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長崎地方裁判所 平成6年(ワ)392号 判決 1999年1月12日

原告 小澤恭

被告 国 ほか五名

代理人 細川二朗、松本京子、蔵田博国、古門照憲、小中尾宗亮 ほか五名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

一  被告らは、原告に対し、各自金一億円を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

第二事案の概要

本件は、長崎大学の空手道部に所属していた原告が、夏季合宿におけるトレーニング中に熱射病になり、その結果精神分裂病になったなどとして、同部において主将等の地位にあった被告ら(ただし、被告国を除く。)に対し不法行為による損害賠償を求めるとともに、被告国に対しても安全配慮義務違反又は同部顧問教官の不法行為による損害賠償を求めた事案である。

一  前提となる事実

1  原告は、昭和六〇年四月、長崎大学経済学部に入学した後、同大学空手道部(以下、単に「空手道部」という。)に入部し、同年八月の時点においても同部に所属していた。なお、原告は、空手道部入部前に空手の経験はなかったが、高等学校時代にはフェンシング部に所属していた。(原告に空手道部入部前に空手の経験がなかった事実は弁論の全趣旨、原告が高等学校時代にフェンシング部に所属していた事実は被告太田浩三により、その余は争いがない。)

被告国は、長崎大学を設置し、管理するものである。(争いがない。)

国を除く被告らは、同年当時、いずれも同大学三年に在籍し、空手道部に所属していた者であり、被告太田浩三(以下「被告太田」という。)は同部の・主将、被告田中大吾(以下「被告田中」という。)は同副将、被告本田武弘(以下「被告本田」という。)は同部統制、被告長畑潤(以下「被告長畑」という。)は同外務、被告狩野伸也(以下「被告狩野」という。)は同内務の各地位にあった。(争いがない。ただし、原告と被告国との間において、空手道部における被告本田、同長畑及び同狩野の各地位は被告太田による。なお、以下、空手道部の部員を単に「部員」という。)

空道部は、昭和二八年に創設され、昭和六〇年度は、部員数約四九名(一年生約一〇名、二年生一二名、三年生九名、四年生一一名、五年生以上数名)で、長崎大学医学部教授の訴外宮本勉(専門はウィルス学。なお、同人を以下「宮本」という。)が顧問教官を務めていた。(長崎大学医学部教授の宮本が昭和六〇年度の空手道部の顧問教官を務めていた事実は争いがなく、その余は<証拠略>証人宮本及び被告太田による。)

2  空手道部では、昭和六〇年八月二一日、長崎県西彼杵郡大瀬戸町(以下、単に「大瀬戸町」という。)において、同月二七日までの予定で夏季合宿(以下「本件合宿」という。)を始め、原告及び国を除く被告らを含む部員三五名(一年生一〇名、二年生一一名、三年生九名、四年生四名、その他一名)がこれに参加した。(以下、本件合宿に参加した部員を「参加者」という。)(争いがない。ただし、原告と被告国との間において、参加者らの内訳は<証拠略>による。)

なお、大瀬戸地域気象観測所の観測によれば、同月二一日の大瀬戸町は、正午が気温三一・二度、風速毎秒一メートル、午後三時が気温三〇・一度、風速毎秒二メートルであり、同月一八日以来の大瀬戸町の正午又は午後三時のいずれか高い方の気温は、一八日が三〇・三度、一九日が三〇・四度、二〇日が三一・五度、二一日が三一・二度であった。<証拠略>

3  参加者らのうち原告を含む一、二年生部員全員と三年生部員の一名は、同月二一日、午前九時三七分にバスで長崎バスクーミナルを出発し、午前一一時三〇分ころ宿舎としていた大瀬戸町瀬戸東浜所在の民宿「やまわき」に到着して他の参加者らと合流した。同民宿付近の様子は別紙二記載のとおりである。参加者らは、その後昼食をとり、午後二時三五分に同民宿前(別紙二のA点以下アルファベット及び数字で示す地点はすべて別紙二記載のものである。)を出発し、体をほぐす程度にゆっくり走って緩やかな登り坂になっているB、C、Dの各点を通り、A点から走行距離にして約一・三キロメートル離れたトレーニング予定地の西彼杵高等学校付近(E点)へ向かった。(原告と国を除く被告らとの間においては争いがなく、原告と被告国との間においては<証拠略>被告太田及び検証の結果による。)

参加者らは、右予定地に着くと、まず、平地の歩道を利用しておんぶダッシュ(二人一組となりE―F間約九〇メートルのコースを行きと帰りで交代し、五往復。一往復毎にインターバルをとる。)を行った後、E点から走行距離にして約三五〇メートル離れた階段下(G点)までインターバルを兼ねてジョギングした。そして午後三時ころに軽いインターバルをとった後、六五段の登り階段(高低差約一三メートル)を含みG点か<3>・Hの各点を通り再びG点に戻る一周約二五〇メートルのコース(以下、「本件周回コース」という。)を、階段でのダッシュと下り坂でのインターバルで一〇周し、さらに片足跳びで階段登りを左右二回づつ、二人一組となり手押し車で階段登りを各自二回づつ行った。そしてさらに、ジョギングで走行距離にして五〇〇ないし六〇〇メートル離れた大瀬戸中学校へ移動してその校門付近(<1>点)の鉄棒で懸垂一〇回三セットを行った後、なお余力がある者は約四〇メートルの「アヒル」(腰を低く落として歩くもの。)をして、それ以外の者は歩いて、西彼杵高等字校(<2>点)へ向かい、午後四時二五分ころから同校の体育館で約二〇分間休憩し、柔軟体操と空突き、空蹴りをしたが、4記載のとおり四人の参加者が相次いで座り込み、病院へ運ばれたため、午後五時一〇分ころトレーニングは中止された。(E―G間の走行距離については<証拠略>、G―<1>間の走行距離については<証拠略>及び被告太田、本件周回コースの距離及び階段の高低差については甲二三、「アヒル」の内容は検証の結果による。その余は、原告と国を除く被告らとの間においては争いがなく、原告と被告国との間においては<証拠略>被告太田及び検証の結果による。)

