長崎地方裁判所 平成21年(行ウ)7号 判決 2010年10月26日
原告
X
同訴訟代理人弁護士
原章夫
同
佐野竜之
同
田中亮
同
川島陽介
同訴訟復代理人弁護士
井出理恵
同
小原亮
被告
国
同代表者法務大臣
A
処分行政庁
諫早労働基準監督署長
同指定代理人
B他11人
主文
1 諫早労働基準監督署長が,原告に対して平成17年11月29日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 諫早労働基準監督署長が,原告に対して平成17年12月15日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分(ただし,平成15年12月8日以前の休業補償給付を支給しないとした部分を除く。)を取り消す。
3 原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は被告の負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 諫早労働基準監督署長が,原告に対して平成17年11月29日付け及び同年12月15日付けでした労働者災害補償保険法に基づく休業補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第2事案の概要
本件は,a販売株式会社(以下「本件会社」という。)に勤務していた原告が,上司とのトラブル,事実上の降格・左遷,ノルマの不達成,勤務・拘束時間の長時間化等の心理的負荷によりうつ病を発症・増悪し,自殺を図り,以後,うつ病により就業できなかったことが業務に起因するものであるとして,諫早労働基準監督署長に対し,平成16年11月18日及び平成17年12月9日,それぞれ労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付の支給を請求したが,平成17年11月29日付け及び同年12月15日付けでそれぞれ同署長から休業補償給付を支給しない旨の各処分(以下,これらの処分を併せて「本件各処分」という。)を受けたことから,その取消しを求めた事案である。
1 前提となる事実
(1) 当事者等
ア 原告は,昭和22年○月○日生まれの男性であり,主な職歴は次のとおりである。
① 昭和40年2月22日にa1商会に入社
② 昭和46年4月21日からはa1販売株式会社(上記a1商会及びa1販売株式会社は,後の商号変更により「a販売株式会社」(現在の本件会社の商号)となるが,商号変更前の会社についても「本件会社」ということがある。)島原営業所
③ 昭和50年1月16日からは同社サービス部品部長崎地区サービス課
④ 昭和53年1月6日からは同部長崎地区部品課主任
⑤ 昭和54年4月2日からは同課係長
⑥ 昭和59年4月2日からは同社部品用品部長崎部品用品課課長代理
⑦ 平成2年4月1日からは同社営業本部部品用品部h部品センター課長
⑧ 平成6年4月1日からは同部次長心得兼h部品センター所長
⑨ 平成10年4月1日からは同部次長兼h部品センター所長
原告は,平成13年1月にC(以下「C部長」という。)が部品用品部の部長となるまで,同部の事実上の責任者の地位にあったが,平成13年9月1日からは本件会社部品営業部多良見営業課外販担当に配置転換となり,平成14年1月7日には同社の役職定年制内規により役職定年となった。
原告は,平成15年1月1日からは本件会社営業本部島原店部品担当として勤務することになったが,同月13日,自宅において,ハサミを自己の胸部に突き刺して自殺未遂を図った。
原告は,平成16年10月15日付けで本件会社を退職した。(以上につき,争いのない事実及び<証拠省略>)
なお,役職定年とは,満55歳の誕生日をもって,主任以上の役職者につき役職を除去し,一般社員と同一扱いとするものの,呼称は従来通りとするという制度であり,本件会社の役職定年制内規に定められた制度である(<証拠省略>)。
イ 本件会社は,自動車,原動機付自転車,軽車両及びこれらに係る部品用品,鉱油の販売,整備等を主たる事業目的とする会社である(<証拠省略>)。
なお,本件会社は,平成12年6月1日にa1株式会社とb株式会社が合併(以下「本件合併」という。)すると同時に「a販売株式会社」に商号変更がされた(<証拠省略>)。
C部長は,昭和23年○月○日生まれであり,b株式会社に勤務していたが,本件合併後の平成13年1月から本件会社h部品センターに部品用品部の部長として勤務することとなり,原告の上司となった(争いのない事実及び<証拠省略>)。
(2) 本件会社の所定労働時間(<証拠省略>)
本件会社の就業規則等によると,本件会社の所定労働時間等は,概要,次のとおりである。
ア 所定始業時刻 午前9時
イ 所定終了時刻 午後5時30分
ウ 所定休憩時間 正午から午後1時まで
時間外就業中は,午後5時30分から午後5時45分まで,以降2時間ごとに15分とする。
エ 所定就業時間 1日8時間30分
オ 所定労働時間 同7時間30分
カ 所定休日 労使協議による年間カレンダーに定める。なお,平成14年の年間休日は109日であった。
(3) 原告の自殺未遂
原告は,平成15年1月13日に自殺を図り,c医療センターに救急搬送され,同センターで外科的処置を受けた後,同月15日から同年6月13日までの間,同センター精神科に入院した。同センター精神科のD医師(以下「D医師」という。)は,原告をうつ病であると診断した(前記認定の事実及び<証拠省略>)。
(4) 行政通達による業務起因性の認定基準
ア 厚生労働省(以下,中央省庁等改革基本法等の実施に伴う厚生労働省設置法施行以前の労働省を含む。)では,業務によるストレスを原因として精神障害を発病し,あるいは自殺したとして労災保険給付請求(以下「労災請求」という。)が行われる事案が増加していたことから,「精神障害等の労災認定に係る専門検討会」(以下「専門検討会」という。)を設置し,精神医学,心理学,法律学の研究者に対し,精神障害等の労災認定について専門的見地からの検討を依頼した。
そして,平成11年7月29日に取りまとめられた「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」(<証拠省略>。以下「専門検討会報告書」という。)を踏まえ,平成11年9月14日付けで厚生労働省労働基準局長通達により「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(基発第544号。<証拠省略>。以下「判断指針」という。)が策定された。
なお,判断指針は,平成21年4月6日付け厚生労働省労働基準局長通達(基発0406001号)により一部改正された(<証拠省略>)。
イ 判断指針の概要は,次のとおりである。
(ア) 基本的な考え方について
労災請求事案の処理に当たっては,まず,精神障害の発病の有無等を明らかにした上で,業務による心理的負荷,業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し,それらと当該労働者に発病した精神障害との関連性について総合的に判断する必要がある。
(イ) 対象疾病について
判断指針で対象とする疾病は,原則として,世界保健機構(WHO)の定める国際疾病分類第10回修正(以下「ICD-10」という。)第Ⅴ章「精神および行動の障害」に分類される精神障害とする。
(ウ) 判断要件について
次のa,b及びcの要件のいずれをも満たす精神障害は,労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する疾病として取り扱う。
a 対象疾病に該当する精神障害を発病していること
b 対象疾病の発病前おおむね6か月の間に,客観的に当該精神障害を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められること
c 業務以外の心理的負荷及び個体側要因により当該精神障害を発病したとは認められないこと
(エ) 判断要件の運用
労災請求事案の業務上外の判断は,まず,後記aにより精神障害の発病の有無等を明らかにし,次に後記bからdまでの事項について検討を加えた上で,後記eに基づき行う。
a 精神障害の判断等
精神障害の発病の有無,発病時期及び疾患名の判断に当たっては,ICD-10作成の専門家チームによる「臨床記述と診断ガイドライン」に基づき,治療経過等の関係資料,関係者からの聴取内容,産業医の意見,業務の実態を示す資料,その他の情報から得られた事実関係により行う。
対象疾病のうち主として業務に関連して発病する可能性のある精神障害は,ICD-10のF0からF4に分類される精神障害である。
b 業務による心理的負荷の強度の評価
① 出来事の心理的負荷の評価
精神障害発病前おおむね6か月の間に,当該精神障害の発病に関与したと考えられる業務による出来事について,別表1(平成21年4月6日付け通達により改正されたものは別表1’である。)(1)により,平均的な心理的負荷の強度をⅠ(日常的に経験する心理的負荷で一般的に問題とならない程度の心理的負荷),Ⅱ(Ⅰ及びⅢの中間に位置する心理的負荷)及びⅢ(人生の中でまれに経験することもある強い心理的負荷)のいずれかに評価する。
次に,別表1(2)により,その強度を修正する必要はないかを検討する。
② 出来事に伴う変化等による心理的負荷の評価
出来事に伴う変化等について,別表1(3)の各項目に基づき,それがその後どの程度持続,拡大あるいは改善したかについて検討し,心理的負荷の評価に当たり考慮すべき点があるか否かを検討する。
③ 業務による心理的負荷の強度の総合評価
原則として,以上の手順により評価した心理的負荷の強度の総合評価として,①別表1(2)による修正を加えた心理的負荷の強度がⅢと評価され,かつ,別表1(3)による評価が「相当程度過重」(別表1(3)の各々の項目に基づき,多方面から検討して,同種の労働者と比較して業務内容が困難で,業務量も過大である等が認められる状態)であると認められるとき,又は②別表1(2)により修正された心理的負荷の強度がⅡと評価され,かつ,別表1(3)による評価が「特に過重」(別表1(3)の各々の項目に基づき,多方面から検討して,同種の労働者と比較して業務内容が困難であり,恒常的な長時間労働が認められ,かつ,過大な責任の発生,支援・協力の欠如等特に困難な状況が認められる状態)であると認められるときには,別表1の総合評価が「強」として,客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷と認めることとする。
c 業務以外の心理的負荷の強度の評価
発病前おおむね6か月の間に起きた客観的に一定の心理的負荷を引き起こすと考えられる出来事について,別表2(平成21年4月6日付け通達により改正されたものは別表2’である。)により評価する。
d 個体側要因の検討
精神障害の既往歴,生活史(社会適応状況),アルコール等依存状況,性格傾向に個体側要因として考慮すべき点が認められれば,それが客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度のものであるか否かについて検討する。
e 業務上外の判断に当たっての考え方
上記bないしdの事項と当該精神障害の発病との関係は,業務による心理的負荷の強度が「強」と認められる場合,一般的には,業務以外の心理的負荷や個体側要因が精神障害発病の有力な原因となったと認められる状況がある場合を除き,業務起因性が認められる。
(5) 本件各処分を受けるに至った経緯等
ア 原告は,平成16年11月18日,諫早労働基準監督署長に対し,原告のうつ病の発病は原告が従事していた業務上の事由によるとして,平成15年1月13日から同年6月13日までの期間につき休業補償給付の支給請求を行ったが,同署長は,本件うつ病の発病前に従事した業務内容等には,客観的にみて「うつ病」を発病させるおそれのある強い心理的負荷は認められず,業務上の事由により「うつ病」を発病したものとは認められない,したがって,自殺未遂についても業務上の事由によるものとは認められないとして,平成17年11月29日付けで休業補償給付を支給しない旨の処分をした(争いのない事実及び<証拠省略>)。
