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長野地方裁判所松本支部 平成23年(ワ)399号 判決 2013年5月24日

原告

上記訴訟代理人弁護士

安藤絵美子

塩野悠子

被告

Y株式会社

上記代表者代表取締役

上記訴訟代理人弁護士

八代徹也

八代ひろよ

木野綾子

主文

1  被告は、原告に対し、54万4966円及びこれに対する平成23年4月1日から支払済みまで年6パーセントの割合による金員を支払え。

2  被告は、原告に対し、35万円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

3  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

4  訴訟費用はこれを2分し、その1を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

5  この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

1  被告は、原告に対し、63万6694円及びこれに対する平成23年4月1日から支払済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え。

2  被告は、原告に対し、58万5719円及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

3  被告は、原告に対し、27万0767円及び内4万0689円に対する平成23年3月30日から、内23万0078円に対する平成23年4月28日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

4  被告は、原告に対し、70万円及びこれに対する平成23年9月21日から支払済みまで年5パーセントの割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

6  仮執行宣言

第2事案の概要

本件は、原告が、雇用主であった被告に対し、①在職中の法内残業賃金、時間外勤務手当、深夜勤務手当(以下、時間外勤務手当と深夜勤務手当を併せて「割増賃金」ということがある。なお、原告は主位的に就業規則に基づく法内残業賃金及び割増賃金を請求し、予備的に労働基準法(以下「労基法」という。)37条に基づく割増賃金を請求をしている。)及びこれに対する退職日の翌日である平成23年4月1日から支払済みまでの賃金の確保等に関する法律(以下「賃確法」という。)6条の年14.6パーセントの割合による遅延損害金の支払、②上記労基法37条に基づく割増賃金と同額の付加金及びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払済みまで民法所定年5パーセントの割合による遅延損害金の支払、③被告が原告から法律上の原因なく金銭の支払を受けたことに基づく不当利得返還請求及びこれに対する同年3月30日(4万0698円について)と同年4月28日(23万0078円について)から支払済みまでの民法所定年5パーセントの割合による遅延損害金の支払、④原告が被告従業員らからいわゆるパワーハラスメント(以下「パワハラ」という。)を受けたことに基づく使用者責任に基づく損害賠償請求及びこれに対する訴状送達の日の翌日である同年9月21日から支払済みまで民法所定年5パーセントの割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求めている事案である。

1  前提事実(当事者間に争いがないか、証拠等により明らかに認められる事実)

(1)  原告は、平成22年4月1日に被告に入社したが、平成23年3月31日に被告を退職した者である。

原告は、入社後、被告本社での実習を経て平成23年5月1日付で被告の大阪支社営業部営業課に配属になり、同年6月14日から同年8月12日まで被告の高松a事業所及び高松b事業所(以下、併せて「高松事業所」という。)で生産実習に従事し、同月17日から再び大阪支社の同じ部署で勤務するようになった。しかるに、原告は年末年始の休暇が明けた平成23年1月5日からは出勤しなくなり、そのまま同年3月31日に被告を退職した。

(2)  被告は昭和25年に設立されたモーター等の製造・販売を目的とする株式会社であり、2000名以上の従業員を雇用しており、その資本金は40億円である。

原告在職当時は大阪支社営業部営業課所属のB(以下「B」という。)が原告のチューターであり、C(以下「C」という。)が大阪支社長兼同支社営業部長であった。

2  争点

(1)  訴え変更の却下及び時機に遅れた攻撃防御方法について

(被告の主張)

原告は、弁論終結が予定された期日において、従前の労基法37条に基づく割増賃金請求を予備的請求原因とし、新たに就業規則に基づく法内残業賃金及び割増賃金を主位的請求原因とする訴え及び請求原因の変更を行ったが、これは従前主張していた法律構成及び具体的事実を根本的に変更するものであり、時機に遅れ、訴訟手続を著しく遅滞させるものであるし、これまでの訴訟の経過から見て原告に故意又は重大な過失があることは明らかである。

よって、原告の上記訴えと請求原因の変更については、民訴法143条1項ただし書及び同157条1項により却下されるべきである。

(原告の主張)

争う。

(2)  時間外労働の認定及び法内残業賃金と割増賃金の額について

(原告の主張)

ICカードの使用履歴によれば原告が連日のように時間外労働をしていたことは明らかである。また、原告は、Bの指示を受けて実際の退社前にICカードを使用することもあり、そのような場合について、平成22年11、12月分については、自己の手帳に実際の退社時間を記録していた。

