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長野地方裁判所 平成4年(ワ)40号 判決 1995年3月23日

原告

甲田乙三

右訴訟代理人弁護士

富森啓児

内村修

被告

川中島バス株式会社

右代表者代表取締役

百瀬茂久

右訴訟代理人弁護士

相沢岩雄

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  (原告)

1  被告が、平成四年二月八日、原告に対して行った懲戒解雇処分は無効であることを確認する。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  (被告)

主文同旨

第二事案の概要

一  当事者間に争いのない事実

1  被告は、自動車による一般運輸事業を主たる目的とする株式会社(なお、昭和五八年九月三〇日から平成三年六月二〇日までの間は、被告は更生会社であった。)であり、原告は、昭和三一年六月二六日、被告に入社し、以来後記解雇処分に至るまでの約三五年間にわたり、主としてバス運転手として勤務してきた。

2  原告は、昭和三五年度から訴外川中島バス労働組合(以下「労働組合」という。)の本部役員に選出され、昭和四七年一〇月三一日から昭和四九年一〇月二四日まで及び昭和五一年一〇月二三日から昭和五五年一〇月九日まで労働組合の中央執行委員長を務め、昭和三九年度から昭和四八年度まで及び昭和五一年度から昭和五四年度まで私鉄長野県連の役員を歴任した。

3  被告は、原告に対し、平成四年二月八日、「平成四年一月一一日更埴営業所二番仕業で篠ノ井駅発善光寺大門行バス『長野二二あ一七八四』(以下「本件バス」という。)を運行した際、ワンマンバス料金三八〇〇円の着服事実が判明した」との理由によりこれが被告の就業規則一八七条二項(社内外を問わず非行あった時)、一〇項(不正、不義の行為をして、従業員として体面を汚した時)、一三項(その他前各項に準ずる行為あった時)に該当するものとして懲戒解雇処分に処し(以下「本件解雇処分」という。)、同日、懲戒解雇通知書を手交した。

4  原告は、平成四年三月二〇日に定年退職する予定であったが、本件解雇処分を受けたために退職金が支給されない事態となった。

二  争点及び争点に関する当事者の主帳

1  本件解雇処分事由(バス料金着服の事実)の存否

(被告)

(一) 被告は、ワンマンバスの紙幣両替器(以下、単に「両替器」ということがある。)が故障した場合の運賃の扱いについて、昭和六三年四月二三日付通達「両替器故障時の対応について」により、

(1) 払戻券を利用する、

(2) 他の乗客に両替できるかを聞く、

(3) 複数の降客がいる場合には、故障中であることを客に告げて、他の降客の運賃を受け取った中からやりくりする、

(4) (1)ないし(3)が不可能な場合は、住所、氏名を聞き、後日会社で送金する、

との扱いを全乗務員に徹底している。

(二) しかるに、平成元年七月ころから平成三年九月ころにかけて、利用客から、バス運賃の取扱について、千円札を受け取った運転手が釣り銭だけを渡したとか、運賃の小銭を手で受け取って両替器の受け皿に入れているなどの通報が五回あり、被告が当該バスの時刻、場所、進行経路を調査したところ、いずれも運転手は原告であることが判明した。

(三) 被告監査室長鷲澤昭雄(以下「鷲澤」という。)、監査室員金井淨(以下「金井」という。)、同伊藤幸三津(以下「伊藤」という。)の三名が平成元年八月二日から平成三年一二月二四日までの間に交替で通報のあった場所などで原告の運賃取扱状況を観察したところ、原告が両替器の故障を装っては自己の小銭で釣り銭を渡して運賃分を着服したり、他の降客から集めた運賃の中から釣り銭のみを渡して残余を着服するところを数十回現認した。

(四) 被告は、原告の料金着服事実を確認するため、平成四年一月一一日、訴外松本電気鉄道株式会社従業員の松田包男(以下「松田」という。)及び同松電商事株式会社従業員の荒井十喜重(以下「荒井」という。)の応援を頼み、記号及び番号を控えた千円札二枚を荒井が、一枚を松田が持ち、原告が乗務する本件バスに別々の停留所から乗車し、いずれも終点の善光寺大門発着所で右千円札を出して運賃を支払い降車することとし、鷲澤、金井、伊藤の三名が同発着所で観察することとした。

(五) 同日の本件バス内での出来事(以下「本件事件」という。)と原告の行動

(1) 九反交差点信号待ち停車中に乗客の依頼で千円札一枚を両替器で両替した。

(2) 中御所交差点信号待ち停車中に女性客から千円札一枚の両替を頼まれたが紙幣が両替器に入らず、女性客は札を両替口に入れたまま席に戻った。

(3) バスターミナル停留所において、二名の降客の運賃四八〇円を手で受け取って、両替器の受け皿に入れた。

(4) 末広停留所で、(2)の女性客が最初に降りようとしたが、これを制止し、他の降客五名の運賃を手で受け取り、その中から釣り銭七六〇円だけを女性客に渡し、残余の小銭を両替器の受け皿に入れ、回数券と整理券だけを運賃箱に入れ、降客六名が降車した後、両替口から(2)の千円札を抜き取り、二つ折りにして札金庫と運賃箱の間に挟んで発車した。

(5) 千石停留所で四名の降客がいたが、全員が小銭を運賃箱に入れて降車した。

(6) 終点善光寺大門発着所においては、降客は荒井及び松田を含めて五名であり、

<1> 最初は定期券を持った学生であり、自分で整理券を運賃箱に入れて降車した。

<2> 次に六、七〇歳くらいの男性が、五百円硬貨一枚を含む小銭で五八〇円を出し、運賃箱に入れようとしたが、原告が手を出して受け取った。

<3> 三番目に松田が千円札一枚を出すと、原告は<2>の小銭から釣り銭として五百円硬貨一枚を渡し、引換えに受け取った千円札は二つ折りにして札金庫と運賃箱の間に挟んだ。

<4> 次に荒井の連れの女性が自分で整理券を運賃箱に入れて降車し、最後に荒井が二人分の運賃一一六〇円として千円札二枚を原告に手渡すと、原告はすぐに千円札二枚を二つ折りにして札金庫と運賃箱の間に挟み、<2>の小銭の残りと両替器の受け皿の小銭を取り、さらに上着の右ポケットから小銭入れを取り出し、そこから百円硬貨二枚を出し、釣り銭として八二〇円(二〇円不足している。)を荒井に渡し、荒井が降車する際、小銭入れと硬貨を上着の右ポケットに入れ、乗客が全て降車した後、運賃箱の上の整理券二枚を運賃箱に入れた。