イ 原告は,平成17年12月9日,諫早労働基準監督署長に対し,前記アと同一の理由により,平成15年6月14日から平成17年10月31日までの期間につき休業補償給付の支給請求を行ったが,同署長は,本件精神障害(うつ病)は業務上の事由によるものとは認められず,また,平成15年6月14日から同年12月8日までの期間に係る休業補償給付については時効により請求権が消滅しているとして,平成17年12月15日付けで休業補償給付を支給しない旨の処分をした(争いのない事実及び<証拠省略>)。
ウ 原告は,本件各処分を不服として,長崎労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが,同審査官は,平成20年1月30日付けで,これを棄却する旨の決定をした(以下「本件決定」という。<証拠省略>)。
エ 原告は,本件決定を不服として,労働保険審査会に対して再審査請求をしたが,同審査会は,平成20年12月24日付けで,これを棄却する旨の裁決をした(<証拠省略>)。
オ 原告は,平成21年6月23日,本件各処分の取消しを求め,本件訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実)。
2 争点及びこれに関する当事者の主張
本件の争点は,原告の精神障害の発病・増悪が業務に起因するものと認められるか否か(業務起因性の有無)であり,これに関する当事者の主張は以下のとおりである。
(原告の主張)
(1) 業務起因性の判断基準
精神障害の発病の業務起因性は,当該業務と疾病との間に,社会通念上,業務に内在又は随伴する危険の現実化として精神障害が発病したと法的に評価されること,すなわち,相当因果関係があれば業務起因性があると認定されるべきである。
(2) うつ病の発病時期及び心理的的負荷の評価期間
ア 本件各処分は,原告のうつ病が平成14年6月下旬に発病したことを前提としており,そのような認定の根拠として,長崎労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会(以下「専門部会」という。)の回答を揚げるのみである。
しかし,専門部会の意見書(<証拠省略>)を見ると,原告の妻であるE(以下「妻」という。)の「燃え尽きた感じで,日中ゴロゴロしている」という申述に基づき発病時期を認定しているが,このような印象的な記載のみを根拠とするのは,発病時期の認定理由としてあまりにも脆弱であるし,「日中ゴロゴロ」していた時期は平成14年6月末ではなく,同年の夏ころのことであるから,これをうつ病の発病時期を同年6月下旬と認定する根拠とすることはできない。
そして,ICD-10の診断基準に当てはめてみると,平成14年6月下旬には,抑うつ気分と活力減退が認められるだけで,いまだうつ病エピソードとは診断することはできず,うつ病エピソードとして診断が可能となるのは,意欲・興味の低下及び入眠困難という症状が現れた同年の夏ころであるが,その時点では軽症うつ病エピソードである。平成15年1月には,自信喪失,自責感,希死念慮及び思考力低下という症状が現れ,うつ病が重症化したのである。
イ 本件各処分は,原告のうつ病の発病時期を平成14年6月下旬とした上で,判断基準に従い,その6か月前から発病までの間に発生した出来事のみを心理的負荷の判断対象としている。
しかし,うつ病の発病時期の特定は困難であるところ,このような特定困難な発病時期を基準に形式的にその前の6か月間に限定して出来事を検討するという手法は極めて不合理である。うつ病等の精神疾患はストレスによって発症,増悪するところ,うつ病を発症した全ての場合において自殺企図に至るわけではなく,逆に,発症後の業務上の負荷により,うつ病を増悪させ,その結果,自殺に至る場合も十分にあり得る。本件においては,原告が自殺行為に出た平成15年1月13日に近い時期に起きた出来事こそ注目すべきであり,その時期により負荷の大きい出来事が発生しており,自殺行為直前までに原告の身に起こった出来事を広く判断材料とし,それをもとに業務起因性を判断すべきである。そして,原告の自殺未遂後に原告を診察したD医師は,原告から聴取した事情から,平成14年の夏ころに原告に軽症うつ病エピソードが発症し,重症化したのは平成15年1月であると診断していることからすると,一次的には,重症うつ病エピソードを発症した同月からおおむねその6か月前の間に発生した出来事が検討対象とされるべきであり,二次的には,軽症うつ病エピソードを発症した平成14年夏ころからおおむねその6か月前の間に発生した出来事が検討対象とされるべきである。
最高裁平成8年1月23日判決は,当該労働者が「心筋こうそくにより死亡するに至ったのは,労作型の不安定狭心症の発作を起こしたにもかかわらず,直ちに安静を保つことが困難で,引き続き公務に従事せざるを得なかったという,公務に内在する危険が現実化したことによるものとみるのが相当である」と判示しており,この判例の趣旨からすると,うつ病などの精神障害についても,発病後の業務の遂行が疾病の態様,程度に影響を与えた可能性なども踏まえ,直ちに安静を保つことが困難で,適切な業務の軽減を受けられず,引き続き業務に従事せざるを得なかったという,業務に内在する危険が現実化したことによるものみることができれば,業務起因性を認めることができ,本件でもうつ病発病後に適切な業務の軽減が受けられずにうつ病が重症化しているから,うつ病発病後にそのような状況に置かれていたことが業務に内在する危険ということができ,業務起因性が認められる。
被告は,日本産業精神保健学会「精神疾患と業務関連性に関する検討委員会」の「『過労自殺』を巡る精神医学上の問題に係る見解」(以下「委員会見解」という。<証拠省略>)に依拠し,精神障害発病後の出来事を考慮すべきではない旨主張する。しかし,委員会見解は,「自殺企図に至る事例が,全て病態が重症というわけではない」といっているにすぎず,委員会見解も重症うつ病の自殺者が多いことを認めている。
また,委員会見解は,「既に発病しているものにとっての増悪要因は必ずしも大きなストレスが加わった場合に限らない」旨指摘しており,被告は,これを引用して精神障害の増悪については,発病に関する業務起因性の判断の前提をなす「ストレス-脆弱性」理論に依拠できない旨主張する。しかし,委員会見解は,「精神健康上問題のある労働者に対して,企業は,家族,上司,同僚等周囲の理解・協力の下にメンタルヘルス対策を適切に実施していくことが求められている」と指摘しており,このような対策が不十分であれば「業務に起因する危険が現実化した」といえる。
(3) 本件における心理的負荷について
前記(2)イのとおり,評価の対象となる出来事は,一次的には,重症うつ病エピソードを発病した平成15年1月からおおむねその6か月前の間に発生した以下の出来事であり,これらの出来事を評価すると,原告のうつ病発病及び自殺未遂は業務に起因するものといえる。
ア 原告は,平成13年10月から外販担当となり,物品販売等につきノルマ(売上目標額)を課されることになったが,そのノルマが前年実績に対して著しく高く設定された。具体的には,別紙1のとおり,平成13年には前年同月に対する目標値が100パーセントを下回る月が5回もあり,前年実績に対する目標値の平均が110.6パーセントであったのに対し,平成14年は100パーセントを下回る月がなく,平均は126.3パーセントと高値に設定されている。別紙2ないし5のとおり,他の労働者の前年実績に対する目標値が,それぞれ101パーセント,116.2パーセント,108パーセント,103.8パーセントであることからしても,原告に課せられたノルマが厳しいことが分かる。このノルマは,C部長が恣意的に設定したものである。
原告は,平成13年については前年同月の実績に対して平均94.2パーセントの売上しか上げることができなかったが,平成14年1月から5月の売上は前年同月の実績に対して平均129.5パーセントにも上り,ノルマを達成した。しかし,同年6月以降,原告はノルマを達成できなくなった。そして,ノルマが達成できなくなると,C部長から極めて厳しい叱責を受けた。
以上のように達成困難なノルマを課せられたこと,平成14年6月以降にノルマが達成できなくなり,C部長から厳しい叱責を受けたことなどの心理的負荷の強度は大きく,判断指針によるとした場合でも,その強度を修正して,優に「Ⅲ」と評価することができる。
イ 前記アの厳しいノルマを達成するために,原告は,平成14年の前半,長時間労働を強いられた。同年の後半は,原告がうつ病エピソードを発症したため,実績は上げられていないが,作業能率の低下により,更なる長時間労働が続いた。
なお,本件決定は,平成14年における原告の時間外労働時間を次のとおり認定している。
平成14年1月 69時間45分
2月 71時間30分
3月 82時間30分
4月 79時間
5月 78時間30分
6月 75時間30分
7月 83時間
8月 81時間25分
9月 81時間30分
10月 86時間28分
11月 85時間
12月 83時間04分
しかし,本件決定は,平成14年7月までは終業時刻を午後9時,同年8月以降は午後9時30分として計算しているが,実際には,同年6月ころからは,午後10時から午後10時30分に終業しており,この点だけみても1日当たり1時間(1月当たり約20時間)少なく計算されているといえる。また,同年6月ころから,原告は,ノルマ達成のため,振替休日も出勤しており,この点でも月10時間は少なく計算されている。さらに,本件決定は,1日1時間の休憩時間がとれていることを前提としているが,実際には十分な休憩時間はとれておらず,この点でも月10時間程度は少なく計算されている。
したがって,平成14年6月以降の原告の時間外労働の時間は1か月120時間程度に及んでいたといえる。
以上のとおり,平成14年5月までも月100時間近い時間外労働があったところに,同年6月以降は振替休日も出勤するようになり,また,同年8月以降は終業時刻も遅くなり,結果として月120時間程度にも及ぶ時間外労働に従事していたことからすると,判断指針によるとしても,その長時間労働による心理的負荷は大きく,修正して「Ⅲ」と評価することができる。
ウ 原告は,本件会社の部品用品部の事実上の責任者の地位にあったが,平成13年10月に,事実上の降格となる外販担当に配置転換となり,平成14年1月7日には役職定年を迎え,従前の部下である課長の指揮下に入ったが,これも事実上の降格と感じられるものであった。
同年12月,原告は,島原店への異動の内示を受けた。本件会社の島原店は部品用品部の担当者が一人であり,従前は若年者が配置されていた支店であることからすると,この異動は明らかな左遷であり,社内でリストラが進められている中,原告に退職を求める人事であった。
判断指針によるとしても,かつてはh部品センター所長の地位にあった原告を地域の小規模店の外販員に転勤させたことによる原告の心理的負荷は大きく,修正して「Ⅲ」と評価することができる。
エ 本件合併後,旧a1販売株式会社における部品の帳簿と現品の不一致が大きいことが問題となり,原告がその責任を問われることとなった。そして,C部長の就任後は,仕事のやり方が大幅に変わり,原告はC部長と部員の間に挟まれ,その調整や新しいやり方の徹底等に追われることとなった。また,原告は上司であるC部長とそりが合わず,C部長は,ことあるごとに原告の営業成績が思わしくないことを原告が無能だといわんばかりに叱責し,他の従業員の前で原告に会社を辞めた方がいいと繰り返し述べるなどした。
このようにC部長と原告との関係は,単なる上司とのトラブルにとどまらず,いわゆるパワーハラスメントとしての「嫌がらせ」ということができ,その心理的負荷は大きく,判断指針によるとしても「Ⅲ」と評価することができる。
