長野地方裁判所松本支部 昭和41年(ワ)181号 判決 1968年1月29日
原告 塩原祐則
<ほか一名>
右両名訴訟代理人弁護士 中島万六
被告 奥原兼明
<ほか二名>
右三名訴訟代理人弁護士 銭坂喜雄
主文
被告らは各自原告塩原祐則に対し金三、四七九、三八五円、原告塩原はるへに対し金三、四七九、三八五円および右各金員に対する昭和四一年一〇月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
原告らのその余の請求を棄却する。
訴訟費用は被告らの連帯負担とする。
この判決は第一項に限り仮に執行することができる。
事実
原告ら訴訟代理人は、「被告らは各自原告塩原祐則に対し金三五〇万円、原告塩原はるへに対し金三五〇万円および右各金員に対する昭和四一年一〇月三〇日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、
一、原告塩原祐則は訴外亡塩原保方の父、原告塩原はるへは同訴外人の母であり、同訴外人は昭和四一年三月松商短期大学商業科を卒業した後同年四月一日から塩尻市塩尻町四一五の三公認笠原珠算簿記学校に勤務し珠算教師をしていた。
二、被告川瀬建設有限会社(以下単に被告会社と略称する)は後記貨物自動車を所有し、これを使用して土木請負業を営むとともに、従来被告奥原隆吉の需めに応じこれに自動車を貸与してきたもの、また被告奥原隆吉は従来被告会社から後記貨物自動車を借受けチャーター業を営む者であって、ともに自己のために自動車を運行の用に供するものである。
三、被告奥原隆吉は昭和四一年四月一九日午後被告会社からその所有の大型貨物自動車(長一せ六九八八号)(以下単に被告車という)を借受け、被告車で従業員を松本市県営グラウンドに運び花見の酒宴を催したが、その際被告奥原兼明は同被告が同年三月中旬まで被告奥原隆吉方に雇われていた関係で、被告奥原隆吉から右花見の酒宴に招待され飲酒した。
四、右花見の酒宴は同日午後五時ころ終り六時ころ引揚げることになったが、被告車の運転手であった訴外勝山重人は酔い潰れて被告車の運転ができなくなったので、被告奥原兼明は被告奥原隆吉から頼まれて被告車を運転し帰路についたが、その際被告奥原兼明は呼気一立につき二・〇〇ミリグラム以上のアルコールを体内に保有し、酒酔いのため正常な運転ができない状態にあったから、運転を中止して不測の事態の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、同日午後七時四〇分ころ長野県東筑摩郡波田村四四一七番地の二〇附近の道路を時速約五〇キロメートルで西進し、前方注視が不十分なまま漫然運転を続け道路右側を進行したため、折柄対向してきた訴外亡塩原保方(当時二一才)の運転する自動二輪車に被告車の右前部を衝突させ、同訴外人をその場に転倒させ、よって同訴外人に頭蓋骨骨折内出血の傷害を負わせた上、同月二一日午前九時一〇分同郡同村九九七八番地波田病院において死亡するに至らしめた。
五、被告奥原兼明は右衝突事故の際直ちに運転を中止して右訴外亡塩原保方の救護等必要な措置をなし、また右事故の日時場所等法令の定める事項を最寄の警察署の警察官に報告する義務があるのにこれをなさず、いわゆるひき逃げをしたものである。
六、従って被告奥原兼明は右事故による直接の不法行為者として民法第七〇九条により、被告奥原隆吉、被告会社は被告車を自己のため運行の用に供していたもので、右被告らの右運行によって本件事故を発生せしめたのであるから自動車損害賠償保障法(以下単に自賠法と略称する)第三条により各自原告らに蒙らしめた損害を賠償すべき責任がある。
≪以下事実省略≫
理由
一、被告会社が土木請負業を営むものであること、被告奥原隆吉が(その営業内容の点を除き)被告車を自己のために運行の用に供していたこと、被告奥原兼明が飲酒の上被告車を運転して昭和四一年四月一九日午后七時四〇分ころ長野県東筑摩郡波田村四四一七番地の二〇附近の道路を西進中、対向してきた訴外亡塩原保方の運転する自動二輪車と被告車が衝突し、その結果同訴外人が傷害を負ったことはいずれも当事者間に争いがない。