(7) その後、原告は、バスを二〇メートル位前進させ、誘導員の合図で後退させて所定の位置に駐車し、札金庫と運賃箱の間から千円札四枚を取り上着の左ポケットに入れて降車した。

(六) 本件事件後の経緯

(1) 鷲澤は、荒井及び金井から無線連絡を受け、原告を善光寺大門発着所休憩室入口付近で呼び止め、事情聴取のため、本件バス内に戻ってもらった。

(2) 鷲澤は、運転席及び運賃箱周辺を見回したが千円札、硬貨は見当たらなかった。

(3) 鷲澤が原告に対し、善光寺大門発着所における運賃収受方法と千円札の処置を尋ね、千円札をポケットに入れたのを見たと問いただしたところ、原告は、当初否定していたものの、その後、上着の左ポケットからタバコ、ライターなどとともに千円札四枚を任意に取り出し、「これが俺の全しんしょうだ。」と言ったが、硬貨及び小銭入れの提出は拒否した。

鷲澤は、原告に対し、この千円札四枚はと聞くと、これは俺のものだ、昨日から持っていたと答え、千円札をポケットに入れたことを否認するので、鷲澤が原告に対し、千円札四枚の記号及び番号を書くよう求めたが、原告が拒否したので、鷲澤が原告の面前で一枚一枚記号及び番号を読み上げて原告に確認させた。

右の記号及び番号から、千円札四枚のうち三枚は松田と荒井が使用した千円札であることが明らかとなった。

(4) 原告は、その後の午後二時五五分ころからの被告本社監査室での事情聴取において、「千円札二枚は昨日から所持していた。あとの二枚は末広と千石で自分の金で両替してやり、すぐ自分の財布に入れないで大門まで両替器の横に挟んで来た。大門で受け取った千円札二枚は運賃箱に入れた。」と弁解したが、記号及び番号の一致する千円札三枚については、ついに合理的な説明ができなかった。原告が、その後提出した二回の顛末書においても、右の点は同様である。

(5) 被告は、工場長若林敏夫に本件バスを被告本社に回送させ、大金庫(札、硬貨、回数券、整理券等運賃箱に投入した全てのものが格納される。)及び札金庫(両替器に入れた千円札のみが格納される。)を監査室に運ばせ、午後四時一〇分ころ、原告の面前で、金庫解錠装置管理者である被告長野営業所長中条聖命の手でこれらを解錠したところ、大金庫には札は一枚も入っておらず、札金庫には千円札が一枚だけ入っており、カウントが2(千円札一枚だけの場合は2の数字が出る。)になっていた。

被告は、被告本社への回送後、本件バスの両替器の機能テストを行ったが、故障はなかった。

(七) したがって、原告は、千石停留所で降車した女性客が使用した千円札一枚、松田の使用した千円札一枚、荒井の使用した千円札二枚の合計四〇〇〇円について、荒井に渡した百円硬貨二枚を除いていずれも他の乗客の運賃から釣銭を渡したのであるから、受領した運賃として運賃箱に投入すべきところ、これをポケットに入れ、もって差引合計三八〇〇円のワンマンバス料金を着服したものである。

(原告)

(一) 被告のワンマンバスの両替器故障の際の取扱慣行は、多いものから順に、

(1) 運転手が乗客に「今日の帰りか明日、精算して下さい。」と言って料金をとらずに下ろす、

(2) 他の乗客に両替を頼むか、運転手が私物の所持金(以下「私金」という。)で両替する(被告では、会社更生法適用以後、各営業所の食堂を廃止したため、バス運転手は食事をするために私金を持って乗務することが必要となり、被告も右のような乗務を何ら禁止していなかった。)、

(3) 料金払戻券を利用し、紙幣と料金の差額分だけ払戻券を交付する、というものであった。

(二) 原告は、被告から、本件事件の前日である平成四年一月一〇日、前年度所得税過納金の還付金三万四八三二円の支払いを受け、このうち四〇〇〇円を自己の小遣いとして使用すべく、自己のロッカー内に置いてあった、そば、うどんの同僚に対する売上金を収めてある小瓶の中から、二〇〇〇円分の小銭と千円札二枚を両替し、その結果、千円札二枚、五百円硬貨一枚、百円硬貨一五枚の合計金四〇〇〇円を所持することとなった。

原告は、翌一一日朝、右金四〇〇〇円と八〇〇円程度の硬貨在中の小銭入れを上着のポケットに所持して勤務に就いた。そして、三回の回送バス運転のほか、八幡鳥居前を午前七時三五分出発し、午前八時四五分終点善光寺大門に到着し、午後〇時二五分善光寺大門を出発し、終点篠ノ井駅前に到着する運行を行ったが、千円札の両替はなく、何事もなく経過した。

(三) 本件事件と原告の行動

(1) 九反交差点信号待ち停車中に千円札一枚を両替器で両替した。

(2) 中御所信号待ち停車中にまた千円札一枚の両替を頼まれたが紙幣が両替器に入らず、他の降客の料金で両替しようとしたが、次のバスターミナル停留所では四八〇円くらいしか現金支払いがなかったため、受け取った小銭は、両替器の受け皿に置くこととし、次の末広停留所で、原告の私金により両替した。

(3) 千石停留所でも千円札の両替を頼まれ、原告の私金により両替した。

(4) 終点善光寺大門発着所で五名の客が降車し、千円札一枚を出した降客には、他の降客から受け取った五百円硬貨一枚の釣り銭を渡し、二人分で一一六〇円の料金のところを千円札二枚を出した客がいたが、両替器の受け皿にあった小銭だけでは十円硬貨が二〇枚以上の釣り銭になってしまうため、原告が自己の小銭入れから百円硬貨二枚を出し、これを含めて八四〇円の釣り銭を渡した。