オ 以上のとおり,業務による原告の心理的負荷を総合評価をすると,「強」と認めることができ,前記アのとおり,同種の労働者と比較して業務内容が困難で業務量も過大であると認めることができ,出来事に伴う変化に係る評価も「相当程度過重」といえ,精神障害を発病させるおそれがある程度の心理的負荷があったといえる。他方,原告に業務以外の心理的負荷や固体側要因は認められないから,原告のうつ病発病及び自殺未遂は業務に起因するものといえる。
(被告の主張)
(1) 労災保険法における業務起因性の意義
労働者の疾病等を業務上のものであるというためには,当該労働者が当該業務に従事しなければ当該疾病等を発病しなかったという条件関係が認められるだけでは足りず,当該業務と当該疾病等との間に法的にみて労働者災害補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)が存在することを要すると解すべきである。
そして,使用者の労災補償責任の性質は危険責任を根拠とするものであるから,業務と疾病等との間の相当因果関係の有無は,当該疾病が業務に内在する危険の現実化として発病したと認められるかどうかによって判断されるべきである。
(2) 業務起因性の判断基準
ア 判断指針の基となった専門検討会報告書が考え方の基本としたのが「ストレス-脆弱性」理論であり,精神障害の発病や増悪に係る医学的知見として,同理論の理解が広く受け入れられるようになっている。同理論は,環境由来のストレスと固体側の反応性・脆弱性との関係で精神破綻が生じるかどうかが決まるという考え方であり,環境由来のストレスが非常に強ければ固体側の脆弱性が小さくとも精神障害が起きる一方,固体側の脆弱性が大きければ環境由来のストレスが弱くても精神障害が起きるとするものである。つまり,精神医学的にみると,あるストレスが精神障害を発病させる可能性を有する程度に強いものであれば,当該精神障害は,主として当該ストレスが主因となって発病されたものと解され,当該ストレスがそれほどまでに強いものではないと評価できるものであれば,当該精神障害は,個体側の脆弱性が主因となって発病したものと解される。したがって,業務起因性の判断に当たっては,「ストレス-脆弱性」理論に依拠することが合理的である。
イ もっとも,労災保険法における業務起因性において問題となる条件関係は,ストレスの中でも業務上のストレスと精神障害との条件関係であるところ,通常,人間は業務に従事するか否かにかかわらず日常生活によるストレスを必ず受けるものであるから,業務と精神障害の発病との間の条件関係を肯定するためには,業務上,一定以上の大きさを伴う客観的に意味のあるストレスが精神障害の発病に寄与しており(少なくとも一原因となっており),当該ストレスがなければ精神障害は発病していなかったとの関係が,高度の蓋然性をもって認められる場合でなければならない。
(3) 上述した業務起因性に関する法的枠組み,専門検討会報告書,「ストレス-脆弱性」理論及び判断指針における業務起因性の考え方をみると,精神障害が発病した場合の相当因果関係の判断は,まず,当該労働者と同種の業務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する労働者を基準として,労働時間,仕事の質及び責任の程度等が過重であるため当該精神障害が発病させられ得る程度に強度の心理的負荷が加えられたと認められるかを判断し,これが認められる場合は,次いで,業務以外の心理的負荷や固体側要因の存否を検討し,これが存在し,しかも業務よりもこれらが発病の原因であると認められる場合でなければ相当因果関係が肯定され,それ以外の場合には相当因果関係が否定されると解される。
そして,判断指針は,「客観的に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷」を別表1(別表1’)の総合評価が「強」と認められる程度の心理的負荷とし,専門検討会報告書は,慢性的長時間労働など様々な出来事の総合評価がストレス強度「強」と認められる程度になって初めて業務起因性が認められるストレス要因となるとする。
したがって,原告のうつ病に対する業務起因性の判断については,判断指針及び専門検討会報告書の示す「発病前おおむね6か月」の間に客観的に原告にうつ病を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められるか否かにより判断されることになる。
(4) うつ病の発病時期及び心理的的負荷の評価期間
ア 以下の事情からすれば,原告のうつ病の発病時期は平成14年6月下旬ころと判断される。
(ア) 原告が外販担当となった平成13年9月以前には抑うつ状態は感じられないこと
(イ) 妻のメモの記載からすると,原告の長女が結婚した平成14年5月下旬までは発病していたとするのは難しいこと
(ウ) 同年6月分から急激に成績が落ち込み,同月を境に,それまで継続してやれたことがやれなくなっており,このような成績の落ち込みから,そのころから仕事の能率が低下したとみることが妥当であること
(エ) 「ノルマは大変だが,娘が結婚するのに未達はできんとはりきっていた」との妻のメモの記述からすると,娘が結婚するまで頑張ろうと鼓舞してやってきたが,燃え尽きたと推察されること
(オ) 妻のメモの6月末の記述(「だめな時はだめでいいよなあとつぶやいていました(このころすべての力を出し切って燃えつきたような気がします),日曜・祭日は一緒によく散歩に行っていたのが行かなくなる。休日,家に居る事がない夫ですが5時近くには帰って来て,私を買い物に連れ出すのが日課でしたが,このころは一日中ゴロゴロ横になるようになっていた」),これに引き続き,睡眠時間の減少,気分の落ち込み,意欲・集中力・記憶・判断力・行動力の低下を自覚するようになっていることから,意欲低下,倦怠感といったうつ病の始まり症状と判断されたこと
イ 原告は,心理的負荷の評価期間は,一次的には平成15年1月からおおむねその6か月前の間であり,二次的には平成14年の夏ころからおおむねその6か月前の間である旨主張する。
しかし,原告がうつ病を発病した平成14年6月下旬以降の出来事については,業務起因性の判断に当たって考慮すべき事情とは認められない。
すなわち,委員会見解は,「精神障害発病と発病前の出来事の調査期間に関しては,事例の状況に合わせて検討する必要があるが,おおむね6ヶ月を原則とすることは妥当である」とした上で,「増悪は自殺念慮との関係をいうものではな」く,「自殺は,精神障害がもたらす最悪の結果ではあるが,精神障害が増悪した結果として必ずしも自殺があるのではない」とする。つまり,うつ病の重症度と自殺企図の強さには比例関係が認められるという医学的知見はなく,むしろ,自殺企図は,うつ病の発病時点と軽快過程で起こることが多く,最もうつ状態が悪化した状態では逆に起こりにくい。
また,「ストレス-脆弱性」理論は,そもそも精神障害が「発病」するか否かについて,環境由来のストレスと個体側の反応,脆弱性との相関関係を表したものであり,発病以後の「症状の重症化」については「ストレス-脆弱性」理論から導けるものではない。精神障害を既に発病した者の具体的出来事の受け止め方は,正常人の場合とは異なり,既に発病している者にとっての悪化(増悪)要因は必ずしも大きなストレスが加わった場合に限らないから,正常であった人が精神障害を発病するときの図式に当てはめて業務起因性を判断することは誤りである。
(5) 本件における心理的負荷について
前記(4)のとおり,平成14年6月下旬のうつ病発病後の出来事は評価の対象とはならないから,以下においては,それ以前の出来事に関する心理的負荷の程度等について主張する。
ア 原告が外販勤務となった平成13年9月からうつ病を発病した平成14年6月下旬ころまでの間,平成13年9月度,同年11月度及び平成14年6月度を除き,すべて目標値を超える実績を上げている。また,その間の原告のノルマと他の職員のノルマを比較すると,3位が3回,4位が4回,最下位が3回の設定となっており,また,ノルマが達成できなくてもペナルティはなく,他の外販担当者すべてがノルマを達成しているわけでもない。
したがって,発病前おおむね6か月間において原告に課されたノルマは厳しいものとはいえず,他の社員と比べてノルマが著しく高く設定されていたともいえない。
イ 原告の時間外労働の時間は,本件決定が認定したとおりであり(前記原告の主張の(3)イ参照),これは,タイムカード等の客観的な証拠が存在しないことから,勤務表,休日カレンダー,システム警備記録及び原告,会社関係者からの申述を基に推計したものである。具体的には,関係者の申述等から,平成14年7月までは午後9時,同年8月以降は午後9時30分を終業時刻とし,振替休日については原告が明らかに出勤していたことを証明する資料が存在しないから,出勤したものとして計算することはできず,また,休憩時間についても原告が恒常的に休憩時間をとらなかったとは考え難いので,1時間の休憩時間をとったことを前提として計算している。
そして,上記の推計された時間外労働時間をみると,平成14年1月から6月までの月平均75.94時間に対し,原告がうつ病を発病した同年6月における時間外労働は75.3時間とほぼ評価期間中の平均時間と同時間にとどまるし,同月の1日当たりの平均時間外労働時間は3.58時間であり,必ずしも長時間労働といえるものではない。
なお,原告は,「自分の仕事が終われば帰っていいのだが,部長が残っているため帰れない状況となり,徐々に帰宅時間が遅くなっていき,遅いときには23時頃に帰宅すること」があったことや,週2,3回はパチンコで遊興する時間があった旨述べている。
ウ 原告は,役職定年前の平成13年9月に外販担当に異動しているが,当該異動は,急に外販担当に欠員が生じたこと,原告がh部品センターで外販の経験があること,3か月後には原告の役職定年が予定されていたこと,当時,C部長と原告の2人が管理業務に携わっており,改善する必要があったことから行われたものであるから,単なる社内間の人事異動であり,また,原告の役職や給与関係等処遇に変化はない。原告は,当該人事異動後に「平成14年度は全部達成するぞ」という意気込みを示すなど,そのころには当該人事異動による原告の心理的負荷は解消している。
また,役職定年は,本件会社の内規として定められており,役職定年後は,その内規に従って,従前の部下である課長の指揮下に入ることは当然のことであり,心理的負荷と評価することはできない。
エ 原告は,C部長とそりが合わず,また,C部長から叱責されることがあったが,それは,C部長が旧a1販売株式会社における仕事上のルール作り,システム改革等を本件会社から依頼されたことから,その期待に応えるため,当時,棚卸しの責任者であった原告に改善を求めるためになされたものであり,C部長は,理由もなく原告を叱責していたのではない。
以上のとおり,C部長の原告に対する指摘や指導は,業務を適正なものに是正するために必要なものであって,ある程度厳しいものであったこともあるが,C部長の指摘や指導は,上司の業務上の指導として通常想定される限度を超えるような常軌を逸したものであるとはいえない。
なお,原告は,C部長が着任するころからC部長を疎んでいたものと思われ,そのため,C部長の原告に対する指摘や指導を原告個人に対する攻撃ととらえた可能性も否定できない。
また,C部長とのトラブルについては,平成13年9月に原告が外販担当となり,棚卸しの責任者から解放されてからは過重性は軽減されている。
オ 以上のとおり,本件では,厳格に発病前6か月間だけをみると,特に発病に関与したと考えられる業務は確認できない。平成14年1月の役職定年についても,この時は原告は既に外販業務を主業務として行っており,業務内容に変化がないため,心理的負荷を生じる出来事とは評価し難い。ノルマの未達成は平成14年6月分から生じるが,未達成が確定的となる時期としては同月中旬は早く,当然未達成に伴う上司からの叱責もないため,これも評価の対象とできない。
発病との因果関係について時間的妥当性を失わない程度に遡ると,平成13年9月に役職定年前の外販勤務という異例の職務変更を命ぜられたという事実があるが,これは別表1の「左遷」には該当せず,「配置転換があった」に該当する。よって,平均的ストレス強度は「Ⅱ」にすぎない。原告は,外販業務の経験があり,当該業務を嫌っていた事実は認められないことや,外販業務に欠員が生じて経験者である原告が異動することになったことは合理性があること,次長職が保全されていること,管理業務を解かれて上司との確執の元凶がなくなったことなどから,ストレス強度を「Ⅲ」に修正する必要はない。
