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長野地方裁判所 平成14年(行ウ)5号 判決 2004年2月06日

主文

1  原告らの被告Aに対する本件訴えのうち,松本市に対し2848万円及びこれに対する平成14年2月8日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める部分を却下する。

2  原告ら共同訴訟参加人の被告Aに対する本件訴えのうち,松本市に対し9494万円及びこれに対する平成14年8月30日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める部分を却下する。

3  原告ら及び原告ら共同訴訟参加人のその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用は原告ら及び原告ら共同訴訟参加人の負担とする。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  原告ら及び原告ら共同訴訟参加人

(1)  被告松本市長は,松本市民会館の建設に関する一切の金銭の支出をしてはならない。

(2)  被告Aは,松本市に対して,4億1182万9000円及びこれに対する平成14年2月8日(原告共同訴訟参加人の訴えは同年8月30日)から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(3)  (2)につき仮執行宣言

2  被告ら

(1)  被告松本市長

原告ら及び原告ら共同訴訟参加人の請求を棄却する。

(2)  被告A

ア 本案前の答弁

主文1項及び2項同旨

イ 本案に関する答弁

アを除いた原告ら及び原告ら共同訴訟参加人のその余の請求を棄却する。

第2事案の概要

1  本件事案の要旨

本件は,松本市民である原告ら及び原告ら共同訴訟参加人が,松本市民会館の建設は,①建設計画の進め方に手続的な違法がある,②規模,機能の面で不要な施設である上,根拠のない財政見通しの上に計画したもので,著しく目的・効果の均衡を欠く建設事業費を支出することになり,地方自治法2条14項,財政法9条2項,地方財政法2条,3条2項,4条,4条の2の規定の趣旨に反し違法である,③環境を破壊するもので違法である,④立地条件に欠陥があり違法であるから,松本市長である被告Aは松本市に対し松本市民会館建設のために支出した4億1182万9000円の損害賠償義務を負うと主張して,平成14年法律第4号による改正前の地方自治法(以下,単に「地方自治法」という。)242条の2第1項4号前段に基づきこれを支払うよう求めるとともに,被告松本市長に対し同項1号に基づき松本市民会館建設の為の支出差止を求める事案である。

これに対し被告らは,松本市民会館の建設に手続的な違法はなく,必要な施設を的確な財政見通しに基づいて建設するもので被告松本市長に与えられた裁量権の範囲内の行為であって違法ではない,環境面に関する原告ら及び原告ら共同訴訟参加人の主張は失当である,立地条件に問題はないと主張し,被告Aはこれに加え,既支出額の一部について,適法な監査請求を経ていない,松本市に損害は発生していない,被告Aに過失はないと主張してこれを争う。

したがって,本件の争点は,①原告ら及び原告ら共同訴訟参加人の本件訴えは全て適法な監査請求を経由したものであるか否か,②松本市民会館の建設に関し,建設費の支出を違法とするような手続面,財政面,環境面,立地条件面の違法があるか否か,③松本市に損害が発生しているか否か,④被告Aに過失があるか否かである。

2  前提事実(証拠を掲記した事実以外は当事者間に争いがないか,当裁判所に顕著であるか,弁論の全趣旨により認められる事実である。)

(1)  被告Aは,松本市長の職にある。

(2)  松本市は,松本市市民会館の老朽化に伴い,これを解体の上新しく現地に市民会館の建設を計画した(以下従前の松本市市民会館を「旧市民会館」,新たに建設が計画された市民会館を「新市民会館」ということがある。また,新市民会館建設計画を「本件計画」という。)

(3)  本件計画の概要(乙1)

ア 敷地面積 8995.76平方メートル

イ 構  造 地上7階建地下2階建

ウ 延床面積 1万7673.7平方メートル

エ 客  席 主ホール 792席~1800席(6段階に可変)小ホール 240席

オ 総事業費 約145億円

(4)  旧市民会館,長野県松本文化会館その他

ア 旧市民会館は,昭和34年9月に開館し,1320席余りの規模を持つホールとして,集会,演劇,音楽,舞踊等多目的に利用されてきた(乙2)。

イ 松本市には,市民会館とは別に,以下の施設概要の長野県松本文化会館が存在する(甲3)。

所在地:同市大字水汲69番2

敷地面積:2万0902平方メートル

延建築面積:1万6497平方メートル

規模:地上5階地下1階建

客席:2000席(大ホール固定席)