二、1、≪証拠省略≫によると、被告奥原隆吉は木材、建材の搬出、請負を業とするものであること、被告車について自動車登録原簿上昭和四〇年三月一五日付で所有者として訴外長野いすず自動車株式会社が登録され、本件事故発生後の昭和四一年一〇月二七日付で被告奥原隆吉にその所有名義人が変更されたこと、被告車の車体には本件事故当時被告会社の商号が表示されていたこと、被告奥原隆吉は従前訴外長野いすず自動車株式会社とは取引関係が全くなかったので、同訴外会社とかねてから取引のあった被告会社名義をもって同訴外会社から被告車を買受けるべく、被告会社名義の貸与を得てこれを買受けたものであるが、被告車を被告会社名義で購入したところから被告車の代金支払のため被告会社において右訴外長野いすず自動車株式会社に対して約束手形を振出し、同訴外会社には被告会社より直接右自動車代金を支払い、被告会社が同訴外会社に支払った自動車代金は被告奥原隆吉より被告会社に納入した骨材等の資材代金と毎月これを相殺して決済してきたもので、被告会社が本件事故発生後の昭和四一年一〇月同訴外会社に右自動車代金の支払を完納するとともに被告車の所有名義を同訴外会社から被告奥原隆吉としたこと、被告会社と被告奥原隆吉との間には本件事故発生当時直接の雇傭関係はなかったが、被告奥原隆吉は被告車を使用して骨材等の資材を主に優先して被告会社に納入するという取扱をしていたもので、被告会社が最大の得意先であったことおよび原告らが被害者請求により損害賠償責任保険の給付を受けたことが認められる。
被告会社代表者川瀬雄幸は被告奥原隆吉から運賃付けでは困るから被告会社の名前を書かせてくれといわれたので被告車の車体に被告会社の商号を表示したにすぎない旨供述し、被告奥原隆吉もこれと同旨の供述をするが、右各供述部分は前記認定の資料に供した各証拠に照して措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
2、右の事実によると本件事故発生当時における被告車の実質的な所有者は被告奥原隆吉であったというのほかはないけれども、被告会社は被告車の名義上の使用者として自己の名義で自動車検査証の交付を受け、かつ自賠法第五条の規定による損害賠償責任保険を締結したものと推認することができるのであって、さらにこれらの事実のほか被告会社と被告奥原隆吉との間の営業関係ならびに被告車の運行をめぐる前記のような被告会社への運送についての優先的取扱という客観的事実関係等を検討すると、被告会社は現実に被告奥原隆吉に対し被告車に被告会社の名義を貸与することにつき名義貸料等をとっていなくても、これをとっている場合と同視できるような関係があったものというべく、加うるに今日の自動車事故の状況からすれば、名義を貸与した以上は事故の賠償責任を負うべきことを覚悟しているものとみるべきが相当であるから、被告会社は被告奥原隆吉がその業務のためにその所有にかかる被告車を運行の用に供することに協同してきたものであるというべく、かかる場合には被告奥原隆吉については勿論被告会社についても自賠法第三条の適用上これを自己のために自動車を運行の用に供するものというのを相当とする。
3、≪証拠省略≫によると、被告奥原隆吉は昭和四一年四月一九日午後その従業員らの花見の宴を催すため、被告車などでその従業員らを松本市県営グラウンドに運び、同日午後二時ころから同所において花見の酒宴を催したが、被告奥原兼明は同被告が同年三月中旬ころまで被告奥原隆吉方に雇われて自動車運転手をしていた関係で、被告奥原隆吉から右花見の酒宴に招待され、同所において被告奥原隆吉の従業員とともに飲酒した(この点は当事者間に争いがない)もので、右花見の酒宴は同日午後五時すぎころ終り、午後六時半ころ引揚げることになったが、被告車を運転してきた訴外勝山重人が飲酒のため酔い潰れて被告車を運転して帰ることができなくなったので、被告奥原兼明は被告奥原隆吉から被告車を運転して行ってくれと頼まれてこれを引受け、同日被告車を置いてあった松本市白板まで他の自動車で送って貰った上、同所から被告車を運転し、南安曇郡奈川村まで帰るべく帰路につき、その途中本件事故の発生を見るに至ったことが認められる。被告奥原隆吉は被告奥原兼明が勝山重人の酔ってしまっているのを見て同被告が運転して行ってやると被告隆吉に申し出たので、被告兼明にその運転を頼んだ旨供述し、前掲≪証拠省略≫中にも右と同旨の供述記載があるが、右の供述ならびに記載部分はにわかに措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三、そこで本件事故発生の原因について検討する。
