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長崎地方裁判所 昭和60年(ワ)582号 判決 1989年4月28日

原告

加世田和志

原告

清水稔

右両名訴訟代理人弁護士

石井将

谷川宮太郎

市川俊司

服部弘昭

横山茂樹

熊谷悟郎

右熊谷悟郎訴訟復代理人弁護士

原章夫

被告

日本国有鉄道清算事業団(旧名称・日本国有鉄道)

右代表者理事長

杉浦喬也

右訴訟代理人弁護士

村田利雄

右訴訟復代理人弁護士

杉田邦彦

有岡利夫

右指定訴訟代理人

荒上征彦

利光寛

川田守

滝口富夫

増元明良

内田勝義

被告

寺園貫一

冨康厚男

右両名訴訟代理人弁護士

村田利雄

杉田邦彦

有岡利夫

主文

一  被告日本国有鉄道清算事業団は、原告加世田和志に対し、金五、七〇四円を、原告清水稔に対し、金五、五五九円をそれぞれ支払え。

二  原告らの被告寺園貫一及び同冨康厚男に対する請求はいずれもこれを棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告日本国有鉄道清算事業団との間に生じたものは、被告日本国有鉄道清算事業団の負担とし、原告らと被告寺園貫一及び同冨康厚男との間に生じたものは原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告日本国有鉄道清算事業団は、原告加世田和志(以下「原告加世田」という。)に対し、金五、七〇四円を、同清水稔(以下「被告清水」という。)に対し、金五、五五九円をそれぞれ支払え。

2  被告寺園貫一(以下「被告寺園」という。)、同冨康厚男(以下「被告冨康」という。)は、各自原告らに対し、各金三〇万円及びこれらに対する被告寺園については昭和六一年二月二日から、被告冨康については同月四日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  1及び2項につき、仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告らは、いずれも昭和六〇年八月当時日本国有鉄道〔以下「国鉄」という。なお昭和六二年四月一日付でその名称が日本国有鉄道清算事業団(以下「被告事業団」という。)と変更された。〕に雇用され、長崎保線区長崎支区に保線管理係として勤務していた者であり、国鉄職員でもって組織されていた国鉄労働組合(以下「国労」という。)の組合員で、国労門司地方本部長崎支部長崎保線区分会に所属していた。

(二) 被告寺園及び同冨康は、いずれも当時原告らの勤務する現業機関の箇所長であって、被告寺園は長崎保線区長の、被告冨康は同保線区長崎支区長(その後職制変更により助役)の地位にあった者である。

2  原告らの年次有給休暇の請求(時季指定)

(一) 国鉄の職員は、就業規則・職員勤務基準規程により、勤続三か月に達した時は、翌月一日付で一〇日間の、勤続一年に達したときはその翌月一日付で二〇日間の年次有給休暇(以下「年休」という。)が付与されることになっていた。その年休は、計画年休と自由年休の二種類に分けられていた。

(二) 原告らは、昭和六〇年七月二三日、翌八月分の勤務割表の写が提示された段階で、同年八月九日の勤務を計画年休に割振るよう右写の八月九日欄に「年」(計画年休請求の記載)と記入して、計画年休の請求をした。しかし、被告冨康は、同年七月二四日原告らに対し、八月九日の計画年休は認めないと述べて時季変更権を行使した。また、翌七月二五日原告らの八月九日欄の「年」の記載を消去した勤務割表が配付されたので、原告らは再度同勤務割表の八月九日欄に「年」の記載を行って同日の計画年休の請求を行ったが、被告冨康は、同年七月二五日午前八時五六分、「八月九日は一切年休を認めません。時季変更権です。」と述べて計画年休の請求に対し、時季変更権を行使した。それ以後原告らは、八月九日を計画年休として認めるよう再三にわたって請求し続け、仮に計画年休として認められないならば自由年休として請求するので認めるよう繰り返し請求した。そして、原告らは、同年八月七日に至って年休申込簿に「国鉄原爆慰霊祭」参加という利用目的を明示して自由年休の請求をした。しかし、被告冨康は、被告寺園らと協議のうえ、原告らの自由年休の請求に対しても時季変更権を行使してこれを拒否した。

3  原告らに対する一日分の賃金カット

(一) 原告らは、被告寺園及び同冨康らの時季変更権行使が違法・無効であり、時季指定により適法に年休を取得したものとして、同年八月九日の勤務に就かず、同日午前九時から午後三時まで国労が結成した国労原爆被爆者対策協議会主催の国鉄原爆死没者慰霊式典(以下「国鉄原爆慰霊祭」という。)に参加し、かつ式典準備などの作業に従事した。

(二) しかるに、国鉄は、原告らの右八月九日の勤務を「不参」(国鉄内部規程において、無届または承認を与えていない日の欠勤を意味する。)扱いにしたうえ、同年九月二〇日原告らに本来支給すべき賃金から、原告加世田については金五、七〇四円の、原告清水については金五、五五九円の各一日分の賃金を控除して支払わなかった。

4  被告事業団に対する未払賃金請求

被告寺園及び同冨康がなした原告らの同年八月九日の時季指定に対する時季変更権の行使は違法無効であり、原告らは、いずれも時季指定によって適法に年休を取得したもので、無断で欠勤したものではないから、被告事業団は、原告らに対し、右各控除金員を未払賃金として支払うべき義務がある。

5  被告寺園及び同冨康の不法行為責任

(一) 国鉄においては、「分割・民営化」の名の下に、国民の足と国鉄労働者の雇用を守る立場からこれに反対する国労及び国労組合員に対し、常軌を逸する甚だしい人権侵害「国労いじめ」が強行され、とりわけ九州総局長崎管理部管内ではその人権侵害の実態が顕著であった。

長崎保線区管内においても、被告寺園の率先指導のもとに、被告冨康支区長が共謀し、勤務時間中上司の言うことがすべて業務命令であるとして、一方的な勤務指定、変更、見せしめ的雑作業への従事命令、或いは点呼時での「はい。」の強要と集団的威迫、さらには日常的な侮辱発言及びこれに反発する職員への過酷な処分発令が繰り返されるなど、人権や労働法規を無視した行為が続発していた。

(二) 被告寺園及び同冨康がなした本件時季変更権、不参取扱いという違法行為も、その人権侵害「国労いじめ」の一手段として、原告らの組合活動を嫌悪していた右被告らが共謀のうえ、原告らの年次有給休暇権及び国労組合員としての団結権・労働組合活動権といった労働者の基本的権利を蹂躪することによって、職場に専制的支配を樹立しようとして敢えて強行してきたものであり、原告らが右年次有給休暇権等を侵害されたり、その他の侵害行為により被った精神的苦痛について、不法行為(民法七〇九条)による損害賠償責任を負うべきである。

(三) 損害額

本件のように違法性の極めて高い悪質な不法行為については、その行為主体に対し、これを抑制するに足る慰謝料を課すべきであるから、各原告らにつきそれぞれ金三〇万円の慰謝料が相当である。

6  結論

よって、原告加世田は、被告事業団に対し控除された賃金五、七〇四円の、原告清水は、被告事業団に対し控除された賃金五、五五九円の支払いをそれぞれ請求するとともに、原告らは、被告寺園及び同冨康に対し、不法行為に基づき、各自各金三〇万円及びこれらに対する被告寺園については本訴状送達の日の翌日である昭和六一年二月二日から、また被告冨康については本訴状送達の日の翌日である同月四日からそれぞれ支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを請求する。

