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長野地方裁判所諏訪支部 事件番号不詳 判決

本店の住居

川崎市堀川町七十二番地

東京芝浦電気株式会社

右代表者取締役

石坂泰三

本籍

東京都大田区久我原町八百二十三番地

住居

同都同区久我原町六百五十四番地

元東京芝浦電気株式会社社長

新開広作

明治二十年九月十三日生

本籍

横浜市鶴見区東寺尾町千三百六十三番地

住居

東京都北区王子三丁目三番地

元東京芝浦電気株式会社川岸工場長

林宏

明治三十六年五月十四日生

右の被告人東京芝浦電気株式会社、同林宏に対する各失業保険法並びに労働基準法各違反被告事件、被告人新開広作に対する労働基準法違反被告事件について、当裁判所は副検事三沢三次郞立会の上審理をして、次の通り判決する。

主文

被告人東京芝浦電気株式会社、同林宏、同新開広作はいずれも無罪。

理由

公訴事実によれば、

被告人東京芝浦電気株式会社は神奈川県川崎市堀川町七十二番地に本店を有し、電気器械器具製造の事業を営む者、被告人新開広作は同会社の取締役社長として同会社を代表していた者、被告人林宏は同会社川岸工場長として同工場の経営を担当していた者であるが、

第一、被告人会社は失業保険法所定の事業主として保険料の納付義務者であるところ、被告人林は同会社の業務に関し、長野県諏訪郡川岸村千九百六十番地所在の右川岸工場における失業保険被保険者の賃金から控除した昭和二十三年九月分荒井利周外五百十六名の保険料二万六千七百九十三円、同年十月分同人外四百四十二名の保険料二万四千二百五十五円、同年十一月分同人外四百三十二名の保険料二万四千二百五十五円を何れも所定の納付期日である各翌月末日までに長野県労働部失業保険徴収課長に納付しなかつたもの。

第二、

一、被告人会社は労働基準法所定の使用者として、賃金支払の義務を負う者であるところ、被告人林は事業主たる同会社のため当該事業の労働者に関する事項について、昭和二十三年十月分の前記川岸工場における賃金支払期日は同会社の賃金規則等により職員並びに月給工員百名分は同月二十四日(同月二十五日が休業日につき繰上)、日給工員三百五十名分は同月二十七日と定つていたのにこれを無視し、別表(公訴状の記載を援用)記載の通り荒井利周外四百四十九名に対する賃金全額百七十七万九千七百六十円を直接労働者に右期日に支払わなかつたもの、

二、被告人新開は右同法に基く事業主として賃金不払又は遅払防止の責務があるのに、昭和二十三年十月中旬頃東京都中央区宝町マルタビル五階の同会社社長室等において常務会を開いた際、賃金不足等に藉口して前記川岸工場等の同月分賃金の全額を所定期日に支払わざることに決定し、その遅払に至ることの防止につき必要な措置を講じなかつたもので、

