長崎地方裁判所 平成16年(行ウ)6号 判決 2005年12月20日
主文
1 被告長崎市は,原告X2に対し16万5584円並びに同X3,同X4,同X5,同X6,同X7及び同X8に対し各11万0386円を支払え。
2 原告らの被告長崎市に対するその余の請求をいずれも棄却する。
3 原告らの被告国に対する請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は,原告らと被告長崎市との間においては,これを10分し,その9を原告らの負担とし,その余を被告長崎市の負担とし,原告らと被告国との間においては,全部原告らの負担とする。
5 この判決は,主文第1項に限り仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求等
1 請求の趣旨
(1) 被告らは連帯して原告X2に対し191万5848円並びに同X3,同X4,同X5,同X6,同X7及び同X8に対し各127万7232円をそれぞれ支払え。
(2) 訴訟費用は被告らの負担とする。
(3) 仮執行宣言
2 被告らの答弁
(1) 原告らの被告らに対する請求をいずれも棄却する。
(2) 訴訟費用は原告らの負担とする。
(3) 執行開始時期を判決が被告らに送達された後14日を経過したときとする担保を条件とする仮執行免脱宣言
第2 事案の概要等
1 事案の概要
本件は,昭和55年6月,原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(昭和43年法律第53号。以下「特別措置法」という。)5条1項により健康管理手当の支給を受けた亡X1が,その後,日本を離れて以降,同手当の支給を受けなかったことについて,亡X1の相続人らが,被告らに対し,(1)特別措置法5条1項及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(平成6年法律第117号。以下「被爆者援護法」という。)27条1項による健康管理手当受給権に基づいて,昭和55年7月から平成16年1月までの健康管理手当(合計847万9240円)の支給を求めるとともに,(2)被告らが,亡X1の健康管理手当受給の認定期間を制限したり,離日による失権取扱いをしたのが違法であり,その結果,健康管理手当支給相当額及び慰謝料等の損害(合計957万9240円)が生じたとして,国家賠償法1条1項に基づいて,賠償を求めた事案である。
2 前提となる事実等
(1) 亡X1は,昭和55年5月2日,被告長崎市から被爆者健康手帳を交付された。亡X1は,同月19日,被告長崎市に対し,健康管理手当の支給を申請し,支給対象者であることの認定を受け(以下「本件支給認定」という。),同年6月24日,2万円の支給を受けた(争いがない事実,甲10の1ないし3)。
(なお,亡X1は,かねて(昭和55年5月1日以前)被爆者健康手帳の交付を受け,昭和51年10月25日から昭和52年7月9日までの間ころ,日本赤十字社長崎病院において大腿骨頭壊死の治療を受け,健康管理手当の支給を受けたことがあったが,その後離日していたところ,再度来日し,上記(昭和55年)の被爆者健康手帳交付,健康管理手当の受給に至ったものであった(争いがない事実,甲9)。)
(2) 亡X1は,その後離日し,それ以降,被告長崎市から,健康管理手当の支給を受けることはなかった(甲1,2の1及び2,弁論の全趣旨)。
(3) 亡X1は,平成16年5月18日,本件訴訟を提起した後,同年7月25日に死亡した(当裁判所に顕著な事実)。
原告X2は,その当時,亡X1の妻であった者であり,原告X3,同X4,同X5,同X6,同X7及び同X8はいずれも亡X1の子である(明らかに争いがない事実)。(なお,法定相続分は,原告X2が15分の3であり,その余の原告がそれぞれ15分の2である。)
3 健康管理手当に関する法令等
(1) 昭和32年,医療給付を内容とする原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(昭和32年法律第41号。以下「原爆医療法」という。)が制定され,昭和43年,各種手当等の支給を内容とする特別措置法が制定され,平成6年,原爆二法を一本化し総合的な被爆者対策を実施する観点から,被爆者援護法が制定され,平成7年7月1日から施行された(以下,「原爆二法」とは原爆医療法及び特別措置法を意味し,「原爆三法」とは,原爆医療法,特別措置法,被爆者援護法を意味する。)。
(2) 原爆三法
原爆医療法は,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的とし(1条),被爆者が,その居住地(居住地を有しないときは現在地。以下「居住地等」という。)の都道府県知事(居住地が広島市又は長崎市であるときは当該市の長。以下,都道府県知事並びに広島市長及び長崎市長を併せて「都道府県知事等」といい,都道府県並びに広島市及び長崎市を併せて「都道府県等」という。)に申請して被爆者健康手帳の交付を受けたときは,都道府県知事等において,被爆者に対し,毎年健康診断を行うほか,厚生大臣において同大臣の認定を経た被爆者に対し,必要な医療の給付又はこれに代わる医療費の支給を行うものとしていた(以下,被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者を,かぎ括弧付きの「被爆者」と記す。)。
特別措置法は,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,医療特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的としており(1条),健康管理手当については,都道府県知事等において,「被爆者」であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものであると認定した者に対し支給するものとし,その認定を行う場合には,併せて当該疾病が継続すると認められる期間を,疾病の種類ごとに厚生大臣が定める期間内において定めるものとしていた(5条)。
被爆者援護法は,附則4条2項により,施行日(平成7年7月1日)前に原爆医療法3条によって交付された被爆者健康手帳は被爆者援護法2条によって交付された被爆者健康手帳とみなし,また,附則11条1項により,施行の際,現に特別措置法に基づいて健康管理手当等に関する認定を受けている者は被爆者援護法に基づく同様の認定を受けた者とみなし,さらに,附則13条により,平成7年6月以前の月分の特別措置法による健康管理手当等の支給については従前の例によるものとしている。
(3) 402号通達等