駐車場:普通車660台,大型車30台

ウ 松本市には,従前座席数1684席の社会文化会館があったが,平成11年9月30日に廃止された。

(5)  本件計画の手続について

ア 松本市は,松本市市民会館改築検討懇話会を設置し,同懇話会は,平成10年9月4日に第1回が開催され,その後平成11年1月までに合計5回開催され,同月26日付で松本市長に対し報告書を提出した(乙3,乙11p5,6)。

イ 平成12年3月1日,松本市議会に市民会館建設特別委員会が設置された。

ウ 同年5月15日,市民会館建設特別委員会が開催され,新市民会館の基本構想が協議された(乙11p6)。

基本構想案は,①改築の目的として国際的な文化交流都市づくり及び文化と産業を両輪とした都市づくりに対応する具体的施策,演劇・オペラ等舞台芸術創造発表施設,コンベンション対応施設とし,②施設の基本的な性格として高度で多様な芸術文化の要望に十分応えられる施設機能を充実させると共に大会や各種集会が開催できるなどの多面性を備える象徴的な施設とし,③施設の構成と機能としては,大ホールの客席数1800席程度,可変方式で中規模ホール機能,小ホールの客席数200席ないし400席程度とされた。

エ 同年6月19日,市民会館建設特別委員会において,上記基本構想案が了承され,その基本構想案の了承について,議員協議会に報告された(乙11p6)。

オ 松本市は,上記基本構想について,同年7月3日から同月23日にかけて合計3回にわたり,地元住民を対象とした説明会を開催した。

カ 同年8月24日に開催された市民会館建設特別委員会において,前記(3)本件計画の概要に記載されたものとほぼ同旨の内容の「松本市市民会館改築基本計画」(乙5。以下「基本計画」という。)が了承された。

キ 同年9月21日,基本計画に基づく事務費,設計委託料等を含む補正予算案が松本市議会において可決された。

ク 同年11月15日付松本市役所発行の広報「まつもと」(以下「広報「まつもと」」という。)において,新市民会館の概要について説明がされた(乙18の1ないし3)。

ケ 平成13年2月26日,新市民会館建設に関わる予算案が松本市議会において可決承認された。

コ 同年4月6日に開催された市民会館建設特別委員会において基本設計案が了承された(乙11p7)。

サ 同月15日,広報「まつもと」に基本設計図面等が掲載された(乙20)。

シ 同年10月5日に開催された市民会館建設特別委員会において,実施設計案が了承され,同時に財政見通しについて松本市は新市民会館の人件費について1億円程度,維持管理費2億6千万円程度,事業費は新市民会館市民研究会等で今後検討するとの管理運営費の概算(乙7)を同委員会に示し,了承された。

ス 同年10月15日,広報「まつもと」に実施設計図面等が掲載された(乙21の1ないし3)。

セ 同年11月7日に開催された議員協議会において実施設計案が了承され,同日,松本市から平成12年度決算及び同13年度決算見込みベースで試算した「財政見通しについて」(乙6)が報告された。

ソ 同月28日,新市民会館の建設工事が着工された。

タ 平成14年3月12日時点において,松本市民のうち,6万0518名が新市民会館建設反対の署名をした。

チ 平成14年3月14日,松本市議会は定例会において,新市民会館建設工事費用を含む平成13年度2月補正予算案及び平成14年度当初予算案を賛成多数で可決した。

(6)  松本市の財政試算

ア 松本市は,平成12年8月24日開催の松本市議会市民会館建設特別委員会において,市税収の伸びを経済成長率プラス1.75パーセントとして試算した財政見通しを公表した。

イ その後松本市は,平成13年11月7日付で,松本市議会議員協議会に提出した文書において,下記(ア)の見通しを前提として,下記(イ)ないし(エ)のとおり市税収の見通しの試算を行った(乙6)。

