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長野地方裁判所 平成15年(わ)280号 判決 2004年8月25日

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中240日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,昭和16年に出生し,本籍地(現在の長野市a)で育ち,昭和35年3月,長野県内の県立高等学校を卒業後,東京都内の運送会社に就職するなどした。

昭和38年3月ころ,被告人はaに戻り,同年8月ころから,A組合で弁当配達等の仕事をするようになり,同組合専務理事の義弟で,そのころまで同組合に勤務していた本件被害者B(昭和12年生まれ)と知り合った。

Bは,昭和48年,土木建築請負業等を目的とするC建設株式会社を実兄とともに設立し,その後同社代表取締役となった。

被告人は,A組合に勤務していた昭和39年,交通事故を起こして頭部外傷を負い,同組合を辞め,その後東京都等とaの間で転居,転職を繰り返し,昭和44年に現在の妻と結婚するなどした後,昭和57年ころaに戻った。

被告人は,aに戻ったころ,Bが社長を務めるC建設に雇われ,現場送迎の運転手,土木作業員として,数回の休職を経て,平成9年末ころまで勤務した。

平成9年末ころ,被告人は,C建設の人員整理のため解雇されたが,同社の就業規則には退職金の規定がなく,被告人に退職金は支給されなかった。被告人は,退職金の支払を受けられないことに不満を抱いていた。

被告人は,C建設退職後,職を転々としたが交通事故を起こすなどしていずれも長続きせず,平成12年ころ以降は定職につかなかった。被告人は,aの自宅で妻や長男と生活していたが,親戚やサラ金からの借財も増え,被告人一家の収入は,被告人の障害者年金並びに妻及び長男の給料のみであり,その家計状況は厳しく,被告人は,家族に対して負い目を感じていた。

被告人は,C建設退職後も,しばしばBと雑談をするため,判示事務所を訪ねたが,Bから退職金の話や再雇用の話は出ず,苛立っていた。被告人は,平成13年ころから,Bからせめて10万円程度の金を借りようと思い,同社事務所を訪ねるなどした。

平成15年になってから,被告人は,B宅にも行って借金を申し込むなどしたが,Bからその都度断られ,同年4月中旬ころから,自分が生活に困っているのは,Bが退職金を支払わず,借金の申入れを無下に断るからだなどと考えるようになり,被告人の妻に対し,Bに対する不満や怒りを態度や言葉に表すようになった。

同年5月31日,被告人は,長男と大げんかをした際,自宅の新築代金のローンの支払を長男にさせて父親としての権威がないと悩み,同年6月1日は何もせずに過ごし,同月2日,医師から禁じられていた飲酒をした。

同年6月3日,被告人は,朝食後,抗てんかん剤等を服用し,前日購入したウィスキーを飲み,午前8時20分ころ,かかりつけの精神科の医師と電話で話したが,まだ苛ついた気持ちは治まらず,退職金の支払のないことやBから借金の申込みを断られたことを思い出し,被告人の生活が困窮しているのは,Bが退職金を支払うと言っていたのにその約束を守らないからであると身勝手に考えてBに対する恨みを増幅させ,Bに会いに行き,退職金の支払や借金の申込みに応じない場合には,Bにガソリンを掛けて火を付けて焼き殺し,区切りを付けようと思い立った。

同日午前9時30分ころ,被告人は,C建設の作業服に着替え,殺虫剤スプレー缶,ライター,丸めた新聞紙をズボンのポケットに入れ,ブリキ製バケツ1個と給油ポンプを持ち出して自分の軽トラックからガソリンを取り出そうとしたがこれができないため,軽トラックを運転して自宅を出て,同日午前9時40分ころ,付近のガソリンスタンドでガソリン10リットルを購入してオイル缶に入れてもらい,長野市・・・所在のC建設の事務所に向かった。

同日午前10時ころ,被告人は,同事務所前に到着し,ガソリン約4リットルをバケツに移し換えて同事務所の通用口付近に隠し置き,1階事務室に立ち入った。当時,Bと女性事務員1名が同事務室内にいた。