昭和49年7月22日,厚生省公衆衛生局長は,都道府県知事等に対して,「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律の一部を改正する法律等の施行について」と題する通知(衛発第402号,以下「402号通達」という。)を発し,同通知において,原爆二法は,日本国内に居住関係を有する被爆者に適用されるものであるので,日本国の領域を越えて居住地等を移した者には同法の適用がないとの解釈を示し,その後の行政実務においては,日本国の領域を超えて居住地等を移した者については,被爆者としての地位及び各種手当ての受給権を失う(被爆者健康手帳は失効するものとする)という取扱い(以下,「離日による失権取扱い」ともいう。)を行っていた(甲14,弁論の全趣旨)。
その後,大阪高裁平成14年12月5日判決(訟務月報49巻7号1954頁)の後,平成15年3月1日施行の原子爆弾被爆者に対する法律施行令の一部を改正する政令(平成15年政令第14号)及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則の一部を改正する省令(平成15年厚生労働省令第16号)により,被爆者健康手帳の交付を受けた者及び健康管理手当の支給認定を受けた者が出国しても失権しない取扱いに変更された(弁論の全趣旨)。
(4) 認定期間について
上記のとおり,特別措置法5条3項は,都道府県知事等が,健康管理手当の支給対象者であることの認定を行う場合には,併せて当該疾病が継続すると認められる期間を,疾病の種類ごとに厚生大臣が定める期間内において定めるものとしていたが,昭和55年当時,同期間は,「原子爆弾に対する特別措置に関する法律第5条第3項に規定する厚生大臣が定める期間」(昭和49年7月20日厚生省告示第208号。以下「告示208号」という)によって,最長3年間と定められていた(乙1の1・2,弁論の全趣旨)。
第3 争点及び当事者の主張
本件の主な争点は,下記1の健康管理手当受給権に基づく手当支給請求に関して,①亡X1は,昭和55年7月以降平成16年1月までの健康管理手当受給権を取得していたか(特別措置法5条3項及び告示208号にもかかわらず,本件認定に係る認定期間経過後の同手当受給権を取得していたか),②被告国は,健康管理手当の支給義務者であるか,③仮に亡X1が健康管理手当受給権を取得していたとして,時効により消滅していないかであり,下記2の国家賠償法1条1項に基づく賠償請求に関して,④402号通達及びこれに基づく取扱いが,国家賠償法上違法の評価を受け,また,これについて故意・過失が認められるか,⑤告示208号及びこれに基づく取扱いが,国家賠償法上違法の評価を受け,また,これについて故意・過失が認められるか,⑥(国家賠償法上違法の評価を受ける)在外被爆者に対する立法の不備ないし立法不作為があるか,⑦仮に亡X1が,被告らに対する賠償請求権を取得したとして,除斥期間経過により消滅していないかである。
1 健康管理手当受給権に基づく手当支給請求
(原告らの主張)
(1) 被爆者たる地位及び健康管理手当受給権の取得
亡X1は,上記のとおり,昭和55年5月2日,被爆者健康手帳の交付を受け,同年6月24日,2万円の支給を受けていたものであるから,同人は,「被爆者」たる地位にあり,同年7月以降も健康管理手当を受給する権利を有していた。
(2) 離日による失権
しかし,被告らは,亡X1が日本を離れたことにより,402号通達により,失権の取扱いをした。
しかし,亡X1が取得した「被爆者」たる地位及び健康管理手当受給権は,同人が生きている限り,どこにいても持続するものであるから,たとえ同人が日本を離れたとしても,その地位及び権利は消滅しないというべきである。被告らによる失権取扱いの実務は,被爆者健康手帳の交付申請や手当申請・受給に不当な在日要件を課すものであった。
(3) 手当の支給期間について(争点①)
また,被告らは,亡X1の健康管理手当の支給期間について,告示208号により,3年とする限定を付した。
しかし,たとえ被告らに健康管理手当の支給期間の指定権があるとしても,それは自由裁量によるものではなく,症状に即した合理性がなければならない。そして,亡X1の大腿骨頭壊死の症状は,不可逆的・終身的なものであり,そのことは一見明白であったのだから,被告らは,上記のような有期の限定を付すべきではなかった(なお,被告らは,最近になって,同種症状について期間を終身と改めている)。
したがって,被告らの期間指定の措置は,裁量を逸脱した違法・無効な措置であったというべきである(よって,亡X1の健康管理手当の支給期間については,期間の限定が付されていないものというべきである。)。
(4) 手当の支給義務者等(争点②)
ア 以上から,亡X1は,昭和55年7月24日から平成16年1月まで(23年7か月分)の健康管理手当の受給権を有していた。
その額は,別紙表1のとおり,合計847万9240円である。
イ 手当の支給義務者
そして,亡X1に対する健康管理手当の支給義務は,被告国及び被告長崎市の両者が連帯して負担していると解するべきである。
すなわち,原爆二法によれば,健康管理手当の支給事業主体,支給責任主体は,被告国であると解釈すべきである。旧地方自治法によって,被告長崎市が実施機関とされたために,手当について被告長崎市が経費として支弁することになっていたが,旧地方自治法231条1項は,被告国の義務ないし責任を免れさせるものではないというべきである。
ウ よって,被告国及び被告長崎市は,上記金額(847万9240円)を亡X1に支払う義務があった。
(5) 消滅時効について(争点③)
ア 起算点について
亡X1は,402号通達によって,離日により被爆者としての地位を喪失し,健康管理手当受給権が消滅するという取扱いを受けていた(平成15年3月1日に初めて,離日によって失権しない取扱いに変更されたものである)。
402号通達は,原爆二法の趣旨に反して,在外被爆者を援護対象から除外したものである。そして,亡X1ら在外被爆者は,経済的な観点や交通手段の不便さという観点などから,来日し,健康手帳の交付申請や手当申請・受給をしたり,さらには,訴訟を提起・維持することが著しく困難であり,加えて,日本は,出入国管理につき閉鎖的な運用等をしており,被爆者が上記のために来日することは著しく制限されていたから,402号通達は,在外被爆者の権利行使を不可能ないし著しく困難にするものであったといえる。さらに,在外被爆者で経済的に困窮する者に対する公的援助もなく,支援者による支援にも限界があった。
以上によれば,402号通達の存在は,亡X1が権利を行使するについての法律上の障害であり,この通達の下では権利行使の期待可能性はなかったというべきである。
あるいは,被告らは,402号通達を発して,離日被爆者に対し,被爆者としての地位の喪失及び健康管理手当受給権の消滅を言明してきたのであるから,被告らが,昭和55年当時から時効が進行したと主張することは,信義則ないし禁反言の法理に反し許されないというべきである。
イ 権利濫用なし時効規定の適用制限について
