長崎家庭裁判所 昭和40年(家イ)70号 審判 1965年4月24日
申立人 月形エミ子(仮名)
相手方 月形和男(仮名)
主文
申立人と相手方とを離婚する。
申立人と相手方間の長男修(昭和三五年一〇月三〇日生)の親権者を申立人と定める。
理由
申立人は主文同旨の調停を求め、その申立理由の要旨は「申立人は昭和三三年六月相手方と挙式同棲し、昭和三五年一一月一二日婚姻の届出を了した夫婦であるが、これより先の同年一〇月三〇日両者の間に長男修が出生した。しかるに相手方はその後一向に申立人らを顧みないので、申立人らは相手方と別居し、申立人の父のもとでその援助を受けて辛うじて糊口をしのいで来たが、相手方は昭和三八年七月頃から佐世保市内等で情婦と同棲し、申立人のもとに復帰しないので、やむなく、相手方との離婚を決意し、本申立に及んだ次第である。なお、長男修の親権者には申立人を指定されたい。」というのである。
大分および佐賀各家庭裁判所調査官の調査の結果によれば、申立人は昭和三三年六月頃当時申立人が働いていた福岡市内のキャバレーで相手方と知り合つて同棲し、昭和三五年一〇月三〇日相手方との間の子修を儲け、次いで、同年一一月一二日相手方との婚姻の届出を了したこと、相手方は当時興業師として働いていたが、間もなく失職し、その後は各地を転々として定職なく、また申立人や子供のことを顧みないので、申立人は昭和三六年一〇月頃から相手方と別居して、別府市内に住む申立人の父三男のもとで、同人の援助を得て辛うじて生計を維持して来たが、相手方は昭和三八年七月頃より他に情婦をつくつて佐世保市内等で同女と同棲し、今もつて申立人のもとに復帰しないでいることがそれぞれ認められる。
相手方は本件調停期日に出頭しないので、調停は不調に終つたが、佐賀家庭裁判所調査官の調査の結果によれば、相手方は申立人の離婚の申立には応ずるけれども、長男修の親権者には相手方を指定して貰いたい意向であることが認められる。
よつて、当裁判所は調停委員の意見を聴き、当事者双方のため衡平に考慮し、一切の事情を観て、申立人と相手方とを離婚し、長男修の親権者を申立人と定めるのが相当であると考えるので、家事審判法第二四条により(同法条による審判も裁判であるから、離婚の審判をするときは、家庭裁判所は、民法第八一九条第二項に基づき、必ず同時に親権者の指定をなすべきものと解する。)、主文のとおり審判する。
(家事審判官 鍬守正一)