長崎地方裁判所 昭和27年(行)3号 判決
原告 高木長義
被告 島原市長
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告が昭和二十六年八月二十四日附を以て原告に対してなした島原市参事の職を免ずる旨の行政処分を取消す。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求めその請求原因として
(1) 原告は別紙履歴書記載の如き学歴、経歴を有するものであつて昭和十七年長崎市役所より島原市役所に転じた後は総務課主任書記(市会並に市参事会書記兼任)、考査役代理、市選挙管理委員会書記長、税務課長等を歴任し昭和二十二年三月十七日総務課長を命ぜられて(その間昭和二十二年十二月十一日より同二十四年十二月十三日迄島原市議会事務局長を兼任し昭和二十三年十月三十一日市参事に任ぜられ同二十五年十二月三十一日から十一級六号給を支給さる)今日に至つたもので市職員として重要な地位にあつたものである。
(2) 右の如く原告が長崎市書記を辞して島原市書記に転じた当時は在来の島原町が杉谷村、安中村を併せて市制を施いた当初であつて市の政治事務は各般に亘り未だ町制時代の旧幣、非能率を脱却せず種々刷新を必要としていた時代であり原告が迎えられたのも当時の市長、助役が原告の経験、手腕に期待してのことであつたので原告は心身を傾けて努力し幾多の成果を挙げ得た。その後原告が曾て税務課長当時同じ市役所の総務課長であつた被告が市長に立候補したため原告は起用されて総務課長に就任したのであるが爾来原告は微力乍ら前にも増して市政上、市事務上に献身し昼夜の別なく誠実且勤勉に市の為に尽力したので市長は勿論、一般市民の信頼を受けて今日に及んだものと自負している。
(3) 然し乍ら近年職務多忙のため過労となり昭和二十六年七月中旬頃から身体に異常を感じたがそのまゝ勤務を続けていたところ同月二十八日出務不能に陥つたので自宅に引籠静養についた。(又そのことについては同月三十日医師診断の結果坐骨神経痛とのことであつたので手落なく手続を済ました。)然るところ同日被告は原告に対し含む所があつたか企図するところがあつたか突如文書で市政の都合に名を藉り原告に対し辞職の勧告をし来つたが原告は反省してみても罷免される事由を見出さなかつたので辞表を提出しなかつた。
(4) 又被告はその後未だ一ケ月に満たざる翌八月二十二日翌日迄に辞職願提出方を督促し来たが原告は依然これに応じなかつたところ
(5) 被告は同月二十四日附で原告に対し島原市職員分限条例第三条第一号(勤務成績がよくない場合)同第三号(その職に必要な適格性を欠く場合)により原告の職を免ずる旨の辞令を伝達し来つた。然し乍ら原告にはこれらの免職事由に該当するものは何ら存在しない。
(6) のみならず被告の処分はその手続に於ても労働基準法第十九条第一項にいう「使用者は労働者が(中略)疾病にかゝり療養のため休養する期間及びその後三十日間は(中略)解雇してはならない」との規定並に同法第二十条の「使用者は労働者を解雇しようとする場合においては少くとも三十日前にその予告をしなければならない」との規定に違反するものである。
(7) よつて原告は同年九月二十二日島原市公平委員会に不利益処分に関する審査の請求をしたのに同委員会は行政事件訴訟特例法第三条所定の三ケ月を経過するも何らの裁決をなさないので本訴請求に及んだ而して同公平委員会が裁決をしないのは原告を免職にする事由はないが、被告の面目のために裁決出来ないものであると述べた。
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めその答弁として
(1) 原告の学歴経歴については同人が島原市総務課書記に任命されるまでのことは知らないが昭和十七年四月三十日被告市役所の総務課書記に任命されて以来昭和二十六年八月二十四日職を免ぜられるまで原告主張の如き職にあつて俸給を受けていた事実は認める。
