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長崎簡易裁判所 平成20年(ろ)53号 判決 2008年12月24日

主文

被告人は無罪。

理由

第1公訴事実及び争点

1  本件公訴事実は,「被告人は,平成19年2月27日午前4時50分ころ,長崎市a町b番c号付近路上において,A(当時40年)に対し,同人の胸倉をつかんで路上に押し倒す暴行を加え,よって,同人に加療約2週間を要する胸部打撲の傷害を負わせたものである。」というものである。

2  争点

弁護人及び被告人の主張は次のとおりである。第1に,本件公訴事実のうち「暴行を加え」という部分を除くその余の事実は起訴状記載のとおり間違いないが,被告人がAの胸倉をつかんで路上に押し倒した行為(以下,「押し倒し行為」という。)と同人に生じた起訴状記載の傷害(以下,「本件傷害」という。)の間に因果関係がない。従って,押し倒し行為と本件傷害との間の因果関係が立証されない以上,暴行罪又は傷害罪の構成要件に該当しないから起訴状記載の公訴事実について,被告人は無罪である。第2に,仮に,暴行罪又は傷害罪の構成要件に該当するとしても,押し倒し行為は正当防衛にあたり違法性が阻却されるから,被告人は無罪である。

3  押し倒し行為に関する検察官・弁護人の主張

押し倒し行為に関し,検察官が冒頭陳述及び検察官の意見で主張した具体的行為態様は,被告人は,Aの襟首をつかんで同人を押し倒し,被告人がAの上に覆い被さるように乗って,被告人の肘がAの肋骨,胸骨に当たったというものである。

これに対して,弁護人及び被告人の主張は,被告人は,Aとほぼ同時にお互いの胸倉をつかみ合い,被告人はAの両襟付近をつかんで,いったん自分の方に引いて,次に突き放して押し倒し行為をした結果,Aは背中を壁に打ちつけ尻餅をつくような形で後ろに倒れた,というものである。

4  本件公訴事実に関する各証拠の関係

本件公訴事実の存否に関し,検察官請求に係る証拠は,証人Aの当公判廷における供述(以下,「A供述」という。),証人Bの当公判廷における供述(以下,「B供述」という。),証人Cの当公判廷における供述(以下,「C供述」という。)であり,弁護人請求に係る証拠は,被告人の当公判廷における供述(以下,「被告人供述」という。),証人Dの当公判廷における供述(以下,「D供述」という。)である。検察官主張に係る行為態様の押し倒し行為に関して中心となる証拠は被害者であるA供述であるから,その信用性を他の証人の供述及び被告人供述と対比して検討する。

第2各証拠の検討

以下の記述中,甲・乙・弁の別及びアラビア数字は,本件記録中の証拠等関係カード(検察官請求分,弁護人請求分)記載の甲・乙・弁の別及び証拠番号である。

1  A供述の内容とその信用性について

(1)  A供述の要旨は次のとおりである。平成19年2月27日,Eが飲食店Fに入ってきたので,知り合いである同人に挨拶をしたが,からかったということはない。その後,興奮した様子の被告人が,手招きしながら怒鳴るような感じで「出てこい。」と言ったが,心当たりはなく最初は自分が呼ばれているとは思わなかった。被告人が自分に対して言ってるようだと気づいて,冬の寒い日にドアを開けたままにしていると他の客に迷惑がかかると思って,C,B,自分と座っている順にFの外に出た。被告人と自分たちの他に人は出ていなかった。玄関口でいきなり被告人に襟元ないし胸倉をつかまれて後ろに押し倒されて背中と後頭部を強打し,この時,被告人は自分の襟元を持った状態で自分の上に覆い被さり,被告人の肘が胸に当たった。その他に被告人から暴力を受けた記憶はなく,質問されたような相撲で言う上手投げのような投げ方をされ,路上に転がったことがあるかははっきりしない。その後,後ろの方から女性の声がした。被告人は,その後Bとやり合っていて,Bは被告人を蹴っていたと思うが,どこを蹴っていたかはわからない。自分はBの少し後ろの横にいた。蹴られているときは被告人は手で顔を覆うような感じでいた。うずくまるか寝転がるかしていた。事件の翌々日になっても胸の痛みが治まらなかったので,病院に行ったら胸部打撲と診断された。

