長崎地方裁判所佐世保支部 平成15年(ワ)190号 判決 2006年2月20日
原告
X1
原告
X2
原告ら訴訟代理人弁護士
相良勝美
同
小笠豊
被告
佐世保市
同代表者市長
光武顕
同訴訟代理人弁護士
鶴田哲朗
主文
1 被告は,原告らに対し,それぞれ2060万円及びこれに対する平成14年9月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は50分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。
4 上記第1項は仮に執行することができる。ただし,被告が,各原告に対し,それぞれ1000万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求
被告は,原告らに対し,それぞれ2100万円及びこれに対する平成14年9月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は,A(以下「A」という。)が,B病院(以下「被告病院」という。)において,内視鏡的逆行性膵胆管造影検査(以下,一般的に同検査を指す場合を「ERCP」といい,Aが受けた検査を指す場合を「本件ERCP」という。)を受けたところ,急性膵炎を合併し,検査の3日後に重症急性膵炎による多臓器不全のため死亡したことについて,Aの相続人である原告らが,被告病院を設置する被告に対し,Aの死亡は,被告病院の担当医師(被用者,履行補助者)の過失によるものであると主張して,使用者責任(民法715条1項)又は債務不履行(民法415条前段)に基づく損害賠償と遅延損害金の支払を求めた事案である。
第3 基礎となる事実(証拠を掲記しない部分は争いがない。)
1 当事者等
(1) Aは,昭和8年*月*日に生まれ,平成14年9月27日に69歳で死亡した。
(2) 原告らは,いずれもAの子であり,原告X2(以下「原告X2」という。)は,被告病院に勤務する看護師である。
(3) 被告は,被告病院を設置する普通地方公共団体である。
(4) 被告病院においてAを担当したY医師(以下「Y医師」という。)は,被告の被用者である。なお,本書面及び別紙診療経過一覧表に記載のある医師及び看護師は,特に断らない限り,被告の被用者である。
2 診療経過
(1) Aは,昭和53年ころ,池永外科において,胆嚢結石により胆嚢摘出術を受けたことがあった。
(2) Aは,平成14年8月3日(以下,特に断らない限り,月日は平成14年を指し,時間は24時間制で表示する。),被告病院を受診した。
同日以降の被告病院における診療経過は,別紙診療経過一覧表記載のとおりである。
また,同一覧表に記載のある検査の結果や投与薬剤等は,別紙検査結果一覧表及び投与薬剤一覧表記載のとおりである。
3 ERCP
(1) 定義等
ERCPとは,内視鏡を十二指腸下行脚まで挿入し,主乳頭よりカニューレを挿入して,膵管又は胆管に造影剤(水溶性ヨード剤)を逆行性に注入し,X線モニターで観察したり,X線写真を撮影したりして,膵管造影(以下「ERP」ともいう。)又は胆管造影(以下「ERC」ともいう。)を行うものである(甲B7)。
(2) 適応
膵管及び胆管,胆嚢に形態異常を来す疾患に適応がある。胆道疾患では,胆石症等がある(甲B1)。
(3) 禁忌
急性膵炎,急性胆管炎,急性胆嚢炎などは,炎症を増悪させるので施行すべきではない。しかし,総胆管結石が原因である胆石膵炎例等では,内視鏡的乳頭切開術(EST)や内視鏡的乳頭部バルーン拡張術(EPBD)を前提にして施行する(甲B1,2,13の8)。
(4) 偶発症の発生頻度
金子榮藏らが行った消化器内視鏡関連の偶発症に関する全国調査の結果のうち,診断的ERCPによる偶発症の発生頻度等は次のとおりである(甲B6,7,乙B1)。
ア 1988年より1992年までの5年間について(以下「第2回全国調査報告」という。)
原因
偶発症数
頻度(%)
死亡数
急性膵炎
193
0.0922
9
穿孔
16
0.0076
2
急性胆道炎
13
0.0062
2
ショック
4
0.0019
1
その他
19
0.0090
0
計
245
0.1171
14
(全症例数:20万9147件)
イ 1998年より2002年までの5年間について(以下「第4回全国調査報告」という。)
原因
偶発症数
頻度(%)
死亡数
急性膵炎
186
0.1438
3
穿孔
22
0.0170
0
急性胆管炎
9
0.0069
0
出血
10
0.0077
0
その他
20
0.0154
0
計
247
0.1910
3
(全症例数:12万9264件)
第4 争点
1 被告病院医師の以下の過失の有無
(1) 本件ERCPの適応違反(争点1)
(2) 本件ERCPの危険性等に関する説明義務違反(争点2)
(3) 本件ERCP実施上の過失(争点3)
(4) 本件ERCP後の経過観察義務違反等(争点4)
2 上記過失とAの死亡との間の因果関係の有無(争点5)
3 損害額(争点6)
第5 争点に対する当事者の主張
1 争点1(本件ERCPの適応違反の有無)について
(原告らの主張)
(1) ERCPについて
ア 手技が困難であること
ERCPは,口から咽頭,食道,胃,十二指腸までスコープを挿入し,十二指腸乳頭部において,カニューレをほぼ直角に乳頭開口部に挿入するものである。その際,乳頭部は狭い上に,乳頭部や膵胆管の構造上,カニューレが膵管に入りやすいため,目的とする胆管への挿入は困難を伴う。また,何度も挿入を試みると,乳頭や膵管に刺激を与え,急性膵炎の原因になるといわれているため,数回しか挿入を試みることができない。
イ 患者への侵襲性が高いこと
ERCPは,被告も自認するとおり,患者にとって負担の大きい「一番きつい検査」である。
ウ 偶発症及びこれにより死亡する危険があること
第2回全国調査報告によれば,ERCPにおける偶発症の発生頻度は0.117%(1000件に1件)とされ,偶発症の大部分を占める急性膵炎(上記調査報告では,死亡例14件中9件(64.3%)を占める。)は,重症化すると死亡率が30%程度といわれるほど生命に危険のあるものであって,「膵炎を防ぐ予防策が極めて肝要である」と指摘されている(甲B6)。
なお,上記全国調査は後向き調査(retrospective study)であるところ,その調査結果は実際の発生頻度よりも低くなるのが一般的で,前向き調査(prospective study)であれば10倍多くなるとされる(甲B17)。
(2) Aの症状
ア 9月19日の被告病院のカルテの傷病名欄には,急性胆管炎との記載があるところ,同炎症にはERCPは禁忌である。
イ 9月20日に行われたCT検査では,Aに総胆管の拡張や結石は認められなかった。
ウ 同日以降の検査経過を見ても,Aに結石は確認されていない。
(3) 医師の過失
上記(2)イ,ウのとおり,Aには総胆管結石症の所見は認められなかったのであるから,他の疾患を疑うべきであった。
また,仮に総胆管結石を疑うべきであったとしても,CT検査では発見できないような小さな結石を発見するために,上記(1)のように手技が困難で,患者への侵襲性が高く,偶発症及びこれにより死亡する危険のあるERCPを行うまでの必要性はなかった。
以上によれば,AにはERCPの適応がなかったから,Y医師は本件ERCPを実施すべきでなかったのに,これを実施した点で過失がある。
(被告の主張)
(1) ERCPについて
ア 有効性
ERCPは,それが行われるようになってから既に25ないし30年が経過しており,その効能は確立されている。諸検査に比べて胆道系の診断精度が最も高く,かつ結石が存在した場合には内視鏡的乳頭部バルーン拡張術(EPBD)等の治療にも結びつけることができ,有用である。
イ 手技が困難であることについての反論
ERCPは,通常の内視鏡的検査(食道,胃,十二指腸)に比較すると手技の難度は高いが,消化器内科医にとっては,歴史も古く,多くの施設で行われている検査であり,特別に困難な手技を要するものではない。