よって、平成22年7ないし10月分についてはICカードの使用履歴、同年11月分についてはICカードの使用履歴と手帳の記載、同年12月分については手帳の記載を基礎に原告の労働時間を認定すべきであり、その労働時間は、別紙1(省略)原告主張労働時間一覧表記載のとおりとなる。

そして、被告の賃金規程や原告が実際に支払を受けた時間外勤務手当の額からすると、算定基礎額は、高松事業所勤務時は1286円、大阪支社勤務時は1330円と算定されるから、結局、原告に支払われるべき法内残業賃金及び割増賃金の合計は63万6694円(労基法37条1項に基づく割増賃金は58万5719円)となる。

なお、被告は原告が時間外に会社構内にいたのは自己啓発活動のためであって労働時間とはいえない旨主張するが、原告は時間外に日報作成、電話応対及びそれについて顧客とのやり取りをシステムに入力すること、発表会への参加、着替えや朝礼、ラジオ体操等をしていたのであり、これらはいずれも労基法上の労働時間に該当する。

(被告の主張)

被告では、残業を命じる場合、上司が「時間外及び休日勤務指示書」(以下「指示書」という。)という書面で指示を出していたのであり、本件では平成22年6月30日の午後5時40分から午後7時40分の2時間以外に原告について指示書が作成されていないから、それ以外に原告が残業したことはあり得ない。原告は自己啓発のための自主活動を終業時間後に行っていたにすぎない。

なお、被告においてICカードの使用履歴は警備・安全管理面からの確認を行うための警備記録として把握しているものであり、勤怠管理のために使用しているものではない。ICカードの使用履歴は原告が被告の事務所建物に入退館した時間を示しているだけで、入館時刻から始業時刻、終業時刻から退館時刻までは被告の指揮命令下になく、労働時間には当たらない。

また、朝礼や発表会などはいずれも自己啓発等を目的とした任意参加であって、労基法上の労働時間には該当しないものであるし、日報作成も締切りがなく、夕方に居残ってまで作成しなければならないものではなかったので、日報作成に充てられた時間も労働時間に該当しない。

そして、被告が大阪支社において残業を命じる場合には、終業時刻後に必ず10分間の休憩を取らせるから、15分間の法内残業を計上する原告の計算は失当である。

(3)  賃確法施行規則6条4号に基づく事由について

(被告の主張)

賃確法施行規則6条所定の事由については、これを柔軟かつ緩やかに解すべきであり、同条4号にいう「合理的な理由」には、事業主に確実かつ合理的な根拠資料が存する場合だけでなく、合理的な理由がないとはいえない理由に基づき賃金の全部又は一部の存否を争っている場合も含まれるものと解すべきである。そして、前記のように被告は合理的な理由に基づき割増賃金の有無について争っているのであるから、本件で賃確法6条2項及び同法施行規則6条4号により、同法6条1項の適用は除外される。

(原告の主張)

争う。

(4)  付加金請求について

(原告の主張)

原告が時間外労働をしていたのはICカードの使用履歴等の証拠から明らかであり、被告もそれを熟知していたはずであるのに、原告が残っていたのは自己啓発であって残業ではないなどと非常識な主張をした上、原告の時間外労働の事実が記録されているはずのシステム上のデータ等の証拠を提出しようとせず、原告の立証を妨害し、原告に各種負担を負わせている。かかる被告の行為は極めて違法・不当なものであるから、制裁として労基法37条1項に基づく割増賃金と同額の付加金の支払が認められるべきである。

(被告の主張)

被告は、原告からの内容証明郵便に対して誠実に回答するなどしており、付加金の支払を命じられるほど悪質ではない。

(5)  不当利得返還請求について

(原告の主張)

原告は、被告からの求めに応じて平成23年3月30日に4万0689円、同年4月28日に23万0078円を支払ったが(いずれも振込手数料を含む。)、これは法律上の原因を欠くものであるから、被告は上記金員の合計27万0767円を不当に利得していた。また、被告は自己の請求が上記のように法律上の原因を欠くものであることを当然に認識していたのであるから、悪意の受益者として平成23年4月28日から支払済みまで年5パーセントの割合による遅延損害金を支払う義務がある。

(被告の主張)

被告はノーワークノーペイの原則に従い、前払いされた賃金から欠勤期間に応じた賃金や社会保険料等を翌月の賃金から控除し、差額分を原告に負担させたに過ぎないのであるから、被告が原告より受けた支払は法律上の原因を欠くものではない。

(6)  使用者責任に基づく損害賠償請求について

(原告の主張)

