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長野家庭裁判所諏訪支部 平成23年(家ホ)1号 判決 2012年5月31日

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は,原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求

平成20年4月4日長野県諏訪市長に対する届出によってなされた亡A(本籍長野県諏訪市cd丁目e番地)と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。

第2事案の概要

1  本件は,亡A(大正12年●月●日生)の次女である原告が,亡Aとその三女のDの夫である被告との養子縁組(以下「本件縁組」という。)は,亡Aに意思能力又は縁組意思がなく無効であるとして,本件縁組の無効確認を求める事案である。

2  前提事実

(1)  亡AとB(平成16年●月●日死亡。以下「亡B」という。)との間には,長女C,二女原告(昭和27年●月生),三女D(昭和29年●月生)の3人の実の娘がいる。(甲1~甲3)

(2)ア  亡Bが死亡するまで,亡Aは,亡Bと共に,別紙物件目録1,2記載の各土地(以下「本件各土地」といい,個別に「本件土地1」などという。上の同目録3記載の建物(以下「本件建物」といい,本件各土地と合わせて「本件各不動産」という。)で生活していた。(甲26の1)

イ  亡B死亡当時,本件土地1は,亡Bの所有,本件建物は,亡Bと原告の共有(持分は,亡Bが10分の7,原告が10分の3)であったが,亡Bの死亡により,亡Aが本件土地1及び本件建物の亡Bの持分を相続した。(甲5,甲7)

亡B死亡当時,本件土地2は,E家の親戚名義となっていたが,平成17年7月11日,亡Bの占有による昭和21年2月27日時効取得を原因として,亡A名義とする移転登記がされた。(甲6,証人F)

なお,亡B死亡当時,本件建物の隣には,亡Bの妹であるGが居住する建物(以下「H家建物」という。)があり,同建物は,本件各土地上にあって,Gは,本件各土地を無償で利用していた。(弁論の全趣旨)

(3)  平成17年5月,亡A(当時82歳)は,I大学医学部附属J病院(以下「J病院」という。)を初めて受診し,アルツハイマー型認知症と診断された。(甲20)

(4)  平成18年10月,Dは,被告(昭和25年●月生)と婚姻し,E姓から被告のK姓に改姓した。(甲2)

(5)  平成20年4月4日,長野県諏訪市長に対し,亡A(当時85歳)を養親,被告を養子とする本件縁組の届出(甲30。以下「本件縁組届」という。)がされた。(甲1,甲2,甲30)

(6)  同月11日,同月8日贈与を原因として,亡Aから被告に対し,本件各土地について所有権移転,本件建物について持分全部移転の各登記がされた(以下この贈与を「本件各贈与」といい,これに基づく登記を「本件各登記」という。)。(甲5~7)

(7)  平成22年●月●日,亡Aは,死亡した(享年87歳)。(甲1)

3  争点及び争点に関する当事者の主張

本件縁組は無効か

(原告の主張)

(1) 意思能力の欠如

亡Aには,本件縁組当時,認知症で判断能力がなかった。

ア 介護保険の認定情報(甲4の1)及び認定調査票(甲4の2)の記述

本件縁組の直前に調査が行われた介護保険の認定情報(甲4の1)及び認定調査票(甲4の2)の記述から推認される亡Aの判断能力の程度からは,養子縁組の意味について正確な理解をした上で意思決定することは不可能である。

イ 各医療機関の診断書等

亡Aは,平成17年には,日常生活の中で認知症の症状が明確になってきて,J病院を受診し,認知症の診断を受けている。

その後に掛かった医療機関でも,亡Aが認知症であることは常にカルテ・診断書に記載されている。認知症は,現在の医学では,服薬等の治療を行っても治ることはなく,症状は進行する。これらのことから,亡Aの認知症は,本件縁組当時,相当程度進行していたと考えられる。

ウ 平成20年9月に原告らと会った際の亡Aの様子からも,相当に認知症が進行していたことがうかがわれた。

(2) 縁組意思の不存在

本件縁組は,亡Aの真意に基づく養子縁組とはいえず,無効である。

ア 亡Aには養子縁組を行う動機が存しない。

亡Aには,実子が3人いて孫もいるので,被告と養子縁組を行う必要はない。また,本件縁組当時,被告とDの再婚から1年半程しか経っておらず,亡Aと被告とはそれほど深く知り合っていない。その程度の間柄である被告と養子縁組する理由は考えられない。

イ 誰にも相談・報告もしないという不自然な経緯

亡Aは,本件縁組について,原告はもちろん,隣家のG・その娘であるFやそれ以外の近くに住む親族にも全く相談していないし,報告もしていない。また,被告の方も実の母親に相談もしていない。