ウ 患者への侵襲性が高いことについて
ERCPは,通常の内視鏡的検査に比較して患者への侵襲性が明らかに高いことは認める。
エ 偶発症及びこれにより死亡する危険があることについての反論
第2回全国調査報告によれば,ERCPの偶発症による死亡率は0.0063%で,2万件に1件という低い割合である。また,被告病院は,同検査の先進地区である長崎県の中でも検査件数の多い施設であるが,これまでに本件のような重大な偶発症に遭遇したことはない。このように,ERCPにより死亡する症例は極めて稀というべきである。
(2) Aの症状
ア 9月19日にAに見られた急性胆管炎の炎症反応は,9月20日の入院時には消失しており,本件ERCPを実施した9月24日にも炎症反応はなく,Aに自覚症状もなかったから,ERCPは禁忌ではなかった。
イ CT検査の結果,Aに総胆管の拡張や結石が認められなかったとしても,直ちに総胆管結石の疑いを否定できるわけではない。CTで確認できないほど小さな結石であっても,これにより発作を繰り返す可能性があること,Aには肝機能異常及び胆嚢結石の既往があること,A本人が胆嚢結石の際の痛みに似ていると訴えていたこと等からみて,総胆管結石症が最も考えられる疾患であった。
ウ 異常の有無を確認することも本件ERCPの目的であって,結果として結石等の異常が認められなかったことをもって,本件ERCPが不要な検査であったということはできない。
(3) 医師に過失はないこと
以上のとおり,Aには総胆管結石症が最も考えられる疾患であり,CTで確認できないほど小さな結石であっても,その有無を確認し,これを除去する必要があったから,これに有用なERCPをこれに続いてEPBDも行う予定で実施したものであり,ERCPによる死亡例が極めて稀であることも考慮すれば,AにはERCPの適応があったというべきであって,本件ERCPを実施したY医師に過失はない。
2 争点2(本件ERCPの危険性等に関する説明義務違反の有無)について
(原告らの主張)
(1) Y医師は,本件ERCP実施に当たり,Aに対し,①その症状,②本件ERCPの目的がCT検査では発見できない小さな結石の有無の確認にあること,③本件ERCPの過程で膵管に造影剤が注入されること等により膵炎が併発する危険があること,④これを予防するための対応や万一の場合に採るべき回復手段の内容,⑤膵炎が重症化した場合には死亡する危険性もあること等について,正確に説明すべき義務があった。
(2) ところが,Y医師は,「膵炎を起こしたりする一番きつい検査です。」と説明しただけで,上記内容を十分に説明せず,かえって「抗生物質,膵炎の薬を使うので心配ない。」と不正確な説明をするなどして,上記説明義務を怠った過失がある。
(被告の主張)
(1) Y医師は,9月20日,A及び原告X2に対し,次のとおり,検査の目的や合併症(膵炎など)について,必要な説明を図示しながら行った。
① 今回の発作の原因として,CTでは明らかになっていないが,総胆管結石が疑われること
② 結石があった場合,今後発作を繰り返す可能性があること
③ 発作が起こった場合,胆嚢結石よりも重症化する可能性があること
④ 結石の描出にはERCPが最も感度が高く,結石があれば引き続きEPBD(内視鏡的乳頭部バルーン拡張術)が行えること
⑤ 内視鏡的治療で結石の除去ができなかった場合は外科手術が必要となる場合があること
⑥ 術後膵炎等の可能性があること
⑦ 内視鏡的治療の有無で術後の食事開始時期が異なること(ERCPのみの場合は当日夕方から,EPBDを行った場合翌日以降)
(2) Y医師は,「一番きつい検査」という表現でERCPが侵襲性の高い検査であることを説明した。また,Aや原告X2に対して「心配ない。」と言ったのは,必要以上に患者を不安がらせないための配慮であって,通常の説明内容である。さらに,死亡の可能性にまで言及しなかったのは,ERCPに関連した死亡率は0.0063%と高くはない上,過度に患者に恐怖心を与えると必要な検査を受けてもらえないデメリットがあるからである。
(3) 以上によれば,Y医師は,本件ERCPに当たり必要な説明を行っているのであり,説明義務を怠った過失はない。
(原告らの反論)
Y医師は,EPBDについて,説明していない。
また,「図示」はメモ程度のもの(甲A11)にすぎず,正確なものではなかった。
3 争点3(本件ERCP実施上の過失の有無)について
(原告らの主張)
(1) 急性膵炎発症の原因
ERCP後に膵炎を発症する原因として,次のようなものが考えられる。
ア 過度の膵管造影,特に,胆管造影が困難な場合に何回も挿管され,何回も膵管が造影された場合
イ 造影チューブを主乳頭に挿管するときに生じる刺激・損傷によって引き起こされる乳頭浮腫や括約筋の攣縮
ウ 膵管へ造影チューブを選択的に挿管する場合に,膵管壁を穿孔してしまった場合
エ 造影剤注入により生じる逆行性感染
オ 造影剤による膵管壁に対する直接刺激
(2) ERCP実施上の医師の義務
医師は,上記原因から発症する膵炎を予防するため,次のような方策をとるべきである。
ア 洗浄消毒後のスコープと滅菌後の造影チューブを使用する。
イ 乳頭開口部をよく確認して確実に挿管を行う。乳頭の挿管に際しては愛護的に行い,頻回の挿管を避け,無理せずに短時間で中止する。
ウ 使用する薬剤については,その添付文書に記載された適応を遵守する。
エ 実施に際し,開始時刻及び中止時刻,造影剤の注入量及び使用しなかった残量等を管理する。
オ 実施後に乳頭浮腫の心配のある症例では,エピネフリン添加生理食塩水を乳頭に散布して検査を終了する。
(3) 医師の義務違反1(76%ウログラフィンの使用)について
ア Y医師は,上記(2)ウを遵守すべきであったのに,添付文書(甲B13の3)上,適応としてERCPの記載がなく,使用することが認められていない76%ウログラフィンを使用したのであるから,これのみで過失が推定される(最高裁平成8年1月23日判決・民集50巻1号1頁参照)。
イ 被告は,抗生剤等で希釈するため濃度が薄くなると主張するが,そのような場合でも60%ウログラフィンを使用すべきであり,それが通常の使用方法である。
(4) 医師の義務違反2(手技の過失等)について
Y医師は,上記(2)(同ウを除く。)を遵守して本件ERCPを実施すべきであったのに,次のとおり上記義務を怠った過失がある。
ア 主乳頭を何度かつついたが挿管できなかったため,他病院の上級医であるB医師(以下「B医師」という。)と交代し,同医師が主乳頭を数回つついて挿管した。また,胆管造影(ERC)が成功するまで,数回の膵管造影(ERP)となった。
イ エピネフリンを使用しなかった。
ウ 本件ERCPの開始時刻及び中止時刻,造影剤の注入量及び残量等を管理しておらず,その結果,使用する造影剤が多すぎた。
(被告の主張)
(1) 急性膵炎発症の原因について
ERCP後に膵炎を発症する原因について,確定した医学的知見はない。
(2) ERCP実施上の医師の義務について
ア 原告らの主張(2)ウについて
添付文書に記載された適応に絶対的に従わなければならない義務はなく,実質的に適応にかなう薬剤の使用法を選択することに問題はない。
イ 原告らの主張(2)エについて
開始時刻等を記録する方が望ましいが,物理的に困難であるため,実施していない。注入量は,挿管前にフラッシュを行ったり,十二指腸への造影剤の漏れが生じたりするため,正確な把握が困難である。使用しなかった造影剤の残量は,必要がないので測定していない。使用した造影剤のアンプル数を記録しており,それで足りる。
ウ 原告らの主張(2)オについて
膵炎の予防措置について確立したものはなく,エピネフリン散布は一部施設で報告されているのみで,その添付文書上も認められておらず,保険適用もなく,標準化された方法ではない。
(3) 医師の義務違反1(76%ウログラフィンの使用)について