被告人は,Bから来訪の用件を尋ねられると,所携の殺虫剤スプレー缶を示して,Bに対し,「シロアリ駆除の薬です。2万円で買ってくれませんか。」などと申し向け,Bの新居のシロアリ駆除の仕事をさせて欲しい旨述べたが,Bからこれを断られた。被告人は,Bが自分の話を全く相手にせず,わずか2万円の金も出してくれないと身勝手に考えて内心激昴し,Bに対し確定的な殺意を持ち,表面上は平静を装いながら,一旦事務室から事務所通用口付近に出た。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成15年6月3日午前10時40分ころ,長野市・・・所在のB(当時65歳)ほか1名が現在する鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺2階建(床面積合計300.92平方メートル)のC建設株式会社1階事務室に,あらかじめ同建物通用口付近に隠し置いたガソリン約4リットル入りのバケツを持って立ち入り,Bの顔面に所携の殺虫剤スプレーを噴射するなどし,Bに対し,殺意をもって,上記ガソリンをBの全身に浴びせ掛けた上,Bにガソリンを掛けて点火すれば上記建物を焼損することを認識しながら,所携のライターで点火して火を放ち,Bの身体を燃え上がらせ,更にその火を同事務室内の床面,内壁等に燃え移らせ,よって,同事務室内の天然木目合板張り内壁及び木製間柱等を焼損(床面積約41.7平方メートル)させるとともに,同月5日午前4時8分ころ,同市・・・D病院において,Bを熱傷死させて殺害したものである。

(事実認定の補足説明)

1  弁護人は,被告人が,Bに頼まれて,Bにガソリンを掛けた事実はあったが,実際に火を付けたのはB自身であり,被告人は火を付けていないから,無罪である旨主張し,被告人も公判において,同様に供述している。

当裁判所は,① 本件犯行を目撃した証人Eの当公判廷における供述,② 本件犯行の約1時間後,D病院において,Bが警察官の事情聴取に答えて,「被告人にガソリンを掛けられ,火を付けられた。」旨の供述,③ 被告人が捜査段階で全面的に本件犯行を認めた供述,のいずれからしても,被告人が本件犯行を敢行したことは明白であると考えるが,なお,補足して説明する。

2  Eは,当公判廷及び捜査官に対する供述調書において,次のとおり供述している。

犯行当日午前10時ころ,被告人が判示事務室を訪れた。当時,事務室には,B社長と女性事務員の私(E)がいた。被告人は,応接椅子に座り,B社長と話をした。被告人がB社長にシロアリ駆除をさせて欲しい旨述べ,B社長がこれを断っていた。しばらくして,B社長が,玄関の方に向かって何か声を掛けたので,私が,パソコン机に座ったまま振り返って見たら,被告人がブリキのバケツを下げて事務室の中に入ってくるのが見えた。被告人はB社長に近付き,その顔に向けてスプレーを吹き掛け,B社長は,「臭い。臭い。やめろ。」と言って,顔を覆いながら逃げ,被告人はなおも,スプレーを掛け続けた。その後,被告人は,バケツの液体をB社長に掛けたが,その際,「バッシャ」という音が聞こえた。B社長が「臭い。臭い。ガソリンか。」と言ったので,バケツの中の液体がガソリンだと分かった。机があったので,下の方は余り見えなかったが,B社長は,上半身はほとんどずぶぬれの状態だった。被告人は,左手に丸めた新聞紙を持ち,右手に持ったライターで火を付け,B社長の方に投げ付けたが,その火は引火することなく消えた。B社長が,キャビネット沿いに出口の方に逃げようとすると,被告人は,机を回り込んで,「1万や2万のことで何だ。」と言い,右手に持ったライターの石をこする動作をしながら,B社長の逆の側から追い込んだ。私は,怖くなって,事務室の外に出たが,B社長が気になって玄関のところに戻ると,B社長の上半身が燃え,火だるまになっていた。その後,事務室の奥が,下から上に向かって火がぼうっと広がった。B社長は,「熱い,熱い,水,水。」と言って外に逃げようとしていた。私は,玄関に出てきたB社長に玄関前のホースで水を掛けた。B社長の着ていた服もほとんど燃えてなくなって,肌があらわになっており,髪の毛は焼けて縮れ,まつげも燃えてなくなり,目も赤く充血していた。被告人は,事務所前の道路に止まっていた白い軽トラックに乗り,逃げて行った。