本当に養子縁組して親子の関係を築こうと考えるのであれば,双方が最も近い親族にさえ何も相談せずに養子縁組届を出すことはあり得ず,逆に隠して届出をしたというのは非常に不自然な経緯といえる。

ウ 被告らが亡Aを隔離して親族や友人との接触を断ったこと

被告とDとは,亡Bの一周忌の直後から,亡Aを本件建物からXの被告の自宅に連れて行って,原告やH家との連絡を絶つという不自然な行動を取っている。

これらの行動から,被告は,亡Aを親族,知人,友人から隔離して縁組に反対されないようにした上で,書類に署名をさせたのではないかと推測される。

(被告の主張)

(1) 意思能力について

本件縁組当時,亡Aには十分な判断能力があった。

ア 専門家の意見等

(ア) 亡Aは,平成18年から平成20年にかけてL司法書士の事務所へ相談に行った際,自分の意見をしっかりと言っており,Dに本件各不動産の所有権を移転すると連帯債務のせいでその所有権を失ってしまうことを理解していた。

また,L司法書士は,亡Aについて,本件各不動産の名義を被告に変えることについて良く理解しており,認知症と全く気付かなかったと述べている(乙6)。

(イ) 亡Aの主治医であったM診療所のN医師は,亡Aについて,本件縁組の直前の時点で「会話一見正常,短期記憶に問題ない」との意見書(甲4の3)を作成し,その後,平成20年1月から同年8月までの間「会話は疎通性良好,普通の理解力を示していた」と診断している(乙4)。

イ 原告及びFは,平成20年9月23日に亡Aと話をした際,亡Aの認知症は相当進行していた旨供述するけれども,これは亡Aの態度を原告らが都合良く解釈したものにすぎず,到底信用できない。

Fは,被告が長野地方裁判所諏訪支部に提起し,現在も係属中である平成22年(ワ)●号建物収去土地明渡請求訴訟(以下「別件訴訟」という。)の被告であるGの娘であり,被告が収去を求めているH家建物はFが生まれ育った自宅であって,別件訴訟では本件各贈与の有効性が争われており,亡Aの認知症の程度も争点となっているのであって,Fは本件訴訟の結果に強い利害関係を有しているため,その証言の信用性は慎重に判断する必要がある。

(2) 縁組意思について

本件縁組は,亡Aの真意に基づくものである。

ア 本件縁組に至る経緯

亡Aは,原告及びOを恐れてDに助けを求め,Dと一緒に被告の家で生活するようになり,本件各不動産について自分の面倒を見てくれているDにこれを譲りたいという気持ちから所有権移転請求権仮登記をするなどしたが,本件各不動産の所有権をDに移しても原告が延滞しているマンションのローンに関するDの連帯債務が現実化すれば処分せざるを得なくなることが分かった。

亡Aらが,L司法書士に相談したところ,被告がDと結婚して義理の息子になっていたこと等から,被告と養子縁組をした上で本件各不動産を同人に贈与することを勧められたため,本件縁組が実行されたものであって,本件縁組に至る経緯に何ら不自然な点はない。

イ 本件縁組の届出の状況

亡Aは,被告及びDと共に実際に諏訪市役所へ行き,市役所職員から「本当の親子になるんですよ」と,養子縁組の意味を説明された上で,その場で,養子縁組届の養親欄に自ら署名・押印しているのであるから,本件縁組届の作成・届出に不自然な点はない。

ウ 亡Aは,本件縁組後,「息子ができた」と喜んでおり,L司法書士も,本件縁組を亡Aらに提案した後,Dから「亡Aが『(被告が)子どもになれば嬉しいね』と言って大変喜んでいた」という話を聞いている。

エ 原告は,原告やH家等の親族の誰にも事前の相談していないのは不自然である旨主張,亡Aは,原告及びOの行動から,本件各不動産を狙っているのではないかと心配していた。相談した弁護士からも原告やOに接触しないようにとアドバイスを受けていたのであって,原告に相談や報告をしていないのは何ら不自然ではない。その他親族に相談していないのも,原告に伝わることを恐れたからにほかならない。

第3当裁判所の判断

1  認定事実

前記前提事実に,証拠(甲1~甲26,甲29,甲30,乙1~乙6,乙8~乙11,証人F,原告本人,被告本人。書証についてはいずれも枝番を含む。)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められ,括弧内の証拠中この認定に反する部分は採用することができず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(1)  亡Aが本件建物で生活していたころ(平成16年3月~同年秋)