被告らは,402号通達によって,離日による失権取扱いをしてきたものであり,上記のとおり,そのような取扱いは,原爆二法の趣旨に反し,また,在外被爆者の権利行使を不可能ないし著しく困難なものとする不当なものであった。402号通達には,在外被爆者を差別し,援護対象から排除する目的があったといえる。
このような被告らが,消滅時効を主張するのは権利の濫用というべきである。あるいは,このような事情の下では,消滅時効の規定は,その適用を制限すべきである。なお,会計法,地方自治法上の時効援用不要規定は,単に,援用を不要とする規定にすぎないから,除斥とはその性質が異なるというべきである。
(被告らの主張)
(1) 被告国に対する健康管理手当受給権に基づく請求について(主に争点②)
ア 被告国は支給義務者でないこと
健康管理手当の支給義務者は,都道府県等であり,被告国ではないから,亡X1の被告国に対する健康管理手当受給権が発生する余地がない。その理由は以下のとおりである。
(ア) 特別措置法及び被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給は,平成11年法律第87号による改正前の地方自治法(「旧地方自治法」)において,機関委任事務とされていた(旧地方自治法148条2項の別表三)。
(イ) 普通地方公共団体の長が管理,執行する機関委任事務に要する費用については,旧地方自治法232条1項により,普通地方公共団体が「必要な経費を」「支弁する」とされているから,当該普通地方公共団体が,債務者として支払義務を負う。そして,普通地方公共団体が支弁した経費については,当該地方公共団体が全額これを負担する」のが原則であり(平成11年法律第87号による改正前の地方財政法9条本文),同改正前の同法10条ないし10条の4所定の事務について国がその全部又は一部を負担するにすぎなかった。
このように,機関委任事務の経費については,普通地方公共団体が支払義務を負い,また,原則として,普通地方公共団体がその費用を最終的にも負担し,例外的に,国が所定の事務に限り経費の一部又は全部を負担するものとされていた。
(ウ) そして,特別措置法及び被爆者援護法は,健康管理手当について,都道府県知事等が支給し(特別措置法5条1項,被爆者援護法27条1項),その支給に要する費用は当該都道府県等が支弁する(特別措置法10条1項,被爆者援護法42条)と規定している(広島市及び長崎市についてはさらに,特別措置法15条,被爆者援護法49条)。
(エ) したがって,被爆者に対する健康管理手当の支給義務者は都道府県等である。
そして,以上の理は,地方自治法の改正後も妥当する(地方自治法2条9項1号,被爆者援護法51条の2,地方自治法232条1項)。
(オ) 以上によれば,亡X1につき,健康管理手当の支給義務者は,被告長崎市であり,被告国ではないから,亡X1の被告国に対する健康管理手当支払請求権は発生する余地がない。
イ 時効消滅
仮に,被告国が支給義務者であるとされ,亡X1の被告国に対する健康管理手当受給権が発生したとしても,同権利は,後記(2)と同様に(ただし,根拠規定は,会計法30条,31条となる。)時効によって消滅した。
(2) 被告長崎市に対する健康管理手当受給権に基づく請求について(争点①及び③)
以下のとおり,亡X1は,本件支給認定に係る認定期間以降の健康管理手当受給権を取得しておらず,また,本件支給認定に係る健康管理手当受給権については,時効消滅した。
ア 本件支給認定に係る認定期間経過後の健康管理手当受給権について(争点①)
(ア) 健康管理手当の受給権は,認定期間限りのものであるところ(特別措置法5条3項,被爆者援護法27条3項),その期間経過後は,新たに支給認定を受けなければ健康管理手当受給権を取得しない。
亡X1については,昭和55年5月の本件支給認定以降,支給認定を受けた事実がないから,同人は,上記認定に係る認定期間経過後(遅くとも昭和58年6月以降)の健康管理手当受給権は取得しない。
(イ) この点,原告らは,告示208号によって,健康管理手当の認定期間を限定されたことが違法・無効であると主張している。
しかし,特別措置法5条3項は,厚生大臣が,健康管理手当の認定期間を裁量により限定していることを予定しており,これは,健康管理手当が,放射能との関連性を明確に否定できない疾病(厚生省令で定める障害を伴う疾病)にかかっている者につき,日常十分に健康上の注意を払う必要があることから,健康管理に必要な出費に充てることを給付の本旨としているところ,このように被爆者の健康状態に着目し国費により支給が行われるという性格上,当該状態が継続しているかどうかを一定の期間経過後に確認する必要性があることによる。したがって,特別措置法5条3項や,これを受けて認定期間を定めた告示208号は,十分に合理性を有するものであるから,これに基づき認定期間を限定したことが違法・無効になるものではない。
(ウ) なお,原告らは,最近になって厚生労働大臣が定める期間についての取扱いが変更されたことをも根拠として,従前の取扱いが違法であった旨を主張しているようである。なるほど,平成15年7月25日厚生労働省告示第266号によって,運動器機能障害を伴う疾病にかかる厚生労働大臣が定める期間は無期限とされるに至った(告示208号においては最長3年間であった)が,告示266号は,受給者の高齢化の一層の進展,健康管理手当の対象疾病の中には病状が比較的固定化しているものもあることなどに鑑み,受給者の便宜を図る観点から,専門家の医学的見地からの意見もふまえ,租税収入による公費を財源とする健康管理手当の支給の適正を確保する必要性とを総合勘案の上,時宜に適った改正を行ったものである。このような告示266号による取扱いの変更の経緯に照らすと,これと異なる従来の取扱いが違法とされる理由はないというべきである。また,告示266号は,単に厚生労働大臣が定める期間を無期限としただけであって,その中で,都道府県知事が個別の支給認定において認定期間を定めるかどうかは別問題であるから,告示266号による取扱いの変更によって,直ちに,亡X1の認定期間が無期限とされることにはならない。
イ 本件支給認定に係る健康管理手当受給権について(争点②)
以下のとおり,本件支給認定に係る健康管理手当受給権については,援用を要するまでもなく,時効消滅した。なお,この消滅時効について信義則違反や権利濫用を観念する余地はないし,仮に観念した場合であっても本件はこれらに該当しない。
(ア) 健康管理手当の受給権は,認定期間限りのものであるところ,亡X1に対する支給認定の際定められた認定期間は,当時の健康管理手当受給者台帳が保存期間満了により廃棄されているため確認ができないが,昭和55年当時,健康管理手当受給権者であることの認定期間は最長3年(特別措置法5条3項,告示208号)であったから,長くとも昭和58年5月までである。
健康管理手当は月を単位として支給されるものであり(特別措置法5条4項,被爆者援護法27条4項),支払日についての規定はないから,毎月の手当の支給期限は,当該月の末日と解される。したがって,健康管理手当の受給権者は,当該月の末日には権利を行使することができるから,その日が消滅時効の起算日となる。