(5) 原告は、自己の所持する千円札二枚と両替に供した硬貨二〇〇〇円分の合計四〇〇〇円は私金として正当に取得できる権利があるから、(2)ないし(4)((1)の千円札は、両替器から札金庫に格納ずみ。)で降客から受け取った千円札五枚と自己の所持する千円札二枚とを合わせて七枚の千円札を確認し、うち千円札四枚を上着のポケットに収め、残りの千円札三枚は、料金として料金箱に投入した。

(四) 本件事件後の経緯

(1) 本件バス内に戻った原告は、頭から原告を泥棒扱いする鷲澤の態度に立腹したものの、躊躇なく上着の右ポケットから千円札四枚、左のポケットからタバコ、ライターなどを取り出し、私金合計額が四〇〇〇円である趣旨で、「四〇〇〇円は俺のものだ。」と説明した。原告のポケットから出た千円札の記号及び番号は、原告は確認していない。

(2) 原告は、鷲澤の面前で、両替器が故障していることを両替カードを使って示し、確認した。また、本件バスは、被告が両替器の機能テストを行うまでの二日間、通常の業務に使用され、正常に作動していた。

(3) 原告は、鷲澤に対し、「大門で受け取った千円札は三枚だったかもしれない。」と訂正している。

(4) 被告本社監査室における大金庫の解錠は、本件事件後約四時間余りも経過した午後六時ころ行われた。被告は、原告に本件バスからの大金庫取り外しに立ち会わせていないし、大金庫は解錠装置がなくとも開けることは可能である。

(五) なお、被告の主張と鷲澤作成の(証拠略)の間には、原告が荒井に渡した釣り銭の金種について、百円硬貨の枚数、五十円硬貨の存否について重大な矛盾がある。

(六) 以上のように、本件事件は、本件バスの両替器が偶然故障し、原告が私金で千円札の両替を行ったために、被告の行った囮捜査の千円札と原告の私金が混在したに過ぎず、原告にバス料金の着服の事実は存在しない。

にもかかわらず、被告は、予断と偏見をもって原告を監視し続け、たまたま生じた本件事件について、疑わしいという事実を並べ立て、原告を料金着服の犯人に仕立て上げたものである。

2  本件解雇処分の手続違背の有無

(原告)

被告においては、労働者を懲戒解雇とするには、人事委員会において、被告側委員と組合側委員との協議を行い、その意見答申を尊重して処分を行うか、人事委員会の協議が整わない場合は解雇処分を保留して労働委員会に調停を申請することになっているが、

(一) その場合、被告としては、明文の規定がなくとも、懲戒対象者本人の人事委員会への出席の確保、懲戒申立書ないし審議調書の開示など防御、弁明の機会を与えるべきところ、懲戒事由の存在自体を強く否認している原告に対し、これらの機会を一切与えず、人事委員会の開催の事実すら原告に通知しなかった。

(二) 人事委員会は、いったん労働委員会への調停申請を決定しながら、労働委員会への調停になじまないと言われただけで右決定を覆し、裁判所その他の第三者機関での調停、協議の方法を講ずることなく、原告が定年退職日までの年次有給休暇及び公休の振替による休暇に入る直前になって、十分な慎重審理を遂げないまま、懲戒解雇処分を決定した。

以上のとおり、本件解雇処分は、その手続自体が違法であるから、無効である。

(被告)

(一) 労働協約及び人事委員会規定上、懲戒対象者本人への人事委員会開催の通知及び出席は必要とされていない。

(二) 被告は、原告に対し、具体的な記述のある顛末書の提出を求め、かつ、組合側委員による事情聴取のための勤務解除等の手配を行い、また、南沢法幸組合執行委員長(以下「南沢」という。)が原告と会見したから、原告には実質的には十分な釈明、弁解の機会が与えられていたのに、原告はいずれの機会においても話をはぐらかして核心に触れることがなかった。

(三) 労働委員会への調停申請をしないことは人事委員会で正式に決定されている。また、人事委員会においては、審議調書、顛末書、組合による事情聴取結果、被告監査室から報告のあった各種証拠等に基づいて慎重に審議を行った。

3  被告の本件解雇処分の動機目的

(原告)

被告は、会社更正手続により、訴外松本電気鉄道株式会社の傘下に入ったが、これにより異常な労働強化と従業員を犯罪者扱いし、人権侵害のおそれのある監視、内偵等を行う監査室の秘密裡の導入を行った。

原告は、その組合役員歴から明らかなように被告の労働者の信頼と支持を集めてきた人物であるとともに被告の監査室に対する最大の批判者であった。

被告は、このような原告を定年退職間際に料金着服の犯人として懲戒解雇することによって、被告の労務政策として労働者全員に対する最高の見せしめとなることを意図したものである。

したがって、本件解雇処分は、その動機目的の点からも違法というべきである。

第三争点に対する判断

一  争点1について

1  被告のワンマンバスの紙幣両替器について

(一) 被告の運行するワンマンバスでは、紙幣両替器は、運転席横に位置する運賃箱の運転席側に存し、乗客が出した紙幣(千円札又は五百円札)を紙幣両替器上部の札投入口から真っ直ぐに差し込み、運転手が札投入口横の紙幣巻き込みボタンを押すと、内部のローラーが回転して紙幣を巻き込み、紙幣が紙幣両替器下部の札金庫に完全に格納されると紙幣両替器上部の両替可能ランプが点灯するので、運転手がランプ点灯中に紙幣両替器側面の両替ボタンを金種に応じて押すと相応する額の百円硬貨が両替器受皿に出てくる仕組みになっており、両替金である百円等の硬貨は、両替器内部の資金筒に予め補充されているほか、運賃箱に投入された硬貨から、セレクター機構を通って資金筒に補充される(<証拠・人証略>)。

なお、運賃箱に投入した紙幣、硬貨、整理券、回数券等は、運賃箱上部カバー内のベルトで搬送され、セレクター機構を通って資金筒に補充される硬貨を除いて運賃箱最下部の大金庫に格納される(<証拠略>)。バス運転手は、乗務開始時に札金庫と大金庫を営業所から受け取ってこれを所定の位置にセットする(原告本人)。大金庫は被告本社に全車分が集められて解錠装置で開けられるが、札金庫は営業所ごとに開けることになっている(<人証略>)。

(二) 紙幣両替器の電源はバスのエンジンとは関係ないが、電子ロックキーがOFFになっているときは作動せず、また、資金筒内の百円硬貨の残数が一一枚になると電子ロックキーの横の硬貨不足ランプが点灯し、紙幣を巻き込まなくなる(<証拠・人証略>)。