ア 亡Bの死亡(同年●月●日)後,亡Aは,本件建物に一人で生活するようになった。

イ 亡Bの死亡当時,埼玉県X市に原告とDの共有のマンション(以下「Xマンション」という。)があった。持分は,原告が5分の4,Dが5分の1であったが,実際に居住していたのは,Dとその息子夫婦であった。

Xマンションのローンは,原告とDの連帯債務となっていた。実際には,Dが引き落としになる原告の口座に毎月一定額を振り込み,残りを原告が支払って分担していた。

ウ 同月18日及び同月22日,亡Aは,合計約263万円の定額郵便貯金を解約して払い戻した。

エ 同年7月ころから,原告は,給料が下げられたことで,Xマンションのローンの返済に窮するようになった。そのころのローンの返済は,月額約13万5000円,ボーナス月(7月,1月)約47万円であり,Dは,引き落としになる原告の口座に毎月10万円程度を振り込んでいた。

そのころ,亡Aの定額郵便貯金約70万円が解約・払戻しされている(その定額郵便貯金証書(甲9の5)の筆跡が亡Aのものであるとは断定できない。)。

オ そのころ,原告は,O(Oの素性は知れず,後述するとおり,弁護士を語った偽者との交友もうかがわれる。)からいろいろとアドバイスを受けており,Oと共に,亡Aを連れて数回程度旅行に行ったこともあった。

(2)  亡AがXマンション等で生活していたころ(平成16年秋~平成17年3月)

ア 平成16年秋まで,亡Aは,本件建物に一人で生活していたが,そのころから物忘れがひどくなり,徘徊や頻回の電話等の行為が出現するようになったこともあって,XマンションでDと生活するようになった。

イ 同年12月ころ,Dの息子夫婦は,原告及びOから再三にわたり,電話で責められるなどしたため,Xマンションから出て行った。

ウ 同月●日,被告の妻は,癌で死亡した。被告の妻とDとは友人で,家族同士の交流もあり,被告とDも以前から交流があった。Dは,被告の妻の通夜・葬儀に参列した。

エ 平成17年●月●日,被告の前妻の誕生日であり,被告が一緒に前妻を偲びたいとDを誘い,食事を一緒にした。そのことをきっかけに,被告とDは交際するようになった。

オ 同年2月ころ,息子夫婦に続いて,Dも,原告及びOから,電話でマンションを出て行くよう言われ,亡Aを連れて,Xマンションを出て,離婚した夫の家などを転々とするようになった。

そのころ以降,原告は,Xマンションのローンを延滞している。

カ 同年3月12日,亡Bの一周忌法要が行われ,原告,亡A及びDも出席した。

その際,原告は,Oの知り合いである弁護士からということで,供物・供花を持ってきた。それに付けられた紙には「全国弁護士会会員 東京都V法律事務所」と書かれていた。

キ(ア) 同月下旬ころ,原告は,会社を解雇された。

そのころ,原告は,Dに対し,メールで,Xマンションの持分を放棄する旨の文書の提出を求めたり,亡Aに大至急連絡するよう伝えた。そのメールには,連絡がないと亡Aが本件各不動産,お金を全部失うことになる,脅しではなく,本当に大変なことになる,本件各土地に測量の人が行ったが誰もいなかった,責任はDが取るように,多分最終的には裁判になるので覚悟するようにといった亡A及びDに対する脅しめいたことも記載されていた。

実際そのころ,上記メールに記載されているように,原告及びOは,本件各土地について測量のようなことをしており,亡Aも隣人から原告及びOのそうした行動を聞いていた。

(イ) 一方でそのころ,亡Aは,約200万円の定額郵便貯金を解約し,払い戻している。

(3)  亡Aが被告賃貸住宅で生活していたころ(平成17年4月~同年11月)

ア 同年4月ころ,DがXマンションを出た経緯や元夫の家等を転々としていることを被告に話したところ,被告がその居住する埼玉県X市fの公団の賃貸住宅(以下「被告賃貸住宅」という。)に亡Aと一緒にしばらく住んではどうかと申し出,それを契機に,被告,D及び亡Aは,同居して生活するようになった。

イ その当時,被告は,Qの正社員として平日は勤務していた。被告,D及び亡Aは,D及び亡Aの要望もあり,被告が車を運転して,ほぼ毎週末長野県諏訪市の本件建物を訪れるようになった。

