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長野地方裁判所松本支部 平成23年(ワ)449号 判決 2013年10月30日

主文

一  原告の主位的請求、第一次予備的請求及び第二次予備的請求をいずれも棄却する。

二  被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の土地につき、昭和四七年七月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録一記載の土地(以下「本件係争地」という。)につき、昭和三七年三月三一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(主位的請求)

二  被告は、原告に対し、本件係争地につき、昭和三八年四月一五日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(第一次予備的請求)

三  被告は、原告に対し、本件係争地につき、昭和四一年七月一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(第二次予備的請求)

四  被告は、原告に対し、別紙物件目録二記載の土地(以下「本件構築物敷地部分」という。)につき、昭和四七年八月一日時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。(第三次予備的請求)

第二  事案の概要

一  事案の要旨

本件は、原告が、本件係争地について、主位的には、昭和三七年三月三一日に占有を開始して時効取得したとして、予備的には、遅くとも昭和三八年四月一五日(第一次予備的請求)又は昭和四一年七月一日(第二次予備的請求)以降、同土地を占有して時効取得し、さらに、本件係争地の一部である本件構築物敷地部分については、昭和四七年八月一日以降、同土地上の構築物所有により占有して時効取得した(第三次予備的請求)とそれぞれ主張して、本件係争地の所有権者として登記されている被告に対し、上記各年月日時効取得を原因とする所有権移転登記手続を求める事案である。

二  前提事実(証拠を掲記した以外の事実は当事者間に争いがない。)

(1)  当事者等

原告(平成六年四月一日の商号変更前の旧商号はa株式会社)は、井戸掘り、土木建築、水源・温泉等の調査等を目的とする株式会社である。

b株式会社は、昭和三七年九月二六日に設立され、c株式会社の長野県松本市における事業等を引き継いだ、冷蔵庫及び倉庫業等を目的とする株式会社であり、同社本社は、原告本社に隣接する長野県松本市<以下省略>に所在している(以下、前身であるc株式会社を含めて「b社」という。)。

(2)  本件係争地及びその周辺土地の来歴等

ア 別紙物件目録三の(1)ないし(6)の土地(以下、同物件目録の(1)ないし(12)記載の土地につき、順に「本件土地一」ないし「本件土地一二」という。なお、本件係争地は、本件土地二の一部である。)につき、昭和三七年三月一五日寄付を原因とする、同年六月二九日付けの被告に対する各所有権移転登記が存在する。

イ 原告は、昭和三七年三月三一日付けで、本件土地七ないし一〇をd株式会社(昭和三九年六月一日にe株式会社に吸収合併された。以下、吸収合併後も含めて「d社」という。)から売買で取得した。

ウ 本件土地二のうち、本件係争地を除く部分(別紙図面のSK25、SK24を結んだ直線より北側部分。以下「本件市道部分」という。)は、昭和五四年一二月一九日、市道五二八四番道路(以下「本件市道」という。)として市道認定され、昭和六〇年四月一五日に供用開始されたが、本件係争地が市道として供用されたことはなかった。(甲一二の一・二、乙五)

(3)  本件各土地の現況等

ア(ア) 本件土地一一と本件係争地の南側部分にかけて、本件係争地の南端部分の外壁と別紙図面のG5、G7の各点上にある各支柱(但し、当該各点は、各支柱の北側端にある。)によって支持される構造の、二階部分の構築物と屋根からなる構築物(以下「本件構築物」という。)が存在する。本件構築物の二階部分は、本件土地一一上に原告が所有する二階建倉庫(以下「本件倉庫一」という。)と本件土地八及び本件土地一二上にb社が所有する三階建倉庫(以下「本件倉庫二」という。)に接続されている。別紙図面のG6点は、同G5、G7の各点を結んだ直線と、本件土地二と本件土地一一の境界とが交差する点であり、同X点及びY点は、本件構築物の屋根部分の北端と、本件土地二と本件土地一一及び本件土地八との各境界とがそれぞれ交差する点である。

(イ) 本件構築物は、現在、b社が使用している。

イ 本件係争地のうち、本件構築物敷地部分を除く部分(別紙図面のSK24、SK25、X、Y、SK24の各点を順次直線で結んだ部分。以下「本件進入路部分」という。)は、南側が本件構築物により行き止まりとなっており、b社は、現在、これを本件構築物敷地部分及び本件倉庫二への搬入搬出路、荷捌き場、駐車スペース等として使用している。

(4)  原告は、被告に対し、本件口頭弁論期日及び本件弁論準備手続期日において、本件係争地ないし本件構築物敷地部分の各取得時効を援用する旨の意思表示をした。(当裁判所に顕著な事実)

三  争点及び当事者の主張

(1)  原告の自主占有の有無及び占有開始時期

(原告の主張)