原告は長時間の時間外労働を強要されて経済的・肉体的・精神的に著しく疲労した。また、原告は飲み会や食事会への参加を強要された上、2、3回ほど一気飲みを強要されたが、これもアルコールに弱い原告にとって肉体的・精神的に苦痛であり、原告は最終的に自律神経失調症との診断を受け、現在も通院している。これらの行為はパワハラであって、いずれもBら被告の従業員によって行われ、かつ被告の職務と密接に関連する行為であるから、被告は使用者責任又は不法行為に基づき、原告に対し70万円を支払う義務がある。

(被告の主張)

被告は原告に対して時間外労働を強制したこともない。また、飲み会等についてもBらが郷里から離れて一人暮らしする原告を気遣って誘ったにすぎないものであって強制したものではないし、現に原告は多くの場合断っていたし、費用もBら先輩が多く負担していた。一気飲みについても、強制ではなく、原告は少量の酒を2、3回飲んだにすぎないものであるし、不法行為を構成するものではない。

第3当裁判所の判断

1  証拠<省略>及び弁論の全趣旨によれば、前記第2の1の事実のほか、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(1)  被告における所定労働時間は、就業規則上、平日の午前9時から午後5時35分まで(休憩時間は午後0時から午後0時50分まで)とされており(就業規則49条1項、56条)、実際に原告は本社及び大阪支社においてそれに沿った勤務をしていた。

他方、原告が高松事業所で勤務していた時は、平日の午前8時30分から午後5時30分まで(休憩時間は午前10時から午前10時10分、午後0時から午後0時40分まで、午後3時から午後3時10分まで)が労働時間であると原告に告げられていたものの、労働時間の変更について就業規則の変更等の手続がされたかは明らかではない。

なお、休日については、毎週土日、祝日、年末年始(12月31日から1月3日まで)、土曜日と祝日が重なった場合はその日数、被告が指定した4日間とされており、原告が勤務していた平成22年度の年間休日日数は124日であった。

(2)  被告においては、時間外勤務手当について、法定時間を超えて勤務することを命ぜられ、その勤務に服した従業員について、勤務1時間当たりの算定基礎額(労基法37条5項及び同法施行規則21条所定の賃金を除いた賃金計算期間に支給される賃金の額を「年間所定労働時間÷12か月」で除した額)に100分の130を乗じて得た額を支給するとされており(賃金規程22条1項)、1賃金計算期間(月の1日から末日まで)において時間外勤務と休日勤務の合計が60時間を超えた部分については、その超えた勤務1時間について、勤務1時間当たりの算定基礎額に100分の150を乗じて得た額を支給することとされていた(賃金規程22条、24条)。

また、深夜勤務手当は、午後10時から午前5時までの間に勤務した従業員について、上記算定基礎額に100分の30を乗じて得た額を支給し、さらに時間外勤務が、深夜に及んだ場合には、時間外勤務手当に深夜勤務手当の額を加算することとされていた(賃金規程25条)。

(3)  原告は被告在職中、毎日日報を作成することが義務づけられていた。日報には当日の実習等で学習したことを記載することとされており、被告が取り扱う商品であるモーターに関する専門的事項や被告の営業に関する事項が数頁にわたって詳細に記載されていた上、それについて他の先輩従業員らから細かい部分にまでコメントが付されていた。また、Bら先輩従業員は日報をなるべく当日中に提出するように原告に指導しており、そのために日報の作成が終業時間後や翌日の始業時間前に行われ、原告は会社に居残ったり、早く出勤したりすることがあった。

(4)  原告は平成23年6月14日から同年8月12日まで、被告の高松事業所で生産実習を受けていた。高松事業所では所定の作業着に着替えることとされており、毎日、午前8時15分からの朝礼と午前8時20分からのラジオ体操が行われていた。

また、原告が実習中に高松事業所では新入社員全員が参加する実習の成果についての中間発表会と最終発表会が平成22年7月7日の午後5時40分と、同年8月11日の午後5時40分から行われており、それは被告作成の実習に関するレジュメにも予定として記載されていた。

なお、被告の指示書によれば、原告は高松事業所に勤務していた平成22年6月30日の午後5時40分から午後7時40分までの2時間だけ棚卸しの時間外労働に従事したとされ、2時間分の時間外勤務手当として3344円が支給されていた。

(5)  被告大阪支社において、原告は営業課に配属されていて主にデスクワークや実習に従事していた。高松事業所に生産実習に行く前の平成22年5月から同年6月にかけては、原告は営業課で先輩社員に同行して得意先を訪問するなどの業務に従事し、高松事業所から大阪支社に帰ってきた後である平成22年8月17日から同年10月8日までは、サービス部門であるお客様相談センターでの実習や各種専門知識・技能に関する実習を受けていた。その後、原告は平成22年10月12日から同年11月末までは営業課での実習を行い、同年12月ころからは引き続き営業課において一人で得意先訪問等の業務に従事していた。