1、≪証拠省略≫を綜合すると、被告奥原兼明は本件事故発生当日前記のように被告奥原隆吉から花見の酒宴に招かれて飲酒し、そのため呼気一リットルにつき二・〇〇ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、その影響により正常な運転ができないおそれがある状態にあったこと、しかるに被告奥原兼明は被告車の所有者である被告奥原隆吉から被告車の運転を依頼され、飲酒していて酒の酔いにより正常な運転ができないおそれがある状態にあったのに、本件事故当時被告車を運転して国道一五八号上高地線道路を東方から西方に向い時速約五〇粁の速度で進行して本件事故現場附近に差しかかったが、前方の注視が不充分なまま進行を続け、該道路の北側(被告車の進行した方向からみれば右側)を進行したこと、その際該道路上を西方から東方に向けて訴外亡塩原保方が自動二輪車を運転して対向してきたのに気付かずそのまま運転を継続したため、右自動二輪車に被告車の右前部を衝突させ、同訴外人をその場に転倒させて同訴外人に頭蓋骨々折内出血の傷害を負わせ、本件事故が発生したもので、その結果同月二一日午前九時一〇分同訴外人は長野県東筑摩郡波田村九、九七八番地波田病院において死亡するに至ったことおよび被告兼明は本件事故を惹起したのに直ちに被告車の運転を停止して同訴外人の救護等について必要な措置を講じなかったことが認められ、この認定に反する証拠はない。
2、右のような場合自動車の運転者たる被告奥原兼明としては、酒の酔いにより正常な運転ができないおそれがある状態にあったのであるから、直ちに運転を中止して不測の事態の発生を未然に防止すべき注意義務があると解すべきであるのに、前方注視が不充分なまま漫然運転を続け、しかも道路右側を進行したため、対向してきた訴外亡塩原保方の運転する自動二輪車と衝突したものであるから、本件事故は被告奥原兼明の過失によって発生したものであるといわなければならない。
3、ところで被告奥原兼明は本件事故については訴外亡塩原保方にも過失があったとして、先ず同訴外人に前方注意義務違反の過失があり、次に道路左寄りを同訴外人が進行しておれば本件事故は避けられたと思われるので、同訴外人が右道路中央寄りを進行していたことに同訴外人の過失がある旨主張するが、前記認定のように被告奥原兼明は本件事故発生直前前方注視が不充分なまま道路北側(同被告の進行方向に向って右側)を進行していたものであり、訴外亡塩原保方が前方注意を怠ったとか道路の中央寄りを進行していたことを認むべき証拠はなく、その他同訴外人の過失を認むべき証拠はない。さらに被告奥原兼明は、訴外亡塩原保方が死亡したのは被告兼明の過失と直接因果関係がなく、同訴外人が本件事故後収容された波田病院の医師および看護婦の過失に基くものである旨主張するが、同被告の右主張を認めるに足る証拠はなく、却って≪証拠省略≫を綜合すると、本件事故発生後間もなくの同日午後八時ころ被害者の訴外亡塩原保方は前記波田病院に運ばれ、同病院において当夜の当直医師であった訴外本田菊士の診察を受け、一応の治療を施され、同医師の指示に基き同病院の看護婦によって栄養剤、強心剤等の注射がなされたが、同日午後一〇時ころ右訴外亡塩原保方の意識が不明となったところから、右波田病院において松本市丸の内病院に勤務する五味医師の診察を乞い、同医師によって被害者に対する処置がなされ、その後当時右波田病院に勤務していた医師の訴外三沢真寿門によって処置が続けられたが、治療の効果が現れずに本件事故によって蒙った頭蓋骨々折による脳内出血のため死亡するに至ったものであって、右波田病院の医師および看護婦には右訴外亡塩原保方に対してとった処置について責めらるべき過失のなかったことが認められるので、被告らの右主張は当裁判所の採らないところである。
四、以上のとおりで、本件事故は被告奥原兼明の過失によって被告車を運行中被告車を訴外亡塩原保方の運転していた自動二輪車に衝突させたことによって発生し、よって同訴外人を死に至らしめたものであるから、被告兼明は不法行為者として、被告隆吉、被告会社はともに、被告車を自己のために運行の用に供する者として、各自これによって生じた損害を賠償すべき義務がある。
五、そこで進んで本件事故により発生した損害の点について判断する。
1、訴外亡塩原保方の得べかりし利益の喪失による損害
