾投下時には被爆者援護法1条1号に定める区域内にはいなかったが,原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内(長崎市に投下された原子爆弾については昭和20年8月23日まで。同法施行令1条2項)に,前号で規定する区域のうちで政令で定める区域内(おおむね爆心地から2キロメートル以内の区域。同法施行令1条3項参照)に在った者(同法1条2号。入市被爆者)。
(ウ) 同条1号,2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者(同条3号。以下「救護被爆者」という。)。
(エ) 同条1ないし3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者(同条4号。以下「胎児被爆者」という)。
イ 被爆者健康手帳の交付
被爆者健康手帳は,その交付を受けようとする者の申請に基づいて,居住地の都道府県知事(広島市,長崎市にあっては市長。以下同じ。)の審査を経て,上記アの(ア)ないし(エ)のいずれかに該当すると認められたときに交付される(同法2条)。
ウ 被爆者に対する援護の内容
被爆者は,同法に基づいて,一定の要件を満たす必要のあるものもあるが,毎年の健康診断の受診(同法7条),一般疾病医療費の支給(同法18条),保健手当の支給(ただし,原子爆弾が投下された際爆心地から2キロメートルの区域内に在った者等に限られる。同法28条),健康管理手当の支給(同法27条),医療の給付(ただし,原爆症の認定を受けた者に限られる。同法10条1項),医療特別手当ないし特別手当の支給(ただし,原爆症の認定を受けた者に限られる。同法24条,25条),原子爆弾小頭症手当の支給(同法26条1項>,介護予当の支給(同法31条)等の援護を受けることができる。このうち,医療の給付(同法10条1項)及び医療特別手当ないし特別手当(同法24条,25条)の支給を受けるためには次項の要件を満たす必要がある。本件で問題となるのは,その要件充足性である。
エ 医療の給付,医療特別手当ないし特別手当の支給
被爆者援護法は,次のような規定をおき,被告厚生労働大臣の認定(同法11条)を受けた被爆者に対する医療の給付(同法10条)及び医療特別手当ないし特別手当の支給(同法24条,25条)をすることとしている。なお,医療特別手当及び特別手当の支給額は,政令の定めるところにより,物価スライド措置がとられているところ(同法29条),平成18年4月以降の医療特別手当額は月額13万7430円,特別手当は月額5万0750円である。
(医療の給付)
第10条原生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。
2 前項に規定する医療の給付の範囲は,次のとおりとする。
[1] 診察
[2] 薬剤又は治療材料の支給
[3] 医学的処置,手術及びその他の治療並びに施術
[4] 居宅における療養上の管理及びその療養に伴う世話その他の看護
[5] 病院又は診療所への入院及びその療養に伴う世話その他の看護
[6] 移送
3 第1項に規定する医療の給付は,厚生労働大臣が第12条第1項の規定により指定する医療機関(以下「指定医療機関」という。)に委託して行うものとする。
(認定)
第11条 前条第1項に規定する医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定を受けなければならない。
2 厚生労働大臣は,前項の認定を行うに当たっては,審議会等(国家行政組織法(昭和23年法律第120号)第8条に規定する機関をいう。)で政令で定めるものの意見を聴かなければならない。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかであるときは,この限りでない。
(医療特別手当の支給)
第24条都道府県知事は,第11条第1項の認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する。
2 前項に規定する者は,医療特別手当の支給を受けようとするときは,同項に規定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。
3 医療特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1月につき,13万5400円とする。
4 医療特別手当の支給は,第2項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,第1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。
(特別手当の支給)
第25条都道府県知事は,第11条第1項の認定を受けた者に対し,特別手当を支給する。ただし,その者が医療特別手当の支給を受けている場合は,この限りでない。
2 前項に規定する者は,特別手当の支給を受けようとするときは,同項に規定する要件に該当することについて,都道府県知事の認定を受けなければならない。
3 特別手当は,月を単位として支給するものとし,その額は,1月につき,5万円とする。
4 特別手当の支給は,第2項の認定を受けた者が同項の認定の申請をした日の属する月の翌月から始め,第1項に規定する要件に該当しなくなった日の属する月で終わる。
(3) 原爆症認定の手続
ア 原爆症認定を受けようとする者は,被爆者援護法施行規則12条所定の事項を記載した認定申請書及び所定の書類を添付して被告厚生労働大臣に提出する。
イ 被告厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならない(被爆者援護法11条2項,23条の2,同法施行令9条)。
疾病・障害認定審査会は,30人以内の委員により組織され(疾病・障害認定審査会令(平成12年政令287号)1条1項),その委員及び臨時委員は,学識経験のある者のうちから被告厚生労働大臣が任命する。
同審査会には,その権限に属する事項を処理するための原子爆弾被爆者医療分科会(以下「医療分科会」という。)を始めとする分科会が置かれ,分科会に属すべき委員及び臨時委員は被告厚生労働大臣が指名する(同審査会令5条1項,2項)。
なお,原爆症認定に係る被告厚生労働大臣の諮問については,医療分科会が担当して審査を行っている。
3 前提事実及び放射線に関する基礎的な知見
(1) 原子爆弾の投下(証拠<省略>)
第二次世界大戦の末期である昭和20年8月6日午前8時15分広島に,同月9日午前11時2分長崎にそれぞれ原子爆弾(以下「原爆」という。)が投下された。広島に投下された原爆(Little Boy)には,ウラニウム235が使われており,その威力はTNT火薬15ないし16キロトンに相当した。長崎に投下された原爆(Fat Man)には,プルトニウム235が使われ,その威力はTNT火薬21ないし22キロトンに相当した。原爆の爆風,熱線及び放射線は爆発の数か月以内に広島で約11万4000人(当時の広島市の人口34万人ないし35万人),長崎で約7万人(当時の長崎市の人口25万ないし27万人)の人々に死をもたらしたと言われている(ただし,この死亡者数には,実態が明らかでなかった軍人や朝鮮半島の人々の数は含まれていない。)(証拠<省略>)
原爆の殺傷力は,通常の爆弾とは異なって,爆風のほかに強烈な熱線と放射線を伴い,そのエネルギー分布は爆風50パーセント,熱線35パーセント,放射線15パーセントといわれている(証拠<省略>)。
原爆の爆発とともに爆発点に数10万気圧という超高圧がつくられ,まわりの空気が大膨張して爆風となった。爆心地あたりでの風速は280m/秒,13.2キロメートル地点でも28m/秒あったとされている。爆風の先端は衝撃波として進行し,爆発の約10秒後には爆発点から約3.7キロメートルにあり,30秒後には約11キロメートルの距離に達した。衝撃波が外方に向かい,風が吹きやむ瞬間があった後,こんどは外方より内方へそれよりも弱い爆風が流れ込み,キノコ雲の形成に参加した。爆風によって一瞬にして半径1キロメートル以内の家屋を全壊させ,半径4キロメートル以内の家屋を半壊させたといわれている(証拠<省略>)。
熱線は爆心地で3000度に達し,初期放射線も半径1キロメートル以内では致死線量に達した(証拠<省略>)。
また,爆発と同時に空中に発生した火球は,爆発の瞬間に温度が最高で摂氏数100万度に達し,0.3秒後には火球表面温度が約7000度,地上爆心地域で99.6cal/cm2,3.5キロメートルで1.8cal/cm2の熱線量が計算されている。爆発後3秒以内に火球から放射された99パーセントの熱線が地上に影響を与えた。熱線により木材などが黒焦げになる現象は爆心地から約3キロメートルまで,また衣服を纏わぬ人体皮膚の熱線熱傷は3.5キロメートルにまで及んだ。爆心地から約1.2キロメートル以内での無遮蔽の人は,致命的な熱線熱傷を受け,死者の20ないし30パーセン卜がこの熱傷によるものと推定されている(証拠<省略>)。
(2) 放射線(証拠<省略>)
ア 原爆放射線の概要
広島原爆は,ウランの核分裂により,長崎原爆はプルトニウムの核分裂による連鎖反応を起こさせたものであった。ウランが臨界状態に達してから爆弾容器が高温で蒸発して連鎖反応が止まるまでの約1μs(マイクロ秒,100万分の1秒)の間に核分裂により中性子及びガンマ線が放出された。これらは即発放射線とよばれるもので,爆風や熱戦が放出されるより先に地上にふりそそいだ。即発放射線は,中性子以外にアルファ線,ベータ線,ガンマ線からなるが,アルファ線とベータ線は,大気中数メートル内で吸収されるため,即発放射線として人体に影響を及ぼすことはなかったが,中性子及びガンマ線は長距離にまで到達するため,これらの原子兵器の放射線の直接的な影響を評価するに当たって,最も問題となるものである。
次にこれらの中性子が空気や地上の物質と核反応を起こすことにより,約10μsの間に反応ガンマ線が放出され,また,長短様々な半減期をもつ放射性同位元素が生成された。これらは誘導放射能を持つものであり,半減期の長いものは現在でも検出ができる。一方,ウラン及びプルトニウムの核分裂の結果,放射性の核分裂生成物が生じた。これらの多くは火球とともに上昇し,上層の気流によって広範囲に広がったものと考えられるが,その一部は爆発後数時間のうちに雨とともに地上に降下した。これらを放射性降下物といい,少なくとも特定の地域に高い放射能汚染をもたらした。以上のように即発放射線が核反応に伴い瞬間的に放出されるのに対して,誘導放射能と地上に降下した核分裂生成物からは,放射性同位元素の崩壊に伴い放射線が放出され,これらは併せて残留放射能とよばれる。
イ 放射線の分類
放射線は以下のように分類される(証拠<省略>)。
file_4.jpgBTR, “7h, DETR BFR, BTR, TT TR BH ere, A EE = ak Rb Ly TAR, Ay vit Bn at FB OR, BER, AIL W177 — RED RF, 7A iガンマ線は電波,赤外線,可視光線,紫外線等と同じ電磁波の一種であり,高いエネルギーをもつ「光子」という素粒子の流れである。波長の非常に短い光の仲間と考えることができる。ガンマ線とエックス線の本性は全く同じであり,原子核から放出される場合にガンマ線と呼ぶ。ガンマ線が物質に当たると,様々な相互作用を起こし,電離(電子が分子から飛び出すこと)を起こすことが多い。
中性子は電気的に中性の素粒子であり,ウラン235やプルトニウム239等の核分裂に際して大量に発生する。中性子が物質に当たると様々な相互作用を生じ,原子核の励起(原子・分子などの系が,エネルギーの最も低い安定した状態(基底状態)から,より高いエネルギー状態(励起状態)に移ること)を起こし,あるいは陽子を弾き出して周囲の原子を電離して影響を及ぼし,更にはガンマ線を放出させる。
ウ 放射線とその人体に対する影響の概要(証拠<省略>)
(ア) はじめに
放射線とは,広義の意味では電波や紫外線なども含むが,一般的には電離を引き起こす電離放射線のことを指す。電離放射線には,上記のように光と同じ性質を持つガンマ線等の電磁波と,アルファ線等の粒子線とがあり,いずれも物質(人体細胞)を透過する能力があるが,その影響は種類によって異なるだけでなく,同じ種類の放射線でも強度が異なる。アルファ線のように高い密度で電離作用を行って短い距離の間に多くのエネルギーを与える放射線を「高LET放射線」と呼ぶ。これに対して,ガンマ線のように低い密度で電離作用を行って細胞にまばらなエネルギーを与える放射線を「低LET放射線」と呼ぶ。「LET」とは,「線エネルギー付与」のことで「1マイクロメートル(100万分の1ミリメートル)当たりに物質に与えるエネルギー」のことである。
このような電離放射線は,それらが通過する物質(人体細胞)にエネルギーを与え様々な傷をつくる。原爆被爆者が受けた放射線はガンマ線と中性子線であり,ほとんどはガンマ線である。中性子は,熱中性子と速(高速)中性子の2つに大別され,中性子の中でもエネルギーの高いものを速(高速)中性子という。速(高速)中性子がエネルギーを失うとやがて熱中性子と呼ばれるゆっくりした中性子になる。被爆線量,さらには健康影響への寄与は速中性子の方が大きいが,熱中性子は衝突した原子核に吸収されやすくなり,熱中性子を吸収した原子核はガンマ線やベータ線等を放出する。
中性子は電荷を持たないので直接電離作用を行うことはないが,高速中性子が陽子や原子核に衝突すると衝突された陽子や原子核が飛び出し高いLETの放射線となるため,中性子も高いLETの放射線とみなされている。高いLETの放射線ほど生体に与える影響は大きい。
ガンマ線の生物体への影響を基準として生物に損傷を与える比率を生物学的効果比(relative biological effectness RBE)として表す。
アルファ線のRBEは20であり,中性子線のそれは5ないし20であるといわれている。
(イ) 放射線の人体に対する影響
a 概要
生体細胞のように複雑な構成から成る物質が放射線に被曝し同時に多くの電離が起きると,いったん切り離されたものが再結合する際に,原子の組合せが変わったり,異なった物質になるといった現象を起こすことがある。また,放射線は,無作為に原子から電子を失わせるため,避難基(ラジカル又はフリーラジカル)と呼ばれる極度に不安定なイオンを生成する。避難基の多くは,近隣の原子又は分子に1000分の1秒以内といった極めて短時間で作用して消失する。人体に当たった放射線は,人体の約70パーセントが水分で構成されていることから,人体中の水分子を分解して避難基(OH)を生成し,この避難基がDNAなどの種々の生体分子に対して作用する。また,放射線が直接DNAに作用して避難基を生成し,DNAに損傷を与えることもある。
b 被曝の形態(証拠<省略>)
一般に,人体への放射線被爆の形態は,身体の外部から放射線を浴びることによる外部被曝と,呼吸,飲食,外傷・皮膚等を通じて体内に取り込まれた放射性物質が放出する放射線による内部被曝とに大別される。
原爆放射線による外部被曝は,初期放射線によるものと,残留放射能から放出される放射線によるものとに分けられる。初期放射線とは,原爆の爆発後1分以内に空中から放出されるもので,その主要成分はガンマ線と中性子線である。残留放射能とは,一つは原爆の核分裂によって生成された放射性物質(放射性降下物。「フォールアウト」ともいう。)であり,もう一つは地上に到達した初期放射線の中性子が,建物や地面を構成する物質の原子核と反応を起こし,これによって生じた誘導放射能(放射性物質)である。これらの残留放射能をもつ放射性物質から放射線が放出されて被曝する。
したがって,原爆被爆者の被曝の形態は,[1]初期放射線による外部被曝,[2]放射性降下物による外部被曝,[3]誘導放射能による外部被曝及び[4]放射性物質を体内に取り込んだことによる内部被曝の4つが考えられることになる。
c 早期影響と後影響(証拠<省略>)
放射線の人体への影響は,放射線に被曝してから症状が出現するまでの時期の違いによって,早期影響と後影響に分けられる。
(a) 早期影響
放射線に被曝して数か月以内に現れる急性放射線症(原因不明の嘔吐,下痢,血液細胞数の減少,出血,脱毛,男性の一過性不妊症等),被爆後2か月以内の急性死亡,放射線白内障等が挙げられる(ただし,白内障に関しては後影響に分類する立場もある。)。
なお,人体に対する放射線の照射が1グレイを超すと気分が悪くなったり吐き気が起き,4ないし6グレイだと2か月以内に半数が死亡し,8グレイで90パーセントが死亡し,10グレイで全員が死亡するといわれている(証拠<省略>)。
(b) 放射線の後影響
放射線に被曝して長期間を経過した後に現れる影響であり,少ない量の放射線被曝によって生き残った細胞内に誘発されたDNA突然変異の結果であるとされている。がんリスクの増加は原爆被爆者に認められる最も重要な後影響である。
d 放射線に対する感受性
放射線に対する感受性は(例えば,放射線被曝による症状が起こりやすいことを「感受性が高い」という。),細胞分裂との関係が深い。すなわち,余り分裂することのない細胞(例えば,筋肉や神経の細胞)に比べ,分裂を繰り返し行う細胞(例えば,骨髄や腸上皮細胞)は放射線に対する感受性が高いことが知られている。
e 確定的影響と確率的影響(証拠<省略>)
放射線が人体に障害を与える機構には大きく分けて「確定的影響」と「確率的影響」の2種類があると考えられている。確定的影響とは,ある線量以上の放射線に被曝すると影響が出現するもの(白内障,皮膚の紅斑,脱毛,不妊,血液失調症等がこれに属するとされている。ただし,争いがある。)を指す。このように,ある線量を境として影響が出現する場合,その境の値をしきい値という。確定的影響は,被曝線量に比例して症状が重篤化するといった性質がある。
確率的影響とは,放射線に被曝したからといって必ず影響が出現するものではないが,被曝線量が多いほど影響の出現する確率が高まるものを指す。がんと遺伝的障害が確率的影響に該当するものと考えられている。
(ウ) 自然界の放射線
放射線は,もともと自然界に存在するものであり,自然界に存在する放射線は,大きく分けると大地に存在する放射性物質が放出する放射線と宇宙線に分類される。
一般に日本人一人が受ける平均自然放射線被曝線量は,年間1から2ミリシーベルトといわれている。また,現在では医療行為に放射線が利用され,職業的に放射線を扱うことも多い。一般に,日本人は,年間に平均して医療放射線は1から2ミリシーベルト,胃の集団検診1検査では4ミリシーベルトの被曝をするものといわれている。なお,職業上放射線を扱う人に関して現在認められている最高被曝線量は20ミリシーベルトとされている(証拠<省略>)。
(エ) 放射線の単位等
a 放射線の被曝線量は次のように大別される(証拠<省略>)。最終的に人体臓器に吸収された放射線のエネルギーの量を吸収線量(臓器線量)という。なお,放射能とは,ある不安定な物質が,自ら放射線を放出して他の物質に変わる性質や能力を指す場合と,不安定な物質そのものを指す場合とがあり,この不安定な物質を放射性物質とも呼ぶ。
物理量:吸収線量,カーマ線量
防護量:実効線量,等価線量
実用量:1cm当量線量,70μm線量当量
b 被曝線量の評価に際しては,当該評価の条件に応じて以下のような用語が用いられている。なお,カーマ(Klnetic Energy Released in Materialの略)とは,組織の単位質量当たりに放出された,組織による吸収を受けないエネルギー量のことである。
(a) 空気中カーマ(単位:グレイ:Gy)被爆者が被爆した位置によって算出される線量である。グレイは,現在一般に使用されている線量の単位であり,1グレイは,物質1キログラム当たり1ジュールのエネルギーが吸収される線量である。その100分の1の線量をセンチグレイ(CGy),1000分の1の線量をミリグレイ(mGy)で表す。これまでラド(rad)が多く使われていたが,1グレイは100ラドである(1Gy=100rad)。
(b) 遮蔽カーマ(単位:グレイ)建物や地形による遮蔽を考慮した総量で,(a)の空気中カーマをもとにして被爆者が被爆時点でどのような建物内の何階にいたか,あるいは地形などの情報を考慮して算出されるものである。
(c) 臓器吸収総量(単位:グレイ)人体自身の遮蔽効果を考慮した臓器の吸収線量で,(b)の遮蔽カーマに被爆時の年齢,体位,身体の向きなどを考慮して算出される。
(d) 臓器等価線量(単位:シーベルト:Sv)ガンマ線と中性子線の生物学的な影響の違いを考慮した線量で,(c)の臓器吸収線量をもとに放射線の線質(放射線の種類やエネルギー)等による生物学的な効果の違いを表す放射線加重係数を乗じて算出される。
これまでは,レム(rem)という単位が使われることが多く,1レムはガンマ線やエックス線の1ラドが与えるのと等しい量の生物効果を与える線量と定義された。近年では,シーベルト(Sv)の単位が使用されるようになってきた。1シーベルトは100レム(rem)であり,ガンマ線の場合1シーベルトは1グレイと同じである。他方で中性子線の生物学的効果比は5ないし20であるから,1グレイの中性子線の臓器等価線量は5ないし20シーベルトということになる。
c 放射能の単位(証拠<省略>)
放射能の強度を表す単位は,かつてはキュリー(Ci)が用いられたが,近年はベクレル(Bq)が用いられている。
1キュリーは,天然の放射性ラジウム1グラムがもつ放射能の単位である。1ベクレルは,1秒問に1回崩壊する放射能の強さである。
1ベクレルは,1キュリーの370億分の1に相当する。
d 放射能の強さと放射線量の関係(証拠<省略>)
放射能の強さと放射線量は,線源からの距離が同じ場合は比例する。線源からの距離が異なる場合,ガンマ雄の線量は距離の二乗に反比例して変化する。すなわち,線源からの距離が2倍,10倍,100倍になれば,線量は,それぞれ4分の1,100分の1,1万分の1となる。
(3) 原爆症認定に関する審査の方針
前述のとおり,被告厚生労働大臣は原爆症認定に当たり,原則として疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないが,同審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成13年5月25日に「原爆症認定に関する審査の方針」(証拠<省略>)を定め(以下「審査の方針」といい,その基本的な考え方を「原因確率論」という。),被爆者からの原爆症認定の申請に対する同分科会の審査の方針に関する目安として,以下のような考え方を打ち出している。
ア 原爆放射線起因性の判断
(ア) 基本的な考え方
a 申請に係る負傷又は疾病(以下「疾病等」という。)の原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因確率及び閾値を目安として,当該申請に係る疾病等の原爆放射線起因性の有無を判断する。
b 求められた原因確率がおおむね50パーセント以上である場合には,当該申請に係る疾病等の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定し,原因確率がおおむね10パーセント未満である場合には,当該可能性が低いものと推定する。
c 起因性の有無を判断するに当たっては,a,bを機械的に適用して判断するものではなく,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で判断を行う。
d 原因確率等が設けられていない疾病等の審査では,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生活歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断する。
(イ) 原因確率の算定
白血病等9つの区分に属する特定の疾病ごとに,被爆時の年齢,性別の区分及び被曝線量により定められた当該疾病の発生する確率に関する表(合計14種類の表)に記載の率とする。
申請に係る疾病名 申請者の性別 審査の方針の別表
白血病 男 別表1-1
女 別表1-2
胃がん 男 別表2-l
女 別表2-2
大腸がん 男 別表3-1
女 別表3-2
甲状腺がん 男 別表4-1
女 別表4-2
乳がん 女 別表5
肺がん 男 別表6-1
女 別表6-2
肝臓がん皮膚がん(悪性黒色腫を除く)卵巣がん尿路系がん(膀胱がんを含む)食道がん
男 別表7-1
女 別表7-2
その他の悪性新生物 男女 別表2-1
副甲状腺機能亢進症 男女 別表8
(ウ) 放射線白内障の閾値
放射線白内障の閾値は1.75シーベルトとする。
(エ) 被曝線量の算定
申請者の被曝線量の算定は,aの値にb及びcの値を加えて得た値とする。
a 初期放射線による被曝線量
申請者の被爆地(広島か長崎か)及び爆心地からの距離の区分に応じて,別表9に定められた値とする。ただし,被爆時に遮蔽があった場合の被曝線量は,この値に0.5から1を乗じて得た値とする。
b 残留放射線(誘導放射線)による被曝線量
申請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10のとおりとする。
c 放射性降下物による被曝線量
原爆投下の直後に特定の地域に滞在し,又はその後,長期間にわたって当該特定の地域に居住していた場合について定めることとし,その値は次のとおりとする。
特定の地域 放射性降下物による被曝線量
己斐又は高須(広島) 0.6~2センチグレイ
西山3,4丁目又は木場(長崎) 12~24センチグレイ
イ 要医療性の判断
要医療性については,当該疾病等の状況に基づき,個別に判断するものとする。
(4) 放射線量の評価-DS86
審査の方針で起因性を判断する場合,被爆者が浴びた被曝線量を算定することはその要の作業となるが,その基礎とされているのがDS86(Dos imetry System1986)である。
DS86は,初期放射線に関して,広島と長崎に使用された原爆の物理学的特徴からの原爆出力の推定と,放出された放射線の量及び放射線が空中をどのように移動し建築物や人体の組織を通過する際にどのような影響を受けたかについての核物理学上の理論的モデルとに基づいて組み立てられ,放射線量の計算値を算出したものである。
第3争点及び当事者の主張
本件の争点は,(1)原爆症認定の要件の解釈及び立証の程度,(2)原告らの申請疾病が原爆放射線に起因するものであるか否か,(3)一部の原告らの疾病について要医療性が認められるか否か,(4)原告らの原爆症認定申請に対する被告厚生労働大臣の処分が実体的あるいは手続的に国家賠償法上違法であり,その責任(過失)を認めることができるか否かである。(2)の争点は,更に,ア審査の方針において個々の被爆者の被曝線量の評価の際に用いられている線量評価システムであるDS86による原爆放射線量の評価が適正なものなのか否か,イ審査の方針において残留放射線の影響が適正に評価されているのか否か,ウ審査の方針において内部被曝の問題が適正に評価されているのか否か,エ原告らの申請疾病が原爆放射線による確率的な影響などを受ける性質の疾病であるか否か等の争点に分けることができる。
1 原爆症認定の要件の解釈及び立証の程度
【原告ら】
(1) 原爆症認定の要件は,被爆者に過重な負担をかけないよう解釈,運用されなければならない。特に問題の大きい起因性の要件に関しては,被爆者が,放射線に影響があることを否定し得ない負傷又は疾病に罹り,医療を要する状態となった場合には,放射線起因性が推定され,放射線の影響を否定し得る特段の事情が認められない限り,その負傷又は疾病は原爆放射線の影響を受けたものとして原爆症認定がされるべきである。そのように解されるべき根拠は,以下のとおりである。
ア 被爆者援護法の精神及び原爆投下が戦争犯罪であること
被爆者援護法は,その前文で「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の等い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。・・ここに,被爆五十周年のときを迎えるに当たり,我らは,核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし,原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう,恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」と宣言している。この前文の精神は,被爆者援護法の解釈,適用に当たっての出発点でなければならない。
また,1945年8月のアメリカ合衆国による広島,長崎への原爆投下は明らかに国際法違反であり,原告ら被爆者は,このようなアメリカの戦争犯罪の犠牲者である。その被害と苦痛は,被爆直後のみならず,以後も続いており,今後も継続するものである。このような国際的に確定した原爆投下の国際法違反性,そして,被爆者援護法の前文の趣旨を踏まえれば,このような違法,かつ,残虐な行為の被害の把握に関して,核兵器の影響を過小評価するのではなく,可能な限り広い範囲で原爆放射線の影響を認定することが,被爆国としてのありようであり,被爆者援護法の正しい法解釈の在り方である。
イ 国家補償的配慮
原爆被害が戦争という国の行為によってもたらされたものである以上,その回復が戦争を遂行した国の責任で行われなければならないことは当然である。しかし,被爆者は,被害の救済を受けることができなかったばかりか,敗戦後の連合軍の占領時代には,プレスコードによって原爆被害の実情を訴えることもできず,医師達は原爆医療の研究をし,公表することも抑圧されていたのである。その後日本政府は,サンフランシスコ条約において,連合国に対するすべての損害賠償請求権を放棄したが,原爆被害についての請求権もその中に含まれていた。このように日本政府は,アメリカに対する損害賠償請求権を放棄したのであるから,自らの責任に基づく被爆者の裁済をより一層急ぐべきであった。しかし,その後も日本政府は被爆者を放置し続け,被爆者が最も援護を必要とした戦後の12年間,何の援護政策も採られないまま放置され,この時期に適切な医療を受ければ助かった多数の被爆者が亡くなっていき,苦しみ続けたのである。
そして,被爆者援護法の根底には,上記に見たような国家による戦争の開始・遂行,違法な核兵器の使用をしたアメリカに対する損害賠償請求権の放棄,原爆被害の実態の隠蔽放置という違法行為により,損害を受けた被害者に対しては,本来国の責任において被害の回復を行うべきであるという国家賠償ないし国家補償の理念がある。そうであれば,できるだけ戦争被害補償としての実を上げるような解釈を取るべきであり,その意味からも,原告ら原爆症認定申請者の立証責任は軽減されるべきである。
ウ 公平の理念に基づく立証の負担の軽減
被曝線量の推定や原爆放射線の人体に与える影響について,現代科学は,その多くの部分を解明できないでいる。加えて,証拠は散逸し,また隠蔽され,被爆者の入手できる証拠は限られている。すなわち,原爆投下により,広島・長崎の地域社会は崩壊ないし消滅し,公務所も破壊され,被爆について証人となってくれるはずの家族や職場の同僚も失われ,被爆者にとっては,自己の被爆の事実を証明することさえ困難である。まして,爆心地近くに救援活動のために入った入市被爆者の場合,もともと,広島・長崎地域に知り合いもなく,爆心地近くにはまともに生存者もなく,単独で入市した者はもちろん,救援部隊として集団で入った者も徐々に死に絶え,あるいは散り散りになってしまっているのである。そのうえ,GHQによる原爆被害の隠蔽があり,追い打ちをかけるように被曝者には被爆による体調の不良がある中で,証拠収集の途は閉ざされていたに等しい。さらに,放射線の影響に関する科学的調査や疫学的調査など,本件訴訟の重要な証拠となる事項については,原爆傷害調査委員会(Atomic Bomb Casualty Commisslon。以下「ABCC」という。)と財団法人放射線影響研究所(以下「放影研」という。),ひいては厚生労働省がすべてのデータを独占している状態といってよい。このような状況をみるとき,原告ら被爆者による原爆放射線の起因性の立証責任は当然軽減されるべきであるし,被爆者援護法もそれを予定しているというべきである。
エ 被爆者援護法の解釈
ある給付を定める行政制度の給付要件の判断,解釈は,その行政制度の目的に合致するように判断されるべきであって,その要件の判断解釈が,対等の市民関係を規定している民法の判断,解釈と同一であってよいはずはない。このことは,被爆者援護法の原爆症認定の判断に関しても同様であり,同法の制定目的やこれまで述べた事情に鑑みると,起因性の判断において求められる立証の程度は,通常の民事訴訟における因果関係の立証の程度より軽減されるべきは当然のことである。
また,被爆者援護法は,「起因」という文言を用い,通常因果関係を表す「より」とか「よる」などという文言を用いていないが,このような文言からすると,原因と結果が一義的に対応せずに,放射線が傷害の発生に関する複数の原因の一つとなっている場合も,その傷害には放射線起因性があると解することができる。さらに,被爆者援護法は,国家補償的配慮がなされた法律であり,それゆえ,同法10条1項は,「必要な医療の給付を行うことができる」ではなく「給付を行う」として給付を義務付けているが,このような同法の規定からも通常の民事訴訟における因果関係とは異なった理解をすることができる。
したがって,起因性の立証の程度については,「高度の蓋然性」があるという程度までの立証は必要ではないというべきである。
また,仮に放射線起因性について,高度の蓋然性があるという程度まで立証を要するとの考えに立ったとしても,放射線起因性があるとの認定を導くことも可能で,それが経験則上許されないとまで断ずることができない程度の蓋然性で足りるというべきである。
(2) 起因性認定の要件
放射線起因性を判断する際には,被爆の実態を直視し,過度の科学主義に陥らず,放射線の影響に関して来解明な部分があることを重視して,放射線被曝による人体への影響に関する統計的・疫学的な知見を踏まえつつ,当該被爆者の被爆状況,被爆後の行動やその後の生活状況,具体的症状や発症に至る経緯,健康診断や検診の結果等を全体的,総合的に考慮した上で,原爆放射線被曝の事実が上記疾病の発生を招来した関係を是認できる高度の蓋然性が認められるか否かを検討すべきである。なお,ここにいう高度の蓋然性も,放射線起因性があるとの認定を導くことも可能で,それが経験則上許されないとまで断ずることができない程度の蓋然性で足りることは前述のとおりである。
(3) 要医療性の要件
放射線後障害の機序や予後は未だ解明し尽くされていないこともあり,医師の長期にわたる(心理的な側面も加味した)経過観察が必要である上,治療方法についても研究の余地が残されていること等からすると,医学的に見て何らかの医療効果を期待し得る可能性を否定することができないような医療が存する限り,要医療性を肯定すべきである。
【被告ら】
(1) 原爆症認定の要件は,[1]申請疾患が現に医療を要する状態にあること(要医療性),[2]現に医療を要する負傷又は疾病が原子爆弾の放射線に起因するものであるか,又は上記負傷又は疾病が熱線,爆風等の放射線以外の原子爆弾の傷害作用に起因するものであって,その者の治癒能力が原子爆弾の放射線の影響を受けているため上記状態にあること(放射線起因性)である。
(2) このうち,原爆症認定の要件である放射線起因性があるというためには,要医療性の認められる負傷又は疾病の発症が原子爆弾の放射線によるものであること,ないしそれ以外の負傷又は疾病の治癒能力が同放射線の影響を受けていることを,最新の科学的知見に基づく経験則に照らして,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実であることの立証が求められているというべきである。そして,このことは,要医療性の判断についても当てはまる。
(3) 原告らは,放射線起因性に関する立証の程度は,通常の民事訴訟における因果関係より軽減されるべきであると主張するが,放射線起因性があるというためには,上記のとおり,最新の科学的な経験則に照らして通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の立証が求められているというべきであり,起因性の立証負担を軽減して解すべき理由もない。
2 残留放射線について
【原告ら】
(1) 放射性降下物
ア 原爆容器の中で核分裂の連鎖反応が始まると,その狭い空間内に莫大なエネルギーが放出され,このときに大量に生成された放射性核分裂生成物は主にベータ線やガンマ線を放出する。さらに,原爆装置とその容器が,核分裂で生成された中性子を吸収して放射性物質となる。また,原爆に搭載されていた核物質(広島原爆ではウラン235,長崎原爆ではプルトニウム238)のうち,核分裂を起こしたのは一部であり,相当量の核分裂物質が未分裂のまま放出された。広島原爆はウラン235が数十キログラム(個数にして1兆の100兆倍個のウラン235の原子核),長崎原爆ではプルトニウム239が数キログラム(個数にして1兆の10兆倍個のプルトニウム239の原子核)が未分裂のまま,キノコ雲に含まれていたことになる。これらの未分裂のウラン,プルトニウム,核分裂生成物,誘導放射化された原爆容器等は爆発直後の火球の中に含まれていた。火球が上昇するのに伴い爆心地から火球の下に流れ込む気流が生じ,これに乗って放射化された粉じんが流れ込み,上昇気流に乗って火球とともにキノコ雲を形成した。やがてこれらの塵が核となり,火球の温度の低下に伴って水滴ができ,これが放射能を帯びた黒い雨となって,あるいは黒いすすとなって広く地上に降り注いだ。
イ これは,直曝被爆者のみならず,被爆時に市内にいなかった救援や家族の捜索のために市内に入った人々の皮膚,髪,衣服等に付着し,あるいは大気中や地面に存在したまま,これらの人々に放射線を浴びせた(内部被曝の問題は後に述べる。)。
ウ 被告らは,放射性降下物が特に見られた地城は,長崎においては西山地区という限定された地域であると主張するが,西山地域だけでなくかなり広範な地域に「黒い雨」が降り,他に「黒いすす」や放射性微粒子の存在を併せ考えれば,放射性降下物の影響は,非常に広範な地域に広がったことは明らかである。
(2) 誘導放射線
また,地上及び地上付近の物質は,初期放射線の大量の中性子を吸収して,その原子核が放射性原子核となり(誘導放射化),それによって放射線を放出する(誘導放射能)。誘導放射能はガンマ線とベータ線を放出し続けて,直曝被爆者及び入市被爆者に,継続的に放射能を浴びせ続けた。
【被告ら】
(1) 放射性降下物
ア 原爆投下直後から複数の測定者が放射性降下物及び誘導放射線(残留放射線)の測定を行っており,原爆による放射性降下物の最も降下した地域が,長崎では西山地区(広島では己斐・高須地区)であったことは,異論のないところである。
なお,広島の己斐・高須地区,長崎の西山地区以外には,放射性降下物が全く降らなかったというものではないが,以下に説明するところからすると,これらの地区の無限時間を想定した積算線量を超えることはあり得ず,いずれにしても,人の健康影響という視点からみれば無視し得る線量にしかならない。
イ 核爆発による降下物がどの程度の放射性物質を含んでいるかは,当該爆弾が地上付近で爆発したのか,上空で爆発したかによっても大きく左右される。広島・長崎の原爆は,上空で爆発したものであり,未分裂の核物質や核分裂生成物の大半は,瞬時に蒸散して火球とともに上昇し,成層圏まで達した後,上層の気流によって広範囲に広がったのであって,広島・長崎市内に降り注いだ放射性降下物は極めて少なかった。
すなわち,各種の調査結果あるいはセシウム137の測定データを基に放射性降下物及び誘導放射線の積算線量の計算が行われるようになったが,放射性降下物については,爆発1時間後から無限時間まで同地区にとどまり続けたという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,その積算線量は,長崎の西山地区でわずか0.12ないし0.24グレイ(20ないし40レントゲン),広島の己斐,高須地区で,わずか0.006ないし0.02グレイ(1ないし3レントゲン)にすぎなかったことが実際の測定結果に基づいて明らかになっており,これに勝る科学的知見は存しない。この積算線量からも,実際に,降り注いだ放射性物質の量自体ごくわずかなものであったことは明らかである。
ウ 降り注いだ放射性物質の一部が被爆者の衣服や身体に直接付着したとしても,その量自体は更に限られたものであることは明らかであり,当然,上記積算線量を超えることなどあり得ない。しかも,付着した放射性物質はしばらくすれば,被爆者の身体からは脱落するから,被爆者の身体に放射性物質が付着したとしても,所詮一時的なものにすぎず,その被曝線量は無視し得る。
このことは,以下のような考察からも明らかである。すなわち,放射性降下物から発せられる放射線はアルファ線,ベータ線,ガンマ線が想定されるが,アルファ線及びベータ線は到達距離が非常に短いので,皮膚表面より内部の皮下組織には到達せず,人の健康に影響を与えるものではない。また,ガンマ線を発する核種もあるが,その場合でも,皮膚表面から深部に到達する過程で線量は著しく減少するので,皮膚表面における被曝線量が最も高いことに変わりはない。そうである以上,高線量の放射性降下物を含んだ降雨が,皮膚に直接付着することにより被曝するのであれば,まずは紅斑等の皮膚障害が生じたはずであるが,そのような皮膚障害は発生していない。したがって,放射性降下物を含む降雨等が直接皮膚に付着することにより人体影響が生じるような被曝をすることはなかったというべきである。
また,放射性降下物を含む降雨等が被爆者の口等から体内に入り込んだ可能性も否定はできないが,体内に取り込まれた放射性物質は,物理的崩壊により減衰するとともに,代謝過程を経て排せつされるのであって,被爆者の内部被曝線量は,自然放射線による被曝線量と比較しても非常に少ないことは実証的に明らかとなっている。したがって,黒い雨や灰を直接浴びたことによる内部被曝の影響も無視し得るものである。
(2) 誘導放射線
ア 原爆の誘導放射線は,原爆の初期放射線の中性子に起因するものであるが,爆心地から600ないし700メートル程度の距離を超えると初期放射線の中性子がほとんど届かないため,それより遠い地点では放射化が起こることはほとんどなかった。
すなわち,グリッツナーらは,DS86によって原爆の初期放射線の被曝線量評価が策定された際に,広島・長崎の実際の「土壌中の元素の種類,含有量,及び,これらの元素の放射化断面積をもとに生成された放射能量」を計算しており,半減期を2.2分とするアルミニウム23,2.6時間とするマンガン56,15時間とするナトリウム24といった想定され得る半減期の短い核種による誘導放射線を含めた線量率の算定を,爆発直後にさかのぼって行っている。審査の方針は,こうしたグリッツナーらの研究結果に基づき,残留放射線(誘導放射線)による被曝線量は,「申請者の被爆地,爆心地からの距離及び爆発後の経過時間の区分に応じて定めるものとし,その値は別表10に定めるとおりとする。」としている。
イ また,放射化された地上の物質等の元素もごく限られており,半減期も短いことから,原爆投下直後から無限時間まで爆心地にとどまり続けたという現実にはあり得ない仮定をした場合でも,誘導放射線による爆心地での地上1メートルにおける積算線量は,長崎で30ないし40レントゲン,広島で約80レントゲンと推定された。これをセンチグレイ単位に換算すれば,広島で約50センチグレイ,長崎で18ないし24センチグレイとなる。なお,土壌の放射化による線量率(単位時間当たりの線量)は時間の経過とともに急速に低下するため,誘導放射線による積算線量の約80パ-セントは1日目が占めており,2日目から5日目までの線量が約10パ-セント,6日目以降の総線量が約10パ-セントを占めている。したがって,2日目以降の誘導放射線による被曝線量は小さい。また,地上での線量率は爆心地から離れても急速に減少し,広島では爆心地から175メートル,長崎では350メートル離れると半減している。
ウ なお,爆心地で放射化された物質が爆風に乗ってその周辺に飛散したとしても,飛散した量は微量であり,また,広い範囲にわたって拡散したことを考えると,その影響は限られたものというべきである。そして,仮に飛散した放射性物質が被爆者の身体に付着することがあったとしても,その被曝線量は低く,爆発直後から無限時間を想定した爆心地における上記積算線量を超えることはあり得ない。更に,仮に放射性物質が皮膚等に付着したことによって数グレイもの被曝をしたというのであれば,まずは,紅斑等の皮膚障害などが発症するはずであるが,そのような事実は存在しない。
また,人体の誘導放射能を被爆の原因と考えることはできない。すなわち,人体を構成する物質のうち,放射化される元素(アルミニウム,ナトリウム,マンガン,鉄など)は元々極めて微量しか存在しないし,また,その中のすべてが放射化される訳ではない。放射化を起こすのは初期放射線の中の中性子であるが,人体には体重の60パーセント以上の水分が存在し,水は中性子の吸収体であるため,体表面に近い部位に存在するこれらの元素のごく一部が放射化されるにすぎない。さらに放射化された元素の半減期は短いので,被救護者の人体が有意な放射線源となることはあり得ない。
3 内部被曝
【原告ら】
(1) 「黒い雨」「黒いすす」に含まれた放射性核種が,飲食物に付着して経口摂取されたり,呼吸等により吸入されたりすることもある。原告ら被爆者には,原爆投下後,親族や友人などを探し求めて広島・長崎市内に入り爆心地を回ったり,救護活動に従事したりした者がいたが,このような行動によっても,放射性物質を体内に摂取することがある。例えば,広島において,直径1ミクロンの酸化ウランの放射性微粒子が体内に沈着すると,この放射性微粒子には半減期7億年のウラン235の原子核が100億個以上含まれ,体内において,1か月に1個の割合でエネルギー400万電子ボルトのアルファ粒子を放出する。1個のアルファ粒子は微粒子の周辺の半径30ミクロン球内にある細胞に対してエネルギーを与え,数十万個の電子を電離させDNAを切断する。こうして,放射性徴粒子周辺の細胞は,1か月に0.1シーベルトの割合で被曝し続けることになる。また,長崎においては,未分裂のまま放出されたプルトニウムの個数自体は広島原爆のウランより1桁少ないが,プルトニウム239の半減期はウラン235の3万分の1と短いため,アルファ粒子が放出される頻度は,広島より大きい。
(2) 内部被曝は,次のように外部被曝とは異なった特徴を有する。
第1に,放射線が生体を透過するときにDNAを傷つけることはよく知られているが,体内に放射性物質があるときには,細胞の至近距離に線源があることになる。とりわけガンマ線のように飛程の長い放射線の場合には,線量は線源からの距離に反比例するので,外部被曝に比べ,内部被曝の影響は格段に大きくなる。
第2に,内部被曝で重要なのは飛程の短いアルファ線やベータ線である。アルファ線の飛程は0.1ミリメートル単位であり,ベータ線の飛程も1センチメートル程度であるが,これらの放射線を放出する核種が体内に入ると,この短い飛程で放射線の巨大なエネルギーがほとんど細胞に吸収される。こうしたエネルギーが細胞に吸収されることによって,DNAの二重らせんが多数破壊され,細胞の誤った修復によりガン化の原因になるなど大きな影響が生じるのである。
第3に,原爆の原料となったウラン及びプルトニウムやこれらが核分裂した場合に生じる人工放射性核種は,核種ごとに生体内の特定の部位に濃縮される特性がある。
第4に,体内に取り込まれた放射性核種は,その核種の寿命に応じて継続的に放射線被曝を与えるのである。しかも,ある細胞がアルファ線に被曝した場合には,その近傍にある細胞にも放射線影響が見られる(バイスタンダ一効果)。そして,原爆投下直後に生成された人工放射性核種は,生体内で著しく濃縮する特徴を有している。
このように,内部被曝は,物理的な吸収線量を図るだけでは到底把握することのできない複雑な機序を有するものであり,被爆後の被爆者の行動などからその契機の有無を慎重に検討しなければならない。
被告らは,広島・長崎で放射性降下物のあった地域の体内の放射線量を測定した結果極微量であったというが,その根拠はwhole-bodyカウンターによるセシウム137から放出されたガンマ線の測定結果のみであって,これでは飛程の短いベータ線を測定することができないのであるから,このような根拠で内部被曝を無視するのは科学的に合理性を欠いている。
(3) 低線量被曝の影響
被告らは,内部被曝は吸収線量が極微量であるとして「審査の方針」には反映させていないと主張する。これが内部被曝を過小に評価したものであることは上記に述べたとおりであるが,さらに,低線量被曝であっても人体に影響がある症例が報告されているほか,ショウジョウバエやムラサキツユクサ等の動植物を活用した実験によって微量放射線による突然変異の生ずることが次々と確認されている。
そもそも,放射線の確率的影響は,発症率が線量と相関関係にあるとはされているが,このことは低線量であっても確率は低くともがん等が発症することを前提とする理解である。更に,高LET放射線では低線量率でも持続的に被曝している場合の方が高線量率で被爆した場合よりもリスクが高いとの報告や,ガンマ線のコンプトン散乱によって遠距離で被爆した方が生体により多くのエネルギーが吸収されることを示唆する実験結果も存在する。これらのことからすれば,未だ科学的には解明されてはいないが,低線量被曝であっても,場合によっては高線量(率)被曝よりも大きな影響があることすら否定できない。
すなわち,低線量被曝であれば人体影響は無視できる程度のものであるという前提も科学的合理性を欠いたものである。
【被告ら】
(1) 原爆による内部被曝は,放射性降下物が呼吸や飲食物を介するなどして,直接,身体に侵入して発生する場合が最も考えられるが,その影響については,放射性降下物が最も多く堆積し,原爆による内部被曝が最も高いと見積もられる長崎の西山地区の住民について,2度の経時的な実測を含めた昭和20年から昭和60年までの40年間にわたる内部被曝積算線量の算定が行われており,これに勝る科学的知見は存在しない。
これによると,同地区における内部被曝線量は,男性で0.0001グレイ,女性で0.00008グレイと評価された。これは,自然放射線による年間の内部被曝線量(0.0016シーベルト=すべてガンマ線であった場合0.0016グレイ)と比較しても格段に小さいものであるから,審査の方針において内部被曝による被曝線量を考慮しないものとされたことには何ら不合理な点はない。
なお,医療の現場では,診断等のため放射性核種を投与するなどしているが,その内部被曝線量は原子爆弾による内部被曝の場合に比較して圧倒的に多い。しかし,そのことによる人体影響はないとするのが医療の常識であって,仮に人体に対する影響があるのならば,核医学はおよそ成り立たないのである。
(2) 内部被曝の場合,体内に入り込んだ放射性物質が放出する放射線によって局所的な被曝が継続するという考え方(ホット・パーティクル理論)もある。
しかし,外部被曝であろうと内部被曝であろうと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人体影響に差異はない。問題は,要するに被曝線量の多寡であり,内部被曝であることのみから危険性が高まるというものではない。体内に取り込まれた放射性物質については,物理的崩壊により放射能が減衰するとともに,放射性物質そのものが代謝過程を経て体内から排せつされることも分かっている。内部被曝の場合,線源となる微粒子が体内に入り,その周囲の細胞が集中的に被曝すると,細胞レベルで考えれば,高線量を受けることになるため,それらの細胞だけが細胞死を来すことになるが,1個の臓器や器官の組織を構成する細胞数は数百万から数千万個に上り,死んだ細胞の割合が少ないと,生存した細胞で代償されて臓器や器官の機能の低下が起こらない。「ホット・パーティクル理論」は,微量であっても,放射性核種が細胞に近接した場合,その細胞だけは数十グレイと非常に高い線量を受ける可能性を指摘するが,その細胞は,高線量ゆえに必然的に細胞死に至り,突然変異や遺伝子異常が新しい細胞に引き継がれることはなく,がん化の元となったりはしない。また,そのような細胞は非常に限定されるので,多数の細胞で構成される組織や臓器は支障を来すこともない。
4 被告らによる線量評価-DS86・DS02の問題点
【原告ら】
(1) DS86の問題点
ア 遠距離・入市被爆者の放射線影響
(ア) 被爆者の多くに,被爆後に脱毛,下痢,発熱,おう吐,紫斑,歯茎等からの出血,歯抜け,倦怠感,食欲不振,化膿しやすい等のいわゆる急性症状が生じた。原爆投下直後から現在に至るまで,被爆者を対象として様々な健康調査が行われて,急性症状に関しても多数の調査が行われている。そして,これら急性症状に関する調査の結果,[1]2キロメートル以遠のいわゆる遠距離被爆者といわれる被爆者にも急性症状が発症していること,[2]入市被爆者にも急性症状が発症していることが明らかになった。急性症状は,被爆者が放射線を浴びたことのーつの目安になるものであり(もっとも放射線を浴びたからといって絶対に急性症状を発症するものではない。),遠距離被爆者や入市被爆者に急性症状が発症しているという事実は,これらの被爆者が多量の原爆放射線を浴びたことを裏付けている。特に脱毛の発生は,被曝の重度さを示唆するものとされている。
更に重要なことは,このような急性症状があった者の方がなかった者より,その後の入通院が頻繁であったり,ぶらぶら病を発症したり,健康状態の変化を感じたりすることが多いが,かかる傾向はどの被爆距離若しくは被爆状況(入市若しくは救護)であっても同様である。
この点に関し,遠距離被爆者の脱毛が,放射線以外の要因,例えば被爆によるストレスや食糧事情などを反映しているかもしれないとの指摘のされることがある。しかし,各種の調査によると,遠距離地点における脱毛の発症率は,遮蔽があった方が低い率を示している。このように遮蔽の有無や爆心近くに入市したか否かによって発症率が異なるのであるから,遠距離被爆者や入市被爆者の急性症状の原因としてストレスや食糧事情などの影響は考えられず,原子爆弾による放射線被曝の影響がこのような被爆者に及んでいると考えざるを得ないのである,
(イ) 原爆投下後に被爆地付近に入市した者についてされた調査では,かなりの者に急性症状が発生したことが示されており,また,遠距離で被爆した後肉親の安否を尋ねて入市した者がその後急性原爆症で死亡したり,苦しんだ例等の紹介もある。このような入市被爆者に生じた急性症状も原爆放射線の影響によるものと考えられる。入市被爆者に関しても,ストレスや食糧事情等を急性症状の発症原因とする指摘もあるが,被爆後爆心地から1キロメートル以内に入ったかどうかによって,脱毛その他の急性症状の発症率に有意な差が出ており,これが原子爆弾による放射線被曝の影響によるものであることも明らかである。
(ウ) DS86では,このような遠距離被爆者及び入市被爆者の急性症状の発症を合理的に説明できない。すなわち,DS86は,直曝線量評価のための基準であるため,チェルノブイリ原発事故以後大きな問題となった誘導放射能や放射性降下物といった残留放射線についてほとんど考慮していない。この残留放射能は,呼吸や飲食により体内に取り込まれることによって低線量でも持続的に体内から人体を放射線に被曝させることになるが,DS86ではそのことの影響評価を放棄している。これは,ABCC-放影研の疫学調査が,調査対象となる被爆者に残留放射線の割当を行っていないことから,その調査の価値を落とさないように残留放射線や内部被曝の影響を過少に評価したために生じた欠陥である。DS86は,被爆者が実際に被曝した放射線量のうち,いわゆる直曝放射線量の推定を行っているにすぎないものであることをまず念頭に置く必要がある。
イ DS86には,初期放射線の直曝線量評価についても問題がある。DS86は,結局コンピューターによる数値計算を行って理論的に放射線量を推定するものであるから,このような推定値が実測値を再現するかどうかの照合が不可欠である。しかし,DS86と,実測値とを比較すると,広島の爆心地から1100メートルよりも遠い距離においては,DS86によるガンマ線の推定線量が実測値よりも小さくなっていくことが確かめられている。また,DS86の中性子線の推定値は,広島の爆心地から1500メートルの地点ではDS86の実測値の約14分の1,さらに2000メートル地点では実測値の約160分の1に,2500メートルでは実測値の1000分の1以下になっている。したがって,遠距離になればなるほど,DS86の推定を適用するとけた違いの誤差を生むことになる。
また,長崎においても中性子線については爆心地より700メートルないし900メートルを超えたあたりからDS86の評価は過小評価となる傾向が認められている。
このような誤差が生じたのは,[1]原爆の爆発点において放出された中性子線のエネルギー分布が不正確であること,[2]大気中の湿度等気象条件の評価が誤っていること,[3]DS86の計算条件あるいは計算式に不当な点があることが原因である。
ウ 放射性降下物等の影響がある地域を限定し,かつ放射性降下物及び誘導放射能に汚染された放射性物質を摂取したことによる内部被曝の人体影響を無視している。
(2) DS02の不当性
被告らは,本件訴訟において,DS86の正当性はDS02によって裏付けられたと主張する。しかし,DS86の重大な欠陥は,DS02でも全く補われるものとなっていないばかりか,DS02自体も多くの問題点が存在するものである。
ア DS02は,その報告書の総括もなされていない未完成なものである。
イ DS02による線量評価は,高速中性子について1400メートル以遠では役に立たず,中性子線について実測値と比較すると,DS86と同様近距離で過大評価となり,遠距離で過小評価となっている。特に,遠距離における実測値とのずれは,DS86よりDS02の方が拡大している。また,ガンマ線についても広島の爆心地より1500メートル地点での実測値がDS02の計算値を上回っている。バックグラウンドの評価も恣意的で杜撰である。
ウ 被告らは,DS86について指摘されていた広島における中性子線に関する測定値と計算値の不一致は,DS02によってバックグラウンドの補正を行えばこれが一致することが確認され,従前の指摘は測定方法の問題であってDS86の問題ではないと主張するが,これまでの実測においてもバックグラウンドについては丹念な評価がされているのであり,DS02における上記の補正は辻棲合わせにすぎない。
【被告ら】
(1) DS86及びこれを前提とする審査の方針別表9(初期放射線の被爆線量評価)の合理性(後記4)
ア 当該疾病の放射線起因性を判断するに当たっては,当該申請者が被曝した放射線量を具体的に把握することが必要かつ重要である。原爆症認定審査において判断の目安とされている審査の方針(証拠<省略>)では,日米の放射線学の第一人者が開発した広島及び長崎における原爆放射線の線量評価システム(DS86)に基づいて初期放射線による被曝線量を把握し,これを前提として,放射線起因性の判断をしている。このシステムは,近時の科学的知見によって解明されている原爆の初期放射線の飛散状況に基づいて,ガンマ線や中性子線の光子や粒子の1個1個の挙動や相互作用を忠実に再現し,最終的にすべてのガンマ線と中性子線の動きを大型のコンピユーターを駆使した膨大な計算結果に基づいて評価するものであり,これによってほぼ正確に線量評価がされている。実際の被爆試料を用いたガンマ線及び中性子線の測定結果による検証もされ,線量評価システムの客観性も裏付けられている。そして,この線量評価システムは,医療用放射線防護や原子力発電所での放射線防護などの領域において広く用いられているものであり,その信頼性は極めて高い。
イ 原告らは,下痢や脱毛等の「急性症状」がみられたことを,放射線の影響を受けたことを推定させる事実,すなわち,原爆症の認定基準のーつとして挙げているが,下痢や脱毛等の症状は,様々な原因があり得る非特異的な症状であるから,単にそのような身体症状がみられたというだけでは,「放射線の影響を受けたことを推定させる事実」とはなり得ない。結果から要因との因果関係を認めてしまうことは,本末転倒である。
(ア) 入市者に関する疫学調査の結果
放影研の調査の結果では,早期入市者(原爆投下後30日以内に入市した者)は,直接被爆者(原爆投下時に市内にいた者)のみならず後期入市者に比しても死亡率が相対的に低く,早期に市内に入ったことのために死亡率の増加があったとの形跡はなかった。白血病その他の悪性腫瘍による死亡率の増加も認められず,早期入市者の死亡率は全国の平均死亡率と比べても有意な差はなく,また,新たに低線量を被曝したと思われる長崎の被爆者を加えて調査したところでも,市内不在者群は幾つかの死因について被曝線量0(ゼロ)ラドの者より有意に低い死亡率を示すことが示唆されている。したがって,少なくとも,入市被爆者については,被曝によるリスクの増加は明らかになっていない。
(イ) 被爆による下痢は,腸管の細胞が障害されることによって生じる症状であり,5グレイ程度以上の被爆をした場合に,まずは前駆症状としての下痢が被曝の3ないし8時間後に起こるとされている。食事とは何ら関係なく起こり,その後,一定期間の潜伏期を経て血便に至るという特徴がある。また,被曝による脱毛は,毛母細胞が放射線によって障害されることによって生じる症状であり,被爆後,1週間後から2,3週間続き「バサーッ」と脱落したように見え,その後毛母細胞が修復されるため,8ないし12週間後には発毛が見られるという特徴がある。このように被曝による急性症状には,発症時期,症状の内容に明らかな特徴があるところ,本件の原告らが主張する「急性症状」は,その特徴に整合しない。
(ウ) 被爆直後に行われたアンケート調査の結果と,被爆後15年以後のアンケート調査の結果を比較すると,下痢,嘔吐,口内炎は直後の調査よりも15年後以降の調査の方が発現頻度が低く,発熱,脱毛,皮下出血,歯茎出血,鼻出血は15年後の調査の方が発現頻度が高い。特に,脱毛の発現率をみると,直後の調査では13.1パーセントのところ,15年以後の調査では23.1パーセントと,脱毛ありと回答した者の割合が不自然に増加していた。また,一致率も低く一貫性を欠いた回答をしていた者が多いことも判明している。したがって,このようなアンケート調査が被爆による急性症状を正確に把握していたとは認められない。
実際に爆心地から1.5ないし2キロメートル以遠のアンケート調査の結果を見ると,その距離が離れるに従って発症率が低くなるという関係はなく,その「急性症状」に原爆の初期放射線が影響を及ぼしているとは考えられない。
(エ) 他方,当時我が国は著しい食糧不足,栄養失調,感染症,空襲による社会基盤の崩壊等によって,国民全体が慢性下痢,貧血,赤痢・チフス・結核・マラリア等の感染症,ビタミン欠乏による脚気や壊血病などに苦しんでいたのである。また,特に,原爆投下当時の劣悪な衛生状態,栄養状態等にかんがみると,遠距離・入市被爆者の中に栄養失調や感染症,極度のストレス等による下痢の症状を訴えた者がいたのは当然のことであり,何ら不自然ではない。