なお、被告作成の平成22年9月10日の予定では午後5時30分から日報作成が行われることとされていた上、サービス部門の実習の最終日である平成22年10月8日には新入社員全員が参加する「サービス部門実習発表会」が午後5時から午後6時過ぎまで開催されており、前日の同月7日の午後は上記発表会の準備に充てられていた。

(6)  大阪支社においては終業時間後も留守番電話等に切り替わらず電話がつながるようになっていたが、被告では新人従業員が時間外の電話応対をすることとされており、原告も先輩従業員であるD(以下「D」という。)などから指導を受け、終業時間後に電話応対及びそれについての○○というシステムの入力を行っていた。左記システムには電話を掛けてきた相手方の社名、担当部署、氏名、電話番号の他、相談を受けた内容やそれに対する自分の対応を記載することとなっていた。また、原告は毎週金曜に近隣の営業所にかかってくる電話が大阪支社に転送されるように操作し、翌週月曜の朝にその設定を解除するという作業も行っていた。

(7)  大阪支社において原告はBら先輩従業員の指導によって時間外に得意先訪問の下調べや掃除を行うこともあった。大阪支社の営業課においては、原告以外の従業員も得意先との折衝などで終業時間後も残っていることが多かったが、原告も含めてそれらの者についてCが積極的に早く帰るように促すことはなく、残業申請がされないこともあった。

(8)  原告は平成23年1月4日から同年3月31日に退職するまで一回も出社しなかったが、同年1月4日から同月14日までの7労働日については年次有給休暇として扱われ、同月17日から同年3月31日までの期間については欠勤とされていた。

(9)  被告において、賃金は、毎月末締めの当月25日払いとされており(賃金規程6条。ただし、時間外手当等や欠勤した場合の賃金の控除については、前月末日締め。)、賃金から社会保険料など法令で定められた保険料や労基法24条の手続による控除を行うとされており(賃金規程5条1項)、原告について、平成23年1ないし4月にかけて、被告より以下の様な内訳の支給と控除がなされていた。

そして、被告からの要請に基づき、原告は平成23年3月30日に振込手数料を含めた4万0689円を、同年4月28日に同様に振込手数料を含めた23万0078円を被告に振り込んで支払った。

ア 平成23年1月分

支給 職能給4万1111円 本人給15万4433円

初任給調整手当1万1000円 共済会補助550円

予防接種補助金 1000円

控除 健康保険料6700円 厚生年金保険料1万6058円

雇用保険料1239円 所得税4080円

共済会費1000円 家賃自己負担1万7000円

借家保険166円

Bグループ保険324円

差引支給額 16万1527円

イ 平成23年2月分

支給 職能給4万1111円 本人給15万4433円

初任給調整手当1万1000円 共済会補助550円

控除 欠勤控除11万3146円

健康保険料6700円 厚生年金保険料1万6058円

雇用保険料560円 共済会費1000円

家賃自己負担1万7000円 借家保険166円

Bグループ保険324円

差引支給額 5万2140円

ウ 平成23年3月分

支給 職能給4万1111円 本人給15万4433円

初任給調整手当1万1000円 共済会補助550円

控除 欠勤控除20万6544円

健康保険料6700円 厚生年金保険料1万6058円

共済会費1000円 家賃自己負担1万7000円

借家保険166円

差引支給額 -4万0374円

エ 平成23年4月分

支給 なし

控除 欠勤控除20万6544円

健保調整徴収8400円 厚年調整徴収1万6058円

雇用保険料-1239円

差引支給額 -22万9763円

2  事実認定の補足説明

(1)  日報作成について

まず、日報は前記認定のとおり非常に詳細なものであった上、他の従業員からその記載内容について細かい部分にまで指摘がされていること、Bも作成に30分から1時間程度要することを自認していること、当日の実習等で得た知識の定着を図り、それを他の従業員が確認して適宜フィードバック等を行うためとうかがわれる日報の作成目的からすると、日報がその作成に相当程度の時間を要するものであったと認められる。

また、Bが当日中に提出するのが好ましいと話した旨自認しており、被告従業員らによる添削の中にも「決められた時間内に提出することが大事である。」旨の記載があることからすると、日報についてはなるべく当日中に提出するように指導がされていたと考えるのが相当である。

以上の2つの事実及び被告の実習スケジュールの中には午後5時30分から日報の作成を開始するという予定が組まれている日が見られることを考え併せると、前記認定のとおり、原告が始業時間前や終業時間後に日報作成を行うことがたびたびあったものと認定するのが相当である。