紙幣両替器の故障の原因としては、ローラーの磨滅等により紙幣が途中で詰まるか、資金筒内部で硬貨が詰まるか、札金庫のセットが不十分であるか、あるいは内部配線の断線によりローラー自体が回らなくなることなどが考えられる(<証拠・人証略>)。完全な断線に至っていない接触不良の場合は、紙幣両替器を叩くなどすると接触が良くなって故障が一時的に回復することも考えられないではない(原告本人)。

(三) 本件事件直後、原告は鷲澤に対し、千円札が入らないことはめったにないと述べている(<証拠略>)が、紙幣両替器の故障は、両替金の払出し枚数の不足を含めると毎月数件ずつ報告されている(<証拠略>)。

2  両替器故障の際の取扱いについて

(一) 被告は、ワンマンバスの両替器が故障した場合の運賃の扱いについて、昭和六三年四月二三日、「両替器故障時の対応について」と題する通達を発した。右通達の内容は、以下のとおりである(<証拠略>)。

「運行途中における両替器故障の際は、下記のとおり対応して下さい。

1 払い戻し券を利用する。払い戻し券での乗車を認める。

2 他の乗客に両替できるかを聞く。

3  複数の降客がいる場合は故障中であることを客に告げて他の降客の運賃を頂いた中からやりくりする。

4  上記<1><2><3>が不可能な場合は住所、氏名を聞き、後日会社で送金する。」

なお、料金払戻券は、十円単位及び百円単位の券片であり、裏面に「この券は当社バスに限り現金、回数券と合わせて御利用出来ます。最寄りの営業所で払戻しも致します。」と記載されている(<証拠略>)。

(二) 料金払戻券を受け取った乗客がその後これを利用する方法が右のように限定されていることから、乗客が料金払戻券による清算を拒否することがあり(原告本人)、右通達もそのような場合を想定して、3のように他の降客の運賃を運転手が集めて釣り銭を渡す取扱いを認めているものと考えられる。この場合には、両替客から受け取った紙幣は、当然全部が運賃となるから、運転手はこれを運賃箱に投入しなければならず、運賃箱に投入した紙幣は大金庫に格納されることになる。

(三) ところで、被告においては、ワンマンバス運転手が私金を所持して乗務に就くことは禁止されておらず、(<人証略>)、かつ、私金証明書を発行するなどの公私混同を防止する厳格な取扱いもなされていない(弁論の全趣旨)。

そこで、ワンマンバス運転手が右通達の取扱いをせず、私金で両替を行うことも相当行われていることが窺われる(原告本人)。

したがって、被告の右通達による取扱いが全乗務員に徹底されているとはいえない。

3  被告の監査室の行動と判断について

(一) 被告は、平成元年一一月二一日及び平成二年八月二日、バス運転手を料金着服を理由に懲戒解雇処分としているが、これらは、外部からの通報を端緒に、被告の監査室員が紙幣の記号及び番号を控えておいてこれを両替に使用するなどの調査を半年から一年くらい行い、現認後直ちに摘発したところ、運転手が料金着服を自認したものである(<人証略>)。

(二) 被告に対し、バス乗客から運転手の運賃の取扱いについて以下のような通報(日付はいずれもバス利用の日付)があったが、運行ダイヤ表等によりバスの時刻、停車場所、運行経路を調査した結果、いずれも原告が乗務するワンマンバスであることが判明した(<証拠・人証略>)。

(1) 平成元年七月一五日 千円札の両替に対し、どこから出したのかわからない小銭で釣り銭だけよこした。

(2) 平成元年一二月二日 他の乗客の運賃を両替器の受け皿に入れていた。

(3) 平成二年七月一四日 右(2)と同様

(4) 平成二年九月一三日 千円札の両替に対し、小銭入れから出した小銭で釣り銭だけよこした。

(5) 平成三年九月一一日 右(4)と同様

被告の監査室では、原告による料金着服の疑いがあると判断した(<証拠・人証略>)。

(三) 被告の監査室では、右判明に基づき、原告による料金着服を確認するため、鷲澤、金井、伊藤が同時に又は交替で、時には松田、荒井らの応援を得て原告の運賃取扱いを平成元年八月二日から平成三年一二月二四日まで延べ五六日にわたって観察した。その結果、原告が紙幣や硬貨をポケットに入れたのを現認したとの報告があったこと、(一)のように紙幣の記号及び番号を控えて調査したときには、右紙幣が大金庫から発見されていないこと、いずれの場合も両替器故障が報告されていないこと、平成二年九月一三日の調査結果は、(二)(4)の通報内容と一致することなどから被告の監査室は、原告による料金着服の疑いを強めた(<証拠・人証略>)。もっとも、原告が千円札の両替に対し、小銭入れから出した小銭で釣り銭だけを渡した後の千円札の処理が確認されていないこと、乗客からの運賃で両替したときに受け取った千円札を後に札金庫に入れた可能性も否定できないことなどから、原告による料金着服の確実な証拠があったとはいえない(<人証略>)。

(四) 鷲澤は、(三)の事実を被告代表者に報告したが、「慎重にやれ。」との指示を受けたので、平成四年一月一一日、松田及び荒井の応援を頼み、以下のような事前準備をしたうえで原告の料金不正着服を摘発することとした(<人証略>)。

(1) 荒井がTV560510L及びTV560530L(記号及び番号は、被告の監査室が控えておいたもの。<証拠略>)。の千円札二枚を、松田がTV560505Lの千円札一枚を持ち、原告が乗務する本件バスに荒井が知人とともに高田停留所から、松田が南原停留所から乗車して原告の運賃取扱いを観察し、いずれも終点の善光寺大門発着所で右千円札を出して運賃を支払い降車することとし、鷲澤、金井、伊藤の三名が同発着所で、鷲澤は異(ママ)動しながら、金井と伊藤は幌付トラックの荷台から、それぞれ原告の運賃取扱いを観察し、伊藤がビデオ(<証拠略>)も撮影することとした。

(2) 鷲澤は、監査室員及び応援者らに対し、「原告が終点で千円札を一枚でも運賃箱に入れたり、千円札をどこのポケットに入れたかはっきり見えなかったりしたら今日は(摘発を)やらない。」などと注意を与えた。