そして,健康管理手当受給権は,「地方公共団体に関する権利で,金銭の給付を目的とするもの」(地方自治法236条1項後段)に該当するから,5年間の時効期間の経過により,援用を要せずに時効消滅する(同条1項,2項)。
したがって,本件支給認定に係る健康管理手当受給権は,各支給月(昭和55年7月から昭和58年5月)の末日から5年間の経過により,時効消滅した。
(イ) 起算点について
消滅時効の起算点は,権利を行使することについて,法律上の障害がなくなった時をいい,事実上の障害は含まないと解される。本件においては,上記のとおり,各支給月(昭和55年7月から昭和58年5月)の末日である。
これに対し,原告らは,402号通達の存在等が,時効の進行開始を阻む法律上の障害に該当するなどと主張している。
しかし,①通達や行政実務の運用が,行政が多数の国民との間に関係を形成することから,事実として一般的性格を有するとしても,だからといって,通達や行政実務の運用に,客観的な法規範性が認められるわけではなく,また,②通達や行政実務の運用について訴訟を提起することは可能なのであるから,402号通達の存在やこれに基づく取扱いは,権利行使に対する事実上の障害にすぎず,法律上の障害とはなり得ない。
さらに,③亡X1が離日により受給できなくなった健康管理手当受給権は,権利行使の前提となる法律関係があり,それが確定してはじめて権利行使が現実に期待できるという性質の権利ではなく,しかも,④本件においては,亡X1ないし原告らの支援者において,離日による失権取扱いを認識して不満を有し,裁判に訴えることも認識していたのだから,提訴をしなかったのは亡X1ないし原告らの主観的事情によるものというほかない。以上によれば,本件については,「単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するべき場合」にも当たらない。
(ウ) 信義則違反や権利濫用について
原告らは,被告らが,時効を主張することが信義則違反ないし権利濫用である旨を主張している。
しかし,上記のとおり,健康管理手当受給権は,5年間の時効期間の経過により,援用を要せずに時効消滅するものであり(地方自治法236条1項,2項),同条2項の趣旨は,普通地方公共団体の債権債務の不安定な状態をなるべく速やかに解決し,大量かつ複雑多様な会計上の決済を早期に完了させる必要性があることから,消滅時効の効果の発生につき時効の援用等の個別事情に係る行為を排斥し,画一的に処理し規律することを目的として,時効期間の経過により一律に消滅時効の効果が発生することとしたものであるから,裁判所は,5年間が経過すれば当然に地方自治法236条2項を適用しなければならず,その際,信義則違反や権利濫用を観念する余地はないというべきである(なお,最高裁平成元年12月21日判決(民集43巻12号2209頁)は除斥期間に関するものであるが,その理由とするところは,地方自治法236条1項,2項に規定される消滅時効についても妥当するものというべきである。)。
また,仮に,信義則違反や権利濫用を観念しうるとしても,①本来,行政機関の法解釈を誤りと考える者は,時効期間内に裁判所に司法的救済を求めるべきであること,②仮に,通達や行政実務の運用が時効に関する信義則違反や権利濫用の評価根拠事実となるとすれば,制限なく過去にさかのぼって権利救済を求めることができることになり,法律関係が極めて不安定となること,③本件において,亡X1は,出国により健康管理手当の支給を受けられないことを知った時点で,訴訟を提起するなどの方法により,時効中断のための措置をとることができたものであり,そのことに格別の支障があったとはいえないこと,④402号通達で示された法解釈は相応の論拠を有するものであって,原爆三法の規定に明白に反するものではなく,当時の厚生省が違法な解釈であると認識していたわけでもないことといった事情に照らせば,被告の消滅時効の主張が,信義則違反や権利濫用になることはない。
(エ) そうすると,本件訴訟が提起されたのは,平成16年5月18日であるから,亡X1の健康管理手当受給権は,すでに時効消滅している。
2 国家賠償法1条1項に基づく賠償請求
(原告らの主張)
(1) 違法性及び故意・過失(争点④ないし⑥)
ア 被告らが,402号通達の発出及びこれに基づく取扱いをした点(争点④)
被告国は,上記のとおり,離日による失権の取扱いを定めた402号通達を発出した。
法には,被爆者の離日による地位喪失や権利消滅を定める規定はなく,その旨を行政の裁量に委ねる規定もなかったから,402号通達は,法律の根拠を有さず,被爆者の権利・法的利益を侵害する違法なものといえる。そして,被告国は,海外に居住する被爆者が存在することないしその可能性を知っており,また,原爆二法の立法過程において,いわゆる国籍条項を設けたり,国外在留の日本人の適用除外条項等を設けるなどはしておらず,したがって,原爆二法が,国籍を問わず,日本への居住を問わず,被爆者全てに適用されるべきものであることを知っていたにもかかわらず,402号通達を設けたのであるから,被告国には,上記違法についての故意があった。
そして,長崎市長は,上記のとおり,亡X1が日本を離れたことにより,402号通達により失権の取扱いをした。しかし,長崎市長は,機関委任事務の受託者として,自ら法を解釈する権限を有していたところ,被告国の法解釈の誤り・違法を看過し,これに追従したものであるから,かかる行為は違法であり,故意・過失があった。
イ 告示208号を定めたこと及びこれに基づく取扱いをした点(被告らについて)(争点⑤)
旧厚生大臣は,被爆者の症状の程度如何に関わらず,健康管理手当の支給期間の上限を3年と定めた(その結果,亡X1の上記のような症状(不可逆的・終身的であり,かつ,そのことが一見明白であった)を看過・無視して,支給期間に有期の限定が付されることとなった。)。これは,その裁量を逸脱した違法な行為であり,少なくとも過失があったといえる。
そして,長崎市長は,上記のとおり,亡X1の大腿骨頭壊死の症状が,不可逆的・終身的なものであり,そのことが一見明白であったにもかかわらず,有期の限定を付した。しかし,長崎市長は,機関委任事務の受託者として,自ら法を解釈する権限を有していたところ,告示208号の違法・無効を看過し,これに追従したものであるから,かかる行為は違法であり,故意・過失があった。
ウ 立法の不備ないし不作為(被告国について)(争点⑥)
国会は,原爆二法を,国籍を問わず,日本への居住を問わず,被爆者すべてに適用されるものとしながら,申請手続に関する規定において,日本に居住しない限り,申請すべき都道府県知事が定まらないことになる規定を設けた。これにより,被爆者は,国外から申請することができなくなった。しかし,在外被爆者のうち,その意に反して,来日して申請することができない者が存在することは容易に推察することができ,また,申請先に被爆地の知事をも加えることによって,国外からの申請を可能にすることは容易であった。したがって,それをしなかったことは立法の不備であり違法である。