(2)  電話応対・システム入力及び得意先の調査等に関する指導について

まず、大阪支社における終業時間後の電話応対に関する指導については、大阪支社では終業時間後も留守番電話に切り替わるようなシステムが採用されておらず、終業時間後も会社内にいる誰かが電話応対することが当然の前提とされていたこと、当法廷において大阪支社長であるCも新人が率先して電話に出るべきだという考えがある旨供述し、BもDが原告に対して終業時間後の電話応対をするように話をしたことを認めていること、新人が行うべき業務内容として電話応対の様な比較的単純な業務が割り当てられたとしてもあながち不自然とはいえないことを考え併せると、終業時間後の電話応対については、原告が主張するとおり、原告に対してそれをするようにDなど先輩従業員から指導があったと認めるのが相当である。そして、前記認定のシステムの入力内容からすると、電話応対及びそれに引き続くシステム入力について一定程度の時間を要するものであったと認められる。

また、得意先の下調べ等についても、営業課に配属された新人社員としてはかかる調査を行うことが期待されていたとしても全く不合理でなく、むしろ当然とも思えるし、当法廷においてBが原告に対して得意先の調査方法や溜まっている仕事があるなら始業時間前に来て仕事をする時間を作ることができる旨助言したことがある旨供述していることからすると、やはり原告の主張するとおり、先輩従業員からの指導があって原告がこれを時間外に行っていたと認めるのが相当である。

3  訴え変更の可否及び時機に遅れた攻撃防御方法について

被告は、原告がした就業規則に基づく法内残業賃金及び割増賃金の請求を主位的請求とし、労基法37条に基づく割増賃金請求を予備的請求とする訴え及び請求原因の変更は、弁論終結予定日になされたもので、訴訟手続を著しく遅滞させるからこれを許すべきでないなどと主張する。

しかるに、本件における就業規則に基づく請求と労基法37条に基づく請求を比較すると、その請求の基礎となる事実は割増賃金部分については割増率以外は実質的に同一である上、割増率が記載された賃金規程も第1回弁論準備手続において既に提出されて取調べがなされていた。また、法内残業賃金部分についても、請求の基礎となる事実は後述する算定基礎額に係る部分を除き、上記訴え及び請求原因の変更がなされた時点で既に主張立証が終了していたものであり、上記訴え及び請求原因の変更に伴い新たに人証の取調べが必要となったものではない。

そして、本件では弁論が再開され、親たに2回の弁論準備手続を経た上で弁論が終結されたが、それは主に算定基礎額を認定するために必要な原告の1年間における1月平均所定労働時間数及び計算の基礎となる賃金の範囲について改めて審理を尽くすためになされたものであって(労基法37条に基づく請求であろうと、新たに追加された就業規則に基づく請求であろうと、判決をなす前提として上記2つの事実について審理を尽くして算定基礎額を認定することが必須であることは言うまでもない。)、原告の上記訴え及び請求原因の変更について審理するために行われたものではないし、かかる経緯からして、原告が上記訴え及び請求原因の変更をした再開後の弁論準備手続期日の後、直ちに弁論を終結することが当然に予定されていたという事実もない。

よって、原告の上記訴え及び請求原因の変更が著しく訴訟手続を遅延させるとか、訴訟の完結を遅延させると認めることはできないから、被告の上記主張は採用できない。

4  時間外労働の認定及び法内残業賃金と割増賃金の額について

(1)  まず前提として、ICカードの性質について検討しておく。被告は、ICカードの使用履歴は警備記録として把握しているものであり、労働時間を把握するためのものではないと主張する。

しかるに、被告自身が適正な労働時間管理をしていることを自認しているところ、被告の会社規模及び従業員数から考えて、被告においては後述するように形骸化していたとうかがえる指示書以外にも何らかの労働時間管理のシステムが存在すると考えるのが自然である。また、Bは当法廷において、終業時間後に原告が退出する前にICカードを打刻するように促したことがあることを自認しているが、ここからすれば、ICカードが時間外労働と結びつくものであるとの認識が被告従業員らに共有されていたとうかがえるところである。

以上の検討からすれば、ICカードの使用目的のひとつが労働時間管理にあったことは明らかといえ、これに反する被告の上記主張は信用できない。そして、そこからすると、ICカードの使用履歴は原告の労働時間の認定に当たって基本的には信用性の高い証拠ということができる(ただし、被告大阪支社と高松事業所においては、原告が従事していた業務の内容が異なることから、後述のように若干の異なる考察が必要である。)。

