長野地方裁判所 平成8年(わ)161号 1998年2月18日
本籍
長野市大字栗田六九五番地
住居
同所
医師
倉石文雄
昭和八年三月一七日生
右の者に対する有印私文書偽造、同行使、詐欺、所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官白濱清貴、主任弁護人中嶌知文、弁護人宮澤建治、同德竹一臣各出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年一〇月及び罰金一億円に処する。
未決勾留日数中一二〇日を右懲役刑に算入する。
右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
押収してある払戻請求書一枚(平成九年押第一七号の1)及び市場金利連動型定期預金証書一枚(同号の2)裏面の元利金受取欄の各偽造部分を没収する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、長野市大字栗田六九五番地において、内科併設の精神病院「栗田病院」を経営していたものであるが、
第一 同病院の入院患者である徳重文男が平成五年八月一五日に死亡した後も、同人名義の総合口座通帳(普通預金)、市場金利連動型定期預金証書、「徳重」と刻した印鑑を保管しておき、預金払戻し名下に金員を騙取しようと企て
一 平成六年一〇月一一日ころ、同病院において、行使の目的で、ほしいままに、普通預金払戻請求書のおなまえ欄に「徳重文男」と記載した上、お届け印欄に前記「徳重」と刻した印鑑を押捺して、徳重文男作成名義の普通預金払戻請求書一通(平成九年押第一七号の1)を偽造し、同日ころ、長野市鶴賀七瀬五四一番地一所在の八十二銀行七瀬支店において、情を知らない倉石美貴子又は他の栗田病院職員を介して、同支店行員内田浩一に対し、右徳重が既に死亡し、同人の相続人らの承諾も得ていないのにその情を秘し、あたかも自己が右徳重の代理人であり、右偽造にかかる普通預金払戻請求書一通が真正に成立したもののように装って、これを前記徳重名義の総合口座通帳(普通預金)とともに提出行使して、同預金残高全額の払戻しを請求し、右内田をして正当な権限に基づく払戻し請求であると誤信させ、よって、同日ころ、同病院において、右内田から現金一二一万六七三一円の交付を受けてこれを騙取し
二 同年一二月二日ころ、同病院において、行使の目的で、ほしいままに、前記徳重文男名義の市場金利連動型定期預金証書裏面の元利金受取欄のおなまえ欄に「徳重文男」と記載した上、お届け印欄に前記「徳重」と刻した印鑑を押捺して、徳重文男作成名義の元利金受取に関する文書一通(前同号の2の元利金受取欄)を偽造し、同日ころ、同病院において、前記内田浩一に対し、前同様に情を秘し、かつ、装って、右偽造にかかる文書一通を提出行使して、同定期預金の解約を請求し、右内田をして正当な権限に基づく解約請求であると誤信させ、よって、同日ころ、同病院において、右内田から現金二八六万七二五円の交付を受けてこれを騙取し
第二 所得税を免れようと企て、同病院の自由診療収入、雑収入を除外し、架空ないし水増しの給料手当てを計上し、仮名預金を設定するなどの方法により所得を秘匿した上、
一 平成三年分の実際総所得金額が八億四六六万二九五四円、分離課税による長期譲渡所得金額が四九四六万五三七〇円であったのにかかわらず、平成四年三月一〇日、長野市大字南長野西後町六〇八番地の二所在の所轄長野税務署において、同税務署長に対し、その総所得金額が五億五〇七〇万六〇五四円、分離課税による長期譲渡所得金額が四九四六万五三七〇円で、これに対する所得税額が一億一八七九万三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、平成三年分の正規の所得税額二億四〇四三万五六〇〇円と右申告税額との差額一億二一六四万五三〇〇円を免れ
二 平成四年分の実際総所得金額が六億五五万四九七七円、分離課税による長期譲渡所得金額が五二九七万七九〇〇円であったのにかかわらず、平成五年三月九日、前記長野税務署において、同税務署長に対し、その総所得金額が三億八三九六万二四〇五円、分離課税による長期譲渡所得金額が五二九七万七九〇〇円で、これに対する所得税額が七七四四万三〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、平成四年分の正規の所得税額一億七九八八万八四〇〇円と右申告税額との差額一億二四四万八一〇〇円を免れ
三 平成五年分の実際総所得金額が五億三二〇〇万七九一八円であったのにかかわらず、平成六年三月一〇日、前記長野税務署において、同税務署長に対し、その総所得金額が二億七四二九万七五七二円で、これに対する所得税額が三九七二万円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、平成五年分の正規の所得税額一億六二一一万八一〇〇円と右申告税額との差額一億二二三九万八一〇〇円を免れ