≪証拠省略≫によると、訴外亡塩原保方は死亡当時満二一才(昭和一九年九月二一日生)の健康な男子で、昭和四一年三月松商短期大学商業科を卒業したのち同年四月一日から塩尻市塩尻町四一五の三の公認笠原珠算簿記学校に勤務し、珠算教師をしていたもので、その給料等は右簿記学校の経営者である訴外笠原吉晴と訴外亡塩原保方との間に、右訴外亡保方が三年間同簿記学校に勤務し、固定給として第一年目は月額二〇、〇〇〇円、第二年目は月額二五、〇〇〇円、第三年目は月額三〇、〇〇〇円、歩合給として第一年目は月額五、〇〇〇円、第二年目は月額五、五〇〇円、第三年目は月額六、〇〇〇円を右珠算簿記学校が右訴外亡塩原保方に支給し、さらに賞与を一回二〇、〇〇〇円の割合で年二回支給する旨の約定がなされていたこと、第四年目以降は独立して珠算塾を開くこととしていたが、自ら珠算塾を経営した場合その収入の額は右訴外亡塩原保方が塾生から徴収する授業料の合計額から同珠算塾を維持するに必要な経費を差引いてみても同訴外人において右珠算簿記学校から支給されることを約束されていた第三年目の給料等より多くなるのが通常であってこれを下廻るようなことはないものとみられているが、その純収入額は漠然としたものであることが認められる。右認定の事実によると、訴外亡塩原保方は前記公認笠原珠算簿記学校に勤務する三年間給料等として、第一年目は固定給として年額二四〇、〇〇〇円、歩合給として年額六〇、〇〇〇円、賞与として年額四〇、〇〇〇円、計金三四〇、〇〇〇円の、第二年目は固定給として年額三〇〇、〇〇〇円、歩合給として年額六六、〇〇〇円、賞与として年額四〇、〇〇〇円、計金四〇六、〇〇〇円の、第三年目は固定給として年額三六〇、〇〇〇円、歩合給として年額七二、〇〇〇円、賞与として年額四〇、〇〇〇円、計金四七二、〇〇〇円の各支給を受けることが約束されていたものであり、第四年目以降の収入の額は右の第三年目の支給を受くべきものと認定した額を下廻ることはなく、少くとも右と同額の純収入を得る見込はあったものというべきである。
なお原告らは訴外亡塩原保方が前記簿記学校から支給を受けることが約束されていた給料等の一部として、塾収入として第一年目は月額五、〇〇〇円年額六〇、〇〇〇円、第二年目は月額五、五〇〇円年額六六、〇〇〇円、第三年目は月額六、〇〇〇円年額七二、〇〇〇円が約束されていた旨主張するが、右証人笠原吉晴の証言によれば、右訴外亡塩原保方に塾収入のあり得たことは認められないではないが、しかし右塾収入は前記簿記学校と同訴外人との間に給料等として支給を約されたものではなく、しかもその塾収入も漠然としたものであったにすぎないことが窺われ、他に原告らの右主張を認めるに足る証拠はない。
ところで右訴外亡塩原保方の死亡当時の年令、職業、収入(予定額)等からすると、同訴外人自身のための生活費は原告ら主張のようなその収入の三割五分とみるのが相当であるから、その純収入は第一年目は年額金二二一、〇〇〇円、第二年目は年額金二六三、九〇〇円、第三年目は年額金三〇六、八〇〇円、第四年目以降も年額金三〇六、八〇〇〇円となり、これらの金額が同亡訴外人の得べかりし年利益の数額の算定の基礎となるものというべきである。
しかるところ右訴外亡塩原保方は本件事故による死亡当時満二一才であったもので、厚生省統計調査部公表の第一〇回生命表によると、二一才の男子の平均余命が四七・五八年であることは当裁判所に顕著な事実であるから、同訴外人の余命年数は四七年余であると認められるが、同訴外人の職業、健康状態等からすると、その残存稼働可能年数は本件事故発生当時から起算して同訴外人が六〇才に達するまでの(原告ら主張のような)三九年間とするのが相当であると考えられる。そこで右の同訴外への得べかりし年利益を基礎として右の稼働可能年数三九年間に得べかりし利益を一時に支払を受けるものとして、ホフマン式計算法によりその額を計算すると、その金額は、
(円以下切捨)