(2)  Aは,捜査段階から同人が自己の裁判を受けるに至るまで,一貫して,被告人から外に出るよう言われ,同人から先制攻撃の形で押し倒し行為をされた,被告人に対し足蹴にする暴行には関与はしていないと述べている。この点,C供述では,被告人の攻撃が先行していたことを裏付けるかのような部分がある。しかし,Cは,Aが出たあとBと被告人が文句を言い合っていたと述べており,被告人に「出てこい。」と言われて,Aより先に出たはずなのだから,上述したようにFから出てすぐにAが先制攻撃を受けたことと一致しない。C自身も認めているとおり,かなり酔っていて記憶が飛んでいると述べていること,一連の推移の核心的な部分になると曖昧な供述になること,質問に対してやや迎合的であることから,C供述は,被告人の先制攻撃を裏付ける証拠とは言えない(C供述の要旨は下記3に記載したとおりである。)。

2  B供述の内容とその信用性について

(1)  B供述の要旨は,平成19年2月27日,F付近の路上において,Aとともに,被告人に対し,暴力をふるって被告人にけがを負わせ,この機会に,被告人が,Aを相撲で言う上手投げのような感じで投げたというものである。これを詳細に記述すると次のとおりである。

同日,A,CとともにFで飲食していた。具合が悪かったので,Fの外にあるトイレから戻って来ると,興奮している様子の被告人がFの外からAに向かって,「こら,出てこい。」と怒鳴っていた。被告人がAに向かって因縁を付けていると思ったので,信頼する親しい先輩であるAに向かって因縁を付けるのは許せない,被告人に手を出させないようにしなければならないと思った。Aが出てくる前からFの外にいた自分が被告人の前に立ったが,被告人が自分を通り越して後ろを見ていたので,Aが後ろにいると思った。自分が両手で被告人を押したところ,被告人はガードレールに引っかかって歩道側から車道側に倒れた。倒れていた被告人をAとともに複数回蹴りつけた。AがDを殴るところ,被告人がAの胸倉をつかんで押し倒すところはいずれも見ていない。被告人が相撲で言う上手投げのような感じで投げ,Aの体が転がるのを見たが,被告人がAを投げたあとその上に乗るところは見ていない。

(2)  Bは,既にAとともに被告人に対し暴行を加えて傷害を負わせたことについて罰金刑を受けていること,Aを信頼できる友人,先輩と述べていること,ややAに関して控えめではあるにせよ,一緒になって被告人を蹴っていたことはAにとって不利益な供述であることには変わりないことからすると,Bが虚偽供述をすることは考えにくい。B供述は,A供述と相反して,そもそもBがAよりも先に被告人と対峙したことを述べている。そうすると,A供述のうち,一方的に被告人から先制攻撃を加えられたもので,Aの方から被告人に対して暴行を加えていない,という部分は信用できず,むしろ,Bが被告人と対峙して,Bの被告人に対して足蹴にする暴行にAが加わったことになる。なお,被告人がAを相撲で言う上手投げのような感じで投げたという部分は,甲6及び弁3と合わせて検討すると,その時期,態様及び事実の存否に関するB供述は曖昧で証拠とするに足りない。

3  C供述の内容とその信用性について

C供述の要旨は,被告人が「表に出ろ。」と言っていたこと,外に出ると,被告人とBが向かい合っていて,Bの後ろに自分がいて,その少し後ろにAがいたと思うこと,被告人はBが眼中にない様子でAをねらっていると思ったこと,被告人が,Aを相撲で言う上手投げに近い感じで投げ,Aが自分の方に転がってきたこと,AとBが被告人を蹴っているように見えたこと,Aが被告人以外に暴力をふるうのは見ていないこと,被告人がAを押し倒したのかということについては覚えていないこと,被告人がAの上に乗ったのは覚えていないことである。しかし,1(2)で述べたとおり,証拠としての価値はごく小さい。

4  D供述の内容とその信用性について

(1)  D供述の要旨は,平成19年2月27日午前5時ころ,F付近の路上において,Aから暴力をふるわれたというものである。これを詳細に記述すると次のとおりである。

被告人,E,妹のGとF内に入ると,A,Bら3人がいた。Aらが被告人と言い合いになった。そして,Fの入り口付近で被告人が怒った顔で,Aらに対し「表に出ろ。」と言った後,これは喧嘩になるかなと思い,精算してFを出ると,AとBが道路に倒れている被告人を一方的に蹴っていた。被告人は仰向けの状態になっていて,手で顔を防御している状態であった。被告人を蹴っている二人を止めに行ったが,両方引っ張るのは無理で,Aの服をつかんで引っ張って止めたが,Bの方は蹴るのをやめたかどうか分らない。Aは,被告人を蹴るのをやめて自分に向かって拳で私の眉間を殴った。女性なので多分力を抜いていたと思う。倒れはしなかったが,首が動くくらいの強さでとても痛かった。その後,警察が来たのだが,自分が叩かれた後のことについては,殴り合いとかあったかは見ていない。被告人とAが向き合ってつかみ合っているように見えたが,それ以上は見ていない。