ウ 同年5月,亡Aは,短期記憶に疑問を抱いた被告の勧めもあって,Dに連れられ,J病院を初めて受診した。

その際,長谷川式簡易知能評価スケールテストにおいて得点20点と痴呆の結果(21点以上が非痴呆)が出たこと,頭部CT検査の結果,脳表の萎縮が確認されたことから,アルツハイマー型認知症と診断された。そして,認知症の治療薬であるドネペジル塩酸塩(アリセプト)が処方され,経過観察とされた。

エ(ア) 同年7月11日,亡Aは,本件土地2につき,従前から自己の名義に変えたいと考えていたところ,Dの助けも借りて,W弁護士に依頼し,裁判を経た上で,前提事実イのとおり,移転登記を実現した。

(イ) その相談の際,亡A及びDは,W弁護士に対し,前記キの原告からの亡A及びDに対する脅しめいたメールや,原告及びOが本件各土地について測量のようなことをするなど不穏な動きを見せていることも合わせて相談したところ,W弁護士から本件各不動産につきDへの売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記をすることを助言され,同年8月9日,その登記をした。

その際,W弁護士は,亡A及びDに対し,亡Bの一周忌に原告が持ってきたOの知人の弁護士からという供物・供花に付けられた紙を見て,「全国弁護士会」なる会は存在せず,弁護士を語った偽者と思われ,そういったことからもOは怪しいので,原告やOに接触しないよう助言した。

オ 同月末ころまで,DとFとの間で,メールのやり取りがあった。

カ 同年9月,亡Aは,約54万円の定額郵便貯金を解約して払い戻している。

キ 同年10月,亡Aは,簡易保険の死亡受取人をDへ変更した。

(4)  亡AがRで生活していたころ(平成17年11月~平成20年8月)

ア 平成17年11月まで,亡Aは,被告賃貸住宅で生活していたが,そのころ,長野県●市のRという住宅型有料老人ホームに入居した。

Dと被告は,引き続きX市の賃貸住宅に居住し,週末,Rの亡Aを訪ねるようになった。

イ 同月11日付け亡AのJ病院での主治医であったS医師の主治医意見書(甲23の1)には,亡Aについて,以下のとおりの記載がある。

(1) 認知症である老人の日常生活の自立度   Ⅱa

(2) 短気記憶                問題あり

(3) 意思決定を行うための認知能力      いくらか困難

(4) 意思の伝達能力             いくらか困難

(5) 問題行動の有無             無

ウ 同月21日,亡AがDに対し,本件各不動産を含む預貯金及び現金等全財産をDに相続させ,祭祀承継者・遺言執行者としてDを指定する旨の公正証書遺言(乙3)が作成された。

そのころ,Fは,D及び被告と会って話をする機会があった。

エ 同年12月13日,亡Aは,長野県●市のM診療所に通院するようになった。

J病院では,アリセプトが処方されていたが,転医してからは,認知症の治療薬が処方されることはなかった。

オ 平成18年1月ころ,DがGを誘い,D,G,亡A及び被告の4人で食事をした。

カ 同年春ころ,Dと被告は,L司法書士の事務所を訪れ,本件各不動産の名義を亡AからDに変更することについて相談した。

その際,L司法書士は,DがXマンションのローンにつき連帯債務を負っていることやローンが延滞しており督促がDの下にも来ていることを聞いて,本件各不動産を失ってしまう可能性があるので,名義を変えない方がいいとアドバイスした。

キ 同年4月,Dが,亡Aの代理人として,約303万円の定額郵便貯金証書を解約して払い戻している。

ク 同年6月,原告は,Xマンションのローンの期限の利益を喪失した。

ケ 同年10月,前提事実のとおり,Dは,被告と婚姻し,被告のK姓に改姓した。

コ 平成19年12月11日,Xマンションに関して,担保不動産競売開始決定がされ,その後売却されたが,それでも1000万円以上の負債が残った。

サ 平成20年ころから,Dと被告は,L司法書士の事務所に訪れ,本件各不動産の名義変更について相談した。同年4月2日まで,全部で5~6回訪れ,亡Aも数回一緒に行った。

その際,L司法書士は,Xマンションのローンの連帯債務の残額が大きく,請求されれば自己破産せざるを得ないので,Dには本件各不動産の名義を変更しない方がよいこと,被告に名義変更するのはよいが,贈与税が問題になること,亡Aと被告が養子縁組すれば,相続時精算課税制度が使えること等を助言した。

シ 同年2月ころ,D及び被告は,被告賃貸住宅から本件建物に住民票を移した。

ス 同年3月,被告は,Qを役職定年で退職した。

セ 同月19日,亡Aの介護認定のための調査がされた。その結果は,以下のとおりであった。

(ア) 認知症高齢者の日常生活自立度    Ⅱb(物忘れが激しくその場の話は調子を合わせられるが,ちぐはぐなことを言ったり,他者とのトラブルがある。理解や判断力が低下し生活には見守りが必要)