4  この間、午後三時一〇分ころ、一年生の訴外渡辺浩一(以下「渡辺」という。)が、本件周回コースを六ないし七周したところで、H点付近で座り込み、さらに一〇分ほどで眼球を中央に寄せて泡を吹き、意識を失った(なお、同人については、その後午後三時三〇分ころ、三年生部員の訴外山田和史(以下「山田」という。)が車で一旦西彼杵高等学校に運んだ後、被告長畑が車で大瀬戸町瀬戸板浦一一〇七所在の中村医院に運んだが、長崎県西彼杵郡外海町大字黒崎所在の日浦病院に転送され、さらに翌二二日には長崎大学医学部附属病院(以下「長大附属病院」という。)に再転送されたが、腎臓、肝臓の機能障害がひどく、同年九月六日に死亡した。)。また、原告も、本件周回コースを一〇周完走後の午後三時二〇分ころ、G点付近で動けなくなって座り込んだ。原告は、その後二五分ほどして一旦トレーニングに戻り、ジョギングに参加し、懸垂もした(片足跳びと手押し車はしなかった。)が午後四時四四分ころ、柔軟体操や空突きをしていたところで足のしびれを訴え、休んでいたが大量の水を吐いたため、被告長畑が車で同医院に運んだ。さらに、午後三時三〇分ころには訴外大野繁祐(以下「大野」という。)が手押し車の途中で、午後四時一〇分ころには訴外南原成三(以下「南原」という。)(なお、両名は当時いずれも一年生であった。)が西彼杵高等学校の体育館まで歩いて行く途中で、相次いで座り込んだ。(中村医院の所在地へは調査嘱託の結果、日浦病院の所在地は<証拠略>により、その余は、原告と国を除く被告らとの間においては争いがなく、原告と被告国と間にいおいては<証拠略>及び被告太田による(ただし、渡辺が昭和六〇年八月二二日に長大附属病院に入院し、同年九月六日に死亡した事実は争いがない。)なお、このうち原告に係る事故を、以下「本件事故」という。)

5  原告は、中村医院に運ばれたものの、同医院では対応ができなかったため、同日午後五時すぎに日浦病院に転送され、そこで熱射病の診断を受けて入院したが、同月二四日、長崎市立病院成人病センター(以下「成人病センター」という。)へ転院し、さらに同月二六日には、長大附属病院に転院した。この間、原告には、カーテンの影や男性の姿を見ると「殺しに来た。」などと言って怯えたり、水枕の水を飲んだりするなどの異常な言動が現れた。なお、右二四日の成人病センターへの転院は、同日、日浦病院から長崎大学学生部学生課へ、原告の症状が前夜から急変悪化したため長大附属病院での治療の必要がある旨の電話連絡があったが、当時はICU室が満杯であり長大附属病院では直ちに原告を受け入れることができなかったためになされたものである。また、この間、南原は、同月二一日午後八時一八分に長大附属病院に運ばれICU室に入った。(<証拠略>被告太田、調査嘱託の結果及び弁論の全趣旨による。ただし、原告と被告国との間において、原告の昭和六〇年八月二一日の日浦病院への入院、原告の同月二四日の成人病センターへの転院及びそれに至る経緯、原告の同月二六日の長大附属病院への転院、南原の右日時における長大附属病院ICU室への入室の各事実は争いがない。)

その後の原告は、一日症状が軽快したため、昭和六一年四月二五日、長大附属病院を退院し、同年五月には復学したが、講義の理解力はほとんどなく、ときに幻聴があり、独り言を言って笑うこともあった。同年八月二三日から九月一八日までは検査のため長大附属病院に再入院し、後期は休学した。休学中は改善の兆しが見られたが、同年一一月に薬を飲むのをやめたところ、同年末ころから再び悪化し、不眠や無気力状態、妄想、空笑が見られたり、「みそぎ」と称して寒中水のシャワーを裕び、裸のまま近所の神社に詣りに行くなどの異常な行動をとるようになった。昭和六二年四月に再び復学したが、授業に対する意欲は減退し、遅刻や欠席が多くなり、昭和六三年二月ころには課題として出された感想文が書けずに母親が代わって書いて提出したこともあった。その後、平成四年ないし五年に退学した。(原告が昭和六一年四月二五日に長大附属病院を退院し、同年五月に一旦復学したが、その後同年八月二三日から九月一八日まで同病院に検査のため再入院し、後期は休学した事実は争いがなく、その余は<証拠略>による。)

退学後の原告は、家にいる時間が長くなり、普段はテレビやビデオを見たり、スポーツ紙を読んだり、猫と遊んだりして留守番していることが多く、精神障害者の家族会の共同作業所で袋張りなどの仕事をすることもある。また、平成五年ころからは空笑はなくなったが、幻聴がひどくなり、意味不明の言葉を発したり、泣いたり、下を向いて考え込んだりするようになった。<証拠略>

この間、原告は、平成二年五月三一日に長大附属病院において精神神経科医師辻村撤により「器質性脳障害(脳器質性精神病)」との診断を、平成三年一一月一一日に佐藤クリニックにおいて精神科医師佐藤英輔により「非定型(脳器質性)精神病」の診断をそれぞれ受けた後、平成五年六月二八日には、築城クリニックにおいて精神神経科医師築城士郎により「精神分裂病」との診断を受けた。また、原告は、昭和六一年二月二八日、平成二年五月二四日、平成一〇年六月四日に、いずれもWAIS知能検査を受けたが、その結果は、昭和六一年二月二八日受検分がIQ八四、平成二年五月二四日受検分が同九九、平成一〇年六月四日受検分が同六四であった。<証拠略>

6  原告は、平成五年九月九日、国民年金法に基づく障害等級の二級(一六号)に認定され、平成六年二月二四日、長崎家庭裁判所において、原告の父小澤虎貞を保佐人とする準禁治産者の宣告を受けた。<証拠略>

7  原告は、小澤虎貞の同意を得た上、平成六年九月七日、被告らを相手に本件訴訟を提起した。また、国を除く被告ら訴訟代理人は、平成八年五月七日、原告訴訟代理人らに対し、本件事数に関する損害賠償債務について、消滅時効を援用する旨の意思表示をした。(当裁判所に顕著)

8  「長崎大学学生通則」(昭和三五年一〇月一日制定)によれば、「学生が学内において、団体を組織しようとするときは、あらかじめ所属学部または教養部の長崎大学学生委員会委員に図り、顧問教官を定め、所定の願書二通に趣旨目的を明らかにした規約と団体員名簿を添え、所属学部長または教養部長に提出し、学長の承認を受けなければならない。」(一三条)、「学生が本学の施設を使用しようとするときは、使用の五日前までに代表責任者は、顧問教官を経て、所管部局長に願い出、許可を受けなければならない。」(二八条)とされているほか、学生又は学生団体が、学外から指導者等を招へいしようとするとき、学内において集会しようとするとき、学内において掲示しようとするとき、学内において印刷物を頒布又は販売しようとするとき、学内においてデモンストレーション、署名運動等をしようとするとき、学内外を問わず寄付金募集等をしようとするときには、いずれも所属学部長又は教養部長(二学部以上にわたる学生で組織された学生団体の行為については学長)の承認を受けなければならず、学生又は学生団体が、長崎大学の名を用い学外において集会又は行事を行おうとするとき、同大学の名を用いて学外において掲示しようとするとき、学内において印刷物を刊行しようとするとき、同大学の名を用い学外において印刷物を頒布又は販売しようとするとき、同大学の名を用い学外においてデモンストレーション、署名運動等をしようとするときには、いずれも所属学部長又は教養部長(二学部以上の学生で組織された学生団体の行為については学長)に届け出なければならないものとされている(一五条、一六条、一八ないし二〇条、二二ないし二六条)。また、右通則一三条注では、「顧問教官は、課外教育活動の効果を高めるため適切な助言を与える。学生団体は、行事について常に顧問教官と密接な連係を保たなければならない。」とされている。なお、右の諸届及び承認願の様式についても右通則がこれを定めており、いずれも顧問教官の記名押印欄が設けられている。<証拠略>