また,国会は,旧厚生省の行政の適正な実施を監視する義務を怠り,402号通達による援護行政の実施を放置し,申請先に被爆地の知事をも加える立法を行うべき義務があったにもかかわらず,これを長期にわたって懈怠したもので,かかる立法不作為は違法である。
(2) 被告らの責任等
被告国と被告長崎市は,以上のような違法な離日取扱い及び違法な支給期間限定を,意を通じてしたものであるから,共同不法行為が成立する。
そして,被告らは,上記(1)によって,亡X1に対し,次の損害(合計額957万9240円)を与えた。
健康管理手当支給相当額 合計 847万9240円
慰謝料 100万円
弁護士費用 10万円
よって,被告らは,国家賠償法1条1項に基づき,連帯して,亡X1に対し,957万9240円を支払う義務があった。
(被告らの主張)
(1) 402号通達による失権取扱いについて(主に争点④及び⑦)
ア 違法性がないこと
402号通達の発出やこれに基づく取扱いは,以下によれば,国家賠償法上違法であるとの評価を受けない。
(ア) 402号通達が示した解釈については,①原爆三法の規定上,被爆者が日本に居住等していることが当然の前提とされていると解釈する根拠といえる規定があったこと,②原爆三法による給付は,国外では支給し得ない医療給付が中心であったこと,③原爆三法の適用について属地主義的な理解を採ることにも根拠があったといえること,④原爆三法の制定過程において,在外被爆者には法律が適用されない旨の答弁などがなされたことに照らすと,被爆者が出国により失権するとの解釈は,相当の根拠を有するものであり,法の規定に明白に反するとはいえないものであった。大阪高裁平成14年12月5日判決を契機に,402号通達による解釈が改められるに至ったが,そのことは,同解釈に相当な根拠がなかったことを示すものではない。
したがって,402号通達の発出やこれに基づく取扱いなどについて,公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認めることはできない。
(イ) また,402号通達を定めたこと自体は,行政の統一性を確保するために法の解釈を示したものであって,行政機関内部での拘束力は有するものの,国民の権利義務に影響するものとはいえない。したがって,それ自体で,個別の国民との間で何らかの法的義務が形成されることはないし,直接その権利・利益を侵害することもあり得ない。
(ウ) さらに,仮に402号通達が違法であれば,これによって亡X1が健康管理手当受給権を喪失することはないから,亡X1は,法律上保護される利益が侵害されていない。
イ 故意・過失がないこと
上記のとおり,402号通達による解釈は相当の根拠を有しており,また,402号通達については,近時まで裁判上問題視されたこともなく,その適法性を肯定する判決もあったことなどに照らすと,これに関与した公務員は違法性の認識を持ち得なかったから,402号通達の発出や402号通達に基づく取扱いについて,故意・過失があったとはいえない。
ウ 相当因果関係のある損害(一部)不存在
原告らが損害として主張するもののうち,本件支給認定に係る認定期間以降(遅くとも昭和58年6月以降)の健康管理手当相当額については,408号通達による失権取扱いと相当因果関係のある損害ではない。
エ 除斥期間の経過
原告らが違法行為と主張している昭和55年7月の失権取扱いからは,20年が経過しているから,亡X1の請求権はすでに消滅した(国家賠償法4条,民法724条後段)。
(2) 認定期間の限定(告示208号)について(主に争点⑤及び⑦)
ア 違法性がないこと
以下の理由から,告示208号の存在及びこれに基づく取扱いは,国家賠償法上違法の評価を受けない。
(ア) 特別措置法5条3項は,旧厚生大臣が,健康管理手当の認定期間の上限を定め,都道府県知事が,個別の支給認定にあたり,厚生大臣が定める期間内で各受給の障害及び疾病の症状を検討して適切な認定期間を定めることができるものとしていた。
これは,健康管理手当が,放射能との関連性を明確に否定できない疾病(厚生省令で定める障害を伴う疾病)にかかっている者につき,日常十分に健康上の注意を払う必要があることから,健康管理に必要な出費に充てることを給付の本旨としているところ,このように被爆者の健康状態に着目し国費により支給が行われるという性格上,当該状態が継続しているかどうかを一定の期間経過後に確認する必要性があることによる。したがって,特別措置法5条3項や,これを受けて認定期間を定めた告示208号は,十分に合理性を有するものであった。
そして,同規定によれば,法は都道府県知事に対し,健康管理手当支給認定について,旧厚生大臣の定める上限を超えて認定期間を定めることや期間を定めずに支給認定することを可能とするような裁量権を付与していなかったというべきである。
したがって,旧厚生大臣が告示208号において認定期間の上限を3年と定めたことに裁量権の逸脱はない。また,長崎市長が,亡X1について認定期間を限定したことに,裁量権の逸脱はない。
(イ) なお,最近告示266号による取扱いの変更がなされたことが,従前の取扱いの無効に結びつかないことについては,上記のとおりである。
(ウ) また,告示208号が違法であれば,亡X1の健康管理手当受給権が法律上消滅するわけではなく,法的利益を侵害するものともいえない。
イ 故意・過失がないこと
告示208号には,上記のとおり合理性があるから,これを定めたことやこれに基づいた取扱いをしたことに故意・過失は認められない。
さらに,仮に告示208号が違法であったとしても,長崎市長に故意・過失を認めることはできない。
ウ 相当因果関係のある損害(一部)不存在
原告らが損害として主張するもののうち,本件支給認定に係る健康管理手当相当額(最長でも昭和58年5月までの分)については,告示208号による取扱い(認定期間の限定)と相当因果関係のある損害ではない。
エ 除斥期間の経過
原告らが違法行為と主張している告示208号による取扱いは,昭和55年5月下旬ころにされたものと考えられるところ,その時点から20年が経過しているから,亡X1の請求権は消滅した(国家賠償法4条,民法724条後段)。
(3) 立法の不備ないし立法不作為について(争点⑥)
原告らは,立法ないし立法不作為の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法ないし立法不作為を行うというがごとき,容易に想定しがたいような例外的場合(国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けうる場合)に該当する事実を具体的に主張していないから,原告らの主張は,それ自体失当である。