(3) 鷲澤は、摘発時の質問応答等を記録するため、テープレコーダーを用意した(<証拠略>)。

4  本件事件の経緯について

原告が、平成四年一月一一日午後一時一〇分、篠ノ井駅前を出発し、午後一時五〇分ころ、終点善光寺大門発着所に到着し、降車するまでの原告の行動と周囲の状況は、以下のとおりであると認められる。

(一) 原告は、九反交差点信号待ち停車中に女性客から千円札一枚の両替を頼まれ、両替器で両替した(<証拠・人証略>)。この時点では、本件バスの紙幣両替器は正常に作動していたことになる。

(二) 原告は、中御所交差点信号待ち停車中に別の女性客から千円札一枚の両替を頼まれたが、原告は、「ちょっと待ってくれませんか。」と言い、女性客は札を両替口に入れたまま席に戻った(<証拠・人証略>)。

(三) 原告は、バスターミナル停留所において、二名の降客の運賃四八〇円を手で受け取って、両替器の受け皿に入れた(<証拠・人証略>)。

(四) 末広停留所で、(二)の女性客は、両替器によらずに前記千円札の両替を受けて降車した。原告は、右千円札を札金庫と運賃箱の間に挟んで発車した(<証拠・人証略>)。

(五) 終点善光寺大門発着所においては、降客は荒井及び松田を含めて五名であり、

(1) 最初は定期券を持った学生服を着た男性客であり、自分で整理券を運賃箱に入れた(<証拠・人証略>)。

(2) 二番目に手提げの紙袋を持った初老の男性客が、五百円硬貨一枚を含む小銭で五八〇円を出し、原告は、これを手で受け取り、運賃箱に入れずに手で持っていた(<証拠・人証略>)。

(3) 三番目に松田が前記千円札一枚を出すと、原告は、(2)の小銭から釣り銭として五百円硬貨一枚を渡し、引換えに受け取った千円札を札金庫と運賃箱の間に挟んだ(<証拠・人証略>)。

(4) 四番目に荒井の連れの女性客が自分で整理券を運賃箱に入れて降車し、最後に荒井が二人分の運賃一一六〇円として前記千円札二枚を原告に手渡すと、原告は、すぐに千円札二枚を札金庫と運賃箱の間に挟み、(2)の小銭の残りを手に持ったまま、両替器の受け皿の小銭も取り、さらに上着の右ポケットから小銭入れを取り出し、そこから百円硬貨二枚を出し、これらの中から釣り銭として八二〇円(二〇円不足している。)を数えて荒井に手渡し、荒井が降車する際、小銭入れと手中の残りの硬貨を上着の右ポケットに入れ、乗客が全て降車した後、運賃箱の上の整理券様のものを運賃箱に入れた(<証拠・人証略>)。

(六) 原告は、本件バスを左折前進させてから右折後退させて所定の位置に駐車した(<証拠略>)。

(七) 原告は、本件バスを駐車させた後、運転席操作盤に向かって操作を行い、席を立って前方方向幕を替える操作を行い、さらに本件バス後方に歩いて行ってサイド幕を替える操作を行い、前方に戻って来てから、運転席横に立ったまま、左手を運賃箱の右側(紙幣両替器付近)に伸ばして何かを取り、右手で運転席右方から私物のバッグを取り、本件バスから降車し、歩きながら握ったままの左手を上着又はズボンの左ポケットに突っ込むような動作をした(<証拠略>)。

5  本件事件後の原告の弁明内容

(一) 鷲澤は、原告を呼び止め、「お金の関係でやり方がおかしいとの通報がきている。今のやり方を説明してもらいたい。」旨述べて、原告をバスの中に戻した(<証拠・人証略>)。

鷲澤は、金井とともに、原告に対し、「皆で見ていた。客から受け取った千円札をどうしたのか。」と尋ねたところ、原告は、「両替器が故障して入っていかない。他の客からもらった料金でお釣りを渡して千円札はみんな料金箱に入れた。」と答えた(<証拠略>)。

(二) 鷲澤が、原告に対し、「ポケットの中に入れたものを見せてみ。」と言ったところ、原告は、「ポケットの中へなんか入っていねえじゃねえか。」と言いながらもすぐに上着の左ポケットから、タバコ、ライター、千円札四枚を出し、「これが俺の全しんしょう、ありったけだ。昨日の税金の戻し三万四〇〇〇円のうちの四〇〇〇円だ。」と説明し、さらに、「千石から途中で二人千円がこわれなかったので、あらかじめ自分でこわして用意していた金でこわした。善光寺大門発着所へ来たのは他の客からもらったのでおつりをやった。最後のお金は料金箱へ入れた。」旨述べた(<証拠・人証略>)。

(三) 鷲澤と金井が、原告に対し、「そう言うのであれば、千円札の番号と、この千円札四枚は昨日から持っていたと紙に書いてもらいたい。」と求めたところ、原告は、「人間には人権てえもんがあるんだから。俺が銭ごまかしたって言うんなら、あんたらが立証すればいいじゃねえか。」と言って拒否したので、鷲澤が前記千円札四枚の記号及び番号を読み上げた(このうち三枚は、TV560505L、TV560510L及びTV560530Lであり、被告の監査室が控えておいたものと一致する<証拠・人証略>。)が、原告は、「どの四〇〇〇円だろうと、四〇〇〇円にかわりはない。俺はちっともこだわらねえ。」などと述べた(<証拠略>)。鷲澤は、右千円札四枚を原告に持たせた(<証拠略>)。

(四) 金井が原告を被告本社に同行するための自動車を回す間に、鷲澤が原告に対し、「ここへ来る間に料金箱に千円札何枚入れた。」と尋ねたところ、原告は、「二枚入れた。他の千円札は自分の金でこわしてやった。入れたことは開けてみりゃわかることだ。」と答えた(<証拠略>)。

(五) 鷲澤が原告に対し、「今までの通報では両替器は全然壊れてなかった。」旨述べると、原告は、「札が入るかどうか、今やってみたい。」と言って、鷲澤が「後でやってみるからいい。」と止めたにも関わらず、両替カードを使って両替ボタンを押しても巻き込まないところを示した。鷲澤が「エンジンをかけていないからではないか、これ入れてみ。」と自分の財布から千円札を出してやらせてみたが、同様であった(<証拠略>)。

