大判例

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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和42年(わ)67号 判決 1967年5月31日

被告人 宋斗洪

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実および認定事実

本件公訴事実の要旨は

「被告人は韓国人であつて昭和四一年九月五日宮城県石巻市長から外国人登録証明書の交付を受けたものであるが、同年一二月二四日頃東京都において右登録証明書を紛失しその事実を知りながら以後一四日以内に登録証明書の再交付を申請することなく右期間をこえて本邦に在留した外国人登録法違反の罪により昭和四二年三月七日和歌山地方裁判所新宮支部において懲役三月、二年間執行猶予に処せられ、同月二二日右判決は確定したところ、その後においても外国人登録証明書の再交付を申請することなく引続き不法に本邦に在留したものである。」というにあるところ、右公訴事実は(その末段に「不法に」とある点を除き)本件証拠により証明十分である。

二、前判決の既判力との関係

外国人登録証明書の再交付不申請罪(外国人登録法七条一項、一八条一項一号)はいわゆる継続犯の一種とみるべきところ、一般に継続犯がその罪に関する確定判決の前後にわたつて行われたときは、右判決時(原則として第一審判決言渡時)以降の事実については判決の既判力が及ばないと解すべきことは検察官主張のとおりである。検察官の援用にかかる大阪高等裁判所の判例(昭二七・九・一六、高裁刑集五・一〇・一六九五)は外国人登録令附則所定の登録を申請しない罪につき右の理を明らかにしたものであり、現行法の再交付不申請罪についても基本的にはこれと同様に解することができる。なぜなら現行の外国人登録法は、登録証明書を紛失しながら再交付を申請していない事実が官に発覚して公訴が提起された場合でも、例えば検察官の通報により市町村長が職権で証明書を再交付するというような方式を採らずあくまで本人の申請によつてこれを交付する建前を採つているから、不申請罪により一度処罰された者がその後も再交付を申請しないまま長年月を経過することも起り得るわけであるが、かかる場合に前判決の既判力が永久に再度の公訴を遮断すると解することは甚だ不合理であり、既判力(一事不再理)の理論も継続犯について前記の例外を是認しているからである。

しかし前判決時以降の事実につき既判力が及ばないからといつて当然前判決後直ちに別個の不申請罪が成立するものということはできない。訴訟法上の既判力の問題は実体法上の犯罪成立時期の問題と明確に区別されるべきである。大阪高等裁判所判決の事案では前判決があつてから再度の起訴までに約一年半を経過しているのでその結論には恐らく疑問の余地がないが、本件においては和歌山地方裁判所新宮支部の判決言渡が昭和四二年三月七日、その確定が同月二二日、被告人が再び逮捕されたのが同月二九日、本件公訴提起が同年四月一七日であつてその間隔の著しく短いことが注目に値する。従つて本件では前判決後のどの時期に新たな不申請罪が成立するかを次に検討しなければならない。

三、別罪の成立時期

判決の前後にわたる継続犯について実体法上新たな犯罪として再度の処罰が可能となるのはどの段階においてであるか。これは当該継続犯の被害法益の性質および憲法三九条後段の趣旨等を考え合せつつ各個の場合ごとに決すべき解釈問題である。継続犯といつてもその種類はさまざまであり、それが判決の前後にまたがる場合としては種々の態様が考えられる。例えば「数個の所持禁止物件が包括的に所持されているとき、その一部の物件の所持についてのみ確定判決があり、爾余の物件に対する所持が継続されている場合」(最高裁判所昭二四・五・一八判決の理由中の設例)には、「爾余の物件」の所持は前判決においては全く評価されていないのであるから、前判決後直ちに爾余の物件の不法所持罪が別個に成立し処罰可能であると解するのが正当であろう。これに対し外国人登録証明書再交付不申請罪の場合、再交付の不申請という単純な事実は既に一度は前判決によつて包括的に評価されたのであるから、前判決後直ちに別罪が成立すると解すること((1) )は外国人登録法七条一項が一四日間の猶予を認めているのと権衡を失するだけでなく、一事不審理の原則を事実上破壊し、憲法三九条後段の保障を危うくするものといわなければならない(極端な場合には、執行猶予の判決を受けて釈放された被告人を直ちに同罪で逮捕し、あらためて訴追できることになる)。