四 平成六年分の実際総所得金額が五億六八五五万一八九七円であったのにかかわらず、平成七年三月九日、前記長野税務署において、同税務署長に対し、その総所得金額が二億八七四三万九一〇四円で、これに対する所得税額が四二八八万四四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により、平成六年分の正規の所得税額一億七六〇七万三七〇〇円と右申告税額との差額一億三三一八万九三〇〇円を免れ
たものである。
(証拠)
括弧内の甲乙の番号は証拠等関係カードにおける検察官請求証拠の番号を示す。
判示全部の事実について
一 被告人の当公判廷における供述
一 第一回公判調書中の被告人の供述部分
一 被告人の検察官に対する各供述調書(乙一、六)
一 倉石美貴子(甲四四)及び倉石満里子(甲四七)の検察官に対する各供述調書
一 長野県衛生部長作成の捜査関係事項回答書(甲三)
判示冒頭の事実について
一 検察事務官作成の捜査報告書(甲四)
一 長野市長作成の戸籍謄本及び戸籍の附票写し(乙三一)
判示第一の全事実及び第二の全事実について
一 真島典之の検察官に対する供述調書(甲二一)
一 大蔵事務官作成の査察官報告書(甲二〇)
一 大蔵事務官作成の各差押てん末書(甲一二、一三)
判示第一の全事実及び第二の三、四の事実について
一 検察官作成の捜査報告書(甲五八)
判示第一の全事実及び第二の四の事実について
一 被告人の弁解録取書(乙二)及び検察官に対する各供述調書(乙三ないし五)
一 証人徳重昌志の当公判廷における供述
一 倉石公雄(甲四〇)、倉石和明(甲四二)、倉石美貴子(甲四五、四六)、徳重昌志(甲四八、不同意部分を除く。)、徳重幸男(甲四九)、内田浩一(甲五二、五三)、小林悟(甲五四)、北島健二(甲五五)、大室喜伸(甲五六、五七)及び滝沢正幸(甲五九ないし六二)の検察官に対する各供述調書
一 徳重栄男及び中安浩子作成の各上申書(甲五〇、五一)
一 検察事務官作成の各捜査報告書(甲七、八、四三)及び各資料入手報告書(甲一一、七一)
一 大蔵事務官作成の各査察官報告書(甲五、六七)及び各差押てん末書(甲二七、二九)
一 長野南社会保険事務所長作成の「国民年金の支給額等について」と題する書面(甲六)
一 長野市長作成の捜査関係事項照会回答書(甲九)
一 長野県上水内郡戸隠村長作成の除籍謄本及び戸籍附票の謄本(甲一〇)
一 検察事務官作成の捜索差押調書(甲一八)
一 検察官作成の各鑑定嘱託書謄本(甲三〇、三二、三五)
一 検察事務官作成の各鑑定資料複写報告書(甲三三、三六)
一 長野県警察本部刑事部科学捜査研究所技術吏員吉澤忠男作成の各鑑定書(甲三一、三四、三七)
一 押収してある払戻請求書一枚(平成九年押第一七号の1)、市場金利連動型定期預金証書一枚(同号の2)、総合口座通帳(普通預金)一冊(同号の3)及び「徳重」と刻した印鑑一個(同号の4)
判示第一の一の事実について
一 検察事務官作成の電話聴取書(甲二)
判示第二の全事実について
一 被告人の大蔵事務官に対する各質問てん末書(乙七ないし三〇)
一 藤沢美作(甲一三九ないし一四二)、倉石公雄(甲一四三、一五三、一六一、一八三ないし一八六)、吉原美和子(甲一四四)、倉石美貴子(甲一四五、一四七、一四八、一五四、一五九、一六〇、一八七、一九〇ないし一九三、二七八、二七九)、倉石満里子(甲一四六、一五五)、滝沢正幸(甲一五一、一五八、一六四、一六五、一七八ないし一八二)、大室喜伸(甲一五六、一五七、一六三)、内田浩一(甲一九四、一九六、二八二、二八三)、北島健二(甲一九五)、倉石和明(甲一九九)、濱村なをい(甲二〇〇)、柴延次(甲二〇五)、千原幸子(甲二〇七)、和田雅子(甲二一一)、宮本みさを(甲二一七)、阿藤悦子(甲二二一)、新井武子(甲二二三)、稲村佳苗(甲二二七)、岡宮光子(甲二二八)、田中昭恵(甲二三〇)、轟恵津子(甲二三二)、平林己十己(甲二三八)、山口悦雄(甲二四一)、山岸弓子(甲二四三)、鈴木隆(甲二四五)、富田節子(甲二四九)、西澤千鶴子(甲二五一)、山口倭代(甲二五三)、池田英子(甲二五五)、宮崎美智子(甲二五七)、荒井正行(甲二五九)、滝沢千鶴(甲二六二)、宮本秀隆(甲二六八)、倉石三穂(甲二六九)、岡沢志布子(甲二七二)、村井正(甲二七三)、小池久子(甲二八〇)及び土屋和之(甲二八一)の検察官に対する各供述調書
