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青森地方裁判所 平成11年(行ウ)6号 判決 2003年2月18日

主文

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1請求の趣旨

1  被告が,原告に対し,平成8年8月27日付でした,労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

2  被告が,原告に対し,平成8年8月28日付でした,労働者災害補償保険法に基づく葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

第2事案の概要

本件は,原告が,原告の夫の死亡は同人が過去に従事していた業務に起因するものであると主張して,これを認めず労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償給付及び葬祭料をいずれも支給しない旨の処分をした被告に対し,その取消しを求めたものである。

1  前提となる事実(争いのない事実は証拠を掲記しない。)

(1)  原告は,亡A(昭和10年9月5日生。)の妻である。

(2)  亡Aは,昭和29年4月22日,B鉱業株式会社に入社し,以後,昭和50年10月まで,坑内員等として粉じん作業に従事した。

亡Aは,昭和62年10月5日に,東京労働基準局長により,じん肺法に基づく管理区分3ロ・法定合併症なしの決定を受け,以後,平成7年10月11日まで,いずれも管理区分3イないし3ロ・いずれも法定合併症なしの決定を受けた。

(3)  亡Aは,平成8年1月下旬から発熱し,その症状が容易に改善しなかったため,同年2月5日,C病院を受診した。その日,亡Aは帰宅したが,同日深夜から翌6日未明にかけて呼吸の苦しさを訴え,さらに呼吸が停止したため,家人の通報により救急車でD病院に搬送されたが,同日午前7時40分,同病院で死亡が確認された(甲1)。

D病院のE医師が作成した亡Aの死亡診断書には,死亡原因は「心不全」,その原因は「急性肺炎」,その原因は「じん肺」と記載されている。

(4)  原告は,亡Aの死亡はじん肺に起因する業務上の事由によるものであるとして,平成8年4月10日,被告に対し,労災保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたが,被告は,亡Aの死亡は業務上の事由によるものとは認められないとして,原告に対し,同年8月27日付で,遺族補償給付を支給しない旨の処分を,同月28日付で,葬祭料を支給しない旨の処分をした(以下「本件各処分」という。)

2  争点

亡Aの死因となった肺炎は,労災保険法上の業務に起因する疾病(同法12条の8第2項,労働基準法75条1項,2項,同法施行規則35条)といえるか。

(1)  原告の主張

労災保険法上の傷病等の業務起因性の判断にあたっては,業務上の事由が他の原因と共働原因となって傷病等を発症させたと認められれば業務起因性を認めるに足りると解すべきである。

じん肺患者には,肺炎を合併して死亡する例が多い。ある研究によれば,日本人男性において,じん肺患者は通常人の3倍近い割合で肺炎により死亡している。じん肺患者が肺炎を併発する理由としては,全身的な衰弱のために抵抗力が弱っていることの他に,粉じんに対する反応で,細菌に対する喰細胞や,その他の防御機序が使い果たされてしまっていることが考えられる。また,急性肺炎は,進展したじん肺においてしばしば罹患し,予後に重大な影響を及ぼし,重要な直接死因ともなるので,十分な対処が必要であるとの指摘もされている。肺炎の原因には,細菌や免疫異常が掲げられているところ,じん肺患者は細菌感染が生じやすくなっており,免疫機能が低下しているのであるから,じん肺は肺炎の原因となり得るというべきである。

そして,亡Aの死亡当時,そのじん肺の病状は,じん肺法による管理区分4に相当する程に著しい肺機能障害を有するに至っており,肺炎に罹患しやすい状態にあったのであるから,亡Aの死因となった肺炎と亡Aのじん肺との間には,相当因果関係があったというべきである。

したがって,亡Aの死因となった肺炎は,労働基準法施行規則別表第1の2第9号にいう,「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当し,労災保険法上の業務に起因する疾病というべきである。

(2)  被告の主張

労災保険法上の傷病等の業務起因性の判断にあたっては,業務と傷病等との間に法的にみて労災補償を認めるのを相当とする,相当因果関係が認められる場合,即ち,当該傷病等の発生が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があるときに,業務起因性を認めるべきであり,業務上の事由の他に要因が認められる場合には,他の要因に比して業務上の事由が相対的に有力に作用したと医学的に認められる場合に相当因果関係を認めるべきである。

