長野地方裁判所 平成11年(ワ)168号 判決 2004年3月26日
主文
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は,原告らの負担とする。
事実及び理由
第1請求
1 被告は,原告Aに対し3439万2582円及びこれに対する平成5年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を,原告B,同C,同Dに対し,各1146万4194円ずつ及び各金員に対する平成5年9月6日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 仮執行宣言
第2事案の概要
1 本件事案の要旨及び争点
亡Eは,被告の経営する昭和伊南総合病院(以下「被告病院」という。)において,EST((経口的)内視鏡(下)乳頭切開術。乳頭括約筋の一部切開を経て総胆管にバスケットカテーテルを挿入し,回収可能な胆石はこれにより回収し,自然排泄可能なものは消化管を経由した自然排泄に委ねるという手術である。)による総胆管結石除去手術を受けた後,膵炎を発症し,MRSAを発症し最終的に敗血症を経て死亡した。本件は,亡Eの相続人である原告らが,①被告病院の医師に手術ミスがあったために,亡Eが術後急性膵炎を発症した,②被告病院の医師は,EST手術後の亡Eの経過治療に関し必要な注意義務を怠ったため,急性膵炎に対し適切な対処ができず壊死性膵炎へ進展させた,③被告病院の医師らがMRSAの感染防止義務を怠ったために亡EがMRSAに感染し,その結果敗血症を経て死亡した,④被告病院の医師らは亡Eに対する説明義務を尽くさなかったと主張して,診療契約の債務不履行若しくは不法行為に基づき,損害賠償請求をする事案である。
これに対し,被告は,いずれもこれを争う。
したがって,本件の争点は,①EST手術において被告病院の医師に手術ミスがあったか否か,②EST手術後の経過治療において被告病院の医師に注意義務違反があったか否か,③被告病院の医師らにMRSAの感染防止義務違反があったか否か,MRSA感染と亡Eの死亡との因果関係の有無,④被告病院の医師らに説明義務違反があったか否かである。
2 前提事実(証拠を掲記した事実以外は当事者間に争いがないか,弁論の全趣旨により認定できる事実である)
(1) 当事者等
ア 亡Eは,平成5年9月5日,死亡した(以下,特に記載しない限り,年数は全て平成5年を指す。)。
イ 原告Aは,亡Eの妻である。原告B,同C,同Dは,亡Eの子である。
ウ 被告は,地方自治法に基づく行政組合であり,規約の下に,長野県駒ヶ根市・・・・・・番地に,被告病院を設立し,経営している。
(2) 亡Eの診療経過
ア 手術に至る経緯
(ア) 2月12日,亡Eは,腹痛を訴え,被告病院の外科を受診した。
(イ) 同月22日,被告病院の内科医師F(以下「F医師」という。)は,亡Eに対し,ERCP(内視鏡的逆行性 膵胆管造影法)を実施し,総胆管内の結石2個及び胆嚢内ポリープの存在を確認した。
(ウ) 亡Eの総胆管結石除去方法として,ESTを選択することの適応は存在した。
(エ) 同月25日,亡Eは,被告病院の外科を外来で受診し,F医師が診察した。このとき,同年3月1日の入院,翌2日に結石除去術を実施することが決定された。
(オ) 3月1日午前中,亡Eは,被告病院に入院した。
イ 手術前の説明内容
被告病院の医師らは,亡Eに対し,ESTによる手術前に,総胆管結石を放置することの危険性を説明した(その余の説明の有無及び内容については,当事者間に争いがある。)。
ウ 手術の実施及びその後の経緯
(ア) 3月2日午後3時過ぎから,F医師は,亡Eに対し,ESTによる総胆管結石除去術を行い,総胆管内の結石を3個除去した。
(イ) 同日午後4時,亡Eは病室に帰った。
(ウ) 同月4日午後1時45分,亡Eは外科担当の救急センター(ICU)に転入した。このとき,亡Eは重症膵炎と診断されていた。
(エ) 同月5日,亡Eに対する腹腔内持続洗浄が開始された。
(オ) 同月14日,亡Eは一般病棟に転出した。
(カ) 同月26日,亡Eに対する,胆嚢・胃からのドレナージ手術が行われた。
(キ) 5月12日,亡Eに挿入されたドレーン先端部から,MRSAが検出されたことが確認された。
(ク) 9月5日,亡Eは死亡した。
(3) 亡Eの死亡原因
亡Eは,ESTによる総胆管結石の除去術を受けた後,壊死性膵炎を発症させ,腹腔内感染を合併し,敗血症を経て死亡した。
(4) 急性膵炎について
ア 急性膵炎が発症すると,血管透過性の亢進によって血液の液体成分が血管外へ漏出し,循環血液量の減少,組織における微小循環障害,これによる膵臓を含めた全身組織の酸素欠乏が生じる。
イ 輸液不足によって血液濃縮が著明となった場合には,血液粘度の増加による循環障害の機序も加わり,組織における微小循環障害は一層高度となる。このため,急性膵炎の初期治療に当たっては,循環血液量確保,組織微小循環保持のため,十分な水分電解質管理をする必要がある。
ウ 膵炎の初期治療の具体的手段としては,電解質液投与(輸液)と,水分バランスの指標としての尿量の確実な測定が挙げられる。
3 争点に関する当事者の主張
(1) 原告ら
ア 膵炎発症回避義務違反
亡EはEST手術前は何らの苦痛がなかったのに,手術直後から激しい腹痛になったのであるから,EST手術により,壊死性膵炎に陥ったものである。膵炎は,①乳頭に過剰な刺激を与えたとき,②胆汁を膵管内に挿入してしまったとき,③残置してしまった結石が膵管の中にはまりこんでしまったとき,④手術の際の造影剤を過剰に膵管に注入してしまったとき,のいずれかの場合に発症するから,いずれの場合でも被告の手術ミスである。
イ 経過治療に関する注意義務違反
(ア) 経過治療に関する注意義務の内容
EST手術後に膵炎を発症する例は,客観的には予見されていたこと,亡Eには,EST手術後間もなく激痛があったこと,アミラーゼ値の上昇があったことから,被告は直ちに急性膵炎を疑うことができた。
急性膵炎は,血液の液体成分を血管外へ漏出させ,循環血液量の減少,輸液不足により組織における微小循環障害が生じる。膵臓における循環障害により壊死性膵炎へと進展する。循環障害は脱水状態による血液濃縮状態から生じるから,脱水の指標となる尿量の確実な測定を行うべきであった。
