長野地方裁判所松本支部 昭和58年(ヨ)65号
債権者
青柳和人
債権者
寺島充彦
債権者
耳塚光治
債権者
丸山利明
右債権者ら代理人弁護士
松村文夫
同
林豊太郎
同
小笠原稔
債務者
信州名鉄運輸株式会社
右代表者代表取締役
村上光男
右代理人弁護士
柴田政雄
同
鹿児嶋康雄
同
浅田千秋
右当事者間の賃金仮払仮処分申請事件につき、当裁判所は、次のとおり決定する。
主文
一 債務者は、
(一) 債権者青柳和人に対し、金六六万八、六三二円
(二) 同耳塚光治に対し、金六二万八二五円
(三) 同寺島充彦に対し、金六八万二、三六一円
(四) 同丸山利明に対し、金六〇万五、二八〇円
を仮に各支払え。
二 債権者らのその余の申請は、いずれも却下する。
三 申請費用は、債務者の負担とする。
事実
一 申請の趣旨
債務者は、債権者らに対し、別紙給与計算式一覧表(略)に基づいて、昭和五八年四月分から本案判決確定に至るまでの給与を支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
1 債権者らの申請はいずれも却下する。
2 申請費用は債権者らの負担とする。
三 申請の理由
1(当事者)
債務者は、トラック輸送を業とする株式会社であり、債権者らは、債務者に雇用されている従業員であり、かつ、全日本運輸一般労働組合信州名鉄運輸支部(以下、「運輸一般信名支部」という。)の組合員である。
2(賃金協定の締結)
(一) 運輸一般信名支部と債務者とは、昭和五七年四月一四日頃、昭和五七年度賃金協定(疎甲第二、第三号証参照。以下、「本件賃金協定」という。)を締結した。
(二) 本件賃金協定は、直接的には賃金体系の一部を規定事項としているが、債務者と債務者の雇用する従業員で構成する信州名鉄運輸労働組合との間で既に締結されていた労働協約第五章(疎甲第一六号証参照)に規定された賃金体系(以下、「信名労組適用賃金体系」という。)を論理的前提としたものである。
従って、本件賃金協定に基づく賃金体系(以下、「旧賃金体系」という。)の概要は、別紙給与計算式一覧表記載のとおりである。
なお、賃金は、日給月給制であり、その計算期間は、前月二一日から当月二〇日迄とし、その支給期日を当月三〇日と定めている。
(三) 本件賃金協定は、労働組合である運輸一般信名支部と使用者である債務者との間の賃金に関する労働協約であり、書面に作成し、両当事者が記名押印したものである。
3(旧賃金体系に基づく賃金債権額及び債務者の支払賃金額)
(一) 旧賃金体系に基づく、債権者らの債務者に対する昭和五八年四月分から昭和五九年一月分までの毎月の賃金債権額は、別紙新旧賃金対照表(略)の「旧」欄記載のとおりである。
(二) 債務者が、債権者らに対し、支払った昭和五八年四月分から昭和五九年一月分までの毎月の賃金額は、右別紙の「新」欄記載のとおりである。
4(保全の必要)
(一) 債務者は、債権者らに対し、昭和五八年四月以後、債務者が昭和五八年三月頃作成した就業規則(疎乙第六号証、第七号証の一、二参照。以下、「本件就業規則」という。)に規定された賃金体系(以下、「新賃金体系」という。)に基づき、賃金を支払っている。
(二) 新賃金体系に基づく支払賃金額又は賃金債権額は、旧賃金体系に基づく賃金債権額に比べて、大幅に低額となる。
(三) 債権者らは、債務者に雇用されている従業員であって、債務者から受ける賃金が生活のための唯一の基本的源資である。債権者ら各自の家族構成、生活状況、住宅ローン支払状況等は、それぞれ異なるが、新賃金体系に基づく支払賃金額又は賃金債権額が旧賃金体系に基づく賃金債権額に比べて大幅に低額であるため、生活設計を一方的に破壊されている。
5(結論)
よって、債権者らは債務者に対し、本件賃金協定に基づく旧賃金体系を根拠として、申請の趣旨記載のとおりの賃金支払請求の本案を提起すべく準備中であるが、本案判決確定に至るまでの債権者らの被る損害は計り知れないものがあるので、本申請に及んだ次第である。
四 申請の理由に対する認否
申請の理由1項、2項(一)、2項(二)、第二、第三文、3項(一)、(二)、4項(一)の事実は、いずれも認める。同2項(二)第一文、2項(三)、4項(二)、(三)、5項は、いずれも争う。
五 債務者の主張
1(期間の定め)
本件賃金協定は、昭和五七年度限り、即ち、翌年度の春闘終了までの暫定的なものであって、昭和五八年四月頃失効した。
2(事情変更又は予告による解約その一)
