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青森地方裁判所 平成18年(わ)181号 判決 2007年1月29日

主文

1  被告人を懲役15年に処する。

2  未決勾留日数中50日をその刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は,長らく関東地方で稼働した後,平成17年4月ころから青森市内に戻り,生活保護費の支給を受けながら単身で生活していた。被告人は,酒好きで,これまで飲酒して他人に怪我を負わせたことが何度かあったことから,飲酒量に気を付けながらも,夕方散歩に出た際,飲食店や公園などで飲酒することを楽しみの1つとしていた。被告人は,平成18年9月21日午後3時半ころ,いつものように散歩に出かけ,その途中,青森市所在のスナック「甲」を見つけ,古めの建物でこじんまりとした店構えから,その雰囲気や安く飲めるだろうとの思いから気に入って店に入り,カウンターの奥にいた経営者のAに焼酎を注文して飲み始めた。同日午後6時半ころ,常連客が帰り,Aと2人きりになった被告人は,同日午後7時ころ,釣り銭が返ることを期待して飲食代金として5000円を差し出したところ,Aから,焼酎のボトルを入れたから5000円では足りないと言われた。被告人は,ボトルは入れていないと主張して互いに譲らなかったところ,Aは,被告人に,「いい男が,なにボトル1本でグズグズ言ってんのよ。」と言って,ボトル代を強く請求した。被告人は,この言葉にカッとなり,カウンター上のペン立ての中にあったペーパーナイフでAの左膝下を突き刺し,Aは悲鳴を上げながら座っていた椅子と一緒に床に倒れた。被告人は,Aに悪いことをしたという思いと,これまでにも同様のことがあったにもかかわらずまた飲酒して人に怪我を負わせてしまったとの思いから,Aを助け起こし,椅子に座らせ,傷口から流れている血を拭き,病院に行くかどうかや傷口の具合を尋ねるなどしたところ,Aは,「人ば刺しておいでなにさ。どうしてくれるのこれ。警察さ行ぐが。」とさらに厳しい口調で被告人を責めた。被告人は,Aが治療費や迷惑料として現金を要求しているのではないか,要求額を支払わないと警察にも行くつもりではないかと思い,それを何としても避けるため,怪我の具合を尋ねたり警察に言わないように頼んだりしたが,Aは被告人の言葉に耳を貸さず,より厳しい口調で「警察さ行ぐが。」などと繰り返し言った。そこで,被告人は,警察に捕まりたくない,金を払いたくないと思うと共に,Aに対する怒りが抑えきれなくなり,騒いでいるAを黙らせるためには殺すしかないと決意した。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成18年9月21日午後7時ころから同日午後8時ころまでの間に,前記「甲」店内において,A(当時67歳)に対し,殺意をもって,その頸部及び頭部を同店内にあったガラス製のジョッキで数回殴打し,さらに,その頸部を同店内にあったペーパーナイフ(刃体の長さ約11センチメートル)で突き刺し,よって,そのころ,同所において,同人を頸部打撲に起因した頸部軟部組織血腫を伴う喉頭浮腫による窒息により死亡させて殺害したものである。

(証拠の標目) 省略

(事実認定の補足説明)

1  被告人は,被告事件に対する陳述においては,公訴事実は間違いないとしたものの,被告人質問においては,被害者の膝付近を刺したこと,その後,被害者を助け起こしたこと,店外で通行人から指を差され,血の付いたズボンを裏返して履いたことなどは覚えているが,本件犯行当時は酔っていたため,被害者に判示の暴行を加えて殺害したことは記憶にないので分からない,被害者を殺してしまえという気持ちはなかった旨供述し,弁護人も,被告人には明確な殺意はなかった旨主張するので,念のため,これらの点について検討する。