また,脱水症状となった場合は,大量の電解質液投与(輸液)を行うべきであった。
さらに,早期から,ミラクリッド,ニコリン等の酵素阻害剤を投与すべきであった。
(イ) 亡Eについての経過治療義務違反
看護記録によると,3月2日午後10時に尿量300と記載があるが,3月3日未明の約6時間を,時刻も量も記載せずに「尿4回」としか記載してないこと,翌3日は,午後2時から午後8時まで記載がなく,午後8時に「昼頃最終の自尿」と記載しているのみであることから明らかなように,被告は尿量の確実な測定を怠った。
また,同日の血液検査でヘマトクリット値が55.9に上昇し,カルテに「濃縮有り」と記載しているのであるから,脱水の警戒をすべきであった上,同日昼ころに最終の自尿があり,日中,点滴を行っているにもかかわらず排尿がなかったのであるから,これが明らかになっていた同日午後8時には,遅くとも,血中の水分が滲出して循環していないという脱水症状を確実に診断できたにもかかわらず,これをしなかった。
3月3日夜から,カテーテルを挿入し水分出納把握が完全にできるようになったが(乙3の3p207),何ら有効な処置をしていない。
被告は,亡Eに対して,輸液量増量をすべきであり,3月4日の日量は5000ミリリットルを超えているから,前日である同月3日も5000ミリリットル程度は必要であったのに,少量の輸液追加と不適切な利尿薬投与をした結果,被告は亡Eへの輸液量の絶対量を不足させ亡Eはかえって脱水症状になった。また,早期からミラクリッド,ニコリン等の酵素阻害剤の投与をすべきであったのにこれを怠った。さらに,脱水症状にあるものに対する処置としては明白な誤りであるラシックス投与を命じた。
CT検査,血液ガス分析,カルシウム値等の重症度判断(乙11)が3月3日の段階になされていれば,重症度,重症傾向をいち早く検討でき,なすべき有効な治療が選択できたのに,まったく実施されなかった。
ウ MRSA感染防止義務違反について
亡Eは,被告がMRSA感染予防の対策を取らなかったために,MRSAに感染した。亡Eは,MRSAに感染したために,敗血症を経て,死に至ったか,又は,死期が著しく早まった。
(ア) 感染予防義務の不履行
亡Eの二室隣には,MRSAに罹患した患者が入室していたから,被告は,同患者あるいは同患者の治療に関与した医師,看護婦から亡Eへの感染を予見できた。
医療器具先からMRSAが確定されている事実及び以下に主張する予防処置の不履行の事実からすると,亡Eが罹患したMRSAは外因性と断定すべきである。なお,仮に亡Eの皮膚等に菌が存在したとしても,これが損傷部位に及ばないように処置すべき義務を負う。
MRSAは,発症者からのみならず,医師,看護婦,見舞い者,家族等の保有者から感染する可能性があり,体力の減弱している亡Eは,感染しやすい患者であり,かつ,点滴栄養その他により連日にわたって医療器具の出し入れを繰り返す傷口があったのであるから,被告には感染防止に最高度の配慮をした予防の処置を履行する義務があった。
具体的に,亡EについてMRSA感染を防止するためには,医師・看護婦等が頻回に手指の消毒をすること,処置をするときにあたって医療スタッフがマスクを着用すること,腹部の創口と挿入管の管理,点滴回路の管理,尿路回路の管理等,創部周辺皮膚の綿密な消毒・医療器具の滅菌消毒,無菌遮蔽を守ること,関係者教育を徹底することが必要である。
しかし,被告病院の医師は,亡Eを回診する際,他の部屋での回診から白衣を着替え,マスクを着用し,室内で手洗いをすべきであったのにこれをしなかった。また,腹腔洗浄に用いる腹部に挿入された管を引き出して再挿入する際,洗浄を十分にしないで押し込む医師もいた。看護婦も手袋をせず,消毒の指示もされなかった。医療器具の室内への搬入出は,ワゴンで運ばれ,特段の遮蔽もされていなかった。家族に対して,消毒方法の指導をしなかった。履き物,服装の制限もされなかった。
上記のとおり,被告はMRSA感染予防のための義務を怠った。
被告病院が病室ドア前に消毒設備を設置したのは,MRSA罹患を亡Eの家族に告げた後になってからである。
(イ) 因果関係
一定の予防措置をとらないと,MRSAに罹患しやすいこと,亡EがMRSAに罹患したこと,被告は,上記予防措置をとらなかったことを考慮すると,亡Eは,被告が予防措置をとらなかったからMRSAに罹患したものというべきである。
エ 説明義務違反について
(ア) 説明義務の内容について
被告病院は死亡の危険性を伴うものであることを患者に説明すべき義務を負う。手術前の段階で,開腹手術とESTの二つの選択肢があったから,被告は,手術の方法と不利益,特に,いったん発症してしまうと治療が出来なくなるといった重篤な経過の可能性もあることを指摘,説明しなければならない。
(イ) 説明義務の不履行について
被告病院の外科医師G(以下「G医師」という。)は,亡Eに対し,「胆管に結石があると膵臓に入って死に至ることもある,そちらを先に取らなければいけない。内視鏡で手術をすると一週間で退院できる。お腹を切る必要はない。胆嚢の方は後でいい。」と説明し,内視鏡手術によって重症膵炎に陥り,死に至る場合がある旨及び重症膵炎について有効な治療方法が未確立で致死率が高いことの説明は全くしなかったから,被告病院は,総胆管結石除去の手術方法の選択肢とESTの危険性について十分な説明をしなかった。
また,G医師は,ESTをしないとき,胆管結石の予後がどうなるのか,すなわち,胆管結石が膵臓にはまり込む危険性の確率,臨床例,はまり込んだ場合の対処療法の有無及び内容について具体的な説明をしていない。
さらに,胆管結石除去の手段として,EST以外の外科治療,内科治療については全く説明していない。
F医師も重症の致死的膵炎の発症について,他の外科手術の選択肢については全く説明していない。
(ウ) 説明義務の不履行と結果との因果関係
亡Eは,上記説明義務に従った説明を受けていれば,ESTを選択せず,外科手術を選択した。
オ 損害
亡Eが被告病院の医師らによる上記過失によって被った損害は,以下のとおりであり,その合計額は6878万5165円である。
(ア) 逸失利益 3875万9810円