債務者は、別紙事情変更事由記載のとおりの事情変更があったので、運輸一般信名支部に対し、昭和五七年一一月頃、賃金体系の改訂を申入れた(疎甲第四号証の一参照。)。右申入れの内容は、本件賃金協定を昭和五八年三月二〇日限りを以て終了させ、右改訂に応じた変更就業規則を同月二一日以降適用するというものであった。
(一) これは、事情変更を理由として本件賃金協定を昭和五八年三月二〇日限り解約する旨の意思表示に該るので、本件賃金協定は、右同日限り失効した。
(二) 仮にそうでないとしても、これは、本件賃金協定を昭和五八年三月二〇日に解約予告する旨の意思表示に該るので、本件賃金協定は、昭和五八年三月二一日から九〇日間を経過した同年六月一八日限り失効した。
3(事情変更による解約その二)
債務者は、別紙事情変更事由記載のとおりの事情変更があったので、運輸一般信名支部に対し、昭和五八年一〇月六日に到達し債務者の記名押印のある文書で、事情変更を理由として本件賃金協定を解約する旨の意思表示をした(疎乙第一四号証の一、五項参照)。従って、本件賃金協定は、右同日限り失効した。
4(予告による解約その二)
債務者は、運輸一般信名支部に対し、昭和五八年一〇月六日に到達し債務者の記名押印のある文書で、本件賃金協定を同文書到達の日の翌日から九〇日経過後に解約する旨の意思表示をした(疎乙第一四号証の一、六項参照)。従って、本件賃金協定は、昭和五九年一月四日の経過によって失効した。
六 債務者の主張に対する認否
債務者の主張1項ないし3項の事実は、否認する。同4項第一文の事実は認め、同4項第二文の主張は争う。
七 債権者らの主張
債務者の主張4項第一文の事実が認められるとしても、本件賃金協定によって維持されてきた労働条件について、本件賃金協定終了後も、その余後効が認められる。
八 債権者らの主張に対する認否
債権者らの主張は争う。
理由
一 申請の理由1項の事実は、当事者間に争いがない。
二 同2項のうち、(一)、(二)第二、第三文の事実は、当事者間に争いがない。そこで、まず、同2項(二)第一文の点について検討するに、(証拠略)並びに当事者間に争いのない同2項(二)第二、第三文の事実によれば、本件賃金協定が信名労組適用賃金体系と同内容の賃金体系を論理的前提としていることが一応認められる。
次に、同2項(三)の点について検討するに、(証拠略)によれば、これを一応認めることができる。
なお、(証拠略)によれば、本件賃金協定が昭和五七年四月分の賃金から適用される旨規定していることが、一応認められる。
以上を総合すると、債権者らの債務者に対する昭和五七年四月分からの毎月の賃金債権額は、労働協約としての本件賃金協定に基づく旧賃金体系(その概要は、別紙給与計算式一覧表記載のとおり。)により算出されることが一応認められる。
三 そこで、以下、本件賃金協定が失効した旨の債務者の主張について検討する。
1 まず、債務者の主張1項の点であるが、(証拠略)によれば、本件賃金協定の表題がそれぞれ「昭和五七年度春季賃金引き上げ等妥結調印書」及び「昭和五七年度春季賃金引き上げ等妥結調印に付帯する細部協定書」と記載されており、本件賃金協定の適用の始期が昭和五七年四月分の賃金からと定められていることが一応認められるものの、本件賃金協定の適用の終期が定められていることは認めることができない。そして、他に、本件賃金協定に終期の定めがあったことを疎明するに足りる証拠はない。なお、一件記録によれば、債務者と運輸一般信名支部との間で本件賃金協定を締結するに際して、昭和五八年の春闘の時期又はその後に新たな賃金協定を締結するに至った場合においては本件賃金協定を失効せしめる旨の意思の合致のあったことを推認しえないではないが、右両者の間で本件賃金協定を締結するに際して昭和五八年の春闘の時期又はその後に新たな賃金協定を締結するに至らない場合においても本件賃金協定を失効せしめる旨の意思の合致のあったことを推認することはできない。
2 次に、債務者の主張2項の点であるが、この事実を疎明するに足りる証拠はない。なお、(証拠略)によれば、債務者は運輸一般信名支部に対し昭和五七年一一月二四日付の文書(到達は同年一二月上旬頃)で労働時間、休日・休暇、選択定年制の導入、高齢者対策、嘱託乗務員制度の導入、賃金・一時金の銀行振込についての申入と共に賃金構造の改訂についての申入をしたことが一応認められるが、右申入が本件賃金協定を解約する旨の意思表示であることを疎明するに足りる証拠はない。