二  争点及びこれに対する当事者の主張

争点1 被告らの損害賠償責任の有無

(一)  国を除く被告らについて

(原告の主張)

(1) 国を除く被告らは、いずれも空手道部の活動や運営を統括し、部員らを指導監督すべき地位にあったというべきであり、事前に部員らの体力や健康状態等を把握し、無理のない練習計面を立てた上、参加者らにその内容を説明して事故防止の心構えを教育し、トレーニング中は、適宜水分を補給させるなど参加者らの状態に目を配って適切な対応を行い、熱射病の発生を防止すべく十分な注意を払う義務があった。しかるに、右被告らはいたずらに過酷な計画を立てた上、原告等一年生部員に対し事前にその内容を説明することもなく、本件事故当日は、一滴の水も用意せず、参加者らが次々に熱射病の症状でトレーニングを続けることができない状態に至ったにもかかわらず、なおこれを継続した。

(2) 右被告らは、渡辺が眼球を中央に寄せ泡を吹いて意識を失った時点で、熱射病を少なくとも疑うべきであり、遅くともその後原告と大野が倒れた時点では、トレーニングを一時中止し、倒れた者を含む体力を消耗した者に対する対策及びその後の対応を検討し、トレーニングを中止するか体力を保持している者のみ計画を大幅に変更して続行すべきであり、そうしていれば、原告は後遺障害を残すほどの重症に陥ることはなかった。

また、右被告らは、渡辺が倒れた時点において、直ちに宮本に事故の報告をして対応について助言、指導を受けるべきであったのに、これを怠り、その後も参加者が相次いで倒れてもなお右報告をしなかったため、宮本から適切な助言、指導が受けられず、被害の増大をもたらした。

(3) 右被告らは、渡辺、原告、大野、南原が座り込んだ後、同人らを直ちに熱射病の治療に関して人的物的条件の整った病院へ運ぶべきであったのに、その都度漫然と、右条件が不十分な中村医院へ運び、その後も同様に右条件が不十分な日浦病院へ転送したため、原告は緊急を要する熱中症の治療が遅れた。また、熱中症に対しては、速やかに体温を低下させるための冷却の措置をとることが重要であって、どれだけの時間、過高体温が持続するかがその予後を決定するから、右被告らは、原告が倒れてから同人を医療機関へ搬送するまでの間、本来、直ちに同人を風通しの良い冷暗所に寝かせ、扇いで風を送ったり、水をかけたり、氷をあてたりして、できる限り体温を低下させるための工夫をすべきであったのに、木陰に運んだ程度でそれ以上の措置をとらなかった。

これらの右被告らの対応は、原告の症状の悪化をもたらし、その症状の回復に支障をきたした。

(4) したがって、右被告らは、原告が被った損害について、不法行為に基づく賠償義務を負う。

(国を除く被告らの主張)

(1) 大学における体育部の活動は、本質的に自主的に行われるべきものであり、構成員は、いずれも成人又はそれに近く、知力、体力とも十分に発達し、自己の行為及びその結果については自分で判断し対処する能力を備えているのであるから、通常の合宿や練習において生じる危険防止については、その活動に携わる各人の自主的判断と責任に委ねられているものというべきであり、主将等の地位にある者といえども部員らを指導監督すべき義務を負うものではない。本件においても、国を除く被告らと原告とは、年齢や経験、判断能力等において大差はなかったし、右被告らには医学、特にスポーツ医学についての専門的知識がなく、本件合宿におけるトレーニングから生じる危険防止のために具体的な対策を立て、逐一指導する能力はなかったのであるから、右被告らは、原告が主張するような熱中症の発生防止を図るため万全の注意を払うべき義務はなかった。

(2) 右被告らに部員らの危険防止につき適切な対策を講じ注意を払うべき義務があったとしても、本件では以下のような事情があり、本件事故発生につき右被告らに過失はない。

<1> 一年生部員に対しては、昭和六〇年四月の入部以来、右被告らを含む三年生部員が中心となり、本件合宿に参加するにあたっては事前の自主トレーニングや自己の健康管理が必要なことを再三にわたって説明し、理解させることに努めたほか、過去の合宿日誌や写真等を使って夏季合宿における体力づくりやトレーニングの内容を認識させ、同年七月八日にはプレトレーニングを実施した。

本件合宿におけるトレーニング場所については、空手道部のOBで当時西彼杵高等学校の教諭を務めていた訴外井野口隆一(以下「井野口」という。)に相談して選定し、同月下旬ころには現地に赴き、下見をして、状況の把握に努めた。また、本件合宿開始の前日である同年八月二〇日には、同合宿に参加する三年生部員全員で、同合宿におけるトレーニングの項目、回数、時間等を確認するとともに各人の役割を決めた。

参加者らのうち一、二年生部員については、合宿地へ向かうバスの中で、同乗した三年生部員が健康状態をチェックし、昼食のとり方等にも注意しており、その際、特に異常を訴える者はなかった。また、万一の場合に備え、参加者らには健康保険証を持参させていた。

<2> 夏季合宿の内容は空手道部の歴史の中で先輩部員らが体力の強化、空手の技能面の上達のために有効な方法を検討し改善を加えながら形成してきたもので、部員らの身体的成熟度を考慮すると、適切で合理的な内容であって過酷なものではなく、過去の夏季合宿でも参加者が熱射病にかかり重体に陥ったことはなかった。本件合宿におけるトレーニングの内容は、インターバルのとり方や各項目の実施回数にも気を配っており、例年の合宿よりむしろ控え目ですらあった。

本件合宿当時の気温も異常な高温ではなく、屋外のトレーニングを行っても一概に配慮が足りないとはいえず、部員らの基礎体力や鍛錬度を勘案するとなおさらである。

<3> 原告が午後三時二〇分ころ座り込んだとき、被告長畑及び同田中は、なおもトレーニングを続けようとする原告を制止し、日陰に移して休息させた。その後二五分ほどすると、原告はトレーニングの再開を申し出、被告田中は再度これを止めたが、原告はそれを振り切ってジョギングを始めたため、被告田中は、原告の判断に任せ、そのペースに合わせて伴走しており、国を除く被告らが原告に対しトレーニングの継続を指示したり強制したことはない。

(3) 熱中症は、熱けいれん、熱疲労、熱射病の順で軽症から重症へと進行するといわれているところ、右被告らは、遅くとも熱疲労の症状の段階までに原告を医療機間へ搬送しており、対策が遅れたために原告に重篤な後遺障害が生じたわけではない。

(原告の反論)

(1) 空手道部においては、後輩は先輩に対し絶対服従という規律が厳然と確立され、本件合宿の計画、実施を含め、部の運営や活動の計画、実施等は、すべて三年生部員が中心となり主将をはじめとする担当部員らによって行われていた。また、同部では、いったん入部したら退部は絶対に許されず、無断で練習を休むと後に厳しい練習を課されたり、数回練習を休んでいた一年生部員が、上級生部員の命令を受けて下宿にやって来た他の一年生部員に練習に連れ戻されたこともあった。