二  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)のうち、原告らが八月分の勤務割表の写が提示された段階で支区長である被告冨康に対し八月九日の勤務を計画年休に割振るよう右写の八月九日欄に「年」と記入して計画年休を請求したこと及び被告冨康が原告らの年休請求に対し時季変更権を行使して年休の請求を拒否したことは認め、その余の事実は否認する。

3(一)  同3(一)の事実は不知。

(二)  同3(二)の事実は認める。但し、原告清水に対する控除した賃金は金五、五九二円である。

4  同4の主張は争う。

5(一)  同5(一)の事実は否認する。

(二)  同5(二)の事実は否認し、その主張は争う。

原告らは、被告寺園及び同冨康が原告らの年次有給休暇権及びその他の権利を侵害したと主張するも、被告らの求釈明にもかかわらずその具体的権利侵害事実については何ら主張しないのであるが、右被告らは、国鉄の業務の正常な運営を図るべく現場長として通常の労務指揮権に基づいて通常の業務命令を発したものであって、何らの権利侵害も行っていない。

(三)  同5(三)の主張は争う。

三  被告らの抗弁

(本件時季変更権の行使が適法であること)

1 被告冨康の時季変更権の行使

(一) 被告冨康は、昭和六〇年八月分の計画年休の具体的な予定日を各職員に記入させるため、同年七月二三日暫定作業グループに勤務割表の写を配布し、翌二四日その写を回収した際、原告らが同年八月九日を計画年休として請求していることが分かったので、同年七月二五日朝の点呼において、原告らに対し「八月九日は三名の年休申込みがありますが、当日は保線機械グループが非番になっており、支区には勤務者がわずか一名しか残らないので、同日の年休については変更するように。」と時季変更権行使の通告を行ったうえ、同年七月二五日午後に八月分の勤務割表を公表する際、原告らの八月九日の勤務を「日勤」として指定して公表した。これに対し、原告らは、右時季変更の通告の際何らの異議の申立てもしなかった。

(二) ところが、同年八月五日午後に至り、原告加世田らは被告冨康に対し、原告らの同月九日の自由年休を請求してきたが、被告冨康は、沿線住民の伐採要請、作業計画の遅れ、さらには当時夏期特別巡検期間中であり、不測の事態に備えて同支区にも最低の保安要員を確保しておきたいという理由から、原告加世田らに対し、「当日の業務に支障を来すので、年休は認められない。」旨の通告をした。また、同月八日午後六時二五分ころ、原告らが被告冨康に対し、所定の年休申込簿により、同月九日を時季指定し、「国鉄原爆死没者慰霊式に参加」と事由を記入して書面で請求したきたが、被告冨康は右と同様の理由で原告らに対し時季変更権を行使する旨の通告を行った。

2 本件時季変更権行使の適法性

国鉄職員には、年休として計画年休と自由年休とがあり、計画年休は、極力年休の使用を促進するため付与日数の五分の三を年間計画として計画的に付与することとして、その具体的日割、配分については、業務の繁閑、職員の意向を考慮して一か月一日平均を付与することとなっていた。また自由年休は、計画年休以外の年休で、本人の時季指定によって付与されるものであって、計画年休とはその取扱いにおいて違いがあったもののその性格は全く同一であった。従って、いずれの年休に対しても、年休を付与することによって業務の正常な運営を妨げるときは、時季変更権を行使することができた。

それ故、原告らの時季指定に対する本件時季変更権の行使は、以下のとおりいずれも業務の正常な運営を妨げる事情が存在し、適法になされたものである。すなわち、

(一) 長崎保線区の業務内容と組織

(1) 長崎保線区の主な業務は、線路・建造物・用地の保守及び管理、保線用機器の検査・修繕及び整備等であり、同区の担当区域は、長崎本線肥前鹿島・肥前浜駅間より以南の長崎港駅に至る軌道延長一〇〇キロ二〇〇メートルの区間並びに大村線早岐・南風崎駅間より以東の諫早駅に至る軌道延長四七キロ一〇〇メートルの区間である。

(2) 長崎保線区は、その担当区域を、長崎、小長井、大村の三つの保線支区に区分けして、それぞれの支区において右業務を行っているが、昭和六〇年八月九日当時の職員数は、管理者及び休職者を除き、長崎保線区(本区)二八名、長崎支区三七名、小長井支区二三名、大村支区二五名、以上一一三名であった。

(3) 原告らが所属する長崎支区の組織及び職員の具体的な配置状況は、支区長の下に計画助役と作業助役が各一名存在し、さらにその下に事務室、保線管理グループ、作業班が存在し、その作業班は、保線機械グループと暫定作業グループとに分かれ、保線機械グループは、重機保線長一名、重機副保線長一名、重機保線係三名で構成され、また暫定作業グループは、六名の保線管理係で構成されていた。

(二) 暫定作業グループの設置について

長崎保線区においては、昭和五七年三月三一日付で国鉄本社と国労中央本部との間で締結された「線路保守の改善の実施に伴う労働条件に関する協定」(以下「中央協定」という。)及び昭和五八年四月二二日付で国鉄門司鉄道管理局と国労門司地方本部との間で締結された「線路保守の改善の実施に伴う労働条件に関する協定」(以下「地方協定」という。)並びにその後の労使協議に基づき、同年六月一日、長崎、小長井の各支区に暫定作業グループが設置されたが、長崎支区では当時、原告らを含め八名の職員で暫定作業グループが構成された。

(三) 暫定作業グループの業務内容

暫定作業グループの業務内容は、中央協定における労使間交渉で「原則として新しい線路保守体制における作業グループの作業内容(いわゆる部外能力活用以外の作業)とする。」旨の確認がなされ、またその後昭和五九年四月二三日、門司鉄道管理局と国労門司地方本部職能別協議会との間で暫定作業グループの作業内容につき、除草作業(除草薬散布、伐採など)、側溝整理、施工基面整理を行うことができる旨の合意が成立した。

以上の労使間の合意に基づき、本件当時の暫定作業グループの具体的な業務内容は、線路のむら直し、総つき固め、レール締結装置補修、運搬作業、踏切作業、機器作業、除草作業(除草薬散布、伐採など)、側溝整理、施工基面整理その他諸作業及び諸工事となっており、また作業班の他のグループであった保線機械グループとの共同作業によるレール締結装置交換・補修、軌道パットの交換・補修、継目板及びボルトの交換・補修等も暫定作業グループの業務内容になっていた。従って、伐採作業も暫定作業グループの本来の業務内容となっており、被告寺園及び同冨康が原告らに対し伐採作業の指示・命令することも許されていたというべきである。

(四) 作業計画について

長崎保線区長崎支区においては、同区の計画助役が「保守作業計画表」(月間作業計画表)を作成し、支区長が毎月月末ころ、各グループの作業責任者に対し、翌月分の主要な作業計画を明らかにしてこれを説明し、また各週の作業計画も同様支区長が、月間の右作業計画の工程変更を含めて翌週分の具体的な作業種別、作業位置等について作業助役が作成した「週間作業計画表」に基づき、関係職員に説明してきた。もっとも、長崎支区の伐採作業は、原告らの非能率的な作業のためその遅れが甚だしく、その計画は日々変更されていたのが日常的であり、日々の作業区間等については朝の点呼時に指示をしていた。