また,脱毛についても,人は,もともと1日に50本程度の抜け毛があり,特に,9月から12月にかけて一時的に抜け毛が多くなることがあり,その本数は通常200本/日,多いときには300本/日ともいわれ,夏の体力消耗などが原因とされている原爆投下当時は入浴や洗髪もままならなかったのであるから,このような自然脱毛を見て一時的に抜け毛が噌えたと感ずることがあったとしても何らおかしくはない。さらに,投下された爆弾が原爆であったことを知れば,その健康影響を調べる調査の際に,自らの抜け毛も放射線の影響ではないかと考えて脱毛を申告した者がいたとしても不思議ではない。
自然脱毛以外にも,精神的ストレスの関与もあるとされる円形脱毛症のほか,栄養障害や代謝障害による脱毛もある。実際に,原爆投下当時は蛋白質,ビタミンB2,カルシウム等が著しく不足していたものと推測され,これが脱毛の原因となっていたと考えられる。
(オ) 放射線による急性症状は,最低でも1グレイ程度以上,脱毛は頭部に3グレイ程度以上,下痢は腹部に5グレイ程度以上,それぞれ被曝しなければ発症しない。しかし,原爆の初期放射線による被曝線量は,DS86に基づいて策定された審査の方針別表9のとおり,広島では爆心地から1.1キロメートル以遠,長崎では同じく1.25キロメートル以遠では,3グレイ程度に満たない。したがって,それ以遠で,放射線被曝による下痢はもちろん脱毛も生じさせる線量の放射線に被曝するということは考え難く,それ以遠でみられたとされる「急性症状」は,原爆放射線に起因するものとはいえない。
(カ) 以上のとおり,遠距離・入市被爆者に生じたとされる「急性症状」は,放射線被曝に起因するものとは考えられず,放射線とは別の要因に基づくものというべきであるから,原告らが被爆後に生じたとする様々な身体症状を,被爆後数十年が経過して発症した申請疾病の放射線起因性を認める根拠とすることは許されない。
(キ) なお,被爆者には被爆後長年にわたって「倦怠感」等の様々な症状が見られることがあるが,これは心因的な症状であって放射線被曝によるものではない。
ウ 原告らは,このDS86による初期放射線の線量評価には,爆心地から「遠距離になればなるほど,DS86の推定線量を適用するとけた違いの誤差を生むことになる」ことを指摘する。
しかし,遠距離地点においてDS86の計算値が実測値を下回っていると指摘されていたのは,広島であって長崎のことではない。長崎では,逆に,実測値がDS86の計算値を下回っていたのであるから,DS86による計算値と実測値の乖離の問題は,本件の争点ではない。
原告らが「誤差」の根拠として提出している証拠(証拠<省略>)によっても,広島の爆心地から2.05キロメートルの距離におけるガンマ線の初期放射線の実測値は,わずか0.129グレイ程度にすぎない。一方,DS86による同地点における計算値は,0.0605グレイであり,いずれにしても,絶対値でみればそれぞれ無視し得る程度の線量でしかなく,その乖離も有意なものではない。放射線量は,爆心地からの距離の2乗に反比例して低下するという放射線の基本的な減衰の特徴に加え,空気中の分子や水蒸気との相互作用も伴って,更に以遠では急激に低下するから,DS86に基づく計算値と実測値との間に乖離があるとしても,人の健康影響という視点からみた場合には無視し得る問題にすぎない。例えば,被爆による急性症状としての脱毛は,頭部に3ゲレイ程度以上,下痢は腹部に5グレイ以上の放射線を浴びなければ発症せず,上記のような実測値程度の放射線量が,人の健康に影響を与えるものでないことは明らかである。
そもそも,原爆による中性子線量の全線量に対する割合は,広島の場合は1000メートルで5.8パーセント,1500メートルで1.7パーセント,2000メートルで0.5パーセントと非常に低く,長崎の場合には更に低い。したがって,仮に中性子線量にDS86の理論計算値と実測値との間に乖離があったとしても,被爆者の推定線量にはほとんど変化は発生しない。
なお,原告らが主張する測定値とDS86による計算値との不一致は,熱中性子線に関して指摘されていたものであり,速中性子線については測定植と計算値は一致していた。原爆による被曝線量は,速中性子を主体とする線量であって,熱中性子の被曝線量への寄与は少なく,熱中性子線の測定値との不一致があるからといって,これが直ちにDS86の計算値が誤っていることを意味するものではない。
エ 以前,DS86にはなお検討すべき点もあるとされていたが,その後も研究が続けられた結果,DS02において,改めてDS86の正当性が検証され,DS86に基づいて初期放射線の被曝線量を推定する審査の方針の合理性も確認された。
DS02は,日米の原爆放射線量評価実務研究班が引き続き被曝線量システムについて進めていた研究を集積・統合し,平成15年(2003年)3月にDS86を更新する線量推定方式として策定されたものである。
DS02は,DS86における評価方法を踏襲した上で,更に進歩した最新の大型コンピュータを駆使し,最新の核断面積データ等を使い,かつDS86よりも緻密な計算を用いることにより,DS86よりも高い精度で被曝線量の評価を可能としたものである。DS02策定に当たってされた研究は,DS86の評価方法の正当性を改めて検証する結果となった。
すなわち,DS02では,バックグラウンドによる測定の誤差等が検討され,バックグラウンドによる影響を極めて低くした精度の高い測定を行うなどした結果,測定に当たって対象外の放射線源から発せられる放射線が計測されるという測定方法の誤りが判明した。そしてバックグランドによる誤差を排除した結果,測定値とDS86による計算値とがよく一致していることが判明し,DS86の初期放射線の被曝線量評価体系自体に欠陥があるわけではないことが明らかになったのである。
DS86による原爆の初期放射線の被曝線量評価(審査の方針別表9)の合理性の問題はもはや決着が着いたというべきである。
オ 審査の方針における放射性降下物,誘導放射線による被曝線量評価及び内部被曝の評価の正当性については,前記2で説明したとおりである。
5 原因確率論の問題点
【原告ら】
被告らは,原爆症の認定について,平成12年から,被爆者の被曝線量について,DS86の推定するガンマ線と中性子線の吸収線量を単純に加えて求め,次いで,この吸収線量を疾病の種類,被爆時の年齢及び性別ごとに作られた表に当てはめて原因確率を算出し,この原因確率が50パーセント以上であれば申請した疾病が放射線に起因した可能性が高いとして認定し,原因確率が10パーセント以下であれば,起因した蓋然性は低いとして申請を却下するという方針で臨んでいる。
しかし,この原因確率論による認定審査の方針は,以下のとおり,疫学の基礎を全く欠いた科学の名に値しない手法であり,認定審査の基準とすることは著しく不当なものである。
(1) 放影研の疫学調査の問題
ア 疫学の方法のうち,コホート研究においては,追跡を行う集団として曝露群と非曝露群を設定して,非曝露群を対照群として曝露群との比較を行うことが原則である。しかし,放影研における疫学調査では非曝露群を対照群として設定せずに曝露群同士を比較しているため,要因に全く曝露されていなかった状態が分からず,また,ごく低量の曝露が重大な影響をもたらす可能性を見逃してしまうことになる。原爆放射線との関係でいえば,疫学調査の設計上の欠陥のために全く放射線曝露を受けていない状態における自然のリスクを推定に頼らざるを得ず,内部被曝や低線量被曝固有のリスクを見逃してしまうことになるのである。この点は,イにおいても更に触れる。
イ 回帰分析が正確にされるためには,線量反応関係が正しく把握されていること及び対象集団に対する線量の割当てが正確になされていることが絶対条件である。ところが,放射線影響研究所の疫学統計では,線量別被爆者群,非被爆者群の設定にDS86を用いている。その結果,遠距離被爆者や入市被爆者は,対照者詳(非曝露群)の設定の際には,真実は放射線の曝露を受けた者であるにもかかわらず,非被爆者(非曝露群)として扱われていることがある。すなわち,放影研の疫学調査では,調査対象者(コホート)に割り当てられる線量は,初期放射線だけであり,残留放射線がほとんど考慮されておらず,遠距離被爆者や,入市被爆者を非被爆者として対照群に入れる誤りを犯している。また,このような対象者群を設定したことにより,線量としてはわずかな評価しか受けていない内部被曝や低線量被曝固有のリスクを見逃してしまうことになるのである。
被爆者に割り当てられる線量の評価にも誤りがあることは同様である。
また,ガンマ線と中性子線を比較すると,人体に対する影響(生物学的効果比)において,遥かに後者の方が影響が大きい。放射線の人体影響は,このような中性子線の生物学的効果比を考慮に入れて,線量当量として考えるべきである。ところが原因確率の算出に当たっては,認定申請者についてこのようなガンマ線と中性子線の影響力を無視し,ガンマ線と中性子線の吸収線量を単純に加算した吸収線量を用いてしまっている。このことも,原因確率適用の致命的欠陥の一つである。
ウ 放影研の疫学調査では,調査開始までの被爆者の死亡による影響を考慮していない点でも大きな問題がある。すなわち,被爆しながら1950年の調査開始までに生き残っていた被爆者は,放射線の影響に対する抵抗力がある(放射線感受性の低い)可能性が高く,そのような被爆者を疫学調査の対象とした場合には,死亡した被爆者を含む平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響が顕在化しにくいことになる。
また,放影研による調査がされた当時,被爆者は社会的に迫害されるような状況に置かれており,被爆者と名乗り出ることを躊躇する者があったと考えられる。特に病気がちの者や,被爆によると思われる疾病(急性症状)に罹患した経験を持つ者は,被爆事実を申告しなかった可能性がある。
その結果,見かけ上,健康な被爆者のみが選択された可能性が強く,それが,調査の結果を歪ませた。
エ 原因確率表の基となったA1研究の寄与リスクは,乳がんと甲状腺がん以外のがんについては,発症率調査ではなく,死亡率調査を基礎として寄与リスクを算定している。しかし,原爆症認定申請疾患は,死亡原因ではなく,現在罹患している疾患についての認定なのであって,もし死因よりも発生率の方が高いとすれば,生存する被爆者に死亡調査の結果を適用することは誤りといわなければならない。現に,死亡・発生の双方に過剰相対リスクが評価されている19のがんのうち,過剰相対リスクが死亡率調査の方が高いものは,食道,胆嚢・胆管,子宮頚部と子宮の3つだけであり,固形がん全休では,死亡率調査の過剰相対リスクに対して発生率調査のそれは1.5倍以上も高くなっている。
また,寿命調査は,死亡診断書により死因の調査がされているが,死因に関しては相当の割合の誤分類が存在しており,また,死亡に直結しない疾病が見落とされがちである。このように死因の調査を,死亡診断書を基礎にしたことにも大きな問題がある。
オ 最近更に広い範囲の放射線の人体に対する非特異的な加齢の影響が明らかになりつつある。つまり,放射線ががんのみならず,多くの疾病の発症を促進しているのである。そして,原因確率を発症するかしないかではなく,発症の促進を含めて考えれば,すべての被爆者が発症を促進されたと推定して良い状況にある。
カ 疫学上リスクを評価するに当たっては,潜伏期間への配慮が必須であるところ,審査の方針で基礎とされている放影研の疫学調査は40年間及び29年間の調査期間によって得られたデータにすぎない。しかし,現在,がんを中心とする原爆放射線の後影響の潜伏期間についての病理学的解明は必ずしも進んでいないため,個々の疾病ごとに,潜伏期間がいつ終わったかは,統計学上有意な疾病の増加が観察されないかぎり分からない。現に従来の放影研の調査においても,固形がんの潜伏期間とされる10年を経過した当初は不明であった放射線の影響が,調査を続行することによって有意であると判断されるに至ったことがある。例えば,肝臓がんについての原爆放射線の影響が認められたのは1992年(平成4年)のことであり,骨髄異形成症候群についてはごく最近である。
したがって,統計上有意な増加が認められていない疾病については,たとえ40年間及び29年間の調査だからといって潜伏期間への配慮が十分ということにはならない。すなわち,現在原爆放射線による影響につき統計学的有意性が認められていない疾病について将来有意性が認められる可能性がある。
キ 起因性の判断に当たっては,認定申請にかかる被爆者についての疾病と関連する可能性がある特性(被爆状況,入市状況,急性症状の有無,被爆後の状況)を考慮に入れなければならない。しかし,放影研の疫学調査は,統計を用いた疫学の方法に由来した限界から,こうした特性を調査の対象としていないか,あるいは調査集団の層化(グループ分け)に利用していないため,その調査結果においては,被爆者のこうした特性は捨象されてしまう。
(2) 原因確率の当てはめの際の問題
ア 「審査の方針」は,A1研究が放影研の疫学調査から算出したとする寄与リスクの数値を,ほぼそのまま「原因確率」の値として転用している。
ところで,寄与リスクは,ある要因の集団(社会)全体に対する影響を表すものであって,個人に対する影響を表すものではなく個人の起因性判断にそのまま適用することは予定されていない。寄与リスクを何故原因確率に転用できるのかには大きな問題があるが,A1研究は,この点について「寄与リスクは,曝露群におけるがん死亡者(罹患者)のうち原爆放射線が原因と考えられるがん死亡者(罹患者)の割合を示す」とした上で,ここから曝露群中任意の一人を取り出した場合の放射線起因性がある確率,つまり「原因確率」も寄与率と等しいとの結論を導いている。しかし,[1]そもそも寄与リスクの値と放射線起因性ある者の割合は一致するのか,[2]仮に曝露群の中で放射線起因性ある者の割合(比率)が判明したとして,そのままそれが個人の「原因確率」の値と言いうるのか,という二つの重大な疑問がある。
放射線抵抗力(又は放射線感受性)は個人によって異なるから,同一の線量・年齢・疾病であっても,「原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる確率」や「寄与率」は個人によって全く異なる可能性がある。ところが,寄与リスクは,曝露群の発症率や非曝露群の発症率といういわば各集団ごとの「平均値」から機械的・一義的に算出される。「原因確率」を寄与リスクによって表せば,個人個人で異なるはずの放射線抵抗力や他の要因の大小は捨象され無視される。疫学上の指標を本来の目的を越えて個人にあてはめる『原因確率論』は既にこの点で不合理である。
また,曝露群の中には,放射線に被曝しなくとも,非曝露群と同様の比率で当該疾病を発症した者がいたであろうという推論は可能であるが,そのような者が,被爆後に当該疾病を発症した場合に,それが放射線の作用と無関係に,専ら他の要因だけの作用で発症した等という根拠はない。ある共通の要因をもつ集団で,その要因がある疾病発生の原因である場合には,その集団に属するすべての個人がその疾病にかかる危険又は既にかかった経験を有することを表し,その集団内で当該疾病にかかったすべての人は,その要因が原因で当該疾病にかかった可能性があるというのが,疫学の明らかにするところである。
また,放射線の共同成因としての作用が,当該疾病の発症時期又は進行を直接又は間接に促進するものであった場合は,たとえ寄与リスクや相対リスクがいかに小さい場合でも,放射線によって発症した被爆者の比率はずっと大きくなる。そして,原爆被爆者について,がん及び非がん疾患について,放射線が直接又は間接に促進的な役割を果たしている可能性が指摘されている。
イ また,認定申請者の被曝線量の評価もDS86が基礎とされており,DS86による線量評価が信頼に値しないものであることは前記のとおりである。
【被告ら】
(1) 原因確率を用いた放射線起因性判断の合理性
被爆原告らの申請疾病は,被爆者であるか否かを問わず,加齢等の要因により国民に広くみられるものである(今日,日本人一般が生涯にがんになる確率は,男性で46.3パーセント,女性で34.8パーセントとされており,男性の約半分が,女性の約3分の1ががんに罹患しているのが現実である。)。こうした疾病は,もちろん放射線被曝特有の症状が現れるわけではないため,当該被爆者個人の健康状態や被爆状況等のみを分析しても,その疾病が放射線被曝によって生じたものか否かを個別的に判別することは極めて困難である。
また,被爆原告らと全く同じような状況で被爆したにもかかわらず,被爆原告らが訴えるような申請疾病に罹患しない者も多数存在することも明らかである。その意味で,原爆放射線と申請疾病との関連性は,もともと極めて希薄というべきものである。
そこで,審査の方針では,訴訟上放射線起因性について立証責任を負うべき原告(申請者)の便宜を図るとともに,客観的かつ公正な原爆症認定を行うために,がんなどのような確率的影響に係る疾病については,放影研が広島及び長崎の被爆者の線量推定値を基礎に疫学的手法を用いて算出したリスク推定値を基に,原爆放射線の影響を受けている蓋然性があると考えられる原因確率を算定し,これを目安として,放射線起因性の判断をすることとしている。放影研が行った疫学調査は,世界的にみても例がないほどに大規模であり,疫学的にも極めて精度の高い調査であって,このような調査に基づいて算定された原因確率による判断方法に不合理な点はなく,これに勝る料学的な知見は存在しない。
(2) 原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない疾病に関する放射線起因性判断の合理性
被爆原告らの申請疾病のうち,ガラス摘出後遺症,両変形性膝関節症,両変形性足関節症,C型慢性肝炎,甲状腺機能低下症,肝硬変,慢性肝炎,原発性心筋症,心筋梗塞,高脂血症,糖尿病,腎機能障害,白血病(成人T細胞白血病)及び狭心症については,放射線以外の明確な発症原因がある疾病であり,原爆の放射線がその発症等に寄与したか否かを含め,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されておらず,これを否定するのが今日における放射線学の常識というべきものである。
審査の方針では,「原爆放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていないことに留意しつつ,当該申請者に係る被曝線量,既往歴,環境因子,生括歴等を総合的に勘案して,個別にその起因性を判断するもの」と戒めているが,放射線起因性に係る肯定的な科学的知見が立証されていない以上,通常は,放射線起因性について高度の蓋然性があるとはいえないと判断されてやむを得ないものである。
(3) 原告らは,放影研の疫学調査について,非曝露群を設定して比較せずに,曝露群相互を比較しているとして,これが疫学調査の方法として誤りであると主張する。しかし,放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析によって曝露要因ゼロ(被曝線量ゼロ)のときの死亡(罹患)率の値を推定し,これと任意の曝露要因量(任意の被曝線量)での死亡(罹患)率の増加割合を推定することによって,より正確な相対リスク等を算出しており,上記原告らの主張は,失当である。また,対照群に非曝露群を設定して,これと非曝露群とを比較するという手法はあり得るものであるが,このような外部比較法による場合,曝露群との間において,どうしても曝露因子以外の要因の分布が大きく異なることが少なくなく,疫学調査の方法としては重大な問題がある。放影研も,過去の疫学調査において,内部比較法と併せて外部比較法を用いたことがあったが,非曝露群における曝露因子以外の要因の分布が曝露群と大きく異なる可能性が指摘されたため,内部比較法のみを用いることとなったものである。
(4)ア 残留放射能や内部被曝に関する原告らの主張は何ら実証されておらず,また,推定被曝線量の絶対値が生物学的効果比を用いることによって変化したとしても,コホート集団である原爆被爆者における死亡率等の事象に変化が生じないのであるから,吸収線量を用いたときと生物学的効果比を用いた等価線量を用いたときとによって原因確率の値は変わるものではない。
イ 更に,現在原爆放射線による影響について統計学的有意性が認められていない疾病についても,将来有意性が認められるようになる可能性はあるが,原爆症認定はその時点における科学的知見に基づいて判断するほかないものであり,上記のような可能性があるからといって,その可能性が確認されていない段階における当該判断が誤りとなるわけではない。
ウ 原告らは,被爆者が様々な社会的被害を受けたことにより調査対象に偏りが生じた可能性があると主張するが,放影研の調査の期間及び規模は,世界的にも例をみない大規模なものであり,被爆者として名乗り出ることにちゅうちょを感じて被爆の事実を申告しなかった者がいる可能性を否定できないとしても,そのことが上記のような大規模な放影研の調査の結果に影響を与えるとことはない。
また,1950年以前の実態を正確に把握した疫学データを得ることができれば,ABCC及び放影研の疫学解析の信頼性がより高まる可能性がないとはいえない。しかし,1950年以前の正確なデータを得ることは不可能であり,同年以降のデータを基礎としたからといって,直ちに放影研の疫学解析の信頼性が失われるわけではない。放影研の疫学研究は,被曝線量ごとに設定された集団を追跡していくコホート研究であり,上述のように線量に応じたコホートごとのリスクをポアソン回帰分析で算定するものである。したがって,疫学上,原理的には1950年以前のデータが得られなかったとしても,リスクの変動は生じない。
エ 原告らは,放影研の疫学調査は死亡調査を基本としているため,死亡に直結しない疾病が見落とされがちであるなどと主張するが,放影研の調査は,死亡調査のみならず発生率の調査も行い,誤差があり得ることを認識した上で信頼区間を求め,高い割合で信頼できる結果について報告・発表しているものである。
オ 原告らは,起因性の判断に当たっては,疾病と関連する可能性がある特性(被爆状況,入市状況,急性症状の有無,被爆後の状況)を考慮に入れなければならないが,放影研の疫学調査結果においてはこうした特性は捨象されてしまうと主張する。しかし,疫学的検討においては疾病と放射線被曝との(疫学的)因果関係が推定できるかどうかを検討するが,これは飽くまで放射線に被曝することで疾病の発症率が増加する可能性があることを示すにとどまる。そして,疫学調査の結果を基に算定された原因確率も,個人に発症した疾病とそれをもたらした原因との関係を定量的に評価するための尺度であり,その算出に当たっては被曝時の年齢,性別及び線量以外の要因を考慮しないため,当該被爆者の疾患が放射線に起因する可能性についての割合を直接示すものではない。だからこそ,原爆症認定の審査における放射線起因性の高度の蓋然性の有無の判断は,疫学調査と検討の結果算出された原因確率のみならず,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,総合判断している。
6 原告らの申請疾病と原爆放射線の影響について(総論)
【原告ら】
(1) がんについて
白血病以外のがん死亡率に関しては,被曝時の年齢が低いほどリスクが高いとされているが,今後若年被爆者にどのような影響が出てくるのかを調査する必要がある。現時点で,がん発生のリスクを無視ないし否定することは科学的妥当性に欠ける。
ア がん,悪性腫瘍一般について
被爆者には単一がんのみならず,多重がんが発生する可能性も高い。また,若年被爆者の場合には,低線量の放射線しか被曝していなくても,リスクが高い。
イ 前立腺がんについて
放影研の報告では前立腺がん死亡率に有意な増加は認められていない。しかし,[1]技術の進歩による死亡率低下の可能性,[2]高齢発生のがんであるから長い観察期間を要すること,[3]前立腺がんで死亡する前に他の疾患での死亡の可能性,[4]診断書上の見落としの可能性もあるので,前立腺がんと放射線との関係を直ちに否定すべきではない。現に,病院からの報告によると,前立腺がんの割合も高い。
ウ がん以外の疾患について
放影研の最近の報告によると,がん以外の循環器疾患(中心は心疾患と脳卒中)や消化器疾患(中心は肝硬変)にも死亡率に有意な増加が認められるとされている。
エ 甲状腺疾患について
甲状腺疾患についても起因性を強く示唆する医学的知見や調査結果がある。
オ 慢性肝炎及び肝硬変について
放影研の報告でも,被曝とウイルスの持続感染が共同成因として肝炎の進行に関与した可能性が指摘されている。
カ 白内障について
最近の放影研の報告でも,有意な線量反応関係が認められている。
キ 熱傷,外傷後障害について
ケロイド形成については起因性は明らかであるが,変形性関節症なども放射線被曝を含む原爆災害そのものによる傷害の結果である。
(2) 原爆症認定の在り方
ア 固形がん,悪性腫瘍については他に明確な原因がない限り認定すること発がんに関わる確率的影響については,低線量領域においても適用されるというのは放影研の研究者も含めて確立した知見である。
したがって,低線量被曝であっても起因性を認めるべきである。
イ 原爆症認定疾病の範囲を拡大すること
急性症状がある場合は当然に起因性を認めるべきである。その記憶がない場合でも被爆地点,被爆後の行動,入市状況などから被曝している可能性が十分考えられる場合には,認定すべきである。
また,LSSやAHSで被曝の影響が認められている疾患はもちろん,認められていない疾患であっても他に合理的な説明がつかない限り,起因性を認めるべきである。
ウ 認定の条件
(ア) 原爆放射線による被曝,又はその身体への影響が推定できること
(イ) 白血病などの造血器腫瘍,多発性骨髄腫,骨髄異形成症候群,固形がんなどの悪性腫瘍,中枢神経腫瘍のいずれかに罹患していること
(ウ) 原爆放射線の後影響が否定できず,治療を要する健康障害が認められること
上記(ア)及び(イ)又は(ウ)が認められ,現に治療を要する状態にある場合には,原爆症と認定されるべきである。
【被告ら】
(1) 多重がんについて
被爆者には,単一がんのみならず,多重がんが発生する可能性も高いという見解がある。
しかし,被爆者に限らず,一般に,治療によって治癒・延命できるがんが増加していることや,寿命の延長による高齢者の増加のために,多重がんの生じる機会は増加しつつある。すなわち,がんの罹患率は年齢とともに増加するところ,近年,男性ではがんの罹患率の増加の割に死亡率は余り増えていないし,女性では罹患率が漸増したにもかかわらず,死亡率はむしろ漸減している。このように,がん治療の進歩等により,罹患の割に死亡する割合が滅ってきたわけで,その分,余命も延びることになる。そして,高齢になるほど他のがんに罹患するリスクも大きくなるから,第2がんに罹患すること,すなわち多重がんの発生の頻度も高まることになる。原告らを含む被爆者集団についても,一般の集団と同様,がん治療の進歩等に伴い,罹患率に対して死亡率は低下し,余命が延長していくのに対し,加齢により第2がんの罹患のリスクは高まっていくのであるから,多重がんの発生率が増すことは当然のことである。少なくとも,現時点において被爆者集団が多重がんに罹患するリスクが有意に増加していることを示す科学的な知見はない。
(2) 前立腺がんについて
放影研のLSS(寿命調査)報告では,被爆者の前立腺がん死亡率の有意な増加が認められていないし,発生率調査でも原爆放射線被曝と前立腺がんの発生には疫学的に有意な関係は認められなかった。したがって,被爆者の前立腺がんに関する疫学調査においてその死亡率,あるいは発生率に有意差が認められるのに長期間を有する可能性は否定できないが,現時点における科学的な知見を前提とする限り,被爆と前立腺がんの発症あるいは死亡との間に高度の蓋然性があるということはできない。
(3) 甲状腺疾患(がんを除く。)について
原告らは,各種の調査から良性甲状腺疾患,甲状腺結節,自己免責性甲状腺機能低下症である慢性甲状腺炎等について放射線との間に有意な関連が認められているとしている。しかし,原告らが引用する文献等を検討すると,5種類の甲状腺疾患をまとめて調査をしたものや,線量一反応関係が認められないもの,あるいは症例数が少ないものであり,このような調査結果から特定の甲状腺疾患と放射線との間の疫学的な因果関係を導き出すことは困難というほかないものである。すなわち,甲状腺機能低下症の放射線起因性を認めるに足りる知見はない。
(4) 白内障について
ア 白内障とは,眼の水晶体が混濁した状態をいう。原爆放射線白内障については,水晶体混濁の位置,形状,近距離直接被曝の事実,白内障を併発する眼疾患のないこと,原爆以外の電離放射線の被曝線量等を考慮することにより,その診断が可能となっている。
また,放射線が水晶体に与える影響は確定的影響であるから,しきい値以下の線量での放射線被曝では,通常,放射線による水晶体に障害が起こることは考えられず,放射線白内障を発症することはないとされている。
なお,審査の方針においては,放射線白内障のしきい値を1.75シーベルトとしているが,この数値は,ICRP(国際放射線防護委員会)において採用されているもので妥当な基準である。
イ 原告らは,AHS第8報によれば,白内障に有意な線量反応関係が認められたとする。しかし,同報告の信頼性は低く,その内容を検討すると,2グレイを超えた領域では相対リスクが全く上昇していないことから,線量反応関係を肯定することが困難であることが示唆されるほか,調査時年齢が60歳を越えると有意差が認められなくなることは,ここで扱われている白内障のほとんどが放射性ではなく,老人性であることを示唆するものと考えられる。したがって,同報告をもとに,放射線白内障について確率的影響の下にあるということはできない。
(5) 熱傷・外傷後障害について
ア ケロイドは,皮膚の創傷や火傷後の瘢痕部ないしその周辺の線維性増殖よりなる腫瘍様病変で,組織学的に硝子化した太い線維束の存在が特徴的である。ケロイドは,自然に退縮する瘢痕性練維腫症(肥大性瘢痕)とは異なり,病変が自然に退縮することはなく,再発が切除後にみられることがある。
その成因は,熱傷などにより欠損した組織が,肉芽組織とその線維化によって置換され,再生など修復に至る創傷治癒の過程において,瘢痕組織として膠原線維が過剰に生じることにある。
被爆者にみられるケロイドは,原子爆弾の熱線による熱傷により生じたものであるが,原爆熱傷の特徴は,身体表面に占める範囲が広く,ほとんどすべてが第2度ないし第3度の熱傷であり,普通の熱傷瘢痕症例と比べ瘢痕の大きさが非常に大きく,部位も1か所にとどまらず身体の各部にわたって生じたことである。
このように,ケロイドは原子爆弾の熱線による熱傷後障害であり,医療分科会の審査において,当該症例のケロイドについて,その治癒能力が原爆放射線の影響を受けているものと判断されれば,放射性起因性が認められ,さらにケロイドの部位や範囲によって生じる機能障害や審美障害を申請例ごとに勘案した上で,要医療性を判断している。
イ また,変形性関節症(変形性膝関節症は膝関節に生じたもの,両変形性足関節症は足関節に生じたものをいう。)は,関節に慢性の退行性変化及び増殖性変化が同時に起こることで,関節の形態が変化する疾患である。一次性変形性関節症と二次性変形性関節症に大別され,前者は中年以降にみられ,老化現象に加え,力学的ストレスが加わって発症し,後者は若年者にもみられ,関節の外傷,形態異常,疾患,代謝異常など明らかな原因を有するものに続発して生じるものである。したがって,放射線被曝が変形性関節症を発症させるとはいえない。
(6) 肝機能障害・C型肝炎・肝硬変について
ア 肝機能障害の意義
肝機能障害とは,肝臓の機能に何らかの障害が起きている状態をいい,肝細胞内の酵素であるGOT,GPT等が血中に流出し,異常値が認められる。その原因には以下のとおり様々なものがある。感染,アルコール,薬物,自己免疫,代崩異常など様々なものがある。感染では,よく知られているものに肝炎ウイルスがあり,日本での肝炎の原因のほとんどはA型,B型,C型である。急性肝炎の頻度として最も多いのはA型肝炎,次いでB型肝炎であり,慢性肝炎ではC型肝炎が多い。肝炎ウイルス以外にも,EBウイルスやサイトメガロウイルス等による肝機能障害がある。
イ 慢性肝炎,肝硬変,肝細胞がんの成因
肝炎とは,何らかの原因で肝臓に炎症が起こり発熱,黄疸,全身倦怠感などの症状を来す疾患の総称であり,急性の炎症である急性肝炎と,6か月以上,肝細胞の破壊が持続する慢性肝炎がある。
慢性肝炎が持続すると肝硬変(肝細胞が死滅・減少し線維組織によって置換され,結果的に肝臓が硬く変化し,肝機能が減衰した状態)となり,肝硬変ではしばしば肝細胞がんが合併する。
慢性肝炎,肝硬変は,ウイルス,自己免疫,薬物,金属(鉄,銅)など肝障害をもたらす因子が持続的に存在していることが必須である。
我が国の慢性肝炎の4分の3は,C型肝炎ウイルス(HCV)によるものとされている。
C型肝炎は,輸血などを契機に,HCVが混入した血液を介して感染する。C型慢性肝炎は,HCVの持続感染の結果惹起される病態であり,6か月以上,肝機能検査値の異常とHCVの持続感染が認められる場合にC型慢性肝炎と診断される。HCVは,非常に早い速度で遺伝子の変異を繰り返す能力を有しているため,ウイルスを排除する抗体による免疫監視機構を無力にし,感性を持続させる。そのため,HCVにいったん感染すると,持続感染により慢性肝炎を発症する場合が多く,HCV感染者の70ないし80パーセントがC型慢性肝炎を発症するとされている。
ウ 放射線と肝機能障害
骨髄や生殖器等,細胞増殖が活発な部位は,一般に放射線の影響を受けやすいとされているが,肝臓は,放射線の影響を受けにくい臓器であり,大量の放射線に曝露しても,一過性の肝障害がみられるにすぎず,まして,被爆後,何十年も経過した後に被曝による肝機能障害が生じることもない。これが今日における放射線医学の疑いの余地のない常識である。
なお,放射線被曝による肝障害は,肝静脈の閉塞性病変であって,慢性肝炎とは全く病態が異なる障害である。放射線被曝により慢性肝炎が生じることはない。
エ 放射線被曝とC型肝炎
最近の調査及び研究によると,原爆放射線による被曝線量は,C型肝炎抗体陽性率と関係がないこと,あるいは1993年から1995年の2年間に広島か,長崎で健康診断を受けたAHS(放影研による成人健康調査)対象者に関する調査によると,被爆者にHCV持続感染者の比率が多いという知見は得られず,むしろ有意に低率であり,HCV持続感染成立に対する被爆の促進的な効果あるいはHCV感染者における肝障害発現に対する被爆の促進的な効果のいずれについても否定的な結果であったことが報告されている。したがって,原爆放射線とC型肝炎との間には何らの関係も認めることはできない。
なお,慢性肝疾患の相対リスクが有意の線量反応を示したとされる放影研による成人健康調査は,肝疾患の種類,成因等を何ら検討していないものであって,放射線被曝とウイルス性肝炎との関連性を示唆する信頼すべき科学的知見とはいえない。
オ 放射線被曝と肝硬変
肝硬変に係る過去の剖検例及び死因からの研究では,放射線量と肝硬変有病率の間に有意の線量反応あるいは過剰相対リスクを認めたものと,これを認めなかったものがあり,剖検例及び死因からの解析では肝硬変への進展について放射線が関与しているかどうかについては,明確な結論は得られていない。更に,最近の研究では,被爆者における肝硬変の成因に関する解析からは原爆放射線が肝硬変の成因として関わっているとする根拠は得られず,被爆者の肝硬変進展に関わるのは肝炎ウイルス感染であり,被爆ではないと結論されている。したがって,放射線被曝と肝硬変の発症との間に関連性を認めることはできないというべきである。
(7) その他の申請疾病について
ア 高脂血症について
高脂血症とは,血液中のコレステロール又はトリグリセリドのいずれか,又は両方が標準以上に増加した状態をいう。高脂血症の要因は多様であるが,大きく分けて,原発性(遺伝的要因が基盤となり欧米では家族性と呼ばれることが多い)と,二次性(諸疾患や薬物,食事性要因などによるもの)とに分けられる。また,高脂血症は放射線起因性が認められない疾患であり,食生活や運動不足などの日常の生活習慣に起因する生活習慣病として広く知られている。
原告X30の高脂血症については,認定申請における医師の意見書において,「糖尿病,高詣血症,特に中性脂肪高値」と記載されていることから,糖尿病による二次性のものであると考えられるが,後記イで述べるとおり糖尿病については,放射線起因性が認められないことから,原告X30の高脂血症についても放射線起因性は認められない。
イ 糖尿病について
糖尿病は血中ブドウ糖濃度の持続的高値を示す疾患で,中長期的に血管障害と神経障害を生じ,網膜症や腎症,末梢神経障害など全身に様々な異常を引き起こす。
その病因は,糖代謝異常である。すなわち,膵臓のランゲルハンス島のβ細胞から分泌される血糖値の上昇を抑制する酵素であるインスリンの分泌低下若しくはインスリンの作用低下によるインスリン効果の低下により,血液中から筋肉,脂肪組織,肝臓へのブドウ糖の取り込みが低下することで,血中のブドウ糖濃度が上昇する。それに加え,インスリンの作用不足により,アミノ酸,乳酸,グリセロールなどから新しくブドウ糖が合成される糖新生が肝臓で活発になり,ブドウ糖が肝臓から血中に放出される。これら一連の現象により,糖尿病においては,血中のブドウ糖の濃度が著明に上昇し,高血糖が起こる。
糖尿病の発症については,家系など遺伝的要因と摂取カロリーの過剰と運動不足といった生活習慣から生じる肥満との関連が指摘されているが,放射線との関連についての指摘はされておらず,原爆被爆者における糖尿病有病率は,被爆状況と一定の関連はみられなかった。
そもそも,糖尿病の標的臓器である膵臓は,放射線感受性の低い臓器と考えられており,放射線被曝の急性期においても,数百ラド(数百センチグレイ)の放射線被曝では組織学的にも内分泌学的にも異常は報告されていない。
ウ 肥大型心筋症について
肥大型心筋症は,左室肥大を生じる原因疾患を有さない左室の異常な肥厚と左室腔の狭小化を特徴とする疾患である。左室壁の肥厚は不均等に,特に心室中隔を中心に生じることが多いとされている。そして,その60パーセントにサルコメア構成蛋白質の遺伝子変異が認められ,常染色体優性遺伝形式をとる。多くは家族性に発症し,時に散発的に認められる。罹患患者の頻度は人口500人に1人とされ,循環器疾患の遺伝疾患の中で最も頻度が高いものである。
しかし,放射線によって,肥大型心筋症が生じるとする知見はない。
なお,X22の肥大型心筋症は,高血圧等による二次性のものであるとも考えられる(ただし,その場合,疾患名としては,「肥大型心筋症」とすることは不適切である。)。そうすると,高血圧については,後記エで述べるとおり,放射線起因性が認められないことから,X22の「肥大型心筋症」について,放射線起因性は認められない。
エ 高血圧について
高血圧は生活習慣病の代表である。高血圧患者の約90ないし95パーセントは現時点で原因が究明されていない本態性高血圧患者であり,その他は原因が明らかな二次性高血圧患者である。二次性高血圧は,糸球体腎炎,糖尿病性腎症など腎疾患により生じた腎実質性高血圧,腎動脈の粥状動脈硬化による腎血管性高血圧,レニン産生腫瘍による高血圧,褐色細胞腫による高血圧,原発性アルドステロン症による高血圧,デオキシコルチコステロン過剰産生による高血圧,Cushing症候群による高血圧,甲状腺ホルモン等のホルモン異常による高血圧,薬剤性の高血圧など多様である。
本態性高血圧は遺伝因子と環境因子の複雑な相関により発症する。遺伝因子としては,高血圧原因遺伝子,ナトリウムイオン輸送欠陥説,自動調節説が挙げられる。また,環境因子としては,食塩の過剰摂取,肥満,運動不足,ストレスなどが挙げられる。その他の因子としては,自律神経系の異常などの神経性因子,レニン-アンジオテンシン系,降圧系の内分泌性因子,腎性因子,インスリン抵抗性などが考えられている。
ところで,収縮期及び拡張期の血圧は,加齢に伴って上昇することが知られている。この変化は収縮期血圧の方が著明で,拡張期血圧は加齢が進むと逆に低下を始める。そのため,高齢者では収縮期高血圧という状態になりやすいといわれている。原爆被爆者においても同様の傾向がみられたが,これにも放射線量による差はみられなかった。また,寒冷刺激に対する血圧の反応も同様の結果であった。
以上のとおり,高血圧について,放射線起因性を認めるに足りる知見は存在しない。
オ 成人T細胞白血病慢性型について
成人T細胞白血病は,1977年,高月,内山らにより,リンパ節腫脹,肝脾腫,皮膚病変,高カルシウム血症,白血球増加,核変形の著しい特徴的な白血病細胞の出現などの特徴的臨床像を呈し,患者の出身地が九州,沖縄に集中している新しい成人発症T細胞白血病として提唱されたもので,その後,ヒトレトロウイルス,HTLV-1が原因ウイルスであることが証明され,疾患概念として確立したものである。末梢血中の異常T細胞数,血清LDH値,血清Ca値,腫瘍の臓器浸潤の程度,臨床経過をもとに,急性型,リンパ腫型,くすぶり型に分類されている。
原告X49の成人T細胞白血病慢性型も直接の要因は,HTLV-1の感染である。成人T細胞白血病については,原爆被爆により増加しているという証拠はない。
カ 腎機能障害について
腎臓は,蛋白代謝老廃物の排泄,水分や電解質の調節,酸塩基平衡の維持,あるいは各種のホルモンの産生などの機能を有する。
腎機能の低下は,慢性糸球体腎炎,糖尿病性腎症等の様々な疾患によって生じるとされているが,放射線被曝との関連性を示す医学的知見はない。
キ 心筋梗塞,狭心症,原発性心筋症について
(ア) 虚血性心疾患の代表である心筋梗塞は,急激な冠動脈血流の減少により心筋壊死を来す疾患であり,急性心筋梗塞は,多くの場合冠動脈に存在する動脈硬化プラークに血栓性閉塞を生じることにより突然冠血流が途絶するために発症する。また,狭心症は,冠動脈の狭窄や過剰収縮(擧縮)による一過性の心筋虚血の結果,特有の胸痛発作,心電図変化,心筋代謝異常,心機能障害を来す臨床症候群である。一般には,心外膜面を走行する冠動脈の異常により生じた虚血発作のことをいう。その病因のほとんど(95パーセント以上)が冠動脈硬化を基礎としており,動脈硬化を促進する因子は,年齢,喫煙,カロリー過多と脂質の過剰摂取の食習慣,肥満による耐糖能異常である。
(イ)a LSS第11報ないし第13報によると,放射線量と共にがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加し,有意な増加は,循環器疾患,消化器疾患,呼吸器疾患(心臓病,脳卒中,消化器疾患,呼吸器疾患,及び造血器系疾患)に観察されたとされている。しかし,そこで観察された心疾患は,循環系の疾患全体であり,本件における申請疾病の一部である原発性心筋症,心筋梗塞及び狭心症についてもそのような関連性がみられるとはいい難い。しかも,低線領域では,一貫した正の線量反応関係がみられておらず,「約0.5Sv未満の線量については放射線影響の直接的な証拠は認められなかった。」とされている。また,心筋梗塞及び狭心症の有力な原因となり得る動脈硬化についての最近の研究によると,被爆状況と動脈硬化の明らかな関連は認められていない。
b また,上記疫学調査は,放射線に起因するがんによって死亡した被爆者を誤って観察した結果による可能性があるものであったり,種々の疾患を含めた広い概念である循環器疾患又は心疾患の死亡率との間に有意な関連性がある旨を示唆したにすぎないものである。したがって,これらが高血圧症,虚血性心疾患と原爆の放射線との関連性を示唆する疫学調査とはいい難い。
c 疫学調査における「関連性」の問題と「因果関係」の問題は明確に区別されるべきである。特に,疫学的な因果関係を認めるについては,[1]関連の普遍性(ないし一致性。原因と思われるものと結果との関連性が,異なる対象,異なる時期においても普遍的に観察されること),[2]関連の強固性(相対リスクが少なくとも2以上であることが必要である。),[3]関連の時間的関係(要因への曝露が疾病の発症に先行していること),[4]関連の特異性(他の原因では説明できない高度の関連があること),[5]関連の整合性(他の分野の研究によってもその関連性が矛盾なく説明できること)という5つの判断基準を満たすか否かを慎重に見極める必要がある。しかし,原告らが依拠する放影研の寿命調査は,これらの判断基準のうち,少なくとも[1],[2],[5]を満たしていない。
すなわち,LSS第12報,第13報が有意な関連性を認めたのは,心疾患全体と原爆放射線との関連性であり,冠状動脈性心疾患による死亡者(心筋梗塞及び狭心症も含まれる。)について放射線との関連性をみた場合には,前者の過剰相対リスクの90パ-セント信頼区間は,下限値が負となり(-0.06,0.20),有意な放射線影響があるとはされていない。また,心疾患の相対リスクは,LSS第11報では最低0.95ないし最大1.45,LSS第12報では1.14,LSS第13報では1.17であり,がんよりもはるかに小さい。相対リスクは少なくとも2以上という関連の強固性の判断基準を明らかに満たしていない。また,原爆被爆者が受けた線量水準でのがん以外の素因による過剰死亡率に関し,生物学的研究など他の分野の研究によってもその関連性が矛盾なく支持されるまでに至っていないことは,同調査自身が認めているところであって,関連の整合性の判断基準も満たさない。
(ウ) なお,脳・心疾患のような循環器の障害と放射線との関連性の有無が議論されているのは,数十グレイの被曝により,血管内壁の障害が生じることがあり得るとされているからである。しかし,本件で上記疾患に関して原爆症認定を申請している原告(X22,X30,X43)らの被曝線量からみて,原爆放射線がそのような被曝による血管内壁の障害を引き起こしたとは考えられない。
(エ) 以上のとおり,原発性心筋症,心筋梗塞及び狭心症との被爆との間に疫学的に有意な関連性を認めるのは困難であり,まして疫学的な因果関係までをも認定することは到底できない。
7 個別の原告に関する主張
【原告ら】
別紙4<省略>「個別原告・原告主張」のとおりである。
【被告ら】
別紙5<省略>「個別原告・被告主張」のとおりである。
8 損害賠償請求について
【原告ら】
(1) 被告(厚生労働大臣)は,被爆者援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速やかに認める決定をすべきであった。それにもかかわらず,被告らは[1]誤った認定基準を設け,[2]申請から却下に至るまでいたずらに長期間を要し,[3]処分の理由を明示せずに,[4]誤った却下処分を下し,その結果原告らはこれら4つの違法によって共通の被害を被った。
ア 非科学的で不合理な基準の機械的なあてはめによる却下
被告厚生労働大臣の原爆症の認定却下処分は,これまでに述べたとおり,重大な欠陥のあるDS86の線量評価等を下に,解析方法に由来する限界がある上,これを個々の被爆者に当てはめることが不適切な原因確率を各原告に対して機械的にあてはめてされたもので,著しく不合理なものである。しかも,行政庁は,申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準を定め(行政手続法5条1項),審査基準を定めるに当たっては,当該許認可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない(同条2項)のに,被告厚生労働大臣は,同条項が求めている審査基準を設け,それに従って本件認定申請の却下処分を行ったものでないことを認めている。したがって,原告らに対する本件各却下決定は,審査基準を設けることを規定している行政手続法5条1項に違反したされたものである。
イ 審査の遅れ
行政庁は,申請がその事務所に到達したときは遅滞なく当該申請者の審査を開始しなければならない(行政手続法7条)のに,本件原告らの申請から本件処分までの期間はいずれも長期間に及ぶものであり,同条項に違反している。
そして,原爆の放射線による被害は極めて重大なものであり,原告らは,このような被害に関連する原爆症の認定申請を長期開放置されたことにより,いずれも焦燥,不安の気持ちを抱き,大きな精神的苦痛を被った。しかるに,被告厚生労働大臣は,原爆症の認定申請の手続遅延を解消するための努力を尽くすことなく,相当期間内に応答処分すべき作為義務に違反したため,法的に保護すべき原告らの内心の静穏な感情を害されないという利益を侵害したものである。
ウ 理由の不提示
被告厚生労働大臣は,本件却下処分をする際には,いかなる事実関係に基づき,いかなる判断経過をたどって処分がされたものであるかを,原告らがその記載自体から了知できる程度に具体的な理由を示さなければならなかった(行政手続法8条l項,2項)。しかし,本件原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由は全く明らかにされておらず,ほとんど定型的な文言が記載されているだけであり,このような理由の提示は上記各条項に違反する。
(2) 被告厚生労働大臣の故意又は過失
被告厚生労働大臣の上記判断ないし措置には,重大な過失,あるいは少なくとも過失が存在する。なお,被告厚生労働大臣は,DS86等の線量推定式の誤りや原爆症の未解明性等を理由として,被爆者の被爆状況を個別具体的に検討して総合的に判断すべきとした数次の裁判例の度重なる指摘を無視し,実際の運用を一切変えようとせずに,本件各原告の原爆症認定申請に対して次々と却下処分を行ったものである。このような点からも,本件却下処分の違法性や,そのような違法な処分をするについて同被告に故意又は過失のあったことは明らかというべきである。
(3) 被告国の責任
被告国の公権力の公使に当たる公務員である被告厚生労働大臣が,原爆症認定という職務を行うについて,上記の故意又は(重大な)過失によって,原告らに与えた損害は,国家賠償法1条1項により,被告国が賠償しなければならない。
(4) 損害
ア 慰謝料一人200万円
被告厚生労働大臣の違法な本件却下処分により,各原告らが被った精神的苦痛を慰謝するには,前記の被爆者である原告らがおかれた悲惨な状況を考えれば,各原告一人当たり(承継がある場合には,承継前の原告一人当たり)200万円をもってするのが相当である。
イ 弁護士費用一人100万円
原告らは,被告厚生労働大臣の違法行為により,本来不要な裁判を余儀なくされた。被告厚生労働大臣による本件各却下処分の取消訴訟及び被告国に対する損害賠償請求訴訟の提起・追行を強いられた原告らが,原告ら代理人に支払うことを約した着手金・報酬のうち,各原告一人当たり100万円(承継がある場合には相続分に応じた割合による金額)を下らない部分は,被告国が負担すべきである。
(5) よって,原告らは,被告厚生労働大臣に対し,本件各却下処分の取消しを求めるとともに,被告国に対し,国家賠償法1条l項により,原告らに対して各300万円及び弁済期の後である本訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年5パーセントの割合による遅延損害金の支払を求める。
【被告国】
原因確率論を用いた「審査の方針」は,医療分科会の委員が審査に当たる際の一応の基準を定めたものにすぎず,いわば行政庁の内部的基単にすぎないものであるから,「審査の方針」から直接に原告らが損害を披る性格のものではない。
また,「審査の方針」は,起因性の判断については,原因確率を機械的に適用して判断するものではなく,既往歴等の諸要素を総合的に勘案した上で判断するものと定めており,原告らの起因性が認められなかったのは,各審査委員の医学的知見に基づく総合判断の結果である。したがって,原告らが原爆症認定を受けられなかったことと「審査の方針」の導入との間には因果関係がない。
なお,原告らが「本来であれば原爆症として認定されるべき」であったとの主張は何の根拠もない。また,「審査の方針」は,既に述べたとおり,当時の最高水準の科学的合理性を備えたものであって,これを導入したことには何の違法もなく,故意過失もない。
当裁判所の判断
第1被爆者が浴びた被曝線量の推定について
本件の争点は,(1)原爆症認定の要件の解釈及び立証の程度,(2)原告らの申請疾病が原爆放射線に起因するものであるか否か,(3)一部の原告らの疾病について要医療性が認められるか否か,(4)原告らの原爆症認定申請に対する被告厚生労働大臣の処分が実体的あるいは手続的に国家賠償法上違法であり,その責任(過失)を認めることができるか否かである。(2)の争点は,更に,ア審査の方針において個々の被爆者の被曝線量の評価の際に用いられている線量評価システムであるDS86による原爆放射線量の評価が適正なものなのか否か,イ審査の方針において残留放射線の影響が適正に評価されているのか否か,ウ審査の方針において内部被曝の問題が適正に評価されているのか否か,エ原告らの申請疾病が原爆放射線による確率的な影響などを受ける性質の疾病であるか否か等の争点に分けることができる。
このうち,原爆による放射線がどの範囲にまで及び,どのような形態で人体に影響を及ぼしたのかは本件の争点のうち最も重要なものである。そして,原爆被曝者の被曝の形態は,[1]初期放射線による外部被曝,[2]放射性降下物による外部被曝,[3]誘導放射能による外部被曝及び[4]放射性物質を体内に取り込んだことによる内部被曝の4つがあることは前述のとおりである。
審査の方針においては初期放射線による外部被曝はDS86を基礎として爆心地からの距離ごとに定められた別表9記載の線量を被曝線量とし,残留放射線(誘導放射線)については爆心地からの距離と爆発後の経過時間ごとに定められた別表10記載の線量を被曝線量とし,放射性降下物については長崎であれば西山地区の一部と木場地区に滞在,居住していた場合についてだけ一定の線量を加算していることは前提事実に記載したとおりであり,内部被曝については考慮をしていないことが認められる(証拠<省略>)。そこで審査の方針が依拠しているこのような被曝線量の算定が正しいものなのか否かを最初に検討する。
1 DS86(証拠<省略>)
(1) DS86策定までの経緯(証拠<省略>)
ア 被爆者に対する原爆放射線の被曝線量の推定については,放影研の前身であるABCCにおける組織的な線量測定の研究に始まる。原爆放射線の健康影響を調べるには,被爆者個々人の浴びた放射線量をできるだけ正確に推定することが必要であり,体系的な線量推定がされるまでは,相対的な被曝の程度を爆心地からの距離と急性放射線症状の有無とを用いて表した。その後,被爆者の周囲の遮蔽に関する特報が得られるにしたがい,相対的な被曝線量群を区分するために,爆心からの距離,大まかに分けた遮蔽の軽重,放射線症状の重篤度の組合せによる指標が用いられた。
1957年に最初の個人被曝線量が推定された(T57D,暫定1957年線量と呼ばれている)が,実際の健康後影響の評価には使われなかった。しかし,爆心からの距離別の線量(空気中カーマ)曲線が作成され,不完全ながらも放射線の木造家屋による遮蔽効果の計算がガンマ線及び中性子別できるようになった。その後,この方式が改善され,1965年に体系的な方法として暫定1965年線量(Tentative1965Dose:T65D)とよばれる線量体系が開発された。T65Dは,米国ネバダの実験場での核兵器のテスト爆発,BREN作戦の実験及び固定線源遮蔽実験から得られたデータ等に基づいて策定された線量評価システムである。このシステムにより評価された個人被曝線量がその後約20年間使われてきた。
イ ところが,1970年代に入ると,T65Dに対して色々な問題や矛盾が指摘されるようになり,T65Dによる線量評価には非常に大きな誤差が含まれているとの主張が強くされるようになった。このようなことから,線量の評価方法を再検討する必要があることが痛感され,米国では線量再評価検討委員会が設置され,また,その結果を評価するための上級委員会(Review Committee)がNAS(National Academy of Sciences。トルーマン大統領が被爆者に対する長期間の追跡調査の方策立案を命じた機関である。)に設置された。これに対応して日本側でも厚生省により検討委員会と上級委員会が組織され,米国と共同してこの問題に当たることとなった。日米合同のワークショップを開催したり,日米の科学者による少人数の会合を持つ等してその作業が進められ,1986年3月に開かれた日米合同の上級委員会においてT65Dの問題点を修正した新しい線量評価システムDS86が承認された。
(2) DS86の内容(主として(証拠<省略>))
DS86とは,核物理学の理論に基づく空気中カーマ,遮蔽カーマ,臓器線量の計算モデルを統合した線量計算方法に,被爆者の遮蔽データを入力して広島・長崎の原爆被爆者の被曝線量をコンピュータ計算により推定する線量評価方式であり,線量評価体系(Dosimetry System l986)の呼称である。
原爆線量の見直しは,日米合同で10項目の作業部会に分けて行われ,日米の役割を大別すれば,米国側の作業は,最新の核物理学の理論に基づく個々の被爆者の被曝線量(空気中カーマ,遮蔽カーマ,臓器線量)を推定し,日本側の作業は,広島・長崎で実際に被爆した資料を測定することであった。測定値は計算値の検証に用いられた。上記10項目の作業のうち誤差の項目を除いた9つの項目の内容と方法の概要は以下のとおりである(なお,誤差の当該項目に関しては,その後系統的な誤差が見つかったため,再度の検討がされた。)。
ア 広島・長崎の原爆の出力
広島・長崎の原子爆弾から放出されたエネルギーの総量,あるいは燃えたウランやプルトニウムの量に対応する値が原子爆弾の出力である。爆発力を表すのに,高性能の通常爆弾TNTの火薬の量(重量:単位kt)に対応する爆発力で示すが,この値は核分裂した量に対応しているので,エネルギーの発生総量又はその一部としての放射線の発生総量に対応している。エネルギーとしてはTNT火薬換算で1ktの爆発量は4.2×1012J(ジュール)のエネルギーの発生量又は,1012calの発熱量に対応し,核分裂の量としては56gの核分裂性物質の分裂又は1.45×1023個の原子核の分裂に対応している。原子爆弾の爆発力の決定は,爆弾を投下した際に測定された爆発の衝撃波の測定結果,熱による木材表面の焼け焦げの具合等により決定されたものであり,大気中の原爆実験のデータと比較され爆発力が決定された。核実験のデータはすべて長崎型であるので,まず長崎型が決定され,長崎型との比較で広島型が決定された。その結果は,長崎では21±2kt,広島では15±3ktとされた。
イ 線源のエネルギースペクトル
爆弾の出力から,次に爆弾の容器から放出される中性子(即発中性子)とガンマ線の粒子の個数を,エネルギー別及び角度(方向)別の分布として求めることが必要になる(これらを称して放射線のソースタームあるいは漏洩スペクトルという。)。ソースタームは放射線の輸送(伝播)計算の出発点であり,線量評価の原点になるものである。なお,スペクトルとは放射線粒子のエネルギー別分布のことであり,フルエンスとは単位大円断面積をもつ球に入射する放射線粒子の数のことである。
原爆が爆発すると中性子(即発中性子)とガンマ線(即発ガンマ線)が放出されるが,その際,起爆剤の軽元素やケーシングの重元素と相互作用をするため,放出放射線の角度分布とエネルギー分布は爆弾の構造によって変わる。広島の原爆は90パーセントに濃縮したウラニウム235を爆圧で臨界量に達するように圧縮させて核分裂を起こさせる高濃縮ウラン型(いわゆるガンタイプ)で,弾頭は厚い鋼鉄でできている。長崎原爆は核分裂性物質の周囲に火薬を配置してこれに点火して圧縮する方法による爆縮(インプロージョン)型の爆弾で,弾頭は薄い鋼板でできでいる。このような双方の原爆の特性もふまえて,DS86による初期放射線の推定は,原爆の爆発の過程をスーパーコンピュータで計算し,核分裂の始まりから放射線が放出され熱を持って火球になるまでの過程を追ったものである。放射線の発生部はモンテカルロコードであるMCNPで行われ,結果は中性子とガンマ線について広島・長崎それぞれについてエネルギースペクトルとして表の形で公表されている。なお,日本側に示されたのは,その結果だけであった。出力kt当たりの放出数を比較すると,ガンマ線は長崎の方が大きく,中性子は両市で大きな差はない。
これらの計算の検証は,ヒロシマ型原爆のレプリカを用いた実験と比較して行われたが,計算値との一致は良好であったとされる。長崎原爆については,ほぼ球形であるため,設計がより簡単で計算については疑問の余地はほとんどないと考えられている。
ウ 放射線の空気中の透過(輸送)計算
原爆の爆発で発生した放射線である中性子やガンマ線は,空気と衝突して散乱したり,吸収されたりする。こうして散乱されなかったり散乱されてエネルギーを失ったものが地表に到達する。この複雑な過程を,各被爆者ごとに,爆弾から各臓器に至るまでのすべての放射線の粒子を即発中性子,即発ガンマ線,即発二次ガンマ線(空中捕獲ガンマ線),遅発中性子,遅発ガンマ線,遅発二次ガンマ線の6つの放射線要素別に,超大型計算機により完全に追跡するという方法がとられている。この計算を輸送計算という。計算は,離散座標法やモンテカルロ法を用いANISNやDOT-4と呼ばれる名前のコードを使って行われた。入力するデータとしては,イのエネルギースペクトルや,空気の密度,核データ(放射線が空気の原子核と衝突したときの変化を示す散乱吸収の基礎データ)などがあった。空気の密度を求めるために当時の気温や気圧そして湿度も調べられた。また核データにはENDF/B-Vと呼ばれるものが使用された。計算結果は地表(例えば1m)での中性子とガンマ線のエネルギースペクトルとして表される。そして,スペクトルに対し,エネルギーごとに中性子とガンマ線のヒトの軟組織のカーマ係数をかけ積分して求めたものが空気中カーマ(free-in-air(FIA)kerma)である。空気中カーマは地表で被爆した人の皮膚表面の放射線量(単位:グレイ)に近い量である。
このようにして計算された初期放射線のDS86空気中カーマ(グレイ単位)を500メートル単位で表せば,次表のとおりである。
file_5.jpgseo Si bei tab OPEB ALCGD He iA phe 8 ake ay (Crp) = — 0.5 35 6 78.5 3.3エ 熱ルミネッセンス法によるガンマ線量の実測
ガンマ線量の実測は主として日本側で行われた。これはアメリカ側の計算をチェックする重要な意味をもっていた。レンガやタイルには石英や長石が含まれており,石英等は放射線のエネルギーを吸収し,そのことによって電子や正孔(電子の抜けたあと)のエネルギーレベルに変化が生ずる。そのような石英などをある加温率で加熱すると,それぞれの変化に対応する温度のところで吸収した放射線のエネルギー量に比例した量のルミネッセンス(光)が発生する。この光の量を測定し,これが被爆したガンマ線線量に比例することを利用して原爆の放射線量を見積もるのが熱ルミネッセンス法である。もともと毎年一定の自然放射線の被曝を考慮して,土器などの制作年代を求める年代測定という考古学の分野で使われていた方法である。