(2)  D供述自体は,Aの被告人に対する暴行に関するもので,被告人のした押し倒し行為自体に触れる供述は含まれてない。しかし,Aの被告人に対する暴行の有力な証拠であるから,その限りではA供述の信用性に影響を及ぼすので,以下検討する。Dの供述内容には不自然あるいは不合理な点がないこと,争闘現場のごく近くにいたという目撃条件にも恵まれていること,経験した事実以外には供述していないことが認められる。被告人の同行者であることから,同人に有利な証言をしている可能性を否定できないが,女性なので多少の手加減はしていたと思うなどと一方的ではない供述が見受けられること,また供述内容は被告人よりではあるが,けんかになることを予想するほど険悪な雰囲気を感じたことを供述して一連の出来事が被告人の挑発に起因する印象を与える供述もしていることからすると,D供述の信用性は高い。そうすると,Aが一方的に被告人から先制攻撃を加えられただけで,Aの方から被告人に対して暴行を加えていない,という部分は信用できず,むしろAがBと一緒になって被告人に対して足蹴にする暴行を加えたことを証明することになる。

5  被告人供述の内容とその信用性について

(1)  被告人供述の要旨は,平成19年2月27日,F付近の路上において,被告人はAとBから,DはAから,それぞれ暴力をふるわれたが,被告人は,Aの暴力からどちらかというとDを防衛するために,Aに対し,押し倒し行為をしたというものである。これを詳細に記述すると次のとおりである。

D,G,EとFに入ると,A,C,BがF内にいた。AがEに対してばかにしたような感じで話しかけていることに立腹して,大声で「表に出ろ。」と言った。被告人がFの外に出ると,最初にBが出てきて,これに続いてAが出てきたと思う。被告人は,Bを無視してその後ろにいるAの方に目を向けていたが,Bがラグビーのタックルのような感じで,腰のあたりにしがみついて押したので,被告人は欄干に引っかかって車道上に倒れ,背中と後頭部を打った。その後はサッカーボールを蹴るように12,3回頭部を蹴られた。最初は直接顔を蹴られたがその後は左手で顔をかばった。連続的な蹴り方であったから複数人から蹴られていると感じたこと,Fの外に出てきたのはBとAであったこと,周りには人がいなかったことから,蹴っているのはその二人だと思った。その結果,左手と顔に負傷した。その後,蹴りが止んだので立ち上がろうとしたところ,AがDの眉間をボクシングのストレートのような感じで,Dの頭が後ろにのけぞるくらいの強さで殴ったのが見えた。被告人は,女性に手を挙げるのは許せないと立腹して,AとDの間にAと向かい合う形で入り,被告人はAとほぼ同時にお互いの胸倉をつかみ合い,被告人はAの両襟付近をつかんで,いったん柔道で言うところの前に崩すやり方で引いて,次に突き放して押し倒し行為をした。その結果,Aは背中を壁に打ちつけ,尻餅をつくような形で後ろに倒れた。相撲の上手投げのような投げをしたという事実はない。

(2)  被告人の供述は,具体的かつ詳細で,特別不合理,不自然な点はないこと,一連の事実関係の核心は信用性が認められるD供述・B供述と符合していること,自己の経験しない事実には推測であることを明示していること,経験した事実であることを示す迫真性が認められることから信用できる。

6  以上,各供述の信用性を検討した結果によれば,上記1のA供述は信用できない。信用性があるB供述,D供述,被告人供述を総合すると,次の事実を認めることができる。即ち,被告人は,自分の連れであるEがAからからかわれたと感じて立腹し,Fの入り口付近でAに向かって手招きしながら「表に出ろ。」という趣旨の発言をしたところ,先にFの外に出ていたBがAに手を出させまいとして被告人と対峙した。その後,被告人は,Bから不意を突かれた形で押し倒されガードパイプを越えて車道に倒れた。AとBは倒れたままの被告人をいっしょになって複数回蹴りつけた。折からFの外に出てきたDが,被告人が二人がかりで蹴られているのを見て,二人を止めようとしてAを引っ張った。同人は被告人を蹴るのをやめたもののDの眉間付近を拳で一回殴りつけた。この状況を見た被告人は,女性に暴力をふるったAの行為に憤激するとともにDをかばって,AとDの間に自らの体を入れてAと対峙した。被告人は,Aとほぼ同時にお互いの胸倉をつかみ合い,被告人はAの両襟付近をつかんで,いったん引いて,これを突き放して押し倒し行為をした。その結果,Aは背中を壁に打ちつけ,尻餅をつくような形で後ろに倒れた。

