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長野家庭裁判所 昭和52年(家)1158号 審判 1978年3月08日

本籍 中国台湾省新竹県○区○○

住所 広島県東広島市○○町○○番地

申立人 三森きよ子こと陳美英

主文

本件申立を却下する。

理由

(本件申立の要旨)

申立人は、申立の趣旨として、「養子縁組無効につき、長野市○町○○番地三森雄介の改製原戸籍中、孫きよ子の記載を回復したうえ、養子縁組並びに養子縁組により国籍喪失届出事項を消除し、長野市○町○○番地にあらたに戸籍を編成すること」の審判を求め、

その申立の実情として、

1  申立人は申立外三森和夫および同三森良子の三女として、昭和二二年八月七日出生し、同年八月二〇日長野市役所へ届出を終え、祖父三森雄介(本籍長野市○町○○番地)の戸籍に家族として記載された。

2  出生後間もなく、中国に国籍を有する陳光秀同人妻陳英(本籍中華民国台湾省新竹県××区××○○番地)の養子となり、その縁組の届出が昭和二二年一一月四日なされ、同年一一月七日申立人の母三森良子が国籍喪失の届出をした。

3  しかし養父陳光秀の妻は中国戸籍によると李玉令であり、陳英は内縁の妻であつたため、中国においては養子縁組の届出は無効により受理されなかつた。

4  以上の事情により、右養子縁組および国籍喪失の届出は無効であるから申立人の戸籍を回復し、これにともなう必要な訂正を求める。

というにある。

(当裁判所の認定した事実)

本件記録に綴られた養子縁組届謄本、戸籍謄本および家庭裁判所調査官の事件調査報告書、ならびに沢田良子、陳光秀、金英、三森きよ子こと陳美英の各審問の結果を総合すると、

1  申立人は父三森和夫母三森良子(後沢田姓となる)との間の三女として、昭和二二年八月七日長野市○○町において出生した。

2  申立人が出生した時は父和夫は既に死亡していたので、母良子は長男忠を父方の祖父三森雄介方へ託し長女和子、次女信子はそれぞれ他家へ養子に出し、自からは実家の母三橋ちよ方へ帰つて、申立人出産後行商などをして終戦後の困窮した生活を細々と続けていたが、申立人が生後三ヶ月位の頃姉小川ユキ夫婦の仲介により、陳光秀が養子を欲しいと望んでいることを知り、当時の窮状やむおえず、申立人を陳光秀の養子とすることを承諾した。

3  陳光秀は中国台湾省新竹州竹東郡○○字○○××番地に戸籍を有する外国人であるが、昭和一六年台湾省苗粟県○○に本籍を有する李玉令と婚姻し、昭和一八年に李ら妻子を残して日本へ渡航し、その後金英と内縁関係を結び、終戦後長野市○○町において中華料理店を始めたが商売が一応安定したので子供が欲しくなり、前記小川夫婦のあつせんで良子と話し合い申立人を養子として貰い受け、金英とともに養育した。

4  右養子縁組の届出には、養子縁組届書(長野市役所昭和二二年七一〇二号)が作成され、「三森きよ子(昭和二二年八月七日生)を養父陳光秀、養母陳英の養子として養子縁組したから届出る」旨記載し、「養父陳光秀、養母陳英」ならびに「養子きよ子一五歳未満に付之に代わりて縁組の承諾をしたる母三森良子」の各記名と、その各人名下に対応する名義の各印鑑が押捺されている。しかして、右各記名はいずれも申立外小川吉之助の筆跡と推認され、また印鑑については、三森良子名下の三森ときざんだ印鑑は右良子の印鑑で同人がこれを押捺したものであり、陳光秀および陳英名下の各印鑑は、ともに陳光秀の所持する印鑑で同人が各印鑑を右小川に渡し、小川がこれを押捺したもので、陳光秀の意思にそうものであることが確認できる。

5  従つて、代諾権者良子は申立人を陳光秀と金英の養子とする意思を有し、また陳光秀も申立人を養子とする意思を有し、かつ内縁の金英も右養子縁組には異存がなかつたものと認めることができる。

6  しかし、当時台湾に居住していた陳光秀の妻李玉令は、音信不通で意思の疎通を全く欠いていたので、陳光秀が右養子縁組をした事実を全く知らず、さらにその後李玉令は陳光秀を相手に中国新竹地方法院へ離婚の訴を提起し、裁判上の離婚判決確定により、離婚の届出をしている。

7  申立人は右養子縁組によつて国籍を喪失し、陳光秀と金英に養育され陳光秀と名付けられ、金英が病気入院後は、陳光秀は小池幸子と内縁を結び右幸子らの養育を受け、昭和三八年頃外国人登録をし、外国人登録証(登録 No.六六三二五二本籍地台湾省新竹県○区○○、出生地長野市○○町、国籍中国、名前陳美英と記載)を携帯しているが、申立外島田一郎と知り合い昭和四三年八月広島県へ転居、結婚し肩書住居で居住生活しているものである。