そして、昭和六〇年七月三〇日に説明された同年八月分の月間作業計画の中では、同年八月九日の暫定作業グループの作業計画は、長崎本線喜々津・市布駅間三五〇メートル区間の伐採作業が予定されていた。なお、一方の保線機械グループの五名の職員については、うち四名が国鉄原爆慰霊祭に参加したいと希望していたので、同人らにつき同日が非番になるよう前日八日夜から翌九日早朝までの夜間重労務作業(保線作業用機械による線路の総つき固め作業)が計画されていた。

その後、被告冨康は、同月二日には同月五日から同月一一日までの週間作業計画として、作業班(暫定作業グループ及び保線機械グループ)の作業長代行の原告加世田らに対し日毎の作業計画を説明したが、その中で月間作業計画で予定していた伐採作業が遅れていたうえ、地域住民及び市役所から伐採の要請を受けていたので、同月九日は暫定作業グループに保線機械グループの一名を加えて諫早・西諫早駅間一〇二キロ八〇〇メートルから一〇三キロメートルまでの二〇〇メートル区間の伐採作業を行うよう説明した。もっとも、同月九日は、大幅な作業の遅れから週間計画の予定を変更し、当日の朝の点呼時において、諫早、西諫早駅間の下り線一〇二キロ五〇〇メートルから一〇二キロ七〇〇メートルまでの二〇〇メートル区間内の伐採作業を直接原告らに指示する予定であったが、原告らが無断欠勤をしたため予定していた作業ができず、同月二九日及び同月三〇日に同区間の伐採を実施した。

(五) 伐採作業及び地域住民等からの伐採要請について

国鉄における沿線の雑草等の伐採作業は、線路の保守・管理及び運転保安確保上重要な保線作業の一つであり、本件長崎保線区に限ることなく、門司鉄道管理局管内の各保線区で実施しているものである。つまり、雑草等の繁茂は、運転士が列車運転中、信号確認をするうえで支障を来したり、踏切通行者の列車見通しを阻害したりするため、その伐採を実施するものである。

ところで、長崎保線区長崎支区においては、深夜列車の通らない時間帯に行っている夜間重労務作業を実施するにあたり、騒音が発生するため地域住民の協力を事前にとるべく、昭和六〇年六月二七日及び同年八月一日に広報活動を行った際、諫早市宇都町の住民から「害虫が出て、非常に困っている。国鉄が処置しないと我々も同作業に協力できない。」との強い苦情が寄せられ、また同年七月三〇日にも諫早市土木課から右長崎支区に対し、同年八月のお盆ころまでに伐採して欲しい旨の要望があったうえ、保線管理グループの職員からも線路巡回中の歩行が困難で、列車待避上も危険である旨の指摘を再三受けていたことなどから、これにできるだけ応えるため、夏期特別巡検期間中で各種の保線作業の制限を受けていたこともあって、原告らの所属していた暫定作業グループのみならず保線機械グループも計画的に投入して伐採作業を実施していたが、その実行は、原告らの非能率的な作業のため計画どおりに進まず、期日が迫っていたため連日伐採作業を続けなければならず、本件八月九日も伐採作業を行わざるを得ない状況にあった。そして、そのような計画の大幅な遅れから、長崎支区では同月五日及び同月二四日に直轄作業区間について外託業者に発注して伐採作業を行った。

なお、地域住民及び自治体からの伐採要請は、単に作業予定区間だけでなく、他の長崎支区の担当区間からもあった。

(六) 保安要員確保の必要性について

国鉄においては、昭和六〇年七月一〇日から同年八月三一日まで夏期特別巡検期間中であったところ、長崎支区作業班においても、高温による線路の張り出し事故等の異常事態に備え、緊急に対処する保安要員の確保という観点から、最低三、四名の職員を常時勤務させていた。

従って、原告らに年次有給休暇を付与すると、長崎支区には右夏期特別巡検期間中に職員がわずか一名しかいないという異常な事態を作り出す結果となるので、その付与ができない状況にあった。

(七) 以上のとおり、被告冨康が本件時季変更権を行使した理由は、長崎支区における伐採作業が大幅に遅れていたこと、以前から沿線住民から伐採要請がなされていたこと、原告らの年次有給休暇を付与すると、長崎支区の作業班の保安要員配置が一名となり、万一、異常事態が発生した場合の連絡や応急体制に対応できなくなるので、必要最低限度の要員は確保しておかなければ業務に支障を来すと判断したことなどであり、被告冨康は、原告らの年次有給休暇の請求に対し、右理由により業務に支障を来すとして再三の時季変更を明確に通告したものであって、本件時季変更権の行使は適法である。

四  被告らの抗弁に対する原告らの認否

1(一)  被告らの抗弁1(一)のうち、昭和六〇年七月二三日に同年八月分の勤務割表の写を配布し、翌二四日にその写を回収したこと、原告らがその勤務割表の写により八月九日を計画年休として請求したこと、被告冨康が同年七月二五日朝の点呼において原告らに対し八月九日の年休請求につき時季変更権行使の通告を行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二)  同(二)のうち、同年八月五日に原告らが自由年休を請求したことは認めるが、その余の事実は否認する。

2(一)  被告らの抗弁2の冒頭の主張は争う。

(二)  同2(一)及び同(二)の各事実は認める。

(三)  同2(三)のうち、暫定作業グループの具体的な業務内容についての事実は認めるが、その余の主張は争う。

(四)  同2(四)のうち、長崎保線区長崎支区において計画助役が「保守作業計画表」を作成し、また作業助役が「週間作業計画表」を作成すること、昭和六〇年八月分の月間の作業計画中、同月九日の暫定作業グループの作業の計画、同日保線機械クループが非番となっていたこと、同グループの同月八日が夜間重労務作業になっていたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五)  同2(五)のうち、国鉄における沿線の雑草等の伐採作業が保線作業の一部として行われていたこと、伐採作業が門司鉄道管理局管内の各保線区で実施されていたこと、雑草等の繁茂は、運転士が列車運転中信号確認をするうえで支障を来たしたり、踏切通行者の列車見通しを阻害したりするため、一般にその伐採を実施するものであること及び昭和六〇年八月九日当時夏期特別巡検期間中であったことは認めるが、その余の事実は否認する。

週間作業計画によると、同月九日原告らが行うべき伐採作業予定区間は諫早、西諫早間一〇二キロ八〇〇メートルから一〇三キロメートルの区間で下り線左側の区域(もっとも、懲戒処分に対する異議申立における弁明弁護手続で、国鉄は、伐採区間が諫早、西諫早間一〇二キロ五〇〇メートルから一〇二キロ七〇〇メートルまでの下り線と回答した。)であるが、その区間には信号機や踏切は存在せず、伐採作業を取り急ぎ実施しなければ列車の運行上支障のある場所ではなかった。また人家も軌道から数十メートル幅で存在しないうえ、予定区間から一キロメートル以上離れた宇都町の住民から伐採作業の要請があるはずはないし、自治体の土木課から直接保線支区に伐採要請の電話がかかるということは通常あり得ない。仮に、住民や自治体等の要請があって伐採作業を急ぐ必要があったとすれば、どうして要請のあった区間を優先的に作業をしなかったのかについて説明がつかなくなる。しかも、右予定区間は、国鉄が同年六月二一日外託業者に伐採作業を発注していた場所であったにもかかわらず、同年八月九日原告らに伐採作業をさせようとしたものであり、また同年八月五日及び同月二四日に外託業者が行った伐採作業区間も右予定区間と全く異なった場所であった。

