長崎地方裁判所 平成19年(行ウ)15号 判決 2012年6月25日
主文
1 本件訴えのうち,原告らの政令制定義務存在確認を求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件3の請求に係る訴え)及び政令制定不作為違法確認を求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件4の請求に係る訴え)をいずれも却下する。
2(1) 本件訴えのうち,別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>「相続した原告の原告番号」欄記載の原告番号の各原告の,同「被相続人」欄記載の者につき生前において原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件5(2)の請求に係る訴え)をいずれも却下する。
(2) 本件訴えのうち,別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>「相続した原告の原告番号」欄記載の原告番号の各原告の,同「被相続人」欄記載の者につき生前において原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件6(2)の請求に係る訴え)をいずれも却下する。
3 本件訴えのうち,原告らの健康管理手当の支払を求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件9(1),本件9(2),本件10(1)及び本件10(2)の各請求に係る訴え)をいずれも却下する。
4 本件訴えに係る訴訟のうち,別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>「被相続人」欄記載の者の訴訟提起に係る次の各訴訟は,いずれも同「死亡日」欄記載の日における「被相続人」欄記載の者の死亡により終了した。
(1) 被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める訴訟(後記「事実及び理由」第1章の本件1(2)の請求に係る訴訟)
(2) 健康管理手当支給認定申請却下処分の取消しを求める訴訟(後記「事実及び理由」第1章の本件7(2)の請求に係る訴訟)
5 本件訴えに係る訴訟のうち,別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>「被相続人」欄記載の者の訴訟提起に係る次の各訴訟は,いずれも同「死亡日」欄記載の日における「被相続人」欄記載の者の死亡により終了した。
(1) 被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める訴訟(後記「事実及び理由」第1章の本件2(2)の請求に係る訴訟)
(2) 健康管理手当支給認定申請却下処分の取消しを求める訴訟(後記「事実及び理由」第1章の本件8(2)の請求に係る訴訟)
6 原告番号1ないし9,11ないし17,23ないし32,34,35,39ないし49,56ないし69,71ないし74,76ないし92,102ないし156,158,160ないし183,185ないし187,189,201ないし205,207ないし211,213ないし230,232ないし242,244ないし254,256ないし283,302ないし306,308ないし347,349ないし352,354,355,357,358,360ないし376,378の各原告の請求に係る訴えのうち,長崎市長に対し,被爆者健康手帳を交付することの義務付けを求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件5の請求に係る訴え)をいずれも却下する。
上記各原告のその余の請求をいずれも棄却する。
7 原告番号19ないし22,36ないし38,50,52ないし55,93ないし101,190ないし200,284ないし289,291ないし301,380ないし395の各原告の請求に係る訴えのうち,長崎県知事に対し,被爆者健康手帳を交付することの義務付けを求める訴え(後記「事実及び理由」第1章の本件6(1)の請求に係る訴え)をいずれも却下する。
上記各原告のその余の請求をいずれも棄却する。
8 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第1章請求及び事案の概要
第1請求
1(1) 長崎市長が原告番号1ないし9,11ないし17,23ないし32,34,35,39ないし49,56ないし69,71ないし74,76ないし92,102ないし156,158,160ないし183,185ないし187,189,201ないし205,207ないし211,213ないし230,232ないし242,244ないし254,256ないし283,302ないし306,308ないし347,349ないし352,354,355,357,358,360ないし376,378の各原告に対してした,別紙5被爆者健康手帳交付申請却下処分目録<省略>記載の各被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。
(2) 長崎市長がA(原告番号10の1ないし6の各原告の被相続人),C(原告番号33の1ないし3の各原告の被相続人),D(原告番号75の1ないし3の各原告の被相続人),E(原告番号159の1ないし4の各原告の被相続人),F(原告番号184の1ないし4の各原告の被相続人),G(原告番号188の1の原告の被相続人),H(原告番号206の1ないし5の各原告の被相続人),I(原告番号212の1,2の各原告の被相続人),J(原告番号231の1ないし4の各原告の被相続人),K(原告番号255の1ないし4の各原告の被相続人),L(原告番号307の1,2の各原告の被相続人),M(原告番号353の1ないし3の各原告の被相続人),N(原告番号356の1ないし4の各原告の被相続人)及びO(原告番号377の1ないし3の各原告の被相続人。上記Aら14名は,別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>記載の者であり,以下「被相続人Aら」という。)に対してした,別紙5被爆者健康手帳交付申請却下処分目録<省略>記載の各被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。
2(1) 長崎県知事が原告番号19ないし22,36ないし38,50,52ないし55,93ないし101,190ないし200,284ないし289,291ないし301,380ないし395の各原告に対してした,別紙5被爆者健康手帳交付申請却下処分目録<省略>記載の各被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。
(2) 長崎県知事がB(原告番号51の1ないし4の各原告の被相続人)及びP(原告番号290の1,2の各原告の被相続人。上記Bら2名は,別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>記載の者であり,以下「被相続人Bら」という。なお,被相続人Aら及び被相続人Bらを,以下「本件被相続人ら」という。)に対してした,別紙5被爆者健康手帳交付申請却下処分目録<省略>記載の各被爆者健康手帳交付申請却下処分を取り消す。
3 原告らと被告国との間で,被告国に,別紙6被爆状況目録<省略>「氏名」欄記載の者の同目録「被爆地点」欄記載の各被爆地点(以下「本件各被爆地点」という。)を,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(以下「被爆者援護法」という。)1条1号にいう「(当時の長崎市に)隣接する区域」として政令において定める義務があることを確認する。
4 原告らと被告国との間で,被告国が,政令において,本件各被爆地点を,被爆者援護法1条1号にいう「(当時の長崎市に)隣接する区域」として定めないことが違法であることを確認する。
5(1) 長崎市長は,前記1(1)の各原告に対し,被爆者健康手帳を交付せよ。
(2) 前記1(2)の各原告(上記各原告を,以下「相続人(被相続人Aら)原告ら」という。)と被告長崎市との間で,被相続人Aらが,生前において,被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことを確認する。
6(1) 長崎県知事は,前記2(1)の各原告に対し,被爆者健康手帳を交付せよ。
(2) 前記2(2)の各原告(上記各原告を,以下「相続人(被相続人Bら)原告ら」という。なお,相続人(被相続人Aら)原告ら及び相続人(被相続人Bら)原告らを,以下「相続人原告ら」という。)と被告長崎県との間で,被相続人Bらが,生前において,被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことを確認する。
7(1) 長崎市長が前記1(1)の各原告に対してした,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の各健康管理手当支給認定申請却下処分を取り消す。
(2) 長崎市長が被相続人Aらに対してした,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の各健康管理手当支給認定申請却下処分を取り消す。
8(1) 長崎県知事が前記2(1)の各原告に対してした,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の各健康管理手当支給認定申請却下処分を取り消す。
(2) 長崎県知事が被相続人Bらに対してした,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の各健康管理手当支給認定申請却下処分を取り消す。
9(1) 被告国及び同長崎市は,前記1(1)の各原告に対し,連帯して,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の同原告らの「申請日」欄記載の年月日の属する月の翌月から各月3万3900円を支払え。
(2)ア 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号10の1)に対し平成20年4月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号10の2),同<省略>(原告番号10の3),同<省略>(原告番号10の4),同<省略>(原告番号10の5)及び同<省略>(原告番号10の6)に対しそれぞれ平成20年4月から各月3390円を支払え。
イ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号33の1)に対し平成20年5月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号33の2)及び同<省略>(原告番号33の3)に対しそれぞれ平成20年5月から各月8475円を支払え。
ウ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号75の1)に対し平成22年7月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号75の2)及び同<省略>(原告番号75の3)に対しそれぞれ平成22年7月から各月8475円を支払え。
エ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号159の1)に対し平成20年6月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号159の2),同<省略>(原告番号159の3)及び同<省略>(原告番号159の4)に対しそれぞれ平成20年6月から各月5650円を支払え。
オ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号184の1)に対し平成20年6月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号184の2),同<省略>(原告番号184の3)及び同<省略>(原告番号184の4)に対しそれぞれ平成20年6月から各月5650円を支払え。
カ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号188の1)に対し平成20年6月から各月3万3900円を支払え。
キ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号206の1)に対し平成20年10月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号206の2),同<省略>(原告番号206の3),同<省略>(原告番号206の4)及び同<省略>(原告番号206の5)に対しそれぞれ平成20年10月から各月4237円を支払え。
ク 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号212の1)及び同<省略>(原告番号212の2)に対しそれぞれ平成20年10月から各月1万6950円を支払え。
ケ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号231の1),同<省略>(原告番号231の2),同<省略>(原告番号231の3)及び同<省略>(原告番号231の4)に対しそれぞれ平成20年9月から各月8475円を支払え。
コ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号255の1)に対し平成20年10月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号255の2),同<省略>(原告番号255の3)及び同<省略>(原告番号255の4)に対しそれぞれ平成20年10月から各月5650円を支払え。
サ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号307の1)及び同<省略>(原告番号307の2)に対しそれぞれ平成20年11月から各月1万6950円を支払え。
シ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号353の1)に対し平成20年12月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号353の2),同<省略>(原告番号353の3)に対しそれぞれ平成20年12月から各月8475円を支払え。
ス 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号356の1)に対し平成20年12月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号356の2),同<省略>(原告番号356の3)及び同<省略>(原告番号356の4)に対しそれぞれ平成20年12月から各月5650円を支払え。
セ 被告国及び同長崎市は,連帯して,原告<省略>(原告番号377の1)に対し平成20年11月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号377の2)及び同<省略>(原告番号377の3)に対しそれぞれ平成20年11月から各月8475円を支払え。
10(1) 被告国及び同長崎県は,前記2(1)の各原告に対し,連帯して,別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>記載の同原告らの「申請日」欄記載の年月日の属する月の翌月から各月3万3900円を支払え。
(2)ア 被告国及び同長崎県は,連帯して,原告<省略>(原告番号51の1)に対し平成20年4月から各月1万6950円を,同<省略>(原告番号51の2),同<省略>(原告番号51の3)及び同<省略>(原告番号51の4)に対しそれぞれ平成20年4月から各月5650円を支払え。
イ 被告国及び同長崎県は,連帯して,原告<省略>(原告番号290の1)及び同<省略>(原告番号290の2)に対しそれぞれ平成20年9月から各月1万6950円を支払え。
11(1) 被告長崎市及び同国は,前記1(1)の各原告に対し,各自1000円を支払え。
(2) 被告長崎県及び同国は,前記2(1)の各原告に対し,各自1000円を支払え。
第2事案の概要
1 本件は,原告らが,昭和20年8月9日に原子爆弾(以下,単に「原爆」ということがある。)が長崎市に投下されたこと(以下,単に「原爆投下」ということがある。)につき,①上記原爆投下当時及びその後,その爆心地(以下,単に「爆心地」ということがある。)から12キロメートルの範囲内の地域に存在した者は,その場所が爆心地から7.5キロメートル以上離れた地点であっても,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する旨,そして,②原告ら(ただし,本件訴訟提起後に従前の原告を相続した者(相続人原告ら)については,その被相続人である本件被相続人ら)は,上記原爆投下当時及びその後,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に存在したから上記3号に該当する(また,原告番号377の1ないし3の各原告の被相続人O(以下「被相続人O」という。)は,同条2号の「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に・・・政令で定める区域内に在った者」にも該当する)旨主張し,次のとおりの請求をする事案である。
(1)ア 本件1(1)の請求
前記第1の1(1)の各原告が,長崎市長に対し,被爆者援護法2条(49条)に基づき,被爆者健康手帳(以下,単に「手帳」ということもある。)の交付申請をしたところ,同市長が,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,上記各原告が,上記各処分の取消しを求める請求である(以下,前記第1の1(1)の請求を上記のとおり「本件1(1)の請求」という例により表示する。)。
イ 本件1(2)の請求
被相続人Aらが,長崎市長に対し,被爆者援護法2条(49条)に基づき,被爆者健康手帳の交付申請をしたところ,同市長が,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,被相続人Aらが,上記各処分の取消しを求めた請求であり,相続人(被相続人Aら)原告らは,被相続人Aらにつき訴訟承継をした(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>記載のとおりである。)として,上記各処分の取消しを求めるものである。
(2)ア 本件2(1)の請求
前記第1の2(1)の各原告が,長崎県知事に対し,被爆者援護法2条に基づき,被爆者健康手帳の交付申請をしたところ,同県知事が,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,上記各原告が,上記各処分の取消しを求める請求である(上記各原告及び前記第1の1(1)の各原告を,以下「申請者原告ら」という。)。
イ 本件2(2)の請求
被相続人Bらが,長崎県知事に対し,被爆者援護法2条に基づき,被爆者健康手帳の交付申請をしたところ,同県知事が,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,被相続人Bらが,上記各処分の取消しを求めた請求であり,相続人(被相続人Bら)原告らは,被相続人Bらにつき訴訟承継をした(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>記載のとおりである。)として,上記各処分の取消しを求めるものである(申請者原告ら及び本件被相続人らを,以下「本件申請者ら」という。また,本件1(1),本件1(2),本件2(1)及び本件2(2)の各請求を,以下「本件手帳交付申請却下処分取消請求」という。)。
(3) 本件3の請求
原告らが,被告国との間で,被告国に,本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「(当時の長崎市に)隣接する区域」(以下「隣接する区域」という。)として政令において定める義務があることの確認を求める請求である(本件3の請求を,以下「本件政令制定義務存在確認請求」という。)。
(4) 本件4の請求
原告らが,被告国との間で,被告国が,政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めないことが違法であることの確認を求める請求である(本件4の請求を,以下「本件政令制定不作為違法確認請求」という。)。
(5)ア 本件5(1)の請求
前記第1の1(1)の各原告が,前記(1)アの却下処分に係る申請につき,長崎市長に対し,被爆者健康手帳を交付することの義務付けを求める請求である。
イ 本件5(2)の請求相続人(被相続人Aら)原告らが,被告長崎市との間で,被相続人Aらが,生前において,被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求める請求である。
(6)ア 本件6(1)の請求
前記第1の2(1)の各原告が,前記(2)アの却下処分に係る申請につき,長崎県知事に対し,被爆者健康手帳を交付することの義務付けを求める請求である(本件5(1)及び本件6(1)の各請求を,以下「本件手帳交付義務付け請求」という。)。
イ 本件6(2)の請求
相続人(被相続人Bら)原告らが,被告長崎県との間で,被相続人Bらが,生前において,被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求める請求である(本件5(2)及び本件6(2)の各請求を,以下「本件被爆者地位確認請求」という。)。
(7)ア 本件7(1)の請求
前記第1の1(1)の各原告が,長崎市長に対し,被爆者援護法27条(49条)に基づき,同法27条1項に規定されている健康管理手当の支給要件に該当する旨の認定(以下「支給認定」という。)の申請をしたところ,同市長が,上記各原告につき被爆者健康手帳の交付を受けていない点で上記支給要件に該当しないとして,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,上記各原告が,上記各処分の取消しを求める請求である。
イ 本件7(2)の請求
被相続人Aらが,長崎市長に対し,被爆者援護法27条(49条)に基づき,健康管理手当の支給認定の申請をしたところ,同市長が,被相続人Aらにつき被爆者健康手帳の交付を受けていない点で上記支給要件に該当しないとして,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,被相続人Aらが,上記各処分の取消しを求めた請求であり,相続人(被相続人Aら)原告らは,被相続人Aらにつき訴訟承継をした(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>記載のとおりである。)として,上記各処分の取消しを求めるものである。
(8)ア 本件8(1)の請求
前記第1の2(1)の各原告が,長崎県知事に対し,被爆者援護法27条に基づき,健康管理手当の支給認定の申請をしたところ,同県知事が,上記各原告につき被爆者健康手帳の交付を受けていない点で上記支給要件に該当しないとして,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,上記各原告が,上記各処分の取消しを求める請求である。
イ 本件8(2)の請求
被相続人Bらが,長崎県知事に対し,被爆者援護法27条に基づき,健康管理手当の支給認定の申請をしたところ,同県知事が,被相続人Bらにつき被爆者健康手帳の交付を受けていない点で上記支給要件に該当しないとして,上記各申請をいずれも却下する処分をしたことにつき,被相続人Bらが,上記各処分の取消しを求めた請求であり,相続人(被相続人Bら)原告らは,被相続人Bらにつき訴訟承継をした(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>記載のとおりである。)として,上記各処分の取消しを求めるものである(本件7(1),本件7(2),本件8(1)及び本件8(2)の各請求を,以下「本件支給認定申請却下処分取消請求」という。)。
(9)ア 本件9(1)の請求
前記第1の1(1)の各原告が,被告国及び同長崎市に対し,被爆者援護法27条所定の健康管理手当の支給請求権をそれぞれ有するとして,上記請求権に基づき,上記手当を連帯して支払うことを求める請求である。
イ 本件9(2)の請求
相続人(被相続人Aら)原告らが,「被相続人Aらは,被告国及び同長崎市に対し,被爆者援護法27条所定の健康管理手当の支給請求権をそれぞれ有していた。相続人(被相続人Aら)原告らは,相続により上記健康管理手当の支給請求権を承継した(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>記載のとおりである。)」として,上記請求権に基づき,上記手当を連帯して支払うことを求める請求である。
(10)ア 本件10(1)の請求
前記第1の2(1)の各原告が,被告国及び同長崎県に対し,被爆者援護法27条所定の健康管理手当の支給請求権をそれぞれ有するとして,上記請求権に基づき,上記手当を連帯して支払うことを求める請求である。
イ 本件10(2)の請求
相続人(被相続人Bら)原告らが,「被相続人Bらは,被告国及び同長崎県に対し,被爆者援護法27条所定の健康管理手当の支給請求権をそれぞれ有していた。相続人(被相続人Bら)原告らは,相続により上記健康管理手当の支給請求権を承継した(承継関係は別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>記載のとおりである。)」として,上記請求権に基づき,上記手当を連帯して支払うことを求める請求である(本件9(1),本件9(2),本件10(1)及び本件10(2)の各請求を,以下「本件手当支払請求」という。)。
(11)ア 本件11(1)の請求
前記第1の1(1)の各原告が,被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったこと,長崎市長が前記(1)アの各却下処分をしたことは,いずれも違法であり,上記各原告はこれらによって被爆者援護法の定める援護を受けることができず精神的苦痛を被ったとして,被告長崎市及び同国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,それぞれ損害賠償金(被った損害の一部である1000円)の支払を求める請求である。
イ 本件11(2)の請求
前記第1の2(1)の各原告が,被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったこと,長崎県知事が前記(2)アの各却下処分をしたことは,いずれも違法であり,上記各原告はこれらによって被爆者援護法の定める援護を受けることができず精神的苦痛を被ったとして,被告長崎県及び同国に対し,国家賠償法1条1項に基づき,それぞれ損害賠償金(被った損害の一部である1000円)の支払を求める請求である(本件11(1)及び本件11(2)の各請求を,以下「本件国家賠償請求」という。)。
2 争いのない事実等
次の各事実は,当事者間に争いがないか,又は,証拠<省略>により認めることができる(一部の事実は,当裁判所に顕著である。)。
(1)ア 原子爆弾の投下
昭和20年8月9日,原爆が,長崎市に投下された。その爆心地は,別紙8図面<省略>に「爆心地」と表示された地点である。