亡Eは,左官を業とする会社の代表取締役であり,死亡前の平成4年度の年間給与所得は999万5000円であった。亡Eの年齢は,死亡当時65歳11月であった。8年間は就労並びに経営が可能であったと推定できるから,生活費控除を4割として,8年間のライプニッツ係数(6.4632)により中間利息を控除すると,999万5000円×6.4632×(1-0.4)=3875万9810円となる。
(イ) 慰謝料 2200万0000円
(ウ) 治療費 129万4208円
(エ) 付添看護費 169万0455円
(オ) 入院雑費 4万0692円
(カ) 弁護士費用 500万0000円
(2) 被告
ア 膵炎発症回避義務違反の主張に対する反論
(ア) 急性膵炎の原因として最も頻度が高いのは総胆管結石であるから,腹痛の発症とESTの時間的前後関係から壊死性膵炎発症の原因をEST手術と認めることは出来ない。亡Eに存在していた総胆管結石自体が膵炎発症の原因となっている可能性もある。ESTは総胆管結石除去に必要な治療であり,細心の注意を払って実施されているから,急性膵炎の発症は不可抗力による合併症である。原告らの挙げる①ないし④の事情は,膵炎発症の可能性の一部を指摘するものに止まるのであるから,被告の過失を基礎付けるものではない。
(イ) 本件では,手術実施の過程で特段に手技上の困難はなく,胆管内に選択的にかつ容易にカニューレーションがされており,手術時間も通常と同程度であり,乳頭に過剰な刺激を与えた事実はない。また,結石は全て除去しており,残してしまった結石が膵管の中にはまりこんでしまった可能性は全くない。膵管造影はERCPの過程での位置・状態の確認のために最低限なされるものに過ぎない上,造影剤の注入はレントゲン透視下で慎重に行っており,過剰な造影剤注入の場合に見られる腺房造影にはなっておらず,また二次膵管も造影されているわけでもないから,造影剤を過剰に注入した事実はない。さらに,患者ごとの膵管,胆管の構造等により,ある程度の胆汁の膵管内への侵入が避けられない場合もあり,また,膵管内への侵入があっても膵炎を発症しない場合もあるところ,本件で胆汁を膵管内に挿入してしまったから膵炎が発症したとは考えられない。
イ 経過治療に関する注意義務違反の主張に対する反論
(ア) 経過治療に関する注意義務の内容について
臨床時の判断は,基礎バイタル数値や排尿状況等の患者の状態,各種検査結果や既に行われている治療等との総合判断によるもので,単に大量の輸液を実施すれば足りるものではない。
(イ) 注意義務違反がないことについて
本件で被告病院の医師らが実施した治療内容は,急性膵炎発症の場合の原則とされる内科的保存治療として一般的な内容とされる各治療法に沿ったものである。
被告は,手術実施時から点滴の投与を開始し,手術終了後も急性膵炎の発症予防目的で,補液の継続と,抗生物質の投与,FOYの予防的投与を実施した。
EST手術後に実施した血液検査の結果,アミラーゼ値の上昇を認めたため,午後6時45分ころにはF医師が亡Eを急性膵炎と診断している。
F医師は,急性膵炎と診断した際,亡Eの基礎バイタルの測定,慎重な経過観察,膵臓自己消化阻止目的でのFOYの追加とラクテック輸液の追加の指示を出している(乙2p5,3の2p5・p6)。
膵酵素阻害剤のFOYは,膵炎発症前から投与を開始しており,FOYの通常使用量は1日200ないし600ミリグラムであるところ,3月2日は合計1600ミリグラム,3月3日は合計1200ミリグラムを投与している。膵酵素阻害剤の投与が膵炎発症及び重症化阻止にどれほど決定的かは不明な部分が多く,ミラクリッド,ニコリンをより早期に投与したとしても急性膵炎の重症化を防げるとはいえない。したがって,酵素阻害剤の使用に不十分な点はない。
3月2日の午後10時05分ころ診察した時点において,排尿の確認と腹痛の軽減を確認していたため,点滴の継続による経過観察としていたものである。また,3月3日の日中は状態が安定しており,午後8時の段階で疼痛が強くなってきたことと自尿がないとの訴えがあったことからバルーンカテーテル挿入により排尿状態を確認し,その後,同日深夜から翌朝にかけて輸液の追加と利尿剤投与による腎機能の確認をしながら経過観察した(乙2p5,3の2p7ないしp9)。
上記のとおり,早期に急性膵炎と診断し,尿量へ関心を払い,状況に応じて適切に輸液量を指示しているし,その結果輸液の追加により排尿状況が改善されている。なお,一般的な医療水準としては,重症診断がつく前から,時間尿量の測定を開始することはない。
また,3月3日午後9時ころ及び3月4日午前0時30分ころに投与した利尿剤によっては,排尿自体が得られていないのであるから,利尿剤を投与することは不適切ではない。むしろ,急性膵炎の病態が極めて多彩であり,尿量の減少についても脱水のみならず,循環器障害,腎障害,血液凝固障害等を考えねばならず,大量輸液のみを施行した場合の肺水腫や心不全の発症等をも考慮しなければならないから,利尿剤の投与も考慮せざるを得ない。
したがって,被告に注意義務違反はない。
(ウ) 原告ら指摘の点に対する評価
亡Eの急性膵炎について,3月2日及び翌日の臨床症状において重症であると判定すべき徴候はいずれも認められていない。また,血液検査成績においても,尿素窒素(BUN),クレアチニン(Cr),LDH,血小板等の指標についても明らかな異常は認められていない。
確かに,3月3日早朝のヘマトクリットが前日より上昇していることは否定できないが,上記のとおりそれ以外に明らかな循環不全を起こすようなショックは経過中一度も起こしておらず,3月3日早朝時の尿素窒素,クレアチニンは上昇していないこと,3月3日の準夜帯からの明らかな尿量の減少に対しては,時間尿量を測定しつつ輸液の増量,それに対する尿量その他の反応を経過治療していることから,ヘマトクリットの値のみから,高度の循環不全が膵臓局所の循環不全を引き起こし膵炎を重症化させたとする原告らの主張は理由がない。
3月4日午前6時から午後1時30分までの尿量は313ミリリットルであり,1時間当たり41.7ミリリットルであるから,期待される尿量である1時間当たり50ミリリットルには及ばないものの,最低量は確保されている。
また,被告は利尿剤を単独で投与したのではなく,輸液の増量をして尿量を観察しつつ投与しているから,3月3日深夜帯における利尿剤の投与は,脱水を悪化させたものではない。