右(1) の解釈が到底採りえないとすれば他に考えられるのは(2) 第一審判決言渡時を基準として相当な猶予期間、特に外国人登録法七条の趣旨にてらして一四日間の猶予を認め、それを徒過したときに別罪が成立するとする見解、或いは(3) 判決確定時を基準として右と同様一四日間の猶予を認める見解である。(2) は検察官の採用するところであり、これに対し当裁判所は(3) を正当と考える。右(2) の立場は既判力の基準等が原則として第一審判決の言渡時とされることを根拠とするものと思われるが、さきにもふれたようにここで問われているのは単なる既判力理論の問題でなく、より実質的な諸般の要素を綜合して個別的に決すべき実体法の解釈問題である。そこで当面の問題につき考えるに、そもそも外国人登録法が登録証明書を紛失した外国人に再交付の申請を義務づけている理由は外国人をしてその身分関係等を証する登録証明書を所持させることによりその身元を明確ならしめんがために他ならずその申請が多少遅延したとしてもそれによつて生じる法益の侵害は例えば危険物の不法所持罪や監禁罪が継続される場合と異なりいわば抽象的、観念的なものに止まるのである(同法七条一項は紛失等の「事実を知つたとき」から一四日以内と規定しているから既にその点で多少の遅延は避け難い)。まして再交付不申請罪により一度有罪判決を受けた者に対しては、できる限り前の判決を理解し納得した上でその趣旨に従つて申請義務を履行する機会と余裕を与えることが適当であり、また必要でもある。いうまでもなく被告人は第一審の有罪判決に対し無罪や量刑不当を主張して上訴する権利を認められており、その期間を徒過し或いは上訴が棄却されてもはや争う余地がなくなつた段階においてはじめて被告人は自己の行為(不申請)を違法なりとしてこれに対し刑罰権を行使せんとする国家機関の判断に服することを余儀なくされるのである。それでもなお被告人が相当の猶予期間内に申請義務を履行しないとすればその時こそ、被告人を同一の不申請につき再び処罰する実質的な根拠が与えられるであろう。前記(2) 説によると第一審判決に対して上訴があつた場合に複雑な法律問題を生じるのであるが、それはそれとしても一体この場合にそれ程までして犯罪の成立時期を早い段階に求め、くり返し刑罰権を発動させるだけの必要があるであろうか。まさに「法の極致は不法の極致」ではなかろうか。再度の不申請罪が成立するまでのいわは空白の期間が多少伸びたとしても、そのことによる弊害よりはむしろ単純な行政犯に対する刑罰権濫用の弊害こそ恐るべきである。前記(3) の見解を採る所以である(もつとも判決確定時を基準とするにしても一四日間の猶予を認めず確定後遅滞なく申請しなければそこで別罪を構成すると考えることも不可能ではないが、この場合も再度の処罰をそれほど急がなければならぬ理由はどこにもない。規準をできる限り明確ならしめるためにも同法七条一項に準じて少なくとも一四日の猶予を認むべきである)。

四、本件における再交付不申請罪の成否

本件において前判決後新たに再交付不申請罪が成立する時期は前判決の確定した昭和四二年三月二二日から一四日を経過した同年四月五日であると解すべきところ、これよりさき同年三月二九日被告人は外国人登録証明書不携帯の疑で逮捕され、同年四月一日佐世保刑務所に勾留され、その勾留期間を延長された上同月一七日本件で起訴されると同時に勾留状を切替えられて現在まで身柄を拘束されているのである。ところで外国人登録法上の申請は原則としてすべて当該市町村の事務所に本人が出頭してしなければならないのであるが(同法一五条一項)、被告人は再交付申請の猶予期間が満了する一週間前に身柄を拘禁されたことにより石巻市役所にみずから出頭して申請義務を履行することが全く不可能となつたのであるから、かかる事情のもとに申請が遅延したとしても同法一八条一項一号には該当せず、かりに該当するとしても被告人には義務履行の期待可能性がないというべきである(かりに被告人が真に責任のある別個の犯罪行為により逮捕されたのであればその事態は被告人みずから招いたものということも或いはできるかもしれないが、本件の現行犯逮捕は外国人登録証明書の不携帯に基づくものであるところ、再交付申請の猶予期間中で未だ申請をしていない被告人が登録証を所持していなかつたのは当然であるからこれは被告人に不携帯罪が成立しない場合であり、尚更被告人の申請義務不履行を責めることはできないのである)。

もつとも証人上村圭一の証言および同証言に引用された「昭和二九年八月六日矯正局長通牒」によると、一般に矯正施設の長は在監中の外国人について登録関係の各種申請事務を民法上の事務管理として取扱うものとされ、他方入国管理局発行の「外国人登録事務執務提要」には「市町村長は、在監中の外国人から矯正施設の長を経由して居住地変更の登録を除く各種申請(中略)があつた場合はこれを受理すること」とあつて現在の実務はこれに従つていること、本件被告人を収容していた佐世保刑務所においても前記通牒の趣旨に従い、被告人に事情を聞いた上その申出により写真を撮影し再交付申請の書類をととのえて昭和四二年四月二四日石巻市長宛送付し、同年五月四日同市長から新しい登録証明書が送付され、刑務所長を通じて被告人に交付されたことが認められる。これによれば、前述したところと異なり刑務所に収容されていても外国人登録法上の申請義務の履行は可能であるかのようにみえるけれども、在監者に対する前記取扱はあくまで便宜上のものにすぎず、同法一五条の出頭義務をこの場合に免除する法規上の根拠は見当らないのである(施設の長が同条二項の代理人として申請するものでないことは前記通牒等が明言している)。されば被告人が当公判廷において「三月二九日に逮捕された直後に再交付申請を申出ることができなかつたのか。」との問に対し「私の住所が宮城県なので向うに行かないと駄目と思つておりました。」と答えているのはまことにもつともというべきである。のみならず在監者が前記通牒により施設の長を通じて各種申請をなし得るとしても、それに必要な写真の撮影、申請書の作成その他の手続は刑務所側の協力、指導、代行なしには到底不可能であろう(札幌地方裁判所昭二六・五・三一判決、刑事裁判資料一一二号三八頁参照)。してみれば、本件において被告人が拘禁後すみやかに申請手続を依頼せず、そのため本来の猶予期間を徒過した上四月二四日に至つてようやく申請書が送付されたとしてもその遅延について被告人に非難を加えることはできないといわざるをえない。

これを要するに被告人の行為は未だ外国人登録法一八条一項一号の要件を充足するものでなく、かりに充足するとしても在監中に生じた申請の遅延につき被告人にはいわゆる期待可能性がない。

よつて本件は罪とならないものとして刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言渡をする。

(裁判官 楠本安雄)

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