以上のとおりである。

E供述は,自然かつ合理的であり,関係証拠とも良く符合し,E証人がその体験をありのまま詳細に供述したものと認められる。また,Eがことさらに被告人に不利に虚偽の供述をする動機は見当たらない上,Bが建物外に出てきた後,Bに水を掛けてやるなど合理的な行動をとっていることに照らせば,弁護人の主張するようなEの記憶違いは考え難く,その供述の信用性は高い。

3  これに対し,被告人の供述状況を見ると,被告人は,捜査段階において,本件犯行に至る経緯や本件犯行について,E供述やB供述に符合した全面的に犯行を認めた供述をし,実況見分でもE供述と一致する犯行再現を行っていたが(実況見分調書),起訴前の鑑定留置中に,本件犯行はBから依頼を受けてしたものである旨の供述をするようになり,公判においては,「犯行の10日前,判示事務所でB社長と話をした際,B社長から,『義理事で金を使って,金がなくなった。やくざ稼業は子供に継がせたくない。このようなことは自分1人でもう終わりにしたいので,死ぬしかない。ガソリンを掛けて,火を付けたふりをしろ。新聞紙の丸めたのを持ってこい。ライターはつかなくていいから持ってこい。』と命令をされた。1週間してB社長に電話したところ,『待ってる者の身にもなってみろ。なるべく早くしてくれよ。』と言われた。3か月間は被告人がガソリンを掛けて殺したことにしておくという依頼であって,『3か月たったらFを呼んで,その話をして訴えを取り下げさせればいい。』と言われていた。犯行時に,殺虫剤スプレーを吹き付けたのは,B社長が死ぬ気がなかったら,逃げ出してくれると思ってしたが,全然抵抗はなく,死まで本当に思い詰めてるという気持ちになって,ガソリンを掛け,新聞紙を出して火を付けるまねをして投げ,入口の方に向かった。約5秒後『ドカン』というものすごい音がした。その時は,3メートルくらい離れたところにいた。B社長は火だるまになった。火は本人が付けた以外にない。」と弁解するに至っている。

被告人の上記弁解は,① Bが,被告人に自己の殺害を依頼した根拠が薄弱であり,② 犯行時に火の付かないライターをあえて持って行くこと自体不自然であり,③ 犯行後3か月は被告人の犯行としておく理由があいまいかつ不合理であって,信用できるE供述や捜査段階で被告人が詳細に犯行態様を自供していることとも符合しない。

4  これに加えて,Bが自殺を考える可能性について見ると,前掲証拠によれば,① Bの経営するC建設は,平成14年度決算において利益を計上するなどその経営に問題はなく,Bも,従業員に明るい態度で接し,その信望を得ていたのであって,仕事上のトラブルや悩みを抱えていた形跡がなく,② Bは,家庭菜園の趣味を持ち,自身の生命保険を解約して,家庭菜園のための費用に充てたりし,妻との関係も良好で,3人の子供も成人して独立して生活しており,その健康面においても,家庭生活の面でも悩みを抱えていた形跡がなく,③ 本件の保険関係を見ても,上記のようにBは,生命保険を解約するなどし,本件当時,Bには2口合計約4000万円の保険が掛けられていたのみであって,火災保険も2000万円であり,Bの社会的立場から見れば保険金額は少額であることが認められる。その他関係証拠を精査しても,Bが自殺を希望し,これを被告人に依頼する動機は全く見当たらないのである。