各種検査や処置は,患者の状態の変化を前提に,状態の把握と鑑別のために実施されるもので,3月3日の日勤帯の状況で症状が悪化した等の事情はなく,何を根拠に,いかなる検査をすべきなのかが明らかにされていないから,原告らの主張は失当である。仮に,3月3日準夜勤帯の時点で再度血液検査を実施したとしても,当該時点で取りうる治療法は,輸液の増量,全身状態の観察,呼吸状態の観察尿量の観察,確保であり,本件で実際に実施した内容と変わりはない。
(エ) 原告らの主張する注意義務違反と膵炎重症化ないし亡Eの死亡との間の因果関係がないこと
本件以上の大量輸液を行った症例でも短期間の死亡例が存在することから明らかなように,膵炎の病状の複雑さ及び治療の困難さを考慮すれば,単純に5000ミリリットル輸液していれば重症膵炎が発症しなかったという関係にはなく,本件で,3月2日の術後から同月4日早朝までの間に実際に投与した輸液量以上の輸液を投与したとしても,急性膵炎の重症化を防ぐことはできなかったと考えられるから,輸液投与量と亡Eの死亡との因果関係はない。
ウ MRSA感染防止義務について
被告は,平成5年当時の医療水準に適った感染防止対策を実施していたのであるから,亡EのMRSA感染は避け得ない不可抗力である。
(ア) 感染防止義務及びその履行について
亡Eは,侵襲の大きな手術後の長期経過の中で患者自身の常在菌が耐性を獲得し,感染症が発症したもので,感染対策を実施しても内因性の感染を防ぐことは困難である。医療器具先からMRSAが同定されたからといって,外因性であると断定することはできない。
亡EにMRSAが検出される前は,亡Eの入室していた4階西病棟には,MRSA感染症を発症した患者は存在しなかったから,感染症発症患者を前提とする措置は必要なかった。なお,4月13日に453号室に入室していた患者の便から1度だけMRSAが検出されたが,同患者についてMRSA感染防止マニュアルに従い感染防止対策を実施し,4月17日から7月8日まで7回鼻腔,便等の検査を繰り返し実施してもMRSAは検出されなかった。一方,亡EからMRSAが検出されたのは5月6日の体内の膿からであり,時期的・部位的に上記患者のMRSAと亡EのMRSA罹患に関連はない。他にMRSAに罹患していた患者は存在しなかったから,亡Eを回診する際,白衣を着替え,マスクを着用する処置は必要ない。同様に,亡EからMRSAが検出される前に手袋を使用することは必要でない。MRSA検出後になされるMRSA感染対策をMRSA検出前のあらゆる患者に実施することは不可能である。
したがって,本件においては,通常の感染防止策で十分であるところ,病室ドア横の手すり上及び病室内に消毒液を設置し,手を消毒していた。
また,栄養点滴については,①チューブ挿入時に挿入部位をアルコールないしイソジン液で厳密に消毒し,滅菌ドレープで覆った上,滅菌手袋を着用して操作し,②留置チューブは静脈に入る前に皮下を5ないし7センチメートル位通して直接静脈に皮膚から細菌が侵入しないようにし,③点滴セットと細菌濾過のための点滴回路内フィルターは週2回定期的に交換し,④チューブ挿入部位を最低週2回状況観察しつつ定期的に消毒し,消毒剤入り軟膏をチューブ挿入部皮膚に塗布の上滅菌ドレープで被覆し,⑤栄養輸液の調整・混合も専任の薬剤師が専門の設備下で無菌的に実施していた。
腹壁の他,身体を随時お湯で清拭し,ドレーン挿入周囲の皮膚をイソジン液で綿密かつ厳密に消毒(手術創等の消毒)をして滅菌ガーゼで被覆(閉鎖的被覆)し,浸出液等の性状を常に観察しながら頻回にガーゼ交換を実施していた。ドレーンの交換及び洗浄のため入れ替える際も,新しい滅菌ドレーンを使用し,無菌的処置を行っていた。
その他,感染を早期に発見して早期に対処するための検査等,事前の感染予防対策を実施しているから,感染防止策は十分にされていた。
MRSAが検出される前の段階において,入院患者に短時間面会する家族に対しては,医療器具に触れたり,患者の消毒した皮膚に直接触れることは通常考えられず,本件の場合においても患者の体内に留置されているカテーテルの先端,刺し入れ部は滅菌ガーゼに覆われており,家族が当該部位に勝手に手を触れることは考えられないから,家族に対し手洗いを指導する義務はない。
(イ) 因果関係の欠如
原告らの主張するような履き物制限,服装制限,病室の開放制限,ワゴン出し入れ制限を実施したとしても,亡EのMRSA感染を防止し得たとはいえない。
亡Eの敗血症の原因菌としては,MRSAに限らず,常在菌も考えられる。
エ 説明義務違反の主張に対する反論
(ア) 説明内容について
被告病院においては,亡Eに対し,F医師及び外科のG医師が,亡Eの既往との関係で,総胆管結石を放置すると,いつでも急性膵炎が発症しうること,当該危険を回避するために結石除去の必要性があることを説明した。
その上で,ESTの具体的な手技及び急性膵炎発症の合併症のリスクがある旨を説明した。ESTが外科的な開腹手術と比較して侵襲が少なく入院期間も短いことは説明したが,手技等の簡便さ,簡単さを説明したものではない。
(イ) 説明義務の内容について
亡Eの場合,総胆管に容易に選択的にナイフを挿入することが可能な状況であり,膵臓に影響を与えずにカニューレ又はナイフを挿入することが可能な状況であると判断されたこと,内視鏡的処置において重要なポイントとなる総胆管結石の大きさも,検査結果では1センチメートル以下だったこと,結石の数も内視鏡的除去術(ESTによる総胆管結石除去術)としては無理なくできる状況と判断されたことから,ESTを実施するリスクが極めて少ない病態であった。また,合併症としては,膵炎に限らず,出血や術中の麻酔の影響等様々なリスクがあり,しかも同じ合併症であっても程度は千差万別である上,一般的にも経験的にも,死亡に至るような重症膵炎に陥ることは,実際には極めて希である。
上記のとおり,重症膵炎に陥ることは希であること,亡Eの場合リスクが少ないと判断されたことに照らすと,ESTを実施する場合,殊更に,重症膵炎に陥り死に至る場合がある旨を強調して説明することが要求されることはない。
(ウ) 説明内容と結果との関係について