(六) 原告は、被告本社に向かう車中で、鷲澤に対し、「両替器で具合が悪いのは、五〇〇円が出ないことは時々あるが、千円が入らないことはめったにない。」と述べた(<証拠略>)。

(七) 鷲澤と金井が本社監査室において、原告に対し、両替器を使った場所と終点善光寺大門発着所での料金収受について尋ねたところ、原告は、「中御所のあたりで一回両替した。終点では、最初の客は定期、二人目は千円出したので三人目の客から五〇〇円もらって二人目の客に渡した。千円札はすぐ料金箱に入れた。四人目は二人一組で八六〇円だったので、自分の金を百円と他の客からもらった十円玉で一四〇円のお釣りを渡した。」と答えた(<証拠略>)。

(八) 原告は、「四〇〇〇円のうち二〇〇〇円は、営業所でうどんを食べた人にもらった小銭がロッカーの瓶の中にあるので、五百円玉と百円玉のバラで持っていた。」旨述べたので、鷲澤と金井がバスの中での説明と違うと追求したところ、原告は、「そういうふうに聞けばそういうふうに答えるわい。俺はバラであれ何であれ四〇〇〇円は四〇〇〇円だと思っている。」と答えた(<証拠略>)。

(九) 鷲澤は、原告に対し、「規定どおりに客が払った金が返ってくるかどうか、自分たちでお願いして人に乗ってもらった。終点で使ってもらった千円札三枚が、ここにある。どう説明するのか。」と前記千円札四枚と千円札のコピー(<証拠略>)を示して追求したところ、「終点で三枚という記憶はない。二枚だと思う。三枚使ったのなら、ここに五枚ないとおかしい。途中こわしてやった金は、途中でポケットに出し入れするのはみっともないし、人が見ると誤解するから出しておいた。その金が終点で受け取った金と入れ替わっている。同じ千円札だからどっちを料金箱へ入れても理屈は同じだ。それにしても、終点で千円札二枚だと思ったから二枚入れたのだから、三枚使った札がここに出てきたのは不思議だ。」と述べた(<証拠略>)。

(一〇) 鷲澤らは、本件バスから取り外した大金庫及び札金庫を原告の面前で解錠して開いて見せたが、大金庫の中には札が一枚もなく、硬貨、回数券、整理券のみであり、札金庫の中には千円札が一枚入っているだけの状態だった(<証拠・人証略>)。

(一一) 若林が平成四年一月一一日の本社での事情聴取開始時の両替金残数を調べるため、手動回収スイッチを入れ資金筒内の硬貨数を数えたところ、百円硬貨は五八枚であった(<証拠略>)。同月一三日、鷲澤、金井、若林が立ち会って本件バスの両替器の機能テストを行ったところ、異常なく作動した(<証拠略>)。

(一二) 原告が同月二〇日付で被告に提出した顛末書には、要旨「末広と千石で自分の持金で千円札の両替をした。その金は札金庫のところにはさんでおき、終点で千円札を出した人が二人いたので他の客の料金から釣り銭を渡し、自分の持金分を除いて運賃箱に入れた。」との記載がある(<証拠略>)。

被告が、原告に対し、さらに具体的に記述するよう求めたところ、原告は、同月二五日付顛末書に途中停留所の降客数と料金収受内容の概略のほか、「終点では五人位降りている。千円を出した人が二人で他の人からつり銭をもらった。」旨記載した(<証拠略>)。

6  本件事件における原告の料金着服の事実の存否の判断

(一) 本件バスの両替器が故障していたか否かについては、故障原因によっては、一時的に回復する場合が考えられないではないこと、本件直後に原告が鷲澤の面前で両替カードと鷲澤の紙幣により故障である旨示したこと、被告が本件バスの両替器の機能テストを行ったのが本件事件の二日後であることなどを考慮すると、本件事件のあった運行の途中で故障してたか否かの事実を認めるに足りる的確な証拠はないというべきである。

したがって、原告が本件バスの両替器が故障していなかったのに、故障を装って行動していたと断定することはできない。

(二) しかしながら、本件バスの両替器の故障の事実の存否に関わらず、原告が本件事件のあった運行の途中で両替器による両替を行ったのは九反交差点付近で一回だけであり(この事実は、本件事件後に解錠された札金庫に千円札が一枚だけ入っていた事実と符合する。)、その後は、終点善光寺大門発着所での料金収受を含めて、両替器による両替は行われていない。

そうすると、原告が被告の通達に従って他の降客の運賃を受け取った中から釣り銭を渡していた場合には、両替客から受け取った紙幣は全てバス料金として料金箱に入れるべきことになり、原告が私金から両替した場合は、右通達に反する取扱いではあるが、両替客から受け取った紙幣を取得することは料金着服とはいえないことになる。

(三) 本件事件において、終点善光寺大門発着所での料金収受では、原告が他の降客の運賃を受け取った中から釣り銭を渡していたことは原告も自認するところであり、被告の監査室の応援者である松田と荒井が合計三枚の千円札を同発着所で使用したことも明らかであるから、原告は、少なくとも三枚の千円札をバス料金として料金箱に入れるべきであったこととなる。

そして、原告が所持していた千円札四枚のうち三枚が被告の監査室が記号及び番号を控え、松田と荒井が使用した三枚と一致する事実、被告の監査室が撮影した(証拠略)のビデオテープの画像には原告が運賃箱の右側(紙幣両替器付近)から何かを取り、左手を上着又はズボンの左ポケットに入れたと見て差し支えない動作が記録されている事実、本件事件後に被告本社監査室において本件バスから取り外した大金庫及び札金庫を原告の面前で解錠して開いたところ、大金庫の中には札が一枚もない状態であった事実、原告が所持していたとする私金の金種、千円札を料金箱に入れたとする枚数及び時期についての原告の弁明内容が変遷し、かつ、原告が所持していた千円札四枚のうち三枚が松田と荒井が使用した三枚と一致する点について合理的な説明を行い得なかった事実を総合すると、原告が右三枚の千円札をバス料金として料金箱に入れることなくポケットに入れ、着服したものと認めることができる。