ア 被告病院におけるERCPの看護業務手順(乙A8)では,使用する造影剤について,抗生剤を加えて感染防止を図り,色素を加えて粘膜下注入の早期発見を図る目的で,①76%ウログラフィン20mlを,②抗生剤であるセファメジンα注射用0.5gを溶解した生理食塩水10mlで希釈し,③これにインジゴカルミン(色素液)を添加するものと定めている。これによると,使用される造影剤のウログラフィン濃度は50.7%となる。
イ 本件ERCPにおいても,上記手順に従って造影剤が使用された。
(4) 医師の義務違反2(手技の過失等)について
Y医師は,次のとおり適切に本件ERCPを実施しており,過失はない。
ア(ア) 本件ERCP時に撮影したX線の所見は,別紙「本件ERCP時に撮影されたX線写真の読影について」に記載のとおりである。
(イ) ERCPでは,胆管及び膵管の位置関係や角度などから膵管に挿入されやすいこと,主乳頭への挿入の難易には被検者の個人差も影響することなどから,熟練した医師が行っても1回の挿管操作で目的とする選択的造影が叶わないことは実務上しばしば経験される(なお,本件ERCP実施までに,B医師は300ないし330例,Y医師は30例のERCPの経験があった。)。したがって,複数回,主乳頭をつついたり,膵管が造影されたりすること自体は,手技上の過失ではない。
(ウ) 本件ERCPでは数回しか主乳頭をつついておらず,これだけで偶発症を起こす可能性はほぼない。
本件ERCPでは愛護的な挿管に努めた。また,検査室の入室から退室までが1時間程度で,膵管造影は3回であって,通常に比べて検査時間が長かったり,造影回数が極端に多かったりしたことはない。胆管造影成功時も細心の注意を払いつつ造影剤を注入した。その際,疼痛が出現したが,速やかに造影剤の注入を中止した。上記疼痛は胆道内圧上昇に起因するもので,これと膵炎発症との関連は不明である。
X線透視下では,造影剤は胆管・膵管から流出しており,乳頭に浮腫が生じて多量の造影剤が膵管等に残存したということもない。
イ 上記(2)ウのとおり,エピネフリンの使用は標準化された方法ではなく,使用していない。
ウ 本件ERCPは,9月24日午後3時45分ころ開始した。
本件ERCPでは,前記(3)の造影剤(76%ウログラフィン20ml+生理食塩水等10ml)を2倍量(60ml)用意したが,その全量を使用したわけではない。上記(2)イのとおり,造影剤の注入量や残量は特定できないが,使用量が多すぎたということはない。
4 争点4(本件ERCP後の経過観察義務違反等の有無)について
(原告らの主張)
Aは,本件ERCP中から腹痛を訴え,終了後も腹痛を訴えていたから,Y医師は,Aに対し,次のとおり,急性膵炎に対する治療・対策を早期に開始し,膵炎の重症化を防止すべき義務があったのに,これを怠った過失がある。
(1) 24時間の安静等
本件ERCP直後から24時間は,膵臓を安静に保つため,蛋白分解酵素阻害剤を加えた点滴を行うべきであったのに,本件ERCP直後からの同点滴を行わなかった。
(2) 検査後の絶飲食
本件ERCP直後から飲食・飲水を禁止すべきであったのに,本件ERCP当日である9月24日の夕食に普通食を出し,Aはこれを2分の1程度摂取し,また,翌25日は,絶食としたが飲水は許可した。
(3) 血液検査
本件ERCP終了2,3時間後に,血算,血清アミラーゼ値を検査すべきであり,また,同検査の結果,血清アミラーゼ値が正常値の2倍以上の場合や患者が腹痛を訴える場合は,絶飲食のまま本件ERCP終了5時間後に再検査すべきであったのに,本件ERCP実施の翌朝まで血液検査を行わず,急性膵炎との診断にも至らなかった。
(4) 膵炎の治療開始時期
上記血液検査の結果,5時間後の血清アミラーゼ値が2,3時間後のそれに比べて上昇している場合や,腹痛が持続している場合には,術後急性膵炎を疑い,状態によって腹部CT検査を行った上で,保存的治療(絶飲食,蛋白分解酵素阻害剤,抗生物質などの投与)を開始すべきであったのに,これをしなかった。
(5) 膵炎の治療内容
本件ERCP後に発症した膵炎に対し,重症化を防止するための迅速かつ適切な治療を実施すべきであったのに,これを怠り,①Aの急性膵炎の症状が軽微でなく,誤挿管・造影,検査後の飲食等,多くの重症化の誘因があるのに,膵酵素阻害剤(フサン)を40mg/日という不十分な量しか投与せず,②フサンは持続点滴を行わないと効果が薄いのに,その方法を採らず,③血液検査の結果,アミラーゼ値に著明な上昇がみられ,かつ,痛みが増強しているのに,補液と膵酵素阻害剤の投与以外の格別の処置をせず,④膵炎重症化を防止する上で避けるべきソセゴンを単独投与した結果,Aの膵炎の重症化を防止できなかった。
(被告の主張)
Y医師は,次のとおり適切妥当に治療等を行っており,過失はない。
(1) 24時間の安静等について
ア 消化器内視鏡ガイドライン(甲B6・98,111頁等)にも記載があるように,ERCPを外来で行っている施設も多く,必ずしも24時間の安静は必要でない。
イ 健康保険支払基金は,ERCPを受けた患者に対して予防的にフサン等の抗酵素剤を使用することを認めておらず,Aに対して予防的にフサンを投与することはできなかったから,Y医師に過失はない。
(2) 検査後の絶飲食について
ア 消化器内視鏡ガイドライン(甲B6・112頁)に「当日の夜間,症状がなく空腹感がある場合は,お粥,麦うどん程度の経口摂取は許可する」との記載があるように,検査後の絶飲食について厳密な指導は行われていないことが多い。また,被告病院では,通常,検査後の食事は夕食より開始しているが,これまでに問題はなかった。
イ Y医師は,食事前にAを回診した際,その症状が改善傾向にあったため,食事を開始したものであって,Y医師に過失はない。
(3) 血液検査について
ア 原告らの主張は,消化器内視鏡ガイドライン(甲B1)に基づくものであるが,ガイドラインはあくまで目安であり,これに合致しないからといって注意義務違反となるものではない。
イ 被告病院では,本件ERCPの翌朝に血液検査を実施したが,同検査においても,アミラーゼ値の著明な上昇こそ認められるものの,白血球8100,CRP0.3と炎症反応は極軽度であり,LDH,ヘマトクリット,血清総蛋白,血小板の各検査値も正常で,腎機能を示す検査値も正常であった。また,血圧低下,頻脈などのバイタルサインにも変化はなく,重症膵炎としての所見は明らかではなかった。
(4) 膵炎の治療開始時期について
ア 上記(3)アと同じ。
イ 上記(1)イのとおり,健康保険支払基金は,ERCPを受けた患者に対し,予防的にフサン等の抗酵素剤を使用することを認めていない。
ウ ERCP後にはしばしば血中膵酵素の上昇が見られるため,これのみでは急性膵炎の発症を判定することはできない。そのため,ERCP後膵炎の診断基準として,検査終了24時間後の腹部所見,血中膵酵素,画像診断の所見の異常を採用するものが多い。
本件では,検査終了15時間後の9月25日朝の採血結果をもとに急性膵炎の診断を行い,同日11時ころから治療を開始したのであるから,Y医師に過失はない。
(5) 膵炎の治療内容について
ア 治療内容全般について
膵炎治療の基本方針は,発症48時間以内に膵炎の重症度を判定し,蛋白酵素阻害剤や抗生剤治療を行い,症例に応じて特殊治療(蛋白分解酵素阻害剤動注療法,血漿交換)を追加するというものである。
本件では,Aに強い腹痛が見られた9月25日2時30分を膵炎の発症時刻とすると,発症から5時間後の血液検査で急性膵炎と診断し,発症から8時間30分後より内科的治療を開始した(上記(4)ウ)が,上記血液検査の結果においても重症膵炎の所見はなかった(上記(3)イ)から,絶食,常用量の2倍量の膵酵素阻害剤(フサン40mg/日)の投与,頻回の回診(7時30分から21時過ぎまで)によって,これに対処した。また,本件ERCP終了39時間後(強い腹痛出現より29時間後)に施行した血液検査の結果,Aの全身容態及びCT画像所見をもとに重症膵炎と診断し,ICUでの集中治療を行うも,改善が見られないため,特殊治療を行った。
