大判例

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長崎家庭裁判所 昭和30年(家イ)137号 命令

相手方は本件調停終了まで、左記物件の売買、抵当権、質権、賃借権の設定、その他一切の処分行為をしてはならない。

長崎市○○○○町○○○番地

家屋調査番号○○○号

一、木造葺二階建住家一棟

延坪○○坪○合

相手方が正当な理由なくこの調停前の措置に従わないときは、家庭裁判所より金五千円以下の過料に処せられる。

(家事審判官 中島武雄)

参照

離婚、慰藉料、子の監護者の指定、養育料、財産分与の調停申立事件

申立の趣旨

一、申立人と相手方とを離婚する。

二、相手方は申立人に対し慰藉料六十万円を支払ふこと。

三、相手方は申立人と相手方の長女則子(昭和二十九年○月○○日生)の監護者を申立人である美子に指定する。

四、相手方は申立人に対し長女則子の養育料として同人が満二十年に達する迄毎月五千円宛を支払ふこと。

五、相手方は申立人と離婚するにつき財産百五十万円を分与すること。

との御調停を求むる

尚調停前の処置として別紙目録記載の不動産の売買、抵当権、質権、賃借権の設定、其他一切の処分行為禁止の仮処分の御命令を求めます。

申立の理由

一、申立人は父江畑芳男、毋美津の長女として昭和四年○月○○日出生し昭和二十五年三月長崎県立○○専門学校を卒業後同年十月頃より相手方と結婚を目標として、性質思想等を理解し合ふために交際を始めた、其の間肋膜炎におかされたので勤め先を罷め療養しながら交際を続けていた、病気快癒後医者より結婚するには早いと注意されたが相手方の切望もあり両親の反対を説き伏せ叔父、西氏を媒酌人に立て昭和二十八年○月○○日(届出は同年○月○○日)正式に結婚した。

二、相手方はクリスチヤンで相当に信仰も教養もあり、双方理解し合つて結婚生活に入つたのであるが平穏で幸福と思はれる生活が続いたのは、結婚後一ヶ月間位であつた、申立人は結婚後二ヶ月後の六月に姙娠したが何分病後の身体なので健康が勝れず、ツワリがひどかつたので相手方の毋代りとなつて同居していた相手方の叔毋に対しても思ふ通り孝養が尽されなかつた、そのため相手方は申立人に対し叔毋に対する態度が悪いとか、又尽し方が足りないと云つて叱るのが常であり、叔毋も申立人がツワリの養生のため一時近くの実家に帰つていても近所まで行商に来ながら立寄つて言葉をかけてくれるようなこともなかつた。

三、結婚前は家に水道がないので毎朝水カメに水を汲み溜めて出勤するといふ程優しい思ひやりがあつた相手方は結婚して以来は一杯の水すら汲んで呉れることなく、叔毋が○○○○町の親類に御産の手伝ひに行き二ヶ月間不在であつたその間、夫婦水いらずの生活の間と雖も相手方は映画、散歩等に誘ひ出すでもなくいつも荒い言葉で小言のみを云つていた、叔毋は相手方が鷄の飼育をはじめたに対し「鷄なんぞ飼つたところで美子(申立人)さんじや鷄は飼ふこと出来ない」といかにも無能であるかのように言いふらして親族の人達に蔭口をたたくようになつた、同年十二月頃申立人が姙娠で身重になり起居動作が不自由になつてからも相手方は水を汲んでくれるでなく戸締一ツ手伝つてくれず夜の外出も繁くなり酒を飮むことも多くなつて来ました。

四、昭和二十九年一月元日に相手方と二人○○○○町の叔父宅に年始に行つた際に時子と云ふ女性に逢つた、同女は申立人と共に相手方の嫁候補として相手方も及叔毋も交際を許していた親しい間柄であつたとのことであるが相手方は申立人に対し「今から友達の家と西の叔父さんのところに年始に行くから○○に帰つて待つておれ」と云つて申立人を先きに家に帰しておいて同女と共に○○○○ダンスホールに遊びに行つていた、それは相手方より電話がかゝつて判つたのである。

五、同年二月から毋代りの叔毋が肝臓を患つたので申立人は看病を尽したが惑謝して呉れるのでなく相手方も亦病褥の叔毋を看病するでなく酒を飮んで遊び廻るのみであつた、それのみでなく御産の用意もしてくれず放任しているので申立人は実家の毋に来て貰つて御産の用意を整へ、○月○○日則子を産み出産後は実家の毋が看護に来ているのに水汲み一ツ、戸締り一ツ手伝ふことを為さず、森田といふ知人の家やサロンに出入して夜遊びを続けていた。

六、同年三月一日例の時子様が出産の祝物を持つて来てくれた夕食後同女と共に外出し夜おそく帰つて来た、産褥に苦しんでいる申立人を顧みることもなく毎晩遊びに出懸け、叔毋も相手方と時子様との交際を望んで「時子様は現在店を出して一人で金を儲けているので結構な身分である」と云ひ、相手方が寧ろ時子様と結婚している方がよろしかつたと云はぬ許りであつた、その頃から申立人に於ても相手方の申立人に対する愛情が無くなり時子様の許へ走つていることが、はつきり判り相手方との結婚生活の将来を懸念せざるを得なくなつた、然し既に長女則子が生れておるので子供のために生きぬこうと決心し相手方との夫婦生活を持ち続けることに努力した。

七、同年五月十七日時子と弟子姉妹である○○○○町の叔父の長女待子の結婚式の披露があつた際にも時子が出席しているので申立人に対し「家に早く帰つておれ」と云つて申立人を先きに帰しその後で時子と共に遊び廻つていた。