(イ) 金銭管理                 全介助

(ウ) 意思の伝達               ときどきできる

(エ) 短期記憶                 できない

(オ) 今の季節を理解            できない

(カ) 暴言暴行                 ある

(キ) ひどい物忘れ              ある

ソ 同年3月25日付け亡Aの主治医であったM診療所のN医師の意見書(甲4の3)には,亡Aについて,以下のとおりの記載がある。

(ア) 認知症高齢者の日常生活自立度   Ⅱa(家庭外で,日常生活に支障を来すような症状・行動や意思疎通の困難さが見られても,誰かが注意していれば自立できる)

(イ) 会話一見正常

(ウ) 日常の意思決定を行うための認知能力 いくらか困難

(エ) 自分の意思の伝達能力           伝えられる

(オ) 認知症の周辺症状              なし

なお,N医師は,平成22年2月,亡Aについて,平成20年1月から同年8月までの診療期間中,精神的機能としてやや認知症の傾向,記銘力不良はあったが,会話は疎通性良好,普通の理解力を示していたことを認める旨の診断書(乙4)を提出している。

タ 平成20年4月3日,被告,亡A及びDは,一緒に諏訪市役所に行って,養子縁組届の用紙をもらい,市役所職員から「本当の親子になるんですよ」という説明を聞いた上で,その場で必要事項を記載し,署名・押印をした。

もっとも,養子縁組の届出には2名の証人が必要であったため,被告,亡A及びDは,記入した養子縁組届を持ち帰り,L司法書士等に証人として署名・押印をもらった上で,同月4日,本件縁組届を諏訪市役所に提出した。

チ 同月11日,本件各贈与を原因として,亡Aから被告に対し,本件各登記がされた。

その際,L司法書士が,Rの亡Aに電話を掛け,本人確認をし,被告への名義変更について確認したところ,亡Aは,全部聞いているからよろしくお願いしますと答えた。

ツ 同月末,被告及びDは,被告賃貸住宅を引き払い,本件建物に転居した。

テ D及び被告は,同年5月,飲食店の経営,介護サービス業務等を目的とする株式会社T(以下「T」という。)を設立した。

そのころ,被告は,Gに対し,E姓に改姓したこと,本件各不動産を亡Aから承継したこと,本件建物をTの事業のために改修することなどを伝えた上で,H家建物からの立ち退きを要求し始めた。

(5) 亡AがRを退所した後の経緯

ア 平成20年8月ころ,亡Aは,Rを退所し,本件建物で被告及びDと3人で生活するようになった。

イ 同年9月ころ,Dが脳梗塞で倒れて入院した。

ウ 同月中旬ころ,被告,D及び亡Aは,●市の古民家を改修したU荘に転居した。

エ 同月23日,被告及び亡Aは,本件建物に荷物を取りに来た際,H家建物に来ていた原告と偶々会った。その際,原告,F,Gは,H家建物で亡Aと面会した。面会中,亡Aが,自分から積極的に話すことはなかった。

オ 同年12月,原告は,U荘で亡Aと面会した。

カ 平成21年2月,原告は,被告及びDに対し,亡Aとの面会を妨害しないよう当庁に調停申立てをした。

キ 同年6月,原告と被告及びDとの間で,条件付で原告と亡Aとの面会を妨げない旨の調停が成立した。

ク 同年9月,原告は,上記調停に基づき,亡Aと面会した。

その後も1回,原告は,上記調停の条件に基づかずに,被告及びDが不在の間に,亡Aと勝手に面会したことが1回あったが,その後は,被告及びDから上記調停の条件違反等を理由に面会を断られた。

ケ 平成22年●月●日,亡Aが死亡し,Dがその旨原告に留守番電話で伝えたが,原告は葬儀等には出席しなかった。

コ 平成23年4月28日,Tは,同居の家族である亡Aに訪問介護を提供し,不正に介護報酬を請求・受領した等の理由で,介護事業者としての事業所指定を取り消され,同日,解散・清算登記をした。

2  亡Aの意思能力の有無

(1)  亡Aは,本件縁組当時,85歳と高齢であり,平成17年5月,J病院においてアルツハイマー型認知症と診断され,本件縁組直前の平成20年3月の介護認定のための調査においても,認知症高齢者の自立度Ⅱb(理解や判断力が低下し生活には見守りが必要),意思の伝達 ときどきできるといった指摘がされていることから,本件縁組に関して亡Aの意思能力の有無が問題になるので,以下検討する。