(ア) 国の経済成長率の見通し(国の「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」における経済見通しに基づく)

平成13年度~15年度   0パーセント

平成16年度以降    2.0パーセント

(イ) 個人市民税

平成14年度~16年度   0パーセント

平成17年度以降      2パーセントの増加

(ウ) 法人市民税

平成14年度~15年度   0パーセント

平成16年度以降      1パーセントの増加

平成17年度以降      2パーセントの増加

(エ) 固定資産税

土地については負担調整による伸びを3パーセント,家屋は新増築により伸びを3.5パーセントと試算

(7)  新市民会館建設事業費の財源(乙12p2)

新市民会館建設事業費約145億円の主たる財源は,起債(市債)分が約119億円,その余が市税等の一般財源である。

(8)  公金の支出

被告Aは,新市民会館建設につき,株式会社伊東豊雄建築設計事務所に対し,設計委託料として,平成12年12月25日に2848万円,平成13年4月20日に6646万円,同年11月12日に1億9956万4000円を,株式会社四門に対し,工事損害調査として,同年10月15日に1732万5000円を,新市民会館建設の共同企業体(竹中・戸田・松本土建・ノグチ)に対し,請負工事費として,平成14年1月21日に1億円の合計4億1182万9000円の費用を支出した(以下上記公金の支出を併せて「本件公金支出」という。また,株式会社伊東豊雄建築設計事務所に対し支出された設計委託料の支出を「本件設計委託料支出」という。)。

(9)  不服申立の経緯及び本件訴えの提起

原告らは,平成14年2月7日,松本市監査委員に対して本件訴えにおける請求と同旨の住民監査請求を行った(以下「原告ら監査請求」という。)。原告ら監査請求を受けた同監査委員は,同年4月4日,本件公金支出のうち,平成12年12月25日支出分2848万円の本件設計委託料支出について原告ら監査請求を却下し,その余について原告ら監査請求を棄却した。

原告らは,平成14年4月30日,当庁に本件訴え(平成14年(行ウ)第5号)を提起した。

原告ら共同訴訟参加人は,平成14年8月29日,松本市監査委員に対し,本件訴えにおける請求と概ね同旨の住民監査請求を行った(以下「原告ら共同訴訟参加人監査請求」という。)。同請求を受けた同監査委員は,同年9月30日,平成12年12月25日支出分2848万円及び平成13年4月20日支出分6646万円の本件設計委託料支出についてこれを却下し,その余について棄却した(丙1)。

原告ら共同訴訟参加人は,平成14年10月28日,当庁に訴訟(平成14年(行ウ)第17号)を提起し,本件訴えに共同訴訟参加したものと扱われた。

3  争点に関する各当事者の主張

(1)  本案前の争点(適法な監査請求の経由の有無)に関する主張

ア 被告Aの本案前の答弁の理由

(ア) 松本市は,本件設計委託料支出のうち,2848万円を平成12年12月25日に支出した。

原告らの被告Aに対する訴えのうち,上記支払いに関する部分は,監査請求期間を経過してから監査請求をしているから,適法な監査請求を経由しておらず,不適法である。

(イ) 本件公金の支出は,秘密裡になされたものではない(乙18の2)。また,仮に地方自治法242条2項にいう正当理由がある場合であっても,監査請求期間の起算点は原告らが現実に知ったときではなく,知ることができたときであって,当該時点は広報「まつもと」が松本市民に配布された平成12年11月である。

(ウ) 松本市は,本件設計委託料支出のうち,6646万円を平成13年4月20日に支出した。原告共同訴訟参加人の被告Aに対する訴えのうち,平成12年12月25日支出分と平成13年4月20日支出分の合計額である9494万円の支払いに関する部分は,監査請求期間を経過してから監査請求をしているから,適法な監査請求を経由しておらず,不適法である。