相手方は長女則子を可愛がるでなく子供に対して御菓子や玩具等一度も買つて帰るようなこともなく、同年六月下旬頃には時子様とその両親並びに叔毋を同伴して雲仙に遊覧に出掛け二人の仲はいよいよ深くなりその反面に申立人は厄介者扱ひにされるようになつたが申立人は則子の生長を楽しみに生きぬいてゆこうと諦めていた。

八、それからの七、八、九、十、十一月にかけ相手方の外出は一層繁くなり一体相手方は家に妻や子があるといふ責任さへ感じていないように見受けられるので叔毋に対しどうしてこんなに外出し夜おそく帰るのであろうかと聞いても話してくれず、相手方に確めると時子ちやんが新しい店を大通りに出すので大工、水道工事の手伝をやり其他登記所などにゆき世話をしているのだと放言し平気にかまつて申立人を侮辱し冷遇するのであつた。

九、同年十二月頃になると相手方は「正月には実家に帰へれ一ヶ月でも一年でも一生でも帰らぬでよい、お前がおつても何もならない、邪魔になるばかりだ」と云つて実家に帰ることを強要して申立人に同居に堪へ難き虐待を加ふるようになつた。

一〇、昭和三十年正月に○○○○町の叔父方に年始に行つた際も申立人と申立人の父をおき去りにして相手方は時子と共に道び廻り申立人、相手方の申付によつて○○の実家に年始に行つたまゝ帰つていると「お前が家にいないのでのんびりして、ふとつた」とか「彼女と逢ふのに邪魔がなくていゝからなるべく長くいてくれ」と電話をかけて帰宅を阻止し侮辱しつづけるのであつた。一月二十日に帰れと云つたので帰つたところ相手方は外泊して帰らなかつた。

一一、二月後は相手方より別れ話を持ち出して申立人に帰れ帰れと云い外泊、外食、夜遊びが一層激しくなり、二月十六日の則子の誕生日の祝の事を相談すると「おれの知つたことではない」と云つてはねつけその日も夜中に帰つた。

三月に入ると「お前が実家に帰らねばおれが下宿する」といふので子供のために考へ直しなさいと云ふと「おれは子供のために自分を犠牲には出来ない」と云つてはねつけ時子との交際を続け叔毋も「宗教さへなければお前等が別れることはたやすい」と云い寧ろ二人の離別を希望しているので申立人は子供さへなかつたら一層死んでしまい度いとさへ考へた、其後も毎日帰れ帰れと云いつづけるので、三月二十九日には荷物を用意していると叔毋が「森田を呼んで、何とかして貰ふからそれまでいてくれ」と云ふので待つていると相手方は夜会社から帰つて来るや否や「あれ程帰れと云つているのに未だ帰らないのか」と叱りつけその上足で蹴つたりふんだりして出て行けと云い追出すので仕方なく則子を連れて泣く泣く実家に帰つたのである。

一二、四月二日、三日の両日に○○○○町の叔毋と西の叔毋が二人申立人の実家に来て今一応深田家に帰るようとの切な相談があつたので申立人も今一度努力して新しい気持になつて家庭を楽しくしてゆこうと決心し、尚申立人の両人からも子供までおることだし、簡単に別れられるものでないと言ひ聞かせられ帰宅したのであつたが、相手方は家に帰るなり申立人に対し「お前は何のために帰つて来た今すぐ帰れ」と暴言を吐くのであつたが、申立人は我慢してそのまゝ家にいると「お前がこの家にいるばかりに俺は早く帰りたくない。何故何時迄も帰らないのか。こんなに嫌はれてよくも奴隷のようにしておられるもんだ」と云つて侮辱しつづけるのであつた。

一三、四月十一日夜帰宅し、明日実家に別れ話をつけに行こうと云い出したが、これ以上両親に心配かけ度くない、再び家のため子供のため努力するつもりで帰つて来たのであるから、再び別れ話に行くのも嫌だと云つて拒否すると、相手方はいきなり足で蹴る、たたく、手拳で殴りつけ出て行けと狂ひ廻るので、殺されるのではないかと心配した。その時左眼に皮下溢血し紫色に腫れ上り鼻からは出血したのであつた。

一四、四月十二日眼の治療に行き、○○○○町の叔父方に立寄つて事情を話し家に帰ると、相方は森田と飮酒しながら出て行けといふので、則子をつれて家を出た。余りの相手方の仕打に思ひ余つて○町の橋の上から飛び込んで死のうと決心したが、夜も更け無心に眼つている則子の顏を見て思ひ止まり、再び実家に帰つたのであつた。

一五、其後主として、叔父の西が仲に入つて復縁の話も出たが、相手方は時子とハイキングに出懸けて復縁の意思など更になく、又慰藉料を出そうともせず、西の叔父も自分達の手におえないから裁判するより外ないと申出た。申立人に於ても相手方とこれ以上夫婦生活を継続して行く意思もなく、子供の則子だけは引取つてそのまゝ養育してゆく決心であり、相手方は銀行預金郵便貯金、会社の共済組合積立金、貸金等百五十万円と、外に課税評価格十七万五千円相当の家屋を所有しており、これに亡父深田秀彦の遺産である不動産を合算すれば、少くとも七百万円以上の財産を所有しているので、申立の趣旨記載の御調停を求め度く本申立に及んだ次第であります。

一六、ところが、相手方は夫婦生活中申立人に月給さへ渡さず、千円とか五百円、百円とかの小使銭を支給して家庭生活をきりつめ貯蓄を為す理財家で、本件申立を予期して預金名義を変更し、自己所有名義の不動産は之を他に売買したように装い、申立人に対する慰藉料、其他の支払を免れんと企図していますので、調停前の処置として、保全処分を為して頂くよう御願ひ致します。

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