(2) また、空手の術技において一年生部員と三年生部員との差は大きく、特に夏季合宿といった特別行事に関しては初体験の一年生部員と三回目の三年生部員とでは比較にならないほどの大差があった上、一年生部員は、本件合宿におけるトレーニングの内容について事前に説明を受けたことはなく、事前の自主トレーニングや健康管理の必要性について再三説明を受けたこともなかった。プレトレーニングは一回あったが、全員が参加したわけではなかった。

(3) このような中で、一年生部員であった原告が、自らの責任において事前に危険を予見し、防止対策を講じるということは不可能であったし、本件事故当日も、下級生部員の後ろでは、三年生部員が竹刀を振り回しながら遅れる者を追い立て、一年生部員は他の者に遅れないよう必死に走っており、原告が、自分の判断でトレーニングを中止することができる状況ではなかった。

(二)  被告国について

(原告の主張)

(1) 本件合宿は真夏の炎天下の屋外におけるトレーニングであり、夏季合宿初参加の一年生部員も多数いた上、その計画は過酷なものであったところ、被告太田は、本件合宿について、事前に長崎大学当局に「学外集会届」を提出しており、その際、宮本は右学外集会届に認印をした。したがって、宮本は、その時点で本件合宿の内容を知り得た(仮に右学外集会届の記載からだけでは本件合宿の内容を把握できなかったのであれば、学生から聴取するなどしてこれを把握すべきであった。)ものであって、参加者らのうちに熱射病等が発生し、その生命、身体に危険が及ぶことを予見できた。したがって、宮本は、空手道部の顧問教官として、部員らに対し、右計画の変更を含む本件合宿における実施上の注意を行うべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、その結果原告に熱射病による重大な被害をもたらしたのであるから、被告国は、国家賠償法一条一項により、原告が被った損害の賠償責任がある。

(2)<1> また、被告国は、国立大字の学生に対し、在学関係に付随する義務として、その生命、身体について安全配慮義務を負うというべきあり、課外活動においてその目的から逸脱した行為によって危険を生じるおそれがある場合、大学当局は危険の発生を未然に防止する具体的措置を講じるべき義務がある。この点、本件合宿及びその計画は(1)記載のとおりであり、長崎大字当局は、右学外集会届の記載から、本件合宿の内容を事前に知り得た(仮に右学外集会届の記載からだけでは本件合宿の内容を把握できなかったのであれば、学生から聴取するなどしてこれを把握すべきであった。)から、同大学当局は、参加者らのうちに熱射病等が発生し、その生命、身体に危険が及ぶことを予見することが可能であった。したがって、同大学当局は、部員らに対し、計画の変更を含む。合宿の実施上の注意を行うべき義務があったにもかかわらず、これを怠り、その結果原告に熱射病による重大な被害をもたらしたのであるから、原告が被った損害について、被告国には安全配慮義務違反による賠償責任もある。

<2> さらに、長崎大学当局は、南原が長大附属病院に到着してICU室に入った昭和六〇年八月二一日午後八時一八分ころには、本件事故発生の事実を知ったから、直ちに本件事数の全容を把握して国を除く被告らに対し適切な救護措置を指示すべきであったし、原告に対しては速やかにICU設備がある病院での治療を受けさせるべきであり、仮に同月二二日までにICU設備がある病院で治療を受けていれば、原告は精神障害といった重篤な後遺障害を残すことなく回復することが十分可能であった。

しかるに同大学当局では、同月二二日午前九時過ぎになって初めて学生課長補佐の山田将が四年生部員の訴外大久保大五郎(以下「大久保」という。)から本件事故の報告を詳しく聞いたに過ぎず、その日すらも漫然と状況の把握に費やしただけで具体的な救護措置を講じることはなく、同月二四日に日浦病院から電話連絡を受けた後も長大附属病院での受け入れを拒み、ICU設備がある他の病院と交渉して入院させることもせず、漫然と同設備のない成人病センターに一時入院させたため、原告は満足な治療を受けられず、脳機能に障害を残すことになった。

したがって、本件事故発生後の対応の面においても、被告国には安全配慮義務違反がある。

(被告国の主張)

(1)<1> 学校教育法五二条は、「大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。」と定めており、これらの目的を達成するため、大学における教育は、高度に専門的なものであるのと同時に、幅広い人間性の涵養、人格の陶冶、健全な心身の発達などが自主的に達成されることに資するものでなければならない。また、その対象である学生は成人又はこれに近い上、その資質も大学教育にふさわしいとして選択された者が有するものであるから、一般的に学生は成人と同等の能力を有するものとみなすことができる。したがって、大学においては、学生に対して監督を加えたり指示等を与えたりすることはできるだけ差し控え、その自主性を尊重することにより、教育の効果をより上げることができる。

そして、国立大学において、一般の教育は国立学校設置法等の法令により編成された教育課程により行われるのに対し、課外活動は教育課程外の活動であって法令の根拠に基づくものではなく、学生が自らの責任において自主的に運営し、もって教養を高め、あるいは心身を鍛錬し、同時に社会性や人間性の涵養に資するところに教育的価値を見出すことができるものであり、本質的に自主的に行われるものである。大学が、課外活動を奨励し、これに援助や便宜を与えているのは、この意味において大学における教育目的に沿うからであり、この点は長崎大学においても同様である。

したがって、被告国は(原告の主張)(2)<1>記載のような安全配慮義務を負うものではない。もっとも、同大学においては、学生自らが判断し自らの力で企画、運営、活動する団体活動を通じて自主的、自立的精神の涵養が図られるものとしてサークル活動を奨励しているから、その活動に必要な施設や設備を可能な限り整備し、その適正な維持管理に配慮するなどの一般的な安全配慮義務はあるとしても、かかる義務についてはこれを尽くした。

<2> また、本件事故発生後、原告は直ちに日浦病院に入院して治療を受けていたのであるから、同病院における治療や設備が原告の病状に対応しないものであることが明らかでない限り、原告に対する治療方法等については同病院の医師の判断に委ねられるべきものであって、被告国に対し、同病院に入院している原告をICU設備のある病院へ転院させることを求めるかのような原告の主張は失当である。また、長崎大学学生部学生課が日浦病院から電話連絡を受けた後、同大学がとった措置は不適切とはいえない。

(2) さらに、長崎大学では、同大学の学生が学内において同大学の学生を構成員とする団体を設立しようとするときは、「長崎大学学生通則」により、同大学専任の教授、助教授、講師又は助手の中から顧問教官を定め、所定の様式により団体設立承認願を所属学部長又は教養部長に提出し、学長の承認を受けるものとされているが、右顧問教官は、サークルを設立しようとする学生が自らの判断で大学の教官の中からふさわしいと考える者を選定して就任を依頼するものであり、長崎大学がその選定及び就任について関与することはなく、顧問教官就任の依頼を受けた教官がこれに応じるか否かは任意であり、当該課外活動についての専門的技術や知識の有無は就任の要件となっていない。すなわち、同大学において、顧問教官の役割は、大学とサークルとの調整役として、サークル員に対する助言者又は精神的な協力者として側面から援助するに止まり、日常の活動に介入し、直接練習の方法や内容を指導監督する義務を負うべき立場にはない。

