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長野地方裁判所飯山支部 昭和38年(タ)3号 判決 1965年11月15日

原告(反訴被告) 甲野花子(仮名)

右訴訟代理人弁護士 大内亀太郎

被告(反訴原告) 甲野太郎(仮名)

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 宮沢増三郎

主文

本訴原告(反訴被告)と本訴被告(反訴原告)甲野太郎を離婚する。本訴原告(反訴被告)と本訴被告(反訴原告)甲野太郎との間の長男一郎(昭和三十六年三月十一日生)の親権者を本訴原告(反訴被告)と定める。本訴被告等は連帯して本訴原告に対し金二十五万円を支払え。

本訴原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は本訴・反訴を通じてこれを五分し、その一を本訴原告(反訴被告)の負担とし、その余を本訴被告等(反訴原告甲野太郎及び本訴被告甲野乙郎・同丙子)の連帯負担とする。

事実

(以下本判決書においては、本訴・反訴を通じて本訴原告(反訴被告)甲野花子を原告、本訴被告(反訴原告)甲野太郎及び本訴被告甲野乙郎・同甲野丙子を被告と略称する。

第一、本訴

一、請求の趣旨並びに答弁の趣旨、

原告訴訟代理人は、「原告と被告甲野太郎を離婚する。

原告と被告甲野太郎との間の長男一郎(昭和三十六年三月十一日生)の親権者を原告と定める。被告等は連帯して原告に対し金百万円を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに第三項について仮執行の宣言を求めた。

被告等訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

二、原告の請求原因≪以下省略≫

第二、反訴

一、請求の趣旨並びに答弁の趣旨、

被告太郎の訴訟代理人は「被告太郎と原告を離婚する。被告太郎と原告との間の長男一郎(昭和三十六年三月十一日生)の親権者を被告太郎と定める。反訴訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求めた。

原告訴訟代理人は「被告太郎の反訴請求を棄却する反訴訴訟費用は被告太郎の負担とする」との判決を求めた。

二、被告太郎の反訴請求原因≪以下省略≫

理由

一、公文書であって、真正に成立したものと認められる甲第一号証並びに原告及び被告太郎の各本人尋問の結果によれば、原告及び被告太郎は昭和三十五年三月二十九日挙式の上、事実上の夫婦となり同年九月八日婚姻の届出をなした法律上の夫婦で、その間に昭和三十六年三月十一日長男一郎が出生したものであることが認められる。