ところが,じん肺が急性肺炎と因果関係を持つと考えるべき一般的医学的知見はない。したがって,じん肺と急性肺炎の発症との間に相当因果関係は認められない。

また,亡Aの生前のじん肺の状態は,法定合併症がなく,療養を要しないものとされ,管理区分も比較的安定的に推移し,肺機能も限界値を相当程度上回る値を示すなどしていたのであるから,亡Aの死亡当時も,重篤な状態に至っていたとはいえない。したがって,亡Aのじん肺が急性肺炎の発症を来たし,あるいはこれを急激に増悪させる原因となったとは考え難い。

したがって,亡Aの死因となった急性肺炎は,労働基準法施行規則別表第1の2第9号にいう,「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当せず,労災保険法上の業務に起因する疾病とはいえない。

第3当裁判所の判断

1  労災保険法による労働災害補償は,使用者の災害補償責任を担保するものであると解されるから,労災保険法上の傷病等の業務起因性とは,業務と傷病等との間の相当因果関係を意味するものと解するべきである。そして,上記労働災害補償の趣旨に照らすと,業務と傷病等との間の相当因果関係が認められるためには,業務と傷病等との間に条件関係が存在し,かつ,傷病等の発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係があることが必要であり,傷病等の発生が業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化であると認められるためには,業務が,傷病等に対して,他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることを要するというべきである。

この点,原告は,業務上の事由が他の原因と共働原因となって傷病等を発症させたと認められれば業務起因性を認めるに足りると解すべきものと主張するが,そのように解するならば,実質的に業務と傷病等との間に条件関係があれば業務起因性が認められることとなり,上記労働災害補償の趣旨に照らして相当でないから,上記主張は採用することができない。

2  原告は,じん肺は一般的に肺炎の原因となり得るものと主張し,確かに,甲第2ないし第5号証のように,じん肺と肺炎との関連性を指摘する文献等も存在する。

そこで検討するに,甲第3号証によれば,平成2年に,海老原勇医師らによって,じん肺罹患者の内管理区分4及び管理区分2ないし3で法定合併症罹患者についてその死亡原因を調査したところ,肺炎により死亡した数は厚生省の人口動況統計を基準とした期待値の約2.9倍に上るとの研究が発表されていることが認められ,甲第4及び第5号証によれば,海老原医師は,上記の研究以前から,じん肺罹患者は,吸入粉じんによって肺の異物等に対する防御機構が動員されているため,細菌感染が生じやすく,特に進展したけい肺において急性肺炎にしばしば罹患するもので,肺炎はじん肺の合併症というべきであるとの見解を有していることが認められる。また,甲第2号証によれば,平成8年時点において,H医師が,けい肺患者では,しばしば肺炎は急激な経過をたどることがあるが,これは,肺の広範な線維化により肺動脈血流分布が低下し,細菌感染が比較的短期間に肺内に拡大することと,けい肺による免疫機能の低下が原因とも考えられるとの見解を有していることが認められる。

しかしながら,これらに対し,乙第7号証によれば,昭和62年時点で,労働省安全衛生部労働衛生課編集のじん肺診査ハンドブックにおいて,じん肺と肺炎との関連性は注目されているものの,じん肺有所見者に有意に発生頻度が高いとの報告はなく,じん肺との関連の評価が困難であるとの見解が表明されていたことが認められ,また,乙第51号証の1によれば,平成8年7月時点において,I医師が,じん肺と急性肺炎が因果関係を持つと考えるべき医学的証拠は得られておらず,じん肺法改正以降新たに合併症に取り上げる必要を論じた医学研究もないとの見解を有していることが認められる。

以上を前提として検討するに,前記甲第3号証の研究は,管理区分4及び管理区分2ないし3で法定合併症罹患者という,ある程度重度で療養を要するじん肺罹患者を対象としているものであるから,直ちにこれをじん肺罹患者全体に一般化することはできないし,上記のように,じん肺と肺炎の因果関係ないし関連性に否定的な見解が相当あることなどを総合して考えると,じん肺と肺炎との間の関連性については,未だ医学的見解の対立が存在するというべきであって,高度の蓋然性をもって,じん肺罹患者について発症した肺炎につき,一般にじん肺が相対的に有力な原因となっていると認めるには足りないといわざるを得ない。

したがって,一般的にじん肺が肺炎の原因となり得るとまで認めることはできない。

3  続いて,個別的に,亡Aの死因となった急性肺炎の発症が,じん肺と相当因果関係があるものと認められるかについて検討する。

(1)  原告は,亡Aの死亡当時,そのじん肺の病状は,じん肺法による管理区分4に相当する程に著しい肺機能障害を有するに至っており,肺炎に罹患しやすい状態にあったと主張する。

