長崎地方裁判所 昭和38年(ワ)66号・昭39年(ワ)378号 判決
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〔判決理由〕(二) よつて、原告の解約の申入れにつき、正当事由があるかどうかについて判断する。
(1) 先づ原告側の事情についてみるに、≪証拠≫を総合すると、
(イ) 原告の夫亡大久保勝憲は、もと本件家屋の西隣に別に家屋を所有し、原告および子供二人ならびに妹らと共にその家に住み、昭和二二年頃から木造船建築用資材、漁業用ロープ等の販売を業とする株式会社長栄商会に勤務し、その後同会社の取締役となつたが、昭和三一年三月一日右会社が長崎船用品株式会社と合併し解散した際、同会社を退職したところ、その住居に隣接する本件家屋を店舗にして自から木造船建造用資材販売店を開業しようと考え、右退職に先立つ昭和三〇年九月頃、被告を相手にして右自己使用の必要性を述べて、その賃借部分の明渡しの調停の申立をしたが、被告がこれに応じなかつたため、不調に終つた。そこで、同人はやむなく、昭和三二年一月頃、長崎市元船町三丁目一七番地所在の訴外浜崎三鶴所有の店舗七坪位を家賃一万二、〇〇〇円で賃借りし、同所で木造船建築用資材販売店を始めたこと、ところがその後、昭和三三年一月右勝憲が脳溢血で倒れたため、原告が夫の看病の傍ら右販売店を経営をすることになつたが、住宅と店舗が離れていて不便なことと、浜崎から賃借中の店舗の賃料一万二、〇〇〇円の負担が経済的にも困難に感じられたので、昭和三五年再び被告を相手に家屋明渡の調停の申立をしたが、これも不調に終つたこと、なお、本件家屋のうち、被告に賃貸している部分を除く残りの部分(現在原告および原告の弟が使用している部分)は、以前より訴外下田テシに賃貸していたが、弟を住わせる必要上、昭和二七年頃にその二階部分の明渡しを受けて、原告の弟大久保喜正に住わせたところ、同人は、間もなく結婚し、子供二人をもうけ、他に住宅のないままその家族四人の住居として現在に至り、一階の部分は、昭和三四年三月頃、原告の商品倉庫として使用する必要上(表側の被告に賃貸部分を店舗とし、裏に当る下田テシ使用の部分を倉庫として使用する計画)下田テシより明渡を受けたこと、
(ロ) ところが、昭和三五年一二月一九日、原告の夫であつた前記勝憲が死亡し、従前原告らの住居用に使用していた家屋も、経済的な事情により他人に譲渡しなければならなくなつたので、他に住居のないまま昭和三七年九月頃から、本件家屋の一階のうち、被告に賃貸している部分の残り、すなわち、前記下田テシから明渡を受けた部分(六坪二合五勺)に、従前から同居していた妹および原告の子供二人計四人で引移つて来たこと、ところで、右原告らの使用する一階六坪二合五勺の部分は、六畳一間のほかに玄関の土間、炊事場、便所等があるだけで、その六畳の一間に当四一才の原告の妹、当二〇才の原告の長男、当一七才の同長女それに、原告の計四人が起居しているもので、それが住居して極めて手狭であること、
(ハ) その上、原告が元船町三丁目一七番地の九に賃借中の前記店舗は、長崎国際文化都市建設計画大波止地区画整理事業区域内にあり、右都市計画の実施のため昭和四〇年中には解家しなければならないことになつていること、したがつて、原告は、遅かれ早かれ右店舗を立退かなければならず、原告が従来の木造船建築資材販売業を続けて行くについては、他に適当な店舗を見付けなければならない必要があること、もつとも、本件家屋は、表通りから一寸はづれた裏通りにあるが、東側・北側ともに約四米道路に面する角地にあり、附近に旅館や小さな商店もある等、原告の営む木造船建築資材販売業の店舗としては、最良のものではないにしても全く不向きというものでもないこと、それに原告は、先に認定したとおり、前々から住居と店舗とを同一の場所に置くことを希望し、そのため本件家屋をその店舗にすることを強く望んでいたこと
が認められる。
(2) つぎに、被告側の事情についてみるに、≪証拠≫および弁論の全趣旨を総合すると、
(イ) 被告が本件家屋に住むようになつたのは、昭和一一年頃からであるが、被告および亡夫は本件家屋で旅館業たる簡易宿泊所を経営するため賃借りし、本件家屋で簡易宿泊所を営んでいたところ、昭和二〇年戦争が苛烈になつて一時疎開したこともあつたが、昭和二一年初頃、再び長崎に帰つて来て、原爆のためひどく破損していた本件家屋の内外の各所に手を加え、窓硝子、畳、襖等を入れる等の造作をして夫亡溝田英夫と共に簡易宿泊所を再開したこと、昭和二五・六年頃夫溝田英夫が死亡してからは、被告が一人で本件家屋の賃借権を引継いで簡易宿泊所の経営を続け、現在に至つたこと、
(ロ) 被告は、本件家屋の賃借部分のうち一階一〇坪七合五勺を自己の住居に使用し、二階八坪七合を簡易宿泊所の営業用に使用していること、そしてここに居住している者は、被告とその使用人である女中二人のみであること、
(ハ) 被告には三人の子がいるが、長女泰子(当三八才)は医師に嫁ぎ、長男正英(当三五才)は市内昭和町に家屋一七坪余りを新築して住みかつ小学校の教員をしており、次女(二四・五才)もすでに東京に嫁いでいて、三人ともいずれも独立してかなりの生活をしていること(以上については当事者間に争がない)、そしてこれらの子等は、被告が本件家屋における簡易宿泊所をやめても、被告を引取つて生活しうる能力を十分有していること、被告の本件家屋による簡易宿泊所の経営による収入は自己の生活を維持するにやつとの程度に過ぎないことが認められ、その上、被告はすでに六二才を過ぎ女中と二人で簡易宿泊所を営んでいることから考えるとき、いずれはこれら子の世話にならなければならないであろうことが推認される。
(3) 以上認定した原告側および被告側の事情とを総合して考えるとき、被告側は本件家屋を戦前より現在に至るまで三〇年弱の長期にわたり借受け、その間原爆罹災後の荒廃した家屋に相当の造作を加え、多年簡易宿泊所を営んで来たことから、本件家屋に対する愛着は相当のものがあることは理解できるが、すでに六二才を超え、三人の子も大きく成長しかなりの生活をしている現在、本件家屋を明渡すことになつても、直にその生活に困窮を来すことは考えられないし、住居についてもさした不安もないといえる。一方原告側においては、現在本件家屋の一部六畳の一間にその家族四人が起居してすでに手狭であるうえ、亡夫の後を継いだ木造船建造資材販売店の収入が原告ら家族の生活の基礎をなしているものであり、今後もその事業を継続して行かなければならない立場にあるのに、現在他人から賃借している右事業用の店舗も早晩都市計画事業実施のため解家しなければならぬ現状から、どうしても他に右事業の店舗を設けなければならない必要があり、こうしたことから、原告は本件家屋をその事業用の店舗に利用することを計画しているもので、原告の本件家屋を求める必要性にはかなり切実なものがあるといえる。
以上のことから結局、原告の被告に対する本件解約の申入には、正当の事由があるものということができる。 (原政俊)