このように,本件では,本件ERCPからでも48時間以内に,経時的に膵炎の診断と重症度の判定を行い,それに基づいて適切な治療を行ったのであるから,Y医師に過失はない。
イ ERCP後の飲食について
特定の医療行為について推奨される事柄が,法的規範としての注意義務のレベルに達しているかは慎重に吟味されなければならず,ある医療行為が「望ましい」事柄と一致しないことをもって,直ちに法的な注意義務違反があると評価するのは誤りである。したがって,ERCP後の飲食は,原則として禁止することが望ましいといわれているとしても,具体的な膵炎の発症が認められない段階において,ERCP後の飲食すべてを禁止すべき注意義務はない。
ウ 膵酵素阻害剤の効用について
文献等に記載されたERCP後膵炎の予防法は確立されたものではなく,特に,抗酵素剤の投与による膵炎発症予防効果は確立されていないといわれているから,文献等に記載された方法を採ったとしても,実際に膵炎の発症を防げたのか,重症化が避けられたのかは全く明らかでない。
エ ソセゴンの単独投与について
ソセゴンの単独投与は,オッジ筋を収縮させるため,ERCP後膵炎に対しては忌避すべきであるという見解があることは,Y医師も認識していたが,臨床の現場においては,目の前の患者の疼痛の除去も必要なことである。そのため本件では,1回の投与量に注意を払い,1/2Aのみを使用することとし,抗コリン剤であるブスコパンと交互に使用したのであり,慎重に必要最小限の使用に止めたものであるから,ソセゴン1/2Aを3回投与したことが本件の急性膵炎を重症化させたとは到底考えられず,これが過失に当たるとはいえない。
5 争点5(過失と死亡との間の因果関係の有無)について
(原告らの主張)
Aは,本件ERCPにより膵炎を発症し,これが重症化して,多臓器不全により死亡したのであり,Y医師の上記各過失がなければ,本件ERCPを受けることはなく,本件ERCPを受けても膵炎を発症することはなく,膵炎を発症してもこれが重症化することはなく,ひいては死亡することもなかったといえるから,Y医師の上記各過失とAの死亡との間には因果関係がある。
(被告の主張)
本件ERCPと膵炎の発症との関連性は明らかでない。また,重症膵炎は,厚生労働省の難病特定疾患に指定されており,現在の医学ではその重症化へのメカニズムは解明されていない。
Aに全身状態の悪化が見られた後も,多くの医師で検討を行い,考えられる限りの集学的治療を行ったが,非常に急激な経過で病態が悪化し,不幸な転帰を避けることができなかったもので,Aの死亡は不可抗力であった。
したがって,Y医師の過失とAの死亡との間に因果関係はない。
6 争点6(損害額)について
(原告らの主張)
(1) 逸失利益 各原告に600万円ずつ
Aは,死亡当時69歳であったから,69歳女性の平均年収を300万円としてライプニッツ方式で算出すると,逸失利益は1200万円を下らない。これを原告らが2分の1ずつ相続した。
(2) 慰謝料 各原告に1200万円ずつ
死亡したAの慰謝料の相続分と原告ら固有の慰謝料を合わせ,原告らに1200万円ずつの慰謝料を認めるのが相当である。
(3) 葬祭料 各原告に100万円ずつ
原告らは,葬祭料200万円を2分の1ずつ負担した。
(4) 弁護士費用 各原告に200万円ずつ
原告らは,日弁連報酬等基準規定による手数料及び謝金の合計額400万円を2分の1ずつ負担する予定である。
(5) 合計 各原告に2100万円ずつ
(被告の主張)
すべて争う。
第6 当裁判所の判断
1 争点1(本件ERCPの適応違反の有無)について
(1) 前提事実
前記第3の事実のほか,証拠(各項に掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア Aの症状(甲A2,乙A2,証人Y医師)
(ア) 8月3日17時ころ,Aは,胃の痛みのため,被告病院救急外来を受診した。Aは,担当のC医師に対し,腹部痛や嘔吐があったことを訴えたが,痛みは既に消失しており,投薬等の処方もなく,帰宅した。
(イ) 9月17日22時ころ,Aは,上腹部に痛みがあったことから,近医を受診した。ブスコパン2A及び生食20mlの静注により,1時間後,症状は消失した。
(ウ) 9月19日,Aは,被告病院内科を受診し,D医師の診察を受けた。同医師は,Aの腹痛について,同人が昭和54年ころ胆嚢結石により胆嚢全摘術を受けた既往があること,同人が胆嚢結石のときの痛みに似ていると訴えたこと,血液検査の結果,肝機能障害や炎症反応が認められたことから,胆嚢結石の遺残結石による胆管炎の疑いがあるとして,ウルソ錠等の経口投与(胆石溶解療法)を処方し,入院予約をとった。
(エ) 9月20日,Aは,被告病院に入院した。同日,CT検査を受けたが,結石や総胆管の拡張は認められなかった。また,同日の血液検査によると,肝機能障害は改善し,炎症反応も消失しており,Aに自覚症状もなかった。同日,Aは,一時退院して帰宅した。
(オ) 9月23日,Aは,被告病院に再入院したが,自覚症状はなかった。
(カ) 9月24日,本件ERCPが実施された。
なお,それに先立ち,超音波検査が実施されたことはなかった。
イ 急性胆管炎について(甲B2・444,445頁,証人Y医師)
(ア) 急性胆管炎は,多くは胆管結石の嵌頓により生じた胆管系の胆汁うっ滞に細菌感染が合併した病態である。胆管内への膿性胆汁貯留は胆管内圧上昇とともに胆管静脈逆流を惹起し,菌血症やエンドトキシン血症を来して多臓器不全やDICへと進展し,死に至ることもある。
(イ) 診断には,腹部超音波検査やCT検査に加えて,直接的胆道造影を含めた画像診断が不可欠である。
(ウ) 急性期を離脱できれば,原因疾患の治療を行う。
(エ) 繰り返す結石再発や胆管炎は,最終的には高度の肝障害を惹起するので,初期に完全切石と胆管狭窄解除の必要がある。
ウ ERCPの有効性(甲B3・225頁,証人Y医師)
超音波検査は,胆嚢疾患の診断には向いているが,総胆管の疾患には不向きである。総胆管の疾患には,通常,ERCPを付加する。
エ ERCPの侵襲性(争いがない。)
ERCPは,口から咽頭,食道,胃,十二指腸までスコープを挿入し,十二指腸乳頭開口部からカニューレを胆管に挿入して行うもので,通常の内視鏡的検査に比べ,患者の身体に対する侵襲性が明らかに高い検査である。
オ 偶発症発生の危険性等
(ア) ERCPは,内視鏡検査法の中で偶発症の発生頻度が比較的高く,膵炎等の重篤な偶発症を起こしうる検査である(甲B6・96頁)。
(イ) 医学文献には,ERCP後の重症膵炎で訴訟となった事例の多くがERCを目的とした胆管非拡張例に発生しているとの指摘(甲B13の6・22:458頁)や,ERCP後の急性膵炎の患者側発症因子として,総胆管に拡張が見られないことが挙げられ,同因子を含む発症要因が認められる場合には,ERCPの適応を厳しくする必要があるとの指摘(甲13の7・79頁)がある。
(ウ) ERCP後に急性膵炎を発症した症例は,第2回全国調査報告では,全症例数20万9147件中193例(約0.0922%)で,うち死亡例は9例であり,また,第4回全国調査報告では,全症例数12万9264件中186例(約0.1438%)で,うち死亡例は3例であった(前記第3・3(4))。
(2) 本件ERCPの適応の有無
上記(1)の事実を踏まえて検討するに,
ア 確かに,9月20日のCT検査ではAに結石は確認されていなかったが,CTで確認できない小さな結石であっても,胆管炎を繰り返すことがあるとされるところ,Aには胆嚢結石の既往歴があり,被告病院入院までに2回にわたり時間外受診を要するほどの強い腹痛を起こし,かつ,入院前日の9月19日には肝機能障害や炎症反応が認められたというのであるから,Aについて遺残結石による胆管炎の疑いがあるとしたD医師の診断は,十分首肯することができる。