したがって、宮本は、部員らに対する助言者又は精神的な協力者として側面から援助すれば足り、その活動内容に関して指導監督の義務を負うものではない。本件合宿についても、それは部員らが自主的に計画を立て、実行したものであり、その運営について宮本が指導したことはなかったから、同人が事前にその内容を把握したり、実施上の注意を行うべき義務はなかった。

(原告の反論)

(1) 今日の大学教育の実態は高等学校教育の延長を出るものではなく、被告国が主張する大学や学生のあり方は建前論に過ぎない。今日の大学においては、学生に対し相当の監督や指示がなされているのが現実であって、学生の自立的活動や自主的判断能力について過大に評価することはできない。

(2) 一般に、サークルの顧問教官は、サークルを設立しようとする学生の依頼に応じて就任するものであり、サークル及びサークル員との密接な関係が予定されおり、長崎大学においても、長崎大学学生通則により、「学生団体は、行事について常に顧問教官と密接な連係を保たなければならない。」とされ、諸届及び承認顧には顧問教官が認印することになっているのであって、右の関係に変わりはない。

争点2 消滅時効の成否

(国を除く被告らの主張)

原告が被った損害について、国を除く被告らがその賠償債務を負うとしても、同債務については、原告が長大附属病院において器質性脳障害(脳器質性精神病)の診断を受けた平成二年五月三一日から消滅時効が進行するというべきところ、同日から起算して本件訴訟提起までに三年が経過しているから、右債務は時効により消滅した。なお、熱中症による器質性脳障害と機能的脳障害による精神分裂病とは異質のものであり、原告の症状が熱中症による脳損傷に基づくものであれば、その経過は不可逆的なものであり、右診断以降、治療によって原告の症状が改善されることはあり得ない。

(原告の主張)

不法行為の消滅時効の起算点が「被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」(民法七二四条)とされているのは、そのときから損害賠償請求権の行使を合理的に期待できるからであるところ、後遺障害については、症状が流動的である限り、治療費や逸失利益、慰謝料の算定ができず、損害賠償請求権の行使を期待することはできない。したがって、このような場合の消滅時効の起算点は症状固定時と解すべきであって、本件において、原告の症状は、いまだ流動的であり、症状固定に至っていないから、消滅時効の起算点は到来していない。あえて消滅時効の起算点を決めるとすれば、国民年金法に基づく障害等級の決定により、それを前提とした損害額の算定が可能になったことから、右決定がなされた平成五年九月九日がそれにあたるというべきである。

争点3 原告が被った損害額

(原告の主張)

本件事故により原告が被った損害額は以下のとおりであり、その合計額は一億四九四五万五五八九円となるところ、原告は、このうちの一億円の支払を求めるものである。

(一)  国民年金受給資格取得までの逸失利益 一一八八万八一〇〇円

原告は、本件事故に遭わなければ平成元年三月には長崎大学を卒業して就職し、同年四月からは大学卒の勤労者の平均賃金に相当する収入を得ることができたと推定されるところ、平成元年度労働省政策調査部編の賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計新大卒の二二歳から二四歳までの男子労働者の平均年収二七九万七二〇〇円を基準に平成元年四月から平成五年六月までの五一か月分を計算。

(二)  後遺障害による逸失利益 九八〇六万七四八九円

原告は家庭内での単純な日常生活はできるが、時に応じて援助や保護が必要であり、症状が現れたときには身の回りのことも十分できず、自動車損害賠償責任保険法の後遺障害等級表の第二級(労働能力喪失率一〇〇パーセント)に相当するものであり、平成四年度右賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計大学卒の二五歳から二九歳までの男子労働者の平均年収四四六万三七〇〇円を基準に、就労可能年数を四一年として、新ホフマン式で中間利息を控除して計算。

(三)  慰謝料 二六〇〇万円

(四)  弁護士報酬 一三五〇万円

原告は訴訟代理人らとの間において、本件解決時に損害賠償認容額の一〇パーセントを訴訟代理人らに報酬として支払う旨の約束をした。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1  国を除く被告らについて

(一) まず、証拠によれば、以下の事実が認められる。

(1) 空手道部では、毎年夏に四年生から三年生にその運営が引き継がれており、国を除く被告らも、昭和六〇年七月、四年生から役職を任命され、本件事数当時は三年生全員で部の運営(一、二年生部員の指導を含む。)にあたっていた。右被告らの役職のうち、主将は、内部的には部及び部員らを統括し、日々の練習の準備運動の際に掛け声を出すほか、全体の指揮統制をとったり、取り決めごと等の最終の意思決定を行うとともに、対外的には部員らの代表となっていたものであり、副将は、主将がいない場合にこれに代わり主将の職務を行っていたものである。また、統制は、対外遠征の際に応援に行く後輩の引率の取りまとめや学園祭の際に部の連絡窓口となり、外務は、いわゆるマネージャーであって対外試合の際の他大学との連絡や、学生部、OB会との連絡とり、内務は主に会計業務を担当していた。(被告太田)

(2) 例年、部員らのうち、入部前に空手の経験がある者は少なく、昭和六〇年度の三年生部員には、国を除く被告らを含め、入部前に空手の経験のある者は一人もなかったが、本件事件当時には三年生部員のほぼ全員が有段者となっていた。なお、同年度の一年生部員の中では、訴外日高某だけが空手の経験者であった。(証人趙及び被告太田)

また、国を除く被告らの中に、スポーツ医学に詳しい知識のある者はなかった。(被告太田及び弁論の全趣旨)

(3) 空手道部では、普段月曜日から土曜日までの夕方に二時間ないし二時間三〇分程度の練習(ランニング、階段での片足跳び、手押し車、ダッシュ、鉄棒での腕力トレーニング等及び空手の型の練習等)をするほか、例年、一月一〇日ころから約一週間長崎大学内の合宿所で寒稽古を、三月末から四月初めにかけて同所又は同大学近くにある「永井学生センター」で春合宿をそれぞれ行い、また、八月ころには外部に出て夏季合宿を行っていた。これらのうち、普段の練習時においても、体力差等のため隊列から離れたり、ペースを落としたりする部員があった(特に、渡辺は、一年生部員の中でも最も体力がなく、遅れがちだった。)が、その場合には、上級生部員が、頑張るよう檄を飛ばした。また、夏季合宿においては、毎年一名程度はトレーニング中に倒れて病院へ運ばれる者が出た。ただし、ほとんどの場合はその日のうちに回復し、大事に至ったことはなかった。なお、普段の練習や合宿を欠席することは原則として許されなかったほか、退部も正当な理由がない限り容易には認められず、退部の申出をしても他の部員らが翻意するよう説得にあたったが、それでも意志を変えずに退部していく者もあった。(<証拠略>証人大野、同趙及び被告太田による。なお、無断で練習を休むと後で厳しい練習を課されたり、数回練習を休んでいた一年生部員が他の一年生部員に練習に連れ戻された事実については、これを認めるに足りる証拠がない。)