(2) 原告の主張する「島原市職員に就任後は心身を傾けて努力し幾多の効果を挙げ得た」との点は否認する。即ち
(イ) 原告が総務課長に任命されたのも同人に総務課事務の経験があつたからであつて、決して原告主張の如く市政上市事務上献身し、昼夜の別なく誠実且つ勤勉に市のために尽したとの理由で抜擢されたものではない。
(ロ) 従つて市長、市職員並に一般市民は決して原告の人格、識見に信頼していたのではなく、市民間にも相当批難の声が多かつたのであるが、市長はやむを得ず原告を任に留めその反省の時期を期待していたというに過ぎない。
(ハ) 就中昭和二十六年四月二十三日被告の市長再任後は、常に市長の施策を誹謗するが如き言辞を自席或は庁内各所で放言し市職員の事務能率を攪乱するような行動をとり、勤務状態又毎日の遅参は勿論出勤後は自席にあつて所属課員の指揮監督をしなければならないにも拘らず市議会事務局等に於て雑談に時間を費したりする等その行動は市職員としてあるまじきものであつた。
(3) 原告の主張する
(イ) 「近年職務多忙のため過労となり、昭和二十六年七月中旬頃身体に異状を来した」との点は認めない。即ち前述の如く原告は自己本来の仕事は殆んどしなかつたのであつて職務多忙のため身体に異常を来し職務不能に陥ることはあり得ない。
(ロ) 又「手落なく欠勤手続をして休養した」との点も認めない。即ち原告は一応その形式を整えんがため診断書を提出しているけれども、原告からの電話による欠勤通知によれば胃痙攣だと称しながら後日提出した書面による欠勤届は腰痛となつており、診断書の原本を当然出すべきに拘らずその写を出したり、それも十日を経過してようやく提出するが如きであり
(ハ) 「坐骨神経痛のため自宅に引籠り静養した」との点も認めない。原告は自己の欠勤を適法ならしめんため診断書を提出しておきながら市内の知人方に行つたり、飲酒したりしていたのである。従つて被告が原告に対して「何かふくむところがあつたり企図するところがあつたり」するところはなく、それは原告自身の曲解である。
(4) 被告が原告に対し昭和二十六年七月二十八日辞職を勧告したこと。その翌月重ねてその督促をなした点は認める。
(5) 被告が同年八月二十四日附で島原市分限条例第三条、第一号、第三号によつて原告の職を免じたことは認めるがそれが無効であるという点は認めない。
(イ) 即ち原告は島原市役所処務規則(昭和十五年規則第四〇号公布)第三十三条により出勤した時は自ら出勤簿又は遅参簿に捺印すべきであるに拘らず何れにも捺印せず、登庁時間は常に定刻一時間乃至二時間後であつたり、出勤後も殆んど自席を離れて市議会事務局等に於て雑談に時間を過したり、欠勤日数十日以上に及ぶ場合は医師の診断書を添えて欠勤届を出さねばならないのに殆んど出していない等は「勤務成績が良くない場合」に該当する。
(ロ) 又総務課長は行政一般の事務は勿論、庁中取締の任にあり全職員の師表たるべきに拘らず原告は前述の如く自席或は庁内に於て市長の施策を誹謗するが如き言辞を弄して市職員の事務能率を攪乱するような結果を招来し、遂には市長の施策に協力しない旨を公然と放言する等、将又市庁舎建設工事に関連して、その工事費又は関係者から市長選挙費用を作つたというような事実無根の悪宣伝をなしたり飲酒の上市長リコールの主張を巷間で放言する等ただに総務課長としてのみならず、島原市一般職員としても「必要な適格性を欠くもの」で分限条例に該当すること当然である。
(6) 原告は被告の処分は労働基準法に違反しているから無効であると主張するがかゝることはない。即ち同法第十九条にいう「業務上の負傷又は疾病」とは同法施行規則第三十五条に規定している第一号から第三十七号まで並に第三十八号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」でなければならないが原告のいう坐骨神経痛はその何れにも該当しない。又同法第二十条の「解雇の予告」については原告主張の通り辞職勧告(予告)より免職発令に至る期間が三十日に足りないことは認めるが被告は同条にいう三十日分(八月分の給料)の賃金を支払つている。又本件は同条後段にいう「労働者の責に帰すべき事由」でもあるから被告に違法な点はない