となるので、同訴外人の得べかし利益の現価は金六、四一六、九七〇円であるということができる。ところで原告らは本件事故について自動車損害賠償責任保険金一〇五万円を受領したことを認めており、この点につき原告塩原祐則は右金額のうちから葬儀費と入院費を差引いて金六二万円の支給を受け、なお葬儀費として金三六万円を右金額のうちから受取った旨供述しているが、原告塩原祐則方の生活環境、地方風習ならびに訴外亡塩原保方の死亡当時の年令、職業等から見れば、右金三六万円という葬儀費用の支出は(右金額の支出をしたとの点は原告塩原祐則の供述以外にはこれを認むべき証拠はないが仮に右の支出があったとしても)不相応に高額なものであると考えられるし、かつまた葬儀の参列者からは香典が原告らに差出されていることが当然推測されるので、その葬儀費用、入院料等の支出としては入院の日数等を勘案して金一五万円程度をもって相当な支出であるとみるべきであるから、同訴外人の右得べかりし利益の現価から控除すべき責任保険金の額は金九〇万円とするのが相当であると認める。そこでこれを前記同訴外人の得べかりし利益の現価から控除すれば、その残額は金五、五一六、九七〇円となる。
2、物件破損の損害
≪証拠省略≫によると、本件事故のため訴外亡塩原保方が本件事故当時運転しおよび着用していた原告ら主張の物件が破損しないしは血痕によって汚損したため、その使用価値が喪失してしまったこと、同訴外人が損害を蒙ったとする原告ら主張の各物件の損害の額はいずれも同訴外人がその各物件を購入した当時の価格によったものであること(但しその物件のうちメリヤスズボン下の価格は金二五〇円であるからその購入当時の価格の合計額は金八三、六〇〇円となること)が認められるが、弁論の全趣旨による、同訴外人は右の各物件を購入後相当の期間に亘ってこれを使用もしくは着用していたものと推認することができるので、その使用価値は購入当時のそれに比して半減しているものとみるのを相当とするので、本件事故当時における右各物件の価格はその購入当時の価格の合計額たる金八三、六〇〇円の半額にあたる金四一、八〇〇円であったものというべきである。従って右訴外亡塩原保方が本件事故のために蒙った物件の破損等による損害は右と同額の金四一、八〇〇円であるということができる。
3、原告らの慰藉料
≪証拠省略≫によると、原告らは訴外亡塩原保方の父母であって、原告らの二男である同訴外人が昭和四一年四月一日から前記公認笠原珠算簿記学校に勤務し、三年間同学校に勤務ののちは独立して珠算塾を経営するつもりでいたところから、その将来を老後の楽しみとしていたのに、同訴外人が被告奥原兼明の飲酒による被告車の運転によって生じた本件事故のために傷害を負い、その結果その生命を奪われ、さらに同被告からその事故現場で救護を受けることもなくいわゆるひき逃げされたような状態にされたことが認められるので、原告らが同訴外人の死亡によって受けた精神的苦痛は甚大であったものと推認することができる。そして本件衝突事故の態様、訴外亡塩原保方の年令、学歴、原告らの職業、被告奥原兼明、同奥原隆吉が原告ら方に持参した見舞金、香典の額その他本件に現われた一切の事情を考慮して、原告らが蒙った精神的苦痛に対する慰藉料は原告それぞれについて各金七〇万円ずつをもって相当であると認める。
六、原告らが訴外亡塩原保方の父母であることは前示のとおりであるから、原告らはその地位において同訴外人の死亡により前項1、2の損害賠償請求権をその法定相続分に応じて各二分の一ずつ相続したものというべきであるから、原告らは右1、2について夫々金二、七七九、三八五円の請求権を取得したものというべく、これに前項3の慰藉料を加算すると、原告らは夫々被告に対し各自各計金三、四七九、三八五円の支払を求める権利があるものとみるべきである。
七、被告奥原兼明、同奥原隆吉は、本件事故の発生につき訴外亡塩原保方にも過失があったとして過失相殺を主張するが、同訴外人の過失を認むべき証拠のないことは前示のとおりであって、同訴外人に過失が認められない以上、右被告らの主張は理由がない。
八、よって原告らの本訴請求は原告らが被告らに対し各自右各金三、四七九、三八五円およびこれに対する本訴状送達の日の翌日であること本記録上明らかな昭和四一年一〇月三〇日以降各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅廷損害金の支払を求める限度において正当としてこれを認容し、その余はいずれも失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条但書、第九三条第一項但書前段を、仮執行の宣言について同法第一九六条第一項を各適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 柳原嘉藤)