(2) この点,養子縁組をなすについて求められる意思能力ないし精神機能の程度は,格別高度な内容である必要はなく,親子という親族関係を人為的に設定することの意義を常識的に理解しうる程度であれば足りると解されるところ,以下のとおり,亡Aの認知症は,診断当初は,軽度のものであったところ,その後本件縁組までの間,どの程度進行したかに関する情報が少なく,本件縁組直前の主治医の意見では,同時期の介護認定のための調査結果よりも軽度の評価に留まること,本件縁組及び本件各贈与に関わった司法書士も亡Aについて本件各不動産の被告への名義変更に関してよく理解していたと述べていること,本件縁組届の記載から特段不自然な点はうかがわれないことに鑑みれば,本件縁組当時,亡Aに養子縁組をなす意思能力がなかったとまでは認めることはできない。

ア 亡Aの認知症は,J病院で認知症と診断された平成17年5月当時,長谷川式簡易知能評価スケールテストにおいて得点20点とぎりぎり痴呆との結果が出たにすぎず,認知症の初期の段階と評価され,同年11月の同病院の主治医の意見書作成時点でも,認知症である老人の日常生活の自立度Ⅱa,意思決定を行うための認知能力・意思の伝達能力のいずれもがいくらか困難といった程度にすぎなかった。

イ 原告が指摘するように認知症は,治ることはなく,症状は進行する(甲28)が,J病院での診療後,本件縁組までの間,亡Aの認知症がどの程度進行したかに関する情報は少なく(特に,亡Aが平成17年11月から平成20年8月まで過ごしたRでの情報に期待されたが,廃棄済みとして契約書以外の資料の提供を受けられず,送付嘱託が不奏功に終わってしまった。),これを推量することが困難である。

ウ 本件縁組直前の主治医の意見では,認知症高齢者の日常生活自立度Ⅱa,日常の意思決定を行うための認知能力 いくらか困難,自分の意思の伝達能力 伝えられるであり,同医師は,その後,本件縁組・本件各贈与前後の亡Aについて,会話は疎通性良好,普通の理解力を示していた旨の診断書も提出しており,同時期の介護認定のための調査の評価と食い違うなど,亡Aの認知症の程度に関する専門家の評価が分かれている。

仮に,本件縁組当時の亡Aの認知症高齢者の日常生活自立度をⅡbと判定するのが相当であるとしても,証拠(甲4の3,甲23の1)によれば,同判定基準は,Ⅰ,Ⅱa,Ⅱb,Ⅲa,Ⅲb,Ⅳ,M(順に重くなる。)と段階があることが認められ,より重い判定もあるのであって,上記判定は養子縁組をなす意思能力の認定に直ちに結びつくものではない。

エ L司法書士は,本件縁組及び本件各贈与の前に,2度ほど亡Aと会っているが,本件各不動産の名義を被告に変えることについてよく理解しており,認知症と全く気付かなかったと述べている(乙6)。

この点,L司法書士は,専門家であり,本件と何ら利害関係がなく,登記義務者の意思や能力に疑問を感じて登記申請の代理を拒否したことが10件ほど,登記義務者について成年後見の申立てをしたことが3件ほどあるというのであって(乙6),その供述の客観性は高い。

オ 定額郵便貯金証書等(甲9の1~4,甲9の6~8)の亡Aの署名と本件縁組届の亡A署名部分とを対照すると,その筆跡は酷似していることが肯認できること,弁論の全趣旨によれば,原告も本件縁組届の署名が亡Aの自筆のものであること自体を積極的には争ってはいないと解されることによれば,本件縁組届の亡Aの署名部分は亡Aの自署によるものと認められ,その他の養親欄の生年月日,住所,本籍等の記載も筆跡から亡Aによるものであることが推察されるところ,本件縁組届の記載自体には,認知症の顕著な進行をうかがわせるような不自然な記載は特段見当たらない。

(3)  原告の主張について

ア 原告は,証人F及び原告の供述を根拠に,平成20年9月23日,原告及びFらが亡Aと会って話をした際,亡Aが実子である原告のことすら分からなくなっていた,亡Bの写真を見ても誰なのか分からない様子で,原告らとの会話においても相当に認知症が進行していたことがうかがわれたのであり,このことは本件縁組当時,亡Aに意思能力がなかったことの証左である旨主張する。