一 金子和夫(甲七四)、冨澤建一(甲七六)、西林信(甲一四九)、鈴木咲緒里(甲一五〇)、堀内忠昭(甲一六二)、山岸ゆり(甲一六六、一六七)、山岸政江(甲一六八)、稲田三郎(甲一六九)、東山恵美(甲一八八、一八九)、和田喜美枝(甲二一二)、阿藤哲夫(甲二二二)、新井友幸(甲二二四)、田中武子(甲二三一)、轟登(甲二三三)、竹内やす子(甲二四二)、山岸静子(甲二四四)、北村陽子(甲二四六)、富田作和子(甲二五〇)、西澤正直(甲二五二)、山口恭史(甲二五四)、池田優(甲二五六)、宮嵜けさみ(甲二五八)、宮崎幸子(甲二七一)、会津光子(甲二七四)、塚田和歌子(甲二七五)、中村銃子(甲二七六)、森野王喜枝(甲二七七)、西田哲郎(甲二九一)、六車方中(甲二九二)、山田薫(甲二九三)、青木静子(甲二九四)、伊藤由紀(甲二九五)、小池明子(甲二九六)、小林美智子(甲二九七)、小林ゆき(甲二九八)、櫻澤美鈴(甲二九九)、佐々木美代子(甲三〇〇)、笹山十三子(甲三〇一)、清水重子(甲三〇二)、関谷かね子(甲三〇三)、松坂みね子(甲三〇四)、丸山眞知子(甲三〇五)及び和田厚子(甲三〇六)の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 検察事務官作成の捜査報告書(甲一九七)
一 大蔵事務官作成の現金、預金、有価証券、印章等確認書(甲二二)、売上金額調査書(甲七七)、各給料手当調査書(甲七八、九三、九六、九九、一〇二、一〇三、一〇五、一〇六、一〇八、一〇九、一一二、一一四ないし一一六、一一八ないし一二三、一二六、一三一ないし一三四)、福利厚生費調査書(甲七九)、配当所得調査書(甲八六)、各査察官報告書(甲二七〇、三一九)、現金調査書(甲一三五)、預金調査書(甲一三六)、有価証券調査書(甲一三七)、事業主貸調査書(甲一三八)及び源泉徴収税額調査書(甲三二〇)
一 長野税務署長作成の回答書(甲七三)
一 医療法人芳州会村井病院院長渡辺啓一作成の照会事項回答書(甲二〇六)
判示第二の冒頭、一、二、三の事実について
一 滝沢正幸(甲一五二)及び鈴木敏子(甲二六七)の検察官に対する各供述調書
一 大蔵事務官作成の給料手当調査書(甲一三〇)
判示第二の冒頭、一、二、四の事実について
一 牧野美代子の検察官に対する供述調書(甲二一三)
一 牧野はるいの大蔵事務官に対する質問てん末書(甲二一四)
一 大蔵事務官作成の給料手当調査書(甲九七)
判示第二の冒頭、一、二の事実について
一 横川時枝(甲二一九)、和田はる江(甲二六三)及び青木昭夫(甲二六五)の検察官に対する各供述調書
一 倉石朋幸(甲二〇一)、綿内勇(甲二一八)及び横川敦子(甲二二〇)の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 大蔵事務官作成の各給料手当調査書(甲九一、一〇〇、一〇一、一二七、一二八)
一 検察官作成の電話聴取書(甲二六四)
判示第二の冒頭、一、三、四の事実について
一 倉石公雄(甲一七〇、一七二)、滝沢正幸(甲一七三)、倉石美貴子(甲一七四)、土屋和之(甲一七五)及び傳田文彦(甲一七六)の検察官に対する各供述調書
一 広田悦文(甲三〇七)、和田よし江(甲三〇八)及び川浦幸雄(甲三〇九)の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 検察官作成の捜査報告書(甲一七一)
一 検察事務官作成の捜査報告書(甲一七七)
判示第二の冒頭、一の事実について
一 恵木宮子の検察官に対する供述調書(甲二六〇)
一 大蔵事務官作成の給料手当調査書(甲一二四)
判示第二の冒頭、二、三、四の事実について
一 縣鈴子(甲二〇八)、島田ひとみ(甲二〇九)、新井千枝子(甲二二五)、佐藤敏子(甲二二九)、中村澄子(甲二三四)、野池由子(甲二三六)、松坂順子(甲二三九)、月岡喜江子(甲二四七)、坂口和美(甲二六六)、宮下忠男(甲二八四)、滝沢正幸(甲二八五)、吉原一正(甲二八六)、羽毛田恵子(甲二八七)及び真島典之(甲二九〇)の検察官に対する各供述調書
一 新井清(甲二二六)、中村ナカ(甲二三五)、野池恒利(甲二三七)、松坂克芳(甲二四〇)、酒井寿美子(甲二四八)、米澤公子(甲二八八)及び中沢浩一郎(甲二八九)の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 大蔵事務官作成の給与所得調査書(甲八七)及び各給料手当調査書(甲九四、九五、一〇四、一〇七、一一〇、一一一、一一三、一一七、一二九)
一 大蔵事務官作成の各査察官報告書(甲二一〇、三一四)
判示第二の冒頭、三、四の事実について
一 西澤静子(甲二〇二、二〇四)、鈴木千太子(甲二一五)及び有馬勝枝(甲二六一)の検察官に対する各供述調書
一 林辺智子(甲二〇三)及び麻場啓子(甲二一六)の大蔵事務官に対する各質問てん末書
一 大蔵事務官作成の各給料手当調査書(甲九二、九八、一二五)
判示第二の冒頭、三の事実について
一 倉石紀子の検察官に対する供述調書(甲一九八)
一 大蔵事務官作成の給料手当調査書(甲九〇)
判示第二の一、二、三、四の事実について
一 検察官作成の報告書(甲八九)