(2)  最初に、ICカードの使用履歴が残されており、かつ原告がそれと異なる労働時間を主張していない部分の労働時間(平成24年7ないし10月分)のうち高松事業所勤務期間(平成24年7月1日ないし同年8月12日まで)について検討する。

ア まず、証拠(書証<省略>)からすると、高松事業所で始業時刻前に原告が出社しているのは、作業着への着替え、朝礼やラジオ体操のためであって日報作成等のデスクワークのためではないと認められる。この点、原告は作業着への着替えや朝礼、ラジオ体操はいずれも労働時間に含まれる旨主張する。しかしながら、作業着について、指定された更衣所で着用することが義務づけられていたと認めるに足りる証拠はないから、作業着への着替え時間を持って直ちに労働時間に該当すると認めることはできない。他方、証拠(書証<省略>)に「※ラジオ体操 8:20~」「8:15までにユニフォームに着替えて食堂に集まって下さい。」、「次回の朝礼で、転入者紹介を設けますので一言コメントをお願い致します。」といった記載がある一方、ラジオ体操や朝礼が任意参加であることをうかがわせる文言が一切ないことからすれば、午前8時15分からの朝礼とそれに引き続くラジオ体操については、被告従業員に対して事実上参加が強制されていたものと認められるから、労働時間に当たるとするのが相当である。

よって、高松事業所勤務期間(平成24年7月1日から同年8月12日まで)のうち始業前の時間外労働については午前8時15分から30分までの限度でこれを認めることとする。

イ 次に、高松事業所勤務期間のうち終業時間後の時間外労働について検討する。前記認定事実によれば、原告は高松事業所において、終業時間後、主に日報を作成したり発表会に参加したりしていたと認められるところ、時間外に原告に日報を作成させることは前記日報の作成目的や記載内容に照らして明らかに労働時間に該当するものであるし、発表会についてもそれが被告作成のレジュメに予定として記載されていたことやその内容からして、単なる自己啓発活動とはいえず、それらに要した時間は労働時間に該当すると認めるのが相当である。また、原告が高松事業所において、終業時間後に何らかのサークル活動等の自己啓発活動に従事していたり、敢えて遅く退社したりしたといった事情も認められない。そして、ICカードの使用履歴には、終業時間後の着替え時間や移動時間等、労働時間には直ちに当たらないと思われる時間も含まれていると考えられるが、それが具体的にどのくらいであるのかについて被告から何ら具体的な主張立証はなされていない。

よって、終業時間後については、原則に従い、前記信用性の高いICカードの使用履歴をもって時間外労働を認定するのが相当である。

(3)  さらに、ICカードの使用履歴が残されており、かつ原告がそれと異なる労働時間を主張していない部分の労働時間(平成24年7ないし10月分)のうち、大阪支社に係る部分(平成24年8月13日ないし同年10月末日まで)について検討するに、前記認定のとおり、原告は大阪支社において主にデスクワークに従事しており、基本的に出社後直ちに業務を開始していたものとうかがえるから、ICカードの使用履歴は高松事業所におけるそれよりも労働時間の認定に当たって高い信用性を持つといえる。さらに、前記認定のとおり、原告は、時間外に日報作成や電話応対・システム入力、得意先の下調べ等を相当程度の時間を掛けて行っていたと認められるのであり、これらの事情は原告がICカードの使用履歴にあるような勤務を行っていたことを裏付けるものといえる。そして、原告が大阪支社において時間外に具体的に何らかの自己啓発活動をしていたことがあったとも証拠上認められないし(被告は、実習の発表会が自己啓発活動に当たると主張するが、発表内容自体やその準備が業務として取り扱われていたことからすると、労働時間に該当するものと認めるのが相当であり、その主張は採用できない。)、移動時間等がどの程度ICカードの使用履歴に含まれているのかについて被告から具体的主張立証はない。

よって、平成24年7ないし10月分については、ICカードの使用履歴に基づいて労働時間を認定することとする。

(4)  最後に、原告の手帳にICカードの使用履歴と異なる時間が記録されていて、原告がそれに基づく労働時間を主張する平成22年11月分及びICカードの使用履歴が残されておらず、上記手帳に基づく労働時間が主張されている平成22年12月分について検討する。

ア まず、平成22年11月分について検討するに、上記手帳の記載はごく簡潔なもので具体的にどのような業務を行っていたのかも必ずしも明らかではない。また、前記認定のとおり、原告は平成22年10月12月から同年11月末まで営業課での実習をしており、基本的に同種の業務を行っていたとうかがえるところ、手帳に記載された同月の退勤時刻は、同年10月12日から同月29日までのICカードの退勤時刻より明らかに遅くなっている。そして、確かに前記のとおり、Bは終業時間後、原告が退出する前にICカードを使用するよう促したことがあったことを自認しているものの、それが具体的に何回くらいあったのかも証拠上不明である。

