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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和33年(タ)1号 1959年9月23日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告は、原告と被告とを離婚する、原被告間に昭和三一年二月一五日出生した長男和彦の親権者を原告と指定する、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求め、その請求の原因として、

原被告は昭和二八年八月三一日事実上の婚姻をし、ついで同年九月三日その届出をして平和な夫婦生活を営むうち、昭和三一年二月一五日長男和彦をもうけたが、この長男出生を境目に夫婦仲は円満を欠くようになり、ついに被告は同年八月中旬長男を伴い原告に無断で実家に行つたきり原告方へ帰らず、そこで原告はその後直接又は媒酌人中村啓一を通じて再三被告に原告方への復帰を勧めたにもかかわらず被告がこれに応じないため、やむなく長崎家庭裁判所佐世保支部に家事調停の申立をしたが、不調に終つた。しかして、これより先原告が昭和三一年三月から同年四月にかけて病気のため入院した際の被告の態度は妻としてのそれでなかつたばかりか、その後原告において調査したところによると、被告は昭和三二年三月二五日佐世保市三浦町の某旅館で船員中野新治と同宿した事実があるほか、同年九月三日同市福石町光子旅館で偶然原告と会つたとき原告に対し男の客をとつていると告白したし、現在においても不特定の男客をとつて売春している有様である。従つて、被告は原告を悪意で遺棄したものであり、かつ被告には前敍のように不貞の行為があつたのであるから、被告との離婚を求め、併せて以上のような事情から長男和彦の親権者としては原告が適当であるからその旨の指定を求めるため本訴に及んだ。

と、陳述し、

立証として、甲第一号証を提出し、証人桑山キミコ、同三富八郎、同中村啓一の各証言を援用した。

被告は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、

原告主張事実中、原被告が原告主張の日事実上の婚姻をし、ついでその主張の目婚姻届をして夫婦生活を営むうち、昭和三一年二月二五日長男和彦をもうけたこと、被告が同年八月中旬実家へ赴いたまま原告方へ復帰していないこと、原告が家事調停の申立をしたが成立に至らなかつたこと及び被告が原告主張の日佐世保市福石町光子旅館で原告と会つたことはこれを認めるが、その余の事実はこれを否認する。即ち、被告としては、原告が生活に必要な金銭を与えないため困つたあげく、前記のように実家へ帰つたもので、原告において反省して生活費を支給してくれるなら原告方へ復帰することを希望しているものであり、実家へ帰つて以来長男との生活の糧をうるためやむなく夜間飲食店に働いている現状である。よつて、原告の本訴請求に応ずることはできない。

と、述べ、

立証として、証人福田周作、同福田クメの各証言を援用し、甲第一号証の成立を認めた。

当裁判所は、職権で原被告双方本人を尋問した。

理由

その成立を認めうる甲第一号証(戸籍謄本)に、証人中村啓一の証言及び原被告双方本人尋問の結果をそう合すると、原告と被告とは昭和二八年八月末頃、原告が佐世保市早岐町の特殊飲食店に働いていた被告のもとへ四年来遊びに行つて交際した後、中村啓一の媒酌で結婚式をあげ、同年九月三日婚姻届をして当初の約一ヵ年間は原告が長崎県食糧事務所相浦出張所に勤めていた関係で同市相浦町に間借生活をしたが、その後勤務先が同事務所佐世保出張所に変つたがために同市日宇町に居を移し、ついで昭和三一年二月初頃長崎県東彼杵郡川棚町百津郷旭丘住宅に転居して夫婦生活を営むうち、同月一五日長男和彦をもうけたものであることを認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。そこで被告に原告主張のような離婚原因があるかどうかについて考えてみるのに、右証人の証言、証人福田クメ、同三富八郎の各証言、証人桑山キミコの証言並びに原告本人尋問の結果の各一部及び被告本人尋問の結果をそう合すると、つぎのような事実が認められる。