イ 本件各被爆地点及び本件申請者らが存在した場所
(ア) 本件各被爆地点は,いずれも長崎県内にある。
本件各被爆地点(ただし,原告番号377の1ないし3の各原告に係る被相続人Oについては,別紙6被爆状況目録<省略>「被爆地点」欄記載の2地点のうち「北高来郡戸石村<以下省略>」)は,別紙8図面<省略>記載の西彼杵郡伊木力村,西彼杵郡大草村,西彼杵郡喜々津村,北高来郡古賀村,北高来郡戸石村,北高来郡田結村,西彼杵郡矢上村,西彼杵郡日見村,西彼杵郡茂木町,西彼杵郡深堀村,西彼杵郡香焼村,西彼杵郡式見村,西彼杵郡三重村又は西彼杵郡村松村のいずれかの区域内にある(被相続人Oの上記「被爆地点」欄記載の2地点のうち「大村市」は,上記図面に「大村市」と記載された場所である。)。
本件各被爆地点について,爆心地との位置関係及び爆心地からの距離は別紙8図面<省略>記載のとおりであり,本件各被爆地点(ただし,被相続人Oの上記「被爆地点」欄記載の「大村市」(爆心地から12キロメートル以上離れた場所である。)を除く。)は,爆心地から7.5ないし12キロメートル(7.5キロメートル以上,12キロメートル以下)の範囲内の地域(以下「本件地域」という。)に存在する。
(イ) 本件申請者らが本件地域に存在したこと別紙6被爆状況目録<省略>「氏名」欄記載の者(本件申請者ら)は,原爆投下の際(又は,原爆投下の直後の時期)及びその後相当期間(これらの時期を,以下「原爆投下時及びその後」という。),同目録「被爆地点」欄記載の各地点(本件各被爆地点)にそれぞれ存在した(なお,原告番号377の1ないし3の各原告に係る被相続人Oは,原爆投下の際は大村市に,その後は(原爆投下直後の時期から)「北高来郡戸石村<以下省略>」にそれぞれ存在したものである。)。
本件申請者らは,原爆投下時及びその後,本件地域に存在したものである。
(ウ) 本件各被爆地点は,いずれも,被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令で定められている区域(後記(4)イ(イ)aのとおり)の範囲外にある。
(2)ア 被爆者健康手帳交付申請却下処分等
(ア) 別紙5被爆者健康手帳交付申請却下処分目録<省略>「氏名」欄記載の者(本件申請者ら)は,同目録「処分機関」欄記載の地方公共団体の長(「長崎市」については長崎市長,「長崎県」については長崎県知事)に対し,同目録「申請日」欄記載の日に,それぞれ被爆者健康手帳交付申請をした。
上記各申請につき,長崎市長及び長崎県知事は,同目録「却下日」欄記載の日に,本件申請者らの各人に対し,上記各申請を却下する処分をした。
(イ) 本件申請者ら(申請者原告ら及び本件被相続人ら)は,いずれも被爆者健康手帳の交付を受けていない。
イ 健康管理手当支給認定申請却下処分等
(ア) 別紙7健康管理手当認定申請却下処分目録<省略>「氏名」欄記載の者(本件申請者ら)は,同目録「処分機関」欄記載の地方公共団体の長(「長崎市」については長崎市長,「長崎県」については長崎県知事)に対し,同目録「申請日」欄記載の日に,それぞれ健康管理手当の支給認定の申請をした。
上記各申請につき,長崎市長及び長崎県知事は,同目録「却下日」欄記載の日に,本件申請者らの各人に対し,上記各申請を却下する処分をした。
(イ) 本件申請者ら(申請者原告ら及び本件被相続人ら)は,いずれも健康管理手当の支給認定を受けていない。
(3) 本件訴訟提起後における本件被相続人らの死亡及び相続
ア 被相続人Aらは,それぞれ別紙4被相続人目録(被相続人Aら)<省略>「死亡日」欄記載の日に死亡し,同目録「相続した原告の原告番号」欄記載の原告番号の各原告(相続人(被相続人Aら)原告ら)は,それぞれ被相続人を相続した。
イ 被相続人Bらは,それぞれ別紙4被相続人目録(被相続人Bら)<省略>「死亡日」欄記載の日に死亡し,同目録「相続した原告の原告番号」欄記載の原告番号の各原告(相続人(被相続人Bら)原告ら)は,それぞれ被相続人を相続した。
(4) 被爆者援護法の制定及び同法の定め
ア 被爆者援護法の制定
昭和32年に原子爆弾被爆者の医療等に関する法律(以下「原爆医療法」という。)が,昭和43年に原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律(以下「原爆特別措置法」という。)がそれぞれ制定され,平成6年にこれらの法律を統合する形でこれらを引き継ぐとともにその援護内容を更に充実発展させるものとして被爆者援護法が制定された(いわゆる原爆三法(原爆医療法,原爆特別措置法及び被爆者援護法)を,以下「被爆者援護法等」ということがある。)。
イ 被爆者援護法の定め
(ア) 目的
被爆者援護法の前文には,法の目的に関し,「昭和20年8月,広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は,幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず,たとい一命をとりとめた被爆者にも,生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し,不安の中での生活をもたらした。このような原子爆弾の放射能に起因する健康被害に苦しむ被爆者の健康の保持及び増進並びに福祉を図るため,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律及び原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律を制定し,医療の給付,医療特別手当等の支給をはじめとする各般の施策を講じてきた。・・・国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ・・・」るため,この法律を制定する旨の定めがある。
(イ) 被爆者の定義
被爆者援護法において,被爆者とは,同法1条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいうとされている(同法1条)。
被爆者援護法1条各号の定めは,下記のとおりである(なお,長崎県のうち同条1号の定める区域(同号所定の政令で定める「隣接する区域」を含む。)は,別紙8図面<省略>に「原爆被爆地域」として表示されている区域である。同号の定める上記区域と爆心地との位置関係は上記図面記載のとおりであり,同号の区域として定められている当時の長崎市の区域には,爆心地からの距離が5キロメートルを超える地点が含まれている(当時の長崎市の南方において,爆心地から12キロメートルの地点が含まれている。)。)。
a 1号
「原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内に在った者」
上記の「これらに隣接する区域」は,原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律施行令(平成7年2月17被政令第26号。以下「被爆者援護法施行令」という。)1条1項において,「被爆者援護法1条1号の政令で定める区域は,広島市又は長崎市に原子爆弾が投下された当時の別表第一に掲げる区域とする」と規定され,上記別表第一において,長崎県については「長崎県西彼杵郡福田村のうち,大浦郷,小浦郷,本村郷,小江郷及び小江原郷(5号),長崎県西彼杵郡長与村のうち,高田郷及び吉無田郷(6号)」と規定されている。
b 2号
「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内に在った者」
上記の「政令で定める期間」は,被爆者援護法施行令1条2項により,長崎市に投下された原子爆弾については昭和20年8月23日までとすると定められている。また,上記の「政令で定める区域」は,被爆者援護法施行令1条3項及び同施行令別表第二において,「長崎市のうち,西北郷,東北郷,家野郷,西郷,家野町,大橋町,岡町,橋口町,山里町,坂本町,本尾町,上野町,江平町,高尾町,本原町,松山町,駒場町,城山町,浜口町,竹ノ久保町,稲佐町二丁目,稲佐町三丁目,旭町一丁目,岩川町,目覚町,浦上町,茂里町,銭座町,井樋ノ口町,船蔵町,宝町,寿町,幸町,福富町,玉浪町,梁瀬町,高砂町,御船蔵町,御船町,八千代町,瀬崎町及び浜平町」と定められている。
c 3号
「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」
d 4号
「前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」
(ウ) 被爆者健康手帳の交付
被爆者援護法2条1項は,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地(居住地を有しないときは,その現在地とする。)の都道府県知事(広島市又は長崎市については当該市の長(同法49条。以下同じ。)。以下「都道府県知事等」という。)に申請しなければならないと定めており,同条3項は,都道府県知事等は,上記申請に基づいて審査し,申請者が被爆者援護法1条各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする旨定めている。
(エ) 被爆者に対する援護
被爆者援護法上の被爆者は,同法に基づき,所定の援護を受けることができる。主な援護は,次のとおりであり,同法により,被爆者であれば誰でも受けることのできる援護として定められているものと,被爆者のうち一定の要件を充たす者が受けることのできる援護として定められているものとがある。
a 健康管理
(a) 健康診断
都道府県知事等は,被爆者に対し,毎年,厚生労働省令で定めるところにより,健康診断を行うものとすると定められている(被爆者援護法7条)。
(b) 指導
都道府県知事等は,上記健康診断の結果必要があると認めるときは,当該健康診断を受けた者に対し,必要な指導を行うものとすると定められている(被爆者援護法9条)。
b 一般疾病医療費の支給
被爆者援護法18条1項本文は,被爆者が,負傷又は疾病(一定の負傷又は疾病等を除く。)について,被爆者一般疾病医療機関から一定の医療を受けたときなどに,厚生労働大臣は,一般疾病医療費を支給することができる旨定めている。
c 健康管理手当の支給
被爆者援護法27条1項及び4項は,都道府県知事等は,被爆者であって,造血機能障害,肝臓機能障害その他の厚生労働省令で定める障害を伴う疾病(以下「造血機能障害等を伴う疾病」という。原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっているもの(ただし,医療特別手当,特別手当又は原子爆弾小頭症手当の支給を受けている者を除く。)に対し,毎月定額の健康管理手当を支給する旨定めている。
同条2項は,同条1項に規定する者が,健康管理手当の支給を受けようとするときは,同項に規定する要件(支給要件)に該当することについて,都道府県知事等の認定(支給認定)を受けなければならない旨定めている。
d 原子爆弾小頭症手当,保健手当及び介護手当の支給
都道府県知事等は,一定の要件を充たす被爆者に対し,原子爆弾小頭症手当(被爆者援護法26条),保健手当(同法28条),介護手当(同法31条)を支給するとされている。
e 医療の給付
被爆者援護法10条1項は,「厚生労働大臣は,原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し,又は疾病にかかり,現に医療を要する状態にある被爆者に対し,必要な医療の給付を行う。ただし,当該負傷又は疾病が原子爆弾の放射能に起因するものでないときは,その者の治癒能力が原子爆弾の放射能の影響を受けているため現に医療を要する状態にある場合に限る。」と定めている。
被爆者援護法11条1項は,上記の医療の給付を受けようとする者は,あらかじめ,当該負傷又は疾病が原子爆弾の傷害作用に起因する旨の厚生労働大臣の認定(以下「原爆症認定」という。)を受けなければならない旨定めている。
f 医療特別手当の支給
被爆者援護法24条1項は,都道府県知事等は,原爆症認定を受けた者であって,当該認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,医療特別手当を支給する旨定めている。
g 特別手当の支給
被爆者援護法25条1項は,都道府県知事等は,原爆症認定を受けた者に対し,特別手当を支給する(ただし,その者が医療特別手当の支給を受けている場合は,この限りでない)旨定めている。
3 争点
(1) 本件政令制定義務存在確認請求(本件3の請求)及び本件政令制定不作為違法確認請求(本件4の請求)に係る各訴えの適法性
(2) 本件被爆者地位確認請求(本件5(2)及び本件6(2)の各請求)に係る訴えの適法性
(3) 本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求)に係る訴えの適法性
(4) 相続人原告らにおける訴訟承継の成否(本件1(2),本件2(2),本件3,本件4,本件7(2),本件8(2),本件9(2)及び本件10(2)の各請求)
(5) 被相続人O(原告番号377の1ないし3の各原告の被相続人)につき被爆者援護法1条2号の該当性。長崎市長が被相続人Oの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1(2)の請求のうち被相続人Oの請求)
(6) 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことの意義。上記事実につき要する立証の程度
(7) 本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか
長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1及び本件2の各請求)
(8) 本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴えの適法性
(9) 長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの健康管理手当の支給認定申請を却下したことは違法であるか(本件7及び本件8の各請求)
(10) 被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったことは国家賠償法上違法であるか。長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは国家賠償法上違法であるか。損害額(本件11の請求)
4 争点に関する当事者の主張
(1) 本件政令制定義務存在確認請求(本件3の請求)及び本件政令制定不作為違法確認請求(本件4の請求)に係る各訴えの適法性(争点(1))
(被告らの主張)
本件政令制定義務存在確認請求(本件3の請求)及び本件政令制定不作為違法確認請求(本件4の請求)は,いずれも,広く国民一般の立場で国の行う具体的な国政行為の是正等を直接求めているものであり,当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争とはいえず,法律上の争訟に当たらない。
したがって,上記各請求に係る訴えは,いずれも不適法である。
(原告らの主張)
争う。本件各被爆地点は,原爆投下当時の長崎市に隣接し,死の灰,黒い雨などの放射能に汚染された物質が飛沫,降下,滞留した地域である。争点(10)に関する原告らの主張ア(後記(10))のとおりの理由から,被告国には,本件各被爆地点を,被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令において定める義務がある(本件3の請求)。また,被告国が,政令において,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めないことは違法である(本件4の請求)。上記につき確認することを求める訴えはいずれも適法である。
(2) 本件被爆者地位確認請求(本件5(2)及び本件6(2)の各請求)に係る訴えの適法性(争点(2))
(被告らの主張)
被爆者援護法が定める各種援護は,同法上の被爆者,すなわち被爆者健康手帳の交付を受けた者に対してされるのであり,本件被相続人ら(被相続人Aら及び被相続人Bら)が生前において被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認がされたとしても,これによって被爆者援護法が定める各種援護がされるわけではないから,紛争の直接かつ抜本的な解決を図ることができる場合には当たらない。また,被爆者援護法1条所定の被爆者の地位は,被爆者健康手帳の交付を受けて初めて発生するものであるから,そもそも,上記手帳の交付をもって取得する「被爆者の地位」などという法的地位は存在しない。
したがって,本件被爆者地位確認請求に係る訴えは,確認の利益がなく,不適法である。
(原告らの主張)
争う。上記請求は,過去の法律関係を対象としているが,その存否を確定することが,紛争の直接又は抜本的な解決のため最も効果的で適切である。本件被相続人らは,生前の被爆者健康手帳交付申請時において被爆者援護法1条3号に該当する者であったことから,上記手帳の交付を受けていなくても,同号に該当する被爆者の地位にあったというべきである。
(3) 本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求)に係る訴えの適法性(争点(3))
(被告らの主張)
健康管理手当の支給を行う主体は,都道府県知事等であり(被爆者援護法27条1項,2項及び49条),被告国のいかなる行政機関においても健康管理手当に関する処分をすべき権限はない。したがって,原告らと被告国との間には健康管理手当の支給に関して公法上の法律関係を観念する余地はないから,被告国に対する上記請求に係る訴えは不適法である。
また,本件手当支払請求は,本件支給認定申請却下処分取消請求(本件7及び本件8の各請求)に併合提起された行政事件訴訟法3条6項2号の義務付けの訴えであるところ,長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの健康管理手当の支給認定申請を却下した処分はいずれも適法であり,上記各処分取消請求は棄却されるべきであるから,原告らが被告長崎市及び同長崎県に対して健康管理手当の義務付けを求める本件9及び本件10の各請求は,上記訴訟要件を欠き,不適法である(行政事件訴訟法37条の3第1項2号)。
(原告らの主張)
争う。長崎市長及び長崎県知事は,本件申請者らが被爆者健康手帳の交付を受けていないことを理由に,同人らの健康管理手当の支給認定申請を却下した。しかしながら,本件申請者らがいた地域は原爆によって放射能に汚染されたため,本件申請者らはいずれも被爆者援護法1条3号の被爆者に該当する。したがって,本件申請者らが被爆者健康手帳の交付を受けていないことを理由として,上記手当を支給できないとするのは,先行する違法な処分に起因したものであり,違法である。そうすると,本件申請者ら(申請者原告ら及び本件被相続人ら)は,被爆者健康手帳の交付を受けていなくても,健康管理手当の支給要件を充たしていることが明らかであるから,同手当の支給認定を受けていなくても,被爆者援護法27条所定の同手当の支給請求権を有していた。そして,原告らのうち相続人原告らは,本件申請者らのうち本件被相続人らの有する上記支給請求権を相続により取得した。
よって,原告ら(申請者原告ら及び相続人原告ら)は,上記の健康管理手当の支給請求権を有するものであり,本件手当支払請求に係る訴えはいずれも適法である。
(4) 相続人原告らにおける訴訟承継の成否(本件1(2),本件2(2),本件3,本件4,本件7(2),本件8(2),本件9(2)及び本件10(2)の各請求。争点(4))
(被告らの主張)
本件被相続人らの次の請求に係る訴訟は,相続人原告らにおいて訴訟承継をすることはなく,本件被相続人らの死亡により終了した。
ア 本件1(2)及び本件2(2)の各請求(相続人原告らが,本件被相続人らに対してなされた被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求めるもの)
被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める法律上の利益は,被爆者健康手帳交付処分における法律上の利益をその内実とするものであり,被爆者援護法上の「被爆者」の地位を得る利益(被爆者援護法上の「被爆者」として保護される利益)である。ここで「被爆者」とは,都道府県知事等から,被爆者援護法1条各号のいずれかに該当すると認められ,被爆者健康手帳の交付を受けた者(同法1条,2条2項)である。そして,「被爆者」として保護される利益は,特別の犠牲を被った者としての「被爆者」の健康の保持及び増進並びに福祉の向上を図るためのものであり,被爆者援護法はこれを一身専属的な利益とする立法政策を採用していると解されるから,この利益については相続人が承継する余地はない。
イ 本件7(2)及び本件8(2)の各請求(相続人原告らが,本件被相続人らに対してなされた健康管理手当の支給認定申請却下処分の取消しを求めるもの)
健康管理手当支給の目的は,原爆の放射能の影響による造血機能障害等の障害に苦しみ続け,不安の中で生活している被爆者に対し,毎月定額の手当を支給することにより,その健康及び福祉に寄与することにあることからすれば,その支給を受ける権利は一身専属的なものであり,被爆者援護法は,被爆者の相続人に対し,同手当を支給することを想定していないというべきである。実際にも,同法には「被爆者」の相続人に対して同手当を支給する規定は存在しない。
また,健康管理手当を受給するための前提である被爆者健康手帳交付処分における法律上の利益が一身専属的なものであり,相続人にその利益が承継されることはないのであるから,ましてや,「被爆者」であることが確定して初めて申請権を有することになる健康管理手当の支給認定処分が保護する法律上の利益(健康管理手当の支給を受ける利益)についてのみ,「被爆者」として保護される法律上の利益とは別に相続人に承継させる立法政策が採られているとは考えられないというべきである。
ウ 大阪地裁平成21年6月18日判決・判タ1322号70頁の誤り
上記判決は,被爆者健康手帳交付申請却下処分取消請求及び健康管理手当支給認定申請却下処分取消請求に係る訴訟が係属中に,上記訴訟の原告(上記申請をした者)が死亡し,その相続人らが訴訟承継をするか否かが問題となった事案において,被爆者健康手帳の交付申請とともに,健康管理手当の支給認定申請をしていた場合,受給認定を受けた者は申請をした日の属する月の翌月分から健康管理手当を受給できたなどとして,上記相続人らが上記各処分の取消しによって回復すべき法律上の利益を承継している旨判示し,上記訴訟承継を認めた。しかしながら,上記訴訟の原告は,死亡時点において,健康管理手当の支給認定(被爆者援護法27条2項所定の都道府県知事等の認定)を受けておらず,具体的な金銭支払請求権としての健康管理手当の支給請求権をいまだ取得していない(具体的な支給請求権はいまだ発生していない)のみならず,都道府県知事等に対して上記支給認定を申請するために必要な被爆者健康手帳の交付も受けておらず,健康管理手当を申請できる地位すら取得していないのであるから(仮に,被爆者健康手帳の交付申請却下処分の取消しがなされ手帳交付がなされたとしても,上記手帳交付の効力は,交付の日に発生するものであり,交付申請時に遡るとはされていないのであるから,上記訴訟の原告がした健康管理手当の支給認定申請は,被爆者援護法27条の「被爆者」ではない者,すなわち上記手当を申請できる地位を有しない者による申請とみるほかないものである。),上記各処分に係る法律上の利益につき承継を認めることはできない。したがって,上記判決が訴訟承継を認めたことは誤りである。
エ 訴訟終了又は却下を主張するもの
(ア) 相続人原告らの請求に係る本件政令制定義務存在確認請求及び本件政令制定不作為違法確認請求(本件3及び本件4の各請求)
本件被相続人らの上記各請求に係る訴訟につき,相続人原告らにおいて訴訟承継をすることがないことは明らかである。
(イ) 本件9(2)及び本件10(2)の各請求(相続人原告らが健康管理手当の支払を求めるもの)
本件被相続人らの上記各請求に係る訴訟につき,相続人原告らにおいて訴訟承継をすることがないことは明らかである。
(原告らの主張)
争う。相続人原告らは,本件被相続人らの上記各請求に係る訴訟につき訴訟承継をした。
(5) 被相続人O(原告番号377の1ないし3の各原告の被相続人)につき被爆者援護法1条2号の該当性。長崎市長が被相続人Oの被爆者健康手帳の交付申請を却下したことは違法であるか(本件1(2)の請求のうち被相続人Oの請求。争点(5))
(原告らの主張)
被相続人Oは,原爆投下時には長崎県大村市内の工場で作業をしていたところ,昭和20年8月9日の正午頃,長崎に爆弾が落ちて街中が破壊されたとの話を聞き,国鉄の浦上寮に居住して長崎駅で勤務する機関士の兄の安否が心配になり,すぐに工場を抜け出して長崎市へ向かった。被相続人Oは,国鉄の線路沿いに諫早,多良見,大草,長与,道ノ尾,浦上まで行き,兄の宿舎を探したが,探し当てられず,再度長崎駅まで線路伝いに歩いていったところ,長崎駅でも兄を探し当てることはできず,同日中に,諏訪神社前,蛍茶屋を通り,日見トンネルを抜けて,北高来郡戸石村(当時)の実家に帰宅した。その後,被相続人Oは,実家に滞在して過ごした。
上記のとおり,被相続人Oは,原爆投下当日である昭和20年8月9日の午後に,道ノ尾駅から線路伝いに長崎駅まで歩いている。その際,東北郷,西郷,岡町,松山町,浜口町,岩川町,茂里町,八千代町などの被爆者援護法1条2号の政令で定める区域(被爆者援護法施行令1条3項で定める区域)内を通っているのであるから,被相続人Oは,同法1条2号の「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に・・・政令で定める区域内に在った者」に該当する。
したがって,長崎市長が被相続人Oの被爆者健康手帳の交付申請を却下したことは,違法である。
(被告らの主張)
否認し,又は,争う。
被相続人Oは,平成20年7月22日付け被爆者健康手帳交付申請書の「入市」の欄に,当初,昭和20年8月10日から同月11日まで爆心地方面に立ち入った旨記載していたが,その後,同欄に自ら斜線を引いて削除して押印し,同申請書の「原爆が落ちた後,爆心地方面に立ち入った時の状況」を記載するページを提出しなかった。そのため,被相続人Oが作成した被爆者健康手帳交付申請書には,同人が被爆者援護法1条2号に該当する被爆者である旨申請していたことをうかがわせる事情は認められなかった。
以上のとおり,被相続人Oは,作成した被爆者健康手帳交付申請書の記載のうち,被爆者援護法1条2号に該当する事情について自ら訂正削除するなどしており,同号の「原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に・・・政令で定める区域内に在った者」に該当しない。
したがって,長崎市長が被相続人Oの被爆者健康手帳の交付申請を却下したことは,違法でない。
(6) 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことの意義。上記事実につき要する立証の程度(争点(6))
(被告らの主張)
ア 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情」とは,単なる放射能による身体の何らかの生物学的反応をいうのではなく,放射能の影響による健康障害を生ずるような事情,すなわち健康障害を発症し得る相当程度の放射線被曝をするような事情を指すものと解すべきである。その理由は,次のとおりである。