イ そして,胆管炎の原因の多くは胆管結石の嵌頓にあり,その原因を除去できなければ,胆管炎を繰り返し,敗血症や高度の肝障害を惹起し,死に至る可能性もあるところ,Aは,上記のように時間外受診を要するほどの強い腹痛を2回にわたり繰り返しており,原因を精査しそれを除去する必要性が高かったといえる。そうすると,ERCPの侵襲性や偶発症の危険性等(上記(1)エ,オ),Aに総胆管の拡張がみられないという術後膵炎の好発因子があったこと(上記(1)ア(エ))などを考慮に入れても,本件では,結石の有無を精査し結石があればそれを取り除くためのERCP及びこれに続くEPBDの適応があったということができる。
なお,ERCPは,胆管炎の急性期には禁忌とされる(前記第3・3(3))が,本件ERCPが行われた9月24日には,Aの炎症反応は既に消失し,胆管炎の急性期を離脱していたと認められるから,その適応は否定されない。また,本件では,ERCP前に超音波検査が行われていないが,同検査は総胆管の疾患には不向きであるとされる(上記(1)ウ)から,本件で同検査が必須であったとまではいえず,これを行わなかったことをもって,ERCPの適応判断を誤ったということもできない。
ウ 以上によれば,胆管炎の原因を精査しこれを除去するためにERCPの適応があるとしたY医師の判断に過失があったとはいえない。
2 争点2(本件ERCPの危険性等に関する説明義務違反の有無)について
(1) 原告らは,Y医師は本件ERCPを実施するに当たり,Aに対し,その症状,本件ERCPの目的,本件ERCPによる膵炎併発の危険性,その予防策や万一の場合の回復手段,膵炎が重症化した場合には死亡の危険性があることなどを正確に説明すべき注意義務があったのに,これらを怠った旨主張している。
(2) しかして,証拠(甲A2,14,乙A9,証人Y医師,原告X2)及び弁論の全趣旨によれば,Y医師は,9月20日,Aと原告X2に対し,本件ERCPについて,次の内容を説明したことが認められる。
ア CT検査の結果,結石は見つからなかったが,CTは1cm間隔で身体を輪切りにした画像であるため,1cmに満たない結石は確認できないこと
イ (十二指腸や総胆管の解剖図を書きながら)ERCPとは,内視鏡を口から挿入して小腸を経由し,胆管を造影するものであること,造影の結果,結石が認められれば,これを取り除くこと
ウ ERCPは「膵炎を起こしたりする一番きつい検査」であること,しかし,膵炎には「抗生物質,膵炎の薬を使うので心配ない」こと
(3) 上記(2)の事実によれば,
ア まず,Y医師は,Aの症状,本件ERCPの目的や手法,本件ERCP実施による膵炎発症の可能性やその場合の対処方法については,一応の説明をしたものといえるのであって,その内容に不十分ないし不適切な点はないから,これらの点で説明義務違反の過失があるとはいえない。
イ 次に,Y医師は,ERCP後膵炎が重症化した場合に死亡の危険性があることについては説明をしていない。しかしながら,上記第3・3(4)のとおり,ERCP後に急性膵炎を発症して死亡する確率は,0.0023%ないし0.0043%と極めて低いから,このような場合に死亡の危険性に言及しなかったとしても,医療行為を受けるか否かを自主的に選択する権利が害されるとはいえない。また,証拠(甲B3・226,231頁)によれば,ERCPに関するインフォームド・コンセントを十分意識している医療機関においても,死亡の危険性にまでは言及されていないと認められるから,膵炎が重症化した場合に死亡する危険性があることを患者に説明することが一般的な医療水準となっているとは解されない。したがって,Y医師には,ERCP後膵炎による死亡の危険性についてまで説明する義務があったとはいえない。
(4) 以上によれば,Y医師に,原告らが主張するような説明義務ないしその違反があったと解することはできない。
3 争点3(本件ERCP実施上の過失の有無)について
(1) 医師の義務違反1(76%ウログラフィンの使用)について
ア 原告らは,Y医師が,ERCPに使用する造影剤として,添付文書(能書)に記載のある60%ウログラフィンではなく,その記載のない76%ウログラフィンを使用したことが過失に当たると主張している。
イ この点,証拠(乙A2・122頁,乙A8,証人Y医師,証人B医師)によれば,被告病院では,抗生剤を加えて感染防止を図り,色素を加えて粘膜下注入の早期発見を図る目的で,76%ウログラフィン20mlに,抗生剤であるセファメジンα注射用0.5gを溶解した生理食塩水10mlを加え,これにインジゴカルミン(色素液)を添加して使用しており,この場合のウログラフィン濃度は50.7%となるところ,本件でも上記のとおり希釈した造影剤が使用されたことが認められる(なお,本件ERCP時には,76%ウログラフィン20ml×2A+生理食塩水等20mlが用意されている。)。
ウ しかして,ウログラフィンの添付文書には,ERCP用の造影剤としては60%ウログラフィンを使用すべき旨の記載があり(甲B13の3),一般にも60%ウログラフィンが使用されているといわれている(甲B15の3)が,76%のものと60%のものでウログラフィンの組成・性状が異なるわけではなく,両者は単に濃度の違いにすぎないと認められる(甲B13の3・1頁)から,76%のものを50.7%に希釈して使用するのであれば,60%のものを使用すべきとする上記添付文書の指示に実質的に反するものではないと解される。
エ したがって,76%ウログラフィンの使用について,Y医師に過失があったとはいえない。
(2) 医師の義務違反2(手技の過失等)について
ア 原告らは,前記第5・3の原告らの主張(4)のとおり,手技の過失等があると主張するので,順次検討する。
イ 主乳頭を何度かつついたり,数回の膵管造影(ERP)となったりしたことが過失に当たるとの主張について
(ア) 証拠(各項に掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば,以下のとおり認められる。
a カニューレは,膵管の十二指腸壁への入射角度が胆管に比べて直角に近いため,膵管へ挿管されやすい(甲B6・100頁)。どちらに挿入されたかは,少量の造影剤を注入して確認することとなる(弁論の全趣旨)。
b ERCPの適切な検査時間は15ないし30分であり,胆管造影がこの時間内に終了しなければ,日を改めて検査するのが通常である(甲B3・226頁)。
c カニューレの挿管の困難さは,その成功までの試行回数により3段階に分類されており,1ないし5回が容易,6ないし15回が中等度困難,15回以上が困難とされている(甲B13の8・82頁)。
d Aは,9月24日15時30分ころ,本件ERCPのため検査室に入室し,同日16時20分までには退室した(乙A2)。
Aは,検査室入室後,ガスコンドロップ10mlの服用,硫酸アトロビン1A及びブスコパン1Aの筋肉注射,キシロカインビスカス5mlを3ないし5分間口の奥に含んだ後これを嚥下,キシロカインスプレーの咽頭部への噴射等の前処置を終えた後,本件ERCPに臨んだ(乙A2,8,10)。
まず,Y医師が検査を施行し,15ないし20分にわたり選択的胆管造影を試みたが,2回の膵管造影となったため,上級医であるB医師と交代した。B医師は,1回の膵管造影後,胆管造影に成功した(乙A9,10)。
本件ERCPに際しては,薬剤(セルシン,ブスコパン)が投与されたり,別紙「本件ERCP時に撮影されたX線写真の読影について」記載の撮影が行われたりした。
(イ) 上記(ア)aないしdの事実等を踏まえて検討するに,
a ERCPでは,少ない回数の挿管操作で目的とする選択的造影に至らないことはしばしば経験されることといえる(上記(ア)a〜c)から,挿管に成功するまでに数回を要し,数回の膵管造影(ERP)となったからといって,直ちに医師に過失があったとはいえない。