ア(ア) 原告は、昭和三六年一二月ころから、d社が所有していた本件土地一ないし一〇の売買交渉を行い、昭和三七年三月三一日までに、当該各土地を同社から購入した。

(イ) 原告は、本件土地一ないし六から本件係争地を除いた部分を、d社名義で、被告に対し、公衆用道路として寄付した。

しかるに、本件係争地を含む本件土地二全体について、被告に対する寄付を原因とする所有権移転登記がなされているのは、上記寄付部分については、中間省略登記の形式でd社から直接被告に対して所有権移転登記をすることとしていたところ、原告が上記寄付及び移転登記の実際の手続を任せたd社の過誤により、本件係争地を含む本件土地一ないし六の全体について、被告に対する所有権移転登記手続がなされてしまったためである。

(ウ) 原告は、上記(ア)の売買後、遅くとも同年三月三一日、本件係争地及び本件土地七ないし一〇につき、自己の所有する土地として占有を開始した。(主位的請求)

イ(ア) 原告は、昭和三八年四月一五日ころ、本件倉庫二を建築したb社に対し、荷物の積み下ろし等に使用するため、本件係争地及び本件土地八を、期限の定めなく貸し渡し(以下「本件使用貸借」という。)、b社は、この使用を開始した。

当時、本件係争地とその南側土地(昭和五五年の分筆前の松本市○○三五八番一の土地。以下「本件南側隣地」という。)及び同東側土地(同三五八番六一の土地及び本件土地一一)との間には、柱及び有刺鉄線が存在したため、本件係争地及び本件土地八を使用していたのはb社のみであった。

(イ) したがって、原告は、遅くとも同日、本件係争地につき、b社を直接占有者とする間接占有を開始した。(第一次予備的請求)

ウ(ア) 原告は、昭和四〇年以降、遅くとも昭和四一年六月三〇日までに、本件係争地を舗装した。また、原告は、同日までに、前記イのとおり、本件係争地を間接占有していた。

なお、本件係争地を含む土地のアスファルト舗装は、「会社前アスファルト舗装」として、原告の固定資産に計上されている。

(イ) したがって、原告は、遅くとも同年七月一日、本件係争地につき、占有を開始した。(第二次予備的請求)

エ(ア) 原告は、昭和四七年一月二五日に本件倉庫一を建築し、同年七月一〇日、同倉庫西側に冷蔵室を増築するとともに、同月三一日までに、当該増築部分の西側に本件構築物を設置し、本件構築物敷地部分に、高圧ガスを用いた冷蔵庫の冷却用装置と操作盤を設置した。

また、原告は、同日までに、本件構築物敷地部分をb社に使用貸借し、b社に、倉庫への荷物の搬入及び搬出のため使用させ、間接占有していた。

(イ) したがって、原告は、遅くとも同年八月一日、本件構築物敷地部分につき、占有を開始した。(第三次予備的請求)

オ 原告は、前記アないしエの占有開始後、前記イないしエのとおり、本件係争地について、直接又は間接の占有を継続し、同様の占有態様が現在に至るまで継続しているから、昭和四七年三月三一日(前記アの占有開始から一〇年後)、昭和四八年四月一五日(前記イの占有開始から一〇年後)、昭和五一年六月三〇日(前記ウの占有開始から一〇年後)、昭和五七年三月三一日(前記アの占有開始から二〇年後)、同年七月三一日(前記エの占有開始から一〇年後)、昭和五八年四月一五日(前記イの占有開始から二〇年後)、昭和六一年六月三〇日(前記ウの占有開始から二〇年後)及び平成四年七月三一日(前記エの占有開始から二〇年後)のいずれの取得時効完成時期においても、本件係争地を占有していた。

(被告の主張)

ア 主位的請求にかかる占有開始については否認する。

原告がd社から購入したのは、本件土地七ないし一〇であって、本件係争地を含んでいないことは、本件土地一ないし六の寄付等に関してd社内で作成された稟議書(乙一)の記載等から明らかである。

本件係争地を含む本件土地一ないし六は、d社から被告に対し、公衆用道路として寄付されたものであり、原告が所有権を有していたことはない。

イ 本件使用貸借の存在は不知であるが、その当時、本件係争地と南側及び東側の隣地の間に有刺鉄線等が存在し、b社のみが本件係争地を使用、占有していた事実は否認する。実際にも、本件係争地は、付近の住民が南北の通路として事実上使用していた。

したがって、第一次予備的請求にかかる占有開始の事実もない。

ウ 原告が本件係争地を舗装した事実は不知である。

エ 本件構築物敷地部分に、本件構築物が存在し、これを現在b社が使用している事実は認めるが、その所有者や建築時期等は不知である。

オ 原告が、原告主張の各時効完成時期において、本件係争地又は本件構築物敷地部分を占有していた事実は不知である。なお、b社が、現在、本件進入路部分を荷物搬入・搬出路その他車両の駐車スペースとして使用していることは認めるが、同使用が第三者を排除した独占的な使用であるかは不知である。

