大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長崎地方裁判所 昭和27年(ワ)333号 判決

原告 合名会社迎陽亭

被告 合資会社福島屋

一、主  文

被告は原告に対し、長崎市上筑後町十八、十九番地木造瓦葺三階建一棟建坪二百八十一坪外二階三階計百五十八坪のうち東北隅に位する六畳、三畳、脱衣場、浴室、土間、板張り、その周囲の廊下及び庭園附属建物である茶室、稲荷堂、供待、便所及び鳥小屋の部分の明渡をせよ。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを四分しその三を原告他の一を被告の負担とする。

本判決は原告勝訴部分に限り、仮りに執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し長崎市上筑後町十八、十九番地木造瓦葺三階建一棟建坪二百八十一坪外二階三階計百五十八坪及び庭園附属建物を明渡し且昭和二十六年三月一日以降右明渡済に至るまで一ケ月金一万二千五百円の割合による金員を支払わなければならない」「訴訟費用は被告の負担とする」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、請求の趣旨記載建物は原告迎陽亭の所有であつて、文化元年に創設されてから百五十年、長崎における由緒ある料亭としての歴史を有するのであるが、右由緒ある建物も、昭和二十年八月の原子爆弾によつて被害を受け、殊に西側新館部分の傾斜がひどかつたから、原告において苦心の末金八万円余の費用を捻出し、昭和二十一年五月頃までに住居として使用し得る程度の修復を完了した。そしてその後同年六月、長崎の知名人である末吉重次郎、松田一三、高見和平らから、入江はるに前記建物を賃貸せられ度い旨たつての申入れがあつてこれを断ることもできず、また当時原告代表社員杉山ムラにおいて終戦時の混乱を避けるべく、老母及び妹を伴なつて南高来郡布津村汐入崎に一時疎開していた際でもあつたから、右申入を了承して係争建物を入江はる個人に期限を定めず、賃料一ケ月金二千五百円の約束で賃貸することとし、後昭和二十三年十月話合で賃料一ケ月金四千円、昭和二十四年四月以降は同じく一ケ月金一万二千五百円に増額した。ところが入江はるは、昭和二十五年十月十六日合資会社福島屋を設立して原告の承諾を得ることなく、本件建物の賃借権を譲渡し、また他人に家を貸した以上何ら異議を述べる権利がないと称して、殆ど昔日の面影を一変する程の無断増改築を加え、あまつさえ昭和二十六年三月以降原告の唯一の収入源である賃料を滞らせるという不信行為を繰返した。一方原告においては他に何らの収入がなく相続く生活難のために、公租公課だけでも金十五万四千四百円を滞納し、この外金三十万円以上の借財をかかえて、その窮乏は忍び難いものがあり、然も原告代表社員杉山ムラの疎開先である汐入崎の住宅は借金の担保に提供されていたが、現在は前川次男に売却され同人からしつよう且急速な明渡を迫られていて、今日ではどうしても係争家屋の明渡を受けて住居の安定を得ると共に、由緒ある料亭としての迎陽亭を再興し、生活の途を計る以外には方法がないという急迫した状態に陥つているのである。それで原告は昭和二十六年九月六日被告に対し本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示をしたのであるが、前記当事者双方に存する諸事情に照すとき、右は借家法第一条の二の規定する正当の事由がある場合に該当することは明であるから、右賃貸借契約はその後六ケ月を経過した昭和二十七年三月六日の満了と共に、ここに消滅したものといわねばならない。よつてここに原告は被告に対し係争家屋の明渡を求めると共に、昭和二十六年三月以降、契約終了までは一ケ月金一万二千五百円の割合による賃料、同日以降右明渡済に至るまでは同額の割合による家賃相当の損害金の各支払を求めるため、本訴請求に及んだと陳述した。<立証省略>