イ 同条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情」の具体的内容については,被爆者援護法が,人の身体の近辺に1個でも放射能を有する原子が存在すると理論上の可能性としては何らかの生物学的変化が生ずるおそれがあることをも含めて「身体に放射能の影響を受けるような事情」とするものでないことは,同法の趣旨から明らかというべきである。すなわち,同法は,原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに鑑み,高齢化の進行している被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じるために,その前提として援護すべき被爆者の範囲を定めるべく同法1条を規定したものである。同法は,当時の国民のほとんど全てが何らかの戦争被害を受け,戦争の惨禍に苦しめられてきたという実情がある中で,空襲等による被害一般につき補償等を認める法律が存在しないにもかかわらず,被爆者に対して特別に,国民の租税負担により給付を行うものである。したがって,同法は,原爆による被害について,一般の空襲等による被害と同様のものも含めて給付の対象とする趣旨ではなく,原爆による特殊な健康被害の存在を前提として援護対策を講ずる趣旨であると解すべきである。
(原告らの主張)
ア 争う。
イ 必要な立証の程度
立法当初から現在に至るまで,人体に対する放射線の影響の程度やその作用過程等は解明されていないこと,被爆者援護法の前文に鑑みれば,国は放射能の影響の疑いを否定できない以上援護する義務がある。
したがって,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実について必要な立証の程度は,「上記事実の存在を是認し得る高度の蓋然性を証明すること」は必要でないというべきである。
(被告らの反論)
原告らの上記主張イは争う。
原告らは,本件申請者らが「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実について,通常人が疑いを差し挟まない程度に高度の蓋然性を証明する必要がある。
(7) 本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか
長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1及び本件2の各請求。争点(7))
(原告らの主張)
ア 本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する(その根拠は,次のイ及びウのとおりである。)。
長崎市長及び長崎県知事は,本件申請者らが上記3号に該当するにもかかわらず,本件申請者らの被爆者健康手帳の交付申請を却下したものであり,上記却下をしたことは違法である。
イ 被爆者援護法1条1号が定められた当時立法機関により認められた事実
(ア)a 被爆者援護法1条の趣旨は,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者を被爆者として定めることにある。同法は,多様な被爆態様を前提としており,身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者を「被爆者」とする同条3号が一般原理を定める規定であり,同条1号,2号は例示的な類型化規定として置かれた規定である。
b そして,同条1号の規定は,同法制定当時,「原爆が投下された際,爆心地から12キロメートルの範囲内(爆心地を中心とする半径12キロメートルの同心円の範囲内)の地域に存在していた者が身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実が立法機関により認められたことに基づくものである。
(イ) 上記(ア)に基づく主張
以上のとおり,被爆者援護法1条1号の規定は,同法制定当時,上記(ア)bの事実が立法機関により認められたことに基づくものであるから,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域であるにもかかわらず政令において上記1号の「隣接する区域」として定められなかった地域に存在した者は,同条3号の「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するというべきである。
したがって,本件申請者らは,原爆投下時及びその後,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に含まれる本件地域に存在したのであるから(前記2(1)イ),それだけで上記3号に該当するものである。
ウ 本件地域に存在したという事実だけで被爆者援護法1条3号に該当するといえること
(ア) 本件申請者らは,原爆投下時及びその後,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に含まれる本件地域に存在したところ(前記2(1)イ),原爆投下時及びその後,本件地域に存在した者は,その存在したという事実だけで「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するといえる。
(イ) 上記(ア)の根拠は,次のとおりである。
a Qの意見(証拠<省略>。これらの意見を併せて,以下「Q意見」という。),Rの意見(証拠<省略>。これらの意見を併せて,以下「R意見」という。)及びSの意見(証拠<省略>。これらの意見を併せて,以下「S意見」という。)によれば,上記(ア)の事実が認められるべきである。
b 本件申請者らには,原爆投下後,原爆の放射線による急性症状があった。
エ なお,本件申請者らのうち一部の者は,原告本人尋問において,又は,陳述書等に記載する方法で,被爆者を救護・看護した旨供述しているが,「被爆者を救護・看護した」との事実は,上記供述をしている当該申請者につき「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」であることを根拠付ける事実として,主張しない。
(被告らの主張)
ア 原告らの上記主張アに対し
本件申請者らにつき被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する旨の原告らの主張は,否認する。
本件申請者らは,上記3号に該当しない(その理由は,次のイ及びウのとおりである。)。したがって,長崎市長及び長崎県知事が,本件申請者らの被爆者健康手帳の交付申請を却下したことは,違法でない。
イ 原告らの上記主張イは,否認し又は争う。
被爆者援護法1条1号の規定は,同法制定当時,「原爆が投下された際,爆心地から12キロメートルの範囲内に存在していた者が身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実が立法機関により認められたことに基づくものではない。
すなわち,被爆者援護法1条1号は,被爆者の範囲を原爆投下の際にその者が存在した地域によって定めるに当たり,原爆の放射能の影響に関する科学的知見のほか,迅速かつ明瞭な行政上の審査を可能とするために当時の行政区画を根拠としたものである。科学的知見によれば,原爆投下の際に爆心地から5キロメートルの範囲内に存在した者を被爆者と認定すれば被爆者の範囲として十分であり,放射能の影響を受けるような事情の下にあった者をほぼ漏れなく包摂することができると考えられていたのであるが,上記1号が,被爆者の範囲を原爆投下の際にその者が存在した地域によって定めるに当たり,科学的知見のほか当時の行政区画を根拠として(重要な参考として)区域が定められた。そして,当時の長崎市の行政区画は,別紙8図面<省略>記載のとおり,爆心地から5キロメートルの範囲内の地域を含むものであったが,それだけでなく,南北にいびつな形となっており,その南方において爆心地から12キロメートルの地点を含むものであったこと,そのため,上記1号において,爆心地から5キロメートルの範囲内の地域を含む当時の長崎市の全部を区域として定めたことに伴い,長崎市の南方の爆心地から約12キロメートル離れている地点も上記1号の定める区域に含まれることになったものである。したがって,上記1号において,当時の長崎市の全部が,別紙8図面<省略>記載のとおり爆心地から5ないし12キロメートルの地域を含めて定められたのは,その地域に存在した者に対して原爆の放射能の影響があることが認められたこと(科学的知見)に基づくものではなく,当時の行政区画を根拠とするものである。
したがって,上記1号が爆心地から5ないし12キロメートルの範囲内の地域の一部を含めて区域を定めていることは,原爆投下当時に上記地域に存在した者について,被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することの根拠となるものではない。
たしかに,爆心地から同じ12キロメートルの地点であっても,東西南北のいずれの地域であるかによって,上記1号該当性の結論に違いが生じることになるが,そうした結果を捉えて不合理性を主張してみても,それは,「被爆者」の認定に当たり行政区画を重要な参考にするという同法1条1号の立法政策の当否を論じるにすぎないものである。
原告らが問題とする,被爆者援護法がどの地理的範囲を同法1条1号の区域として定めるのかは,まさに同法の立法政策の問題である。それにもかかわらず,同法1条1号が定めてもいない爆心地から12キロメートルの範囲内の様々な区域について,原爆投下当時,そこにその者が存在したというだけで同条3号該当性が認められることになれば,同条1号が定める区域を拡大することになり,実質的に法改正をしたのと同然の結果となる。これは同条1号及び3号の趣旨に合致しない。
ウ(ア) 原告らの上記主張ウ(ア)に対し
本件申請者らにつき「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実は,存しない。原爆投下時及びその後に本件申請者らが存在したという本件地域(爆心地から7.5ないし12キロメートルの範囲内の地域)は,健康障害を生ずるような原爆放射線(初期放射線,誘導放射線及び放射性降下物による放射線)による被爆はなかった。
長崎に投下された原爆は,空中で核爆発を起こしたために,放射性降下物の拡散に関する経験則上,これによる放射性物質は,大半が火球とともに上昇し,成層圏まで達して広範囲に広がった。
実際,原爆投下直後の測定調査においても,広島及び長崎では,爆心地から約3キロメートルの風下に位置し,原爆の投下後,激しい降雨があった特定の地区で,比較的高い放射能が計測されただけで,爆心地を除く他の地区ではほとんど放射能が測定されなかった。また,これらの測定結果や採取土壌等からの放射性降下物の線量推定では,上記の特定の地区においてさえ,健康障害の発生可能性という見地からは極めて少ない線量が推定されているにすぎない。そして,DS86(原子爆弾による放射線の線量評価システム。線量評価に関し設置された日米合同の委員会が1986年(昭和61年)に承認したもの)では,これらの知見を踏まえ,放射性降下物は広島及び長崎の各爆心地から約3キロメートルでのみ発生したとし,そもそも,他の地域において健康に影響するような放射性降下物の降下があったとせず,上記地区(西山地区等)での被曝による健康影響の評価についてさえ限定的なものにとどめている(なお,DS86第6章は,次のとおり,放射性降下物による被曝線量の推計をしている。DS86第6章は,岡島らが,実測調査及びこれを元にした積算線量の推計に関する調査結果((a)Tyboutらの調査(証拠<省略>),(b)Paceらの調査(証拠<省略>),(c)藤原らの調査(証拠<省略>),(d)Tyboutらの調査(証拠<省略>),(e)Paceらの調査(証拠<省略>),(f)宮崎らの調査(証拠<省略>),(g)Millerの調査(証拠<省略>)等)に基づいて,放射性降下物による累積的被曝線量(その場所に原爆投下後1時間目から無限時間とどまり続けると仮定した場合における累積的被曝線量)の推計をしたものであるところ,それは,放射性降下物による累積的被曝線量は,長崎において最大で12ラド(0.1グレイ)ないし24ラド(0.2グレイ)であるとするものである(証拠<省略>。)。
仮に,本件申請者らが原爆投下時及びその後に存在した本件地域が当時西山地区などと同様の放射線被曝が生じるような状況にあったとすれば,今日においても西山地区と同様に,バックグラウンド値を上回るプルトニウム濃度が検出されることが自然である。ところが,本件地域は,各種土壌調査の結果,西山地区などと異なり,原爆とは全く関係のない日本国内のその他の地域におけるプルトニウム濃度と同程度又はそれを下回るような値が検出されているにすぎない。この事実は,原爆投下時及びその後に本件申請者らが存在した本件地域について,健康に影響するような放射性降下物等による放射線がなかったことを示すものである。
(イ) 原告らの上記主張ウ(イ)に対し
a 原告らが援用するQ意見,R意見及びS意見は,いずれも不合理である。
b 「本件申請者らには,原爆投下後,原爆の放射線による急性症状があった」との原告らの主張は,否認する。
原爆投下後にあった身体症状に係る原告本人尋問(本件訴訟においては,本件申請者らのうち一部の少数の者について,原告本人尋問が申請され,同尋問が実施されたにすぎない。)における各原告の供述は,反対尋問を経ることによって大きく弾劾されたところであるし,上記尋問がなされた原告以外の本件申請者らの陳述書等記載の供述は,反対尋問も経ておらず,およそ信用することができないものである(被告ら第16準備書面,同第22準備書面)。仮に,本件申請者らに何らかの身体症状があったとしても,それは,原爆の放射線によるものではない。
(8) 本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴えの適法性(争点(8))
(被告らの主張)
本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴訟は,申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消請求(行政事件訴訟法3条2項の処分の取消しの訴え)に併合提起された同法3条6項2号の義務付けの訴えであるところ,申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下した処分はいずれも適法であり,上記却下処分の取消請求は棄却されるべきものであるから,これに併合提起された本件手帳交付義務付け請求は,訴訟要件を欠き不適法である。
(原告らの主張)
争う。本件申請者らは,被爆者援護法1条3号に該当する。それにもかかわらず,同人らの被爆者健康手帳交付申請を却下した処分は違法である。
(9) 長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの健康管理手当の支給認定申請を却下したことは違法であるか(本件7及び本件8の各請求。争点(9))
(原告らの主張)
長崎市長及び長崎県知事は,本件申請者らに対し,同人らが被爆者健康手帳の交付を受けていないことを理由に,同人らの健康管理手当の支給認定申請を却下したところ,本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するから,被爆者健康手帳の交付を受けていなくても,健康管理手当の支給要件を充たしていることが明らかである。
したがって,本件申請者らの健康管理手当の支給認定申請を却下した上記処分は違法である。
(被告らの主張)
争う。健康管理手当の支給を受けようとする者は,あらかじめ被爆者健康手帳の交付を受けなければならないところ,本件申請者らは,上記手帳の交付を受けていないのであるから,健康管理手当の支給要件を欠くことは明らかであり,本件申請者らの上記手当の支給認定申請を却下したことは違法でない。
(10) 被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったことは国家賠償法上違法であるか。長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは国家賠償法上違法であるか。損害額(本件11の請求。争点(10))
(原告らの主張)
ア 本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかったことは国家賠償法上違法であること
(ア) 被爆者援護法1条の趣旨は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を被爆者として定めることにある。そして,同条1号の規定は,同法制定当時,「原爆が投下された際,爆心地からの距離が12キロメートルまでの範囲内(爆心地を中心とする半径12キロメートルの同心円の範囲内)の地域に存在していた者が身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実が立法機関により認められたことに基づくものである。
同条1号は,上記事実に基づき,その南方において爆心地から12キロメートルの地点を含む当時の長崎市を区域として定めるとともに,原爆投下の際,当該場所に存在していた者が「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」点で当時の長崎市と同じである地域(爆心地から12キロメートルの範囲内の地域)を,「隣接する区域」として定めることを政令に委任した。このように,同号が「隣接する区域」を定めることを政令に委任した趣旨は,「爆心地からの距離が12キロメートルまでの範囲内の地域」を「隣接する区域」として定めるということにあった。
(イ) このような上記1号の委任の趣旨に鑑みれば,爆心地から12キロメートルの範囲内に存在する本件各被爆地点が,政令において「隣接する区域」として定められるべきであった。
ところが,被告国は,平成7年2月17日,被爆者援護法1条1号の委任に基づき,同号の「隣接する区域」を政令(被爆者援護法施行令1条1項)により定めるに当たって,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかった。また,被告国は,その後も,申請者原告らに対する被爆者健康手帳交付申請却下処分がなされる頃までの間,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかった。これらは,上記1号が「隣接する区域」の定めを政令に委任した趣旨に反し,いずれも国家賠償法上違法である。
イ 被爆者健康手帳交付申請を却下したことは国家賠償法上違法であること
長崎市長及び長崎県知事は,申請者原告らが被爆者援護法1条3号に該当するにもかかわらず,申請者原告らの被爆者健康手帳の交付申請を却下したのであるから,上記却下をしたことは違法であり,かつ,長崎市長及び長崎県知事は職務上尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と上記却下をしたものである。したがって,上記申請を却下したことは,国家賠償法上違法である。
ウ 申請者原告らは,上記ア及びイの各違法行為により被爆者援護法の定める援護を受けることができず,精神的苦痛を被った。その慰謝料は1000円を超える金額とするのが相当である。
(被告らの主張)
争う。争点(7)(被告らの主張)と同旨である。
被告国が本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令において定めなかったこと,長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは,いずれも違法でない。
第2章当裁判所の判断
第1争点(1)(本件政令制定義務存在確認請求(本件3の請求)及び本件政令制定不作為違法確認請求(本件4の請求)に係る各訴えの適法性)について
1 本件政令制定義務存在確認請求に係る訴えは,原告らが,本件申請者ら(申請者原告ら及び本件被相続人ら)が原爆投下時及びその後に存在した本件各被爆地点は被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として政令において定められるべきであるにもかかわらず定められていない旨主張し,被告国との間で,被告国に政令において本件各被爆地点を上記1号にいう「隣接する区域」として定める義務があることの確認を求めるというものであり,本件政令制定不作為違法確認請求に係る訴えは,上記と同様の主張をして,被告国との間で,被告国が政令において本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めないことが違法であることの確認を求めるというものである。
2 行政事件を含む民事事件において裁判所がその固有の権限に基づいて審判することのできる対象は,裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」,すなわち当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争であって,かつ,それが法令の適用により終局的に解決することができるものに限られる(最高裁昭和26年(オ)第584号同29年2月11日第一小法廷判決・民集8巻2号419頁,最高裁平成10年(行ツ)第239号同14年7月9日第三小法廷判決・民集56巻6号1134頁参照)。
これを本件についてみるに,前記1の事実によれば,本件政令制定義務存在確認請求及び本件政令制定不作為違法確認請求に係る各訴えは,原告らと被告国との間における国に政令を定める義務があるか否かについての紛争及び国が政令を定めないことが違法であるか否かについての紛争であると認められるところ,国民は,国に対し,政令を定めることを求める権利を具体的な権利として有するものではないから,上記各訴えは,いずれも当事者間の具体的な権利義務ないし法律関係の存否に関する紛争に当たらないことが明らかである。
そうすると,【判示事項2】原告らの本件政令制定義務存在確認請求及び本件政令制定不作為違法確認請求に係る各訴え(本件3の請求及び本件4の請求に係る各訴え)は,いずれも裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないというべきであり,不適法であるから,これを却下することとする(主文第1項)。
第2争点(2)(本件被爆者地位確認請求(本件5(2)及び本件6(2)の各請求)に係る訴えの適法性)について
1 本件被相続人らはいずれも被爆者健康手帳の交付を受けていないものであるが(前記争いのない事実等(2)ア),本件被爆者地位確認請求に係る訴えは,相続人原告らが,被告長崎市又は被告長崎県との間で,本件被相続人らが生前において被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求めるものである。
被爆者援護法1条は,同法において「被爆者」とは,同条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう旨定めるところ,相続人原告らは,上記訴えにおいて,本件被相続人らが被爆者健康手帳の交付を受けていないことを前提として,本件被相続人らが生前において被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求めているのであるから,本件被爆者地位確認請求に係る訴えは,本件被相続人らが生前において被爆者援護法1条3号に該当する者(原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者)としての地位にあったことの確認を求める訴えであると解される。
2(1) 確認の訴えにおける確認の利益は,判決をもって法律関係の存否を確定することが,その法律関係に関する法律上の紛争を解決し,当事者の法律上の地位の不安,危険を除去するために必要かつ適切である場合に認められる。このような法律関係の存否の確定は,上記目的のために最も直接的かつ効果的になされることを要し,通常は,紛争の直接の対象である現在の法律関係について個別にその確認を求めるのが適当であるとともに,それをもって足り,その前提となる法律関係,とくに過去の法律関係に遡ってその存否の確認を求めることは,それが現に存する法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のため適切かつ必要と認められる場合でない限り,確認の利益を欠くものと解するのが相当である(最高裁昭和44年(オ)第719号同47年11月9日第一小法廷判決・民集26巻9号1513頁参照)。
(2) これを本件についてみるに,被爆者援護法1条が被爆者の定義につき前記1のとおり定め(前記争いのない事実等(4)),同法2条(49条)が,被爆者健康手帳の交付を受けようとする者は,その居住地等の都道府県知事等に申請しなければならない旨,そして,上記都道府県知事等は,上記申請者が同法1条各号のいずれかに該当すると認めるときは,その者に被爆者健康手帳を交付するものとする旨定めていること,同法1条各号のいずれかに該当すると主張する者は,都道府県知事等に対し被爆者健康手帳交付申請をし,上記申請につき却下処分がなされれば,その処分の取消しを求める訴訟を提起することができること,被爆者援護法は,同法の定める援護を,同法上の被爆者,すなわち被爆者健康手帳の交付を受けた者に対して行う旨定めており,特定の者が同法1条3号に該当する者としての地位にあることの確認がされたとしても,被爆者健康手帳の交付を受けない限り,同法の定める援護がなされるものではないことに鑑みれば,特定の者が,被爆者健康手帳の交付を受けていない段階で,被爆者援護法1条3号に該当する者としての地位にあるか否かについての確定を求めることは,当事者の法律上の地位の不安,危険を除去するために必要かつ適切であるとはいえない。
のみならず,仮に,本件被相続人らが被爆者健康手帳の交付を受けていないことを別にしても,本件被爆者地位確認請求に係る訴えは,本件被相続人らが生前において被爆者援護法1条3号に該当する被爆者の地位にあったことの確認を求めるという訴えであり,過去の法律関係の確認を求めるものであるところ,本件被相続人らが生前において被爆者の地位にあったことの確認を求めることが現に存する法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のために適切かつ必要な場合であるとはいえない(このことは,後記のとおり,被爆者の地位及び被爆者の地位に基づき援護を受ける権利は,一身専属的なものであって相続の対象とならないこと,したがって,相続人原告らは,本件被相続人らから上記の地位及び権利を承継していないことからも,明らかである。)。
したがって,相続人原告らの本件被爆者地位確認請求(本件5(2)及び本件6(2)の各請求)に係る訴えは,確認の利益がないというべきであり,不適法であるから,これを却下することとする(主文第2項)。
第3争点(3)(本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求)に係る訴えの適法性)について
1 本件申請者ら(申請者原告ら及び本件被相続人ら)は,いずれも健康管理手当の支給認定を受けていないものであるが(前記争いのない事実等(2)イ),本件手当支払請求に係る訴えは,原告ら(申請者原告ら及び相続人原告ら)が,本件申請者らは被爆者援護法27条所定の健康管理手当の支給請求権を有していたとして,上記請求権に基づき,被告国及び同長崎市(又は,被告国及び同長崎県)に対し,健康管理手当の支給認定申請をした日の属する月の翌月から一定の金員(健康管理手当)を連帯して支払うことを求めるものである(なお,原告らは,本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求)に係る訴えについて,健康管理手当の支給認定の義務付けを求めるものであると主張するが,本件手当支払請求に係る訴えは,請求の趣旨から明らかなとおり,判決主文において一定の金員の支払を命ずることを求めるものであって,行政庁が一定の処分又は裁決をすべき旨を命ずることを求めるものではないから,行政事件訴訟法3条6項所定の「義務付けの訴え」には該当しないというほかない。)。