外科的な開腹手術であっても,開腹すれば簡単に胆石が取れるものではなく,開腹後内視鏡で胆管を覗いて場所を確認するのであって,胆管を切ってしまうという危険があること,全身麻酔による危険性がある程度の確率で存在すること,開腹手術,ESTのいずれでも,急性膵炎の発症及び死亡に至る合併症の発症の可能性はあり,ESTの方が合併症の発症率自体も少ないといわれていること(証人Gp39,p40),開腹手術の方が入院期間が長くなり,これに伴い費用も高くなること,退院から仕事に復帰するまでの期間がESTの方が短いことに照らすと,開腹による外科手術はEST以上の危険性及び不利益があるともいえる。
これに加えて,被告病院は亡Eの希望でESTを選択したこと,亡EにESTの適応も認められたことに照らすと,原告らの主張する内容を説明したとしても亡Eが外科手術を選択したとは考えられない。
オ 損害について
不知ないし争う
第3当裁判所の判断
1 膵炎発症回避の注意義務違反の有無について
(1) 亡Eに対するEST手術は,3月2日午後3時17分ころ開始され,同日午後3時43分ころ終了している(乙14,32p4ないしp5)。一方,同日午後6時45分ころには急性膵炎の診断がされているから(乙3の2p6),亡Eの急性膵炎は,EST手術後に発症した可能性があるものと認められる。
(2) しかしながら,亡Eの急性膵炎診断とEST手術との時間的先後関係から直ちにEST手術によって膵炎が発症したものと認めることはできない。急性膵炎の発症機序,成因共に複雑であって多くの原因が考えられ,成因因子としては胆石,胆道疾患,アルコール,特発性(原因不明)によるものが90パーセントを占めるとの文献があること(甲4p649)に照らすと,EST手術前から存在していた胆石を原因として急性膵炎が発症した可能性も十分に考えられ,特にEST手術によって膵炎が発症した可能性が高いと認めるに足りる証拠はない。
(3) また,亡Eに対するEST手術において,遺残結石はなかった(乙14,32p5)から,残置した結石が膵管の中にはまり込んだとは認められない。その他,乳頭に過剰な刺激を与えた事実,胆汁を膵管内に挿入した事実,手術の際造影剤を過剰に膵管に注入した事実を認めるに足りる証拠はない(乙14,32)。さらに,上記各事実のいずれかが発生した可能性があるとしても,手術に伴う不可抗力の場合もあり,当該事実につき,F医師に注意義務違反があった旨の具体的な事実を認めるに足りる証拠はない。
(4) 以上のとおり,被告病院の医師らに亡Eについて膵炎発症を回避すべき注意義務の違反があったとは認められない。原告らの主張は理由がない。
2 経過治療に関する注意義務違反の有無について
(1) 急性膵炎の診断について
上記のとおり,F医師は3月2日午後6時45分ころには亡Eについて急性膵炎と診断しているところ,これよりも早期に急性膵炎と診断できた事情は認められないから,急性膵炎の診断に関し,F医師に何らかの注意義務違反があったと認めることはできない。
(2) 尿及び輸液について認められる事実
認定事実末尾掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,尿量の測定及び輸液量について,以下の事実が認められる。
ア 3月2日午後2時ないし午後3時ころ,ラクテック500ミリリットルの持続点滴が開始され,同日午後4時ころ,FOY500ミリグラムが点滴内に追加された。同時刻ころ,生理的食塩水100ミリリットル及びチエナム0.5グラムが点滴投与された。また,FOY300ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,チエナム0.5グラムを追加した生理的食塩水100ミリリットルが点滴投与された(乙2p5及びp33,3の2p5,3の3p243,証人F)。
イ 同日午後6時45分ころ以降,①FOY400ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,②FOY400ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,③ラクテック500ミリリットル,④5パーセントデキ(ブドウ糖)20ミリリットル及びガスター1アンプルの2回の投与が,一連の行為として指示され,施行された(乙2p5,3の2p6,3の3p243,証人F)。
ウ 3月2日午後10時ころ,亡Eに300ミリリットルの自尿があった(乙3の2p7)。
エ 3月3日深夜帯(3月3日の午前零時から同日午前6時ころまで),亡Eの4回の自尿が確認された(乙3の2p7,証人F233項,234項)。また,同日午前1時30分から同日午前3時40分にかけて及び同日午後3時以降は,時間尿量が測定されている(乙3の3p207ないしp208)。
オ 3月3日午前6時ころ,①FOY300ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,②チエナム0.5グラムを追加した生理的食塩水100ミリリットル,③FOY300ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,④チエナム0.5グラムを追加した生理的食塩水100ミリリットル,⑤FOY300ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,⑥FOY300ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,⑦5パーセントデキ20ミリリットル及びガスター1アンプルの2回の投与が,一連の行為として指示され,施行された(乙2p5,3の3p243)。
カ 同日午後8時ころ,翌朝6時までの継続投与の指示となっていた輸液速度を速め,また,バルーンカテーテルを挿入した。同日午後10時ころに点滴が終了した。その後,ラクテック500ミリリットルを2本追加投与するよう指示され,施行された(乙2p5)。
キ 同日午後9時ころ,利尿剤であるラシックス2分の1アンプルが静注された(乙3の3p207)。
ク 同日午後10時ころ,ラクテック500ミリリットルが投与された。
ケ 3月4日午前零時ころ,KN3B200ミリリットルが投与された(乙3の2p8)。
コ 同日午前0時30分ころ,ラシックス1アンプルが静注された(乙3の2p8)。
サ 同日午前2時10分ころから同日午前2時40分ころにかけて,KN3B200ミリリットルが投与された(乙3の2p9)。
シ 同日午前2時40分ころ,ラシックス2アンプルが静注された(乙3の2p9)。