と述べた。
原告訴訟代理人は右の主張に対し
(1) 規則により出勤簿又は遅参簿に捺印することになつていることは争はない。又たとへ原告がそれに捺印しなかつたとしても市長助役は勿論、他の課長もこの規則を遵守しないことが多い。又かゝる些細なことが免職の事由となるものではない。
(2) 原告に遅刻が皆無とはいわないが、それは総務課長の職務上、前日前夜時間外に働いたり、公務のため訪問を受けたりして思わず不規則になつた結果であつて恣意によるものではない。
(3) 八月分の賃金を受け取つたことは争わぬがそれは予告前に支払わるべきであつて免職後支払つてもその免職が合法化されるものではない。と述べた。
(各立証省略)
三、理 由
原告が昭和十七年四月長崎市書記から島原市書記に転じ総務課勤務、考査役代理、市選挙管理委員会書記長嘱託、税務課長を経て昭和二十二年三月十七日総務課長に任ぜられたこと。昭和二十二年十一月三十日から同二十四年十二月十三日迄島原市議会事務局長を兼任しその間昭和二十三年十月三十一日市参事に任ぜられ、昭和二十五年十二月三十一日より十一級六号俸を給せられたこと。昭和二十七年七月二十八日被告より原告に対し辞職の勧告がなされ、更に翌八月二十二日重ねて辞職方勧告があり原告がこれに応じなかつたところ同月二十四日附で島原市職員分限条例第三条第一号(勤務成績がよくない場合)同第三号(その職に必要な適格性を欠く場合)に該当するものとして原告の職を免ずる処分をなしたことは当事者間に争がなく原告の島原市役所勤務以前の学歴、経歴が別紙の如きものであることは成立について争のない甲第一号証によつて認め得るところである。而して原告が昭和二十六年九月二十二日島原市公平委員会に対しその不利益処分に関する審査の請求をなしたのに対し、同委員会は行政事件訴訟特例法第三条にいう三ケ月間を経過するも何らの裁決をなさなかつたことは原告本人高木長義の供述により認められるから訴願前置主義に関する要件は充たされたものと認める。よつて審按するに原告は前段認定の如く長崎市、島原市その他に於て永らく公務員として在職し来りその経歴が漸次向上の一途を辿つた事実に鑑みるも従前に於ける原告は「心身を傾けて努力し幾多の成果を挙げ得た。昼夜の別なく誠実且勤勉に市の為に尽力したので市民の信頼を受けて今日に及んだ」との事実を認める証拠はないまでもその勤務成績が良好であつたことを窺知し得るといわねばならない。よつて本件被告の免職処分は発令前特定期間に於ける即ち総務課長として在職中の原告の言動について為されたとみるのが相当であるから、その言動について考えればよいというべきである。
以下順次検討する。
(一) 原告の勤務成績について
(イ) 出勤簿乃至遅参簿について
成立について争のない乙第八号証によつて認められる島原市役所処務規則第三十三条によつて、島原市役所職員たる原告は出勤すれば出勤簿に捺印し遅参すればその都度その旨の届出をなすべきであるに拘らず、その確実な履行をなさなかつたことは原告の認めるところであり当事者間にその成立について争のない乙第七号証によつてもその状態を認めることができる。
而して処務規則によつて定められている以上、総務課長と雖も確実に履行すべきはもとより望ましいことに違いないが、さりとてこのことを目して勤務成績がよくないものと認めることは妥当でない。
(ロ) 遅刻について