(六)  同2(六)の事実は否認する。

夏期特別巡検期間中の警戒体制には、保線管理室がその任務にあたっていたもので、長崎支区作業班はそのような任務についていなかった。特に暫定作業グループは余剰人員の扱いを受け、正規の警備要員・保安要員として扱われることは全くなく、緊急時の防災体制を定める「防災便覧」にも暫定作業グループに所属する職員は必要な要員として掲載されておらず、いわばことごとく員数外としての差別的取扱いを一貫して受けていた。

(七)  同2(七)の主張は争う。

五  被告らの抗弁に対する原告らの反論

(本件時季変更権行使の違法・無効)

1 時季変更権行使が適法というためには、労働基準法三九条三項但書の「事業の正常な運営を妨げる場合」でなければならない。その「事業の正常な運営を妨げる場合」か否かは、当該労働者が従事する個々の業務ではなく、当該労働者の所属する事業場を基準として、「その企業の規模、有給休暇請求権者の職場における配置、その担当する作業の内容性質、作業の繁閑、代行者の配置の難易、時季を同じくして有給休暇を請求する者の人数等諸般の事情を考慮して制度の趣旨に反しないよう合理的に決すべきもの」(大阪地方裁判所昭和三三年四月一〇日判決・労民集九・二・二〇七)である。そして、年次有給休暇権は、「労働基準法が労働者に特に認めた権利であり、その実効を確保するために付加金及び刑事罰の制度が設けられていること、及び休暇の時季の選択権が第一次的に労働者に与えられていることに鑑みると、同法の趣旨は、使用者に対しできる限り労働者が指定した時季に休暇をとることができるように、状況に応じた配慮をすることを要請しているものとみることができ、そのような配慮をせずに時季変更権を行使することは同法の趣旨に反するもの」(最高裁判所昭和六二年九月二二日判例時報一二六四号一三一頁)であり、年休の時季指定があった場合、使用者は労働者に休暇を取得させるため努力義務を負っているということができる。以上述べた時季変更権に対する労働基準法上の制約は、前記の自由年休にそのまま適用される。

しかし、他の年次有給休暇請求権である計画年休の時季変更権に対しては、計画年休が年次有給休暇請求権の行使を積極的に保障し、その消化を促進することを目的として設けられたものであり、またその付与にあたっては、使用者に対し、年間を通じて予め付与計画を立てそれに基づいて当該労働者の希望を十分に尊重して付与することが労働契約上の義務として課せられていたのであるから、自由年休の時季変更権に対する労働基準法上の制約よりも幅広い労働契約に由来する制約が課せられていたというべきである。

2 これを本件についてみると、

(一) 暫定作業グループは、線路保守作業の全般を実施することができる建前ではあるが、長崎保線区では、現場長の業務指示により側溝掃除・砂利整理・除草・伐採など雑作業に従事させることが常態であって、線路保守・補修の本務に就かせることはなかった。すなわち、暫定作業グループに属する職員は、保線区内における正規の「所要員」としては一切取扱われず、「過員」として取扱われていた。

(二) 昭和六〇年五月から原告らを含め六名の職員が暫定作業グループに属することになったが、被告寺園及び同冨康らは原告らに対し、長崎・諫早間五〇キロメートルを一定の区画に区切り、毎日線路内及び側端・土手の伐採作業に従事させていた。つまり、原告らが担当していた業務は、暫定作業グループとして編成された余剰人員に従事させていた弥縫策的な伐採作業であり(その直後の同年一〇月末には、暫定作業グループが解消され、伐採作業業務もなくなった。)、雨天や必要人員に病欠・事故欠・年休取得等で欠員が生じて所定の伐採作業ができないときには、見張りを必要としない貨物引揚線の除草、倉庫内の材料整理、機械・器具の整備などに従事させてきたものであって、事業場である保線区本来の正規の業務といえるものではなかったうえ、同年八月九日に是非とも実施しなければならない作業でもなかった。

(三) 他方、原告らが年次有給休暇を取得して参加しようとした国鉄原爆慰霊祭は、長崎本線浦上駅敷地内の国鉄当局から提供された用地に建立された慰霊碑の前で、昭和四八年八月九日の第一回から毎年挙行されているもので、昭和六〇年八月九日で第一三回目を迎えた。国鉄原爆慰霊祭には当初より継続して国鉄当局からは、国鉄本社・門司鉄道管理局の各代表が、長崎からは駅長・保線区長等(または代理助役)が、国労からは被爆労働組合員・一般労働組合員及び被爆者とその遺家族等が参列して式典が行われていた。そして、国鉄当局は、昭和五七年八月九日の第一〇回までは年次有給休暇の申請手続きを要求しなかったし、準備作業はもとより式典の行われる当日の午後一時から午後三時までの間に仕事上支障のある者を除いて誰でもが勤務取扱いで国鉄原爆慰霊祭に参加することを認めていたところ、昭和五八年以降の同慰霊祭については、これに参加する国労組合員に対し年休の申請手続きをさせるようにした。しかし、それ以降も国鉄当局は、従前の経緯を尊重して国鉄原爆慰霊祭に参列する国労組合員について、時季変更権を行使してその参列を妨害するようなことはなかったのであり、被爆地長崎という特殊性から、国鉄当局においては当日の参加者の年休取扱いについてできる限りの配慮がなされてきた。そして、原告らは、いずれもその式典の準備作業などに従事して参加するために年休を請求したものであって、その原告らの請求は伐採作業という付随的なものに比して必要不可欠なものであったというべきである。

(四) 従って、原告らが所属していた暫定作業グループの設立の経緯及びその性格、原告らが当時作業に従事していた職場の配置、担当業務の性質・内容、作業の繁閑、代行者の配置の難易、作業変更の可能性等のいずれをみても、原告らが国鉄原爆慰霊祭参加の目的で年次有給休暇請求権を行使したとしても、「事業の正常な運営を妨げる」ということにはならなかった。

3 しかるに、被告寺園及び同冨康は、労働基準法上ないし労働契約上の義務に違反し、事業の正常な運営を妨げる事情が何ら存在しないのに、時季変更権の行使を口実として、原告らの年次有給休暇請求権の行使を妨害する目的で、本件時季変更権を行使することは権利の濫用であるから法律上無効である。

また本件時季変更権の行使は、かねてより国労の活動を嫌悪し、原告らが国労に所属してその統制下に労働組合活動を行っていることに対し、国労の弱体化を図り、その自主的組合活動を支配してこれに介入し、さらに原告ら国労組合員に対し不利益取扱いを行う意図をもってなされた不当労働行為であるから法律上無効である。

第三証拠(略)