イ 本案前の答弁に対する原告ら及び原告ら共同訴訟参加人の反論

(ア) 原告らの本件請求は,不法行為を原因とする代位請求であり,地方自治法242条1項前段に規定された違法不当な公金の支出(財務会計行為)に基づくものであって,同項前段の「怠る事実」ではない。本件公金支出は作為行為であって不作為行為ではないから,監査請求期間の制限を受けない。仮に期間制限を受けるとしても,本件公金支出を原告らが知ったのは平成13年12月に入ってからのことであり,同条2項ただし書にいう正当理由がある。また,原告らが知ることができた時期は原告らが知った時期とほぼ同時期であり,かつ,この時期から1年間は監査請求をすることができると解すべきである。

(イ) 被告Aは,平成12年11月をもって原告らが本件公金支出を知ることができたと主張するが,本件公金支出は平成12年12月25日であるから,論理的に成り立たない主張である。

(2)  本案の争点に関する主張

ア 原告ら及び原告ら共同訴訟参加人(以下,両者を併せて単に「原告ら」ということがある。)

(ア) 本件計画の手続的違法

本件計画は,事前に基本設計等の具体的な内容等を市民に十分に情報提供することなく実質上秘密裡に進められてきており,また,多くの市民の建設反対の意思を無視して進められたもので,適正手続に反し,手続的な瑕疵があるから違法である。

被告らは説明会を実施した旨主張するが,説明会は大半が松本市の改築計画に賛同する町会役員が占め,改築計画を問い質す市民に対して一部町会役員が怒号で応酬するもので,場所も市全体に及んでいないから,恣意的なもので民意を反映するものではない(甲80,89,119)。

(イ) 本件計画の財政的違法

新市民会館はオペラハウスそのものである。松本市には,既にオペラ等の上演が可能な長野県松本文化会館があり,過去においてオペラの上演もされてきた実績がある。長野県松本文化会館でのオペラの上演回数は年間2ないし3回程度に過ぎない。また,長野県松本文化会館には大ホールと中ホールがあり,新市民会館にも規模,機能の面においてほとんど同じ大(中)ホールがあるから,新市民会館を建設する必要は全くない。

松本市は約1860億円の財政赤字を抱えており,今後一段と経済状況の悪化が予想されるところ,松本市は市税収入の伸びを経済成長率プラス1.75パーセントとして試算し,これを基に本件計画を立てた。しかし,同試算は厳格なものではなく,税収の伸びも到底期待できず,財源として見込まれている地方交付税も,現在,国の財政難を理由にその削減と見直しが検討されている状況にある。また,本件計画による市債123億円の他,市立美術館,中央西土地区画整理分等の借金を加算すると,2496億円に達する。被告らが根拠とする財政見通しは,過去3度も見直しを迫られたことから明らかなように,全く根拠がない。

新市民会館の建設に伴い,新たに駐車場の確保が必要となり,この費用を加えると,総事業費は145億円ではなく,おそらく200億円を数十億円超えることになる。

その他,地方交付税に関する被告の主張にも誤りがある。このように,本件計画は財源確保の見通しのない杜撰なもので,今後市財政を危うくする違法がある。

さらに,新市民会館には,同規模の他の施設と比較して,少なくとも年間10億円以上の巨額の維持管理運営費用が必要とされる等,松本市財政の負担を増大させることは必至であるのに,今後の維持管理運営費用について何ら的確な検討がされていない違法がある。

新市民会館建設事業費を支出することは,社会通念に照らして著しく目的,効果の均衡を欠くもので違法である。

以上のとおり,被告らの新市民会館建設に伴う公金の支出は,地方自治法2条14項,財政法9条2項,地方財政法2条,3条2項,4条,4条の2の規定の趣旨,精神に反し,違法不当である。

(ウ) 環境破壊の違法

新市民会館の建設は,周辺の景観を悪化させ,松本市という山岳都市のイメージを著しく損ねる等,優れた景観を有する観光資源を破壊する。また,水辺を含む緑地公園が破壊され,市民の憩いの場が奪われる等,日照妨害・風害・電波障害・交通渋滞等の害悪をもたらし,地下水の枯渇,樹木・水辺の消滅,生物の生態系の破壊等従前の良好な環境を破壊し住民に害悪を及ぼすものである。したがって,本件計画は違法である。