被告訴訟代理人はまず「本件訴を却下する」「訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、その理由として、原告は本件訴訟物の価額を金六十万円と見積り金四千三百円の印紙を貼用しているのであるが、大体本件訴提起当時における係争建物の時価は少なくとも金一千万円を下らないものであるから、従つて本件訴訟物の価額は金一千万円と見積らるべく、原告がこれに対応する相当印紙を貼用せざる限り、本訴は不適法として却下を免れないものといわねばならぬと述べ、本案について、「原告の請求を棄却する」「訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め答弁として、原告主張事実中、請求の趣旨記載建物が原告迎陽亭の所有であつて、文化元年に創設されてから百五十年、長崎における由緒ある料亭としての歴史を有すること、及び昭和二十一年六月被告代表者入江はるにおいて係争建物を期限の定めなく、賃料一ケ月金二千五百円の約束で賃借し、その後賃料を昭和二十三年十月に金四千円、昭和二十四年四月に金一万二千五百円と各増額したことは認めるがその余はすべてこれを争う。すなわち被告代表者入江はるは元来長崎市大村町十四番地において福島屋旅館を経営していたが、戦災によつて家屋を焼失し、一時廃業を余儀なくされていたけれども、終戦後旅館業を再開すべく適当な家屋を物色していたところ、昭和二十一年六月頃長崎における知名人であり原告迎陽亭と最も縁故の深い末吉重次郎、松田一三、高見和平、重富きみらから迎陽亭の跡を引受けて営業してはどうかとの切なる勧告を受けたから、早速迎陽亭跡を見分したのであるがその荒廃振りに一驚した。というのは迎陽亭は今次戦争中三菱長崎造船所の徴用工員数百名の宿舎として徴用されていた関係で相当に荒れていたのに加え、昭和二十年八月の原子爆弾のために甚大な被害を受け、屋根は破壊され、硝子は粉砕し、梁は折れ殊に西側新館部分を中心として東側に約五寸以上も傾斜しており、畳ははがれ或は腐朽し庭園には防空壕が堀られ雑草が繁茂していて、昔日の迎陽亭の面影は寸毫もなく、恰も怪物屋敷同様の荒廃にまかされた状態であつたからである。それで目もあてられないような惨状に一驚した原告は、これでは到底同家屋を修復し旅館業を経営するなどということは、殆ど不可能ではなかろうかと考え、再三前記申入れを断つたのであるが、末吉、松田らにおいて、原告迎陽亭は現在父祖の業を継いで料亭を経営する意思はなく、このままに放置しておくならば、長崎名所の迎陽亭も遂に腐ち果てるばかりであるから、長崎復興の一助としても、何んとか引受けてくれるようにと重ねて勧説があつたので、入江はるも遂に意を決し迎陽亭の修復を引受けることになつたのである。そしてその後はるは、本件家屋修復のため、自己所有の土地、建物は勿論、株券その他の目ぼしい財産を売尽し、或は知人銀行からの融資によつて資金を調達し、物資の乏しい統制時代における困難な事情の下に、あらゆる犠牲を忍びながら、一部屋二部屋と修復を進め、庭園の復旧にも全力を注ぎ、未完成ではあつたが八ケ月後の昭和二十二年二月二十二日、一先ず福島旅館を開業し、その後も絶えず修復を加えながら漸く今日に至つた次第であつた。かような訳で、被告としては既に数百万円に上る費用を投じ、あらゆる犠牲を忍びながら今日を築き上げ、いよいよこれからという時になつてその家屋の明渡を求められるということは、何んとしても心外であつて、今しばらく営業を続けさせて貰い度い一心である。原告は被告が本件家屋に無断で増改築を加えたといつて、その明渡を求めているのであるが、しかし前記の如く本件家屋は恰も怪物屋敷同様に荒れ果てていたのであるから、これを借受けて旅館業を営むという以上、相当の増改築を加えなければならないことは当然のことであつて、原告自身がその間の事情を承知していない筈はなく、このことは、昭和二十二年三月本件家屋において原告代表者杉山家の法要が営まれた際、杉山ムラ本人並びに母親共々室内や庭園を見廻りながら、「あんなに荒れ果てていた家屋敷を、よくもこんなに奇麗にして戴いて、定めし先祖も喜んでいるでしよう、庭木も喜んでいるだらう」と涙を流して感謝の意を表し、被告も自己の努力が報いられた喜びに、共に涙さえ浮べて語り合つた事実に徴して明かなことである。又原告は本件家屋の明渡を受け、由緒ある料亭としての迎陽亭を再興し度いと主張しているが、しかも原告において昭和二十四年十月頃、その信仰する「生長の家」に係争の家屋敷全部を寄贈し、松田一三、末吉重次郎その他迎陽亭に縁故の深い知名の士悉くの反対を受けた事実に照すとき、果して原告自身が迎陽亭の再興を計る真意であるか否か、甚だ疑わしいものがあるというべく、また原告は被告において何らの誠意がないようにいうけれども、被告は原告代表者杉山ムラから母と共に長崎に帰り度い旨の申入れを受けるや、被告らが現に居間として使用している係争家屋一階東北隅の六畳、三畳、湯殿、台所等を不便を忍んで明渡すこととし、家賃も値上げし、固定資産税その他の公租公課も被告において負担することとして、できるだけの誠意を示したのであつて、何ら非難に値するような廉はないと思われるのに、却つて原告の側で右申入れを拒絶し、本訴に及んだような事情であつた。そして以上当事者双方に存する諸事情を比較検討するとき、本件解約の申入は、到底正当の事由がある場合には該当しないと認められるから、ここにこれを棄却され度いと陳述した。<立証省略>