なお、昭和五八年度及び同五九年度の夏季合宿の内容は、おおよそ次のとおりであった。(被告太田及び弁論の全趣旨)

昭和五八年度

実施年月日 昭和五八年八月(以下不詳)

場所    熊本県天草郡苓北町

参加人員  三三名(一年生九名、二年生一一名、三年生六名、四年生五名、その他二名)

練習計画  初日 午後三時~六時 体力強化練習

中日 休み

最終日 午前六時~九時 基本練習等

その他 午前六時~九時 体力強化練習

午後三時~六時 基本練習等

体力強化練習

ランニング、ダッシュ、おんぶダッシュ、片足跳び、アヒル、手押し車、ぴょんぴょん跳び、懸垂、柔軟体操、基本練習(突き、蹴り)、腕立て伏せ、腹筋・背筋強化

基本練習等

突き、蹴り、基本応用練習、型組手基本、組手応用

昭和五九年度

実施年月日 昭和五九年八月二二日~八月二八日

場所    長崎県北松浦郡生月町

参加人員  三三名(一年生一一名、二年生八名、三年生一〇名、四年生三名、その他一名)

練習計画  初日 午後三時~六時 体力強化練習

中日 休み

最終日 午前六時~九時 基本練習等

その他 午前六時~九時 体力強化練習

午後三時~六時 基本練習等

体力強化練習及び基本練習等の内容は昭和五八年度と同じ。

(4) 本件合宿は、三年生部員が計画したものであったが、その際、空手道部のOBで当時西彼杵高等学校の教諭を務めていた井野口から同高等学校の空手部と合同練習をするよう依頼されたため、同高等学校付近が合宿地に選ばれた(二日目以降の練習の一部を合同でする予定であった。)。練習内容は、特に明文化はしていなかったが、例年どおりとする予定であった。(被告太田)

(5) 被告太田は、本件合宿に先立ち、一人で又は他の数名の三年生部員とともに、数回大瀬戸町を訪れ、民宿「やまわき」に挨拶に行ったほか、トレーニング予定場所の下見をしたり、熱射病等により具合が悪くなって倒れる部員が出ることを想定して中村医院の場所等を確認したりした。

また、空手道部の昭和六〇年度夏季の練習は、七月八日までで一旦休みになり、その後本件合宿を迎えることになっていたが、夏季合宿初参加となる一年生部員に対しては、四月の入部以来、日ごろから上級生部員が、夏季合宿では気絶する者も出る旨の話をしたり、過去の夏季合宿の日誌を読ませたり記録写真を見せるなどして、夏季合宿が厳しいものであることを伝え(ただし、具体的なトレーニングの項目、回数、時間等まで周知されていたわけではなかった。)、右七月八日以降本件合宿までの間は自主トレーニングを積み、あまり怠惰な生活はしないようにとの注意をしていた。(証人大野、同趙及び被告太田)

さらに、本件合宿前の最後の練習となった昭和六〇年七月八日には、プレ合宿と称して、本件合宿を想定した体力増強のトレーニングを行い、原告もこれに参加した。

(被告太田及び弁論の全趣旨)

また、本件合宿の開始前夜には、三年生部員全員が居酒屋に集まり、ひととおりのトレーニングの内容を確認した。しかし、一、二年生部員に対し、その結果を詳しく説明したことはなかった。

(6) 本件合宿に参加するにあたり、原告は、上級生部員の指示に従い、健康保険証を持参した。(原告が健康保険証を持参した事実は争いがなく、それが上級生部員の指示によるものであることは弁論の全趣旨による。なお、合宿地へ向かうバスの中で三年生部員が一、二年生部員の健康状態をチェックしたり、昼食のとり方等を注意した事実については、これを認めるに足りる証拠はない。)

(7) 本件事故発生当日、トレーニング中に場所を移動するなどの際には、一、二年生部員の前後を上級生部員が挟むようにして二列縦隊を組んで走っており、三年生部員の中には、士気を鼓舞するために竹刀を持っている者もあった。また、本件周回コースでは、三、四年生部員が一、二年生部員に伴走した。なお、これらのトレーニングの際、飲料水の準備はされていなかった。(<証拠略>証人大野、同趙及び被告太田)

午後三時一〇分ころ渡辺が座り込むと、被告長畑と三年生部員の山田が木陰に連れて行き、しばらく休ませた。その後、被告太田も様子を見に行ったが、そのとき渡辺は足が震えて立つことができなかった。しかし、同人には山田と四年生部員の大久保がついたため、被告太田はその場を離れ、トレーニングの指揮に戻った。渡辺が意識を失い中村医院へ運ばれたのはその後のことであったが、被告太田は渡辺が病院に運ばれた旨の報告を受けた。(<証拠略>及び被告太田)

次いで午後三時二〇分ころ原告が座り込むと、被告田中と同長畑が日陰に寝かせ、胴着の帯を解き、水をかけたり胴着で扇いでやったりして休ませたが、原告は二五分ほどで自らトレーニングに戻り、ジョギングに参加した。その際、被告田中が具合を確認した上伴走した。被告太田はこれらの状況を認識していたが、その後原告が懸垂のメニューを難なくこなした上、元気そうに見えたので安心した。(<証拠略>及び被告太田)

また、午後三時三〇分ころ大野が座り込むと、渡辺を中村医院に運んで帰ってきた被告長畑が再び車を運転して中村医院に運んだ。なお、その際、被告太田も同行した。(<証拠略>及び被告太田)

さらに、午後四時一〇分ころには南原が座り込んだため、救急車を呼び、本田病院へ運んだ。このとき被告太田及び同長畑は中村医院から戻っておらず、同田中がトレーニングの指揮をとっていた。(<証拠略>及び被告太田)

そして、午後四時四四分ころ、原告が足にしびれを訴えて水を吐くと、大野を中村医院に運んだ被告長畑が戻って来て、三度車を運転して原告を中村医院に運んだ。(<証拠略>及び被告太田)

(8) 本件事故をはじめ、渡辺、大野、南原が病院へ運ばれた事実については、本件事故が発生したその日のうちに長崎大学当局に伝わった(ただし、その時刻や連絡をした人物及び連絡を受けた人物は明らかでない。)が、宮本にこれが伝えられたのは翌八月二二日の午前九時ころであった。(証人宮本及び被告太田)

(二)(1) 前記第二の一において認定した事実に加え、右(一)において認定した事実も併せて国を除く被告らの責任を検討するに、まず、一般に、体育部を含め大学における課外活動は、学生が自主的に行うものであるところ、学生は上級生、下級生の別を問わず、いずれも成人又はそれに近く、自己の行為及びその結果については自分で判断し対処する能力を備えているといえるから、課外活動中の通常の合宿や練習において生じる危険防止についても、原則としてこれに携わる各人の自主的判断と責任に委ねられているものというべきである。

