長野地方裁判所 事件番号不詳 決定
主文
本件抗告は、之を棄却する。
理由
抗告人は、飯田簡易裁判所が昭和二十四年二月十二日被告人石槫邦夫に対する暴力行爲等処罰に関する法律違反被告事件に付爲したる正式裁判の請求を棄却する旨の決定の取消を求め、其の理由として飯田簡易裁判所は、被告人石槫邦夫に対する暴力行爲等処罰に関する法律違反被告事件に付同年一月二十一日爲したる略式命令に対し被告人の弁護人たる抗告人より同命令所定の期間中なる同年二月二日に右裁判所に正式裁判の請求を爲したるところ、同裁判所は、之を受理し一且公判期日を同月十四日と指定し被告人召喚の手続迄爲したるに拘らず、同月十二日に至り「正式裁判の請求は被告人自ら之を爲すべく弁護人から之を爲すことを得べき規則存せざるを以て右請求は法律上の方式に違反した不適法なものと謂はねばならない、仍て刑事訴訟法第五百三十一條第一項前段に從い正式裁判の請求は之を棄却する」旨の決定並に公判期日の指定を取消す旨の命令を抗告人に送達したのである。
然しながら、右決定は、本件は昭和二十三年中に公訴の提起があつたので旧刑事訴訟法第五百二十八條第一項「略式命令を受けたる者は……正式裁判の請求を爲すことを得」との規定に從い略式命令を受けた其の者より之を爲すべきところ然らざる弁護人より爲したる正式裁判の請求は斯る規定がないから不適法であると謂うものゝ如く判例又之と同一趣旨に出づるも、
一、日本國憲法(以下憲法と略称)は日本國民の基本的人權を不可侵の永久の権利として之を保障し、且つ、この條規に反する法律命令規則判例は無効なる旨並にすべて裁判所はこの憲法及法律にのみ拘束される旨規定して居るから裁判所が法律を適用するに当りては、該法律が憲法に適合するか否かを判断し之が解釈に当りては憲法に適合するが如くし又判例に從うに当りては該判例が憲法に適合するか否かを叡智を以て判断し、苟もこの憲法の條規に反するものは総て排撃すべき義務あるを以て右判例は当然排撃せらるべきものである。
二、日本國民は憲法により裁判所に於て裁判を受ける権利を奪はれず、又すべて刑事々件に於ては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する、從つて裁判官は刑事々件に際し第一に被告人の公開裁判を受くる権利を尊重しなければならない。この事は日本國憲法の施行に伴う刑事訴訟法の應急的措置に関する法律(以下應急措置法と略称)第二條の規定に徴しても明瞭である。從て刑事訴訟法の運営に当りては右憲法は勿論前記應急措置法に適合するが如く爲すへきであつて同憲法制定前に行はれたる前記判例に盲從するは、右應急措置法第二條を遵守せざる違法なものである。
三、憲法第三十七條は刑事被告人は迅速なる裁判を受ける権利を有する旨規定し、應急措置法第二條は刑事訴訟法は日本國憲法制定の趣旨に適合するようにこれを解釈することを要求し、新刑事訴訟法第一條は、この法律は刑事々件につき公共の福祉と個人の基本的人権の保障とを全うしつゝ事案の眞相を明らかにし刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すべきことを目的とすると規定し、更に、刑事訴訟規則第一條は、憲法の所期する裁判と公正とを要求し、更に又同規則第二百九十條は、略式命令は遅くとも其の請求のあつた日から十四日以内にこれを発しなければならないと規定し居るを以て、昭和二十三年中に公訴提起のあつた本件略式命令も又迅速に換言すれば右の遅くとも其の請求のあつた日から、十四日以内に之を処理すべきものであるのに憲法及び法律に拘束せらるゝ裁判官が事件を放任し一個月も略式命令を出さゞりしは憲法違反である。
四、憲法により國民の刑事裁判に関する基本的人権が極度に保障せられ又新刑事訴訟法第四百六十七條第三百五十五條に於て弁護人に正式裁判の請求権を認めたのは、畢竟旧刑事訴訟法第五百二十八條の規定を嚴格に解釈することに依つて國民の基本的人権を侵害することを虞れた結果に外ならないから、仮令、旧刑事訴訟法に斯る規定がなくとも右判例は排撃せらるべきものである。
以上の理由により本件原決定は、憲法制定前の判例を金科玉條として無批判に從つたもので憲法第三十二條第三十七條第七十六條第三項後段第五十七條第九十八條及び應急措置法第二條に違反するものと請うべきを以て之が取消を求むる爲本抗告に及んだと謂うのである。