放射線の透過計算による空気中カーマと熱ルミネッセンス法による実測結果を,長崎及び広島それぞれについてグラフにより示すと次図<省略>のとおりである。(証拠<省略>)
オ 中性子により放射化された放射能の測定と計算値との比較
(ア) 中性子に関しても測定値と実験値との比較が行われた。中性子に関しては,DS86当時に線量を直接測定する方法はなく,中性子により特定の物質中に誘導(生成)された特定の放射性物質の放射能を測定し(放射化の測定),この測定値に対応するDS86に基づく計算値と比較するという方法が取られた。誘導化された放射性物質の中で半減期が短いものは現在測定できず,半減期が長くても残存する微量の誘導放射能を測定する技術が必要となる。このように測定可能な,あるいは以前に測定され残されていた放射能データには3つのものがあった。それは,[1]速中性子(高速エネルギー中性子フルエンス)により電柱の碍子の接着剤として使われていた硫黄に誘導されたリン32(32P),[2]熱中性子(低速エネルギー中性予フルエンス)によってコンクリートの建物に使われていた鉄筋などの鉄材中のコバルトが誘導されたコバルト60(60Co),[3]熱中性子によって岩石中に微量に含まれている希土類元素であるユーロピウムが誘導されたユーロピウム152(152Eu)である。それぞれの放射能の半減期は,14.3日,5.3年,13年であり,初めのリン32は現在では測定できない。
(イ) このような測定の結果,リン32の測定データは,近距離では計算値と近似するが,400メートル以遠では測定値の誤差が大きくなるため,結論を下すことはできないとされた。
他方,熱中性子に関するコバルト60の測定結果では,近距離では計算結果の方が大きく,遠距離になるにしたがって計算結果を上回り,1180メートルでは4倍になるという系統的な食い違いが見出された。
また,ユーロピウム152の測定結果は,全体として計算結果と矛盾しないが,1キロメートルの地上距離における計算結果の妥当性を確認するには不確かさが大きく,また,測定機関の間で測定結果にばらつきがみられた。
このような測定結果から,DS86では,熱中性子の測定結果と計算結果の不一致の問題は未解決なものとされた。
カ 残留放射能からの被曝
残留放射能にはその生成の違いによって2種類がある。その一つは,ウランやプルトニウムの核分裂によるセシウム137やストロンチウム90に代表される核分裂生成物,いわゆる放射性降下物(フォールアウト)であり,もうーつは爆心地付近の土壌,建造物等が中性子の照射を受けて生じた誘導放射能である。これらの残留放射線の被曝線量は,直接放射線とは異なり,被爆者ごとの存在地点や移動及び原爆投下後の時間等によって大きく変化し,また,放射性核種は時間の経過とともにその放射能が減少するが,その程度は核種ごとに大きく異なるため,個々人に対して正確な評価を行うことは難しい。
(ア) 放射性降下物による被曝線量の評価
放射性降下物による被曝線量は,原爆投下後数週間から数か月の期間にわたり,長崎の西山地区及び広島の己斐・高須地区でそれぞれ数回にわたり測定された線量率を下に計算された。このようにして,爆発後1時間後から無限時間まで地上1メートルの距離で計算した結果は,長崎の西山地区で最も汚染の著しい数ヘクタールの地域で20ないし40ラド,広島の己斐・高須地区で1ないし3ラドと推定された。ただし,この計算は気象等の影響が無視されているので,その誤差はかなり大きいとされている。なお,西山地区住民については,全身の線量測定で体内のセシウム137の実測も行われており,1945年から1985年までの40年間でのセシウム137による被爆は,男性で10ミリレム(0.1ミリシーベルト),女性で8ミリレム(0.08ミリシーベルト)とされている。また,同地区では,未分裂のプルトニウム239の存在も認められ,農作物への移行度が評価されたが,セシウム137よりもさらに100分の1ないし200分の1と低く,周辺住民への健康影響はほとんどないことが示唆されたとされている。
(イ) 誘導放射能による線量評価
中性子の照射によって爆心地付近の土壌その他の物質中に生じた誘導放射能のうち,早期入市者の被曝との関連で重要な核種はマンガン56(半減期2.6時間),ナトリウム24(同15時間),スカンジウム46(同83.9日),セシウム134(同2.05年),コバルト60(同5.26年)である。
原爆投下後数週間から数か月の期間に爆心地付近で数回行われた地上でのガンマ線の線量率の測定結果や,重要核種の誘導放射能による照射線量の計算等から爆発直後から無限時間までの爆心地での地上1メートルの積算線量は広島で約80レントゲン(800ミリシーベルト),長崎では30ないし40レントゲンと推定された。
(ウ) 以上のとおり,DS86における検討において,残留放射能に関する従前の研究結果のレビューが行われ,これらの線量などを組織の吸収線量に換算する等して,放射性降下物による人体組織の積算被爆線量を最大で長崎では12ないし24ラド,広島で0.6ないし2ラド,誘導放射能によるものを最大で長崎では18ないし24ラド,広島で約50ラドと推定している。しかしながら,DS86方式で残留放射能による線量は算出されていない(証拠<省略>)。
キ 地形や家屋による遮蔽
DS86では,前方遮蔽建物の有無,大きさ,階層数等の9つのパラメーターなどを用いて,爆心地から16方向に対して合計976種類の遮蔽状態を想定し,その各箇所に関してモンテカルロ法による追跡計算を行い,最終的には4つの遮蔽状態,すなわち[1]戸外で無遮蔽,[2]日本家屋内,[3]戸外で家屋や地形により遮蔽,[4]その他に分類された75種類の遮蔽状態について,その被爆者の位置におけるエネルギーと角度別の平均化された遮蔽フルエンスが計算されている。
DS86による平均家屋透過係数は以下のとおりである。
ガンマ線 中性子
広島 0.46 0.36
長崎 0.48 0.41
ク 臓部線量
発がんの危険度はそれぞれ臓器別に考えることになるが,放射線は皮膚表面から入射して例えば胃に到達する。胃の発がんを考えるとき胃自身の被曝線量を考慮する必要があるが,皮膚から胃に到達するまでに放射線は一部吸収される。この人体自身の遮蔽効果は,入射方向にも依存するので複雑であるが,臓器を含む人体模型がスーパーコンピュータに入力され,計算された。これには骨,軟組織の成分の違いが入力され,人体の部分としては,頭,胴体,足,手を模式化された形状とともに入力された。問題となる臓器については,赤色骨髄,膀胱,骨,脳,乳房,目,胎児/子宮,大腸,肝,肺,卵巣,膵,胃,睾丸及び甲状腺など15の臓器が選ばれた。これらも模式化された人体の内部に,模式化された形状の臓器としてスーパーコンピュータに入力された。この人体模型は年齢による違い(大人15歳以上,子供(5歳以上),幼児(1歳)の3種類),それに被爆したときの状態(寝ていたか,座っていたか,立っていたか),被爆の方向,家屋内での位置などについてもくわしく分類し入力された。
ケ DS86による直接計算の対象
DS86線量方式により被曝線量を直接計算できるのは,爆心より2.5キロメートル以内で被爆し,詳細な遮蔽記録のある被爆者で,[1]木造家屋内にいた場合,[2]戸外にいて無遮蔽の場合,[3]戸外にいて木造家屋により遮蔽されていた場合,[4]工場内にいた場合(長崎のみ),[5]地形により遮蔽されていた場合(長崎のみ)である。
(3) DS86の問題点
ア DS86については,ガンマ線に関するDS86の計算値と熱ルミネッセンス法を用いた測定値とを比較すると,広島においては厳密には1000メートル以遠で測定値は計算値より大きく,近い地点では逆に小さくなっている。長崎においてはこの関係は逆になっている。しかし,DS86の公的な評価では,この程度の違いがあっても,T65Dとの比較において計算値と実測値は良く一致しているとされている。
しかし,長友教授らは,1992年に広島の爆心地から2.05キロメートルの距離の瓦のサンプルから,熱ルミネッセンス法による測定をした結果について「2.05キロメートルの距離に対する結果は5枚の瓦についての測定値の平均で129±23ミリグレイであった。この値は,対応したDS86の推定より2.2倍大きい。これらの結果と文献における結果は,爆心から2.05キロメートルにおける測定値に対し,DS86の計算値が50パーセントあるいはそれ以下であることを示している。」と指摘し,このような実測値のDS86の計算値とのずれの原因が原爆から放出された中性子線のエネルギースペクトルについてのDS86の推定が誤っていることに起因すると述べている(証拠<省略>)。
イ 他方,DS86による中性子による放射化のデータ(測定値)とDS86に基づいた計算値とを比較すると,近距離では計算値が高く,遠距離では測定値が高くなるという系統的誤差がある。
この中性子に関するDS86の計算値と実測値のずれの問題は,その後ユーロピウム152の実測を行った4か所の研究機関からほぼ問時に指摘された。これらの研究機関は,系統的なずれがユーロピウム152だけではなく,コバルト60やリン32にもあること,それぞれのずれの傾向がよく一致していることも指摘していた。特に広島においてそのずれが顕著なものとなっている。また,熱中性子によりコンクリート中に誘導された塩素36(Cl36)の測定技術も開発されることとなり,新たに多くの測定値が得られ同様の傾向を示した。
さらに,熱ルミネッセンス法による実測がされ,広島におけるガンマ線は,爆心より1000メートル以上の遠距離でDS86の計算値より実測値が大きくなりはじめ,2キロメートルで約70パーセント大きくなるという傾向が指摘された。
このような実測値によれば,広島のガンマ線はDS86では2キロメートルで7cグレイであるが,12cグレイくらいとなり,中性子に関しては1200メートルの地点でDS86の計算値より2ないし8倍となる可能性を示唆するものであった(証拠<省略>)。
なお,長崎についても,DS86の中性子の推定線量は,実測値と比較して爆心から1キロメートル近くまでの近距離では約1.5倍の過大評価となっており,逆に1.5キロメートルを超える辺りから過小評価になり,2.5キロメートルでは3分の1ないし4分の1の過小評価になっている。このことは,DS86による長崎における中性子線量の推定にも遠距離での過小評価があって,これがガンマ線の遠距離での過小評価につながっている可能性を示すとする意見もある(証拠<省略>)。
2 DS02(証拠<省略>)について
(1) そこで,特にDS86にみられる中性子に関する計算値と測定値の不一致の問題に関して,その後の計測及びコンピューター技術の進歩も踏まえて再度の線量の評価が行われ,DS02が策定された。
(2) DS02がDS86を更新した点の概要は,以下のとおりである(証拠<省略>)。
ア コンピュータの進歩により,例えば放射線輸送計算での離散座標計算で設定する格子を細かくできるようになり,モンテカルロ計算で追跡する粒子数を多く扱う等より複雑な体系の計算が可能となり,DS02では,この複雑な体系計算が行われている。これによって,長崎のa1社の工場内で被爆した者や広島の鉄筋建物内で被爆した者の線量推定が新たに行われた。また,輸送計算で必要となる核断面積データは,発電所など原子力が利用される施設の設計等に不可欠であることから,DS86作成後も関連する多くの研究が行われ,それらの知見が蓄積され,正確で詳細なデータが得られるようになった。DS02では,これらの最新データが計算に利用されている。
このようにして,再度「広島爆弾の線源」及び「放射線の輸送」について計算を行い,爆弾全体をモデル化し,線源のエネルギーと角度分布を詳細に分割し,計算は爆発後十分な時間まで行う,などの新しい工夫を導入している。輸送計算も,2つの異なる計算方法を採用して行われた。
イ 次に,放射線測定法が更に検討された。特に,実測値との不一致が問題となった熱中性子による放射化測定では,試料を化学的に分離する方法が向上したり,加速器質量分析(AMS)を応用した測定がされている。また,ほとんどの自然放射線を排除できる極低バックグラウンド環境(地中深くに設置した地下測定室での測定)などが新たに付け加えられた。これによって,誤差の極めて少ない測定値を得ることができるようになったとされている。
その際,熱中性子の計測に関しては,コバルト60,ユーロピウム152に加えて,加速器質量分析法を用いて塩素36の測定をし,速中性子に関しては,リン32の測定結果及び近年質量分析法の技法により可能となった銅試料中のニッケル63の測定を行い,これらのうちユーロピウム152と塩素36については複数の施設で測定して相互比較をする方法が採られた。以下,DS02でされた熱中性子の計測の結果について簡単に触れておく。
ウ(ア) ローレンスリバモア国立研究所(当時)のStraumeらとミュンヘン工科大学のRuehmらが質量分析法によって塩素36を測定した。その結果は,それまでDS86について指摘されていたのと同様の傾向を示した。しかし,Ruehmらは,墓石などの被曝岩石を使用して塩素36を測定したが,測定値には宇宙線などの自然環境のバックグランドが加わっていること,墓石によりバックグランドが異なることなどの細かな研究を続け,最終的には彼等の測定値はバックグランドの補正をすれば計算値と一致するとした。
(イ) Straumeらの場合も,コンクリート試料の複雑さ(海水中の砂の自然界における被曝,建造物使用に小石を混入,コンクリート壁面と深部における塩分を含んだ雨水の浸透度の違い)を調べ,最終的には彼等の測定値もこれらのことを考慮してバックグランド補正をすれば計算値と一致するとした。
また,9箇所の異なる被爆距離における被曝試料を,4人の測定者(小村らがユーロピウム152を,長島ら,Straumeら及びRuehmらが塩素36をそれぞれ測定した。)用に分割して同一試料を測定した。
(ウ) 小村らによるユーロピウム152の測定は,低バックグランド施設において行われ,なお原爆以外の放射線由来のユーロピウム152をコンピューターによる解析により除去する工夫をした。その計測結果は,計算値(DS86及びDS02)と1キロメートルを越す遠距離にまでほぼ一致したとされる。
(エ) 塩素36については異なる日米独3施設で測定された。3施設の測定値は若干のばらつきが認められるものの,ユーロピウム152と同様に計算値との一致がみられたとされる。これによって,広島の中性子の不一致問題は解消されたとする評価もある。
また,新たに速中性子誘導による銅試料中のニッケル63の測定がRuehmら及びStraumeらにより行われた。測定は質量分析の技法によるもので,その結果は,バックグランドの補正をしていないが,計算値を支持するものであるとされている。
結局,DS02の策定作業に際しての各種の計測によると,ガンマ線及び中性子線に関する測定値は,爆心地から1.2キロメートルの地点までは計算値と全般的に良く一致し,爆心地から1.2キロメートルないし1.5キロメートル以遠での中性子の測定値と計算値の相違については,線量の絶対値が小さくバックグラウンドとの区別が困難なことなど測定値の不確実性によるものと判断されている。
エ 中性子の不一致の問題のもう1つは,爆心地の近辺での測定値が種々の(核種の)測定において計算値の方が高い値を示していることである。爆心地の近辺では測定値へのバックグランドなどの影響は極めて小さく,したがって爆心地近辺の測定値は信頼できるものである。そのため,DS02の作業の中で,「爆弾の出力」と「作裂点の高度」について再考する必要が生じ,この2つのパラメータの組合せに対応する計算値と測定値とを比較し,その他の既存の情報を総合的に判断して,最終的に広島において出力を15ktから16kt(±4)へ,高度を580メートルから600メートルに変更し,他の改善も加えて新たに線量が計算されることとなった。このような線量計算方式はDS02線量評価体系と呼ばれている。
なお,DS02では,爆発時の原爆の傾きに関しても推定がされ,広島原爆が15(±3)度,長崎原爆が12(±2)度と評価されている。
(3) DS02は,2003年3月に日本の厚労省と米国のエネルギー省合同の上級検討委員会により承認された。
(4) DS02で計算された地表面から1メートルの高さにおけるガンマ線量と中性子線量を概括的に距離別に表すと以下のとおりとなる(なお,カーマ線量の単位はグレイである。)。
file_6.jpgab OFFER (a x— bY) 0.5 15 Aen - 36.7 4.22 0.519 0.081 PEA = 6.48 83 0.26 8.62 0.009 0.983 0.0004 0.138 Ril PE 2.97 0.125 0. 005 0. 0002DS86とDS02を比較すると,広島の中性子線に関しては,爆心地付近ではDS02線量がDS86線量よりも低いが,500メートル付近で逆転して1000メートル付近でDS02線量がDS86線量より10パーセント程度高くなり,再びその比率が小さくなってゆき,2000メートル近くで同じ程度になり,それ以遠ではDS02線量がDS86線量よりも低くなってゆく。一次ガンマ線量については,爆心地付近ではDS02線量とDS86線量は余り変わらないが,1200メートル以遠で約20パーセント大きく,2次ガンマ線量はDS02の方がDS86より低い結果となっている。これらの違いは,広島のソースタームの変更や,速中性子(3.0MeV以上)の非弾性散乱の増大,中速中性子(0.5ないし1.0MeV)の前方散乱の増大,出力・爆発高度の変更によるものと考えられる(証拠<省略>)。
他方,長崎に関してもDS02線量とDS86線量とであまり大きな変動はない。一次ガンマ線量はDS02が1500メートル以遠の地上距離で約20パーセント増加し,二次ガンマ線量はDS02の方が若干低い。また,DS02中性子線量は1500メートルの距離までDS86線量よりも約10ないし20パーセント低く,2500メートルで約40パーセント低くなっている。これらの違いは,長崎におけるソースタームの評価において,より高いエネルギーのガンマ線や遅い中性子捕獲まで評価が拡大されたことによるとされている(証拠<省略>)。
(5) DS86とDS02との違いをまとめると以上のとおりであるところ,被曝線量はガンマ線量と中性子線量の総和として求められるが,放射線の大半がガンマ線であることから,新しい線量体系によっても,空気中線量はDS86に比して余り変わらないものとなる(証拠<省略>)。
そして,DS02の策定作業の結果,これまでDS86に関して述べられていた実測値と計算値のずれの問題については,実測値におけるバックグラウンドの差引きの仕方に問題のあることが判明し,計算値自体はほぼ正確であり,1.2キロメートルから1.5キロメートル以遠での中性子の測定値と計算値の相違は,測定値の不確実性によるものと判断されたする趣旨の評価がある一方で(証拠<省略>),DS02によって爆心地から1200メートルまでの短距離と中間距離における計算値と実測値との不一致の問題はほぼ解梢されたが,遠距離におけるガンマ線の実測値との不一致,コバルト60による半減距離の不一致,高エネルギー中性子のニッケル63の半減距離の不一致はDS02でも解消されておらず,この不一致は,共通してソースタームにおける高エネルギー中性子の過小評価を示唆しているとする見解も提出されている(証拠<省略>)。また,残留放射線については,DS02では新たな検討は行われていない。
第2被爆者の急性症状に関する各種調査について
1 被爆者の急性症状に関する調査結果の概要
DS86及びDS02による空気中カーマの計算値からすると,爆心からの距離がおおむね2キロメートルを超える地点では,残留放射能の影響を考慮しても,被爆者が浴びた放射線量は少量となり,また,いわゆる入市被爆者が浴びた放射線もごく微量なものとなって,後に触れる放射線の人体影響に関する知見からすると,これが人体に影響を与える可能性は高いものではないことになる。しかし,原爆投下直後から現在までに行われてきた被爆者の急性症状に関する調査では,残留放射能の影響なども含めて理論計算値とは矛盾するのではないかと思われる結果が示されている。以下,このような調査の結果を見ていくこととする。
(1) 東京帝国大学医学部診療班による調査(証拠<省略>)
東京帝国大学医学部診療班20余名は,米国原子爆弾調査団と共に昭和20年10月中旬から同年11月にかけて,広島の爆心地から5キロメートル圏内の住民5120名の診察及び調査を行った。同診療班は,被爆者の原爆による傷害を原子爆弾熱傷,原子爆弾外傷,原子爆弾放射能症(傷),原子爆弾毒ガス傷に分類している。同診療斑によって放射能症と診断された人数は909例であり,その内訳は次表のとおりである。なお,同調査では,脱毛,皮膚溢血斑及び壊疸性ないし出血性口内炎症のうちいずれか一つ以上の症状を具備したものを放射線症と扱っている。
距離 診察人数 放射線症人数 割合
0~0.5 27 22 81.48%
0.6~1.0 300 230 76.66%
1.1~1.5 947 324 34.21%
1.6~2.0 1474 207 14.04%
2.1~2.5 1156 108 9.34%
2.6~3.0 502 18 3.58%
原爆投下直後(恐らく昭和20年10月ころ)に日米の合同で被爆者の健康調査が行われた。調査対象の人数は6000名以上であり,被爆場所(外部,日本家屋の内部,堅固な建物内,防空壕又はトンネル内),爆心からの距離ごとに各種の症状の発症の有無が調査された。そのうち,急性症状としては典型とされる脱毛,紫斑,下痢に関する調査結果を抜き出せば,別紙6のとおりである。
これによると,脱毛及び紫斑については,どのような場所であろうと,一部の例外を除いておおむね被爆距離が遠距離になるにつれ上記症状の発現率が減少しており,被爆距離が2キロメートルを超える場所においても上記各症状を相当数の者が発現したことが記録されている。なお,一部に被爆距離が遠くなったのに発現率の上昇がみられる場合があるが,そのような場合はいずれも母数が少ない。
(3) 原爆投下直後から広島の爆心地で救護活動等を行った兵士等に関する調査(証拠<省略>)
ア 船舶練習部第10教育隊の石塚隊(昭和20年8月6日夕刻から紙屋町(爆心より0.3キロメートル)に露営し,8月11日に至る間,爆心より1キロメートル以内で屍体発掘その他の作業に服した。),同清水隊(8月8日から,爆心より0.2キロメートルないし1.5キロメートルで宿営しつつ,同月11日夜半まで清掃作業を行った。),同本郷隊(似島で患者の収容援助をした。)の隊員合計159名に関する血液検査(9月3日検査)を実施し,赤血球の沈降速度の促進を示す者(30ミリメートル以上)について白血球を算定したが,5000以下を示す者はいなかった。宇品船舶練習部に勤務していた兵士23名に関する9月9日の検査で白血球数4800を示すものがいたが,その他はいずれも6000以上であった。その他に原爆投下後広島市に急行し,爆心より0.9ないし1.6キロメートルで勤務し,8月11日より8日間下痢,食思不振を訴え,9月6日に出血斑が認められた下士官については,9月24日の検索で白血球3200,赤血球444万を示していたが,8月9日ころから0.6ないし0.8キロメートルで整理作業をしていた兵士10名,その他の部隊にはさしたる障害はなかったものとされている。
イ 宇品分院外来において,宇品で被爆した後中心地で行動した市民20名に関して9月15日から30日の間に血液検査を実施したが,白血球減少者はいおらず,8月10日に広島に帰り,爆心地から500メートルの地点において各種作業を行い同月25日ころから倦怠惑を訴えていた1名の白血球数は,9月5日に2500,9月17日に3700,9月26日に4700であった。
さらに,広島県佐伯郡石内村(爆心から西方約8キロメートル)の村民で,原爆投下直後から8月15日までの問に広島市内で活動した者36名に関する臨床症状及び血液検査の結果は以下のとおりである(なお,同村は原爆投下当日に驟雨があり,これに遭遇していない者は甲類(24名),遭遇した者は乙類(11名)として分類されている。)。
石内村民白血球数
人員 3000以下 3000~ 4000~ 5000~ 6000~ 7000~ 8000~ 9000以上
file_7.jpga ra白血球数減少(5000以下)を呈する者は8名だが,それらの者は数日ないし10日後に行った2回目の検査で,いずれも白血球数の増加を示したとされている。
赤沈の亢進した者は相当多く,30ミリメートル以上の者は11名にのぼっている。
臨床症状として脱毛を呈した者は記録されていないが,頻度の多い順に,下痢,倦怠,頭重頭痛,眩暈,食思不振などが記録されている。
(4) 九州帝国大学医学部沢田内科教室による長崎の調査(証拠<省略>)
同内科教室の沢田藤一郎教授らは,昭和20年8月31日に長崎の爆心地付近に入って同日爆心付近に居住していた17名に関する白血球数を算定した。原爆投下当時に遠隔地にいて数時間から翌日より爆心部に居住する10名中成人8名の白血球数は,最低4400,最高8200で,1名を除いて5400以上,平均6350で正常であったが,原爆投下当時長崎市又はその近郊にいて数時間後から爆心部に居住する7名中成人6名の白血球数は,最低3000,最高7320で,平均4600で,うち3名は3200以下と明らかに白血球数が減少していた。このような白血球数の減少について,沢田らは,初期放射線被曝によるものなのか,残留放射線の影響によるものなのかはにわかには決定できないとしながらも,初期放射線の被曝を受けなければ,現地に居住しても残留放射能によって大した障碍を起こすものではなく,現地に居住することが可能であるとしている。
(5) 九州帝国大学医学部放射線治療学教室による長崎の調査(証拠<省略>)
同教室の中島良貞教授らは,9月8日から10月31日までの間,長崎市のa2社大橋工場(爆心から北方約1000メートルから1500メートル),茂里町工場(爆心から南方約1000メートルから1500メートル),a3社(爆心付近)の従業員の血液検査を行い,白血球数の減少を示す者の原爆投下時点での所在場所から,コンクリート壁が放射線をよく遮蔽するという結論を得ている。
また,西山地区住民の白血球数の集団検診を10月1日,同月15日,同月28日の3回行い,その結果,若年者ほど白血球増多症を強く早期に表し,若年者は第1回目に白血球数の増多を示し,第2回検査時点までは全年齢を通じて白血球数増加の傾向を示したものとされている。調査では第1回目調査では外出の多い者以外は白血球数の増加が認められ,第3回目の調査では白血球数が更に増加したとされている。
(6) 長崎医科大学外科第一教室調来助らによる調査(証拠<省略>)
同調査は,昭和20年10月から12月の3か月間にわたり各地区を訪問して実在人員が各地区について50人内外に達するようにした上で聞き取り等の方法によってされたものと思われる。
その調査の結果は,別紙7のとおりであり,死亡者については,出血と脱毛が必ずしも合併するものではないこと,生存者では脱毛は距離とともに低下し,生存者と死亡者における脱毛の頻度の差が著しくないのは脱毛が死亡の原因として余り大きな意義を持たないことを表していることが述べられている。爆心からの距離が2キロメートルを超えても,死亡者では脱毛を来した者が2名おり(ただし,出血も合併している。),生存者では2ないし3キロメートルの距離で脱毛を来した者が同距離の調査数の3.2パーセントの割合で,3ないし4キロメートルの距離で1.8パーセントの割合で,4キロメートルを超える距離で0.9パーセントの割合でいたとされている。
(7) 東京帝国大学医学部放射線科の筧弘毅の報告(証拠<省略>)
昭和20年10月に米国原子爆弾災害調査団に随行した東大医学部の調査班による広島の被爆者5120名に関する脱毛症に関する調査では,爆心より5キロメートル以内の被検者5120例中707例(13.8パーセント),原子爆弾放射線症909例に対し77.8パーセントの割合で脱毛があったとされ,脱毛出現最大距離は爆心よりの水平距離2.8キロメートルで,全脱毛者の約90パーセントは2キロメートル以内にあるとされている。距離別の調査結果は別紙8のとおりである。各距離における被検人員と脱毛症数をみると,1キロメートル以内の出現率は被検人員に対し70パーセント以上の高率を示しているが,1.1ないし1.5キロメートルにおいては27.1パーセント,1.6ないし2.5キロメートルにおいては約6ないし9パ-セント,2.6ないし3.0キロメートルでは1.8パーセントと減少している。同報告では,脱毛の出現範囲,部位,方向性等に関して従来の放射線生物学的な考え方と多少矛盾し,又は理解に苦しむような点があるとした上で,発現範囲は,2.8キロメートル以内となっている,遮蔽との関係は木造内に最も多く次いで屋外開放,蔭,コンクリートとなっている,脱毛部位としては全例とも頭髪に認められ,38例(5・4パーセント)は眉毛・髪髭・腋毛・陰毛等にも脱毛が合併していたとされている。
(8) 陸軍軍医学校,臨時東京第1陸軍病院の調査報告(証拠<省略>)
陸軍箪医学校及び臨時東京第1陸軍病院が広島に派遣した調査及び救護班による昭和20年8月8日から同年11月21日までの調査及び救護の報告である。これによると,最重篤の原子爆弾症の発生は爆心より1キロメートル以内の地域であり,以遠の地域ではガンマ線の作用が顕著に発現し,重篤な症状の発現は1.5キロメートル以内,軽度の症状は2キロメートル以内に多く認めるとされ,中性子による誘導放射線被害は爆発当日ないし2,3日後までは爆心付近では人体に影響を与える程度であったとされている。同報告書の292頁の表によると,爆心より2.5キロメートルまでに原子爆弾症(軽症)が認められたようである。
また,脱毛については,原子爆弾症状を呈したとされる106名についての脱毛の程度と爆心からの距離の関係を示した表が掲載されているが,最も遠い距離は1.3キロメートルである。ただし,1.3キロメートルの地域においても相当数の強度ないし中等度の脱毛があったとされているので,上記地域より以遠に脱毛が発生していなかったとは考えにくい。
(9) 於保源作による調査(証拠<省略>)
広島の於保源作は,昭和32年1月から同年7月までの間,被爆生存者(3946名)及び原爆投下時には広島市内にいなかった非被爆者で,原爆投下直後に入市した者(629名)について,爆心地からの距離,屋内外の別,遮蔽の有無,建造物の様式,健康状態,原爆中心地(爆心地から1キロメートル以内)への出入りの有無,出入りの月日,回数,滞在時間,行動,放射線障害及び熱傷の有無などを調査し,その結論を次のようにまとめている。
ア 直接被爆者では被爆距離が短いほど急性原爆症の有症率が高く,反対に被爆距離が長いほど有症率が低い。
イ 原爆直後中心地に入らなかった屋内被爆者の有症率は平均20.2パーセントであるが,屋内で被爆してその後中心地に入った人々の有症率は36.5パーセントで前者より高い。
ウ 屋外被爆者でその直後中心地に入らなかった人々の有症率は平均44.0パーセントであり,同様の屋外被爆者で直後中心地に入った人々の有症率は51.0パーセントで,上記ア及びイのいずれの場合よりも高率であった。
エ 屋外被爆者には熱,火傷の頻度が多いが,この熱・火傷の頻度を除外して後室内被爆者の場合と較べても屋外被爆者の有症率はなお高かった。また,原爆の瞬間は屋内,屋外のいずれにあってもその後直ちに中心地に入った人々には有症率が高い。
オ 原爆投下時に広島市内にいなかった非被爆者で原爆直後広島市内に人つたが中心地には出入りしなかった104名にはその直後急性原爆症らしい症候は見出されなかった。しかし,同様の非被爆者で原爆直後中心地に入り10時間以上滞在した人々では,その43.8パ-セントが引き銃いて急性原爆症同様の症状を惹起していた。しかもその2割の人には高熱と粘血便のある,かなり重症の急性腸炎があった。
このような調査結果からすると,原爆投下直後その中心地になお人体を障碍する何物かが存在したことを暗示しており,この何物かは中心地残留放射能以外は考えられない。
(10) 暁部隊の調査(証拠<省略>)
暁部隊は,広島の宇品に本部を置き広島市内では唯一被災を免れた陸軍船舶練習部隊であり,原爆投下時は広島県安芸郡江田島幸の浦基地と広島県豊田郡忠海基地にあった。このうち幸の浦基地からの救援隊は,原爆投下の当日である昭和20年8月6日舟艇により宇品に上陸し,正午前には爆心から2キロメートルの地点まで進出して負傷者を安全な地帯に導いた。その後,同日夜から7日早朝にかけて更に市内中央部に入り,その後約1週間,大手町,紙屋町,相生橋付近,元安川等において負傷者の収容と輸送,遺骨の埋葬,収容所での看護,道路・建物の清掃,食糧配給その他の活動に従事した。
広島市は,「広島原爆戦災史」を編纂するに当たり,昭和44年1月から同年2月にかけてこの部隊の一部を対象としてアンケートを行った。その結果,暁部隊に所属した者に次のような障害の出たことが回答された。
ア 出動中の症状
2日目(8月8日)ころから,下痢患者多数続出する。また,食欲不振あり。
イ 基地帰投直後の症状(軍医診断)
(ア) 白血球3000以下,ほとんど全員に及ぶ。
(イ) 下痢患者出る(ただし,重患なし)。
(ウ) 発熱する者,点状出血,脱毛の症状の者が少数ながらあった。
ウ 復員後経験した症状
倦怠感168人,白血球の減少120人,脱毛80人,嘔吐55人,下痢24人,その他(肝臓病14人・十二指腸潰瘍13人・結核9人など)
エ 現在の身体の具合
倦怠感112人,胃腸障害40人,肝臓障害38人,高血圧27人,鼻・歯の出血27人,その他(白血球減少23人・めまい20人・貧血15人など)
オ その他
死亡者10人内外(原爆症と認定された者とされている。)
子供に恵まれない者2,3人
遺伝的疾患1人(子の視神経不全)
(11) 放影研による調査(証拠<省略>)
放影研の寿命調査集団を対象とした被爆者の脱毛と爆心地からの距離との関係に関する調査では,脱毛があったとされた者は広島で対象者5万8500人中3857人(うち重度1120人),長崎で対象者2万8132人中1349人(うち重度287人)であり,これと,東京帝国大学の調査や日米合同調査団の調査と比較したその頻度は下図<省略>のとおりである(証拠<省略>)。
この報告では,その結果について,爆心地から2キロメートル以内での脱毛の頻度は,爆心に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少し,2キロメートルから3キロメートルにかけて緩やかに減少し,3キロメートル以遠でも少しは症状が認められているが,ほとんど距離とは独立であること,遠距離にみられる脱毛はほとんどすべてが軽度であったが,2キロメートル以内では重度の脱毛の割合が高かったことから,遠距離における脱毛が放射線以外の要因を反映しているのかもしれないことが示唆されたとしている。
(12) 広大原医研の調査(証拠<省略>)
広大原医研の広瀬文男の調査データを飯島宗一,庄野直美が集計したところによると,昭和26年から昭和42年までの18年間に,昭和20年8月6日から同月9日の間に広島に入ったいわゆる早期入市者に白血病の発生が43例あり,同じ時期に,昭和20年8月10日から同月13日の間に広島に入った後期の入市者には白血病の発生が7例見られたとされている。これを人口10万人当たりの年間平均発生率に直すと,それぞれ9.26人と3.54人になり,非被爆者の白血病発生率,2.33より共に高い。そして,残留放射能の影響がより強かったと考えられる早期入市者の白血病発生率は,後期入市者のそれより約3倍の発生率になるとされている。
(13) 厚生省公衆衛生局による原子爆弾被爆者実態調査(証拠<省略>)
厚生省は,昭和40年11月1日から同月20日までに広島及び長崎における被爆者の健康,生活等の実態調査を行った。その調査の中に,被爆後2か月以内の身体異常の発現率の調査があり,その結果は,別紙9のとおりである。この表によると,近距離で被爆した者ほど各種の身体異常の発現率が高く,このような異常の発現が爆心からの距離と密接に関連していることが明らかである。同時に,特に脱毛に関しては爆心から2キロメートルを超える遠距離にもみられ,その割合は距離が遠くなるに従って低減しており,かつ,原爆投下の日から3日以内に爆心から2キロメートル以内に入った者とそうでない者とを比べると,概ね前者の方が高い割合を示していることが読みとれる。これらの事実は,遠距離においても放射線による影響があったこと,また,爆心近くでは残留放射線(誘導放射線)の影響が少なくとも3日間は残存していたことを示しているかのようである。
(14) 賀北部隊の調査(証拠<省略>)
賀北部隊とは,正式には「広島地区第14特設警備隊」通称号「中国第32050部隊」であり,本土での戦闘の際のゲリラ戦のために結成された部隊と考えられる。広島県賀茂郡西条町に本部を置き,広島に原爆が投下された日の翌日である昭和20年8月7日から市内に入って膨大な遺体の焼却等を行った。NHK広島放送局は,放影研や広島大学原爆放射能医学研究所などと協力して,昭和62年8月3日に放映された「救援・ヒロシマ残留放射能の42年」の番組制作のため,賀北部隊に所属し,原爆投下後広島市内に入って救援活動に当たった隊員の残留放射線の影響について取材を行った。
その際に賀北部隊が浴びた被曝線量が千葉市の放射線医学総合研究所物理第三研究室の丸山隆司博士により計算されたが,その結果は次表のとおりである(証拠<省略>)。
先発隊 第一小隊
中性子誘導放射線 11.8R 3.4R
原子雲 0.08R 0.04R
フォールアウト 衝撃塵 0.02R 0.01R
火災煙 0.10R 0.04R
内部被曝 1.14×10-6R
また,広島大学原爆放射能医学研究所の鎌田七男教授が,隊員のうち28人の血液を検査し,染色体の異常を調べて被爆線量の推定を試みたが,その結果は,検証に耐えることのできる結果が得られた10人の中で,T65Dの計算方法で最大が13ラドで1人,10ラドが3人,6ラドが1人,1ラド以下が5人とされた(証拠<省略>)。
また,賀北部隊の死亡率及びがん死亡の割合及び死亡者中のがん死亡が占める割合は,日本全国の平均死亡率及び同年齢の同様の割合とほとんど差異は認められなかった。他方,99名の隊員に対する急性症状類似の症状の発現に関する質問結果では,出血(歯齦出血など)14名,脱毛18名,皮下出血1名,口内炎4名,白血球減少11名となっており,ほぼ確実な急性放射線症状があったと放影研の加藤寛夫疫学部長により判断された者は脱毛6名,出血5名,口内炎1名,白血球減少症2名とされ,低線量被曝にもかかわらず,急性放射線症状を現したものがいる(らしい)ということに注目すべきものとされた(証拠<省略>)。
賀北部隊の研究に当たった科学者の間では,この結果につき,基礎データがネバダにおける実験から得られた特殊なデータを使っていることなどからフォールアウトが少ないことが気になり,局所的な問題も入れると場合によると大きな線量を被曝した人もいるかもしれない,疲れや精神的なストレスによって脱毛を発現してもおかしくない,ゴミや塵をかぶっての作業であり,局部的に脱毛を起こすことも考えられる,ベータ線の影響を考えると皮膚線量が100ラドを超えた可能性がある,更に,ある種のフォールアウトでは,高線量の全身被曝で見られる脱毛と違った形で脱毛が出てくる可能性がある,広島の中心部の早期入市者については,後々まで健康を害するほどの影響は受けた人はいないと考えてよい等様々な議論がされている(証拠<省略>)。
(15) 予研-ABCC寿命調査広島長崎第3報1950年10月-1960年9月の死亡率(証拠<省略>)
同調査では,急性放射線障害の諸症状(脱毛,紫斑,口腔咽頭部傷害)のうち1つ以上を認めた者について以下のようなグラフ<省略>を搭載している(証拠<省略>)。
ここでは,このグラフないしグラフの内容である数値から,長崎の近距離被爆生存者が,広島の同じ被爆者に比して重遮蔽下で被爆したこと(近距離被爆者では,急性症状を呈する者の比率は広島の方が長崎に比してかなり多い。),1400メートル以遠で長崎の急性症状を呈した者の比率が広島より大きいことは,距離を一定にした場合長崎の空中線量が広島より大きかったことを示すことが説明されるとともに,1600メートルまでの範囲では被爆距離と急性症状の発現率との関係は合理的にみえるが,これを超えると発現率の低下が緩慢になり,初期入市者(原爆後1か月以内に入市した者)でも1パーセント内外の発現比率を示し決してゼロにはならないことから,放射線傷害と同一の症状が,放射線以外の原因によっても生ずることを考慮すべきであり,大部分が事実上原爆放射線以外の因子によってもたらされたと解するのが最も合理的であるとされている。
(16) 長崎原爆の急性症状発現における地形遮蔽の影響(証拠<省略>)
長崎大学大学院医師薬学総合研究科附属原爆後遺障害医療研究施設の横田賢一らは,長崎において地理情報システム(GIS)を用いて,原爆の爆発点を地上503メートルの高さとして,爆発地点からみて地形的に放射線から遮蔽された地域を割り出して,急性症状の発現における地形遮蔽の影響を検討した結果を報告している。この調査は,1970年1月1日現在において爆心から2キロメートル弱からおおむね3キロメートルの地域に在住していた遮蔽地域の1601人,無遮蔽地域の1715人を対象としたものである。これによると,急性症状の発現頻度は,無遮蔽地域よりも遮蔽地域が有意に低く,遮蔽地域での脱毛の発現頻度は1.9パーセント,無遮蔽地域では5.1パーセントであり,遮蔽地域と無遮蔽地域における脱毛の発現頻度の違いは被曝放射線量の違いを示していると考えられるとされている。同調査における脱毛の出現頻度は,被爆直後に行われた調査(上記(11)で引用されている日米合同調査団の調査結果)における脱毛の発現頻度は2キロメートルから3キロメートルにかけては3パーセント前後であることから,妥当な結果と考えられるとしている。また,遮蔽地域において被爆した者にも重度の脱毛が2人観察され,遮蔽地域の一部はフォールアウトがあった地域でもあることからその影響の可能性があるとされている。
(17) 遠距離・入市被爆者実態調査(証拠<省略>)
日本原水爆被害者団体協議会が平成15年に行ったアンケート調査の結果であり,2170通あまりの回答を得ているが,そのうち遠距離被爆者(2キロメートル以遠)は409人,入市被爆者は384人と思われ,救護被爆者31人等合計860人余で,その約4分の1に脱毛があったとの回答がされている。
2 調査結果から読みとれるもの及びこの点についての被告らの主張について
(1) 調査結果のまとめ
以上のような被爆者の急性症状に関する各種の調査の結果では,一部異なった傾向を示すものもあるが,おおむね爆心から2キロメートルを超える距離で被爆した者にも放射線急性症状と思われる症状が発現しており,その発現頻度は被爆距離が遠くなるにつれ低減し,また,屋内で被爆したか否か,遮蔽があったか否かなどにより,同じ距離では屋内ないし遮蔽がある場合の方が,屋外ないし遮蔽のない場合より発現頻度が低いという一般的な傾向が認められる。また,初期放射線を浴びたとは考えにくい遠距離にいた者についても,原爆投下から日を置かずして爆心近くに入市した者については,放射線の影響ではないかと考えられる白血球の減少や放射線急性症状と思われる症状が発現していたようにみえる。
また,入市被爆に関しては,永井博士が,爆発点より600メートルの上野町に原爆投下後「3週間以内に壕舎住居を始めた人々には重い宿酔状態が起こり,それが1か月以上も続いた。また重い下痢にかかって苦しんだ。特に焼けた家を片づけるため灰を掘ったり瓦を運んだり,また屍体の処理に当たった人の症状ははなはだしかった。症状はラジウム大量照射をうけた患者のおこすものに似ており,たしかに放射線の大量連続全身照射の結果であった。1か月以後から居住を始めた人の症状は軽かったが,やはり宿酔と消化器障害がみられた。蚊や蚤の刺痕や小さな傷が化膿しやすく,白血球の軽度の減少があるらしかった。3月後からは著明な障害は起こらないようになった。住民はどんどん家を建てて居住を開始した。それは復員者と疎開者と引揚者が主である。ところが白血球を調べてみると居住開始後1か月すると異常な増加を示し,平常数の倍になる。これは微量放射線の連続全身照射にみられる症状である。つまりこの土地には極微量の放射能が残留しているのであって,これは爆撃当時米国から注意されたとおりである。」(証拠<省略>)という体験ないし観察が出版されている。同種の体験は,医師であるA2(証拠<省略>),A3(証拠<省略>)及びA4(証拠<省略>)らによっても語られており,これらはいずれも当時の状況の下で,医師である上記の者らが,自らが体験ないし観察した状況を述べるものであって,入市被爆者が残留放射線によって健康被害を受けたことを強く窺われるものである。
(2) 遠距離被爆者や入市被爆者の症状に関する被告らの主張の概要
被告らは,[1]放影研の調査の結果では,早期入市者(原爆投下後30日以内に入市した者)に死亡率の増加があったとの形跡はなく,白血病その他の感性腫瘍による死亡率の増加も認められず,入市被爆者については被曝によるリスクの増加は明らかになっていないこと,[2]被曝による急性症状として下痢や脱毛には,相当量の放射線を浴びた場合に発症するもので,その発症時期,症状の内容に明らかな特徴があること,[3]被爆直後に行われたアンケート調査の結果と,被爆後15年以後のアンケート調査の結果を比較すると,その回答に一貫性がなく,特に,脱毛については,後者の調査の方が不自然に増加していたこと,[4]爆心地から1.5ないし2キロメートル以遠のアンケート調査の結果を見ると,その距離が離れるに従って発症率が低くなるという関係はないこと,[5]当時は自然脱毛を放射線による脱毛と心配してもおかしくはない状況にあった上,脱毛や下痢は放射線以外の原因によっても起こり得る非特異的な症状であり,当時の著しい食糧・栄養不足,感染症,空襲による社会基盤の崩壊等の状況からすれば,遠距離・入市被爆者の中に栄善失調や感染症,極度のストレス等による下痢や脱毛の症状を訴えた者がいたのは当然のことであり,遠距離・入市被爆者に生じたとされる「急性症状」は,放射線被曝に起因するものとは考えられず,放射線とは別の要因に基づくものというべきであると主張している。
(3) 検討
以下,これら被告らが主張する事由が,遠距離被爆者や入市被爆者にみられる脱毛や白血球の滅少などの症状が原爆放射線に起因するものではないとする根拠となり得るのかを,その主張する事由の順にしたがって検討する。
ア 放影研による調査結果について
「予研-ABCC寿命調査,広島・長崎第5報」(証拠<省略>)では,広島の早期入市者には後期入市者に比べて全死因による死亡が相対的に少なく,がんによる死亡率についても早期入市者のそれが後期入市者のそれに比して低いとされており,これによる入市者の健康状態が放射線の影響を受けて少なくとも悪化していないことを示唆しているかのようである。しかし,この調査は昭和25年から昭和42年までの期間を対象としており,その後の放影研の調査で多くの疾病に関して被爆者に過剰死亡が認められるに至っていることは後に記すとおりであり,いわゆる潜伏期の問題から上記の期間においては早期入市者の過剰死亡が顕在化していない可能性があることに留意する必要があると思われる。しかも,上記報告では一般に広島の早期入市者の死亡率は疑わしいほど低く,あたかもその遡及的な選定が生死の別によって左右された,すなわち初めに健康の良好な者が選ばれたというような観を呈しており,一部の時期を除いてこのような要因が上記の結果をもたらしたのかもしれないとされており,上記報告をもって早期入市者が放射線の影響を受けていなかったとする根拠として重視することはできない。
また,「原爆被爆者の死亡率調査1950~78年の死亡率:第2部癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」(証拠<省略>)では,昭和25年から昭和53年までの期間の調査では,早期入市者の白血病及び白血病以外のがんの死亡率は,いずれも0ラド群より低かったとされ,誘導放射線量が最大で広島で約14ラド,長崎で約5ラドであることを前提として,早期入市者のがんの顕著な増加はあり得ないと思われるとされている。
しかし,他方で,早期入市者の白血病の発生率の増加を示す報告を紹介し,また,早期入市者の他のがんについては慎重に長期観察を継続することが重要としているもので,この調査報告についても早期入市者が急性症状を呈する程の放射線を浴びていない根拠とするのにはなお限界があるというべきである。
イ 急性症状のしきい値及び症状の特徴について
放射線急性症状にしきい値及びその発症時期,症状の内容に明らかな特徴があるとされていることは,後にも触れるところであり,1に紹介した各種調査の中にはこの点に関する配慮がされた形跡のないものも少なくないが,例えば1の(2)の日米合同調査団による原爆の健康影響調査(証拠<省略>)では紫斑の調査がされており,また,1の(13)の厚生省公衆衛生局による原子爆弾被爆者実態調査(証拠<省略>)では,脱毛に関して「ごっそり」抜けたのか「わずか」に抜けたにすぎないのかも調査がされており,これらの調査結果は,少なくとも1で紹介した各調査報告の示した傾向と矛盾するものではない。
ウ アンケート結果の信頼性について
長崎大学の横田賢一らは,日米合同調査団による長崎の調査対象者のうち627人を対象として被爆直後の調査(調査A)と被爆後15年以降の調査(調査B)との一致の程度を調査し,その結果を報告している(証拠<省略>)。これによると,下痢,嘔吐,口内炎は直後の調査(調査A)よりも15年後以降の調査(調査B)の方が発現頻度が低く,発熱,脱毛,皮下出血,歯茎出血,鼻出血は調査Bの方が発現頻度が高く,特に,脱毛の発症率をみると,調査Aよりも調査Bで脱毛ありと回答した者の割合が不自然に増加し,それぞれの調査で脱毛ありと回答した者について,調査Aと調査Bでの一致率を調べたところ,調査Aで脱毛ありとした人で,調査Bでも脱毛ありと回答した人は74.4パ-セントであり,調査Bで脱毛ありとした人で,調査Aでも脱毛ありと回答していた人は42.1パーセントにとどまったこと等を報告している。
しかし,そもそも被爆直後の調査結果においても,爆心地より1.5キロメートルを超える距離の群においても,脱毛・下痢等の急性症状が見られたことは前記1における調査結果のとおりである。また,年月の経過による記憶の喪失や喚起,あるいは調査の方法の違いその他の事由によって年月を経た異なる調査の結果に齟齬が生ずることはやむを得ない面があり,上記横田の調査からは,1で紹介した各種の調査結果の詳細には一部誤ったデータが混入している可能性があるとはいえても,このような多数でかつ大量の人を対象とした調査結果の多くで示されている傾向が信頼に値しないものだと結論付けることは到底できない。
エ 距離が離れるに従って発症率が低くなるという関係の有無について
1の(7)の東京帝国大学医学部放射線科の筧弘毅の報告(証拠<省略>)では,その調査結果について脱毛の出現範囲,部位,方向性等に関して従来の放射線生物学的な考え方と多少矛盾し,又は理解に苦しむような点があるとされている。しかし,この報告では,矛盾や理解に苦しむ点の具体的な内容は記載されておらず,この記載から何らかの結論を導くことは困難である。
また,1の(15)の「予研-ABCC寿命調査広島長崎第3報1950年10月-1960年9月の死亡率」(証拠<省略>)では,1600メートルまでの範囲では被爆距離と急性症状の発現率との関係は合理的にみえるが,これを超えると発現率の低下が緩慢になり,初期入市者(原爆後1か月以内に入市した者)でも1パーセント内外の発現比率を示し決してゼロにはならないことから,放射線傷害と同一の症状が,放射線以外の原因によっても生ずることを考慮すべきであり,大部分が事実上原爆放射線以外の因子によってもたらされたと解するのが最も合理的であるとされている。しかし,この調査報告では,1600メートルを超える距離における急性症状の発現率が合理的ではないとする根拠は,発現率の低下が緩慢になることと初期入市者あるいは極めて遠距離の被爆者においても急性症状の発現がゼロにならないことのようである。確かに,同号証の7頁掲記のグラフでは,爆心から1600メートル地点辺りからグラフの傾斜が緩やかになっているが,その傾斜の変化が急性症状と放射線の関連を疑う根拠となるようなものである理由は明らかではない。むしろ,DS86の長崎におけるガンマ線カーマ(証拠<省略>)を例にとると,爆心地からの距離が0.5キロメートルのときの78.5Gyを100とすれば,1キロメートルは9.97,1.5キロメートルは1.13,2キロメートルは0.17,2.5キロメートルは0.03となり,1.5キロメートルを越すと傾斜は緩やかになることとなり,上記の急性症状の発現率の傾向と矛盾するともいい難いようにみえる。また,2500メートルを超える地点で急性症状を示す者のいることや,早期入市者に急性症状を示す者があることが,そのことだけでこのような症状と放射線との関連を否定する根拠にはならないはずである。
オ 他の原因について
放射線急性症状として上げられる出血傾向,脱毛,下痢などの症状がストレス,栄養状態,感染症その他の原因によっても発症しうるものであることは被告らの主張するとおりである。特に,下痢は,当時被爆者が置かれていた衛生状態,栄養状態,精神状態等からすると,放射線被曝を示す症状とみるにはかなり特異性は低いものである。しかし,紫斑や脱毛という症状は,一般に日常的にみられる症状ではない。また,被告らは,遠距離ないし入市被爆者に生じた脱毛を特に原爆投下によるストレスと結びつけて説明をしているが,俗に円形脱毛症と言われる脱毛の病因は一般には不明とされ,栄養障害説,病巣感染説,自律神経障害説,遺伝説,自己免疫説などがあり,自己免疫説が注目されているようである(証拠<省略>)。このような医学的な知見に照らしても,遠距離被爆者ないし入市被爆者の相当数にみられた脱毛を,一律に被告らが主張する放射線以外の原因によるものとみることは困難というべきであって,何らかの形で放射線が影響しているとする見方の方が素直な理解のように考えられる。
カ 小括
結局,遠距離被爆者に生じた放射線急性症状と一致する症状が,放射線の影響ではないとする根拠は,それだけでは十分に被告らの主張を裏付けているということはできず,最終的にはDS86及びDS02における(残留放射線も含めた)被曝線量の推定が正しいとする前提があって始めてこれを肯定することができるものといわなければならない。そこで,次章では,再度DS86及びDS02に触れ,その被曝線量の計算値が信頼できるものなのか否かについて検討する。
第3DS86とDS02の評価
1 初期放射線について
(1) DS86については,ガンマ線に関するDS86の計算値と熱ルミネッセンス法を用いた測定値とを比較すると,広島においては厳密には1000メートル以遠で測定値は計算値より大きく,近い地点では逆に小さくなっており,長友教授らは,1992年に広島の爆心地から2.05キロメートルの距離の瓦のサンプルから,熱ルミネッセンス法による測定をした結果から,「爆心から2.05キロメートルにおける測定値に対し,DS86の計算値が50パーセントあるいはそれ以下であることを示している。」と指摘しており(証拠<省略>),長崎においてはこの関係は逆になっていること,中性子による放射化のデータ(測定値)とDS86に基づいた計算値とを比較すると,ここでも近距離では計算値が高く,遠距離では測定値が高くなるという系統的誤差があり,系統的なずれは,測定可能な核種のいずれについても存在し,そのいずれについても傾向がよく一致していることも指摘され,特に広島においてそのずれが顕著なものとなっていることは,先にみたとおりである(第1の1の(3))。このような実測値と計算値との違いは,DS86の被曝線量の推定の信頼性に疑いを生じさせるに十分なものであった。
(2) DS02では,DS86について指摘された上記のような問題に関する検討を行い,DS02の策定作業の結果,これまでDS86に関して述べられていた実測値と計算値のずれの問題については,実測値におけるバックグラウンドの差引きの仕方に問題のあることが判明し,計算値自体はほぼ正確であり,1.2キロメートルから1.5キロメートル以遠での中性子の測定値と計算値の相違は,測定値の不確実性によるものと判断されたする趣旨の評価がある一方で(証拠<省略>),DS02によって爆心地から1200メートルまでの近距離と中間距離における計算値と実測値との不一致はほぼ解消されたが,遠距離におけるガンマ線の実測値との不一致,コバルト60による半減距離の不一致,高エネルギー中性子のニッケル63の半減距離の不一致はDS02でも解消されておらず,この不一致は,共通してソースタームにおける高エネルギー中性子の過小評価を示唆しているとする見解(証拠<省略>)も提出されていることも先にみたとおりである。そして,原告らは,DS02について,その線量評価は,高速中性子について1400メートル以遠では役に立たず,中性子線について実測値と計算値を比較すると,DS86と同様近距離で過大評価となり,遠距離で過小評価となっており,特に,遠距離における実測値とのずれは,DS86よりDS02の方が拡大し,また,ガンマ線についても広島の爆心地より1500メートル地点での実測値がDS02の計算値を上回っており,バックグラウンドの評価も恣意的で杜撰であると主張している。
(3) そこで,更にこれらの点を検討する。
ア ガンマ線について
熱ルミネッセンス法によるガンマ線の測定値とDS86及びT65Dによる計算値の比較をすると,長崎については証拠<省略>,広島については証拠<省略>のとおりであり,長崎については比較的一致度が高いようにみえるが,広島については爆心からの距離約1.3キロメートルの地点では多数の測定値が計算値を上回り,最大で1.5倍強程度の違いを示しており,先にも触れたとおり,1992年に広島の爆心地から2.05キロメートルの距離の瓦のサンプルから,長友らが測定した結果は,「測定値に対し,DS86の計算値が50パーセントあるいはそれ以下であることを示している。」とされている。
イ 高遠中性子について
広島におけるリン32の測定結果とDS86及びDS02の計算値の関係は,証拠<省略>のとおりであり,爆心から地上距離で700メートルを超える地点辺りから実測値が計算値を若干上回るようになっているが,誤差棒も非常に長いものとなっていて実測値の信頼性に問題があって,これによって計算値の正確性を判断することには限界があると思われる。なお,リン32に関しては昭和20年代にされた測定値が用いられているため,測定技術に関する限界があったことにも留意する必要がある。
次に広島におけるニッケル63の測定値とDS86及びDS02の計算値の関係は,証拠<省略>のとおりであり,1400メートル近くの地点まで比較的よく一致している。1400メートルに近づいた地点では,測定値が計算値を若干上回る傾向を示しているようにも見えるが,誤差棒が長くなり,測定限界に近づいているようであり,計算値は測定値とそれほどかけ離れたものではない。したがって,ニッケル63の測定結果はDS86及びDS02の計算値をおおむね支持しているように考えられる。
なお,この測定は,DS02策定作業の中でStraumeらによって行われたものであるが(証拠<省略>),この測定値を評価する際にバックグラウンド線量として爆心から1880メートルの測定値を用いたことが批判されている(証拠<省略>)。確かに,Straumeらのニッケル63の測定は,爆心から5062メートルの地点でも行われているから,その地点において信頼できる測定値が得られれば,その地点における線量をバックグラウンド線量として用いる方が正確を期すこととなるとは考えられるが,爆心から1880メートルの地点におけるニッケル63の測定値は7.3(±2.6,-2.1)であり,5062メートルの地点におけるそれは7.0(+8,-5)である。したがって,両地点における測定値に大きな差はなく,測定値の信頼度は前者の方が格段に高いことからすると,1880メートルの地点で既に測量限界を超えている(すなわち,原爆の初期放射線量がバックグラウンド線量から区別して判定できないほど小さくなっている)とすることに一定の合理性があることは否定できない。
ウ 熱中性子について
ユーロピウム152の測定結果とDS86及びDS02の計算値の関係は証拠<省略>のとおりである。証拠<省略>のPresentとして表示されている■の点は,DS02の策定作業の中で小村らが低バックグランド施設において行ったユーロピウム152の測定結果を示すものである。小村らの測定は,地下の極低バックグラウンド施設において爆心から4.2キロメートルから8.7キロメートルの距離で採取された資料によりバックグラウンドの補正を評価してされたものであり(証拠<省略>),その測定結果の信頼性は高いものである。これによると,爆心からおおむね1400メートルまでの地点では,DS86及びDS02の計算値は,測定値と比較的よく一致していると評価できる。
コバルト60の測定結果とDS86及びDS02の計算値の関係は証拠<省略>のとおりである。これによると,地上距離において約1300メートルまでの測定値は,一部を除いてDS02の計算値とおおむね符合するように思われるが,これを超える距離においては測定値が計算値を上回る結果となっている(なお,グラフの縦軸は,100,10-1,10-2,10-3と対数尺で表示されており,問題となっている付近での絶対値は極めて小さい。)。
エ まとめ
以上のとおりであるが,DS02においては,測定の方法等の改善が行われ,DS86と比較すれば計算値と測定値の不一致の問題はかなり改善され,爆心から1200メートルまでの距離における計算値と実測値との不一致の問題はほぼ解消された評価される。それより遠距離については,広島におけるガンマ線の測定値,広島におけるコバルト60の測定値と計算値の不一致の問題が解消されたとまでは評価できないが,測定限界の問題もあって,DS86やDS02の初期放射線の計算値に大きな誤りがあるとは考えにくい。しかも,長崎におけるガンマ線の実測値は計算値よりわずかに小さな値となっており,また,長崎における爆心から2000メートルの距離における中性子カーマは,わずか0.00002グレイ(DS86)ないし0.0005グレイ(DS02)であって,仮に線量評価システムの中性子に関する計算値に誤差があったとしても,これが人体に影響を与えるほどの量になるとは考え難い。確かに,DS02における再評価には,原爆の出力や爆発高度や位置の修正など辻棲合わせではないかと疑えば疑うことのできる部分が存するが,DS86及びDS02による初期放射線の計算は,最新の放射線に関する知見に基づいたものであって,現時点でこれに優るものはない。DS86及びDS02における初期放射線の評価が完全なものではないとしても,そこに潜むかもしれない問題点が,本件訴訟における原告の初期放射線の被曝線量を考える上で有意な影響を与える可能性は低いものと考えられる。
2 残留放射線からの被曝について
(1) はじめに
原爆投下後の残留放射線による被曝には,[1]原爆から放射された中性子線が「放射化反応」によって土壌等の中に作り出した誘導放射能による被曝,[2]原爆の爆発によって放出された放射性核分裂生成物及び未分裂の核分裂物質(ウラン及びプルトニウム)の降下による被曝の二つの形態があることは先にみたとおりである.