カ 原告主張の本件係争地又は本件構築物敷地部分にかかる各占有の事実が認められるとしても、以下の事情からすれば、上記各占有はいずれも他主占有である。

(ア) 前記アのとおり、本件係争地を含む本件土地一ないし六は、被告が道路予定地として寄付を受けて取得したものであり、その旨の登記もされていたものであって、原告も占有開始以前にそのことを認識していた。また、原告が、本件構築物について建築確認申請を行っていないのは、その敷地が被告の所有であることを認識していたからである。

(イ) 平成九年八月一三日、原告と被告との間の本件係争地に関する協議において、原告側は、被告が本件係争地の所有権を有することを認めた上で、被告から原告へ譲渡してほしい旨を発言した。このような発言は、所有者であれば通常とらない言動である。

(ウ) 本件係争地に関する問題は、遅くとも昭和五四年一二月二七日に被告と長野県で実施された、本件土地二と本件南側隣地の境界確認(以下「本件境界確認」という。)の際には顕在化していたが、原告は、その後、平成二二年七月七日付けで民事調停を申し立てるまで、法的措置等を何らとらず、本件係争地が被告名義になっていることを放置しており、所有者であれば当然とるべき措置を長年にわたりとってこなかった。

キ したがって、本件係争地ないしその一部である本件構築物敷地部分について、原告主張の各占有開始時期及び取得時効完成時期における原告の自主占有の事実は認められない。

(2)  本件係争地の公共用物性及び公用廃止の有無(本件係争地が取得時効の対象となるか否か)

(被告の主張)

ア 公共の用に供される公物については、①当該公共用財産が長年事実上公の目的にされることなく放置され、②公共用財産としての形態、機能を全く喪失し、③その物の上に他人の平穏かつ公然の占有が継続したが、そのため実際上公の目的が害されることなく、④もはやその物を公共用財産として維持すべき理由がなくなった、という黙示の公用廃止の各要件を充たさない限り、取得時効は成立しない。

そして、公用廃止は、自主占有開始の時までに生じていなければならず、かつ、自主占有開始後、時効完成時まで継続していなければならない。

また、公共の用に供されることが予定されているいわゆる予定公物についても、上記各要件を充たさない限り、取得時効は成立しない。

イ 本件係争地は、以下の事情からすれば、d社から被告への寄付のときから、道路敷地としての公用開始が予定され、予定公物の形態を備えた予定公物となったというべきである。

(ア) 本件係争地を含む本件土地一ないし六は、昭和三七年三月一五日に、d社から被告に対し、幅員六メートルの公共用道路の敷地として寄付されたものであり、当時から地目は「公衆用道路」であった。d社の担当者が起案した稟議書(乙一)においても、幅員六メートルの道路を公道として被告に寄付することが明確に記載されている。

したがって、被告は、本件係争地を含む本件土地一ないし六を将来の道路用地、すなわち予定公物として取得したものである。

(イ) 原告は、その当時、前記(ア)の寄付の事実を知っていたのであるから、そのころまでに、原告に対し、本件係争地が予定公物であることが示された。

(ウ) 本件係争地は、被告に寄付される以前から、d社が南に抜ける通路として使用し、付近の住民も、事実上通路として使用していた認定外道路であった。

なお、本件土地一ないし六のうち、本件係争地を除く部分について市道認定された際、本件係争地が市道認定されなかったのは、起終点がともに公道に接続しているなどの市道認定の基準を満たさなかったためであって、本件係争地の予定公物性を否定し、又は公用廃止を根拠づけるものではない。

(エ) 本件係争地について、予定公物として具体的な計画が明らかになり始めたのは、遅くともf駅南側踏切立体化及び周辺道路計画が具体化したころからである。

(オ) 本件係争地南側の県営住宅敷地のうち、本件係争地に接続する部分に設置されている南側へ延びる通路及び歩道は、昭和五四年当時から予定されていたものであるが、このような通路及び歩道の設置が予定されていたのは、被告が本件係争地を道路用地として予定しており、長野県もこれを前提とした通路及び歩道の設置を計画していた証左である。

ウ 本件係争地を原告が占有していたとしても、次のとおり、占有開始時において、本件係争地について、黙示の公用廃止の要件は充たされておらず、その後、これが充たされたこともない。

(ア) 被告は、昭和五四年一二月二七日、本件各土地付近で県営住宅の敷地取得を行っていた長野県との間で、本件土地一ないし六を含む市有地について境界確認(本件境界確認)を実施しており、しかも、被告は、その報告書(乙四)の原告との交渉の経過を記録した部分において、本件係争地が被告の所有であることを前提に建物撤去に向けて問題を解決する旨を表明しており、被告に公用廃止の意思がなかったことが明らかである。

(イ) 平成四年ころ、○○町会長から被告に対し、原告の不法占有について、被告側で指導、解決することを要望する旨の申し出がなされ、その際にも、被告は、本件係争地の被告所有権を確認し、原告と協議することとした。