(エ) 立地条件の違法

新市民会館は,建物内での火災発生の場合の避難場所がなく,敷地一杯に建てられるため,周辺通路には余裕もないため,災害発生の際の避難場所を市民から奪うばかりか,周辺には駐車場が全くなく,交通渋滞や人が溢れて交通事故が発生する危険性がある等,立地条件として欠陥がある。

(オ) 結論

被告らの新市民会館建設に伴う公金の支出は,以上のとおり,違法不当なものであるから,原告らは,被告松本市長に対し,新市民会館建設に関する一切の公金支出の差止めを,被告Aに対し,既支出の4億1182万9000円及びこれに対する支払済みまで年5分の割合による遅延損害金(遅延損害金の起算日は,原告らの訴えについては原告ら監査請求の翌日である平成14年2月8日,原告ら共同訴訟参加人の訴えについては原告ら共同訴訟参加人監査請求の翌日である同年8月30日。)を松本市に支払うよう求める。

イ 被告ら

(ア) 手続面について

被告らは,新市民会館を民主的な手続を踏まえて着実かつ公正に進めてきたもので,違法性はない。

(イ) 財政面について

原告らの挙げる諸法規は,財政運営上の抽象的な指針を定めたものであるから,違法性判断の基準とはならない。

新市民会館は,多面的な利用を目的とするオペラの上演も可能な施設であって,オペラ専用に特化した施設と運営形態を備えた劇場であるオペラハウスではない。新市民会館は,以下のとおり松本市にとって必要な施設である。

①平成11年9月30日に廃止した社会文化会館の収容座席数程度の規模・機能を新市民会館において確保する必要があること,②1800席規模が,市民の大多数の要望であること,③新市民会館の立地と長野県松本文化会館の立地は異なり,新市民会館は松本市街地の活性化の役割も担うこと,④旧市民会館以下の収容人員や特定の使用目的に限定した機能に特化すべきでないこと,⑤松本市は類似都市と比較して多人数を収容できる大規模施設が少ないとの指摘に応える必要があること(乙33),⑥長野県松本文化会館については利用者から使い勝手が悪いとの不満が多いこと(乙25),⑦松本市の持つ自然や地理的な優位性を生かした全国的・全県的な大会や各種集会ができる必要があること等から,長野県松本文化会館とは別に,新市民会館の建設が必要である。

松本市の全会計市債残高は,平成12年度末で約1800億円である。

松本市がした市税収の見通しの試算は,歳入見通しを厳しく算定しており,現実を踏まえた的確なものである。

新市民会館建設事業費のうち,市債分は,地域総合整備事業債によるもので,同制度は平成13年度をもって廃止となったが,平成13年度までに着手した事業については従前どおりの財政措置がとられる。地域総合整備事業債は,毎年の元利償還金の約44パーセントが地方交付税に算入される。したがって,地方交付税の削減と見直しにより松本市の財政が悪化する旨の原告らの主張は誤りである。

さらに,新市民会館の維持管理費用は,年間約3億6000万円程度である(乙7)。周辺にある公共ホールの実績と比較して検討すると,事業費も年間9000万円を上回ることはないと考えられ,合計でも4億5000万円程度であるから,原告らの主張する10億円以上との金額は明らかに過大である。

松本市の平成13年度及び同14年度の一般会計当初予算額は,約720億円で,特別会計,企業会計を合わせると総額約1300億円の規模である。したがって,新市民会館建設事業費のうち,松本市が支出する119億円について裁量権の逸脱はない。

(ウ) 環境破壊について

原告らの環境が破壊されるとの主張は具体性に乏しい上,旧市民会館敷地内に存在した樹木等については保存,移植,植戻し等の処置を講じる予定であり(乙11p4),良好な環境を維持することにも配慮している。

また,新市民会館は,行政法規における規制基準上何らの違反はないから,これらの点により被告松本市長の裁量権が制約を受けることはない。また,原告らの主張する危害は,それらが発生する蓋然性はなく,それらの危害により侵害されるとする諸利益も反射的利益に留まるものに過ぎず,その権利性が認められず,仮に権利性を有するとしても,その制約は,受忍限度内に留まるもので,違法ではない。