しかして、≪証拠省略≫を綜合すると、次の事実が認められる。即ち、原告は昭和十二年一月五日、○○市大字○○○○番地農業A・同Bの二女として出生し、○○高等学校を卒業後その生家で農業並びに家事の手伝をしていたもの、被告太郎は昭和七年二月九日○○市大字○○○○番地で米穀・肥料・飼料・茶等の販売業を営む被告乙郎・同丙子の二男として出生し、○○○高等学校卒業後その家業に従事していたものであるところ昭和三十四年暮頃原告の父Aと学校友達であり、被告等方とも取引のある訴外○○○○の斡旋で見合の上、交際を重ねていたが、その途中被告乙郎・同丙子は原告が被告等を訪れた際の態度からみて原告が我侭な性格であるとして多少の不満をいだいていたものの、被告太郎が原告との婚姻を積極的に希望していたため、結局これに同調し、被告丙子の姉の夫である訴外Xを仲人にたてて、前記の如く昭和三十五年三月二十九日挙式の上、原告が被告等方に同居することとなった。当時被告等方の家族は被告乙郎・同丙子の夫婦、原告の姉で訴外○○○○と昭和三十年十月十三日挙式の上夫婦となり昭和三十四年四月十三日離婚したF及びその子S、被告太郎の五人であった。ところで被告乙郎・同丙子は原告は嫁として被告等方に入って来たものであるから、被告等方の指図・注意に服し被告等方の家風に従うべきものと考え、原告の態度・行動等を注意し、これに指図し干渉したが、一方原告は高等学校卒業後単に実家にあって農業・家事の手伝をしていたのみで社会生活の経験に乏しく、その性格は他人の注意に素直に服する態度にいささかならず欠け、勝気な点もあるため、ともすれば自己の判断・考えを固守し反抗的態度を示すこともあり、協調性を欠き、他人の生活に干渉するきらいもないではないのみならず、被告方の生活に積極的に融和する意欲・行動にも乏しかったため、被告乙郎・同丙子の注意・指図にともすれば素直に服さず反抗的態度をとったため、当初より原告が気にいらず原告と被告太郎の婚姻に多少の不満を持ち、かつ前記の考えを持ち、又その性格もいささか頑固ともいえる被告乙郎・同丙子の不興と怒りを買い、かかる原告の態度等を矯正するとの名目下に更に原告に対する注意・指図等を招き干渉の度を増す様になり、被告太郎の姉Fも被告乙郎・同丙子に組し互に相手方を信頼し寛容な態度をもって接することなく、互に相手方の欠点等を非難・攻撃する様になり、そのため炊事の支度・食事のあとかたずけを始め洗濯機の取扱等の些細なことにいたる迄紛争の種となったが、被告太郎は当初原告をかばい被告乙郎・同丙子に対し自分達夫婦のことはあまり干渉しない様にとの旨主張していたためこれも又被告乙郎・同丙子の不興を買い、昭和三十五年五月頃の夜半原告と被告太郎の二人が被告等方を飛出し志賀高原の旅館に宿泊していたところを、被告乙郎の弟訴外○○○○につれもどされた様なこともあった。そこで被告乙郎・同丙子はかかる家庭内の紛争はひとえに原告の性格・態度に原因するものであり、従って原告の両親から原告に対し、原告のかかる態度をあらためて被告方の家風に従う様説諭してもらい、かつは原告の両親に原告のかかる態度・行動について原告ともども謝罪させる目的で、その頃、原告の父A宛の「当方の家風に合わないので御預り願いたい」等の旨の手紙を原告に持たせてその実家に帰らせたが、原告の両親が被告等方に出向けば事が重大化する可能性があるので出向かない方がよいとの仲人であったXの意見とそのはからいで原告は次の日被告方に帰ることができた。ところが被告乙郎・同丙子はかかる原告の両親の態度は無責任なものと考え、又○○市周辺では新婚の夫婦は節句に嫁の実家に出かけ一泊してくる慣習があるため前同年六月五日の節句に原告及び被告太郎もかかる慣習に従い原告の実家に赴いた際、被告乙郎は被告太郎には夜遅くとも帰宅する様求めたのにもかかわらず被告太郎が原告の親の懇請に従い原告の実家に一泊して来たことからも、次第に原告と融合することを断念し、被告太郎と原告とを離婚せしめる様考えるにいたり、被告太郎にその旨を求め、仲人であったX等にもその旨もらし、原告及び被告太郎との仲にも更に干渉する様になったが、被告太郎は依然原告との婚姻生活の継続を希望していたので、被告乙郎・同丙子の干渉をきらいかつは同被告等と原告との衝突をさけるため、同被告等と別居することを決意し、同被告等の了解を得、又前記Xの同意をも得て、前同年六月頃○○市○○町○○○番地の○○○○方二階の一室を借受け、原告と共にこれに移ったものであるが、その際原告は当日迄それを知らされず、当日も被告太郎に庭先に呼び出されて右の旨を告げられて始めてこれを知り、着替等を持出すべく急ぎ屋内に入ろうとしたところ、被告丙子に阻止せられ、そのまま右○○町の室に移った。被告乙郎・同丙子は被告太郎と原告が別居したことは同人達が親である同被告等を捨てて外に出たものと考えたため、前記の如く原告等が着替も持たずに別居したのでこれを取りに来た際その引渡しをこばみ、被告太郎が被告乙郎と取組合いをする様なこともおきた。しかしながら右○○町の○○○○方はいわゆる花柳街の内にあり、さわがしく、又原告が前記の性格であったため同居の人々といさかいを起し、かつはその間借りした室は風通しが悪いため黴くさく、加えて原告は当時姙娠しており悪阻に苦しんでいたので、原告の父Aが原告の健康を案じてその知人である訴外○○○○が○○市○○町にアパートを持っていたので同人と交渉の上その二階一室を借り受ける様尽力してくれたため、被告太郎と原告は被告乙郎・同丙子に相談することなく前同年八月頃そこに移転することとなった。被告太郎は右の如く○○町に別居した後も又○○町に移転してからも当初は依然従前通り被告乙郎・同丙子方に通いその家業に従事していたが、一面被告乙郎・同丙子との折合がうまく行かず他面原告もこれをよろこばなかったので、結局他に職を求める考えをいだくにいたり、仲人であったXの紹介で○○市の青果市場に就職することとなったが、これに勤務することなく、同じ○○市にある○○医療器株式会社に勤務する様になり、被告乙郎・同丙子方への通勤をやめ、その後又○○市にある鋳物工場○○製作所にかわったが、被告太郎は右就職についても又被告乙郎・同丙子には何らの相談もしなかった。かかる行為について被告乙郎・同丙子は憤慨の上いよいよ被告太郎と原告が親である同被告等を捨てたものであるとの考えを強め、被告太郎及び原告方に赴き同人等が前記別居に際して貰い受けた炊事道具類迄も返せとせまる一方、かかる事態にいたった原告は原告にあるものとして被告太郎に対し原告と別れる様迫った。特に被告丙子はたまたま同被告等方に原告に対する姙産婦手帳が送達されそれに甲野花子と記載されていたのをとらえ、前記○○町の原告等方のアパートに赴き、原告に対し「いつ甲野という姓になったのか」等の旨詰問し、更に当時迄被告乙郎・同丙子の反対でおくれていた被告太郎と原告の婚姻届を、被告太郎と原告が被告乙郎・同丙子の承諾を得ることなく、仲人であったXを保証人として届出たことを知るや、右Xに対し「どうして親の承諾を受けないで籍を入れさせたのか、早く別れさせてくれ」等の旨詰問・要求したこともあった。