理由

第一未払賃金請求について

一  請求原因1の事実(当事者)は当事者間に争いがない。

二  同2の原告らの年休の請求(時季指定)と被告らの抗弁1の時季変更権の行使について検討する。

1  国鉄の職員は、就業規則・職員勤務基準規程により、勤続三か月に達したときは、翌月一日付で一〇日間の、勤続一年に達したときはその翌月一日付で二〇日間の年休が付与されることになっていたこと、その年休は、計画年休と自由年休の二種類に分けられていたこと、昭和六〇年七月二三日に同年八月分の勤務割表の写が配布され、原告らは、その段階で同月九日の勤務を計画年休に割振るようその写の八月九日欄に「年」と記入し、計画年休として請求したこと、翌二四日にその写が回収されたこと、被告冨康が同年七月二五日朝の点呼において原告らに対し八月九日の年休請求につき時季変更権行使の通告を行ったこと、同年八月五日に原告らが自由年休を請求したこと及び被告冨康が原告らの年休請求に対し時季変更権を行使してその旨通告したことは当事者間に争いがない。

2  右の争いのない事実のほか、(証拠略)、原告加世田和志、被告寺園貫一及び同冨康厚男の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(一) 原告らは、昭和六〇年七月二三日、長崎保線区長崎支区における一般的な計画年休の請求方法として、前記のとおり配布された翌八月分の勤務割表の写の同月九日欄に「年」と記入してこれを同月二四日に提出し、計画年休の請求をしたところ、被告冨康は、被告寺園と相談しその指導を受けて、同月二五日朝の点呼時において、原告らに対し、業務に支障が生ずるとして翌八月九日の年休請求は認められない旨通告した。そこで、原告らは、その際確定したものとして配布された八月分の勤務割表の八月九日欄に「年」と再び記入して提出し、再度計画年休を請求したが、被告冨康はその場で同様の理由で計画年休は認められない旨述べた。

(二) その後原告らは、被告冨康に対し、年休請求を認めて欲しい旨の申入れをしていたところ、同年八月五日、原告加世田は、被告冨康に対し、口頭で自由年休の請求をしたが、同人は、業務に支障があるとしてこれを拒否した。さらに、原告らは、同月八日夕刻、被告冨康に対し、自由年休の一般的な請求方法である年休申込簿(<証拠略>)に「国鉄原爆死没者慰霊式に参加」という利用目的を明示してこれを提出し、自由年休の請求をしたが、被告冨康は、被告寺園と相談しその指示のもとに、業務に支障があるのでその請求は認められない旨通告した。

3  以上の認定事実によると、被告冨康は、原告らの適法な計画年休及び自由年休の各請求(時季指定)につき、いずれも時季変更権を行使したことが認められる。

三  そこで、被告冨康のなした本件時季変更権行使の適法性について検討する。

1  使用者が時季変更権を行使して時季指定による年休の成立を阻止するためには、昭和六二年法律第九九号による改正前の労働基準法三九条三項但書所定の「事業の正常な運営を妨げる」事由が客観的に存在することが必要であるが、「事業の正常な運営を妨げる場合」か否かの判断は、年休を請求している当該労働者が所属する事業場を基準として、その事業場の規模や業務内容、当該労働者の事業場における配置、その担当する職務の内容や性質、その職務の繁閑、代行者の確保の難易、使用者がなすべき配慮義務の履行の程度等諸般の事情を考慮して、年休の制度趣旨に反しないように客観的、合理的に判断すべきである。

2  そこで、右に述べたところに従って、被告冨康のなした時季変更権の行使が、「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するか否かについて判断する。

(一) 長崎保線区の規模、業務内容等について

長崎保線区の主な業務は、線路・建造物・用地の保守及び管理、保線用機器の検査・修繕及び整備等であり、同区の担当区域は、長崎本線肥前鹿島・肥前浜駅間より以南の長崎港駅に至る軌道延長一〇〇キロ二〇〇メートルの区間並びに大村線早岐・南風崎駅間より以東の諫早駅に至る軌道延長四七キロ一〇〇メートルの区間であること、長崎保線区は、その担当区域を、長崎、小長井、大村の三つの保線支区に区分けして、それぞれの支区において右業務を行っているが、昭和六〇年八月九日当時の職員数は、管理者及び休職者を除き、長崎保線区(本区)二八名、長崎支区三七名、小長井支区二三名、大村支区二五名、以上合計一一三名であったこと、原告らが所属する長崎支区の組織及び職員の具体的な配置状況は、支区長の下に計画助役と作業助役が各一名存在し、さらにその下に事務室、保線管理グループ、作業班が存在し、その作業班は、保線機械グループと暫定作業グループとに分かれ、保線機械グループは、重機保線長一名、重機副保線長一名、重機保線係三名で構成され、また暫定作業グループは、六名の保線管理係で構成されていたことは当事者間に争いがない。

なお、被告冨康厚男本人尋問の結果によると、昭和六〇年八月当時暫定作業グループの右六名のうち、三名は停職中で、実際に作業に従事することのできた人員は原告らを含め三名であったことが認められる。

(二) 暫定作業グループの設置経緯について

(1) 長崎保線区においては、昭和五七年三月三一日付で国鉄本社と国労中央本部との間で締結された中央協定及び昭和五八年四月二二日付で国鉄門司鉄道管理局と国労門司地方本部との間で締結された地方協定並びにその後の労使協議に基づき、同年六月一日、長崎、小長井の各支区に暫定作業グループが設置されたが、長崎支区では当時、原告らを含め八名の職員で暫定作業グループが構成されたことは当事者間に争いがない。

(2) (証拠略)、被告寺園貫一本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

国鉄は、昭和五五年一一月に成立した国鉄財政再建促進特別措置法を受けて、翌五六年五月に策定された国鉄経営改善計画の中で、三五万人体制へ向けての国鉄の経営改善・効率化が強く求められるようになり、保線部門においても、輸送基盤を支える線路をより高度に維持管理していくためには、単調労働、波動業務につき部外能力を活用(外注)することにより、機械作業や検査業務を推進近代化して合理化を図る必要があるとして、中央協定が締結されたものである。そして、前記のとおり中央協定や地方協定等に基づいて暫定作業グループが設置されたところ、その中央協定締結の労使間交渉の過程において、国鉄は当初暫定作業グループの設置は考えていなかったが、右協定により新しい線路保守体制において存在した作業グループが廃止される等の合理化によって生ずる余剰人員に対し、保線の仕事を確保するため、国労の要求によって設置されたものであって、暫定作業グループについては定員はなく、そのグループに所属していた者は余剰人員とみなされていた。

(三) 暫定作業グループの業務内容

(1) 暫定作業グループの具体的な業務内容は、線路のむら直し、総つき固め、レール締結装置補修、運搬作業、踏切作業、機器作業、除草作業(除草薬散布、伐採など)、側溝整理、施工基面整理その他諸作業及び諸工事となっていたこと、また保線機械グループとの共同作業によるレールの締結装置交換・補修、軌道パットの交換・補修、継目板及びボルトの交換・補修等であって、線路保守作業全般を実施することができる建前であったことは当事者間に争いがない。

(2) (証拠略)並びに原告加世田和志、被告寺園貫一及び同冨康厚男の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