(エ) 立地条件について

新市民会館と隣接地との間には,敷地境界線との間が最も狭い箇所で東側で約9.3メートル,南側で約10.4メートル,西側で約3.9メートル(深志神社の建物との間には約12メートル)の空間があり,北側には幅約23.1メートルの県道があり,十分な余裕がある(乙13)。

施設からの避難動線は,メインエントランス,サブエントランス,大ホール楽屋口の3方向に確保され,大ホールの搬出入口も開放するため5方向に避難することが可能である。

また,新市民会館付近には,市有地に75ないし125台分の駐車スペースが,近接する松本市美術館に80台分の駐車スペースが,隣接する山源有料駐車場には200台分の駐車スペースがあり,他施設との供用とはいえ,最大で405台ほどの駐車スペースが確保されている。また,周辺市街地の立体駐車場の利用も可能である(乙11p3)。

さらに,新市民会館はJR松本駅から約800メートルと距離的に近いことから,公共交通機関の利用を主たる交通アクセス手段としており,また大規模な催し等の場合はシャトルバスやパークアンドバスライド方式の導入を検討しているので,何ら問題はない(乙11p3)。

ウ 被告A

(ア) 損害について

原告らは新市民会館について中規模ホールの建設により代替すべきである旨主張するが,中規模ホール建設に当たっても必要となる金額については損害には含め得ないところ,原告らはこれを主張していない。本件公金支出により松本市は反対給付を得ているから,松本市に損害は発生していない。

(イ) 過失について

被告Aは,松本市議会の市民会館建設特別委員会において基本計画が了承された平成12年8月24日当時,あるいは,設計契約が締結された同年11月28日,工事損害調査委託契約が締結された平成13年5月29日,松本市議会が議決して請負契約の効力が生じた平成13年11月19日のいずれの時点においても,平成10年6月の財政見通し(乙15)あるいは平成12年8月24日の財政見通し(乙38)を前提として,何ら無理のない財政計画に基づいて立案,建設がされているから,過失がない。

第3当裁判所の判断

1  本案前の答弁について

(1)  普通地方公共団体の住民が当該普通地方公共団体の長の財務会計上の行為を違法,不当であるとしてその是正措置を求める監査請求をした場合において,当該監査請求が,当該行為のあった日又は終わった日から1年を経過してされたものであるときは,地方自治法242条2項本文により,同項ただし書の「正当な理由」がない限り不適法である。作為行為の場合は,監査請求期間の制限を受けないとの原告らの主張は,独自の見解に過ぎず,失当である。

(2)  また,同項ただし書にいう「正当な理由」の有無は,特段の事情のない限り,普通地方公共団体の住民が相当の注意力をもって調査したときに客観的にみて監査請求をするに足りる程度に当該行為の存在又は内容を知ることができたと解される時から相当な期間内に監査請求をしたかどうかによって判断すべきものである(最高裁判所昭和63年4月22日第二小法廷判決・裁判集民事154号57頁,最高裁判所平成14年9月12日第一小法廷判決・民集56巻7号1481頁)。

(3)  原告ら監査請求について

これを本件についてみるに,原告ら監査請求は,地方自治法242条1項にいう「違法若しくは不当な公金の支出」があるとしてされたものであるところ(甲2),前提事実(8)記載のとおり2848万円分についての本件設計委託料支出日は平成12年12月25日で,原告ら監査請求は平成14年2月7日にされているから,この支出分についての原告ら監査請求は地方自治法242条2項本文に規定する監査請求期間を徒過している。また,平成12年11月15日付の「広報まつもと」には,「今後の日程」として「㈱伊東豊雄建築設計事務所に委託し,設計を進めます。」と記載されており(乙18の1・2),平成13年4月15日付の「広報まつもと」には,「エスキースコンペ(構想提案方式)の結果,選定された伊東豊雄建築設計事務所の構想提案書に基づき,(中略)この度,新市民会館(現地改築)の基本設計ができました」(乙20)と記載されている。上記両広報を合わせて読めば,遅くとも平成13年4月15日には,株式会社伊東豊雄建築設計事務所が委託された設計を終えていることが明らかであるから,普通地方公共団体の住民が相当の注意力を持って調査したときに客観的にみて,遅くとも平成13年4月15日には,監査請求をするに足りる程度には本件設計委託料支出がされていることを知ることができたと認められる。したがって,平成14年2月7日にされた原告ら監査請求は,相当な期間内にしたものとは認められないから,本件設計委託料支出のうち2848万円分については,前記「正当な理由」を認めることができず,不適法である。