(ウ) 平成九年八月一三日に実施された、本件係争地についての原告と被告の協議において、原告は、本件係争地について被告の所有権を認めた上で、原告への譲渡を要望したが、被告は、原告に対し、本件係争地が重要な物件であり、将来の道路敷として使用する計画であるとして、返還を要請している。

(エ) 被告は、その後も、平成一一年八月二四日、平成一二年四月一〇日、同年六月一九日、同年一一月三〇日及び平成一三年九月一三日、f駅南側踏切立体化及び周辺道路整備計画に関する関係町内会等に対する説明会を実施し、本件係争地を含む周辺道路の整備計画について関係町内会等に説明した。

(原告の主張)

ア 本件係争地は、以下の事情からすれば、昭和三七年三月三一日及び昭和三八年四月一五日当時、公物でも予定公物でもなく、本件係争地が予定公物になったとすれば、その時期は、本件南側隣地との境界確認後の昭和五五年二月以降である。

(ア) 本件係争地は、現在まで、住民等の通路として使用、管理されていたことはなく、市道認定された事実もないから、公共用物としての形態を備えたことはない。

(イ) 原告は、本件係争地が寄付の対象となっていることは知らなかったから、本件係争物が道路予定地であるとの認識はなかった。

(ウ) 本件南側隣地は、昭和三八年か遅くとも昭和四〇年以降、昭和四七年七月まで、d社がゴルフ練習場として使用していたから、当時、本件係争地から南側へ通行することは不可能であった。

(エ) 被告が、昭和五四年一二月一九日に本件市道を認定した際、本件係争地は同市道から除外された。

(オ) 被告が、本件構築物の存在をはじめて認識したのは、昭和五四年一二月であり、それ以前において、被告が、本件係争地について道路用地として計画したことはなく、それを前提とした管理をしたこともない。

イ 公物の取得時効に関する黙示の公用廃止の各要件は、遅くとも自主占有開始時までに生じていなければならないことは被告主張のとおりであるが、当該各要件が、自主占有開始後、時効完成時まで継続していなければならないとはいえない。

ウ 取得時効の効果は占有開始時に遡るから、目的物が自主占有開始後に予定公物になったとしても、取得時効の成立は妨げられない。

また、自主占有開始後に予定公物となることが取得時効の成否に影響するとしても、本件係争地が予定公物となったのは、原告による占有開始から約一七年以上が経過した昭和五五年二月以降であり、被告は、昭和五五年以降、平成九年八月までその後の交渉をしてこなかったことなどからすれば、被告が本件係争地の公物性を主張することは信義則に違反し、許されない。

したがって、本件係争地が、原告による自主占有開始後、時効完成前に予定公物になったとしても、本件係争地の取得時効の成立には影響しない。

(3)  原告の悪意及び過失の有無

(被告の主張)

前記(1)の被告の主張のとおり、本件係争地を含む本件土地一ないし六は、d社から被告に寄付されたもので、その旨の登記もされていたものであり、原告は寄付の事実を知っていた。

したがって、原告は、本件係争地が自己所有でないことについて悪意であり、また、仮に悪意でないとしても、本件係争地が自己所有であると信じるにつき過失がある。

(原告の主張)

原告は、本件係争地を、d社から売買で取得したことに基づいて占有を開始しており、本件係争地が除かれずに被告に対して寄付された旨の登記がなされていることを知ったのは占有開始後であるから、原告の各占有開始時点で、本件係争地を自己所有であると信じていたものであり、かつ、そう信じることについて無過失であった。

第三  当裁判所の判断

一  前提事実、証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1)  昭和三七年二月当時、本件土地一ないし一〇は、d社が所有する本件南側隣地の工場等に通じる未舗装の通路であり、d社の従業員らが通勤等に使用しており、原告もこれを使用していた。

(2)ア  d社は、原告からの申入れにより、道路敷地となっていた土地の一部を原告に売却するとともに、自己所有地の活用を考慮して、道路敷地となっていた上記土地の残部である幅員六メートルの部分を公道として被告に寄付することとし、その旨の稟議及び決裁を経た上で、昭和三七年三月三一日、原告に対し、本件土地七ないし九を代金五三万五四六〇円で売却するとともに、同月ころ、被告に対し、本件土地一ないし六を寄付した。

イ なお、原告は、昭和三七年三月ころまでに、本件係争地を含む本件土地一ないし一〇をd社から取得し、このうち本件土地一ないし六については、中間省略登記の形式で被告に寄付したものであり、本件係争地が分筆されずに全て寄付されたのは過誤によるものであると主張する。

しかし、これを裏付ける客観的な証拠はない上、前記認定のとおり、d社は、前記アの売買契約に先立ち、同社内において、被告に幅員六メートルの部分を公道として寄付する旨の稟議及び決裁を行っていること、その際作成された稟議書(乙一)には対象土地の図面が添付されているところ、その形状や面積からみて、これに本件係争地が含まれていると考えられること、d社は本件南側隣地を所有していたのであるから、自己所有地の活用を考慮して被告に土地を寄付した同社があえて本件係争地を寄付の対象から外す合理的理由はないことからすると、d社は、被告に対し、本件係争地を含む本件土地一ないし六を直接寄付したものと認めるのが相当である。