仕事の量(労働時間等)については,前記のとおり,他の社員と比較して許容範囲を超えた過大なものであったとはいえず,特段の過重性は認められない。仕事の質についても外販業務は経験済みの業務であり,著しく変化があったとは認められないし,責任についても管理業務を離れたことで軽減している。以上から,出来事後の状況が持続する程度による心理的負荷が,同種の労働者と比較して,「特に過重」又は「相当程度過重」であったとは認められない。
上記のとおり,判断指針によれば,原告の業務による心理的負荷の強度は「中」程度と判断するのが妥当である。
カ 原告のうつ病には,明らかな個体側要因は認められないが,個体側の脆弱性や反応性に関しては,既往歴や生活歴等の具体的証拠により外からうかがい知ることができる場合があるにしろ,調査の実態上,そのような具体的証拠が得られることは多くない。それ故に,前述したとおり,業務起因性の判断においては,「ストレス-脆弱性」理論を採用している。すなわち,業務による強い心理的負荷がなく,業務以外の心理的負荷も特段認められず,発病したのであれば,「ストレス-脆弱性」理論によって,個体側の脆弱性や反応性が大きかったものと結論づけることができる。
したがって,諫早労働基準監督署長が,専門部会の評価及び結論から,原告が平成14年6月下旬ころにうつ病エピソードを発病したことは認められるが,原告に業務に伴う強い心理的負荷は認められないから,原告のうつ病の発病は,労働基準法施行規則35条に規定する別表第1の2第9号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当せず,業務起因性も認められないとした本件各処分は適法である。
第3当裁判所の判断
1 前記前提となる事実並びに括弧内に掲記した証拠及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。
(1) 原告について
ア 生活状況等
原告は,昭和49年2月に妻と婚姻し,昭和50年に長女が,昭和54年に次女が生まれた。長女は,平成14年5月に婚姻し,平成15年に男子を出産した。長女の婚姻後,原告は,長崎県諫早市内の自宅で,妻と次女と生活していた(<証拠省略>)。
また,上記自宅の住宅ローンは返済期限前に完済するなど,婚姻後,原告に経済的な問題はなかった(<証拠省略>)。
原告は,平成14年ころ(時期は明らかではない)からアルコールを飲まなくなったものの,それ以前は,職場の歓送迎会や忘年会等の行事以外では,週2,3回の割合(夏場は毎日)で350ミリリットルの缶ビール1本を飲む程度であり,アルコールへの依存はなかった(<証拠省略>)。
イ 健康状態等
平成15年1月13日に自殺未遂を図り,c医療センターに搬送されるまで,原告に精神科の受診歴はなかった(<証拠省略>)。
平成4年12月以降,高血圧症の診療のため,d医院に通院し,薬を服用していた(<証拠省略>)。
平成12年5月,e眼科医院を受診し,同年6月には,白内障の治療のためにf病院でレーザー治療を受けた。原告は,白内障について,日常生活において不便を感じることはないが,雨の日の夜間には見えづらくなるため,車の運転に支障があると感じていた(<証拠省略>)。
本件会社の健康診断では,平成12年以降に視力・聴力の低下の所見があるとされ,平成11年,12年に心電図の所見があるとされ,平成13年に高血圧の治療要継続とされ,血中脂質の異常,食生活に注意という指摘を受けた(<証拠省略>)。
ウ 性格傾向等
原告自身は,自己の性格につき,「本来は物静か,几帳面,仕事に対しても責任感あり,こだわる,協調性ある,感情的には安定している」旨述べている(<証拠省略>)。
妻は,原告の性格につき,「明るく,お祭り好き,社交的,積極的,几帳面,責任感が強い,穏やかなタイプ,話し好きで人前での話しも積極的」である旨述べている(<証拠省略>)。
昭和53年から原告と付き合いがあり,本件会社部品営業部部品管理課に勤務していたF(以下「F」という。)は,原告の性格につき,「真面目で,陽気な面もあり,社交的なタイプ」であり,「人当たりも良く,温厚な性格で,客との接し方にも何ら問題はなかった」と思う旨述べている(<証拠省略>)。
昭和53年に本件会社に入社した原告の後輩のG(以下「G」という。)は,原告の性格につき,「人を笑わせるのが好きで明るかったし,宴会の席では宴会部長となり,宴会が少し沈んでいると明るくしようとしたり,後輩の面倒見はよかった」旨述べ,また,「性格的には強い人だと思っていた」,「社交性もあり,結婚式の司会も上手で,会社の恒例行事には司会もしていました」旨述べている(<証拠省略>)。
(2) 平成13年1月より前の原告の勤務状況等
平成10年4月1日からは部品用品部次長兼h部品センター所長として勤務していたが,平成12年5月に原告の直属の上司であったH重役が退職したため,同年6月から12月までの間,原告は,次長として,部品部門の事実上の責任者の地位にあり,部品会議の資料作成,多良見・本社・島原の各部品部門の売上・利益の結果分析,g工業株式会社への報告,キャンペーン等の企画・結果分析,各拠点における部品在庫管理等のデスクワークを中心に行っていた(<証拠省略>)。
H重役が退職する前から,旧a1販売株式会社の部品部門では棚卸しが合わなかったが(現物と帳簿が合わなかった),H重役の退職後も棚卸しは合わず,原告が上司から再度集計を指示されたことがあった(<証拠省略>)。
(3) 平成13年1月から同年9月の外販担当への配置転換までの原告の勤務状況等
ア 業務内容等
平成13年1月,C部長が部品用品部の部長となり,原告の上司となったが,同年9月に原告が外販担当に異動になるまでは,従前と同様,内勤で事務的な企画立案や全体管理を行い,外販担当者の売上目標(ノルマ)の設定,部品連絡,社内売上等をまとめたりする業務を行っていた(<証拠省略>)。
イ C部長との関係
C部長は,部品部門の経験がなく,当初は,原告の業務の進め方につき様子を見ていたが,C部長が原告に対し,社内・社外売上につき書類にして説明するように指示したり,部品会議の際に原告が説明していたところ,C部長が「なっとらん」と述べてその場で説明したりするようになるなど,徐々にどこかに行き違いが生じるようになった。そして,原告とC部長との間で口論となることが多くなり,原告がC部長から長時間にわたる説教や叱責を受けることがあった(<証拠省略>)。
平成13年2月又は3月ころに,原告がC部長に対し,「部品の仕事は大変なので,社外(g工業株式会社)と社内的な仕事の役割分担をしたらどうですか」と述べたところ,C部長から「そんなことで俺はきていない」と強い口調で言われ,「売上の低迷と,棚卸しが合わないという大きな2つの柱で自分は来ているから,そんなことする必要はない」と言われた(<証拠省略>)。
平成13年の夏ころ,部品の関係で数字が合わないため,本件会社の長崎本社にC部長と原告が呼ばれ,社長に怒られたことがあった。その帰りの車中で,原告は,C部長から説教され,h部品センターに戻ってからも延々とこれが続き,他の社員からその様子を見られたということがあった(<証拠省略>)。
h部品センターに本件会社の社長らが訪れ,平成13年3月期又は9月期の決算結果を報告する際,原告はそのことを知らされていなかったにもかかわらず,C部長は,原告が報告すると突然話したため,原告は資料作りなどの準備をしていない状況で,報告をせざるを得ない状況となったことがあった(<証拠省略>)。
また,原告は,h部品センターにC部長が着任して半年以上経過すると,同部長から,「中途半場な人間,凝り固まった化石だろう」などと言われることもあった(<証拠省略>)。
原告は,部品の外販担当であったIに対して中古車販売の営業への異動内示があったものの,Iが退職するということになった際,営業部の部長から原告に中古車販売の営業担当となることを打診されたので,C部長に対し,前記の異動を希望する旨述べたところ,C部長から朝から昼まで長時間にわたり叱責された(<証拠省略>)。
ウ 帰宅時間について
C部長が着任する前は,原告は,午後7時ないし午後8時30分ころに退社することが多かったが,平成13年1月にC部長が着任してからは,C部長の帰宅する時間が遅く,同部長より先に帰ると怒られることがあったため,徐々に帰宅時間が遅くなり,遅い場合には午後11時ころに帰宅することもあった(<証拠省略>)。
(4) 平成13年9月以降の原告の勤務状況等
ア 外販担当への配置転換
原告は,平成13年9月1日から部品営業部多良見営業課外販担当に配置転換となり,それまでの業務であった企画立案については各課長に,管理業務についてはC部長にすべて引き継ぎ,以降,部品販売の目標数値(ノルマ)の設定はC部長が行うこととなった(<証拠省略>)。
本件会社の部品部門において,役職定年前に外販担当に配置転換となることは異例な異動であった(<証拠省略>)。
原告が外販を担当した地区は,多良見,矢上,長崎市内の一部及び諫早市内の一部などであり,所定労働日のほぼ全日を1人で営業しており,午前10時30分ころ会社を出て,帰社するのはおおむね午後6時30分ころか午後7時ころであった。会社に戻ってからは,伝票整理を行い,C部長に提出するため,その日の営業先と営業の結果を外販ノートに記入し,受注した部品の見積書の作成等の作業を行っていた(<証拠省略>)。
イ ノルマ設定
外販担当に異動後の原告及び他の社員らに課されていたノルマ(目標)や実績等は別紙6のとおりである(<証拠省略>及び弁論の全趣旨)。
別紙6のとおり,平成13年9月から14年12月までに原告に課された各月のノルマについては,前年実績に対する比率がそれぞれ108.9パーセント(平成13年9月),140.5パーセント(10月),121.8パーセント(11月),98.7パーセント(12月),118.8パーセント(平成14年1月),117.4パーセント(2月),107.8パーセント(3月),156.7パーセント(4月),128.8パーセント(5月),177.2パーセント(6月),126.0パーセント(7月),113.8パーセント(8月),115.6パーセント(9月),105.8パーセント(10月),140.5パーセント(11月),106.8パーセント(12月)となっている。そして,上記比率の平均は約124パーセント(平成13年9月から平成14年6月までは約128パーセント。以下,括弧内は同期間の比率を示す。)であるところ,J,K,L及びMの当該比率はそれぞれ約104パーセント(約106パーセント),約108パーセント(約103パーセント),約108パーセント(約105パーセント),約105パーセント(約105パーセント)であり,原告に課せられたノルマは,前年実績との対比でみると,他の社員よりも高く設定されている。さらに,平成14年6月のノルマは前年実績比で177.2パーセントであり,極めて高い比率に設定されている。
なお,平成13年9月以降のノルマはC部長が設定したものである。また,ノルマが達成できなくても,ペナルティーや手当の減額はなく,ノルマを達成した場合には,歩合により手当が支給されることになっていた。新規開拓についてはノルマは設定されていなかった(<証拠省略>)。
ウ ノルマ達成率について
平成13年9月以降,原告は前記イ認定のノルマを設定されていたが,原告のノルマ達成率は別紙6のとおりである(前記認定の事実)。
すなわち,原告は,平成13年9月から平成14年5月までは,平成13年9月の98パーセント,同年11月の73.7パーセントを除き,ノルマを達成したが,平成14年6月以降はノルマを達成できなかった。また,原告の売上が前年同月の実績を下回ったのは,平成13年11月,12月,平成14年8月,9月,10月,12月の6回である。
エ 役職定年