三、理  由

まず被告の訴却下の主張について調べるのに、被告は本件家屋の訴当時における時価は少なくとも金一千万円を下らないから、従つて本件訴訟物の価額は金一千万円であり、これに相当する印紙を増貼しない以上、本訴は不適法として却下を免れぬという。しかしながら、本訴は賃貸借契約の終了に因る賃貸物の返還請求訴訟であつて、その価額は、原告が係争家屋の返還を受けることによつて直接に受ける経済的利益を基礎として算定せらるべきである。そして原告が係争家屋の返還を受けることによつて直接に受ける利益とは、結局原告が賃貸物を自ら利用し得ることになる利益、換言するとその物の客観的利用価値、具体的には賃料相当の利潤を生ずる基本的資本の額に相当する額と算定するのが相当である。ところで訴提起当時における本件家屋の賃料は後記のとおり一ケ月金一万二千五百円であつて、今日の経済事情の下においては、投下資本に対し月二分や三分の利廻りは普通のことであるから、これを基準として考えるとき、原告が本件訴訟物の価額を金六十万円と算定していることは、まことに相当であつて、前記被告の主張は採用の限りではない。

よつて次に本案について調べる。請求の趣旨記載建物が原告の所有であつて、文化元年の創設以来百五十年、長崎における由緒ある料亭としての歴史を有すること、及び原告が入江はるに昭和二十一年六月係争建物を期限の定めなく、賃料一ケ月金二千五百円の約束で賃貸し、その後賃料が昭和二十三年十月に金四千円、昭和二十四年四月に金一万二千五百円に各増額されたことは、いずれも当事者間に争がない。それで以下順次解約申入による明渡請求について考えることとする。原告は、入江はる個人に係争建物を賃貸したのに同人はその後昭和二十五年十月十六日被告合資会社福島屋を設立して同会社に原告の承諾を得ることなく無断で賃借権を譲渡したと主張し、これを被告に対する解約申入れの理由の一としている。なるほど賃借人が賃貸人の承諾を得ることなく第三者に賃借権を譲渡したり、賃借物を転貸したような場合には、賃貸人に契約の解除権が認められている。しかしながらかように賃貸人に契約解除権が認められているのは、大体賃貸借契約が対人的信頼関係を基礎としたもので賃借人の性格、信用の如何ということが、賃貸人にとつて重大な影響を及ぼすものだからである。従つてこれを反面からいえばたとえ賃借人が賃貸人の承諾を得ることなく第三者に賃借権を譲渡したり賃借物を転貸したような場合でも、これによつて別段対人的信頼関係の基礎に何らの変更がないと認められる場合には、民法第一条の規定の適用上、賃貸人には契約解除権がないと解するのが相当である。ところで成立に争のない甲第三号証に被告代表者入江はる本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、入江はるは昭和二十五年十月十六日被告合資会社福島屋を設立し、その後は被告において係争家屋の使用収益をしている事実が明であるけれども、また前顕各証拠によると、合資会社福島屋は、形式的には入江はる本人と息子の一郎及び親族の実の三名で組織されているが、入江はるがその無限責任社員となつて一切を主宰していて、実質的には従前の状態と何の変りもないこと、つまり入江はるといつても合資会社福島屋といつてもそれはただ形式だけのことで、事実上は一身同体的関係に在ることが認められるから、第一かような法人が民法第六百十二条にいわゆる第三者に該当するか否かが問題であるばかりでなく、仮りにこれを肯定するとしても、原告がこれを理由に契約を解除することは許されないといわねばならない。そして以上の如く原告の契約解除権の行使が許されないとすれば、同様の理由により、ただこれだけの事実をとらえて解約の申入をすることも亦許されない筋合と解するを相当とすべく、また原告は、入江はる又は被告会社において、本件家屋に昔日の面影を一変するほどの無断増改築を加えたと主張しこれを理由として明渡を求めている。