暫定作業グループの業務内容については、協定上規定は存在しないが、中央協定における労使間交渉において「原則として新しい線路保守体制における作業グループの作業内容とする。」として、同協定議事録で整理確認がなされた。その「新しい線路保守体制における作業グループの作業内容」とは、新しい線路保守体制の実施によって大幅に部外能力の活用策が導入されていたが、その部外能力活用以外の線路保守作業全般であった。その後、昭和五九年四月二三日、国鉄門司鉄道管理局は、国労門司地方本部の職能別協議会(施設協議会)との間で、当面の施設懸案事項として暫定作業グループの作業内容につき、余剰人員を活用して経費を削減する観点から、部外能力の活用とされていた除草作業(除草薬散布、伐採等)、側溝整理、施工基面整理の作業を行うことができる旨の合意が成立して、同年五月一日から実施された。その結果、暫定作業グループの業務内容としては、前記のとおり線路保守作業全般を実施することができる建前になった。

もっとも、長崎保線区長崎支区における暫定作業グループについては、昭和五八年九月末までは線路保守一般の作業が行われていたが、それ以後は除草・伐採作業や側溝掃除といった作業に従事することが多くなり、特に夏期は大半が伐採作業に従事していた。

(四) 作業計画について

(1) 長崎支区においては、計画助役が「保守作業計画表」(月間作業計画表)を作成し、また作業助役が「週間作業計画表」を作成すること、昭和六〇年八月分の月間作業計画中、同月九日の暫定作業グループについては作業計画があり、同日保線機械グループは非番になっていたこと、同保線機械グループは前日の同月八日が夜間重労務作業になっていたことは当事者間に争いがない。

(2) (証拠略)並びに同本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

長崎保線区長崎支区においては、昭和六〇年度(昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日まで)の年間作業計画は、昭和五九年一〇月ころ作成されたが、そのうち伐採作業計画については、経費節減から直轄の有効活用(余剰人員の活用)という要請を受け、直轄と外注とに区分して計画された。そして、昭和六〇年六月二一日には、伐採作業を含めた保線工事を外注に出す案件が国鉄九州総局で決裁されたが、その案件の中には、長崎本線諫早・喜々津駅間下り一〇〇キロ八三〇メートルから一〇三キロ四〇〇メートルまでの区間の伐採作業も含まれていた。もっとも、外注に関する決裁時の作業位置は仮のもので、その箇所を直轄で行うようにその位置を変更することもできた。

その後同年七月中旬ころ、右年間作業計画に基づいて、前記のとおり計画助役が同年八月分の月間作業計画表(<証拠略>)を作成して、そのころ、長崎保線区本区の保守会議に提出された。その作業計画表によると、八月九日の暫定作業グループの作業内容は、保線機械グループとの共同で喜々津・市布駅間一〇七キロ二三〇メートルないし一〇七キロ五八〇メートルの伐採作業が計画されていた。また保線機械グループは、同日夜から翌一〇日朝まで夜間重労務作業(マルチプルタイタンパーによる線路の総つき固め作業)が予定されていた。

ところが、前記のとおり同年七月二四日職員から勤務割表の写を回収したところ、原告ら暫定作業グループの三名のほかに、保線機械グループの一部の職員も年休を希望していたので、被告寺園及び同冨康は、例年八月九日は国鉄原爆慰霊祭の参加のため年休の申込みがあることもあって、保線機械グループにつき当日を非番として同慰霊祭に参加させようと考え、右月間作業計画のうち、保線機械グループの夜間重労務作業を同月八日夜にして同月九日を非番とし、同月九日は暫定作業グループの三名と保線機械グループの一名との共同で伐採作業を行うように変更して、八月分の作業計画表(<証拠略>)を作成し、これを同年七月三一日作業班の代表者であった保線管理長に説明した。

さらにその後、前記のとおり作業助役によって同年八月五日から同月一一日までの週間作業計画表(<証拠略>)が作成され、同月二日ころ、保線機械グループの重機保線長と作業長代行の担務指定がなされていた原告加世田に対し、その計画表の説明がなされたが、その計画表では、作業計画の遅れから、同月九日の伐採作業区間は諌早、西諌早駅間一〇二キロ八〇〇メートルないし一〇三キロメートルが予定されていた。

(3) なお被告らは、八月九日の作業区間につき、大幅な作業の遅れから週間計画の予定を変更し、当日の朝の点呼時において、諌早・西諌早駅間の下り線一〇二キロ五〇〇メートルから一〇二キロ七〇〇メートル区間内の伐採作業を原告らに指示する予定であったが、原告らが無断欠勤をしたため予定の作業ができず、同月二九日及び同三〇日に同区間の伐採を行ったと主張し、原告冨康もそれに副う供述をし、また(証拠略)によると、原告らに対する懲戒処分の弁明弁護手続においても、国鉄当局は、八月九日の作業予定区間につき諌早・西諌早駅間一〇二キロ五〇〇メートルから一〇二キロ七〇〇メートル下り線であったと述べたことが認められる。

しかし、(証拠略)によると、一〇二キロ五〇〇メートルないし一〇二キロ七〇〇メートル区間は同年七月三〇日、同年八日二日、同月八日に実施されており、また同月二九、三〇日は一〇二キロ八五〇メートル位から一〇三キロ七〇メートル位の伐採作業が実施されていることが認められ、直前に伐採作業をしたところを再度指示することは通常あり得ないことであるから、被告冨康の供述はにわかに措信し難く、他に被告らの右主張を認めるに足る証拠はない。

(五) 伐採作業の必要性について

(1) 国鉄における沿線の雑草等の伐採作業が保線作業の一部として行われていたこと及び伐採が門司鉄道管理局管内の各保線区で実施されていたことは当事者間に争いがない。

(2) 伐採作業は、一般に雑草等の繁茂により運転士が列車運転中信号確認をするうえで支障を来したり、踏切通行者の列車見通しを阻害したりするために実施されることも当事者間に争いがない。

しかし、(証拠略)並びに被告冨康厚男本人尋問の結果によると、週間作業計画表で八月九日に予定されていた区間である一〇二キロ八〇〇メートルないし一〇三キロメートル或いは被告らが主張する当日指示しようとした区間である一〇二キロ五〇〇メートルないし一〇二キロ七〇〇メートルには、雑草の繁茂により確認に支障を来す信号機や通行者の見通しが阻害されるような踏切は存在しないことが認められ、従って、本件においては、右区間につき、八月九日に伐採をしなければ列車の運行に支障を来したり、或いは通行者に危険が及ぶといった事情はなかったということができる。

(3) 被告らは、八月九日の作業予定区間を含め長崎保線区長崎支区の担当区間につき、沿線住民や自治体等から伐採の要請があったので、原告らに年休を認めることなく伐採作業を行う必要があったと主張するので判断するに、被告冨康は、昭和六〇年六月から同年八月ころにかけて、諌早市宇都町の住民から広報活動中の作業助役に対し伐採要請があり、また長崎市川口町の自治会からも電話で伐採要請があったうえ、諌早市土木課からは電話で、長崎市環境開発課からは保線区長あてに公用文でそれぞれ伐採要請があり、さらに八月九日の伐採予定区間であった一〇二キロ七〇〇メートル付近の住民からも同年七月下旬ころ伐採要請を受けた旨供述する。また、被告寺園も、要請のあった日付や要請をした人の名前は特定できないが、同年七月二四日までに八月九日の伐採予定区間について住民から伐採要請があったと供述する。