あると。

謂うにあるが、審理の結果によれば

第一、被告人東京芝浦電気株式会社並びに被告人林宏に対する、失業保険法並びに労働基準法各違反の点について、証人棧敷順一、同佐藤鈴次、同町田四郞の各証人尋問調書並びに当公廷における証人萩尾直、同竹中律三郞、同田中正美、同酒井武臣の各証言、被告人会社代理人高橋恒〓、被告人林宏の各供述及び書面ニヨリ社長ノ決裁ヲ求ムベキ事項ニ関スル件、工場長の権限外に関する通牒の件と各題する書面を、綜合して判断するに、被告人会社は、川崎市堀川町七十二番地に本店を置き、全国各地に工場或は研究所等四十数ケ所を有し、電気機械器具の製造販売をなし、従業者三万余人を数うる全国屈指の大会社で、失業保険法並びに労働基準法による事業主として、失業保険料金納付義務者であり又従業者に対する使用者として賃金支払義務者である。被告人林宏は被告人会社の従業者で昭和十九年より同二十五年二月末まで長野県諏訪郡川岸村千九百六十番地所在の被告人会社の川岸工場の工場長であつた。被告人会社の経営方法は、重要事項並びに主要経理事務一切を被告人会社本店(以下本社と略称する)で統轄管掌し、各工場等は本社の命令により運営している状態で、従業者えの支払賃金の準備或は賃金より失業保険料金の控除等は、総て本社において取扱い各工場に委せていない。殊に賃金の支払いについては、各工場の支払日を一齊に同一期日とし、一部の工場についてのみその期日を異にすることはなく取扱われている。各工場の工場長と本社との関係は本社の内規により工場長が専行し得る事項と本社の命令によりなすべき事項とは区別し、各工場における工場長は金員の借入れ、重要なる債務の負担に関する事項又は製品等の販売等に関する事項、その他給与関係事項は、総て本社の承諾なくしてはできないことになつている。川岸工場も亦被告人会社の一工場として他工場同様この範囲をでない。従つて川岸工場だけが従業者の賃金支払につき工場長の独断で、他より任意に金銭を借入れて支払をするとか或は製品を売却して資金を調達し支払をするとかの行為は許されていない。同工場は従業者の賃金支払については毎月十日頃までに予めその月に従業者に支払うべき賃金額(事実上従業者に手渡しする所謂手取賃金額及び従業者の失業保険料として控除すべき金額等)を計算してこの資金をその賃金支払の所定期日までに送付するよう本社に請求し、本社よりの資金送付を待つて、従業者に各賃金(手取賃金)を支払い又失業保険料金として控除した分は所轄官庁に納付しているのであるが、通常本社よりは、従業者の手取賃金と失業保険料金とは別個に送付して来ていた。川岸工場は右のような方法で昭和二十三年九、十、十一月分の従業者の各賃金(手取賃金及び失業保険料金)等を各々その月の十日頃までに計算して本社に請求してあるのに、本社より川岸工場に対して右九、十、十一月分の従業者の賃金より控除した失業保険料金の送付が各々納付期日までになく又同年十月分の従業者の賃金(手取賃金)の送付も亦所定支払期日までになかつた関係上、被告人林宏において、右川岸工場の従業者である失業保険被保険者の賃金から控除した昭和二十三年九月分荒井利周外五百十六名の失業保険料金二万六千七百九十円、同年十月分同人外四百四十二名の同保険金二万四千二百五十五円、同年十一月分同人外四百三十二名の同保険料金二万四千二百五十五円をいずれも所定納付期日である各翌月末日までに、長野県労働部失業保険徴収課長に納付しなかつた事実、同工場の従業者荒井利周外四百四十九名に対する昭和二十三年十月分賃金全額を、所定支払期日に支払わなかつた事実がいずれも認められる。

一、よつて先ず被告人林宏が右のように失業保険料金を各所定納付期日までに納付しなかつたこと、及び賃金全額を所定支払期日に支払わなかつたことが、同被告人に対し各公訴事実の犯罪を構成するかどうかについて判断するに

1、被告人林宏が、川岸工場の工場長として同事業場の経営担当者であつたかどうかというに、前説明のように、被告人会社は事業主として川岸工場の重要事務並びに主要経理事務を管掌し、被告人林宏は同工場長としての権限は制限され本社の命令に基いて行動し、所謂命令伝達機関の一面を有し、工場全体に対する一切の権限を有していないのであるから、川岸工場という事業場の経営担当者とは言えない。

2、押収に係る失業保険料算定基礎申告書三通(昭和二十四年証第二六一号の三乃至五)失業保険適用届(同号証の六)によれば、いずれも「東京芝浦電気株式会社代理人林宏」と記載があつて、被告人林宏は失業保険関係について、事業主である被告人会社の代理人となつていたことは認められる。この代理人は、事業主である被告人会社に代つて、失業保険関係の事務を代理処理するまでのもので、事実上被告人会社より、失業保険料金の納付資金の送付がないのに、代理人の責任においてこれを完納するまでの義務はないものと解する。又被告人林宏は従業者に支払うべき賃金中より、直接失業保険料金を控除してはいない、その控除は被告人会社自身が直接しているのであるから、この点については、被告人林宏には何等の責任はない。