よって、平成22年11月分についてはICカードの使用履歴を超える原告主張の労働時間を認めるに足りる証拠はないから、ICカードの使用履歴をもって労働時間を認定することとする。

イ 次に、ICカードの使用履歴が残されてない平成22年12月分についても、同様に上記手帳の記載を信用することはできず、そこから直ちに労働時間を認定することはできない。もっとも、前記認定事実からすれば、原告は平成22年12月からは実習を終えて一人で得意先訪問をするなど、より本格的な業務に従事するようになっていた一方で時間外の日報作成や電話応対の負担は変わらなかったものと認められる。また、平成22年11月と同年12月の労働日の単純比較(11月の労働日は20日間であるところ、12月の労働日は19日間である。)、ICカードの使用履歴によれば、原告は大阪支社において同年9ないし11月に平均して約52時間の時間外労働をしており、最も少ない同年10月においても約47時間の時間外労働していると認められることも併せて考慮すれば、原告は平成22年12月において少なくとも40時間の時間外労働をしていたものと認めるのが相当であり、その限度で労働時間を認定することとする。

また、前記認定のような原告の勤務実態からすると、原告の残業は常態化していて定時に帰宅できることはなかったと認められるから、証拠(書証<省略>)上、忘年会や納会などが5時以降に予定されてない平成22年12月の16労働日については毎日法内残業があったと認めるのが相当である。

(5)  被告は、指示書がない以上は残業には当たらないからICカードの使用履歴をもって労働時間と認定することはできない、被告において時間外労働を命じる場合には必ず10分間の休憩を与えていたなどと主張する。

しかしながら、労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まるものであって(最判平成7年(オ)第2029号同12年3月9日第一小法廷判決・民集54巻3号801頁)、指示書がないことが直ちに労働時間に当たることを否定することにはならない。むしろCやBの当法廷における供述及び前記認定の原告の勤務実態によると、被告の大阪支社や高松事業所においては指示書によらず従業員も敢えて残業申請せずに業務を続け、積極的・強制的に帰宅が促されるなどの措置も講じられず、いわゆるサービス残業が常態化しており、指示書は形骸化していて実質的には機能していなかったともうかがえる。

また、終業時間後の10分間の休憩時間についても、被告が認めて行われる時間外労働についてこれが与えられることがあったとしても、本件における原告の時間外労働について、被告はこれらを一切時間外労働として認めていないから、休憩時間についてもこれが与えられたと認めることはできない。

よって、被告の上記主張はいずれも採用できない。

(6)  そして、算定基礎額について認定するに、高松事業所における時間外勤務手当の額(1時間当たり1672円)及び平成22年度の年間休日日数並びに被告の就業規則の規定によれば、以下のとおり、高松事業所勤務時における算定基礎額は1286円であり、大阪支社勤務時における算定基礎額は1330円であると認められる(なお、1円未満を四捨五入すると、大阪支社における算定基礎額は1331円となるが、原告の主張に沿って1円未満を切り捨てて1330円の限度で認定する。また、高松事業所に配属された際に原告の所定労働時間を変更するために就業規則の変更等の手続がされたとは認められず、原告の所定労働時間は大阪支社及び高松事業所のいずれにおいても1日当たり7時間45分であったとも考えられるが、原告は高松事業所における所定労働時間が8時間であったことを前提としてその請求を構成しているから、それを前提に算定基礎額を計算することとする。)。

ア 高松事業所における算定基礎額

1.3×算定基礎額(高松事業所)=1672円

算定基礎額(高松事業所)=1672÷1.3≒1286円

イ 大阪支社における算定基礎額

「年間所定労働時間÷12」

(365日-124日)×7時間45分÷12≒155.6時間

基礎賃金20万7094円÷155.6時間≒1330円

(7)  小括

これまで検討してきたところを総合すれば、原告の平成22年7月から同年12月までの労働時間については別紙2(省略)認定労働時間一覧表記載のとおりであると認定するのが相当である。

そうすると、かかる労働時間及び前記算定基礎額から、法内残業賃金及び時間外勤務手当の合計額は、別紙3(省略)計算書(就業規則)記載のとおり54万4966円となる(なお、被告の就業規則上、法内残業に関する賃金支払の定めはないが、原被告間の労働契約の合理的意思解釈として、算定基礎額に法内残業時間を乗じた賃金の支払を認める趣旨の合意があると解するのが相当である。)。