かかる被告乙郎・同丙子の意向・言動のために被告太郎の原告に対する愛情も次第に動揺を来たし、昭和三十六年三月十一日長男一郎が出生するや、仲人であったXに「子供は引取るから五、六万円で別れる様にしてくれ」との旨申し出、更に原告に対しても同様「子供は自身が引取るから別れてくれ」との旨を申し出る様になったが、前記Xも原告もこれに応じなかったので、その話はそれ以上進展せず立消となった。かかる事態の内に、被告太郎は一面被告乙郎・同丙子の干渉から原告との離婚を計ったものの他面かかる周囲からの干渉をさけ、原告との生活を継続し確立することをも希望していたので、昭和三十六年七月頃読売新聞紙上で○○市にある○○○○新聞○○○販売管理所において販売店員を募集しているのを知り、これに応募して○○市において原告と生活することを決意し、原告及び長男一郎を伴い○○市に赴いた。そして同市○○区にある同販売所で二、三日すごした後同市○○区にある同販売管理所の支店二階に居住することとなり、被告太郎は同販売管理所に通勤して新聞の配達並びに販売拡張の仕事に従事し月給として二万二千円程度(但しアパート等に住む様になった際には増額するとの約束)を受ける様になった。しかし右○○支店において原告は前記の如き性格と都会生活や共同生活に不慣れな面もあったため、ともすれば同じく同支店に居住していた訴外Mとその婚姻者であった女性との関係を穿さくする等他人の生活に対する干渉にもなる様な言動があったため、右Mと紛争を生じたこともあり、前記販売管理所の支配人の訴外Kのはからいで、被告太郎及び原告等は他の店員も居住している前記販売管理所の奥に三畳間程の専用の室を作ってもらい、そこに移転した。ところが同所においても原告は前記の如くその性格と都会生活等に不慣な面からと、前記○○支店及び右販売管理所においても南京虫が多く、原告及び長男一郎は睡眠を妨げられる等して原告が睡眠不足のため精神的安定を欠いた点もあったため、ともすれば他人のことに口を出したり、店員・炊事婦等と争いを起したりし、これらの点について前記Kから田舎と都会とは違うので都会生活に慣れる様に、他人の生活に口出しをしない様に等の注意を受けたがこれにも素直に服さなかったので、被告太郎は苦慮し、昭和三十六年十一月頃原告に対し店の方のことに口出をしないようにと求めたところ、原告はかえってこれに反発し果物ナイフを手にしたので、同所の他の店員がさわぎ前記Kがその場に赴き原告より果物ナイフを取上げ原告を叱責しその場をおさめたが、かかることのあったため、前記Kは原告の気持を鎮静し、体を休養せしめることが必要であると考え、被告太郎に対し原告を郷里に帰して静養させた方が良い旨を申し渡したので、被告太郎は原告及び長男一郎をつれ原告の実家に赴いたが、その際被告太郎も原告も前記の如き○○市における生活・原告の状態・原因を十分に説明しなかったのみならず原告の父Aもかかることを深く究明することなく その帰省を命じられたのは単なる夫婦げんかが原因であると速断し、適切なる処置にも思いを及ぼさずに謝罪すれば再び原告をも同居せしめてくれるものと簡単に考えた結果、右Aにおいて被告太郎及び原告を伴いただちに○○市にもどり同販売管理所の経営者訴外H及び前記Kに原告を被告太郎と共に居住せしめてくれる様依頼し、右Kの意見により被告太郎と原告が同販売管理所以外の家又は部屋に移り住むことが出来る様若干捜したものの、特に積極的な意欲もなかったためその選定・確保をみない内に右Aはこれで事は落着したものとして帰り、その後は被告太郎もかかる住居の確保についての努力をすることもしなかったので、被告太郎と原告等は従前通り前記販売管理所の一室に居住し、従前通りの生活をすることととなった。しかしながら被告太郎及び原告が居住していた部屋はもともと同人達を収容するために急造したものであり、窓とて完全なものではなく、外気が容易に室内に入る有様であった上に前記の如く南京虫もいたため十分な睡眠もとれなかった原告は、被告太郎の強い性的要求のため肉体的な疲労を重ねていたことと、不慣れな都会生活・共同生活のもとに再び精神的安定を欠く様になり、前記の様な性格も加わり、従前と同様同販売管理所の他の店員等と衝突する様になり、そのため被告太郎も困難な立場におかれる様になったのでその夫婦仲も次第に悪くなりいわゆる夫婦げんかも重ねる様になったので、ついに前記Kより前記販売管理所を出て他で生活する様に言われ、被告太郎はますます処置に窮し、一度は○○市にある販売本社の担当者のところに相談に行ったこともあったが、といって他に住居を捜し求める様な努力もしなかったため、これを解決することの出来ないままになったこと等から、ついに被告乙郎・同丙子の従前の意見に従い原告との婚姻生活を断念し、又右販売管理所をもやめて単身被告乙次・同丙子方に帰ることを考えるにいたり、昭和三十七年四月十一日夜、前記販売管理所附近の公園において、原告に離婚を申出て、翌朝新聞の配達に出たまま原告は無論前記K等にも無断で○○市に向け○○市を出て途中原告を引取らせる目的で○○○駅において原告の父Aに対し「花子危篤すぐ来い」との電報を打ち、○○市の被告乙郎・同丙子方にもどり、同所から翌日○○市の前記販売管理所にいるであろう原告並びにその父Aにあて「花子離婚する」との電報を打ち、原告の実家並びに仲人であった前記Xにも何も告げずにそのままただちに被告乙郎・同丙子方の家業に従事し二ヶ月程もして始めて被告乙郎の兄である訴外○○○○を介して原告及びその実家に対し離婚届に捺印することを求めたものであり、被告乙郎・同丙子は右被告太郎をその意に従ったものとしてそのまま迎い入れ翌日より従前通り家業に従事せしめ、被告太郎のかかる行為をたしなめることは無論、○○市に残して来た原告及び長男一郎の生活の維持等について被告太郎に注意・助言することもなく、共に原告の実家の処置にまかせて漫然放置したものであり、他面前記○○○駅からの電報を受けた原告の父Aはただちに原告の弟をつれて○○○駅に向い、更に○○市の前記販売管理所に赴き、そこで原告の無事を知ると共に原告が被告太郎から置去られたことを知り、原告及び長男一郎を伴い○○市の家にもどり、ただちに前記Xにその事実を告げ、事後の処理を依頼したが同人より家庭裁判所に調停の申立をなす方が良い旨を告げられた。そこで原告は○○家庭裁判所○○支部に被告太郎等を相手方として離婚並びに慰藉料請求の調停の申立をなしたが、不調に終ったので、原告は昭和三十八年一月十九日に被告等に本訴を提起し、被告太郎も又同年五月七日原告に対し反訴を提起しいずれも離婚を求め、原告は被告太郎との婚姻生活を断念し、被告太郎も又原告との婚姻を継続する意思のないことを表示しているものであり、その間原告及び長男一郎は原告の実家において扶養され、被告太郎は原告の生活費は無論長男一郎の養育費すらも支出していない。前記各証言並びに各本人尋問の結果中以上の認定に抵触する部分はいずれもこれを採用しない。