一 大蔵事務官作成の減価償却費調査書(甲八〇)、貸倒引当金繰戻額調査書(甲八一)、青色専従者給与調査書(甲八二)、貸倒引当金繰入額調査書(甲八三)、青色申告(特別)控除調査書(甲八四)、事業専従者控除調査書(甲八五)及び査察官報告書(甲八八)
一 検察事務官作成の電話聴取書(甲七二)
(補足説明)
判示第一の事実について、被告人は、徳重文男から同人の生前に本件普通預金及び本件定期預金の贈与を受けたと弁解し、弁護人も、被告人は文男から、通帳も印鑑も自由に使って下ろしてよいという趣旨で本件各預金債権の贈与を受けたものであり、普通預金払戻請求書及び定期預金証書裏面の元利金受取欄の作成、行使、並びに、各預金の払戻しないしは解約請求は、いずれも文男の承諾の下に行われたものであるから、各有印私文書偽造、同行使、詐欺はいずれも無罪である旨主張するので、以下に、被告人・弁護人が主張する贈与の事実はないと認められる点を中心に当裁判所の判断を補足して説明する。
一 本件各預金口座の開設等の前提的事実関係について
前掲関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。
1 被告人は、昭和三三年に医師免許を取得した医師であり、昭和三七年ころ精神科の個人病院である栗田病院を開業し、以後院長として同病院の規模を次第に拡大し、昭和五五、六年ころには内科を併設して、病床数七二〇床を有する病院としている。昭和六〇年ころから平成六年ころにかけての同病院の事務は、被告人の実弟倉石公雄が事務長を勤め、第一事務室において、患者の入退院手続、患者の小遣いの管理や患者の買い物の取りまとめと発注などを、第二事務室において、保険請求に必要なレセプトの入力、出力などを担当し、また、被告人の妻倉石美貴子が、同病院の元医局のあった部屋(元医局)において、経費の支払い、伝票の整理などの経理事務、並びに、入院患者及び准職の預金通帳等貴重品の管理などを担当していたが、実態は被告人のワンマン経営であった。
なお、栗田病院では、入院の必要を認めなくなった精神病患者で、同病院の施設内にとどまって外来治療を希望する者を、同病院設営の寮に居住させ、病院内の軽作業に従事させるなどしていたが、そのような者を准職と呼んでおり、二〇年くらい前から存在し、平成八年にはその数は一〇〇人を超えている。
2 徳重文男(昭和二一年九月二二日生)は、昭和三九年に精神分裂病により栗田病院に入院し、その後入退院を繰り返し、退院時には栗田病院の設営する寮で暮らしていた。同人の症状は、入院当初からずっと被害妄想が続いており、徐々に生活レベルが低下し人格の荒廃が進むというもので、幻覚・妄想に支配されて病院を抜け出して徘徊し、保護されるということが時々あった。後記のとおり、同人は、精神分裂病により障害福祉年金・基礎年金の一級一〇号(他人の助けを受けなければほとんど自分の用をすることができない程度の状態にあるもの)の認定を受けている。文男は、平成五年六月八日朝、寮を抜け出して長野市街を徘徊し、翌日警察に保護され、同月一〇日から栗田病院の閉鎖病棟に入院した。そのときの症状は、幻覚・妄想・不安焦燥感、不眠の状態がかなり強く現れていた。同年七月六日一旦退院して寮から外来治療となるも、同年八月一〇日、前記症状が再発して再入院となり、同月一一日から被告人の判断で保護室に収容された。そして、文男は同月一五日(日曜日)午前六時一〇分ころ急性心不全により死亡した。
3 文男の父徳重俊雄は、文男の入院費や生活費等につき文男の兄徳重昌志らからの援助も得てこれらを負担していたが、この支払のため、昭和四七年に本件普通預金口座(番号八七三二九)を八十二銀行七瀬支店に開設し、同預金通帳と届出印鑑を栗田病院に預けた。昌志は、昭和五九年に文男の国民年金の障害福祉年金の受給手続をして同年一〇月に右年金を支給する旨の裁定を受け(障害一級一〇号に該当)、昭和五四年八月分に遡ってその支給を受けるようになったが、昭和五九年一二月ころ、被告人又は栗田病院の職員から障害年金を医療費に充当すれば医療費を負担しなくてよいとの説明を受け、文男の国民年金証書と印鑑を栗田病院に預けて同年金を受領して医療費に充てる事務を委ねた。昭和六一年に国民年金法の改正により障害基礎年金が障害福祉年金に代わって支給されるようになったが、同年四月分から、栗田病院職員の手続により障害基礎年金が本件普通預金口座に振り込まれるようになった。さらに、国民健康保険の高額療養費もこのころから本件普通預金口座に振り込まれるようになった。そして、文男の医療費や生活費等の諸経費一切は、栗田病院職員により本件普通預金の中から支払い手続がなされていた。