3、被告人林宏は、失業保険料金の納付或は賃金の支払については、いずれも被告人会社の機構上、本社よりの資金送付を待つて、これ等の納付或は支払をなすもので、本社より資金の送付がない以上どうすることもできないし、自ら工場長として工場(被告人会社)の計算で、資金を借入れ若くは製品、資材等を処分換金して、これ等の納付或は支払に充当する権限はない。さりとて、被告人林宏個人の計算で、これ等の資金を調達して納付或は支払をするまでの責任はないから、本社よりこれ等資金の送付がない以上、被告人林宏に失業保険料金を所定納付期日までに納付或は賃金全額を所定支払期日に支払を期待することは不可能である。又被告人林宏がこれ等失業保険料金或は賃金の全額を各所定期日に納付或は支払をしなかつたのは、同被告人が故意に右納付或は支払を怠つたものではなく、本社よりこれ等資金の送付がなかつたので已むを得ず、その期日を従過したものであるから、これ等所定期日における不納付或は不払の事実に対しては、何等同被告人に責むべき点はない。

従つて被告人林宏の右行為は失業保険法違反並びに労働基準法違反の各犯罪を構成しない。よつて同被告人に対しては、刑事訴訟法第三百三十六条前段により無罪を言渡すべきである。

二、被告人会社に対する本件被告事件は、公訴事実記載のように被告人林宏が被告人会社の業務に関し、川岸工場の失業保険被保険者の賃金から控除した昭和二十三年九月分、十月分及び十一月分の各保険料金を、その納付期日である翌月末日までに所轄官庁に納付しなかつたこと、被告人林宏が事業主である被告人会社のため当該事業の労働者に関する事項について、川岸工場の従業者に対する昭和二十三年十月分の賃金全額を所定期日に支払わなかつたこと、すなわち、被告人林宏が被告人会社の従業者として、失業保険法違反並びに労働基準法違反の各犯罪行為をなしたことを前提として、被告人会社に対し失業保険法第五十三条及び労働基準法第百二十一条第一項の各両罰規定に基く刑事責任を問うことにあるが、被告人林宏の行為が、前段認定の通り犯罪を構成せず無罪である以上、被告人会社は、右両罰規定に基く刑事責任を負担すべき限りではなく、従つて被告人会社は、右失業保険法(第五十三条)違反並びに労働基準法(第百二十一条第一項)違反の各犯罪を構成しないことになるから、被告人会社に対しては刑事訴訟法第三百三十六条前段により無罪を言渡すべきである。