仍て按ずるに抗告人所論の中憲法が制定公布せられ國民の基本的人権を不可侵の永久の権利として保障し、且つ、この條規に反する法律命令等が無効であること、日本國民は、憲法により裁判所に於て裁判を受ける権利を奪はれず又すべて刑事々件に於ては被告人は公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有すること、憲法第三十七條は、刑事被告人は迅速な裁判を受ける権利を有する旨規定し、應急措置法第二條は、刑事訴訟法は憲法制定の趣旨に適合する樣に之を解釈することを要求し、又新刑事訴訟法第一條は、この法律は刑事々件に付公共の福祉と個人の基本的人権の保障とを全うしつゝ事案の眞相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現すべきことを目的とすると規定し、更に、刑事訴訟規則第一條は、憲法の所期する裁判の迅速と公正とを要求し、更に、同規則第二百九十條は、略式命令は遅くとも其の請求のあつた日から十四日以内に之を発しなければならないと規定しあること、新刑事訴訟法第四百六十七條第三百五十五條に於て、弁護人に正式裁判の請求権を認めたることは抗告人所論の通りである。然しながら右は唯憲法其の他の法規の規定又は其の趣旨を枚挙し、昇揚したるに止まり之を以て直に原判決を不当として取消す理由となし難きのみならず、之を根拠とする処の抗告人の前記各所論は後段に順次説示するが如く抗告人の誤解又は独断にして何等原決定の正当性を否定する法律上の理由とはなし難い。
次に、新刑事訴訟法は裁判の迅速処理を要求し又同規則も同樣迅速処理を要する旨並に略式命令は遅くとも其の請求のあつた日から十四日以内に之を発しなければならないと規定し居るを以て旧刑事訴訟法当時提訴に係る本件にもなお之を適用し右と同一期間内に之を爲すべきものである。然るに憲法及び法律に拘束せらるゝ裁判官が請求後一個月も之を放任せば憲法違反である旨の所論は之を認むべき何等の根拠なき許りか、却つて、新刑事訴訟法施行法第二條に、新刑事訴訟法施行前に公訴のあつた事件については同法施行後もなお旧刑事訴訟法等によると規定する一事に徴するも其の理由なきことは極めて明白である。
又新刑事訴訟法第四百六十七條第三百五十五條に於て弁護人に正式裁判の請求権を認めたから其の趣旨に則つて旧刑事訴訟法第五百二十八條の規定も又之に対する判例も度外視して弁護人の正式裁判の請求を認容すべきものだと言う抗告人の所論は抗告人に於て前記施行法第二條の規定を無視したるか又は抗告人の独断でしかあり得ないのみならず、新刑事訴訟法の右規定が略式命令送達後又は判決宣告後に選任せられたる弁護人に迄其の適用あるやは、なお多くの疑問の存するところである。それ許りか同施行法が憲法、應急措置法は勿論其の後の昭和二十三年七月十日法律第三十一号として成立した新刑事訴訟法より遅るゝこと約半歳の同年十二月十八日法律第二百四十九号として成立した事実に徴するも右所論は勿論抗告人の其の余の所論が孰れも理由なきことは敢て多言を要せざるところである。何んとなれば、新刑事訴訟法施行前の公訴に係る事件は同法施行後もなお旧刑事訴訟法を適用することが抗告人所論の如く憲法其の他の法規に違反し憲法によつて保障せられた基本的人権が侵害せらるゝものとせば前記の如く各法規の制定後相当の歳月を経て制定せられたる刑事訴訟法施行法に於て斯る規定を設くる事が如何に難事であるかは國民の基本的人権を飽迄も保障せんとする憲法下に於ては火を睹るより明かである。然るにも拘らず斯る規定を見るに至りたるは は唯手続上の問題にして斯て基本的人権を侵害する虞なきことは勿論斯る根本的問題を論義する迄もなかりしに基因するものと思料せらる。尤も右刑事訴訟法施行法が、憲法其の他の法規に違反するものとせば右帰結は又自ら相違を來すことなきを保し難きも同法が憲法其の他の法規に違反するものなることは抗告人所論の中にも之を発見する事は出來ない許りか、当裁判所に於て職権により之を調査するも未だ憲法其の他の法規に違反するものとは認め得ない。而して新刑事訴訟法施行前換言すれば昭和廿三年中公訴に係る事件に対しては同法施行後もなお旧刑事訴訟法を適用すべきことは前記刑事訴訟法施行法第二條に規定し、正式裁判の請求は略式命令を受けたものが之を爲すべきことは旧刑事訴訟法第五百二十八條に規定するところである。然れば昭和二十三年中に公訴あり之に基く略式命令を受けたる被告人にして若し之に不服あるときは自ら正式裁判の請求を爲すべきものであるに拘らず、其の後に至りて弁護人を選任し同弁護人によつて爲されたる本件正式裁判の請求は明に法律上の方式に違反した不適法のものとして棄却を免れざるものである。從て之と同趣旨に出でたる原決定は相当にして本件抗告は理由なしと謂うべきを以て旧刑事訴訟法第四百六十六條に則り之を棄却すべきものである。
仍て主文の如く決定する。(昭和二十四年三月十二日長野地方裁判所刑事部決定)