ア 誘導放射能による被曝
地面の中に含まれるナトリウム(23Na),アルミニウム(27Al),スカンジウム(45Sc),マンガン(55Mn),コバルト(59Co)などの原子核が原爆から放出された中性子線と反応して放射化され,24Na,28Al,46Sc,56Mn,60Coなどの放射性原子核に変化する。これらは,爆心地近傍での残留放射能の主要な原因になる。生成される放射能の強さは,降り注ぐ中性子の線量と放射化反応の起こり易さ(放射化断面積)及び土壌などの元素組成に依存する。放射化断面積は中性子線のエネルギーと原子核の種類によって異なる。つまり,どのようなエネルギーの中性子がどれだけ当たったかによって,生成される放射性物質の量は異なることになる。中性子線の強さは爆心から遠ざかるにつれて減少するので,誘導放射能も爆心からの距離とともに減少する。生成された放射性原子は,各原子に固有の半減期で減衰しながらベータ線やガンマ線などの放射線を放出し,地上の人々に被曝を与える。中性子線は土壌による吸収のために深さとともに減弱する上,土壌中の誘導放射性物質から放出されるガンマ線は地表面に出るまでに土で吸収されて減弱するので,ある程度より深いところに生成される放射性原子核は有意の被曝を与えない。また,地表面から放出された放射線は,空気中で吸収や散乱を受けながら距離とともに減弱していく。また,一般に誘導放射性原子核の半減期は短く(28Al:0.0378時間(2秒),56Mn:2.58時間,24Na:15.0時間など),半減期が比較的長い誘導放射性原子核(46Sc:84日,60Co:5.263年など)の場合は,元となる元素の土壌中の組成濃度が低い(45SC:0.0067パーセント,59Co:0.0078パーセントなど)。こうした諸要因のため,被曝が問題となるのは爆心地の比較的近傍における原爆投下から数日の間ということになる。個々の被爆者が浴びた誘導放射能による放射線量は,当該被爆者がどの地点にいつからいつまでいて,どのような行動をとったのかといった情報が必要であるが,その解明は相当困難である。
イ 放射性降下物による被曝
原爆の爆発によってウランやプルトニウムが核分裂反応を起こし,様々な放射性の核分裂生成物が発生し,環境中にばらまかれる。大気中に放出された放射性物質の一部は周辺の地面や水面に降下し,放射能汚染をもたらす。他の一部は火の玉とともに上昇して上空に達し,風に流されて拡散しながら広い範囲の地表面に降下する。長崎では西山地区に多量のフォールアウトが降下したことが知られている。フォールアウトによる被曝は,地面に降り積もった放射性物質から放出される放射線による外部被曝に加えて,放射能で汚染された水や食品の摂取に伴う内部被曝も伴うものである。
フォールアウトには多種多様な放射性物質が混ざってもいるので,線量評価は厳密には非常に複雑であるが,比較的簡便な経験式が知られている。それは,平均エネルギー0,7Mevのガンマ線を出す放射性物質が原爆投下からの経過時間数tに応じてDo・t-1.21の式に従って減衰していくというものである(Doは爆発1時間後の線量率である)。この式を用いて測定値から被爆後の滞在時間に応じた外部被曝線量を概算することができる。
一方,フォールアウトに伴う内部被曝線量の評価には,飲料水や食品の核種別の放射能汚染の程度,その摂敢量,体内での臓器別分布,排泄の速度などが多様な不確定な要素が評価されなければならず,より大きな困難が伴う。
また,核分裂反応を起こす核物質は一部分にすぎないので,広島ではウラン,長崎ではプルトニウムの一部は環境中に放出された。しかし,それらが降下した範囲や量に関する情報は乏しい。長崎においては,阪上らが1969年に行った西山地区の土壌の調査によって,対照地域の10倍以上に当たるプルトニウム239を検出しており,未分裂のプルトニウムが周辺地域に降下したことが確認されている。そして,このような土壌等に沈着した未分裂の核物質が空気中に舞い上がり,呼吸等を通じて人々に吸入されて体内被曝を与える危険性のあることが有力に指摘されている。
(2) DS86における残留放射能の評価
ア はじめに
DS86では,残留放射能の放射線量の検討が第6章で行われている(証拠<省略>)。その結論部分だけを示せば,放射性降下物による被曝線量(臓器吸収線量換算。以下,同じ。)は,最大で長崎では12ないし24ラド,広島で0.6ないし2ラドと推定していること,誘導放射能による被曝線量については,最大で長崎では18ないし24ラド,広島で約50ラドと推定していること,DS02では残留放射能の評価はされていないことは先にみたとおりである。DS86では,誘導放射能は爆心地周辺で発生し,放射性降下物は爆心地より3000メートルでのみ発生したものとされている。
イ 放射性降下物による被曝線量の推定
(ア) DS86における放射性降下物による被曝線量推定の主な根拠は,被爆後3か月内に行われた長崎の西山地区及び広島の己斐高須地区における直接測定の結果であり,累積的被曝は,その測定結果を基に計算されたものである(単位はラド)。長崎における直接測定の結果と土壌中のセシウム137の測定結果及びそれから推計される累積線量を示すと,次表のとおりである。なお,セシウム137の測定結果については,その後の核実験によるフォールアウトが相当影響していることに留意する必要がある(証拠<省略>)。
なお,単位のRはレントゲンである。
file_8.jpgBLAIS SME OR mee es BR IEMA (mR/h) (R/h) BRAM BE A RRS 53 O.1~27 O.5~14 2.5~7.0 10.1~ Tybout 87 1 58 29 9. 21~10.4 MeRaney 48 1~18 1 Pace ane Sait +DS86では,上記のような直接測定の結果及び1956年に採取された資料によるセシウム137からの推定結果により,西山地区における1時間目から無限時間までの放射性降下物からの被曝線量を20ないし40ラドと推定し,これを臓器吸収線量に換算すると12ないし24ラドとしたものである。
なお,西山地区の土壌の調査では当初から長命の核分裂生成物及び超ウラニウムの存在が実証され,坂上ら,岡島,岡島ら及びMaharaと宮原は,いずれも西山地区土壌中に高濃度のプルトニウムが存在することを報告しているが,風雨による影響や被曝率と放射能濃度の関係が不明なため,データを線量推定に使用することはできないとしている。
(イ) DS86の放射性降下物による被曝線量の推定については,DS86自体で,推定に使用されたデータ資料が風雨の影響が現れる以前に採取されたものではなく,その後風雨の影響を明らかにしたり,放射能の時問的分布を与えるのに十分な程は繰り返されなかったこと,測定場所の数が余りにも少なく,放射能の地理的な分布について十分推定することのできるものがなかったこと,標本の偏りが存在している可能性があること,測定の精度やすべての外挿の精度が非常に低いこと等から,理想的なデータからの推定ではないことが説明されている。
(ウ) なお,原爆投下後の3か月の間に広島では900ミリの,長崎では1200ミリの降雨があり,両市ともに1945年9月17日の台風に遭い,さらに広島では10月9日に二回目の台風に遭っているが,DS86における検討では測定データを風雨の補正をせずに使用している。
ウ セシウム137からの内部放射線量の推定
DS86では,1969年に岡島らがホールボディーカウンターを用いた西山地区住民(男性20名,女性30名)及び同数の対照に関するセシウム137の内部負荷の測定及び1981年に行われた上記住民のうち比較的高い値を示した10名に関する同様の測定の結果から,1945年から1985年までの40年間の内部被曝線量を,男性で10ミリレム(ミリラド),女性で8ミリレム(ミリラド)と推定している。
エ 誘導放射能からのガンマ線の被曝線量の推定
DS86に紹介されている広島の土壌の放射化に関するデータからの初期被曝率累積的被曝の推定は次表のとおりである(証拠<省略>)。
爆心地付近での総誘導放射能からの初期被曝率と累積被曝の推定
file_9.jpgae PGES (u R/b) RAI (R) Hashizume and Maruyama 8 80 Arakawa = 24 ps] Takeshita 5 98 Shohno 130 Gritzner 8 100 Sei; Hashizume and Maruyama 30 Alakawa os 4 Takeshita 39 Shohno 55 Gitzner 12 36また,DS86第2版では,GritznerとWoolsonが,原爆によって生じた推定中性子フルエンスから誘導放射能を計算している。その計算の過程は次のとおりである(証拠<省略>)。
まず爆心からの距離ごとに入射中性子スペクトルを計算する。これにより,入射中性子のエネルギー,方向,数が決まる。次に,土壌中の元素の種類,含有量及びこれらの元素の放射化断面積をもとに生成された放射能量を計算する。そして,誘導放射能から放出されたガンマ線が地上に達するまでのガンマ線の透過の計算をし,線量率(単位:R(レントゲン)/h(時間))を求める。人体の被曝影響と結びつける上でこの線量は空気中の組織カーマ(単位:グレイ)に換算される。
そして,爆心における線量率(組織カーマ率)を時間について積分すれば,爆心に一定時間滞在した場合の積算線量を求めることができる。これによって,爆心からの距離と爆発直後からの積算線量に関係をみると,爆発後約100時間後までの線量が高いものとされ,爆発直後から無限時間までの積算線量として,DS86において評価された値を基に広島で80ラド(組織吸収線量換算で50ラド),長崎で40ラド(同様24ラド)とされた。また,積算線量の約80パーセントは1日目が占めており,2日目から5日目までの線量が約10パーセント,6日目以降の総線量が約10パーセントとされている。
(3) その他の残留放射能の測定について(証拠<省略>)
ア 初期調査について(証拠<省略>)
(ア) 原爆投下後の早い段階から多くの人々により市内各地における放射能の測定が行われた。その目的は原爆であることを確証するために放射能を検出することであった。
1945年8月8日に理化学研究所の仁科芳雄は陸軍調査団とともに空路,広島に入った。8月9日には仁科氏の指導のもとに陸軍関係者により爆心から5キロメートル以内の28か所から土壌試料が採取され,その日の内に理研において測定され,銅線から放射能が検出された。これにより広島に投下された爆弾が原爆であることが確かめられた。なお,この試料のうち,爆心から西方約4キロメートル離れた地点の土砂に意外に強い放射能が検出されている(証拠<省略>)。また,8月10日には大阪帝国大学理学部物理学教室の淺田常三郎教授らによって構成される調査団が広島市に入り,携帯用箔験電器,ガイガー・ミューラー計数管などを使用して放射能の調査を行ったが,爆心近くで放射能が高いことと,激しい雨の降った己斐駅付近で高いことが報告されている(証拠<省略>)。
同日京都帝国大学理学部物理学教室の荒勝文策らによって構成される調査団も広島市に入り,市内西練兵場で砂を採取して11日に帰京の後に放射能を検出した。同調査団による放射線の測定はβ線用G-M計数管により行われたが,西練兵場の土は比較的強いβ-放射能を示し,いずれも毎分70ないし80を数えたが,爆心から約2.5キロメートルの東練兵場で採取した土からは認めることのできる程度のβ-放射能を示さず,西練兵場の土から検出した放射線のエネルギーを約0.9MeVと推定している。さらに,8月13日と14日に第2次調査が行われ,市内外約100か所から試料が採取され,爆心付近で倒壊していた家屋の下に埋もれていた積算電力計の馬蹄形磁石の表面のβ-放射能は毎分374を数え,路上で斃死していた馬の骨からは1gにつき1分間約637の計数を示し,西練兵場の土は,地下1メートルにおいてもなお表面の放射能の約半分を示したことなどが報告されている。また,遠距離での測定の結果でも,爆心から2.5キロメートルの距離にある地点の数カ所で弱い放射能が検出されているほか,3.5キロメートルの距離にある地点(旭橋東詰)で強い放射能(毎分106)が検出され,同調査団は,爆発の際の気象条件により,爆弾の分裂片が地上に落下したためと椎察している(証拠<省略>)。
さらに,理化学研究所の山崎文男らは,9月3日及び4日に広島市内外に残留するガンマ放射線の強度をローリッツェン検電器を用いて測定している。その結果,爆央付近において,ガンマ線が,バックグラウンドのおおよそ2倍程度残留することを認めたほかに,己斐から草津に至る山陽道国道上において,古江東部に極大をもつ上記爆央付近に見たのと同程度のガンマ放射線の存在を確かめ,最も放射能の強い地域のガンマ線の爆発1時間後の強度を20mr/h,爆発後2時間から24時間までのガンマ線量を220mr,その後の24時間には40mrと計算し,人体に対して危険ではなかったとしている(証拠<省略>)。
九州帝国大学医学部放射線治療学教室及び理学部研究班は,9月9日に長崎の爆心付近の土壌の放射能のLauritzen-Electroscopeを用いた調査を行った。その結果では,爆心地付近でElectro scoreの自然放電の約7倍にすぎず,この放射能の強さは,爆心より遠ざかるに従って減弱し,500ないし600メートルに至って強く減弱しており,同日以後爆心部付近の土地の放射能は人体に障碍を及ぼすことはないとされている。すなわち,爆心地付近では自然放電0.06Div/Minの約7倍であり,0.3r/Dayの約600分の1であるとしている。また,原爆症で死亡した者の遺体の組織の放射能の測定もされているが,その結果では認めるべき放射能の増強はないとされている。もっとも,爆心付近で拾われた骨からは自然放電の約6倍に相当する放射能が検出されている。さらに,同調査は,9月1日に西山地区の残留放射能の測定も行っている。調査の結果では,同地区の残留放射能は,おおむね自然放電の約150から200倍であり,落下物がそのまま付着して残留していたと思われるものについては1000から1200倍(前記同様に当てはめれば0.3r/Dayの4分の1程度である。)に達するものとされている(証拠<省略>)。
また,東京帝国大学の渡辺武男を地学班長とする調査団が10月11日に広島に入り,同日から3日間広島の,15日から19日の間に長崎の調査を行い,昭和21年5月7日に広島,13日に長崎を再調査している(証拠<省略>)。
(イ) 日米合同調査団による調査(証拠<省略>)
10月3日から7日には,日米合同調査団の調査が行われた。この調査では携帯用ガイガーミュラー計数管を用いて広島の100箇所,その後,長崎で900箇所について行われた。そして,両爆心地と風下にあたる広島市の西方3・2キロメートルの高須地区,長崎市の東方2.7キロメートルの西山地区で放射能が高いことが確かめられた。測定の結果は,広島の己斐・高須地区で最高0.45mr/hrが記録され,長崎の西山地区では最高1.0mr/hrが記録されている。これらの地区はいずれも爆心から約3キロメートルの風下に当たり,かつ,爆発の30分から1時間後に激しい降雨があった。上記調査結果から,総積算線量を推計すると,広島では1.4Rad,長崎では30Radに達するされている。ただし,半減期が短く,爆心からの距離とともに放射能が急激に減少すること,火災のため被爆1両日中に爆心付近に立ち入ることは事実上不可能であったことから,上記積算線量の50パーセントを受ける確率は極めて少ないとされている。
イ その後の調査
(ア) 「広島,長崎における中性子誘導放射能からのガンマ線量の推定」
(証拠<省略>1970年)
放射線医学研究所の橋詰雅らは,中性子によって土壌や建築材料に誘導された放射能からのガンマ線量を実験データに基づいて推定し,原爆投下後に広島の爆心地付近に入り,8時間滞在した者の推定被曝線量を3Rad,爆発直後から無限時間までの累積ガンマ線量は,広島の爆心地で80Rad,長崎で約30Radと推定した。
なお,上記報告によると,庄野(The physical effects of the atomiCboms inHiroshima and Nagasaki)及びArakawa(Residual radiation inHiroshma andNagasaki)も同様に土壌中に誘導された放射能からのガンマ線量を推定しているが,これには相当の差があり,原因は不明な因子が多すぎることにあるのかもしれないとされている。
(イ) 広島,長崎の残留放射能調査報告書昭和51年度(証拠<省略>)
財団法人日本公衆衛生協会は,昭和51年度及び昭和53年度に橋詰雅放射線医学総合研究所物理研究部長を班長として,広島及び長崎のそれぞれ爆心から30キロメートルの範囲を対象として,2キロメートルごとに同心円を描き,その同心円上に6点を取ることを基準として,10センチメール程度の深さまでとった土壌の機器分析あるいは化学分析を行い,セシウム137の単位面積当たりの放射能(地表面放射能密度)を測定した。その結果,広島の土壌資料107か所についての算術平均値及びそれらの標準偏差は68.36±37.47mCi/km2であり,長崎の試料は98か所で140.39±53.21mCi/km2であった。これらは原爆とその後に行われた核実験による放射性降下物も含むものであり,原爆に起因する明らかな異常放射能は認められないとされた。また,セシウム137の地表面放射能密度は,土壌採取地の年間平均降雨量や土の質とは相関関係も認められなかった。地表面放射能密度については西山地区を除いては有意な差は認められなかったが,セシウム137の表面放射能密度が有意に大きな地区が,広島で2か所,長崎で3か所あったが,これが原爆によるものだと結論することはできないものとされた。
(ウ) 「黒い雨に関する専門家会議」報告書(証拠<省略>)
広島県及び広島市は,いわゆる「黒い雨」降雨地域に関して,従来言われている地域より広範な地域に降雨があったとする調査報告がされたことから,広島の原子爆弾投下直後に降った黒い雨の実態と,その雨に含まれていた放射能による人体への影響を科学的・合理的に解明する方法の有無及び有効性について検討するため,重松逸造放影研理事長を座長として「黒い雨に関する専門家会議」を設置した。同会議は,広島上空で爆発した原子爆弾の残留放射能の再測定,気象シミュレーション法による降下放射線量の推定,「黒い雨」に曝された群と曝されていない群との体細胞突然変異および染色体異常の頻度を調査し,昭和63年8月以後10回にわたる会合をもち,その結果を平成3年5月に報告している。
その概要は以下のとおりである。
[1] (イ)に記載した昭和51年及び昭和53年の土壌調査データを再検討し,昭和30年以降の原水爆実験による放射性降下物を多量に含んでおり,原爆に起因する明らかな異常放射能は認められないとする結論を確認した。
[2] 土穣中のウラン235,同238の測定をしたが,有意な結論は得られなかった。
[3] 土壌以外についても,屋根瓦や柿の木についてセシウム137やストロンチウム90の測定を行ったが,一部の結果しか得られず,いずれも黒い雨の関連を示す有意な結論は得られなかった。
[4] 気象シミュレーションにより原爆雲,衝撃雲及び火災雲の3種について検討し,放射性降下物とその地上での分布を調査したが,その結果,原爆雲の乾燥大粒子の大部分は,北西9ないし22キロメートル付近にわたって降下し,雨となって降下した場合には大部分が北西5ないし9キロメートル付近に降下した可能性が高い。また,衝撃雲や火災雲による雨(黒い雨)の大部分は北北西3ないし9キロメートル付近にわたって降下した可能性が大きい。またこの気象シミュレーションを用いて推定した長崎の降雨地域は,これまでの物理的残留放射能の証明されている地域と一致した。
[5] この気象シミュレーション法に基づいて残留放射線量を推定すると,原爆雲による爆発12時間後の最大放射能密度は約1600mCi/m2,照射線量率12.7R/hr,衝撃雲ではナトリウム24で最大放射能密度約270μCi/m2,照射線量率15mR/hr,火災雲では最大放射能密度約90μCi/m2,照射線量率5mr/hrであった。
広島原爆の残留放射能による照射線量は,炸裂12時間後で約5R/hr(最大積算線量:無限時間照射され続けたと仮定した場合は約25rad)と推定される。
[6] 体細胞突然変異及び染色体異常による人体影響を,黒い雨に晒された40名と,晒されていない53名について調査したが,いずれも有意な差はなく,染色体異常についても統計的有意差は認められなかった。
(エ) 黒い雨に伴う積算線量(証拠<省略>)
広島大学大学院工学研究科の静間清は,1950年以後にされた大気圏内核実験のフォールアウトの影響を受けていないと思われる[1]同大学理学部岩石教室に保管されていた被爆資料,[2]理化学研究所が原爆投下直後に行った調査で採取された資料,[3]原爆資料館に所蔵されている黒い雨の痕跡の残る壁について,セシウム137の測量を行った。その結果は,次表のとおりである(数値は,原爆直後に半減期補正をした値である。)。
広島におけるセシウム137測定データ
file_10.jpgouTN YO LITE OE 1.30. TmBq/em2 0. 13 108Bq//km2 RLM LOH LY TAF 1.540. 2mBg/em2 —_ 0. 15 108Bq//km2 + No. THY A 49.345. 20Bq/em2 4. 9X 108Bq//km2. CRA) Bea 48,5422. SmBq/em2 4. 85% 108Bq//km2 BRRTIA-NT Ob 37 108Bq/km2静間は,己斐・高須地区でのフォールアウト中のセシウム137降下量は,土壌試料のうち,理研土壌サンプルNo.7(己斐橋付近で採取されたもの)を除く試料から推定した旧広島市内の平均値の38倍との結果が得られたとしている。また,この測定結果によって己斐・高須地区におけるフォールアウトの集積算量を評価しているが,その結果は3.7ラドとされ,また,広島市におけるそれ以外の地域のフォールアウトの線量は,平均約0.1ラドと算定されている。この値はDS86による推定よりやや高いものとなっている。なお,静間は,「黒い雨」壁面をICP-MS分析(誘導結合プラズマ質量分析法)によって,ウラン235/ウラン238同位体の原子数比の測定をしたが,その結果では,黒い雨の部分で天然比より有意に高い値であったとし,この結果は黒い雨に原爆由来のウランが含まれていたことを示唆しているとする(証拠<省略>)。
その後の静間らによる「広島原爆の早期調査での土壌サンプル中のセシウム137濃度と放射性降下物の累積線量評価」(証拠<省略>)では,集中した降下物地域を除いて広島市では0.31mC/キログラム(0.12ラド)であると評価され,集中した降下物地域では1.0mC/キログラム(4ラド)と評価されている。
(4) 内部被曝あるいはホットパーティクル理論について
内部被曝の評価はかなり困難であり,原爆放射線による内部被曝を実地に実測したのは,DS86で紹介されている岡島らの西山地区住民に対する調査がほとんど唯一のものではないかと考えられる。岡島らの調査の結果では,1945年から1985年までの40年間の内部被曝線量は,男性でわずか10ミリレム(ミリラド),女性では8ミリレム(ミリラド)と推定されていることは先にみたとおりである。
その他に内部被曝あるいはこれに関連するホットパーティクル理論に関する研究には以下のようなものがある。
ア 放射線医学総合研究所のA5は,長崎の西山地区においてセシウム137の降下量の推定のうち,最も高い推定値である900mCi/km2を用いて浦上川の水がこの推定値で汚染され,これを被爆者が1リットル飲んだと仮定した場合の肝臓の被曝線量が自然放射線による被曝線量に比して1万分の1以下であり,実際には降下量は上記推定値より低く,川の流れに希釈されるのでさらに低くなるとして,浦上川の水を飲んだことにより障害をおこし得る量を摂取できるものではないとしている(証拠<省略>)。
イ 京都大学原子炉実験所の今中哲二は,内部被曝の正確な評価は,外部被曝以上に困難としながら,原爆による被爆後焼け跡の片づけに従事した人々の塵埃吸入を想定した内部被曝線量を試算し(吸入の対象とされたのはナトリウム24とスカンジウム46),0.06μシーベルトという結果となり,外部の被曝線量に比べて無視できるレベルであることを報告している(証拠<省略>)。
ウ M W Charlesらは,ホットパーティクル(粒子)の発がんリスクに関する多数の研究を紹介している。ホットパーティクルとは,放射能の高い放射性物質からなる不溶性粒子のことである(証拠<省略>)。Charlesらの論文は反訳の仕方の問題もあってか理解が困難な点もあるが,マウスを用いた実験によれば,低線量においても,不均一照射(ホットパーティクルによる被曝)の場合均一照射より発がん性は低いとする趣旨のようであり,ホットパーティクルによる被曝の危険性を説く学説を否定しているようである(証拠<省略>)。
エ 低線量放射線安全評価情報データペースによると,ホットパーティクルの問題を最初に提起し,ICRPの勧告による放射能の最大許容肺負荷量を11万5000分の1に引き下げることを提唱したのは,米国のタンブリンとコクランであるが,両名の考え方は,その後世界的に行われた調査で否定されたとしている(証拠<省略>)。
ICRPの1977年勧告では,ホットパーティクルによる被曝によって発がん率が(相当程度)増大するとする考え方を否定する理由として以下の点を挙げている。
(ア) 大線量は細胞の再生能力の喪失あるいは細胞の死をもたらし,確率的影響では一定量の放射線エネルギーの吸収は均等分布によるものよりホットスポットによるものの方が効果が小さい。非確率的影響(確定的影響)でも中程度の線量で起こるかもしれない細胞喪失の量ではそれらの細胞が作る器官の機能喪失に恐らく至らない。
(イ) 疫学的調査で実際に限度(最大許容肺負荷量)以上に被曝した複数の人について放射線誘発性の肺がんが報告されていない。
オ A6(証拠<省略>立命館大学国際関係学部教授),市川貞夫(証拠<省略>),A7(証拠<省略>)は,内部被曝が継続性を持ち,放射性の核種がアルファ崩壊やベータ崩壊を繰り返してアルファ線,ベータ線,ガンマ線を放出して,外部被曝とは異なる態様でDNAを損傷する可能性があること,局所的な被曝の影響が平均的な被曝とは異なる影響を与える可能性があること,人工放射性核種には生体内で著しく濃縮されるものが多く,核種によって集積する体内の器官が定まっていることから,内部被曝の影響を軽視することはできない,あるいは著しい高線量の被曝を核種の存在する近傍の体内組織に与えるとしている。
(5) DS86による残留放射能による被曝線量推定及び内部被曝の評価の問題点について
ア 放射性降下物について
(ア) DS86第6章(証拠<省略>)における放射性降下物による被曝線量の推定については,DS86が自ら説明しているとおり,測定場所や測定回数が少なく,標本の偏りが存在している可能性があり,原爆投下後の風雨の影響の有無や程度を測ることのできる資料がなかった上,測定の精度及びすべての外挿の精度が非常に低い等の問題点がある。
(イ) 長崎において放射性降下物によって最も汚染された地区が西山・木場地区であったことは,当日の観察(雲仙の温泉岳測候所における原爆雲の動きのスケッチや住民の証言。証拠<省略>),長崎における九州帝国大学医学部放射線治療学教室及び理学部研究班による初期調査の結果(上記(3)のアの(ア)),「黒い雨に関する専門家会議」による気象シミュレーション法を用いた放射性降下物や黒い雨の降雨地域の推定(証拠<省略>。大粒子の雨による落下は東3キロメートルあたりから東南東方向に伸び,中心は西山貯水池あたりとなっている。)等から明らかである。
そのため,DS86では,放射性降下物による被曝は,長崎及び広島とも爆心地より3000メートル(すなわち,長崎においては西山地区,広島においては己斐・高須地区)の地域のみの測定がされ,他の地区における測定はされていない。
しかし,放射性降下物には,大きく分ければ[1]核分裂生成物及び未分裂のまま飛散したウラン235ないしプルトニウム,[2]原爆の中性子線によって放射化した土砂が原爆の爆風によって巻き上げられ,上昇気流によって舞い上げられた粉じん,[3]原爆の中性子線によって放射化された可燃物が原爆の熱線によって燃焼した火災煙の3種があり(証拠<省略>),これらの未分裂核物質,誘導放射化された粉じん,火災煙が,原子雲の下にあって降雨のない地域に全く降下しなかったということは考え難いことであり(この点は,被告らもその可能性は否定していないようである。),また,長崎では西山地区以外にも降雨があった地城があったとの指摘や黒いスス等の降下があったとの指摘のあることにも留意する必要がある(証拠<省略>)。
イ 誘導放射能について
DS86における誘導放射能によるガンマ線の被曝線量の推定は,セシウム137の測定結果とGritznerと Woolsonによる計算結果によっているようである。先にみたとおり,核実験による汚染前の初期調査の結果では,誘導放射能による被曝線量は人体に対する健康被害を与えるものではないとする報告が多く,近年における核種の測定結果の多くは,原爆による放射線を検出できるほどの有意な結果を示していない。
そうではあっても,セシウム137の測定結果にはかなりのばらつきがみられるようであり,DS86では広島におけるHashizumeらの測定結果を採用して評価をしているようであるが,上記のようなばらつきのある測定結果の中で,Hashizumeらの測定結果を採用した理由は十分に明らかではない。また,Gritznerらは,遅発中性子の複雑な動き(特に,長崎についてはこの点の不確実性は大きいとされている。),未知の元素又は計算に含めなかった元素がカーマ率の変動を左右するかもしれないこと,地域的な土壌組成の不確実性等から,その計算値に25パーセントから50パーセントの不確実性があるとしているほか,地中の遅発中性子フルエンスの推定の不確実性を考慮すると,長崎では爆心地近くのカーマ率を2倍に増加させる可能性があるとしている。なお,Gritznerらが算出したカーマは比較的小さいとものであるが,放射線リスク解析に用いている対照被爆者が被爆した可能性を示すことから,無視できないものであることをコメントしいてる(証拠<省略>)。
なお,誘導放射能によるガンマ線の被曝線量の推定計算には幾つかの方法があるようであり,そのどれをとるかによってかなり計算結果が異なっており,かつ,どの方法によっても中性子誘発放射能を正確に推定することは不可能であるとする報告もある(証拠<省略>。ただし,この報告では,いずれの方法によっても多数の人に有意の放射線照射をもたらすことはないものとされている。)。
ウ 内部被曝あるいはホットパーティクル理論について
(ア) 内部被曝は,核分裂生成物や未分裂の核物からなる放射性降下物質,あるいは中性子に誘導された放射性核種が呼吸や飲食,皮膚や傷口からの吸収により体内に取り込まれて起こるものである。このような内部被曝には,外部被曝では飛程がごく短いために問題とならないアルファ線やベータ線が被曝に寄与すること,放射性核種が体内に存在する間は,放射性核種から放出される放射線によって被曝が継続する連続被曝であること,核種によっては速やかに体外に排泄されるものもあるが,幾つかの核種は特定の身体の部位ないし器官に沈着して長年体内にとどまるものがあること等外部被曝にはみられない特徴がある。そして,原告らが指摘するように,理論的には,体内からの被曝であるため線源と体内器官との距離が短く,局所的には小さな放射性核種から大きな線量の放射線照射を受けることとなる。
また,長崎では未分裂のプルトニウムが放射性降下物として西山地区から高い濃度で確認されているが,プルトニウムが体内に取り込まれた場合骨に沈着しやすい性質を有しており,これが沈着すればその後ウラン235(アルファ崩壊)→トリウム231(ベータ崩壊)-プロトアクチニウム231(アルファ崩壊)→トリウム227(アルファ崩壊)→ラジウム223(アルファ崩壊)→ラドン219(アルファ崩壊)→ポロニウム215(アルファ崩壊)→鉛211(ベータ崩壊)→ビスマス211(アルファ崩壊)→タリウム207(ベータ崩壊)→鉛207(非放射性)というように次々と新たな放射性核種に変わり放射線を近接する器官に照射し続けることになる。体内の特定の器官への沈着性等はプルトニウムに限ったことではなく,例えばコバルトは肺に,ヨウ素は甲状腺に,マンガンは肺や肝に,ストロンチウムは骨に,ウランは腎にというように,幾つかの放射性核種においてみられるところであり,生物学的な半減期(放射性核種の物理的な半減期とは別に排泄などによって体内から排出される期間を表すもの)が物理的な半減期より短いとしても,体内に取り込まれた放射性核種は相当期間にわたって局所の被曝を継続させるものとなる(証拠<省略>)。
(イ) ところで,被告らが内部被曝の影響を否定する主な根拠となる研究は,先にみた西山地区住民を対象とした岡島らによるホールボディーカウンターによるセシウム137の測定からの被曝線量の推定とホットパーティクル理論に関する否定的な結論を出した Charlesらの研究あるいは同様の立場をとっているICRPの見解である。
a 岡島らの測定及び被曝線量の推定では,1945年から1985年までの40年間の内部被爆線量を,男性で10ミリレム(0.1ミリシーベルト),女性で8ミリレム(0.08ミリシーベルト)と推定しており,この結果は自然放射線であるラドンによる肺の被曝線量の全世界平均が1年間で約10ミリシーベルト(全身線量に換算すると約1ミリシーベルト)と比べても桁違いに小さいことになる(証拠<省略>)。この結果をそのまま受け入れれば,原爆被爆者の内部被曝は無視すべきものとなる。しかし,原爆による放射性降下物によって最も汚染されたとされる長崎の西山地区の住民らの内部被曝線量が自然放射線核種の1つであるラドンのみからの被曝線量と比較して桁違いに小さいという結果を,内部被曝に関するただーつの調査結果だけを拠り所として内部被曝に関する確定的な評価をすることには,少なくとも大きな躊躇を覚えざるを得ない。
b また,ホットパーティクルによる被曝によって発がん率が(相当程度)増大するとする考え方を否定する根拠とされている実証的で有力な実験は,マウスに関する実験のようである(証拠<省略>参照)。しかし,その根拠となっているCharlesらの報告でも,試験管内の細胞形質転換の実験では,4つの研究のうち3つが不均一照射又はホットパーティクル照射により形質転換頻度が増加したことを報告しているとされており(ただし,その報告の価値は否定されているようである。),人間に関する証拠は限定的であるともされているのである。
また,ICRPは,(ホットパーティクルによる)大線量の被曝が細胞の再生能力の喪失あるいは死をもたらす結果,ホットパーティクル発生源による不均一照射は,同じ平均線量の均一な照射よりも効果が小さいとしている。しかし,マイクロビームを使った研究では,放射線を照射された細胞の近くにある放射線を照射されていない細胞にも被曝の情報が伝わる,いわゆるバイスタンダー効果と呼ばれる現象のあることが明らかにされており(証拠<省略>。Charlesらもバイスタンダー効果は認めているようである証拠<省略>。),ICRPがホットパーティクル理論を否定する根拠とした上記の点をそのまま受け入れることができるのかには疑問の残るところである。
(ウ) 他方,前記(ア)で認定した外部被曝にはみられない内部被曝の特徴や危険性が原爆被爆者に現実に起こったことを実証した研究結果が証拠として提出されているわけではないが,内部被曝の特徴は,これによって人体の健康や生命に軽視できない影響を与える可能性があることを示すものであることは疑いがない。
(6) まとめ
以上のとおり,DS86における残留放射能による被曝線量の推定には,初期放射線のそれとは異なり,なお,検討すべき問題ないし未解明の問題が残されているように考えられるし,被爆者が放射性降下物などによって内部被曝を被り,これによって健康被害を受け,あるいは受けている可能性があることも否定することはできない。もっとも,DS86による残留放射能による被曝線量の推定は,最大の被曝があった地点における爆発後1時間から無限時間までとどまり続けたという仮定の下に行われているものである。したがって,その推定被曝線量に大きな誤差があったとしても,残留放射能による実際の線量が,直ちに個々の被爆者の健康に有意な被害をもたらす程度の線量に至る可能性が高かったとはいいにくいかのようである。
しかし,先に述べた被爆直後の急性症状に関する調査結果や,現場で過ごした医学者たちの観察結果は,むしろ被爆者が残留放射線に被曝し,内部被曝を被った結果その健康や生命に大きな影響や危険を受けたことを物語っているように考えられるのであって,DS86による残留放射線の評価,内部被曝の評価をそのまま受け入れることはできないというべきである。
第4放射線による人体障害
1 組織・臓器に対する放射線の影響(証拠<省略>)
(1) 組織が放射線の照射を受けた場合の最も主要な生物学的影響は細胞の死であり,これには増殖死(最初の細胞分裂で起こるが,数回の分裂を繰り返すこともある。)と間期死(分裂と分裂との間に起こる死)がある。低線量の場合は,細胞死が起こっても,生存した細胞が死んだ細胞の機能を代替し,組織の機能には影響を与えない場合がある。また,組織の細胞は,放射線の照射を受けることによって細胞分裂の遅延を起こす。細胞が細胞終期のどの時期にあるかによって遅延の長さが異なる。さらに,細胞分裂の速度の遅い組織では,分裂遅延の間に細胞が受けた傷は一部回復するのではないかと考えられているが,この作用機構はまだよく解明されていない。照射により死んだ細胞の欠損を補うために,細胞分裂が開始する。
(2) 組織,臓器によって放射性感受性の差が存在する。特に細胞分裂を続ける幹細胞や分裂をしている成熟過程の細胞は放射性感受性が高い。逆に分化した機能細胞は一般に高い放射線抵抗性がある。もっとも,分化した機能細胞に属する末梢リンパ球は放射線感受性が高い。したがって,組織の放射線感受性は,基本的には幹細胞を主とする分裂細胞と分化した機能細胞の割合で決まると考えられる。また,細胞の成熟に要する時間と分化した機能細胞の寿命も組織の放射線感受性を決める重要な要因とされている。この合計された期間が組織障害発現までの期間となり,これを潜伏期と呼んでいる。
放射線照射後2か月以内の組織の形成不全の程度から,放射性感受性の程度を示せば,次表のとおりとなる。
file_11.jpgsh 59 et 2 i sae Bat Reb By Yo 7 SEL, MLA CAPE), RIL, SRL, mB w ante Hi GARE Li, MIL, EME LAL, BCA Le, Bs OER - BER, AHR ER, Ab, RE be a ee CY spe ROR LS, Fradiek, ASHER Ee, FFE, AOE oe ote fu BR, MER, BE, A, PE, FE, RL Qs We Bi, BU LB mR SS Ee, THAR iu eat2 放射線被曝に伴う確定的影響(証拠<省略>)
(1) はじめに
放射線の影響は,確定的影響と確率的影響に区分されることは,前提事実で説明したとおりであるが,ここでは確定的影響についてこの点について更に詳しくみていくこととする。
確定的影響の特徴は,[1]しきい線量を超えて被曝した場合には,被曝線量の増加に伴い発生率が増加すること,[2]しきい線量を超えた場合,線量の増加とともに重症度が増すことであるとされている。
(2) 急性放射線症
確定的影響の中でもっとも重篤な障害は短時間に全身が被爆した時に起こる。体幹など身体の主要な部分が被曝し,数時間から数週間以内にあらわれる臨床症状の総称を急性放射線症(Acute radiation syndrome,ARS)という。
その病態は多くの組織や臓器の複合障害と位置づけられている。一般に急性放射線症は,約1グレイ以上の被曝で起きるとされている。被曝線量に依存して現れてくる臨床症状から血液・骨髄障害,消化管障害,循環器障害,中枢神経障害に分けられる。
全身被曝線量と生存期間との関係は,文献によって若干のばらつきがみられるが代表的なものでは次表のように説明されている(証拠<省略>)。
全身吸収線量(グレイ) 死亡をもたらす主な影響 生存期間(日)
3-5 骨髄の損傷(LD50/60) 30-60
5-15 胃腸管及び肺の損傷 10-20
>15 神経系の損傷 1-5
急性放射線症は,時間的経過から前駆期,潜伏期,発症期,回復期若しくは死亡期の4つの病期に分けられる。前駆期は被曝後数時間以内に現れ,食欲低下・悪心・嘔吐・下痢が主な症状で,およそ1グレイ以上で現れることが多い。これらの症状は線量が高いほど現れるまでの時間が短く症状が重い。このような症状とその発現時間の関係から,被曝線量を推定することができるといわれている。すなわち,1から2グレイでは,嘔気は10ないし50パーセントの被爆者に2時間から数時間後に現れるが,4グレイを超えるとほぼ全員に現れ,6グレイ以上では30分以内に現れる。
急性放射線症の前駆症状としきい値及び症状が発現するまでの時間は次表のとおりとされている
急性放射線症における前駆症状(証拠<省略>)
file_12.jpg‘ik «1 ~ 2GyEq 2~ 4 GyEq 4 ~ 6 GyEq 6 ~ 8 GyEq > 8 GyEq iio: (859A) 2ESTADAME 1~ 25M 1 RRRRDLY 3059LLPY 1052474 (%) 10~5070~90 100 100 100 Fe pee RAE ae (899A) 3~ SEER) 1~ 3 Sf LARRY (%) = = <10 >10 100 Si FERIA BU pee RAE ae (9H) - = 4 ~ 2485 FR) 3 ~ 4 BTR 1 ~ 2 8 (%) 50 80 80~90 Bm Rel Reel REL Rh” BMAD LY (%) 100 (S0Gy BL.) hie ER 9H RR cry mR (659) 1~ S850 1~ 2050) < LES <1 BT (%) 10~80 — 80~100 100, 100なお,このほか抹消リンパ球数の減少のしきい線量は0.5グレイで24時間から72時間以内に現れ,染色体異常のしきい線量は0.2グレイで24時間以内に現れるとされている。意識障害について50グレイを超える被曝で現れるとされているが,これは血管運動神経の障害による逸脱症候群と考えられている。また,高線量被曝であっても,爆発,化学薬品の吸入などを伴わない純粋の被曝では即死の報告はない。またこの前駆期には,0.5グレイを超えると放射線に感受性が高い末梢血中のリンパ球の減少が現れる。リンパ球数は被曝後早期に減少するため,初期の線量評価には有効であるが,被曝直後には変動も大きく正確な評価は被曝数日間の継続的な観察が必要である。この前駆期を過ぎると,一時的に前駆期の症状が消え無症状な時期に入る。前駆期に見られることが多い皮膚の発赤や紅斑も消失する。この潜伏期も線量に依存し8グレイを超えるとほとんどないとされているが,東海村臨界事故ではこれ以上の被曝であったが潜伏期が観察されている。この潜伏期後には,多彩な症状が現れる発症期に入る。この時期に,典型的な4つの障害が発症する。その後・治療が成功すれば回復期に入るが,線量が高いと死亡に至る。
なお,国際放射線防護委員会(ICRP)の定めるしきい値(ICRPの定義では,1回短時間被曝で被曝した人々の1ないし5パーセントに症状が出現する線量)は以下のとおりである(証拠<省略>)。
file_13.jpgORE ett HALE () 7 SEROBLD Bb Matt crs BIE ADAE 58a NE RBG RNTEO OB se (PSI) Hale aa EEE Lewitt (SY yb) 500 1000 150 3500-6000 2500-6000 500-2000 5000 100 120-200ア 造血組織の障害(証拠<省略>)
末梢血を循環する成熟血球は骨髄で産生されている。ただし,リンパ球はリンパ節が産生部位である。骨髄は成人では主に扁平骨(頭蓋骨,肋骨,椎骨,骨盤骨など)に分布しているが,小児ではこれに長幹骨(大腿骨など)が加わる。正常骨髄の約60パーセントは赤色髄,40パーセントは脂肪である。赤色髄において造血幹細胞(stem cells)から毎日多数の造血細胞が分裂して,1010にのぼる成熟血球を産生し末梢血に供給している。骨髄はこのように常に分裂増殖する中間段階の前駆細胞(precursor cells)が豊富に存在するため,放射線障害に対する感受性が極めて高い臓器の代表となっている。
一方成熟血球では,リンパ球(白血球の20ないし30パーセント)が最も放射線感受性が高い細胞であり,好中球(白血球の60ないし70パーセント)は感受性が低い。赤血球と血小板は核のない細胞であり,感受性は極めて低い。これらの低感受性の細胞は,骨髄内のそれぞれの前駆細胞が障害されて供給が途絶え,一方で細胞は本来の寿命が尽きていく形で減少するため,末梢血レベルで減少をみるまでに4週間程度のタイムラグが生じる。
約0.5グレイを超える全身被曝ではリンパ球数が減少するが,1から2グレイを超える被曝ではリンパ球以外の白血球(顆粒球),血小板,赤血球数も減少する。8から10グレイを超える被曝に対しては他の臓器の障害も大きく,骨髄の治療が功を奏しても多臓器の障害で死亡することが多い。
イ 生殖腺の障害(証拠<省略>)
精巣では,細精管で精子形成が行われ,精原細胞が第一次精母細胞,第二次精母細胞,精子細胞,精子と分化する。全身あるいは局所照射により,精巣が被曝を受けると線量によって一時的不妊,あるいは永久不妊を招く。0.15ないし4グレイで一時的不妊,6グレイ以上で永久不妊となる。なお,精原細胞,精母細胞は感受性が高く,精子細胞,精子などの減数分裂後の細胞は抵抗性であるといわれるが,これは細胞の生存を指標とした場合であって,突然変異の誘発という点からみると前者では回復や細胞死による淘汰が起こり,後者は損傷をもったまま受胎を起こす可能性があるので逆にリスクが大きくなることを考える必要がある。
また,静止期の原始卵胞にある卵母細胞は放射線に対して抵抗性があるが,成長期の卵胞にある卵母細胞は放射線感受性が非常に高く,リンパ球と同様間期死の形で死ぬ。4グレイまでの1回被曝で一時的不妊,3ないし10グレイ被曝で永久不妊を招くといわれている。年輩の女性の卵巣ほど卵胞の数が少ないので感受性が高い。精巣と同様,被曝により卵胞刺激ホルモンや黄体ホルモンの上昇のみられることもある。
ウ 皮膚障害(証拠<省略>)
皮膚は,表皮と真皮,皮下組織の三種類からなり,それに毛嚢,皮脂腺,汗腺,血管などが加わる複雑な組織で,放射線の皮膚への効果はこれらの組織の総合的影響として現れる。皮膚は,人体が被曝するとき最初に放射線を受ける組織で,通常の放射線では皮膚の線量が内部組織の線量にくらべて最大となるので,放射線の皮膚への影響は早くからよく調べられてきた。一般的にいうと,皮膚上皮,毛嚢の基底細胞,皮脂腺は,比較的放射線感受性が高く,汗腺や分化の進んだ顆粒細胞,角質層は放射線感受性が低く,血管はその中間である。
3ないし4グレイの被曝後,まず上皮基底細胞の増殖阻害が起こり,皮膚が薄く乾燥し,一過性の脱毛,照射後の早い時期に毛細血管の拡張による一過性の紅斑が生じる。
6ないし19グレイの被曝後,約2週間から強い紅斑(主紅斑)が生じ,約3ないし4週間持続する。細動脈が部分的に狭窄し,代償的に血流が盛んとなって生ずると考えられる。また,腫脹,脱毛も生じ,落屑がはじまるが,びらんには至らない。
20ないし25グレイの被曝で強い紅斑と水疱が出現し,水疱が癒合して破れると皮下組織が露出する。被曝後約1週間で始まり,4ないし5週間持続する。この段階では上皮の再生は可能である。
30グレイ以上の被爆後,1週間以内に深紅色の紅斑が現れ,次いで,水疱,びらん,皮下組織が壊死して潰瘍まで進む。この場合は治癒しても瘢痕治癒である。
次表は,急性放射線皮膚障害の症状,しきい線量及び発症までの期間の関係を示したものである(証拠<省略>)。
file_14.jpgek Levit (74) RRS E COMM ASL (—iE) 3. 12-2485 08 ALB TR HERLBE 6 14-218 ~ SHE hE: 3 14-188 BE ABE 7 (ACRPTid12) 218 Ree 8-12 25-308 ee WEE 15-20 20-288 ki 15-25 15-258 UA, i 20 1-218 HOE 25 21Hエ 口腔咽頭粘膜の障害(証拠<省略>)
組織としては皮膚に似ており,基底層で細胞分裂があり,分化しながら細胞は表層に移動する。細胞再生系で胃,腸の上皮に近い感受性をもっている。3ないし5グレイの急性全身照射を受けた場合,痛みを伴った発赤,浮腫,毛細血管の拡張,粘膜炎,出血,潰瘍,多くの場合壊死を伴う。死亡に至る場合もある。唾液腺も放射線に感受性が高い。細胞再増殖は皮膚より起こりやすい。咽頭は放射線咽頭炎を起こし,呼吸困難を生じる。
オ 小腸の障害(証拠<省略>)
小腸上皮も細胞再生系であって,非常に放射線感受性の高い臓器である。幹細胞は腸腺窩の中心部に存在する。細胞は成熟,分化につれて腸腺窩から絨毛の先端に向けて移動する。小腸の早期反応はこの幹細胞の死によって起こる。被曝後一定期間は分化した機能細胞が生存しているので,絨毛は正常の状態で保たれているが,例えば,6グレイ(8から10グレイあるいは10グレイとする考え方もある。証拠<省略>)の被曝では,24時間後にS期の細胞はみられなくなる。そして絨毛の高さは低くなり,小腸の機能は傷害される(証拠<省略>)。重篤および血性の下痢を起こし,水分・電解質の喪失,出血,吸収不良,感染等が生じる(証拠<省略>)。
カ 肝臓の障害(証拠<省略>)
肝臓は非常に細胞分裂頻度の低い臓器である。肝細胞の平均寿命は1年といわれる。幹細胞が特定されておらず,すべての肝細胞がその能力をもっているのではないかと考えられている。相当の大線量の被曝でも数か月は余り変化がない。しかし,肝機能が次第に低下する。4週に35グレイを越える線量を生肝に受けると3ないし6か月後に致死的な肝炎を生じるといわれている。長い潜伏期の後,急速に細胞死が確認される“なだれ”現象のあることに注意すべきである。
キ 肺臓の障害(証拠<省略>)
長い間,肺臓は放射線に抵抗性があると間違って考えられてきたが,実際は,40グレイを分割照射で受けた患者の10パーセントは強い肺障害を訴えている。6グレイを越えると肺障害が起こるといわれる。最初の障害は浮腫,血液循環の変化,次いで1ないし3か月して肺臓炎が起こる。8グレイを越えると肺臓炎の発現が急増し,発生率が50パーセントを越える線量は9.5グレイといわれる。免疫能低下のためにウイルス感染(サイトメガロウイルス)が起こり,これが重要な働きをしているともいわれている。次いで肺腺維症へと発展していく。
ク 循環器障害(証拠<省略>)
(ア) 血管
血管に対する影響は,後期反応が血管障害に起因していることから非常に重要である。動脈の障害は50ないし70グレイの後にみられるが,毛細血管の障害は40グレイから起こるとされ,血管の内皮細胞の致死線量は2グレイといわれている。しかし,分裂頻度は低いから内皮細胞の減少が出現するのは照射後2ないし6か月後である。細胞の消失が起こると,生存した細胞の異常増殖が起こって,血管の狭窄や閉塞を起こし,内膜の欠如は血栓を生ずる。動脈,小動脈では平滑筋細胞が照射後1年で減少してコラーゲン線維とおきかわり,血管壁が肥厚して管腔が狭くなる。毛細血管の拡張もよくみられる反応である。
(イ) 心臓
被曝によって心外膜や心内膜の変化を生じる。漿液性腺維性心外膜炎に始まり,萎縮性心外膜炎に移行する。一般に,被曝後1年以上を経過して起こる。心内膜炎も併発する。45グレイの被曝は4週で5パーセント,60グレイでは40パーセントに上記のような障害が起きるといわれている。
循環器障害は,15グレイ以上の被曝で生じる。心筋は放射線に感受性は低いが,消化管障害・皮膚障害や血管の透過性亢進による水分・電解質の喪失により2次的にも循環不全が生じる。この場合はより低い線量で起きる。また筋肉の挫滅によるミオグロビン血症などにより腎不全を起こすこともある(証拠<省略>)。
ケ 腎臓の障害(証拠<省略>)
両腎が同時に中程度の線量(5週間で30グレイ)で照射されると,1ないし5年の潜伏期を経て高血圧と貧血を伴った腎障害がでる。23グレイが耐容線量とされている。片方の腎だけの照射なら非照射の腎の代償もあって障害は出にくい。
コ 骨,軟骨の障害(証拠<省略>)
成長期の軟骨は特に感受性が高い。10グレイでも軟骨芽細胞の死で骨の成長が遅れたり,一時的に停止する。20グレイ以上だと成長の停止は回復されないといわれている。脊椎骨が照射されると身長の低下や,脊柱側湾が起こる。ことに,2歳以下の幼児にとって後遺症は深刻である。
サ 中枢神経障害(証拠<省略>)
成人においては,神経細胞自身は分裂しないので感受性は低いが,血管内皮細胞やシュワン細胞,神経膠(グリア)細胞は分裂しているので放射線の影響がある。神経膠細胞は3種類の型の細胞が区別されている。星状膠細胞,稀突起膠細胞,小膠細胞である。稀突起膠細胞は髄鞘の形成に関与しているとみなされているので,この細胞の消失は脱髄を起こす可能性がある。50ないし60グレイの被曝後,広範な脱髄により数週間でミエロバチーを起こす。ヒトでは脊髄の照射で片麻痺や,電撃様末梢感覚を訴える。脳の照射で嗜眠を起こすことが知られている。2か月で脱髄は回復する。後期反応としては,4ないし6か月の潜伏期で特定の部位の白質に起こる壊死がある。中枢神経では稀突起神経膠細胞,末梢神経ではシュワン細胞の消失による脱髄のためと考えられている。低線量被曝で,数年の潜伏期の後,末梢血管拡張,出血性梗塞,血管のヒヤリン変性などの主要組織・臓器の放射線の血管障害がみられる。これが白質,灰白質の障害を結果する。
片麻痺はまれであるが不可逆的であるので起こると非常に深刻である。4週に44グレイがしきい値といわれる。6か月から4年くらいの潜伏期で突然発症する。脊髄の萎縮,脱髄,壊死が原因とされる。脳の障害では子供の場合,知能の発達障害が出現する。3週に30グレイの照射が限度といわれる。
シ 甲状腺の障害(証拠<省略>)
甲状腺の細胞の分裂は,肝細胞より遅いといわれている。したがって,放射線に抵抗性があると考えられている。しかし,障害を受けた細胞が除去されるにつれて,甲状腺刺激ホルモンは増加する。細胞の生存率が非常に低いと10ないし20年後でさえ,機能低下を伴う甲状腺の萎縮を起こすことがある。
ス 白内障の障害(証拠<省略>)
水晶体の混濁あるいは白内障の発生は,以前は,水晶体前面の水晶体包下の上皮細胞に生じた細胞死あるいは細胞障害が,水晶体の後面に移動し水晶体中心軸上の混濁となるとされていた。また,線量が少ない場合は,視力障害を伴わない混濁のみであり,線量の増加に伴い視力障害をともなう白内障となると考えられていた。
しかし,最近の知見では,水晶体混濁は,水晶体の分裂細胞(上皮細胞)の細胞死ではなく,水晶体の上皮細胞のゲノムの遺伝子の変異による水晶体の繊維蛋白の異常が原因であるとされている。被曝から水晶体混濁が生じるまでの潜伏期間の長さは,繊維組織に分化するまでの時間と,上皮細胞の遊走にかかる時間が関係する。線量が極めて高い場合には,代謝性の変化が生じその結果透明性が失われると考えられている。
病理学的には,最初に水晶体後面の水晶体包下の異常として確認される。被曝による水晶体前面の異常の程度が大きい場合には,視力障害の原因となる。放射線による水晶体混濁あるいは白内障の発生には,[1]線量,[2]被曝時の年齢,[3]線量率などが関係する。原爆被爆者のデータでは,15歳未満の若年者の感受性は高いとされている。
放射線被曝による水晶体混濁あるいは白内障のしきい線量については,その出典ごとに均一ではないが,まとめると次表のとおりである。
file_15.jpgEK MR eR SSH fa E Thee PRB 20%v4 Langhametal (1940) Ske BIL ah 6-uy4 Merriametal (1957) Ske BILL < O61. 57L hee HRB Otake (1982) 4 Thee RB 0.5-2. 0Sv ICRPPubl. 60 RARE (AA 5. 0Sv (1990) ee) Ae 2-10Sv AGUA ‘UNCEAR (1982) Ssh 1.374 ‘NRPB (1996) B5Y4 (3AUEOSY gh 27et ”) NCRP (2000) Aske BILL LBM FESまた,放影研の研究では,中性子線に対して0.06グレイ,ガンマ線に対して1.08グレイのしきい値を仮定した線形-2次線量反応関係が最良のモデルで,2つのしきい値から求めた中性子のRBEは18で,この値を用いた眼の臓器線量当量で示される白内障のしきい値は1.75シーベルトであったとされている(証拠<省略>)。
3 放射線被曝による確率的影響(証拠<省略>)
放射線被曝による確率的影響には,がんの発生と遺伝的影響が含まれる。前にも述べたとおり,確定的影響ではある線量以上の被曝があれば,必ずその障害が生ずると考えられているものであるが,確率的影響では,必ず疾病が発生するという定まった値はないが,他方でどんなに低線量であっても障害が発生する可能性があり,その発生率が線量の増加に伴って確率的に増加するとされている。この確率的影響に関しては,放影研による系統的な疫学的な研究がある。
(1) 財団法人放射線影響研究所とその調査について(証拠<省略>)
ア 放影研設立の経緯
米国のトルーマン大統領は,米国学士院(NAS)に対して広島・長崎の被爆者を長期間追跡調査する方策の立案を命じ,NASの勧告に基づいて広島には1947年に,長崎には1948年にそれぞれ原爆傷害調査委員会(ABCC)が設立された。ABCCは,アメリカ政府によって運営されたが,日本側も厚生省国立予防衛生研究所(予研)の支所を広島,長崎のABCC内に設置し,ABCCと共同して大規模な被爆者の健康調査に着手した。この調査の方法等については,1955年にフランシス委員会による全面的な再検討が行われ,今日も続けられている集団調査の基礎が築かれた。
このようなABCCにおける調査の経験を経て,1975年4月1日,日本の外務・厚生両省が所管し,また日米両国政府が共同で管理運営する公益法人として財団法人放射線影響研究所(放影研)が設立された。放影研は,放射線の人体に及ぼす医学的影響及びこれによる疾病を調査研究し,被爆者の健康維持および福祉に貢献すること等を目的とする公益法人であり,その運営管理は日米の理事によって構成される理事会が行い,調査研究活動は両国の専門評議員で構成される専門評議員会の年次勧告を得て進められている。
イ 調査集団
1955年にABCCは,フランシス委員会の勧告を受けて,1950年の国勢調査時に行われた原爆被爆者調査から得られた資料を用いて,固定集団の対象者になり得る人々の包括的な名簿を作成した。この国勢調査により28万人の日本人被爆者が確認され,この中の約20万人(証拠<省略>では約18万人)が1950年当時広島・長崎のいずれかに居住していた(「基本群」)。1950年代後半以降,ABCC-放影研で実施された被爆者調査は,すべてこの「基本群」から選ばれた副次集団について行われてきた。死亡率(寿命・LSS)調査(後述)では,厚生省・法務省の公式許可を得て,国内である限りは死亡した地域にかかわりなく死因に関する書類を入手している。がんの罹患率に関しては,地域の腫瘍・組織登録からの情報(広島,長崎に限定される。)により調査が行われる。成人健康(AHS)調査(後述)参加者については,疾患の発生と健康状態に関する追加情報もある。
ウ 寿命調査(Life Span Study・以下「LSS」と表記することもある。)集団当初のLSS集団は,「基本群」に含まれる被爆者の中で,本籍(戸籍の所在地)が広島か長崎にあり,1950年に両市のどちらかに在住し,効果的な追跡調査を可能にするために設けられた基準を満たす人の中から選ばれており,以下に述べる4群から構成されている。
[1] 爆心地から2000メートル以内で被爆した「基本群」被爆者全員からなる中心グループ(近距離被爆者)
[2] 爆心地から2000ないし2500メートルで被爆した「基本群」全員
[3] 中心グループと年齢・性が一致するように選ばれた,爆死地から2500ないし10000メートルで被爆した人(遠距離被爆者)
[4] 中心グループと年齢・性が一致するように選ばれた,1950年代前半に広島,長崎に在住していたが原爆投下時は市内にいなかった人
[4]の群は市内不在者と呼ばれ,原爆後60日以内の入市者とそれ以降の入市者も含まれている。
当初9万9393人から編成されていたLSS集団は,1960年代後半に拡大され,本籍地に関係なく2500メートル以内で被爆した「基本群」全員を含めた。次いで1980年に更に拡大されて「基本群」に含まれる長崎の全被爆者が含められ,今日では集団の人数は合計12万0311人となっている。この集団には,爆心地から10000メートル以内で被爆した9万3741人と原爆時市内不在者2万6580人が含まれている。これらの人々のうち,8万6632人については被曝線量推定値が得られているが,7109人(このうち95パーセントは2500メートル以内で被爆している)については,建物や地形による遮蔽計算の複雑さや不十分な遮蔽データのため線量計算はできていない。現在,LSS集団には,「基本群」に入っている2500メートル以内の被爆者がほほ全員含まれるが,次に述べる近距離被爆者は除外されている。すなわち,1950年代後半までに転出した被爆者(1950年国勢調査の回答者の約30パーセント),国勢調査に無回答の被爆者,原爆時に両市に駐屯中の日本軍部隊,及び外国人である。以上のことから,爆心地から2500メートル以内の被爆者の約半数が調査の対象になっていると推測されている。
エ 成人健康調査(Adult Health Study・以下「AHS」とも表記する。)集団この集団は,2年に1度の健康診断を通じて疾病の発生率と健康上の情報を収集することを目的として設定された。成人健康調査によって,ヒトのすべての疾患と生理的疾病を診断し,がんやその他の疾患の発生と被曝線量との関係を研究し,LSS集団の死亡率やがんの発生率についての追跡調査では得られない臨床上あるいは疫学上の情報を人手できる。1958年の設立当時,AHS集団は当初のLSS集団から選ばれた1万9961人から成り,中心グループは,1950年当時生存していた,爆心地から2000メートル以内で被爆し,急性放射線症状を示した4993人全員で構成された。このほかに,都市・年齢・性をこの中心グループと一致させた以下の三つのグルーブ(いずれも中心グループとほぼ同数)が含まれる。
[1] 爆心地から2000メートル以内で被爆し,急性症状を示さなかった人
[2] 広島では爆心地から3000ないし3500メートル長崎では3000ないし4000メートルの距離で被爆した人
[3] 原爆時にいずれの都市にもいなかった人
1977年に,高線量被爆者の減少を懸念して,新たに次の三つのグループを加えAHS集団を拡大し,合計2万3418人とした。
[1]LSS集団のうち,1965年暫定推定放射線量が1グレイ以上である2436人の被爆者全員
[2] これらの人と年齢及び性を一致させた同数の遠距離被爆者
[3] 胎内被爆者1021人
AHS集団設定後40年を経た1999年現在5000人以上が生存しており,その70パーセント以上の人々が今も成人健康調査ブログラムに参加している。
(2) 放影研等による調査結果の概要
ア 「予研-ABCC寿命調査,広島・長崎第5報1950年10月-1966年9月の死亡率と線量との関係」(昭和45年)(証拠<省略>)
T65Dの策定によってその推定線量による再検討,各種疾患の死亡率などの解析が行われている。これによると,180ラド以上の被爆者については,白血病を除いた悪性新生物による死亡者の観察数と期待数との標準化比率は,一時下降していたが,1958年以後上昇し,特に1962年から1966年の期間の罹病率の増加がみられたとし,暫定的に,遅発性の全般的な発がん効果が現れ始めたとの結論を出している。また,調査期間(16年間)の全期間を通じて最も多量の放射線を受けた群の白血病死亡率は著しく高いが,明らかに減少の傾向があるとしている。
また,早期入市者,後期入市者及び市内にいた者との比較が行われ,被爆者と原爆時に市内にいなかった者との間では,白血病及びその他の悪性新生物による死亡率の差が最も著しく,特に広島において顕著であり,遠距離被爆者と原爆時に市内にいなかった者との比較では,がん死亡率は余り差がなく,広島の早期入市者の死亡率は後期入市者のそれより少なく,早期に市内に入ったために死亡率が増加したという形跡はほとんどないとされている。
イ 「予研-ABCC寿命調査第6報原爆被爆者における死亡率1950-70年」(昭和46年。証拠<省略>)
T65D線量を用いた解析が行われており,以下のような指摘がされている。
(ア) 高線量被曝群における疾病による死亡率は,低線量被曝群及び市内にいなかった群のそれよりも高い。
(イ) 死亡率の増加は,白血病について特に顕著であって,放射線の影響は推定線量が10-49radであった者にも存在しているようであった。
(ウ) 白血病を除く癌による死亡率も高線量被曝群において上昇を示したが,確実に上昇の認められたのは200radを越える線量を受けた群のみであった。新生物以外の死因による死亡率には軽微な増加が観察されたが,全体としては,脳卒中,循環器系の疾患及び結核を含むその他の死因に対しては,放射線の影響はほとんどみられず,死亡率に対する放射線の影響は,主として白血病と悪性腫瘍及び良性又は性質不詳の新生物などに限定されているようである。なお,乳房,子宮頚,子宮体のがんの相対的危険度は有意に高くはなかった。
(エ) 被爆時年齢が10歳未満であった小児は,白血病及びその他のがんについて,それよりも高い年齢で被爆した者に比較して強い影響を受けている。
(オ) 高線量群における白血病の死亡率は,観察した20年間にわたって一貫して減少してはいるが,最後の期間である1965-70年においてもなお一般の水準までには下降していない。しかし,その他の癌の頻度は,この観察期間中上昇し,最後の期間である1965-70年においてはその上昇が顕著で,白血病を除く癌の誘発に必要な潜伏期は,被爆者が受けた放射線量の範囲内ではおおよそ20年以上であろうと思われる。
(カ) 原爆後30日以内に入市した「早期入市群」の死亡率が極端に低い値を示した。早期入市者は,この20年間一貫して低い死亡率を維持してきた。この傾向の例外は,白血病を除く悪性新生物による死亡率であり,早期入市者のがん死亡率は1960年までに後期入市者のそれに達し,1960年から70年の期間には癌の死亡率に開しては市内にいなかった群と低線量被曝者群との間に差異はみられなかった。
ウ 「予研-ABCC寿命調査第7報原爆被爆者における死亡率1950-72年」(昭和48年。証拠<省略>)
追加観察期間においては,重要な新しい所見は認められなかったとされている。
白血病,乳がん及び肺がんについては放射線の影響が統計的に有意であるとされ,胃がんは放射線の影響が示唆的であり,子宮頚及び子宮体のがんには統計的な有意差が認められず,白血病及びその他のがんについて被爆時10歳未満であった者がそれ以外に者に比して強い放射線の後影響を受けているとされている。
エ 「寿命調査第8報爆被爆者における死亡率1950-74年」
(昭和53年。証拠<省略>)
がん以外の疾患では放射線の死亡に及ぼす後影響がみられるという証拠はなく,電離放射線はすべての疾患による死亡率を高めるものであるとする加齢促進の仮説には疑問が投げかけられた。また,それまでに調査報告で認められた影響に胃がん,食道がん,泌尿器がん及びリンパ腫も迫加すべきであるとの示唆が得られ,また,大腸,肝臓及び他の器官にも放射線の発がん効果がみられる可能性が指摘されている。
白血病誘発効果は1970-74年の調査でもまだ認められ,白血病以外の悪性新生物全体について,1971-74年の調査では,100万人年rad当たりの過剰死亡数は4.2にまで達したことが紹介されている。
また,一般に全観察期間を通じて平均した絶対危険度は原爆時年齢と共に増加し,原爆時年齢は,発がんに重要な役割を演ずるが,このことは対象集団の最少年齢が主ながんの発生する年齢に達っするまでは完全には解明できないとされている。
前報に続き,早期入市者の白血病死亡率が高いことの確認はされず,早期入市者及び後期入市者の死亡率に重要な差異があるともいえないとされている。
オ 「原爆被爆者の死亡率調査7.1950-78年の死亡率:第2部癌以外の死因による死亡率及び早期入市者の死亡率」(昭和58年。証拠<省略>)
癌以外の死因による死亡率の増加があるか否か,あるいは放射線による非特異的な加齢促進が起こるか否かを調べたものであり,以下のように要約されている。
(ア) がん以外の死因による累積死亡率は,両市,男女及び5つの被爆時年齢群のいずれにおいても,放射線量に伴う増加は認められなかった。
(イ) がん以外の特定死因で,原爆被爆との有意な関係を示すものはみられない。したがって,この集団では,現在まで放射線による非特異的な加齢促進は認められない。
(ウ) 1950年以前の死亡の除外による偏りの大きさを求めるために,3つの補足的死亡率調査を使用して,寿命調査の調査開始(1950年)以前の死亡率を再解析した。この偏りは,1950年以後に調査対象と認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及ぼすとは思われない。
(エ) この調査対象中の早期入市者には,白血病又はその他の悪性腫瘍による死亡の増加は認められない。
この報告では,早期入市者の死亡数が全国の平均死亡率から計算した同性・同年齢の者の期待値よりかなり少なかったとされ,直接被爆者とは対照的に誘導放射線によるがんの顕著な増加はあり得ないと思われるとされている一方で,白血病以外のがんについて,慎重に長期観察を継続することが重要とも指摘されている。
カ 「寿命調査第9報第2部原爆被爆者における癌以外の死因による死亡率,1950-78年」(昭和56年。証拠<省略>)
がん以外の死因による累積死亡率は,両市,男女及び5つの被爆時年齢群のいずれにおいても,放射線量に伴う増加は認められなかった。したがって,現在までのところ放射線による非特異的な加齢促進は認められない。