2 被爆者援護法27条1項(49条)は,都道府県知事等は,被爆者であって,造血機能障害等を伴う疾病(原子爆弾の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている者(ただし,一定の手当の支給を受けている場合を除く。)に対し,健康管理手当を支給する旨定めている。そして,同法27条2項は,被爆者が,健康管理手当の支給を受けようとするときは,同条1項に規定する支給要件に該当することについて,都道府県知事等の認定(支給認定)を受けなければならない旨定めている。
したがって,健康管理手当の支給請求権(受給権)は,都道府県知事等に対して健康管理手当の支給認定を申請した者が都道府県知事等の上記支給認定を受けることにより具体的な権利として取得するものであり(なお,最高裁平成18年(行ヒ)第136号同19年2月6日第三小法廷判決・民集61巻1号122頁参照),都道府県知事等による上記支給認定を受けるまでは,訴訟上健康管理手当の支払を求めることはできないというべきである(なお,国民年金法19条1項所定の遺族の未支給年金の請求につき最高裁平成3年(行ツ)第212号同7年11月7日第三小法廷判決・民集49巻9号1829頁参照)。
以上によれば,原告らの本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求。都道府県知事等による健康管理手当の支給認定を受けていないにもかかわらず訴訟上健康管理手当の支払を求めるもの)に係る訴えは,いずれも不適法であるから,これを却下することとする(主文第3項)。
第4争点(4)(相続人原告らにおける訴訟承継の成否(本件1(2),本件2(2),本件3,本件4,本件7(2),本件8(2),本件9(2)及び本件10(2)の各請求))について
本件1(2)及び本件2(2)の各請求(本件手帳交付申請却下処分取消請求のうち本件被相続人らの請求)並びに本件7(2)及び本件8(2)の各請求(本件支給認定申請却下処分取消請求のうち本件被相続人らの請求)は,第1章(請求及び事案の概要)記載のとおりの請求であり,本件被相続人らは,原告として上記各請求に係る訴えを提起した後,別紙4の被相続人目録(被相続人Aら)<省略>及び被相続人目録(被相続人Bら)<省略>の各「死亡日」欄記載の日に死亡し,相続人原告らは,それぞれ被相続人を相続したものである(前記争いのない事実等(3),当裁判所に顕著な事実)。
本件1(2)及び本件2(2)の各請求は,被爆者健康手帳交付申請の却下処分の取消しを求めるものであり,処分の取消しを求める法律上の利益は,被爆者健康手帳の交付を受けることにより取得する法的地位(被爆者援護法上の被爆者として同法所定の援護を受けることができる法的地位)である。また,本件7(2)及び本件8(2)の各請求は,健康管理手当支給認定申請の却下処分の取消しを求めるものであり,処分の取消しを求める法律上の利益は,健康管理手当の支給を受けることができる権利である。
前記(争いのない事実等)のとおり,被爆者援護法は,原爆の投下の結果として生じた放射線に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることに鑑み,被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じるため,被爆者に対し,毎年の健康診断等による健康管理を実施するほか,一定の場合に,健康管理手当を含む各種手当の支給をするなど総合的な援護を実施するものとする旨定めている。そうすると,被爆者健康手帳の交付を受けることにより取得する法的地位(被爆者援護法上の被爆者として同法所定の援護を受けることができる法的地位)のみならず,健康管理手当を含む各種手当の支給を受けることができる権利も,被爆者の保健,医療及び福祉を図るために当該被爆者に与えられた一身専属的なものであって,他にこれを譲渡することはできず(被爆者援護法44条参照),相続の対象ともならないというべきである。
以上によれば,【判示事項1】本件手帳交付申請却下処分取消請求及び本件支給認定申請却下処分取消請求のうちそれぞれ本件被相続人らの請求に係る訴訟(本件1(2)の請求,本件2(2)の請求,本件7(2)の請求及び本件8(2)の請求に係る各訴訟)について,相続人原告らが,本件被相続人らの上記各訴訟における原告の地位を承継することを認めることはできず,上記各訴訟は,本件被相続人らの死亡により終了したものというべきであるから(前掲最高裁平成3年(行ツ)第212号同7年11月7日第三小法廷判決,最高裁昭和39年(行ツ)第14号同42年5月24日大法廷判決・民集21巻5号1043頁参照),訴訟終了宣言をすることとする(主文第4項,第5項)。なお,「本件3及び本件4の各請求のうち相続人原告らの請求に係る訴え」並びに「本件9(2)及び本件10(2)の各請求に係る訴え」は,前記第1及び第3のとおり,いずれも却下すべきものである(主文第1項,同第3項)。
第5争点(5)(被相続人O(原告番号377の1ないし3の各原告の被相続人)につき被爆者援護法1条2号の該当性。長崎市長が被相続人Oの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1(2)の請求のうち被相続人Oの請求))について
前判示のとおり,本件1(2)の請求のうち被相続人Oの請求に係る訴訟は,被相続人Oが訴訟提起をした後,死亡したところ,被相続人Oの相続人(原告番号377の1ないし3の各原告)において被相続人Oの上記訴訟における原告の地位を承継することを認めることはできないものである。したがって,上記訴訟は,前記第4のとおり,被相続人Oの死亡により終了したものであり,上記争点については判断を要しない。
第6争点(6)(被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことの意義。上記事実につき要する立証の程度)について
1 前提事実
前記争いのない事実等及び証拠<省略>によれば,次の各事実が認められる(一部の事実は,当裁判所に顕著である。)。
(1) 原爆医療法制定に至る経緯及び同法の定め等
ア 原爆医療法制定に至る経緯
(ア) 昭和28年7月,長崎・広島両市長及び両市議会議長は,原爆障害者の治療には巨額の費用がかかり,国家的施策によって障害者の治療や健康管理がなされることが緊急の問題であるとして,「原爆による障害に対する治療費援助」に関する請願を行った(証拠<省略>)。
広島市及び長崎市は,昭和31年11月5日,「原爆障害者援護法制定に関する陳情書」を策定した(証拠<省略>)。
(イ) 政府部内における検討等
a 原爆医療法制定に当たって参考にされた科学的知見
原爆医療法の制定に当たっては,日本学術会議の発行した原子爆弾災害調査報告書(証拠<省略>。昭和26年発行)やその他の専門家の科学的意見が参考とされた(証拠<省略>)。
原子爆弾災害調査報告書(証拠<省略>)では,「放射能の威力とその障害作用について,爆心直下から半径1キロメートルの地域内では想像に絶する多量の放射能が到達し,殊に,戸外で作業中であった人々には全ての放射能威力が障害を与えた。コンクリート建物内の遮蔽された場所又は堅固な防空壕内等にあった人々はある程度ガンマ線と中性子との作用を受けたが,十分に遮蔽された人々は障害の程度が比較的軽かったようである。放射能威力の作用は,大体半径4キロメートルまでの地域に及んでおり,戸外にいたものの方が障害を受けた程度が強かったことはいうまでもない。また,放射能威力の人体に与えうる障害について,大体爆心直下から半径1キロメートルの地域圏内にいたものは高度の障害(数日ないし2週間までに死亡),1ないし2キロメートルの地域内にあった者は中度の障害(2ないし6週間の間に重篤な症状を発して多くの死亡者を出す。),2ないし4キロメートルの地域内のものが軽度の障害(死を免れるが,数か月にわたって色々な故障が起こりやすい。)を受けたものと思われる。」旨指摘されている。
b 「原爆被爆者の医療等に関する法律案」(第1次原案)(昭和31年12月12日付け)
厚生省が作成した上記法律案(第1次原案)2条は,「被爆者」について,「この法律において「被爆者」とは,昭和20年8月広島市及び長崎市に原子爆弾を投下された時,広島市,長崎市及び政令で定めるこれに隣接する地域内にあった者(当時その者の胎児であった者を含む。)並びに原子爆弾が投下された時以後に爆心地付近に立ち入った者等政令で定める者であって,都道府県知事の登録を受けた者をいう。」旨記載していた(証拠<省略>)。
c 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日付け)厚生省が作成した上記法律案2条は,被爆者について,次のとおりとしている(証拠<省略>)。
「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
1 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
2 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3 前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの
4 前各号に掲げる者が当該各号に該当した当時その者の胎児であった者」
d 上記cの法律案作成後,上記3号は,内閣法制局により,「前二号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に修正され(証拠<省略>),上記法律案は,昭和32年2月21日,政府により国会に提出された。
(ウ) 原爆医療法に関する国会審議の状況
a 昭和32年2月22日に開催された社会労働委員会における審議状況
上記社会労働委員会(第26回国会衆議院)において,T厚生大臣は,原爆医療法の提案理由として,「昭和20年8月,戦争末期に投ぜられました原子爆弾による被爆者は,十年余を経過した今日,なお多数の要医療者を数えるほか,一見健康と見える人におきましても突然発病し死亡する等,これら被爆者の健康状態は,今日においてもなお医師の綿密な観察指導を必要とする現状であります。しかも,これが,当時予測もできなかった原子爆弾に基づくものであることを考えますとき,国としてもこれらの被爆者に対し適切な健康診断及び指導を行い,また,発病されました方々に対しましては,国において医療を行い,その健康の保持向上を図ることが,緊急必要事であると考えるのであります。・・・被爆者の現状に鑑みますれば,今後全国的にこれが必要な健康管理と医療とを行い,もってその福祉に資することといたしたいと考え,ここに原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案を提出した次第であります。」旨の説明をした(証拠<省略>)。
その上で,同大臣は,法律案の要点の1つとして,「第一は,原子爆弾が投下された当時広島市長崎市に居住していた者その他原子爆弾の放射能の影響を受けていると考えられる人に対しまして,その申請に基づき都道府県知事等において被爆者健康手帳を交付し,毎年健康診断及び必要な健康上の指導等の健康管理を行うことにより,疾病の早期発見その他被爆者の健康の保持を図ることとしたのであります。」旨の説明をした(証拠<省略>)。
b 昭和32年3月25日に開催された社会労働委員会における国会審議状況
上記社会労働委員会(第26回国会衆議院)において,原爆医療法が規定する被爆者の範囲について審議されたが,その際,政府委員は,次のとおり答弁した(証拠<省略>)。
「この法律を適用されます被爆者と申しますのが一,二,三,四に該当するものでございまして,第一は,投下されたそのときに,広島市,長崎市または政令で定める区域―これは爆心地から大体5キロくらいの区域を考えておるわけでございます。
それから第二は,その爆弾が投下されたときには,この広島市,長崎市にはおりませんでしたけれども,・・・2週間の期間の間に入ってきて,そうして遺骨を掘り出したとか,あるいは見舞にあっちこっち探して回ったとかいうような人を考えております。その際には,爆心地から2キロくらいというふうに考えております。これも専門家の意見を聞いて,大体そういうふうに考えておるわけでございます。
第三は,その一にも二にも入りませんが,例えば,投下されたときに,爆心地から5キロ以上離れた海上で照射を受けたというような人も,あとでいわゆる原子病を起してきております。そういう人を救わなければならないということ,それからずっと離れたところで死体の処理に当った看護婦あるいは作業員が,その後においていろいろ仕事をして,つまり二の方は2キロ以内でございますが,それよりもっと離れたところで死体の処理をして,原子病を起してきたというような人がありますので,それを救うという意味で三を入れたわけでございます。
第四は胎児でございます。」
イ 原爆医療法の制定及び同法の定め
昭和32年3月,原爆医療法が制定された。
(ア) 目的
原爆医療法は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的とする」ものである(原爆医療法1条。証拠<省略>)。
昭和32年5月14日衛発第267号厚生事務次官通達は,原爆医療法の目的について,「原子爆弾による被爆者には今日においてなお多数の要医療者を数え,また,一方,健康と思われる被爆者の中からも突然発病し,死亡する者が生ずる等被爆者の置かれている健康上の特別の状態に鑑み,国においてこれら被爆者の健康診断及び医療等を行うべく制定されたものである」と定めている(証拠<省略>)。
(イ) 被爆者の定義
原爆医療法2条は,次のとおり定めている(証拠<省略>)。
「この法律において「被爆者」とは,次の各号の一に該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう。
1 原子爆弾が投下された際当時の広島市若しくは長崎市の区域内又は政令で定めるこれらに隣接する区域内にあった者
2 原子爆弾が投下された時から起算して政令で定める期間内に前号に規定する区域のうちで政令で定める区域内にあった者
3 前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者
4 前3号に掲げる者が当該各号に規定する事由に該当した当時その者の胎児であった者」
(ウ) 政令で定める当時の長崎市に隣接する区域
原爆医療法2条1号にいう,政令で定める当時の長崎市に隣接する区域は,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律施行令(昭和32年4月25日政令第75号)で「長崎県西彼杵郡福田村のうち,大浦郷,小浦郷,本村郷,小江郷及び小江原郷」並びに「長崎県西彼杵郡長与村のうち,高田郷及び吉無田郷」と定められた(同施行令1条1項別表第一。証拠<省略>。上記定めは,被爆者援護法施行令1条1項の「隣接する区域」の定め(前記争いのない事実等(4)イ(イ)と同一である。)。
(エ) 原爆医療法は,被爆者健康手帳の交付(同法3条),健康診断(同法4条)及び医療の給付(同法7条,8条)につき定めている(証拠<省略>)。
ウ 原爆医療法につき発出された通達・通知
(ア) 昭和33年8月13日衛発第727号各都道府県知事・広島・長崎市市長あて厚生省公衆衛生局長通達「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律により行う健康診断の実施要領について」
上記通達は,原爆医療法により行う被爆者の健康診断の実施要領であり,次のことを定めている(証拠<省略>)。
「昭和20年広島及び長崎の両市に投下された原子爆弾は,もとより世界最初の例であり,したがって,核爆発の結果生じた放射能の人体に及ぼす影響に関しても基礎的研究に乏しく明らかでない点が極めて多い。しかしながら被爆者のうちには,原子爆弾による熱線又は爆風により熱傷又は外傷を受けた者及び放射能の影響により急性又は悪急性の造血機能障害等を出現した者の外に,被爆後十年以上を経過した今日,いまだに原子爆弾後障害症というべき症状を呈する者がある状態である。特に,この種疾病には被爆時の影響が慢性化して引き続き身体に異常を認めるものと,一見良好な健康状態にあるかに見えながら,被爆による影響が潜在し,突然造血機能障害等の疾病を出現するものとがあり,被爆者の一部には絶えず疾病発生の不安におびえるものもみられる。したがって,被爆者について適正な健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方,障害を有するものについてはすみやかに適当な治療を行い,その健康回復に努めることが極めて必要であることは論をまたない。
しかしながら,いうまでもなく放射能による障害の有無を決定することは,甚だ困難であるため,ただ単に医学的検査の結果のみならず被爆距離,被爆当時の状況,被爆後の行動等をできるだけ精細に把握して,当時受けた放射能の多寡を推定するとともに,被爆後における急性症状の有無及びその程度等から間接的に当該疾病又は症状が原子爆弾に基づくか否かを決定せざるを得ない場合が少なくない。したがって,健康診断に際してはこの基準を参考として影響の有無を多面的に検討し,慎重に診断を下すことが望ましい。」
(イ) 昭和33年8月13日衛発第726号各都道府県知事・広島・長崎市市長あて厚生省公衆衛生局長通知「原子爆弾後障害症治療指針について」
上記通知は,原爆医療法に基づき医療の給付を受けようとする者に対し適正な医療が行われるよう原子爆弾の傷害作用に起因する負傷又は疾病(原子爆弾後障害症)の特徴及び患者の治療に当たり考慮されるべき事項を定めた指針であり,次の定めがある(証拠<省略>)。
「原子爆弾後障害症を医学的にみると,原子爆弾投下時に被った熱線又は爆風等による外傷の治癒異常と投下時における直接照射の放射能及び核爆発の結果生じた放射性物質に由来する放射能による影響との二者に大別することができる。・・・後者は,造血機能障害,内分泌機能障害,白内障等によって代表されるもので,被爆後10年以上を経た今日でもいまだに発病者をみている状態である。」「原子爆弾被爆者に関しては,いかなる疾患又は症候についても一応被爆との関係を考え,その経過及び予防について特別の考慮がはらわれなければならず,原子爆弾後障害症が直接間接に核爆発による放射能に関連するものである以上,被爆者の受けた放射能特にガンマ線及び中性子の量によってその影響の異なることは当然想像されるが,被爆者の受けた放射能線量を正確に算出することはもとより困難である。この点については被爆者個々の発症素因を考慮する必要もあり,また当初の被爆状況等を推測して状況を判断しなければならないが,治療を行うに当っては,特に次の諸点について考慮する必要がある。
・・・被爆地が爆心地から概ね2キロメートル以内のときは高度の,2キロメートルから4キロメートルまでのときは中等度の,4キロメートルを超えるときは軽度の放射能を受けたと考えて処置してさしつかえない。
被爆後の急性症状の有無及びその状況,被爆後における脱毛,発熱,粘膜出血,その他の症状を把握することにより,その当時どの程度放射能の影響を受けていたか判断することのできる場合がある。」
(2) 原爆医療法の改正等
昭和35年,原子爆弾被爆者の医療等に関する法律の一部を改正する法律(昭和35年法律第136号)により,原爆医療法が改正された(上記改正後の原爆医療法14条の2は,「被爆者」のうち「原子爆弾の放射線を多量に浴びた被爆者で政令で定めるもの」を「特別被爆者」とする旨,特別被爆者につき一定の場合に一般疾病医療費を支給することができる旨定めている。証拠<省略>)。
(3) 原爆特別措置法の制定及び同法の定め
ア 昭和43年5月,原爆特別措置法が制定された。
イ 原爆特別措置法の定め(証拠<省略>)
(ア) 目的
原爆特別措置法は,「広島市及び長崎市に投下された原子爆弾の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的とする」ものである(原爆特別措置法1条)。
(イ) 特別手当の支給
原爆特別措置法2条は,都道府県知事等は,原爆医療法8条1項の認定(原爆症認定)を受けた者であって,同項の認定に係る負傷又は疾病の状態にあるものに対し,特別手当を支給する旨定めている。特別手当の支給には,所得制限規定が設けられた(原爆特別措置法3条)。
(ウ) 健康管理手当の支給
原爆特別措置法5条は,都道府県知事等は,原爆医療法14条の2第1項に規定する特別被爆者であって,一定の要件に該当するものに対し,健康管理手当を支給する旨定めている。健康管理手当の支給には,所得制限規定が設けられた(原爆特別措置法6条)。
(エ) 医療手当の支給
原爆特別措置法7条は,都道府県知事等は,原爆医療法2条に規定する被爆者であって,同法7条1項の規定による医療の給付を受けているものに対し,その給付を受けている期間について,医療手当を支給する旨定めている。医療手当の支給には,所得制限規定が設けられた(原爆特別措置法8条)。
(4) 被爆者援護法制定に至る経緯
ア 原爆特別措置法制定後に生じた被爆者援護に係る要望
原爆医療法及び原爆特別措置法(これらを,以下「原爆二法」という。)の下でも,被爆者に対する生活援護が不十分であるとの意見が多く,原爆二法の拡充強化の要望が高まっった。広島・長崎双方の県,県議会,市,市議会の八者は,原爆二法の一本化を打ち出し,上記要望の実現を求めた(証拠<省略>)。
イ 原爆被爆者対策基本問題懇談会(以下「基本問題懇談会」という。)
(ア) 基本問題懇談会は,昭和54年6月に厚生大臣の委嘱を受け,原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について検討することとなり,以降審議を行い,昭和55年12月,厚生大臣に対し,「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」と題する報告書(以下「懇談会報告書」という。)を提出した(証拠<省略>)。
(イ) 懇談会報告書において取りまとめられた意見
上記意見のうち「原爆被爆者対策の基本理念」及び「原爆被爆者対策の基本的在り方」の内容は,要旨次のとおりである。
a 原爆被爆者対策の基本理念
今次の戦争による国民の犠牲は極めて広範多岐にわたり,全ての国民がその生命・身体・財産等について多かれ少なかれ,何らかの犠牲を余儀なくされたといっても言い過ぎではない。およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては,国民がその生命・身体・財産等についてその戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても,それは,国を挙げての戦争による「一般の犠牲」として,全ての国民がひとしく受忍しなければならないものである。
しかし,今次の戦争による国民の犠牲の中で,広島及び長崎における原爆投下による被爆者の犠牲が極めて特殊性の強いものであることは,否定しがたい。広島及び長崎における原爆投下は,・・・この惨禍で危うく死を免れた者の中にも原爆に起因する放射線の作用により,35年を経た今日なお,晩発障害に悩まされている者が少なくない。原爆放射線による健康上の障害には,被爆直後の急性原爆症に加えて,白血病,甲状腺がん等の晩発障害があり,これらは,被爆後数年ないし10年以上経過してから発生するという特異性をもつものであり,この点が一般の戦災による被害と比べ,際立った特殊性をもった被害である。そして,原爆医療法の法的性格については,最高裁昭和50年(行ツ)第98号同53年3月30日第一小法廷判決・民集32巻2号435頁が判示しているところである。
原爆被爆者の犠牲がその本質及び程度において他の一般の戦争損害とは一線を画すべき特殊性を有する「特別の犠牲」であることを考えれば,国は原爆被爆者に対し,広い意味における国家補償の見地に立って被害の実態に即応する適切妥当な措置対策を講ずべきものと考える(証拠<省略>)。
また,原爆被爆者に対する対策は,結局は国民の租税負担によって賄われることになるのであるから,ほとんど全ての国民が何らかの戦争被害を受け戦争の惨禍に苦しめられてきたことからすれば,原爆被爆者の受けた放射線による健康障害が特異のものであり,「特別の犠牲」というべきものであるからといって,他の戦争被害者に対する対策に比し著しい不均衡が生ずるようであってはならない。原爆被爆者対策は,国民的合意を得ることができる公正妥当な範囲に止まらなければならない(証拠<省略>)。
b 原爆被爆者対策の基本的在り方
ひとしく原爆被爆者と称される者は,全て「特別の犠牲」を余儀なくされた者と理解すべきものとしても,放射線被曝の程度には人によって差があり,多量の線量を被曝した者から被曝の可能性があったにすぎない者まで含まれている。また,被曝による放射線障害の程度についても,原爆による放射線障害であると明らかに認められる者から放射線障害の生ずる可能性のある者に至るまで,まちまちであり,これに対する対策の必要性は,人によって著しく異なる。したがって,今後の対策は,画一に流れることを避け,その必要性を確かめ,障害の実態に即した適切妥当な対策を重点的に実施するよう努めるべきである。いいかえれば,「公平の原則」は絶えず考慮しながらも,「必要の原則」を重視し,現実の必要に応じ手厚い行き届いた対策を講ずべきである(証拠<省略>)。
被爆地域拡大の要求が関係者の間に強い。ところで,被爆地域の指定は,本来原爆投下による直接放射線量,残留放射能の調査結果など,十分な科学的根拠に基づいて行われるべきものである。これまでの被爆地域の指定は,従来の行政区画を基礎として行われたために,爆心地からの距離が比較的遠い場合でも被爆地域の指定を受けている地域があることは事実であるが,上述のような科学的・合理的な根拠に基づくことなく,これまでの被爆地域との均衡を保つためという理由で被爆地域を拡大することは行うべきではなく,被爆地域の指定は,科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべきである(証拠<省略>)。
ウ 昭和57年3月1日に開催された予算委員会(第96回国会衆議院)における審議状況(被爆地域の指定について)
昭和57年3月1日,衆議院予算委員会第三分科会において「被爆地域の不均衡」に関する質問に対し,政府委員(厚生省公衆衛生局長)は,「被爆地域の指定につきましては,従来の行政区画に配意した面もございますけれど,基本的には原爆の放射能の大きさを基準として決めたということでございます。当初の被爆地域の指定に際しましては,日本学術会議の発行いたしました原子爆弾災害調査報告書やあるいはその他の専門家の意見も参考にいたしまして,爆心地から大体5キロメートルの範囲といたしまして,その際に既存の行政区画の範囲も考慮に入れたということでございます。」「原爆医療法制定後における放射線に関する研究を見ると,一生の間に一度被曝する場合の最大許容線量というのは,ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告によれば25レムでありまして,これは広島においては爆心地から1.7キロメートル以内,長崎では1.9キロメートル以内ということになるわけです。また,被曝線量がゼロになる距離というのは,ABCCのの調査研究によれば,爆心地からおよそ3キロメートルということです。こうしたことから,現在の被爆地域の設定というのは,私ども十分な安全性を持ったものではないかと思っておるわけです。」旨の答弁をした(証拠<省略>)。
エ 平成6年12月1日に開催された厚生委員会(第131回国会衆議院)における審議状況