(一)  原被告が佐世保市相浦町で間借生活を始めた当初は夫婦仲も円満で、原告は毎日勤務が終ればきちんと帰宅し月給も控除分を差引き六、七千円はいつた袋ごと被告に渡していたが、日が経つにつれて飲酒して帰宅が遅れたり、はては一ヵ月のうち三・四日は帰宅しないことがあるようになつたばかりか、同市日宇町に転居してからは、給料こそ月収一万二千円位のうちから相浦町在住当時とほぼ同額を月々被告に渡しはするものの、被告から再三要求するまで手渡しをしぶるようになり、かつ職務などに関係なく、飲酒して遅く帰宅したり外泊したりする度数も頻繁となつたので、原被告間に口論が絶えなくなつて夫婦仲は漸次冷たくなつてゆき、前記川棚町の住宅に移り長男が出生した頃からは、原告の外泊はさらに度を増し、原告において農業をしている実家から時々主食や野菜、調味料などを持つてくることがあつたとはいえ、被告には一日当り三〇円位の金銭を副食費として手渡すだけとなつたので、被告としては、僅かの手持衣料品を入質したり近隣でやむを得ず日常の支払いにあてるための借金をしたりして糊口をしのいでいたが、同年八月一五日盆ではあるし、その日の生活にも事欠く状況だつたので今後の生活のことについて相談しようと考え、原告の外泊不在中に着のみ着のままで長男和彦を連れ同市潮見町の実家へ帰つたものであること。

(二)  被告としては右のようにして実家へ帰るに先だち、媒酌人の中村に、原告が被告に必要な生活費を交付するように意見してくれと頼んだがその効果はなく、原告と別れる意思で実家へ帰つたのではなかつたけれども、その後近隣に不義理をかけている関係上前記川棚町の住宅へ帰ることができず、といつて行商で細々生活している老母のもとでじんぜん無為に過すこともできなかつたので、長男和彦を母に預け夕方から夜半まで飲食店へ女給として通勤することとしたが、佐世保市福石町の飲食店で働いていた頃客の水尾某と情交関係を結んだり、そのほかにも給料が少なかつたり支給されなかつたりすることがあつて男客をとつたことも一、二度ではないが、和彦に対しては深い愛情を抱き、その故に現在でも原告が生活費を支給し右和彦に対しやさしくさえしてくれたら元の夫婦生活に戻りたい意思を持つていること。

(三)  原告は被告が実家へ帰つて後二度程被告を実家に訪ねはしたが、被告との夫婦生活を回復するために被告の帰宅を熱望するとゆう態度ではなく、かえつて被告の勤め先を執拗に捜査して、その不貞行為の証拠を握ろうと努力しているのではないかとさえ疑われるふしがあること。

証人桑山キミコの証言並びに原告本人尋問の結果中以上の認定にてい触する部分は信用することができず、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。しかして、被告が前記(一)で認定したように長らく殊特飲食店に働いていた女性であるとの事実に被告本人尋問の結果を併せ考えると、被告が家計のやりくりなどにある程度散漫であつたり、貞操観念に欠けるところがあつたりすることが窺われるけれども、特に原告との同棲生活中その生活態度が放縦贅沢であつたと認められる証拠はなにもなく、加えて原告においては四年来も結婚前に交際して被告の経歴や性格などについて充分承知していたのであるから、これらの事実に前段認定の(一)ないし(三)の事実をそう合すると、被告が昭和三一年八月一五日実家へ帰つたまま原告のもとへ復帰しないことから直ちに原告を悪意で遺棄したものということができないし、その後夜間飲食店に働き、他の一・二の男性と情交関係を結んだことは、後者の点において婚姻関係にある原告に対する不貞の行為であるとしても、別居して他になんらの収入もない被告のような経歴の女性として、その日からの母子の生活を支えるための方法としてある程度やむをえなかつたもので、別居が前記のように原告に多くの因があつたと認められる以上、その点について被告のみを責めるのは酷に失する嫌いがあるといわなければならない。原告において謙虚に過去の行状態度を反省し、被告ら母子に理解のある愛情の手を差しのべれば、被告においても必ずやこれに応えて原告のもとへ復帰するであろうことが容易に看取できる。

かくて、原告の本訴離婚の請求は失当としてこれを棄却すべきものとし、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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