平成14年1月7日,原告は,同社の役職定年制内規により役職定年となり,次長職が除去され,一般社員と同一扱いとされることになったが,呼称は従来の「次長」のままであった。また,原告は,平成13年9月に外販担当に配置換えとなっていたため,役職定年により業務内容に変動はなかった(<証拠省略>)。
オ 時間外労働時間
(ア) 本件決定は,平成13年10月以降の原告の時間外労働時間を次のとおり認定している(<証拠省略>)。
平成13年10月 80時間02分
11月 71時間30分
12月 69時間36分
平成14年1月 69時間45分
2月 71時間30分
3月 82時間30分
4月 79時間
5月 78時間30分
6月 75時間30分
7月 83時間
8月 81時間25分
9月 81時間30分
10月 86時間28分
11月 85時間
12月 83時間04分
(イ) 本件決定は,以上の認定をするに当たって,月曜日の始業時刻を午前8時,他の曜日(休日出勤日を除く。)の始業時刻を午前8時30分,休日出勤日の始業時刻を午前9時とし,平成14年7月までは午後9時を終業時刻,同年8月以降は午後9時30分を終業時刻とした上で,警備記録からより早期の終業時刻が確認できる場合にはその時刻を終業時刻として,原告の時間外労働時間を推計している。なお,休日出勤には,振替休日が付されているが,出勤が確認できないため,上記推計の労働時間には含まれていない(以下,本件決定の推計方法を「本件推計方法」という。<証拠省略>)。
(ウ) 以上のような本件推計方法による時間外労働時間の認定に対し,原告は,①平成14年6月ころからは,午後10時から午後10時30分が終業時刻であり,1日当たり1時間程度少なく計算されている,②そのころからは,ノルマ達成のため,振替休日も出勤するようになっており,月10時間は少なく計算されている,③1日1時間の休憩時間はとれていなかったため,月10時間は少なく計算されているとして,①ないし③の労働時間を加算すると,平成14年6月以降の原告の時間外労働時間は1か月120時間程度に及んでいた旨主張する。
本件においては,原告のタイムカードなど始業時刻及び終業時刻が記録された客観的な資料はないため(<証拠省略>),原告の時間外労働時間については推計によらざるを得ないところ,原告は,平成14年6月以降の本件推計方法の誤り(前記①ないし③)を指摘するので,以下,この点について検討する。
まず,平成14年6月以降の終業時刻について,原告は,おおむね午後10時から午後10時30分ころであったと述べる(<証拠省略>)。
しかし,原告は,平成14年8月又は同年9月ころまで,仕事が早く終わるとパチンコを週に2,3回はしており,終業が午後9時ないし10時になった時にはこれをしていなかったこと(<証拠省略>),Lは,退社時刻はC部長と原告とほぼ同じ午後9時ころで午後10時になることはほとんどなかった旨述べていること(<証拠省略>)に照らすと,原告の終業時刻が午後10時以降になることがあったとしても,これよりも早く退社してパチンコをすることもあったことなどを考慮すれば,平成14年6月から同年8月ころまでの平均終業時刻が午後10時30分ころであると認めることはできない。また,妻は,帰宅時間は平均して午後10時ぐらいであり(<証拠省略>),平成14年8月ころからは午後10時前後までに帰宅するようになっていた旨述べているところ(<証拠省略>),職場から自宅まで20分程度を要すること(<証拠省略>)からすると,原告主張のとおり,労働時間が短く計算されている可能性は否定できないものの,同年6月以降の平均終業時刻が午後10時30分ころであると認めることはできない。したがって,本件決定において認定されている時間外労働時間が幾分少なく認定されている可能性は否定できないものの,同月以降の平均終業時刻を午後9時30分として労働時間を推計する本件推定方法が合理性を欠くものとはいえない。
次に,原告は,平成14年6月以降は,ノルマ達成のために振替休日も出勤するようになった旨主張し,これに沿う供述をしている(<証拠省略>)。
平成14年6月度の休日カレンダー(<証拠省略>)によれば,同月の原告の出勤日が21日である旨記録されていることが認められ,原告が振替休日に出勤していたことを客観的に示す記録はないが,ノルマ達成のために振替休日も出勤したという原告の供述が不合理であるとはいえず,振替休日に出勤して帰る際に上司から「もう帰るのか」と言われたことがあるなど具体的な供述をしていること(<証拠省略>)からすると,平成14年6月以降,原告が振替休日に出勤することもあったことが認められ,これに反する証拠はない。したがって,本件推計方法による労働時間の認定は,振替休日に出勤した時の労働時間が考慮されていない点で現実の労働時間よりも少なくなっているというべきである。そして,平成14年6月以降,何日間,振替休日に出勤したのか,及び出勤した際の勤務時間は本件証拠上明らかではなく,平成14年6月度の休日カレンダーによると,振替休日は1日であり,毎月同程度の振替休日があったことが推認されることを考慮すると,平成14年6月以降については,本件決定の認定よりも現実の1か月の労働時間が数時間ないし10時間程度多かったものと推認される。
原告は,休憩時間が1日1時間まではとれていなかったため,月10時間は少なく計算されている旨主張し,これと同旨の供述をする(<証拠省略>)。しかし,原告が外販の営業中に取得していた休憩時間を認めるに足りる的確な証拠はなく,これを原告が明確に記憶していることも考え難いことからすると,原告が取得した休憩時間が就業規則で定められた1時間よりも短かったことを認めることはできない。したがって,この点に関する本件推計方法が合理性を欠くとはいえない。
(エ) 以上によれば,本件においては,原告のタイムカードなど始業時刻及び終業時刻が記録された客観的な資料はないため,原告の時間外労働時間については推計によらざるを得ないところ,平成14年5月までの時間外労働時間については,多少少なく計算されているとしても,おおむね本件決定で認定されたとおりであると推認することができる。他方,平成14年6月以降の時間外労働時間については,本件決定で認定された時間よりも毎月数時間ないし10時間程度多いものと推認される。
カ C部長との関係
平成13年9月に原告が外販担当に配置換えとなった後,ノルマを達成しているころは,C部長からほめられることもあった(<証拠省略>)。
他方で,C部長は,個人別の売上表を作成させており,名指しはしないものの,月曜日の朝のミーティングなどにおいて,「売上げ,実績が上がらない,役に立たない者は辞めていい」などと述べていた(<証拠省略>)。
原告がノルマを達成できないときには,C部長から,原告に対し,叱責がなされた。そして,原告は,「あんた給料高いだろ,I(前任者)と同じ考えではないだろうな。あんたは自分の給料の5倍くらい働かなければ合わない」旨述べられたり,人前で「このくらいで満足していないだろうな」と述べられたりすることがあった。また,月曜日の朝のミーティングにおいて,ノルマが達成できていない原告に対し,「X次長もマネージャーをしていたから分かるだろう」と述べることもあった(<証拠省略>)。
平成14年の9月ないし11月ころに,25日を過ぎても原告のノルマ達成率が60パーセントに達していなかったことから,原告は,C部長から,外販員やパートなど他の従業員がいる前で,「必要ない,辞めた方がいい」と言われたこともあり,また,無能呼ばわりされたこともあった(<証拠省略>)。
ただし,原告は,C部長から個人的に呼ばれ,退職を強要されたことはない(<証拠省略>)。
(5) 島原店への異動
平成14年12月24日,原告は,平成15年1月1日からの島原店への異動の内示を受けた(<証拠省略>)。その異動は,島原店にいる部品の担当者とh部品センターの原告を交代させるという人事であった(<証拠省略>)。
平成15年1月7日が同年の仕事始めであり,原告は同日から島原店で勤務することとなった(<証拠省略>)。しかし,原告と交代する島原店の従前の担当社員が降雪のため出勤できない,結婚式参加の予定があるなど,同社員の事情により,引継ぎが円滑にできず,同日以降,h部品センターと島原店の業務を掛け持ちすることとなった(<証拠省略>)。平成15年1月7日以降の原告の帰宅時間は午後11時を過ぎることがあった(<証拠省略>)。
原告の島原店への異動について,本件会社では,自宅からの通勤範囲内として扱われていたが,原告は白内障により雨の日の夜の車の運転に支障があることなどを危惧し,島原店近くに家を借り,単身赴任をしようとしたことから,そのことが問題となっていた。原告は,そのことについてC部長に相談したが,C部長は原告に対して総務に連絡して手順を踏むべきと答えるにとどまった(<証拠省略>)。
(6) 平成12年6月以降の原告の言動等について
ア 平成12年5月にH重役が退職し,同年6月から同年12月までの間,原告は部品部門の事実上の責任者の地位にあったが,そのころ,原告は,棚卸しが合わないことと,売上げが低迷していることに責任を感じていた(<証拠省略>)。
イ 原告は,平成13年1月に着任したC部長とは性格が合わず,また,原告よりも1歳年下であるにもかかわらず,先輩に一目を置くような人間ではないと感じていた(<証拠省略>)。また,原告は,C部長につき,とにかくうるさい,口やかましい,すぐ大声で怒る,体が少し大きく威圧感があり,一言一言が突き刺さる感じを受けていた(<証拠省略>)。
また,原告は,兄であるNに対し,平成13年6月ころから,C部長から嫌がらせを受けたことなどを話していた(<証拠省略>)。
ウ 役職定年前の平成13年9月に外販担当に異動になったことについて,原告は,見下げられたものと感じ,危機感を持つとともに,立腹していた(<証拠省略>)。
外販異動後にノルマが達成できない月もあったが,原告は,「平成14年度は全部達成するぞ」,「娘が結婚するのに未達はできん」と意気込んでおり,妻にも原告が張り切っている様子に見えた(<証拠省略>)。
また,平成13年末ころには長女の結婚が決まり,原告は,休日には妻と家具を見に行くなどし,また,平成14年5月の長女の結婚式の前日には家族4人でお菓子作りをするなどしており,妻からは,そのころの原告は幸せそうに見えた(<証拠省略>)。
エ 平成14年6月末ころ,同月のノルマが達成できなかったことから,原告は,「だめな時はだめでいいよなあ」とつぶやくことがあった(<証拠省略>)。
同年8月ころより前は妻と二人で散歩することが月に2,3回あったが,同月ころから散歩に行かなくなった(<証拠省略>)。また,原告は,同年の夏ころから眠れないことが多くなったが,そのころは,コーヒーの影響であると思っていた(<証拠省略>)。
また,原告は,平成14年6月から12月までのノルマが達成できなかったころにつき,「意欲がわかない。集中力がない。記憶がおぼろ。判断に欠ける」という感じがあった旨述べており,そのころの原告は,その日に回らなくてはいけない営業先をどういう順番で回るかを思案する状態であった。原告自身,「うつ」を自覚した時期に覚えはないが,平成14年のお盆を過ぎたころではないかと思う旨述べている。また,原告は,前記期間のノルマ不達成につき,叱責を受けているころには,気分的に落ち込んだ状態となっており,C部長から「辞めた方がいい」と言われたときには,残念というより,悔しい気持ちでいっぱいであり,かちんとこない感じでもあったと述べている(<証拠省略>)。
原告は,平成14年8月又は9月ころから,それまで週2,3回の割合で行っていたパチンコに行かなくなった(<証拠省略>)。
平成14年の秋ころ,原告は,独り言のように「袋小路に追い込まれた」と述べたり,「崖っぷちに立たされている」ということを何度も述べ,平日の帰宅後や休日は家で一日ごろごろして過ごすようになった。また,妻は,このころから原告の表情が暗くなり,言葉が少なく,笑いがなくなくなるとともに,怒りっぽくなったと感じており(以上,<証拠省略>),原告も,同年9月ころから周りの冗談を聞いても面白く感じることがなく,自分に笑いがなくなった気がする旨述べている(<証拠省略>)。