第二、被告人新開広作の労働基準法違反の点について、被告人新開広作の当公廷における供述により、同被告人が昭和二十三年十月当時被告人会社の取締役社長で、同会社の代表者であつたこと並びに労働基準法第百二十一条但書の事業主であつたことが認められる。従つて被告人新開広作は、被告人会社の従業者に対し賃金の完全支払又は遅払防止に努力する責務の存在することは明である。而して右事業主は、同条第二項に規定するように違反の計劃を知り乍らその防止に必要な措置を講じなかつた場合又は違反の行為と知りその是正に必要な措置を講じなかつた等の場合には、当該違反行為について、行為者としての刑事上の責任を負わねばならない。検察官作成の棧敷順一、新開広作の各供述調書を綜合すれば、被告人新開広作は昭和二十三年十月中旬頃、東京都中央区室町マルタビル五階の被告人会社々長室において常務会を開いた際、資金不足につき川岸工場等の従業者に対する同月分の賃金の全額を所定支払期日に支払わないことに決定したことが認められる。而して被告人新開広作がかかる決定をした経緯及びその後の措置について、証人五十嵐昭夫、同小山五郞、同大原栄一、同町田四郞、同棧敷順一、同佐藤鈴次の各証人尋問調書、並びに当公廷における証人萩尾直の証言、被告人会社代理人高橋恒〓、被告人新開広作の各供述及び昭和二十三年六月二十三日附、同年十月八日附各官報、中央労働時報第七十五号、同第八十八号を綜合して判断するに、被告人会社は、終戦後経済界のインフレに伴い、従業者より数次に亙る賃金値上要求等があり、その解決方に関し所謂労働争議が頻発し、この争議は昭和二十三年春頃より漸く熾烈となり又被告人会社の経営方針の変更(独立採算制)により、同年末頃には最高調に達した。被告人会社は、終戦後会社の生産並びに売上に意を用いたが、右労働争議等のため容易に成績が挙らず、昭和二十二年末に同二十三年一月の売上目標を三億円として計劃を立て、これに向つて邁進し、金融業者方面に援助を乞い、復興金融金庫(以下復金と略称する)に対し八億円の融資を求めたが、当時金融界の引締に加え前記被告人会社の労働争議が影響して、金融が意の如くならず、同年五月までに漸く二億五千万円の融資を得たのみで、所期の目的を達せず、会社の運営に重大な支障を来した。これに加えるに政府の所謂第二次物価改定(昭和二十三年六月二十三日物価庁告示第三百四十七号)によつて、原料資材が高騰を来したのに、一方被告人会社生産品等の価格改定が伴わなかつた(当初は生産品の価格改定は近く実施されるものと信じていたところ、容易にならず、漸く同年十月八日物価庁告示第九百九十一号及び同年同月十五日同庁告示千三十四号で改定された。)ため、被告人会社の事業は原料高の生産品安の不自然の状態となり、その収支は均衡を失い、四億円以上の損害を蒙り運営上極度の困難に陥つた。よつて被告人会社は窮余の策として、不利益にも拘らず生産品等の換金に努力すると共に、更に金融業者方面に援助を求めたが予期した効果がなく、同年九月頃には資金不足の頂点に達したので、あらゆる策を講じその場を糊塗した。当時金融業者の方面よりは、被告人会社の工場の人員整理並びに独立採算制を示唆されていたので、これが実行を期すべく被告人会社の労働組合に諮つたが、その効果は挙らず、却つて労働争議を深刻化するに至り、被告人会社はこれが円満解決に努力すると共に運営資金確保に全力を注ぎ、同年十月分の従業者の賃金支払に万全を期し、金融業者方面に融資を懇請し、被告人新開広作自ら陣頭に立ち、被告人会社幹部も亦これに続き、躍起となり復金並びに帝国銀行に対して、手段を尽し(その間資金繰りにつき前記マルタビルの常務会あり)金策に狂奔の結果、漸くにして同年十月末に到れば復金より一億円の融資を受け得られる見透しがつき、これに力を得て更に奔走の結果、従業者に対する同月分の賃金支払の緒につき、数次に亘る資金繰りにより、同月二十六日より同年十一月九日までの間四囘に亘り、賃金全額の支払を了したことが認められる。当時における一般企業者は、経済界のインフレによる人件費の膨脹と一面金融界の引締のため経営漸く困難となり、従業者に対する賃金の支払は遅払い続出の状態であつたが、被告人会社はこの情勢下にありながら、賃金支払につき大なる支障なく支払を了して来たことが認められる。

被告人新開広作はこの間に処して、被告人会社の代表者として又事業主として、会社従業者の賃金支払に意を用い、右昭和二十三年十月分の賃金支払については特に慎重を期し、所定期日に全額支払の困難なる事情を察知し、資金繰りのつき次第に支払うことを決意し、会社幹部を率いて陣頭に立つて資金の調達を図り、漸くにして右賃金の支払を了したることの、その努力を認めるに十分である。当時の経済界一般が金融難の折、被告人新開広作は右十月分の賃金支払につき最善を尽し、極力遅払の防止並びに全額支払につき必要な措置を講じたものと謂える。従つて、同被告人の行為は労働基準法第百二十一条第二項の犯罪を構成しないから、同被告人に対しては、刑事訴訟法第三百三十六条前段により無罪を言渡すべきである。

よつて主文の通り判決する。

(裁判官 雨宮熊雄)

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