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長崎地方裁判所 昭和24年(行)23号 判決

原告 七条正信 ほか二名

被告 長崎県農地委員会

一、主  文

原告七条ツチ、同七条伊惣太の本件訴は、いずれもこれを却下する。

原告七条正信の請求は、これを棄却する。

訴訟費用は、原告等の連帯負担とする。

二、事  実

原告等訴訟代理人は、別紙目録記載の土地について被告が昭和二十四年四月二十八日為した原告等の訴願却下の裁決はこれを取消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、その請求原因として、本件農地は元訴外七条軍治の所有であつたところ、不在地主の小作地として買収せられるに至つたのであるが、右農地の売渡について南有馬町農地委員会はこれを訴外七条豊太に売渡す旨の決定をしたので、原告等はこれに対し不服を申立て被告県農地委員会に対し訴願に及んだのであるが、昭和二十四年四月二十八日右訴願却下の裁決が為され同年六月十三日頃その通知を受けた。然し右訴願裁決には、次のような違法な点があつて取消を免れない。

一、本件農地の買収計画樹立当時の適法な耕作権者は原告等三名であつて、訴外七条豊太は不法耕作者である。

本件農地は元来前所有者七条豊太の亡父熊十の所有で、同人はその弟である七条伊之造(原告正信の亡父)夫婦とこれを共同耕作していたのであるが、佐賀県方面に出稼ぎすることとなつたため明治三十四、五年頃前記実弟伊之造のため存続期間を五十年とする永小作権を設定し、祖先の墓地及び供養の費用その他公租公課の負担を右伊之造が引受けることとしこれらの費用を以て小作料に充当することの約定であつたのであつて、訴外七条軍治はその兄訴外七条奥蔵から本件土地を買受けてその所有権を取得し、原告七条正信はその父伊之造の死亡によつて右永小作権を承継取得してその耕作に従事していたのであるが、昭和九年頃次弟孝の石炭販売業手伝いのため郷里を離れることとなつたので、同年一月原告七条伊惣太に対して別紙目録記載の土地のうち(一)乃至(三)の畑三筆を、更に昭和十年原告七条ツチの亡夫訴外亀次郎に対し前同様(四)乃至(六)の畑三筆を、それぞれ原告正信が帰郷するまでの間の約定で転貸したほか、残余の(七)の田及び(八)の土地については原告正信の母がこれを管理支配していたのであつて、右原告伊惣太は昭和十九年まで、原告ツチの亡夫亀次郎は昭和二十年まで、それぞれ前記土地の耕作に従事していた。

然るに訴外七条豊太は、前記土地の所有者訴外軍治からその管理方を依頼せられたこともないのに拘らず、これが管理方を依頼せられたと称して原告正信の母に対して小作料を請求してその耕作を放棄せしめ、特に前記(七)の田については昭和二十二年六月頃脅迫の上掠奪耕作するようになつたのであり、又原告伊惣太及び原告ツチの亡夫亀次郎に対しては、小作料の値上及び小作証書の各年毎の書換を求めるなど厭がらせの行為をし、更に密柑の苗木を耕作地に植付けるなどの不当行為をして、遂にその耕作を断念せしめるに至つたのである。

然しながら右訴外人七条豊太の斯様な不当な行為によつて原告正信及び伊惣太の耕作権が喪失されないのは勿論、原告ツチはその夫亀次郎が昭和二十四年一月死亡し他に承継者がないので右亡夫の賃借権を承継したのであるから、本件農地の売渡は原告等に対し為さるべきであるに拘らず、南有馬町農地委員会が昭和二十四年二月十五日右訴外人豊太に売渡す旨の売渡計画を樹立したのは違法であるばかりでなく、同年四月二十八日被告県農地委員会が原告等の訴願を却下した裁決も亦違法として取消を免れない。

二、本件農地のうち前記(八)の畑一筆は、その現況山林であるから農地としてこれが買収並びに売渡の対象とならないのに拘らず、これを畑地として買収及び売渡の処分をしたのは違法として取消を免れない。

以上の諸点から被告の為した昭和二十四年四月二十八日原告等の訴願却下の裁決は、取消さるべきものであると述べた。(立証省略)

