長野簡易裁判所 昭和41年(ろ)64号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
【判決理由】(一) 本件事故現場は下諏訪方面から上田方面に通ずる幅員約十一米の県道上田茅野線(以下本件道路と略称)の道路上に該当し、下諏訪から依田川の橋を渡りゆるやかなカーブをえがいて北進し、丸子小学校の西方に該る個所で一旦西方に曲折し、間もなく丸子町安良居町に至る道路と交叉する個所で、再び殆ど直角に北方に曲折して上田方面に通じており、本件事故現場は右直角のまがりかど(以下本件まがりかどと略称)にある佐藤洋服店の南隅から約一〇余米北東に該る道路の略中央線附近に該当し、附近は所謂商店街を形成し、歩車道の区別がなく、交通は頻繁である。
更に本件まがりかどの北方約三〇米の個所には丸子警察署方面に通ずる約三米の道路が東西に交差しており、本件道路を通行する車両から右各交差路に対する見とおしは極めて悪い状況にある。
(二) 被告人は公訴事実記載の日時に普通貨物自動車(長四ま三四七〇)を運転し、本件道路を上田方面に向い進行中、右安良居町との交差点の手前に至るまでの間に、多数の対向車両と擦れ違い時速約一五粁で本件まがりかどを右折し、約一〇米余北進した際、右同速度位で南進する一台の大型トラックと擦れ違い、その直後本件道路の東側から右トラックの後部の辺を小走りに斜めに西側に横断してきた右智子(編註、当五年)と接触するに至つた。
(三) 消水ますを(当六一年)は、前同日孫の茂(当三年)と右智子をともない、北佐久郡中ケ原の娘の婚稼先に赴き、その帰途本件事故現場附近のわかまつ商店前のバス停留所で下車し、同商店で、右智子にチョコレートを買い与えた後、持参にかかる風呂敷包み二個の内一個を背中に背負い、他の一個を左手に提げ、右茂を右手につなぎ、同商店前に設置されているたばこの看板の北側の辺から右道路の西側に横断すべく右智子に対し、うしろから直ぐついて来るよう言い聞かせた上、通行車両の合間をぬつてやや斜めに西側に横断した後、同所魚久商店前に至り更に南方へ約六米余進んだ個所において、左手に提げていた荷物をおろし振向いたところ、右智子の姿が見えないので道路の東北側を見ると未だ道路を渡らずに前記わかまつ商店前に立つてチョコレートの表皮をむいている智子に気がついた。その際一台のトラックが右智子の前を北から南に向い通過すると同時に右智子が右ますをを発見して斜めに横断すべくとび出し、同時に被告人車両が前記の如く北進して来て右トラックとすれ違いを完了した直後、右智子と接触して同人を路上に転倒せしめるに至つた。
(四) 本件まがりかど付近における北方道路上の見とおし状況は南方下諏訪方面に向う対向車連続の状況にあるため、東側(進行方向右側)に立並ぶ店舗の前面付近の人影などはこれを的確に認められない状況にあり、西側(進行方向左側)は各店舗の前面付近が相当遠方まで望見できる状況にあるが、右魚久商店の北側には前記の如や幅員約三米の丁字型交差路があるため、北進車両は、一応右交差路から進出する車両或は歩行者に留意しなければならない状況にあり、右交差路の真向いに該る個所即ち前記智子がチョコレートの表皮をむいていた個所は前記わかまつ商店の軒下に該り、同所は他の部分に比較し若干東方に奥まつたコンクリート舗装となつており、右智子が佇立していた個所の道路上にたばこの広告標の外駐車禁止の道路標識が立てられ、且右軒下はコンクリートの屋根及び日除けの幕におおわれている関係上、右智子が佇立していた個所は、本件まがりかどを右折直後北進する車両としては、確認することは、容易でない状況である。
(五) 以上(一)乃至(四)の事実に更に前記司法巡査作成の実況見分調書並に当裁判所の検証調書を検討すると、右智子の前記斜め横断の具体的方法は、右智子が先に横断していた祖母清水ますをを西南方約一七米位の個所に認めるや早く右祖母の許に到達しようとして、前示トラックの直後を早い速度でやや斜めに追従し、右ますをが立つていた前示個所の東方約七米の地点から急拠右折して祖母ますをの地点に到達しようとしたものであり、結局智子は通常の横断方法即ちまず真直ぐに本件道路西側に横断した後、前記魚久商店前を南進して祖母ますをの許に到達する方法に出でず、右トラックが通過すると同時に同車の後部を早い速度で追従南進した後更に右祖母の許に西進しようとしたもので、右追従した距離は凡そ一五米でありその間を智子は疾走とは言えずとも所謂小走り以上の速度で追従したものと認めるべく、右トラックの速度が当時時速約二〇粁であつた旨の被告人の検証の際の指示説明は本件まがりかどの状況及び右トラックの運転者が見当らない点に照らしにわかに信用できず、結局その速度は前示の如く被告人車両の速度と同一乃至それ以下であつたとも認められ、そうだとすれば右トラックの当時の秒速は約四米二(改訂道交法付録一表)となり右智子のそれは約三米位とすれば(大阪地昭和四〇・七・九判)、両者は毎秒一米余宛の間隔を生じ、結局一五米の間に約四米八位の間隔を生ずることになり、右実況見分調書記載の被告人が右智子を右斜前方約三・四五米の地点に発見した旨の指示説明と略距離的に一致することが肯認できる。
第二、検察官は、本件事故発生当時対向車連続のため、前方の見とおしが困難な状況にあつたから、いつそう前方注視に努め減速して進行すべき注意義務があるのに、被告人は対向車とのすれ違いに気を奪われて進行したため、道路右端よりに横断の機会を窺つて佇立していた清水智子を発見できなかつた過失があつたと主張するので考えて見るに、凡そ運転者たる者には検察官主張の如き状況下において検察官主張の如き一般的注意義務の存することは論を待たないところであるが、運転者に対し、注意義務懈怠による過失責任ありとして、刑事責任を負わせるためには、少くともさし迫つた危険に対する予見可能性があり且これに対する回避可能性の存することが必要であり、予見可能な範囲において、前記注意義務を尽くしたにもかかわらず予見することが不能または著しく困難な場合にまで責任を負わせることは苛酷にすぎるものと言わねばならない。本件についてこれを見るに前期の如く右智子は祖母の消水ますをが既に本件道路の向う側(西南側)に横断し、前認定の如き地点に到達しているのに気づき、南進する前記トラックの後をやや斜めに追従し、更に右ますをの佇立地点めがけて西方に横断しようとして、被告人車両の右前面に進出したもので、被告人は右トラックと擦れ違うと同時に初めて横断途上にある智子を右斜前方約三・四五米の至近距離に発見することができたのであり、それ以前には、右智子は既にわかまつ商店の軒下からとび出し、横断途上にあつたもので、それ以前における右智子の佇立状況及び右追従状況は右対向トラックにさえぎられる状況と前認定の如き右商店の軒下の特殊状況などから見て、本件まがりかどから右発見地点までの間殆ど予見不可能な状況にあつたものと認めるのが相当であり、したがつて右発見直後において急制動をかけたとしても知覚・反応・制動の時間的距離的関係から見て回避可能性は絶無の状態にあつたものと認めるのが相当である。