オ 平成14年12月24日に島原店への異動の内示を受けた原告は,これまで役職定年後にそうした出先に異動する例がなかったことから左遷的要素があると捉え(<証拠省略>),妻に対し,「会社でどんな扱いを受けていると思うか」,「無能呼ばわりされている」,「皆の前で辞めた方がいい」,「部長に陥れられた」とぼそぼそと話した(<証拠省略>)。そのときの原告の様子を見た妻は,今まで見たことがないような落ち込みようであり,退職するかもしれないと感じた(<証拠省略>)。
上記内示後の原告の精神状態は良くなく,死を考えることがあった。同月27日又は28日の仕事が終わった後に,車に乗って山の中に木の枝振りが良い物を探したり,死に対する恐怖心がなく,車で何かにぶつかろうと考えたり,2階から飛び降りて石に頭をぶつけようかとも考えたりした。また,夜中にこっそり起きて,台所の包丁の前に立っていたこともあり,妻に声をかけられて一度布団に戻ったものの,起きて包丁でどこを刺そうか考え,首か心臓が一番だろうと思ったりするなど,死を考えるようになり,いつ,計画を実行するかという思いであった。そして,原告は,車中で「心身共に疲れました」というような記載のある遺書のようなメモを作成したが,それは自宅で捨てた(<証拠省略>)。
また,妻は,平成15年1月11日の原告について,心身共に疲れ切っている様子に見えた旨述べている(<証拠省略>)。
カ 平成15年1月13日,自宅で,原告は島原への引越の準備をしていところ,とっさに目の前にあったはさみを胸に刺した(<証拠省略>)。その後,原告はc医療センターに救急搬送された。
(7) 精神障害に関する医学的知見
ア うつ病について(<証拠省略>)
ICD-10によるうつ病の診断ガイドライン等は以下のとおりである。
(ア) 3種類すべての典型的な抑うつのエピソード(軽症,中等症,重症)では,患者は通常,抑うつ気分,興味と喜びの喪失及び活動性の減退による易疲労感の増大や活動性の減少に悩まされる。わずかに頑張った後でも,ひどく疲労を感じることが普通である。他の一般的な症状には以下のものがある。
① 集中力と注意力の減退
② 自己評価と自信の低下
③ 罪責感と無価値感(軽症エピソードにもみられる)
④ 将来に対する希望のない悲観的な見方
⑤ 自傷あるいは自殺の観念や行為
⑥ 睡眠障害
⑦ 食欲不振
うつ病エピソードは,重症度の如何に関係なく,普通少なくとも2週間の持続が診断に必要とされるが,もし症状が極めて重症で急激な発症であれば,より短い期間であってもかまわない。
(イ) 軽症うつ病エピソード
抑うつ気分,興味と喜びの喪失及び易疲労性が通常うつ病にとって最も典型的な症状とみなされており,これらのうち少なくとも2つ,さらに前記(ア)の①ないし⑦に記載された他の症状のうちの少なくとも2つが,診断を確定するために存在しなければならない。いかなる症状も著しい程度であってはならず,エピソード全体の最短の持続時間は約2週間である。
軽症うつ病エピソードの患者は,通常,症状に悩まされて日常の仕事や社会的活動を続けるのにいくぶん困難を感じるが,完全に機能できなくなるまでのことはない。
(ウ) 中等症うつ病エピソード
前記(イ)の軽症のうつ病エピソードに挙げた最も典型的な3症状のうち少なくとも2つ,さらに前記(ア)の①ないし⑦の症状のうち少なくとも3つ(4つが望ましい)が存在しなければならない。そのうちの一部の症状は著しい程度にまでなることがあるが,もし全般的で広汎な症状が存在するならば,このことは必須ではない。エピソード全体の最短の持続期間は約2週間である。
中等症うつ病エピソードの患者は,通常社会的,職業的あるいは家庭的生活を続けていくのがかなり困難になる。
(エ) 精神障害を伴わない重症うつ病エピソード
重症うつ病エピソードでは,抑制が顕著でなければ,患者は通常かなりの苦悩と激越を示す。自尊心の喪失や無価値感や罪責感を持ちやすく,特に重症な症例では際立って自殺の危険が大きい。重症うつ病エピソードでは身体症状はほとんど常に存在すると推定される。
軽症及び中等症うつ病エピソードで述べた典型的な3症状のすべて,さらに少なくとも前記(ア)の①ないし⑦の症状のうちの4つ,そのうちのいくつかが重症でなければならない。うつ病エピソードは通常,少なくとも約2週間持続しなければならないが,もし症状が極めて重く急激な発症であれば,2週間未満でも診断をつけてよい。
重症うつ病エピソードの期間中,患者はごく限られた範囲のものを除いて,社会的,職業的あるいは家庭的な活動を続けることがほとんどできない。
イ 精神障害(うつ病)とストレスとの関係について(<証拠省略>)
今日の精神医学においては,精神障害の成因は疾患により程度の差はあっても,素因と環境因の両方が関係すると理解されており,精神障害を「ストレス-脆弱性」理論で理解することが,多くの支持を得られている。「ストレス-脆弱性」理論とは,環境由来のストレスと個体側の反応性,脆弱性との関係で,精神的破綻が生じるかどうかが決まるという考え方である。ストレスが非常に強ければ,個体側の脆弱性が小さくても精神障害が起こるし,逆に脆弱性が大きければ,ストレスが小さくても破綻が生ずる。精神障害を考える場合,あらゆる場合にストレスと脆弱性との両方を視野に入れて考えなければならない。なお,この場合のストレス強度は,環境由来のストレスを,多くの人が一般的にどう受け止めるかという客観的な評価に基づくものによって理解される。
ウ 委員会見解について(<証拠省略>)
委員会見解においては,軽症うつ病には自殺念慮は生じず,また,中等症,重症うつ病に進むに従って自殺念慮が生じ,自殺率が高まるという医学的知見は存在せず,必ずしも精神障害の「増悪」の結果自殺に至るというものではないこと,ICD-10では,精神障害の程度は診断基準に示される症状の数,頻度,その程度によって具体的に把握され,増悪は自殺念慮との関係をいうものではないこと,精神障害を既に発病した者における具体的出来事の受け止め方については,臨床事例等から正常人の場合とは異なり,些細なストレスであってもそれに過大に反応することは一般的であり,個体の脆弱性が増大するため,既に発病している者にとっての増悪要因は必ずしも大きなストレスが加わった場合に限られないことが指摘されている。
また,委員会見解においては,精神障害,特にうつ病の発病に関しては,生物学的,心理学的,社会的側面が絡み合って発病することが精神医学の通説となっており,増悪についても,この3つの要因が絡み合って起きてくるものと考えてよいとされている。
エ D医師の意見書(<証拠省略>)
D医師の意見書には,概要,以下の記載がある。
(ア) 原告の病前性格
原告の場合,他者との調和を重んじる傾向が認められることから,メランコリー親和型人格(うつ病患者の特徴的な性格傾向の一つで,几帳面,正確さ,真面目さ,責任感などを特徴とするが,他者に対する配慮が目立ち,衝突・摩擦を避けて世俗的な過度の良心的傾向示す)といえる。したがって,上司から厳しく迫られると,反発することもできずに自責的になる。仕事上のトラブルをすべて自分の責任と考えかねない。同僚や部下に対してすまないという気持ちが強くなる。部品部門の次長を勤めていた事実から,仕事に関しては有能で社会適応能力も平均以上であったと思われる。にもかかわらず,患者はこの性格傾向のために自分自身を積極的に評価できず,自分を責めてストレスを嵩じていったと推察される。
(イ) 症状
うつ病に限らず精神疾患一般にいえることであるが,症状は患者の主観的訴えと家族や周囲の人の客観的ないし外面的な情報とを総合して考察せざるを得ない。
気分については,「表情が暗く,肩を落としていた。笑わなくなった。口数が減った。元気がなくなった」ことから抑うつ感や疲労感が認められる。患者が「自分が情けない,自分は役に立たない,必要でない」,「袋小路に追い込められた。崖っぷちに立たされている」と述べるなど自責感や微小念慮がうかがえる。
思考に関しては,「仕事が思うように進まない」,「動きがのろい,消極的で決断ができない」ことから,思考制止が認められる。
意欲・行動については,「以前は一緒に買い物や散歩に出ていたが,自宅の庭にもでなくなって終日横になっていた」ことから,意欲の低下が顕著である。
身体症状でも,入眠困難,早朝覚醒などの不眠が生じている。
希死念慮は,「1月10日の夜眠れなくて台所の包丁の前に2回も立っていた」,「1月12日妻が同乗していなければ,車で海に飛び込もうと考えた」と顕著であった。
(ウ) 診断
患者はアメリカ精神医学会のDSM-Ⅳの296.23重症大うつ病エピソード,ICD-10のF32.2重症うつ病エピソードにそれぞれ該当する。
(エ) 要約
患者は平成14年夏ころうつ病を発症してそれが重症化したと思われる。部品管理上の問題,上司との軋轢,慣れない営業部門への配置換え,仕事のノルマなどのストレス要因が発症に介在したと考えられる。また,これらのストレスの要因は改善されず,そのことが病気を重症化させた可能性がある。加えて,同年12月には左遷ともとれる島原店への異動命令を受けた。うつ状態にありながら,体にむち打って引継ぎのために奔走したため,さらに重症化して希死念慮が生じたといえる。そして,1月13日に自殺企図に及んだ。したがって,この自殺企図はうつ病に関連したものであると推察される。
オ 専門部会の見解(<証拠省略>)
(ア) 専門部会の平成17年11月9日付け意見書には,概要,次のような記載がある。
a 精神障害の発病について
主治医D医師は,「うつ病」の診断根拠として,不眠,抑うつ,希死念慮等の症状が確認されるとしており,うつ病の基本的な症状である抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活力の減退等が認められることから,ICD-10診断ガイドラインに照らして,「F32うつ病エピソード」を発症していたと判断される。
ただし,重症度レベルについては,典型的な抑うつ症状等は確認されるものの,他の症状はいずれも著しいものではなく,自責の念は確認されないことや,自殺未遂に至るまでは業務を行っていたこと,幻覚,妄想等の症状の出現もないことから,その程度は「中等症」と判断する。
発病の時期については,妻の「燃え尽きた感じで,日中ゴロゴロしている」という申述から,平成14年6月下旬ころと判断される。
b 業務による心理的負荷の評価について
発症前おおむね6か月間を厳格に捉え,平成14年1月から同年6月までの原告の業務についてみると,客観的にみて一般平均労働者にとっても困難であるものとは評価できず,同年1月から5月まではノルマを達成していることや,外販業務以降は上司とのトラブルが確認されてないことなど,これといって特に心理的負荷となる業務内容は確認されない。
発症との因果関係について時間的妥当性を失わない程度に遡り,業務による心理的負荷を評価すると,原告は,平成13年1月以降,同一企業他社から着任した1歳年下の新部長との間で意見の対立,口論等の確執があり,管理の杜撰さについて説教を受けることもたびたびであり,同年10月に役職定年前の外販勤務という異例の職務変更を命ぜられてショックを受けているが,これは判断指針の別表1の「配置転換があった」に該当し,平均ストレス強度は「Ⅱ」となる。しかし,原告は職務変更による外販業務を嫌っていたものではなく,3か月後の平成14年1月には役職定年を迎えることは当然分かっていたこと,管理職業務を解かれて新部長との確執の元凶はなくなったこと,同年5月に長女の結婚を控え,ノルマ達成への意気込みも見られ,現実に同月まではノルマを達成していること等,職務変更は原告にとって必ずしもマイナス要素となっていないことから,ストレス強度を「Ⅲ」に修正する必要はない。
出来事に伴う変化についても,原告の経験年数や従前の業務内容,同僚労働者の業務内容と比較して,職務変更後の原告の業務が特に困難とはいえず,仕事の量,質の変化という面からも同僚労働者と比較して過重というものではなく,その後の会社側の対応を考えても,ストレス強度を修正する必要はない。
よって,発病前おおむね6か月間の業務による心理的負荷の強度の総合判断は「中」と評価される。
c 業務以外の心理的負荷の評価について