そしてなるほど入江はる又は被告が本件家屋に増改築を加えたことは被告の認めるところであるけれども、証人松田一三、末吉重次郎、中山文孝、重富キミの各証言と被告代表者入江はる本人尋問の結果、証人横尾逸見、浦川辰夫、三宅勘司、鬼塚輝忠の各証言、検証及び鑑定人山本藤次郎の鑑定の結果を綜合すると、大体迎陽亭(本件家屋)は今次戦争中から三菱長崎造船所の徴用工員の宿舎として徴用されていた関係で、その当時から料亭としての面影もうすれていたが、殊に昭和二十年八月の原子爆弾によつて甚大な被害を受け、屋根は破壊され、硝子は粉砕し、梁は折れ、天井板もなく、壁は落ち、西側の新館部分を中心として東側に傾斜し、畳もはがれ或は腐朽し、庭園には防空壕が堀られ、雑草は繁茂にまかされていて、恰も怪物屋敷同然の荒廃した状態に在つたことが明である。尤も証人高山栄一、広永安太郎、山口シツの各証言、原告代表者杉山ムラ本人尋問の結果を綜合すると、原告が終戦直後頃相当の費用を捻出して前記新館部分の復旧その他一応の修復をした事実はこれを認めるに難くないけれども、前顕各証拠によれば、右修復はただ応急的なものであつて、入江はるが本件家屋を賃借した当時における係争家屋及び庭園の状況はなお殆ど前記認定どおりの荒廃した状況を出るものではなかつたことが認められ、また当時原告にはこれを完全に修復して昔日の迎陽亭を再建する資力がなく、原告代表者杉山ムラ自身、生長の家の信仰に入つて祖父の業を継ぐ希望もなく、かくてこのままに放置しておくならば、長崎名所の迎陽亭も遂に腐ち果てるばかりであるというので、長崎における知名の士で、迎陽亭と縁故の深い末吉重次郎、松田一三、高見和平らが入江はるに対し長崎復興の一助として迎陽亭(本件家屋)の跡を引受けられ度き旨を勧告し、入江はるも従来経営していた福島屋旅館を戦災によつて焼失し、その再開を計画していた際でもあつたから、遂に意を決し、本件家屋を修復して旅館業を経営すべくこれを賃借したこと、そして爾来入江はるは、本件家屋修旧のために自己所有の土地建物は勿論、他の融資によつて資金を調達し、数百万の費用を投じて物資の乏しい統制時代の困難な事情の下に、あらゆる犠牲を忍びながら、一部屋、二部屋と修復を進め、庭園を復旧しつつ今日に至つたこと、右復旧のため相当の増改築が行われてはいるが、しかし何も本件家屋の基本的な構造そのものを変更するといつたものではなく、旅館に適するように一部屋であつたものを仕切つて二部屋を新設するといつた程度であつたことを、それぞれ確認するに充分である。そして叙上の如く、本件家屋が大体旅館業経営の目的で賃貸されたものであること、然もみる影もなく荒廃した状況に在つたこと等の諸事情から考えるとき、前記認定の如き程度の増改築が施されるということは、何ら本件賃貸借契約の本旨に反するものとは認め難いのみならず、あれ程に荒廃していた係争家屋を今日の如く修復した被告らの労に恩を至すとき、原告が前記認定の増改築をとらえ、本件賃貸借契約の解約申入をするということは到底正当の事由があるものとは解し得ない。また原告の被告らにおいて昭和二十六年三月以降の賃料を滞らせたというけれども原告代表者杉山ムラ本人尋問の結果に弁論の全趣旨を綜合すると、かような事実はなくむしろ原告の方で賃料の受領を遅滞し、被告らにおいてこれを供託していたが、その後原告において供託金を受取つている事実が明であるから、これを目し解約申入の正当事由と認め難いことは勿論、被告の方で将来家賃を滞らせるという事情を認むべきものもない。かように考えてくると、被告が本件家屋の明渡に応じ難いと主張するのも、まことに尤もな次第というべきであるが、然らば一部屋の明渡をも拒絶して良いかといえば、必ずしもこれを肯定する訳にはいかない。