ス 同日午前3時40分ころ,ラクテック500ミリリットルが投与された。また,このころには時間尿量が190ミリリットルに回復した(乙3の2p9,3の3p207)。
セ 同日午前6時ころ,①FOY200ミリグラムを追加したフィジオゾール3号500ミリリットル,②チエナム0.5グラムを追加した生理的食塩水100ミリリットルが投与された(乙2p6及びp33)。同日午前11時ころから同日午後1時30分ころにかけて,③ラシックス2アンプル,④FOY100ミリグラムを追加したフィジオゾール3号200ミリリットルが投与された(乙3の3p207)。
(3) 尿量の測定について
ア 一般的な医療水準として,膵炎の重症診断をつける前から,時間尿量の測定を開始すべきであると認めるに足りる証拠はない(証人F79項)。
イ 急性膵炎の重症度判定として一般的に用いられる基準によると,①ショック(収縮期血圧が80以下及び80以上でもショック徴候を認めるもの),②呼吸困難(人工呼吸器を必要とするもの),③神経症状(中枢神経症状で意識障害を伴うもの),④重症感染症(白血球数増多を伴う38度以上の発熱,血液培養陽性やエンドトキシンの証明,あるいは腹腔内膿瘍の認められるもの),⑤出血傾向(消化管出血,腹腔内出血,あるいはDICを認めるもの)が挙げられるが(乙12),亡Eの場合,3月2日及び翌日の臨床症状においてこれらの徴候があったとは認められない(証人F)。
ウ 一方,ヘマトクリットの値について,一般的な基準値としては45程度であるところ,亡Eは手術前の状態においても50.8であって相当高いと認められるから(証人F241項以下),3月3日の血液検査でヘマトクリット値が55.9に上昇したことのみから脱水の警戒をすべきであるとは認められない上,ヘマトクリット値に関しては,重症度判定の指標としては適切でないとの見解があり,厚生省特定疾患難治性膵疾患調査研究班による急性膵炎重症度判定基準において,平成2年の基準では削除されたこと(乙12)に照らすと,ヘマトクリット値の上昇を根拠に尿量の頻回の測定をすべき旨の原告らの主張は失当である。
エ 亡EのEST手術後の尿量測定に関しては,被告病院は上記のとおり,3月3日午前1時30分から同日午前3時40分にかけて及び同日午後3時以降は時間尿量を測定していることが認められるから,前提事実記載の重症膵炎診断の時期に照らすと,尿量の測定に関して被告病院の医師,看護婦らに注意義務違反があったとは認められない。原告らの主張は理由がない。
(4) 急性膵炎診断後の治療について
ア 急性膵炎が発症した場合,内科的保存治療が原則とされ,治療方法の基本としては,①膵外分泌抑制,②疼痛の治療,③抗酵素療法,④輸液,栄養管理,⑤感染防止とされる。具体的には,①としては,ガスター1アンプルを1日2回投与し,②としてはソセゴン等を1日2ないし3回筋注する等,③としては,軽症の場合FOYを2ないし3アンプル1日2回,2時間以上かけて点滴静注する等,中等症ないし重症の場合FOYを4アンプル1日3回ゆっくり点滴静注する等,④としてはフィジオゾール3号を1日2000ミリリットルを目安に持続点滴する等,⑤としては,チエナム0.5ないし1.0グラムを1日2回筋注または点滴静注する等とされている(乙10p437以下,11p20以下)。
イ 輸液量について
前記(2)のとおり,3月2日午後以降,亡Eに対し,フィジオゾール3号合計1500ミリリットルが順次投与され,3月3日は2000ミリリットルのフィジオゾール3号が順次投与されているから,急性膵炎の一般的治療としては,輸液量に誤りはないと認められる。
急性膵炎における輸液量の一般的な目安は,上記のとおり1日あたり2000ミリリットルであるものの,重症膵炎の疑いがある場合には,時間尿量が50ミリリットル以上となるように輸液量を調節するとされているところ,この場合には過剰な輸液によって心不全や肺水腫をもたらす可能性があり,輸液量の増量には十分な注意が必要とされるから(乙32p6,証人F),利尿剤の投与自体が誤りであるとは認められない。また,利尿剤を投与することにより,亡Eの体内から水分が排出されることにはなるが,前記(2)記載のとおり利尿剤投与に伴って輸液量の追加もされており,この輸液の増加量が不適切であったと認めるに足りる証拠はない。原告らは,3月3日も3月4日と同様の輸液量が必要であった旨主張するが,単に上記両日の輸液量を比較するのみで,3月3日の亡Eの具体的な状態に基づき3月4日と同様の輸液量が必要であったことを認めるに足りる証拠はない。
以上のとおり,輸液量の適否に関する原告らの主張は理由がない。
ウ 酵素阻害剤について
前記(2)記載のとおり,被告病院は,亡Eに対し,膵酵素阻害剤のFOYを膵炎発症前から投与を開始していること,その使用量についても不十分であると認めるに足りる証拠がないこと,ミラクリッド,ニコリン等も,FOYと特異な相違があるわけではないから(証人F267項),これらを早期に投与すべきであるとは認められないことに照らすと,抗酵素療法に誤りがあったとは認められない。
エ 検査等の時期について
さらに,亡Eに関し,3月3日の段階でCT検査,血液ガス分析,カルシウム値等の判定をすべきであったと判断すべき事情は原告らが具体的に主張しておらず,これがされていた場合にはどのような治療方法を選択すべきであったかについても具体的な主張がないから,この点に関する原告らの主張は理由がない。
(5) 経過治療に関する結論
上記のとおり,経過治療に関し,被告病院の医師らに注意義務違反があったとは認められないから,原告らの主張は理由がない。
3 MRSA感染防止注意義務違反の有無について
(1) 入院患者の中にMRSAに罹患した者がいる場合,この者から他者へ感染する危険性があるから,これを防止するための感染防止対策を講ずる必要があると考えられ,MRSA罹患患者が発見されていない場合における一般的な感染防止のための注意義務と,MRSA罹患患者発見後における他者への感染防止のための注意義務とは,異なるものと認められる。