2  被告人は,捜査段階において,本件犯行時の状況につき,被害者の左膝の辺りをアイスピックのような物で刺した後,被害者が繰り返し強い口調で「警察さ行ぐが。」と言ったことから,被害者が警察に通報するのではないか,金を払わされるのではないかとおそれ,また,被害者の言い方に腹を立て,被害者を黙らせるためには殺すしかないと思い,判示の暴行を加えて被害者を殺害した旨供述していたところ,被告人の捜査段階の供述は,こうした状況を含め,ボトルを入れたか否かで被害者と険悪な雰囲気になり,ボトル代を払えとの被害者の厳しい言葉にかっとなって同人の足をアイスピックのような物で刺した経緯,その後被害者が椅子と共に床に倒れたため,酔いが醒め,被害者を助け起こして被害者に優しい言葉をかけるなどしたにもかかわらず,前記のとおり,被害者が被告人に厳しい態度で迫ったため,被害者の殺害を決意するに至った状況,殺害状況,殺害後に店内の片付けをした状況,その後警察に捕まることを恐れて慌てて自宅まで逃走した際に血の付いているジーパンを裏返して履いたことや,乗っていたマウンテンバイクごと転倒して顔面を地面に打ち付けた状況,帰宅した後関東方面に逃走する状況等について,その時々の自己の心情も含め,具体的かつ詳細で内容も合理的であり,被告人が日頃飲酒すると粗暴になる性格であることに鑑みれば,被害者を殺害する動機も含め,供述内容に特に不自然な点は見られないばかりか,被告人が本件店舗に入店した後の被告人と被害者の会話の内容,カラオケをしたことやその曲名,2人の常連客が帰る際,被告人が不満の声をかけたことなど常連客の供述内容と概ね一致しているほか,被告人は,被害者の左膝を刺した後,布巾のようなもので被害者の膝の血を拭いた旨供述しているところ,血痕の付着したハンドタオルがカウンター上で発見されていることなど他の証拠とも合致しており,また,凶器や被害者の怪我の状況等についても,実況見分調書,鑑定書によれば,被害者の頭頂部や,やや左耳介方向の毛髪内にはガラス片が遺留されていたこと,被害者には頭部及び頸部に鈍器で殴られた傷と頭部及び左膝に鋭利な物で刺された傷があることや,その頭部や頸部の創傷が主として左側部分に集中していること,また,凶器のジョッキは厚底のガラス製であり,ペーパーナイフは刃体の長さ約11センチメートルと殺傷能力に欠けないことなど被告人の供述内容と矛盾しない。また,被告人は,被害者をジョッキで殴った回数やアイスピックのような物で刺した回数は覚えていないなど,記憶が明確であるところと曖昧なところを区別して供述しており,記憶がはっきりしないとして訂正を申し立ててもいる。以上によれば,被告人の捜査段階における供述は信用性が高いと言うべきである。

これに対し,被告人は,当公判廷において,前記のような供述をすると共に,本件犯行のきっかけである被害者とのボトルを巡るやりとりについてもはっきりと覚えていない旨供述するが,被告人の捜査段階の供述が信用できることは前述したとおりであり,被告人が,本件犯行当時,普段の飲酒量以上の酒を飲んでいたことや,本件犯行の衝撃等を考慮しても,被告人の本件犯行時の記憶が前記のとおり断片的であり,ペーパーナイフで被害者の左膝を刺した以上に記憶に残るであろうはずの,その後のジョッキによる殴打行為等の記憶がないというのは,それ自体全く不自然であるほか,被告人は,翌朝のニュースで被害者が死亡したことを知るや,有り金全部を持った上でアパートの住人と顔を合わせないように気を付けながら,また,駅ではマスクを買うなどして,店から逃げ去る際に付いた顔面の傷を他人に見せないように気を配りながら関東方面に逃走しているところ,仮に被告人の供述どおり,本件犯行時の記憶がなかったのであれば,自己が犯人であることを前提とするような行動をとるのは矛盾していると言わざるを得ない。被告人は,捜査段階の供述について,取調官から複数の選択肢や可能性を示され,また,被害者の傷の場所や凶器を教えられ,それに基づいて供述した内容が調書になった旨供述するが,被告人が飲酒の影響もあって本件犯行時の状況を明確に記憶していないこともあり,取調官が実況見分等に基づく客観的状況や考えられる可能性を示唆して被告人の犯行時の記憶を喚起し,被告人の供述を求めることは一般的にあり得るところ,その結果得られた被告人の供述が信用できることは前記のとおりであり,被告人は,捜査段階で被害者を刺した凶器について「アイスピックのような物」と供述しているが,それに先立つ実況見分等の捜査においては,本件凶器については「ペーパーナイフ」と特定されているのであって,にもかかわらず被告人が凶器について「アイスピックのような物」で刺したと供述していることは,被告人が,自らの記憶に従って供述したことの証左と言うべきである。また,被告人は,前述のとおり,記憶が明確な部分とそうでない部分とを区別して供述し,記憶がはっきりしないとして供述の訂正を求めるなどしている。さらに,犯行時の状況が記憶にないにもかかわらず,取調官からの選択肢のうち特定のものを選べる合理的理由も見出し難い。その上,被告人は前記検察官調書が作成された平成18年10月12日には警察官からの取調べも受け,逃走中の行動について供述したところ,その供述に係る,その間の行動の順序や宿泊場所は,補充捜査の結果,誤りがあることが判明し,翌日,改めて被告人は逃走中の行動について供述していて,その際には被告人が自己の記憶のままに供述したことは明らかであり,その同日の検察官の取調べには記憶のないままに供述したとは考えにくい。以上によれば,被告人は,捜査段階において,自己の記憶に基づいて供述したものと認められる。