なるほど、一般論として沿線住民や自治体から伐採要請のあることは十分考えられるところであるが、しかし、被告らの右供述内容はいずれも抽象的で、それを裏付ける客観的な資料はないうえ、(証拠略)によると、八月九日の作業予定区間の軌道周辺には、軌道から数十メートル幅で人家は存在しないことが認められることなどから、被告らの右供述はにわかに措信することができない。また仮に、八月九日の作業予定区間以外の場所につき伐採要請があったとすれば、どうしてその場所を右予定区間よりも優先的に伐採しなかったのか説明が付かなくなる。

(4) また被告らは、原告らの非能率的な作業のため計画どおりに進まなかったので、八月九日も含め連日伐採作業を実施しなければならなかったとも主張しているところ、(証拠略)、被告寺園貫一及び同冨康厚男の各本人尋問の結果によると、昭和六〇年八月当時伐採作業が作業計画表どおりに行われていなかったことが認められるが、伐採作業が計画どおりに進まなかった原因が専ら原告らにあったとは断定できないし、仮に、原告らの作業能率が低かったとしても、もともと伐採作業は部外能力の活用ということで外注で行われていたという経緯に鑑みると、特に伐採作業を急ぐ必要があったのならば外注によって対応が可能であったというべきである。

(5) なお被告らは、原告らの作業能率が低かったことによる伐採計画の大幅な遅れから、長崎支区においては同年八月五日及び同月二四日に直轄区間につき外託業者に発注して伐採作業を行ったと主張しているところ、被告寺園貫一本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる(証拠略)及び同本人尋問の結果によると、同月五日に外注で伐採された区間は東諌早・諌早駅間九九キロ二八〇メートルないし一〇〇キロ二〇〇メートルであり、また同月二四日に外注で伐採された区間は西諌早・喜々津駅間一〇六キロ二〇〇メートルないし一〇六キロ四四五メートル及び同一〇六キロ七四〇メートルないし一〇七キロ一六〇メートルであったことが認められる。しかし、(証拠略)によると、右区間の大半は、同年六月二一日当時外注に出すことが予定されていた区間であったことが認められるので、同年八月五日及び同月二四日に外注で右区間の伐採が行われたとしても、それは原告らの作業能率が低かったことにより計画が大幅に遅れた結果であるとはいえないというべきである。

従って、被告らの右各主張は採用しない。

(6) 以上によると、八月九日の伐採作業は、被告冨康が時季変更権を行使した時点(同年七月二五日ないし同年八月八日)において、時季変更権を行使してまで実施しなければ列車の運行や長崎保線区における業務の正常な運営に支障を来すほどに緊急かつ必要な作業であったということはできない。

(六) 保安要員確保の必要性について

(1) (証拠略)並びに原告加世田和志、被告寺園貫一及び同冨康厚男の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められる。

長崎保線区においては、例年七月一〇日から八月三一日までの間を夏期特別巡検期間として、外気の上昇によるレール張出等を原因とする列車脱線事故等を未然に防止するため、特別巡検が行われていたが、その巡検に従事していたのは保線管理グループの職員であって、暫定作業グループに属する職員は担当していなかった。

また夏期の特別巡検は、災害警備として取り扱われていたところ、非常時における警備警戒等に関する事項を定めた防災要覧(<証拠略>)に基づき、長崎保線区長崎支区では、非常招集の対象となる者(従事員)の氏名、住所及び住所までの距離、集合場所、招集所要時分及び連絡方法等を記載した非常招集計画表並びに非常招集略図を作成して防災便覧に掲載しているが、その防災便覧においても、それが所要員(定員)グループを対象としていたこともあって、原告らを含む暫定作業グループに属する職員の記載はなかった。現に、昭和六〇年六月二八日の第一種警戒体制のときも、暫定作業グループに属する職員は、その警戒体制に就かず、諸作業として鎌を研いでいた。

(2) なお被告寺園貫一及び同冨康厚男は、防災便覧に暫定作業グループに属する職員の記載がなくとも、具体的に災害や事故が発生したときには、その復旧作業に従事することがあり、現に復旧訓練や昭和六一年二月の脱線事故の際には作業グループの全員が復旧作業に従事したことがあると供述するところ、なるほど、暫定作業グループの職員が復旧訓練や復旧作業に従事したことがあったとしても、暫定作業グループの設置経緯や暫定作業グループの職員が所要員外の扱いを受けていたことなどの事情に照らすと、被告らの右供述により、原告らを含め暫定作業グループの職員を非常時の保安要員として確保する必要性があったと認めることについては疑問があるというべきである。

(3) また被告らは、本件時季変更権行使の理由として、異常事態における保安要員の確保の必要性を挙げているが、(証拠略)及び被告冨康厚男の本人尋問の結果によると、被告寺園が長崎保線区長として職場の実態について門司鉄道管理局に提出した「総点検調査項目」と題する報告書(<証拠略>)では、その時季変更権行使の理由として、「除草作業を計画していたので、業務に支障する」と記載していることが認められ、また(証拠略)によると、被告冨康らが原告らの自由年休の請求に対し、昭和六〇年八月八日時季変更権を行使した際にも、業務の内容として伐採作業については述べているものの、保安要員であることについては一切触れられていないことが認められるのであって、これらの事情からすると、被告寺園及び同冨康は、本件時季変更権を行使する際、業務の内容として伐採作業のほかに、原告らを含め暫定作業グループの職員を保安要員として確保する必要性について考慮していたとすることにも疑問があるというべきである。

(4) そうすると、被告寺園及び同冨康の本件時季変更権の行使は、保安要員確保の必要性の見地からも理由にならないというべきである。

(七) 被告寺園及び同冨康の配慮措置について

計画年休の請求における「事業の正常な運営を妨げる場合」の判断にあたっては、所属長において計画的に配慮措置が講じられているか否かを考慮することが必要であるが、本件時季変更権行使につき、被告寺園及び同冨康が原告らの計画年休取得のため、外注を含め代替要員を手配する等の配慮措置を講じたという事情は、提出にかかる証拠によってはこれを認めることができない。

なお、前記(四)(2)のとおり、被告寺園及び同冨康は、保線機械グループについては、八月九日が非番になるように月間作業計画表を変更しているが、これは暫定作業グループに所属する原告らの計画年休請求についての配慮措置とはいえない。また、被告寺園及び同冨康は、原告らに対し、八月九日の作業班の出勤予定者が原告らを含む暫定作業グループの三名と保線機械グループの一名を合わせた四名であったところ、伐採作業は最低要員三名で実施できるので、原告らを含む暫定作業グループの三名のうち一名については年休を認めてもよいから申し出るように伝えていたと供述するところ、これも原告らに対し年休取得が容易になるように配慮したものということはできないというべきである。