証人梅林武子、伊藤重勝、上田昌良の各証言によれば原告は毎朝一時間乃至二時間出勤時刻に遅れることが極めてしばしばあり他の職員からよからぬ眼を以て見られていたことを認めることができる。多年市役所に勤務し総務課長という高地位にあつた原告としては種々な事情から時偶遅刻したり、多少の遅刻があることは已むを得ないといわねばならないが、苟くも公務員として公共の為に働くべき地位にあるものは所定の勤務時間には所定の勤務場所へ出勤すべきはもとより当然のことといわねばならずその例外である為には相当の理由を必要とすべきである。この点について原告はそれは前夜時間外に働いたり公務の為に訪問を受けたりした結果不規則になつたものであると主張しているがこれを裏づける証拠はない。(又特別職ならざる原告が公務のため勤務時間外に於て執務場所以外で訪問を受けることがそんなにしばしばある訳がない。)さればこの点に関する原告の態度は勤務成績がよくない場合に該当するというべきである。
(ハ) 徒らに自席を離れて雑談に耽つたとの点について
証人伊藤重勝の「出勤後と雖も自席に居られることは殆ど無い」旨の証言、同上田昌良の「出勤後も部屋に居られないことが多く庁中におられるときは多く市議会事務局に行つて居られた」同森中英樹の「毎日のように事務局に来られ雑談が多かつた」との各証言により、原告は勤務時間中にあつても自席を離れることが多かつたことを認めることが出来る。而して原告の市議会事務局勤務嘱託は昭和二十四年十二月十三日迄であつたことは原告自ら陳べるところであり、それ以後に於てはしかく頻繁に市議会事務局に出向すべき要件ありとは思料し難いのであるが、自席を離れることがあつても雑談のみに耽つたとの点については措信し得るに足る証拠はなく、一般職員中筆頭の地位にある原告としては他処との連絡もあり得べきことであるからこの自席を離れることが多かつた一事を目して勤務成績がよくない場合と認めるのは妥当でない。
(ニ) 欠勤手続等について
当事者間にその成立について争のない乙第八号証によれば、原告は吏員として島原市役所処務規則第三十五条により疾病の場合は出勤時限迄に、又欠勤十日以上に及ぶ場合は医師の診断書を添え夫々届出づべきことになつている。被告はこの点について、原告は本件免職処分以前に於ても診断書を添附して届出たことはないと主張しているが、この点については証明すべき証拠がないので認むべき限りではない。然し乍ら昭和二十六年七月二十八日原告が出勤停止を始めた頭初被告に電話届出をなしたのは胃痙攣ということであつたこと。その頃の日附で作成された医師の診断書の存在しないこと。中村医師の作成した診断書は翌八月二十三日附であること(成立に争のない甲第五号証)。同年八月二十七日附で提出し翌二十八日被告方で受付けられた欠勤届添付の診断書が写であつて、翌月五日に至りその本書を提出し七日に被告方に到着していること(以上成立に争のない乙第三、第四第五の一、二の各号証によつて認められる)、その病名が胃痙攣に非ずして坐骨神経痛であつたこと、等に鑑みれば原告の欠勤乃至はその手続については公務員にふさわしい誠実性に欠くものあるを認めることができる。
(ホ) その職に必要な適格性について
島原市職員分限条例第三条第三号並に地方公務員法第二十八条第三号にいう「その職に必要な適格性を欠く場合」に免職できるとの規定について考えてみるに必要な適格性とは当該職務にふさわしい資質並にそれが具体的行動となつて表われることを必要とすべく、その文言にその職とある以上、即ち本件に於ては総務課長という職と相関不可分に考えねばならないというべきである。そうして総務課長たるものは、市政執行の衝に当る市長の補助機関として、上司たる市長の命を受けて、所管の事務を掌るべき最高の吏員たるものであるから、単にその資質においてだけでなく、その行動においても、一体として、斯様な地位にある総務課長としての職に適合してこそ始めて、その職にふさわしい適格性を有するものと考うべきである。そこで原告について考えてみるに本理由冒頭に認定した如く原告が永らく公務員を勤め又島原市役所総務課長に任ぜられた後も本件免職処分発令まで既に四ケ年有余という間勤務を続けて来たという事実のみを見ても原告に総務課長として資質に欠くるところありと見るべき理由はないといわねばならない。