b もっとも,本件でY医師は,15ないし20分間にわたって挿管を試みていることからみて,本件ERCPの検査全体は,適正時間15ないし30分をやや超えて行われた可能性もある。しかし,上記(ア)dのとおり,検査室への入室から退室までの時間は約50分であり,同時間には前処置や薬剤投与のための時間も含まれているから,本件ERCPの検査時間が適正時間を大幅に超過したとは認め難い上,そもそも上記適正時間はあくまで目安であって,わずかに超過するだけで当該検査を不適切とするほど厳格なものとは解されないから,上記検査時間の超過の点が過失に当たるということもできない。
c また,Y医師及びB医師は,その証言及び陳述書(乙A9,10)において,X線透視下では造影剤が胆管・膵管から流出していることが確認され,乳頭に浮腫が生じて多量の造影剤が膵管等に残存したことはないとしているところ,同証言等に反する証拠は見出せないから,両医師が挿管に当たり,乳頭を過度につついたために浮腫が生じたと認めることもできない。
(ウ) 以上によれば,原告らの上記主張の点が過失に当たるということはできない。
ウ エピネフリンを使用しなかったことが過失に当たるとの主張について
この点について,1999年発行の消化器内視鏡検査マニュアル(甲B6・108頁)には,「乳頭部浮腫の心配のある例には…エピネフリン添加生理食塩水を乳頭部へ散布する。」との記載があったが,2002年発行の同マニュアル(甲B1・106頁)には,「エピネフリン添加生理食塩水を乳頭へ散布して検査を終了すると膵炎の発症を予防する場合がある。」との記載に改訂されていることからすると,上記散布による膵炎予防効果は必ずしも高いものとはうかがえない。また,2000年に掲載された医学論文(甲B17「資料3」)においても,ERCPによる偶発症防止の指針として,エピネフリンの散布は勧められていない。
これらの諸点に照らすと,エピネフリンの散布が本件ERCP当時の医療水準からみて必須の措置であったとは認め難く,Y医師がこれを行わなかったことが過失に当たるということはできない。
エ 本件ERCPの開始時刻及び中止時刻,造影剤の注入量及び残量等を管理せず,多量の造影剤を使用したことが過失に当たるとの主張について
(ア) Y医師は,本件ERCPの開始時刻及び中止時刻を記録していないが,上記イ(イ)bのとおり,本件ERCPが過度に長時間に及んだとはいえないのであるから,検査時間を記録しなかったことが独立の過失に当たるということはできない。
(イ) Y医師は,本件ERCPにおける造影剤の注入量及び残量を記録していないが,造影剤の使用量は,薬剤のアンプル数を記録しておけば推定することが可能で,それ以上に注入量及び残量を厳密に記録する必要性に乏しいといえる。また,証拠(甲B3・226頁,同5・164頁)にも,別件訴訟における医師の意見として,「造影剤の注入量については,その現場状況に左右されることが多く,正確なことはわからない」,「造影剤の量についての議論は意味がない」,「造影剤は通常量を決めて注入するものではなく,診療録に注入量の記載があることは非日常的である」といった指摘もある。これらに照らせば,Y医師が造影剤の注入量及び残量等を記録しなかったことが過失に当たるとはいえない。
(ウ) 証拠(乙A9,10,証人Y医師,証人B医師)及び弁論の全趣旨によれば,Aは本件ERCP時に胆道内圧の上昇による疼痛を訴えたこと,撮影されたX線写真には膵臓の二次分枝の描出が一部見られることが認められ,これらによれば,比較的多量の造影剤が注入された可能性が高いといえるが,他方で,そこで使用された量は60ml以内であって(乙A2・122頁,証人Y医師),許容量を超えるほど多量の造影剤が注入されたと認める確たる証拠はないから,上記造影剤の注入量の点をもって,Y医師やB医師に過失があるということはできない。
オ 以上によれば,医師らに手技の過失等があったという原告らの主張は,いずれも採用することができない。
4 争点4(本件ERCP後の経過観察義務違反等の有無)及び争点5(過失と死亡との間の因果関係の有無)について
(1) 本件ERCPの実施から重症膵炎に至るまでの事実経過
前記第3・2の診療経過,証拠(各項に掲記する。)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 9月24日
① ERCP実施。終了後1時間の絶飲食の指示あり(乙A2・53頁)。16時15ないし20分ころ,ERCPを終えて帰室。その時点で,検査に伴うものとみられる軽度の腹痛がある。
② その後,腹痛が残るも軽減した。夕食(普通食)を半量摂取した。
③ 腹痛軽度持続。
イ 9月25日
① 2時35分ころ,上腹部痛を訴える。
② 2時45分ころ,ブスコパン(鎮痛剤)1A投与。
③ 4時30分ころ,治まっていた痛みが再び出現。
④ そのころ,飲水したことで黄色物多量嘔吐1回あり。
⑤ 5時15分ころ,ソセゴン(強い鎮痛剤)1/2A投与。
⑥ 7時ころ,主治医が回診。術後膵炎の可能性を考え,絶食とし(飲水制限はせず,その後の経過を見ることにした。),制酸剤を加えた持続点滴とフサン(膵酵素阻害剤)40ml/日の投与を指示。血液検査を実施。
⑦ 7時40分ころ,ボルタレン(鎮痛剤)坐薬投与。
⑧ 8時ころ,緑黄色物片手2/3くらい嘔吐。
⑨ 8時54分ころに受付手続がされた血液検査の結果が判明し,血液アミラーゼ値5002(基準値は40〜130),尿アミラーゼ値20744(基準値は≦650)と膵酵素の著明な上昇が認められた。これに基づき,術後膵炎と診断。
⑩ 11時ころ,上記⑥に基づいてフサン(膵酵素阻害剤)20mlの投与。
⑪ 11時30分ころ,体を丸めて痛みを訴える。
⑫ 11時35分ころ,ブスコパン(鎮痛剤)1A投与。
⑬ 12時55分ころ,ソセゴン(強い鎮痛剤)1/2A投与。
⑭ 15時ころ,原告X2に症状及び9月27日に血液検査を実施すること等を説明。
⑮ 17時26分ころ,痛み持続。
⑯ 21時ころ,主治医回診。症状増強の感あり。ウルソ(胆石溶解剤)内服で吐気強まるとのことで内服中止。⑭の血液検査の予定を早め,翌日実施とする。
⑰ 21時30分ころ,上記⑥に基づいてフサン(膵酵素阻害剤)20mlの投与。ブスコパン(鎮痛剤)1A投与。
⑱ 21時49分ころ,動くと体が痛い。胆汁少量嘔吐(黄色100ml)あり。
⑲ 23時34分ころ,ソセゴン(強い鎮痛剤)1/2A及びボルタレン(鎮痛剤)坐薬投与。
ウ 9月26日
① 2時ころ,排便後腹痛軽減するが,血圧低下(98/90),冷感著明。ミラクリッド(急性循環不全治療剤。膵炎にも使用する。)10万単位を投与。
② 3時30分ころ,排便後,血圧低下。
③ 6時ころ,排便後,血圧低下。
④ 7時30分ころ,主治医回診。四肢冷感強く(血圧88/60,体温34.4℃),酸素飽和度低下(SPO2・91%),炎症反応著明。腹部CTでは,膵臓腫大,その周囲から広範囲で脂肪織濃度が上昇,両側胸水と腹水も出現。重症膵炎と診断され,ICUへ。
(2) ERCP後膵炎についての医学的知見
ア 発症の因子
(ア) 拡張のない総胆管は,胆膵疾患の好発因子である(甲B13の6・22:458頁)。
(イ) 過去の事例からERCPに伴う急性膵炎の危険因子を探ると,膵管への頻回の誤挿管と造影,検査終了後の摂食などが膵炎発症に大きく関与している(甲B13の7・78,79頁)。
(ウ) なお,別件訴訟の鑑定書には,「ERCP後膵炎で食事までしてしまった場合には急速に進行することが多いので,最も重篤な病態に照準を当て,実施可能な治療法が行われるべきであった。」との指摘がある(甲B5・176頁)。
イ 初期治療の原則
(ア) ERCP後膵炎は,初期治療が重要であり,膵炎の診断がついたらすぐに治療を開始する。急性膵炎は,発症時には軽・中等症でも急激に悪化する症例がみられ,対応や処置が遅れると重症化するおそれがあるので,その防止に努めることが重要である。(甲B1・106頁,甲B2・450頁,甲B3・228頁,甲B9・20頁,甲B13の7・79頁,甲B17「資料3」4,5頁)
(イ) ERCP後膵炎の診断要素は,腹痛や血中膵酵素の上昇が24時間以上続くこととされるが,ERCP直後から急性膵炎を念頭に置き,疑わしいときには急性膵炎と暫定診断して対処する必要がある(甲B13の8・82,83頁,甲B17「資料3」3頁)。