イ しかしながら,各供述を詳細にみると,証人Fは,亡Aが自分のことをはっきり覚えてくれていなかった,ほかの人のことも同じようによく分かっていなかった,原告についてもよく分かっていない感じだったように思う,亡Aが積極的に自分から話すことはなく,表情も乏しかったと述べるにすぎず,原告も,亡Aに「私のこと分かる?」と聞いたところ,亡Aが「分かると思うよ」と答えたが,分かっていなかったと思う,ほかの人のことも分からなかったと思う,亡Aが亡Bの写真に興味を示さなかったと述べるにすぎない。

これによれば,証人F及び原告の供述内容は,いずれも曖昧かつ抽象的であり,多分に主観が入ったものといわざるをえない。

また,証人Fは,本件訴訟の帰趨について,被告が指摘するような利害関係を有しており,その供述は,純粋な第三者の供述のものとはいい難い。

ウ してみれば,証人F及び原告の供述によっても,平成20年9月23日当時,亡Aの認知症がどの程度進行したかを推量することは困難であり,上記原告の主張は,本件縁組当時の亡Aの意思能力に関する当裁判所の前示判断に影響しない。

(4)  したがって,本件縁組当時,亡Aに養子縁組をなす意思能力がなかったとまでは認めることはできない。

3  亡Aの縁組意思の有無

(1) 以下のとおり,本件縁組届は真正に成立したものと認められ,亡Aが本件縁組について届出意思を有していたと推定されること,亡Aには本件縁組の動機が認められ,経緯も首肯できること,本件縁組及び本件各贈与に関わった司法書士の供述等に鑑みれば,亡Aに本件縁組につき縁組意思がなかったとまでは認めることはできない。

ア 本件縁組届の作成の真正及び届出意思の存在

本件縁組届の亡Aの署名部分は亡Aの自署によるものと認められるから,本件縁組届は真正に成立したものと認められ,これにより,亡Aは,本件縁組について届出意思を有していたと推定される。

イ 本件縁組の動機が認められ,経緯も首肯できること

(ア) 被告は,亡Aからして,実の娘の夫,すなわち,義理の息子にあたり,本件縁組までの間,約7か月ではあるが,亡Aとも同居していた時期がある上,亡AのR入所後も亡Aと継続的な交流があった。

(イ) 亡Aが認知症と診断されて間もないころ,亡AからDに対し,売買予約を原因として本件各不動産の所有権移転請求権仮登記がされたり,全財産をDに相続させる旨の公正証書遺言がされているが,養子縁組をなす意思能力について既に判断したのと同様に,それらに関して亡Aに意思能力がなかったとまでは認めることはできず,上記各行為が亡Aの真意ではないことを認めるに足りる的確な証拠もない(Dが亡Aを引き取って面倒を見ていたこと等からすれば,動機も認められる。)から,亡Aは,その当時,本件各不動産を含む全財産をDに承継させる意思であったと認めるのが相当である。

そして,亡Aは,その後,L司法書士から,Xマンションのローンの連帯債務があるので,Dには本件各不動産の名義を変更しない方がよいこと,被告に名義変更するのはよいが,贈与税が問題になること,亡Aと被告が養子縁組すれば,相続時精算課税制度が使えること等を助言されたため,Dの夫である被告に本件各不動産を取得させることで実質上Dに承継させるべく,本件縁組及び本件各贈与をなしたと考えれば,従前の行為との整合性が認められる。

このように,被告が主張する本件縁組に至った経緯は,認知症と診断されて間もないころの亡Aの意思との連続性が認められ,十分首肯できるものである。

(ウ) これらによれば,亡Aには本件縁組の動機があったと認められ,経緯も首肯できる。

ウ L司法書士は,亡Aが本件各不動産の名義を被告に変えることについてよく理解していたと述べている上,Dから本件縁組について亡Aが「(被告が)子どもになればうれしいね」と言って大変喜んでいたという話を聞いた,本件各登記をする際,電話で亡Aの意思確認もできたとも供述しており(乙6),それら供述の客観性が高いことは既に述べたとおりである。

(3)  原告の主張について

ア 原告は,亡Aが本件縁組及び本件各贈与について原告はもちろん,隣家のGやF,それ以外の近くに住む親族等に全く相談していないのは不自然である旨主張する。

しかしながら,原告からの亡A及びDに対する脅しめいたメールの存在,原告及びOが本件各土地につき測量のようなことをするなど不穏な動きを見せていたこと,相談した弁護士から,Oは怪しいので原告やOに接触しないよう助言されていたこと等によれば,本件縁組及び本件各贈与について亡Aが原告に相談・報告していないことをもって,それほど不自然とはいえない(本件各不動産に関するDへの売買予約を原因とする所有権移転請求権仮登記やDに全財産を相続させる旨の公正証書遺言は,本件各不動産をDに承継させる旨の亡Aの意思表明であるとともに,原告及びOに対する警戒感の顕れとも解される。)。