5  そして,前掲証拠(捜査報告書)によれば,Bは,救急搬送された病院で録音機を使用して事情聴取を行った警察官に対し,「10時近くに来て,30分くらいコーヒーを飲んで普通に話した。」「トイレ貸してくれって言って,それで表に出て,バケツを持ってきて,ガソリン,頭から,バーっと掛けた。『2万や3万の金使えねえのか。この馬鹿社長。』って言った。わしは慌てて,上だけ脱いだわけだ。」「長袖のシャツにポロシャツ。」「裸になって。だから,助かったわけだ。あれ,脱がなきゃ死んでしまうで。」「うちの従業員が,花壇にホースがあるから,それ,水,頭から掛けてもらって,」「それで消してもらったんだ。」「なんのためにガソリン用意してあったかわからねえんだ。」と供述していることが認められる。

このBの供述も,本件犯行直後に,本件犯行状況を具体的に供述しているものであり,E供述とも良く符合する上,Bがことさら被告人を陥れる虚偽の供述をすることは考えられないのであり,その信用性は高い。

上記のとおり,Bが,着用していた服の上を直ちに脱いでいること,全身が火だるまの状態になり,玄関から外に出て,Eに水を掛けてもらっていること,自動車を火災から守るために自ら運転して移動させていること(E供述)などのBの行動,特に,着用していた服の上を脱いだので死なずに済んだ旨供述していることは,およそ自殺を希望し,これを覚悟した人間の行動でないことは明らかである。

6  さらに,被告人の犯行前後の行動及び被告人の火傷の状態を見ると,前掲証拠によれば,被告人は,① 本件犯行の際,事務室にいた女性事務員のEに対し,その身に危害が及ばないようにするための何らの配慮もしておらず,② 本件犯行後,速やかに犯行現場を立ち去って帰宅し,誤って互い違いに履いていた自分のサンダルとC建設のスリッパを雑草の生い茂る隣家の畑に捨て,オイル缶を自宅から約140メートル離れた被告人所有の元豚小屋に投げ込んで隠し,③ 緊急逮捕された際も,警察官に対し本件犯行についてあいまいな供述をするなどしており,④ 本件犯行により,右手甲の親指の付け根部分に,横約3.5センチメートル,縦約2センチメートルの火傷と,右足甲の薬指の付け根部分に,横約1.5センチメートル,縦約2.5センチメートルの火傷を負っていることが認められるのであって,このような行動や火傷の状態からも,被告人の当公判廷における弁解が虚偽であることは明らかである。

7  以上の検討によれば,被告人がBに対し,殺意をもって,あらかじめ持参したバケツ入りのガソリン約4リットルをBの全身に浴びせ掛けた上,Bにガソリンを掛けて点火すれば判示建物を焼損することを認識しながら,所携のライターで点火して火を放ち,Bの身体を燃え上がらせ,熱傷死させて殺害するともに,本件建物を焼損させたことは明白であって,何らの疑いを入れる余地はない。

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち,現住建造物等放火の点は刑法108条に,殺人の点は同法199条にそれぞれ該当するところ,これは1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,同法54条1項前段,10条により1罪として,(後記の刑の選択を考慮し,)犯情の重い殺人罪の刑で処断することとし,所定刑中無期懲役刑を選択して,被告人を無期懲役に処し,同法21条を適用して未決勾留日数中240日をその刑に算入し,訴訟費用は,刑事訴訟法181条1項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は,被告人は,22歳の時に交通事故により受傷した右側頭葉脳挫傷に起因する器質性人格変化を有しており,通常人以上に易怒・興奮を強め,他罰感情に支配されて感情抑制ができない状態に陥っていたのであるから,心神喪失若しくは少なくとも心神耗弱の状態にあった旨主張するので,この点について判断する。

1  被告人の病歴等について見ると,前掲証拠によれば,被告人は,22歳であった昭和39年5,6月ころ,二輪車を運転中に交通事故を起こし,右側頭葉脳挫傷の傷害を負ったこと,C建設勤務中の平成2年10月ころ,作業現場で意識を喪失し,精神科医にてんかんであるとの診断を受けたこと,平成5年ころから,被告人は,月に数回の引きつけを起こし,C建設退職後,引きつけを起こす回数は減少したものの,意識を失う発作(複雑部分発作)を起こすことが多くなったが,平成13年以降,てんかんは小康状態を保っていたことが認められる。

