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長崎地方裁判所 昭和23年(行)11号 判決

原告 永友庄三郎

被告 長崎県農地委員会

一、主  文

原告の本訴請求中、別紙目録記載の(四)、(五)、(九)の(1)、(十一)、(二十七)、(三十)に関する部分は、これを却下する。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする、

二、事  実

原告訴訟代理人は、被告が、別紙目録記載の農地について訴外長崎縣南高來郡北有馬村農地委員会(以下村農地委員会と略称する)の買收計画決定に対する原告の訴願について、昭和二十三年一月三十一日した却下の裁決を取り消す、訴訟費用は、被告の負担とするとの判決を求めると申し立て、その請求原因として、別紙目録記載の農地は、同目録記載のとおり、夫々原告、その妻訴外永友チワ、長男訴外永友茂雄の所有物件であるが村農地委員会は右農地がすべて世帶主たる原告の所有に属するものとし、且つ原告を在村者でないと認めて、昭和二十二年十月十日該農地の買收計画を立てたので、原告から異議を申し立てたけれども、却下された。そこで、原告は、これを不服として、同年十一月一日被告に対し訴願したところ、被告は、昭和二十年十一月二十三日現在原告が北有馬村に生活の本拠を有しなかつたという理由で、同二十三年一月三十一日原告の訴願を却下する旨裁決し、原告は、同年二月二十六日その裁決の事実を知つた。けれども、被告の本件裁決は、次の理由により違法である。すなわち、(一)原告は、元來北有馬村に生れ、本籍も同村にあつたが、家事の都合により、昭和十九年二月二十五日実子茂雄等とともに、同村七百八十五番戸から大牟田市大正町四丁目五十番地に轉住し、その後同二十年七月二十七日戰災を受け、住家全燒の厄にあつたため、同年八月一日再び郷里北有馬村に轉入して、肩書場所に住所を定め、爾來引続き同所を生活の本拠として、訴外池田一義その他に小作させていた所有農地の任意返還を受けてこれを耕作し、自作農として今日に及んだものであるから、断じて自作農創設特別措置法にいわゆる不在地主ではない。(二)係爭農地中、別紙目録(九)は現況合併宅地であり、同(十)、(十一)は現況山林八年生であるから、買收されるべきいわれはない。そこで、本件裁決の取消を求めるため、本訴に及んだ旨陳述した。(立証省略)

被告指定代理人は、被告の請求棄却の判決を求め、答弁として、村農地委員会が、別紙目録記載の土地中(九)の(1)、(十一)、(二十七)三筆を除くその余の農地につき、昭和二十年十一月二十三日現在における不在地主の小作地として買收計画を立て、即日公告、その翌日から夫々十日間縱覧に供したこと及び右農地が、原告主張のように夫々原告及び訴外永友茂雄、同永友チワの所有物件であることは認めるが、右買收計画樹立の日時は、昭和二十二年十月十日ではなくして、(四)、(五)、(三十)の三筆以外の分は、同年九月十九日、右三筆分は、同年十二月一日である。そうして、前者についての買收計画に対しては、原告から異議の申立があり、同年十月十日同委員会でこれを却下したのに対し、原告から更に被告に訴願をしたけれども、被告において原告主張の日時主張のように訴願却下の裁決をしたことは相違ないが、後者についての買收計画に対しては、何等の異議申立もされておらず、更に別紙目録記載の(九)の(1)、(十一)、(二十七)の土地については、農地買收計画は全然立てられなかつたのである。從つて、原告の本訴請求中、これら異議申立なく、且つ買收計画の立てられなかつた土地に関する部分は不適法であるとともに、原告としては、その所有以外の農地については、買收計画に対する異議、訴願は勿論、本訴提起の資格を有しないものというべきである。次に、原告が本件裁決を違法だとして挙げる事由中(一)の原告及び訴外永友茂雄が昭和二十年八月一日以降北有馬村に住所を構えたとの点及び(二)の点は、いずれもこれを否認する。昭和二十年十一月二十三日現在では、原告は、大牟田市内に家族とともに商業を営み、生活の本拠たる住所を有していたものである。從つて、原告の本訴請求は失当である旨陳述した。(立証省略)