(ウ) 現在広く認められている急性膵炎の初期治療の原則は,絶飲・絶食,補液,鎮痛,膵臓の安静保護などを目的に保存治療を行うことである。すなわち,全身状態の維持改善,合併症の予防と治療,膵壊死と感染症の防止を目標に適切な治療を行う。(甲B17「資料3」4頁)
ウ 検査後の血液検査等について
検査後当日は,経時的に,特に検査から3時間後の血清アミラーゼ値をチェックし,腹痛,発熱の有無及び腹部の他覚的所見などを注意深く経過観察することが必要である(甲B6・111頁)。
なお,血清アミラーゼ値が1000以上になれば,パニック値とされる(甲B5・168,169頁)。
エ 経口摂取(飲食)について
(ア) ERCP後3時間は絶飲食とし,その後も,検査当日は,原則として飲食を禁止することが望ましい。
(イ) 無症状例でも,経口摂取は原則として当日は水分のみ。翌朝朝食はパン1枚とジュースあるいは粥1椀程度,昼,夜は通常より控え目,以後次第に平常に戻す。
(ウ) ERCP後腹痛が出現した症例では,最初の点滴終了後,腹痛及び全身状態をチェックし,悪化傾向になければ絶飲・絶食とし,水分補給のために500〜1000mlの点滴を尿量などの状態を見ながら行い,経過を観察する。
(エ) 翌日は,腹痛があれば,引き続き経口摂取は禁止し,点滴に膵酵素阻害剤や抗生剤などを加え,十分な補液を行う。ただし,空腹感が強い場合は,上記無症状例に準じ,経口摂取を開始し,経過を見る。
(甲B5・175頁,甲B6・111頁,甲B13の6・23:459,24:460頁,甲B13の7・79頁)
オ 急性膵炎に対する膵酵素阻害剤の投与方法
(ア) 投与開始時期は,急性膵炎の発症早期ほど効果が期待できる(甲B9・62頁)。
(イ) 軽・中等症の場合は,重症化の危険もあるので,最初の12時間で1日量(フサンであれば10〜60mg)を投与する。投与終了時(12時間経過後)に重症度を判定し,その重症度に応じて投与量を増減する。発症当日は前記常用量を1日3000ml前後の補液とともに投与する。(甲B9・62〜64頁)
(ウ) 膵酵素阻害剤は,薬剤の半減期が数分から1時間と短いことから,膵炎早期に血中有効濃度を維持する投与法が重要である。したがって,24時間から48時間は十分量の持続点滴が望ましく,重症化の危険がない場合は減量する。1日1,2回程度の間欠投与では,大量投与であっても十分な効果は期待し難い。(甲B2・452頁,甲B9・64頁,甲B13の6・23:459頁)
(エ) フサンの投与量は,急性膵炎でも10〜20mgが平均的であるが,吐気があったとするなら,30mgでも少ないかもしれない,との指摘がある(甲B5・166頁)。
(オ) 上記(ア)ないし(エ)に対し,被告は,膵酵素阻害剤の膵炎予防効果は確立していないと主張し,その根拠として医学文献(甲B13の6・22:458頁,乙B2)及び別件訴訟の鑑定書(甲B17・3頁)の記載を指摘するところ,そのうち,乙B2(消化器病セミナー84「重症急性膵炎の初療をどうするか」88頁)には,「1960年代の後半から1970年代にかけて急性膵炎における膵酵素阻害剤aprotinin(Trasylol)の有用性にかかわる検討が重ねられ,最大規模の検討でも死亡率,合併症発生率の低減に寄与せず,その有用性は否定されたと考えられる」,「現在のところ,膵炎における抗酵素剤の静脈内投与の有効性については,否定的な優れた検討が多く,少なくともルーティンに施行されるべきではなさそうである」との記載がある。
しかしながら,上記のとおり「膵酵素阻害剤の有用性が否定されたと考えられる」とされる報告においては,発症から膵酵素阻害剤投与開始までの時間が一定せず,投与開始が3日から7日後の症例もあるとされている(甲B9・64,65頁)一方,上記(ア)のとおり,膵酵素阻害剤の投与開始が早いほど高い効果が期待できるとされていることにも照らすと,上記見解は必ずしも過大視できないといえる。
そして,我が国で一般に推奨されている早期投与かつ持続投与の方法によった場合には,重症膵炎に対する早期投与の例で死亡率の低減に寄与したとの臨床成績があり,また,膵酵素阻害剤の予防的効果については多くの報告があるとされているのであって(甲B9・62頁,甲B13の6・23:459頁),早期かつ持続投与の方法による場合の有用性は,なお否定されていないものとうかがわれる。
以上のように,我が国においては,少なくとも臨床的・経験的には,膵酵素阻害剤を早期かつ持続して投与した場合には,急性膵炎の進行を阻止する一定の効果があると考えられており,それを前提に,急性膵炎に対する治療として膵酵素阻害剤の投与が一般的に推奨されていることが認められ,現に被告病院でも,本件において,ERCP後膵炎との診断後に膵酵素阻害剤を繰り返し投与していることに照らせば,膵酵素阻害剤の有用性を否定する被告の主張は採用の限りでない。
カ 忌避すべき薬剤
ソセゴンの単独投与は,オッジ筋を収縮させるため,ERCP後膵炎に対しては忌避すべきである。使用するとしても,抗アセチルコリン剤を併用すべきである。(甲B5・167,177頁,甲B17・3頁及び「資料3」5頁)
(3) Y医師の注意義務とその違反(過失)
前示のとおり,ERCP後には偶発症として急性膵炎を発症しやすいのであるから,医師の一般的注意義務として,ERCP後膵炎の発症を防止し,また,膵炎が発症した場合にはその重症化を防止すべき注意義務があったところ,上記(1)(2)のほか前記認定・説示した事実等を踏まえて具体的に論ずれば,Y医師には以下のような注意義務とその違反(過失)があったというべきである。
ア 急性膵炎を発症しやすい条件
本件ERCPでは,その実施時にAの総胆管が拡張していないという膵炎を発症しやすい因子(上記(2)ア(ア))があった上,挿管までにやや時間を要し,膵管への3回の誤挿管と造影があり,かつ,比較的多量の造影剤が注入されるなどして,膵臓に少なからぬ刺激が加わっていたといえるから,膵炎発症とその重症化をより警戒すべき状況にあったといえる。
イ 急性膵炎を予防する措置
医学的知見(上記(2)エ)によれば,ERCP後3時間は絶飲食とし,検査当日は原則として飲食を禁止するのが望ましいとされ,無症状例でも,原則として当日は水分のみ,腹痛が出現した例では,悪化傾向になくても絶飲食として経過観察すべきものとされるところ,Y医師は,本件ERCP後,1時間の絶飲食を指示しただけで,その後の飲食を許しており,実際,Aは,帰室(16時20分ころ)後に夕食を半量摂取している(病院の通常の夕食時間から推して,Aが夕食を摂取した時間は,検査後絶飲食が要求される3時間内であったと推認される。)。また,Aは,飲水も随時しており,これが禁止されたのは,本件ERCPから約29時間後(9月25日21時ころ)であった。
ウ 急性膵炎の発症を早期に把握する措置
医学的知見(上記(2)ウ)によれば,ERCP検査当日は,検査から3時間後に血液検査によるアミラーゼ値を測定し,腹痛等の他覚的所見を注意深く観察する必要があるとされるところ,本件では,Aが本件ERCP後継続して軽度の腹痛を訴えていたのであるから,たとえそれが当初は検査に伴って発生したとみられるものであったとしても,急性膵炎の発症を念頭に置きつつ注意を払って経過を観察すべき状況にあったといえるのに,Y医師は,3時間後の血液検査を行わなかった。また,その後,腹痛が増悪傾向を示し,検査翌日の9月25日2時35分には鎮痛剤を投与するほど強度の腹痛が発生し,同日4時30分には黄色物の多量嘔吐もあるなど,症状が明らかに悪化して急性膵炎の発症はほぼ間違いないといえる状況にあったのに,同日7時ころの回診時まで,血液検査の実施を指示しなかった。
エ 急性膵炎に対する処置