加えて,関係各証拠によれば,被告人は,本件犯行直後,本件店舗から逃走する際,マウンテンバイクごと転倒するくらい慌てていたことや,血痕が付着したジーンズを裏返しに履き直しているばかりか,翌日早朝には自宅で犯行時着用していた衣服を洗濯し,シーツに付いていた血痕を漂白するなどした上,有り金50万円を全部持って関東方面に逃走していることが認められるのであって,これらの被告人の行為は,被告人が被害者の左膝を刺したことだけにとどまらず,被害者を殺害したことを明確に認識していたことを十分に窺わせるものである。

以上によれば,被告人の公判供述は信用できない。

3  そうすると,信用性が認められる被告人の捜査段階の供述に関係各証拠を総合すれば,被告人が判示のとおり,明確な殺意をもって被害者の頸部及び頭部をジョッキで殴打すると共に,ペーパーナイフで被害者の頸部を突き刺して殺害した事実を認めることができる。

(法令の適用) 省略

(量刑の理由)

被告人は,判示の経緯から被害者を殺害したものであり,犯行の動機は短絡的,自己中心的かつ身勝手であって,酌量の余地は全くない。犯行態様を見ても,被告人は,被害者を殺害するため,激情に任せ,カウンター上にあった厚底のガラス製のジョッキで被害者の頭部を複数回殴り,被害者がなかなか倒れないことに業を煮やし,また,ジョッキが割れて殴りにくくなったため,ペーパーナイフで同人の頸部を突き刺したものであるところ,ジョッキが砕けるほどの強さで頭部等の人体の枢要部を集中的に殴打し,更に刃体の長さ約11センチメートルの殺傷能力のあるペーパーナイフで頸部を突き刺しており,犯行態様は,執拗で危険かつ凶悪で悪質である。一人の尊い人命が奪われたという結果が重大であることはもちろんのこと,常連客の供述によれば,被告人がボトルを入れたことが窺えることから,被害者が被告人にボトル代を請求したのは当然であり,被害者は,本件被害を受けるような落ち度は全くなく,若い時から懸命に働き,苦労して子供たちを育て,妹から本件店舗を引き継いだ後は,本件店舗で働くことを生き甲斐に感じ,健康面の不安を抱えながらも休まず,厳しい経営状況下で店を1人で切り盛りしてきたものであって,明るく気さくで面倒見が良いことから,家族は勿論,周囲や店の常連客からも慕われており,家庭では孫達を可愛がり,夫や息子夫婦と仲睦まじく幸せな生活を送っていたものであり,将来は夫と食べ歩きの旅をする夢を持ち,また,孫達の成長を見守りながら将来を見届けたいとの願いを持っていたにもかかわらず,被告人の凶行によってその夢や願いを壊され,人生の充実期に命を落とした被害者の苦痛や無念さは察するに余りあるところであって,残された遺族も被害者の突然の死を現実のものとしてなお受け入れられずにおり,被害者がいなくなったことで家庭の灯が消え,寂しさと悲しみを今も引きずっており,最愛の家族の生命を奪っただけでなく,その後逃亡した被告人を許せない気持ちから,被告人を死刑にしてほしい旨希望するなど峻烈な処罰感情を抱いていて,被告人からの弁償金の一部の支払を拒絶しているのももっともである。被告人は,生活保護費受給者であり,将来的にも被害弁償の可能性は限りなく低い。被告人には,昭和40年,同59年,平成8年と飲酒の上での傷害の罰金刑前科があり,平成8年の犯行は飲酒して他人の腹部をナイフで刺したというものであって,本件と態様が類似するところがあることなどに徴すれば,再犯の恐れも否定できない。そして,被告人は,公判廷において,不合理な供述態度に終始している。

以上からすれば,被告人の刑事責任は重大であり,被告人の本件行為は厳しく非難されるべきである。

他方で,本件犯行は計画的になされたものではないこと,被告人は,今後被害者の冥福を祈っていくと述べていること,被害者の遺族に被告人が現在なし得る限りで弁償金の一部として20万円を送金しようと試みたこと,被告人の元妻が身元引受人になると申し出ていること,被告人の有する前科は前記のほかいずれも罰金刑にとどまるものである上,最終前科の傷害は本件から約10年前のものであることなど被告人にとって有利な事情も認められる。

そこで,これらの諸事情を総合考慮した上,被告人に対しては,主文掲記のとおりの刑を科すのが相当であると判断した。

よって,主文のとおり判決する。

(求刑 懲役17年)

(裁判長裁判官 渡邉英敬 裁判官 室橋雅仁 裁判官 香川礼子)

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