2  被告人の犯行当時の精神状態について,医師Gは,同人作成の鑑定書及び同人の当公判廷における証言において,次のとおり述べている。

すなわち,被告人の本件犯行において,てんかん性の精神病と言われるようなものが関係していたとは考え難く,アルコールの影響も,一般に見られる軽い酩酊状態の範囲にあり,被告人に統合失調症の臨床症状は見られないというのである。そして,その鑑定書において,「被告人は,本件犯行当時,右側頭葉脳挫傷に起因する外傷性の側頭葉てんかんと器質性人格変化を有し,本件犯行当時,器質性人格変化の状況反応を呈し,状況反応的に易怒,興奮を強め,他罰感情に支配されて感情制御ができない状況にあった。」としているが,証言において,「その制御できない程度は,怒りっぽい人と同じレベルに近いものと考えられ,普通の人が怒って暴力的な行動を起こすことがあるというのと抑止力の比較でいうと同じだと思う。」旨供述しているのであって,行為の是非善悪を弁識し,これに従って自己の行動を制御する能力がある程度障害があったと考えられるが,自己の行動を制御する能力を著しく欠いていたとは言えないというのである。

3  そこで,さらに被告人の本件犯行の動機について見ると,前記のとおり,被告人は,平成9年末ころ,人員整理のためC建設を解雇された際,同社に退職金の規定がなく,退職金の支払がなかったことに内心不満を抱いていたところ,平成13年ころから,被告人は,退職金を払ってもらえないなら,Bから,せめて10万円程度の金を借りようと思い,判示事務所を訪れ,Bに借金を申し入れるなどしていたが,Bからその都度断られ,平成15年4月ころからは,自己が生活に困っているのは,Bが退職金を支払わず,借金の申入れを無下に断るからだと考えるようになって,その妻にも不満を述べるなどしていたが,犯行当日,いよいよ追いつめられた気持ちから,被告人は,Bに退職金の支払を求め,それが駄目なら借金を申し込み,それに応じないなら,Bを焼死させようと企てて,準備行為をし,犯行直前,判示事務所に赴き,Bと雑談をした上,所携の殺虫剤スプレー缶を示して,Bに対し,「シロアリ駆除の薬です。2万円で買ってくれませんか。」などと申し向けたが,Bから断られたことについて,Bが自分の話を全く相手にせず,わずか2万円の金を出してくれないと考えて内心激昂したことが本件犯行の直接の動機であると認められるのであって,被告人がBに対しガソリンを掛けた際,「2万や3万の金使えねえのか。この馬鹿社長。」などと言っていたことも,これらの経緯に符合しており,被告人の犯行動機は十分に了解できるものである。

4  そして,本件犯行前後を通じて被告人の行動を見ると,その犯行準備の状況や犯行態様は,判示のとおりであって,入念な準備をした上,手際良く犯行を遂行しており,本件犯行後,被告人は,自宅に逃走し,互い違いに履いていた自分のサンダルとC建設のスリッパを隣家の畑に捨て,オイル缶を隠し,自宅に訪れた警察官に対し,本件犯行についてあいまいな供述をするなどの罪証隠滅行為を行っており,これらの行動は,犯行後の犯人の心理に基づく合理的な行動と理解できるのである。

5  このように,被告人の犯行動機は,独善的かつ他罰的で,易怒的な人間の行動様式としては,十分了解可能であり,犯行の前後の行動も合理的であることからすれば,被告人が,本件犯行時,てんかん発作又はてんかん性気分変調等の精神症状になかったことは明らかであって,精神病の影響は否定されるところであり,被告人に器質性人格変化の状況反応を呈し,状況反応的に易怒,興奮を強め,他罰感情に支配されて感情制御ができない状況にあっても,行為の是非善悪を弁識し,その弁識に従って自己の行動を制御する能力が著しく減弱した状態になかったことは明らかであって,同旨のG鑑定は是認できるものである。

6  以上の次第で,被告人は,犯行当時,行為の是非善悪を弁識する能力に問題がなく,その弁識に従って自己の行動を制御する能力を喪失していたり,これが著しく減弱した状態になかったことは明らかであるから,弁護人の主張は理由がない。