そうすると、原告が私金で千円札の両替を行ったために右三枚の千円札と原告の所持金及び私金として取得すべき分の千円札とが混在してしまった旨の原告本人の供述は、客観的証拠に合致しない虚構のものというべきであり、松田と荒井の観察結果(<証拠略>)を真実に合致するものとして採用すべきであるから、原告が所持していたL170453Mの千円札についても、原告が中御所交差点付近で女性客から両替を頼まれ、末広停留所において他の降客から受け取った料金の中から釣り銭を渡したものと認められる。したがって、右千円札についても、バス料金として料金箱に入れることなくポケットに入れ、着服したものと認めるのが相当である。

以上によれば、原告は、所持していた千円札四枚合計四〇〇〇円から荒井に釣り銭として渡した百円硬貨二枚合計二〇〇円を除いた差引合計三八〇〇円について着服したというべきである。

7  原告の主張について

(一) 原告は、本件事件の経緯について、要旨(1)原告は、本件乗務前に千円札二枚、五百円硬貨一枚、百円硬貨一五枚の合計金四〇〇〇円と、これとは別に八〇〇円位の私金を所持していた、(2)原告は、末広停留所及び千石停留所で二枚の千円札を私金から両替した、(3)原告は、終点善光寺大門発着所で松田及び荒井から受け取った千円札三枚、(2)の千円札二枚及び私金の千円札二枚を合わせて七枚を確認し、うち四枚を私金として取得し、残りの三枚を料金箱に入れた旨主張する。

しかしながら、右(3)の事実について、(証拠略)のビデオテープの画像には、そのような動作が全く記録されていない(前記4(六)の本件バスの移動中は運転席が画像から外れているが、このときは原告は運転操作中であり、この間にそのような動作を行うことは困難である。)。原告本人は、右動作が記録されていないのは、右ビデオテープが編集されているか、あるいはビデオカメラのスイッチを入れずに撮影しなかった部分があるためであると供述するが、右ビデオテープの画像の時刻表示と画像の時間が重要な部分は一致していること(厳密には、善光寺大門発着所での撮影を開始した一三時四四分台は五五秒、四五分及び四六分台は六〇秒、四七分台は五〇秒であるが、四七分台では原告が降車した後、鷲澤が声をかけて本件バスへ戻るまでの間で撮影が中断されている。)、画像の内容にも、原告が本件バスを降車するまでの間に不自然な中断が見られないことから、客観的な証拠価値が高いものと解するのが相当である。

そして、右(3)の事実があったとすれば、本件バスの大金庫には千円札三枚が在中していなければならないところ、前記認定のように、札が一枚もない状態であった。原告は、右大金庫の解錠が本件事件後約四時間余りも経過した午後六時ころ行われ、被告は、原告に本件バスからの大金庫取り外しに立ち会わせていないし、大金庫は解錠装置がなくとも開けることは可能であると主張し、要するに被告が原告の面前での大金庫の解錠前にこれを開け、原告が料金箱に入れた三枚の千円札を取り去って原告に有利な証拠を湮滅した疑いがあると主張するものである。しかしながら、被告本社監査室での大金庫の解錠が行われた時刻については、被告は午後四時一〇分ころと主張しており、右時刻を確定するに足りる的確な証拠はない。また、原告が主張する解錠装置なしに大金庫を開ける方法は、大金庫を料金箱にセットした状態のまま料金箱上部のカバーをスプリングキーで取り外してから長い特殊なドライバーで内部のネジを外す(原告本人)という正規の方法とはかなり異なる方法であり、原告が被告の監査室員に対しどのような弁明を行うのか不確定な状況で被告がこのような方法により証拠湮滅工作を行うというのは非常に不自然であるといわなければならない。

以上のビデオテープの画像及び大金庫の在中物という客観的証拠に加え、前記認定のように、原告の被告監査室員に対する弁明内容が変遷し、特に鷲澤が被告監査室による観察が行われており、千円札の記号及び番号が控えてあることを開示した後に初めて、(2)の千円札をすぐに料金箱に入れたのではなく終点まで両替器に挟んでおいたため札が入れ替わった旨言い出したこと、原告の主張が真実であれば、被告の監査室員に対し直ちにこのような弁明をすることが可能であったと思われるのに、(1)及び(2)だけを述べ、(3)の主張、特に千円札七枚を揃えて確認したことについては本件訴訟になって初めて主張するに至ったことなどを考え合わせると、原告の主張(3)は、虚構であると言わざるを得ず、したがって、これに連動する原告の主張(1)及び(2)も虚構と考えざるを得ない。

(二) また、原告は、被告の主張と鷲澤作成の(証拠略)の間には、原告が荒井に渡した釣り銭の金種について、百円硬貨の枚数、五十円硬貨の存否について重大な矛盾があると主張する。

右は、要するに(証拠略)は、原告は、二番目の降客から五百円硬貨一枚、五十円硬貨一枚、十円硬貨三枚の料金を受け取り、このうち五百円硬貨一枚を松田に対し釣り銭として渡し、荒井に対しては、原告の小銭入れから出した百円硬貨二枚と合わせて百円硬貨八枚と十円硬貨二枚で八二〇円の釣り銭を渡したところを目撃したとの報告であるが、原告は、先の五十円硬貨一枚、十円硬貨三枚を手に持っていたから、これと小銭入れから出した百円硬貨二枚とを合わせて八二〇円にするには両替器の受皿の硬貨は百円硬貨五枚以下でなければならないはずであり、かつ、五十円硬貨一枚が存在しなくなってしまうというものである。

しかしながら、前記4(六)(4)認定のとおり、原告は、先の五十円硬貨一枚、十円硬貨三枚、小銭入れから出した百円硬貨二枚及び受皿の硬貨を合わせた中から八二〇円の釣り銭を渡し、その余の硬貨は上着のポケットに入れたものであるから、先の五十円硬貨一枚が荒井に対し渡した釣り銭として使われたとは限らず、したがって受皿の硬貨に百円硬貨六枚があったとしても何ら(証拠略)に矛盾するものではない。そして、受皿の硬貨は、バスターミナル停留所以降、原告が降客の料金を受け取っては入れて来たものであり、この間の降客が一二名(<証拠略>)であるとしても、定期券や回数券の客もあり、また、降客が乗車した区間も明らかではないから、結局終点善光寺大門発着所において受皿の硬貨の金種、枚数を確定することはできないものといわなければならない。そうすると、原告の右主張は、理由がないことに帰着する。