いずれにしても,被爆者援護法が,被爆者健康手帳の交付申請等において日本に居住又は現在していることを要件としていること及び国外からの申請を認める規定をおいていないことは,同法が,非拠出性の社会保障法の性格を有すること,認定行政における適正確保の要請があることなどに照らせば相当の根拠がある。また,憲法が,被爆地の知事を申請先に付加すべきことを一義的に義務づけているとも解されない。したがって,立法の不備あるいは立法不作為につき,国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受ける場合には該当しない。
第4 当裁判所の判断
1 健康管理手当受給権に基づく請求
(1) 亡X1の健康管理手当受給権の取得の有無(争点①)
ア 上記のとおり,亡X1は,昭和55年5月2日,被告長崎市から被爆者健康手帳を交付され,本件支給認定を受け,同年6月24日,2万円の支給を受けたのであるから,亡X1は,特別措置法において健康管理手当の定める要件とされている,「被爆者」であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものであったことを推認することができる。
イ 特別措置法5条3項にいう期間について
そして,健康管理手当受給権は,都道府県知事等が定める,当該疾病が継続すると認められる期間限りのものであるところ(特別措置法5条3項),①昭和55年当時,健康管理手当受給権者であることの認定期間は,造血機能障害を伴う疾病のうち鉄欠乏性貧血及び潰瘍による消化器機能障害を伴う疾病以外の疾病について,最長3年とされていたこと(告示208号),②本件支給認定の際長崎市長により定められた認定期間が,当時の健康管理手当受給者台帳が保存期間満了により廃棄されているため確認ができないこと(弁論の全趣旨),③被告らから,亡X1の疾病につき,支給期間を3年未満に限定がなされるべきものであった旨の主張もなされていないことなどに照らすと,同人について実際に認定され,かつ,認定されるべきであった特別措置法5条3項の期間については,3年間であったと推認するのが相当である。
この点について,原告らは,亡X1の大腿骨頭壊死の症状は,不可逆的・終身的なものであり,そのことは一見明白であったから,有期の限定を付すべきではなかった(期間指定の措置は,違法・無効である)旨を主張している。しかし,特別措置法5条3項によれば,同法は,旧厚生大臣が,健康管理手当の認定期間を裁量により限定することを予定しており,健康管理手当が,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生省令で定める障害を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているものを支給対象者とし,放射能との関連性がある疾病に罹患した者の健康管理に必要な出費を給付の本旨とし,当該状態が継続しているかどうかを一定の期間経過後に確認する必要性があることなどに照らすと,同法5条3項の規定は合理性を有するものといえ,また,告示208号についても,不合理であるとは認め難い。なお,認定期間を定める時点で,告示208号を超える期間当該負傷又は疾病が治癒に至らない蓋然性が高い場合もあり得ると思われるが,そのような場合も含めて上記告示の定める期間内で認定期間を定めることもあながち不合理とはいえず,法もこのような場合を予定しているものと解することができる。そして,甲11(亡X1を撮影した写真撮影報告書)を含め,本件で原告らから提出された全証拠を踏まえても,以上に反して亡X1に対する無期限の支給を認定すべきであったと解するべき根拠となる事実を認定するには至らない。したがって,この点に関する原告らの主張を採用することはできない。
ウ 離日による失権取扱いとそれ以降の健康管理手当受給権について
そして,亡X1は,その後日本を離れているが,「被爆者」は,日本に居住も現在もしなくなったとしても,当然には「被爆者」たる地位を喪失せず,健康管理手当の支給対象者であることの認定を受けている者については,健康管理手当が支給されるべきものと解される(大阪高裁平成14年12月5日判決参照)。
もっとも,健康管理手当受給権は,都道府県知事等が定める,当該疾病が継続すると認められる期間限りのものであり(特別措置法5条3項),亡X1について実際に認定され,かつ,認定されるべきであった特別措置法5条3項の期間については,3年間であったと推認されることは上記イのとおりである。そして,上記イで述べたところによれば,都道府県知事等の認定なくして,当然に「被爆者」が,健康管理手当の受給権を有するものと認めることはできない。
したがって,亡X1は,本件支給認定に係る昭和55年6月から昭和58年5月までの間の健康管理手当受給権を取得した(そのうち昭和55年6月分が支給済みであり,未払額の合計は,別紙表2のとおり,82万7900円である。)ものと認めることができるが,同人が取得した受給権は,これに限られるといわざるを得ない(上記の特別措置法の規定によれば,健康管理手当受給権は,都道府県知事等の支給認定を受けなければ実体的に発生しないものと理解することができるから,昭和58年6月以降の受給権については発生していないことになる。)。
(2) 支給義務者について(争点②)
ア 特別措置法(及び被爆者援護法)に基づく健康管理手当の支給は,旧地方自治法において,機関委任事務とされていた(148条2項の別表第三の一(十の三))。そして,普通地方公共団体の長が管理,執行する機関委任事務に要する費用については,同法232条1項により,普通地方公共団体が「必要な経費を」「支弁する」とされていたから,当該普通地方公共団体が,債務者として支払義務を負う。
特別措置法は,健康管理手当について,都道府県知事等が支給し,その支給に要する費用は都道府県等が支弁すると規定していたから(5条1項,10条1項,15条),被爆者に対する健康管理手当の支給義務者は,その居住地等の都道府県等である。
イ そうすると,いったん日本国内で都道府県知事等から被爆者健康手帳交付及び健康管理手当支給認定を受けていた者の健康管理手当については,出国までの間は,その居住地等の都道府県知事等が支給義務を負い,出国後についても,その最後の都道府県等が支給義務を負うと解するのが相当である(福岡高裁平成16年2月27日判決参照)。これに対し,原告らは,被告国も支給義務を負うべきであると主張するが,特別措置法には,被爆者の出国により手当支給事務を行う権限が,最後の都道府県等の都道府県知事等から他の行政機関に移転するとの規定が存在しないところ,最後の都道府県等が狭義の在外被爆者に対して負担していた手当支給義務が,同人の出国により消滅する根拠はなく,上記アのような各規定に照らすと,最後の都道府県等が支給義務を負うと解するのが相当であると考えられるのであって,原告らの主張を採用することはできない。
ウ 以上によれば,亡X1が取得していた健康管理手当受給権に係る支給義務者は,被告長崎市であって,被告国ではない。