(量刑の理由)

本件は,被告人が,かつて土木作業員として勤務した建設会社の社長である被害者に対し,同会社の事務所において,殺意をもって,ガソリンを同人の全身に浴びせ掛けた上,同人にガソリンを掛けて点火すれば,同人のほか女性事務員1名が現在する判示建物を焼損することを認識しながら,所携のライターで点火して火を放ち,被害者の身体を燃え上がらせ,更にその火を判示事務所内の内壁等に燃え移らせ,よって,同事務所を焼損させるとともに,被害者を熱傷死させて殺害したという,現住建造物等放火,殺人の事案である。

被告人の犯行動機を見ると,被告人は,平成9年に上記会社を退職した際に,同社に退職金の規定がなく,退職金を受け取ることができなかったことに不満を抱いていたところ,犯行当日,被告人が金に困っているのは,被害者が退職金を支払うと言っていたのにその約束を守らず,被告人の借金の申込みにも応じないからであるなどと独善的に考え,その生活の困窮の悩みを被害者に対する恨みに転嫁させ,被害者が退職金を支払わず,借金の申込みにも応じなければ被害者にガソリンを掛けて焼き殺し,区切りを付けようなどと身勝手かつ激情的に思い立ち,ガソリン等を準備して判示事務所に赴き,被害者と雑談をした上,被害者に対し,「シロアリ駆除の薬です。2万円で買ってくれませんか。」などと申し向けたが,被害者から断られたことについて,被害者が自分の話を全く相手にせず,わずか2万円の金も出してくれないと身勝手に考えて激昂し,本件犯行に及んだものである。退職金について見ると,5年以上も前に退職した際のもので,その具体的な請求をしたこともないのに,その支払を一方的に期待し,借金について見ると,被害者には,被告人に何ら金員交付に応じる義務がないのに,これに応じないことを殺害の動機としたものであって,その動機には,一般人を納得させるものは何も無く,被告人の退職後も話相手となるなどしていた被害者の立場を考慮しない極めて身勝手で独善的なものであり,全く酌量の余地はない。

その犯行態様について見ると,被告人は,自宅で,動きやすい作業衣に着替え,被害者の視界を奪ってガソリンを掛けやすくするための殺虫剤スプレー缶やライター,新聞紙等を準備し,給油ポンプを使用して自分の軽トラックからガソリンを取り出そうとしたが,これができなかったことから,判示建物に行く前にガソリンスタンドに寄ってガソリン10リットルをオイル缶に入れてもらって用意し,これらを携帯して判示事務所に行き,同事務所の外で,ガソリン約4リットルをバケツに入れて隠し置き,事務室で被害者と話をし,金員の調達ができないと考えるや,被害者の殺害を決意し,トイレに行く旨述べて外に出て,用意したバケツを持って判示事務室に戻り,右手に殺虫剤スプレー缶を持ち,被害者の目の辺りを狙って殺虫剤スプレーを噴射し,後ずさりをする被害者に近寄り,しつように被害者の顔面を狙ってスプレーを噴射し続け,被害者の動きを止めた上で,確定的殺意をもって,被害者に対し,ガソリン約4リットル入りのバケツを振って多量のガソリンを掛け,被害者を確実に殺害するとともに判示事務所を焼損させるため,所携の新聞紙にライターで火を付けて被害者に投げ付けて引火させようとし,新聞紙の火が付かないと見るや,逃げる被害者に対し,机を反対側から回って近付き,携帯していたライターを使用して直接着火しているのであって,被害者を生きたまま焼いて殺そうという,計画的で,悪質かつ残虐極まりない犯行である。

被害者は,ガソリンを掛けられた着衣の上を脱ぎ,必死の思いで業火から逃れようとし,水を掛けてもらい,即死を免れることはできたが,全身の約90パーセントにも及ぶ3度の広範囲重傷熱傷の傷害を負い,長時間にわたる激しい苦痛に耐え,面会に駆け付けた妻や子供らの家族にも心配をかけまいとする気丈な発言をする中で,医師らによる懸命の治療もむなしく,本件犯行の翌々日に熱傷死しているのである。