ところで、美貴子は、入院患者及び准職から預かった預金通帳等の貴重品を元医局の大金庫に保管して管理していたが、これら普通預金の残高が多くなると、利率の高い定期預金に振替えたりしていたものであり、平成二年一一月二七日、被告人の了解の下に、本件普通預金口座から二五〇万円を振り替えて八十二銀行七瀬支店に同額の文男名義の本件定期預金(番号三〇〇〇〇二一一〇七)を設定した。このことは文男及びその親族に告げていない。
文男死亡後の平成六年一月に、被告人の指示を受けた栗田病院職員によって文男の銀行届印が改印されている。
二 本件各預金に関係する文男及び被告人の言動等について
1 昌志の当公判廷における供述、同人の検察官に対する供述調書(甲四八、不同意部分を除く。)によれば、次の事実が認められる。なお、弁護人の主張に照らして慎重に検討するが、昌志の供述は、具体的でかつ自然な脈絡がある上、関係各証拠とも矛盾するところがないこと、また、「被告人から本件各預金に残高があることを言って欲しかったものの、被告人を憎む気持ちはない。」と供述していることなどからして、被告人に不利となるような虚偽の事実を殊更供述する事情も窺えないことから、十分な信用性が認められるものである。
すなわら、昌志は、昭和六〇年に父が死亡後文男の面倒を見てきたものであり、月一回ほど同人との面会を続け、同人から小遣銭をせびられて少額の金員を渡すなどしてきたが、文男が死亡した三日前の平成五年八月一一日にも文男と面会した。その際、文男は「具合が悪くて点滴を打っているんで食事はとっていない。こうやって面会に来ていただくのもこれが最後だ。」などと言うとともに、「ところで、俺の入院費用はどうなっているんだや。」と言った。昌志は、文男に、障害基礎年金で同人の医療費等を賄っていることを話したことがなかったから、同人は兄弟が払ってくれていると思ってそのように言ったものと理解し、「それは病院の方でやってもらっているから何もそんなことを心配するな。おまえは自分の身体のことだけ心配してればいいぞ。」と答えた。昌志に対し、文男が具体的に入院費の話をしたのはそれが初めてであったが、以前にも「いつも兄貴には迷惑を掛けて悪いなあ。」と言っていたことはあった。昌志は、文男から、障害者年金のことについて話すのを聞いたことは一度もなかったし、同人が本件各預金を被告人に贈与したという話は、右の面会の際も、またそれ以前においても一度も聞いたことがなかった。
2 1に掲げた証拠、並びに、徳重幸男の検察官に対する供述調書(甲四九)、徳重栄男(甲五〇)及び中安浩子(甲五一)作成の各上申書等の関係各証拠によれば、次の事実も認められる。なお、これに反する被告人の供述は信用できない。
昌志と長兄の徳重幸男は、平成五年八月一五日の朝、被告人から文男が死亡したとの知らせを受けて栗田病院に行き、文男の遺体を引き取るとともに遺品を受取ったが、その中には現金や預金通帳、印鑑などの貴重品はなかった。昌志は、その一週間後くらいに精算のために栗田病院に赴き、被告人に対し入院費用及び死亡診断書料の支払をしたい旨申し出ると、被告人から、そのような支払は心配する必要がなく、その後のいろいろな手続も病院のほうでする旨言われ、結局昌志からも病院からも金銭のやり取りはなかった。被告人から、昌志に対し、文男から本件各預金を譲り受けている旨の話もなかった。昌志は、障害基礎年金は既に文男の入院費用等に充当されて残高がないと思い、被告人の右説明により年金の手続等を栗田病院に任せればよいと考えたことから、被告人に年金証書等の返還を求めなかった。なお、昌志ら文男の兄弟においては、父が栗田病院に本件普通預金等を預けたことは知らないままであった。
3 一方、倉石美貴子(甲四四ないし四六)、大室喜信(甲五六、五七)、滝沢正幸(甲五九ないし六二)及び倉石公雄(甲四〇)の各検察官調書等の関係各証拠によれば、次の事実が認められる。これに反する被告人の供述は信用できない。
栗田病院では、患者が死亡・生存にかかわらず退院となると、美貴子において、当該患者の貴重品を第一事務室の事務員に引渡して「預かりノート」にその旨記載し、第一事務室事務員は、当該患者の「小遣い台帳」に基づいて費用を精算して、その残金と右貴重品とを患者の家族に返還し、「小遣い台帳」の末尾にサインをもらっていたものであるが、中に、被告人が、自分が患者の家族に渡すから自分に引渡すようにと言って来る場合があり、そのようなときには、美貴子は右「預かりノート」に、第一事務室事務員においては右「小遣い台帳」に、いずれも「院長へ」と記載して貴重品や現金の残高を被告人に引渡すことがあった。文男死亡の翌日である平成五年八月一六日、被告人は、美貴子に指示して同人から、文男の本件総合口座通帳(普通預金)及び本件定期預金証書の引渡しを受け、美貴子は、「預かりノート」の文男の欄に「平成5年8/16(死亡)院長へ」と記載した。同日、被告人は、第一事務室の事務員大室喜伸に、文男が死亡したので精算し残金と印鑑を院長室に持って来るよう指示し、大室は、「小遣い台帳」に基づき入院費用、死亡診断書料等を精算し、残金二万二九七九円と「徳重」と刻した印鑑二個を被告人に引渡し、「小遣い台帳」の最後の頁のコピーに「8/16付、院長先生へ、印かん2本は院長先生へ」と記載して残した。同日、被告人は、公雄に文男の障害年金証書を持って来るよう指示して受け取り、公雄は「障害基礎年金証書送付名簿」に、「H5・8・16死亡院長に渡す」と記載した。以後、被告人が本件預金通帳等を自ら保管し、前記のとおり改印届の後も栗田病院職員から再び引渡しを受けて同印鑑を保管し、前掲関係各証拠によれば、文男の死亡から約一年二か月の平成六年一〇月一一日、被告人は本件普通預金の全額払戻手続を、また、その約一か月半後の同年一二月二日、本件定期預金の解約手続をそれぞれして、その払戻金を受領したことが明らかである。