なお,最後の押し倒し行為に関する部分には,当公判廷における被告人の供述が存在するから,補強証拠を要することなく認定することができる。

第3争点に対する判断

1  傷害罪又は暴行罪の成否について

Aには,証人Hの当公判廷における供述により,診断書記載の傷害が生じたことが認められる。ところで,検察官の冒頭陳述及び検察官の意見によれば,被告人,A及びBらの一連の争闘行為の間に検察官主張の押し倒し行為があって,この傷害との間に因果関係があると主張するもののようであるが,A供述における被告人の先制攻撃の存在が認められないし,BとAが被告人に対する複数回蹴りつけた攻撃の機会に,検察官の言う上手投げのような感じで被告人がAを投げた行為について時期及び態様を特定したとも立証したとも言えない。結局第2で検討した押し倒し行為を認定できるにとどまるが,この押し倒し行為の態様で,Aに本件傷害が生じるとは到底考えられず,押し倒し行為と本件傷害の因果関係は認められない。

なお,弁護人は,押し倒し行為と本件傷害の間に因果関係がないから,暴行罪又は傷害罪の構成要件に該当しないから起訴状記載の公訴事実について,被告人は無罪である,と主張する。しかし,暴行罪(刑法208条)の「暴行」とは,人の身体に対する有形力の行使であり,押し倒し行為は,その意味で「暴行」に該当し,暴行罪はその条文上の文理から(同条),人の身体に対する有形力の行使による傷害罪の未遂形態であるから,押し倒し行為は,暴行罪の限度で構成要件該当性がある。

上記弁護人の主張は,暴行罪と傷害罪とでは訴因の同一性がないから,訴因変更をしない以上,被告人は本件公訴事実につき無罪であるという主張を含むようである。この点について,訴因の機能が審判対象の画定及び不意打ち防止という被告人の防御権の保障にあるところ,訴因事実に既に含まれている事実であれば,同一性を欠いても,訴因によって画定された審判の対象を逸脱するものではなく,かつ,被告人に実質的な不利益はなく新たな防御の機会を与える必要もない。このように考えるとき,既遂罪から未遂罪に訴因が縮小される場合には訴因変更の必要はない。上述したとおり,人の身体に加えられた暴行に関し,傷害罪と暴行罪は後者が前者の未遂形態であるから,傷害罪が成立しない場合でも暴行罪の訴因を認めることができる場合には訴因変更を要しない。そうすると訴因変更を要することなく認定することができるので,刑事訴訟法336条所定の犯罪の証明がないときにはあたらない。

2  正当防衛の成否について

本件を含む一連の争闘は,被告人の言動に端を発したと言えなくはないが,両者の攻撃防御状況を比較すると,第2で認定したとおり,現実には被告人の方がAとBによる一方的で容赦ない苛烈な攻撃に遭ったものである。Aは,Dの干渉によりいったん被告人を蹴り続けることをやめたものの,被告人がDをかばう形でAと対峙するやその胸倉を直ちにつかんだこと,直前まで続いていた攻撃の苛烈さからすると,AのDに対する侵害は終わったとしても,被告人に対する蹴りに引き続いてAが被告人に攻撃を加え続ける蓋然性が認められる。そうすると,急迫不正の侵害が存在したものである。

被告人は,頭部に向けた二人がかりの複数回に及ぶ足蹴りを受けたこと,さらにAがDの顔面を殴打したことに立腹して,被告人の感情の中に憤激が含まれているとはいえ,意図的に自分につかみかかってきたAを突き放すにとどめたと述べていること,第2のとおり現実に突き放すにとどめたことがそれぞれ認められる。そうすると,被告人には主観客観両面において,防衛をする意思があったと評価することができる。

壁に背中を打ち付け尻餅をつく程度の傷害に至らない突き放しにとどめたことが認められるから,押し倒し行為は防衛の限度をこえるものとは言えない。

よって,正当防衛の要件を満たし,押し倒し行為は違法性が阻却される。

第4結論

以上によれば,本件公訴事実については,法律上犯罪の成立を妨げる事由の存在が認められ,罪とならないことになるから,刑事訴訟法336条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

(求刑,罰金15万円)

(裁判官 蕎麦谷正)

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