(3)  b社は、昭和三八年五月二〇日、本件土地一二を売買で取得し、同年四月一五日ころ、本件土地一二上に本件倉庫二を建築した。

そのころ、本件土地二、八及び一二と本件南側隣地との間、並びに本件土地二と本件土地一一の間には、d社が設置した有刺鉄線が設置されていた。また、その当時から昭和四四年九月ころにかけて、本件南側隣地は空き地であり、同月一日撮影の航空写真(乙二一)上、本件南側隣地に建造物は見当たらず、本件土地二の南側付近に細い通路ないし通路跡様のものが部分的に見られる。

(4)  原告は、昭和四六年四月六日、本件土地一一の所有権を取得し、昭和四七年一月二五日、同土地上に本件倉庫一を建築した。

(5)  原告は、昭和四七年七月一〇日、本件倉庫一の西側に冷蔵庫を増築し、そのころから遅くとも同月三一日ころまでに、さらにその西側の本件構築物敷地部分に本件構築物を構築し、その一階部分に当該冷蔵庫の冷却用装置等を設置した。

(6)  昭和四六年五月ころから昭和五四年五月ころまでの間、本件南側隣地にはゴルフ練習場が設置されており、本件南側隣地と本件土地二、八及び一二の間には、ゴルフ練習場のフェンスないしネットが設置されていた。なお、昭和四六年五月二六日、昭和四八年一〇月一〇日及び昭和五四年五月一三日撮影の各航空写真上、本件土地二から南側に通じる通路等の存在は看取できない。

(7)  昭和五四年一二月二七日、長野県が本件南側隣地の一部(松本市○○三五八番七七の土地。以下「本件県住敷地部分」という。)を取得して県営住宅予定地とすることに伴い、長野県と被告の間で、本件南側隣地と本件土地二の境界確認(本件境界確認)が行われた。被告作成の昭和五五年二月一二日付け境界確認書には、本件係争地について、原告から、原告が本件土地二をd社から買い取り、被告に寄付したが、本件係争地については寄付の意思がなく、当該寄付は錯誤である旨の異議があり、撤去には相当の日時を要する旨の記載がある。

なお、本件境界確認に先立つ昭和五四年一二月一九日、長野県は、被告に対し、b社が本件土地二の一部を不法に占拠しているため、占有排除について配慮を依頼した。

(8)  長野県は、昭和五五年一月二九日、d社から本件県住敷地部分を取得し、同年ころ、同土地上に県営住宅を建設した。当該県営住宅の建築に伴い、本件南側隣地の本件係争地と接する部分から、南側の公道に通じる通路及び駐車場が整備された。

(9)  被告は、昭和五四年一二月一九日、本件市道を市道として認定し、昭和六〇年四月一五日、その供用を開始した。(前提事実(2)ウ)

(10)  平成四年一二月一六日、本件係争地付近の住民である○○町町会長から、市会議員を通じ、被告に対し、原告が本件係争地を不法に占有しているとして、行政指導するよう要望があった。

(11)  平成九年八月一三日、原告からの本件係争地の返還要望に基づいて、原告と被告の間で、本件係争地に関する協議が行われた。同月一四日付けで被告が作成した同協議に関する報告書には、①原告からは、「原告が被告の土地であることを認めたとなれば地元から道路とするような動きがでることが予想される」、「双方に資料があり、どちらを根拠として争ってもしかたがないと思う」、「本来寄付されるべきではない土地だと判断して使用してきた」などの発言がされ、本件係争地がb社の業務上必要な施設であり、道路の形態をとるようなことになれば業務が成り立たなくなるため、本件係争地を被告から譲ってもらいたいとの要望がなされたこと、②被告からは、経過は別として、寄付された土地であり、今すぐではないが将来の道路計画とされていることなどから、経営事情等も考慮して、一定の期限を定めて返還を求める旨の発言がなされたことなどが記載されている。

二  争点(1)(原告の自主占有の有無及び占有開始時期)について

原告は、本件係争地ないし本件構築物敷地部分の各占有を主張し、被告はこれをいずれも争っているところ、取得時効の要件である占有(民法一六二条一項)とは、自己のためにする意思をもって物を所持することをいうものであるところ(民法一八〇条)、ここでいう所持とは、社会通念上、その物がその人の事実的支配に属すると認められる客観的関係にあることをいうものと解される。

そこで、以下、原告主張の各占有につき、このような所持があったといえるのかを検討し、このような所持が認められた場合には、引き続き自主占有の有無につき検討することにする。

(1)  昭和三七年三月三一日時点の占有(所持)について

原告は、昭和三七年三月ころまでに、本件係争地を含む土地をd社から売買で取得し、取得時から自己の所有地として占有を開始したと主張し、被告は、当該占有の事実を争っている。