というのは、証人山口シツ、草野誠人、林源吉、前川次男の各証言と原告代表者杉山ムラ本人尋問の結果に成立に争のない甲第六号証甲第八号乃至十号証、及び証明部分の成立について争がないので、全体としてもその成立を認むべき甲第七号証を綜合すると、原告においては現在何らの収入がなく、その社員である杉山ムラ一家は相続く生活難のために相当額の公租公課を滞納し、この外数十万円の借財をかかえ、毎月の生活費を借金によつて支えるといつた状況で、その窮乏には同情に値するものがあり、また家族の疎開先である汐入崎の住居は借金の担保に提供されていたが、その後前川次男に売却され、同人からこれを移築するために明渡しを迫られているばかりでなく、然も崖くずれのため現在危険状態に陥つていることが認められるので、原告が住居の安定を得ると共に、本件家屋の明渡を受けて料亭を経営し、併せて生活の安定を得たいと願うのも、また無理からぬところと思われるし、又現下の深刻な家屋事情に鑑みるとき賃貸人も賃借人も互に自己の主張を固執することなく、相手の立場も考えて、自分の不便を忍びながら、できるだけ相手方にも必要と認められる部分を充足させ、共存共栄の途を講ずるように努力すべきことは当然の社会的責務であつて、原告が前記認定のように窮乏した事情に在る以上は、被告としても自己の便益のみに執われることなく、原告に対しても、その最少限度と認められる部分の明渡をすることは、賃借人としてまた当然の義務といわざるを得ないからである。一方原告は本件家屋の全面的明渡を求めた上、由緒ある迎陽亭を再開し、生活の安定を計り度いというけれども、迎陽亭を再開して料亭を経営することになれば、相当の資本を要することは常識上明であり、前記認定の原告の経済事情に照すとき、原告自身が果してこれを良くし得るかは甚だ疑問があると認むべく、原告代表者杉山ムラ本人は「一生懸命にやれば必ず誰れかが助けて呉れると思う」と供述しているが、かようなことでは到底吾人を納得させるに足らず、むしろ他から金融を受けるとすれば迎陽亭の実体は、原告の手からは何時かは金融業者の手にゆだねられる結果となるかも知れない。そしてかうした事情に、前記認定の被告が本件家屋を賃借した当時の事情、その後の事情、原告が住居に困つている事情等を綜合して考えるとき、杉山ムラ一家のために、係争家屋中、その最少限度必要と思われる部分を明渡させ、家賃も相当額に増額する等、その住居と生活の一応の安定を計つてやり、係争家屋における旅館料亭の営業は、しばらく被告をしてこれを経営せしめることが、現在の段階においては、最も妥当な解決策ではなかろうかと思われる。そして検証の結果によつて認められる係争家屋の構造や部屋利用の便と本件建物が料亭であること、弁論の全趣旨によつて明かな、杉山ムラ方が本人と母及び妹(現在東京に居住中)の三人家族であること等考え合わせると、被告から原告に対し主文第一項に記載したとおりの範囲の明渡をさせることが最も妥当だと考えられる。それで原告の本件明渡請求は右の限度においてのみ正当の事由があると認むべきところ、当裁判所が真正に成立したと認める甲第四号証の一、二によれば、原告から被告に対し昭和二十六年九月六日附の内容証明郵便で、解約の申入をしたことが明であつて、遅くとも十日までには被告に送達されたものと認められるから、本件解約の申入は右の限度において、その効力があるものというべく、従つて本訴明渡請求は、この範囲において認容すべきも、その余の部分及び賃料又はこれに相当する損害金の支払を求める部分はいずれもその理由なきものとしてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十二条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 入江啓七郎)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!