以上によると、被告乙郎・同丙子が寛容な気持で時間をかけて互に融和し、その人格を尊重しつつ助言して行く様な努力をせず、嫁に来た以上被告等方の家風に服すべきであるとの、夫婦の独立性を無視した態度を固守して原告に接し、注意・指導したことが前記の性格を有する原告の反発を呼び、又これが素直でない等と被告乙郎・同丙子の不満を更に買い、結局同被告等は被告太郎に原告と離婚する様求め、あるいは仲人であったXに離婚せしめる様斡旋することを依頼し、又被告太郎と原告夫婦に干渉するの態度をとりこれにより被告太郎と原告との間の破綻が生じ、助長されたものであり、又、被告乙郎・同丙子は被告太郎が被告乙郎・同丙子の従前からの意思に従い原告及び長男一郎を○○市に残して単身○○市の被告乙郎・同丙子方にもどるや、原告及び長男一郎の生活の維持等の処置について何らの注意・助言をも与えることもなく、かえって自己等の求めに従ったものとして、これをそのまま迎え入れ、従前通り家業に従事せしめることとし、翌日より平然配達等に従事せしめ原告の実家は無論、仲人であったX方にも何らの連絡もせず漫然放置し、結局被告太郎の原告を遺棄する行為に助力したものであるということができる。一方被告太郎は被告乙郎・同丙子の干渉にもかかわらず、被告乙郎・同丙子と原告の衝突をさけるため両親である同被告等と別居するの方法をとり、原告との生活の継続と建設のため○○市に赴くという様な努力もし、又○○市における生活環境の変化・住居の悪条件という様なことのため社会的経験に乏しく都会生活に不慣れな原告が感情の安定をそこない、かつ加えて前記の如き性格であったため原告が他の店員等と紛争を重ね立場上困難な事態におちいったものであったとはいえ、原告の感情的安定・ひいては原告と被告太郎の夫婦仲のためや他の従業員と原告との衝突をなくし、被告太郎の立場を好転せしめるためにアパート等を捜す等して通常の住居を定め住居環境の安定を得る様前記Kからもすすめられたのにもかかわらず、みるべき努力もせず漫然放置したこと、特に事態に対する処置・打開方法に窮した結果原告との離婚を決意したものではあっても、被告乙郎・同丙子の従前のすすめに従い原告及び長男一郎を全然身寄りも知人もない○○市の、しかも自己が無断職場放棄した前記販売管理所において単身○○市の被告乙郎・同丙子方に去り、その途中○○○駅で原告の父Aに宛「花子危篤すぐ来い」との電報を打ち、原告がその実家に身を寄せていることを知っていたのにもかかわらず、自己は帰郷の翌日より家業に従事し平然配達等にも出ていながら原告等を放置し、離婚の同意を求めるのも二ヶ月余を経てからというようなことは強く非難さるべきであり、かかる行為は悪意をもって原告を遺棄したものというべきである。