したがって,原告らの本件訴えのうち,2848万円分の本件設計委託料支出に関する部分は適法な監査請求を経ずに提起されたものであるから,不適法である。

(4)  原告ら共同訴訟参加人監査請求について

原告ら共同訴訟参加人監査請求は,原告ら監査請求とほぼ同旨のものであるところ,前提事実(8)記載のとおり6646万円分についての本件設計委託料支出日は平成13年4月20日で,原告ら共同訴訟参加人監査請求は平成14年8月29日にされているから,前記(3)記載の2848万円分及び上記6646万円分の合計9494万円分についての原告ら共同訴訟参加人監査請求は地方自治法242条2項本文に規定する監査請求期間を徒過している。また,「正当な理由」を認めることができないことは原告ら監査請求と同様である。

したがって,原告ら共同訴訟参加人監査請求のうち,9494万円分の本件設計委託料支出に関する部分は,適法な監査請求を経ずに提起されたものであって不適法である。

2  本件計画の手続的違法の主張についての判断

普通地方公共団体の長が市民会館等の施設の建設に関し,具体的な法規に定められた手続を行わず,これに違反する場合には,当該施設建設のための支出行為も違法となる場合があるものということができる。

原告らは本件計画に適正手続き無視の手続的違法があるとして縷々主張するが,その主張の根拠として挙げる各事実が,具体的法規において普通公共団体の長に義務づけられた手続要件に違反する旨の具体的な主張はない。したがって,この点に関する原告らの主張は失当である。

3  財政面についての判断

(1)  市民会館等の施設の建設に関して,いかなる規模及び機能を有したものを,どのように建設すべきかを明確に規定・規律する法規はなく,普通地方公共団体の長には,その建設について広範な裁量権が認められる。また,地方公共団体はその財政の健全な運営に努め(地方財政法2条1項),当該年度のみならず翌年度以降における財政の状況をも考慮して,その健全な運営をそこなうことがないようにしなければならない(同法4条の2)が,財政運営において健全な運営を図るためにいかなる手段を採用するか,支出の優先順位をどのようにするかについては当該地方公共団体の裁量に委ねられていると解すべきである。上記各法条を含め,原告らが違法事由の根拠として主張する地方自治法及び地方財政法の各規定は,いずれも地方公共団体がその事務を処理するに当たって準拠すべき一般的,抽象的な指針を定めた規定であって,これらの規定がただちに地方公共団体が市民会館等の施設を建設するについての事務処理の適否の判断基準となる具体的な法規範としての性質を有するものと解することはできないが,①その手続や判断の内容に何人の目から見ても明らかな過誤や不合理があることが認められるような特段の事情があり,これらの事情があることによって,上記財政運営手段ないし支出優先順位について地方公共団体の長の判断内容にも何人の目から見ても明らかな過誤や不合理があると認められる場合,②全く必要性のない施設を建設する場合や,必要性の著しく乏しい施設を適正な建築費用よりも著しく高額な費用で建設する場合等,社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであると認められる場合には,上記各規定の趣旨に著しく反する行為であり,地方公共団体の長に与えられた当該裁量権を逸脱したものとして違法の評価を受けるものと解すべきである。

(2)  本件について上記裁量権の逸脱が認められるか否かを検討する。

ア 上記②の観点からの検討

(ア) 前提事実記載のとおり,新市民会館は,旧市民会館を建替えるものであって,建替え自体の必要性は当事者間に争いがないから,新市民会館が全く必要性のない施設であるとは認められない。