占有の事実につき当事者間に争いがある場合には、これを主張する当事者において、具体的な占有態様等の事実を主張立証すべきであるところ、原告は、昭和三七年三月ころの本件係争地に関する占有について、その態様等を具体的に主張立証していない。また、前記一(2)のとおり、原告主張の占有の根拠となる売買の事実も認められない。

したがって、原告の主位的請求にかかる占有開始の事実は認められない。

(2)  昭和三八年四月一五日時点の占有(所持)について

ア 原告は、昭和三八年四月一五日当時、b社を直接占有者として、本件係争地を独占的に占有し使用していたと主張し、前記前提事実、証拠<省略>によれば、b社が、同日、本件土地一二上に本件倉庫二を建築し、そのころから、本件係争地及び本件土地八付近を、本件倉庫二への搬入搬出路及び荷捌き場等として使用していたことが認められる。

しかし、当時のb社が使用していた土地の範囲や使用態様等を具体的に認めるに足りる客観的な証拠はなく、証人Aの証言する本件係争地付近の使用方法も、b社の施設への搬入・搬出のために、一日数台のトラックが訪れ、荷捌き等のためにそれぞれ三〇分から一時間程度駐車していたという程度のものである。また、証拠<省略>によれば、昭和三八年四月一五日当時、本件係争地と本件市道部分の間には、門扉や外壁、白線等の本件市道部分との境界を示す表示はなく、本件係争地において、b社ないし原告が管理使用する土地であることや第三者の進入等を禁止する旨の表示等も存在しなかったことが認められる。

そうすると、本件係争地の南側に通じる道路がなく、本件係争地が事実上袋小路となっていたことから、b社以外の第三者が本件係争地を使用する可能性が現実的には乏しかったことを考慮しても、客観的にみて、b社が本件係争地を事実上排他的に支配していたとまでは直ちに認め難いというべきである。

イ したがって、b社を直接占有者とする原告の第一次予備的請求にかかる占有開始の事実は認められない。

(3)  昭和四一年六月三〇日時点の占有(所持)について

原告は、遅くとも昭和四一年六月三〇日までに、本件係争地を含む土地を舗装し、本件係争地の占有を開始したと主張するところ、昭和四一年度の原告の決算書(甲二五)には、原告が同月に二二四万三九二八円を支出した道路舗装が同社の繰延資産として記載されており、証人Aは、当該道路舗装は、本件係争地を含むものである旨を陳述(甲二二)及び証言する。

しかし、原告の繰延資産として計上された道路舗装が実施された具体的な場所及び範囲は本件証拠上明らかでない上、原告の主張及び証人Aの証言によっても、原告は、後に本件市道となる市有地(これについて原告の所有ないし占有に属するものでないことは当事者間に争いがない。)と本件係争地とを特に区別することなく、車両の進入の便宜のために舗装工事を行ったというのであり、本件係争地と本件市道部分を区別する表示等の存在も窺われないことにも照らせば、当該道路舗装の事実のみをもって、社会通念上、本件係争地が原告の事実的支配に属しているものと直ちに評価することはできない。また、原告は、その当時の本件係争地の使用態様は従前と同様であると主張するところ、b社による本件係争地付近の使用態様が、法律上の占有と評価するに足りないものであることは、前記(2)のとおりである。その他、同日時点において、本件係争地が原告の事実的支配に属していたと評価できるような事情は見当たらない。

したがって、原告の第二次予備的請求にかかる占有開始の事実は認められない。

(4)  昭和四七年七月三一日時点の占有(所持)について

ア 前記一の各認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告が、昭和四七年七月一〇日ころから遅くとも同月三一日までに、本件構築物を建築したことが認められるから、遅くとも同日、原告が、本件構築物を所有することにより、その敷地である本件構築物敷地部分の占有(所持)を開始したものと認められる。

また、前記前提事実及び弁論の全趣旨によれば、原告が、昭和四七年七月三一日から現在に至るまで、本件構築物敷地部分上に本件構築物を所有していた事実が認められるから、昭和五七年七月三一日(上記占有開始から一〇年後)及び平成四年七月三一日(同二〇年後)の各時点において、原告は本件構築物敷地部分を占有していたと認められる。

そして、本件構築物の構造等に照らせば、本件構築物の所有により占有される敷地部分は、本件構築物の支柱等が地表面に接する部分だけでなく、二階及び屋根の直下部分を含めた本件構築物の存在する部分と認めるのが相当である。