被告指定代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告等の負担とする、との判決を求め、先ず本案前の抗弁として、原告等の本件訴はいずれも不適法として却下さるべきものである。本件土地の売渡計画は昭和二十四年二月十五日樹立されたのであるが、原告七条正信以外の原告等は、右売渡計画に対し異議並びに訴願の申立をしていない。斯様に訴願前置主義に反して提起された正信以外の原告等の本件訴は、不適法であるばかりでなく、原告正信は、自作農創設特別措置法第十七条による買受申込書を提出していない。従つて同原告は異議申立及び訴願をする資格を有しないのであつて、斯様な無資格者からなされた異議申立及び訴願は当然無効であるといわねばならないから、右異議訴願の手続を経ていないのと同様である。よつて同原告の本件訴も亦不適法として却下を免れない。次に本案に関する答弁として本件土地が、元訴外七条軍治の所有に属し、昭和二十三年七月二日及び同年十二月二日不在地主の小作地として買収されたこと、本件売渡手続に関し被告農地委員会が原告主張日時却下の裁決をなしたことと、及び別紙目録記載(八)の畑一畝四歩(字谷頭甲七五〇八番イ)が現況山林となつていることは、いずれもこれを認めるが、その余の原告等主張事実は総てこれを争う。原告七条正信が本件土地について永小作権を有し、その他の原告が転貸を受けていたとする点は否認する。仮に同原告等が永小作権乃至転借権を有していたとしても、これらに関する登記がないのであるから第三者である被告に対しては対抗できない。次に別紙目録記載の(七)田一畝三歩(字谷頭甲七五一一番)について、訴外七条豊太が掠奪耕作したものであるとする点はこれを否認する。右田地は以前の小作人であつた訴外田中信雄が昭和十七年頃自発的に管理人である前記訴外人豊太に対し土地返還をしたものである。

更に前記(八)の畑一畝四歩については、その後調査の結果その現況が山林となつていることが判明したので、右買収並びに売渡手続共これを取消したのであつて、該土地に関する行政処分は既に存在しなくなつているのであるから、この点に関する原告等の主張も亦失当である。尚本件土地は前記(七)の田地を除いたその他の畑七筆が昭和二十三年七月二日を買収時期とする買収令書が同年十一月四月交付され、前記(七)の田地について同年十二月二日を買収時期とする買収令書が昭和二十四年一月十三日交付され、次いで同年二月十五日売渡計画を樹立し、同年四月十四日前記買収計画樹立当時の小作人である訴外七条豊太に対し売渡通知書を発行し、右売渡通知書発行の日附を誤つて前記買収時期の日附と誤記したのであるが斯様な誤記は何等本件行政処分の効力に影響を及ぼさないのみならず、被告の為した昭和二十四年四月二十八日原告の訴願却下の裁決には何等違法な点はない。

仮に前記買収計画樹立当時の小作人が右訴外人七条豊太でなかつたとしても、自作農創設特別措置法施行令第十八条に従い売渡計画樹立当時の耕作者である同訴外人に対し売渡がなされたのであるから、この点からも右訴願却下の裁決は適法であると述べた。(立証省略)

三、理  由

先ず被告の本案前の抗弁について審案してみるに、成立に争いのない甲第六・七・十号証乙第二十四・二十五号証に証人岩崎清・錦戸喬志の各証言と本件口頭弁論の全趣旨とを綜合して考えれば、別紙目録記載の土地のうち(七)の田地の一畝三歩を除いた畑七筆が昭和二十三年七月二日を買収時期とする買収令書が同年十一月四日発行され、次で右(七)の田地について同年十二月二日を買収時期とする買収令書が昭和二十四年一月十三日発行され、更に訴外七条豊太を売渡の相手方とする売渡計画が同年二月十五日決定されたものであるところ、右売渡計画に対しては原告七条正信から異議申立並びに訴願が為されたのみで、その他の原告両名からは何等不服申立手続が採られていないこと、及び原告七条正信から本件土地に対する買受申込が町農地委員会に対し為されていることを、それぞれ認めることができる。そして自作農創設特別措置法第十七条に所謂市町村農地委員会に対する買受の申込については同法施行規則第八条によつて所定事項を記載した申込書を所轄農地委員会宛提出しなければならない旨定められていることは被告主張のとおりであるが、右規定は効力規定でなく書面によらない買受申込と雖も妨げない趣旨の訓示規定と解するのを相当とするから、右買受申込書の提出がないとの理由で、原告正信の為した異議申立及び訴願の提起は効力がないものとする被告の抗弁はその理由がないものとしてこれを採用することはできないが、七条伊惣太及び七条ツチの本件訴については本件売渡手続に関し異議申立及び訴願を経ずして直ちに本訴提起に及んだものであることは既に認定したとおりであるから、右は行政事件訴訟特例法第二条に反する不適法な訴として却下を免れない。

次に進んで原告七条正信の本案請求について案ずるのに、別紙目録記載の土地のうち(八)畑一畝四歩(字谷頭甲七五〇八番イ)がその現況山林となつていて農地でなくなつていること、及び本件土地全部は元訴外七条軍治の所有に属していたところ右(八)の畑を除いたその他の農地について不在地主の小作地として政府の買収するところとなり、右農地の売渡手続に関し訴外七条豊太に売渡す旨の決定がなされ、これを不服とする原告正信の訴願に対し昭和二十四年四月二十八日該訴願却下の裁決がなされたことについては、当事者間に争いがない。