三 ところで、本件では、文男から被告人への贈与を表す書面等は一切存在していないし、美貴子を初めとする被告人の親族や他の栗田病院関係者においても、被告人が文男から預金の贈与を受けたということは聞いたことがないと供述しているところであり、これと前記認定事実とを合わせると、文男の生前において、文男から被告人に対する本件各預金の贈与などなく、被告人が本件預金通帳等を自己の直接の保管に移したのは、被告人において文男の遺族に引渡すということで同病院のそれぞれの保管者から受け取ったものと見るほかない。そして、被告人は、その後文男の遺族から本件各預金の返還請求がないことを確認の上、かねての計画どおりこの払戻しを敢行したと見るほかないのである。
仮に、被告人が弁解するように、文男が生前被告人に本件各預金を贈与していたものとすれば、被告人のとっている行動はあまりにも不合理である。これは、本件の贈与者が重い精神分裂病患者であることを考えあわせるとなおさらである。
したがって、文男から贈与を受けたとの被告人の弁解は虚偽であることが既に明らかといえるが、最後に被告人の供述を検討しておく。
四 被告人の供述の検討
被告人が、文男から本件各預金の贈与を受けたとする供述の具体的内容は、捜査段階においては、「文男から死亡の一か月前ころ預金をくれる旨言われた」(乙二)とか、「文男から死亡の一か月ないし二、三日前に預金をくれる旨言われ、死亡の一週間ないし二、三日前ころに滝沢あるいは美貴子に指示して、文男名義の普通預金通帳、定期預金証書、印鑑を自分の所に持って来させて文男に見せ、『好きな物でも買ったらどうだ。』と言ったら、文男は『使って下さい。』と答えた」(乙三)とか、「自分は、文男からその入院中である平成五年八月一〇日から同月一五日までの間に『預金がどのくらいあるか見たい。』と言われたので、滝沢あるいは美貴子に指示して、文男名義の普通預金通帳、定期預金証書、印鑑等を自分の所に持って来させ、その日、文男に右普通預金通帳等を見せたところ、同人から『お世話になったから使って下さい。』と言われた。自分は、当日、右普通預金通帳と定期預金証書を院長室の金庫に入れ、当日か翌日ころ、滝沢に右普通預金通帳を渡して記帳をするように指示した。自分は、記帳後の右普通預金通帳等を滝沢に渡してこれらを元医局の大金庫に戻させた。自分は、文男死亡の何か月か後、滝沢に指示して、右普通預金通帳等を持って来させた。」(乙五、六)というものであり、公判(第五回)においては、「昭和五九年ころから文男に対し本件普通預金通帳等を何度も見せ、そのころから同人から預金をあげる旨言われており、捜査段階における贈与の話は最終回のものであって(それ以前の贈与の話をしなかったのは検察官からその旨の質問がなかったからである。)、平成四、五年ころには『先生のお蔭でお金が貯まりましたので、先生使って下さい。』とノートの上にメモ用紙的に書いてきた。」などというものである。
被告人の右供述については、まず、捜査段階で文男から本件普通預金通帳等の贈与を受けたことなどについてたびたび供述しながら(しかも、その供述には変遷がある。)、公判段階になって、本件普通預金通帳等を文男に見せた時期及び文男が被告人に預金をあげると言った時期についてさらに大きく供述を変え、更に捜査段階では一切述べていなかったノートの上にメモ用紙的に書いてきたなどという供述をはじめているもので、しかも、それらの変遷の理由につき合理的な説明がない。これ自体から、場当たり的な根拠のない供述と言ってよい。しかも、文男に本件普通預金通帳等を見せて確認させたとの弁解内容については、滝沢正幸の「被告人から入院患者などの通帳と印鑑を持ってきて見せるように指示されたことはない。文男死亡の少し前ころ、被告人の指示で、文男の通帳、印鑑等を元医局や第一事務室から被告人の所へ持って行き、その後間もなく、通帳の記帳をして再び元医局等に戻したこともない。」(甲六一)との供述及び美貴子の「被告人が自ら又は滝沢を通じて通帳を見せるように言ってきたことはなかった。文男死亡の五日くらい前に、滝沢から言われて文男の通帳を渡したこともない。」(甲四六)との供述とまるで食い違う。滝沢と美貴子の各供述は、互いに符号しているし、両者とも自己の担当する事務についてのものであるから信用性が高い。しかも、滝沢は被告人の病院の事務員、美貴子は被告人の妻であって、同人らが殊更被告人に不利となる虚偽の事実を述べる理由は見当たらない。被告人の供述が事実に反するというほかない。また、被告人が文男死亡の何か月か後に滝沢に指示して右預金通帳等を持って来させたとの弁解が事実に反することは、前記二の3に認定のとおりである。被告人が公判廷で供述するノートの上にメモ用紙的に書いてきたという物が現存しないことは被告人が自ら述べるところである。