イ もっとも、被告は、原告による占有が所有の意思(民法一六二条一項)を欠く他主占有であると主張するところ、民法一八六条一項は、占有者は所有の意思で占有するものと推定しており、占有者の占有が自主占有に当たらないことを理由に取得時効の成立を争う者は、当該占有が所有の意思のない他主占有に当たることについての立証責任を負うが、所有の意思は、占有者の内心の意思によってではなく、占有取得の原因である権原又は占有に関する事情により外形的客観的に定められるべきものであるから、占有者の内心の意思のいかんを問わず、占有者がその性質上所有の意思のないものとされる権原(以下「他主占有権原」という。)に基づき占有を取得した事実が証明されるか、又は占有者が占有中、真の所有者であれば通常はとらない態度を示し、若しくは所有者であれば当然とるべき行動に出なかったなど、外形的客観的にみて占有者が他人の所有権を排斥して占有する意思を有していなかったものと解される事情(以下「他主占有事情」という。)が証明されて初めて、その所有の意思を否定することができるものというべきであるが(最高裁五八年三月二四日第一小法廷判決・民集三七巻二号一三一頁、最高裁平成七年一二月一五日第二小法廷判決・民集四九巻一〇号三〇八八頁参照)、被告は、原告の前記占有について、他主占有権原に基づき取得されたものであるとの主張立証はしておらず、他主占有事情として、①平成九年八月一三日の協議において、原告が被告の所有権を認めた上で、原告に譲渡してほしい旨の発言をしたこと、②原告は、本件係争地の所有権を巡る問題が遅くとも本件境界確認の際には顕在化していたにもかかわらず、その後平成二二年に至るまで法的措置等をとらず、本件係争地を含む本件土地二が被告名義となっていることを放置していたことを主張している(なお、被告は、原告が、本件係争地がd社から被告に寄付された事実を知っていたことも主張するが、当該事実は、原告が占有取得時において悪意であったというに過ぎず、それだけでは他主占有事情とはなり得ない。)。

ウ 前記認定事実及び証拠<省略>によれば、原告は、昭和五四年の本件境界確認の際から、本件係争地は、原告がd社から売買で取得したものであり、登記上d社から被告に対して寄付された土地に本件係争地が含まれたのは過誤によるものであるなど、本件係争地の取得について、本訴訟における主張と同様の事実経過を主張していたこと、原告は、平成九年八月一三日の協議の際にも、本件係争地の所有権が原告にあり、原告として本件係争地が被告の所有であることを認めることはできないという原告の主張を前提に、被告に対して本件係争地の譲渡を求める交渉をしていたことが認められる。

したがって、原告が、平成九年の協議の際に本件係争地が被告の所有するものであることを認めていたとの被告の主張は採用することができない。

また、被告は、遅くとも本件境界確認の際には、原告が、本件係争地ないし本件構築物敷地部分を占有し、自己の所有地である旨を主張していることを認識していたにもかかわらず、その後、平成九年八月に至るまで、原告に対して本件構築物の撤去等を具体的に求められることがなかったなどの本件の事情に照らせば、受注の六割程度を公共工事に依存していた原告において、被告に対し、あえて本件係争地ないし本件構築物敷地部分の所有権に関する民事訴訟を提起するなどの積極的な措置を講じなかったとしても、これが直ちに所有者であれば通常とらない不自然な行動であるとまではいい難い。

かえって、前記各認定事実及び弁論の全趣旨によれば、原告は、本件構築物敷地部分上に、本件構築物を構築して所有し、本件倉庫一に増設した冷蔵庫の冷却設備等を設置したり、これを本件倉庫一及び本件倉庫二と接続したりした上で、b社に使用させていることが認められ、このような原告の占有態様は、むしろ原告の占有が自主占有であると推認させる事情というべきである。

エ 以上を総合して考慮すると、原告による本件構築物敷地部分の占有について、他主占有事情の証明があるということはできないから、原告は、所有の意思で本件構築物敷地部分を占有していたものと認められる。

三  争点(2)(本件係争地の公共用物性及び公用廃止の有無)について

(1)  被告は、本件構築物敷地部分を含む本件係争地は、公共の用に供されることが予定される予定公物であり、黙示の公用廃止の要件も充たさないから、本件構築物敷地部分について取得時効は成立しないと主張する。

(2)  一般に、公共の用に供される公物の取得時効が否定されるのは、公物の有する公共性が、時効制度で保護されるべき私的利益に比して大きいことによるものと解される。

この点、いわゆる予定公物とは、将来公用又は公共用の財産となることが予定されたものであって、一口に予定公物といっても、公益性の非常に強いもの、公共用財産とすることを予定して形態的要素が完備され、現に公共の用に供されているが、行政的な供用開始行為のみを欠くもの、公共用財産とする予定がなされただけのものなど、その形態や公共性の程度も様々であるから、ある公有財産が予定公物であることから、直ちに当該予定公物について取得時効の成立が否定されるものとはいえない。

したがって、いわゆる予定公物について、公物に準じて取得時効の成立が否定されるべきか否かは、当該予定公物が、公物としての形態をどの程度備えたものであるか、当該公有物の公共性の実質、公共的必要性などを総合的に検討して、取得時効の適用を排除するに足りる合理的な理由があるかどうかを個別に検討すべきであると解される。