又之を否定する証拠として採り上ぐべきものは存在しない。然し乍ら本件免職処分発令前特に昭和二十六年四月に行われた市長選挙頃よりの原告の態度は証人伊藤重勝の「証人が農林課に勤務していた頃も亦総務課に勤務中も原告は常に上司に対する悪口を言い、その為島原市役所従業員組合内に於て、庁内明朗化のため斯様な人は排除すべきだとの空気が濃厚であつたが、証人は本人の自制自範を念願していた。」「被告が再度当選後は中岡市政は永くないとか、中岡市政は財務的に行詰つて破綻を来すということを、その自席或は庁内で話しているのをきいたが、証人は遺憾に思つていた」旨の証言、同上田昌良の「被告が第二回目の市長になつて後原告の成績がわるかつた」「原告の人格はその職責、地位に対して多くの批判を受けていた」「総務課員及び市会議員は敬服していなかつた」「原告が被告の悪口を言つていたのをよく耳にした。殊に市長再選後は執務中にげらげら笑いながら市長の悪口を言つていた」「原告が中岡丸は精霊船と一緒に流したがましだ。もう沈没するばかりになつているということをきいた」旨の証言。同平浩の「時日を経るに従い市長に対する高木氏の悪口は辛辣の度を加えた。」「長尾春十郎氏から原告の市長に対する悪口は酷くてききづらいときいた」旨の証言、同長尾春十郎の「市庁舎建設について被告から何の話もされていない。市長は来年二、三月頃になつたら改選される、それに被告は自分が忠告しても聴入れて呉れないから協力できないといつた」旨の各証言、被告本人の「市庁舎建設用の鉄材、セメント購入に当り、業者が物価高のため納入を遅延していろいろ風評が立ち原告に問合せる人があつたのに対し、原告は、被告から相談されてよく知つているに拘らずこれは市長や助役がやつているので自分は知らない。市長や助役は、取引関係で不正をやつて選挙運動費を稼いでいるのではないかと他人に言つていた」旨の供述並びにこれらの証人及び被告本人のその余の証言乃至供述を総合し、更に、原告在任当時における総務課長が庁内の人事、財政、庶務担当という極めて重要広範囲な職責を有し庁内全般取締の任に当り、正に全職員の模範たるべきものであつたことの証人島崎秀之助、陶山源の各証言、被告本人訊問の結果により明かな事実をも参酌して考へてみるに、原告としては被告が曾ては原告の単なる上司乃至は先任課長であり、訴外陶山助役も亦原告配下の一課員に過ぎなかつたにもかゝわらず、次第に地位の懸隔乃至顛倒を生じて自分だけ独り不遇の立場に取り残されているという不満の念もあつて、次第に上司に対する礼や、職務に対する誠実性を失い、被告の職務執行に協力しない旨を公然と放言したばかりでなく、屡々、被告の施策を誹謗するような言辞を自席或は庁内において弄し、殊に市庁舎建設工事に関連して被告が不正を行い、市長選挙の費用を稼いでいるというような事実無根の悪宣伝をする等被告の職務執行を妨害すべき非協力的な言動に及んだことを認めることができるので、原告は、その具体的行動に於て総務課長たるの適格性を著しく欠いたものといわざるを得ない。証人上田昌良、北野正雄の各証言によつて認め得る如く、職員の身分保持に努力する島原市役所職員組合が却つて原告を目して職員不適格者なりとして被告の処分を是認する態度に出たこともこの認定を助長するものである。
(二) 労働基準法関係について。
(1) 原告の疾病は業務上のものであるか。