以上検討したところからも、被告人の前記弁解が全く信用できないことが明白である。
五 結論
以上の次第で、被告人が文男から本件各預金債権の贈与を受けた事実はなかったことが明らかであり、これと前掲関係各証拠によれば、被告人が本件普通預金の払戻請求書及び本件定期預金証書裏面の元利金受取欄を偽造してこれらを行使し、預金払戻名下に判示の銀行から現金を騙し取ったことは優に認められるところである。
(法令の適用)
被告人の判示第一の一、二の各行為のうち、有印私文書偽造の点は平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「改正前刑法」という。)一五九条一項に、偽造有印私文書行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項に、詐欺の点は同法二四六条一項に、判示第二の一ないし四の各行為は所得税法二三八条一項にそれぞれ該当するところ、判示第二の一ないし四の各罪については情状によりいずれも同条二項を適用し、判示第一の一、二の各有印私文書偽造とその行使と詐欺との間にはそれぞれ順次手段結果の関係があるので、改正前刑法五四条一項後段、一〇条によりそれぞれ一罪として最も重い詐欺罪の刑(ただし、短期は偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、判示第二の一ないし四の各罪について懲役刑と罰金刑をそれぞれ併科することとし、以上は改正前刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により刑及び犯情の最も重い判示第一の二の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条一項によりこれを右懲役刑と併科し、同条二項により判示第二の各罪所定の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で被告人を懲役一年一〇月及び罰金一億円に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右懲役刑に算入し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、押収してある払戻請求書一枚(平成九年押第一七号の1)及び市場金利連動型定期預金証書一枚(同号の2)裏面の元利金受取欄の各偽造部分は、それぞれ判示第一の一、二の偽造有印私文書行使の犯罪行為を組成した物で、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれらを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。
(量刑の理由)
本件は、内科を併設した精神病院であり、医師十数名、看護婦百二十名、看護人三十数名を擁し、ベッド数七二〇床という大規模病院である栗田病院の院長であった被告人が、判示のとおり、死亡した入院患者の預金口座から無権限で現金合計四〇七万円余を払い戻し、また、不正行為により四年度にわたって合計四億七九六八万円余の所得税を脱税したという、有印私文書偽造、同行使、詐欺、所得税法違反の事案である。
有印私文書偽造、同行使、詐欺の犯行については、被告人は、前記のとおり、文男死亡の翌日、本件総合口座通帳(普通預金)、定期預金証書や印鑑を妻や事務職員から引渡しを受けて自己の直接の管理下に移し、しかも入院費等の精算も済まさせておきながら、その後面会した文男の兄にその旨を告げず、右通帳等や精算後の残金を返還せず、かえって入院費等の心配は不要であると答えて安心させ、死亡後一年以上も経ってから本件犯行に及んだのである。右の事実関係に照らせば、本件は、被告人が、文男死亡直後から同人名義の預金を自己のものにしようと考えて実行した計画的犯行といえる。また、精神病院に入院中の患者の年金収入や小遣等の管理については、病院側に委ねざるを得ない状況にあるところ、かかる現状を悪用してこれらが入金されている預金を不正に取得したもので、精神障害者とこれを治療し社会復帰を助ける医療機関という関係に照らすとき、許し難い悪質な犯行といわざるを得ない。被害金額も合計四〇七万円余と決して少額ではない。被告人は、捜査及び公判を通じて前記のとおりの不合理な弁解に終始しているもので、反省の態度が窺われないところでもある。