3 更に、債務者の主張3項の点であるが、(証拠略)によれば、債務者は運輸一般信名支部に対し昭和五八年一〇月六日に到達し債務者の記名押印のある文書で、事情変更を理由として本件賃金協定を解約する旨の意思表示をしたことが一応認められる。しかしながら、本件賃金協定締結後に右協定締結の基礎となる事情に重大な変更があったこと、その事情変更がこれを主張する当事者の責に帰することができない事由によるものでありかつ当事者が右協定締結当時これを予見しえなかったこと及び右事情変更の下においては右協定の効力を存続させることが社会通念上著しく公平を欠き不当であることについて、本件全証拠によるも、これを疎明するに足りる証拠はない。
4 そこで、債務者の主張4項の点であるが、同4項第一文の事実は、当事者間に争いがない。
そうすると、本件賃金協定は、昭和五九年一月四日以前においては効力を有するが、同日の経過によって失効したものと一応認められる。
四 そこで、以下、本件賃金協定の失効後もいわゆる余後効がある旨の債権者らの主張について検討する。
労働協約失効後のいわゆる余後効について、当裁判所は、次のように解する。即ち、労働協約失効後のいわゆる余後効は、その余後効が問題とされる当該労働協約の規定対象がいわゆる規範的部分に属するか否かにかかわらず、原則として、これを認めることができないが、当該労働協約の規定対象、その性質、その規定事項の内容、当該労働協約失効の経緯、当該労働協約失効後にこれと同様の規定対象を有する新たな規範のない場合においては当該労働協約によって規定された制度若しくは機関等の存続とその期間、右の新たな規範がある場合においてはその規定内容の明らかな不合理性等に照らし、労使間に当該労働協約の規定事項と同内容の規範を認めるべき特段の事情がある場合に限り、これを認めることができると解する。
右の観点から本件についてみるに、(証拠略)によれば、労働協約である本件賃金協定は、賃金をその規定対象としていること、労使双方は、本件賃金協定を締結する際これを恒久的なものと考えずその締結から一年前後以上の期間を経過した場合においては労使双方の合意の下に新たな賃金協定を締結することも予想していたこと、本件賃金協定締結からその失効までは約一年八ケ月の期間があったこと、債務者は、昭和五八年三月頃本件賃金協定の規定対象である賃金に関し、その規定事項を完全に包括する本件就業規則を作成しており、本件賃金協定の失効によって労使間の賃金に関する規範に空白が生じないこと及び右就業規則の規定事項の内容は、債務者と債務者の雇用する従業員の大多数で構成する信州名鉄運輸労働組合との間で昭和五八年三月頃締結された労働協約の規定事項と同内容のものであることが一応認められ、これらの事実に照らすと、本件賃金協定失効後も労使間にこの規定事項と同内容の規範を認めるべき特段の事情があることの疎明があるとはいえず、他に、これを疎明するに足りる証拠はない。そうすると、労働協約である本件賃金協定失効後のいわゆる余後効は、これを一応認めることはできない。
もっとも、前記二説示のとおり、債権者らの賃金は、日給月給制であり、その計算期間は、前月二一日から当月二〇日迄とし、その支給期日は当月三〇日と定められていることは当事者間に争いがなく、かつ、(証拠略)によれば、本件賃金協定に基づく旧賃金体系には原則として月を単位として定額支給される賃金項目(基本給、役付手当、学歴給等)のあることが一応認められるから、これらの事実に照らすと、本件賃金協定が右計算期間の中途で失効した場合においては、賃金債権額の算出に関して、本件賃金協定が有効であった日までについては旧賃金体系を適用しその翌日以後については旧賃金体系ではない他の賃金体系を適用するのは相当でなく、本件賃金協定が有効であった日の属する計算期間の全部の日について旧賃金体系を適用するのが相当である。従って、本件賃金協定が有効であった昭和五九年一月四日の属する計算期間である昭和五八年一二月二一日から昭和五九年一月二〇日について、その全部の日について旧賃金体系を適用するのが相当である。