そこで検討するに,じん肺法4条1項,2項によれば,管理区分4とは,じん肺健康診断の結果,(ア)エックス線写真の像が第4型(大陰影があると認められるもの)で大陰影の大きさが1側の肺野の3分の1を超えるもの,及び,(イ)エックス線写真の像が第1型ないし第4型(大陰影があるか,両肺野にじん肺による粒状影又は不整形陰影があるもの)で,じん肺による著しい肺機能の障害があると認められるものをこれに区分し,該当者について療養を要するとするものである。

そして,亡Aが生前受診したじん肺健康診断において最後に撮影された胸部エックス線写真は,平成7年8月29日に撮影されたものであるが(争いがない),乙第19号証によれば,その写真を読影したF医師の所見は,大陰影が存在し,その区分はA(陰影が1つの場合には,その最大径が1センチメートルを超え5センチメートルまでのもの,数個の場合には,個々の影が1センチメートル以上で,その最大径の和が5センチメートルを超えないもの〔乙7〕)であるというものであることが認められる。また,甲第2号証によれば,同写真を読影したH医師の所見は,大陰影が存在し,その区分はB(陰影が1つ又はそれ以上で,Aを超えており,その面積の和が1側肺野の3分の1〔右上肺野相当域〕を超えないもの〔乙7〕)であるというものであることが認められる。このように,亡Aが生前受診したじん肺健康診断において最後に撮影された胸部エックス線写真によっても,その像は第4型ではあるが大陰影の大きさは1側の肺野の3分の1を超えないものであるから,前記(ア)に該当しないことは明らかである。

次に,亡Aが著しい肺機能の障害を有していたか(前記(イ))を検討するに,乙第7及び第53号証によれば,① パーセント肺活量が60パーセント未満の場合,② 1秒率が限界値未満の場合,③ 最大呼出位から努力肺活量の25パーセントの肺気量における最大呼出速度(V25)を身長で除した値(V25/身長)が限界値未満であり,かつ,呼吸困難の度合いが第III度(平地でも健康者なみに歩くことができないが,自己のペースでなら1キロメートル以上歩ける者),第IV度(50メートル以上歩くのに一休みしなければ歩けない者)又は第V度(話したり,着物を脱ぐにも息切れがして,そのため屋外に出られない者)のいずれかに該当するときには,一般的に,著しい肺機能障害があると判定され,④ 肺胞気・動脈血酸素分圧較差(AaDo2)の値が限界値を超える場合には,諸検査の結果と合わせて,一般的に,著しい肺機能障害があると判定され,これらに該当しなくても,医師が総合的な評価に基づいて著しい肺機能障害があると判定される場合があることが認められる。

ここで,亡Aが昭和62年から死亡時までに受診したじん肺健康診断での胸部に関する臨床検査における呼吸困難の度合いの自覚症状及び肺機能検査の結果並びに医師による肺機能障害の程度の判定が別紙一覧表のとおりであることは当事者間に争いがなく,乙第7号証によれば,それぞれの検査時における亡Aの年齢に対応した上記②,③及び④の限界値は,それぞれ別紙一覧表記載のとおりであることが認められる。そこで,これらの検査の結果に基づき検討を進めるに,確かに,原告が主張するとおり,亡Aが受診したじん肺健康診断のうち,上記の基準に該当するものとして,平成6年11月21日の肺機能検査における肺胞気・動脈血酸素分圧較差の値が37.18TOORと限界値(36.19)を超えているというものがある。しかしながら,その時点における亡Aの呼吸困難の度合いが第I度(同年齢の健康者と同様に仕事ができ,歩行,登山あるいは階段の昇降も健康者と同様に可能である者)であったこと,前記検査より後の平成7年8月29日時点での亡Aの呼吸困難の度合いも第I度で変わっていないこと,平成7年9月4日の肺機能検査における肺胞気・動脈血酸素分圧較差の値が21.9TOORと大きく改善していることに照らすと,平成6年11月21日の肺機能検査における肺胞気・動脈血酸素分圧較差の値は,検査上の測定誤差を含んでいたものと推認すべきであり,この時点で,著しい肺機能障害があると判定すべきであったと認めることはできない。そして,他の検査結果に照らせば,少なくとも平成7年9月4日に至るまで,亡Aに管理区分4に相当する程度の著しい肺機能障害があったものと認めることはできず,さらに,それ以後死亡時までに,亡Aがじん肺によって管理区分4に相当する程度の著しい肺機能障害を有していたと認めるに足りる証拠はない。