所得税法違反の犯行については、およそ、脱税は不正な手段で税負担の公平を害し、国民の納税意欲を減殺するもので、厳しい非難に値するところ、本件の脱税額は四年度分合計四億七九六八万円余と巨額であり、ほ脱率も約六三パーセントという高率であって、甚だ悪質重大である。犯行態様は、自由診療収入、診療書料等の収入につき、入金伝票を起票せず売上げ除外するとともに、准職の寮費及び日用品・たばこ売買益などをことごとく売上げ除外し、また、准職ら名義で退職金を掛けてそれを払い戻しては自己の収入とするとともにこれまた売上げ除外し、かつ、親族らの名義で預金口座を開設してそこに名目上の給料を振り込んで架空給与を計上したり、准職らに内緒で同人ら名義の口座を開設してそこに名目上の給料を振り込んだ上、その一部を同一人の別口座に自動送金して、前者の金額を税務申告し、後者の金額を当人の現実の給料額として水増し給与を計上するなどして所得を圧縮し、このようにして得た金は仮名の定期預金にして隠匿するなどし、さらに、株を多数の他人名義で所有し、多数の仮名預金口座を使って配当金を受領して、これらについても配当所得を申告しないなどの脱税の方法を繰り返している。ほ脱所得の項目は多岐に及び、特に右の架空・水増し給与の計上などは極めて手の込んだ巧妙なものである。犯行動機については、被告人は、医者や看護婦の引抜料、あるいは准職に与える小遣いや酒代に多額の金がかかるようになったなどと弁解するが、そのような事実は窺えず、また、准職名義の架空・水増し給与の計上については、准職らの将来の生活に役立てようと思ったなどと弁解しているが、これまで格別准職らのためにこれらの金を使用した事実は窺われず、これまた措信できないところであって、本件は、被告人の並外れた蓄財欲から出たものといわざるを得ず、格別酌量すべき事由はない。さらに、被告人は、国税局による査察着手後、隠し金庫を設置して、証拠類を隠匿し、また、准職に証拠書類を隠匿させるなどし、かつ、看護婦に口裏合わせを指示するなどしており、また、捜査及び公判の当初の段階を通じて犯行の一部を否認していたものであって、第三回公判で犯行自体は全部認めるに至ったものの、その供述内容などに照らせば、必ずしも十分に反省しているとは言い難い状況にある。
本件詐欺等の犯行及び所得税法違反の犯行が、精神病院のみならず医療に従事するもの一般に対する国民の信頼を大きく損なうものであることはいうまでもなく、その社会的影響は大きい。
以上の諸事情を考慮すると、被告人の刑事責任は甚だ重いといわざるを得ない。
そこで、他方、詐欺等の事件について、実質的な被害者である文男の相続人らの代表者と被告人の長男である現栗田病院院長である倉石和明との間で示談が成立し、和明から相続人らに本件被害相当額の金員が支払われて被害の実質的な回復がなされていること、所得税法違反事件について、平成元年度分ないし平成七年度分の所得税及び平成三年度ないし平成七年度分の消費税の修正申告を済ませ、本税を完納し、所得税につき平成元年度分ないし平成七年度分の重加算税、過少申告加算税及び延滞税を、消費税につき平成三年度分ないし平成六年度分の重加算税及び延滞税をいずれも完納していること、被告人は、和明に病院経営を任せ、同人との間でその監督・指示の下に勤務する旨の雇用契約を締結し、一方、和明は、これまで不明朗なところの多かった経理面や准職制度の改善を行い、被告人の株式配当等の個人所有も含めその税金の申告については十分査閲するなど被告人を監督する旨表明していること、被告人は、和明が理事長を勤める社会福祉法人が計画している精神障害者の社会復帰施設の建設資金として一億円を寄付したほか、今後も右施設の拡充に対して資金を寄付する旨申し出ていること、被告人には罰金前科一犯のほかに前科がなく、これまで三〇年以上地域の精神医療に貢献してきたこと、本件により医師免許取消し又は医業停止の処分を受けることが予想されること、被告人は十数年前から不整脈の持病があるなど健康状態がすぐれないことなど酌むべき事情も認められ、更に金融機関が多数の仮名預金の設定などを容易に受け入れたことも本件犯行を助長した背景事情として指摘できるなどの情状を十分考慮するが、前記のとおりの詐欺等の事案における計画性・悪質性、所得税法違反の事案における巨額の脱税額、高いほ脱率、犯行態様の悪質さなどに照らすと、被告人に対しては実刑をもって臨むのはやむを得ないところであり、主文の刑をもって相当と認める。
よって、主文のとおり判決する。
(求刑 懲役三年、罰金一億円、払戻請求書及び市場金利連動型定期預金証書裏面の元利金受取欄の各偽造部分の没収)
(裁判長裁判官 竹花俊德 裁判官 佐藤真弘 裁判官 島田尚登)