また,被告人の放火行為により,判示建物の中核部分である事務室部分は,その機能を完全に失う程度に焼損し,取り壊しを余儀なくされ,建物内部の物品を含めその財産的損害は多額(長野市消防局の判定では約650万円)で,判示事務室内に保管されていた帳簿,現金等が焼損するなどした結果,判示会社事務所が元の機能を取り戻すために数か月の期間を要している。また,判示建物に近接する5世帯が入居するアパートの外壁が広範囲にわたって焦げ,その住民らに不安感を与えたほか,判示建物の駐車場に駐車中の数台の自動車も焼損又は被熱による変色の被害にあうなどしており,消火活動が遅れていれば,さらに近隣に被害が拡大した可能性もあって,被告人の本件犯行が公共の安全に与えた影響も決して軽視できない。

被害会社は,建物の焼損のほか,その代表取締役であった被害者が死亡したことにより会社経営に多大の困難を来している。

被害者は,順調に会社を経営し,おおらかな性格で,面倒見が良く,従業員からも厚い信望を得ており,被告人に対しても,平成2年に被告人がその住宅を新築した際の金融機関からの1640万円の借入金について,被告人に頼まれて連帯保証人になっており,地域においてもボランティア活動に尽くし,家庭においては,一家の大黒柱として,妻と新居で生活し,3人の子供がいずれも成人して独立し,その子供らの結婚を楽しみにし,また,妻や友人らと旅行に出かけたり,趣味の家庭菜園を楽しむなど充実した人生を送っていたところ,何らの落ち度もないのに,不条理にも,被告人の凶行によって,苦痛の中にその生命を奪われたものであり,被害者の受けた精神的,肉体的苦痛は甚大であって,筆舌に尽くし難いものがある。

そして,被害者を失った遺族や友人,会社関係者は,敬愛していた被害者が被告人に無惨にも殺害されたことによって多大なる精神的苦痛を受け,衝撃の癒えない被害者の妻をその子供達が支えつつ,残された一家で懸命に生活しようとしている。それにもかかわらず,被告人は,何らの慰藉の措置を講じないばかりか,公判においては,前述のような荒唐無稽な弁解をして,被害者の名誉を傷付け,被害者の遺族の精神的苦痛をさらに拡大させている。被告人には十分な資力がなく,損害賠償の見込みは無い。

被害者の子供は,当公判廷において,「できれば極刑を望みたい。できる限り重く処罰して欲しい。」とその心情を率直に供述するなど,被害者の遺族や関係者の処罰感情には極めて厳しいものがある。

被告人は,本件犯行後,自宅に逃走し,履き物を隣家の畑に捨て,ガソリンを入れていたオイル缶を隠し,訪れた警察官に対しても本件についてあいまいな供述をするなどの罪証隠滅行為を行っている上,捜査段階では全面自供をしたものの,公判においては,前述のとおり,「自殺を希望した被害者の依頼により被害者にガソリンを掛けただけで,被害者が火を付けたと思う。」という理不尽な弁解をし,目撃証人も偽証していると述べ,反省の情は皆無である。被告人の本件犯行動機の形成過程においても独善的かつ粗暴な性格が見てとれるのであって,被害者の家族や目撃者らは被告人が社会復帰した場合には何らかの報復を受けることを危惧している。

被告人の規範意識の鈍麻には看過できないものがあり,再犯可能性も否定できず,社会防衛の見地からも被告人には厳重な処罰が要請されるところである。

以上によれば,被告人の刑事責任は極めて重大であって,被告人に交通事故による右側頭葉脳挫傷に起因する外傷性の側頭葉てんかんと器質性人格変化があって,これが被告人の人格形成や本件犯行に影響を及ぼしていることを十分考慮しても,被告人に対しては,本件犯行が凶悪なもので,その刑事責任が重大であることを自覚させるとともに,その生涯をかけて,罪の償いをさせることが相当であるから,被告人を無期懲役に処することとする。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 無期懲役)

(裁判長裁判官 青木正良 裁判官 桂木正樹 裁判官 吉川健治)

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