1950年以前の死亡の除外による偏りの大ききを求めるために,三つの補足的死亡率調査を使用して,寿命調査の調査開始(1950年)以前の死亡率を再解析した結果,この偏りが1950年以後に調査対象に認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及ぼすとは考えられない。
極めて少ない量の誘導放射線を受けたと思われる早期入市者においては,後期入市者及び0rad被ばく群よりも死亡率が引き続き低い。この調査対象期間中の早期入市者には,白血病又はその他の悪性腫瘍による死亡の増加は認められていない。
キ 「寿命調査第10報第1部広島・長崎の原爆被曝者における癌死亡,1950-82年」(証拠<省略>)
白血病,肺がん,女性乳がん,胃がん,結腸がん,食道がん,膀胱がん及び多発性骨髄腫について有意な線量反応が認められたほか,肝臓及び肝内胆管,卵巣及びその他子宮附属器のがんについては,有意な放射線影響が示唆されたが,胆嚢及び前立腺のがんにおける正の線量反応は有意ではなかった。しかし,診断上の困難性及び放射線影響の薄弱性から肝臓及び卵巣のがんに対する放射線影響は明白な根拠によるものとはいえないとされている。この解析の基となった死亡診断書における肝臓,胆嚢及び胆管のがんの診断は極めて不正確であることも指摘されている。
なお,前立腺がんによる死亡例は比較的少なく,この報告に係る51例の場合,100radにおける平均相対危険度が1.27で,放射線量との関連性は統計的に有意でないとされた(p=0・08。なお,p値は,事象が偶然に起こりえる確率であり,通常0.05,つまり5パーセント以下を有意とする場合が多い。)。
ク 「寿命調査第11報第2部新線量(DS86)における1950-85年の癌死亡率」(昭和63年。証拠<省略>)
本報告から,これまでのT65DRによる線量推定から,D86による線量推定に変更された。放射線量の増加と共に死亡率が有意に高くなるのは,従前の調査結果と同様に白血病,食道がん,胃がん,結腸がん,肺がん,乳がん,卵巣がん,膀胱がん及び多発性骨髄腫であり,有意の上昇がみられないのは,直腸がん,胆嚢がん,膵臓がん,子宮がん,前立腺がん及び悪性リンパ腫であるとされ,更に骨がん,咽頭がん,鼻がん,喉頭がん及び黒色腫以外の皮膚がんと放射線との関係も調べられているが,いずれも有意な上昇は認められなかったとされている。また,脳腫瘍以外の中枢神経系の腫瘍については上昇傾向を示したが,脳腫瘍については,その傾向は観察されなかったとした上で,放射線誘発がんの経年変化のパターンを明らかにするには,更に調査が必要であろうとしている。
また,低線量城(0.50グレイ以下)の線量反応関係の検討もされているが,白血病を除いて低線量域と高線量域での回帰係数には有意な差は認められず,白血病では,0.5グレイ未満での回帰係数は0.5グレイ以上でのそれよりも低かったとされている。
ケ 「寿命調査第11報第3部改訂被曝線量(DS86)に基づく癌以外の死因による死亡率,1950-1985年」(平成5年2月。証拠<省略>)
この報告では,限られた根拠しかないが,高線量域(2又は3グレイ以上)においてがん以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われ,統計学的にみると,二次モデル又は線形-閾値モデル(推定閾値線量1.4グレイ[0.6-2.8グレイ])の方が,単純な線形又は線形-二次モデルよりもよく当てはまり,がん以外の疾患による死亡率のこのような増加は,一般的に1965年以降で若年被爆群(被爆時年齢40臓以下)において認められ,若年被爆者の感受性が高いことを示唆しているとされている。
死因別にみると,循環器及び消化器系疾患について,高線量域(2グレイ以上)で相対リスクの過剰が認められるが,この相対リスクはがんの場合よりもはるかに小さい。
コ 「成人健康調査第7報原爆被爆者における癌以外の疾患の発生率,1958-86年(第1-14診察周期)」(平成6年。証拠<省略>)
子宮筋腫,慢性肝炎及び肝硬変,また甲状腺がんを除く甲状腺所見が1つ以上あることという大まかな定義に基づく甲状腺性疾患に,統計的に有意な過剰リスクを認めている。
子宮筋腫についての所見は,良性腫瘍が放射線被曝により発生する可能性を示す新たな証拠となるものであり,肝臓の放射線感受性を示す今回の結果は,重度被曝群において肝硬変による死亡が増加するという最近の寿命調査の報告を裏付けるものであるとされている。甲状腺の非悪性疾患に被爆時年齢の影響が認められ,被爆時年齢が20歳以下でリスクは上昇し,20歳以上ではリスクの上昇は認められていない。
心臓血管系の疾患については,いずれにも有意な線量反応関係は認められなかったが,近年,若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しているとされ,成人健康調査において心筋梗塞と確認された症例は77例に限られ,この中には致発症例は含まれておらず,今回有意な結果が得られなかったのは症例数の不足のためかもしれないことが指摘されている。
また,この調査は,1958年から1986年にAHS受診者の白内障の新たな発生が放射線量に伴って増加していないことを示唆しているとされている。
サ 「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(平成7年。証拠<省略>)
この報告では,死亡に関するこれまでのLSS所見と同様に,全充実性腫瘍について統計学的に有意な過剰リスクが立証されたとしている。胃,結腸,肺,乳房,卵巣,膀胱及び甲状腺のがんにおいて,放射線と有意な関連性が認められ,20歳以下で被爆した群において,神経組織(脳を除く)腫瘍の増加傾向があったとされている。今回初めて寿命調査集団で放射線と肝臓及び黒色腫を除く皮膚のがん罹患との関連性が見られ,唾液腺腫瘍への原爆放射線の影響のこれまでの所見を一層裏付けたと報告されている。口腔及び咽頭,食道,直腸,胆嚢,膵臓,喉頭,子宮頚,子宮体,前立腺,腎臓及び腎盂のがんには放射線の有意な影響は見られず,被爆時年齢の増加と共に相対リスクが減少することが示されている。
シ 「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部癌:1950-1990年」(平成8年証拠<省略>)
この調査結果では,部位・性別リスク推定値で,胃,結腸,肺,乳房,卵巣,膀胱及び甲状腺に加えて肝臓がんに有意な過剰相対リスクが認められている。
ス 「原爆被爆者の死亡率調査第12報第2部がん以外の死亡率:1950-1990年」(平成11年。証拠<省略>)
放射線量と共にがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという前回の解析結果を強化するもので,有意な増加は,循環器疾患(心臓病,脳卒中),消化器疾患(肝硬変が含まれている。>,呼吸器疾患及び造血器系疾患に観察されている。
1シーベルトの放射線に被曝した人の死亡率の増加は,約10パーセントで,がんと比べるとかなり小さいものとなっている。
また,有意な線量反応関係は,血液疾患による死亡にも認められ,過剰相対リスクは固形癌の数倍であったという。
セ 「原爆被爆者の死亡率調査第13報固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率:1950-1997年」(平成15年。証拠<省略>)
この報告の概要は以下のとおりである。
(ア) 固形がん全体,食道がん,胃がん,結腸がん,肝臓がん,胆嚢がん,肺がん,乳がん,卵巣がん,膀胱がん及びその他の固形がんに有意な過剰リスクが認められた。直腸がん,膵臓がん,子宮がん,前立腺がんは,ERR推定値(シーベルト当たり)は正の値を示すが,その90パーセント信頼区間の一部が負の値にかかっている。
(イ) 放射線に関連した固形がんの過剰率は調査期間中を通して増加したが,新しい所見として,相対リスクは到達年齢と共に減少することが認められた。子供の時に被爆した人において相対リスクは最も高い。典型的なリスク値としては,被爆時年齢が30歳の人の固形がんリスクは,70歳で1シーベルト当たり47パーセント上昇した。
(ウ) がん以外の疾患の死亡率が過去30年間の追跡期間中,1シーベルト当たり約14パーセントの割合でリスクが増加しており,依然として統計的に確かな証拠が示された。心臓疾患,脳卒中,消化器官及び呼吸器官の疾患に関して,統計的に有意な増加がみられた。
(エ) 被爆者において,大動脈弓石灰化,収縮期高血圧,並びにコレステロール及び血圧の年齢に伴う変動など,がん以外の疾患の幾つかの前駆症状について長期にわたるわずかな放射線との関連が報告されている。最近の調査では,被爆者に持続性の免疫学的不均衡及び無症状性炎症と放射線との関連が認められた。これらは,がん以外の広範な疾患に対する放射線影響の機序と関連するものかもしれない。
(オ) 原爆後数年間は,近距離被爆者(爆心地から3キロメートル以内で被爆)のがん以外の疾患の基準(ゼロ線量)死亡率は遠距離被爆者の場合よりも著しく低かった。この差は追跡調査の最初の20年間で着実に減少し,この20年間の終わりには概ね消失した。このパターンからLSSにおける近距離被爆者は被爆後も生き残り,LSS対象者に選択されているので,一般集団よりも健康であったことが示唆される。特に,LSSにおけるがん以外の疾患による死亡データの解析は,1950年における近距離被爆者の基準死亡率が遠距離被爆者より15パーセント低かったことを示している。この差は1960年代後半には約2パーセントまで減少した。この小さいが統計学的に有意な差はそれ以後も持続しており,追跡調査の初期に認められた原爆に関連した選択影響よりも,都市と地方の差のような,原爆に無関係な人工統計的影響を反映している可能性が高い。
ソ 「原爆被爆者におけるがん以外の疾患の発生率,1958-1998年」(AHS第8報)(平成16年。証拠<省略>)
以前にも統計的に有意な正の線形線量反応が認められた甲状腺疾患,慢性肝炎及び肝硬変,子宮筋腫に加えて,新たに白内障,高血圧症,40歳未満で被爆した人の心筋梗塞,男性の腎・尿管結石の3疾患の有意な増加が認められている。喫煙や飲酒で調整しても上記の結果は変わらなかった。
心筋梗塞を含めた他の心臓血管疾患では放射線の有意な影響は認められなかったが,被爆時40歳未満であった被爆者における1968年から1998年のMI(心筋梗塞)発生率は,有意な曲線状の線量反応関係を示している。
タ 現時点における死亡率調査としては第13報が最新のものであり,これによる部位別のがんのERR(過剰相対リスク)値及び90パーセント信頼区間(30歳で被爆した人について70歳の時点で標準化し,男女で平均したもの)は,以下の図<省略>で表されている(証拠<省略>)。
(3) 放影研による調査のまとめ(前記に加え,証拠<省略>も参照)
ア LSS第7報(1950-72年)では,白血病,乳がん及び肺がんの放射線影響が統計的に有意とされ,胃がんは示唆的,子宮がんは統計的な有意差は認められないとされた。LSS第8報(1950-74年)では,これに胃がん,食道がん,泌尿器がん及びリンパ腫も追加すべきであるとの示唆が得られ,また,大腸,肝臓及び他の器官にも放射線の発がん効果がみられる可能性が指摘されている。他方,同第2部(1950-78年)では,がん以外の特定死因で,原爆被爆との優位な関係を示すものはみられないとされた。
次いで,LSS第10報(1950年-1982年)では,悪性疾患で放射線被曝による有意な増加があるとされたのは,白血病,肺がん,女性乳がん,胃がん,結腸がん,食道がん,膀胱がん及び多発性骨髄腫であり,示唆的とされたのは肝臓及び肝内胆管,卵巣及びその他子宮附属器のがんであったが,胆嚢及び前立腺のがんについては正の線量反応は有意ではないとされた。
LSS第11報(1950-85年)では,放射線と有意な関係が認められたがんは従前と同様であり,直腸がん,胆嚢がん,膵臓がん,子宮がん,前立腺がん及び悪性リンパ腫,骨がん,咽頭がん,鼻がん,喉頭がん及び黒色腫以外の皮膚がんには放射線と有意な関係がみられなかったとされた(なお,「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」証拠<省略>は多少異なっている。)。他方,この報告で初めて高線量域(2又は3グレイ以上)においてがん以外の疾患による死亡リスクの過剰があるように思われるとされ,循環器及び消化器系疾患について,高線量城(2グレイ以上)で相対リスクの過剰のあることが指摘された。また,ASS第7報(1958-86年)でも,子宮筋腫,慢性肝炎及び肝硬変,また甲状腺がんを除く甲状腺所見が1つ以上あることという大まかな定義に基づく甲状腺性疾患に,統計的に有意な過剰リスクが認められているが,心臓血管系の疾患については過剰リスクを認めていない(ただし,この結果については,症例数の不足のためである可能性が示唆されている。)。
さらに,LSS第12報(1950-1990年)では,肝臓がんに有意な過剰相対リスクが認められ,放射線量と共にがん以外の疾患の死亡率が統計的に有意に増加するという解析結果もさらに確認された。がん以外の疾患で有意な増加が認められたのは,循環器疾患(心臓病,脳卒中),消化器疾患(肝硬変が含まれている。),呼吸器疾患及び造血器系疾患である。
最新のLSS第13報では,固形がん全体,食道がん,胃がん,結腸がん,肝臓がん,胆嚢がん,肺がん,乳がん,卵巣がん,膀胱がん及びその他の固形がんに有意な過剰リスクが認められる。直腸がん,膵臓がん,子宮がん,前立腺がんは,ERR推定値(シーベルト当たり)は正の値を示すがその90パーセント信頼区間の一部が負の値にかかっている。他方,がん以外の疾患の死亡率が過去30年間の追跡期間中,1シーベルト当たり約14パーセントの割合でリスクが増加しており,心臓疾患,脳卒中,消化器官及び呼吸器官の疾患に関して,統計的に有意な増加がみられたとされている。また,AHS第8報(1958-1998年)でも,甲状腺疾患,慢性肝炎及び肝硬変,子宮筋腫に加えて,新たに白内障,高血圧症,40歳未満で被爆した人の心筋梗塞,男性の腎・尿管結石の3疾患の有意な増加が認められている。
イ 以上のとおり,被爆から年月を経るに従って,放射線と有意な関係が認められるがんの部位は次第に増え,しばらくは放射線との関係が否定されていたがん以外の疾患に関しても放射線との関連が指摘される疾病が増加してきている。
この点,放影研統計部は,昭和25年から平成9年までの寿命調査(LSS)の結果について,以下のようにまとめている(証拠<省略>)。
「放影研の寿命調査報告書は,原爆放射線被曝ががんおよびがん以外の疾患による死亡率に有意で継続的な影響を与えていることを明確に示している。(中略)LSS集団における放射線に関連する死亡(過剰死亡)の多くがこれから発生する(中略)。
1950年から1997年までの間にLSS集団に生じた過剰死亡数は固形がんによるものが約450,白血病によるものが約100,がん以外の疾患によるものが約250であったと推定される。これらの数字は,今後固形がんでは1000,がん以外の疾患では500をかなり超えるまで増加すると予想されるが,放射線に関連した白血病による死亡はほとんど増加しないと思われる。固形がんによる予測死亡数の増加が大きいのは,小児期や若年で被爆した人において過剰リスクが最も高いという観察結果に基づいており,集団の約半分が25歳未満で被爆しているためである。(中略)がん以外の疾患の低線量リスクおよび年齢-時間パターンの特徴はよく分かっていないので,放射線に関連したがん以外の疾患による推定死亡数は,がんや白血病に比べると正確性がかなり劣る。
(中略)がん以外の疾患に関しては,被爆時年齢による変動は現在のところがんの場合ほど明瞭ではなく,ここでの計算には一切使用していない。
今後の追跡調査により,固形がんおよびがん以外の疾患による死亡率に関して,放射線に関連したリスクの極めて重要な年齢-時間パターンがより明らかになるものと期待される。(中略)がん以外の疾患による死亡率に関しては,今後の追跡調査により,現在あまり明確ではない約0.5Sv[シーベルト]未満のリスクについて更に重要な情報が得られると思われる。」
LSSにおける放射線に関連した過去の過剰死亡数及び今後の予測過剰死亡数については,以下のグラフ<省略>示されている(証拠<省略>)。
ウ なお,放影研による「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」(平成16年)と題する論文(証拠<省略>)では,原爆被爆者の免疫系には放射線被曝の顕著な影響がリンパ系細胞の構成や機能に観察されること(CD4ヘルパーT細胞集団の減少),原爆被爆者では白血球数その他の炎症バイオマーカーと放射線量との間に統計的に有意な関連性があることが既に報告されていること,原爆被爆者において心筋梗塞の有病率はCD4ヘルパーT細胞の比率が低下した人で有意に高かったことなどから,放影研では,[1]原爆放射線がT細胞ホメオスタシス(均衡)を撹乱することにより,免疫学的加齢を促進させた,[2]原爆放射線が長期にわたる炎症を誘発し,それが疾患の発生につながった,などの仮説を立てて,これらの仮説を検証するための調査をする予定であることが報告されている。
また,放影研による「原爆被爆者における炎症マーカーに対する放射線の長期影響」(証拠<省略>。平成17年)と題する論文では,被曝線量と亜臨床的炎症状態及び免疫グロプリン産生との関係を調べたところ,[1]炎症マーカーTNF-α,IFN-γ,IL-10の血漿レベル,[2]赤血球沈降速度(ESR)及び[3]totallg,lgAのレベルで被曝線量に伴う有意な上昇を見いだしたこと,この結果から放射線の影響を加齢に換算して検討すると,1グレイの放射線被曝は約9年の加齢に相当すること,原爆放射線は加齢と同様に炎症マーカーや抗体産生量の増加に寄与しており,したがって,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかもしれないことが報告されている。
(4) 放影研の研究への評価
ア 放影研の死亡率調査及び成人健康調査は,被爆の影響を統計的な処理によって明らかにするべく,同一の人口集団について長年月にわたって死亡調査及び健康診断を行い,被爆者の死因及び健康状態を追求した調査として,ほとんど唯一の,また精緻で大規模な調査であり,被爆の健康影響に関する極めて貴重な調査であることは疑いがない。そして,長年にわたるねばり強い追跡の結果,原爆による放射線被曝が半世紀を超えて被爆者の身体及び健康に与えた影響をとらえ始めており,調査によって明らかにされた被爆による健康被害の状況も極めて深刻なものである。
イ しかし,調査の方法,内容及びその結果には,原告らが主張するように,なお以下のような問題が指摘されている。
(ア) 放影研における疫学調査では非曝露群を対照群として設定せずに曝露群同士を比較しているため,要因に全く曝露されていなかった状態が分からず,また,ごく低線量の曝露が重大な影響をもたらす可能性を見逃してしまうことになる。その結果,内部被曝や低線量被曝固有のリスクを見逃してしまうことになる。
(イ) 回帰分析が正確にされるためには,線量反応関係が正しく把握されていること及び対象集団に対する線量の割り当てが正確になされていることが絶対条件であるが,放影研では線量別被爆者群,非被爆者群の設定にDS86を用いている。その結果,遠距離被爆者や入市被爆者は,真実は被爆者であるにもかかわらず,非被爆者(非曝露群)として扱われていることがある。また,このような対象者群を設定したことにより,線量としてはわずかな評価しか受けていない内部被曝や低線量被曝固有のリスクを見逃してしまうことになる。
(ウ) 放影研の疫学調査では,調査開始までの被爆者の死亡による影響を考慮していない点でも大きな問題がある。すなわち,被爆しながら1950年の調査開始までに生き残っていた被爆者は,放射線の影響に対する抵抗力がある(放射線感受性の低い)可能性が高く,そのような被爆者を疫学調査の対象とした場合には,死亡した被爆者を含む平均的な被爆者を調査対象とした場合よりも,放射線の影響が顕在化しにくいことになる。
また,放影研による調査がされた当時,被爆者は社会的に迫害されるような状況に置かれており,被爆者と名乗り出ることを躊躇する者があったと考えられる。特に病気がちの者や,被爆によると思われる疾病(急性症状)に罹患した経験を持つ者は,被爆事実を申告しなかった可能性がある。
その結果,見かけ上,健康な被爆者のみが選択された可能性が強く,それが,調査の結果を歪ませることとなった。
ウ(ア) 以上の指摘のすべてが正しいのかは措くとしても,寿命調査集団の被爆影響の統計的な検定に当たっては,遠距離被爆者と非被爆者とを一括して,対照群として扱っている場合が多く,これは,被曝線量以外の被爆後の生活条件の差異が疫学的な解析に影響することを防ぐという理由と,遠距離被爆では原子爆弾の放射線の影響を無視できるという仮定とにもとづく措置である。しかし,前記のとおりDS86による残留放射線による被曝や内部被曝の評価にはかなりの問題が含まれている可能性があって,早期入市者は原爆放射線の影響を受けている高度の蓋然性があるというべきである。また低線量被曝の問題も等閑視できないものであるから,上記のような取扱いには少なからぬ疑義があるといわざるを得ない。
(イ) また,LSS第9報第2部(証拠<省略>)では,1950年以前の死亡の除外による偏りの存否を再解析し,この偏りが1950年以後に調査対象に認められた放射線影響の解釈に重大な影響を及ぼすとは考えられないとしている。しかし,LSS第13報(証拠<省略>)では,近距離被爆者(爆心地から3キロメートル以内で被爆)のがん以外の疾患の基準(ゼロ線量)死亡率は遠距離被爆者の場合よりも著しく低かったこと等について,LSSにおける近距離被爆者は被爆後も生き残り,LSS対象者に選択されているので,一般集団よりも健康であったことが示唆されるとしている(もっとも,がん以外の疾患による近距離被爆者の死亡率が低いという傾向は,1960年代後半以後については原爆に関連した選択影響よりも,都市と地方の差のような,原爆に無関係な人工統計的影響を反映している可能性が高いとしている。)。そして,このような原爆に関連した選択影響は,近距離被爆者のがん以外の疾病に限られると解すべき根拠があるとは考え難いから,近距離被爆者のがんの統計的処理や,場合によっては遠距離被爆者に関する統計に関しても何らかの形で現れている可能性のあることも否定はできないだろう。したがって,やむを得ないこととはいえ,寿命調査対象集団が調査開始のl950年に生存していた者に限られたことが,放影研による寿命調査や成人健康調査に一定のバイアスをかけた可能性があることは否定できない。
また,被爆から長らくの間,被爆者に対する社会的な偏見や差別のあったことは顕著な事実であり,このような社会的な状況の下において特に病気を持っていた者や被爆による急性症状を有していた者の申告が多少なりとも抑制されたであろうことは想像に難くない。この点も放影研の調査結果に何らかの影響を与えた可能性のあることは否定できない。
(ウ) 以上のように,放影研の調査結果については,なお,検討すべき問題が残されていることは否定できない。しかし,以上のような問題については,ある意味では放影研の寿命調査や成人健康調査がされるようになった時期や条件からは,避けられない制約であった可能性もあり,また,このような問題を克服できたとした場合に,原告らは放射線の影響を肯定する方向に働くと断ずるようであるが,これらの問題が克服されたとしても,解析結果がどの方向でどの程度異なることとなるのかは,本件で提出された証拠からは余り明らかではない。放影研の調査結果についてこれまでみたところからすると,その価値は,以上のような問題点を考慮しても,原爆放射線の人体影響を考察する上で,これに代わる知見は存在しないのであり,なお,重要で示唆に富む成果を提示しているものというべきである。
(5) 放射線とがんに関するその他の知見について
ア 放射線発がんの潜伏期
放射線に曝露して実際に発がんするまでにある程度の期間,すなわち潜伏期が必要で,その潜伏期の長さ,潜伏期のパターンは,放影研の調査では,白血病と白血病以外のがんで明らかに異なっている。
原爆被爆者では,白血病は被爆後2ないし3年経ってから増加を始め。それから6ないし7年でピークになり,それよりまた次第に滅少している。長崎では,1971年から1974年には既に対照群(非被爆群)のレベルと変わらなくなったが,広島では1985年現在でもまだ高線量群での頻度は対照よりわずかに高い。したがって,白血病の場合,潜伏期は最も長い期間を考慮すると約3から41年である。この場合,潜伏期間は線量依存性があり,被曝線量の高い方が潜伏期間が短くなる。
ところが,白血病以外のがんについてはこれとは全く異なり,肺がんを例にとると,被爆後10年から15年経ってから発生率が増加し始め,年とともにだんだん増加し続ける。いわゆるがん好発年齢になってから,発がんしてくるので,原爆放射線に曝露した時の年齢(被爆時年齢)が若ければ若いほど潜伏期間が長くなる傾向を示している。しかし,この場合,線量依存性はみられていない。
その理由については,発がんには初発要因,促進要図,さらには増殖要因の3段階が必要だと考える発がんの多段階説からは次のような説明がされている。
すなわち,白血病の場合には,放射線に対する感受性が非常に高いために,発がんにも重要な最初の2段階又は3段階の変化が放射線によって同時に起きる。他方で,白血病以外のがんでは,感受性がさほど高くないために,若年時被曝者の場合,放射線によって第1段階だけが起こり,第2段階以降は,その他の原因により発がんする場合と同様に,放射線以外の要因が段階的に作用して初めて起こることとなり,放射線誘発の白血病以外のがんは一般的ながん年齢になってから著明に発現することになる。その場合,促進要因及び増殖要因は,放射線とは無関係であるから,潜伏期間の長さは放射線量とは無関係だということになる。他方で,老壮年時被曝者の場合,既に第1段階が起こっているので,放射線は第2,第3段階の要因として働き,最短潜伏期間を経て臨床的に発がんしてくると考えられる。
(以上,証拠<省略>)
イ その他の放射線発がんに影響する要因
放射線発がんに影響を及ぼす要因は非常に多いと考えられ,そのすべてが明らかにはされていない。性,年齢以外の主要な要因について簡単に触れる(証拠<省略>)。
(ア) 線質と線量率
放射線の生物学的影響は,生体の放射線エネルギーの吸収によって生ずるが,エネルギー付与にかかわる物理的要因である線質は発がんにおいても当然重要になってくる。一般に細胞レベルの研究では細胞死,突然変異,トランスフォーメーションのいずれについてもRBEはLETの関数として決まってくることが明らかにされている。一般にRBEはLETと共に増加するが,100keV/μmで最大値をとり,それ以上LETが大となるとRBEは下がる。
高LET放射線の影響に関する疫学データを得ることは容易ではないが,米国放射線防護審議会(NCRP)が2001年に公表した結果では,低LET放射線では200ミリシーベルト以下の被曝で肺がんのリスク上昇の証拠はなかったが,高LET放射線であるラドンとその娘核種の曝露の場合,鉱山労働者についての11の研究の共同解析によって肺がんのリスクの明らかな上昇が認められ,直線の線量効果関係が認められたとされている。
なお,中性子のRBEについては,未だ定まった見解はないが,放影研ではガンマ線の10ないし20倍の評価をしているようである。
(イ) 線量率効果
線量率は放射線影響に大きな影響を与える。一般に細胞死という観点からみると線量率が小さくなれば一定の与えられた線量による効果は小さくなる。これは多くの要因で起こるが,低LET放射線の場合は亜致死損傷の回復,細胞周期の再分布,細胞の代償的な再増殖が主な要因とされている。このような一般原則が,低LET放射線の場合に突然変異の発現や発がんでも同様に当てはめられると考えられるが,高LET放射線では低線量率照射が発がんや突然変異の誘発を増加させるという報告がある。
(ウ) 人種とライフスタイルの影響
ICRP1990年勧告の中で委員会が相乗リスクモデルを用いて,日本,米国,プエルトリコ,英国,中国について全臓器のがんを1として各臓器における致死がんの相対的なリスク寄与率を求めたところ,食道がんは中国,胃がんは日本,乳がんは米国,英国で高いという結果が出ている。この人種の差によるがんのリスクの違いについては,食事などを含むライフスタイルが大きい原因になっているとされている。
(エ) 遺伝的高リスク・グループ
常染色体劣性の遺伝病,末梢血管拡張性運動失調症(AT)が放射線に対して極めて高い感受性を有していること,それがDNA損傷の修復機能(PLDR)欠損によることが知られている。AT以外の遺伝病で網膜芽細胞腫,ファンコニー貧血,ハンチントン舞踏病,コケイン症候群,ガードナー症候群なども放射線感受性が高いとされている。
(オ) その他の交絡因子
放射線以外の要因で放射線との間で互いに干渉しあって,リスクがより増加するか,あるいは増加の度合いが減るというような相互作用がある要因を交絡因子という。
性・年齢という主要因子を除外すれば,社会階層,職業,食事,嗜好品などが重要となってくる。
このうち,喫煙に関しては,発がんとの関係が明らかなものとされているが,原爆被爆者での肺がん発生に関して放射線と喫煙との間の相互作用に関しては,これを否定するデータが発表されている。したがって,喫煙者の場合,被曝と喫煙という要因は,相乗的ではなく,単に相加的に作用していると考えられる。なお,相加的になるのはエックス線やガンマ線といった低LET放射線の場合に限られるという意見もある。
(6) 放射線と肝疾患,甲状腺疾患
原告らの申請疾病は多様であり,その放射線起因性については,個別の原告らに関する説示の中で判断をするが,肝疾患と甲状腺疾患については,複数の原告の申請疾病とされているので,これら疾患と放射線との関係がどのように考えられているのかをこの項で検討しておく。
ア 慢性肝疾患,肝炎,肝硬変及び肝がん
(ア) 肝機能障害の意義,原因(証拠<省略>)
肝細胞が傷害されると,これに含まれている酵素であるGOT(AST),GPT(ALT)が血清中に逸脱し,血清中の両酵素の値が上昇する。一般にはGOT,GPTの検査値に異常がみられると,肝細胞に何らかの障害が起こっている状態とされ,肝機能障害と診断される。肝機能障害の原因として[1]ウィルス感染,[2]アルコール,[3]薬物,[4]自己免疫,[5]代謝(肥満・蛋白欠乏),[5]先天性代謝異常等である。
このうち,最も頻度が多く重要なのはウィルス感染であり,肝炎ウィルスには幾つかの種類があるが,慢性肝炎の原因となるのはB型,C型,D型の3種である。D型はB型肝炎ウィルス感染者にしか感染せず,我が国では極めてまれである。
肝炎ウィルスの感染経路には,[1]妊娠・分娩による感染,[2]血液製剤の注射(輸血)による感染,[3]性行為による感染,[4]針刺し行為による感染などがある。
(イ) 慢性肝炎(証拠<省略>)
慢性肝炎は,慢性肝疾患の一つであり,臨床的に「6か月以上の肝機能検査値の異常とウィルス感染が持続している病態」と定義されている。持続性の炎症性病変としての肝門脈域を中心とした単核球浸潤と線維増生がその基本である。肝炎の症状としては,全身倦怠感,食欲不振,尿の濃染,黄疸などがある。
我が国の慢性肝炎の約90パーセントは肝炎ウィルス感染が原因であり,そのうちC型肝炎ウィルス(HCV)感染が4分の3を占め,HCVに感染した場合は急性肝炎を発症後60から80パーセントが慢性肝炎に移行するといわれている。
HCV感染が慢性化しやすい理由の詳細は判明していないが,HCV遺伝子の変異速度が速く,ウィルス表面の抗原性を変化させることによって生体の免疫学的監視機構の認識から逃れる特異な性質を持っていること,また,HCVが樹状細胞(免疫に関与する細胞の一種)の機能を低下させるなど,生体のウィルス駆除に大きな役割を演じる免疫能を低下させること等の理由があげられている。
なお,肝炎ウィルスが身体に侵入しても肝炎とはならず,健康なままとどまることがある。このような人をウィルスキャリアという。
(ウ) 肝硬変,肝がん(証拠<省略>)
a 慢性肝炎が持続すると肝硬変(肝細胞が死滅・減少し線維組織によって置換され,結果的に肝臓が硬く変化し,肝機能が減衰した状態)となる。慢性肝炎では肝細胞死が継続的に起こることとなるが,肝細胞死が持続しても肝臓は再生力が強い臓器であり,肝細胞の再生が繰り返される。しかし,炎症反応や肝細胞傷害に対する修復過程で線維の増生が起こり,線維束によって隣り合う門脈域,続いて門脈域と中心静脈域が互いに結ばれる(架橋形成)ことにより,正常肝小葉構造が破壊され,その改築が起きてくる。これが肝硬変と呼ばれる状態である。
再生した肝細胞塊はこのような線維性隔壁によって取り巻かれ,結節状を呈する。このような壊死,再生,炎症,線維増生のサイクルが長年繰り返されて肝硬変に特徴的な病変が生ずる。正常肝小葉構造の破壊は,肝微小循環動態の変化をもたらし,肝実質細胞を潅流する血流が減少する結果,肝細胞機能は低下する。肝内の血管抵抗は上昇する結果,門脈圧亢進を来し,食道静脈瘤,腹水,または門脈-大循環短絡のため肝性脳症を発症するなど重大な合併症が発生する。このような肝硬変合併症がみられる病態を肝硬変非代償期という。
肝硬変では約78パーセントが肝炎ウィルス感染が原因といわれる。ウィルス性肝炎から生ずる肝硬変は,上記のような非代償期に至るまでの進行は緩徐である。C型肝炎による場合は感染から30年から40年で肝硬変へ進むと考えられている。
b 肝硬変にはしばしば肝細胞がんが合併し,肝がんの剖検例の84パーセントに肝硬変を合併していたという報告もある。肝細胞がんでは約70パーセントがC型肝炎ウィルス陽性,4.7パーセントがB型及びC型肝炎ウィルス陽性,0.5パーセントがアルコール性であるといわれている。
なお,肝臓の悪性腫瘍には転移性肝がんと原発性肝がんがあるが,原発性肝がんには,肝細胞がん,胆肝細胞がん,肝細胞芽腫(小児),肝細胞・胆肝細胞混合がん,未分化がん,胆管嚢胞がん,カルチノイド腫瘍などが含まれるが,成人の肝臓がんの大部分(90パーセント)は肝細胞がんである。肝細胞がんの発生原因で最も重要なのは肝炎ウィルスの持続感染であり,これによって肝細胞で長期にわたって炎症と再生が練り返されるうち,遺伝子の突然変異が積み重なり,肝がんへ進展していくと考えられている。
(エ) 放射線と慢性肝疾患等に関する知見
a これまでの知見
前記2,(2)カのとおり,肝臓は非常に細胞分裂頻度の低い臓器であって,肝細胞の平均寿命は1年といわれ,放射線感受性の低い臓器の一つとされている。相当の大線量の被曝でも数か月は余り変化がなく,時間をかけて肝機能が次第に低下する。4週に35グレイを越える線量を生肝に受けると3ないし6か月後に致死的な肝炎を生じるといわれている。このように,一般的には放射線の肝臓に対する影響は確定的影響に属し,10グレイを超えなければ健康影響が発生しないと考えられている(証拠<省略>)。
A8は,非常に高線量の場合には,免疫機能に対する影響を介してC型肝炎が発症あるいは遷延するということがあるとしており,低線量の場合に放射線がC型肝炎に影響を与えることはないとする趣旨の供述をしている(証拠<省略>)。
A9(東京慈恵医科大学内科学講座消化器・肝臓内科主任教授)は,やはり20ないし30グレイを超える高線量の被曝がなければ肝臓の機能に影響を与えることはないとする趣旨の意見書を提出し,放射線が慢性肝炎でみられるような持続的な肝細胞傷害をもたらす可能性はなく,遺伝子損傷の機序を考えても,そのような損傷を受けた細胞はアポトーシス(細胞膜に包まれた状態で細胞が破壊される状態)に陥り炎症を惹起しないと考えられているから,やはり肝炎の原因とはなり得ないとしている(証拠<省略>)。また,HCVの持続感染化・肝炎の慢性化の原因は,HCVが有しているウィルス学的特性(HCVウィルスの変異,感染宿主の免疫系の抑制)であって,放射線被曝による免疫能の低下は関連しないとも述べている(証拠<省略>)。
b 原爆放射線の人体影響1992(証拠<省略>)
被爆直後には,何らかの肝障害が原爆被爆者の中にみられたことは,多くの臨床家によって報告されており(この点は証拠<省略>でも紹介されている。),その後も原爆被爆者の肝障害の頻度は高く,重要な医学的問題の一つであったこと,多くの研究アプローチがされたが,最近まで肝障害が放射線に起因するものであるか否かは明らかでなかったが,最近の研究結果では,慢性肝炎,肝硬変,原発性肝がんのいずれも放射線との関連が示唆される所見が得られてきており注目されること,しかし,肝障害にはウィルス,栄養をはじめとする多くの要因が関与していることが知られており,この関連が放射線による直接作用か,それともこれらの要因を介した間接的なものなのかは,今後検討する余地があることが紹介されている。
c 放影研による調査の結果
この点については,前にも触れているが,簡単にまとめるとLSS第10報(証拠<省略>1950-82年)までは,肝臓がんについて有意な放射線影響が示唆されたとしながら,診断の不正確性の問題や他の調査結果との不一致からみて,原爆被爆者の資料は肝がん死亡率に及ぼす放射線影響の存在を示す明白な根拠とはならないとされていた。しかし,「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(平成7年。証拠<省略>)において放射線と肝臓がんとの関連性が見られたとされ,LSS第12報・第1部(証拠<省略>1950-1997年)でも肝臓がんに有意な過剰相対リスクが認められている。
LSS第11報第3部(証拠<省略>1950-1985),LSS第12報第2部(証拠<省略>1950-1990)では,肝硬変の死亡率は線量に伴う有意な増加傾向が認められるとされ,AHS第7報(証拠<省略>1958-1986)及びAHS第8報(証拠<省略>1958-1998)でも,慢性肝炎,肝硬変に有意な過剰リスクが認められるとされている。
放影研臨床研究部の藤原佐枝子の「原爆放射線被曝の影響について」と題する平成11年の講演(証拠<省略>)でも,肝臓がんに過剰相対リスクが認められ,慢性肝疾患に原爆放射線被曝の影響が認められることが述べられている。
d 藤原佐枝子ら「原爆被爆者におけるC型肝炎抗体陽性率および慢性肝疾患の有病率」(証拠<省略>)
1993年から1995年の2年間に広島か,長崎で健康診断を受けたAHS(放影研による成人健康調査>対象者6121人について,抗HCV抗体陽性反応を調査したものである。これによると,被爆者にHCV持続感染者の比率が多いという知見は得られず,むしろ有意に低率であり,HCV持続感染成立に対する被曝の促進的な効果あるいはHCV感染者における肝障害発現に対する被曝の促進的な効果のいずれについても否定的な結果であったが,抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加が認められたとされ,放射線被曝は,C型慢性肝炎に関連した慢性肝疾患の進行を促進するのかもしれないとしている。抗HCV抗体陽性者において,慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加が認められたとする根拠は,慢性肝疾患の有病率が,抗HCV抗体陽性の対象者と陰性の対象者の線量反応関係を示す曲線が,抗HCV抗体陽性の対象者において同陰性の対象者に比べて20倍近く高い勾配を示し,これが辛うじて有意な差異であった(P=0.097)とする認識に基づいている。このようにP値が高い場合に(一般にP値が0.05より小さい場合に,その関係を有意ということは先に述べたとおりである。),その結果を有意なものというかどうかにはかなりの問題がある。そのこともあってか,その後,この論文の「慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加が認められた」の部分は「慢性肝疾患に対する放射線量反応の増加の可能性が示唆された」と,「これはかろうじて有意な差異であった」との部分は「これは有意に近いが有意ではなかった」(日本語版のみの変更。英語版における同部分の記載は,「the difference was marginally siginificant.とされている。)と変更されている(証拠<省略>。なお,論文の発表は平成12年であり,その変更は平成19年3月になってからのことである。)。
e A9「肝機能障害の放射線起因性に関する研究」(証拠<省略>)
この研究は,文献のレビューによって慢性肝障害の放射線起因姓に関する検討を行い,以下のような報告をしている(なお,以下の要約は海外のレビューを受け(証拠<省略>),変更された後のものである。)。
(a) B型肝炎ウイルス感染に対する被曝の影響については,被曝がHBV感染後の持続感染成立(キャリア化)に関与していると考えられるが,HBVキャリアにおける肝障害発症に対する被曝の関与については否定的な結果であった。
(b) C型肝炎ウイルス感染に対する被曝の影響については,被爆者にHCV持続感染者の比率が多いという知見は得られず,また,HCV感染者において被曝が肝障害発現を促進する可能性を示す知見は得られなかった。したがって,C型慢性肝炎成立には被曝は関わっていないと考えられた。しかしながら,慢性肝炎患者の70パーセントが肝がんに発がんし,被爆者は高頻度で発がんするとされていることから,肝障害を発症した患者が発がん等により既に死亡していて肝障害発症数から除去されて過小評価されている可能性があるとも指摘されている。
(c) 肝硬変については,剖検例の解析では肝硬変への進展について放射線が関与しているかどうかについては,明確な結論は得られず,死因からの解析では有意の線量反応を認めたとする報告がある一方で,認めないとの報告もあるが,明確な結論を得るためには今後の解析を待つ必要があるとされた。肝障害発症に関わる様々な交路因子を考慮に入れた研究では,被曝の肝硬変進展への関与については否定的な結論であった。
(d) 慢性肝疾患については,相対リスク(RR)は有意の線量反応を示したとの研究報告があるが,これらの報告では慢性肝疾患の種類,進展度,活動性,成因などの検討がされておらず,研究の評価が極めて困難である。
(オ) 小括
a 以上のように慢性肝疾患,肝臓がんと放射線との関連に関する知見は必ずしも一致したものではなく(もっとも,肝臓がんと放射線が有意の関係にあることはおおむね認められているようである。),特にわが国において慢性肝疾患発生の原因として最も頻度の高いC型肝炎ウイルス(HCV)感染あるいはこれによる慢性肝炎,肝硬変に関する最新の研究では,放射線の影響を否定的に解するものとなっている。
b 被告らは,C型肝炎に関する上記のような知見を援用した上,慢性肝疾患の相対リスクが有意の線量反応を示したとされる放影研による成人健康調査は,肝疾患の種類,成因等を何ら検討していないものであって,放射線被曝とウイルス性肝炎との関連性を示唆する信頼すべき科学的知見とはいえないと主張している。
確かに,LSSやAHSにおける最近の調査結果から,放射線被曝とウィルス性肝炎との関連性をいうには,被告らが指摘するような問題があることは否定できない。他方で,わが国において慢性肝疾患の原因の過半を占めるC型肝炎ウィルス感染と放射線の影響に問しては否定的な調査結果が出されているのに,被爆者の調査集団を調べた場合に慢性肝炎,肝硬変に有意な過剰リスクが認められるのが何故なのか,このような過剰リスクが認められるようになったのが最近になってからなのは何故なのか,これが放射線被曝の後傷害であるとすれば,それはどのような機序によって起こるのか,動物実験では高線量被曝がなければ肝臓に健康影響が認められないのに,原爆による放射線被曝の場合には高線量の被曝でなくとも健康影響が発生するのか等多くの疑問が残されているように思われる。これらの疑問のうち,幾つかは,例えば先に紹介した放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかもしれないとする報告(証拠<省略>)等を解明していくことによって解決されるかもしれないが,なお,放射線と慢性肝疾患との関係については,多くの未解決な問題が残されていると考えられる。
しかし,上記のとおり,HCVウィルスに感染した場合,その60パーセントから80パーセントが慢性肝炎に移行し,肝硬変や肝細胞がんに移行して死亡するとの経緯をたどることからすると,他の疾病がそれ自体として独立した疾病と捉えることにさほど問題がないのと異なり,慢性肝疾患や肝硬変については,肝細胞がんや死亡例とされている症例の中に潜在的に存在している蓋然性が高いのであるから,これらの症例を含めた一連の検討をすることが不可欠である。そうすると,戸田の検討において高く評価されているような(前記e)慢性肝疾患,肝硬変,肝がんについて,対象となる発症例を厳密に区分することは,放射線による慢性疾患等の発症例数を恣意的に減少させる結果につながりかねないとの懸念をぬぐいきれず,放射線と慢性肝疾患等との統計的な有意な影響が否定されるとの戸田の検討結果を採用することはできない。そして,LSSやAHSで解析された慢性肝疾患,肝硬変と放射線との有意な関係は動かし難いものというべきであり,このような調査結果が存在することからすると,一定線量の放射線を浴びた被爆者が慢性肝疾患に罹患している場合,その被爆者についてHCV抗体陽性等の結果が出ており,その慢性肝炎発症の原因がHCVウィルスによるものであると認められる場合でも,当該慢性肝疾患あるいは肝硬変の持続・進展には放射線が関係しているとの蓋然性を推認するのが合理的であり,放射線起因性を否定する見解を採用することはできないというべきである。
イ 甲状腺疾患
(ア) バセドウ病,橋本病,甲状腺機能低下症について
甲状腺疾患には,甲状腺機能の亢進を来すもの,反対に甲状腺機能低下をきたすものなどいくつもの病態がある。ここでは,本件に関連するバセドウ病,慢性甲状腺炎(橋本病),甲状腺機能低下症について説明しておく。
a バセドウ病(証拠<省略>)
甲状腺ホルモン過剰を来す諸病態を甲状腺機能亢進症と呼ぶ。甲状腺ホルモン過剰の原因疾患は様々であり,バセドウ病のほか,機能性甲状腺腫(Plummer病),無痛性甲状腺炎,橋本病(慢性甲状腺炎)の急性増悪,亜急性甲状腺炎,甲状腺ホルモン剤の服用などがある。
バセドウ病は,TSHレセプターに対する自己抗体によりTSHレセプターが持続的に刺激されるため,甲状腺の肥大と機能亢進をきたす疾患をいう。眼球突出,前脛骨粘液水腫などの症状を伴う自己免疫疾患である。甲状腺腫,頻脈,眼球突出をMeresebungの三主徴と呼ぶが,自覚症状として手指振顫,体重減少,下痢,発汗過多,動悸,体動時息切れ,食欲亢進がある。
バセドウ病の治療には,内科的治療(抗甲状腺薬治療),放射性ヨード治療(アイソトープ治療)及び手術療法がある。このうち,放射性ヨード治療は,ヨウ素131を投与して放射性ヨードを甲状腺に集積し,甲状腺を障害して機能を正常化するものである。投与後年とともに機能低下が増加し,甲状腺機能低下症に陥る症例が約30パーセントあるとされている。
b 慢性甲状腺炎(橋本病)(証拠<省略>)
成人女性でびまん性甲状脈腫を示す疾患で,抗甲状腺抗体が大多数の症例で検出される。多くは甲状腺機能正常であるが,甲状腺機能低下となることもある。時に甲状腺組織の炎症性破壊から血中甲状腺ホルモンの上昇を示したり,それに引き続き甲状腺機能低下を起こすことがある。病理学的には甲状腺濾包の崩壊,リンパ球浸潤を伴う。
c 甲状腺機能低下症(証拠<省略>)
体内で甲状腺ホルモンの作用が不十分なために引き起こされる病態であり,通常は甲状腺ホルモン量の不足によるためであるが,なかには作用機構の障害によって機能低下となる場合がある。様々な原因によって起こる。病因としては,甲状腺自体に障害がある場合と,甲状腺より上位の下垂体や視床下部に障害がある場合,あるいは甲状腺ホルモンの作用部位である末梢組織に障害がある場合とに分けられる。甲状腺機能低下症の90パーセントから95パーセントは甲状腺に障害がある原発性であり,その原因として慢性甲状腺炎(橋本病)が最も多い。
甲状腺機能低下症は通常ゆっくり進行するため発見が遅れることがある。症状がしばしば不定愁訴として捉えられ,うつ病や痴呆などと誤診されていることがある。典型的な自覚症状は寒がり,易疲労感,嗄声,言葉のもつれ,動作緩慢,眠気,皮膚の乾燥,便秘,体重増加,月経過多,食欲低下などであるが,一般に精神感情鈍麻がある。他覚症状としては,皮膚が乾燥し冷たく,粗雑,蒼白で浮腫がある。頭髪はばさばさとした感じで脱毛が起こりやすく,眉毛は全体に薄く特に外側3分の1が脱落する。徐脈が著明で,収縮期血圧は低下傾向に,また拡張期血圧は増加傾向となり,心筋の活動性は低下する。精神神経活動は低下し傾眠傾向が目立ち,動作や言語は緩慢になる。歩行障害,平衡障害など小脳症状をみることもある。
(イ) 甲状腺疾患と放射線の関係に関する知見
a 一般的な知見
甲状腺の細胞の分裂は,肝細胞より遅いといわれて,放射線に抵抗性があると考えられているが,障害を受けた細胞が除去されるにつれて,甲状腺刺激ホルモンは増加し,細胞の生存率が非常に低いと10ないし20年後でさえ,機能低下を伴う甲状腺の萎縮を起こすことがあるとされていることは前記2,(2)シのとおりである。
b 長瀧重信ら「長崎原爆被爆者における甲状腺疾患」(証拠<省略>)等について
長瀧らは,上記論文において,がん,腺腫,膿腫様甲状腺腫及び組織学的診断のない結節を含む充実性結節,並びに抗体陽性特発性甲状腺機能低下症(自己免疫性甲状腺機能低下症)において有意な線量反応関係が認められたが,他の疾患では認められず,充実性結節の有病率は単調な線量反応関係を示したが,自己免疫性甲状腺機能低下症の有病率は0.7±0.2シーベルトで最大レベルに達する上に凸の線量反応を示したと報告している。この中で,放射性ヨード治療又は甲状腺治療後に発生した甲状腺機能障害を続発性甲状腺機能低下症と,このような病歴のない場合には特発性甲状腺機能低下症と分類され,続発性甲状肺機能症等については甲状腺線量と優位の関連はなかったが,抗体陽性特発性甲状腺障害に関連が認められたことから,潜在的な自己免疫性甲状腺障害に関連する可能性が示唆されている。
森本らは,長瀧らの報告に先立ってAHS対象者978人を調査し,結節性甲状腺腫が被爆者に有意に高率であったとしたが,血清TSH及びサイログロブリン値は差異がなかったとの報告をしているようである(証拠<省略>)。他方,伊藤らは,広島の被爆距離1.5キロメートル以内の直接被爆者6112人と3キロメートル以遠の遠距離被爆者3047名のTSH(甲状腺刺激ホルモン)値の検討を行い,甲状腺機能低下症に関して有意な線量反応関係が認められたことを報告している(証拠<省略>)。また,ビキニ環礁における水爆実験で被爆したマーシャル諸島の被爆者に関する調査では甲状腺がん,甲状腺機能低下症の発生率の上昇が認められている(証拠<省略>)。さらに,西山地区住民で,結節性甲状腺腫の発症が有意に高率である,甲状腺機能ではfreeT4は正常値範囲内であるが有意に低下しており,この差は被爆時年齢20歳以下の集団で顕著であるとされている(証拠<省略>)。
c 放影研の調査について
AHS第7報(証拠<省略>)において,甲状腺がんを除く甲状腺所見が1つ以上あることという大まかな定義に基づく甲状腺性疾患に,統計的に有意な過剰リスクを認めたと報告され,AHS第8報(証拠<省略>)でも同様の報告がされている。
d 今泉美彩ほか「広島・長崎の原爆被爆者における甲状腺疾患の放射線量反応関係(証拠<省略>。平成17年)
この報告では,甲状腺腫瘍だけではなく良性結節患者の割合も被曝線量が高くなるにつれて増加しており,この傾向は若年被爆者において有意に強かったとされている。他方,甲状腺自己抗体陽性率は,甲状腺の放射線量に関連せず,甲状腺自己抗体陽性甲状腺機能低下症も線量に関連していなかったとされ,バセドウ病に関してはその有病率と放射線量の関連が示唆されたが,統計的に有意なレベルには達しなかった(P=0.10)とされている。
第5審査の方針について
1 はじめに
疾病・障害認定審査会原子爆弾被爆者医療分科会は,平成13年5月25日に審査の方針を定め,申請に係る負傷又は疾病の原爆放射線起因性の判断に当たっては,原因確率及び閾値を目安として,当該申請に係る疾病等の原爆放射線起因性の有無を判断するという方針を出していることは,第2の3の(2)に説明したとおりである。以下,これまでに述べた放射線や放射線と疾病との関係などからこの審査の方針によって放射線起因性の判断をすることが適切なものなのか否かについて検討する。
2 原因確率について(証拠<省略>弁論の全趣旨)
(1) 「放射線の人体への健康影響評価に関する研究」(証拠<省略>。以下「A1論文」という。)について
原因確率は,A1を主任研究者として,他の分担研究者ともにまとめた A1論文に基礎をおいて定められている。この研究は,原爆放射線が原爆被爆者において「がんあるいはがん以外の疾患」の死亡や罹患(発生)に及ぼす後影響のリスクをまとめ,そのうち特に「がん及び一部のがん以外の疾患」について寄与リスクを算出することを目的としたものである。寄与リスクは,DS86による推定被曝線量を下にして,がんについては,放影研の「原爆被爆者の死亡率調査第12報,第1部癌:1950-1990年」
(平成8年証拠<省略>及び「原爆被爆者におけるがん発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(証拠<省略>)を基礎資料として算定されている。
ア リスク評価の指標
A1論文におけるリスク評価では,相対リスク,絶対リスク,寄与リスクの3種類の指標が使用されている(証拠<省略>参照)。
(ア) 絶対リスク(AR=Absolute Risk)
観察期間中に,集団中に生じた疾患の発生あるいは死亡の総例数又は率であり,率は,通常1万人年(人年は,人数と観察年数の積を表す単位。1万人年は,104ypsと表される。)当たりあるいは1万人年グレイ当たりで表されることが多い。
例えば,被爆者1000人を10年間観察した結果(1万人年),あるがんによる死亡者が10年間で延べ200人であったとすると,当該被爆者群における当該がんの絶対リスクは200(人年/1万人年),パーセンテージで表すと2パーセントである。
(イ) 過剰絶対リスク(EAR=ExcessAbsolute Risk)
被曝群と対照群の絶対リスクの差をいう。
A1論文では,過剰絶対リスクを絶対リスクと呼んでいる。
先の例で,同質の非被爆者1000人を10年間観察した結果(1万人年),当該がんによる死亡者は100人であったとすると,非被曝者群における当該がんの絶対リスクは100(人年/1万人年),過剰絶対リスクは200-100=100(人年/1万人年)あるいは2-1=1(パーセント)となり,放射線の影響により,延べ1万人年当たりの死亡率が100人年分増加したこと,あるいは1パーセント分増加したことを示している。
(ウ) 相対リスク(RR=Relative Risk)
被曝群と対照群の死亡率(あるいは発病率)の比をいう。例えば,被曝群では(放射線に被曝すると)がんの死亡率が何倍になるか,といった意味で用いられる。
先の例でいうと,被曝群(被爆者群)の死亡率(絶対リスク)が200/10000=0.02(2パーセント),対照群(非被爆者群)の死亡率が100/10000=0.01(1パーセント)であるから,相対リスクは,(200/10000)/(100/100.00)=20である。これは,被爆によってがんの発症率が非被爆者(対照群)に比べて2倍になることを示している。
(エ) 過剰相対リスク(ERR=Excess Relative Risk)
相対リスクから1を引いたもので,調査対象となるリスク因子によって増加した割合を示すものである。
先の例でいうと過剰相対リスクは2-1=1であり,被爆によって当該がんの死亡率が自然発症の場合と比べて1倍分増加したことを示す。
(オ) 寄与リスク(ATR=Attributable Risk)
被爆者は,当然放射線以外の発がん要因にも曝露されているので,被爆者に発症したがんのうち,放射線によって誘発されたがんの割合を推定する必要があるが,この割合を寄与リスクと呼んでいる。例えば,あるがんを発症した被爆者のうちの何パーセントが放射線被曝が原因で発症したか,といった意味で用いられる。「審査の方針」において用いられている原因確率の値には,この寄与リスクの値が用いられている。
先の例でいうと,寄与リスクは,全体の死亡率が200/10000,そのうち被爆によって増加した分が100/10000であるから,(200/10000-100/10000)/(200/10000)=0.5(50パーセント)である。これは,被爆者の発症率2パーセントのうち,被爆によって上昇した分が1パーセントであるから,被爆者に発症したがんのうち,放射線によって発症したがんの割合は50パーセントであることを示している。
数式では,次のように表すことができる。
ATR=ERR/(1+ERR)
(カ) 固形がんのリスクを調査期間における平均過剰相対リスクによって表す場合,近年の死亡率調査では次のようなモデルが用いられている。
ERR(d,s,age)=β,dexp[γ(age-30)]
dは推定被曝線量(DS86),sは性別,ageは被爆時年齢で,β及びγが推定すべき未知母数である。βは一般に男女で異なる。
イ 研究方法
(ア) A1論文で,寄与リスクは,白血病と幾つかの固形がんについて求められているが,このうち,白血病の過剰相対リスクが被爆後約10年を発生のピークにして,その後被爆後年数の経過とともに急激に低下していることから,1981-1990年のデータに基づき算出されている。その他の固形がんについては,観察期間の平均が使用されている。
白血病,胃,大腸,肺がんの寄与リスクは,カーマ線量が公開され,A1論文実施時点で最も新しい研究結果である「死亡率調査」から求められている。しかし,甲状腺がんと乳がんは,予後が良いため,「死亡率調査」より「罹患率(発生率)調査」の方が実態を正確に把握することができるとして,「罹患率(発生率)調査」を使って寄与リスクが求められている。この場合の被曝線量は,臓器線量が用いられている。
(イ) A1論文が対象とした資料である放影研の寿命調査等は,先に説明したように,調査対象者の被曝線量はDS86に基づいて推定され,また,ポアソン回帰分析によって対照群を設定しない内部比較法によるリスク推定を行っている。
ウ 研究結果
白血病,胃がん,大腸がんの死亡,甲状腺がんの罹患(発生)について,性別,被爆時年齢・線量別の,女性乳がんについては,被爆時年齢,線量別の寄与リスクが求められている。肺がんの死亡については,被爆時年齢の影響を受けていないとして,性別,被曝線量別の寄与リスクが,肝臓がん,皮膚がん(悪性黒色腫を除く),卵巣がん,尿路系(膀胱を含む)がん,食道がんについては,まとめて寄与リスクが計算されている。なお,A1論文においては,がん以外の疾患として,副甲状腺機能亢進症,肝硬変及び子宮筋腫についても寄与リスクが求められている。
(2) 原因確率論に関する当事者の主張の要約
ア 原告らが主張する原因確率論に関する批判の要点は以下のようなものである。
[1] 放影研の疫学調査非曝露群を対照群として設定せずに曝露群同士を比較していること
[2] 放影研の疫学統計は,線量別被嗜者群,非被爆者群の設定にDS86を用いているが,DS86の被曝線量推定は信頼できないものであり,特に,遠距離被爆者や入市被爆者等真実は被爆者であるにもかかわらず,非被爆者(非曝露群)として扱われていることがあり,回帰分析が正確にされるための条件が欠け,内部被曝や低線量被曝固有のリスクを見逃してしまうこと
[3] ガンマ線と中性子線の生物学的効果比が考慮されていないこと
[4] 調査開始(1950年)までの被爆者の死亡による影響や当時の被爆者に対する社会的な迫害により,特に病気がちの者あるいは急性症状の経験のある者の被爆に関する申告が抑制されたことを考慮していないため,放射線の影響に対する抵抗力のある健康な被爆者のみが選択された可能性が強いこと
[5] A1研究の寄与リスクは,乳がんと甲状腺がん以外のがんについては,死亡率調査を基礎として算定されているが,その死因は死亡診断書によるものであるところ,死亡診断書には相当の割合による誤分類がある上,死亡率よりも発生率の方が高いとすれば,生存する被爆者に死亡調査の結果を適用することは誤りであり,現に19のがんのうち,過剰相対リスクが死亡率調査の方が高いものは,食道,胆嚢・胆管,子宮頚部と子宮の3つだけであって,固形がん全体では,死亡率調査の過剰相対リスクに対して発生率調査のそれは1.5倍以上も高くなっていること
[6] 最近更に広い範囲の放射線の人体に対する非特異的な加齢の影響,すなわち,放射線ががんのみならず,多くの疾病の発症を促進していることが明らかとなっており,原因確率を発症の促進の観点から捉えるべきであること
[7] 現在原爆放射線による影響につき統計学的有意性が認められていない疾病について将来有意性が認められる可能性があること
[8] 放影研の疫学調査は,統計を用いた疫学の方法に由来した限界から,こうした疾病と関連する可能性がある特性(被爆状況,入市状況,急性症状の有無,被爆後の状況)が捨象されていること
[9] 寄与リスクは,ある要因の集団(社会)全体に対する影響を表すものであって,個人に対する影響を表すものではないのに,A1研究は,個々の被爆者の疾病の「原因確率」も寄与率と等しいとの結論を導いているが,放射線抵抗力(又は放射線感受性)は個人によって異なる上,寄与率が低い場合に,個々の被爆者の疾病が放射線の作用と無関係に,専ら他の要因だけの作用で発症した等という根拠はなく,放射線が当該疾病の発症時期又は進行を直接又は間接に促進するものであった場合は,たとえ寄与リスクや相対リスクがいかに小さい場合でも,放射線によって発症した被爆者の比率はずっと大きくなること
以上のような原告らの主張に関しては,これを支持する学者らの意見が提出されているほか(証拠<省略>),その他にA1論文は,最近10年間の死亡率や発生率の増加が反映されていないこと,寄与リスクと相対リスクは本質的に同じものであって,リスク判断のために寄与リスクに換算する必要はないし,寄与リスクを用いることで感覚的にリスクの大きさを誤認させる危険があること等が指摘されている。
イ 被告らのこれらの点に関する主張を要約すると以下のとおりである。
[1] ある疾病が放射線に起因するものであることをその疾病自体から判断できるような特異性のない疾病に関し,大規模で,極めて精度の高い放影研が行った疫学調査に基づく原因確率を用いて放射線起因性の判断をすることには合理性があること
[2] 非曝露群を設定すると,曝露群との間において,曝露因子以外の要因の分布が大きく異なることが少なくなく,疫学調査の方法としては重大な問題が発生する可能性があるが,放影研の疫学調査においては,ポアソン回帰分析によって曝露要因ゼロ(被曝線量ゼロ)のときの死亡(罹患)率の値を推定し,これと任意の曝露要因量(任意の被曝線量)での死亡(罹患)率の増加割合を推定することによって,より正確な相対リスク等を算出しており,このような内部比較法には合理性があること
[3] 残留放射能や内部被曝に関する原告らの主張は何ら実証されておらず,また,推定被曝線量の絶対値が生物学的効果比を用いることによって変化したとしても,コホート集団である原爆被爆者における死亡率等の事象に変化が生じないのであるから,吸収線量を用いたときと生物学的効果比を用いた等価線量を用いたときとによって原因確率の値は変わらないこと
[4] 原爆症認定は,その時点における科学的知見に基づいて判断するほかなく,現在原爆放射線による影響について統計学的有意性が認められていない疾病について将来有意性が認められるようになる可能性があるとしても,その可能性の存在だけで原爆症の認定をすることは誤りであること
[5] 1950年以前の正確なデータを得ることは不可能であり,1950年以降のデータを基礎としたからといって,直ちに放影研の疫学解析の信頼性が失われるわけではないし,放影研の疫学研究の手法からすると,原理的には1950年以前のデータが得られなかったとしても,リスクの変動は生じず,また,被爆者として名乗り出ることにちゅうちょを感じて被爆の事実を申告しなかった者がいるとしても,放影研の調査の期間及び規模からして,そのことが調査の結果に影響を与えることはないこと
[6] 放影研の調査は,死亡調査のみならず発生率の調査も行った上で,誤差があり得ることを認識した上で信頼区間を求め,高い割合で信頼できる結果について報告・発表していること
[7] 疫学的検討においては疾病と放射線被曝との(疫学的)因果関係が推定できるかどうかを検討するが,これは飽くまで放射線に被曝することで疾病の発症率が増加する可能性があることを示すにとどまり,原因確率も,放射線と疾病との関係を定量的に評価するための尺度であって,当該被爆者の疾患が放射線に起因する可能性についての割合を直接示すものではなく,原爆症認定の審査に当たっては原因確率のみならず,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案した上で,総合判断していること
(3) 審査の方針及び原因確率論に関する評価
放影研の疫学調査の問題点に関しては,前記第4,3(4)で指摘したとおりであって再度詳しく述べることはしないが,対照群に含まれるこの多い遠距離被爆者や入市被爆者が放射線に被曝している可能性のあること,残留放射線の影響が過小に評価され,内部被曝の影響が考慮されていないこと,健康な被爆者が選択された可能性のあること等一定の問題をはらむものであることは原告らが指摘するとおりである。
また,審査の方針で採用されている原因確率は,放影研の1950年から1990年までがんによる死亡率調査と,1958年から1987年までのがん発生率調査に基づいて算定されたものであるが,先にみたとおり,放影研のその後の調査も含めれば,原爆放射線被曝ががん及びがん以外の疾患による死亡率に有意で継続的な影響を与えていることを明確に示し,炎症マーカーに関する研究でも1グレイの放射線被曝は約9年の加齢に相当し,放射線被曝が加齢による炎症状態の亢進を更に促進しているかもしれないことが報告されていること等の点は考慮されていない。
被告らは,原爆症認定申請の審査に当たっては,原因確率のみならず,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案していると主張し,審査の方針でもその趣旨の定めがされている。しかし,実際にこのような原因確率以外の要素がどのように,どの程度で考慮されているのかは明らかではない。この点,原因確率が低いとされる被爆者について放射線起因性を認めた他事件における,医療分科会長及び同代理の連名による意見書(証拠<省略>)をみると,ほとんどの被爆者について,原因確率が低いことから放射線起因性がないとするのみで,それ以外に当該被爆者の個別事情について何らの言及がされておらず,医療分科会では,DS86による推定被曝線量がごく低線量であったり,ゼロ線量である被爆者については,それだけで起因性なしとの判断がされ,その他の事情は全く考慮の余地がないとする扱いがされているものと考えられる。しかし,先にみたとおり,残留放射線による被曝や内部被曝は,被爆者に対してDS86による推定を超えた被曝をもたらしている蓋然性が高いと考えられるから,残留放射線の影響について長崎の西山又は木場地区(広島では己斐又は高須地区)に滞在し,ないし長期に居住していた場合にのみわずかばかりの線量を考慮するにすぎず,他の地区における残留放射線の影響や内部被曝の影響を全く考慮しない審査の方針による扱いは,放射線起因性の審査の基準としては不適切というほかない。
また,原因確率は,寄与リスクに準拠して求められていると認められるところ,寄与リスクはATR=ERR/(1+ERR)として求められる。
ところで,被爆者1000人を10年間観察した場合であるがんの死亡者数が被曝者でa人,非被爆者b人の場合の寄与リスクは,以下のとおり定まることとなる。
file_16.jpgAR a RR (a/10000) / (b//10000) =a /b ERR a/b-1 ATR (a/b-1) / (1+ (a/b-1) ) 100 = (a/b-1) / (a/b) x100 = (a/b-1) x (b/a) x100 = (1-b/a) x100以上のとおり,寄与リスクは,結局のところ,相対リスク(RR:a/b)に依存し,被曝群と対照群の発生数の多少をパーセント標記したにすぎないものであると認められる。また,被曝群の発症数をxbとすると,寄与リスクは,(1-1/x)×100との反比例関数で標記される。したがって,被曝群と対照群との発症数が比例的に大きくなるほど,寄与リスクは反比例的に小さくなり,逆に比例的に小さくなるほど寄与リスクは大きくなる結果になる。
すなわち,原因確率が50パーセントとは,要するに被曝群で対照群の2倍の患者数があるということであり,原因確率が10パーセントとは,被曝群で対照群の10/9倍の患者数があるということにすぎないところ,原因確率が10パーセント,すなわち,被曝群の発症数が対照群の10/9倍の場合には何故放射線が症状の発症に寄与していないといえるのか,その根拠が明らかにされているとはいい難い。また,原因確率が結局は,被曝群と対照群との疾患の発症数の差にすぎないと認められるにもかかわらず,寄与リスクは,上記のとおり,被曝群と対照群の差異は反比例的に表示される(証拠<省略>)。そうすると,被曝群と対照群の絶対数を観測することはできず,一定の統計的処理される必要があるところ(証拠<省略>),部位別の症例数など症例数が少なく,信頼値の幅が大きい場合には,その誤差が寄与リスクとした場合に大きく表現されている危険性がある。
第6起因性の判断について
以上述べたようなDS86,審査の方針(原因確率)の問題点に鑑みると,被爆者の疾病の放射線起因性の有無に関しては,DS86により推定されている初期放射線量や放影研の調査結果も考慮しながら,被爆地点及び被爆状況,被爆後の被爆者の行動,放射線急性症状と類似する症状の有無や程度,既往歴,近辺にいた家族などの状況,生活歴,当該認定申請疾病の内容や発症の経過等を総合的に考慮した上,当該疾病の発症,増悪,治癒の遷延に放射線が関与してか否かを判断すべきであり,この場合,当該疾病の発症,増悪,治癒の遷延が放射線以外の原因に基づくことが明らかな場合でも,放射線もその発症や促進に影響を与えていることが合理的に推認できる場合には,放射線起因性を肯定すべきであり,当該疾病の発症,憎悪,治癒の遷延に放射線が関与していることに否定的な知見がある場合でも,その疾病を含む上位グループの疾病について放射線の関与を肯定する知見がある場合には,前記の問題点をも考慮して,当該疾病と上位グループの疾病とで区別すべき合理的有無の理由があるか否かを慎重に検討し,上位グループの疾病と同様に判断できる場合には,放射線起因性を肯定すべきものと解される。