(3)  そこで以下、本件構築物敷地部分の公共性の実質について検討するに、本件構築物敷地部分について、道路としての供用開始行為がなされていないことは前記前提事実(2)ウのとおりである。

そして、前記各認定事実及び弁論の全趣旨によれば、昭和三八年当時、本件構築物敷地部分と本件南側隣地の間にはd社が設置した有刺鉄線が存在しており、遅くとも昭和四六年五月以降、本件南側隣地にはゴルフ練習場が存在し、本件構築物敷地部分と本件南側隣地の間にはゴルフ練習場の外構(フェンス又はネット等)が設置されていたから、本件構築物敷地部分から本件南側隣地への通常の通行はできない状態であったことが認められ、本件構築物敷地部分は、原告所有土地(本件土地八及び一一)及び本件南側隣地に囲まれた事実上の袋小路となっていたこと、昭和四七年七月に本件構築物が構築された後、平成四年に至るまで、周辺住民から苦情が出されたなどの形跡は一切窺われず、その一方で、本件構築物敷地部分は、本件進入路部分とともに本件市道部分から本件倉庫一及び二への搬入搬出路や荷捌き場として使用され、事実上、原告やb社のために使用されていたことが認められる。

そうすると、本件構築物敷地部分を含む本件土地一ないし六がd社から公道とすることを予定して被告に寄付されたものであることや本件構築物敷地部分を含む本件土地二の登記上の地目が公衆用道路とされていること、本件構築物が建築された当時、原告によって本件係争地が本件市道部分から連続して道路舗装されていた可能性があることを考慮しても、本件構築物敷地部分が当時から公道として現実に使用されていたものとは認め難い。

なお、昭和四四年九月一日撮影の航空写真(乙二一)には、本件南側隣地上に、本件構築物敷地部分との境界付近から南方向に延びる細い通路ないし通路跡様のものがみられるが、これがいかなる態様のものかは定かでない上、一見して本件土地二と連続した道路であるとは見てとれないこと、前記のとおり、本件南側隣地は遅くとも昭和四六年五月にはゴルフ練習場となっており、本件構築物敷地部分から本件南側隣地への通常の通行が可能であったとは認められないことから、上記の点は上記判断を左右しない。

上記に加え、本件構築物の構築以前に、被告が本件構築物敷地部分について、道路舗装その他の工事を行うなど、道路又は道路予定地としての具体的な維持管理を行った事実は本件証拠上一切窺われないこと(かえって、前記認定事実及び弁論の全趣旨によれば、被告は、本件境界確認の際に長野県から指摘を受けるまで、本件構築物の存在について認識すらしていなかったことが窺える。)にも照らせば、本件構築物敷地部分が道路としての形態を備えたことはないものというべきである。

また、前記各認定事実に加え、被告の主張によれば、本件構築物敷地部分を含む本件係争地について具体的な道路計画が明らかになり始めたのは、f駅南側踏切立体化及び周辺道路計画が具体化したころからであるところ、本件証拠上、具体的な道路計画の存在が窺われるのは、早くとも平成一一年以降であること、被告は、本件構築物敷地部分に関する原告の占有について、昭和五四年には長野県から、平成四年には地域住民からそれぞれ指摘を受けながら、平成九年八月に原告との協議を行うまで、原告に対して本件構築物の撤去を求めるなどの具体的な措置を行った形跡が見当たらないこと(なお、証拠<省略>によれば、当該協議も、原告側の要請により行われたものと認められる。)などにも照らせば、昭和四七年七月の占有開始当時から少なくともその二〇年後である平成四年七月の間において、本件構築物敷地部分について、将来の道路予定地としての公共的必要性が特に高かったとも認められない。

(4)  以上によれば、本件構築物敷地部分は、原告による占有開始時点である昭和四七年七月三一日から原告の占有開始の二〇年後である平成四年七月三一日までを通じて、一度も公共用財産としての形態を備えたり、現に公共の用に供されたりしたことはなく、その公共的必要性も必ずしも高いものではなかったと認められるから、本件構築物敷地部分について、公物に準じて取得時効の適用を否定しなければならないほどの高い公共性があったとは認められず、その他、これを認めるに足りる事情は本件証拠上見当たらない。なお、上記判示したところに照らせば、本件構築物敷地部分については、一度も公共の用に供されたことはないのであるから、黙示的な公用廃止の有無は問題とならない。

四  以上によれば、争点(3)(原告の悪意及び過失の有無)を判断するまでもなく、原告は、占有開始時点である昭和四七年七月三一日に遡って本件構築物敷地部分を時効取得したものと認められる。

第四  よって、原告の主位的請求、第一次予備的請求及び第二次予備的請求は理由がないからこれを棄却し、第三次予備的請求は理由がある(ただし、占有開始日は前記認定のとおり遅くとも昭和四七年七月三一日というべきである。)から認容することとし、主文のとおり判決する。

別紙 物件目録<省略>

別紙 図面<省略>

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