(3) 消滅時効について(争点③)
ア 健康管理手当は月を単位として支給されるものであり(特別措置法5条4項),毎月の手当の支給期限は,当該月の末日であると解される。したがって,健康管理手当の受給権者は,当該月の末日には権利を行使することができるから,本来,消滅時効の起算日は,支給月ごとに当該月の末日となるはずである。本件では,昭和55年7月から昭和58年5月までのそれぞれ末日がこれに当たる。
(ア) もっとも,上記のとおり,亡X1は,その後日本を離れているところ,昭和55年7月分の健康管理手当を受給していないことに照らすと,昭和55年7月末より前に日本を離れたものと推認される。そこで,離日による失権取扱い(402号通達の存在及びこれに基づく取扱い)等によって,権利を行使することができなかったかどうか(民法166条1項)が問題となる。
(イ) この点,基本的には,消滅時効の制度の趣旨が,一定期間継続した権利不行使の状態という客観的な事実に基づいて権利を消滅させ,もって法律関係の安定を図ることにあることに鑑みると,権利を行使することができるとは,権利を行使し得る期限の未到来とか,条件の未成就のような権利行使についての法律上の障害がない状態をさし,権利行使についての単なる事実上の障害は,これに含まれないものと解される(最高裁昭和49年12月20日第二小法廷判決・民集28巻10号2072頁参照)。もっとも,権利を行使することができるというためには,単にその権利の行使につき法律上の障害がないというだけではなく,さらに権利の性質上,その権利行使が現実に期待のできるものであることをも必要と解するのが相当である(最高裁昭和45年7月15日大法廷判決・民集24巻7号771頁,最高裁平成8年3月5日第三小法廷判決・民集50巻3号383頁参照)。
(ウ) そして,402号通達によって,昭和55年7月当時から(平成15年3月1日に原子爆弾被爆者に対する法律施行令の一部を改正する政令(平成15年政令第14号)及び原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行規則の一部を改正する省令(平成15年厚生労働省令第16号)により取扱いが変更されるまで),離日による失権取扱いがなされていたことは上記第2の3(3)のとおりである。しかし,このような行政的な取扱いがある場合にも,その取扱いが違法,不当であることを主張して訴訟を提起することに何ら法的な障害があるわけではなく,亡X1が日本国外に在住し,日本語の理解あるいは日本の司法制度の理解に乏しいことも事実上訴訟提起を困難にすることを意味してはいるが,これが訴訟提起の法的な障害ではないことは明らかであり,上記のような行政的な取扱いの存在及び亡X1の個別的な事情をもって,健康管理手当請求権の性質上,一般的にその権利行使を期待することを現実に期待できないということも困難である。
イ しかしながら,402号通達に基づく取扱いは,「被爆者」たる地位が失われ,被爆者健康手帳が失効して健康管理手当受給権が消滅し,いったん被爆者健康手帳の交付を受け,支給認定を受けた「被爆者」であっても,離日した後,健康管理手当の支給を受けるためには,再度,被爆者健康手帳の交付を受け,支給認定を受けなければならないとするものである(上記第2の2(1)のとおり,亡X1も,昭和55年以前にいったん健康管理手当を受給したが,離日した後,実際には,再度来日しただけでは健康管理手当の支給を受けることができなかったものである。)。そして,この取扱いは,上記大阪高裁平成14年12月5日判決が確定するまで,現に,これを是正した確定裁判は存せず,実務的に長年定着してきたものである(なお,広島地方裁判所平成11年3月25日判決・訟務月報47巻7号1677頁は,在外被爆者に対する原爆二法の適用を否定している。)。
このように,402号通達に基づいた離日による失権取扱いは,特別措置法を所管する当時の厚生省の権威のある正当な法律解釈として一般に理解され,通用していたものである。しかも,この解釈が,通常は我が国の法制度や司法制度の理解に乏しく,場合によっては日本語も解することのできない(そして,本邦との交流も通常は多くはないと思われる)いわゆる在外被爆者を対象とするものであることに鑑みると,当該被爆者がこのような日本政府の法律解釈をやむを得ないことと受け止めるのは自然なことであると思われる。また,仮にこの取扱いを不当だと考える被爆者があっても,上記のような通達及びそれに基づく取扱は,その不当を訴えて提訴することに対して事実上重大な障害となることは容易に想像することができる。そして,その障害は,通常一個人で乗り越えることは著しく困難であり,日本語を理解し,日本の法制度に通じている他者からの援助があってもこれを乗り越えることは容易なものではない。そして,このような障害の最大の原因は被告国の法律解釈にあるから,このような障害を作り出した被告国から事務を委任された被告長崎市が,地方自治法236条の消滅時効制度の適用を主張することは信義則上許されないと解するのが相当である。
ウ(ア) 以上のような理解に対し,被告らは,①健康管理手当受給権は,5年間の時効期間の経過により,援用を要せずに時効消滅するものであり,裁判所は消滅時効の起算点から5年間が経過すれば当然に地方自治法236条2項(被告国については会計法)を適用しなければならず,その際信義則違反や権利濫用を観念する余地はないことを主張するほか,②本来行政機関の法解釈を誤りと考える者は,時効期間内に裁判所に司法的救済を求めるべきであること,③通達や行政実務の運用が時効に関する信義則違反や権利濫用の評価根拠事実になるとすれば,制限なく過去にさかのぼって権利救済を求めることができることになり,法律関係が極めて不安定になること,④亡X1は,出国により健康管理手当の支給を受けられないことを知った時点で訴訟を提起する等の方法により,時効中断の措置をとることができたこと,⑤402号通達で示された法解釈は相応の論拠を有し,当時の厚生省が違法な解釈であると認識していたものでもないこと等の根拠を挙げて,被告らによる消滅時効の主張などが信義則に違反するものではなく,あるいは権利の濫用になるものではないとの主張をしている。
(イ) ところで,本件で問題となっている特別措置法あるいは被爆者援護法に基づく健康管理手当受給権は,地方自治法236条1項の「金銭の給付を目的とする普通地方公共団体の権利」に該当するものと解され,その消滅時効の期間は5年であって,同条2項によって時効の援用を要せず,その利益を放棄することができないもので,中断や停止の事由がなければ,期間の経過によって消滅するものである(なお,会計法にも同趣旨の規定がある。)。