第7個別の原告の申請疾病の放射線起因性と各処分について(なお,本章では,長崎県の表示及び昭和20年の出来事についての年の記載を省略し,個別原告の記載においては,原告の氏名の標記を省略して単に原告と記載している。また,調査嘱託結果については,診療機関名を付して引用する。)
1 X1(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市坂本町(爆心地から0.6ないし0.65キロメートル)
被爆時年齢 16歳(昭和3年○月○日生)
申請疾患 ガラス摘出後遺症
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
(ア) 原告は,昭和20年4月,長崎市坂本町の長崎医科大学附属厚生女学校(のちの長崎大学医学部附属高等看護学校)に入学し,同学校の寄宿舎に居住して看護婦養成のための教育を受けていた。
(イ) 原告は,原爆の投下時は,同医科大学附属病院眼科病棟で使用済みのガーゼ等を校庭で煮沸消毒する作業に従事しており,使用済みガーゼ類を洗面器に入れて校庭に出るため研究室の戸口付近に至った時に被爆した。原告の左手のガラス戸が開け放たれていたため,直接原爆の熱戦を浴びることとなった。
(ウ) 原告は,閃光と同時に両手で顔を覆ってその場にしゃがみこんだが,猛烈な爆風によって戸口から5メートルほどのところにあった教授が作業をしていた机の近くまで吹き飛ばされていた。上記教授は,即死した。
室内は一瞬にして飛び散った窓ガラス片,木片,戸棚のガラス戸やビン類の破片,吹き飛んできた小石や瓦の破片,大小の木切れ,小枝,室内の備品,文書類が散乱し粉塵が立ち込めていた。原告は,室内から外へ這うようにして逃げようとしたが,床が崩れ落ち,床に散乱したガラス片などとともに階下の部屋に落下した。原告は,しばらく気を失っていたが,気がつくと出火したらしく煙が立ちこめており,別の出口から外に出て裏の山手側にある通称穴弘法という洞窟に避難しようとした。
原告は,逃げる途中,痛みにより頭部,耳付近,腕,胸部,腹部,臀部,足等全身にガラス破片が突き刺さり,血が滴り落ちているのに気がついた。逃げながら,4,5センチメートル大のガラス片の幾つかを自らの手で引き抜いた。
穴弘法への途中,両目に傷害を負った前記医科大学のA10医師と出会い,2人で穴弘法に避難し,原告は,そこでA10医師から幾つかのガラス片を引き抜いてもらった。原告とA10医師は,その日のうちに長崎市西山町へ山越えして逃げ,A10医師の下宿近くの防空壕に避難し,同所で3日間を過ごした。
(エ) 防空壕での3日間は,逃げる途中の畑で拾った胡瓜を食し,防空壕近くの畑のそばの川の水を飲んですごした。
その間,原告は,相当回数のおう吐と下痢をした上,ガラス片の刺さった部分はズキズキと疼き,ガラス片を抜いた部分の傷口からは出血がいつまでも止まらなかった。
その後,原告は,西彼杵郡三和町(現長崎市)の母の実家に身を寄せ,その約1週間か2週間後,船で福江市(現五島市)の実家へ戻った。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は既往症はなく健康体であったが,被爆後1週間から2週間後(三和町の実母の実家に身を寄せていた間)に全身にむくみが出た。
特に両足のむくみがひどく,股を広げなければ歩けないほどであった。また,福江市の実家に戻って2週間くらい経ったころ(同年9月初旬ないし中旬ころ)脱毛があった。髪を梳かした時,ごっそりと抜け落ち,ピーク時には全体の約3分の2が脱毛した。全身,特に両足のむくみは続き,約2か月間おりものがあった。
なお,昭和32年6月に作成された原告の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)では,おう吐,脱毛,皮下出血,鼻血は少々,38度から39度の発熟がいずれも被爆当時から半年後まであったとされ,下痢はなしとされている。しかし,上記のような状況で下痢がなかったとは考えにくく,被爆後の症状に関する原告の供述は信用できる。
ウ その後の状態
(ア) 被爆後,前記の体のむくみや疲れやすい,体力がないという状況が続いたため,原告は,福江市のb1医院に入院した。昭和23年には,就職したものの,半年ごとにb1医院を受診して内服薬の処方をうけていたが,疲れやすく医師から白血球が少ないと指摘されたため,再び福江市に戻りb1医院に入退院を繰り返す生活となった。
原告は,昭和30年ころ,病院内の売店で働くようになったが,右下腹部にズキズキする痛みがあったため,外科手術により同部のガラス片を摘出した。その際ガラス片のそばにあった虫垂も切除したが,同手術時の術創が術後約3年間塞がらなかった。医師からは白血球が不足しているため傷が治りにくいのだと言われた。
昭和58年ころ,福江市のb2外科で右耳後部のガラス片の摘出手術を受けた。摘出したガラス片の大きさは1ないし2センチメートルあり,鼓膜近くに達していた。摘出後も同部の痛みは続いている。
(イ) X1は,現在も次の部位にガラス片が残存し,若しくは摘出部の痛みがある。
右耳介後部 3センチメートルの傷(調査嘱託結果では記載なし。)
口辱 1センチメートル大のガラス片残存
右乳房 1センチメートル大のガラス片残存(調査嘱託結果では記載なし。)
右下腹部 2センチメートルの傷跡
右腎臀部 5センチメートルの傷跡(調査嘱託結果では記載なし。証拠<省略>に記載あり。)
右足首 3センチメートルの傷跡(調査嘱託結果では記載なし。)
右前腕 5センチメートルの傷跡3か所
3センチメートルの傷跡3か所
(調査嘱託結果では,ほかにケロイド形成の記載あり。)
左手首 3センチメートルの傷跡
左手 2センチメートルの傷跡
頭部 小片数個残存(調査嘱託結果では記載なし。)
上記のうち右腎臀部から右大腿部にかけての摘出後の痛みは顕著で,長時間椅子に腰掛けることができず,また痛みのために夜中に目が覚めることもある。20分以上歩くと痛みが増強し,痛みの激しい時は膝までひびき横にもなれず,足も動かせなくなることがある。また,右下腹部のガラス摘出後の傷跡及びその周辺部には現在も痛みとむくみがある。なお,嘔吐しやすい状態か続いており,内服薬は十分に服用できない。
このような症状から,原告は,平成18年1月当時,五島市の整骨院等に通院して痛みの治療を受ける等している(なお,原告は,b3病院で平成18年12月に進行膵がん及び閉塞性黄疸と診断され,胆管ステント留置がされ,化学療法を受けている。)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成10年3月12日に,b3病院のA11医師の「原爆の影響と思われる」との意見書(証拠<省略>)を添付して,「被爆時によるガラス摘出後遺症」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>)平成11年3月30日に,現に医療を要する状態にあると認められないとして申請を却下され(証拠<省略>),同年5月26日に異議申立てを行ったが(証拠<省略>),平成15年1月22日に異議申立てについては,原子爆弾の放射線起因性に係る高度の蓋然性が認められないとして棄却された(証拠<省略>)。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は,22.666グレイ程度と一応推定されることになるが,実際の被曝線量は数グレイにも満たなかったと考えるべきであり,原告のおう吐,下痢,脱毛などの症状は原爆放射線による急性症状ではなく,不衛生,感染,栄養不良による身体的症状やストレスによる心身的症状であったとみるのが自然であること,原告のガラス摘出後遣症は,単に外傷後の瘢痕が残存するという程度のもので,そのような後遺症の存在すら認めることができないこと,また,その症状が放射線の影響によりどのような機序で生じたとするのか全く不明であって,治癒能力の低下等を示す所見も認められないから,放射線起因性を認めることはできず,要治療性も認めることはできないことを主張している。
イ しかし,上記認定のとおり,原告にはガラス摘出後の痛み等が持続し,部位によってはその痛みは著しいものであって,原告について単に外傷後の瘢痕が残存している程度などという評価はできず,原告にはその主張のような後遺症が残存していることが認められる。
また,審査の方針によっても,原告の被爆距離における遮蔽を考慮しない直接被曝線量は最低でも40グレイ程度とされており,上記認定のような被爆の態様(建物の出口から出ようとしていた状況で窓が開いていた。)からすれば,建物による遮蔽の効果も大きなものとは考えられない。また,原告は,その後西山地区も含めて被爆地近くに数日間とどまり続けており,残留放射線の被曝や内部被曝も相当程度被っているものと推定される。そして,原告に発症した上記認定のような症状を考えれば,原告が浴びた放射線量は極めて大きなものであったと認めるのが相当である。
この点,被告らは,原告のおう吐,下痢,脱毛などの症状は,不衛生,感染,栄養不良による身体的症状やストレスによる心身的症状であったとみるのが自然であると主張するが,上記認定のような事実からすると,原告に現れたおう吐,下痢,脱毛,皮下出血,白血球の減少,むくみ等の症状は,原爆放射線の被曝を直接の原因とするものというべきであり,この点に関する被告らの主張は採用することができない。
ウ ところで,原告が被った多数のガラス片による傷害と,その傷害による後遺症の残存は,直接には原爆の爆風等に起因する外傷であり,それ自体は原爆放射線に起因するものとはいえない。しかし,原告が浴びた原爆放射線が多量であり,被爆後にガラス片の剌さった部分はズキズキと疼き,ガラス片を抜いた部分の傷口からは出血がいつまでも止まらなかったことや,昭和30年ころ,外科手術により腹部のガラス片を摘出するとともに,ガラス片のそばにあった虫垂も切除した際,術創が術後約3年間塞がらず,その時に白血球が不足していると指摘されたこと等を考えると,原告の治癒能力が放射線によって障害されていたことが容易に推認できる。そして,原告が訴えるガラス摘出後の痛み等の持続は,このような治癒能力の低下に基づくものと推定され,原告のガラス摘出後の痛みなどの後遺症は,原爆放射線に起因するものと認めることができる。
(5) 要医療性上記認定のところからすると,原告のガラス片摘出後の痛み等に関しては,疼痛の緩和その他の対症療法を行うことが必要で不可欠であることが明らかであるから,原告のこの傷害が現に医療を要する状態にあると認められる。これに対し,被告らは,原告について,b3病院等で治療の必要性がないとされていることから,要医療性が認められないと主張しているが,前記のとおり,原告は,平成18年12月以降はb3病院で現在膵臓がんでの化学療法(抗がん剤療法)を受けている状況にあり,医師による全身観察下にあることからすると,b3病院やb4外科の回答にガラス摘出後遺症のみの治療予定が記載されていないとしても不自然ではなく,上記判断を左右するものではない。
2 X45(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市稲田町(爆心地から約4.0キロメートル)
入市 8月9日,8月16日か17日
被爆時年齢 13歳(昭和6年○月○日生)
申請疾患 大腸癌(転移性脾腫瘍)
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
(ア) X45は,被爆当時,家族とともに長崎市稲田町の自宅で暮らし,勤労報國隊に入隊して長崎市茂里町の○○で働いていた。被爆当日は,警戒警報が鳴ったので,自宅に戻って弟2人を含む付近の4,5人の子ども達と一緒にセミ取りに出かけていたが,自宅前の路上で爆心に背を向けた道ばたの木でセミが鳴いているのを見ているときに被爆した。周りがピカッと光り,すぐに猛烈な風(爆風)が吹き抜け,屋根瓦やガラスが割れて飛んで来た。X45は,急いで自宅に入ったが,障子やタンスが倒れており,すぐに,母,弟2人,妹2人と一緒に,近くの海星高校グラウンドにあった防空壕に避難し,父も,昼過ぎには帰って来た。
(イ) しかし,兄が○○から帰ってこないので,心配した父はX45を連れて兄を捜しに○○に向かった。原告らは,井樋の口(今の長崎市銭座町付近,爆心地から約1.9キロメートル)までたどり着いたが,そこから先は火の海であり,それ以上進むことができなかった。その間,普通なら歩いても片道40分くらいの距離を,往復3,4時間かけて歩いた。
(ウ) 昭和20年8月16日か17日,X45家族はX45の父の郷里である島原市に疎開することとし,X45は,父とともに歩いて爆心地を通って国鉄道の尾駅まで切符を買いに行った。このとき,X45は,爆心地を往復2回歩いて通っている。
それからまもなくして,X45家族は,国鉄で島原に疎開した。兄は,疎開後に脱毛が起こり,同年9月8日に死亡した。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X45は,被爆前,健康には何ら問題はなかったが,いつのころからか,歯ぐきが腫れて出血するようになり,また,島原へ帰ってから,下痢も続いた。歯ぐきの腫れは,その後生涯続いた。
被爆後,気温の低いときやけがをしたときなど,それまではなかった振頭が表れるようになり,健康状態に不安を感じながら生活をしてきた。
また,昭和22年ころ扁桃腺手術,昭和26年ころ左蓄膿手術,昭和28年ころ左蓄膿手術と入院を繰り返していた。
ウ その後の状況
(ア) X45は,平成5年ころ下腹部に張りを感じ,b5病院を受診したが,特段の異常所見は発見されなかった。しかし,その後も,同様の症状が続き,平成7年b6医院を受診した上,b7病院とb9医院で検査を行い,大腸のがん(結腸がん)が発見された。同年2月20日,b10病院において,上行結腸がんに対して,右半結腸切除術を受けたが,平成10年秋にも,下腹部の張りと痛みを覚え,同年12月29日b11病院において腸閉塞の診断で入院した。約1週間で退院できたが,その後も,同様の症状が続き,b9医院で通院治療を受けていたところ,約2か月後の平成11年3月31日,それまでとは違う痛みを感じ,b11病院に入院して検査を受けたところ,がんの再発が発見され,同年4月9日,結腸切除,十二指腸切除,腎摘出手術を受けた。
(イ) さらにX45は,同年8月通院治療を受けていたb9医院でCT検査を受けたところ,異常所見があるとしてb11病院を紹介され,検査の結果脾臓にがんが転移していることが分かり,同月28日,脾摘出手術を行った。しかし,平成14年11月には,腹部(胃,腸)にがんが見つかり,同月7日,b11病院で手術を受けた。しかし,除去することができなかった。
(ウ) X45は,その後は,入退院を繰り返し,平成15年5月26日に死亡した。
エ X2はX45の妻であり,X3,X4,X5はX45の子である(弁論の全趣旨)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X45は,平成12年11月27日に,b11病院A12医師の「今回は脾移転を認めており,非常にまれな転移様式である。原子爆弾による癌免疫能の低下,又は発癌が考えられる」との意見書(証拠<省略>)を添付して,「大腸癌(転移性脾腫瘍)」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成13年11月5日に放射能起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),平成14年1月9日に異議申立てを行ったが(証拠<省略>),本訴申立後の平成15年5月26日に,放射線起因性がないとして異議申立ても棄却された(証拠<省略>)。
(4) 起因性
ア 被告らは,X45の被曝線量はほぼ0グレイであると主張する。
X45の被爆距離からすると,X45が人体に影響が出る程の初期放射線を浴びたとは考えにくい。しかし,X45は被爆後爆心地から約1.3キロメ一トル付近まで近づき,原爆投下から7,8日後,爆心地を2回通ったことにより,一定程度の線量に達する残留放射線に被曝した蓋然性が高く,また,内部被曝を被った可能性もある。
イ 放影研の調査によると,X45の申請疾病である大腸(結腸)癌は,LS10報(証拠<省略>)において有意な線量反応が認められたと報告され,その報告以後,現在に至る死亡率調査,発生率調査のいずれにおいても放射線との関係が認められている。「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(平成7年。証拠<省略>)によると,1SVの被曝の場合の過剰相対リスクは0.72(95パーセント信頼区間は0.29から1.28)であり,同調査においては,すべての消化器がんの中でもっとも高い推定値となっている。
ウ 以上のとおり,X45が一定程度の線量に達する残量放射線に被曝した蓋然性が高く,内部被曝を被っている可能性があって,その申請疾病である大腸(結腸)がんと放射線との関連が明らかにされていることにかんがみると,X45の申請疾病である大腸(結腸)がんは原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
平成7年に大腸がん(結腸がん)を発症して以後,その再発,転移を繰り返し,死亡に至るまでその治療を受けていたのであるから,本件処分時においてX45の上記疾病が現に医療を要する状態にあったことは明らかである。
3 X6(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市茂里町(爆心地から約1.2キロメートル)
被爆時年齢 16歳(1928年(昭和3年)○月○日生)
申請疾患 両変形性膝関節症,両変形性足関節症
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時,爆心地から1.2キロメートルの長崎市茂里町の○○工場に動員されて魚雷の部品の仕上作業に従事していた。
原告は,原爆が投下された昭和20年8月9日も上記工場に出勤していたが,午前中に空襲警報が発令されたため,いったん山王神社の防空壕に避難し,警報が解除された後に再び上記工場の2階の仕事場へ戻り,作業にかかろうとしていたところに原爆が投下された。強い光を見た原告は,反射的に床に伏せたところ,その直後に建物が激しく揺れたことを覚えているが,それからしばらく気を失っていたようであり,気がついた時には,2階の床は割れ,両足大腿部が床板に挟まれた状態で,2階の床から1階にさかさまにぶら下がっていた。原告の左大腿部は骨折し,右大腿部は肉をけずられていた。
原告は,階下にいた人に降ろしてもらい,その人におぶさって門外に出て,通りかかったトラックが大学病院方向に行くということからこれに乗せてもらったが,50ないし100メートルほど進んだところその先は火事が発生していて進めなくなり,やむなくトラックの下で一夜を過ごした。
原告は,翌日もその場で動けないままであったが,知り合いが救護に来たため,家族に原告の状態を知らせて欲しいと頼んだ結果,夕方になってようやく母と長姉がリヤカーで迎えに来てくれ,家に帰ることができた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は何の病気もなく健康であったが,被爆後1週間くらいすると,右足の裂傷が化膿し,38度くらいの発熱があり,食欲がなくなり,下痢・脱毛の症状が出た。また,原告は,それから約7か月の間生理が止まった。
ウ その後の状況
(ア) 原告は,昭和20年11月にb12病院に入院し,そこで合計7回の手術を受けて昭和23年10月に退院した。退院後は自宅で療養に励み,昭和27年ころにはようやく杖なしで歩けるまでに回復した。しかし,原告の膝は変形し,右膝は65度まで,左膝は43度までしか曲がらない状態で固定し,平成9年8月29日にb13病院で両変形性膝関節症,両変形性足関節症と診断された(診斯について証拠<省略>)。
(イ) 原告は,その後織物を作る仕事などをしていたが,昭和32年に「被爆者の店」の従業員として稼働するようになった。しかし,昭和42年ころ,ABCCで貧血と診断され,薬を服用するようになったが,症状が悪化し,坂を上がると動悸,息切れを来すようになったため,昭和43年に被爆者の家を退職した。更に昭和53年ころに放影研で腹部に動脈瘤があると診断され,以降b11病院第3内科で毎年1回定期検診を受け,平成元年9月に,外陰腫瘍のためb11病院産婦人科で手術を受け,同年12月に退院した。この入院期間中に,不整脈と高血圧の症状がみつかり,同病院第3内科での治療と投薬を受けている。平成8年11月には,放影研で甲状腺の機能低下症と診断され,この疾病については平成12年1月14日に原爆症認定申請を行い,平成15年6月2日に原爆症と認定されている(証拠<省略>)。
また,平成13年6月ころ,右上唇の上の皮膚部分に腫れ物が出たため診察を受けたところ,皮膚がんと診断され,同年11月1日に手術を受けた。皮膚がんについても平成14年7月1日に原爆症の認定を受けている。
両変形性膝関節症については,平成9年になって痛みを感じるようになったため,原告は,同年8月からb14整形外科を受診し,同医院の紹介で同月29日にb13病院整形外科を受診して入院となり,リハビリを受けた上で,同年10月4日に退院した。同病院におけるX線検査の結果では,左大腿骨の短縮(右に比べて6センチメートル),両膝及び両足関節の関節裂隙の狭小化,変形,軟骨消失が認められている。退院時看護サマリー(証拠<省略>)では,退院後症状(右膝部痛,腫脹及び熱感)増強のおそれあるとされ,また,医師の所見として右膝側方不安定性を有するために痛みをとる目的で人工関節か間接固定術などを行うこともあるとされ,原告は,その後も通院による治療を受けている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成12年11月27日に,b13病院整形外科のA41医師の意見書(証拠<省略>)を添付して,「両変形性膝関節症,両変形性足関節症」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成13年11月5日に放射能起因性を推定することは困難であるとして申請を却下された(証拠<省略>)。平成11年1月12日に異議申立てを行ったが(証拠<省略>),本訴申立後の平成15年8月19日に放射能起因性がないとして異議申立ても棄却された(証拠<省略>)。なお,原告の甲状腺機能低下症についても,当初申請が却下されたが,原告の異議申し立てに基づき,放射能起因性があり,医療の必要性があるとされている(証拠<省略>)。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は,初期放射線量(透過係数を乗じたものである)は2.254グレイ程度と一応推定されることになるが,実際の被曝線量はこれを大幅に下回ること,原告にみられる下痢,脱毛,生理不順の症状は,その被曝線量や症状経過等からみて放射線による急性症状とは断定ができないこと,変形性関節症が加齢に伴ってかなりの確率で観察され,両変形性膝関節症及び両変形性足関節症については,放射線との関連性を裏付ける科学的知見がない疾病であり,その関係を否定するのが今日における放射線学の常識であるとした上,原告の上記障害の原因は加齢や,加齢にともなう筋力の低下等によるものであると主張している。
イ 原告は,爆心地から1.2キロメートルで被爆したものであるから,その距離における初期放射線量はおよそ322.9センチグレイ(3.229グレイ)と推定され,建物による遮蔽を考慮してもかなりの線量の放射線を浴びたものと考えられる。また,被爆後上記被爆地点とさほど離れていない場所で翌日の夕方までトラックの下で寝ていたのであるから,その間に残留放射線を浴び,また,その後内部被曝を被った蓋然性も高い。そして,原告には,被爆後脱毛,下痢,生理不順などの症状が出ており,これらは放射線被曝に伴う急性症状とみるのが自然であって,原告が浴びた放射線量は総じてかなり高いものであったと考えられる。原告が罹患した甲状腺機能低下症及び皮膚がんについては,原爆症認定を受けていることは前記認定のとおりであり,このことも上記のような認定を裏付けるものである。
ウ 原告が原爆投下によって被った傷害は,左大腿部の骨折と右大腿部の裂傷という外傷であり,左大腿骨の骨折や右大腿部の裂傷自体は原爆の放射線によるものといえないが,その後の治療及び症状経過をみると,被爆後約3年間の入院期間中に計7回の手術を受けているところ,その治療や症状の経過は必ずしも明らかではないものの,左大腿骨の骨折に対する最初の手術の後のレントゲン所見では,骨折部位がつながらないままであるにもかかわらず,医師は「もういい」として治療を諦めかけたことが認められ(証拠<省略>),骨折部位の癒合が極めて遅れていたことを窺うことができる。骨折部位は,通常次第に骨芽細胞が増殖し,血管が新生して癒合していくものであるが,上記のような治癒の遷延は,同原告が当時若年であったにもかかわらず,骨芽細胞の増殖や血管新生が遅延した結果である蓋然性が高く,また,明確ではないが傷口の治癒が免疫機能の低下によって遅れたことも上記のような治癒の遷延につながった可能性も否定できない(証拠<省略>)。したがって原告の申請疾患である両変形性膝関節症,関変形性足関節症は,上記傷害による左大腿骨の短縮や右大腿部の裂傷の治癒の遅れ等によって上記各関節が固定されたり,過剰な負荷がかかったこと等の結果発症したものと認められる。これに対し,被告らは,原告が加齢によって変形性膝関節症等を発症したと主張し,平成9年になってからA20医師及びb13病院での治療を受けるようになったとの経緯は時間の経過が影響していることは認められる。しかしながら,b13病院整形外科のA41医師は,両下肢を原爆で受傷し,そのため両膝の可動域制限が生じ,両膝が変形したために上記各疾患が生じたとする意見書を提出している(証拠<省略>)。したがって,上記疾患が,被告らが主張するように加齢に伴ってそれのみを原因として発生したものでないことは明らかであり,A41医師が指摘するような両膝の変形等には前記のとおり,放射線の影響が関与していると認められるから,原告の上記症状について放射線起因性があるとの蓋然性が高いと認められる。
そして,骨折箇所への放射線被曝は,骨芽細胞増殖をおさえ,また血管の新生を妨げるという知見もあるようであり(証拠<省略>),このような骨芽細胞の増殖や血管新生の遅れ等については,原爆投下後数か月の間,原告が医療機関を受診できない状態にあったことを考慮しても,放射線が関与していたことを強く裏付けるものといえる。
なお,このような治癒の遷延がなくとも,原告が負った外傷によってその両足,両膝の関節に何らかの後遺障害を遺した可能性は否定できないが,治癒の遷延がなければ,現在原告が負っている上記障害の程度はより軽度のものとなった蓋然性は高いものと考えられる。したがって,原告の負っている上記各障害は,原爆放射線の影響で左大腿骨の骨折などの外傷の治ゆ能力が影響を受け,そのことも原因となって発症したものと推定することが相当であり,したがって,放射線起因性を認めることができる。
(5) 要医療性
b13病院においては,原告に関して退院後に症状(右膝部痛,腫脹及び熱感)増強のおそれあるとされ,また,医師の所見として右膝側方不安定性を有するために痛みをとる目的で人工関節か間接固定術などを行うこともあるとされ,その後も通院による治療を受けているのであるから,原告の上記各疾患は,現に医療を要する状態にあるというべきである。
4 X7(証拠<省略>)
(1) 概要
母の被爆地点 西泊町又は国鉄長崎駅と長崎市栄町の間(爆心地から4.5キロメートル又は2.4ないし3.4キロメートル)
被爆時年齢 胎児被爆(昭和20年○月○日生)
申請疾患 十二指腸乳頭部腫瘍
(2) 原告の個別事情
ア 母A13の被爆状況
(ア) 原告は,昭和20年○月○日生まれであり,被爆当時,母であるA13の胎内にあった。
(イ) 原告は,最終的には,A13が昭和20年8月9日に佐世保から汽車で長崎に着いてA13の実家である長崎市西泊町まで行く途中の船待ちの時間にその実姉であるA14が住む長崎市栄町(又は魚の町)に行こうと思って,長崎駅から栄町方面へ向かって歩いていたところ,長崎駅前から五島町,大波止の中間くらいの地点で被爆し,また,A13は,上記栄町(あるいは魚の町)に住んでいた姉の家に被爆後も何度か(4,5回くらい)手伝いに行ったと供述している。
(ウ) しかし,A13の被爆者健康手帳交付申請書に添付の居所証明書(証拠<省略>,昭和32年6月9日作成)では,同人は原爆投下時に長崎市西泊町にいたものとされ,同町を住所とする証明人2人が記名ないし署名捺印をしており,また,原爆被爆者調査票(証拠<省略>)でも被爆地として同じ場所の木造家屋内(爆心からの距離約5キロメートル)とされている。
他方,原告が昭和50年9月6日付けで作成した被爆者健康手帳交付申請書(証拠<省略>)では,被爆当時は長崎市西伯町<以下省略>におり,被爆の日に1日爆心地付近に入市し,原爆投下当日に「県庁から今魚町から駅の方にあるいていた」「原爆が落ちたときに姉が魚の町にいた,爆風でやられたからその手伝いにいった」と記載がされていたが,平成15年3月6日付けの異議申立書(証拠<省略>)では,「両親は,佐世保から長崎駅に到着(9時前頃)し西泊町行きの船便を駅前広場で待っていた時に被曝,その日の船便で帰ったそうです」とされている。
原告は,A13の居所証明書や原告の被爆者健康手帳交付申請書における被爆地点が西泊町(爆心から4,5キロメートル地点)とされ,被爆地点が長崎駅前から大波止までの中間地点あるいは駅前広場とされなかった理由について,A13の居所を証明する証人がいなかったからと供述しているが,被爆当時の具体的な状況をA13からはほとんど聞いていないとも供述している。
(エ) 以上のとおり,かつてA13及び原告が作成した被爆者健康手帳交付申請書等に記載された被爆地点(西泊町)と,本件で原告が主張ないし供述する被爆地点とは全く異なる地点であり,また,最近作成された異議申立書(駅前広場)と本件で提出された陳述書あるいは本人尋問における供述(長崎駅前から五島町,大波止の中間くらい)との間にも食い違いがある。原告が胎児被爆者であることから,その被爆地点についてその記憶に基づいて特定ができないのはやむを得ないことではある。もっとも,原告の供述によれば,A13は,西泊までの船便まで時間があることから長崎駅から栄町又は魚の町に向かっていた旨聞いたと供述するが,何故長崎駅前からその南西の栄町又は魚の町付近に向かうのに,わざわざ一度南方の大波止方向へ向かったのか理解に苦しむ点がある。そうすると,上記のような証拠で直ちに原告が最終的に特定した「長崎駅前から五島町,大波止の中間くらいの地点」(爆心地から2.4ないし3.4キロメートル)を被曝地点と認定することは困難というほかない。結局,本件の証拠では,原告を懐胎したA13は,西泊町,駅前広場又は長崎駅前から大波止までの中間地点のいずれかの地点で被爆したと認定するほかない。そして,仮に被爆地点が爆心から最も近い2.4キロメートルの地点である場合には,初期放射線の線量は3センチグレイと推定され,また,A13が魚の町ないし栄町辺りの実姉の家に幾度が行ったのであれば,A13において残留放射線等に被曝している可能性はあるから,A13や原告の被爆後の健康状態も勘案する必要がある。
イ A13の被爆後しばらく健康状態
A13の原爆被爆者調査票(証拠<省略>)では原爆による急性症状欄は空白であり,原告もA13の健康状態についてはほとんど聞いておらず,急性症状があったことも聞いていないと供述しており,A13が放射線による急性症状と思われるような症状を発症していたことを認めるに足りる証拠はない。
ウ 原告の出生後の状況
証拠<省略>によると,原告は,永久歯が生えなかったり,32,3歳のころと44,5歳のころに髪の毛が抜けたことがあり,胃が弱く,腹部(胃の部分)を触られると不快感があり,軽く触れただけでも具合が悪くなることがあり,逆流性胃炎と診断されたことがあったこと,昭和53年には白血球過多になり,発熱したり,平成12年12月に腹痛で受診したところ,申請疾患である十二指腸乳頭部悪性腫瘍が発見され,平成13年2月22日に幽門輪温存膵頭十二指腸切除手術を受け,同年4月に退院し,その後も定期検診を受けていること,その後腹部不快感,背部痛,易疲労感が持続し,食事の摂取量が少ないこと,平成7年ころ,右足に静脈血栓の症状が現れ,長く歩けなくなり,そのころから,右足股付け根のリンパ腺が腫れるようになり,平成16年ころから右股関節に痛みが出るようになったことが認められる。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年7月15日に,b10病院消化器外科(第I外科)のA15医師の「原子爆弾との関係を明確に判断するのは困難です。関係がないとも断言できませんが。」との意見書(証拠<省略>)を添付して,「十二指腸乳頭部腫瘍」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成14年12月20日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),平成15年3月6日に異議申立てを行い(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
放影研の調査では十二指腸乳頭腫瘍を対象とした調査は行われていないが,前記のとおり,胃がんや大腸がんなどの消化器の腫瘍と放射線被曝との関係は有意なものとされており,十二指腸乳頭腫瘍も放射線被曝との間に有意な関係があるものと推定される。
しかし,前記のとおり,原告の母であるA13が原爆放射線に被曝した可能性は否定できないものの,A13自身には被曝による急性症状があったとは認められず,原告に認められる永久歯がはえない,脱毛,胃弱あるいは逆流性胃炎,白血球過多,右足の静脈血栓,右足股付け根のリンパ腺の腫脹,右股関節痛等の症状が原爆放射線と関連するものであることを認めるに足りる証拠もない。なお,脱毛や白血球過多などは放射線被曝によって発症し得る症状であるが,その発症がA13の被爆から数十年を経た後のことであって,これを原爆放射線の影響とみることは著しく困難である。したがって,A13や原告において原爆放射線を浴びたことにより発症したと考えられる症状があったことを認めることはできないというほかない。そして,A13の被爆地点のうち最も近い地点をとった場合の被曝線量が3センチグレイにすぎず,残留放射線の影響についてもこれを浴びた可能性があるとしか認定できないことを考えると,十二指腸乳頭腫瘍が確率的な影響に属し,被爆当時原告が放射線感受性の高いと考えられる胎児であったことを考慮しても,原告の申請疾病である上記腫瘍の放射線起因性を肯定することは困難といわざるを得ない。
5 X46(証拠<省略>,弁論の全趣旨)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市木場町(爆心地から約3.8キロメートル)
入市 8月20日
被爆時年齢 9歳(1936年(昭和11年)○月○日生)
申請疾患 肺がん
(2) X46の個別事情
ア 被爆状況
被爆時,X46は,長崎市木場町<以下省略>の自宅縁側にいたところ,遮蔽物がない状態で被爆した(爆心地から3.8キロメートル)。
被爆後しばらくして避難のために防空壕に向かったが,その途中爆風で舞い上がった様々なゴミが舞う中を歩き,また,いわゆる黒い雨を浴びた。その日は,軒下の籠に入れつるしていたご飯を上の方はススとゴミで黒くなっていたが,その部分を捨てて食べ,その後も近くの畑でとれたカボチャの茎,芋,里芋の茎,草の若木,木の実などを食べた。
X46の父は,長崎市梅香崎町にあった梅香崎郵便局勤務中に被爆し,被爆直後から血便と下痢の症状がひどかったため,腸チフスの疑いがあるとして,救急病院として使われていた銭座国民学校(爆心地から約1.5キロメートル)に同年8月中旬ころ入院した。X46は,同月20日ころ,母とともに父の見舞いに銭座国民学校に行き,その後同年9月中旬ころに父が退院するまで2,3回見舞いに行った。
なお,既に認定したとおり,爆心地の西側に位置する木場・西山地区は,長崎において放射線降下物によって最も汚染された地域である(長崎における九州帝国大学医学部放射線治療学教室及び理学部研究班による初期調査での放射線検出の中心地である西山貯水池の東側(木場地区)及び西側ないし南側(西山町区)に位置する。)。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X46は,被爆前,特に健康上の問題はなかったが,被爆直後から下痢が始まり,1週間ほど続いた。同じ場所で被爆した他の兄弟にも下痢の症状が表れていた。
ウ その後の状態
その後,X46は昭和37年ころから腰痛に悩まされてはいたが他には健康上の問題なく,大工として生計を立てていた。しかし,平成13年6月に直腸がんが発見され,同月b15病院で直腸切除術を受け,更に平成14年3月には申請疾病である肺がん(腺がん)が発見され,同年4月2日にb11病院で左肺上部の摘出手術を受けた。手術後,放射線照射や抗がん剤投与の治療を受け,同年7月退院し,定期的な検診を受けていたが,平成17年8月19日,肺がんにより死去した。
なお,X46には,喫煙の習慣はなかった。
エ X8はX46の妻であり,X9,X10,X11は,X46の子である(弁論の全趣旨)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X46は,平成14年7月15日に,b11病院のA12医師の「原子爆弾による癌免疫能の低下,又は発症の可能性が推察される。」との意見書(証拠<省略>)を添付して,肺がんを申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年3月26日に放射線起因性がないとして申請を却下され,本訴を提起した。
(4) 起因性
ア X46の放射線被曝について
被告らは,X46の被曝線量はゼログレイであると主張する。確かに,X46の被爆地点の爆心からの距離(3.8キロメートル)からすると,X46が浴びた初期放射線の線量はわずかであったと考えられる。しかし,その後,X46は,長崎において最も放射線降下物により汚染された木場地区において,いわゆる黒い雨を浴びたほか,同じように雨を浴びたご飯やかぼちゃ,芋,里芋のくき,草の若木,木の実等を食べているから,放射性降下物による放射線に被曝し,更に相当量の内部被曝も被っていたと考えられる。
イ 肺がん及び直腸がんについて
前記のとおり,放影研の調査の結果では,部位別にみれば肺がんについて被曝との間に有意な関係が認められており,直腸がんについては,過剰相対リスクは正の関係にあるものの,90パーセント信頼区間の下限はマイナスとなっていて,現時点では統計的ないし疫学的には有意なものとの評価はされいない。
ウ 多重がんについて
平成14年度原子爆弾被爆者指定医療機関等医師研修会でされた朝長万左男医師の「原爆被爆者医療の最近の動向」と題する講演のシラバスでは,被爆者医療に携わっている医師から,個々の被爆者が二つ以上のがんに罹患する傾向が指摘されるようになり,被爆者では一般集団のそれを上回る多重がん発生がみられるか調査が必要になってきたとされ,被爆者のがん発生リスクを個体レベルで考える上で,多重がんの問題は大きな影響を与えると指摘されている(証拠<省略>)。また,長崎大学医師薬学総合研究科原爆後障害医療研究施設の関根一郎らの「長崎原爆被爆者の重複癌の発生に関する検討」では,1962年から1999年の37年間の被曝者腫瘍例1万8600件から663名の重複がん又は多重がんの症例を検討した結果,被爆距離に反比例して重複がんの頻度が高かったとされ,頻度の増加は1988年以降顕著となったと報告されており(証拠<省略>),これらの研究ないし報告について予想されたことを裏付ける精度の高いものであるとする評価もされている(証拠<省略>)。
なお,「成人病多重がん発生に関する疫学的研究」(証拠<省略>)では,異時性重複がん罹患率が近年増大し,第1がん罹患時の年齢とともに上昇すること,また,同時性を含む重複がん罹患の実測値は,前期(1965-77年)では期待値よりむしろ小さく,後期(1978-86年)において大きいことが示されたとされ,被爆者に限らず寿命が長くなるにつれて重複がんの発生率が増加することが指摘されている。確かに,寿命が延びれば,被爆者ばかりではなく一般にも重複がんが発生する割合は高くなると考えられ,現にそのような状況になっていると思われるが,被爆者においてはなお一層重複がんの発生の危険性は高いことが予想され,前記朝長の指摘や関根らの研究はそのことを裏付けているというべきである。したがって,重複がんの発生は,それが原爆放射線被曝による影響であることを積極的に考える一つの根拠となり得るものといわなければならない。
エ 以上検討したように,X46は,放射性降下物による放射線に被曝し,内部被曝も被っていたと思われる上に,被爆後に下痢(なお,下痢という症状は,当時の状況からすると,原爆による急性症状だけではなく,衛生状態,食糧事情,肉体的・精神的な負荷など多様な要因で誰に発症してもおかしくはない症状であり,脱毛や紫斑などとは異なって放射線の被曝の症状として重視はできない。)を起こしていること,肺がんという放射線との関連が指摘されている疾病を発症し,多重がんに罹患していること等の事情を総合的に考慮すると,X46に発症した肺がんは,原爆放射線を浴びたことと関連して発生したものと推定するのが相当であり,これに放射線起因性を認めることができる。
(5) 要医療性
X46は,平成14年に肺がんの手術をしており,その後,再発防止,早期治療のために通院をしており,本件処分当時現に医療の必要性があったことは明らかである。
6 X12(証拠<省略>)
(1) 概略
被爆地点 直爆 長崎市稲佐1丁目(爆心地から2.2キロメートル)
入市 8月15日
被爆時年齢 13歳(1932年(昭和7年)○月○生)
申請疾患 直腸がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当日,食料の買い出しに出掛けた母の言いつけで,長崎市稲佐1丁目の自宅で留守番をしていた。早目の昼食の準備をして,外で遊んでいた弟妹を呼んで,ちゃぶ台を縁側に出した時に閃光が走り,被爆した(なお,原告は,証拠<省略>においては,「押入に入ろうと戸を開けましたが,そのとき,閃光が(光った)。」と記載しているが,証拠<省略>の記載は簡単なものである上,被爆した瞬間の状況に焦点を当てて記憶喚起した上で記載されたものではないから,この部分の記載に高い信用性を置くことはできない。)。瞬間,強い爆風で住宅の天井が落ちガラス障子が吹き飛ばされた。
原告は,崩れ落ちた梁や柱の隙間を縫って外に飛び出し,裸足のまま近くの防空壕に逃げ込んだ。しばらくして母が帰ってきたが,母は稲佐橋付近で被爆し,大やけどを負っていた。その後しばらくの間,原告は,母の傷の手当をしたり,弟妹の世話をしながら暮らしていた。救護の手も届かず,食料もなかったので,付近の畑に残っていた芋づるや葉っぱ,胡瓜,トマト,野草などを食べたり,近くにあった井戸水を汲んで飲んだりした。
被爆後2,3日して近くに急ごしらえの救護所が設置され母や兄弟がわずかに手当を受けられるようになった。
被爆から6日後の8月15日,原告ら家族は,西彼杵郡長与村船津郷の母の知人であるA16宅を訪ね,以後,約1か月A16宅に寄寓した。その途中に爆心地に近い城山,大橋を通った。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆時,渕国民学校高等料1年に在学し,健康であったが,被爆後1週間程経ったころから吐き気を催し,下痢が続き,髪をすくと毛髪が抜け落ち,貧血でふらついたりした。また,生理不順となった。一緒に被爆した妹らにも下痢や脱毛の症状がみられた。
なお,原告の昭和43年8月2日付け被爆者健康手帳交付申請書(証拠<省略>)では,急性症状としておう吐,下痢,発熱の記載はあるが,脱毛は記載されていない。しかし,原告本人尋問では,上記申請書記載の当時は脱毛に関する記憶がなかったが,その後妹と話している際に脱毛の記憶が喚起され,一遍に抜けるのではなく,少しずつ毛が抜けたもので,神経脱毛症のような感じになったとする趣旨が供述されており,原告が述べるような態様での脱毛があったことを認めることができる。
ウ その後の健康状態
原告は,被爆後は特記する程の重病を患ったことはなく,25歳で結婚したが,妊娠しても流産しがちで,結婚10年目にしてやっと子どもに恵まれた。しかし,原告が48歳の時に夫が死亡したため,以後新聞配達や清掃婦として働き,母子の生計を支えてきた。原告は,平成14年の初めころから,疲れやすく,倦怠感を覚えるようになったため,b16病院で診察を受けたところ,悪性の直腸がんと診断され,同年3月27日,同病院で手術した。その結果,人口肛門を装着しなければならなくなり,その後,月に一度の血液検査,年1回のCT撮影等のため向こう5年間の通院が必要といわれている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X12は,平成14年5月27日に,b16病院のA17医師の「直腸癌が原子爆弾の放射線の影響を受けた可能性は十分に考えられる」との意見書(証拠<省略>)を添付して,「直腸癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成14年10月15日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),同年12月17日に異議申立てを行い(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 放射線被曝
(ア) 被告らは,原告の推定被曝線量は0.042グレイにすぎず,残留放射線による被曝の影響を考慮する必要はないとし,また,原告の脱毛に関する供述は信用できず,仮に原告に脱毛,吐き気,下痢といった症状があったとしても原爆放射線による急性症状ではなく,不衛生,感染,栄養不良による身体的症状やストレスによる心身的症状とみるべきであるとした上,原告の直腸がんの原因確率は9.2パーセントにすぎないから,これに起因性を認めることはできないと主張している。
(イ) 原告の被爆地点は,爆心地から2.2キロメートルの地点であるから,その地点における初期放射線量は推定で6.1センチグレイであり,縁側付近にいたというのであるから,家屋による遮蔽を考慮すると,原告の初期放射線による被曝線量は被告らが主張する程度の線量を若干上回る程度のものとなる。
しかし,原告がその後被爆地点付近にとどまり,付近の芋づるや葉っぱ,胡瓜,トマト,野草などを食べたり,近くにあった井戸水を汲んで飲んだりしているほか,被爆6日後の8月15日に爆心地付近を通過しているから,原告については残留放射線を浴びた蓋然性が高く,また,内部被曝を被った可能性もある。そして,原告には脱毛,おう吐,下痢といった症状が発症しているところ,原告に発症したこれらの症状は,必ずしも典型的な放射線による急性症状としてみられる症状と一致するものではないが,やはり一定量の放射線被曝の可能性を示唆するものと考えられる。
(ウ) 放影研の調査の結果示されている部位別のがんのリスクでは,直腸がんは放射線量と正の関係とされているものの,90パーセント信頼区間の下限がマイナスとなっていることから,統計的・疫学的には放射線と有意な関係にあるとはされていない。しかし,確率的影響とされているがんに含まれる直腸がんも放射線と関連しないとは考えられないのであって,この点は被告らにおいても考慮されているところである。そして,前記のとおり,原告の浴びた初期放射線量のほか,残留放射線による被曝,内部被曝の影響や,被爆当時原告が若年であったことをも考慮すると,原告に発症した直腸がんは原爆放射線に関連して発症していることが推定され,その放射線起因性を認めることができる。
(5) 要医療性
原告は,平成14年3月27日,b16病院で直腸がんの手術を受けたが,施術後も向こう5年間は外来通院が必要とされており,本件処分時において,現に医療を要する状態にあったと認められる。
7 X13(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市八千代町(爆心地から約2.1キロメートル)
入市 8月9日,8月10日
被爆時年齢 14歳(1931年(昭和6年)○月○日生)
申請疾患 C型慢性肝炎
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時14歳であり,勤労報国隊として長崎市旭町の○○で働いていたが,昭和20年8月9日の被爆当日は空襲警報が発令されたので,長崎市八千代町の自宅(爆心地から約2.1キロメートル)で待機していた。原告は,原爆投下前,自宅の前で木製の名札を作っていたが,近所の小学生達が飛行機の音がすると言って家に戻っていたので,自分も家の中へ入り,道具を押入へ入れようとして,押入れの扉を開けた時に閃光が走り,爆発音とともに家が倒壊した。
自宅の倒壊により,原告は,倒れた梁と道具箱の三角になった隙間に倒れたまま身動きがとれなくなった。自宅にいた姉もまた2階で下敷きになって助けを求めていた。
しばらくして,近くの林兼工場で働いていた父と兄が駆けつけ,助け出され,一緒に近くの山林に避難した。
同日午後になって,原告は,家族とともに長崎市銭座町1丁目の父方の親戚の家(爆心地から約1.3ないし1.5キロメートル)へ安否の確認と預けていた荷物を受け取るために出かけた。親戚方では,家族は全員無事であったが,家が燃えていたため,近くの畑に避難していた。
その後,原告は,家族とともに再び山へ避難し,夕方になって防空壕に移動した。
同月10日は,銭座国民学校(爆心地から約1.5キロメートル)まで行ったが,付近は燻っていたので,自宅の焼け跡に引き返し,配給のおにぎりを食べ,また,掘り出した鉄鍋で,線路際のかぼちゃを炊いて食べた。
同月13日,原告は家族とともに父の故郷である伊王島に引っ越し,約1か月間,父の実家で過ごし,その後,父が伊王島の炭坑で働くようになったことから,社宅に引っ越して暮らすようになった。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前,健康上の問題はなかったが,伊王島に引っ越してからまもなく,倦怠感があり,2,3か月は下痢や倦怠感が続いた。また,被爆後1週間くらい経過してから髪の毛が抜けはじめ,約7,8割の髪の毛が抜け落ちた。そして,髪の毛が生えるまでに3,4か月を要した。家族にも同様の症状が見られる者がいた。
ウ その後の健康状態
原告は,20歳のころから○○で働くようになったが,下痢をすることが多く,口内炎に悩まされることが多かった。
昭和51年ころは,b17病院で胃ポリープの手術を受け,約1か月間入院し,昭和59年1月には心臓肥大,心不全のためb17病院に約1か月間入院した。その後,b10病院に転院したが,同病院では左心房粘液腫の診断を受け,同年4月16日に手術を受け,同年5月13日に退院した。その後約8年間,定期的にb10病院へ通院し,治療・検査を行っている。
b17病院でも定期的に検査を受けていたところ,肝機能の数値が高いということで,同年10月,同病院に約1か月間入院することになった。
原告は,平成13年に琴海町の住民検診を受けたところ,肝機能の検査項目に異常値が出ていると指摘を受けたため,同年10月10日b18病院を受診して各種の検査を受け,肝機能障害,慢性肝炎の診断を受け,同日同病院に入院することになった。同日行われた検査ではHCV抗体陽性であり,その結果,C型慢性肝疾患の診断を受け,同月30日ころに退院するまで,毎日点滴治療を受けた。退院後も投薬と注射による治療を継続的に受けていたが,症状は改善されず,肝生検を目的として平成14年3月25日にb18病院に再入院した。その際の肝生検その他の検査の結果では慢性肝炎から前肝硬変のパターンとされている。原告は,上記入院期間中インターフェロン点滴等の治療を受け,GOT,GPTに低下傾向がみられたため,同年5月30日に退院した。その後も同病院への通院を継続し,週に3回,投薬や注射等の治療を受けたが症状は改善されず,平成15年10月からはb16病院で治療を受けるようになり,同病院では,原告の肝炎を輸血後肝炎と診断している(証拠<省略>)。同年10月及び平成17年1月にそれぞれ約20日間入院し,同年12月には肝腫瘍が発見され,平成18年1月その治療のために約2週間入院した。現在もb16病院への通院は継続している。その他,腰痛,不整脈,高血圧等にも悩まされている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年9月6日に,b18病院のA18医師の「原爆の影響についてはコメントできません」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「C型慢性肝炎」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成14年12月20日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),同年12月17日に異議申立てを行い(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア X13は,昭和59年4月16日に左心房粘液腫手術を受け,平成13年10月ころに肝機能の数値の異常を指摘され,その後C型肝炎と診断され,肝硬変,肝がんと病状が進んでいるから,その申請疾病であるC型肝炎の直接の原因は,昭和59年に受けた左心房粘液腫の治療のための手術(その際の輸血)によるC型肝炎ウィルス感染である可能性が高い。
被告らは,そのことを前提とし,原告について残留放射線による被曝や内部被曝は考慮する必要がなく,その推定被曝線量は0.063グレイにすぎず,原告の倦怠感,下痢,脱毛の症状は放射線による急性症状とはいえず,その申請疾病であるC型肝炎は原爆放射線に起因するものではないと主張している。
イ 原告は,爆心から2.1キロメートルの距離で家屋内で被爆しているから,原告が浴びた初期放射線の被曝線量は,おおむね被告らが主張するような線量であったと推定される。しかし,原告は,間もなく爆心から約1.3ないし1.5キロメートルにある長崎市銭座町1丁目の父方の親戚の家に行き,更に伊王島に転居した昭和20年8月13日までの5日間弱の間被爆地点付近にとどまっており,下痢,脱毛など放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈し,家族にも同様の症状がみられたのであるから,原告は,一定量の残留放射線にも被曝し,内部被曝も被ったものと推定するのが相当である。
ところで,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,前記のとおり,原告におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと認められる。
また,AHS第7報(証拠<省略>)では,子宮筋腫について統計的に有意な過剰リスクを認め,これが良性腫瘍が放射線被曝により発生する可能性を示す新たな証拠となるとしており,AHS第8報でも子宮筋腫に同様の過剰リスクを認め,原爆放射線によって良性腫瘍が増加していることが示唆されているとしている(証拠<省略>原爆放射線の人体影響1992)。原告に発症した左心房粘液腫は,一般にみられる疾患ではなく,その疾病固有の疫学調査はされていないが,良性腫瘍と放射線との間に関連があるのであれば,原告の上記疾患も放射線の影響によって発症した可能性があることになり,そうであれば,その手術(輸血)によって発症したC型肝炎も原爆放射線に起因するものというべきことになる。
したがって,原告の申請疾患であるC型慢性肝炎に放射線起因性が認められるというべきである。
(5) 要医療性
原告は,2度の入院治療やインターフェロン点滴等によってもC型慢性肝炎の改善はみられず,平成17年12月には肝腫瘍が発見され,平成18年1月その治療のために約2週間入院し,現在もb19病院への通院は継続している状態にあるから,現に医療を要する状態にあることは明らかである。
8 X14(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市西泊町・a4社(爆心地から約4.5キロメートル)
入市 8月9日から16日まで
被爆時年齢 16歳(1929年(昭和4年)○月○日生)
申請疾患 甲状腺機能低下症
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時16歳で,c学校の生徒であり,その日は爆心地から約4.5キロメートルの地点にあったa4社○○工場において建造中の特殊潜航艇の内部でパイプ取付作業をしていたときに原爆が投下された。強烈な光線を感じて外に出ると,「特殊爆弾だ,逃げろ」という声が聞こえ,防空壕に走りかけた時に爆風に襲われた。
原告は,一旦造船所の裏山へ避難したあと辺りが落ち着くと造船所に戻り,昼食を取り,午後4時ころに造船所の専用渡海船に乗って約20分で大波止桟橋に着いた。原告の家は駒場町(当時。現在の松山町)にあったため,そこから歩いて松山町に向かったが,途中で家が焼けてしまっていることを感じ取った。被爆後の凄惨な光景を目の当たりにしながら避難場所に指定されていた油木町の防空壕(爆心地から約800メートル)にたどり着き,妹(当時10歳),姉,父と再会を果たした。翌朝,自宅(爆心から約300メートル)のあった場所へ行き,被爆死した母の遺骨を拾い飽の浦の墓地に葬るなど,自宅跡へしばしば行った。
油木町の防空壕では7日間を過ごし,毎日防空壕の周りに放置されている遺体を集め,焼け残った板切れを拾ってきて焼いたり,遺骨を埋めたりしていた。また,畑のカボチャを拾って煮て食べたりした。
被爆から8日目に,父や姉妹らとともに佐賀の親戚の家へ行き,ここに5日間滞在し,6日目に長崎市出雲町の姉の家に行き,8月末まで滞在した。
9月1日以後は,自宅のあった場所にバラックを建てて,父と妹との3人で生活した。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は普通の健康体であったが,被爆直後から下痢と嘔吐が約1年続き,体がだるく疲れ易く,根気がなく,胃腸が悪く,食欲がなかった。
ウ その後の状態
原告には,昭和27年ころから,手の震えと平衡感覚の異常,めまいが出るようになり,体のだるさも覚えるようになり,会社をしばしば休むようになった。反面,食欲はあり人一倍食べるのに,体重が減る状態で,医療機関を受診したがよくはならなかった。b13病院を受診したところ,バセドウ病ではないかと言われ,b10病院を受診したりもした。その後も症状は次第に悪化し,体重は38キログラムにまで落ち,眼球が突出し歩くことも困難となったため,バセドウ病の治療に優れた業績を挙げているとの噂を聞いて,昭和35年1月6日,大分県別府市のb20病院を受診し,甲状腺腫(バセドウ病)と診断され,甲状腺全摘術を受け,症状は一時軽減した。
しかし,その後3年ぐらいして手の震えや倦怠感が再発し,昭和40年9月17日,再びb20病院へ行き,ヨウ素を使った放射線アイソトープ治療を受けた。
昭和43年ころより,甲状腺機能低下症となり,平成2年までb21病院において甲状腺ホルモン剤の補充療法を受けた。その後現在まで長崎のb22病院において同様の補充療法を受けている。
平成13年1月,急性心筋梗塞を発病し,同月31日b22病院に入院し,経皮的冠動脈内血栓溶解術を施行し,3月2日冠動脈バイパス術を行った。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年10月1日に,b21病院医師の「因果関係は不明」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「甲状腺機能低下症」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年5月6日に放射線起因性がないとして申請を却下され,本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量を被爆後爆心地付近にとどまったことによる残留放射線の被曝によるもので,最大で0.24グレイにすぎないと主張している。
確かに,原告が原爆投下時に所在した場所や遮蔽の状祝を考えれば,原告が初期放射線を浴びたとは考えにくい。しかし,原告は,被爆当日に自宅のあった爆心地付近に戻り,その付近にとどまった上被爆翌日には母の遺骨を探し,更に1週間爆心近くで遺体を焼いたり,遺骨を埋めたりする作業をし,ここで寝泊まりをし,更に9月1日以後は自宅のあった場所にバラックを建てて居住を開始したのであるから,残留放射線による被曝を長期間受けたことが推測され,その線量は被告らが主張するような小さな線量であるとは考えられない。また,内部被曝も被ったことが推測される。
イ 他方,原告はバセドウ病に罹患しており,その罹患時期は原告に手の震え,平衡感覚の異常,めまい,体のだるさ等の症状が出るようになった昭和27年ころと推察され,昭和40年9月からバセドウ病に対して放射性ヨウ素を使ったアイソトープ治療を受け,昭和43年ころより甲状腺機能低下症となったのであるから,甲状腺機能低下症の原因は,上記の治療によるものと考えられる。
ウ 原告らは,原告の甲状腺機能低下症が,甲状腺切除術後の放射性ヨード治療により発生した続発性甲状腺機能低下症であるとした上で,バセドウ病と甲状腺機能低下症との因果関係は明白であるから,原告の甲状腺機能低下症の放射線起因性もまた優に推認できると主張している(証拠<省略>)。
確かに,前記第4,3(6)のとおり,甲状腺がんを除く甲状腺所見が一つ以上あることという大まかな定義に基づく甲状腺疾患に,統計的に有意な過剰リスクの存在が認められ,若年者の甲状腺は放射線感受性が他に比べて高いとされている。しかし,バセドウ病に限った報告では,バセドウ病有病率と放射線量の関連が示唆されたが,統計的に有意なレベルには達しなかった(P=0.10)とされており,他に甲状腺機能亢進症と放射線との間に有意な関係があることを示した知見は見当たらない。甲状腺疾患では,良性結節や甲状腺機能低下症と放射線被曝との間にかなり有意な関係が認められているから,甲状腺疾患(がんを除く)全体と放射線の関係が有意だとしても,そのことによってバセドウ病との関係も有意であると推認することは困難というほかない。放射線を利用した医療行為による甲状腺疾患の報告でも,甲状腺がんと甲状腺機能低下症を来したとするものが目立ち,甲状腺機能亢進症を来した例は見当たらない(証拠<省略>)。
このような甲状腺疾患と放射線に係る知見では,バセドウ病の発症,継続あるいは促進に放射線が関連していると認めることは困難であり,バセドウ病の治療後に生じた原告の続発性甲状腺機能低下症についても,放射線に関連していると認めるに足りる知見は見いだせず,続発性甲状腺機能低下症と放射線被曝との関連性を認めることもできない。
エ したがって,原告の申請疾病である甲状腺機能低下症に関して,原爆放射線起因性を認めることはできないといわざるを得ない。
9 X15(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市大浦出雲町(爆心地から約4.6キロメートル)
入市 8月16日
被爆時年齢 16歳(1929年(昭和4年)○月○日生)
申請疾患 乳がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
被爆時,原告の住居は長崎市大黒町にあったが,危険を避けるため長崎市大浦出雲町の叔父方に居住していた。
被爆当日,原告は学徒動員を休み,叔父方に過ごしていた。空襲警報によりいったん防空壕に避難した後,警報解除によって防空壕を出て叔父方近くの従姉妹の家に入り,本を開こうとしていたとき被爆した。突然,爆心方向の開いていた玄関から強烈な光が射した。原告は,玄関から裸足で外に飛び出したところ,爆心方向にキノコ雲がわき上がり,爆風が襲い,砂,木片,ガラス片が飛んできて,ガラス片が原告の左こめかみに当たり,約2センチメートルの傷をつけた。
学徒動員で長崎市幸町の工場に出かけていた従姉妹が翌日昼ころに,全身にガラス片や塵をかぶった状態で帰宅し,原告は従姉妹の毛髪の中のガラス片等を取り,身体を洗ってやったりした。なお,従姉妹はその後脱毛などを起こし,紫斑も出て3,4年後に19歳で死亡した。
原告は,8月16日,長崎市大黒町の自宅(当時人は住んでいなかった。)がどうなったか心配で,叔父と一緒に歩いて自宅に向かったが,自宅付近はどの家も崩壊して跡形もなかった。その後,叔父と長崎市大橋町に住んでいた親友を訪ねるのに同行し,茂里町(爆心地から1キロメートル内外)あたりに進んだところで気分が悪くなり,一人で引き返すこととなった。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は特に健康上の問題はなかったが,8月16日以後数日間,食欲不振と倦怠感に襲われ,下痢もした。
ウ その後の状態
原告は,被爆後少し無理をすると身体がきつくなり,生理不順もあった。20歳代のころには,それまで46キログラムくらいあった体重が38キログラムまで減った。そこで,b10病院を受診し,膵臓からの分泌が少なくなったための慢性腸炎である旨の診断を受けた。
その後も,原告は,流産をしたり,高血圧と不整脈に悩まされ,また,平成8年5月には,胃潰瘍のため3か月間入院したことがあった。
最近では,心臓病で3か月間入院したことがある。また,腰痛のため,整骨院に通ったり,気が遠くなることがあるので,耳鼻科にも通院している。
原告は,平成12年5月26日左胸にしこりがあるとしてb7病院(現在はb8病院)を受診したところ,乳がんとの診断を受けた。同年6月5日,手術目的で同病院に入院し同月21日,切除術を受けた。
その後,b23胃腸外科とb8病院に通院し,平成16年5月ないし6月に首のリンパ節にしこりが,同年12月に甲状腺にしこりがみつかり,抗がん剤治療を受け,現在も通院中である。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X15は,平成14年7月9日に,b10病院のA19医師の「原子爆弾の放射線に影響を受けた可能性は十分考えられる」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「乳癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),同年11月8日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),平成15年1月10日異議申立てを行い,本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量はゼログレイであると主張するが,被爆から1週間後とはいえ,爆心地の近くまで赴いているので,残留放射線による被曝を受けていることが推定され,内部被曝も被っている可能性がある。もっとも,原告の被爆距離からすると,原告が健康状態に影響が出る程の初期放射線を浴びたとは考えにくく,爆心地近くに赴いたのが原爆投下から1週間を経過した日であり,爆心からの距離も1キロメートル内外であって滞在時間も短いことを考えると,その被曝線量は低いものと推測される。なお,入市をした日以後数日間,食欲不振と倦怠感に襲われ,下痢もしたと主張しているが,下痢は水のような下痢ではなく,普通の消化しないような下痢で2日ほど続いたが,大したものではなかったから原爆被爆者調査票(証拠<省略>)の急性症状欄には記載しなかったと供述しており(証拠<省略>),放射線による急性症状というには疑問のあるものである。
イ 乳がんは,早くから原爆放射線と有意な関係にあることが認められていた腫瘍である(予研一ABCC寿命調査第7報「原爆被爆者における死亡率1950-72年」・昭和48年。証拠<省略>)。そして,がんが原爆放射線による確率的影響とされていることからすると,小さな線量であっても放射線に被曝している以上,当該がんの発症などに関して放射線が影響している可能性は否定できない。しかし,原告の上記のような被曝の態様,放射線を浴びたことは認められるがその線量は小さなものにとどまるものと推認されること,その後放射線によると思われる症状があったと認めるまでの証拠のないことを考えると,乳がんと放射線との間に関係があることが明らかであるとしても,上記のような事実関係では,原告の乳がんについて放射線起因性があると認めることは困難というほかない。
10 X47(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市本原三丁目(爆心地から約2.0キロメートル)
入市 8月9日
被爆時年齢 15歳(昭和4年○月○日生)
申請疾患 肝硬変
(2) X47の個別事情
ア 被爆状況
X47は,被爆当時,家族とともに当時の式見村で暮らしていたが,学徒動員により長崎市本原町3丁目所在の○○工場において稼働しており,毎日,自宅から上記工場に通勤していた。
X47は,原爆投下時も,上記工場において勤務していたが,原爆投下の瞬間は屋外で休息中であった。被爆の瞬間,閃光で目がくらみ,続いてきた爆風により,約5.6メートルくらい吹き飛ばされて建物に腰を打ち付けられた。X47の着ていた作業服の背中部分が発火し,同僚によって消火はされたが,露出していた部分である左手,右足,頭部及び顔の右半分等には火傷を負った。