5  賃確法施行規則6条4号に基づく事由について

賃確法施行規則6条4号にいう合理的な理由について、これを余りに限定的に解すると賃確法6条2項が適用される場面が極めて限定される可能性がある上、賃確法施行規則6条5号が除外事由のひとつとして、「その他前各号に掲げる事由に準ずる事由」を定めてその適用範囲を拡大していること考慮すると、同条4号にいう合理的な理由は余り限定されるべきでないといえ、合理的な理由には、合理的な理由がないとはいえない場合も含まれるものと解するのが妥当である。

これを本件について見るに、被告は、原告が時間外に会社構内にいたのは自己啓発活動によるものであって指示書がない以上は労働時間には当たらない旨主張して、原告主張の時間外労働を一切認めずにこれを争っているのであり、被告の主張に不合理な面が多くあるのは否定できない。もっとも、ICカードの使用履歴の中には移動時間等の労働時間該当性が一見して明らかとはいえない時間も含まれていることからすると、被告の主張全てが全く不合理とまでいうこともできない。

よって、本件で被告は賃確法施行規則6条4号にいう合理的な理由により割増賃金の全部又は一部の存否を争っているということができ、前記割増賃金に対する遅延損害金の利率は、商事法定利率(年6パーセント)によるべきものと解される。なお、遅延損害金の起算日については、原告が退職日の翌日である平成23年4月1日からこれを請求していることに鑑みて、同日とするのが相当である。

6  付加金請求について

これまで検討してきたところによれば、被告は、原告に対して労基法37条の定める時間外勤務手当の支払義務を負っていながらその支払を怠っていると認められる。また、本件においては、前記のとおり被告は指示書に記載された2時間以外の時間外労働の存在を一切認めようとせず、前記のような不合理ともいえる主張を展開し、原告の請求に係る割増賃金についてその一部についても支払に応じようとしない。そして、被告の会社規模や被告自身が適正な労働時間管理をしていると自認していることからして被告において労働法の知識が欠如していたともおよそ考え難い。よって、前記のようにICカードの使用履歴の中には移動時間等、直ちには労働時間に当たらないものが一定程度含まれていることを考慮しても、別紙4(省略)計算書(労基法37条)記載のとおり49万5871円と算定される労基法37条に基づく時間外勤務手当の約7割に当たる35万円の付加金の支払を命じるのが相当である。

7  不当利得返還請求について

被告が行った欠勤控除について、前記認定の被告の賃金支払方法及び原告の出勤状況並びに実際になされた原告への支給及び控除の状況を総合すれば、結局、被告は原告が実際には欠勤したにも関わらず支給された賃金を翌月分に「欠勤控除」という名目で処理しているにすぎないものと認められる。そして、ノーワークノーペイの原則からして、上記の様な処理が法律上の原因を欠くということはできないし、その他被告がした各種控除についてもそれが法律上の原因を欠くということはできず、原告の不当利得返還請求権は理由がない。

8  使用者責任に基づく損害賠償請求について

まず長時間の時間外労働を強要されたとの点について、原告が先輩従業員らの指導により時間外労働を行っていたのは前記で検討したとおりであるものの、被告が賃金債権発生後にその権利行使を殊更に妨害したなどの特段の事情がない本件では、それによって直ちに不法行為責任が生じるとまでは解されない。

次に、飲み会や一気飲みに関する点については、原告自身が、当法廷において飲み会等に誘ったことはパワハラとは思っていない旨自認していることからしても、原告を飲み会等に誘ったことによって不法行為責任が生じるとまでは解されない。また、一気飲みの点についても、確かに被告大阪支社においては、会社の伝統として従業員間において一気飲みがされていたこと自体は認められるものの、原告が参加した回数は少なく、原告は、当法廷において、誰が一気飲みを命じたのかという質問に対し、コールではやし立てられた、雰囲気で飲まざるを得なかったという曖昧な回答をするのみであり、ここからすると、そもそも不法行為責任が生じるとは直ちに解されないし、被告の従業員らが強制的に原告にこれを行わせたと認めるに足りる証拠もなく、被告の事業の執行についてなされたということもできないから、使用者責任は成立しないというべきである。

よって、原告の使用者責任に基づく損害賠償に係る請求は理由がない。

9  結論

以上の検討によれば、原告の請求は、主文第1、2項の限度で理由があるからその範囲で認容し、その余の請求は理由がないからこれをいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法64条本文、61条を、仮執行宣言について民訴法259条1項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 熊谷大輔)

(別紙<省略>)

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