(2) 亡EからMRSAが検出された5月12日以前である4月13日に,被告病院の亡Eが入室していた病棟内の患者の便からMRSAが検出されたものの,その後7月18日までの間に7回,鼻腔,便等の検査を繰り返し実施してもMRSAが検出されなかったこと,同患者について,被告病院において当時策定されていた感染防止マニュアル(乙15,16)にしたがってMRSA感染防止に必要な処置を講じていたこと(乙33),同患者以外ににMRSA感染症を発症していた患者が存在していたことは認められないことから,4月13日にMRSAが検出された患者がいたことに伴う,同患者から亡Eその他の患者に対するMRSA感染防止に関しては,被告病院に感染防止注意義務違反があるとは認められない。
(3) また,(1)記載のとおり,亡EからMRSAが検出される以前の段階においては,一般的な感染防止のために必要な措置を講ずるべき注意義務が存すると解される。この場合の感染防止義務の内容としては,亡Eの診療の際における医療従事者の手指の消毒,亡Eの体内に挿入されているドレーン等の消毒,滅菌等をなすべきところ,原告Aは被告病院の医師・看護婦らにおいてこれらの義務を怠った旨述べるが(甲15,原告A),G医師はこれを否定する供述するところであって(乙33,証人G),他に客観的な証拠が存在しないことに照らすと,被告病院の医師・看護婦らに上記義務違反があったとは認められない。
また,原告らは,亡Eを回診する際のマスク着用,白衣の着替え,家族に対する消毒方法の指導,履き物・服装の制限等をすべきである旨主張する。このような義務の存否に関してはひとまず措くとしても,亡EのMRSA罹患が内因性のものである可能性を否定するに足りる証拠はないこと,上記各方法を実施していれば亡EのMRSA感染を回避し得たと認めるに足りる証拠もないこと,亡Eの腹腔からMRSA以外の細菌が検出されており(証人G140項),亡Eが敗血症になった原因がMRSAであるとは断定できないこと(乙33)に照らすと,亡Eの死亡とMRSA罹患との間に因果関係があると認めることはできず,上記義務の存否及びその履行の有無にかかわらず,原告らの主張は理由がない。
4 説明義務違反の有無について
(1) 説明義務の内容について
医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するにあたっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があると解される。
ここで問題とされる説明義務における説明は,患者自らの身に行われようとする療法(術式)につき,その利害得失を理解した上で,当該療法(術式)を受けるか否かについて熟慮し,決断することを助けるために行われるものである。
そして,医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には,患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上,判断することができるような仕方でそれぞれの療法(術式)の違い,利害得失を分かり易く説明することが求められるのは当然である(最高裁平成13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁参照)。
(2) 説明義務の内容を判断するにあたって考慮すべき事実
認定事実末尾掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 2月12日,亡Eは,腹痛を訴え,被告病院の外科を受診し,問診において,亡Eは,被告病院の塩原医師に対し,昭和60年膵炎と言われて伊那中央病院に2か月入院したこと,翌昭和61年も膵炎で1か月間同病院に入院したこと,平成4年5月に同病院で胆石と言われ,それ以降薬を飲んでいること,2月10日午前7時ころから強い心窩部痛が30分間持続したことを述べ,胆石症について,内視鏡により切除して欲しい旨希望した(甲25,乙1p2)。
塩原医師は,F医師に対し,亡Eについて,胆石症といわれてきた患者であること,ラパコレ(腹腔鏡下胆嚢摘出術。laparoscopic cholecystectomy)を予定していること,昭和60年ころには伊那中央病院で膵炎といわれていること,膵管入り口部の憩室(へこみ)があるとも言われていたことを伝え,これらを含めて,ERCPの精査を依頼した(乙1p5)。
イ 同月22日,F医師は,亡Eに対し,ERCPを実施し,総胆管内の結石2個及び胆嚢内ポリープの存在を確認した。
F医師は,塩原医師に対し,亡Eの総胆管に結石が2個あること,胆嚢には15×10mmの大きさの広基性ポリープ病変があること,総胆管結石はESTによる砕石が可能と考えられることを伝え,胆嚢ポリープ病変についてどのようにするかを尋ねた(乙1p5)。
ウ 同月24日,G医師は,F医師に対し,亡Eの総胆管結石に対してはESTを依頼し,胆嚢については,ESTの後にラパコレする予定である旨返答した(乙2p7)。
エ 胆嚢に存在する結石と,総胆管に存在する結石とを比較すると,総胆管結石は存在そのものが胆管炎,膵炎,化膿性胆管炎等重篤な症状を引き起こし,嵌頓(胆管の出口に結石がはまりこむこと)すると,ショック状態を示し,死亡することさえあるから,総胆管結石の方が緊急に除去すべきであると認められる(甲28,証人F152項)。
オ ESTに伴う合併症としての急性膵炎の発症率は1.5ないし1.9パーセントであり(甲3p140,乙4p29。なお,乙7には急性膵炎発症率が2.8パーセントであると報告されているが,これはESTのみならずERCPに伴う偶発症をも含めた数字である。),急性膵炎のうち,約10パーセントが重症膵炎と判定され,重症膵炎の死亡率は約30パーセントである(乙10)。したがって,ESTに伴う合併症として重症膵炎により死亡する可能性は,概ね0.045ないし0.057パーセントであり,ESTに伴い膵炎を合併症として発症し死亡する可能性は極めて低いものと認められる。
カ ESTは1973年に開発された手技で(甲3p134,甲5p260),成功率は約90パーセントである(甲5p260)。G医師は,ESTは1990年代初頭には胆石や膵臓の病気に対する一般的な手技となっており,外科の手術と比較してESTの方が安全性も確立されており成績も良い旨証言するところ(証人G240項),これを否定する証拠はなく,ESTが上記のように死亡に至る合併症の発症率が極めて低く,成功率も高いことに照らすと,同人の証言は信用するに足りるものということができる。
(3) 本件における説明内容