その後,X47は,自宅に帰るために,被爆地点から大波止まで歩くこととし,本原町から山里町を経由して,浦上天主堂付近,浜口町と歩き続けたが,その辺りで大波止までは行くことができず,行っても交通船が出ているかどうか分からないと聞いたため,徒歩で帰宅することとし,浜口町から大橋町,油木町を経由して小江原の水源地付近で一休みをした後,午後4時ころ式見のトンネル付近までたどり着いた。X47は,そこでたまたまX47を探しにきた父に遭遇し,父に背負われて自宅にたどり着いた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X47は,被爆前は健康状態に問題はなかったが,帰宅した後から寝たきり状態になり,誰かに背負われて通院をした。被爆後2日目ころから熱を発するようになり,食欲もなくなり,下痢が約2か月程度続いた。また,咳をしたりすると,咳の飛沫や痰とともに出血があり,脱毛もみられた。その後,被爆から約4か月を経過するころまでは寝たきり状態が続いたが,そのころから徐々に状態が良くなり,被爆から約1年後には一応は自力で動き回れる程度までに回復した。
なお,X47の原爆被爆者調査票(証拠<省略>)の急性症状の欄には発熱の記載があるだけであるが,上記のような事情は,認定申請書(証拠<省略>)及び異議申立書(証拠<省略>)にも一貫した記載があり,信用できる。
ウ その後の状況
X47は,被爆直後から強い腰痛があり,腰痛は終生続いた。
X47は,昭和40年ころ,腰痛が悪化したためA20医師に診てもらったところ,「黄疸がでているのではないか」と言われたことがある。X47は,昭和45年ころから,肝臓病であると考え,服薬等をし,昭和49年から昭和50年10月ころまで,肝臓病でb39病院に入院して治療を受けた。X47は,平成5年HCV抗体(C型肝炎ウイルス)陽性と判定され,主治医からb16病院を受診するように指示され,平成6年11月に腹腔鏡検査で肝硬変と診断され,それ以降死亡するまで同病院に通院して肝臓の治療を受け続けた。平成15年3月20日及び同年5月20日に,それぞれ40度近い原因不明の発熱におそわれ,それぞれ約2週間程度の入院をしている。
X47は,平成16年8月25日に死亡した。
エ X16はX47の妻であり,X17,X18,X19はX47の子である(弁論の全趣旨)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X47は,平成14年7月9日にb16病院のA21医師の「肝硬変の原因として原子爆弾の放射線に影響は否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「肝硬変」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),同年11月8日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),異議を申し立て(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,X47の初期放射線による被曝線量は0.13グレイ,残留放射線による被曝線量は0.12グレイであり,その被曝線量の合計は0.25グレイ程度にすぎないと主張する。X47の被爆距離からすると,X47が浴びた初期放射線量は,おおむね被告らが主張する程度ではないかと推測されるが,その後帰宅のために爆心付近を歩いた際に浴びた放射線量は被告らが主張するよりもかなり大量のものであったと考えられる。また,X47が爆心地付近の埃を吸うなどして内部被曝を被っている可能性もある。
イ X47からはHCVが検出されているので,X47の申請疾病である肝硬変もC型慢性肝炎を発症した結果罹患に至ったものである蓋然性が高い。
ところで,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,前記7において引用のとおり,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,X47におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと認められる。そして,前記認定のようなX47の被爆当時の行動やそのことから推測される被曝線量が相当程度のものであり,その後原爆放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈していること等も考えると,X47の申請疾病である肝硬変は,C型肝炎ウィルス起因のものではあるが,これに原爆放射線も関与したものと推定することができる。したがって,X47の申請疾病である肝硬変に放射線起因性を認めるのが相当である。
(5) 要医療性
X47は,平成6年に肝硬変と診断されて以降継続的に治療を受け続けており,本件処分時に現に医療を要する状態にあったことは明らかである。
11 X20(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市家野町(爆心地から約1.5キロメートル)
被爆時年齢 12歳(昭和8年○月○日生)
申請疾患 慢性肝炎
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
被爆当日,原告は,自宅の近くの音無川(爆心地から約1.5キロメートルの地点)で全裸で泳ぐ等して遊んでいた。休憩しようと陸上でござを干そうとしたところ,飛行機が飛んでくる音が聞こえ,次の瞬間,上空がピカッと強く光り,それに伴ってドーンという爆発音とともに猛烈な爆風が押し寄せ,約20メートル吹き飛ばされた。吹き飛ばされた衝撃で一瞬気を失ったが,気が付くと泥道に倒れており,両肘・両膝を擦り剥いていた。なお,原告と一緒に泳いでいた友人のうち1名は,全身に大やけどを負っていた。原告は,全裸のまま,近くにあった町内の防空壕へ避難し,そこで一晩を過ごした。
翌10日未明,防空壕から外に出てみると自宅が燃えていたので,原告は,長崎市川平町にある実母の兄の家に避難することにし,暗いうちに家野町の防空壕を出発し,途中,飛行機が見えると隠れる等しながら時間をかけて歩き,約12時間後,川平町の実母の兄の家に到着した。
原告は,その後約2か月間,川平町の家の防空壕で過ごしたが,その間,長崎市上野町(現在は橋口町)にあった兵器工場(爆心地から約500メートル)に勤めていた2番目の兄及び長姉が行方不明であったことから,度々その周辺へ赴いて両名を探して回った。その結果,2番目の兄は工場内で遺体で発見されたが,長姉については,遺体も見つからないままであった。
なお,原告は,本人尋問において上野町に兄と姉を探しに行った日を川平町に避難してから2,3日後とする一方で,2か月(あるいは大分)経ってからとする供述もしており,いつ上野町で兄と姉を探しに行ったのかについて矛盾する供述をしている。しかし,一般に帰ってこない兄姉を捜すのに日を置くとは考えられず,上記の証拠関係では,その時期は明確にすることはできないが,原告が川平町に避難した後間もなくのことではなかったかと認められる。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は,何らの疾病もなく健康であった。その後の症状についてはあまり記憶していないが,被爆の数日後からしつこい下痢・嘔吐が数日間続いたことは記憶している。
ウ その後の状態
原告は,昭和21年から靴職人として稼働していたが,その後,昭和48年ころから,鳶,土方,左官等として働くようになった。そのころから,度々息切れするようになり,特に深夜は毎晩のように家族も寝付けない程,激しく息切れしていた。また,このころから,時折食欲不振となり,食事ができないことがあった。その他,頭痛,貧血等もこのころから時々現れるようになり,息切れが激しいことから,度々仕事を休むようになった。
原告は,昭和の年代から原爆検診を受けた際に,肝機能が低下していると指摘されることがあった。またかなり以前からb24クリニックに通院をしていたが,同クリニック,のA22医師から平成4年12月11日に肝機能障害及びB型肝炎(疑)の診断を受け,同月18日には慢性C型肝炎の診断を受けた。その後,慢性甲状腺炎(疑),肺がん(疑),甲状線機能亢進症(擬),発作性頻拍症(疑),狭心症等多様な病名の診断を受けたが,肝機能は一貫して悪かった。
原告は,その後,動悸,息切れ,吐き気,食欲不振等の症状が強くなったことから,平成11年5月ころ,長崎市<以下省略>所在のb40病院を受診し,慢性肝炎の診断で,同年5月21日から同年7月16日まで同院に入院し,インターフェロン注射等の治療を受けた。
原告は,一旦同院を退院したものの,治療をやめるとすぐに症状が悪化したため,数か月後,再び同院に入院し,1,2か月間インターフェロン注射等の治療を受け,更に平成13年4月11日から同年5月15日まで同病院に入院した。その際のb40病院の診断では,アルコール性肝障害,良性発作性頭位めまい症,貧血とされ,肝機能障害についてはHCV定性は陰性で主体はアルコール性であるとし,禁酒によって肝機能が改善したとされている。
原告は,その後もb24クリニックヘ通院し,点滴,投薬等の治療を受けた。退院して自宅に帰っても,動悸,息切れ,吐き気,食欲不振等の症状が強いため,仕事等はできず,家の中で横になっており,平成14年1月17日から同年5月20日までは長崎市<以下省略>所在のb25医院に入院し,点滴,投薬等の治療を受けた。
原告の上記各症状は,入院治療を受けると幾分軽快するものの,退院して,治療が手薄になるとすぐに悪化するため,平成15年5月7日から,再びb25医院に入院して点滴,投薬等の治療を受け,現在に至っている。
現在の症状としては,階段を少し上るだけですぐ息が上がり,疲れやすいこと,吐き気が頻繁に起こること等が目立つ。
なお,認定申請書に添付された臨床病理検査結果(証拠<省略>)では平成14年1月12日の検査でHCV抗体陽性となっている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年7月9日に,b25医院のA23医師の「原爆との因果関係は不明」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「慢性肝炎」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成同年11月8日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),この却下決定に異議を申し立てた上(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告が火傷を負っていないことを根拠に初期放射線による被曝線量を0.9グレイをかなり下回るものとした上,残留放射線による被曝線量は考慮する必要がないとしている。
原告の被爆地点は爆心から1.5キロメートルの地点であり,当該地点の初期放射線量は0.9グレイ程度と推定される。もっとも,原告が被爆当時裸で泳いでいて火傷を負わなかったことからすれば,何らかの遮蔽はあったと思われるが,原告が初期放射線により被爆した線量が上記数値を大幅に下回るものとも考えにくい。また,原告は,当日は町内の防空壕で過ごし,被爆からしばらくして数度にわたり爆心から500メートル程度の距離にあった兵器工場に赴いて,行方不明であった兄姉を捜し回ったのであるから,残留放射線による被曝を受けていると考えられ,その線量も軽視できないと思われる。また,内部被曝を受けている蓋然性も高い。
イ 原告の申請疾病は慢性肝炎であり,前記7に認定したところからすると,この慢性肝炎の直接の原因はC型肝炎ウィルス感染とアルコールであると認められる。
前記7のとおり,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,原告におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと認められる。
そして,前記認定のような原告の被爆当時の行動やそのことから推測される被曝線量が一定程度のものであり,原告はその後原爆放射線急性症状を呈したか否か明確な記憶を有していないようであるが,そのような症状があった可能性のあること等も考えると,原告の申請疾病である慢性肝炎は,原爆放射線に起因するものであると認めるのが相当である。
(5) 要医療性
原告の慢性肝炎が現に医療を要する疾病であることは明らかである。
12 X21(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市元舶町(爆心地から約3.0キロメートル)
入市 8月16日ころ
被爆時年齢 13歳(1932年(昭和7年)○月○日生)
申請疾患 胆管がん
(2) 原告の個別的事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時13歳であり,県立瓊浦中学校の1年生であった。
原爆投下時,原告は爆心地から約3.0キロメートルの位置にあった大波止で帰宅のために船を待っている際に,被爆した。突然閃光が走り,轟音が鳴り響いたので地面に伏せたが,激しい砂嵐を受け,全身にじん埃をかぶった。爆風等が落ち着いた後立ち上がった際は,ほこりで周りが見える状況ではなかった。
被爆から1週間後,原告は,倒壊した校舎の後片付けのために爆心地から約800メートルの距離にあった長崎市竹の久保町所在の県立瓊浦中学校まで大勢で隊列を組んで片道約15キロメートルを歩いた。原告は,中学校で2,3時間校舎の後片付け等をした後,再び,歩いて家に帰った。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は何の病気もなく健康であったが,被爆後1週間ほどは激しい倦怠感を覚え,自宅で休んでいた。
また,学校の後片付けからの帰宅後約1週間は,身体が疲れ果て,空腹であるのに食べ物がのどを通らず,何もする気がしなかった。また,8月というのに,汗もあまりかかなかった。
さらに,被爆後半年から2年半ないし3年近い期間は,体に生じたわずかの傷であっても化膿してしまうことが多くなった。
ウ その後の状況
平成7年暮れの健康診断で,血尿と診断されたので,精密検査を行った結果,膀胱に悪性のポリープがあることが判明したため,平成8年1月に入院し,切除手術を受けた。平成13年11月ころ,食欲不振が続き,ひどい倦怠感,疲労感を覚えるようになったので,同月6日,b41病院で診察を受けたところ,急性肝機能障害,胆管内悪性ポリープと診断され入院した。同月27日,膵頭及び十二指腸の切除手術を受け,平成14年2月23日に退院している。
現在は,抗がん剤等の内服治療,及び再発の有無などを調べるための定期検査を受ける必要があるので,通院を続けている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年7月9日にb41病院A24の「放射線被曝が今回の胆管癌発病に関与していると考えても矛盾しないと思われます」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「胆管癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成14年11月8日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),平成15年1月10日この処分に対して異議を申し立て(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量はほぼ0グレイとしている。
原告が被爆した地点の爆心からの距離からすると,原告が浴びた初期放射線量はほぼ0.4センチグレイ(0.004グレイ)と推定されるが,被爆時に大量のじん埃をかぶり,被爆から約1週間後に爆心から約800メートルの学校まで徒歩で赴き,崩壊して手つかずであった木造校舎の片づけ作業を行い,大量の肺を吸いながら作業に従事していることからすると,残留放射線から相当程度の線量の被曝をしているものと推定できる。
原告が被曝した線量がわずかなものでなかったことは,原告には急性症状こそ認められないものの,被爆後約半年から2年半ないし3年近い期間は,体に生じたわずかの傷であっても化膿してしまう状態となっていることからも推察できる。
イ 放影研の調査では,LSS第10報第一部(証拠<省略>)において,肝臓及び肝内胆管のがんについては,有意な放射線影響が示唆されたとされ,同第13報(証拠<省略>)でそれまで有意ではないとされていた胆嚢がんについて有意な放射線影響が認められている。このLSS第13報にいう胆嚢がんには,肝内胆管のがんが含まれているものと思われる。
また,原告は,胆管がんに先立って,平成7年暮れに膀胱の悪性ポリープが発見され,手術を受けているが,膀胱がんについては遅くともLSS第10報(証拠<省略>)において放射線との有意な関係が認められているものである。そして,多重がんを発症したことが,原爆放射線の影響を積極的に考える一つの根拠となることは,前記5で述べたとおりである。
ウ 以上述べたように原告が相当程度の線量の被曝をしたと考えられ,申請疾病である胆管がんと放射線に有意な関係が認められ,同じく放射線と有意な関係が認められている膀胱がんを発症していることも考えると,原告の胆管がんは原爆放射線に起因するものと認めるのが相当である。
(5) 要医療性
原告は,膵頭及び十二指腸の切除術後,抗がん剤等の内服治療及び再発の有無などを調べるための定期検査を受けているのであるから,現に医療を要する状態にあることは明らかである。
13 X22(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市愛宕町(爆心地から4.5キロメートル)
入市 8月10日から12日まで
被爆時年齢 8歳(昭和12年○月○日生)
申請疾患 原発性心筋症
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当日,長崎市愛宕町(爆心地から4.5キロメートル)の自宅の庭でパンツ1枚で遊んでいる時に被爆した。強烈な熱線で,上半身の背中・肩・両腕の皮膚が日焼けのように真っ赤にやけて,2,3日間ヒリヒリと痛み,閃光を浴びて,目が痛くなった。
原告は,8月10日から同月12日までの間,同居していた祖母A25とともに,A26を探しに,長崎駅を過ぎて長崎市<以下省略>に向かったが,瓦礫の山で,長崎市八千代町付近(爆心地から2キロメートル)までしか行けなかった。翌11日は,同じく長崎市<以下省略>(爆心地から1.3ないし1.5キロメートル)の手前まで行き,12日も,同じく長崎市<以下省略>に行った。
なお,原告が供述する8月10日から12日にかけての入市の事実や次項で述べる急性症状は,原告名義の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)に記載がない。また,真夏の高温の中,往復10キロメートル内外となる道のりとなるのに,原爆投下の翌日から3日連続で破壊された街中まで8歳の女の子を祖母が連れ歩くというのも,にわかに信じ難いことではある。しかし,原告は,同調書票は原告が記載したものではないと供述し(なお,同調査票の字は証拠<省略>のA27の署名の筆跡と類似性があることも窺える。),入市の事実については認定申請書(証拠<省略>),異議申立書(証拠<省略>)でも一貫して主張されており,入市に関する原告の供述も具体性を持っていないとまではいえず,このことに当時の異常な状況を勘案すれば,原告の供述の信用性を肯定できないではない。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆当時,小島国民学校3年生で,健康状態は良好であったが,被爆から1週間もたたないうちに,嘔吐と下痢が始まり,2,3週間続いた。嘔吐と下痢が治まり始めたころに,髪の毛が抜け始めた。髪の抜ける状態が1か月弱続いて,後は丸坊主のような状態になった。
入市に同行した祖母A25も,同じように,嘔吐したり下痢をしたりした。
ウ その後の状況
原告は,10歳のころ(昭和22年ころ)から,毎日のように胸が締め付けられるような痛みが始まった。同じころから,頭に「粒々」ができるようになり,現在もでき続けている。17,8歳のころ(昭和29,30年)ころから,原因不明の多毛症になり,鼻の下から下あごにかけて口ひげとあごひげが生えるようになった。現在でも4日に1回の割合で,ひげを剃っている。20歳のころ(昭和32年ころ),ようやく生理がはじまった。同じころ,熱が出て咳をするたびにススのような痰がでた。また,出水性肋膜炎で半年間入院した。36歳のころ(昭和48年ころ),胆のう炎となり,3年間通院治療を受けた。
49歳のころ(昭和61年ころ),高血圧で約7か月入院し,このとき,被爆直後に始まった胸の痛みが原発性心筋症であると分かった。
50歳のころ(昭和62年ころ),動脈造影などの心臓の検査を受け,その入院中に酸素ボンベを使用するようになった。現在では外出時にも酸素ボンベを持ち歩き,ニトログリセリン(ニトロスプレーやニトロR)を1日4回使用している。
なお,昭和63年1月15日には,原発性心筋症による心臓の機能障害により自己の日常生活が極度に制限されるものとして身体障害1級の認定を受けた。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年9月6日に,b11病院のA28医師の「被曝がこれら疾患に何らかの関与を来たしている事も否定出来ない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「原発性心筋症」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),同年12月20日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),平成15年3月6日この処分に対して異議を申し立て(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0グレイであると主張する。
原告の被爆地点からすると,原告が健康に影響を受けるほどの初期放射線を浴びたとは考えにくい。しかし,原爆投下から3日連続で爆心から2キロメートルから1.3ないしl.5キロメートルの地点まで赴いていることを考えると,一定程度の残留放射線を浴びたと考えられ,内部被曝も被った可能性が高い。
イ(ア) 原告の申請疾病である原発性心筋症(b11病院のA28医師の意見書(証拠<省略>)によれば肥大性心筋症である。)は,原因不明の心筋疾患で,左心室(時に右心室)の内腔が狭くなり心房から心室へ血液が流れ込みにくくなる病気である。心臓肥大を来す疾病には高血圧や心臓弁膜症などがあるが,肥大型心筋症ではこれらの原因疾患が明らかではないのに肥大を来す。また,左室壁の肥厚は不均等に,奇怪な形を示すことが特徴とされている。無症状かあるいはわずかな症状を示すだけのことが多く,症状がある場合には運動時の呼吸困難,胸の痛みなどのほか,閉塞性では運動時に呼吸困難やめまい,失神などが出現することがある。更に不整脈が出現したり,心不全や脳梗塞を合併したりすることがあり,それ以外にも様々な病態を示す。その半分以上に心筋収縮関連蛋白の遺伝子異常が認められ(証拠<省略>では3つの遺伝子変異が肥大型心筋症の70ないし80パーセントを占めるとされている。),多くは家族性に発症する。罹患患者の頻度は人口10万人当たりに17.3人であるが,無症状のままの場合も多いので,実際の頻度はこれ以上に多いと考えられている。循環器疾患の遺伝疾患の中で最も頻度が高いものである。一般に予後は良好だが,時に急死を来したり,拡張型心筋症の様になる場合があり,心移植が必要になることもある(証拠<省略>)。
(イ) 前記のとおり,放影研の調査の結果,LSS第11報(証拠<省略>)で,循環器について,高線量域(2グレイ以上)で相対リスクの過剰が認められるが,この相対リスクはがんの場合よりもはるかに小さいと報告された後,LSS第12報第2部(証拠<省略>)において,循環器疾患(心臓病,脳卒中)が放射線量と共に死亡率が統計的に有意に増加するという報告がされ,LSS第13報(証拠<省略>)でも同様の報告がされている。他方,AHS第7報(証拠<省略>)においては,心臓血管系の疾患については,いずれにも有意な線量反応関係は認められなかったが,近年,若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加している可能性があるとされ,同第8報(証拠<省略>)では40歳未満であった若年被爆者の心筋梗塞発生率は有意な曲線状の線量反応関係を示しているとされている。
ウ 肥大型心筋症に焦点をあてて放射線との関連を論じた文献は見当たらないようである。上記のとおり,死亡率調査では,循環器疾患が有意に放射線の影響を受けていることが明らかにされているが,心臓疾患では高血圧性心疾患とその他(この中には心不全とされているものが55パーセント含まれている。)が有意であり,健康調査では放射線による影響が有意とされているのは40歳未満であった若年被爆者の心筋梗塞のみであって,これら放影研の調査結果が,肥大型心筋症についても放射線の影響が有意であることを示すものと解するのは困難である。また,前記のとおり,肥大型心筋症については,家族性に発症していることからも,放射線の影響については肯定的に解釈することは困難といわざるを得ない。
原告について,一定程度の放射線被曝を認めることはできるが,その申請疾病である原発性心筋症(肥大型心筋症)に関する上記のような知見では,それが放射線に起因するものであると認めることはできないといわざるを得ない。
14 X23(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市油木町(爆心地から約0.93キロメートル)
被爆時年齢 10歳(1935年(昭和10年)○月○日生)
申請疾患 慢性肝炎(C型肝炎)
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,原爆投下の日の朝,空襲警報が発令されたので,妹及び当時1歳の甥と一緒に爆心地から0.8キロメートル離れた長崎市油木町にある横穴式防空壕に避難した。そこで,昼前に突然防空壕の中に閃光が走り,原告は爆風で吹き飛ばされて気絶した。しばらくして意識が戻った後,妹と甥を助け出し,防空壕に留まっていたが,重傷を負った人が次々と防空壕に集まり,身動きできない状況にまでなった。午後3時ころ,ようやく父(実父ではない。)が探しに来て(当時父は佐世保で仕事をしていた。),原告らを防空壕の外に連れ出したが,外は火災がひどいため先に進めず,翌朝まで防空壕の近くに留まった。
原告らは,翌10日の朝に自宅のあった駒場町に戻り,自宅を探したが見つけることができず,11日になって,瓦礫の中から黒焦げになった姉の死体を見つけ,また,近所で母の死体を見つけた。
原告の自宅があった駒場町一帯は焼け野原で食料もなかったので,原告らは,近くの畑から原爆のため半焼けになったかぼちゃを拾い,鍋で煮て食べた。また,水は,近くの井戸水を飲んだ。
その日のうちに,原告らは空襲を避けて三重村(現在は長崎市三重町)の親戚の家に行き,翌年(昭和21年)4月に駒場町に戻るまで三重村で過ごした。(証拠<省略>)
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康であったが,三重村に行った後に髪の毛が抜け,体に斑点ができ,下痢が続いた。9月になると,原告の下痢の症状は悪化して,便に血が混じるようになったため,病院に連れて行ってもらったところ,担当医師は,原告が伝染病に感染しているのではないかと考えて伝染病棟に隔離したが,菌が出なかったため,退院させられた。
なお,原告の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)には,急性症状の欄では下痢の記載があるだけで,脱毛や紫斑に関する欄は空欄となっている。しかし,原告はこの欄は記載しないようにと周りから聞いたので書かなかったと供述しているところ,ABCCのカルテの中には昭和26年,昭和29年,昭和32年等の記録にX23からの聞き取りと思われるが,少なくとも脱毛,斑点出血,歯齦出血があったとされており(証拠<省略>),原告が供述するような症状があったと認められる。
ウ その後の状況
原告は,昭和30年に血便がひどいため,b10病院に1週間くらい入院した。昭和43年にABCCで子宮筋腫と診断され,b16病院において子宮切除と卵巣切除の手術を受け,昭和42年に盲腸炎のためb11病院で盲腸の切除手術を受けた。
原告は,昭和47年に胃潰瘍のためb22病院に約3か月率入院した。また,そのころ喉が腫れて手が震えようになったので,b13病院を受診し,甲状腺だろうと言われて処方された薬を飲んだところ,2ないし3か月でよくなった。昭和61年に,嘔吐したり,背中がうずくように痛んだりしたのでb22病院で診察を受けたところ,胆石と診断され胆のうの切除手術を受けている。
原告は,ABCCができてから,毎年,健康診断を受けていたが,平成2年の検査からZTTに異常値が出て,平成12年にGOT(AST),GPT(ALT),γ-GTPがいずれも正常範囲を上回った。平成13年には,腹痛がするので,b22病院で検査してもらったところ,HCV抗体が陽性であり,C型肝炎と診断され,原告は,インターフェロン投与を中心とする治療を受け,平成16年の検査まで肝機能の異常を指摘されているが,平成18年2月16日に行われた検査の結果ではウィルス抗体は陽性だったが,ウィルスRNAは陰性となり,血液中のウィルスは消失したようである。
なお,原告の実妹は昭和29年に盲腸炎となり手術を受けたが,手術痕が治癒せず,ABCCでは白血球が少ないといわれており,それが傷が治癒しにくい原因と考えられた。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成13年5月11日に,b22病院のA29医師の「原爆による放射線障害に起因しているものと考えられる」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「慢性肝炎」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年5月21日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は最大で5.649グレイであると主張する。
しかし,原告の被爆距離(爆心地から約0.93キロメートル)における初期放射線量は10グレイを超えるものとなり,遮蔽の効果を考慮しても原告が高線量の放射線を浴びたことは明らかである。また,その後爆心付近にとどまり,被爆地点より更に爆心に近い駒場町(現在の松山町)にあった自宅付近で母と姉を捜しているのであるから,原告が残留放射線を浴びたことも認められ,その線量も相当なものであったと推定され,内部被曝を被った蓋然性も高い。原告に発症した脱毛,下痢等の症状は,原爆による急性症状であったと認められる。なお,原告は体に斑点ができたと供述しているところ,原告が三重村で水疱に罹患していたことが認められるから(証拠<省略>),原告の供述する斑点は水疱によるものである可能性がある。
イ 原告の申請疾病は慢性肝炎であり,この慢性肝炎の直接の原因はC型肝炎ウィルス感染であり,原告がこれまでに何度か受けた手術の際の輸血等によって感染した可能性が高い。
ところで,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,原告におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと認められる。
そして,前記認定のような原告の被爆当時の行動やそのことから推測される被曝線量が高度のものであり,原告はその後原爆放射線急性症状を呈していること等も考えると,原告の申請疾病である慢性肝炎は,C型肝炎ウィルス起因のものではあるが,原爆放射線もこれに関与している蓋然性が高いものと認められる。したがって,原告の申請疾病である慢性肝炎に放射線起因性を認めることができる。
(5) 要医療性
前記のとおりインターフェロンの投与の結果,原告のC型肝炎ウィルスは消失したと思われるが,なお,治療は必要であることが推認され,原告の申請疾病である慢性肝炎は現に医療を要とするものと認められる。
15 原告X24(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 入市8月11日から15日まで
被爆時年齢 17歳(昭和2年○月○日生)
申請疾患 直腸がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,昭和20年初めころ国鉄職員に採用され,浦上駅に配属されたが,同年5月ころ大分県の国鉄学校に入学し,原爆投下時も大分県にいた。
原告は,8月10日上司から帰省を命ぜられ,同月11日午後7時すぎころ道の尾駅に到着し,以後線路上を歩いて爆心地直近(爆心地から約50メートル)を通り,午後8時ころ,勤務地の浦上駅(爆心地から約1キロメートル)についた。同月12日の朝から同月14日夕方までは,駅舎付近の瓦礫の後片付けや,運ばれてきた死体を線路上に積み上げる作業に従事し,その間同月15日朝まで,駅舎跡の物陰に布地をテント状にして日除けとし,同所で寝泊りをした。
8月15日午前8時ころ,実家の大瀬戸町へ帰るため浦上駅を出発し,線路上を歩いて再び爆心地直近を通り,道ノ尾駅付近から更に北上して,同日夜に実家へ帰りついた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
被爆前,原告は健康体であったが,実家へ帰った8月16日から,血の混じった下痢,鼻血,嘔吐が始まり,20日間床についたままであった。21日目に髪をくしけずった時,脱毛がはじまり,やがて頭皮のほとんどが抜け落ちた。
ウ その後の状況
原告は,昭和22年8月に結婚し,5人の子をもうけた。しかし,今日にいたるまで疲れやすく,目まいと吐き気が断続的に続いている。血圧とコレストロール値が高く,心機能に異常があるため,ニトログリセリンを常用している。時期は不詳であるが,毎年夏季には両手にかゆみがでて湿疹(皮膚がただれる状態)がある。
原告は,平成12年秋に直腸がんと診断され,同年12月15日,b22病院にて手術を受け,左下腹部に単孔式の人工肛門を装着した。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年12月6日に,医療法人b22病院のA30医師の「被爆が発癌の一因である事を否定する事はできない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「直腸癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年5月21日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0グレイであると主張する。
しかし,原告は,原爆投下の2日後に爆心地の直近を通って,爆心地から約1キロメートルの浦上駅で3日間野宿し,その間瓦礫の後片付け,死体の運搬作業に従事したのであるから,相当量の残留放射線を浴びたことが認められる。また,内部被曝を被っている可能性も高い。このことは,原告に被爆後血の混じった下痢,おう吐,鼻血,脱毛等の原爆放射線による急性症状と考えてもおかしくはない症状が発症していることからも明らかである。
イ 放影研の調査では,LSS第8報(証拠<省略>)において,大腸,肝臓および他の器官にも放射線の発がん効果がみられる可能性が指摘されたが,同第11報第2部(証拠<省略>)では,直腸がんについては有意の上昇がみられないとされ,「原爆被爆者における癌発生率。第2部:充実性腫瘍,1958-1987年」(証拠<省略>)でも直腸がんについて放射線の有意な影響は見られなかったと報告されている。LSS第13報(証拠<省略>)では,直腸がんは,ERR推定値(シーベルト当たり)は正の値を示しているが,その90パーセント信頼区間の下限がマイナスとなっている。
以上のとおり,放影研の報告によると,部位別のがんにかかる放射線影響に関して,直腸がんについては未だ有意な影響があるとするまでには至っていない。しかし,古くから被爆者のがん全体について放射線の影響が認められており,放射線が人体に与える影響を考えれば,未だ放射線の影響が有意とはされていない部位のがんについても,放射線の影響がないとはいえず,審査の方針でも原因確率が算定されている。
ウ 以上のとおり,原告は,相当量の残留放射線を浴びたことが認められ,内部被曝も被っている可能性が高く,その申請疾病である直腸がんと放射線の影響は厳密には確認されるには至っていないが,がんと放射線の影響にかかるこれまでの研究成果をも考慮すると,上記直腸がんは原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
原告は人工肛門を装着しており,直腸がん術後の適正な管理と経過観察は不可欠であり,原告の申請疾病である直腸がんについては,現に医療が必要な状態にあると認められる。
16 X25(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 西彼杵郡長与町高田郷(爆心地から約4.5キロメートル)
被爆時年齢 5歳(昭和14年○月○日生)
申請疾患 右乳がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告の自宅は,長崎市<以下省略>にあったが,母が妹の出産後の体調がすぐれずに入院したため,原爆投下のころは妹とともに西彼杵郡長与町高田郷の母の実家にあずけられていた。被爆当日も母の実家におり,その付近の道路で従姉のX31らとともに遊んでいる時に被爆した。原告は,当時5歳であったため,被爆した際の状況はよく覚えていないが,X31の話では,遠くに飛行機の爆音が聞こえたと思った瞬間,周りがパアーツと明るくなって,すぐに物凄い爆風が吹いてきたので,原告らはとっさに道路の傍の溝に伏せたとされている。しばらくして,防空壕のある近くの農家に逃げ込んで,後刻,祖母や叔母らと出会って祖母宅に帰った。
原告がX31に連れられて逃げ込んだ家は,屋根や壁,襖やガラス,障子が爆風で吹き飛ばされていた。祖母の家も屋根や壁がこわれ,木片やガラスの破片が散乱していた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康だったが,被爆後下痢に悩まされ,疲れ易くなり,そのような状態が夏休みの間続いた。
ウ その後の状態
原告は,高校卒業後香蘭女学院に進学し,その卒業後は洋裁の仕事を続けてきた。小学生のころ腎臓を患い,通院治療を受けたことがあり,中学・高校生時代も病気がちであった。成人式を迎えたころからは,洋裁の仕事を続けると肩が凝ったり疲れ易くなったりした。昭和40年に結婚し,長男が生まれたころから全身にけだるさを感じ,昭和47年三男の出生前に具合が悪くなって,b16病院に入院して検査を受けたところ,血液中の白血球数が異常に増加していると指摘され,昭和53年ころには同病院で異常に蛋白が下りていると指摘された。平成3年に糖尿病の治療のために1か月ほど入院し,退院後も肩こりに悩まされ,疲れやすく無理はできなかった。
原告は,平成13年12月ころ,入浴時に右の乳房に異常を感じ,b16病院を受診したところ,右乳がんと診断され,同月11日,右乳房切除術を受けた。現在も4週間ごとに通院を継続している。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年12月6日に,b16病院のA31医師の「悪性新生物であり放射線の関与を否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「右乳癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),放射線起因性がないとして平成15年5月21日に申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0グレイであると主張するところ,原告の被爆地点からすると,原告が健康に影響を与える程の初期放射線に被曝したとは考えにくい。その後の原告の行動からみても,原告が健康に影響を被る程の残留放射線を浴び,あるいは内部被曝を被る可能性があったというべき状況に遭遇したことを認めるべき証拠はない。
原告は,原爆投下の後に下痢をし,小学生のころに腎臓を患い,中学・高校と病気がちで,その後も肩こりに悩み,出産後に白血球の異常を指摘される等しており,原爆投下後健康に過ごしてきたとはいえない。しかし,被爆直後に原告にみられた下痢が放射線急性症状であるということは困難であり,原告の既往歴をみても,原告が放射線の影響を受けたことを推測できるような症状があったということもできない。
イ そうすると,原告の申請疾病である乳がんに,原爆放射線起因性を認めることは困難というほかない。
17 X48(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市五島町(爆心地から約2.7キロメートル)
入市 8月9日,11日,12日,14日から2,3か月
被爆時年齢 15歳(1930年(昭和5年)○月○日生)
申請疾患 肝細胞がん
(2) X48の個別事情
ア 被爆状況
X48は,被爆当時長崎市元船町のa5社に勤務し,運送業に従事し,被爆当日も通常どおり勤務していた。五島町の会社事務所から元船町の倉庫までトラックのバッテリーを運搬するため屋外を歩いていたところ,突然,空に閃光が光り,凄まじい爆風により2,3メートル吹き飛ばされた。周囲の建物の窓等のガラスは割れて散乱し,気が付くと原告の右肘と右膝にガラスが刺さり,原告は,そのガラスを自分で引き抜くほかなかった。
X48は,興善町にあった新興善小学校に避難した後,中町を経て西坂町の山の上まで歩いて登り,町の様子を見たところ,方々で火の手が上がっていたことから小菅町の自宅が心配になり,西坂町から八千代町辺りまで下り,当時の電車の線路沿いを歩いて長崎駅前をとおり,小菅町の自宅へ帰った(八千代町は爆心地から約2.0キロメートル,西坂町は爆心地から2キロメートルを超えている。)。
8月11日町内の報国隊から学徒動員で大橋の兵器工場に行った5人が帰ってこないので探しに行くように言われ,同日及び12日,X48は,爆心地付近の浜ロ町,大橋町,坂本一丁目の△△から江平の山の手にかけての地域を朝から晩まで歩いて行方不明者を捜し回った。その間,X48は,死体を一体一体調べたり,死体を抱えてトラックに積み込む作業を行った。このような作業中,X48は,付近の水道の水を飲んだ。同月14日にX48はa5社の仕事に戻ったが,県から食料調達を依頼され,その日から2,3か月の間,食料を調達するため,毎日トラックで,五島町から爆心地を通って時津や長与の間を往復していた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X48は,被爆前は健康体であったが,被爆時にガラスが刺さった右肘と右膝の傷は,その後2,3か月間治らなかった。また,X48は8月12日から約1週間にわたって下痢を発症し,同月20日ころから約1か月にわたって脱毛が続き全体の約3分の1の髪が抜け,また,吐き気もあった。
ウ その後の状態
被爆後,X48の体調は思わしくなく,疲れやすくなった。生活のために倦怠感をおして働いたが,どの職場でも長く仕事を続けることはできなかった。
X48は,昭和40年(35歳のとき)動悸がひどく,汗をかきやすく,体重も減少していたため,b16病院を受診し,甲状腺の手術をして約8か月間入院して治療を受けた(なお,X48は,その際の疾病を甲状腺がんであると主張し,供述しているが,医療法人財団b42病院及びb10病院のカルテ(証拠<省略>)にはバセドウ病,甲状腺機能亢進症の記載があり,手術はバセドウ病の治療のために行われた可能性がある。)。
昭和45年(40歳のとき)に胆石症で手術を受け,約2か月間入院治療を受けた。
昭和47年(42歳)には全身の倦怠感がさらに増し,C型肝炎ウィルスによる肝機能障害を発症して投薬治療を受けるようになった。
50歳を過ぎてからは一段と疲れやすくなり,64歳のときからは自宅静養の状態となった。
この間肝機能障害の治療を受け続けていたが,平成6年には肝硬変になりかけていると指摘されて入院したが,退院後は寝たり起きたりの状態が続き,平成13年血圧上昇,体重減少などの症状が目立ったことからb42病院で検査を受けたところ,肝臓にがんが見つかった。同年8月17日にb10病院で手術を受け,その後約2か月間,b42病院に入院した。
平成16年,b10病院において定期的に受けていたCT検査で肝臓のがんが大きくなっているのが見つかり,約10日間入院して抗がん剤治療を受けた。また,この時に両足のふくらはぎに静脈瘤ができていることが発見され,b11病院に約10日間入院して静脈瘤を摘出する手術を行った。
その後も毎月b10病院で検査を受けつつ,b42病院b26診療所(以下「b26診療所」という。)に通院していたが,平成17年4月,定期的に受けていた検査で,肝臓のがんがさらに大きくなっているのがみつかり,同月11日か心30日までb10病院に入院して抗がん剤の投与を受けた。
同年9月6日,b10病院でのCT検査のときには,さらに肝臓のがんが大きくなっており,医師から,既に肝臓がほとんど機能していない,いつ肝不全になってもおかしくない,あと半年は持たないであろう等と告げられた。
同年10月20日と21日に続けて下血と吐血があり,同日緊急事態に備えてb42病院に入院した。医師からは予後は期待できないと言われていたが,本訴における原告本人尋問から間もなくの同年12月15日,肝不全により死亡した。
エ X26はX48の妻であり,X27,X28,X29はX48の子である。(弁論の全趣旨)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X48は,平成14年9月6日に,b26診療所A32の「被爆による放射線の影響も無視できないと考える」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「肝細胞癌」を申請疾患として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年1月28日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),この却下処分に対して異議を申し立て(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,X48の被曝線量は0.01グレイ程度であると主張する。
X49の被爆距離からすると,X48が浴びた原爆の初期放射線量は1.1センチグレイ(0.011グレイ)程度であったと推定され,人体に影響を及ぼす可能性は低い線量であるが,X48が被爆当日に西坂町から八千代町辺りを歩き,被爆の3日後から4日後に終日爆心地付近を歩き回って死体を素手でトラックに積み込むなどの作業をしているほか,8月14日以降2,3か月の間,ほぼ毎日爆心地を通る仕事をしていることから,その際に相当量の残留放射線を浴びたことが推定され,内部被曝を被っている可能性も高い。
被爆時にガラスが剌さったX48の右肘と右膝の傷が後2,3か月間治らず,被爆後下痢,脱毛,吐き気等の放射線急性症状と考えともおかしくはない症状が発症していることもX48が相当程度の放射線を浴びたことを推測させるものである。
イ X48の申請疾病は肝細胞がんであり,この肝細胞がんは,それまでのC型肝炎,肝硬変が進展して発症した可能性が高いものである。
前記7のとおり,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被爆との間に有意な関係が認められているのであるから,X48が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,前記のとおり,X48におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと認められる。
そして,前記認定のようなX48の被曝当時の行動やそのことから推測される被曝線量が相当程度のものであり,X48はその後原爆放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈していること等も考えると,X48の申請疾病である肝細胞がんは,原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
X48は,肝機能障害を指摘されて以来継続して肝炎,肝硬変,肝臓がんの治療を受け,入退院を繰り返して平成17年12月15日死亡したものであり,本件処分時にX48の肝臓がんが現に医療を必要とする状態にあったことは明らかである。
18 X30(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市岩屋町(爆心地から約3.5キロメートル)
入市 8月11日
被爆時年齢 16歳(昭和4年○月○日生)
申請疾患 心筋梗塞,高脂血症,糖尿病,腎機能障害
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
(ア) 原告は,長崎市岩屋町の父の社宅(自宅)で家族と暮らし,長崎県立瓊浦中学校の学生であったが,原爆投下当時は学徒動員されて長崎市岩川町の○○で働いていた。
原告は,被爆当日○○へ向かうため,国鉄道の尾駅まで行ったが,空襲警報が発令されたので,長崎市岩屋町の友人宅(自宅から4,5軒先の同じ社宅>で待機し,友人と将棋をしていたときに被爆した。
爆風で社宅の瓦や窓ガラスが吹き飛び,大きな外傷はなかったが,ガラスの破片で無数の怪我をした。そのため,身体に刺さったガラス片を抜き,赤チンで手当をした。父は,勤務先から血だらけになって帰ってきたが,姉は勤務先の長崎市坂本町の長崎大学医学部用度課から帰ってこなかったため,8月11日に母及び叔父とともに姉の勤務先付近(爆心から500メートル内外)へ捜しに行ったが,姉を捜し出すことはできなかった。
また,原告は,被爆の2,3日後に学校(長崎市竹の久保町,爆心地から約800メートル)へ集合し,死亡していた校長や教頭らの遺体の収容及び火葬を行った。その際,学校までは線路上や浦上川の縁を歩いて行ったので,途中,爆心地付近の松山(爆心地からせいぜい200ないし300メートル)等を通った。学校へは,被爆後2週間のうちに4,5回は行った。
(イ) 当時は食料が不足していたので,家の周りに生えているヒヨコ草,のびる等の雑草を取り,また,近所の農家から野菜,さつま芋の葉,茎などを分けてもらい,母が雑炊を作ってくれた。また,近くの小川から鮒や小魚を取って来て食べた。飲料水は屋外の共同井戸水を飲み,それを煮炊きにも使用していた。
(ウ) なお,昭和32年6月に作成された原告の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)及び被爆者健康手帳交付申請書の居所証明書(証拠<省略>)では,被爆地は長崎市岩屋町とされていたが,昭和39年5月付けでこの被爆地に関して長崎市竹ノ久保町に訂正を申請する書面(証拠<省略>),原爆被爆者調査表(証拠<省略>)及び被曝状況申立書(証拠<省略>)が長崎市に提出された。その提出(被爆地の訂正)の理由については,原告の兄が母と相談して直接の被爆者となると種々の不安(奇形児が生まれる,嫁が来ない)が出てくるから,自宅にいたことにしようということで,当初誤った被爆地が申請されたと説明されている(証拠<省略>)。また平成14年9月6日付けの認定申請書(証拠<省略>)では,被爆場所は学徒動員先の○○(岩川町,爆心池から1.4キロ)とも記載されており,証拠上その被爆地点は二転三転しているが,原告の陳述書(証拠<省略>)及び原告本人尋問の結果から,最終的には長崎市岩屋町の国鉄道ノ尾駅付近(爆心からは約3.5キロメートル。証拠<省略>)と認められる。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康上の問題はなかったが,被爆後約2週間経過してから激しい吐き気や下痢におそわれるようになった。原告の自宅の隣に長崎大学医学部の研修生が住んでいたので診察してもらったところ,パラチフスのようであると診断され,絶対安静を指示された。しかし,その症状は激しく,原告の両親は死を覚悟したという。胃の中から卵の腐ったような臭気を帯びた胃液を出し,起き上がれるようになるまでに約4か月間を要した。また,このころ,頭髪も抜け落ち,被爆後6,7か月後になってやっと生えてくるようになった。
ウ その後の状況(平成14年5月以後の状況については,証拠<省略>)
原告は,被爆後,貧血になり,目まいがして倒れることが多かった。
昭和25年ころには,健康診断,原爆検診等で中性脂肪の値が高いことを指摘され,生活や食事の指導を受けた。あわせて,中性脂肪を下げる薬といわれて,数年間投薬を続けたが,結局,中性脂肪の値は一向に下がらず,現在まで継続的に高脂血症の指摘がされている。
また,蕁麻疹が出やすい体質になったため,食事に気を使うとともに,酒も一切飲まなかった。
その後,尿管結石のため,昭和47年に長崎市<以下省略>のb27医院に約1週間入院し,昭和51年には福岡県甘木市b28医院に約4,5日間通院した。
昭和60年には,腎盂炎で長崎市<以下省略>のb29病院に約3か月間入院し,治療を受けた。最近b11病院を継続的に受診しているがその際の血液検査や尿検査の結果では,クレアチニンに異常値が出ることが多く,時に尿に蛋白が検出されることもあったが,平成16年8月31日に採取された血液等の検査以後,腎機能に係るCre(クレアチニン),Bun(尿素窒素),尿蛋白の検査値はいずれも正常であり,同病院では原告に関して腎機能の異常を指摘しているようにはみられない(証拠<省略>)。
昭和61年には,長崎市のb5病院に約2週間入院して,胆嚢の摘出手術を受けた(なお,証拠<省略>では,平成12年に胆嚢摘出術を受けたとする記載がみられる。)。
平成14年3月には肝機能障害を指摘された。
原告は,平成14年5月30日に急性心筋梗塞で倒れ,b11病院に入院し,カテーテルによる検査の後に経皮的冠動脈形成術(PTCA,ステント使用)を受け,同年6月23日に退院し,その後b30医院に約3か月間入院し,同年11月7日から同月14までステント治療の経過をみるため,再度b11病院に入院した。その退院以後,b11病院とb30医院で経過観察がされていたが,平成16年8月31日から同年9月11日までb11病院に狭心症の精査目的で入院している。その後,原告は,心筋梗塞関係の障害により,身体障害者福祉法による級別3級に認定された。
また,原告は,b11病院受診中に2型糖尿病の診断を受けた。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年9月6日に,医療法人b30医院のA33医師の「被曝との関連性は不明であるが,少なくとも被曝状況を考えると,内分泌・代謝・免疫能・治ゆ能力等にかなりの影響を受けたものと思われ,それが上記種々の疾病の発症の要因のーつとなり,また,再発をしやすい要因になっていることは否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「心筋梗塞,高脂血症,糖尿病,腎機能障害」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年7月23日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0.02グレイ程度であると主張する。
原告の被爆距離からすると,原告が浴びた初期放射線量はごくわずかなものと推定され,人体に影響を及ぼす可能性は低い線量である。しかし,原告が8月11日に姉の勤務先である長崎市坂本町の長崎大学医学部付近(爆心から500メートル内外)に赴いて姉を捜し,被爆の2,3日後に学校(長崎市竹の久保町,爆心地から約800メートル)へ集合し,死亡していた校長や教頭らの遺体の収容及び火葬を行い,被爆後2週間のうちに4,5回は学校に行ったほか,その際爆心地付近の松山(爆心地から200ないし300メートル)等を通ったりしていることからすると,原告において相当量の残留放射線を浴びていることが推測され,内部被曝を被っている可能性も高いものと認められる。
イ(ア) 原告の申請疾病である心筋梗塞について検討すると,心筋梗塞は,急激な冠動脈血流の減少によって心筋死を来す疾患であり,多くの場合は冠動脈に存在する動脈硬化プラークに血栓性閉塞を生ずることにより,突然冠血流が途絶するために発症する。まれに冠動脈スパズム,冠動脈塞栓,血管炎が原因となって発症することもある。通常,冠動脈リスクファクターを多数持っている例に発症しやすく,このリスクファクターは制御不可能な年齢,性(男性),家族歴,人種のほか,制御可能な高脂血症,高血圧,糖尿病,肥満,高尿酸血症,喫煙,ストレス,性格などが上げられている(証拠<省略>)。
原告は,前記のとおり相当以前から高脂血症を指摘され,糖尿病,高血圧症に罹患し,喫煙歴もある(証拠<省略>)。これらはいずれも上記のとおり,心筋梗塞発症のリスクファクターであり,原告の心筋梗塞がこれらの要因により発症した蓋然性は低いものではないと考えられる。
(イ) LSS第11報第3部(証拠<省略>)において,循環器疾患について高線量域(2グレイ以上)で相対リスクの過剰が認められるが,この相対リスクはがんの場合よりもはるかに小さいと報告され,AHS第7報(証拠<省略>)において若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しているとされた。次いでLSS第12報(証拠<省略>)及びLSS第13報(証拠<省略>)において放射線量とともに循環器疾患(心臓病,脳卒中)を死因とする死亡に有意な増加が認められるとされ,AHS第8報(証拠<省略>)でも被爆時40歳未満であった被爆者における1968年から1998年のMI(心筋梗塞)発生率は,有意な二次線量反応関係を示しているとされている。
他方,井上典子ほか「原爆被爆者における動脈硬化に関する検討(第7報)」(証拠<省略>)では,心筋梗塞などと関連の深い動脈硬化に関する検討がされているが,近距離被爆に動脈硬化が強いという結果は得られず,被爆者も高齢化が進み,動脈硬化の危険因子として年齢が重要な因子となっていると思われ,多変量解析では,頚動脈内膜中膜複合体厚は年齢,性,脂質と,PLAQ(プラークの総数)は年齢,血圧と有意に関連したが,被爆状況ではいずれも有意な関連を認めなかったとされ,同第8報(証拠<省略>)でも同様の報告がされた上で,「被爆者も高齢化が進み,動脈硬化の促進因子としての加齢は大きな影響を持っていると思われる。その上,食生活の欧米化や運動不足の影響で生活習慣関連因子がそれに続き,被曝状況が動脈硬化に与える影響は少ないように思われる。」とまとめられている。
動脈硬化と被曝との関係に有意な関係が認められない一方で,被爆時40歳未満であった被爆者の心筋梗塞発生率の有意な増加,あるいは死亡率調査における報告が放射線と循環器疾患(心臓病,脳卒中)との有意な関係が認められていることとの関係をどのように解すべきなのかは不明であるが,放影研の調査は若年者の心筋梗塞の発症を考える上で,放射線との関係を明らかにしたものとして重要なものであり,動脈硬化と被曝との関係が否定的なものであったとしても,そのことだけで長年積み重ねられてきたLSS及びAHSにおける調査結果の信用性を否定することはできない。
(ウ) 以上によると,原告に発症した心筋梗塞は,原告の高脂血症,糖尿病,高血圧,喫煙などのリスクファクターが働いて発症したものと推測されるものの,原告の被爆時の年齢が16歳であり,上記のとおり相当量の放射線に被曝したと推測され,内部被曝も被った可能性が高いことも勘案すれば,上記心筋梗塞のリスクファクターのほか,原爆放射線に被曝したことも,原告の心筋梗塞発症の共同の要因となって関与した蓋然性が高いというべきである。したがって,原告の心筋梗塞には原爆による放射線起因性を認めることができる。
ウ 次に,原告の高脂血症について検討すると,高脂血症とは,血液中のコレステロール又はトリグリセリドのいずれか,または両方が標準以上に増加した状態をいう(証拠<省略>)。病態は不均一で病因も多彩であるが,原発性(遺伝的要因が基盤となり欧米では家族性と呼ばれることが多い。)と二次性高脂血症(諸疾患や薬物,食事性要因等によるもの)に分類される。
ところで,本件で提出された証拠を検討しても,原告の申請疾患である高脂血症が原爆放射線と関連するとの知見は見当たらない。なお,原告らは,心筋梗塞や高血圧と放射線との関係に有意性が認められることを根拠に,高脂血症も被曝の影響が大きいと主張し,個別意見書(証拠<省略>)にもその旨の記載があるが,前者の疾病と放射線との関係が認められたとしても,動脈硬化と放射線との間に有意な関係を認めることができないとする前記の報告があることも考えると,高脂血症と原爆放射線との間にも心筋梗塞などと同様の関係があるとは直ちに認め難いといわざるを得ない。
エ 原告の申請疾病である糖尿病についてみると,糖尿病は,簡単にいえばインスリンが全身で働きにくくなったり,ブドウ糖の量に対してインスリンの量が不足するために,血中ブドウ糖濃度が持続的に高値を示す疾患である。その分類を成因によって1型糖尿病(生活習慣と無関係に発生するもので,インスリン依存性糖尿病に相当する。)と2型糖尿病(大多数は生活習慣が大きく発症に関与する型で,インスリン非依存性糖尿病に相当する。)に分類される。血糖が高い状態が長く続くと全身の血管壁に負担がかかり続け,その結果腎臓の障害,目の障害,動脈硬化症,脳卒中,心筋梗塞等様々な臓器に重大な合併症が生ずるようになる。また,神経細胞も害されて足壊疽で下肢切断に至ることもある(証拠<省略>)。
ところで,糖尿病の発症,促進,増悪に放射線が関与しているとする知見は見当たらず,原告もこの点に関する具体的な主張をしていない。
オ 腎機能障害について
腎機能障害は,腎臓に疾病等で何らかの異常が生じ,腎臓としての機能に障害が出た状態をいい,腎孟炎もその原因となり得るもののようである(弁論の全趣旨)。ところで,軽度腎機能障害ありとするA33医師作成の意見書(証拠<省略>。
平成14年8月28日作成)が提出されているが,先にみたとおり,b11病院における平成16年8月31日に採取された血液等の検査以後に腎機能の障害を示す異常値は出ておらず,同病院において原告の腎機能に異常があるとの指摘がされているようには見受けられない。上記検査は,平成16年8月31日,平成17年12月9日,同月15日,同月21日,同月26日,平成18年1月4日,同月11日にそれぞれ採取された血液や尿について多数回行われており(証拠<省略>),このような多数回の結果で異常が認められていないのであるから,現時点において原告に腎機能障害があると認めることはできない。
(5) 要医療性
上記のとおり,原告の申晴疾病である心筋梗塞には放射線起因性が認められるところ,同疾病の治療は一応成功したようであるが,なお心不全への警戒や管理が必要な状態にあるものと推測され,現に医療が必要な状態にあるものと認められる。
19 X31(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 西彼杵郡長与町高田郷(爆心地から約4.5キロメートル)
被爆時年齢 9歳(昭和10年○月○日生)
申請疾患 胃がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時9歳(小学校4年生)であり,長崎県西彼杵郡長与町(当時長与村)の自宅において,家族と生括していた。
被爆当時,原告は,X25らと自宅近辺で遊んでいたが,飛行機の飛ぶ音を聞き,しばらくすると辺り一帯が明るくなったかと思うと強い爆風にさらされた。爆風がおさまると近くの家に避難し,しばらくすると母が迎えにきたため自宅に帰った。自宅の藁葺きの屋根は爆風でめくれ上がり,家の中は割れたガラスの破片が散乱していた。その後,救護所となっていた長与国民学校に登校を命じられ,掃除などの手伝いをしていた。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は特に健康上問題はなかったが,被爆直後から下痢をしたり,脱力感を覚え,一緒にいた原告の妹たちも同様であった。
ウ その後の状況
原告は,その後も下痢気味のことが多く,疲れやすくなった。昭和33年に結婚し,2人の女の子をもうけたが,昭和63年ころ,血尿がひどく,b11病院の泌尿器科で検査を受けたところ,腎不全出血と診断され,その後排尿の際に石が出て,腎結石が原因であることがわかった。
平成10年ころから血圧が高くなり,時折ふらふらするようになり,平成12年に高血圧症と診断されて降圧剤を飲むようになった。
原告は,平成14年4月ころ,胃に重苦しさを感じるようになり,西彼杵郡<以下省略>のb31胃腸科で検査をしたところ,胃がんに罹患していたことが判明し,同年5月8日にb16病院に入院し,同月15日に手術を行い,胃の3分の2を切除した。
その後,1か月半程度入院し,退院してからも,抗がん剤を2年ほど使用していた。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年12月6日に,b16病院のA34医師の「悪性腫瘍の発生に関して放射能の影響は否定できません」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「胃癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年6月25日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0グレイであると主張するところ,原告の被爆地点からすると,原告が健康に影響を与える程の初期放射線に被曝したとは考えられない。その後の原告の行動からみても,原告が健康に影響を被る程の残留放射線を浴び,あるいは内部被曝を被る可能性があったというべき状況に遭遇したことを認めるべき証拠はない。
原告は,原爆投下の後に下痢をしたことも認められるが,そのことだけでは,これが原爆放射線による急性症状であることを認めるには足りないというほかなく,その他の既往症をみても放射線との関連を見いだすことはできない。
イ そうすると,原告の申請疾病である胃がんに,原爆放射線起因性を認めることはできない。
20 X32(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市城山122番地(爆心地から約1.5キロメートル)
入市 8月16日
被爆時年齢 12歳(昭和8年○月○日生)
申請疾患 肝硬変
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時,長崎市城山<以下省略>所在の自宅(現在の西城山小学校付近)に家族と暮らしていた。
原告は,被爆時,自宅付近の屋外で飛行機の爆音を聞き,家の中に居た母から家の中に入れと言われたので,家の中に入りかけた瞬間,屋外の自宅玄関付近で被爆した。突如雷のような閃光が起こり,両手で目を覆ったところ,背後から猛烈な爆風にさらされ玄関先で吹き飛ばされて一時意識を失った。気がつくと自宅は崩壊しており,当日の夜は家の近くの防空壕で寝泊まりし,翌日からは近所の畑で野宿をし,サツマイモやカボチャを畑から取ってきて食べ,水は井戸水を飲んで過ごした。
原告は,8月16日,家族らとともに除隊してくる親戚を迎えるために徒歩で若草町や爆心直近の松山町を経て浦上駅(爆心地から約1キロメートル)まで行き,親戚と落ち合った後に再び城山に戻った。
以後,8月21日まで城山で過ごし,同日上五島にわたり,以後は上五島で暮らすようになった。
イ 被爆後しばらくの健康状況
原告は,被爆前は健康であったが,8月21日ころから下痢の症状が重くなり,船中は食事はとれず,下痢を繰り返した。上五島に到着した後も9月末ころまで下痢が続き,ほぼ寝たままの状態の生活であった。下痢の症状が治ったのは,11月ころのことであり,また,通常より多い程度の脱毛があった。
なお,原告の原爆被爆者調査票(証拠<省略>)の「原爆による急性症状」の欄には,下痢等の記載がないが,同調査票は,原告の父が記載したため,正確ではなかったと思われ,下痢があったとする原告の供述は信用できる。
ウ その後の状況
原告は,その後,体調の良いときは漁業を手伝ったりして昭和32年8月から漁船に乗り組んで働いたが,その後も倦怠感等の体調不良は続き,仕事はなかなか長続きしなかった。
昭和40年代中ころからは,タンカーに乗船するようになったが,このころから,勤務先で行う健康診断で必ず肝臓の異常を指摘されるようになり,1年のうち2か月程度は休業して通院治療を行った。また,乗船勤務していないときは極力静養に努めた。昭和50年7月には,上五島の病院で肝障害を指摘され,b43病院に約2か月間入院した。その後も,肝臓病,糖尿病でb42病院に入院をして治療を受けている。この間,原告は,昭和58年11月11日に慢性肝炎の,昭和63年6月13日に糖尿病の診断を受けたほか,胆石症,心肥大,高脂血症,狭心症,腰痛症,甲状腺腫など多彩な病名の診断を受け,遅くとも平成5年までに肝硬変の診断を受け(証拠<省略>),検査の結果ではHCV抗体陽性である。
原告は,平成2年8月24日から同年9月22日まで全身の精査の目的で,平成5年4月20日から同年5月28日まで胆石の手術等の目的で,平成10年6月23日から同年7月21日まで検査目的で,平成11年3月10日から同年4月13日まで肝硬変の安静治療及び糖尿病コントロールを目的として,同年11月19日から同年12月15日まで安静治療を目的で,平成12年5月9日から同月25日まで同様の目的でそれぞれ入院をし,その間b26診療所やb44病院にも通院を継続している(原告は,昭和62年に佐世保市に転居している。)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年6月28日にb44病院のA35医師の「被曝歴から放射線障害も否定できず」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「肝硬変」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成14年11月8日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),この処分に対して異議を申し立てた上(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は0.9グレイ程度であり,残留放射線や内部被曝の影響を考慮する必要はないと主張する。