9月25日7時ころ,Y医師が回診し,急性膵炎の可能性を考慮して絶食を指示したものの,この時点でも絶飲を指示せず,Aは,同日21時ころまでは,飲水をしていたものと認められる。また,上記ウのとおり,Aに生じた急性膵炎の症状は,鎮痛剤の投与を要するほどの強い腹痛や多量嘔吐がみられるなど,決して軽微なものではなく,9月25日8時45分ころに行われた血液検査の結果では,血液アミラーゼ値は5002と既にパニック値をはるかに超え,尿アミラーゼ値は20744と著しく上昇しており,かつ,9月25日11時30分ころには,痛みがさらに増強しているのに,Y医師は,制酸剤を加えた輸液の持続点滴とフサン40mg/日の投与を指示したに止まっている。
この点,医学的知見(上記(2)オ)によれば,急性膵炎の軽・中等症の場合は,重症化の危険を考慮し,最初の12時間でフサン1日量(10〜60mg)を,3000ml前後の補液とともに投与するものとされ,重症度に応じて投与量を増減すべきものとされるが,上記のようにAが検査後飲食をしていたこと,Aの腹痛や嘔吐の程度がかなり強くかつ極めて高いアミラーゼ値を示していたこと等を踏まえると,急速な重症化を強く警戒すべきであったといえる(上記(2)ア(イ)(ウ)参照)から,Y医師の指示は,フサン及び補液の投与量及び投与時間の点で,上記水準に満たない不十分なものであったといわざるを得ない。
しかも,医学的知見(上記(2)オ(ウ))によれば,重症化のおそれがある場合のフサンの投与方法は,持続点滴の方法によるべきものとされるのに,Y医師は,その方法を採らなかったと認められる(乙A2・10頁には持続点滴の指示なし。)のであって,この点でも上記水準に満たない不十分な措置であったというべきである。
オ ソセゴンの投与
医学的知見(前記(2)カ)によれば,ソセゴンはオッジ筋を収縮させるため,急性膵炎の場合には単独投与を避けるべき薬剤であるのに,Y医師は,9月25日にソセゴン1/2Aを3回にわたって単独投与した。
この点,被告は,抗アセチルコリン剤であるブスコパンと交互に使用し,かつ,投与量も1/2Aにするなど,オッジ筋収縮に配慮した投与をしていると主張するが,ブスコパンの使用からソセゴンの使用までに,1回目で2時間30分,2回目で1時間20分,3回目で約2時間の間隔があるから,オッジ筋収縮のおそれを回避することができたとはうかがえず,これが急性膵炎の重症化を促進する一因となった可能性が高いと考えられる。
なお,被告は,ソセゴンの投与はAの疼痛を取り除くため必要やむを得ないものであったとも主張するが,疼痛除去のためには,硬膜外麻酔など適応のある他の方法があるといえる(甲B2・451頁,甲B17・3頁)から,同主張は採用できない。
カ まとめ
以上のように,Aには,本件ERCP後,急性膵炎を発症しやすい種々の条件が具わっていたといえるから,Y医師としては,急性膵炎の発症を予測し,その重症化を防止することに細心の注意を払うべき注意義務があった。具体的には,重症化を促進する要因を除去するよう努める一方,早期に急性膵炎の発症及びその程度を把握できるようにきめ細かく経過観察を行い,急性膵炎の疑いが生じたときはできるだけ早期に,十分な量の補液とともに大量かつ持続的な膵酵素阻害剤の投与を開始するなどして,重症化の防止を図るべき注意義務があったといえる。
しかるに,Y医師は,本件ERCP後1時間の絶飲食を指示しただけでその後の飲食を禁止せず,本件ERCPの3時間後の血液検査を実施せず,腹痛の推移に配慮した経過観察を怠り,そのため適時に血液検査を実施せず,急性膵炎の疑いが生じた後もなお絶飲を指示せず,腹痛に対する鎮痛剤として急性膵炎では忌避されるべきソセゴンを3回にわたって投与し,腹痛・嘔吐の強さや高いアミラーゼ値などから重症化の傾向が顕著にうかがわれるにもかかわらず,不十分な量の膵酵素阻害剤及び補液を投与したに止まる上,同阻害剤の効果を上げるために不可欠な持続点滴の方法で投与しなかったというのであって,これらの一連の行為が上記注意義務違反の過失に当たるものと判断するのが相当である。
(4) 結果回避可能性ないし因果関係について
被告は,重症膵炎は厚生労働省の難病特定疾患に指定されており,現在の医学ではその重症化へのメカニズムは解明されていないのであって,Y医師が上記(3)で指摘したような措置を施したとしても,膵炎の重症化を阻止することができたかどうかは明らかでないなどとして,本件では結果回避可能性ないしAの死亡との間の因果関係がなかった旨主張している。
確かに,現在の医学では,膵炎重症化のメカニズムが十分解明されているとはいえないとしても,本件ERCP実施当時において,膵炎の重症化を防止する上で上記(2)(3)のような措置が一定の効果を有するものとされていたのであって,本件ではそれらの履践をことごとく怠っているのであるから,それらを適切に履践していれば,Aは,急性膵炎を発症しなかったか,仮に発症したとしても急速に重症化しなかった可能性が高く,ひいてはその死亡が避けられた可能性が高いと推認される。
したがって,本件ではAの死亡につき結果回避可能性があり,かつ,Y医師の上記注意義務違反とAの死亡との間には因果関係があるものと判断される。
(5) 小括
以上によれば,被告は,上記(3)のY医師の過失行為について,債務不履行責任(民法415条)又は使用者責任(同法715条1項)を負うものと判断される。
5 争点6(損害額)について
(1) 逸失利益 各原告に600万円ずつ
Aは,死亡当時69歳であったが,本件で診断された胆管結石の疑いを除けば,健康面で格別問題はなかったとうかがえる(甲A10,12,C1の1・2,原告X1,弁論の全趣旨)から,なお就労の可能性があったものとして,その基礎収入は,平成14年賃金センサス第1巻第1表の産業計・企業規模計・学歴計・65歳以上の女性労働者の平均年収額を踏まえ,原告ら主張の300万円と認める。
そして,平成14年簡易生命表による69歳女性の平均余命は19.52年であることを踏まえれば,Aの就労可能年数は原告ら主張の7年を下らないと認められるから,7年に対応するライプニッツ係数5.786を上記300万円に乗じ,かつ,生活費控除割合を30%とみてこれを控除すると,合計額は1215万0600円となるから,Aの逸失利益は,原告ら主張の1200万円と認める(原告らが2分の1ずつ相続)。
(2) 死亡慰謝料 各原告に1200万円ずつ
前記認定・判断したY医師の過失の内容,これにより重症膵炎の激痛に苦しんだ末,生命を落としたAの無念さ,かけがえのない母をそのような形で失った原告らの心情等を総合考慮すれば,Aは慰謝料は2000万円(原告らが2分の1ずつ相続),原告ら固有の慰謝料は各200万円と認めるのが相当である。
(3) 葬祭料 各原告に75万円ずつ
諸般の事情を考慮すれば,本件事故と相当因果関係のある葬祭料は150万円と認めるのが相当であり,原告らはこれを2分の1ずつ負担したものとして,各75万円を標記損害と認める。
(4) 弁護士費用 各原告に185万円ずつ
本件事案の内容及び審理の経過等を考慮すれば,上記(1)ないし(3)の合計額3750万円の約1割に相当する370万円を,弁護士費用として,本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当であるから,各原告の同損害はその2分の1ずつとなる。
(5) 合計 各原告に2060万円ずつ
したがって,各原告の損害は,上記(1)ないし(4)の合計額2060万円ずつとなる。
6 結論
以上によれば,原告らは,被告に対し,使用者責任(民法715条1項)に基づく損害賠償として,それぞれ2060万円及びこれに対する不法行為日の後である平成14年9月27日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めることができるから,原告らの本訴請求は上記の限度で理由がある。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・野田恵司,裁判官・上田賀代,裁判官・進藤千絵)
別紙
診療経過一覧表<省略>
検査結果一覧表<省略>
投与薬剤一覧表<省略>
本件ERCP時に撮影されたX線写真の読影について<省略>