8  なお、陳光秀は台湾において現に施行されている中華民国の法律に従う意思を表明している。

以上の事実を認定することができる。

(法律上の判断)

1  申立人は本件養子縁組は無効であるから、右縁組にもとづく申立人の日本国籍喪失の届出もまた無効であるので申立人は日本国籍を回復すべきであると主張する。

2  法例一九条二項によれば養子縁組の効力は養親の本国法によると定める。

ところで養親たる陳光秀(前記養親と表示されている陳英こと金英については後に述べる)の本籍は、前記認定のとおり台湾にあることは明らかであつて、同地域には民国二〇年(昭和六年)施行中華民国親族法が現に効力を有していることが認められる。

ところで現在中国には、中華人民共和国政府と中華民国政府とが対立し、かつその全領域を実効的に支配する統一的な法秩序は存在しないことは顕著な事実であるから、このような現状において、陳光秀の本国法を定めるにあたつては、元来国際私法の目的が渉外的私法生活のそれぞれにもつとも適切な法の適用を命ずることにあるのにかんがみると、その者の身分的生活関係において、いずれの地域に、より密接な関係が存するかという観点から、これを決定すべきを相当と解すべきであるから、その現住所、過去の住所、本籍地などを基準としかつ当事者の意思を考慮してこれを定むべきである。

そうだとすれば、法例二七条三項を類推して、陳光秀が本籍を有し、戦前生育居住した台湾において、現に実効力を有し、かつ右本人がその適用に異議のない中華民国親族法を選択し、本件における準拠法となすべきを正当と考える。

昭和四七年九月二九日の日中共同声明の中で、日本政府は中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認したことは公知の事実であるが、国家または政府の承認は本来国際法上の問題であり、或る社会において一定の法が行われているという事実を否定する根拠とはならないから、右承認は上記準拠法を選定するさまたげとはならない。

3  右中華民国親族法一〇七四条には「配偶者を有するものが子を収養するには、その配偶者と共に、これをしなければならない」と規定している。右配偶者は内縁を含まないこと明らかであるから、陳光秀が当時の内縁金英を「養母陳英」と表示した前記養子縁組届は、たとえ金英に養子縁組をなす意思があつたとしても、配偶者李玉令にその意思を認めることができないこと前記のとおりである以上、右法条に違反し、申立人との前記養子縁組は、縁組の意思ある他方の配偶者である陳光秀についても原則としては無効であるといわなければならないが、しかし、その他方と縁組の相手方との間に単独でも親子関係を成立させることが右中華民国親族法一〇七四条の趣旨にもとるものでないと認められる特段の事情がある場合には、縁組の意思を欠く当事者の縁組のみを無効とし、縁組の意思を有する他方の配偶者と相手方との間の縁組は有効に成立したものと認めることを妨げない。

4  しかるときは、陳光秀とその妻李玉令とは本件縁組届出当時別居し、婚姻共同生活の実体は全くなく、その後裁判離婚しており、陳光秀および申立人の親権者三森(現在沢田姓)良子は李玉令とかかわりなく、陳光秀と申立人間に縁組をする意思を有し、縁組後は申立人は陳光秀およびその事実上の妻金英に乳呑児の時代から養育されて親子として生活をともにし既に成人に達していること、陳光秀と申立人間に親子関係が成立することは他の配偶者李玉令の意思に反するものとはいえないことなどの前記認定の事実関係のもとにおいては、陳光秀と申立人間においてのみ縁組を有効とする特別の事情が存在するものと認めるを条理上相当とすべきである。

5  そうだとすれば、申立人は台湾人陳光秀との養子縁組により日本国と中華民国との間の平和条約の発効(昭和二七年八月五日)によつて日本の国籍を離脱するにとどまらず当然に台湾に属すべきものとしての法的地位を取得するものと解すべきであるから(最高裁判所昭和三七年一二月五日大法廷判決刑集一六巻一二号一六六一頁、同昭和四〇年六月四日第二小法廷判決民集一九巻四号八九八頁各参照)

結局、申立人の縁組無効を原因とし、かつ国籍喪失は無効とする本件各戸籍訂正の申立はいずれも不適法であるのでこれを却下する。

(もつとも、申立人は、もともと出生当時から内地戸籍に在つた者が台湾人との縁組により前記のとおり外国人となつた者であるから、国籍法六条のいわゆる簡易帰化の対象者となる場合に該当し、またこの方法によつて日本国籍を回復するを正当と考える)。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 林田益太郎)

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