上記厚生委員会では,被爆地域拡大に関する質問がされたが,政府委員(厚生省保健医療局長)は,「被爆地域の指定の問題,あるいは拡大をするかしないかという問題は,基本問題懇談会の報告にもございます,科学的,合理的な根拠のある場合に行うべきであるというのが私どもが従来からとってきた立場でございます。長崎につきましては,具体的なデータについて厚生省に設けました研究班において今議論をしております。近く結論がまとめられるのではないかと思いますが,いずれにいたしましても,科学的あるいは合理的ということを念頭に置きつつ,この問題については私どもは対応していきたいと思っております。」旨答弁した(証拠<省略>)。
(5) 被爆者援護法の制定及び同法の定め
前記争いのない事実等(4)のおり(なお,健康管理手当等に係る所得制限規定は,被爆者援護法が制定された際,撤廃された。)
(6) 被爆者援護法1条3号該当性の審査基準に係る運用方針(広島市,長崎市及び長崎県の各運用方針)並びに上記該当性が争点となった訴訟の判決(証拠<省略>)
ア 広島市における審査基準(証拠<省略>)
広島市長は,昭和48年に,当時の原爆医療法2条3号(現在の被爆者援護法1条3号)の運用に関して,上記3号該当性に関する審査基準として,「被爆者の定義」を策定した(それ以降,実質的な意味での修正はされていない。)。
現在の上記「被爆者の定義」は,上記3号に該当する者につき,次の者とする。
(ア) 原爆が投下された際当時との広島市の沿岸部と金輪島および似島とを結んだ線内の海上であって,遮蔽物のない場所で被爆した者
(イ) 原爆が投下されたその後,被爆者援護法施行令1条2項に定める期間内に,同施行令別表第二に掲げる区域以外の地域において,次に掲げる作業に従事した者(当該従事者に背負われた子等を含む。)
a 10名以上の被爆した者の輸送
b 10名以上の被爆した者の救護
c 被爆した者の収容施設等における10名以上の被爆した者の看護
d 10名以上の被爆した者の死体の処理
イ 長崎市における審査基準(証拠<省略>)
上記3号に該当する者につき,「原子爆弾が投下された後,被爆者援護法施行令1条2項に定める期間内に同施行令別表第二に掲げる入市区域の範囲外において,多数の被爆者と接触する次の作業に従事した者(当該従事者に背負われた子等を含む。)とする。
(ア) 10人以上の被爆者の輸送・救護
(イ) 10人以上の被爆者の死体処理
(ウ) 被爆者が収容された施設等において10人以上の被爆者の看護
(エ) 刊行された被災記録により救護活動の状況が確認できる救護所で従事した者
(オ) 組織された救護(看護)で多数(10人以上)の者を収容,処理した者
ウ 長崎県における審査基準(証拠<省略>)
上記3号に該当するか否かの判断に当たっては,前記アの「被爆者の定義」の審査基準と概ね同様であるが,各事案ごとに,「身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情下にあったか」「原爆投下後,昭和20年8月23日まで,要請等により入市区域外の公の収容施設内外において,組織された救護で多数の被爆者を看護搬送したか,あるいは,死体搬送,火葬埋葬に従事したか。上記内容が,被爆者(又は死体)とどの程度の濃厚な接触を伴うか」などの要素を総合的に判断するとしている。
エ 広島地裁判決(証拠<省略>)
広島地裁平成17年(行ウ)第18号同21年3月25日判決は,「被爆者援護法1条3号に該当するか否かは,最新の科学的知見を考慮した上で,個々の申請者について,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するか否かという観点から,判断されるべきものである。」とした上で(証拠<省略>),広島市への原爆投下に関し,「原爆投下から間もない時期に,救護所等,広島市内で被爆して負傷した者が多く集合していた環境の中に(このような環境に当たるか否かは,どのくらいの面積にどのくらいの人数の負傷者が集合していたかということのみならず,当該環境が閉鎖された空間であったか否かをも考慮して決せられるべきである。),相応の時間とどまったという事実が肯定できる者については,身体に放射線の影響を受けたことを否定できない事情が存するというべきである。・・・(上記の原爆投下から間もない時期については,)一応の目安として,原爆投下時から2週間以内に救護所等に相応の時間とどまったか否かを問題とするのが相当である。」旨判示した(証拠<省略>)。
2 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことの意義について,以下検討する。
(1) 前記1の事実及び弁論の全趣旨によれば,次の各事実が認められる(一部の事実は,当裁判所に顕著である。)。
ア 昭和32年に原爆医療法(広島市及び長崎市に投下された原爆の被爆者が今なお置かれている健康上の特別の状態にかんがみ,国が被爆者に対し健康診断及び医療を行うことにより,その健康の保持及び向上をはかることを目的とするもの)が,昭和43年に原爆特別措置法(上記原爆の被爆者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受け,今なお特別の状態にあるものに対し,特別手当の支給等の措置を講ずることにより,その福祉を図ることを目的とするもの)がそれぞれ制定されたところ,平成6年,これらの法律を統合する形でこれらを引き継ぐとともにその援護内容を更に充実発展させるものとして被爆者援護法(その前文には,「国の責任において,原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ,・・・被爆者に対する保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じ」るため,この法律を制定する旨の定めがある。)が制定された。
被爆者の定義につき定める被爆者援護法1条の規定は,原爆医療法2条の規定をそのまま引き継いだものであり,被爆者援護法1条3号及び原爆医療法2条3号がそれぞれ定める「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことの意義は,同一である。
イ 厚生省が作成した原爆医療法の法律案(第1次原案)2条は,被爆者につき直接被爆者及び入市被爆者とし,原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)に対応する規定はなかったところ,その後,原爆医療法2条3号の規定(「・・・身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」)が定められるに至ったのであるが,その趣旨は,同条1号にも2号にも該当しない場合でも,爆心地から5キロメートル以上離れた海上で照射を受けた人や,爆心地から2キロメートル以上離れた場所で死体の処理に当たった看護婦や作業員が,後にいわゆる原子病を起こした事例があるので,そうした被爆者を救済するためであった。
ウ 原爆医療法は,原爆の被爆者が置かれている健康上の特別の状態に鑑み,国が被爆者に対して健康診断を行うことを一つの目的としているところ,健康診断を行う趣旨は,当時,放射線の身体に対する影響が未解明であったところ,被爆者については,被爆後10年以上を経た当時においても,健康と思われる被爆者の中から突然発病し,死亡する者が生ずるなど健康上の特別の状態に置かれており,そのため,被爆者の中には絶えず発病の不安におびえるものもみられたことから,被爆者について健康診断を行うことによりその不安を一掃する一方,障害を有するものについてはすみやかに治療を行いその健康回復に努めることが必要と考えられたためである。被爆者援護法も,原爆医療法と同様に,原爆放射線の身体に対する影響が完全には解明されていない状況において,被爆者の不安を一掃するとともに,被爆者の健康障害を予防・軽減するため,被爆者に対する健康診断を含む健康管理を行うことを一つの目的としている。
エ 原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日付け)2条3号(後の原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)に対応するもの)は,「前2号に掲げる者のほか,これらに準ずる状態にあった者であって,原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの」とされていたところ,その後,内閣法制局により,「前2号に掲げる者のほか,原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に修正されたのであるが,それは,上記3号に該当する者の範囲につき変更する(実質的な意味内容を変更する)趣旨ではなかった。
(2) また,原爆医療法は,被爆者の健康面に着目して公費により必要な医療の給付をすることを中心とするものであって,その点からみると,いわゆる社会保障法としての他の公的医療給付立法と同様の性格をもつものである。しかしながら,被爆者のみを対象として特に上記立法がされた所以を理解するについては,原子爆弾の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであることと並んで,かかる障害が遡れば戦争という国の行為によってもたらされたものであり,しかも,被爆者の多くが今なお生活上一般の戦争被害者よりも不安定な状態に置かれているという事実を見逃すことはできない。原爆医療法は,このような特殊の戦争被害について戦争遂行主体であった国が自らの責任によりその救済をはかるという一面をも有するものであり,その点では,いわゆる社会保障法としての性格のほか,実質的に国家補償的配慮が制度の根底にあるというべきところ(前掲最高裁昭和53年3月30日判決,最高裁平成17年(受)第1977号同19年11月1日第一小法廷判決・民集第61巻8号2733頁参照),前判示の事実によれば,被爆者援護法もこれと同様の複合的性格を有する法律であることが明らかである。
そして,戦争中から戦後にかけての国の存亡にかかわる非常事態にあっては,国民の全てが,多かれ少なかれ,その生命,身体,財産の犠牲を堪え忍ぶことを余儀なくされていたのであって,これらの犠牲は,いずれも戦争犠牲ないし戦争損害として,国民のひとしく受忍しなければならなかったところであり,その補償の要否及び在り方は,事柄の性質上,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたった総合的政策判断を待って初めて決し得るものである。これについては,国家財政,社会経済,戦争によって国民が被った被害の内容,程度等に関する資料を基礎とする立法府の裁量的判断にゆだねられたものと解するのが相当である(最高裁平成5年(オ)第1751号同9年3月13日第一小法廷判決・民集51巻3号1233頁,最高裁昭和40年(オ)第417号同43年11月27日大法廷判決・民集22巻12号2808頁参照)。
これらの点に照らせば,戦争中から戦後にかけての非常事態にあって当時の国民の全てが多かれ少なかれ余儀なくされていた生命,身体,財産の犠牲につき,一般的に,戦争犠牲ないし戦争損害として,国民のひとしく受忍しなければならないものとされる中で,国家補償的配慮に基づき,被爆者を対象として,被爆者援護法等が制定されたのは,「原子爆弾の投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であることにかんがみ」立法されたものであり(被爆者援護法の前文),原爆の被爆による健康上の障害がかつて例をみない特異かつ深刻なものであること(被爆による健康上の障害の特異性と重大性)からその救済を図るためであると解される(前掲最高裁昭和53年3月30日判決参照)。
(3) 以上の事実によれば,①「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」との原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)の規定(厚生省が当初作成した原爆医療法の法律案(第1次原案)には存在しなかったもの)が原爆医療法において定められたのは,原爆医療法2条(被爆者援護法1条)1号や2号に該当しない者であっても,被爆者の死体処理をした者等がいわゆる原子病を発病したという事例があったからであることが認められ(前記(1)イ),上記3号の規定は,上記1号や2号に該当しない者についても,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」といえる場合があり,その場合には健康被害を生ずる可能性があると考えられたことに基づくものと解される。のみならず,②戦争中から戦後にかけて当時の国民の全てが多かれ少なかれ,生命,身体,財産の犠牲を余儀なくされ,そうした犠牲につき,一般的に,戦争犠牲ないし戦争損害として,国民のひとしく受忍しなければならないものとされる中で,国家補償的配慮に基づき,原爆の被爆者を対象として,被爆者援護法等が制定されたものであるところ,その立法趣旨は,原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること(被爆による健康上の障害の特異性と重大性)に基づくものであることが認められ(前記(2)),上記3号が「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」につき被爆者健康手帳の交付を受けて被爆者援護法所定の援護を受けられるよう定めた趣旨は,上記の者については原爆の放射線により「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」である健康被害を生ずる可能性があると考えられたことによると解される。また,③原子爆弾被爆者の医療等に関する法律案(昭和32年2月7日付け)2条3号(後の原爆医療法2条3号(被爆者援護法1条3号)に対応するもの)は,「・・・原子爆弾の傷害作用の影響を受けたおそれがあると考えられる状態にあったもの」とされていたところ,その後,内閣法制局により,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」という文言に修正されたのであるが,それは,上記3号に該当する者の範囲につき変更する(実質的な意味内容を変更する)趣旨ではなかったことが認められる(前記(1)エ)。そして,④原爆医療法及び被爆者援護法は,原爆の被爆者が置かれている健康上の特別の状態に鑑み,国が被爆者に対して健康診断(又は,健康診断を含む健康管理)を行うことを一つの目的としているところ,健康診断等を行う趣旨は,原爆放射線の身体に対する影響が未だ解明されていない状況において,被爆者の不安を一掃するとともに,被爆者の健康障害を予防・軽減するためであり,健康被害を生ずるおそれがあるために不安を抱く被爆者に対して広く健康診断等を実施することが,原爆医療法や被爆者援護法の趣旨に適うと考えられる。
したがって,被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」とは,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったことをいうものと解するのが相当である(なお,「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」との事実の存否は,上記事実の存在することが真実といえるかという問題であるから,その存否につき最新の科学的知見に基づき判断すべきことは,当然である。)。
3 被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実につき要する立証の程度について
(1) 原告らは,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実につき必要な立証の程度は,「上記事実の存在を是認し得る高度の蓋然性を証明すること」は必要でない旨主張し,その根拠として,①立法当初から現在に至るまで,人体に対する放射線の影響の程度やその作用過程等は解明されていないこと,②被爆者援護法の前文の定めを挙げる。
(2) しかしながら,本件訴訟において,原告らは,都道府県知事等が本件申請者らに対し被爆者健康手帳を交付するための要件に該当する事実として被爆者援護法1条3号に該当する事実が存在する旨主張しており,本件申請者らにつき上記3号に該当する事実(「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実)が存在することにつき証明責任を負うところ,行政事件を含む民事事件において,訴訟物たる権利関係の存否につき判断するために証明を要する事実の証明は,一点の疑義も許されない自然科学的証明ではないが,経験則に照らして全証拠を総合検討し,上記証明を要する事実が存在することの高度の蓋然性を証明することであり,その判定は,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とすると解すべきである(この点に関し,最高裁平成10年(行ツ)第43号同12年7月18日第三小法廷判決・裁判集民事198号529頁が,証明を要する事実が因果関係の存在である場合につき必要な立証の程度について判示したところは,証明を要する事実が因果関係の存在以外の主要事実である場合にも同様に解するのが相当である。)。
したがって,被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」との事実,すなわち,「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」との事実が存在することにつき,原告らにおいて,高度の蓋然性を証明することが必要であるというべきである。原告らがその主張の根拠として挙げる前記(1)の点は,上記判断と別異に解すべき根拠となるものではなく,上記判断を左右しない。したがって,原告らの前記(1)の主張は,採用することができない。
第7争点(7)(本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか。長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1及び本件2の各請求))について
1 前提事実
前記争いのない事実等及び証拠<省略>によれば,次の各事実が認められる。
(1) 長崎市に投下された原爆の概要
ア 原子爆弾の仕組み等
昭和20年8月9日午前11時2分頃,長崎市松山町の上空約500メートルの高度で,原爆が爆発した(証拠<省略>)。
長崎市に投下された原爆は,球状の爆弾の中心に中性子発生装置を置き,その周囲を臨界量以下のプルトニウム239で取り巻き,さらにその周囲を天然ウランで球状に囲み,その外側に高性能火薬を取り付け,点火栓を発火させて火薬を爆発させることにより,中心のプルトニウム239が圧縮され,密度が高まって臨界状態となり,中性子発生装置が押しつぶされて連鎖反応を開始させるものである(証拠<省略>)。そのエネルギーは,TNT(トリニトロトルエン)火薬に換算して約22キロトン相当であり,放出されたエネルギーの約50パーセントが爆風に,約35パーセントが熱線に,約15パーセントが放射線となった(証拠<省略>)。
核爆発によって瞬間的に爆弾内に生じた高いエネルギー密度により,核爆薬,核分裂生成物及び爆弾容器は,数百万度の超高温と数十万気圧という超高圧の気体あるいはプラズマ状態になり,様々な波長の電磁波の形でエネルギーを放出しながら急速に膨張した。放出された電磁波と核分裂によって発生したガンマ線が周囲の大気に吸収され,灼熱の火球が出現して急速に上昇した(証拠<省略>)。
イ 原爆投下当時の気象
長崎県は,原爆投下当日の天候は晴れで,投下時には,秒速3メートルの南西風が吹いており,以後数時間にわたって秒速約3~7メートルの南西風が吹いていた(証拠<省略>)。
ウ 原子雲の生成等
原爆の爆発のすぐ近くには強い風が起こり,爆風と相まって土埃やその他の物質を地面から吹き上げた。こうして地面から吹き上げられた土埃の粒は火球とともに上昇し,しばらくすると重力の作用で各自の大きさに応じた速度で落下し始め,上昇しつつ膨脹する煙の柱(火球の尾のようなもの)が生成された。また,火球が高速で上昇することで,周囲から集まった空気も高速で上昇し,それによって,放射能が含まれた大気中の微粒子を凝結核として雲粒が生じ,原子雲が発生した。このようにして生成された原子雲は,熱エネルギー並びに周囲の空気の温度及び密度に左右されて上昇していき,その一部は圏界面を突き破り成層圏に入り,その一部は圏界面(大気における成層圏と対流圏との境界)に沿って爆心地から四方に半径約十数キロメートルの範囲(又は,それを超える範囲)にわたって広がった(証拠<省略>)。
(2) 放射線,被曝及び原爆放射線に関する科学的知見等
ア 放射線及び放射能
放射線とは,物質に照射されたときに,その物質を構成している分子や原子に電離(原子の軌道電子を外へ弾き飛ばす現象)を引き起こす能力をもったものである(証拠<省略>)。
放射線は,アルファ線(α線),ベータ線(β線),ガンマ線(γ線),中性子線に大別される。一般に,電荷を持つ放射線(アルファ線,ベータ線)は,物質透過中に急速にエネルギーを失うため,物質を透過する力が小さいのに対し,電荷を持たない放射線(ガンマ線,中性子線)は,物質中を透過する際,エネルギーを失う割合が小さいので,透過性が大きい。(証拠<省略>)
放射能とは,外部からの刺激なしに,自発的に原子核から放射線を発射する性質をいう。放射能を持つ物質のことを放射性物質という。
イ 放射能,放射線の単位等(証拠<省略>)
放射線の量は,放射線が物質や人体に及ぼす作用や影響の大きさにより評価され,どのような作用や影響に注目するかによっていくつかの線量とその単位が定義されて用いられている。放射線に関する単位は,別紙9<省略>記載のとおりである。
(ア) 放射線のエネルギーを表す単位
ジュール(J:joule)は,エネルギーの基本的単位であり,放射線のエネルギーを表すためにしばしば用いられる単位である電子ボルト(eV)は,電子が1ボルトの電圧で加速されて得る運動エネルギーを1eVと定義する。
1eV=1.60×10-19J
(イ) 吸収線量
放射線が物質と相互作用を行った結果,その物質の単位質量当たりに吸収されたエネルギーを吸収線量という。吸収線量の単位として,グレイが用いられる。
(ウ) 等価線量
人体に放射線が当たった場合,同一の吸収線量であっても放射線の種類やエネルギーによって与えられる影響の程度は異なる。条件の異なった放射線照射により人体に与えられるリスク(危険度)を,同一尺度で計算し,放射線防護の目的で比較したり,加え合わせたりするために,等価線量という量が考えられた。等価線量は,吸収線量に放射線荷重係数を乗じて算出される(放射線荷重係数は,放射線の種類とエネルギーにより影響の程度が異なることを考慮するために掛ける係数である。例えば,ベータ線,ガンマ線については1,アルファ線については20である。)。吸収線量の単位にグレイをとったときの等価線量の単位をシーベルトという(なお,ミリシーベルトはシーベルトの1000分の1の単位である。)。
(エ) 実効線量
人体が放射線を受けた場合,等価線量が同じであっても,その影響の現れ方は,人体の組織・臓器によって異なる。人体のいろいろな組織への影響を合計して評価するために,実効線量と呼ばれる量が定義されている。これは,等価線量にその組織の放射線感受性を表す組織荷重係数を掛けたものを,放射線を受けた組織について加え合わせたものである。この実効線量は,ある個人が放射線被曝によって受けるリスクの大きさを評価するのに使われる。単位はシーベルトである。
ウ 被曝
(ア) 被曝とは,放射線に曝されることを指す。
一般に,自然放射線による人体の被曝線量(実効線量)は,1年間につき平均約2.4ミリシーベルト(宇宙線から約0.39ミリシーベルト,大地等から約0.48ミリシーベルト,人体内の自然放射性物質から約1.55ミリシーベルト)である。また,胸部のX線集団検診では1回当たり0.05ミリシーベルト,胃のX線集団検診では0.6ミリシーベルト,胸部のX線CT検査では9.1ミリシーベルト程度の被曝線量(いずれも実効線量)になる。がんの治療には数千ミリシーベルト以上の等価線量の放射線を照射する(証拠<省略>)。
同線量の放射線に被曝した場合でも,その人体に対する影響(放射線感受性)は個体差がある。
放射線に人が被曝する態様には,大きく分けて,外部被曝と内部被曝の2つがある。
(イ) 外部被曝
外部被曝とは,身体の外に存在する線源からの被曝をいう(証拠<省略>)。
(ウ) 内部被曝
内部被曝とは,体内に取り込まれた線源による被曝をいう。内部被曝の態様としては,吸入摂取,経口摂取,皮膚から(特に傷口から)の侵入といった経路が考えられる(証拠<省略>)。
内部被曝においては,放射性核種が体内に入ってからの動態が多様であるため(体内に入った後,侵入部にとどまったり,血中に入ったり,血中から尿中に移行したり,特定の組織に蓄積したりする。),被曝線量は不均一である。例えば,ヨウ素は甲状腺に選択的に集積するので,放射性ヨウ素による被曝は甲状腺が選択的に受けることになるし,ストロンチウムは骨,セシウムは肝に多く集積する。放射性核種が特定の器官に選択的に障害を与える場合,同器官を決定器官という。(証拠<省略>)
また,内部被曝の特徴として,放射性核種が体内に存在する間は同核種から放出される放射線により被曝し続けるが,体内の放射性核種の量は放射性核種の物理的半減期と生物学的半減期により時間と共に減少していくということが挙げられる。半減期とは,放射性物質の量が半分にまで減少するのに要する期間をいうところ,放射性核種は,固有の物理的半減期を有する。体内に入った放射性核種は,人体に備わった代謝機能により,体外に排泄されていき,その量が減少していくのであり,このように,人体の代謝によって体内に含まれる放射性核種の量が半分に減少する時間を生物学的半減期という。体内に入った放射性核種の減衰には,物理的半減期と生物学的半減期の両方の半減期が関係する。この両方を考慮して,有効半減期が以下のように定義されている(有効半減期は,放射性核種が実際に体内で半減する時間に相当する。)。
1/有効半減期 = 1/物理的半減期 + 1/生物学的半減期
内部被曝は,一般に低線量率被曝であるが,物理的半減期と生物学的半減期の両方で減衰するので,線量率は一定ではない。このように,内部被曝の特徴は,低線量率で,その線量率が変化することであり,このことが内部被曝の線量測定や影響の判定を困難にしている。(証拠<省略>)
主な放射性核種につき決定器官,半減期及び特徴は,別紙10<省略>記載のとおりである。放射性核種の性質として,①物理的半減期が長いもの,②吸収されやすいもの,③排泄されにくい(生物学的半減期が長い)もの,④器官集積性をもつもの,⑤アルファ線やベータ線を出すもの又はエネルギーの大きな放射線を出すものは,人体にとって危険性が高いものである。(証拠<省略>)
(エ) 内部被曝の危険性に関する見解の対立
健康障害を生ずる危険性に関し,内部被曝は外部被曝より危険性が高いといえるのかについて,次のとおり見解が分かれている。
a 内部被曝につき外部被曝より危険性が高いとする見解
上記見解の要旨は,次のとおりである。