長女が平成13年12月に婚約,平成14年5月に結婚しており,これは判断指針の別表2の「家族が婚約した又はその話が具体化した」,「家族が減った」に該当し,平均的ストレス強度はいずれも「Ⅰ」である。また,原告には身体的疾患として高血圧症の治療を続けていたこと,白内障の症状が出現していたことが確認されるが,これら疾患の治療内容等,特にうつ状態を引き起こすような身体要因は,主治医の意見書において確認されない。
d 個体側要因の評価について
原告に精神障害の既往歴はなく,アルコールへの依存も認められない。生活史においても,特段の問題があるとは認められない。性格傾向としては,どちらかというと固執傾向にあると思われるが,うつ病の発症に寄与するような特段の偏りや問題点は認められない。
e 結論
原告の業務による心理的負荷は,判断指針による総合評価が「強」と評価できるものではなく,業務に精神障害を発病させるおそれのある程度の心理的負荷があったとは認められないことから,原告の「うつ病エピソード」の発病及び「自殺未遂」については,業務起因性が認められない。
(イ) 専門部会の平成21年10月29日付け意見書には,概要,次の記載がある。
a 発病時期を平成14年6月下旬ころとした根拠について
専門部会は,妻の「燃え尽きた感じで,日中ゴロゴロしている」という陳述のみを捉えて結論を出したわけではなく,平成13年1月からの原告の一連の言動を総合的に勘案して,発病時期を「平成14年6月下旬頃」と判断した。
長女の結婚直後の平成14年6月分から成績が急激に落ち込んでいるが,それまで継続してやれていたことが,その月を境にやれなくなっている。他の職員のノルマ達成率と比較して,原告だけが著しく落ち込んでおり,ノルマが増えたわけでもなかったことから,仕事の能率が低下したと見るのが妥当であり,これはうつ病の症状である「活動性の減退」に相当する。
妻のメモには,「ノルマは大変だが,娘が結婚するのに未達はできんとはりきっていた」との記載があり,娘が結婚するから頑張ろうと鼓舞してやってきて燃え尽きたと推察される。
したがって,この能率が落ち始めた時期の前後から,既に発病していた可能性もあるが,うつ病の初期から良く認められる睡眠障害がそのころに確認できていないため,この能率低下のみではうつ病を発症したとするには根拠が不十分である。
その後,妻のメモの6月末の「だめな時はだめでいいよなあとつぶやいていました(このころすべての力を出し切って燃えつきたような気がします),日曜・祭日は一緒によく散歩に行っていたのだが行かなくなる。休日,家に居る事がない夫ですが5時近くには帰って来て,私を買い物に連れ出すのが日課でしたが,このころは一日中ごろごろ横になるようになっていた」)との記述,これに引き続き,睡眠時間の減少,気分の落ち込み,意欲・集中力・記憶・判断力・行動力の低下を自覚するようになっていることから,「燃え尽きた」,「一日中ごろごろ」が,意欲低下,倦怠感といったうつ病の始まりの症状であるといえる。
b 発病時期の診断方法について
精神医学に限らず,医学全般からみて,診断基準となる症状・所見がすべて揃った時期が発病の時期であるという考え方は明らかに間違いである。診断の基準となる一連の症状・所見のいずれかが初めて出現したときを発病時期とするのが一般的である。
本件の場合,完全に症状が出揃うのはお盆以降であるが,専門部会では,ノルマが増えたわけでもないの達成率が悪くなった時期に注目し,その後の妻の陳述から「燃え尽きた」,「一日中ごろごろ」といった症状が認められ,その後の睡眠時間の減少,気分の落ち込み,意欲・集中力・記憶・判断力・行動力の低下と一連のつながりあると判断し,そこを発病時期と捉えるのが妥当である。
2 業務起因性の判断基準
(1) 労災保険法に基づく保険給付(休業補償給付)は,労働者の業務上の負傷,疾病,障害又は死亡について行われるところ(同法7条1項1号),労働者の疾病等が業務上の事由によるものであるというためには,業務と疾病等との間に相当因果関係があることが必要である(最高裁昭和51年11月12日第二小法廷判決・裁判集民事119号189頁参照)。
そして,労災保険法に基づく補償制度は,業務に内在ないし随伴する各種の危険が現実化して労働者に疾病等の結果がもたらされた場合には,使用者等に過失がなくとも,その危険を負担して損失の填補をさせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものであることからすれば,上記相当因果関係の有無は,その疾病等が当該業務に内在する危険が現実化したものと評価することができるか否かによって決せられるべきである。
前記1(7)イのとおり,精神障害の成因には,個体側の要因としての脆弱性と環境要因としてのストレスがあり得るところ,上記の危険責任の法理にかんがみれば,業務の危険性の判断は,当該労働者と同種の業務に従事し遂行することを許容できる程度の心身の健康状態にある平均的な労働者を基準とすべきであり,このような平均的な労働者にとって,当該労働者の置かれた具体的状況における心理的負荷が一般に精神障害を発症させる危険性を有しているといえ,特段の業務以外の心理的負荷及び個体側の要因のない場合には,業務と精神障害の発症又はその増悪との間に相当因果関係が認められると解するのが相当である。
(2) 心理的負荷の評価期間
ア 被告は,原告のうつ病の業務起因性の有無については,発病前おおむね6か月の間に客観的に原告にうつ病を発病させるおそれのある業務による強い心理的負荷が認められるか否かによって判断されるべきであると主張する。
そして,判断指針にも判断要件として同旨が定められていることは前記のとおりであるところ,発病前おおむね6か月前からの出来事を調査の対象とするのは,専門研究会報告書において,①発病から遡れば遡るほど出来事と発病との関連性を理解するのが困難になるためであり,また,②ICD-10の外傷後ストレス障害の診断ガイドライン(F43.1)に「心的外傷後,数週から数か月にわたる潜伏期間(しかし6か月を超えることは希)」とされていることを踏まえたものと認められる。判断指針の前記内容は,その作成経緯等に照らしても不合理とはいえないが,精神障害の発病に当たって評価対象とすべき心理的負荷の期間は前記の期間に限られるものではなく,前記のような判断指針や前記報告書の趣旨を踏まえ,時間の経過とともに出来事が受容され心理的負荷が軽減されることを考慮して,負荷の程度を判断するのが相当である。
イ また,被告は,うつ病の重症度と自殺企図の強さに比例関係があるという医学的知見はなく,発病後の重症化は個体の脆弱性が増大することによるのであるから,業務起因性を判断するに当たっては,うつ病発病後の事情は考慮すべきではない旨主張する。
しかし,前記1(7)ウのとおり,精神医学上,うつ病の増悪も,発病と同様,生物学的,心理的,社会的側面が絡み合って起きるものと考えられていることからすれば,うつ病発症後の業務により既に発症した精神障害が増悪することもあり得る。そうすると,発症後の業務が,客観的に見て,労働者に過重な心理的負荷を与えるものであり,これにより既に発症していた精神障害が増悪したと認められる場合には,業務起因性を認めるのが相当である。したがって,発病後の事情を考慮すべきでない旨の被告の上記主張は採用できない。
3 うつ病の発病時期及びその後の経過等
(1) 専門部会の見解(前記1(7)オ)によると,原告のうつ病の発病時期は平成14年6月下旬ころとされている。同見解は,当該時期を発病時期とする根拠について,同月分から営業成績が落ちているところ,これは仕事の能率が低下した見るのが妥当であり,「活動性の減退」に該当し,妻のメモの記述から,そのころに「燃え尽きた」,「一日中ごろごろ」という症状が認められ,その後の睡眠時間の減少,気分の落ち込み,意欲・集中力・記憶・判断力・行動力の低下と一連のつながりがあることを指摘している。
(2) しかし,前記1(4)イのとおり,平成14年6月度の原告のノルマは,前年実績の177.2パーセントと極めて高く設定されていること,ノルマ達成には至らなかったものの,別紙6のとおり,同月の原告の売上げは前年実績比127.8パーセントであり,前年実績と売上の対比で見ると,外販担当5人中1位であることが認められる。これらの事実からすれば,同月に原告がノルマを達成できなかったことをもって原告の仕事の能率が低下していたと認めることはできず,むしろ従前と同程度の能率を維持していたことがうかがわれ,他にこの時点で原告の仕事の能率が低下していることを認めるに足りる証拠はない。
また,前記のとおり,同年1月度から5月度までノルマを達成した原告が,同年6月度のノルマが達成できなかったことを契機に直ちにうつ病を発病するとは考え難い。
なお,専門部会の見解は,同年6月末ころに関する妻のメモの「燃え尽きた」,「一日中ごろごろ」という記述を発病時期の根拠とするが,前記1(6)エのとおり,原告が「ごろごろ」するようになったのは同年の秋ころであることが認められる上,同年6月末ころに妻が「燃え尽きた」ように感じたとしても,別紙6のとおり,同年7月においても,依然として前年実績を上回る売上を上げていたことからすれば,そのような妻の主観的な見解をもって原告に意欲等の低下が生じていたとは認め難く,この時点で原告にうつ病が発病したと認定することはできない。
他方,前記1(6)エのとおり,同年8月又は9月ころからパチンコに行かなくなったり,妻と散歩をしなくなったりするなど原告の行動が変化し,睡眠障害が生じたのが同年の夏ころであるところ,時期は明確に特定できないものの,同年6月から12月までのノルマが達成できなかったころについて,原告が「意欲がわかない。集中力がない。記憶がおぼろ。判断に欠ける」という感じがあった旨述べていることからすれば,同年の夏ころまでには,抑うつ気分,興味と喜びの喪失,活動性の減少,集中力と注意力の低下及び睡眠障害といったうつ病エピソードの症状(前記1(7)ア参照)が出現していたことが認められる。加えて,原告を診察したD医師が平成14年夏ころにうつ病を発症したと思われる旨指摘していること(同エ),専門部会が原告にうつ病の症状が「出揃うのはお盆以降」であるとの見解を示していること(同オ)も考慮すると,原告のうつ病は遅くとも同年の盆ころまでには発病していたものと推認される。
しかし,上記のとおり,原告が意欲がわかないなどの感じがあったとする具体的な時期は明らかではなく,その他原告のうつ病発病時期を特定するに足りる証拠はないから,これを具体的に認定することはできず,原告が「平成15年1月の半年程度前から,行動がさっと反応できず,変になったような感じを受けていた」旨述べていること(<証拠省略>)を考慮しても,平成14年7月以降同年の盆ころまでの間にうつ病を発病したとの認定にとどまらざるを得ない。
(3) 平成14年秋ころ,原告は,「袋小路に追い込まれた」,「崖っぷちに立たされている」などと述べるようになり(前記1(6)),そのころの原告が閉塞感や絶望感を抱いていたことがうかがわれる。さらに,原告は,同年12月の島原店異動の内示後,自殺を考えたり,これを企図した行動に及ぶようになり,平成15年1月13日に自殺を図っており(同),このころの原告には自殺念慮が生じていたといえるから,前記(2)で認定したころに発病した原告のうつ病は「中等症」以上に増悪していたものと認められる。
4 本件における業務起因性の有無
(1) 業務による心理的負荷について
ア 前記1(3)のとおり,平成13年1月にC部長が着任するまでの間,前記部品用品部の事実上の責任者の地位にあったところ,C部長が着任した後,同年9月に外販担当に異動するまでの間,原告は,C部長から長時間にわたる説教や叱責を受けることがあった。その叱責が指導目的のものであったとしても,C部長が原告に対して「中途半端な人間,凝り固まった化石だろう」などと,指導とは直接関係しない人格を責めるような内容の発言をしていたことが認められることに加え,原告がC部長について「すぐ大声で怒る」,「一言一言が突き刺さる感じ」と述べていること(前記1(6)イ),GがC部長について,「今まで接したことがないくらい厳しい性格の人で,そこまで厳しくしたら相手が何も言えなくなる感じ」,原告に対しての接し方は「他の社員に比べて数段厳しい様子で,外から見かける時も,声は聞こえなくても表情が解るので,かなり厳しいと感じた」,原告が「同席していた社員が,その場にいるのが嫌になるくらいのものすごい叱責を受けていた」ことを聞いたことがある旨述べていること(<証拠省略>)からすると,C部長の原告に対する叱責は,指導の限度に止まらない程度に厳しいものであったことが推認される。