労働基準法第十九条第一項によれば使用者は労働者が業務上疾病にかかつた場合はその期間中解雇してはならないとなつておりその業務上の傷病については同法第七十五条、同法施行規則第三十五条によつて明らかにせられており、原告の疾病はその中の第三十八号「その他業務に起因することの明かな疾病」に該当するかが問題とならねばならない。この点につき証人中村和雄、浜田正夫の各証言によれば原告は昭和二十六年七月下旬から八月にかけ浜田医師、中村医師の診断を受け注射を打ち投薬を受け、その病名が坐骨神経痛であつたことは認め得るが、その病気はそんなに頑固なものではなく坐骨神経痛という診断も専ら患者たる原告本人の供述によつて与えられたものなることを認め得て、その病気が出勤不能乃至は「業務に起因することの明らかな疾病」と認め得る証拠はない。さればこの点に関する原告の主張は理由がない。
(2) 予告手当について。
労働者を解雇するに当り、使用者が三十日前の予告乃至は三十日分の平均賃金を支払うべきことは、労働基準法第二十条によつて明らかである。而して被告が昭和二十六年七月二十八日原告に辞職勧告をなし、その翌月たる八月分の給料を原告に支払い、本件解職の発令をしたことは成立に争のない甲第八号証によつてこれを認めるのに充分である。辞職の勧告が解雇予告の意味を包含することは、その後原告が出勤しなかつた事実に徴するもこの場合妥当な解釈である。又被告の免職発令は勧告後三十日には充ちていないが、それを越える一ケ月分の給料を支払つているのであるから被告の処置に違法はない。又辞職の勧告を予告とみること前段の如くであるから予告の後免職発令となればその賃金支払が後払となるのは事理の当然であるから、この点にも違法はない。
(三) 被告の処置は不公平か
地方公務員法第十三条は平等取扱の原則について、人種、信条、社会的身分、若しくは門地、又は政治的意見、政治的所属関係によつて差別されてはならないと規定し公務員について公平な取扱を定めている。又同法第二十八条第三号(本件にいうその職に必要な適格性を欠く場合、国家公務員法第七十八条第三号)の適用については人事院規則一一―〇第三項にいう「当該職員をその現に有する適格性を必要とする他の官職に転任させることができない場合に限るものとする」の規定が直接適用されはしないが、その精神に則り処置せらるべきが妥当といわねばならない。而して本件について、原告は既に島原市役所における一般職員中最高の地位にあり、これを他に転ぜしめることの困難なことは容易に諒解し得るところであり、又既に被告に協力しないと明言していること前段認定の如くである原告を、他の職に転ぜしめても所詮適格性の問題は残るといわねばならない。又証人野沢義雄の証言によれば、被告は、原告と同時に塚島土木課長の免職も発令して居り、その後に於ても税金使込をした吏員の懲戒、依願免等の処分をなしたことも認められる。されば被告は特に原告のみを不公平に扱つたと見るべきものはない。その他被告がその人事行政に於て不公平な取扱をなしたと認め得る証拠はない。尤も証人本多繁行の証言、同牧一男の証言によつて成立を認め得る甲第七号証によれば、被告が昭和二十六年市長再任後行つた人事異動昇給登格について市役所内職員組合が行つた世論調査の結果によれば、否とするものが可成りあり、給与対策委員が被告にその善処方を申入れた事実や、被告本人尋問の結果によれば、市議会が被告に人事異動を慎重にせよと建議した事実が認められる。又証人野沢義雄の証言によれば、永らく病気休養していた職員に昇給させて問題となつた事実は認め得るが、これらの事実があるからといつて、直ちに被告の本件解職処分が不公平なりと断ずるに足るものとは到底認めない。
(四) 当裁判所の総合的判断
思うに地方公務員法第三十条には服務の根本基準として「すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては、全力をあげてこれに専念しなければならない」と規定し地方公務員たるものは(一)公共の利益の為に働くことと、そのためには(二)職務に全力をあげて専念すべきことを命じられている。これによつて本件を考えてみるに、島原市役所に於ける原告の地位は、三役を除く一般吏員中最高の地位にあり、その職務権限は人事、財政に及ぶ極めて広範囲のものであり公務員たるの深い自覚に基づく慎重な態度を要することは敢て被告の主張を俟つまでもない。