外部被曝の場合,放射能を有する物体から全方位に照射される放射線のうち,当該人体に向かうもののみが問題となる。また,有意な被曝をもたらすのはガンマ線だけであり,人体が被曝した放射線環境から離れれば継続して被曝することにはならない(証拠<省略>)。これに対し,内部被曝の場合,人工の放射性物質が微粒子を形成すると,膨大な数の放射性原子が微粒子内に存在することになるため,微粒子から連続的に放射線が放出され,微粒子の周囲にホットスポットと呼ばれる濃密な被曝領域が作り出される(ホットパーティクル理論)。また,体内で放射される全放射線のエネルギーが被曝に直結し,飛程の短いアルファ線やベータ線によって密度の高い電離作用が働くことになる。加えて,内部被曝の場合には,放射性物質が体内に存在し続けることになるため,人体が放射性環境を離れても被曝が継続する。このような体内における高密度の電離作用に加え,放射線に直接当たらなかった近隣の細胞が影響を受けて染色体異常をきたす近隣効果(バイスタンダー効果)や,放射線が水分子を電離することでイオン化した水分子がDNAの二重鎖を切断する間接効果を考慮すると,外部被曝とは比較にならないほどの危険がある。(証拠<省略>)
さらに,食物連鎖において,生態系の中で放射性物質が濃縮されていき,人間が食物を摂取する際に高度の放射性物質を体内に取り込むおそれがある(証拠<省略>)。
上記のような内部被曝の局所的な作用の危険性については,外部被曝と同じ方法では適切に評価することができない(証拠<省略>)。
b 内部被曝につき外部被曝より危険性が高いとはいえないとする見解上記見解の要旨は,次のとおりである。
外部被曝であろうと内部被曝であろうと,全身や組織,臓器が受ける放射線の量が同じであれば,人体影響に差異はないのであって,内部被曝であるからといって,ことさらに危険性が高まるということはない(証拠<省略>)。むしろ,内部被曝は,徐々に被曝する形の連続被曝であるため,急性の被曝の場合に比べて,人体の回復力が働きやすく,影響が少ない(証拠<省略>)。ホットパーティクル理論は,実際の人体影響を説明できないし,それを実証するデータが証明されていないものであり(証拠<省略>),これを否定すべきである(証拠<省略>)。
エ 原爆放射線(初期放射線及び残留放射線)
原爆放射線は,爆発後1分以内に空中から放射される初期放射線と,それ以後の長時間にわたって地上で放射される残留放射線の2種類に分けられる(証拠<省略>)。
(ア) 初期放射線
初期放射線の主要成分はガンマ線と中性子線である(線量としてはガンマ線の占める割合が高い。証拠<省略>)。初期放射線は,爆心地から2キロメートルを超えたところではほとんど減衰し,原爆投下当時に本件申請者らが存在した場所(爆心地から7.5キロメートル以上離れた場所)には届いていない。
(イ) 残留放射線(誘導放射線及び放射性降下物による放射線)
残留放射線には,誘導放射線と放射性降下物による放射線の2種類がある。残留放射線の被曝では,身体の外からガンマ線を浴びる外部被曝と,放射性物質が体内に取り込まれてアルファ線,ベータ線,ガンマ線を受ける内部被曝を考慮しなければならない(証拠<省略>)。
a 誘導放射線
プルトニウムの核分裂反応の際,原爆から放出された中性子線が物質に照射されるとその物質が放射能化され,種々の放射性物質が生じる。放射能化された物質は,ベータ線,ガンマ線を一定の期間放射し続ける。原爆から放出された中性子線が地上に降り注ぎ土地や建築物資材等の物質の原子核に衝突することで,その物質が,放射能を帯び(誘導放射化),放射線を一定期間放射し続ける場合に,出される放射線のことを誘導放射線という。(証拠<省略>)
b 放射性降下物による放射線
放射性降下物には,プルトニウムの核分裂生成物(プルトニウムの核分裂により生じたもの。主にベータ線,ガンマ線を放出する。),未分裂のプルトニウム(アルファ線,ベータ線,ガンマ線を放出する。)及び原爆器財等が中性子を受けて誘導放射能を帯びたもの(いずれも放射能を持つもの)がある(証拠<省略>)。
(3) 下痢,脱毛及び出血傾向の原因並びに放射線による急性症状に関する知見
ア 下痢,脱毛及び出血傾向の原因
(ア) 放射線による急性症状として挙げられる症状(下痢,脱毛及び出血傾向等)は,いずれも放射線に特異的なものではない。放射線を原因とする以外に,次のような多種多様な疾患等を原因として発生するものである。(証拠<省略>)
a 下痢
下痢の原因としては,①細菌やウイルス,②寄生虫,原虫,真菌,③薬剤性,④食物アレルギー,⑤ヒ素等の毒物摂取,⑥寒冷,⑦心因性ストレス,⑧腸管の循環障害,⑨甲状腺機能亢進症,膠原病等の合併症,⑩慢性炎症性腸疾患などがある。
b 脱毛
脱毛の原因としては,①ストレス,②内分泌障害(特に甲状腺機能低下症や甲状腺機能亢進症),③抜毛症,④全身性エリテマトーデス,⑤真菌感染症,⑥梅毒,⑦タリウムやヒ素等の中毒などがある。
c 出血傾向
出血傾向(出血傾向とは,正常にあるべき止血機構が障害された結果生ずる易出血状態又は止血困難な状態をいう。)を引き起こす原因としては,血管壁の異常,血小板減少,血小板機能異常をきたす多種多様の疾患や,ビタミンCやビタミンKの欠乏などがある。
(イ) 原爆投下当時における国民の状況
戦時下における我が国においては,国民一般が食糧難に陥り,多くの国民が栄養不足の状態にあったのみならず,不衛生な環境にあった。そのため,相当程度のストレスを受ける状況にあった。一般に,このような状況にあることは,下痢や脱毛や出血傾向の原因となり得るものである。特に,下痢や吐き気といった身体症状は,当時多くの国民に見られたものであって,珍しいものではなかった。(証拠<省略>)
イ 放射線による急性症状の特徴
(ア) 症状の発現状況
放射線被曝による急性症状は,被曝当日・翌日に症状が出現する前駆期,その後一時的に前駆期の症状が消えて無症状な時期に入る潜伏期,その後多彩な症状がみられる発症期,及び回復期(又は,死亡)といった経過をたどる。前駆期に顕れる症状は前駆症状,それ以降に顕れる症状は急性放射線症候群の症状と呼ばれる。(証拠<省略>)
(イ) 各症状につき発症経過等に係る特徴(証拠<省略>)
a 下痢
前駆症状としての下痢は,4~6グレイを全身被曝した患者では10パーセント未満の頻度で被曝後3~8時間後に一過性に観察され,6~8グレイを全身被曝した患者では10パーセント以上の頻度で被曝後1~3時間後に一過性に観察される(証拠<省略>)。
潜伏期を経た後に発症する下痢は,被曝後2,3週間以内に発症し,全身被曝が原因で下痢を起こした人は必ず脱毛や出血を経験するとされる。また,下痢を発症するような事態に至れば,現代の医学水準をもってしても治療による救命は困難であり,多くは致死的である(証拠<省略>)。
b 脱毛
放射線被曝による脱毛は,被曝後約3週間の潜伏期を経た時期に発症し,櫛や洗髪などの軽い外力により根元で切れて抜ける特徴があり,8,9週間後頃から回復する(証拠<省略>)。
c 出血傾向
急性症状としての出血傾向(歯肉出血,紫斑など)は,血小板が一時的に減少することによって生じる症状であるところ,3グレイの被曝を受けた者においては被曝後20日から30日頃に血小板数が低減して一定数を下回ることで同症状が顕れるなど,遅くとも4週間後までに発症する。その後,血小板数が回復することにより,出血傾向は消失する(証拠<省略>)。
(4) 原告ら援用に係るQ意見等において言及されている調査研究等
ア 「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」(証拠<省略>)プレストン(Dale Preston)らによる上記論文(以下「プレストン論文」という。)は,「原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係」について調査結果に基づき考察したものであり,「対象及び方法」並びに「結果と考察」は,次のとおりである(証拠<省略>)。
(ア) 対象及び方法
放射線影響研究所で行っているLSS(寿命調査)の対象者(原爆投下時に爆心地から10キロメートル以内にいた人)のうち,広島及び長崎合計8万6632名を対象として,被爆から数年後の記憶に基づく面接によって調査した。原爆投下後60日以内に起こったと報告された脱毛のみを「脱毛の陽性」とした。陽性とされた脱毛は,その程度により,軽度(4分の1未満),中等度(4分の1以上,3分の2未満)及び重度(3分の2以上)に分類された。
(イ) 結果と考察
上記調査の結果,「脱毛(軽度,中等度及び重度の脱毛を全て含むもの)の頻度と爆心地からの距離との関係」は,広島市及び長崎市ごとに,別紙11<省略>記載のとおりであり,爆心地から2キロメートル以内での脱毛の頻度は,爆心地に近いほど高く,爆心地からの距離と共に急速に減少し,2キロメートルから3キロメートルにかけて緩やかに減少する(脱毛の頻度は3パーセント前後である。)。また,3キロメートル以遠でも少しは症状が認められているが(約1パーセント),ほとんど距離とは無関係である。脱毛の程度についてみると,遠距離に見られる脱毛はほとんど全てが軽度であったが,2キロメートル以内では重度の脱毛の割合が高かった。これらを総合すると,3キロメートル以遠の脱毛がストレスや食糧事情などの放射線以外の要因を反映しているのかもしれないことが示唆される。
イ 「重度の脱毛に関する資料を用いての原爆放射線被曝線量推定方式DS86の解析」(証拠<省略>)
ストラム(Daniel O. Stram)と水野正一は,LSS(寿命調査)の対象である原爆被爆者から収集した放射線症状の資料のうち,重度脱毛(頭髪の67パーセント以上の脱毛)を訴えた被爆者の割合等から旧式の線量評価方式であるT65D(1965年暫定線量推定方式)と新方式であるDS86(1986年原爆放射線量評価体系)とを比較し,DS86の線量方式の妥当性を検証した。上記論文(以下「ストラム論文」という。)では,当時,線量評価がされている7万6091人のうち,6万3053人について脱毛に関する資料が有効であったとし,重度脱毛例の総数は,広島1053人,長崎246人であった(証拠<省略>)。
ここでは,原子爆弾被爆者によって構成されるLSS集団(LSS(寿命調査)の対象者の集団)が調査対象とされ,LSS集団に見られた重度脱毛の訴え率の,遮蔽カテゴリー,性,年齢間における結果を比較し,線量に伴い,脱毛の訴え率が,75ラド付近から線量に伴って著しく増大し,250ラドあたりから横ばいとなり,最後には低下傾向を示すことを明らかにした(証拠<省略>)。
ウ 京泉誠之らの研究(証拠<省略>。以下「京泉らの研究」という。)京泉らは,免疫機能を除去した重症複合免疫不全(SCID)マウスの背部に,奇形により死亡した5体の胎児(以下「ドナー」という。)から採取した頭皮組織を移植して,人の毛嚢の成長と脱毛の研究をする実験的モデル(SCID-huマウスモデル)を開発した。それぞれのドナーから3~5個の移植片が用意され,全部で22匹のマウスに5人のドナーからの22個の移植片が生着した。
移植の約5か月後に,移植した皮膚組織に1グレイから6グレイまでの線量のX線を照射したところ,3週目には,1グレイ以下のグループでは脱毛は観察されず,脱毛率(単位面積当たりの抜け落ちた毛髪の割合)が2~3グレイで急激に増加することが分かった。また,3グレイ以上のX線を照射したグループでは半分以上の毛髪が抜け,4.5から6グレイの照射では抜けなかった毛髪は10パーセントに満たなかった。同結果は,別紙12<省略>記載のとおり(それぞれの印は1つの皮膚移植の結果であり,同じ記号は同じドナーを表す。)である。なお,脱毛率については,照射前に平均して1移植頭皮当たり約100本の髪があったところ,照射前後の単位面積当たりの毛髪の本数を比較することによって,失った髪の割合を計算したものである。これに対し,放射線照射のされていない移植片(2サンプル)では,上記測定期間(6か月)において移植片の毛髪量は一定であった。
エ 於保源作の調査(証拠<省略>)
上記調査(以下「於保調査」という。)は,昭和32年1月から同年7月までの間において,広島市内の一定地区(爆心地から2ないし7キロメートルの範囲内)に住む被爆生存者3946名につき,その被爆条件,急性原爆症の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各個人毎に調査し,爆心地に残留した放射能の人体への障害程度,障害期間,障害に要する時間を統計的に算出したものである。於保調査は,集計については,上記の者が,原爆直後から3か月以内に中心地(爆心地から1キロメートル以内)に出入りしたかどうかにしたがって二分し,中心地出入りの有無が上記の者の急性原爆症の発生頻度や症状の軽重を左右したかについて統計的に観察を行ったものである。さらに,「広島市に原爆が投下された昭和20年8月6日午前8時15分当時に広島市内にいた者」でない者のうち,原爆投下から3か月以内に広島市に入った者(629名)についても,原爆投下から3か月以内に中心地に出入りしたかどうかにしたがって二分し,入市直後に急性原爆症同様の症状を惹起したかを調べたものである。
オ 「聞いて下さい!私たちの心のいたで 原子爆弾被爆未指定地域証言調査報告書」の調査(証拠<省略>)
(ア) 上記調査(以下「証言調査」という。)は,爆心地から同心円状の半径12キロメートルの範囲内の地域のうちの次の各地域(爆心地との位置関係は別紙8<省略>図面記載のとおり)に居住していた人のうち,現在も同じ行政区域内に居住している人を対象に,平成11年4月から平成12年3月までの間において,現在の健康状態等につき,調査票郵送や面談によって聴き取り調査を実施したものである(証拠<省略>)。
a 当時の茂木町,日見村,矢上村,式見村,三重村,深堀村,戸石村及び古賀村(これらを併せて,以下「未指定区域①」という。)
b 香焼村,伊王島村,村松村子々川郷,村松村西海郷,伊木力村,大草村,喜々津村及び田結村(これらを併せて,以下「未指定区域②」といい,未指定区域①と未指定区域②を併せて,以下「未指定地域」という。)
(イ) 証言調査において,未指定区域①における回答者数は5857名(うち男性2307名,女性3550名),未指定区域②における回答者数は1211名(うち男性493名,女性718名)であった(証拠<省略>)。原爆投下直後にあった症状に関する質問では,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状が回答対象とされた(証拠<省略>)。
2 本件申請者らは,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当するか
(1) 前判示のとおり,被爆者援護法1条3号にいう「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」とは,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったことをいうものと解すべきところ,原告らは,本件申請者らにつき「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」旨主張するものと解される。そこで,本件申請者ら(ただし,被爆者援護法1条2号に該当する事実があると主張されている被相続人Oを除く。以下,次の(2)ないし(8)において同じ。)につき,上記主張に係る事実が認められるかについて,検討する。
(2) 被爆者援護法1条1号の規定に係る原告らの主張について
ア 原告らは,本件申請者らにつき「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」といえる根拠として,被爆者援護法が制定された当時,「原爆が投下された際,爆心地からの距離が12キロメートルまでの範囲内(爆心地から12キロメートルの同心円の範囲内)の地域に存在していた者が身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」ことが立法機関により認められたとの事実を主張する(争点(7)に関する(原告らの主張)イ)。
イ しかしながら,原告らの上記主張に係る事実は,これを認めるに足りる証拠がない。かえって,前記第6の1(1)ないし(5)の各事実によれば,(ア)被爆者援護法(及び原爆医療法)が制定された当時,立法機関において,被爆者の定義につき被爆者援護法1条(原爆医療法2条)のとおり定めるに当たって,科学的知見としては,「①原爆が投下された際,爆心地から約5キロメートルまでの範囲内の地域に存在した者,②原爆が投下された時から2週間以内に爆心地から約2キロメートルまでの範囲内の地域に存在した者は,概ね『原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった』といえる(上記時期に上記地域に存在しなかった者は,原爆投下の際又はその後において一定の場所に存在したことにより直ちに上記事情の下にあったということはできない)」との科学的知見,そして,「上記①及び②のいずれにも該当しない者であっても,被爆者の救護・看護やその死体処理をするなどした者の中には,『原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった』といえる者が存在する」との科学的知見が考慮されたこと,(イ)被爆者援護法1条1号は,「原子爆弾が投下された際当時の・・・長崎市の区域内・・・に在った者」と定めており,爆心地からの距離が5キロメートルを超える地点を含む区域となっている(当時の長崎市は,その南方において爆心地からの距離が12キロメートルの地点を含む。)のであるが,爆心地から5キロメートルを超える地域が上記1号において定められたのは,当時の長崎市(爆心地から5キロメートルまでの地域(の相当部分)をその中に含むものである。)の行政区画が爆心地からの距離が5キロメートルを超える地点を含む(南方において爆心地からの距離が12キロメートルの地点を含む)ものであったところ,行政区画により上記1号の区域を定めたことによるものであって,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性という科学的知見を根拠とするものではないことが認められる。
したがって,上記1号が爆心地から5ないし12キロメートルの範囲内の地域の一部を含めて区域を定めていることは,原爆投下当時に上記範囲内の地域に存在した者について,上記「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」ことを認める根拠となるものではなく,原告らの上記アの主張は,採用することができない。
(3) Q意見(原告らが援用する証拠)の適否について
ア Q意見の趣旨
Q意見(証拠<省略>)は,「原爆投下時及びその後,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に存在した者には,全て,健康被害を生ずる可能性のある程度の被曝があった」とし,その根拠として次の各事実を挙げる(なお,Q意見は,別紙13<省略>記載のとおり,原爆投下に起因する放射性降下物による被曝影響について,従来行われてきた物理学的測定に基づく評価(被告らが援用する「DS86第6章の被曝線量の推計」等)では適切に評価することはできないとする。)。
(ア) 原爆投下時及びその後,爆心地から4ないし12キロメートルの範囲内の地域に存在した者につき放射性降下物による被曝線量は,1.25~1.33グレイである(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q被曝線量①の事実」という。)。
(イ) 原爆投下時及びその後,未指定地域に存在した者につき放射性降下物による被曝線量は,1.16~1.30グレイである(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q被曝線量②の事実」という。)。
イ Q被曝線量①の事実に係るQ意見の適否
(ア) Q被曝線量①の事実に係るQ意見の挙げる根拠
Q意見は,Q被曝線量①の事実が存在するといえる根拠として,次の各事実を挙げる。
a 被曝線量と脱毛及び紫斑の発症率との関係は,半発症線量(50パーセントの人がその被曝線量で脱毛を発症する線量)2.751グレイ,標準偏差0.794グレイの正規分布(以下「Q正規分布①」という。)の曲線(別紙14<省略>記載の赤い曲線)で表される(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q正規分布①の事実」という。)。
b 被曝線量と下痢の発症率との関係は,(a)初期放射線被曝による発症率は,半発症線量3.026グレイ,標準偏差0.873グレイの正規分布の曲線で,(b)放射性降下物による発症率は,半発症線量1.981グレイ,標準偏差0.572グレイの正規分布(上記(a)及び(b)の正規分布を併せて,以下「Q正規分布②」という。)の曲線で表される(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q正規分布②の事実」という。)。
c 爆心地からの距離と原爆による急性症状の発症率との関係長崎原爆について,爆心地からの距離と原爆による急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)の発症率との関係は,別紙15<省略>記載のとおりであり,上記急性症状の発症率は,爆心地からの距離が同じであれば,ほとんど同じであり,爆心地からの方向の違いにより異なることはない(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q急性症状発症率①の事実」という。)。
d Q正規分布①の事実,Q正規分布②の事実及びQ急性症状発症率①の事実がそれぞれ存在することを前提とすると,上記急性症状発症率に基づき上記各正規分布(Q正規分布①及びQ正規分布②)を用いて被曝線量を算出することができ,その算出結果(別紙16<省略>記載のとおり)は,Q被曝線量①の事実に沿ったものとなる(長崎原爆につき,爆心地から4ないし12キロメートルの範囲内の地域における被曝線量は1.25~1.33グレイとなる。)。そして,上記範囲内の地域における放射性降下物による被曝線量は一様であり,上記地域内のいずれの地点においても被曝線量は1.25~1.33グレイである。(証拠<省略>)
(イ) Q正規分布①の事実の存否
a(a) Q意見は,Q正規分布①の事実が存在するといえる根拠として,次の各事実を挙げる。
ⅰ 京泉らは,免疫機能を除去したマウスに人の頭皮を移植し,X線を照射し,マウスに植えつけた人毛が抜け落ちる割合を測定する実験を行うことにより,照射線量と脱毛割合との関係を報告した(前記1(4)ウの京泉らの研究)。京泉らの研究における照射線量と脱毛割合との関係に係る実験結果は,別紙12<省略>記載の図(証拠<省略>)における黒い丸印,白い丸印,黒い三角印のとおりである。
「被曝線量と脱毛割合との関係」と「被曝線量と脱毛発症率との関係」とは,一致するので,これを前提とすると,京泉らの研究における照射線量と脱毛割合との関係に係る上記実験結果に基づき,「被曝線量と脱毛発症率との関係」は,別紙14<省略>記載の赤い丸印のとおりとなる(証拠<省略>。上記実験結果における脱毛割合を,脱毛発症率に置き換えて記載したものである。)。
ⅱ また,動物実験における被曝線量と死亡率との関係は正規分布であるところ,人間でも同様であると考えられ,さらに,死亡原因となる急性症状の発症率も死亡率と同様であると考えられるため,人間における被曝線量と急性症状である脱毛発症率との関係も正規分布であるといえる(証拠<省略>)。
ⅲ したがって,「被曝線量と脱毛発症率との関係」が上記のとおり(別紙14<省略>記載の赤い丸印のとおり)であることを前提とすると,被曝線量と脱毛発症率との関係は,半発症線量2.751グレイ,標準偏差0.794グレイの正規分布(Q正規分布①)の曲線であるといえる(証拠<省略>)。そして,於保調査によれば,紫斑の発症率は脱毛のそれとほぼ同一であるから,被曝線量と紫斑発症率との関係は,Q正規分布①の曲線と同じといえる。
(b) 上記(a)の適否
しかしながら,Q正規分布①の事実が存在する旨の上記(a)のQ意見は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
Q正規分布①の事実が存在する旨のQ意見は,「京泉らの研究における照射線量と脱毛割合との関係に係る実験結果(別紙12<省略>記載の図における黒い丸印,白い丸印,黒い三角印のとおりである。)が正確であること」及び「『被曝線量と脱毛割合との関係』と,『被曝線量と脱毛発症率との関係』は,一致すること」を前提とするところ,前者の事実につき,京泉らの研究における上記実験結果の正確性に関する問題(上記実験結果は,前記1のとおり,マウス22匹に対して5人のヒトから頭皮移植を施しているところ,上記実験は,実験規模が小さい(マウス及びヒトの数が少ない)ため,放射線感受性には個体差があること(前記1(2))に鑑みると,これによって人体の多様性を正確に反映できているかという問題がある。)は措くとしても,後者の事実は,次のとおりこれを認めることができない。
すなわち,「被曝線量と脱毛割合との関係(ある人が被爆した場合に,どの程度の線量で,どの程度の脱毛が生じるか(頭髪の何パーセントが脱毛するか)という関係)」と,「被曝線量と脱毛発症率との関係(一定の人数からなる集団が被爆した場合に,どの程度の線量で,どの程度の人に脱毛が発症するか(上記集団の何パーセントの人数に脱毛が発症するか)という関係)」は,一致するとの事実については,Qはこれに沿う供述をするが(証拠<省略>),一致するといえる根拠は明らかでないこと(Qは,上記両者には共通性があると供述するにすぎない。),Uは上記両者につき一致しない旨供述していること(証拠<省略>)に鑑みれば,上記の一致する旨のQの供述は採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって,Q正規分布①の事実が存在する旨の上記Q意見は,その前提を欠くものであり,採用することができない。
b(a) さらに,Q意見は,Q正規分布①の事実が存在するといえる根拠として,「Q正規分布①の事実は,広島におけるLSS(寿命調査)の対象者の集団(以下『広島LSS集団』という。)の調査結果に基づいて求められる『被曝線量と脱毛発症率との関係』と整合しており,上記調査結果によって裏付けられている(証拠<省略>)」とし,その根拠として,次の各事実を挙げる。
ⅰ プレストンらが広島LSS集団の調査結果に基づきプレストン論文(原爆被爆者における脱毛と爆心地からの距離との関係)により報告した「爆心地からの距離と脱毛発症率との関係」(別紙11<省略>記載のグラフの実線(証拠<省略>)は,別紙17<省略>記載の赤い四角印のとおりである(証拠<省略>。以下「広島LSS集団の脱毛発症率」という。)。
ⅱ ストラムらが広島LSS集団の調査結果に基づきストラム論文により報告した「初期放射線被曝線量と脱毛発症率との関係」は,別紙14<省略>記載の黒い丸印のとおりである(証拠<省略>)。上記関係は,初期放射線による被曝線量3グレイ以下において,半発症線量2.404グレイ,標準偏差1.026グレイの正規分布の曲線(別紙14<省略>記載の波線)によって近似的に表すことができる(なお,別紙14<省略>記載の図において3グレイ以上で,黒い丸印が示す脱毛発症率が横這いになっていることは,LSS集団には,高線量被曝のため昭和25年まで生存できなかった被爆者が欠けているためと説明される。証拠<省略>)。
ⅲ ストラム論文におけるバックグラウンド発症率の差引ストラムらは,ストラム論文において,初期放射線量が到達しない遠距離(爆心地から約2.5キロメートル以遠)の地点で生じた脱毛は全てバックグラウンド(初期放射線以外の原因により生じたもの)であるとして,広島LSS集団の脱毛発症率からバックグラウンドの発症率を差し引くことにより,初期放射線量と脱毛発症率との関係を求めたと考えられる。ストラムらがバックグラウンドの発症率として差し引いた数値は,距離に応じて異なり(バックグラウンドとは,普通は,放射線以外の原因により生じたものであり,一定の数値であるが,ストラムらは,放射性降下物もバックグラウンドに入れたため,距離に応じて差し引いたバックグラウンドの発症率が異なっているものである。),近距離ほど差し引いた数値が大きく,約30~40パーセントの発症率をバックグラウンドとして差し引いた箇所もある。