3  以上のとおり、原告らが所属する長崎保線区における規模や業務内容、原告らの長崎保線区における配置、その担当する職務の内容や性質、その作業の繁閑、その職務の代行者の確保の難易、使用者がなすべき配慮措置の有無等の諸事情を考慮しても、原告らの計画年休や自由年休の取得が客観的に「事業の正常な運営を妨げる場合」に該当するとはいえないので、その余の点について判断するまでもなく、被告冨康の本件時季変更権の行使は違法・無効というべきである。

四  請求原因3(原告らに対する一日分の賃金カット)について

1  (証拠略)、原告加世田和志本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、原告らは、被告冨康の時季変更権の行使が違法・無効であるとして、昭和六〇年八月九日の勤務に就かず、同日午前九時から午後三時まで国労原爆被爆者対策協議会主催の国鉄原爆慰霊祭に参加し、かつ式典準備などの作業に従事したことが認められる。

2  国鉄は、原告らの同月九日の勤務を「不参」(国鉄内部規程において、無届または承認を与えていない日の欠勤を意味する。)扱いにしたうえ、同年九月二〇日原告らに支給すべき賃金から、原告加世田については金五、七〇四円の、原告清水については金五、五五九円(但し、実際の控除額は金五、五九二円)の各一日分の賃金を控除したことは当事者間に争いがない。

五  そうすると、原告らは、いずれも時季指定により適法に年休を取得したもので、無断で欠勤したものではないから、国鉄が移行した法人である被告事業団は、原告らに対し、「不参」を理由として控除した各未払賃金を支払うべき義務があることになる。

第二被告寺園及び同冨康の不法行為責任について

一  原告らは、国鉄当局が「分割・民営化」に反対する国労及び国労組合員に対し人権侵害である「国労いじめ」を強行していたところ、本件時季変更権の行使も、原告らの組合活動を嫌悪していた被告寺園及び同冨康が共謀のうえ、原告らの年次有給休暇請求権及び国労組合員としての労働者の基本的権利を蹂躙することによって、職場に専制的支配を樹立しようとして敢えて強行した違法行為であり、原告らは、その違法な本件時季変更権の行使やその他の違法な侵害行為により、年次有給休暇権や労働基本権を侵害されて精神的損害を被ったと主張するので、以下判断する。

1  (証拠略)、被告寺園貫一及び同冨康厚男の各本人尋問の結果によると、次の事実が認められ、これを覆すに足る証拠はない。

(一) 国鉄は、前記のとおり昭和五六年五月に策定された国鉄経営改善計画に基づき、三五万人体制に向けてその経営改善・効率化が強く求められていたところ、翌五七年当初国会やマスコミ等で、いわゆるヤミ慣行・ヤミ協定に基づくヤミ休暇、ヤミ手当、突発休等といった職場規律の乱れや現場協議の乱れが取り上げられて批判されたことから、同年三月運輸大臣の指示を受けて、国鉄総裁から各機関の長に対し、職場実態の総点検及び職場規律の乱れを是正すべき旨の通達が発せられた。それを受けて、長崎保線区においても、保線区長を中心として幹部職員が職員に対し職場規律の乱れの是正を呼び掛けていたが、特に点呼の厳正な実施、服装の整正、労働組合活動の時間内禁止等を実現するため、徹底した職場実態の総点検を行ったうえ、業務命令とそれに違反する者に対する制裁をもって職場規律の乱れを是正しようとした。

(二) このような国鉄当局の総点検や是正措置は、国労やその国労組合員にとって、必ずしも法的保護に値しない、いずれ是正されなければならないものではあったかも知れないものの、従来享受してきた自由や利益に対する締付けとなり、国鉄当局との間で摩擦を生ずるところとなった。すなわち、長崎保線区長崎支区においても、同保線区長の被告寺園及び同支区長の被告冨康らは、点呼時には、点呼の厳正を実現すべく立席呼名点呼を徹底し、服装を整えさせようとし、或いは控所等の点検の際には、ロッカーや机等から業務に関係のないものとして労働組合関係の文書等を持ち出そうとするなどしたところ、これに反発する国労組合員と鋭く対立し、同組合員らは国鉄幹部職員の言動を逐一メモにとるいわゆる点検摘発メモ戦術で対抗し、喧騒にわたることもしばしばあり、国鉄当局側と国労ないし国労組合員との間の協力・信頼関係は著しく損なわれるに至っていた。このような情況のもとに、前記の原告らの年休請求に対する時季変更権の行使が行われた。

2  以上の事情によると、被告寺園及び同冨康は、国鉄当局の指示に基づき、その職務上の立場から国鉄に対する国民の信頼回復のため職場規律を正すべく、徹底した職場実態の総点検と職場規律の乱れの是正措置を実施していたものであって、それが国労や国労組合員の立場からは従前の労使慣行を無視した国労組合員に対する「いじめ」ないし「弾圧」ともみられる一面があったとしても、原告らのいう労使慣行が法的に保護さるべきものばかりであったとは限らず、また事実として国鉄の分割、民営化の過程において、国鉄側の不当労働行為が行われたとしても、そのことから、本件時季変更権の行使もまた、原告らが主張するように、組合活動を嫌悪していた被告寺園及び同冨康が共謀のうえ、原告らの年次有給休暇権及び国労組合員としての労働者の基本的権利を蹂躙することによって、職場に専制的支配を樹立しようとして敢えて強行したものであるとか、或いは、国労主催の国鉄原爆慰霊祭への原告らの参加を妨害する意図で行使されたものであると認めるに足りない。

3  右認定のとおり、被告寺園の指導と指示に基づいて被告冨康がなした時季変更権の行使は、不当労働行為の意思ないし原爆慰霊祭への参加を妨害する意思で行われたものであるとまでは認めることができないものの、前記のとおり、その行使は違法のものであって、前記認定の事実からして、少なくとも同被告らには過失があったといわざるを得ないから、違法に時季変更権を行使したことによって原告らが被った損害につき賠償すべきである。

そこで、原告らが被った損害につき考えるに、原告らは、被告冨康の時季変更権の行使に従わず、年次有給休暇をとったものとして出勤せずに国鉄原爆慰霊祭に参加したので、休暇をとることができなかったことにより被害を被ったことにはならず、出勤しなかったことを「不参」と取扱われて控除された未払賃金は、被告事業団に対する一日分の賃金請求として被害を回復しうることは前記説示のとおりである。そして、原告らは、他に被侵害利益として具体的に主張しているものはない。もっとも、被告寺園貫一本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告寺園、同冨康らにおいて、原告らが時季変更権の行使に従わずに欠勤したことにつき、懲戒権者に対して厳重な処分の請求をなしたことにより、原告らは賞罰委員会の審議に付せられ、弁明弁護手続を経て懲戒処分としての戒告に処せられたことが認められる。しかし、原告らが、仮に右戒告処分で精神的苦痛を受けたとしても、被告事業団に対する請求としてならばともかく、被告寺園、同冨康との関係においては、前記のとおり、原告らが主張する意図で時季変更権を行使したものとは認められないから、未払賃金が支給されることによって慰謝される程度のものと認めるのが相当である。

以上のとおりで、被告寺園、同冨康に対する原告らの各請求は理由がない。

第三結論

以上によると、原告らの被告事業団に対する本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容し、また原告らの被告寺園及び同冨康に対する本訴請求は、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松島茂敏 裁判官 大段亨 裁判官 田口直樹)

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