(ちなみに、右の場合において、賃金債権額の算出に関して、本件賃金協定が有効であった日までについては旧賃金体系を適用しその翌日以後については旧賃金体系ではない他の一例としての本件就業規則による新賃金体系を仮に適用するときは、<証拠略>によれば、旧賃金体系にあった賃金項目が新賃金体系になく、旧賃金体系にない賃金項目が新賃金体系にあること、旧賃金体系にあった賃金項目の金額の算出式とこれに対応する新賃金体系の賃金項目の金額の算出式とが相違するものもあること、旧賃金体系及び新賃金体系のいずれも原則として月を単位として定額支給される賃金項目とそうでない賃金項目とがあり、前者の賃金項目のうち基本給の金額の算出式については新・旧賃金体系とが大幅に相違することが一応認められるから、賃金債権額の合理的な算出が困難になると解される。)
五 以上、検討の結果によれば、債権者らの債務者に対する昭和五八年四月分から昭和五九年一月分までの毎月の賃金債権額は、労働協約である本件賃金協定に基づく旧賃金体系により算出されることが一応認められるが、昭和五九年二月分以後の賃金債権額が、労働協約である本件賃金協定に基づく旧賃金体系によって算出されることを疎明するに足りる証拠はないことになる。
六 申請の理由3項の事実は、当事者間に争いがない。
そうすると、債権者らの債務者に対する昭和五八年四月分から昭和五九年一月分までの毎月の賃金債権額と債務者のこの間の支払賃金額の各差額は、別紙賃金対照表「差額」欄記載のとおりであることが認められるから、債権者らは債務者に対し右各差額に相当する各賃金債権を有することが一応認められる。
七 申請の理由4項(一)の事実は、当事者間に争いがない。そして、同4項(二)、(三)の事実は、(証拠略)及び当事者間に争いのない同3項(一)、(二)の事実により、これを一応認めることができる。そうすると、保全の必要は、これを一応認めることができる。
なお、(証拠略)及び当事者間に争いのない申請の理由3項(二)の事実並びに審訊の結果によれば、債権者らが債務者から支払を受けた昭和五八年四月分から昭和五九年一月分までの毎月の賃金額が長野県内の債務者より小規模の運輸業者に雇用されている債権者らと同年齢階層に属する男子労働者の昭和五七年度の平均賃金額(毎月金二五万五、七六一円)を上回ること及び債権者青柳和人、同寺島充彦、同丸山利明らが不動産(主として農地)を所有し、債権者青柳和人、同耳塚光治、同丸山利明らの配偶者らが一定の月収を得ていることが一応認められるが、この事実を以っても右認定(保全の必要の疎明)を左右することはできず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
八 以上の次第で、債権者らの債務者に対する本件申請は、主文第一項掲記の限度で理由があるのでこれを認容し、その余の申請は理由がないのでこれをいずれも却下し、申請費用の負担につき民訴法八九条、九二条但書を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 橋本昇二)
事情変更事由
1 会社の長年の経営不振による損失の累積下における昭和五七年上半期における大巾なる債務超過による会社倒産を回避する必要とその事情。
2 人員整理を極力避ける必要とその事情。
3 従来信名労組が一般従業員の大多数を組合員として擁し獲得して来た労働条件を会社の生産性の貢献度において差があるにもかかわらず同支部組合員にも平等に準用乃至適用して来た事情及び賃金改訂協力金として同五七年度年末手当二〇万円同五八年度二〇万円を支給した外退職金支給率アップや労災保険の法定以上の補償等を信名労組に行なった結果同様の条件を同支部組合員にも準用乃至適用しているにもかかわらず、信名労組員のみを賃金体系において同支部組合員と不公平に取り扱うことが現実には不合理かつ不可能である事情。
4 今後集団的労働関係の場において、内容において、同支部組合員を信名労組員と公平な賃金にするため春闘や一時金の支給において差を設定することは集団的労働関係の画一的処理上不合理になること。
5 前述の債権者らの例の如き路線運行の赤字解消も企業の合理的運営のため絶対必要かつ止むを得ないこと。
6 同支部自体二億七、〇三〇万円の人件費の削減は容認しながら、同支部と賃金体系の改訂を先に交渉妥結しないことは不服である旨主張して本件賃金体系の変更に応じないことは、本件賃金体系の改訂による人件費の削減が前述の如き事情からさ程の結果にならなかったことに徴しても不合理であること。
しかも、同人らの運行が別紙の如く大巾な赤字であることを併せ考慮するとき債権者らが本件賃金体系の改訂に応じないことは全く不合理極まりない。
7 本件賃金体系の変更は会社再建までの暫定的な性格を有すること(疎乙第三号証の二の覚書)。