そして、原告及び被告太郎の間の夫婦関係は前記の経緯並びに右の行為により完全に破綻を来たしたものということが出来るので、原告の被告太郎より悪意をもって遺棄されたとの事由より同被告との離婚を求める本訴請求は理由があるものというべきである。

ところで、被告太郎も又反訴において、婚姻を継続し難い重大な事由があるものとして原告との離婚を求めている。そして、被告太郎と原告との婚姻が前記の事由により既に破綻していることは前記の通りであるが、夫婦間に婚姻を継続し難い重大な事由が存する場合においても、その原因が配偶者の一方にのみ存する場合又はその大部分がその一方に存する様な場合には、その者から右を事由に相手方配偶者の意思に反して離婚を求めることはできないものではあるが(最高裁判所昭和二七年二月十九日・同二八年一一月五日・同二九年一二月一四日判決参照)被告太郎及び原告間の夫婦関係の破綻は前記の如く、その過半は被告太郎及び被告乙郎・同丙子の側に起因するものではあるが、原告の性格・言動による部分も又少くないものがあるので、単にその原因が被告太郎の側にのみ存するもの、又はその大部分が存するものとはいうことが出来ず、加えて原告も又被告太郎との婚姻生活の継続を断念し離婚を求めているものである。そこで被告太郎よりの婚姻を継続し難い重大な事由があるものとして原告との離婚を求める反訴請求も又理由があるものというべきである。

なお原告及び被告太郎の間の未成年の長男一郎は、≪証拠省略≫を綜合すれば、被告太郎によって原告と共に○○市に置去られたものであり、以後は引続き原告のみの養育を受け、現在も原告と共に原告の実家に身を寄せているもので、原告は右一郎に対し強い愛情を持っているものであることが認められるので、右一郎に対する親権者は原告と定めるのが相当と認め、民法第八百十九条第二項により原告を右一郎の親権者と定める。