ⅳ 上記ⅲ(ストラム論文におけるバックグラウンド発症率の差引)の事実を前提とすると,次のとおりいうことができる。
① 初期放射線による被曝線量と脱毛発症率との関係を表す別紙14<省略>記載の波線の被曝線量が線量ゼロから増加する時の立ち上がりが,Q正規分布①の曲線(別紙14<省略>記載の赤い曲線)に比べてかなり急激である。さらに,被曝線量がゼロのとき,近似した正規分布の値は0.96パーセントで発症率が1パーセント程度になる遠距離の脱毛発症率を解析するには不適当となる問題が起こる。ストラムの上記「初期放射線被曝線量と脱毛発症率との関係」にこのような問題が生じるのは,上記のとおり,ストラムらが放射性降下物による被曝影響をバックグラウンドとして差し引いたことによる。
② 別紙14<省略>記載の黒い丸印で表されたストラムらが求めた「初期放射線による被曝線量と脱毛発症率との関係」を,DS86を用いて「爆心地からの距離と脱毛発症率との関係」に戻すと,別紙17<省略>記載の黒いひし形印のとおりとなり,この結果と広島LSS集団の脱毛発症率との間の系統的な差は放射性降下物によるものと説明することができる(証拠<省略>)。
③ 別紙14<省略>記載の黒い丸印(「被曝線量と脱毛発症率との関係」を示すもの)については,放射性降下物による被曝線量を加えると右に移動し,バックグラウンドの発症率として差し引かれた発症率を加えて元に戻すと上方に移動する。これを実行すると,広島LSS集団の調査結果に基づいて求められる「被曝線量と脱毛発症率との関係」は,別紙18<省略>記載の黒い丸印から赤い四角印へと矢印のとおりに移動し,3グレイまではQ正規分布①の曲線に重なり,3グレイ以上でも同曲線にかなり接近する(証拠<省略>)。したがって,被曝線量と脱毛発症率との関係がQ正規分布①であることは,広島LSS集団の調査結果に基づいて求められる「被曝線量と脱毛発症率との関係」と整合しているといえる。
(b) 上記(a)の適否
しかしながら,Q正規分布①の事実が存在する旨の上記(a)のQ意見は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
Q正規分布①の事実が,広島LSS集団の調査結果に基づいて求められる「被曝線量と脱毛発症率との関係」と整合しているといえるのは,「ストラムらが,ストラム論文においてバックグラウンドの発症率(距離に応じて異なる発症率)を差し引いた(そして,近距離ほど差し引いた数値が大きく,約30~40パーセントの発症率をバックグラウンドとして差し引いた箇所もある。)」との事実(上記(a)ⅲ(ストラム論文におけるバックグラウンド発症率の差引)の事実)が存在することを前提とするものであるところ,上記事実について,Qはこれに沿う供述をする(証拠<省略>)。しかしながら,証拠<省略>によれば,ストラム論文には,バックグラウンドの定義についての記載や,バックグラウンドとして差し引いた具体的数値の記載はないことが認められるところ(証拠<省略>),仮に,Qが供述するように,「バックグラウンドとは,普通は,放射線以外の原因により生じたものであり一定の数値であるが,ストラムらは,ストラム論文においてバックグラウンドとして距離に応じて異なるバックグラウンドの発症率を差し引いた(そして,近距離ほど差し引いた数値が大きく,約30~40パーセントの発症率をバックグラウンドとして差し引いた箇所もある。)」というのであれば,ストラムらは,ストラム論文において,差し引くことになるバックグラウンドの定義につき記載した上で,差し引いたバックグラウンドの発症率の具体的数値及びその数値の根拠を記載するのが当然であって,これらを記載しないということは考えにくいところであり,Qの上記供述は不合理であること,②ストラム論文の共著者である水野は,「ストラム論文(証拠<省略>)は,LSS集団の脱毛発症率について,重度(2/3)の脱毛の人について,純粋に値をプロットしたもので,何か差引をしたものではない。」などと,バックグラウンドの発症率を差し引いたことを否定する供述をしていること(証拠<省略>)に照らせば,上記事実(上記(a)ⅲ(ストラム論文におけるバックグラウンド発症率の差引)の事実)に沿うQの供述は採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
したがって,Q正規分布①の事実は,広島LSS集団の調査結果に基づいて求められる「被曝線量と脱毛発症率との関係」と整合しているとはいえず,広島LSS集団の調査結果は,Q正規分布①の事実が存在することの根拠となるものではない。
c Q正規分布①の事実に沿うQ意見は,以上のとおり採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,Q正規分布①の事実が存在することは,認められない。
(ウ) Q正規分布②の事実の存否
a Q意見は,Q正規分布②の事実が存在するといえる根拠として,次の事実を挙げる。
於保調査における脱毛,紫斑及び下痢の発症率に照らせば,下痢の発症率は,放射性降下物による影響が重要な爆心地から1.5キロメートル以遠では,脱毛や紫斑の発症率よりかなり大きく,その一方で,初期放射線による外部被曝が主要な影響を与える近距離では,下痢の発症率は脱毛や紫斑に較べてむしろ小さいといえる。したがって,被曝線量と下痢の発症率との関係は,初期放射線被曝については脱毛に用いた正規分布の半発症線量より大きい半発症線量の正規分布の式(具体的には,脱毛の場合の1.1倍の半発症線量)を用い,放射性降下物による被曝については脱毛に用いた正規分布の式より小さい半発症線量の正規分布(具体的には,脱毛の場合の0.72倍の半発症線量)を用いなければならない(証拠<省略>)。
したがって,Q正規分布①の事実が存在することを前提とすると,被曝線量と下痢の発症率との関係は,①初期放射線被曝による発症率は,半発症線量3.026グレイ(Q正規分布①の半発症線量2.751グレイの1.1倍),標準偏差0.873グレイの正規分布の曲線によって,②放射性降下物による発症率は,半発症線量1.981グレイ(Q正規分布①の半発症線量2.751グレイの0.72倍),標準偏差0.572グレイの正規分布の曲線で表される(Q正規分布②の事実)。
b 上記aの適否しかしながら,Q正規分布②の事実が存在する旨の上記aのQ意見は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
Qは,上記aの事実に沿う供述をするが(証拠<省略>),初期放射線被曝による発症率につきQ正規分布①の半発症線量の1.1倍としたり,放射性降下物による発症率につきQ正規分布①の半発症線量の0.72倍としたりしたことにつきその数値の算出根拠が明らかでないから,上記供述はこれを直ちに採用することができない。のみならず,Q正規分布②の事実が存在する旨のQ意見は,Q正規分布①の事実が存在することを前提とするところ,前判示のとおり,Q正規分布①の事実が存在することは認められないのであるから,上記Q意見は,その前提を欠くものである。したがって,上記aのQ意見は,採用することができない。
c Q正規分布②の事実に沿うQ意見は,以上のとおり採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,Q正規分布②の事実が存在することは,認められない。
(エ) Q急性症状発症率①の事実の存否
a 証言調査を根拠とするQ意見の適否
(a) Q意見は,Q急性症状発症率①の事実が存在するといえる根拠として,次の各事実を挙げる。
ⅰ 証言調査(前記1(4)オ。証拠<省略>)
証言調査は,爆心地から同心円状の半径12キロメートルの範囲内の地域のうちの次の各地域(爆心地との位置関係は別紙8<省略>図面記載のとおり)に居住していた人のうち,現在も同じ行政区域内に居住している人を対象に,平成11年4月から平成12年3月までの間において,現在の健康状態等につき,調査票郵送や面談によって聴き取り調査を実施したものである(証拠<省略>)。
① 当時の茂木町,日見村,矢上村,式見村,三重村,深堀村,戸石村及び古賀村(未指定区域①)
② 香焼村,伊王島村,村松村子々川郷,村松村西海郷,伊木力村,大草村,喜々津村及び田結村(未指定区域②)
ⅱ 証言調査において,未指定区域①における回答者数は5857名(うち男性2307名,女性3550名),未指定区域②における回答者数は1211名(うち男性493名,女性718名)であった(証拠<省略>)。原爆投下直後にあった症状に関する質問では,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状が回答対象とされた(証拠<省略>)。
ⅲ 証言調査において,回答者が,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状として回答した症状のうち,脱毛,紫斑及び下痢の症状は,全て原爆放射線による急性症状である。
ⅳ 爆心地から5キロメートルまでの範囲内の地域における急性症状発症については,長崎医科大学の調来助らが昭和20年に行った調査(証拠<省略>)に基づき,爆心地から5ないし12キロメートルの範囲内の地域における急性症状発症については,証言調査に基づき,長崎原爆について,爆心地からの距離と原爆による急性症状発症率との関係を表すと,別紙15<省略>記載のとおりとなる。
したがって,上記ⅲの事実を前提とすると,Q急性症状発症率①の事実が存在するといえる。
(b) 上記(a)の適否しかしながら,上記aのQ意見は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
Q急性症状発症率①の事実が存在する旨のQ意見は,上記(a)ⅲの事実(「証言調査において,回答者が,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状として回答した症状のうち,脱毛,紫斑及び下痢の症状は,全て原爆放射線による急性症状である」との事実)が存在することを前提とするところ,上記事実はこれを認めるに足りる証拠がない。すなわち,①前記1(4)オの事実及び証拠<省略>によれば,証言調査の多くの回答者は,原爆投下当時は年少者であったこと,上記調査は,当時から50年以上経過した時(平成11年から平成12年までの間)に行われたものであることが認められ,原爆投下後に何らかの身体症状があったこと自体はともかく,その発症時期に関する回答内容の正確性には疑問があること,②前記1(3)のとおり,放射線による急性症状として挙げられる症状(脱毛,出血傾向(紫斑)及び下痢)は,いずれも放射線に特異的なものではなく,放射線を原因とする以外に多種多様な原因により発症するものであるところ,前記1(3)の事実によれば,未指定地域住民も,原爆投下当時の一般的な国民と同様,放射線以外で,脱毛や紫斑や下痢の原因となり得る状況にあった可能性が高いこと,③前記1(3)のとおり,放射線による急性症状として挙げられる症状(脱毛,紫斑及び下痢)は,発症経過等につき特徴を有するところ,前記1(4)のとおり,証言調査においては,被爆後6か月以内に生じた症状を回答対象としていることから,急性症状としての発症経過等に係る特徴を有していない症状まで原爆放射線による急性症状として捉えてしまう可能性が高いこと(証拠<省略>),④したがって,証言調査の回答に係る症状(脱毛,紫斑及び下痢の症状)の全てを,放射線による急性症状と考えることは不合理であること,これらに鑑みれば,証言調査の回答結果によっては,上記(a)ⅲの事実(「証言調査において,回答者が,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状として回答した症状のうち,脱毛,紫斑及び下痢の症状は,全て原爆放射線による急性症状である」との事実)を推認するに足りず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,上記(a)のQ意見は,その前提を欠くものであり,採用することができない。
b 於保調査を根拠とするQ意見の適否
(a) また,Q意見は,Q急性症状発症率①の事実が存在するといえる根拠として,次の各事実を挙げる。
ⅰ 於保調査(前記1(4)エ。証拠<省略>)
於保調査は,昭和32年1月から同年7月までの間において,広島市内の一定の地区(爆心地から2ないし7キロメートルの範囲内の地区)に住む被爆生存者3946名につき,その被爆条件,急性原爆症の有無及び程度,被爆後3か月間の行動等を各個人毎に調査し,爆心地に残留した放射能の人体への障害程度,障害期間,障害に要する時間を統計的に算出したものである。
於保調査によると,広島原爆について,爆心地からの距離と原爆による急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)の発症率との関係は,別紙19<省略>記載のとおりである。
ⅱ Q正規分布①の事実及びQ正規分布②の事実がいずれも存在することを前提とし,於保調査による急性症状の発症率を,脱毛及び紫斑についてはQ正規分布①により,下痢についてはQ正規分布②によりそれぞれ解析を行うと,上記急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)について,別紙20<省略>記載のとおり,ほとんど一致する初期放射線被曝線量と放射性降下物被曝線量が得られた。これは,遠距離における急性症状の発症原因が放射性降下物による被曝であることを示し,脱毛が被爆による精神的影響の結果であるとか,下痢が劣悪な衛生状態によるものであるなどの事実は,存しないことを示すものである。
(b) 上記(a)の適否
上記(a)のQ意見は,「於保調査により,広島原爆について,爆心地からの距離と原爆による急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)の発症率との関係が別紙19<省略>記載のとおりであるといえること」並びに「Q正規分布①の事実及びQ正規分布②の事実がいずれも存在すること」を前提とするものであるところ,前者の事実につき,それが認められるかという問題があるが(前記1(4)エの事実によれば,於保調査は,原爆投下の10年余り後に実施されたものであるところ,上記調査において急性症状であるとされた身体症状が,全て原爆放射線による急性症状として存在したといえるかという問題がある。),その点は措くとしても,前判示のとおり,後者の事実,すなわちQ正規分布①の事実及びQ正規分布②の事実が存在することは,いずれも認められないところである。したがって,上記(a)のQ意見は,その前提を欠くものであり,採用することができない。
c また,Q急性症状発症率①の事実のうち,長崎原爆における爆心地からの距離と原爆による急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)の発症率との関係(別紙15<省略>記載のとおり)に関し,「急性症状の発症率は,爆心地からの距離が同じであれば,ほとんど同じであり,爆心地からの方向の違いにより異なることはない」との事実について,Qは,上記事実が存在するといえる根拠として,「証言調査の結果では,未指定地域における急性症状発症率は,地区によって多少の平均値からのばらつきが見られるが,急性症状の発症率が脱毛,紫斑及び下痢のいずれも平均値の2分の1から2倍の範囲に収まっている」との点を挙げる(証拠<省略>)。しかしながら,原爆放射線による急性症状という症状(脱毛,紫斑及び下痢)について,未指定地域の中のある区域における発症率は,平均値(発症率の平均値)の約2分の1であるというのであるから,上記症状の発症率は,地区の違い(爆心地からの方向の違い)により相当異なるというべきであり,Qが根拠として挙げる上記の点は,上記事実(急性症状の発症率が,爆心地からの方向の違いにより異なることはなく,一様であるとの事実)を推認させる根拠となるものではなく,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
d Q急性症状発症率①の事実に沿うQ意見は,以上のとおり採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,Q急性症状発症率①の事実が存在することは,認められない。
(オ) Q被曝線量①の事実の存否について
Q被曝線量①の事実が存在する旨のQ意見は,Q正規分布①,Q正規分布②及びQ急性症状発症率①の各事実が存在することを前提とするところ(前記(ア)),上記各事実が存在することはいずれも認められないから(前記(イ)ないし(エ)),上記Q意見は,その前提を欠くものであり,採用することができない。
Q被曝線量①の事実に沿うQ意見は,以上のとおり採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,Q被曝線量①の事実が存在することは,認められない。
ウ Q被曝線量②の事実に係るQ意見の適否
(ア) Q被曝線量②の事実に係るQ意見の挙げる根拠
Q意見は,Q被曝線量①の事実が存在するといえる根拠として,次の各事実を挙げる。
a 被曝線量と脱毛及び紫斑の発症率との関係は,半発症線量2.751グレイ,標準偏差0.794グレイの正規分布(Q正規分布①)の曲線(別紙14<省略>記載の赤い曲線)で表される(証拠<省略>。Q正規分布①の事実)。
b 被曝線量と下痢の発症率との関係は,半発症線量1.298グレイ,標準偏差0.653グレイの正規分布(以下「Q正規分布③」という。)の曲線で表される(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q正規分布③の事実」という。)。
c 未指定地域における急性症状の発症率
長崎原爆について,未指定地域(未指定区域①及び未指定区域②)における原爆放射線による急性症状(脱毛,紫斑及び下痢)の発症率は,別紙21<省略>及び同22<省略>記載のとおりであり,上記急性症状の発症率は,各区域においてほとんど同じであり(一様である。),区域の違いにより(爆心地からの方向の違いにより)異なることはない(証拠<省略>。上記事実を,以下「Q急性症状発症率①の事実」という。)。
d Q正規分布①,Q正規分布③及びQ急性症状発症率②の各事実がそれぞれ存在することを前提とすると,上記急性症状発症率に基づき上記各正規分布(Q正規分布①及びQ正規分布③)を用いて被曝線量を算出することができ,その算出結果(別紙23<省略>記載のとおり)は,長崎原爆につき未指定地域における被曝線量は1.16~1.30グレイとなる(そして,未指定地域における放射性降下物による被曝線量は一様であり,未指定地域内のいずれの地点においても被曝線量は1.16~1.30グレイである。Q被曝線量②の事実)。
(イ) Q被曝線量②の事実の存否
Q被曝線量②の事実が存在することは,認められない。その理由は,次のとおりである。
a 前記イ(イ)のとおり,Q正規分布①の事実が存在することは,認められない。
b Q正規分布③の事実については,上記事実に沿うQ意見がある。しかしながら,Q正規分布③(証拠<省略>)は,その算出根拠が明らかでないが,証拠<省略>によれば,QによりQ正規分布①及び同②と同様の手法で算出されたことが認められるところ,Q正規分布①及び同②の各事実が存在することはいずれも認められないこと(前記イ(イ)及び同(ウ))に鑑みれば,上記Q意見は採用することができず,他にQ正規分布③の事実を認めるに足りる証拠はない。
c Q急性症状発症率②の事実が存在することは,認められない。その理由は,Q急性症状発症率①の事実の存否につき判示したところ(前記イ(エ))と同様である。
d Q被曝線量②の事実が存在する旨のQ意見は,Q正規分布①,Q正規分布③及びQ急性症状発症率②の各事実が存在することを前提とするところ(前記(ア)),上記各事実が存在することは,いずれも認められないから(上記aないしc),上記Q意見は,その前提を欠くものであり,採用することができない。
Q被曝線量②の事実に沿うQ意見は,以上のとおり採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
エ Q意見は採用することができないこと
以上のとおり,Q意見は,「原爆投下時及びその後,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に存在した者には,全て,健康被害を生ずる可能性のある程度の被曝があった」とし,その根拠としてQ被曝線量①及びQ被曝線量②の各事実が存在することを挙げるところ(前記ア),上記各事実が存在することはいずれも認められない(前記イ(オ)及びウ(イ))。したがって,Q意見は,合理的根拠を欠くものであり,採用することができない。
(4) R意見(原告らが援用する証拠)の適否について
ア R意見の趣旨
R意見(証拠<省略>)は,「原爆投下時及びその後,爆心地から約12キロメートルの範囲内の未指定地域に存在した者には,全て,健康被害を生ずる可能性のある程度の被曝があった」とし,その根拠として次の各事実を挙げる。
(ア) 未指定地域住民の急性症状の発症率
未指定地域住民の急性症状(原爆投下後6か月以内に生じた発熱,下痢及び脱毛)の発症率は,広島原爆において,爆心地から3ないし4キロメートルの範囲内の地域で被爆し,その後,中心地に入っていない被爆者と同等である(証拠<省略>。上記事実を,以下「R急性症状発症率の事実」という。)。
(イ) 未指定地域住民の甲状腺疾患の有病率
a 未指定地域の住民における甲状腺疾患の有病率は,全国の65歳以上の国民における甲状腺疾患の有病率の約100倍である(上記事実を,以下「R甲状腺疾患有病率の事実」という。なお,証拠<省略>に「患者調査にみる一般人口有病率(0.38パーセント)のほぼ10倍」との記載があるが,証拠<省略>に,上記0.38パーセントにつき,0.038パーセントと訂正する旨の記載があるので,これに伴い,上記の「ほぼ10倍」とあるのを「ほぼ100倍」と訂正する趣旨と解される(なお,平成23年12月5日受付の原告ら準備書面64頁には「約100倍」との記載がある。)。)。
b R甲状腺疾患有病率の事実が,「未指定地域に存在した者には,全て,健康被害を生ずる可能性のある程度の被曝があった」との事実を推認させるといえる根拠は,次のとおりである(証拠<省略>)。
(a) 甲状腺組織は,人間の成長・発達や生命維持にとって必要不可欠な甲状腺ホルモンの生成機能を有し,ヨウ素への生物学的親和性が特段に高く,人体臓器の中では放射線感受性の高い組織であるところ,人間は,放射性ヨウ素から自らを防御する仕組みを持っていない。
(b) 原爆の爆発で生じた多数の核分裂生成物の中にベータ線を放出する多量の放射性ヨウ素が含まれるところ,これらは核分裂によって生成され,大気中に浮遊し,広い範囲にわたり拡散した。
(c) 甲状腺細胞が環境中の放射性ヨウ素を取り込むと,その放射線による内部照射の影響を受けやすい。特に,若年時の被曝による甲状腺の発がんリスクの増加は,既に医学的に確立した知見となっている。放影研の成人健康調査(AHS)第7報,第8報でも有意な罹患率の増加が報告されているように,原爆被爆者では,甲状腺癌を含め,甲状腺疾患として括られた良性の疾患も明らかに発症率が高くなっている。放射線影響の指標として甲状腺疾患の発症の有無が適している。
イ R意見の適否前記アのR意見(「原爆投下時及びその後,爆心地から約12キロメートルの範囲内の未指定地域に存在した者には,全て,健康被害を生ずる可能性のある程度の被曝があった」旨の意見)は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
(ア) R急性症状発症率の事実(前記ア(ア))は認められないことR急性症状発症率の事実が存在する旨のR意見は,「証言調査において,回答者が,原爆が投下された直後から6か月間に顕れた症状として回答した症状のうち,発熱,下痢及び脱毛の症状は,全て原爆放射線による急性症状である」との事実を前提とするものであるところ(証拠<省略>),上記事実は,Q急性症状発症率①の事実につき判示したところ(前記(3)イ(エ))と同様,これを認めるに足りる証拠がない。
したがって,R急性症状発症率の事実が存在する旨の上記R意見は,その前提を欠くものであり,採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
(イ) R甲状腺疾患有病率の事実(前記ア(イ))は認められないこと
a R甲状腺疾患有病率の事実が存在する旨のR意見は,その根拠として,次の各事実を挙げる(証拠<省略>)。
(a) 証言調査において,未指定地域の住民は「現在かかっている病気」につき回答しているところ,甲状腺疾患については,同疾患に罹患していると回答した者の回答者全体に対する割合(以下「証言調査有病率」という。)は,2.5~4.5パーセントである。
(b) 厚生労働省が平成17年に行った患者調査(以下「患者調査」という。)の結果は,全国の65歳以上の者について,甲状腺障害の推計患者数の全体に対する割合(以下「患者調査患者割合」という。)は,0.038パーセントである。
(c) 証言調査有病率は,患者調査患者割合の約100倍であるから,証言調査有病率により把握される「未指定地域住民についての甲状腺疾患の有病率」は,患者調査患者割合により把握される「全国の65歳以上の者についての甲状腺疾患の有病率」の約100倍である。
b(a) そこで,R甲状腺疾患有病率の事実の存否につき検討するに,証拠<省略>によれば,次の各事実が認められる。
ⅰ 有病率とは,ある一時点において,疾病を有している人の割合をいい,次の計算式により求められる(証拠<省略>)。
有病率=(ある集団のある一時点において疾病を有する者の数)÷(ある集団の調査対象全員の数)
ⅱ 有病率は,罹患率(ある人口集団における,ある一定の観察期間における疾病の発症頻度の率(通常は新たな罹患の率))とは異なる概念である。例えば,多くの慢性疾患では,一定期間罹病の状態が続くが,有病率は,疾病が発症しても調査の時点で治癒していれば,有病者とはみなされず有病者に数えられないのに対し,発症を数える場合には,観察期間内であれば治癒していても罹患数に算入されるという相違がある。有病率は,病気の新発症を表す率ではないので,罹患率と異なり,疾病発症の要因を明らかにする指標としては,あまり有用ではない。(証拠<省略>)
(b) 上記(a)によれば,R甲状腺疾患有病率の事実に係るR意見のように,甲状腺疾患について,未指定地域住民の有病率と全国国民の有病率とを比較することにより,疾病発症の要因につき一定の事実を証明しようとする手法には,上記(a)ⅱの問題点があるというべきである。
のみならず,上記R意見が根拠とする甲状腺疾患に係る患者調査患者割合について見るに,証拠<省略>によれば,全国における上記割合は0.0386パーセントである一方,長崎県における上記割合は0.0573パーセントであり,全国における上記割合の約1.48倍であるが,原爆放射線の影響が及んでいないと考えられる岩手県及び鳥取県における上記割合は,それぞれ0.1177パーセント(全国における上記割合の約3.05倍)と0.0684パーセント(全国における上記割合の約1.77倍)であることが認められ,上記によれば,患者調査患者割合は,ある地域におけるその割合が高いからといって,直ちにその地域が原爆放射線の影響が及んでいることを示すものではないということができる。
c 上記R意見におけるこれらの問題点は,措くとしても,そもそもR甲状腺疾患有病率の事実が存在することは,認められない。その理由は,次のとおりである。
(a) 証拠<省略>によれば,次の各事実が認められる。
ⅰ 甲状腺疾患の頻度に関する疫学調査のような疫学的な研究は,性,年齢,環境因子に加えて検査法,診断基準,病気の定義によって影響を受けるものであり(証拠<省略>),一般に,検査法や診断基準を異にする疫学調査から得られた数値割合を単純に比較することは不合理である。