(2) しかしながら、本件事故が発生した昭和六〇年当時、空手道部においては、練習や合宿を欠席することは原則として許されず、正当な理由がない限り退部し容易には認められなかった上、部の運営は毎年夏に四年生から三年生に運営が引き継がれ、その際役職の任命は四年生が行うなど、上下関係を含む厳格な規律が存在していたといえ、体調が悪くなったからといって一年生部員が自分の判断でトレーニングを中止することは困難であったといえる。また、三年生部員は入部以来二年余のトレーニングを積んだ結果、ほぼ全員が有段者となっていただけでなく体力面でも相当の力をつけていたものと考えられる上、体験を通じて夏季合宿が厳しい内容であることを十分認識していたのに対し、下級生部員は体力が劣り、とりわけ一年生部員は一名以外は全員(原告を含む。)が空手の経験がなく、入部以来わずか四か月余りのトレーニングしか積んでいなかったため、三年生部員に比べると相当体力が劣っていたと考えられる上、夏季合宿も初参加であった。かかる状況の下においては、三年生部員のうち少なくとも、主将として部全体の指揮統制をとるなどしていた被告太田には、本件合宿を行うにあたり、事前に部員らの体力や健康状態を把握し、無理のない計画を立てた上、参加者らにその内容を説明し事故防止の心構えを教育し、トレーニング中は適宜水分を補給させたり、参加者の健康状態や天候等を考慮してトレーニングの項目、回数、時間等を適宜加減するなどして、熱射病の発生を防止すべく十分な注意を払う義務があり、被告太田が不在のときには、そのような場合同人に代わり主将としての職務を行っていた被告田中にも同様の義務があったというべきである(なお、本件合宿においても、初日以外は、ランニングやおんぶダッシュ、ダッシュ、片足跳び、手押し車、懸垂、アヒル等の特に体力を消耗するトレーニングは、午前六時から九時までの比較的涼しい時間帯に行うことが予定されており、ある程度の配慮がなされていたといえるが、本来、まだ体がなれていない初日こそ慎重な配慮をすべきであった。)。

また、渡辺に引き続いて大野が病院に運ばれることになった時点で、それ以前に一旦座り込んでいた原告も含めると三名がトレーニングから脱落し、うち二名が病院に運ばれる事態になっていたのであるから、被告太田は、他の参加者の体調を確認してトレーニングの内容を再考し、原告に対してはこれを中止させるか十分な休息を取らせるべきであったといえ、被告田中においても、被告太田が大野を中村医院へ搬送するためトレーニングの現場から離れた後は、右同様の義務があったというべきである。

これに対し、被告本田、同長畑、同狩野は、いずれも空手道部の役員であったものの、その役割は部全体を指揮統制する性質のものではなく、以上のような注意を払うべき義務があったということはできない。

(3) しかるに被告太田は、本来最も慎重に配慮すべき初日の午後にいきなりランニングやおんぶダッシュ、ダッシュ、片足跳び、手押し車、懸垂、アヒル等の特に体力を消耗するトレーニングを行う計画を立て、午後二時三五分以降の炎天下の中で飲料水を準備することもなく、これを実践した(もっとも、原告はこのうち片足跳びと手押し車は行っておらず、アヒルについても行ったか否か明らかではない。)上、渡辺に引き続いて大野が病院に運ばれることになった時点以降もトレーニングを中止することなく、当初の計画どおりトレーニングを続行し、その結果原告が動けなくなって座り込んでから二五分ほど休んだだけで、十分な休息を取らせることもなく、トレーニングを再開するのを許し、被告田中においても、被告太田が大野を中村医院へ搬送するためトレーニングの現場を離れた後もなお当初の計画どおりトレーニングを続行し、原告がこれに参加するのを放置した。

(4) そして、右被告両名のこのような対応が原告の熱射病ひいては精神の障害の原因になっていることは明らかである(<証拠略>)から、右被告両名には、原告が熱射病にかかり精神の障害を負ったことについて、過失による不法行為責任があるというべきである。この点、夏季合宿が厳しいものであることについては一年生部員にも事前に伝えられ、自主トレーニングを積むべきことなどの注意がなされていたこと、原告が本件事放発生当日、午後三時二〇分ころ座り込んだ後、被告田中らが日陰で休ませるなどの措置をとったこと、その後原告が自らトレーニングを再開したこと等の事実は、損害賠償額算定の際に考慮することはともかく、被告太田及び同田中を免責させるに足りるものではない。

(5) なお、被告太田及び同田中のみならず、国を除く被告らには、渡辺、原告、大野、南原が動けなくなった後は、条理上、右原告らを速やかに病院へ運ぶ義務があったというべきであるが、右原告らは、動けなくなった後、順次、被告長畑や同太田らにより中村医院等の病院に運ばれているのであるから、国を除く被告らに義務違反があるとはいえない。もっとも、原告については、午後三時二〇分ころ座り込んだにもかかわらず、被告長畑が原告を中村医院に運んだのは午後四時四四分ころ足のしびれを訴え大量の水を吐いた後のことであり、原告の後に座り込んだ大野や南原が同医院等に運ばれた後であったが、右(一)において認定したとおり、原告は、座り込んだ後、二五分ほどして自らトレーニングを再開し、懸垂を難なくこなし、元気そうであったのであるから、座り込んだ後直ちに病院へ搬送しなかったことをもって、国を除く被告らに過失があるとはいえない。また、大学における課外活動は本来学生が自主的に行うべきものであって、顧問教官の宮本は医学部の教授であったとはいえ、専門はウィルス学であったことも考えると、国を除く被告らに、渡辺が座り込んだ時点又はそれに近い時点で事故の報告をすべき義務があったということは困難である(第二の一8において認定した長崎大学学生通則の定めは、直ちに法的義務の根拠となるものではない。)し、仮にかかる義務があるとしても、その義務を履行した場合に宮本が国を除く被告らがとった措置以上に適切な助言、指導を与えることができたとは必ずしもいえないから、右義務を怠ったことと原告が精神の障害を負ったこととの間に因果関係があると認めることはできない。

2  被告国について

(一) まず、証拠によれば、以下の事実が認められる。

(1) 宮本は、昭和五九年四月に空手道部の顧問教官に就任し、新入生歓迎会や卒業生の送別会等に出席してあいさつをしたり、毎年一回程度行われる空手道部の演武会の際部員らを激励するほか、学外集会届ほか諸届に署名・押印をするなどしており、本件合宿についても、昭和六〇年七月下旬には日時と場所の予定の報告を受け、さらに同年八月一〇日ころには、被告長畑が持参した学外集会届に顧問教官として署名・押印した。もっとも、被告長畑が右学外集会届を長崎大学学長に提出したのは、本件事故発生後の同年八月二三日であった。右学外集会届には、本件合宿の日時、場所のほか、宿舎の所在地や連絡先、参加者の氏名、所属学部学科、学年等が記載されていたが、内容については、「強化合宿」と記載されているだけで、具体的なトレーニングの項目・回数・時間等の記載はなかった。宮本は、右学外集会届に署名・押印する際、けがや交通事故に気をつけるようにとの一般的な注意を与えたが、トレーニングの項目・回数・時間等を聴取したり、熱射病等具体的な病名をあげて注意をしたことはなかった。なお、同人は、当時、空手道部の練習中に捻挫や小指の骨折等の事故があったとは聞いていたが、過去の夏季合宿でも部員が倒れたことがあったことは知らなかった。(<証拠略>証人宮本及び被告太田)