二、そこで、すすんで原告の被告等に対する慰藉料請求について判断することとする。

前記の如く原告及び被告太郎間の夫婦関係を破綻せしめた原因は、被告乙郎・同丙子において、婚姻生活独立の精神を無視し、互に融和しあう共同生活に必要なもの以上に、嫁に来たからには被告等方の家風に従うべきものとの態度・言動をもって原告に接し、その婚姻生活に干渉し、更にこれに従わぬとの理由をもって、被告太郎に原告と離婚する様求め、もって被告乙郎・同丙子のもとにおける原告と被告太郎の婚姻生活を困難ならしめ、原告及び被告太郎が被告乙郎・同丙子等と別居するや、親をすてたものとし、かかる原因は原告にあるものとしてますますその離婚を求め、干渉の度を加え、○○市内における原告等の婚姻生活をおびやかし、一面被告太郎の原告に対する愛情に動揺をあたえ、原告との離婚を計る様にせしめ、他面原告及び被告太郎をしてついに身寄も知人もない不慣れな都会○○市において悪条件下に生活する様な事態にたちいらしめたことにも起因するものであり、又被告太郎が従前の被告乙郎・同丙子の意に従い原告及び長男一郎を○○市の、しかも自己が無断職場放棄をした前記販売管理所に残し、単身○○市の被告乙郎・同丙子方にもどるや、原告及び長男一郎の生活の維持等の処置について何らの注意・助言をも与えることなく、かえって自己等の意に従ったものとして、これをそのまま迎え入れ、従前通り家業に従事せしめることとし、翌日より平然配達等にも従事せしめ、原告の実家は無論仲人であったX方には何らの連絡もせず放置していたことは、被告乙郎・同丙子も被告太郎の原告を悪意をもって遺棄するの行為に助力したものということができるから、被告乙郎・同丙子は当初のみならず終局的にも原告と被告太郎の婚姻生活を破綻せしめることに関与・助力したものというべきであり従って被告乙郎・同丙子も又原告と被告太郎の婚姻生活を破綻せしめた責任を負うべきであるから、被告等三名は共同して原告に対しその精神的損害を賠償すべき義務がある。しかしながら、原告と被告太郎との婚姻生活が破綻をきたした原因は、その過半は被告等に存するものとはいえ、ただ被告等側にのみ起因するものではない。即ち、前述の如く、原告は高等学校卒業後家業の農業並びに家事の手伝に従事していたのみで、社会生活の経験に乏しく、その性格も他人の注意・意見に素直に服する態度に欠けるところがあり、勝気な点もあるためともすれば自己の判断・考えを固守し反抗的態度を示すこととなり、協調性に欠け、他人の生活に干渉するきらいもないわけではなかったのみならず、被告等の生活に積極的に融和する意欲・行動にも乏しかったため、被告乙郎・同丙子の注意・指導にもともすれば反抗的態度をとりそれが又被告乙郎・同丙子の憤慨を買い、更に干渉を招き家庭内の風波の原因の一つとなったものであり、その後○○市○○町の間借先での紛争も原告のかかる性格によるもので特に○○市においては他の店員等の従業員と紛争を重ねたこと等が被告太郎をして立場上困難な状態に追い込み結局被告乙郎・同丙子の従前の要求に応じ原告との離婚を決意するにいたらしめ、前記の行動をとる動機となったものであるから、右賠償についてもこれらの点を考慮せざるを得ない。そして≪証拠省略≫を綜合すれば、被告等方の家族は被告乙郎・同丙子とその子である被告太郎及び訴外Fと同女の子Sであり、被告乙郎並びに被告太郎等が配達にも従事しながら右Sを除く全員で米穀・肥料・飼料・茶等の販売に従事し年収五十万円程の収益をあげているものであり、その建物及び宅地を所有しているものであること、原告は離婚のやむなき悲境におかれこれがために甚大な精神的苦痛を受け、現在もなおその実家に長男一郎を伴い身を寄せ、何の収入もないことが認められる。そこで前記等諸般の事情を考慮し、被告等が原告に支払うべき慰藉料の額は金二十五万円をもって相当と認められる。従って被告等は連帯して右金員を支払うべき義務がある。

三、よって、原告の本訴請求中の被告太郎に対する離婚請求及び被告太郎の原告に対する反訴離婚請求はいずれもこれを認容し、原告の本訴請求中の被告等に対する慰藉料は金二十五万円の限度においてこれを認容し、その余の請求を棄却し訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条・第九十二条・第九十三条を適用し、仮執行の宣言についてはこれを附さないのを相当と認め、これを附さないこととし、主文の通り判決する。

(裁判官 篠原昭雄)

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