ⅱ 長崎市における一般健康人973例を対象として,専門外来レベルにおける検査法・診断法で甲状腺疾患の検査・診断を行うと,40歳以上の健康成人の17パーセントが何らかの甲状腺疾患を有していることが明らかとなった(証拠<省略>)。
甲状腺疾患の頻度は高く,6~10人に1人はいるといわれている。一般外来を受診する患者のなかにも,上記疫学調査で得られた結果と変わらないほどの高頻度で甲状腺疾患が存在する(甲状腺疾患があるということで紹介された患者や甲状腺疾患を心配して受診した患者は除外する方法で調査したところ,甲状腺疾患は13パーセントと高頻度に存在するという調査結果であった。上記頻度については,もし全例で一定の検査(TSH値の測定検査)をすればもっと高頻度に甲状腺機能異常例が発見された可能性があるとされている。証拠<省略>)。
ⅲ 患者調査は,医療施設を利用する患者について,その傷病状況等の実態を明らかにし,医療行政の基礎資料を得ることを目的とするものであり,特定の疾病の罹患率や有病率の調査を目的とするものではない(証拠<省略>)。患者調査においては,病院は主に治療する病気を1つだけ報告するものとされている(証拠<省略>)。したがって,患者調査患者割合に基づき有病率を把握することは不合理である。
ⅳ 一般に,有病率の調査をするに当たって,調査時点までになされていた診断に基づき各地域ごとの甲状腺疾患の有病率を算出する場合,その有病率は,甲状腺疾患の捕捉率(「甲状腺疾患の診断を受けていた者」の「同疾患に罹患している者(全体)」に対する割合)に左右されるところ,上記捕捉率は,各地域の人が,どの程度,甲状腺疾患につき医療機関を受診することに関心を有し,現に受診機会を得ていたかという要因によって左右される。
(b) R甲状腺疾患有病率の事実の存否につき検討するに,証言調査の結果と患者調査の結果に基づき,未指定地域住民の甲状腺疾患有病率と全国国民(65歳以上)の甲状腺疾患有病率とを比較し,その比率を合理的に算出するためには,その前提として,証言調査における甲状腺疾患の捕捉率と患者調査における甲状腺疾患の捕捉率とが同一であることを要するというべきところ,上記各捕捉率が同一であることは,これを認めるに足りる証拠がない。かえって,上記(a)の事実によれば,証言調査における甲状腺疾患の捕捉率と患者調査における甲状腺疾患の捕捉率とは相当異なることが認められる(この点は,前判示のとおり,患者調査がそもそも特定の疾患の有病率を調査することを目的としておらず,病院は主に治療する病気を1つだけ報告するのであるから,当然である。また,Rは「患者調査の数字が非常に低めではないかという意見もございます。」旨供述している(証拠<省略>)。)。
したがって,R甲状腺疾患有病率の事実が存在する旨のR意見は,その合理性を認めるために必要な前提を欠くものであり,採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
(ウ) R意見は採用することができないこと
以上のとおり,前記アのR意見は,その根拠として,R急性症状発症率及びR甲状腺疾患有病率の各事実が存在することを挙げるところ,上記各事実が存在することはいずれも認められない(前記(ア)及び(イ))。したがって,上記R意見は,合理的根拠を欠くものであり,採用することができない。
(5) S意見(原告らが援用する証拠)の適否について
ア S意見の趣旨
S意見(証拠<省略>)は,「原爆投下直後,爆心地を中心とする半径約30キロメートルの範囲内に原子雲が形成され,その内,半径10キロメートル余りの範囲内の全ての地域に,原子雲の下に存在した放射性降下物が一様に降った。それは,上記地域に存在する者につき,原爆放射線により健康被害を生ずる可能性があるといえる程度のものであった」とする。
イ S意見の適否
前記アのS意見は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
(ア) S意見のうち,原子雲が形成された範囲が「半径約30キロメートルの範囲内」であるとの事実は,これに沿うS意見(証拠<省略>)があるが,これを直ちに採用することはできず(S意見が根拠として挙げる証拠<省略>の記載(別紙24<省略>,同25<省略>記載)の原子雲のスケッチについて,原子雲の形成された範囲が半径約30キロメートルの範囲であると認めることはできない。なお,証拠<省略>には,「40分後には南北それぞれ20キロメートルまで広がる。」とのQの供述記載があり,S意見とは異なる。),他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。
(イ) S意見のうち,「爆心地を中心とする半径10キロメートル余りの範囲内の全ての地域に原子雲の下から放射性降下物が降った」ことにつき,一様に降ったものであるとする部分は,採用することができない。その理由は,次のとおりである。
a Sは,上記範囲内における放射性降下物の降り方について,均一ではなかったとも供述しており(証拠<省略>),S意見の上記部分は,上記供述と整合しない。
b ①長崎県は,原爆投下当時,秒速3メートルの南西風が吹いており,以後数時間にわたって秒速約3~7メートの南西風が吹いていたこと(前記1(1)イ),②一般にル,対流圏(地上から高さ10~16キロメートルまでの大気の層である。)は,対流が活発であるから(対流が起こりにくい成層圏とは異なる。証拠<省略>),原子雲の下には放射性降下物があり,それが降下するとしても,原子雲の範囲内に一様に降り注ぐことは考えられないこと,③チェルノブイリ原子力発電所事故における放射性降下物による汚染状況は,事故後に吹いていた風の影響により,同心円とは全く異なるものとなっていること(証拠<省略>)に鑑みれば,放射性降下物の降り方が一様であった旨の上記S意見は不合理である。
(ウ) S意見のうち,「原爆投下直後に形成された原子雲の下に存在した放射性降下物が降った」ことに関し,「爆心地から半径10キロメートル余りの範囲内の地域に存在する者につき,原爆放射線により健康被害を生ずる可能性があるといえる程度のものであった」とする部分は,その具体的根拠が明らかでないから,採用することができない。
(6) 本件申請者らの急性症状に係る原告らの主張について
ア 原告らは,本件申請者らにつき「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」旨主張し,その根拠として「本件申請者らには,原爆投下後,原爆の放射線による急性症状があった」との事実を挙げ,陳述書等の書面(証拠<省略>)には,「原爆投下後,下痢,吐き気,出血傾向,脱毛等の身体症状(の全部又は一部)があった。」旨の本件申請者らの供述の記載があり,本件申請者らの一部の者は原告本人尋問において上記と同旨の供述をする。
イ しかしながら,本件申請者らの上記各供述によっては,「本件申請者らには,原爆投下後,原爆の放射線による急性症状があった」との事実を認めることはできず(その理由は,次の(ア)ないし(オ)のとおりである。),他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,原告らの前記アの主張は,採用することができない。
(ア) 症状に係る供述につき記憶の混乱・変容の生ずるおそれの有無
上記各供述は,本件申請者らが原爆投下時から50年以上経過した時に行ったものであること,本件申請者らは,原爆により被曝したと主張し被爆者健康手帳の交付を求めているものであるから,原爆放射線による急性症状があったと認められることにより被爆者健康手帳の交付を受けられるかもしれないという意識を有している可能性が少なからず存することに鑑みれば,本件申請者らの上記各供述の内容については,記憶の混乱や変容が生ずるおそれが低いとはいえない。したがって,上記各供述のそのまま全てを直ちに採用することはできない(仮に,上記各供述内容の一部につき認めることができるとしても,後記(オ)のとおりである。)。
(イ) 放射線による急性症状としての特徴の有無
前記1(3)の事実によれば,放射線による急性症状として挙げられる症状(下痢,脱毛及び出血傾向)は,症状の発症経過に前記のとおりの特徴(放射線による急性症状としての特徴)を有することが認められるところ,本件申請者らが供述する「原爆投下後にあった身体症状」は,上記特徴に合致しているとはいえない(合致していない,又は,合致しているか否かが明らかでない。)。
(ウ) 上記各供述に係る症状の原因が原爆放射線であることを肯定する方向に働く被爆状況があったか
前判示の事実によれば,本件申請者らは,①「原爆が投下された際,爆心地から約5キロメートルまでの範囲内の地域に存在した者」及び②「原爆が投下された時から2週間以内に爆心地から約2キロメートルまでの範囲内の地域に存在した者」(上記①又は②に該当する者は,原爆医療法及び被爆者援護法が制定された当時,被爆者の定義に係る規定(原爆医療法2条,被爆者援護法1条)を定めるに当たって,概ね「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」といえるとの科学的知見があるとして考慮されたものである。)のいずれにも該当しないことが認められる。また,後記(7)のとおり,本件申請者らにつき,「原爆が投下された時から間もない時期に,被爆者の救護・看護をした者であって,その場所の状況,救護・看護に従事した時間や従事内容等の具体的事情に照らし,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったもの」に該当するということはできない。そして,本件申請者らは,原爆投下時及びその後,本件地域に存在した者であるが,「原爆投下時及びその後,本件地域に存在したということは,その者につき原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあったことを推認させるものである」旨の原告らが援用する各意見(Q意見,R意見及びS意見)はいずれも採用することができないことは,前判示のとおりである。したがって,本件申請者らについては,上記各供述に係る症状の原因が原爆放射線であることを肯定する方向に働く被爆状況があったことは,認められない。
(エ) 他原因の存在する可能性の有無・程度
前記1(3)のとおり,放射線による急性症状として挙げられる症状(下痢,脱毛及び出血傾向)は,いずれも放射線に特異的なものではなく,放射線を原因とする以外に多種多様な原因により発症するものであるところ,前記1(3)の事実によれば,本件申請者らも,原爆投下当時の国民の一般的な状況と同様,放射線以外で,下痢や脱毛や出血傾向の原因となり得る状況にあった可能性が高いことが認められる。
(オ) 上記(イ)ないし(エ)の各事実に鑑みれば,仮に,本件申請者らの上記各供述内容の一部につき認められる事実があるとしても,その事実によっては,「本件申請者らには,原爆投下後,原爆の放射線による急性症状があった」との事実を推認するに足りないというべきである。
(7) 被爆者の救護・看護に係る事実
なお,前記第6の1(6)の事実によれば,広島市,長崎市及び長崎県は,被爆者健康手帳の交付申請があった場合に市長(又は県知事)において許否の判断をするに当たって,原爆が投下された時から2週間以内に被爆者の救護・看護等をした者のうち一定の要件を充たすものにつき被爆者援護法1条3号に該当するものとするなどの審査基準に基づく運用を行っていること(また,同(6)エの広島地裁判決は,広島への原爆投下に関し,「原爆投下から間もない時期(一応の目安として,原爆投下時から2週間以内)に,広島市内で被爆して負傷した者が多く集合していた環境の中に,相応の時間とどまったという事実が肯定できる者」につき,被爆者援護法1条3号に該当する旨判示している。)が認められるところ,本件申請者らの一部の者は,原告本人尋問において,又は,陳述書等に記載する方法で,被爆者を救護・看護した旨供述している。
そこで,上記の被爆者を救護・看護した旨供述している者(本件申請者らの一部の者)につき,救護・看護したことに基づき被爆者援護法1条3号に該当することが認められるか否かが問題となるが,原告らは,平成23年6月13日の本件口頭弁論期日において,「本件申請者らの一部の者が,被爆者を救護・看護した」との事実は,上記救護・看護をした当該申請者につき,被爆者援護法1条3号にいう『身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者』であることを根拠付ける事実として,主張しない」旨述べている(なお,本件訴訟において,被告らは,「本件申請者らは,いずれも上記『身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者』に該当しない」旨主張している。)。したがって,本件訴訟においては,「本件申請者らの一部の者が,被爆者を救護・看護した」との事実は,上記救護・看護をした当該申請者につき,上記「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することを根拠付ける事実として認めることはできない。
(8) 結論
以上のとおり,本件申請者らにつき「原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった」との事実に沿う前記(2)ないし(6)の原告らの主張及び証拠はいずれも採用することができず,他に上記事実を認めるに足りる証拠はない。したがって,本件申請者らにつき,被爆者援護法1条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当すると認めることはできない。
3 長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1及び本件2の各請求)
(1) 長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1(1)及び本件2(1)の各請求)
申請者原告ら(本件申請者らのうち本件被相続人ら以外の者)につき被爆者援護法1条1号又は同条2号に該当する旨の主張は存しないところ,前記2のとおり,申請者原告らにつき同条3号にいう「原子爆弾が投下された際又はその後において,身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当する旨の原告らの主張は,認められない。以上のとおり,申請者原告らにつき同条各号のいずれかに該当すると認めることができないのであるから,長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下した処分に,違法はない。
したがって,申請者原告らが被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める請求(本件1(1)及び本件2(1)の各請求)は,いずれも理由がないから,これを棄却することとする(主文第6項後段,同第7項後段)。
(2) 長崎市長及び長崎県知事が本件被相続人らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは違法であるか(本件1(2)及び本件2(2)の各請求)
本件1(2)及び本件2(2)の各請求(本件被相続人らの被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消請求)に係る訴訟は,前判示のとおり,本件被相続人らの死亡により終了した。したがって,上記争点については判断を要しない。
第8争点(8)(本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴えの適法性)について
本件手帳交付義務付け請求に係る訴えは,長崎市長及び長崎県知事が,申請者原告ら(本件申請者らのうち本件被相続人ら以外の者)がした被爆者健康手帳の交付申請を認めて被爆者健康手帳を交付すべきであるにもかかわらず,これを却下したと申請者原告らが主張して提起したものであるから,行政事件訴訟法3条6項2号が定める義務付けの訴えに該当する。
ところで,同号が定める義務付けの訴えの要件は,同法37条の3第1項が定めているが,これを本件に即していえば,被爆者健康手帳の交付申請を却下する処分が取り消されるべきものであるとき(同項2号)に,申請者原告らは,同法3条6項2号に定める義務付けの訴えを提起することができる。
しかし,本件においては,申請者原告らの被爆者健康手帳の各交付申請に対してはこれを却下する処分がされており,かつ,上記各手帳交付申請却下処分が取り消されるべきものであるといえないことは前判示のとおりである。
したがって,申請者原告らが提起した本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴えは,いずれも訴訟要件を欠き不適法であるから,これを却下することとする(主文第6項前段,同第7項前段)。
第9争点(9)(長崎市長及び長崎県知事が本件申請者らの健康管理手当の支給認定申請を却下したことは違法であるか(本件7及び本件8の各請求))について
1 長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの健康管理手当の支給認定申請を却下したことは違法であるか(本件7(1)及び本件8(1)の各請求)
被爆者援護法27条1項(49条)は,都道府県知事等は,被爆者であって,造血機能障害等を伴う疾病(原爆の放射能の影響によるものでないことが明らかであるものを除く。)にかかっている者(ただし,一定の手当の支給を受けている者を除く。)に対し,健康管理手当を支給する旨定め,同手当の支給要件を規定するところ,同項にいう「被爆者」とは,同法1条各号のいずれかに該当する者であって,被爆者健康手帳の交付を受けたものをいう(同法1条)。
申請者原告ら(本件申請者らのうち本件被相続人ら以外の者)がした健康管理手当の支給認定の申請について,上記支給要件に該当するかを見るに,前記争いのない事実等(2)のとおり,申請者原告らは,いずれも被爆者健康手帳の交付を受けていないのであるから,同法27条1項にいう「被爆者」に該当せず,健康管理手当の支給要件を欠くことが明らかである。したがって,長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの健康管理手当の支給認定申請を却下した処分に,違法はない。
以上によれば,申請者原告らが上記却下処分の取消しを求める請求(本件7(1)及び本件8(1)の各請求)は,いずれも理由がないから,これを棄却することとする(主文第6項後段,同第7項後段)。
2 長崎市長及び長崎県知事が本件被相続人らの健康管理手当の支給認定申請を却下したことは違法であるか(本件7(2)及び本件8(2)の各請求)
本件7(2)及び本件8(2)の各請求(本件被相続人らの健康管理手当支給認定申請却下処分の取消請求)に係る訴訟は,前判示のとおり,本件被相続人らの死亡により終了した。したがって,上記争点については判断を要しない。
第10争点(10)(被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったことは国家賠償法上違法であるか。長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは国家賠償法上違法であるか。損害額(本件11の請求))について
1 被告国が政令において本件各被爆地点を被爆者援護法1条1号にいう「隣接する区域」として定めなかったことは国家賠償法上違法であるか
(1) 被爆者援護法1条1号が「隣接する区域」の定めを政令に委任した趣旨
前記第6の1(1)ないし(5)の各事実,前記第6の2の事実及び前記第7の2(2)の事実によれば,(ア)被爆者援護法等の趣旨は,原爆投下の結果として生じた放射能に起因する健康被害が他の戦争被害とは異なる特殊の被害であること(被爆による健康障害の特異性と重大性)に鑑み,原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった者に対し,保健,医療及び福祉にわたる総合的な援護対策を講じることにあること,(イ)これに基づき,被爆者援護法1条3号は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」を定めているところ,同条1号及び2号は,「身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった者」に該当することの立証を可能な限り容易にするため,原爆医療法及び被爆者援護法が制定された当時,存在した科学的知見,すなわち「①原爆が投下された際,爆心地から約5キロメートルの範囲内の地域に存在した者,②原爆が投下された時から2週間以内に爆心地から約2キロメートルの範囲内の地域に存在した者は,概ね『身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった』といえる(上記時期に上記地域に存在しなかった者は,上記時期に一定の場所に存在したことにより直ちに上記事情の下にあったということはできない)」との科学的知見に基づき,原爆投下時に存在した場所,原爆投下後一定期間内に存在した場所を定めた規定であることが認められる。
そして,上記1号が「隣接する区域」を定めることを政令に委任した趣旨は,「隣接する区域」は,「原爆が投下された際,爆心地から一定距離の範囲内に存在した者は,概ね『身体に原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった』といえる」との科学的知見に基づき定められるべきところ(上記の爆心地からの「一定距離」については,原爆医療法及び被爆者援護法が制定された時点における科学的知見としては約5キロメートルであった。),最新の科学的知見に基づき「隣接する区域」を定めるという見地から,その定めを政令に委任することとしたものと解すべきである。
(2)ア 原告らは,①被告国が,平成7年2月17日,被爆者援護法1条1号の委任に基づき,同号の「隣接する区域」を政令(被爆者援護法施行令1条1項)により定めるに当たって,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかったこと,そして,②被告国がその後も,申請者原告らに対する被爆者健康手帳交付申請却下処分がなされる頃までの間,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかったことは,上記1号が「隣接する区域」の定めを政令に委任した趣旨に反し,いずれも国家賠償法上違法である旨主張するので,以下検討する。
イ(ア) 原告らは,被爆者援護法1条1号の規定は,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域を「隣接する区域」として定めることを政令に委任したものである旨主張し,その根拠として,「同法制定当時,『原爆が投下された際,爆心地から12キロメートルの範囲内の地域に存在していた者が身体に原爆の放射能の影響を受けるような事情の下にあった』ことが立法機関により認められた」との事実を挙げる。
(イ) しかしながら,前記第7の2(2)に判示したとおり,原告らが根拠として挙げる上記事実は認められない。かえって,被爆者援護法(及び原爆医療法)が制定された当時,立法機関により考慮された科学的知見及び当時の長崎市が被爆者援護法1条1号において同号の区域として定められた趣旨は,上記判示のとおりであることが認められる。したがって,原告らの上記(ア)の主張は,採用することができない。
ウ 被爆者援護法施行令制定当時及び現時点の科学的知見「原爆が投下された際,本件各被爆地点(爆心地から7.5キロメートル以上離れた場所にあるもの)に存在した者は,『原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった』といえる」との事実は,認めるに足りる証拠がない(原告ら援用に係るQ意見,R意見及びS意見が採用できないことは,前判示のとおりである。)。
そして,前判示の事実によれば,被爆者援護法施行令が定められた平成7年2月17日当時及び現時点において,被爆者援護法1条1号に係る科学的知見は,「原爆が投下された際,爆心地から約5キロメートルまでの範囲内の地域に存在した者は,概ね『原爆の放射線により健康被害を生ずる可能性がある事情の下にあった』といえる(原爆投下の際に上記地域に存在しなかった者は,原爆投下の際に一定の場所に存在したことにより直ちに上記事情の下にあったということはできない)」というものであることが認められる。
そうすると,【判示事項3】①被告国が,平成7年2月17日,被爆者援護法1条1号の委任に基づき,同号の「隣接する区域」を政令(被爆者援護法施行令1条1項)により定めるに当たって,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかったこと,そして,②被告国がその後も,申請者原告らに対する被爆者健康手帳交付申請却下処分がなされる頃までの間,本件各被爆地点を上記「隣接する区域」として定めなかったことは,上記1号が「隣接する区域」の定めを政令に委任した前記(1)の趣旨に照らし,合理性を欠くといえないことが明らかである。したがって,被告国が上記のとおり本件各被爆地点を「隣接する区域」として定めなかったことは,いずれも国家賠償法上違法でないというべきであり,原告らの前記アの主張は,採用することができない。
2 長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下したことは国家賠償法上違法であるか
申請者原告らは,長崎市長及び長崎県知事が申請者原告ら(本件申請者らのうち本件被相続人ら以外の者)の被爆者健康手帳交付申請を却下した処分は違法である」などと主張して,国家賠償法1条1項に基づき,損害賠償を請求するが(本件国家賠償請求),前判示のとおり,長崎市長及び長崎県知事が申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請を却下した処分に,違法はないから,申請者原告らの上記主張は,採用することができない。
3 以上によれば,申請者原告らの本件国家賠償請求(本件11(1)及び本件11(2)の各請求)は,いずれも理由がないから,これを棄却することとする(主文第6項後段,同第7項後段)。
第11結論
以上のとおり,①原告らの本件政令制定義務存在確認請求及び本件政令制定不作為違法確認請求に係る各訴え(本件3の請求及び本件4の請求に係る各訴え)は,いずれも不適法であるから,これを却下することとし(主文第1項),②相続人原告らの本件被爆者地位確認請求(本件5(2)及び本件6(2)の各請求)に係る訴えは,いずれも不適法であるから,これを却下することとし(主文第2項),③原告らの本件手当支払請求(本件9及び本件10の各請求)に係る訴えは,いずれも不適法であるから,これを却下することとし(主文第3項),④本件申請者らの本件手帳交付申請却下処分取消請求及び本件支給認定申請却下処分取消請求に係る各訴訟のうち本件被相続人らの請求に係るもの(本件1(2)の請求,本件2(2)の請求,本件7(2)の請求及び本件8(2)の請求に係る各訴訟)は,いずれも本件被相続人らの死亡により終了したから,訴訟終了宣言をすることとし(主文第4項,同第5項),⑤申請者原告らの本件手帳交付義務付け請求(本件5(1)及び本件6(1)の各請求)に係る訴えは,いずれも不適法であるから,これを却下することとし(主文第6項前段,同第7項前段),⑥申請者原告らの被爆者健康手帳交付申請却下処分の取消しを求める請求(本件1(1)及び本件2(1)の各請求),健康管理手当支給認定申請却下処分の取消しを求める請求(本件7(1)及び本件8(1)の各請求)並びに本件国家賠償請求(本件11(1)及び本件11(2)の各請求)は,いずれも理由がないから,これを棄却することとし(主文第6項後段,同第7項後段),主文のとおり判決する。
(裁判官 井田宏 裁判官 葛西功洋 裁判官 湯川亮)