民法上の時効利益の放棄と援用は,永続した事実状態の尊重と時効の利益を受けることを潔しとしない個人の意思の尊重との調和を図るための制度であるが,公法上の債権については,このような個人の意思に関わらず画一的な処理と権利義務関係の早期確定を図ることが要請されるため,地方自治法236条2項や会計法31条は,公法上の債権に関する消滅時効に関しては,上記のとおり時効の援用を要せず,時効利益を放棄することはできないとしたものである。また,消滅時効の適用の主張が信義則上許されないと考えられる場合には,公法上の債権であっても,画一的な処理と権利義務関係の早期確定を図る要請は及ばないといえる。したがって,公法上の債権について,時効の援用や時効利益の放棄の制度を排除した地方自治法及び会計法の規定は,公法上の債権の消滅時効に関し,個別の事情による民法上の信義誠実の原則や権利濫用の法理の適用を排除することをその趣旨とするものではない。また,原則として信義則や権利濫用の法理を適用する余地がないとされる除斥期間は,絶対的な権利の存続期間を定めるものであるが,公法上の債権に関する消滅時効については,時効の中断や停止という事態が起こりうるものであるから,もとより除斥期間のように権利の絶対的な存続期間を定めるものでもない。もっとも,公法上の債権については時効の援用が不要とされるため,義務者から時効期間の起算点となる事実と期間の経過が主張されれば,これによって時効による権利の消滅についての判断を要請される点では,除斥期間と共通する点がある。しかし,公法上の債権について時効の援用を不要とした地方自治法等の規定が,直接信義則や権利濫用の法理の適用を排除する趣旨を含むものではなく,公法上の債権に関する消滅時効制度も民商法等の私法上の消滅時効制度とその趣旨を共通にしていること等からすると,当該権利の性質や権利行使ができなかった事情,権利行使の障害の原因と義務者の関与等の程度に鑑み,地方自治法236条の消滅時効制度の適用を主張することが信義則上許されないと考えられる場合には,その適用を否定することが相当なものと解される。
(ウ) また,後述のように被告国が402号通達を発し,離日による失権取扱いをしたことにはそれなりの根拠があったというべきである。したがって,被告らにおいて敢えて違法な行政を行い,あるいは通常は採用できないような法解釈を行っていたものではないが,そうであっても,被告らの法解釈及びその運用が,結果的に亡X1の権利行使に重大な障害をもたらしたものであることは先にみたとおりである。そして,このように故意・過失がないとしても,結果的,客観的に権利行使に重大な障害をもたらした者が,後にその権利が消滅時効により消滅したと主張することは,やはり信義則に違反するものといわなければならない。また,このように解すると,本件のような事情(相応の根拠のある法律解釈に基づいた行政が行われていたが,それが後に違法と判断されたという事情)の下でも,過去に遡って多数の者が権利救済を求める可能性を得ることは被告らの指摘するとおりである。しかし,そのことは,消滅時効制度の適用を主張することが信義則に違反することを否定する事情とはいえず,また,そのような事由を直ちに信義則の適用を否定する理由とすることも相当とはいえない。更に,信義則の適用は個別の事情によるべきものであるから,権利が存在しないとする通達や行政実務の扱いが後に違法とされることによって,その扱いに係る権利に対する消滅時効制度の適用のすべてが信義則に違反することになるわけではないことにも留意すべきである。
なお,被告らの主張②,④については,亡X1において402号通達に基づく行政が行われている下で,健康管理手当の支給を求めて出訴することが著しく困難であったことはこれまで説明したとおりである。
(4) 以上のとおりであるから,亡X1は,被告長崎市に対して,昭和55年7月から昭和58年5月までの間の健康管理手当受給権を取得していた(その額は,合計82万7900円である。)もので,相続によって,原告X2は16万5584円,その余の原告は各11万0386円(その余の原告らにつき1円未満の端数を切り下げ,残余につき原告X2に帰属するものとした。)の被告長崎市に対する支払請求権をそれぞれ取得するから(なお,未払の健康管理手当受給権については,相続の対象となるものと解するのが相当である(福岡高裁平成17年9月26日判決参照)。),原告らの健康管理手当受給権に基づく請求は,その限度で理由がある。
2 国家賠償法1条1項に基づく賠償請求
(1) 402号通達による失権取扱いについて(主に争点④)
402号通達が示した特別措置法の解釈は,是認できないものではあるものの,特別措置法の規定上,被爆者が日本に居住等していることが前提とされていると解釈する根拠となりうる規定があったこと,被爆者法の制定過程において,在外被爆者には法律が適用されない旨の答弁などがなされていたことに照らすと,一応の論拠があったといえ,法の規定に明白に反するとはいえないものであった。また,同通達発出当時あるいは昭和55年当時,上記解釈が法律に反するものであることが明白であった旨を旧厚生大臣あるいは被告長崎市において認識できたことを示す事実は認め難い。
したがって,402号通達における法解釈が是認できないものであること(上記のとおり,「被爆者」は,日本に居住も現在もしなくなったとしても,当然には「被爆者」たる地位を喪失せず,健康管理手当の支給対象者であることの認定を受けている者については,健康管理手当が支給されるべきものと解されること)を踏まえても,402号通達の発出やこれに基づく取扱いが,国家賠償法上の故意・過失による違法行為であるとまでは認めることができない。
(2) 認定期間の限定(告示208号)について(主に争点⑤)
上記(1(1)イ)によれば,告示208号の存在及びこれに基づく取扱いが,国家賠償法上の故意・過失による違法行為であるとは認めることができない。
(3) 立法の不備ないし立法不作為について(争点⑥)
特別措置法及び被爆者援護法については,被爆者健康手帳の交付申請等において日本に居住又は現在していること前提としていることや国外からの申請を認める規定をおいていないことなどを含めても,その立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているとは認めることができず,また,被爆地の知事を申請先に付加すべきことが,憲法によって,一義的に義務づけられているということもできない。
したがって,国家賠償法1条1項の適用上違反の評価を受けるような立法の不備あるいは立法不作為を認めることはできない。
(4) そうすると,原告らの国家賠償法1条1項に基づく賠償請求については,その余の点について判断するまでもなく,いずれも理由がない。
第5 結論
よって,原告らの被告長崎市に対する請求は,主文の限度で理由があるからこれを認容し,原告らの被告長崎市に対するその余の請求及び被告国に対する請求は,いずれも理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民事訴訟法64条本文,65条1項本文,61条を,仮執行の宣言について同法259条1項をそれぞれ適用し,なお,仮執行免脱宣言については相当でないのでこれを付さないこととし,主文のとおり判決する。
別紙 表1,2<省略>