認定事実末尾掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
ア 2月22日,F医師は,亡Eに対し,ERCPの検査終了後,総胆管結石をこのままにしておくと以前のように急性膵炎を起こしたり,胆管炎を起こしたりして非常に危険であるので,処置が必要であり,結石の大きさ,状態等から,内視鏡的処置が可能であること,内視鏡的乳頭切開に伴う出血,穿孔,膵炎の合併症を併発する可能性があることを説明をした(乙32p2)。3月1日,F医師は,亡Eに対し,術前検査結果を説明した(乙32p3)。
イ 2月25日,G医師は,亡Eに対し,総胆管結石が2個あること,総胆管の結石を放置するとショック死する可能性があること,胆嚢にはポリープか胆石のいずれかが存在すること,消化器内科の医師によって,胆管の十二指腸への出口である乳頭を内視鏡で切開し,胆管の石を除去すること,その後,全身状態が落ち着いたら,胆嚢の病気を外科で手術すること,この外科における手術においては,腹腔鏡下胆嚢切除を行うこと等について説明したが,合併症として膵炎が発症した場合,予後がどのような状態になるかについては具体的には説明しなかった。また,外科的な開腹手術の方法もあるが,被告病院では内科と協力して胆石の治療を行っていることを説明したものの,具体的に外科的な開腹手術を行った場合とESTによる場合とを比較して,手術に付随する危険性,その利害得失を具体的には説明しなかった(乙1p15,33,証人G241項以下)。なお,F医師も,G医師と同様,外科的な開腹手術とESTとを具体的に比較してその利害得失を説明することはしなかった。
ウ 原告Aは,F医師からもG医師からも,手術前に説明を受けた記憶はない旨述べ(原告Ap9),一方,F医師は,3月2日,原告Aに対し,ERCP所見,総胆管結石2個の存在を放置すると膵炎が再発する可能性が高いこと,ESTが電気メスを使って乳頭を切るので,出血や膵炎を起こす可能性があること,胆嚢にはポリープがあると思われ,胆嚢の方は腹腔鏡下胆嚢摘出術で取りたいが,まず先に石をとって様子を見たいことを説明した旨述べている(乙3の1p148,32p3,証人F158項以下)ところ,原告Aは2月22日に亡Eと被告病院に同行したものではなく(甲20p2,原告Ap8以下),同月25日にも同行したと認めるに足りる証拠はないから,同月22日及び25日における説明内容に関する上記認定を左右するものではない。
(4) 説明義務違反の有無
ア 上記認定事実に照らすと,被告病院の医師は,亡Eに対しESTを実施することが決定された2月25日までに,亡Eに対し,病名,病状,実施予定の手術の内容を説明したことが認められる。
イ 一方,被告病院の医師は,EST以外の選択可能な治療方法である外科的開腹手術については,ESTと具体的に比較して利害得失を説明していないので,この説明義務を免れうる特別の事情の有無につき以下検討する。
(ア) 患者の疾患について,医療水準として確立した療法が複数存在する場合であっても,当該患者の身体に対する安全性,治療期間,治療費等通常考えられる利害得失につき,ある療法が他の療法よりも明らかに利益が大きい場合であって,かつ,当該患者が医師に対し,利益の大きい療法によることを求めて診療行為を依頼した場合,医師は,当該診療方法について,当該患者の疾患に対する当該診療方法の適応の有無,当該診療方法に付随する危険性,予後等について,当該患者の知識,性格等に応じた相当な説明をすれば足り,そうすれば,患者がその療法(術式)につき,その利害得失を理解した上で,当該療法(術式)を受けるか否かについて,決断することを助けたものということができるのであるから,他の療法については,具体的な利害得失について詳細に説明する義務を免れるものと解すべきである。
(イ) 上記のとおりESTの安全性は外科的手術と比較して高いことに加え,外科的開腹手術を選択した場合には入院期間が長くなり,医療費等も嵩むこと(証人G240項)が認められるから,ESTは外科的開腹手術と比較して明らかに利益が大きいと認められる。
亡Eは,昭和63年ころ,伊那中央病院において診療を受けた際,胆嚢の石が痛みの原因であること,胆嚢の石を溶かす薬を処方すること等の説明を同病院の医師から受けていたこと(甲25,原告Ap3)に照らすと,亡Eは,胆嚢の石を取ってもらうつもりで被告病院を受診したものであって,総胆管結石が存在していたことは予想しておらず,総胆管結石の除去及び除去方法として具体的にESTの方法を選択することを求めたとは認められない。しかし,亡Eは,内視鏡による胆石症の治療を求めて被告病院を受診したもので,総胆管結石と胆嚢結石を含めて胆石と称するのであり(甲28),ESTは内視鏡による手術であることに照らすと,ESTにより総胆管結石を除去する診療行為は,亡Eが求めた療法に含まれるといえる。
さらに,上記のとおり膵炎により死亡する可能性が極めて低いものと認められる上,亡Eは被告病院受診以前から複数回膵炎を患って入院した経験があり,膵炎についてある程度の知識を持っていたと推測できるから,亡Eの知識に応じた相当の説明としては,手術に付随する危険性に関し,合併症として膵炎が発症する可能性があることを説明すれば足り,重症膵炎に陥ると死亡する可能性があること等についてまで説明すべき義務があるとは認められない。
以上のとおり,本件においては,ESTは外科的開腹手術と比較して明らかに利益が大きいこと,被告病院が行った療法は亡Eが求めたものであること,被告病院がESTについては亡Eの知識に応じた相当の説明をしたことにより,亡EがESTを受けるか否かについて,決断することを助けたものということができるから,外科的開腹手術についてESTと比較して具体的な利害得失を説明すべき義務を免れる特別の事情があると認められる。
ウ したがって,被告病院の医師に亡Eに対する説明義務違反があったとは認められない。よって,原告らのこの主張は理由がない。
5 結論
以上のとおり,原告らの請求は,いずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法61条,65条1項本文を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 辻次郎 裁判官 杉本宏之 裁判官 進藤光慶)