(2) また、長崎大学当局が本件事故当日、本件事故の内容を詳しく調査したり、国を除く被告らに対し原告の救護措置の指示をした事実はない。(弁論の全趣旨)

(二) 前記第二の一において認定した事実に加え、右(一)において認定した事実も併せて被告国の責任を検討するに、まず、宮本は本件合宿におけるトレーニングの具体的な内容については知らず、それまでに夏季合宿で部員が倒れたことがあったことも知らなかったのであるから、本件合宿について事前に日時や場所の予定の報告を受けたり、学外集会届に署名・押印したことをもって、本件合宿により参加者のうちに熱射病等が発生し、その生命、身体に危険が及ぶことを直ちに予見することはできなかった。

また、1(二)(1)記載のとおり、大学における学生は、上級生、下級生の別を問わずいずれも成人又はそれに近い存在であって、自己の行為及びその結果については自分で判断し対処する能力を備えているといえるから、大学における教育も、内容が高度であることが求められるのと同時に、その手段もかかる学生の資質に応じたものであることが望ましく、自主性を尊重すべきものといえる。殊に、課外活動は本質的に学生が自主的に行うものであるから、学生の運営に委ねられるべき面が大きく、顧問教官といえども、常に活動内容の詳細まで把握した上で、学生に対し個別具体的な指導をすべき義務があるとはいえない。この点、本件における宮本も同様であり、学外集会届に署名・押印する際等に本件合宿におけるトレーニングの具体的な予定を聴取すべき義務があったということはできない(長崎大学学生通則の定めは直ちに法的義務の根拠となるものではなく、同通則一三条注において「顧問教官は、課外教育活動の効果を高めるため適切な助言を与える。」と定められていることは、宮本が負うべき法的義務の内容に影響を及ぼさない。)。なお、仮に宮本が本件合宿におけるトレーニングの具体的な予定を事前に知っていたとしても、その内容は、少なくとも事前にある程度のトレーニングを積んだ「部員」だけが参加することを前提としてもなお参加者の間に熱射病等にかかる者が出ることが明らかに予想されるというほど過酷なものとまではいえず、参加者らの体力や健康状態、天候等を考慮して、無理があれば、その場で適宜トレーニングの項目・回数・時間等を加減することでも熱射病等の発生を防止することが可能であったといえる上、かかる配慮自体顧問教官がしなくても主将であった被告太田をはじめとして参加者ら自身で行うことが可能なものであったといえるから、宮本に、本件合宿にあたりトレーニングの内容の変更を指示するなどの措置をとるべき義務があったということはできない。したがって、本件事故について、宮本に過失はなく、同人の過失を前提とする被告国の国家賠償法一条一項の責任も認められない。

(三)(1) また、被告国は、一般論としては、国立大学の学生に対し、在学関係に付随する義務として、その生命、身体について安全配慮義務を負うということができる。しかしながら、右(二)に記載した大学における学生の資質及び大学教育や課外活動のあり方からすれば、被告国に、大学での課外活動についてもその詳細まで把握した上で、学生に対し個別具体的な指導をすべき義務があるとはいえない。この点、本件における長崎大学当局も同様であり、本件合宿におけるトレーニングの具体的な予定を事前に把握して、その内容の変更を指示するなどの措置をとるべき義務はない。

(2) さらに、本件において、原告は、本件事故発生後、まず中村医院に運ばれ、その後日浦病院に転送され、同病院で治療を受けていたのであるから、その後の治療内容の選択は一応同病院の医師に任せれば足り、本件事故発生当日、長崎大学当局が、本件事故の内容を詳しく調査したり、国を除く被告らに対し原告の救護措置の指示をしなかったことをもって、被告国に安全配慮義務違反があったとはいえない。また、昭和六〇年八月二四日の時点で日浦病院から連絡を受けたにもかかわらず、被告国が直ちに原告を長大附属病院に受け入れなかったのも、当時同病院のICU室が満杯であったためであって、やむを得ない理由があったといえるから、この点でも被告国に安全配慮義務違反があったとはいえない。

二  争点2について

1  被害者が不法行為に基づく損害の発生を知った場合、その損害と牽連一体をなす損害であって当時においてその発生を予見することが可能であったものについては、すべて被害者においてその認識があったものとして、民法七二四条所定の時効は右損害の発生を知った時からその進行を始めるのが原則であり、このことは後遺傷害に基づく損害の消滅時効についても一応妥当するというべきである(最高裁昭和四〇年(オ)第一二三二号 同四二年七月一八日第三小法廷判決・民集二一巻六号一五五九頁参照)。一方、受傷後、受傷時には通常予想もし得なかった後遺傷害が現れたような場合は、受傷後直ちに当該後遺傷害に基づく損害の賠償を求めることは不可能であり、受傷後直ちに損害賠償請求権の消滅時効が進行すると解することは不当であるから、かかる場合には、当該後遺傷害が顕在化した時点に損害を知ったものとして、その時点から損害賠償請求権の消滅時効が進行するというべきであるが、後遺傷害が顕在化したというためにはその症状が完全に固定することまでは必要でなく、社会通念上当該後遺傷害に基づく損害の賠償を請求することが可能となることで足りる。

2  この点、本件を見るに、本件事故後の原告の精神状態の変化の様子は、既に第二の一5、6において認定したとおりであり、昭和六一年五月に復学した際、既に講義の理解力はほとんどなかったほか、幻聴等の異常も見られ、同年末ころからは状態が悪化して異常な行動等をとるようになった後、平成二年五月三一日には「器質性脳障害(脳器質性精神病)」の診断を受けている。したがって、遅くともその時点においては、社会通念上後遺傷害たる精神の障害に基づく損害の賠償を請求することが可能となり、後遺傷害が顕在化したといえ、その後さらに右症状からは予想もし得ない新たな症状が現れたといった事実を認めるに足りる証拠はない。よって、原告の被告太田及び同田中に対する損害賠償請求権の消滅時効は、遅くとも右平成二年五月三一日に進行を始め、それから三年後の平成五年五月三一日の経過をもって、右消滅時効は完成したというべきである。

三  まとめ

以上のとおりであって、被告らのうち、太田及び田中については、本件事故によって原告が被った損害について不法行為に基づく賠償責任が発生したが、同責任は既に消滅時効にかかっており、本件訴訟において原告は右被告両名に対し損害賠償の支払を求めることはできない。また、右両名を除くその他の被告らについては、本件事故によって原告が被った損害についてそもそも賠償責任を負うべきものではない。よって、争点3について判断するまでもなく、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判官 有満俊昭 西田隆裕 村瀬賢裕)

別紙一 当事者目録<略>

別紙二<省略>

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