而して公選の市長に非ざる原告等は所謂政治的手腕というよりは市長に於て企画した施策を忠実具体的に執行することがその任務の原則である。されば吏員中に於ける筆頭課長たるものは、その公的面に於ては須らく被告に忠実に協力して一般職員の模範とならねばならない。即ち行政官庁はその職員の一人々々が官庁を形作るには非ずして、その長官を頂点として全員の一致協力あつて始めて、その任を完うし得ると考へるべく、補助機関たるものが上司の職務執行に協力しないばかりでなく、これを妨害するが如き言動を執ることは容易に看過さるべきではない。勤務時間中に市長に協力できないと公言して憚らないが如きはその地位にあること自体矛盾であるといわねばならない。被告が原告に辞職を求めたこと亦故なしとしない。このことは原告が私人として自由に市政を論ずることと些かも矛盾するものではない。かくて前段に認定した一つ一つをとつて考へてみるならば、その各々が独立して免職処分に値するものと考へられないかも知れないがその全体を評価するならば、原告は既に被告に対する協力心を失い勤務に精出す熱意を欠き当事者間の信頼関係を失つていたことを看取し得るといわねばならない。さればかくの如き態度を露骨にして来た原告を、被告をして尤も信頼すべき一般職員中の筆頭者として使用すべしとすることは再度市長に当選せしめ、そのよりよき市政の運用を期待している島原市民に対する関係に於ても被告のよくし得るところでなく、再度の辞職勧告にも応ぜざりし原告を免職処分するに至つたことは己むを得ざりしものといわなければならない。
よつて原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条に則り主文の通り判決した次第である。
(裁判官 林善助 入江啓七郎 菊地博)
(別紙)
履歴書
本籍 長崎県南高来郡北有馬村三九六
現住所 長崎県島原市江戸丁一、七四五ノ三
高木長義
明治三十七年七月七日生
一 学業
一、大正七年三月 北有馬尋常高等小学校高等科卒業
一、大正九年三月 北有馬実業補習学校卒業
一、大正十年九月 長崎県蚕業試験場講習部卒業
一、昭和十三年三月 長崎県自治修練所修業
一 職業
一、大正十年十月 任長崎県蚕種検査吏員 大正十一年三月解任
一、大正十一年 任北有馬村蚕業技手 大正十四年三月辞任
一、大正十四年三月 任北松浦郡養蚕組合技手月俸六十五円同郡平村神浦村担当駐在
一、昭和三年四月 北松浦郡平村書記兼任月俸三十円引続昭和十三年十二月迄在任
一、昭和十三年十二月 任北高来郡養蚕組合技手同郡田結戸石失上村担当月俸八十五円 昭和十五年七月迄在住
一、昭和十五年八月 任長崎市書記水道部業務課庶務係勤務給月俸六十五円 昭和十七年三月辞任
一、昭和十七年四月 任島原市書記総務課主任月俸七十円市会市参事会書記兼任月手当各五円
一、昭和十七年十二月卅一日 給六級俸
一、昭和十八年三月卅一日 給五級俸当分八十三円
一、昭和十八年八月十日 命考査役故障アルトキ代理スベキ者 昭和十九年三月三十一日同上手当五円
一、昭和十九年九月三十日 給三級俸当分九十八円
一、昭和二十年三月卅一日 給三級俸当分百五円
一、昭和二十一年三月三十一日 任主事六級俸
一、昭和二十一年十月五日 嘱託島原市選挙管理委員会書記長月手当二百円
一、昭和二十二年一月卅一日 命税務課長
一、昭和二十二年三月十七日 免税務課長 命総務課長
一、昭和二十二年十一月卅日 給二十七号給
一、昭和二十二年十一月卅日 嘱託島原市議会事務局長手当二百円
一、昭和二十三年十一月卅一日 補参事
一、昭和二十四年十二月十三日 解嘱島原市議会事務局長
一、昭和二十四年十二月卅一日 給十一級五号給
一、昭和二十五年十二月卅一日 給十一級六号給
一、昭和二十六年八月二十四日 島原市職員分限条例第三条第一号並ビニ第三号ニヨリ本職ヲ免ゼラル
右ノ通リ相違アリマセン
昭和二十七年一月十五日
高木長義