(2)  前記第2の1(3)のとおり,E医師が作成した亡Aの死亡診断書には,急性肺炎の原因として「じん肺」と記載されているところ,乙第45ないし第47号証によれば,E医師は,平成8年2月6日に亡AがD病院に搬送され,蘇生処置のために気管内挿管した際,多量の出血があったこと,痰の検査はしなかったが,1週間前から特に咳や喀痰が増加し,息切れのために自宅の階段を昇ることが困難になり,37度6分の発熱があったとの情報と,エックス線写真上の所見から,亡Aがじん肺に続発した続発性気管支炎及び続発性気管支拡張症に罹患しており,前記出血はこれに起因したものと診断し,被告及び青森労働者災害補償保険審査官に対してもこのように意見を述べたことが認められる。また,乙第48ないし第50号証によれば,C病院のG医師は,平成8年2月5日に亡Aが受診した際,痰の検査はしなかったが,1週間以前から37度8分の発熱が続き,同月2日には39度4分(舌下)となり,市販の解熱剤を内服したと訴えたこと,胸部聴診したところ,乾湿ラ音が全肺野に聴かれ,両肺野背部,下部に捻髪音が聴取されたこと等から,亡Aがじん肺に合併した続発性気管支炎に罹患していたものと,被告及び青森労働者災害補償保険審査官に対して意見を述べたことが認められる。

しかしながら,乙第7号証によれば,続発性気管支炎とは,じん肺患者の持続性の咳,痰の症状を呈する気道の慢性炎症性変化に細菌感染等が加わった気管支炎を指し,その診断のためには,痰の量,痰の性状と痰に占める膿の比率を検査し,起床後概ね1時間の痰の量が3ミリリットル以上で,痰が粘膿性である場合に罹患していると診断されることが認められるところ,前記のように,E医師もG医師も,亡Aの痰の検査はしていないのであるから,前記亡Aの自覚症状や他覚所見から,亡Aが続発性気管支炎に罹患していた疑いは否定し得ないものの,さらに進んで罹患していたとまで認定するには足りない。

また,乙第7号証によれば,続発性気管支拡張症とは,じん肺患者の気管支拡張に細菌感染等が加わったものを指し,その診断のためにはエックス線写真撮影を行い,必要に応じて続発性気管支炎の診断におけるのと同様の痰の検査を行い,エックス線写真で気管支の陰影がのう状,円柱状,瘤状又は珠数状に拡張している場合及び気管支拡張が認められ,起床後概ね1時間の痰の量が3ミリリットル以上で,痰が粘膿性である場合に罹患していると診断されることが認められるところ,甲第2号証によれば,H医師は,平成8年2月6日に撮影された亡Aの胸部エックス線写真の読影所見として,「両側外側にびまん性に広がる淡い陰影が見られ,また右葉間胸膜に胸水の貯留を認め,急性肺炎の所見と考えられる。」と述べ,また,乙第51号証の1によれば,I医師は,同写真の読影所見として,「背臥位で撮影されたものであり,かつ,画質が劣っているために肺内の変化を詳びらかに観察することができませんが,じん肺に加えて,両肺に浸潤性の淡い陰影が広範に読影されますので,死亡診断書記載の死因『急性肺炎』は,妥当なものと判断できます。」と述べているのであって,これらの所見及び両医師ともに気管支拡張には何ら言及していないことに照らすと,前記E医師の意見にかかわらず,同写真の所見のみから亡Aが続発性気管支拡張症に罹患していたと診断することはできないというべきである。また,前記のように,E医師もG医師も亡Aの痰の検査はしていないのであるから,亡Aが続発性気管支拡張症に罹患していたと認定するには足りない。

(3)  以上のとおり,亡Aが肺炎に罹患したこととじん肺との間に相当因果関係があるとして,原告が主張する事由は,いずれも十分な証拠に基づくものということはできず,本件全証拠によるも他にこれを認めるに足りる証拠は見いだせない。

4  そうすると,亡Aの死因となった急性肺炎の発症は,亡Aのじん肺と相当因果関係があるものとは認められず,労働基準法施行規則別表第1の2第9号にいう,「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当するとは認められない。したがって,亡Aの死亡が労災保険法にいう業務上の事由によるものとは認められないとした本件各処分は適法である。

5  以上によれば,原告の請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 河野泰義 裁判官 畠山新 裁判官 守山修生)

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