(イ) 新市民会館と規模,機能面においてほぼ同様の長野県松本文化会館が存在すること及び長野県松本文化会館におけるオペラの上演回数が年間2,3回程度であることは,新市民会館建設の必要性の程度に影響を与える事情である。しかし,新市民会館の建設費用が,適正な建築費用よりも著しく高額なものであるか否かについては,原告らは,座席数において新市民会館を上回る長野県松本文化会館が70億4600万円で建設できたことを指摘するのみであって,上記両施設の建設時期が異なること,座席数のみから直ちに建設費用が自動的に算定されるものではないこと等に照らすと,原告ら指摘の事情から新市民会館の建設費用が,適正な建築費用よりも著しく高額な費用であると認めることはできず,他にこの点に関する具体的な主張・立証はない。

(ウ) したがって,上記②の観点からは違法の評価を受けない。

イ 上記①の観点からの検討

(ア) 松本市は前提事実記載のとおり国の経済見通しに基づき市税収入の見通しを試算しているが,経済が常に変動し,予測が困難であることに照らすと,その後の経済変動によって市税収入の見通しを見直したことをもって,被告松本市長及び被告Aが新市民会館建設に当たって依拠した財政見通しに何人の目から見ても明らかな過誤や不合理があるとは認められない。

(イ) 以下に掲記の各証拠及び弁論の全趣旨によれば,新市民会館の維持管理費用については,確定的な予測はされていないこと,平成13年10月5日,市民会館建設特別委員会に対する説明資料として,松本市は新市民会館の年間の管理運営費として,人件費1億円程度,維持管理費2億6000万円程度に事業費が加算されるとして,概算として3億6000万に事業費が加算された額との概算見積をしたこと(乙7),その後,遅くとも平成14年12月17日までに,松本市は,市民会館建設特別委員会に対し,新市民会館の年間の自主事業費として1億5000万円ないし2億5000万円,維持管理費として2億6000万円ないし3億5000万円,人件費として1億円ないし1億8000万円とし,使用料収入などを除いた松本市の実質負担額は年間4億4000万円ないし6億6000万円と概算を示したこと(甲139)が認められる。

原告らは,新市民会館とほぼ同規模の施設と比較すると,新市民会館は最低でも10億円以上の維持管理運営費がかかる旨主張するが,維持管理運営費が施設規模に応じて定まることを認めるに足りる的確な証拠はない。したがって,新市民会館の維持管理運営費についても,明らかな過誤や不合理があるとは認められない。

さらに,市民会館という施設の性質に照らすと,維持管理費用がかかることや財政負担を増大させること自体は違法と評価する余地はなく,維持管理運営費について,原告ら主張の費用を要するとしても,これをもって前記財政運営手段ないし支出優先順位について被告松本市長がした判断内容に何人の目から見ても明らかな過誤や不合理があるとは認められない。

(ウ) したがって,上記①の観点からも違法の評価を受けない。

ウ その他,原告らが縷々主張する事情を考慮しても上記判断を左右しない。したがって,原告らのこの点に関する主張は失当であるか,理由がない。

4  環境破壊・立地条件の主張についての判断

市民会館建設に当たって観光資源,日照,風害,電波,地下水,周辺の生態系等住民の生活環境に及ぼす影響及び交通渋滞,災害発生の際の避難場所等の観点からの立地条件をも勘案して適切な配慮をすることが妥当であり,本件計画が上記配慮の観点から規定された具体的法規に違反すると認められる場合には,市民会館建設のための公金の支出も違法となる可能性があるということができるが,原告らは具体的な法規に違反すると主張するものではないから,本件計画の適法性の判断を左右しないので,この主張は失当である。

5  結論

以上のとおり,原告らの本件訴えのうち,本件設計委託料支出に関する部分(上記1(3)(4))は不適法であって却下を免れず,その余の請求はいずれも理由がないから,その余の争点につき判断するまでもなくこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻次郎 裁判官 杉本宏之 裁判官 進藤光慶)

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