そして成立に争いのない乙第二十三号証と証人錦戸喬志の証言によれば、別紙目録記載の前掲(八)の土地に関し為された買収及び売渡手続は、公簿上の地目は畑となつているのに拘らずその後の調査の結果土地の現況山林となつていることが判明したため、取消されるに至つたことが認められるから、右土地に関する部分については原告正信の訴はその対象を喪失したものといわねばならないから、この点において既に失当として棄却を免れない。

次にその余の土地について案ずるのに、原告正信はその亡父七条伊之造を経て右農地についての永小作権を有し、又原告伊惣太及びツチはいずれも原告正信から適法な転貸を受けた耕作権者であつたのに拘らず、本件売渡の相手方となつた七条豊太が不法に右耕作権を奪つたものと主張するのでこの点について検討してみるに、成立に争のない甲第二、三、七、第十二号証の一・二及び第十三乃至第十九号証の一・二の各記載、証人七条軍治・七条サワ・七条サマの各証言及び原告正信本人の供述によつても同原告が本件土地について永小作権を有していたことを認めるに不十分で、却つて成立に争いのない乙第二乃至第八号証第九号証の一乃至三十、第十号証の一・二第十三乃至第十五号証第十七乃至第二十三号証第二十六号証と証人七条豊太・七条定喜・七条サヨ・田中信雄の各証言前掲証人七条軍治・七条サワの各証言の一部、原告本人正信の供述中の一部を綜合して考えれば、本件土地の前所有者であつた訴外七条熊十は明治三十五年頃本件土地を含む農地・山林等の管理をその実弟伊之造に依頼して南有馬の郷里を出て佐賀県方面に出稼ぎしたのであつて、その管理権の内容は農地の使用貸借による耕作のほか、小作人の選定・変更・小作料の取立及び公租公課の納付までに及ぶ広範なものであつたこと、そして右熊十が昭和八年頃死亡した後はその家督相続人訴外七条奥蔵(前記七条軍治の実兄)のため右管理を継続していたが、右管理人伊之造も昭和十年頃死亡し更に右伊之造の長男原告正信も昭和九年頃来熊本方面に出稼ぎしていたので、昭和九年から昭和十年頃にかけて本件土地のうち(一)乃至(三)については原告伊惣太に、(四)乃至(六)については原告ツチの亡夫七条亀次郎(同人は昭和二十四年一月死亡)に、(七)の田地については訴外田中信雄に、それぞれ小作せしめ右小作人等から原告正信の母サワが小作料を徴収していたこと、昭和十二年頃になつて訴外七条軍治がその兄である前記奥蔵から本件土地の所有権を譲り受けたので、右訴外人軍治は前記サワが既に老齢であるため従兄(豊太の母タマは軍治の母スマの姉)にあたる訴外七条豊太に対し本件土地を含む農地・山林の管理方を依頼するに至つたので、右訴外人豊太は昭和十四、五年来本件土地の管理人となり小作料の取立・公租公課の納付等にあたつてきたこと、更に前記サワに対してもその耕作している部分について小作料を請求したところ同訴外人はその耕作を断念して別紙目録(三)の畑七畝八歩の返還(同畑については一部をサワが耕作残余を伊惣太が耕作していた)を申出たのでこれを右伊惣太をして耕作せしめることとし、原告伊惣太は昭和十九年頃まで前記(一)乃至(三)の畑を耕作していたのであるが同原告も亦管理人である豊太に対し耕地返還を申出で、他に適当な小作人もなかつたので豊太自身がその耕作にあたり小作料は従前のとおり軍治に対し納付してきたこと、及び原告ツチの夫七条亀次郎の耕地(四)乃至(六)についても同人は昭和二十年二月頃までゞその耕作を止め返地方を申出たので前同様豊太自身がその耕作に従事するようになつたのであり、又前記(七)の田地の耕作人田中信雄も昭和十七年頃まで耕作を継続したがその後土地返還をなしたので豊太がその管理にあたり昭和二十二年頃来豊太がその耕作に従事して今日に及んでいることを、それぞれ認定することができて、右認定を覆えすに足る証拠はない。

もしさうだとすれば、原告正信が本件土地に関し永小作権を承継したとする主張は到底これを認めることができないばかりでなく、農地調整法の第一次改正法施行前においては、他人の耕作の目的となつている農地の管理方を依頼された管理人は、当該小作人から土地返還の申出があり他に適当な小作人がない場合、右小作人と同一条件で同農地の耕作に自から従事することは民法第百三条第一号に所謂保存行為の範囲内として当然許容せられたものであると解するのを相当とするから、前掲(一)乃至(七)の農地についてはこれらの買収計画樹立当時の耕作権者は前記訴外人七条豊太であること前に認定したところから極めて明白であつて、同訴外人を売渡を受くべき相手方と定めた町農地委員会の決定並びにこれを維持した被告の裁決には何等違法な点はなく原告正信の本訴請求は失当として棄却を免れない。

そこで訴訟費用の負担については、民事訴訟法第八十九条・第九十三条第一項を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 林善助 厚地政信 吉沢清景)

(目録省略)

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