三、理  由

村農地委員会が、別紙目録記載の土地中、(九)の(1)、(十一)、(二十七)の三筆を除くその余の農地につき、買收計画を立てたこと及び右農地が、原告主張のように夫々原告及び訴外永友茂雄、同永友チワの所有物件であることはいずれも当時者間に爭がなく、証人黒岩廣男、松尾豊杵の各証言によると、右計画は、昭和二十年十一月二十三日現在における不在地主の小作地として、立てられたものであることを認めることができる。原告は、右(九)の(1)、(十一)、(二十七)の三筆についても、同時に買收計画が立てられた旨主張するけれども、これを認めるべき何等の証拠もなく、却つて、成立に爭のない甲第七号証によると、買收計画樹立の事実のないことが明かであるから、原告の本訴請求中右三筆に関する部分はその目的物を欠き、不適法である。次に、原告は、前示買收計画は、昭和二十二年十月十日樹立され、原告からこれに対し異議の申立等に及んだ旨主張するけれども、該買收計画が一回に樹立されたものではなくして、(四)、(五)、(三十)の三筆以外の分は、昭和二十二年十月十日第七次計画として、右三筆分は、その後同年十二月一日頃第四次追加計画として、時を異にして樹立されたものであることは、前顕甲第七号証、証人黒岩廣男、松尾豊杵の各証言に徴してこれをうかゞうことができ、しかも第七次買收計画に対しては、原告から異議の申立があり、同委員会でこれを却下したのに対し、原告から更に訴願をしたけれども、被告において、原告主張のように訴願却下の裁決をしたことは、被告のこれを認めて爭わないところであるが、第四次追加買收計画に対しては、原告等からこれに対し異議の申立や訴願をしたことについては、原告においてこれを是認すべき何等の立証をもしないから、この部分に関する原告の本訴請求は、少くとも自作農創設特別措置法改正法律(昭和二十二年法律第二四一号)施行の日である昭和二十二年十二月二十六日から起算し二個月を経過した後に提起されたものとして、特段の事由の存在することの主張立証のない限り、同法第四十七條の二、同附則第七條の規定に違反しこれ亦不適法であるといわなければならない。尤も、被告は、なお原告としては、その所有以外の農地については、買收計画に対する異議、訴願は勿論、本訴提起の資格を有しない旨抗爭するけれども、原告及び訴外永友茂雄が親子であつて、本件買收計画樹立当時以降同居していることは、原告本人永友庄三郎の供述自体からも明かであるから、斯様な場合には、自作農創設特別措置法第四條第一項の規定の趣旨に徴し、原告において、その子茂雄の所有農地につき、買收計画に対する異議、訴願若しくは訴訟提起の権限を有するものと解するのが相当であるから、被告の右抗弁は理由がない。

そこで、次に進んで、原告において本件裁決違法の事由として主張する(一)の点について考察する。原告がその主張のように家事の都合により、昭和十九年二月二十五日妻チワ、実子茂雄等とともに、郷里北有馬村七百八十五番戸から、大牟田市大正町四丁目五十番地に轉住したこと及びその後同二十年七月二十七日戰災を受け住家全燒の厄にあつたことは、口頭弁論で、被告の明かに爭わないところであるが、原告が、同年八月一日再び郷里北有馬村に轉入して、肩書場所に住所を定め、爾來引続き同所を生活の本拠としたとの点は、これに副う証人永友又義、永友嘉一郎、永友茂雄(第一、二回)、永友ヨシ子、永友忠藏、本多伊時の各証言、原告本人永友庄三郎の供述は、いずれも容易に信用し難く、甲第一乃至第四号証、同第六号証その他原告の全立証によつても、これを是認するのに足りない。むしろ、成立に爭のない乙第一号証の一乃至三、証人永野藤久、今古賀弘起、近藤薫、伊東英海の各証言によると、大牟田市役所第九区駐在員近藤薫が、同市長の照会により昭和二十二年九月七日同市三川町四丁目永友方に赴き家人及び同家の米穀通帳を調査した結果、原告等一家は元大牟田市大正町四丁目に居住して、下駄、雨傘類の商賣を営んでいたところ、戰災にあい、同二十年九月頃同市長船町一丁目七百五十五番地に轉出し、更に同二十二年七月頃同市三川町四丁目に轉入したこと、同年九月七日当時における主食受配人員は、世帶主永友チワ、茂雄の妻テル子、二女ヨシ子、次男忠藏の四名であり原告は、同年八月二十五日、茂雄は同月二十七日夫々北有馬村に轉出したことが判明したとして、その旨同市長に回答していること右回答が原告の知人伊藤英海が昭和二十二年四月頃同市長船町で原告の妻と出会つた際同女から、当時同町に居住する旨聞知したことゝ符合することが看取されるばかりでなく、原告が、昭和二十年、同二十一年度における農(作)物の供出をしなかつたこと及び原告の耕作農地が、昭和二十四年同二十五年度は合計二十六筆であるのに、同二十三年度はわずか十二筆にすぎないことは、成立に爭のない甲第八号証により明かであつて、これ等諸般の事実に成立に爭のない乙第四号証の一、二、証人平野岩男、黒岩廣男、近藤助一、池田一義、林田末光、松尾豊杵、古川惇、高木靜子の各証言を彼是考え合せると、原告は、前示罹災後、同年八、九月頃一時北有馬村に來て、親戚永友又義方に寄寓していたことはあるが、やがて再び大牟田市に帰住したこと、訴外永友茂雄は、戰時中大牟田市から應召し、昭和二十一年二月同市なる原告の許に復員したこと及び爾來同人等は、屡々両地間を往來していたが、同二十二年夏頃に至り同市を引揚げて北有馬村に住居を移し、傍ら同二十一年五、六月以降從來訴外池田一義、林田末光、永友傳藏、永友又義、永友嘉一郎、永友虎野等に小作させていた係爭農地を順次引き上げたこと、從つて、昭和二十年十一月二十三日現在における原告及び訴外永友茂雄の住所は、大牟田市にあり、係爭農地は同日現在における不在地主の小作地であつたことを裕に是認することができるから、原告の右主張は、これを採用しない。

次に、原告主張の(二)の点については、係爭の(九)乃至(十一)の土地が公簿上いずれも農地であることの当事者間に爭のない以上、その現況が宅地又は山林であると主張する原告にこれが立証責任があるにもかゝわらず、これを首肯すべき何等の証拠をも提出しないから、原告の右主張も亦これを採用しない。

そうだとすると、本件裁決の取消を求める原告の本訴請求中、別紙目録記載の(四)、(五)、(九)の(1)、(十一)、(二十七)、(三十)に関する部分は不適法として、その余の部分は失当として、いずれも排斥を免れないから、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九條を適用し、主文のとおり判決した次第である。

(裁判官 林善助 厚地政信 吉江清景)

(目録省略)

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