(三) 原告は、被告が原告に対し、予断と偏見を持っており、たまたま疑わしい事実を並べ立てているに過ぎないと主張する。

確かに、被告の監査室員らが、原告の運賃取扱いを二年以上にわたって観察し、原告による料金着服の疑いを強めたことから、原告に対する予断と偏見を有していた可能性が強いが、むしろ、被告の監査室員らは、原告に否認されることを予想して、慎重に確実な証拠を押さえようと注意していた(前記3(四)参照。)ものである。そして、前記認定のとおり、原告が三八〇〇円を着服したことは、(証拠略)の着服を現認した旨の部分を除外しても他の証拠から十分に認定することができるものである。したがって、原告の右主張も理由がない。

二  争点2について

1  労働協約上の規定

被告の労働協約及び人事委員会規定(<証拠略>)によれば、会社は、従業員を懲戒解雇とするときは、人事委員会において、組合と協議を行い(労働協約五九条、六八条)、その意見答申を尊重して処分を行うものとし(人事委員会規定三条)、また、解雇に関して組合との協議が整わない場合は、労働委員会に調停を申請し、会社は、解雇の実施を保留する(労働協約六〇条)ことになっている。

2  原告の実質的な弁明の機会の存在

(一) 労働協約及び人事委員会規定によれば、懲戒解雇の場合、懲戒対象者本人への人事委員会開催の通知、出席並びに懲戒申立書及び審議調書の開示については何ら規定が存しない。

(二) しかしながら、懲戒解雇は、当該労働者にとって労働者たる地位の得喪に係る重大事項であるから、被告の就業規則(<証拠略>)一八九条が、懲戒に処すべき行為があると認めたときは所属長は本人に顛末書を提出させる旨を定めている(この点について労働協約は別段の定めをしていない。)趣旨からも、懲戒事由の存否について何らかの形で本人の弁明を徴する必要があるというべきである。

もっとも、どのような形で本人の弁明を徴するかは、労働協約の定めの趣旨に従って決すべきところ、被告の労働協約は、組合との協議に重点を置いているところから、本人の弁明は、主として組合側委員を通じて人事委員会の協議に反映されることを予定しているものであり、必ずしも本人の出席を必要としているものとは解されない。そうすると、本人の出席が不要である以上、被告が、人事委員会開催の通知、懲戒申立書及び審議調書の開示を行うことも不要というべきである。これらについては、組合側委員を通じて本人が了知することが当然できるはずである。

(三) 本件の場合、原告は、本件事件の後に被告の監査室員による事情聴取を受け、前記5(一三)(ママ)のとおりの内容の二通の顛末書を被告に提出したのであるから、本件事件が懲戒の対象となっていることは十分了知していたはずであり、また、組合の執行委員会と平成四年一月一八日か一九日ころ及び二五日か二六日ころ事実関係について話をし、かつ、同年二月七日に執行委員長である南沢と一対一で話をした(原告本人)。

そして、被告は、これらについて、必要な場合は勤務解除の手続をとった(弁論の全趣旨)。

原告は、これらの組合側委員による事情聴取について、被告の主張及び審議調書の内容が明らかにされなかった旨供述するが、右(二)の趣旨からみて、原告は、本件事件の経緯について積極的に弁明すれば足り、「会社の主張について、個別にうまく説明する(原告本人)」ことができなければ、組合側委員による事情聴取が不十分であったとはいえない。

(四) したがって、本件においては、原告に実質的な弁明の機会が保障されていたのに、原告が「組合を頼っているわけにはいかない(原告本人)」として十分な弁明を行わなかったに過ぎず、この点についての原告の手続違背の主張は理由がない。

3  労働委員会への調停申請について

(一) 原告の懲戒解雇に関する平成四年一月二三日午後開催の第二回人事委員会においては、協議が整わず、労働委員会に調停を申請することを合意したが、労働委員会事務局から、この種の事案は集団的労使関係の紛争ではないので、労働協約六〇条はこの種の事案になじまないとの考えを得、同年二月六日開催の第三回人事委員会で、労働委員会に調停を申請しないことに結論を得た(<証拠略>)。

右労働委員会事務局の見解は、労働委員会による調停は、労働争議の調停であり(労働関係調整法一七条)、労働争議とは、労使間において労働関係に関する主張が一致しないために争議行為が発生し、又は発生するおそれのある状態をいう(同法六条)から、懲戒解雇が不当労働行為に該当する場合は別として、本件のような単純な非違行為による懲戒解雇に関しては至当というべきである。

そして、人事委員会の組合側委員も、原告に対する二回目の事情聴取を終えているから、被告の懲戒解雇申立が不当労働行為に該当せず、争議行為にかける必要性がないと判断したとしても不自然ではなく、右第三回人事委員会の調停申請しない旨の決定も相当である。

(二) 前記労働協約及び人事委員会規定において、労働委員会への調停申請を行わない場合、裁判所その他の第三者機関での調停、協議の方法を講ずる旨の規定がなく、これが必要とされていないことは明らかである。

(三) したがって、この点についての原告の手続違背の主張も理由がない。

三  争点3について

原告は、本件解雇処分自体が労働者の信頼と支持を集め、被告の監査室に対する批判者であった原告を排除する動機目的によるものであると主張するが、既に認定したように、本件は、原告の個人的非違行為による解雇事由(就業規則一八七条二項、一〇項)が存し、かつ、手続違背も認められないから、被告の動機目的如何は本件解雇処分自体の効力に影響しないというべきである。

四  なお、バスによる旅客運送業を目的とする被告にとって、バス料金の適正な徴収は会社経営の基礎であること、ワンマンバスにおいては、料金収入額に関する的確な証拠書類は存しないから、運転手の右料金徴収業務に関する誠実性が強く要求されるところ、原告は、これに反して一仕業のバス料金としては決して寡額とはいえない三八〇〇円を着服したこと、被告における料金着服事案に対する他の処分(前記一3(一))と比較して重きに失するとはいえないことなどから、本件解雇処分が原告の定年退職日までの休暇に入る直前に行われたとしても、解雇権濫用とは認められない。

第四結論

以上によれば、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前島勝三 裁判官 杉山愼治 裁判官 忠鉢孝史)

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