原告の被爆距離からすると,原告が浴びた原爆による初期放射線は,おおむね被告らが主張するような線量であったと推測されるが,原告が被爆地点付近に数日とどまり,近くの畑の野菜や井戸水を飲食した上,8月16日には更に爆心地付近を長時間歩いたことからすると,相当量の残留放射線も浴びたことが推測され,内部被曝を被っている可能性も高いというべきである。
イ 原告の申請疾患は肝硬変であり,この肝硬変は,それまでのC型肝炎,が進展して発症した可能性が高いものである。
そして,C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,前記のとおり,原告におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと考えられる。
そうすると,前記認定のような原告が浴びた初期放射線量や被爆当時の行動から推測される残留放射線からの被曝線量が相当程度のものであり,内部被曝も被っている可能性が高く,原告はその後原爆放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈していること等も考えると,原告の申請疾病である肝硬変は,原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
上記に認定したとおり,原告は,継続的に肝硬変に関する治療や検査を受けており,それが現に医療を必要とする状態にあることは明らかである。
21 X33(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 酉彼杵郡長与町吉無田郷(爆心地から約4.8キロメートル)
入市 8月11日,8月14日から同月末ころまで
被爆時年齢 8歳(昭和12年○月○日生)
申請疾患 結腸がん,胃がん
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,両親ら家族9人で爆心地から約4.8キロメートル離れた西彼杵郡長与町吉無田郷に居住していた。
被爆当時,原告は,上記自宅から100メートルくらいの畑の中の大きな柿の木の一番上の辺りまで登って,せみを取ろうと空を見上げていたところ,突然,閃光が走り,太陽が爆発したのではないかと思い,また,目が潰れてしまったのではないかと思った。
原告が地上に降りたところに,様々な物が飛んできたり,原爆のキノコ雲が気味悪かったりしたため,慌てて自宅に戻ると家の中はガラスは飛び取り,たんすや戸など家財道具は倒れ,足の踏み場もない状態だった。
原告は,8月11日早朝,大橋の父の実家に行くため,母に連れられ,国鉄長与駅から道ノ尾駅まで汽車に乗り,道ノ尾駅から約3.2キロメートル歩いて,午前9時ころに爆心地から約600メートル離れた大橋のすぐ近くにある父の実家に着いたが,その辺りはほぼ全焼で,実家やすぐ近くに住む叔父の家の人たちは誰も見当たらなかった。
その間,周辺には芋畑があったので,昼食には小さな芋を焼け残った木材などを掘り起こし,残骸で焼いて食べ,水は,残骸やごみが混じっていた井戸の水をごみなどを避けて飲んだ。
昼食後,母と一緒に親戚を捜して,周辺を先々の井戸で水を飲みながら歩き回ったが,結局,誰も見つけることはできず,母に手を引かれ2時間くらいの道のりを自宅まで歩いて帰った。
原告は,8月14日,朝から母と浦上駅まで汽車に乗り,坂本町の現在の長崎大学病院(爆心から1キロメートル以内)の近くの母の実家に行き,無事だった実家で親族と再会し,午後5時くらいまですごした。その間,畑から取ってきた芋を食べ,井戸の水を飲んで過ごし帰宅した。その後,16日からは,8月一杯くらいまで,2,3日おきくらいに母と一緒に坂本町まで行き来し,坂本町に行くと半日くらいを過ごした。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康だったが,被爆の数日後から吐き気を催すようになり,夏休みが終わり,学校に行くようになると登下校の途中で何度も吐くようになった。
なお,原告は被爆直後に数回ひどい下痢があり,それから半年くらいはしばしば下痢を起こしていたと主張しているが,原爆被爆者調査票(証拠<省略>)にその記載がないばかりか,最近作成された認定申請(証拠<省略>)にも下痢の記載はない。また,原告は原爆被爆者調査票は自身が記載したものではないと供述しているが,原告が自ら記載したことを認めている認定申請書の筆跡と対照すると,酷似している字があるほか,全体的にはその筆致が似ている。原爆被爆者調査票と認定申請書の筆跡が同一であるとまでは断定できないものの,このような筆跡の類似からすると,原告の上記供述は記憶違いの可能性もある。被爆後に原告が下痢をした可能性は否定できないものの,このような証拠関係では,それが原告が主張するような態様での下痢であったと認めることは困難である。
ウ その後の状況
原告は,20ないし32歳ころまで体中の関節が痛く,あごが痛い時は,食パンが噛めないほど痛く,病院にも行ったが,「リウマチに似ているが違う。原因は分からない。」と言われ特段の治療はなかった。
42,3歳のころ白内障を患い,平成13年5月24日及び同月31日に水晶体再建術を受けた。
55歳のころから体が大変だるく,疲れるので,病院を受診したところ,慢性肝炎(C型肝炎)といわれ,58歳のころ(平成7年ころ)にはb16病院に1か月入院した,そのころ,寝ていたときに胸の辺りが非常に重苦しくなり,かかりつけの病院に行ったところ,軽い狭心症と診断された。
平成10年2月19日,上行結腸がんによりb16病院に入院し,同年2月27日手術をした。さらに,平成13年7月26日胃がんで同病院に入院し,同年8月1日手術をした。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成14年9月6日に,b16病院外科のA17医師の「上行結腸癌,胃癌が放射能に起因する影響を否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「結腸癌,胃癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年2月21日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),この処分に異議を申し立てた上(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は残留放射線による被曝を最大限に考慮しても,0.02グレイ程度であると主張する。
原告の被爆地点からすると,原告が,その健康に影響を受ける程の初期放射線に被曝したとは考えられないが,8月11日に爆心地から約600メートル近辺を歩き回り,その周辺の芋を食べ,井戸水を飲んでいるほか,同月14日に爆心から1キロメートル以内の坂本町辺りに入り,以後8月一杯くらいまで2,3日おきに坂本町まで行き,半日くらいを過ごしていることを考えると,原告は,相当量の残留放線に被曝し,内部被曝を被っている可能性が高い。
前記のとおり,原告にその主張のような下痢があったと認めることは困難であるものの,強い吐き気やおう吐の症状がみられ,これが放射線急性症状と考えてもおかしくはないものであることや,後記のとおり重複がんに罹患していることも,上記認定を裏付けているといえる。
イ 放影研の調査の結果では,LSS第10報第1部(証拠<省略>)で,胃がん,結腸がんについて有意な線量反応が認められたとされ,この結果は,LSS第11報第2部(証拠<省略>),「原爆被爆者における癌発生率。第2部」(証拠<省略>),でLSS第12報第1部(証拠<省略>),LSS第13報(証拠<省略>)において逐次確認されている。
また,多重がんに罹患したことが,原爆放射線の影響を積極的に考える一つの根拠となることは,前記5で述べたとおりである。
そして,原告の被爆後の行動を考えると,原告が相当量の残留放射線に被曝し,また,内部被曝を被っている可能性の高いことは前記のとおりであるから,上記のような放影研の調査結果などと併せ考えれば,原告に発症した申請疾病である結腸癌及び胃癌は,原爆放射線に起因するものと推定される。
(5) 要医療性
原告は,結腸がんや胃がんの再発の防止や管理のため現在も一定の頻度で通院しているようであり,上記各疾病は現在医療の必要な状態にあると認めることができる。
22 X49(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市出雲町(爆心地から約4.6キロメートル)
入市 8月10日,8月16日
被爆時年齢 14歳(昭和6年○月○日生)
申請疾患 白血病
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
X49は,祖父母,次姉ら4人で長崎市出雲町の自宅で生活していた。
被爆当日,X49は,自宅縁側で甥2人と遊んでいたところ,飛行機の音が間こえ,空を見上げると空中に真っ赤なものを見た。X49がすぐに自宅の防空壕に避難すると,その直後爆風が襲った。家の損壊は免れたが,裏の塀が倒れ,家の中は足の踏み場もないような状態であった。
翌10日午前4時ころ,出雲町に避難してきた母らとともに,長与町丸田郷の母の疎開先に行くため,大八車に荷物を積み,途中母の実家があった魚の町に寄って荷物を取り,長崎駅前辺りに出て電車通り沿いに爆心地付近の浜口町,松山町,大橘町を通って長与に向かい,暗くなってからようやく目的地に到着した。
また,X49は,8月16日に行きと同じ道を歩いて自宅に帰った(証拠<省略>では,同月12日とされている。)。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X49は,被爆当時九州高等簿記学校に通っており,健康な体だったが,8月12日ころから微熱が続き,体がだるく,同月16日に出雲町に帰ってからも同様の状態で食欲もなかった。
また,歯茎が腫れて色が悪くなり,自然に前歯のあたりから出血し,一度出血すると簡単には止まらなかった。
1日2,3回の下痢が被爆後1月くらい続いた。
被爆から2,3か月して,口の中に「ぶつぶつ」ができたので病院に行ったが,口内炎との診断だった。
なお,X49の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)の急性症状の欄は空白となっているが,X49は,同調書票をみたことがないと供述しており,筆跡からみてもX49が記載をしたものとは考えにくい。その作成の経緯などは本件の証拠からは不明であって,上記急性症状欄が空白であるという理由で,X49の供述の信用性を否定することはできない。
ウ その後の状況
X49は,出雲町の自宅で生活していたが,被爆から4,5年したころ,歯と歯の境の歯茎の部分がうっ血したようになり膨れて柔らかくなり垂れてくることもあり,それが10年くらいの間時々あった。
X49は,昭和27年(21歳)に結婚したが,体のだるさが続いていた。2度の流産の後,昭和29年に長男を出産し,昭和32年7月には二男を出産した。その後,夫の転勤に伴って名古屋,横浜と転居したが,昭和40年に帰崎した。その後,被爆者健康手帳を取得して検診に行くようになったが,その結果体のだるさの原因が貧血だと分かった。そのころから,貧血は更にひどくなり,座っていてもいつも体が揺れているような,ブランコに乗っているような感じがして,時々しゃがみこむようなことがあった。
昭和56年に子宮筋腫で手術をした際に,大量の輸血をし,その後,膵炎,肝炎などで入退院を繰り返し,平成2年8月にはb32医院で狭心症と診断された。その後,体のあちこちに紫斑ができてはいつのまにか消えることが繰り返されるようになり,その状態は長い間続いた。
平成3年10月,乳がんと診断され,左乳房切除の手術を受け,平成12年ころ,帯状発疹を発症した。最近は,頭痛がひどく,脳外科で脳梗塞により血管が3か所詰まっていると言われ,薬を服用している。
X49は,平成6年10月b11病院で,白血病(遅くとも平成14年9月20日には成人T細胞白血病と診断されている。)と診断されて入院し,退院後はb10病院に通院していたが,平成18年8月4日に死亡した。
なお,母(ただし,被爆場所は魚の町ではないかと思われる。)は平成5年に肺がんで死亡し,原告と行動を共にしていた次姉は,直腸がん及び狭心症に罹患して通院している。
エ X34はX49の夫であり,X35,X36はX49の子である(弁論の全趣旨)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X49は,平成14年12月6日に,b10病院原研内科のA36医師の「被爆者においては多重癌の多いことが統計的に証明されている。また免疫カの低下により,治ゆ能力が低下しているものと考えられる。」との意見書(証拠<省略>)を添付し(なお,同医師の意見書には,負傷又は疾病の名称として「成人T細胞白血病慢性型」と記載されている。),「白血病」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年12月2日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,X49について残留放射線による被曝を最大限に考慮してもわずか0.05グレイ程度であったと主張している。
X49の被爆地点からすると,X49が,その健康に影響を受ける程の初期放射線に被曝したとは考えられないが,8月10日及び16日に長時間をかけて爆心地付近を通って避難していることからすると,X49は相当量の残留放線に被曝し,内部被曝を被っている可能性が高い。
被爆後に微熱が続き,歯茎からの出血,下痢など放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を発症していることも,上記認定を裏付けるものである。
イ 成人T細胞白血病(ATL)は,リンパ節腫脹,肝脾腫,皮膚病変,高カルシウム血症,白血球増加等の特徴的な臨床症状を呈し,九州(特に鹿児島,宮崎,長崎),沖縄などに多くみられる疾病であり,特に長崎県では人口比で全国平均の10倍の発症数があり地域集積性が最も高い。その原因は,ヒトレトロウィルス・HTLV-1(human T-cell leukemia virus typeI)というウイルスが感染することにより生じる白血病であり,原爆放射線によって引き起こされる慢性骨髄性白血病とは異なるタイプのものである。
成人T細胞白血病は,末梢血中の異常T細胞数,血清LDH値,血清Ca値,腫瘍の臓器浸潤の程度,臨床経過を下に,急性型,リンパ腫型,慢性型,くすぶり型に分類されている。初発症状は,全身倦怠感,食欲不振,発熱,腹部膨満,咳,リンパ節腫脹,皮膚病変,黄疸などであり,時に口渇,多飲多尿,眠気などの症状がある。リンパ節腫脹が70ないし80パ-セントに,肝臓大,脾腫及び皮膚病変が30ないし40パーセントにみられ,皮膚病変は紅皮症や腫瘤,結節,紅斑,小丘疹等の形を取る。
予後は極めて不良であり,生存期間の中央値は,急性型で約6か月,リンパ腫型で約10か月,慢性型で約24か月,くすぶり型で5年以上といわれている。免疫不全状態にあるごとが多く,種々の感染症をきたしそれが致命的になることが少なくない。
(証拠<省略>)
ウ 以上のとおり,原告は相当量の残留放線に被曝し,内部被曝を被っている可能性が高い。しかし,b10病院においては原告の骨髄穿刺は行われていないが(証拠<省略>),X49についてはヒトレトロウィルス・HTLV-1について陽性反応が出ており,皮膚症状も認められることから,その白血病は成人T細胞白血病であることが認められる(証拠<省略>)。この疾病は,放射線被曝によって発症することがよく知られている骨髄性白血病とは異なった白血病である。そして,成人T細胞白血病の発症の原因は上記ウィルスであるとされており,放射線を原因とするものではない。もっとも,放射線の照射を受けたことによって免疫機能が低下し,これによってX49の成人T細胞白血病の発症や症状が促進,増悪した可能性は否定できないものの,同白血病が原爆放射線と関連していることを示す知見は,本件で提出された証拠では確認できない(調査嘱託結果でも関連性は否定されている。)。
そうすると,X49の申請疾病である白血病について放射線起因性を認めることは困難といわざるを得ない。
23 X50(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市八千代町(爆心地から約2.1キロメートル)
入市 8月13日から16日まで
被爆時年齢 13歳(昭和6年○月○日生)
申請疾患 肺がん
(2) X50の個別事情
ア 被爆状況
X50は,淵国民学校高等科の2年生で,長崎市大浦元町の自宅に家族と暮らし,大波止にあったa6社で作業の手伝いをしていた。
被爆当日,X50は,大波止のa6社の工場から上野町にあった工場まで,リヤカーに米,麦等の食料を積んで運搬する作業をしていた。長崎駅前を経由し,途中八千代町にあった民家の軒下で休憩していたところ,シャーという音とともに青い光が上空からかぶせられるように降りてきた。
X50は,灼けるような熱さを感じ,その瞬間に意識を失った。その後意識を取り戻したときには,地面にうつ伏せの状態で倒壊した家屋の柱等の下敷きになっていた。X50は,当時,長袖のシャツ,長ズボンを着用していたが,気が付くと,右膝の皿のやや下の内側部分に,骨が白々と見えるほどにえぐり取られた深い傷ができていた。
しばらくしてから歩き出すと,その傷口から血がだらだらと流れてきたため,持っていた日本手拭いを傷の上に巻いて傷を防護したが,血は止まらなかった。当初は来た道を戻ろうとしたが,通行できないとのことだったので,金比羅山方面に向かい,立山の運動場にあった横穴場に避難した。その道中,畑の中を歩き,途中で農家の前の井戸水を飲んだ。
その日の夕方になってから,X50は,立山の運動場から大浦元町の自宅へ歩いて帰った。
X50の姉は,爆心地直近の長崎市駒場町にあったa7社に勤めていたが,原爆投下後行方不明となっていたので,X50は,8月13日から同月16日まで,父と一緒に駒場町を中心とした爆心地付近を姉を捜して回った。
イ 被爆後しばらくの健康状態
X50は,被爆前は健康体であった。しかし,被爆時に右膝に負った深い裂傷は,サボテン,アロエ,渋柿の汁等飲んだり塗ったりして手当をしたが,6か月以上ふさがらなかった。被爆の約1か月後から就寝時に枕カバーが真っ赤になる程歯茎から出血があり,この就寝時の出血は6か月以上続いた。
同じころから脱毛も始まり,6か月以上続いて頭髪は半分以上抜け落ち,まばらな感じになった。また,被爆後約6か月の間,下痢が起こったり治まったりの繰り返しであった。
なお,X50の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)の急性症状欄には,脱毛(ただし,期間は不明)及び歯ぐきからの出血の記載があるが,下痢の記載はない。被告らは,X50に急性症状がなかったと主張しているところ,X50本人を尋問することは叶わなかったが,上記調書票及びX50の陳述書(証拠<省略>)の被爆後しばらくの症状に関する記載の信用性を疑うべき事情は認められず,X50には上記認定のような症状があったと認めるのが相当である。
ウ その後の状況
X50は,終戦後海上保安庁に勤務していたが,昭和49年に狭心症を発症し,b10病院に約3か月入院してニトログリセリン等の投薬治療を受け,その後も10年以上にわたって投薬治療を続けた。
平成10年3月ころからは,身体がきつく,咳が頻繁に出るなど,風邪に似た症状が出てきた。やがて食事もできないほどに具合が悪くなったので,.住所<省略>のb33クリニックを受診したところ,血液検査で酸素量が通常の約半分となっていることが判明し,また,左肺に血液がたまっていることも判明したため,同院にそのまま入院となり,それからの約50日間個室で絶対安静にしていた。
その後b10病院で胸部のCT検査をしたところ,左肺にがん(腺がん)が見つかった。同年6月,同院で左肺を半分ほど切除する手術を受け,抜糸後は同院を退院して再びb33クリニックに同年8月末ころまで入院した。同院を退院後は,自宅で静養しながら同院に通院し,各種運動をするなどのリハビリを行った。
X50は,平成13年6月になって再び身体がきつい,咳が頻繁に出るなどの症状が表れたため,b10病院で検査をしたところ,右肺にがん(小細胞性がん)が見つかった。これは進行性のがんであり,このとき既に握り拳大となっており,末期に近い状態であった。X50は,同病院へ入院し,抗がん剤の投与,放射線治療を受けたところ,幸いがんは小さくなり,一命を取り留めたが,同年末ころがんが転移し,両頸部にリンパ腫が見つかったため,さらに抗がん剤投与,放射線治療を続けなければならなかった。平成16年2月20日をもって,一旦放射線治療は終了したが,少し体を動かすだけで息苦しく,抗がん剤の副作用か,手足の指先がしびれ,頭髪,体毛がほとんど抜け落ちてしまった。
その後静養しつつ,治療を継続していたが,平成16年5月13日に死亡した。
エ X37はX50の妻であり,X38,X39,X40はX50の子である(証拠<省略>)。
(3) 原爆症認定申請と原処分
X50は,平成15年3月6日に,b10病院第2外科のA37医師の「原爆被曝との因果関係は否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「肺癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年12月2日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),異議申立てを経由せずに本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,X50の被曝線量は0.063グレイ程度であり,残留放射線による被曝は考慮する必要がないと主張している。
X50の被爆距離(2.1キロメートル)からすると,その距離における原爆の初期放射線量はおおむね0.09グレイ程度と推定され,X50が火傷などを負っていないことからすれば,何らかの遮蔽があった可能性があり,そうであれば,X50の浴びた初期放射線量は上記線量よりは小さなものとなる。そして,X50がそのまま長崎市立山の横穴壕に歩いて避難し,その道中で農家の前の井戸水を飲み,8月13日から同月16日まで,爆心地付近で行方不明となった姉を捜して回っていることを考えると,X50が相当量の残留放射線に被曝し,また,内部被曝を被った可能性も高い。
X50が被爆時に負った傷口が6か月以上ふさがらなかったことや,歯茎からの出血,下痢・脱毛などの原爆放射線による急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈していることからも,X50が相当量の放射線に被曝したことを推測できる。
イ X50の申請疾患は,肺がんであるが,放影研の調査によると,肺がんについては既にLSS第6報(証拠<省略>)において期待数より多く発生しているといえそうであるとされ,その後の寿命調査報告(LSS第7報ないし第13報等)ではいずれも放射線との関連性が認められている疾病である。
このことに,上記のとおりX50が相当量の放射線に被曝したものと推定されることやX50に放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状が現れていることも考え併せれば,X50の申請疾病である肺がんは,原爆放射線に起因するものであると認められる。
(5) 要医療性
X50は,平成10年6月に肺がんと診断されて以降,入退院を繰り返し,肺がんの再発,転移と考えられるリンパ腫の発症,その後の治療の経緯からして,本件処分時において原告の肺がんが現に医療を必要とする状態にあったことは明らかである。
24 X41(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 国鉄道の尾駅付近(爆心地から約3.3キロメートル)
入市 8月15日
被爆時年齢 11歳(昭和9年○月○日生)
申請疾患 悪性リンパ腫
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,長崎市平戸小屋町の自宅に家族とともに生活していたが,8月1日に爆弾が投下されたことから,長崎県西彼杵郡長与町の親戚方(爆心地から北方約4キロメートル)に避難していた。8月9日は,長崎市平戸小屋町の自宅(爆心地から南方約3キロメートル)へ帰るため,旧国鉄道ノ尾駅(爆心地から北方約3.3キロメートル)の構内で切符を買うために姉とともに並んでいた時に被爆した。被爆時,爆風により窓ガラスの破片等が飛散し,原告は両下肢に飛散したガラスによる切創を負った。
原告は,何が起きたのか分からないまま,姉と共に近くの梨畑に逃げ,一旦近くの小山へ避難した。しばらく小山で過ごした後に,道ノ尾駅近くにあったもう1件の親戚の家に身を寄せていたところ,その親戚方に母が迎えに来た。夜になって長与町の親戚の家へ戻り,そこに8月15日まで滞在した。
8月15日,母とともに自宅に帰ることになり,途中爆心地から約400メートル地点にある大橋を渡り,爆心地の西側200ないし300メートルの地点を北から南へ向かって流れている浦上川沿いの道を歩いて自宅に帰った。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前には健康上は何ら問題はなかったが,自宅に帰ってしばらくして少し毛髪が抜けた。
ウ その後の状況
小中学生のころはよく耳を悪くして耳鼻科に通っていた。20歳代半ばころからしばしば発熱したり,暑い時期に鼻血が出て病院で治療を受けた。
平成元年ころから胃腸の具合が悪くなり,現在までb34胃腸外科で診療を受けている。
平成14年9月ころから,鼻と耳の治療のため自宅近くの病院に通院していたが,同年10月ころから,右側頚部の腫れが大きくなり始めたため,b16病院を紹介されて,同年12月4日にされたリンパ節生検の結果悪性リンパ腫と診断され,同月13日から平成15年1月22日まで同病院に入院して抗腫瘍剤による化学療法を受けた。平成17年9月には反対側に悪性リンパ腫が再発して入院治療を受け,同年12月に退院したが,その後も現在まで同病院で通院治療を受けている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成15年3月6日に,b16病院のA38医師の「学童期の被爆であり,今回の悪性リンパ腫の発症に被爆による放射能も起因していると考えられる」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「悪性リンパ腫」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成15年12月2日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 披告らは,原告の被曝線量は0グレイであり,残留放射線の影響を考慮する必要はないと主張する。
原告の被爆地点からすると,原告が,その健康に影響を受ける程の初期放射線に被曝したとは考えられないが,8月15日に爆心地付近を通って自宅に帰っていることからすると,残留放射線による被曝をした可能性が高く,また,内部被曝を被った可能性もある。なお,原告は,原告の被爆地点の爆心からの距離は3キロメートルであると主張するが,(証拠<省略>)からすると,上記認定の距離が正しいと思われる。
イ 放影研の調査では,LSS第8報(証拠<省略>)でリンパ腫について放射線の影響が示唆的とされたが,同第10報(証拠<省略>)では,悪性リンパ腫については全般的な放射線線量反応に統計的有意性は認められなかったとされ,以後の同第11報(証拠<省略>),同第12報(証拠<省略>)でも同様の報告がされている。しかし,「その他の固形がん」や「すべてのがん」については放射線との関係が有意だとされており,悪性リンパ腫も放射線との関連があるものと推定されるものである。被告らも,悪性リンパ腫については放射性起因性は明確には確認されていないが,その関係は完全には否定できないものとして原因確率を算定している。
ウ 以上のとおり,原告において残留放射線による被曝をした可能性が高く,内部被曝を被った可能性もあり,悪性リンパ腫も放射線との関連があると推定されることを考えると,原告の申請疾病である悪性リンパ腫は原爆放射線に起因するものと推定するのが相当である。
(5) 要医療性
前記のとおり,原告は,平成17年9月に再度入院してリンパ腫の治療を受け,退読後も治療を継続しているのであるから,同疾病が現に医療を必要とするものであることは明らかである。
25 X42(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市銭座町(爆心地から約1.5キロメートル)
入市8月9日,8月10日から約10日間
被爆時年齢 18歳(昭和2年○月○日生)
申請疾患 慢性肝炎
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
(ア) 原告は,被爆当時18歳であり,飽の浦の○○で溶接等を行う工員であった。
被爆当日,原告は,指の怪我の治療に行くため勤務先の○○に併設されたb35病院に行くため,大橋駅で軌道電車に乗車していたところ,爆心地から約1.5キロメートルの長崎市井樋ノ口町(現在の銭座町電停付近)において軌道電車車内で被爆した。
原告は,青白い閃光を目にし,強烈な爆風によって電車は播れて窓ガラスはすべて吹き飛んだ。原告は車内で座っていたが,気付いたときには電車の車外に立っていた。原告は,その際,額に小さな切り傷を負っており,その傷から若干出血していた。
原告は,被爆地点から長崎市本原3丁目にあった自宅まで歩いて帰宅することにし,爆心地付近をとおり,b10病院(現在の長崎大学歯学部のある辺り)まで到着したが,その後は住宅街は燃えて通れそうもなかったため,市街地を外れて山に入り農道をとおり穴弘法辺りを経由して,午後3時ころ,自宅にたどり着いた。原告が歩いた被爆直後の町は多量の塵や埃が充満し,あちこちに人が倒れていた。
(イ) 原告は,帰宅後,隣家の住人から,原告の父が松山町の歯医者に行くと言って松山町の電停で電車を降りたので被爆したのではないかと聞き,8月10日から約10日間の間,毎日午前10時過ぎころから午後2,3時ころまでの間,爆心地付近の松山町を中心として,西浦上,竹の久保,城山などを歩き回って父を捜した。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康状態に何の問題もなかったが,被爆後約1週間して,歯ぐきから出血をしたり,鼻血が瀕緊にでるようになり,下痢,血尿,血便等の症状も発症し,1年後には40度くらいの発熱もした。
ウ その後の状況
原告は,被爆以後,上記の諸症状が続き,症状が良くなっても再発することの繰り返しであった。また,今日に至るまで,一貫して体のだるさが続いており,非常に疲れやすい体質になり,仕事をしていても少し作業をしただけですぐに疲れてしまい,長時間続けることはできなかった。
30歳前のころには,土方の仕事をしている時に突然血を吐いて倒れてしまい,そのまま1週間ぐらい意識不明になったりしたこともあった。
原告は,昭和和59年ころ,頭痛と下痢が続いたために血液検査を受けたところ,b16病院を紹介され,同病院でC型肝炎による肝機能障害と診断されて約3か月間入院してインターフェロンの投与等の治療も受けた。その後もb16病院に通院して慢性肝炎,高血圧,一過性脳虚血発作の治療を受けている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成15年3月6日に,b16病院のA21医師の「慢性肝炎の原因として,原子爆弾の影響は否定できない」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「慢性肝炎」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成16年3月4日に申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は,残留放射線による被曝を最大限に考慮しても0.68グレイ程度であると主張する。
原告の被爆地点の爆心からの距離(1.5キロメートル)では,原爆による初期放射線の線量は1グレイ前後と推定され,電車内で被爆していることからすると,遮蔽があった可能性があり(ただし,原告の身体のすべてが遮蔽されていたとは断定はできない。),初期放射線の被曝線量は上記線量を多少下回る可能性がある。他方,その後,原告が自宅に帰るために爆心地付近を通り,8月10日から約10日間爆心地付近を長時間にわたり父親を捜して歩き回っていることを考えると,原告が相当量の残留放射線に被曝したものと推定され,また,内部被曝を被っている可能性も高い。
原告は,上記のとおり,被爆後に急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈しているが,このことも原告が相当量の放射線に被曝したことを裏付けている。
イ 原告の申請疾患は慢性肝炎であり,HCV抗体が陽性であることから,C型慢性肝炎と認められる(証拠<省略>)。C型肝炎の発症,持続,進展(肝硬変や肝がんへの進展を含む。)と原爆放射線との関係は前述のとおり必ずしも明らかではないが,慢性肝疾患や肝硬変と放射線被曝との間に有意な関係が認められているのであるから,原告が一定量の放射線を浴びたものと認められる以上,前記のとおり,原告におけるC型肝炎,肝硬変,肝がんという疾病の進展にも,HCVと共に放射線が何らかの関与をしていた蓋然性は高いと考えられる。
そして,前記認定のような原告が浴びた初期放射線量や被爆当時の行動から推測される残留放射線からの被曝線量が相当程度のものであり,内部被曝も被っている可能性が高く,原告はその後原爆放射線急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈していること等も考えると,原告の申請疾患である慢性肝炎は,原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
上記に認定したとおり,原告は,現在でも慢性肝炎に関する治療を受けており,それが現に医療を必要とする状態にあることは明らかである。
26 X43(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市竹の久保町(爆心地から約1.4キロメートル)
被爆時年齢 13歳(昭和7年○月○生)
申請疾患 狭心症
(2) 原告の個別事情
ア 被爆状況
原告は,被爆当時,県立高等女学校の1年生で,長崎市竹の久保町の白宅で家族3人で暮らしていた。
原爆投下時,原告は,自宅近くにあった防空壕の周りで,その拡張作業を見守っていた。原告が,ここで,北東の方角にある町の方を眺めていたところ,突然,閃光が原告を襲い,原告は突風で飛ばされ,しばらく気を失っていた。気がつくと,耳が聞こえず,目も見えず,声も出ない状態になり,目が見えるようになるまで30分ほど,声が出るまで3日ほど,耳が聞こえるようになるまで10日ほどかかった。
住居は完全に倒壊しており,被爆後l週間は,防空壕で生活せざるを得ず,雨水を直接体に受けることも多く,飲み水がないため,山から流れてくる雨水をそのまま飲料水として使用していた。
終戦後は,親戚のいた高来町,その後川棚町に引っ越した。
なお,原告の主張では,原告の被爆地点は爆心から1キロメートルとされているが,証拠<省略>からは上記のとおり1.4キロメートル程度の地点であったと認められる。
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康であったが(ただし,腎臓炎を患ったことがあるようである(証拠<省略>)。),被爆後2日目あたりから,激しい下痢になり,また,嘔吐も繰り返した。食べた物はすべて吐いてしまい,下痢も繰り返すという状況がその後10日問ほど継続した。
脱毛もひどく,櫛で髪をとくと,そのまま何本もの毛が抜け落ちていった。そのため,すぐに地肌が見えるほど頭が薄くなってしまった。
被爆後5日目ころから,足や腕に多数の水疱ができて腫れ上がり,その水疱が破裂した部分に蛆が湧いて激痛におそわれた。そのため,満足に歩くこともできず,高来町などへの移動の際には,親戚の人に背負ってもらわなければならなかった。
体中に,赤紫色の小豆大の斑点が無数にでき,3,4か月間消えず,数か月間は,体が異常にだるく感じられ,すぐに横になってしまうような状態であった。
なお,原告の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)の急性症状の欄には下痢の記載と四肢水疱症の記載はあるが,脱毛の記載がない。原告については,後記のような事情から本人尋問をすることができなかったので,その点に関する説明を聞くことはできなかったが,認定申請書にも脱毛があったことが記載されており,この点に関する原告の供述の信用性を否定すべき事情は見当たらない。
ウ その後の状況
昭和24年に首のリンパ腺が突然腫れ上がって,40度近い発熱をし,20日間ほど下がらなかった。白血球の増加があり,白血病を疑われたようである。最近でも,1か月に1回は首のリンパ腺が腫れ,熱が38度程度まで出て,薬を飲んでも3日間ほど熱が引かないことがある。
昭和25年には,父の死の知らせを受けて病院に駆けつけた際,突然鼻血が多量に出て,倒れたことがあった。
昭和31年,昭和33年,昭和38年と立て続けに,早産や流産を繰り返したことがある。
昭和50年を過ぎたころから,心臓に痛みを感じるようになり,狭心症と診断された。平成12年ころになると,心臓の痛みがさらに激しくなり,痛みのために歩行さえも困難になり,医療法人b40病院において冠動脈造影を行ったところ,冠動脈は石灰化が著明で,重度の冠動脈狭窄が認められた。同年8月8日にb10病院で冠動脈バイパス術が行われたが,冠動脈の石灰化のため吻合ができず完全な血行再建ができなかった。
なお,b10病院では,原告について,狭心症(労作性狭心症)のほか,高血圧,高脂血症,糖尿病,腹部大動脈瘤と診断している。
現在,原告の心臓は,胸部動脈からバイパス手術を行った1本の動脈によってかろうじて動いている状態であり,そのため原告は身体障害者等級1級に認定されている。軽い労作で狭心症発作を生じる状態であって,歩行も困難で,少し歩くと心臓が痛くなり,階段も手すりにつかまって4,5段歩く度に休憩しなければならない。医師からは,安静にするように指示されており,臨床尋問も困難で,薬物の投与と定期的な冠動脈造影が必要な状態が続いている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成15年7月18日に,上記b40病院のA39医師の「冠動脈の石灰化,硬化は,他の狭心症症例と比較しても非常に高度であり,被爆の際の放射線の影響が強く認められる。被爆の状況を勘案してみても,狭心症が原爆の放射線に起因する可能性は高いと考える」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「狭心症」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成16年5月12日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>),本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は,1.36グレイと推定され,残留放射線による影響は考慮する必要がないと主張する。
しかし,原告の被爆地点の爆心からの距離(約1.4キロメートル)では,原爆による初期放射線の線量は1.5グレイ(証拠<省略>では1.36グレイ1)前後と推定され,その後も原告が被爆地の近くに留まっていることからすると,原告は相当の残留放射線による被曝をしたものと推定され,また,内部被曝を被っている可能性も高い。
原告は,上記のとおり,被爆後に急性症状と考えてもおかしくはない症状を呈しているが,このことも原告が相当量の放射線に被曝したことを裏付けている。
イ 原告の申請疾患は狭心症である。
(ア) 狭心症は,一過性の心筋虚血(酸素不足)の結果,特有の胸痛発作(狭心痛),心電図変化,心筋代謝異常,心機能障害を来す臨床症候群である。一般には,心外膜面を走行する冠動脈の異常により生じた虚血発作のことをいう。その病因のほとんどが冠動脈硬化を基礎としており,通常,冠動脈リスクファクターを多数持っている例に発症しやすい。このリスクファクターは制御不可能な年齢,性(男性),家族層,人種のほか,制御可能な高脂血症,高血圧,糖尿病,肥満,高尿酸血症,喫煙,ストレス,性格などが上げられている(証拠<省略>)。
(イ) 井上典子ほかの「原爆被爆者における動脈硬化に関する検討(第7報)」,(証拠<省略>)では,動脈硬化と被曝状況との有意な関連は認められないとされている。
他方,放影研における調査ではLSS第11報(証拠<省略>)で,循環器について高線量域(2グレイ以上)で相対リスクの過剰が認められるが,この相対リスクはがんの場合よりもはるかに小さいと報告された後,LSS第12報第2部(証拠<省略>)において,循環器疾患(心臓病,脳卒中)が放射線量と共に死亡率が統計的に有意に増加するという報告がされ,LSS第13報(証拠<省略>)でも同様の報告がされている。他方,AHS第7報(証拠<省略>)においては,心臓血管系の疾患については,いずれにも有意な線量反応関係は認められなかったが,近年,若年被爆者では心筋梗塞の発生が増加しているとされ,同第8報(証拠<省略>)では40歳未満であった若年被爆者の心筋梗塞発生率は有意な曲線状の線量反応関係を示しているとされている。また,「原爆放射線が免疫系に及ぼす長期的影響:半世紀を超えて」(証拠<省略>)では,原爆被爆者の免疫系には放射線被曝の顕著な影響がリンパ系細胞の構成や機能に観察され(CD4ヘルパーT細胞集団の減少),原爆被爆者において心筋梗塞の有病率はCD4ヘルパーT細胞の比率が低下した人で有意に高かったことなどが報告され,原爆放射線の作用に関して,T細胞ホメオスタシス(均衡)の撹乱,長期にわたる炎症の誘発等の仮説を立てている。
(ウ) 以上のとおり,虚血性心疾患の主要な要因である動脈硬化について放射線の影響が認められていないのに,限定的ではあるが(被爆時40歳未満の被爆者に限って)心筋梗塞と被爆との関係が有意とされている。この関係をどのように理解していいかは不明であるが,このような調査結果からは,被爆時40歳未満の被爆者に発症した心筋梗塞と原爆放射線との関連性を否定することはできないというべきである。そして,心筋梗塞は血流障害によって不可逆的な心筋壊死を起こす疾病であるのに対して,狭心症は血流障害によって器質的障害を残さない一過性の虚血であって(証拠<省略>),いわば同質の疾病であるから,心筋梗塞に放射線の影響が肯定されるのであれば,狭心症には同様の機序が働くと判断するのが合理的である。
ウ 前記認定のとおり,原告には,狭心症のリスクファクターとされる高血圧,高脂血症,糖尿病等の疾病があり,このような要因を基礎として狭心症が発症したものと推定される。しかし,前記のとおり,原告が相当量の放射線を浴び,内部被曝を被っている可能性の高いことや,狭心症の発症などが原爆放射線と関連していることを否定できないことも考え合わせると,原告の申請疾病である狭心症は原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
前記認定のとおり,原告は,医師から安静を指示され,薬物の投与と定期的な冠動脈造影が必要な状態が続いているのであるから,その狭心症が現に医療を必要とする状態にあることは明らかである。
27 X44(証拠<省略>)
(1) 概要
被爆地点 直爆 長崎市桜馬場町(爆心地から約3.2キロメートル)
入市 8月10日,8月15日
被爆時年齢 17歳(1927年(昭和2年)○月○日生)
申請疾患 大腸がん
(2) 原告の個別事情
ア 被曝状況
原告は,被爆当時は長崎市伊勢町の自宅で家族と生活し,家業のもやし製造を手伝いながら警防団(消防団)で活動していた。
原告は,原爆が投下された8月9日の午前中に警戒警報が鳴ったため消防小屋に行き,昼食の準備をするため,小屋の外でジャガイモの皮をむいていた時に被爆した。突然,閃光が走ったので,一緒に皮をむいていた団員を引き寄せて一緒に伏せた。すると,すぐに強い爆風が襲ってきて,小屋の窓ガラスが割れた。その後,原爆により怪我をした人の世話をして午後6時ころに伊勢町の自宅に帰宅して家族の無事を確認した後,再び小屋に戻って夜通し通行人の世話をした。
翌10日,原告は,上司の指示で医師を捜したり,伊良林国民学校で救護活動の手伝いをした後,岩川町(爆心まで0.8キロメートル)まで炊き出しの弁当を運んで行くよう命じられ岩川町まで行ったが,目的の建物を見つけることができなかった。8月11日には出島で待機し,同月12日から14日までは伊良林国民学校で救護活動に従事した。
同月15日には,遺体を火葬する作業に従事した。原告は,爆心地の傍を通って大橋町まで行き,○○工場一帯の遺体を収容するとともに焼け残りの材木を集め,材木の上に5,6体ずつ遺体を積み上げて荼毘に付した。昼には,浦上川で手を洗って握り飯を食べた。
原告ら家族は,同月19日に父の実家のある南高来郡有家町に移った
イ 被爆後しばらくの健康状態
原告は,被爆前は健康そのものであったが,有家町に着いてからしばらくして,激しい下痢と嘔吐に襲われた。また血便も出た。下痢と嘔吐は約2週間続き,赤痢ではないかと疑われて水車小屋に隔離された。下痢と嘔吐が治まってからも,1,2か月間は体がだるく,その後体調が元に戻ったかと思うと,体のあちこちに赤紫色の斑点が出るようになった。斑点は直径3センチメートルくらいで1週間くらいすると治るが,毎年1,2回は出ていた。
なお,原告の原爆被爆者調書票(証拠<省略>)の急性症状の欄では,発熱と歯ぐきの腫れのみが記載され,下痢や斑点に関する記載はなく,原告の供述内容とは齟齬しているが,原告は同調書票は自らが記載したものではないと供述しており,認定申請書(証拠<省略>)の筆跡と同調書票の筆跡は明らかに異なっており,原告自らが調書票を記載したとは認められない。そして,認定申請書にも下痢や斑点に関する記載がされていることを考えると,原告の供述の信用性は否定できないというべきである。
ウ その後の状況
原告らは,有家で農業をしたり出稼ぎに出たりしたが,昭和21年暮れに家業を再開するために長崎市に戻り海草を使った代用醤油を製造して販売し,昭和25年ころからもやしの製造ができるようになった。
昭和50年ころ,尿道がもやもやして尿の出が悪くなり,昭和57年になると,症状が悪化したため,泌尿器科を受診したところ前立腺肥大の診断を受け,その治療を受けるようになった。平成11年になると,尿が出なくなったので,同年3月にb11病院で前立腺の摘出手術をした。同年10月ころになると,再び尿の出が悪くなったので,b11病院で診てもらったところ,膀胱頚部硬化症と言われ,すぐに手術を受けた。また,平成12年には,病気が再発したのでb11病院で膀胱の再手術を受けた。
原告は,平成13年には,高血圧症と診断され,また,平成14年には,境界領域の糖尿病と診断された。
原告は,平成9年3月,b11病院で前立腺の摘出手術をしたが,この時,大腸にポリープがあるのが分かったので,前立腺の手術の4週間後にポリープの手術をした。その後定期的に大腸の検査を受けていたが,平成16年1月にb36病院で検査を受けたところ,大腸がんが発見された。同年2月12日b37病院で手術を受け,退院後も化学療法を受けている。
(3) 原爆症認定申請と原処分
原告は,平成16年4月14日に,b39医院A40医師の大腸癌は放射線障害による発癌作用の結果であり,当然,原爆症として認定されるべきものと考える」との意見書(証拠<省略>)を添付し,「大腸癌」を申請疾病として原爆症の認定申請をしたが(証拠<省略>),平成16年2月20日に放射線起因性がないとして申請を却下され(証拠<省略>)本訴を提起した。
(4) 起因性
ア 被告らは,原告の被曝線量は,ほぼ0グレイであり,残留放射線による被曝の影響を考慮する必要はないと主張する。
原告の被爆地点の爆心からの距離(約3.2キロメートル)では,原爆による初期放射線が人の健康に影響を与える程の線量に達していたとは考えにくい。しかし,原告が8月10日に爆心地近くまで弁当を届けに行き,同月15日には爆心地近くで遺体の収容と焼却の作業に従事していることを考えると,原告は一定線量の残留放射線に被曝したことが推定され,内部被曝を被っている可能性も高い。
イ 放影研の調査の結果では,LSS第10報第1部(証拠<省略>)で,結腸がんについて有意な線量反応が認められたとされ,この結果は,LSS第11報第2部(証拠<省略>),「原爆被爆者における癌発生率。第2部」(証拠<省略>),LSS第12報第1部(証拠<省略>),LSS第13報(証拠<省略>)において逐次確認されている。
そして,原告の被爆後の行動を考えると,原告が一定線量の残留放射線に被曝し,また,内部被曝を被っている可能性の高いことは前記のとおりであるから,上記のような放影研の調査結果などと併せ考えれば,原告に発症した申請疾病である大賜がん(結腸がん)は,原爆放射線に起因するものと推定することが相当である。
(5) 要医療性
前記認定のとおり,原告は,大賜がんの手術後化学療法を継続して受けており,これが現に医療を必要とする状態にあることは明らかである。
28 小括
以上のとおり,X1,X46,X6,X47,X12,X13,X48,X20,X21,X23,X24,X49,X30,X32,X33,X50,X41,X42,X43,X44に対する各原爆症認定申請却下処分は,上記各原告等の申請疾病が放射線起因性を有し,現に医療が必要な状態にあるのに,違法にその申請を却下したものであるから,いずれも取り消されるべきであるが,その余の原告等の申請疾病については,原爆の放射線起因性を認めることはできず,原告らの各原爆症認定申請却下処分の取消を求める請求は,いずれも理由がない。
第8損害賠償請求について
原告らは,被告(厚生労働大臣)が,被爆者援護法に基づいて原告らの各原爆症認定申請を速やかに認める決定をすべきであったにもかかわらず,被告厚生労働大臣は,[1]誤った認定基準を設け,[2]申請から却下に至るまでいたずらに長期間を要し,[3]処分の理由を明示せずに,[4]誤った却下処分を下したと主張し,被告国に対して国家賠償法1条1項に基づいて損害賠償を求めている。
以下,その主張の当否について検討する。
1 審査の方針に基づいて原爆症認定審査を行ったことの違法性及び過失について
(1) 被告厚生労働大臣は,原爆症認定を行うに当たり,申請疾患が原子爆弾の傷害作用に起因すること又は起因しないことが明らかである場合を除き,疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないが(被爆者援護法11条2項,23条の2,同法施行令9条),疾病・障害認定審査会には,医療分料会が置かれ,原爆症認定に係る厚生労働大臣の諮問については,医療分科会が担当して審査を行っている。そして,医療分科会は,平成13年5月25日に審査の方針を定め,いわゆる原因確率論を用いて審査を行い,その審査結果を被告厚生労働大臣に答申し,本件各処分は,いずれもこの答申に基づいてされたものである。
(2) 原告らは,[1]審査の方針が,重大な欠陥のあるDS86の線量評価等を下に,解析方法に由来する限界がある上,これを個々の被爆者に当てはめることが不適切な原因確率を,各原告に対して機械的にあてはめてされたもので,著しく不合理なものであり,[2]しかも,行政庁は,申請により求められた許認可等をするかどうかをその法令の定めに従って判断するために必要とされる基準を定め(行政手続法5条1項),審査基準を定めるに当たっては,当該許可等の性質に照らしてできる限り具体的なものとしなければならない(同条2項)のに,被告らは同法が要求するような具体的な審査基準を設けないで本件各処分を行ったものであると主張する。
(3) 前記第4の3の(4)で述べたとおり,審査の方針が依拠している放影研の疫学調査については,対照群に含まれることの多い遠距離被爆者や入市被爆者が放射線に被曝している可能性のあること,残留放射線の影響が過小に評価され,内部被曝の影響が考慮されていないこと,健康な被爆者が選択された可能性のあること等一定の問題をはらむものであり,また,放影研による最新の疫学調査の結果も取り入れられていない。しかも,審査の方針では,放射性降下物に関しては一定の限られた地域に滞在した者についてのみ,また,誘導放射線に関しては一定時間の一定の限られた地域についてのみこれを考慮するにすぎず,内部被曝については全く考慮の外に置かれている。このような審査の方針における残留放射線や内部被曝に関する取扱いは,原爆投下直後の急性症状の発症等に開する各種調査の結果とは大きく齟齬するものであって,到底是認することができない。したがって,審査の方針によって算定された原因確率を基礎として被爆者の原爆症認定の審査をすることは不合理というべきである。
しかも,被告らは,原爆症認定申請の審査にあたっては,原因確率のみならず,当該申請者の既往歴,環境因子,生活歴等も総合的に勘案していると主張し,審査の方針でもその趣旨の定めがされているが,実際にこのような原因確率以外の要素がどのように,どの程度考慮されているのかは全く明らかではない。また,審査の方針による推定被爆線量がごく低線量であったり,ゼロ線量である被爆者,あるいは審査の方針で原因確率を算定する対象とされていない申請疾病については,それだけで自動的に起因性なしとの判断がされ,その他の事情は全く考慮の余地がないとする扱いがされているものと考えられる。そして,本件の各原告らの申請に関していえば,その申請疾病あるいは被爆場所などからすると,いずれも原因確率以外の要素は,全くあるいはほとんど考慮されていないことが推察され,審査の方針は,このような取扱いを前提とするものである。
したがって,原爆症の審査基準として,このような審査の方針は不合理というべきであり,これを用いて原爆症認定の審査をすることは,当該申請者との関係では国家賠償法上も違法という評価もあり得る。
(4) 次に,このような審査の方針を用いることに過失があるというべきなのか否かを検討すると,審査の方針の基礎となっているのは,DS86による被曝放射線量の推定と放影研によるLSSやAHS等の調査結果(直接にはA1論文)である。
ア DS86による初期放射線量の推定は,一定程度の誤差があることは免れないものの,大型のコンピューターを用いて放射線に関する最新の知見に基づいて計算をした結果であり,その後のDS02においても検証され,実測値との関係でもおおまかな一致をみていることは前記認定のとおりである。しかも,前述のとおり,特に遠距離においては誤差があったとしても,原爆症認定に使用する限りでは,大きな問題があるとはいい難いものである。
他方,残留放射線の推定線量は,DS86の中でも問題のあることが指摘され,内部被曝線量の推定に関しても万全なデータに基づいたものとは言い難いものであることは先に見たとおりである。そして,このような問題が,原爆投下後の急性症状などに関する調査との齟齬を来した主要な原因となっているものと考えられる。しかし,そうではあっても,残留放射線による被曝線量や内部被曝の影響を推定するために使用可能な資料は現在でも限られており,DS86における残留放射線や内部被曝に関する分析は,当時において使用可能な資料やそれまでにされた解析結果等を可能な限り集め,最新の科学の観点から評価したものであることは否定できない。
イ また,放影研の調査結果については,その線量推定がDS86に基づくものであるという問題(残留放射線による被曝や内部被曝は,被爆者に対してDS86による推定を超えた被曝をもたらしている蓋然性が高いと考えられるが,この点が考慮されていない。)があり,寿命調査対象集団が調査開始の1950年に生存していた者に限られたことが,放影研による寿命調査や成人健康調査に一定のバイアスをかけた可能性があることは否定できず,被爆者に対する社会的な偏見や差別のあったことも放影研の調査結果に何らかの影響を与えた可能性があることも否定できない。しかし,このような問題は,放影研の寿命調査や成人健康調査がされるようになった時期や条件からは,避けられない制約であった可能性もあり,他方,その調査結果の価値は,以上のような問題点を考慮しても,原爆放射線の人体影響を考察する上で,なお,重要で示唆に富む成果を提示しているものである。
ウ 以上のとおり,審査の方針の基礎となっているDS86による残留放射線の推定や内部被曝の評価には大きな問題があり,被爆者の実態とはかけ離れたものである上,放影研の調査結果についても一定の限界があるものである。しかし,先に述べたとおり,DS86による初期放射線の被曝線量の推定はおおもむ信頼できるものである上,放影研の調査結果は貴重な資料であって,その成果も重要で示唆に富むものであるから,放射線の人体影響を考える場合は,科学的で客観的な根拠となり得るものである。そして,DS86による被曝線量の推定や放影研の調査の結果に比較して,より信頼性の高い科学的な知見や調査結果は存在しないのみならず,これらの知見と少しでも信頼性を比べることのできるような代替の知見や調査結果すら存在していない。したがって,各被爆者が受けた放射線量を科学的に推定し,その申請疾病の放射線起因性を判断する上では,DS86による放射線量の推定や放影研による調査結果がほとんど唯一の客観的で,科学的な根拠というほかないものである。そして,原因確率もその理論的な裏付けには批判の余地があるとしても,一定の合理性のある理論によってこのような科学的な知見をまとめたものと評価できるものであるから,原爆症認定の審査をするに当たり,原因確率(審査の方針)を用いたことに落ち度があるということはできない。
このことは,審査の方針が策定されたのが,最高裁判所平成12年7月18日第3小法廷判決(判例時報1724号29頁)が言い渡された後であったことを考慮しても変わりがない。
(5) なお,原告らは,行政手続法5条1項,2項の違反を主張するが,これまで述べたとおり,原爆症認定の審査には審査の方針という基準が定められ,これに基づいた審査がされているのであり,本件各処分に関して原告らが主張するような違法があるとはいえない。
2 審査の遅れについて
(1) 原告らは,本件原告らの申請から本件各処分までの期間は,いずれも長期間に及ぶものであり行政手続法7条に違反すると主張し,原爆の放射線による被害は極めて重大なものであるのに,このような被害に関連する原爆症の認定申請を長期間放置されたことにより,いずれも焦燥,不安の気持ちを抱き,大きな精神的苦痛を被ったと主張している。なお,この主張は,本訴における最終口頭弁論期日においてはじめてされたものである。
(2) 被告厚生労働大臣は,原爆症認定申請があった場合にその申請に対する処分をするまでに通常必要な標準的期間を定めるように努めるとともに(行政手続法6条),申請がされた場合には遅滞なくその審査を開始しなければならない(同法7条)。
特に,原爆症は,原爆放射線による生命にも関わる深刻な疾病群であって,その発症,進展,増悪の経過は非常に長期にわたるものであるから,その認定申請者は,そのような疾病に罹患している疑いのままの不安定な地位から一刻も早く解放されたいという切実な願いをもち,その処分を待つものであることは想像に難くない。したがって,被告厚生労働大臣による長期の処分遅延により抱くであろう不安,焦燥の程度は小さなものではないと考えられる。そして,認定申請者としての,早期の処分によって,原爆症にかかっている疑いのままの不安定な地位から早期に解放されたいという期待,その期持の背後にある申請者の焦燥,不安の気持ちを抱かされないという利益は,内心の静穏な感情を害されない利益として,これが不法行為法上の保護の対象になり得るものと解するのが相当である。
もっとも,遅延が国家賠償法上違法であるというためには,標準的な期問内,あるいは当該事案の具体的な内容から客観的に処分のために手続上必要と考えられる期間内に処分できなかったことだけでは足りず,その期間に比してさらに長期間にわたり遅延が続き,かつ,その間,処分庁として通常期待される努力によってより早期に処分ができたのに,その努力を尽くさなかったという事情が認められる必要があるというべきである。
(3) これを本件についてみると,原告らの原爆症認定の申請年月日,これに対する処分年月日及びその間の経過日数は,別紙10のとおりであり,最も短期で105日,最長でX23の740日,平均で237日である。
本件の提出証拠では,原爆症の認定申請に係る処分に関して標準的な申請から処分までの期間が定められているか否かは明らかではないものの,原告らは,すべての原告について,一律に申請から本件各処分までの期間が長期間に及ぶとしており,いずれの処分にも違法な遅延があると主張するもののようであるから,原告らは,申請から処分までの標準的な期間を3か月程度とした上,この期間を超えた場合は一律に処分の遅延に国家賠償法上の違法があると主張するものと考えられる。
ところで,証拠<省略>によると,平成11年当時は,原爆症認定の申請がされると,申請を受けた都道府県は資料を一括して整理した後に厚生省保健医療局企画課に送付し,企画課では医系の技官も含む担当官が資料をチェックし,不足資料がある場合は申請元の都道府県を経由して不足資料を追加してもらったり,事実確認をする等し,基本的な資料の整理収集をさせ,各委員の専門別に事前のチェックを行った上で,再度不足資料があればこれを補完する手続をとり,医療審議会(現在は医療分科会)の審査に付されること,医療審議会は,年に5回程度開催され,1日当たり異議申立ても含めて70件から80件の申請を実質5時間ないし5時間半をかけて審査していたことが認められる。
本件各処分当時における申請から処分までの手続や医療分科会の開催頻度,開催時間,1回当たりの審査件数などは不明であるが,平成11年当時と大幅に変わることはなかったのではないかと推察される。
そして,各原告らの申請から処分までに具体的な資料の追加や事実確認がされたのか否か,複数回の審査を要したのか否か,その審査でどのような審議がされたのかは明らかではないが,原因確率の適用をしていたとはいえ,それでも申請者の被爆時の所在場所や被爆態様の確認(本件においても被爆者健康手帳交付申請書,原爆被爆者調書票などの過去の資料と認定申請書の記載内容が齟齬している例が多く存在している。),申請者の申請疾病と放射線に関する専門的な知見の確認や探索などに一定の時間と労力を要するものであることは想像に難くない。そして,平成11年当時の審査件数にも鑑みると,申請から処分までに客観的には1年を超える期間の審査を要する事案も一定程度あったと思われる。
そして,原爆症にかかっている疑いのままの不安定な地位に置かれることによる申請者の焦燥,不安の気持ちは,-般的には処分がされることによって大部分は解消されることになると推察されるものであり,申請から処分までに1年を超える場合でも,通常の人を基準に考えれば,なお,処分がされることによってその焦燥や不安な気持ちは解消されるものと解される。したがって,X23を除く原告らについては,仮に申請から処分までに客観的に必要と考えられる期間を超えた遅延があったのだとしても,おおむね申請から1年程度までの間に処分がされているから,これをもって国家賠償法上の違法があるとはいえない。もっとも,X23については,申請から処分までに2年超える740日が経過しており,他の原告と比較しても飛び抜けて長期のものとなっている上,このような期間が必要であった事情は明らかではないから,原告については他の原告とは異なる考慮が必要と考えられないでもないが,なお,この程度の期間にとどまる限り,その処分の遅延をもって国家賠償法上違法とまではいえないというべきである(なお,原告らにおいて処分の遅延を国家賠償法上違法と主張したのは,本訴の最終頭弁論期日であったことを考えれば,処分が遅延したことによる上記のような問題は,意識されていなかったのではないかとも推察されるところである。)。
3 理由の不提示
原告らは,原告らに対する認定却下通知には,実質的な理由が全く明らかにされておらず,ほとんど定型的な文言が記載されているだけであり,このような理由の提示は行政手続法8条l項,2項に違反すると主張し,同条項違反が直ちに国家賠償法上も違法であると主張するもののようである。
ところで,被告厚生労働大臣は,各原告らに対する却下処分を「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律第11条第1項の認定について」と題する書面(証拠<省略>)によって通知し,当該書面には,被爆者援護法10条1項の原爆症認定の要件と,疾病・障害認定審査会において,申請書類に基づいて被爆状況が検討され(当該原告について原因確率を求め,これを目安としつつ),これまでの通常の医学的知見に照らして総合的に審議した結果,申請疾病が原子爆弾の放射線に起因しておらず,また,治癒能力が原子爆弾の放討線の影響を受けてはいないと判断された,あるいは放射線に起因するもの,ないし治癒能力が放射線の影響を受けているものと推定することは困難である旨の記載がほぼ一律にされている。
このような一律の理由記載について,原告らが不審の念を抱くことには理解できる部分があるが,処分の性質と理由付記を命じた各法令の趣旨・目的に照らしてこれを決定すべきであるところ(最高裁昭和38年5月31日第2小法廷判決・民集17巻4号617頁参照),被爆者援護法による認定に係る処分については,不認定の理由となり,異議又は行政訴訟における更なる主張・立証すべき対象が明らかになる程度に特定されれば足りると解されるところ,上記のような記載は,一応処分に係る根拠条文と処分理由を概括的に明示し,放射線起因性を否定したものかあるいは要医療性を否定したのかは判明し,放射線起因性を否定した理由が原因確率が低いことにあることは判明するから,処分理由の記載として不備であるとはいえず,国家賠償法上も違法であるとはいえないというべきである。
したがって,この点に関する原告らの主張も理由がない。
4 小活
以上のとおりであるから,原告らの被告国に対する損害賠償請求はいずれも理由がないというべきである。
第9結論
よって,主文のとおり判決する。
(裁判官 小山恵一郎 裁判官 小沼日加利 裁判官 田川直之)
別紙2
原告
被処分者
処分年月日
1
X1
同左
平成11年3月30日
X2
平成13年11月5日
2
X3,X4,X5
X45
平成13年11月5日
3
X6
同左
平成10年10月29日
X8
平成15年3月26日
5
X9,X10,X11
X46
平成15年3月26日
6
X12
同左
平成14年10月15日
7
X13
同左
平成14年12月20日
10
X16
X47
平成14年11月8日
X17,X18,X19
平成14年11月8日
11
X20
同左
平成14年11月8日
12
X21
同左
平成14年11月8日
14
X23
同左
平成15年5月21日
15
X24
同左
平成15年5月21日
X26
平成15年1月28日
17
X27,X28,X29
X48
平成15年1月28日
18
X30
同左
平成15年7月23日
20
X32
同左
平成14年11月8日
21
X33
同左
平成15年2月21日
X37
平成15年12月2日
23
X38,X39,X40
X50
平成15年12月2日
24
X41
同左
平成15年12月2日
25
X42
同左
平成16年3月4日
26
X43
同左
平成16年5月12日
27
X44
同左
平成16年12月20日
訴訟費用目録
負担すべき訴訟費用
負担割合
原告欄
被告欄
(原告,被告はそれぞれ左記の当事者をいう。)
1
X1
厚生労働大臣
全部被告の負担
2
X45承継人,X2,X3,X4,X5
同
全部被告の負担
3
X6
同
全部被告の負担
4
X7
同
全部被告の負担
5
X46承継人,X8,X9,X10,X11
同
全部被告の負担
6
X12
同
全部被告の負担
7
X13
同
全部被告の負担
8
X14
同
全部原告の負担
9
X15
同
全部原告の負担
10
X47承継人,X16,X17,X18,X19
同
全部被告の負担
11
X20
同
全部被告の負担
12
X21
同
全部被告の負担
13
X22
同
全部原告の負担
14
X23
同
全部被告の負担
15
X24
同
全部被告の負担
16
X25
同
全部原告の負担
17
X48承継人,X26,X27,X28,X29
同
全部被告の負担
18
X30
同
全部被告の負担
19
X31
同
全部原告の負担
20
X32
同
全部被告の負担
21
X33
同
全部被告の負担
22
X49承継人,X34,X35,X36
同
全部原告らの負担
23
X50承継人,X37,X38,X39,X40
同
全部被告の負担
24
X41
同
全部被告の負担
25
X42
同
全部被告の負担
26
X43
同
全部被告の負担
27
X44
同
全部被告の負担
lop訴訟費用目録
負担すべき訴訟費用
負担割合
原告欄
被告欄
(原告,被告はそれぞれ左記の当事者をいう。)
1
X1
国
全部原告の負担
2
X45承継人,X2,X3,X4,X5
同
全部原告らの負担
3
X6
同
全部原告の負担
4
X7
同
全部原告の負担
5
X46承継人,X8,X9,X10,X11
同
全部原告らの負担
6
X12
同
全部原告の負担
7
X13
同
全部原告の負担
8
X14
同
全部原告の負担
9
X15
同
全部原告の負担
10
X47承継人,X16,X17,X18,X19
同
全部原告らの負担
11
X20
同
全部原告の負担
12
X21
同
全部原告の負担
13
X22
同
全部原告の負担
14
X23
同
全部原告の負担
15
X24
同
全部原告の負担
16
X25
同
全部原告の負担
17
X48承継人,X26,X27,X28,X29
同
全部原告らの負担
18
X30
同
全部原告の負担
19
X31
同
全部原告の負担
20
X32
同
全部原告の負担
21
X33
同
全部原告の負担
22
X49承継人,X34,X35,X36
同
全部原告らの負担
23
X50承継人,X37,X38,X39,X40
同
全部原告らの負担
24
X41
同
全部原告の負担
25
X42
同
全部原告の負担
26
X43
同
全部原告の負担
27
X44
同
全部原告の負担