また,証拠(原告本人,被告本人)及び弁論の全趣旨によれば,亡AとGとの関係は必ずしも円満とはいい難いものであったことがうかがわれること等からすれば,亡AがGら親族に本件縁組及び本件各贈与を相談・報告していないことをもって,不自然・不可解極まりないとまではいえない。

イ 原告は,被告及びDが亡Bの一周忌の直後から,亡Aを隔離して親族や友人との接触を断ったと主張する。

しかしながら,Dと亡Aが被告賃貸住宅に移り住んでからも,DとFは,メールのやり取りをしたり,会って話したりもしているし,DがGを誘ってD,G,亡A及び被告の4人で食事をしたこともあるのであって,本件縁組までの間,被告及びDが亡AをG・Fら親族から積極的に隔離したという評価はできない。

また,原告(及びその背後のO)と亡A及びDとの間には,上記アのとおり確執があったことによれば,本件縁組及び本件各贈与までの間,被告及びDが亡Aの居場所等を原告に伝えなかったことをもって,被告及びDに邪な意図があったと推認するのは相当でない。

ウ(ア) 原告は,平成16年3月から平成18年4月にかけて亡A名義の貯金約890万円が全額引き出されているところ,亡Aは亡Bの死亡後遺族年金を受給しており,生活費に困ることはなく,引き出された金員は,被告らの生活費や,被告らが設立したTの開業準備・運営資金として使用されたものと考えられ,そうしたことから本件縁組及び本件各贈与は,被告及びDが亡Aの意思に基づかず,亡Aから本件各不動産を侵奪する目的で行ったかのように主張する。

(イ) しかしながら,平成16年3月と同年7月の合計約332万円の引出金については,亡AとDが同居していた時期のものではなく,Dの関与をうかがわせる証拠もないのであって,その使途は全く不明である(同年3月の約262万円については,時期的に亡Bの死亡直後であり,葬儀関係費用に使われたことも考えられる。)。

(ウ) また,Dらと亡Aが同居して以降の引出金についても,一部亡Aの代理人として解約・払戻しにも関与しており,ある程度事情を把握していると思料されるDが脳梗塞後の後遺症により,事情聴取や尋問に耐えられない(乙7,被告本人,弁論の全趣旨)とのことで,その供述が得られないこともあって,その詳細は不明である。

ただ,本件土地2の移転登記,所有権移転請求権仮登記,公正証書遺言作成に相当の費用が掛かっていること,Rの入居費用として高額の費用が掛かっていることがうかがわれるのであって,相応の部分がそれらに充てられていると思料され,仮に一部D及び被告の生活費に充てられたものがあったとしてもそれほど高額とは思われない。

しかも,平成17年3月,同年9月の解約・払戻しについては筆跡(甲9の6~8)から亡Aが自ら行ったものと思料され,亡Aの意思に基づくものと認められる。平成18年4月の解約・払戻しについては,委任状(甲9の12)の筆跡は亡Aのものとは異なるようにも思われるが,上記のとおりRの費用等に充てられたことがうかがわれること,平成17年11月には,全財産をDに譲る旨の公正証書遺言がなされていることによれば,その解約・払戻し及び使途が亡Aの意思に基づかないことが明らかとはいえない。

(エ) さらに,貯金の解約・払戻しの時期とTの開業とは時期を異にし,その開業準備・運営資金として使用されたことはうかがわれない。

(オ) してみれば,原告の主張は,その前提を認めるに足りず,採用できない。

(カ) なお,原告は,被告及びDがTの事業のために,本件各不動産を利用したり,同居の家族である亡Aに訪問介護を提供し,不正に介護報酬を請求・受領するなどしていたことを指摘するけれども,D及び被告は,亡AのR退所後,実際に亡Aと同居し,面倒を見て,その最期を見とってもいる(因みに,亡Aの長女Cは,亡Aについて,D及び被告に手厚い介護を受けて,安らかでよい死を迎えたと納得している。乙8の2)のであって,原告の指摘する一面をもって,本件縁組及び本件各贈与は被告及びDが亡Aの意思に基づかず,亡Aから本件各不動産を侵奪する目的で行ったものと推認することはできない。

エ 原告は,そのほかにもるる主張するけれども,いずれも縁組意思に関する当裁判所の前示判断を覆すに足りるものではない。

(3)  したがって,亡Aに本件縁組につき縁組意思がなかったとまでは認めることはできない。

4  よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。

長野家庭裁判所諏訪支部裁判官     佐   藤   久   貴

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