そうすると,平成13年1月から同年9月までの間のC部長の説教や叱責が原告に与えた心理的負荷は強度なものであったということができ,判断指針の別表1によるとしても,その心理的負荷の強度は「Ⅲ」に修正されるべきである。
そして,後記イのとおり,外販への異動後もC部長は原告の上司であり,厳しいノルマを設定するなどしていたことからすると,前記異動によりC部長から上記のような説教や叱責を受けたことによる上記心理的負荷が解消されたとはいえず,上記出来事が前記3で認定したうつ病の発病時期よりも相当程度前の出来事であり,発病から遡れば遡るほど出来事と発病の関連性の認定が困難となること(<証拠省略>)を考慮しても,外販異動前のC部長の説教や叱責が原告のうつ病発病に影響し得ない出来事であったということはできない。
イ 前記1(4)のとおり,原告は,役職定年前に外販担当に配置転換させられており,原告には外販業務の経験があったものの,役職定年前の外販への異動は異例の人事であったものと認められ,この異動が原告に与えた心理的負荷も無視できず,前記別表1によれば,心理的負荷の強度は「Ⅱ」とされるべきである。
また,外販異動後に原告に課されたノルマは,前年同月実績と比べて平成13年10月度が140.5パーセント,同月11月が121.8パーセント,平成14年4月が156.7パーセント,同年6月が177.2パーセントに設定されるなど,他の社員と比べてその比率が高く設定されており(前記1(4)イ,別紙6),本件証拠上,前任者の実績が極めて低かったなどの事情が認められないことからすると,原告に課せられたノルマを達成することは極めて困難な状況であったと考えられる。
上記ノルマが不達成となった場合にペナルティが課される制度は存在しなかったものの(前記1(4)イ),C部長が個人別の売上表を作成させ,ミーティングにおいて「売上げ,実績が上がらない,役に立たない者は辞めてもいい」などと述べていたことや(同カ),外販異動前に原告がC部長から厳しい叱責を受けていたことからすれば,ノルマの不達成につきペナルティ制度が存在しなかったからといって,厳しいノルマ設定による原告の心理的負担の程度が小さかったということはできず,むしろ,ノルマの不達成によりC部長から厳しい叱責を受けることが容易に予測される状況にあったことからすれば,厳しいノルマ設定により原告に心理的負荷を与えたものと認められる。
そして,ノルマが達成できなかったときには,原告はC部長から叱責され(前記1(4)カ),Gの供述等(前記ア)からすれば,その叱責も指導としての限度を超えた厳しいものであったことは容易に推認される上,そのような叱責の中には,他の社員等がいる前で,C部長が原告に対して「必要がない。辞めてもいい」と述べたというものもあり,C部長の当該発言につきFが「退職強要されていると感じとれた」と述べていること(<証拠省略>)からすると,C部長の上記発言の仕方も相当厳しいものであったことがうかがわれる。このように,原告は,厳しいノルマを課された上に,その不達成につきC部長から厳しい叱責を受けており,ノルマの不達成やそれに対するC部長の叱責が原告に与えた心理的負荷は強度なものであったということができ,その心理的負荷の強度は,前記別表1の「Ⅱ」を修正して「Ⅲ」に該当すると考えられる。
原告の外販異動後の時間外労働時間は,平成13年10月から平成14年5月ころまでは,毎月おおむね80時間前後と推認され(前記1(4)オ),著しい長時間労働を強いられていたとまではいい難いものの,内勤時よりも労働時間が長時間化しており,厳しい上記ノルマの達成のために相当程度の時間外労働を強いられたことは容易に推認される。加えて,平成14年6月以降は,厳しいノルマ達成のために振替休日にも出勤せざるを得なくなり,時間外労働時間も月90時間前後に達していたものと認められる(同オ)。このように,外販異動後に継続的に相当程度の長時間労働を強いられ,同月以降は,ノルマの達成のために振替休日に出勤せざるを得なくなるなど,さらに長時間の労働を強いられたことが原告に与えた心理的負荷も相当なものであったということができ,これを前記別表1に当てはめるとすれば,「Ⅱ」とされるべきである。
ウ 前記1(5)のとおり,原告は,平成14年12月24日に島原店への異動の内示を受け,島原店の社員が代わりにh部品センターに異動するという交代人事がなされたが,交代社員の事情により引継ぎが円滑に進まず,h部品センターの業務と島原店の業務との掛け持ちすることになり,帰宅時間が午後11時を過ぎることもあったこと,白内障による車の運転の支障を考えて単身赴任を希望したにもかかわらず,島原店を通勤範囲内として扱う本件会社との間で問題が生じたことが認められ,このような転勤による勤務状況の変化等は,原告に過重な心理的負荷を与えるものであったといえ,前記別表1に当てはめるとすれば,「Ⅱ」又はこれを修正した「Ⅲ」に該当する。
エ 以上に対し,被告は,役職定年前の外販担当への異動は,社内間の単なる人事異動であり,役職や給与関係等処遇に変化がないから,過重な心理的負荷はないし,異動後に原告が外販業務に対する意気込みを示していたから,原告の心理的負荷は解消した旨主張する。
しかし,役職定年前の外販担当への異動は異例のことであり,欠員が生じたことを理由とする人事であるとしても,それだけで十分な合理性があるとはいい難く,その心理的負荷は無視できる程度のものとはいえない。また,外販異動後には,厳しいノルマが設定されるなど業務上の負担が生じており,その発端が外販担当への異動にあることからすれば,原告がノルマ達成のために意気込みを示していたとしても,そのことから原告の心理的負荷が解消したと認めることはできない。
また,被告は,原告に設定されたノルマは他の社員と比較して高いものではなく,ノルマが達成できなくてもペナルティが課されることはないから,心理的負荷は大きいものではない旨主張する。
しかし,外販担当の各社員は,担当地区の範囲内で外販活動をしていたことが認められ(<証拠省略>),このような場合,担当地区内の営業先の数や内容等により,担当者の売上が左右されるものと考えられる。そうすると,異なる地区を担当する社員同士のノルマを単純に比較しても,その地区の担当者に課されたノルマが厳しいものかどうかは明らかにはならない。他方,同じ地区の前年実績と比してノルマが高く設定されている場合には,前年の担当者の個人的事情により実績が極めて低かったなどの特段の事情がない限り,一般的には厳しいノルマが課されているということができる。本件においては,前任者につき上記特段の事情は認められず,上記のとおり,原告については,前年実績と比較して高いノルマが設定されていることからすれば,原告には他の社員と比べて厳しいノルマが課されていたということができる。
さらに,被告は,原告がC部長を疎んでいたことから,C部長の通常の指導を原告個人に対する攻撃ととらえた可能性がある旨主張するが,Gの前記供述からすると,C部長の原告に対する叱責は客観的に見ても指導の限度を超えた厳しいものであったと推認されるから,被告の上記主張は採用できない。
(2) 業務外の出来事による心理的負荷について
平成14年5月に長女が結婚したことが認められるものの(前記1(1)),原告はこれをノルマ達成の動機付けとしていたこと(同(6)),長女の結婚式の前日にお菓子作りをする原告は妻から幸せそうに見えたこと(同),原告が長女の結婚に反対していたという事情が認められないことからすれば,長女の結婚が原告の心理的負荷となる出来事であるとはいえない。また,原告が高血圧症の治療を受けていたことや,白内障の症状が出現し,その治療を受けていたことが認められるが(同(1)),これらが原告のうつ病を発症させる要因となり得ることを認めるに足りる証拠はない。
(3) 原告の個体側要因について
原告に精神障害の既往歴はなく,アルコールへの依存も認められない(前記1(1))。性格傾向としては,うつ病患者の特徴的性格であるメランコリー親和型人格である旨のD医師の意見があるものの,厚生労働事務官作成の補償給付調査復命書(その1)(<証拠省略>)において,「うつ病の発症に寄与するような特段の偏りや問題点は認められない」とされており,前記1(1)ウで認定した原告の性格傾向等や,平成13年以前の原告の勤務状況等に特段問題が生じていたことがうかがわれないことからしても,原告にうつ病の発症に寄与するような個体側要因があるとは認められない。
(4) 業務起因性の有無
精神障害に関与したであろう複数の出来事が重なって認められる場合のストレスの強度は総合的に評価すべきであるところ(<証拠省略>),前記(1)のとおり,平成13年1月から同年9月に外販担当に配置換えとなるまでの間,C部長から指導の限度を超えた厳しい説教や叱責を受けていたこと,外販移動後もC部長により厳しいノルマ設定がなされ,これを達成するために労働時間が長時間化し,また,ノルマが達成できないと,C部長から厳しい叱責がなされ,平成14年の秋には他の社員の前で「必要ない。辞めてもいい」などと言われたこと,同年6月以降は,ノルマ達成のために振替休日の出勤を強いられ,さらに労働時間が長時間化したこと,平成15年1月には島原店への異動となり,h部品センターとの勤務の掛け持ちや単身赴任に関する問題が生じたことが認められる。
これらの出来事のうち,外販異動前のC部長による指導の範囲を超えた厳しい叱責,外販異動後の厳しいノルマの設定及びそのノルマの不達成など,前記3で認定した原告のうつ病発病時期前の出来事に限っても,判断指針によれば,その心理的負荷の強度は「相当程度過重」ないし「特に過重」なものとして,総合評価は「強」とされるべきであり,平均的な労働者に精神障害を発症させるおそれのある程度の強度の心理的負荷があったということができる。
また,その後の継続的なノルマの不達成,それに対するC部長の厳しい叱責及び島原店異動に伴う勤務状況の変化等の出来事も,平均的な労働者に対して過重な心理的負荷を与えるものであったということができ,これらの出来事が原告のうつ病を増悪させた可能性は高いというべきである。
他方,原告には,業務外の出来事による心理的負荷がうかがわれないこと,原告に個体側の要因が認められないことからすると,業務と原告のうつ病発病との間には相当因果関係が認められるというべきであり,また,うつ病発病後は過重とはいえないストレスによりうつ病が増悪し得るとしても,上記のとおり,原告に業務外の出来事による心理的負荷の存在がうかがわれないことを考慮すると,業務と原告のうつ病の増悪との間の相当因果関係も認められるというべきである。
(5) 以上によれば,原告の精神障害(うつ病)には業務起因性が認められるから,業務起因性が認められないことを理由とする本件各処分はいずれも違法なものというべきである。
なお,原告は,平成17年12月9日,諫早労働基準監督署長に対し,平成15年6月14日から平成17年10月31日までの期間に係る休業補償給付の支給申請を行っているが(前記前提となる事実),労災保険法42条により,原告の休業補償給付受給権中,平成15年6月14日から同年12月8日までの部分は,2年の時効期間経過により消滅しているから,諫早労働基準監督署長が原告に対して平成17年12月15日付けでした休業補償給付を支給しない旨の処分のうち,上記期間の休業補償給付を不支給とした部分に違法はない。
第4結論
以上のとおり,本件各処分(平成17年12月15日付けの処分のうち,平成15年6月14日から同年12月8日までの休業補償給付を不支給とした部分を除く。)は,違法であり,取消しを免れない。
よって,本件各処分の取消しを求める原告の請求は主文の限度で理由があるので,これを認容することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 須田啓之 裁判官 葛西功洋 裁判官 松井俊洋)